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今日は何となく興がのらないので、ごまかしで行こう。 ―――― ◇ ――――尾崎放哉が好きで、先日「放哉全集 第一巻 句集」を古書で見つけて求めたと書いたが、あれやこれやでまだその本を開いていない。とにかく分厚い本で、そこに放哉の俳句がギッシリ詰まっているわけだから、こんなに楽しみなことはないのだけれど、そのそも放哉が好きになったというのも、放哉の俳句に出会って引き込まれたからだ。ではどんな俳句にひかれたかというと、特に印象的な俳句を書き留めてあるのでそれを下に並べてみる。 ―――― ◇ ――――死にもしないで 風邪 ひいてゐるせきをしても ひとりたった一人になりきって 夕空ころりと横になる 今日が終って居る白々 あけて来る 生きてゐたうつろの心に 眼が二つ あいてゐる落葉掃けば ころころ 木の実こんなよい月を ひとりで 見て寝る雀の暖かさを握る はなしてやる心をまとめる 鉛筆とがらすかぎ穴 暮れて居る がちがちあはす沈黙の 池に亀一つ 浮き上る ―――― ◇ ――――心の中の寒々とした寂寥が、よ~くわかる気がする。 ―――― ◇ ――――与謝蕪村も好きだが、蕪村は文人的な絵画的な俳人だと思う。愁いつつ 岡にのぼれば 花いばら 蕪村これはまったく現代人の感覚じゃないか。 ―――― ◇ ――――またあとで書くかも知れない。
2004.01.31
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私がお薦め web site に入れているパリ在住のカリグラフィー作家、摩耶さん(通称 ぴーたろーさん)が、以前彼女の日記の中で「昔のポルトガル商人の古い日記を読んでいる」と書いていた。大航海時代のヴァスコ・ダ・ガマあたりの時代のものなんだろうか?面白いだろうな~。私も読みたいな~と思うけれど、私にはこの足元の山積の古本の山を読むことの方が先決らしい。今日は「ポルトガル尽く」しといこう。私にとってポルトガル人というとまずルイス・フロイスである。16世紀の日本にイエスズ会の宣教師として来日、膨大な「フロイスの日本史」を書いてくれた後、長崎で亡くなっている。信長や秀吉にも謁見し、世界のいろいろな情報を彼らに披露して重宝された。フロイスはそんな信長や秀吉の容貌や性格その他もろもろの情報を first hand で日記に書き込んでいて、それが今や極めて貴重な時代の証言となっている。私も「フロイスの日本史」の全集をもっていて、以前はちびちび読んだのだがその後は例にもれず「積ん読」になってしまっている。 ―――― ◇ ――――彼の生涯の簡単な年表を下記に書いてみる。1532 リスボンに生まれる1543 (ポルトガル船が種子島に漂着 鉄砲伝来)1548 イエスズ会に入会 ゴア(インド)に向かう1557 ゴアで哲学・神学を修得1562 日本へ出発1563 日本到着 31才1569 織田信長に二条城で謁見1583 日本史執筆開始1586 大坂城で秀吉に謁見1592 マカオへ出発1595 マカオから帰国1596 日本史執筆完了1597 二十六聖人の殉教 殉教を記録 長崎で死亡正直なところこの年表はあるサイトにあったものを参考にリライトした。こういうところがネット日記を書くことによる、ありがたい副産物かもしれない。少なくとも日記を書くという必要がなければ、こんなことを調べはしなかったことは確かだ。勉強になった。 ―――― ◇ ――――イエスズ会というとフランシスコ・ザビエルである。誰でも知っている歴史上の人物。そのザビエルのみならず、イエスズ会はバスク人中心に運営されてきた。アメリカのボストンの近くにもイエスズ会が経営する HOLLY CROSS 聖なる十字架という優秀な大学がある。イエスズ会というのは発足当時はファナティックな宣教意識を持った、武力でもってでもキリスト教化をいとわない戦闘的な宗教団体だった。またバスク人というのはフランスとスペイン国境のピレネー山脈あたりに住む欧州の謎の民族。スペインからの分離独立を目指してテロを繰り返している民族でもある。奇妙なことに彼らの言語がそもそも印欧語に属さない謎の言語である。欧州で印欧語に属さない言葉なんて他には無いはず。それなのにバスク語はその印欧語に属していない!そんなはずは無いと思うんだけれど、事実だ。多分、印欧語を話す人々は先住のバスク人より遅れて欧州にやって来たのだろうと思う。もしその反対にバスク人が遅れてやってきたのなら、その途上の印欧語の海の中で、印欧語を受け入れるか?または印欧語をバスク語にある程度は取り入れたはずだと思う。バスク語には印欧語には無い、息を吸い込みながら発音する音があるという。一説によるとこれは長い期間、洞窟内で暮らした民族に特徴的な音だという。つまり氷河期に寒波を避けて洞窟内で暮らしていたのだろうと思う。クロマニヨン人の直系の子孫とも言われている。実は知り合いに一人バスク人がいるがあまり好きな人間ではない。洞窟の中にでももどって欲しい人間だが、この際は関係ないだろう。フランスではバスク人は味覚の鋭い人々として知られていて、レストランやビストロの経営者・シェフが多い。 ―――― ◇ ――――やはりポルトガルは東洋にも大きな足跡をのこしている。インドネシアにもポルトガル領があったし(マカッサルだったかな?)、もちろん香港の隣のマカオはインドのゴアとならんで東洋の起点。そういえば、ボンベイ支店の現地職員にもゴアの出身者がいて、ダ・シルヴァなんていかにもポルトガル系の名前を持っているカトリック信者だった。マカオにはいまだにポルトガル語をしゃべるポルトガルの血をひいた中国人のマイノリティー社会があるというテレビのドキュメンタリー番組を見たことがある。徳島で亡くなったポルトガルの総領事モラエスも小泉八雲に似た境遇の知日外国人。文人で小説などを書き残していて、徳島市内にモラエス通りという通りがあり、そこにかれの旧居があったらしい。青空文庫にモラエスの作品はあるだろうか?通説ではポルトガル人が種子島に持ち込んだ鉄砲・種子島銃が日本に普及したと言うことになっているが、日本の堺で大量生産された鉄砲はポルトガル方式の鉄砲じゃないようだ。弾込め方式とかその他が違う。多分、中国とかそのあたりから導入した、もっと進化した鉄砲の技術を日本は別ルートで取り入れてそれを改良したらしい。そうして日本人はたちまち数千丁の鉄砲を作ってしまった。これは当時世界最多の鉄砲の所持率だった。だから、ポルトガルに対する感謝も半分でいいらしい。ポルトガルには行ったことがない。行ってみたい。特にリスボンの隣の大学町で古い町のコインブラ。コインブラって、響きが美しい。 ーーーー ◇ ーーーー去年、米国である結婚式があって私も招待されたのだけれど、その時に知人のポルトガル人の人々と話していて、アマリア・ロドリゲスの話がでた。出たと言うより彼らがポルトガル人だと言うことで、私としてはある種のサーヴィス精神もあって彼女の話題を出したのだが。昔の映画に「過去のある愛情」というフランス映画がある。フランソワーズ・アルヌール ダニエル・ジュラン主演のポルトガルを舞台の男女の愛情のもつれを描いた映画だが、たしかまだ高校生だった私は、この映画を映画館にまで観に行った。というより聴きに行ったと言う方が正しいかも知れない。この映画の主題歌「暗いはしけ」という歌をアマリア・ロドリゲスというポルトガルの女性歌手が歌っていて、この歌はポルトガル独特のファドといわれるジャンルのものなのだが、その当時は世界的な話題になっていて、私はその歌をラジオで聞いてからは、ぜひ彼女が出演して謳っているというこの映画を観たかったわけだ。実際に行ったことがないのにこう言うのもいけないかも知れないが、隣国スペインと比較してポルトガルはなんとはなしに貧弱というか侘びしい印象がぬぐえない。写真などで見るポルトガルの映像は黒い衣装をまとった猟師の女房などのものが多いからそういう印象になるのかも知れない。ヨーロッパと言うよりイベリア半島を数百年にわたって支配したムーア人(アラブ人)の面影も見えるような機がする。ファドというのは哀調を帯びた歌だ。スペイン風な激しいものとは対照的に淡い味わいで、まるで風になびく哀愁という風情がある。これにもやはりアラビアのエキゾティックな旋律が混じり込んでいるような気がする。やはりポルトガルにはそういう軽い持ち味があるのか?ポルトガル領だったブラジルの音楽、ボサノヴァも淡くて軽い。名画「黒いオルフェ」の主題歌「カルナヴァルの朝」もファドの直系の子孫という趣だ。ポルトガル語で「サウダーデ」という言葉がある。英語で近い言葉は solitude だろうけれど、それだけではない。この言葉は実に深くて微妙で・・・幅の広い意味のある言葉らしい。平凡社のスペインポルトガルを知る辞典には次のようにでているという。 ―――― ◇ ――――懐かしさ・未練・懐旧の情・愛惜・郷愁・ノスタルジー・孤愁。しかし、いずれの訳語もサウダーデの表す多面体的な意味のいづれかの面に対応するものであって、それが持つ意味の総体を示す訳語ではない。サウダーデとは、自分が愛情・情愛・愛着を抱いている人あるいは事物(抽象的なものを含む)が、自分から遠く離れ近くにいない、またはいない時、あるいは自分がかつて愛情・情愛・愛着を抱いていた人あるいは事物が、永久に失われ完全に過去のものとなっている時、そうした人や事物を心に思い描いた折に心に浮かぶ、切ない・淋しい・苦い・悲しい・甘い・懐かしい・快い・心楽しいなどの形容詞をはじめ、これらに類するすべての形容詞によって同時に修飾することのできる感情、心の動きを意味する語である。そこには、たんにそうした人や事物を思い描いたときに心に浮かぶ感情だけでなく、そうした人や事物をふたたび眼の前にしたいと願う思いも含まれている。サウダーデはこのように複雑で豊かな意味を持つ語であるから、外国語で1語によってその意味を表すことは不可能であることも、訳語としてあげられている種々の語の意味の一面しか表しておらず思い出す対象によって訳語が異なるざるを得ないことも明らかであろう。また大切にしていた物を手放さざるを得なくなったとき、心に感じる痛み・悲しみを伴う感情もサウダーデであり、家族・親友・恋人などと永く別れるときの惜別の情もまたサウダーデである。 ―――― ◇ ――――これでは長々しくて大変だけれど、私の解釈では「愛着のあるものから離れていることから生ずる執着を含んだ喪失感・悲哀感」なのでは?つまり英語で言うと nostalgy や missing feeling や in solitude がその核にあるのではないだろうか?ポルトガルは欧州の最先端、どん詰まりである。その先は茫漠たる大西洋。英国のコーンウォールの先端に文字通り「LAND END」という岬があるが、陸地が切り落ちていて、そこからは見渡す限りの大西洋である。まだ見ないリスボンにも(リスボアというのがポルトガル語の発音かな?)やはりそんな風景があるような気がする。大航海時代に船乗り達が未知の大海に乗り出した土地だ。そんな前例もない世界の果てへの恐ろしい航海に船出して行った夫や父親、恋人など・・・。そんな彼らを想いつづけて帰りを待ち続けた切ない感情が、ポルトガルの女性達の心の中に染みついてファドになったのではないだろうか? ―――― ◇ ――――「火宅の人」の作者、壇一雄が一時ポルトガルに滞在していたことがあって、たしか昔に週刊朝日に連載していた随筆に自ら書いていたが、ポルトガルではイワシの塩焼きが安くてまたことさら美味であるという。さらにそれにレモンを搾ってかけると・・・。・・・言うまでもあるまい。 ーーーー ◇ ーーーーまたアメリカでの結婚式パーティーでのポルトガルの人達との話にもどるのだが・・・。他の東海岸真性エリート白人連中に比べて遠慮がちなポルトガルの人々を気遣って、私はアマリア・ロドリゲスの歌が聞きたさに「過去のある愛情」を観に行ったこと、および壇一雄が好きだったというイワシの塩焼きがぜひ食べたいものだ・・・などとしゃべると、彼らがいきなり私に抱きついてきて「今度来たときには私たちの家に来てくれ!イワシの塩焼きをご馳走する ポルトガルのワインも最高だよ」というのだ。それだけでは無い。一人が自分の荷物の中からアマリア・ロドリゲスのCDを数枚とりだして「プレゼントする」といって聞かない。「せっかくのCDじゃないか?」と遠慮すると「ここではいくらでも安く売っているから大丈夫」という。たしかにこの州にはポルトガル系住民や移民が多く、いわゆるポルトガル・スーパーまでもあるのだ。遠慮無くいただくことにした。 ーーーー ◇ ーーーーフロイスからアマリア・ロドリゲスまで、私の本日の大航海もやっと帰港となった。ああ、しんど。
2004.01.30
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先日書いたことだが、bjkeikoさんにすすめられて「アップ・カントリー 兵士の帰還 上・下巻」(ネルソン・デミル)「講談社文庫」をアマゾンから取り寄せた。アマゾンから本が到着して驚いた。いちがいに文庫本と馬鹿には出来ないものだ。巻き尺で測ったらなんと上巻・下巻あわせて厚さが550ミリもある。しかもアメリカのベストセラーらしくミッシリと書き込んである。日本の粗製濫造の薄っぺいらい「旅行ミステリー」などとはちがって、よほど構えて読まないとなかなか読みこなせないだろうという予感がする。実は文庫本なのに一巻千円以上するその価格にも少々驚いたのでbjkeikoさんのBBSに「これを読みこなすbjkeikoさんの読破力と財力に敬意を表します」なんて余計な書き込みまでした。それなのに今日bjkeikoさんの日記を見たら、なんと彼女は図書館派で、この本も図書館で借りたのだという。読書家の彼女は大量の本を持っていたが新居に引っ越すに当たって大部分を処分して、もっぱら図書館の本を読んでいるという。「bjkeikoさん!なぜそれを一言おっしゃって下さらなかった・・・」と泣いてももうおそい。だが、念のため見苦しくも私の住んでいる市の図書館で検索してみたら、うれしいことに(??)この本は無かった!やった!!・・・って、私は何を喜んでいるんだ??財政状態の悪いこの市の図書館はあまり本が入ってこない。理由はともかく図書館で借りるということはもともと不可能だったわけで、(まさか府立図書館や国会図書館から取り寄せてもらうまでもない)、購入したことは間違いでは無かったわけである。一安心?しかし、久しぶりの小説は楽しみだ。やはり、心の健康のためにはフィクションの世界に遊ぶことも必要だと今回思った。とにかく本は一期一会。今は心の動揺もおさまり、じっくり腰をすえて読もうと思っているのである。 ーーーー ◇ ーーーー私には、フィクション系はなるべく図書館の本ですませようという考えがある。フィクション系だけでなく語学以外の実用書の類も原則的にそのつもりだ。私の読書傾向は30代あたりからノンフィクション系に傾きはじめ、今ではほぼノン・フィクションばかりだ。フィクションというとつまり文学作品なのだが、お気に入りの世界文学(ヘルマン・ヘッセ、サルトル、シャーロック・ホームズなどなど)とか、詩集・句集などは「まだ」かなり持っている。「まだ」と書いたのは米国で持っていた大量の本の半分近くは日本に送ったのだが、送料に関する資金的な問題もあり、全部は送りきれなかった。預かってくれと妹に頼んでみたが、やはり鬼の妹である、こんなに多くてはダメだ!と言われて残す本をだいぶ減らした。減らす本の種類は文学書、つまりフィクションとした。図書館にありそうな文学書、たとえば世界文学全集とかそんなものだが、そんな本を中心に泣く泣く廃棄したのだ。日本に帰れば図書館で借りることが出来るのだ。なにもみすみす高額の郵送料を米国逓信省に支払うことはない。そんなわけで今の私の本棚には、(本棚はとっくに溢れてしまっているが)文学書は少ない。ただまた古本の話になるが、この頃は古本がめちゃめちゃに安くなったので、実はちょいちょい買ってはいる。夏目漱石全集とか松本清張全集とかはよろこんで買ってしまった。全巻は揃っていない虫食い全集だが、なに、いいんだ!なにしろ一巻が週刊誌より安いのだから、これを買ってやらないと本がかわいそうだろう?せっかくの立派な装丁の、頑丈な箱入りの美麗本なのだから!・・・という風に、言い訳はいくらでもつくものである。 ―――― ◇ ――――私が図書館派なのは、このように主に文学作品や雑誌や実用書のジャンルで、それ以外は出来るだけ自分で持って手元に置いておきたいと考えている。「知的生活の方法」(渡部昇一)「講談社現代新書」でもるる述べられているが、「あの本が今読み返したい」「ここを確かめたい」と思っても、その本が図書館では、ましてや図書館で借り出されているのでは急の役に立たない。さらに以前にも書いたように、私は傍線を引くので、図書館の本だと欲求不満になることが多い。この箇所に傍線を引きたいのに~!と思ってしまう。フィクションなら一気に読み切れば、まずだいたいはそれでことが済む。しかし、歴史書や思索系の本というものは、一度読めばそれで終わりにはならない。いや、頭脳明晰ならそれも可能だろうが、少なくとも私の場合は一度では済まない。思いついたら何度でも読みたい。忘れたり記憶がハッキリしない箇所があるとどうしても気にかかる。実際にそれほど何度も読み返すと言うことをしているかと聞かれると自信がないが、すくなくとも手元にあって必要なときはいつでも参照したり、該当箇所を読み直したり出来るのはありがたい。というわけで苫の庵の古本中心のミニ図書館はまだ増殖中である。庵主の読書の方はさっぱり、はかどらないが。 ―――― ◇ ――――『最近買った本の中で特にうれしい本』【放哉全集 第一巻 句集】(尾崎放哉)「筑摩書房」 ただし中古書籍である。古本と言いきらずに「中古書籍」という言い回しに、私のこの本への愛着を感じていただきたいものである。この放哉全集は第三巻まであるのだが(第二巻 書簡集)(第三巻 短編・随想・日記)、私が求めたのは第一巻だけで、それは中古書籍店にたまたま第一巻しかなかったという事情で・・・、しかしそれでいいのである。なにしろこの第一巻が句集だからである。この全集は以前に春陽堂から出ていたようだが絶版になった模様で、筑摩書房が再版したらしい。尾崎放哉はご存じのように山頭火とならぶ自由律俳句の巨人である。俳人のなかで私はこの尾崎放哉が飛び抜けて好きで、それは私が現代詩人のなかで西脇順三郎(なんだか先生と敬称をつけないとおさまりが悪い)が飛び抜けて好きなのと呼応している。山頭火も好きで昔買った春陽堂の全集を第四巻まで持っているが(その後の巻は買っていない 調べなくちゃ)、比べてみると放哉の方が私にはいい。
2004.01.29
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「私の頭上をミサイルが飛んでいきました。父さん、どうか助けて!」これは今日見つけたMSNジャーナルの「ニュースなひとこと」のひとつ。クウェートからイラクへ入る国境にあるトイレには、イラクに送り込まれる各国兵士の殴り書きでいっぱいで、これはそのなかのひとつだという。ここで上空を飛ぶミサイルを見て本当にこれから戦場に乗り込むんだと思うとパニックになったのだろう。頭上をミサイルが飛んでいったという状況は私も経験したことがある。正しくはミサイルではなくてロケット弾だったかもしれないが、とにかく状況はほぼ同じだ。その時私はたいてい昼寝(シエスタ)中だったが、「??」ぐらいでまた「ZZZZ・・・」だった。そもそも度胸がちがう。場所はヴィエトナムのサイゴン(現在のホー・チ・ミン)。時期はヴィエトナム戦争はなやかなりし頃。私はそのころ入社したての新米社員としてサイゴンに駐在していた。 ーーーー ◇ ーーーーいずれはヴィエトナム戦争というものを簡単に紹介しようと思うのだが、とにかく南北ヴィエトナムがそれぞれアメリカと中国の、ひいては西側と東側の後ろ盾を得て、一種の代理戦争的な趣も見せながら戦った泥沼の戦争だった。 ―――― ◇ ――――前にも書いたけれど砲弾が「雨アラレと降る!」と日本の新聞では報道されていたサイゴンだが、私は海外であればどこにでもぜひ行きたかった、ましてや冒険とか危険には眼がない性格。なにしろ例の「危険な玩具」にはまださわったこともなかった!純情な私だったから・・・。これは本題では無い!とにかく駐在が決まったときには夢心地だった。出発前夜も夜遅くまで打ち合わせが続き、当日は睡眠もほとんど取れなかったが、それでも元気に羽田空港からエール・フランス機に搭乗した。ヴィエトナムは元仏領だからその頃日本からはエール・フランスしか飛んでいなかったと思う。座席に着くまでもなく、鼻にかかったフランス人スチュワーデスのアナウンスが頭上のスピーカーから流れる。ときどき通りかかる日本人スチュワーデスさえ、なにかバタくさくて美しい。その時代のスチュワーデスは花形度が今よりはるかに高くお嬢様学校や有名女子大卒の人が多く、その上かなりの美人度だったのだが、この機中ではさらにその上を行っていたわけで、仕事が激務過ぎてガールフレンドもいなかった私(自然に言い訳が先立つのはなぜか?)には乙姫様の竜宮城に来たようなものだった(この表現も古い)。とにかく帰郷の時に使用した国内線の日航や全日空とは雰囲気が違う。 ―――― ◇ ――――よく飛行機に乗ると不安で眠れないと言う人がいるが私にその心理はわからない。立派な科学者までが「あんなに重たいものが空中に浮かぶと言うことが考えられない」とまで暴言を吐くが、この人達の自己矛盾というものは救い難いではないか?揚力というものがあるでしょうが、揚力が!!学校で揚力というものを習って理解できていない人は、この楽天に来てはいけないことになっている。ま、これは余計だが・・・。 ―――― ◇ ――――ここまで書いてきてちょっと疲れたのでお茶でも飲もう。続きを今日中に書くかどうかは定かではない。 ーーーー ◇ ーーーーその前に新コーナー【本日入荷の本】。これは毎日シリーズで書いて行こうかな?ただし「本日」というのはウソが多い。積ん読の山から拾い上げたものが多いかもしれない。だから【積ん読の山より】ぐらいがいいかな?ただし、きょうの「入荷」は本物。■【「Shall we dance?」アメリカを行く】(周防正行)「文春文庫)楽天の「かま玉うどん」さんの書評を読んで。Shall we dance?監督の周防氏が米国でこの映画の興行をめぐって悪戦苦闘する。これから読むつもり。■【きまま わがまま お洒落学】(原田武志)「チャネラー」ちょっと拾い読みまでだが楽天の「ムッシューアラダ」氏が豊富な欧州体験と美的センスで蘊蓄を傾けた本物の本。欧州体験もない若者がニセモノの知識をさも物知り顔に書く本ばかりだが、これは西欧の上流階級のお洒落の常識をふんまえて正確に書かれたもの。■【ロウ管の歌】(先川信一郎)「道新選書」この本の現住所が分からないので(見つからないと言うだけの話)もういちど古本で求めた。初代ポーランド大統領の兄がサハリンに流刑されるが民族学者の彼はアイヌの歌・踊り・古い口承をロウ管蓄音機に残す。そのロウ管が最近ポーランドで発見され日本で復元され、アイヌ文化に多大な貢献をした。数奇なロマン。 ーーーー ◇ ーーーーそれからbjkeikoさんにならって【本日の読書】【本日のCD】コーナーも設置すれば日記を書く労力が軽減されて便利だ。カセットCDを修理しなければならない。
2004.01.28
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昨夜は結局日記のテーマを見つけられないまま、起承転結もなく、ただダラダラと書いて終わってしまったが、これではまるで記録紙に波を記録する地震計の針みたいなものではないか?それに無駄の多い文章だ。上達法の本に「いい文章とはどこまで多く棄てることができるかという点にかかっている」と書いてあったが、私の文章なんてそれとまさに正反対だ。あらためて私の書く日記とはこんなものだったのか?という気持ち。初めて鏡の中の自分の顔をながめるような気持ちである。 ―――― ◇ ――――しかし、まあこれでいいのだ。負け惜しみでなくて。楽天広場という場で公開という形になる日記ではあるが、人それぞれであって日記を書く目的も違うのだから。くりかえしになるが私の場合、あくまで自分の心と頭の「発散」と「整理」が目的の日記だから、表面的にはROMの人のために書いているような書き方をしていても、結局は自分自身のために書いているのだし、ダラダラ垂れ流しの書き方になっていても、それなりに一つ一つが自己確認になっているんだから。映画の感想を書いても、書くことによってその映画の感想というものをある程度定着させておきたいという動機がある。くだらない個人的な想い出を書きながら、そんな断片から過去の想い出をもっと掘り下げたりたぐりよせたりの作業も並行して行っている。こう考えてくると日記を書くと言うことは「記憶の整理」「発散」だけではなくて、「納得」の効果があることもわかってくる。 ―――― ◇ ――――今日アマゾンから「アップ・カントリー 兵士の帰還」という本が届いた。bjkeikoさんが、私がヴィエトナム戦争中のサイゴン(現在のホー・チ・ミン市)での駐在経験があるとあるところで書いたらご親切に推薦して下さったので早速注文しておいた本だ。到着して驚いた。文庫本ではあるものの(講談社文庫)、非常に分厚い。しかも上・下巻の2巻ものである。上巻の帯に :「これがデミルだ!一通の手紙が明かした戦場の米軍殺人事件最高のストーリーテラーが贈る「将軍の娘」待望の続編!」下巻の帯には :「「将軍の娘」を凌ぐ!衝撃の真相が待つ“アップ・カントリー(田舎の方へ)への旅”読むほどに止まらないデミル渾身の傑作 ―――― ◇ ――――ヴィエトナム戦争の最中に起きた米軍将校同士の射殺時間の究明のために、元陸軍犯罪捜査官だった主人公が再びヴィエトナムの地を踏む。しかし、そのヴィエトナムはすでに戦争当時の政治体制では無くて、北ヴィエトナムに統一された国である。 ―――― ◇ ――――作者のネルソン・デミルは有名なベストセラー作家であるという。私は寡聞にしてこの名前を知らなかった。近頃フィクションに遠ざかっているということも原因しているかも知れないが。この作品の前作が「将軍の娘」という作品で、これまた話題のベストセラーだったという。これまた知らない。ただ小説としては知らなかったが映画の題名としては知っていた。私好みのエレガントな美女、マデリン・ストーが出演しているから(性格がちょっときつそうなところがまたいい)、映画館に行くまでもなくてもレンタルビデオ・テープでも借りようかと思ったもののそのまま忘れてしまった映画だ。Bjkeikoさんは、私にヴィエトナム経験があるから、この作品を読んでどんな風な印象を持つか教えてくれとおっしゃる。では、早速読んでみよう。しかし、これほど大部でしかも内容も冒険小説ではあるもののかなり密度の高い文体だから少なくともあっという間に読み終えることは出来ない・・・。ということで、本当にバラバラとページをめくってみた。全体の印象としては、アメリカの冒険小説によくあるランボー型の強くて女にモテル男が適地で大活躍・・・という原型はなぞっているように思えた。ヴィエトナムに関する情報にそれほど間違いは無さそうだ。ヴィエトナム語の発音がちょっと(ちょっとだが)おかしいが、これはむしろ訳者がヴィエトナム語を知らないからだろうと推測。なにしろこのデミル氏は(この姓からしてオランダ系にちがいない)ヴィエトナム戦争当時には砲兵大尉かなにかで従軍、後に現地を訪れて詳細に取材したと言うから、土地勘は十分あるわけだ。ただ米国人というのは欧米人中、もっともアジア人がわかっていないと言う国民だと私は思っているので、その点においてデミルがどの程度、ヴィエトナムの風土と空気とそれからヴィエトナム人をたぐり寄せて濃密な現地の雰囲気を描き出せるか?そんな点に興味がある。その面で、早くもちょっと気にかかったポイントがある。主人公はその業務遂行を美人でグラマーな恋人との二人三脚で行おうとしているのである。オイオイ!私が望むのは主人公が文化も違う、風土気候もちがう、おまけにかっては敵味方に分かれて激しく戦ったもの同士という緊張感のある背景の中でひとり、孤独な任務遂行をする・・・というての展開なのだが。レストランにマクドナルドーのハンバーガーを持って行くようなものであるし・・。あるいは戦争中の米軍兵士にはどんな激戦中のジャングルにもヘリコプターでレーション(軍の配給食料)が届けられたということが思い出される。この点、作者はアメリカの読者におもねるというか?冒険娯楽小説の常道というか?美女の同伴という時点ですでに、ヴィエトナム中心の姿勢を半ば放棄しているのだ。主人公と恋人の made in USA 世界が少なくとも半分を占めるのではないか?それと、現地人・・・つまりヴィエトナム人の描写が・・・。かっての米兵とグークと蔑称されたヴィエトナム人とのタテ型関係を引きずっているのである。翻訳のせいもあるかも知れないが、主人公をふくめたアメリカ人のヴィエトナム人に対する態度が高飛車なのだ。それに、ヴィエトナム人をステロタイプの「謎のずるい東洋人」的に理解し描いているような気がする。もっともこれは、本当にページをペラペラめくったていどの読み取りだから、本当に読み出すと違ってくるかも知れない。そのへんが別の楽しみかも知れない。 ―――― ◇ ――――そういうことを考えてみると、私はやはり東洋人だっんだなーと思う。私はヴィエトナム人と対等に向き合っていた。中国系の女中は利に賢いからちょっと警戒していたが、ヴィエトナム人とはおたがいに親しんだと思う。地方の建設現場で毎日雑用をしてくれた現場の隣に住む主婦などには、私のみならず日本人全員に家族のような気持ちも芽生えていた。この話はまた・・・。二日間日記を休んだのでこれは一気に書いた。ついでにもう一日分を追加したいができるかな?
2004.01.27
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私は仕事の関係で東欧圏にも滞在したことがあるが、ベルリンの壁の崩壊以前の時代の正統的な?共産圏ではテレビのチャンネルも2チャンネルぐらいしか無かった。もちろん公共放送、それも白黒。だから、全国民がほとんど同じ番組を見ていたわけである。ラジオもだいたいそんなもので、みんなが同じ番組を聞いているものだから、夏休みの昼間のガラーンとした建物の間で、その番組の音声が各家庭から響いて共鳴していたのを思い出す。長い夏休はフランスの専売特許ではない。共産主義の数少ない余録として、共産圏の労働者諸君はけっこう長い期間の夏休みが取れた。夏にはほとんどの人が街からいなくなる。東側と言えど、別荘を持っている人などは結構いたし、別荘を持っていない人も組合の施設に宿泊したり、農家に一時的に間借りをしたりと方法はさまざまでも、とにかく海や田舎に向かう。私はポーランドに滞在中の夏休みにはワルシャワ近郊の避暑地の別荘に泊めてもらうことが多かった。共産圏・東側・東欧の夏なんて寒いのではないかと思われるかも知れないけれど、カラッと湿気が無くて温度も結構上がって、日本の夏よりはるかに過ごしやすい。日本の軽井沢とか北海道の夏と言えば当たらずとも遠からずだが、しかしもっと温度は上がる。経済破綻に陥った当時の東欧だから避暑地といっても物質文明の恩恵を受けたものではなかったけれど、かえってひなびた雰囲気で、避暑地の自然そのものを味わえるひっそりとした夏だった。貧しい玩具を売る屋台やジュースやアイスクリームを売る店、ビールのカフェぐらいがせいぜい。子どもは川へ泳ぎに行ったりだが、おとなの楽しみは寄り集まってのおしゃべりだ。もう一つある。夜のテレビの映画放映である。黒沢作品はあちらでは非常に人気があって、昼間の話題からすでに「今晩は黒沢の映画があるよね」などと言う。私もそんな機会に「七人の侍」をテレビでた。観ていて奇妙に感じたのは、私達が洋画を字幕で観るのとはちょうど反対で、セリフはオリジナルの日本語で、字幕が現地語になるから、鑑賞は非常に楽(?)だった。もっともテレビそのものの性能も劣悪だし、テレビ局の放送の発信装置も旧式で画面はとても西側のそれとは比較にならない程度のものだが、それしかないとなるとそれほど不満は感じないものだ。ラジオの方となると、夜8時頃の定時になるとポーランドの人たちがラジオにかじりついて聞く番組があった。短波放送かなんかで聞きづらいものだから、彼らは旧式で大型のポータブルラジオを耳に押しつけて聴いていた。それはロンドンのポーランド亡命政府からの、たしか、「自由ポーランド放送」とかいった放送だった。ドイツの侵攻以降、ポーランド政府は地下に潜り、やがてはロンドンにその本拠を置く事になり、その放送はその亡命政府からのもので、言論統制されていた当時のポーランド国民にいろんな「真実の」情報を提供していたわけである。この亡命政府には多くのポーランド人が参加し、ドーバー海峡をはさんだ英国とドイツ軍の有名な空戦(ある意味でドイツ敗戦の大きな原因となった)「バトル オブ ブリテン」にも多くの優秀なポーランド人パイロットが義勇軍として参加、大活躍した。しかし戦争が終わると英国はこのポーランド人パイロットの活躍をほとんど認めないまま歴史の闇の中に葬ってしまった。プライドの高い英国としては英国人パイロットだけの手柄にしたかったわけだ。私は一度ワルシャワからロンドンへの機中で隣の座席に座ったロンドン在住のポーランド人老夫妻と話す機会があったのだが、奇しくもそのご主人が、くだんの「バトル・オブ・ブリテン・パイロッ」トの一人だった。・・・といってもそれを当のご本人からでは無く、なにくれと彼の世話をしている奥様から聞いた。その戦功から英国永住権はもらったのだろう。ご主人は、もう痴呆が進んでいる様子で、ただただ黙って窓から外をながめていた。大戦末期のイタリア戦線のローマ近くにそびえる丘の上にある堅塁モンテカシーノ僧院での史上最も激しかった歴史的な戦いというものがある。連合軍側がいかに攻めに攻めてもドイツ軍が頑強な抵抗を示して、死屍累々となった戦場だが、長い長い戦闘の後、多大な犠牲をだしながら僧院に踏み込んでその国旗を掲げたのはこの亡命政府系ポーランド軍だった。アンジェイ・ヴァイダ(ワイダは間違い)の名作「灰とダイヤモンド」。その一場面で女性が「モンテカシーノの赤いケシの花」という歌を直立不動の姿勢で歌いますね。あれはモンテカシーノの戦いで戦死した多数のポーランド兵たちの流した血を赤いケシの花にたとえた歌なのです。
2004.01.26
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今日の日記を書こうと思ってはいるのだが、まだどうも調子が出ない。昨日は書きすぎたからな~。テーマもあっちにヨロヨロ、こっちにフラフラ、起承転結なんてものではない。もう少し短くしよう。しかし、いいのである。私の日記はだいたい下記の二つが目的だからだ。☆ 私の内面の欲求不満を吐き出して解消すること。☆ 脳内のモヤモヤした、ある種の考えのようなものを書き付けて、脳内整理をすること、納得すること。 ―――― ◇ ――――「脳内整理」「納得」と言うことで思いだしたが、いわゆる「整理学」というジャンルがある。その中のある本を読んで目からウロコだったのだが(ウロコが多い眼です)、たとえば昔の想い出の品・衣類などを思い切って廃棄する方法。昔の想い出が染みこんだものは棄てがたい。尊敬する立花隆先生も確か、「想い出の品は脳内に記憶を再生させ発想の元になる大切なものだ」とおっしゃっていたし(私も事実そうだと思う)、出来れば棄てたくない。しかし、そういう人間の住む居住空間というものは、えてして、すでにガラクタと想い出のガラクタとむだなものでいっぱいなものだ。私の自宅もその例に漏れない。残念だがある程度は棄てないと生活に支障がでてくる。(実際にはもう手遅れで、支障だらけだが・・・)それに立花先生のように専用のネコビルなどを建てる財力はない。ではその妙案とは?? ―――― ◇ ――――写真に撮るのである。ポラロイドであっても、デジカメでもいい。写真に撮ってあれば、実際には現物の懐かしさには敵わないけれど、その写真をながめれば想い出がじわ~っと拡がって、昔の生活の記憶が目の前に浮かんだりして、そこそこそれで代用できるものだ。それを「廃棄した思いで品アルバム」に貼ったり、フロッピーやCDに記録しておけばいいのだ。これで自分の心を「納得」させるのだ。納得!(いかにもこれを実行しているように書く私だが、まだやはり、実行寸前・・・なのである) ―――― ◇ ――――起承転結のない駄文を書き散らす私だが、今日はHPを持ったがために派生するいろいろな雑用が私にも増えて、気が散ってしまって、何を書こうかという日記のテーマというか、小さな核というか、そんなものがなかなか浮かんでこない。それがいったん浮かべば楽に書けるのだが、その前段階で気が散っているとパ~~ンと電球がつかないのだ。そのいろいろな雑用とはこのHPの調整とか、画像のアップの仕方とか、リンクの仕方の勉強とかだ。このリンクという述語は楽天ではちょっと独特の意味で(機能)使われているようだが、私にはまだあまりよく分かっていないらしい。 ―――― ◇ ――――私も昔は人より早くパソコンを使い出して、東芝の重~いラップトップ・パソコンをかついで歩いた(おかげで腰を痛めたが)ほどだから、メカには弱くないつもりだったが、このごろは年令的なものか?PCの調節とか、そんなものが面倒になってきた。そもそもMS-DOSからWINDOWSにPCの世界が切り替わって、普通のレベルではPCオーナーの努力があまり必要とされなくなったのだ。そんな努力フリー?な環境が、私の本来の性格とピッタリとマッチして?私はすっかり怠惰な受け身ユーザーとなり果ててしまっている。ウィルス・ソフトを更新したら、周辺機器がなぜか使えなくなって、DVDもCDもFDもえないから、HP作成ソフトもインストール出来ないままで、それでもそのトラブルを解決する気もなく放置していて、それで仕方なくHP作成ソフトが無くてもHPを立ち上げることが出来る楽天でHPを持つことにしたのだ。(とはいえ定期的なバックアップも再開しなければいけないので、なんとかしよう)楽天のHPは非常にシンプルだけれど、簡易版ブログともいうべき、【日記+BBS】という形になっているから、これはこれで便利でとりあえずは極端な重さ以外には不満もない。(しかし、この楽天広場の重さは、いつかは解消されるのだろうか?)HP作成ソフトだってインストールしないで抱いて眠っている内に、 version up が二回もされたのだから世話はない。その時は映画女優の写真やその他もろもろ・いろいろの好きな映像を掲載して・・・とも考えていたのだが、今はミニマムな要求として、(あくまで今は・・・だが)、日記さえ書ければいい・・・というのが本音だ。 ―――― ◇ ――――楽天ではやはり日記が中心になると思う。日記を書くこと自体はそれほど難しいことではないけれど、毎日書き続けると言うことは、なかなか大変なことで、その内に負担になってくることもあるかもしれない。日記といっても「朝起きて顔を洗い、歯を磨き・・・」という文字通りの日記を書いている人は少ない。読書や思索や政治やBBSでの話題を中心にしている人もいる。エッセイ風の人もいる。私の日記はそれらのどれにあたるのだろうか? ―――― ◇ ――――ネット日記を書くと言うことは本質的に「精神的なストリップ」ではあると思うのだが、これはなかなか誰にでも出来ることでは無い。通常、人は多くの人間にかこまれて対話しながら生活して行くわけだが、めったに自分の内面や秘密を人に語ることはしない。これはいわば普通の会話・対話とは次元のちがうものだから当然ではある。自分の秘密を人に話して、あわよくば相談してアドバイスを受けるなど、なかなか親子間でも出来ない。普通は親友あたりにその相手を見つけるのではないだろうか?(もっとも私は私の娘とは親友同士で、なんでも話し合えるという私の世代としてはやや特殊な状況にあるが)。そんな風にいわば心の聖域・自分の心の内面を、程度の差こそあれ、マスコミ・ジャーナリズムの世界には属さない不特定多数の一般人が、不特定多数のこれまた一般人と、双方向性の情報発信をするということ。これは案外、人類史上において大変なことかも知れない。しかもそれもすでに、一部の人間に限られたものではなく、大げさに言えばほぼ大部分の人達が。だれでもこんなことをする時代になると思われるのだ。従来、人間の脳内に蓄えられた情報は文字によって、書籍によって、さらにはラジオ・テレビによって拡散されたわけだが、インターネットの時代になって、さらに日記サイトやブロブの時代になって、ようやく人類の「脳」同士が直接交信できることになった。まあ、このことはすでにインターネット論などで指摘されてきたことであるし、楽天の人達にとっては、今さら・・・ということでもあろうが、私としては今回、私自身がが日記サイトという新次元に飛び込んでみて、今度は本当に身を以て、あらためてそんなことを実感している。
2004.01.25
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「酒について」という本がある。キングスレー・エイミス(Kingsley Amis)という英国の作家のエッセイ集のような本である。原題は 「On Drink」。ずっと以前に一度読んだことがあるが、内容はほとんど覚えていない。それにしてもあの本は今どこにあるんだろう?・・・て、他人事のようだが、私がこういう言い方をしたのには実は訳がある。それほど深い「訳」でもない。(なお、この「酒について」は、私得意の200円古本として数日前に別の一冊を入手していて、現在はこれが私の手元にあるのだ。) ーーーー ◇ ーーーー私はある事情で・・・、ハッキリ言うと財政的事情で、海外の二カ所に日本にまで持ち帰ることが出来なかった本を残してきたので、多分その中に入っていると思う。もう読んでしまった本やそれほど貴重でもない本を選りすぐって、(こういう場合に「選りすぐって」などと言うだろうか?)、残してきたのならもうそれでいいのだが、そういう作業が出来なかったのだ。だから「私にとって最上級の本」が沈没した海賊船の財宝のように、暗い地下室に沈んでいるはずである。中でも一番悔しいのは「柳田国男全集 全32巻」(筑摩書房)。そのあと文庫になった「ちくま文庫」版ではない。固い箱に入った厚くて重い大型本で、これこそは海外でゆっくり読もうと引っ越し荷物に入れたのだが、こと志と異なり・・・、(言い訳をしなくてもいいはずなのだが)、ほとんど読めなかった。帰国の時にはもう荷物が一杯でもこの巨大な?全集を郵便で送った日にはどれぐらいの金額がかかるか知れたものではない。こんな悲しい事情で私はこの全集 「全32巻!」・・・くどいかな?・・・とは、涙の別れをしなければならなかったのだ。金銭に細かい私は今、ふと思い立ってアマゾンをのぞいて新本と古本の値段を調べてみた。アマゾンで見るとこの筑摩書房版の32巻のうちほとんどは絶版。しかしほんの少しは、数巻は新刊でも残っている。巻によって値段が違うが、4000円台からなんと7000円台もする。私はそんなに金を持ってたのかな~?今昔の感があるが、若い頃は平気で金を使ってしまって、「アリとキリギリス」の見本のような男だから、勢いでこんな高価な新本を買ったのかも知れない・・・。いや、よく考えてみるとちがった。私は古本で求めたのだった。六本木の交差点近くの古書店。でも古本といっても美麗新同の本だから、やはり値段はけっこうしたはずだ。文庫本になったちくま文庫の方を見てみると新本で1000円から1700円近く。でも、これも絶版がとても多くて、筑摩書房版と事情は同じだ。で、筑摩書房版の古本の方をアマゾンの中古市場で見てると、これもあまり出ていない。たまにある巻は千円台の後半。送料も含めて古本の一巻2000円として、32巻でなら単純計算で6万4千円である。ただし・・・である。全32巻揃いとなると価値が全然違う。出物が見あたらない全巻揃いの私の場合なら、少なくとも10万円にはなるだろう。しかし、これを海外から送り返すと・・・その国際郵送料も10万円近くするのでは無いだろうか?つらい!しかしいつかは全員(全巻)帰国させてやろう。いや、なかなか、これで、私の海外資産!(おおげさなり)も馬鹿にはできないものだ。私の好きな新発見だ。日記を書いて来た副産物とも言えるかな? ―――― ◇ ――――このへんで本題?にもどろう。柳田国男はご存じの通り日本の民俗学の草分けで、しかも最大の巨人だ。柳田国男に並ぶ民俗学者に「折口信夫」がいる。「のぶお」では無くて「しのぶ」と呼ばれたのだ・・・。ふざけるのは止そう。折口信夫は柳田国男に比べると、やや古代研究および国文学サイドなのではないかと思う。もちろん釈超空の名で知られる大歌人でもあるのだが。手元に「折口信夫全集 第二巻 古代研究)民俗学篇1」(中公文庫)という文庫本があるが、私にはとても歯が立たない。無理をして歯を立てては、歯が折れそうな程なのだ。柳田国男の本は結構読めたのに、折口信夫のこの本は、どうしてこんなに難解なのだろう?国文学と古代研究、それだけでもないが、それらの知識のしっかりした下敷きがないことには、前歯が全部無くなりそう・・・。そうだ!南方熊楠全集なんかも読んでみようかな?(オイオイ!!)いや、これはまず大きな本屋で立ち読みをしてからだ・・・(と、正気に返る)。 ―――― ◇ ――――ええと・・・、スタートは「酒について」という本だった。私の日記はテーマがダッチロールする。「トンボ採り 今日はどこまで行ったやら・・・」という「行ってこい!」状態になる。まあいいや。この本の訳者の林節雄氏の解説が実に興味深い。エイミスの文学的・社会的立場を明晰に語ってくれている。しめしめ、これを明日の日記のネタにしよう。 ―――― ◇ ――――意外でしょうが?私は酒も好きです。・・・って、好きどころかアル中に決まっているじゃないですか。でも、今は飲んでいませんよ。(たまたまだけれど・・・)酒の話はまたじっくりすることにして、今晩はカクテルだけについて。私は「ソルティー・ドッグ」や「マルガリータ」という「お塩系の」カクテルが好き。共にカクテルグラスの縁に塩でスノウイング (snowing) するカクテルだ。「ソルティー・ドッグ」とは昔の帆船時代の英国の帆船の甲板乗組員のことだそうだ。なるほど汗だらけで肌に塩を吹きながら(犬のように)重労働をしている彼らの姿が目に浮かぶ。「マルガリータ」は世紀のセクシー女優の一人、リタ・ヘイワースにちなんで命名されたという説がある。リタは実はダンサー出身。お父さんがスペイン出身のラテン・ダンサー。若い頃、10代のころにメキシコのナイトクラブで、お父さんと親子で踊っていた彼女の魅力がよほどすごかったらしくて、彼女の本名 Margarita Carmen Cansino にちなんで命名されたという。私は「マルガリータ」を飲むときには、リタ・ヘイワースのダンスシーンを思い出しながら(数秒でいい)味わうことにしている。 ―――― ◇ ――――私は私の「プロフィール」で、欲しいのは「大きな書架室」・・・なんて事を書いたが、な~に、本当は「ホームバー」が欲しい!さて、私のホームバーで、ビールでも(おや?!)飲んでこようかな。ビールしかないはずだ。貧しいホームバーである。
2004.01.24
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先ほど(午後6時50分)終わった「ジャンヌ・モロー語る」というテレビのインタビュー番組を何気なく見ていたら面白くなって、結局最後まで見た。このアクターズ・ステュディオ製作の番組はいろんな映画俳優を招いてインタヴィューをするのだけれど、今まではほとんど見ていない。この頃の俳優にはあまり興味のない私だから。しかし、ジャンヌ・モローはもうだいぶ古い女優で、私が見る映画の年代の女優だ。ジャンヌ・モローの映画はそれほど観ていない。先ず「黒衣の花嫁」。それから退廃したヴェネチアの海水の匂いが漂うような「エヴァの匂い」。しかし、彼女がデュラスの「愛人・ラマン」に出演していたとは・・・彼女の出演場面を覚えていないな~。(後にぴーたろーさんから、モローは、女主人公の独白というか、ナレーションを担当していたことを教えられる)彼女の父はフランス人、しかし母親はイギリス人だと言うことは知っていたが、その母親がダンサーで少しアイリッシュの血が混じっていたというのは初耳。モローはさぞや上流家庭で育ったのだろうと思っていたが、どうもそういうわけではなかったようだ。英語は流ちょうだが特に知的なというほどのものでは無く、それに明らかにフランス訛りがある。また20歳の史上最年少でコンセルヴァトワールに入団というのも、意外だった。役者としての素質が認められたのだろうか。 ―――― ◇ ――――インタヴィューのさわりどころだけをメモってみよう。 ーーーー ◇ ーーーージャンヌ・モロー(=以下、JMと省略する)(司会者=以下Qと省略する Q&AのQである司会者というより質問者であるからだが)JM 内気であることは俳優にとって特別な宝物。恥ずかしさに打ち勝って演技することが重要。JM (ある舞台を観て感激して)私は舞台に立つ人間だと自分で悟った。観客席に座る人間としてではなくて。JM (女優になるのに反対だった父に対して)女優は娼婦とは同じでは無いことを証明したかった。(Qが飲み物のコップを差し上げて、JMに)「あなたの愛に!」といい、JMがこれに応えて「あなたのにも」と応じる)。(私の経験からはアメリカ人の男は案外普通はこんなキザなことをあまり言わないと思うのだが、このインタヴィューが行われたのはパリだから、司会者も合わせたのかな?)Q (当時ヌーベルバーグの映画に出演していて)映画の歴史を変えているという自覚はあったか?JM イエス。 「突然炎のごとく」を制作中に、パトロンがヌーベル映画に驚いて資金提供を打ち切ったために予算が不足し、スタッフ同士もいろいろ協力し合い、私はスタッフの料理を作っていた。監督はそのために私の出番は12時近くにはしなかったほど。Q 映画では監督の指示に従って演技をするのか?自分の理論で演技するのか?JM 監督の指示に従う。私は制約を好む。制約の中で演技する。だから俳優業は魅力的。自分のインスピレーションで演技する部分は少ない。例え自分の考えだけで演技しても、そんな演技はお風呂の中に垂らしたワインのしずくのように薄まって流れてしまう。が、それでも俳優は他人のものではない太古からの潜在的な記憶をもっている。(この部分は興味深い)そんなものが制約の中の演技にも生きてくる。JM 「黒衣の花嫁」の女主人公(男を次々と殺す悪女)は黒い蜘蛛なのだ。王女メディアでもあるのだから、自分に不当なことをした男達を処刑しなければならない。メデューサでもあるのだから、彼女の目を見た男は石に変えなければならない。Q 他の俳優から影響を受けたか。JM ノン。(役者の名はあげない)。作家から人生を学んだ。スタンダール・神話・フローベール・ゲーテ・ジョイス。愛読書はデュラス。(私の知るところでもモローはデュラスと個人的親交があった。デュラスは私の好きな作家。ヴィエトナムで育った自伝的映画「愛人・ラマン」がある。私はモローには、どこかデュラスに人間として似通ったものを感じる。)JM 俳優は美を他人に伝えることができる。JM 好きなことは「新しい発見」。(ここは同感)
2004.01.23
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私はこの一週間、ここ楽天広場でいろいろな日記を読ませていただいたけれど、興味がある分野は主にいわゆる読書日記風のもの。毎日あたらしい日記を訪問しているが、実に充実した高度な日記があるものだと感心している。やはりあるところにはあるんだという思いだ。特に思索系や社会派や読書日記風の日記などにはすごいものがある。ただ書き手のみなさん、私に比べるとお読みになるスピードが速すぎる。一日一善・・・じゃなかった、一日一冊、読んでしまわれる。一日で読み切らないと読書日記にならないのかもしれないけれど。書き手のみなさんはプロか、プロ級の方々ばかりなので咀嚼力がスーパーなのだろうけれど、この違いはどこからくるのだろうか。私は特にこのごろ一冊の本に停滞?するのを楽しんでいるみたいにスピードが落ちている。いや、このごろは急に本を仕入れたから目移りがしてあの本をちょっと、この本をちょっと、それに新着の本をちょっと、・・・というふうに、食事マナーでいうと「迷い箸」になっているのだ。私も以前は読むスピードには自信があった。一日に本を二冊も三冊も読んでいた時がある。しかし今になって反省してみると、流し読み・飛ばし読みで読んでいたので、じっくり精読したわけでは無かった。いざ精読、またはそれに近い読み方をしてみると、本を読むのにも実に時間がかかるものだと思った。もっとも精読する必要のある本と流し読みでいい本というレベルというか、ジャンルというか、そういう本自体の性格の違いというものもある。一般的に小説類のようなフィクション系なら私でも一日で読める。たとえば昔は松本清張のミステリーが好きで、読み出したら止められないで、結果として一日で読んでしまう。これは誰でも経験することでは無かろうか。しかし、今私が買っている本はどちらかというと精読が必要な種類の本が多くて、内容も深くて広範にわたり、私としては一日で読破するなんてもったいなくてたまらないともいえる。同じ箇所を何度でも読みたいときもある。 ―――― ◇ ――――それに私は読書中に傍線を引くタイプである。「三色ボールペンで読む日本語」というベストセラーも買って、一時はこれを実行しようとした。重要事項にはブルーのボールペンで傍線を、もっと重要な箇所には赤、レッドの傍線、個人的興味の箇所にはグリーンの傍線・・・。こういう傍線の引き方をすれば読書が効率的に深く分析的に行え、再読の時の効率がまるでちがう・・・という理論。私は原則的にこれに賛成で実行している。ただ私の場合グリーンの傍線はめったに引かない。引くときはフィクション、つまり文学書関係である。普通の実用書や科学書、歴史書などではもっぱらその内容である新知識を吸収するという形になって、私個人の意見・感じ方などはあまり浮かび上がらないから、グリーンの傍線を引くケースはほぼ文学関係に限られている。興味ある小説などのなかで、作者の観察眼やコメントに同感な箇所に引くのだけれど、ときどき引きまくりの小説もある。 ―――― ◇ ――――私は米国人ながら英国生活が長く英国人と言っても言いいポール・セローという作家の本が好きなのだが、この人の「ハーフムーン・ストリート」という小説を最近読んでグリーン・ラインが一杯になった。特に前半部分である。この小説の概要は次のようなもの :米国人の若い女性がロンドンの国際政治研究所ではたらく内に(だからインテリ女性)、あるきっかけから副業として、いわゆるエスコート・ガール(一種のコールガール)をするようになり、英国やアラブのお金持ちやインテリのお相手をする。そのうちにハーフムーン・ストリートというロンドンのウエスト・エンド(高級地区)にあるある通りにあるフラットをパトロンのひとりからプレゼントされる。話はまだそれから続くことにはなるのだが・・・。この小説はこの若くて知的で魅力的で・・・それでいてとても冒険好きな女性の目を通して色々なことが語られるわけだが、この女性の目というのはもちろん作者、ポール・セローの目。普通の小説ではそれほど主人公の思考が語られることが無いように思うけれど、このセローは実に鋭いしなやかな分析や観察をして、この女性に語らせている。しかもなんていうか、実に私ごのみの思考なんだ。だからグリーンの傍線が増えることになる。 ―――― ◇ ――――このハーフムーン・ストリートは先に言ったようにウエスト・エンドという、まあ日本で言うと銀座のような高級商業地区にある。ピッカディリー・サーカスというウエスト・エンドの中心からまっすぐにハイド・パークに伸びる大通りがピッカディリー。そのピッカディリーに対して直角に、いわば櫛の歯のように平行にいろいろなストリートが延びている。たとえば有名なボンド・ストリートなどもそんなストリートの一つで、それこそ世界の一流ブランド、グッチとかシャネルとかカルティエだとかが軒を連ねている。それなのにボンド・ストリートの一つ隣のハーフムーン・ストリートとは、むしろひっそりとした人目につかない気配がある。一流店などは目につかない。だからこそ、あの主人公の女性のおしゃれな隠れ家、フラットなどがあってもおかしくない。 ーーーー ◇ ーーーー私は以前からこのハーフムーン・ストリートという通りの名前が、何となくロマンティックな気がして気にかかっていた。この通りを歩いてみると中程に通りの名前そのままのハーフムーン・ホテルというホテルがあった。ある時、日本からのお客の宿泊用にこのホテルを初めて予約してみた。念のために下調べとして訪問してみると決して大きなホテルではない。むしろこじんまりしている。しかし内部のインテリアなどにある種の古風な優雅さがあって、私としては気に入ったと言ってもいい。日本からそのお客が到着してそのホテルに送り込んで、そのホテルから出てみると、ちょうど夕刻だった。このストリートから出るピッカディリー大通りの上空あたりの空が赤く染まって、沈んで行く紅くて大きい夕陽が、このストリート全体を照らしていて、まるで私の人生に何か荘厳なことが起きたような一種特別な気持ちがした。
2004.01.22
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まさか自分がHPを開いて自分の文章をひとさまに読んでいただこうとは思わなかった。そんな私だから文章力というものに自信が無く、「文章力」というタイトルがついた本などがあると吸い寄せられてしまう。・・・といっても、私も結構しぶとくて、なかなかその手の本は買わないのだが、最近、村松恒平氏の「プロ編集者による文章上達秘伝スクール」なる本を求めて読んでみた。読者の愚鈍な?質問に答える形でいろいろな示唆を与えているのだが、あまり直接文章上達に役立つ内容では無いような気がした。「文章読本」なる本はいろんな小説家によって書かれているけれど、文章そのものの上達法を教えるなんてことは、そもそも出来ようがないとも思う。文章なんていわば脳のなりたち・構造と同じなんだから人それぞれに違う。 ―――― ◇ ――――例えば自転車の乗り方なんてものが教えられないのと同じことだ。よく昔の忍者は水面の上を田下駄のようなものを使って歩いたと言われるが、そんなことは物理の法則から言って嘘っぱちに決まっている。しかし、右足が沈む前に左足を出して、左足が沈む前に右足を出す・・・そうすれば、水の面だって歩けるんだよ~・・・などといわれると、不思議なことに、そんなものかな~?と思ってしまうものでもある。 ―――― ◇ ――――東京犬さんが「極私的ライター入門」でおっしゃっているように、文章力というのは生まれつきのもので、あとはそれをどうブラッシュ・アップするかなのだろうと思う。ただ村松氏がこの本の中で1) 恥ずかしいことを正直に書け2) 悩みから意識を切るな3) ここからは言葉にならないという遠近法で言うと消失点までを書き込め4) 文章は情報ではなくて変換作業である・・などを示唆しているが、さすがにこれには納得。特にHP初心者の私にとっては、1) & 2)は大いに参考になるポイントといえよう。あと、朝日新聞の大記者?本多勝一氏の書いた「日本語の作文技術」?という本も読んだが、これも文法書のような本で目からウロコではなかった。それに私は本多氏のクセのあるロジックに文句があるんだ。 ―――― ◇ ――――昔、私は本多氏のヴィエトナム戦争の間中にヴィエトナムに潜入してものにした「戦場の村」や砂漠の民に取材した「アラビア遊牧民」には大いに興奮して、新聞の連載を心待ちにして読んだものだ。ただ・・・・(これ以降は少し後で 今日中に 書こう) ーーーー ◇ ーーーー米国の google がAmazon.comに続いて書籍の検索サービスを始めた。BBC NEWSGoogle ’offering book excerpts’ Internet search engine Google has begun publishing the opening chapters of books and book reviews as part of "an experiment", according to a report. It is working with publishers to provide indexed versions of texts for web surfers, The New York Times said. US-based Google reportedly described the project - known as Google Print - as a test version and said it was not yet generating any revenue. Online retailer Amazon.com offers a similar facility with 120,000 books.
2004.01.21
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『男が本当に好きなものは二つ・・・、危険と遊びである。男が女を愛するのは、それが最も危険な玩具であるからだ』ニーチェ ―――― ◇ ――――ニーチェという人は意外にも多くの格言を残したらしい。「ニーチェ、かく語りき」ということだろうか。 ーーーー ◇ ーーーー私は格言にはちょっと興味があって・・・。「格言は人生の知恵のエキス」だと思う馬鹿人間だから。迷ったら格言!!そんな安易人間だから。 ―――― ◇ ――――それにこの格言??は、実にいける。私の敬愛する東京犬さんの楽天サイトをのぞいていたら、男女に関する格言がずら~~っと書いてあった。しかしそれでも、さすがの東京犬さんでもこの格言は知らないだろう~と思って読み続けると(実に多くの格言があって途中でいやになるほどなんだけど・・・)、ニーチェのある格言が出てきた。でも、これではないんだよね。シメタッ!!て思うじゃない、普通は・・・。それなのに辛抱して最後まで読み続けたら、な~~んだ。この格言(迷言?)がしっかりのっているではないか。が~~~ん!後は言うまい・・・。 ―――― ◇ ――――そもそも格言というものは・・・。 ―――― ◇ ――――例えば学生下宿で金欠病に泣きながら涙と共にカビの生えたパンを食べたり、憧れの女性に死ぬほどの勇気で告白したのに「フン!」なんて調子で冷たくふられたり、職場でいやな上司相手に無理に男気を示そうと突っ張ってしくじったり、忘年会などのアルコール性の機会にそれほど好きなはずでもなかったはずの部下のややブス系の女性をなぜか口説きかけたら馬鹿にされてくやしい思いをする・・・。(あの~、これらは私の個人的経験では決して無くて、あくまでも一般論であることをお断りしておきます でも、念のために、もう一度繰り返して書こうかな? 見苦しいか?)だから格言とは、そんなもろもろの、苦~い経験からおのれの人生をふりかえり、先人達が人生のある時期にさしかかったときに、「これだけはあんた達のために言っておくよ!」と言い残してくれた珠玉の言葉のはず。しかし、それだけでは格言にはまだまだ、ならない。それだけでは必要条件に過ぎない。それを読んだ世間の人々が「うん!そうだよな!本当にそうなんだ!これが分から無いままでは、人生という重いものを背負って、これ以上歩んで行ってはいけないのだ!!」と、強~く同感し、多くの人々にこの格言を言い広めることから初めて、「格言」としての高い地位が確立したはず。これが十分条件ですね。いや、そうは言っても、無名の人間が何を言っても格言にはならないかもしれない。格言になる十分条件はやはり、「有名人の発言」である・・・という権威、「葵の御紋」が無ければいけないのかも知れない。「水戸黄門」の番組が終了する数分前に、必ず悪代官や越後屋が「ハハ~~」と平伏するような。「だれそれの吐いた名言・格言」という風に・・・。それにしてもこのニーチェの格言はなかなかに味がある。「ニーチェが言ったから」という権威も必要ないほどに人生の真実だな~。 ―――― ◇ ――――この私でも、いやしくも、「危険」と「遊び」が好きな男のひとりです!いや、その代表的な男と言ってもいい!!ただ・・・「最も危険な玩具」・・・である女性については、また別途・・・、くわしく・・・苦闘・苦難の歴史を・・・語りたいと・・・思いますが、(ボソボソ・・・)語らない方がいいかな? 非常~に、危険だから・・・。「最も危険な玩具」以外の「危険」と「遊び」については、こんな私でも(理由も明かさず卑屈になる)、正々堂々と・・・「いろいろ「思いだし笑い」・・・じゃ無くて、「想い出し書き」をしてみたい。コホン! ーーーー ◇ ーーーー「イブと七人の娘たち」はボチボチ継続して書いて行きたい。私にとってはこれも広い意味での「遊び」のひとつ。
2004.01.20
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自慢では無いが、私の日記はひんぱんに書き換えられたり、書き加えられたりする日記になってきた。それもここ一両日に始まったことだが・・・。それに、いままでは、ちょっと思いついた話題や読書中の途中経過報告などを機嫌よく書いていたのだが、ちょっと内面的なことを考え出すと、なかなか、ホイホイとは書けなくなった。そもそも、いままでHPなど持たなかった無頼の私が、急に思い立ってHPを持った理由とは何なのか? ーーーー ◇ ーーーーこの私も今までは他人様のHPに時たま書き込んだりしていたが、そこでの私の書き込みは、いつも浮いていた。その浮き具合というか、浮力というかは、かなりのもので・・・、自分でも分かってはいるつもりなのだが、しかしそもそもの根が深いだけに、なかなか解消できるものではない。思い切り居直って、「そこんじょそこいらでは見られない特殊な個性なんだ」・・・という風に自分で思いこむのも(書き込みの質はともかく)「いわゆる一つの」方法とも思ったが、それは自意識過剰の一人合点であることにはまちがいない。そんなこんなで、結局は・・・みなさんがなさっているように、自分のHPを持って、そこで「書きたいことを書く!」ということにした。 ーーーー ◇ ーーーー私はこの頃、読書の習慣がついて、けっこう本を読みはじめている。古本が大部分なのだが、いままでは、本を買い込んではためることに専念していた私だが(退職後の楽しみにとっておいたのだ)、そんな私にもついに「積ん読解消」の段階が到来した。本を読むと言うことは自分でコントロール出来る作業だ。一分でもいいし、一時間でもいいし、もちろん10時間ならもっといい。そういうふうに本を読み出すと、その次の段階として、その本の内容の素晴らしさが分かってくる。そうして、その本の素晴らしさ・訴え・情報量・エキスのようなものを・・・。何としても他の誰かに発信したい!!という気持ちがつのりだした。人間のノウハウの伝達には色々な方法があると思うが、やはり本というのは一番ではないだろうか?ある知的なメイルマガジンで、「本は(ブログなどに比べると)すでに保守的な情報伝達メディアに成り下がった」という鋭い指摘を見つけたが(これは本当に考えなければいけない)、これはすごい視点だと思うのだが、それでもまだ、特に凡庸な人間にとって、本は・・・すごい。 ーーーー ◇ ーーーー人類の歴史の中でエポック・メイキングなのは○ 言葉○ 文字○ 印刷術と本の出版(これで老人の知恵が意味無くなってしまった)○ ラジオ・テレビ○ PCだと思う。その中でも本は、・・・・。少なくとも本を出版するなんてことは、たとえ本当につまらない本でも、その本に書かれた内容の、少なくとも100倍1000倍の潜在的蓄積があってのことでは無いのだろうか? ーーーー ◇ ーーーー日頃、瘋癲老人の私は色々な薄っぺらい雑念を、名探偵ポアロじゃないけれど、私なりの萎縮した「灰色の脳細胞」にフロートさせている。それが多くなると、うっとうしくて・・・。要するにエントロピーが増大してモヤモヤしてしまうのだ。 ーーーー ◇ ーーーーこれを整理することが、私の脳の(小さいながらも脳なのだ いとおしいな~)健康のためになるだろうと思い、それには、その「もやもや」を文字にして刻印してしまえば、それなりの脳内整理が出来るだろうと思った。しかし、実際に日記を持ってみると、なかなかことは私の考えていたようには運ばない。BBSでのみなさんの好意の書き込みに上手く対応できなくて終日悩んだり、楽天側の書き手にアクセスを意識させる巧みなあおり(アクセス数の報告メールなど)にのせられて、アクセスを気にし出して、しょっちゅうアクセス数を確認したり(いじましい~)、ROMの人々に受けそうな話題を考えたり(いじましい~)・・・。これでは本末転倒。明日からはしっかり「自分本位」で・・・書いて行こう!言ってみれば「エゴイスティックに」と言うことなんだが・・・。できるかな? ーーーー ◇ ーーーーさすがに不眠症が売り物の?私も眠くなったので、この辺で失礼。(やはりROMのみなさんを意識している点が反省材料)(これではなんのための、だれのための日記なんだか)(これからは自分のためだけに書こう) ーーーー ◇ ーーーー多分朝になれば、激しく後悔しながら、この日記を書き直すだろうけれど。 ーーーー ◇ ーーーーこの前に日本女子バスケットのことを書いたのだから、今日書かないと言うわけにはゆかない。対中国。惜敗・・・と言っておこう。勝てるわけは無い相手なのだが、特に身長が・・・。高校生レベルでバスケットをやっているぶんにはそれほど身長のことを意識することは無い。しかし国際試合ともなれば・・・中国の女子選手は190センチ以上の選手なのだ。バスケット・ボールというスポーツは高いところにあるネットにボールを投げ入れるというスポーツなのだから、背が高ければメッチャ有利なのに決まっているスポーツである。これは白人本位のスポーツなのでは?と考えてしまう。欧州の白人達の間ではある程度は国民的な身長差はあるがそれでも、しょせん白人、コケイジャン同士の個別差だ。しかしそこに低身長の黄色人種が入ると話は別になる。また眠いので後で書こう
2004.01.19
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若い頃から本は好きで、興味のありそうな本をどんどん買う癖があって、海外への転勤などでは、引っ越し屋に重いと文句を言われるほど本が多かった。そのくせ仕事が非常に忙しくて、読書の時間もろくに取れなかったので、本当に読み切った本は少ない。それでも「今に定年退職したら読むのだから」・・・というつもりで長年、本棚の肥やしを増やし続けたのだが、そのこやしが、大量に減るという歴史的な悲劇が2度も私を襲った。その一英国では庭の小屋に本棚を組み立てて本を収納していたのだが、英国特有の湿気の存在をすっかり忘れていた。気がついたらかなりの量の本が、青いカビの付いたシワシワのチリメン状態になり、ページがくっついてしまって読むのにも難儀。泣く泣くかなりの本を廃棄処分に・・・。その二米国では地下室に本棚を並べて悦に入っていたら、鬼のような某女性に「邪魔だから捨ててくれ」と厳命され、日本の図書館で簡単に借りられるような本、つまり小説類を中心に「いけにえ」に選んで、また泣く泣く廃棄処分に。 ―――― ◇ ――――最近は比較的自由な時間が持てるようになり、やっと読書の習慣ができたが、そうなると今度は、ときどき近所の古本屋に出かけて店主とダベリ、ついでに店頭のバスケットに入った「100円・200円の安本」をまとめ買いするようになった。安いのが余計いけない!さらには時々アマゾンで新刊本も・・買う・・。金欠病なのに目をつむって「エイ!」とばかり買ってしまう。私は安いものには目が無い。100円ショップなどにもよく行く。それにこの不況・不景気も私にはメリットが結構ある。物価は安いし、古本の値段が一時の半分近くに落ちているし、この100円本・200円本だって以前は結構な値段が付いていたものがほとんどだ。前から比べるともう極楽! ―――― ◇ ――――とにかく、こういう悪癖のせいで、またまた本が増えだして、阪神大震災ですでに相当ダメージを受けた二階の床が冗談でなく抜けそう!現在は海外に置いてある本を合わせると、○○○○冊ぐらいになるかな?自分でもこれは怖い。しかし、そのほとんどが未読か?中途半端に読んだもので、完読・通読したという本は少ない。もしこれをみな読んでいれば、今ごろ私の人格もかなり立派なものになっていたかも知れないが、このままでは単なる依存症ということになる。 ーーーー ◇ ーーーーまあ、本は必ずしも隅から隅まで完読しなくてもいいという説もあるが、スピードをもっと上げて読まないと、私の人生の短~い、残り時間内ではとても読み切れない。それに加えてテレビ録画した映画・美術・バレエ・オペラのビデオ・テープが数百本あるし、それもほとんど観ることもないまま、こやし化している・・・。だからこの頃は生ビデオ・テープをあまり買わないことにしている。録画したくてもできない様に・・・。でも最近のNHK BSで放映された小津安二郎シリーズのせいで?その牙城も崩れてしまった。だめだ、こりゃ~。猫みたいに七回も生き返らないと、とても全部は読んだり鑑賞したりできない。 ―――― ◇ ――――このへんで少なくとも古本買いは止めよう。明日から止めよう。キッパリ!!と止めよう。 ―――― ◇ ――――・・・だけど、しかし・・・私の自宅周辺の古本屋のめぼしい本は買ってしまったから、そろそろ、この次は、電車に乗って隣の駅の古本屋でも訪ねてみよう。♪「安い本の買い物ほど楽しくて、お買い得な買い物は無い!」と思う私なのだ。♪ ―――― ◇ ――――(永久に完全治癒しないわ この男は・・・)
2004.01.18
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美術が好きな方も多いと思うのですが、以前から気にかかっていた美術館のHPを見つけました。大塚国際美術館です。http://www.o-museum.or.jp/f02.html この美術館には世界の名画中の名画がほとんどまとめて、なんと1000点余り、展示されています。え~~???そんなはずは無いだろう!と思われるのももっとも。実はこの名画はコピーというかレプリカというか?陶板に描かれ焼き込まれたたものなのです。大塚国際美術館のHPの案内を(失礼して)下記にコピペさせていただきます。 ―――― ◇ ――――「大塚国際美術館」は、大塚製薬グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」です。館内には、6名の選定委員によって厳選された古代壁画から、世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに再現しています。それらは美術書や教科書と違い、原画が持つ本来の美術的価値を真に味わうことができ、日本に居ながらにして世界の美術館が体験できます。 また、元来オリジナル作品は近年の環境汚染や地震、火災などからの退色劣化を免れないものですが、陶板名画は約2,000年以上にわたってそのままの色と姿で残るので、これからの文化 財の記録保存のあり方に大いに貢献するものです。門外不出の「ゲルニカ」をはじめ戦争で分散していたエル・グレコの大祭壇衝立の復元など画期的な試みもなされ、1,074点の検品のために、ピカソの子息やミロの孫達および各国の美術館館長、館員の方々が来日されたおりには美術館や作品に対して大きな賛同、賛辞を頂きました。 このように『大塚国際美術館』は、技術はもとより構想においても世界初のそして唯一の美術館といえます。 ―――― ◇ ――――素晴らしいですよね。私はフィレンツェのウフィツィ美術館でボッティチェリの名画「春」と「ヴィーナスの誕生」を見ることができました。私は絵画が好きなくせにいざ名画の現物を見ても感激したためしが無く、同じウフィツィの中にあったレオナルド・ダヴィンチやミケランジェロの作品を見ても「ケロリ!」だったのですが、この2作品には本当に心から感動しました。私がウフィツィを訪問したときはちょうど「春」の表面を洗った後とのことで、それまで見えなかった「春」にボッティチェリが注意深く描き込んだ数多くの草花がきれいに浮き出していて、画面も一段と鮮やかになっていて、さらにはこのウフィツィの売り物ということからでしょうか?それともこのフィレンツェで生まれて育った地元っ子、ボッティチェリの作品だと言うことで特別扱いだったのか?そのときは「春」と「ヴィーナスの誕生」には特別の個室が与えられていてバックライトも当てられていて、それにこの2作品はちょっとした部屋の壁ぐらいもある大きな作品なのです。ちょっと文章もよれよれになってしまっていますが、とにかくその美しさに、ぼ~~っとしてしまいましたし、特に「春」ではその絵の世界にワープして入り込んでしまったような感覚をおぼえました。 ―――― ◇ ――――それと、これは極秘事項なのですが、ボッティチェリが描く美女はまさに私ごのみの、繊細で気品のある・・・(以下省略)。 ーーーー ◇ ーーーー今この美術館に電話を掛けて問い合わせてみたらこの2作品共にあるそうです。各作品は原寸大だそうですからますます楽しみです。それからその他にも私の好きな名画が見れそうです。♪♪ ぜひぜひ、この美術館を訪問するつもりです。♪♪
2004.01.17
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私の過去の書き込みで面白がって下さる話題は、私の海外での珍談奇談なようですので、海外話題を、それもヴィエトナムでの想い出をまず書いてみます。先日新聞で見た記事に「[ベトナム グエン・カオ・キ元副大統領が米から帰国]という記事がありました。これで思いだしたのは、実は私にとってベトナム・・・(私はヴィエトナムと原語に忠実に?書くことにしますが)のサイゴン(今はホー・チ・ミンと改称)が初の海外赴任地だったのです。新入社員としてその商社に入社した同期生は100名近くいたのですが、入社わずか二年目で海外駐在員として赴任したのは私が最初です。私がさぞ優秀だったのだろうと思われる方はいらっしゃいますか?思ってもらいたいのですが無理でしょう。 ―――― ◇ ――――私が選抜?された理由というのは・・・。当時ヴィエトナムはヴィエトナム戦争の真っ最中でした。新聞記事などではサイゴンの街にロケット砲がまるで雨あられと降ってくるような報道がなされていました。だから会社側の真意としては1) このような危険な場所への赴任を命じても、喜んで赴任するような人間は少ない2) alexは学生時代は山岳部にいたというし、ふだんの粗暴な言動からしてこのような場所への赴任に適しているし、本人も大喜びで赴任するであろう3) 将来の幹部候補生はこういう危険な土地に赴任させるわけにはゆかない4) alexなら、大した人材ではないから例え戦死したところで会社側の被害は最小に押さえることができる。こういう冷酷非道な判断がなされたことはほぼ間違いがないのです。今でもこのことを考えると会社側の冷徹な判断に敬意を表したくなります。(オイオイ! それでいいのか?)ともかく私は大喜びでこの戦場の国に勇躍、旅立ったのです。 ―――― ◇ ――――さて、このヴィエトナム戦争については追ってご説明したいと思いますが、今日はこのグエン・カオ・キ元副大統領について。この人はジェットパイロットでもあった現代的な軍人で勇猛果敢で有名でした。ときどきパトカーや白バイに先導されて、サイゴンの街を黒いロールスロイスで疾走するお姿を見かけたことがあります。で、また話が飛ぶのですが当時のサイゴン店にいた先輩の一人にこのグエン・カオ・キ将軍にそっくりの容貌の人がいたのです。容貌だけではなく、ホッソリした体つきもそっくり。おまけに本人もそれを意識していて、本物の将軍ご自慢の口ひげまで真似てしまったのですから・・・。本人と面と向かっての場合だけは「○○さん」と本名で呼んでいましたが、陰では現地従業員も含めてみんな、いとも自然に「グエン・カオ・キさん」と呼んでおりました。この人がまた夜遊びの好きな人なのです。毎晩必ず車を運転してサイゴンの繁華街に繰り出し、ナイトクラブやバーでカワイコちゃん相手に酒を飲むのが日課でした。当時のサイゴンは共産ゲリラを警戒して、カーフュ(外出禁止令)があって、夜12時から翌朝6時までは外出禁止、その時間内に外出していれば射殺されかねない状況でした。ですから夜遊びといっても時間になれば急い宿舎に帰るので、可愛いものですが、それにしてもとにかく毎晩ですからすごいものです。というこの私も、実はそのうちにこの先輩に影響されて?ほぼ毎晩派になりはててしまいました。この先輩が運転用の白いセーム革の手袋をはめながら「おい! alex君。出かけるぞ!」と声を掛けてくるのを心待ちにすることになったのです。 ―――― ◇ ――――色々回り道をしましたが、今日はこの二人のグエン・カオ・キ氏が直接 face to face というか?直接相みまえた場面の情景を最後にお知らせしておきます。このニセ・グエン・カオ・キ先輩はサイゴンのフランス系の名門スポーツクラブに入会し、休日は(休日ぐらいは・・・というべきかな?)健康的にテニスを楽しんでいたのですが・・・。ある日、隣のコートになんと本物の将軍が現れ、プレイし出したのだそうです。しばらくは静かなくすくす笑いぐらいだったそうですが、その内にたまらなくなったのでしょう。見物していたみんながついにがまんできなくなって・・・思い切り大笑いをしたということです。本当にうり二つのひげのオッサンが隣り合ったコートですましてプレイしているのですからね。これはこの現場を見た同僚が話してくれたのですが、本人に聞いてみたらニヤニヤするだけでした。
2004.01.16
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年末からNHK BSで小津安二郎の映画が、連日のように放映されていて、「東京物語」「秋刀魚の味」のような聞こえた名作はもとより、戦前のサイレント作品まで観ることができる。戦前の映画なんてさして面白く無いだろうと思っていたが、観はじめてみると結構面白くて、見始めるとどうも最後まで観ることになる。 ーーーー ◇ ーーーー昨日は「浮草物語」の旧作の方だったが、新作(中村雁次郎・京マチ子・若尾文子・杉村春子・川口浩)より素朴で、むしろ楽しかった。旅芸人の座長が昔の愛人およびその愛人に生ませた息子の住む町へ巡業しに来て興行を打つ。興行がはねた後は愛人宅に来ては息子と親しむ。息子は父親は死んだと聞かされて育ち、座長は叔父だと言われ、それを疑っていない。そのうち一座の花形であり現在の愛人でもある女がこの事実を知り、一座の若い娘に息子を誘惑させる。高校生の息子はとまどいながらも初めての女性に夢中になる。娘の方もはじめこそ金で頼まれた誘惑だったが、すぐ真剣になってしまい、二人は毎晩のように密かに逢い引きをするようになる。座長はついにこのことを知り激怒、愛人とももめた勢いで一座を解散することになる。出発の夜、座長は娘の真剣さに打たれ息子との仲を許し、彼の母、昔の愛人に二人を託して去って行く。 ーーーー ◇ ーーーー今日は「東京の宿」(1935 松竹)。原作がフランスの小説らしくて日本の東京に焼き直してはいるが、筋がいかにもフランス映画っぽい。中年の男が二人の男の子を連れて毎日職を探しては安宿に泊まる。その内にやはり無職・安宿泊まりの美貌の女性を知る。男は幸い職を得て一応の安定を得るがある飲み屋で酌婦になっている女性と出会う。女性は一人娘が疫痢(えきり)で入院、金のために酌婦になったのだが男にはそれが許せない。衝動的に盗みをはたらきその金を病院の女性に届けさせ自分は自首する。主人公をジャン・ギャバン、美貌の女は「望郷(Pepe Le Moko)」でジャン・ギャバンが憧れる巴里からきた女、ミレーユ・バラン、それをデュヴィヴィエが監督したフランス版を観てみたいような気になった。特筆事項としては、主人公が思いを寄せる女性役で岡田嘉子が出演していることだ。岡田嘉子は当時人気の新劇女優。後に演出家で恋人の杉本良吉と樺太(今のサハリン)の国境線を馬ソリでソ連国境へと亡命、「赤い恋の逃避行」と大きな話題になった。杉本は亡命後ほとんどすぐにスパイ容疑でソ連政府に殺され、彼女自身はその後モスクワに住んでいた。さすがに美貌。
2004.01.15
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なでしこ3779さんの「旧い旧い洋画」というテーマをお借りして、さっそく書くことにします。私は旧い洋画が割合に好きで・・・というより、本当のことを言うと女優さんが好きなのです。古き良き時代の女優さんという人々は、本当によくこんな美人がいるものだというような、文字通り女神のような神秘的なまでの美しさです。それに比べると現代の女優さんは映画そのものがリアルな題材をリアルに描くようになったせいもあってか、いわゆる「girl next door」的な「隣の女の子」タイプになってきている。私は実生活はともかく(鬼瓦でも結構 だれのこと?)、スクリーンでは「神秘的なまでに、女神のように美しい女性」を観たいと思う人間なので、旧い旧い洋画となるわけです。もっとも最大の原因は、私自身が「旧い旧い人間だから」ということに尽きるわけですが。(それを言っちゃ~あ、おしまいだよ!)現代の女優さんの中での美女はだれでしょうか?(ご意見のある方はぜひBBSにお書き下さい)さて、せっかくDNAについて書いてきたので同じ映画話題でも、DNAに少し関連する話題から書いてみたいと思います。ジュディー・ガーランドといえば「オズの魔法使」という映画に主演して、「虹の彼方に」という歌でも有名なミュージカルの大スターです。私はこの「オズの魔法使」という映画が大好きで、観れば必ず楽しい気分になるといういわば「保険のかかったような」映画です。ジュディーはとびきりの美女では無いと思うのですが、可愛くて時にはセクシーでもあります。ある映画の一場面で彼女がタキシードの上着だけとシルクハットで歌う場面があります。タキシードの上だけ羽織るという着こなし、これは実はジュディーが始めたことではなくて、「アメリカの恋人」とニックネームのついた映画界の最初のスターともいうべき「メアリー・ピックフォード」がある映画で始めたことだそうです。この姿は粋でセクシーですね。次に娘のライザ・ミネリですが、彼女はみなさんもご存じの通り「キャバレー」という映画で主演、いちやく大スターになりました。なにしろ両親が両親ですから才能は文句なし。ただし、お顔は母親の方が可愛いと思いますが。再び母親のジュディー・ガーランドにもどりますが、ジュディー・ガーランドは彼女が奇跡的な復帰をした映画「スター誕生」の制作者であるシドニー・ラフトと、三度目の結婚をしてもう一人の娘、ローナ・ラフトを生んでいます。ローナ・ラフトは、後年、母親ガーランドとの生活を綴った自伝「Me and My Shadows: A Family Memoir」を出版していて、これは2001年に『Life with Judy Garland: Me and My Shadows』のタイトルでテレビ映画化されたそうです。つまりライザ・ミネリとローナ・ラフトは異父姉妹になるわけです。私は、一度ある映画雑誌でビンセント・ミネリとライザ・ミネリ、シドニー・ラフトとローナ・ラフトの4人の写真を並べてあるものを見た事があります。母親は同じジュディー・ガーランドでも、実に見事に、ライザ・ミネリはビンセント・ミネリに、ローナ・ラフトはシドニー・ラフトにそっくりでした。これもDNAのなせる業です。 ―――― ◇ ――――これから映画話題・女優話題も書いて行こう。
2004.01.14
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「ミトコンドリア・イヴ」と書いていても、単に人類考古学上の新発見として、まるで他人事のように思っていたのですが、よく考えてみるとこれは私たち個人個人の、それに全人類の伝記でもあるのです。なにしろ「ミトコンドリア・イヴ」という仮定の名前の女性は、現世の全人類の共通の祖先、つまり我々自身の遠い~遠い~、約15万年ほど前の「母」なのです。「私って一体誰なの?私の先祖は?人類の歴史は?」という疑問はだれでも持っているものだと思います。人類の歴史が近来急速に明らかになった背景には、遺伝科学の発達があり、とりわけ人類の進化の歴史や系統樹(ファミリー・ツリー)を解明するのに便利なミトコンドリアDNAの研究の進歩があります。DNAは細胞の核の中にあります。DNAはA, T, G, Cの4文字で表される四つの塩基という物質が連なった二重らせん構造をしています。(A アデニン T チミン G グアニン C シトシン)このDNAは、私たちの体を形作り、生命活動をになう情報(遺伝暗号といわれる)を記しているもので、そのA, T, G, Cの4文字の並び方が個々の人の差を表すとともに、生物の進化の歴史も刻んでいるのです。これが通常のDNAです。しかし、通常のDNAとは別のDNAがあるのです。それがミトコンドリアDNAです。ミトコンドリアというのは一個の細胞の中に数百個ある細胞小器官の一つです。太古の昔に人間の細胞に入り込んだ細菌であるとのことですが、そのままパラサイト、つまり寄生して細胞の中に住み込んでしまいました。しかしこのミトコンドリアは、細胞内で細胞が活動するためのエネルギーを作る大切な役目を役目を担うようになり、細胞にとって非常にありがたい存在になりました。しかも入り込んだミトコンドリアは、あまりにも細胞内の安全な生活に順応してしまい今や独り立ちして生きてはいけないで、細胞の外にも出られない身体になってしまい、、寄生から共生の関係に入ってしまったようです。 ―――― ◇ ――――私自身はもちろん科学者でもなんでもありません。ここに書くことはほとんど全部、読んだ本やインターネットで得た知識の受け売りであることをお断りしておきます。毎度新しいことを読んで驚きながら自分なりに咀嚼して書いているつもりですが、こういう科学的なことは正確に理解しないといけませんし、まず自分が理解してから、次に誰にでも分かるように易しい表現で書かないと意味がありません。最近下記の本を古本屋で見つけて購入したんですが、やはり中身が科学的で、じっくり読んでみないと正確な理解ができないと思いますので、近日中にその内容を書くことはできないかもしれません。「ミトコンドリアの謎」 河野重行著 講談社現代新書 ―――― ◇ ――――「大根に大根の花咲く なんの不思議ありや?」という表現が確かあったと思います。ネット検索してみましたがヒットしません。この言葉には本来しかるべき人生訓または禅的な意味合いがあるものなのでしょうけれど、これはDNAの不思議を説いた言葉にもなりえますね。考えてみれば大根からなぜ必ず大根が生まれるのでしょうか?ナスができても、それはそれでおかしくは無いはずなのに。これは大根にも大根のDNAがあって、大根には大根の花が咲くようになっているわけです。 ーーーー ◇ ーーーー一説によると、ミトコンドリア・イヴ以上の驚嘆の事実があるそうです。それは、この地球上の全生物はもともとはたった一つの生命体の子孫だというのです。DNAの形態からそういうことが言えるそうなのですが。そうすると私はその辺の野良猫や昆虫や・・・果ては昨日から話題の「鳥インフルエンザ・ウィルス」とも兄弟と言うことになります。
2004.01.13
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私は住む場所としてのアメリカは、なんだかもうひとつ情緒というか?濃い文化が無いような気がして(ぜいたくですが)今までそれほど評価していなかったのですが、やはり最新の文化・情報とニューヨークのミュージカルやビデオショップの魅力には抗しきれません。米国東海岸に一時的に滞在している時には、ブロードウェイのミュージカル観劇とビデオあさりが楽しみでした。ビデオを販売している店(レンタルではない)のビデオの品揃えが日本と比較にならないほどですし(タイムズ・スクエァのヴァージン・メガショップなどはすごい)通販のアマゾンとちがって、現地で自分で買って持ち帰れば、アマゾンより安いし、第一送料も要りません。みなさんもぜひ行かれてみてはどうですか?ニューヨークと言えば摩天楼ですが(表現が古いかな?)、デボラ・カーとケイリー・グラント主演の名画「めぐり逢い」のすれちがい現場検証を兼ねて、あの9.11の世界同時テロで崩壊したWTC(ワールド・トレード・センター)ビルに代わって今やNYでクライスラービルなどと並んで一番高い建物の一つに復帰したエンパイヤー・ステート・ビルに登ってみました。ちょうど休日にあたったため切符売り場やエレベーターの待ち時間の合計実に45分。やっと到着した頂上付近の展望台から見下ろすマンハッタンの風景は、あの「ウェストサイド・ストーリー」の冒頭のマンハッタンの俯瞰図そのものでした。ただし展望台の売店で売っているのは残念ながら「キングコング」の玩具だけでした。ワールド・トレード・センター)にも通勤していたことがありますが、よもやあの巨大なビルが、しかも二つとも倒壊して、ガレキの山になるとはおもいませんでした。しかしともかくエンパイヤー・ステイト・ビルディングはまた昔の世界一高い建物、「天に一番近い場所」になりました。(これはたしか「めぐり逢い」の中のセリフです) ーーーー ◇ ーーーーグランド・セントラル駅もいろんな映画の舞台になっていますが地下に有名なオイスターバーがあります。米国のメニューでは牡蠣は品種別になっていて値段もちがいます。米国にはブルーポイントという名前の牡蠣があり、最もポピュラーです。それにクマモトという名前の小振りな牡蠣もあります。このクマモトは戦後、アメリカの牡蠣がバクテリアに冒され絶滅寸前になったときマッカーサー元帥の命令で熊本からとりよせた大量の牡蠣が繁殖したものとのこと。本来なら牡蠣と言えば広島ですが、当時の広島は原爆被爆の直後でとても牡蠣の輸出などの話では無かったのです。フランスのパリでも秋以降はレストランの前で大きな皿に大盛りの氷と生牡蠣を積み上げていて食欲をそそります。実はフランスの牡蠣も一時絶滅寸前になり、同じように日本の牡蠣(マガキ)が危機を救い現在のフランスの牡蠣の90%は日本の牡蠣の子孫とのことです。ロンドンの王室御用達の店が並ぶジャーミンストリートにも牡蠣で有名なレストランがあって18世紀後半の創業だそうです。一階はバーになっていてカウンターで飲みながら味わう、二階はレストランです。どうもわけありのカップルが来る雰囲気です。数十年前に?私がガールフレンドとあそこで食事したときに、あそこで牡蠣の味付けに出てきたのはトマトケチャップとレモンでしたが、普通はレモンにタバスコとか、ホースラディッシュですね。(私はホースラディッシュが大好きです)最高級百貨店ハロッズのオイスターバーも有名です。故ダイアナ妃とハロッズ・デパートのオーナー(サウジ・アラビアの武器商人、アドナン・カシオギの兄弟にしてエジプト人です)のドラ息子!!の情事の果ての、暗殺?事件についてはまた別に書いてみたいと思います。ベルリンの高級百貨店KaDeWeは最上階の食料品売り場が豪華で有名ですが、そこにもオイスターバーがあって、目の前でコックが牡蠣をガキッと、開いてくれて皿にのせて出してくれると海水が溢れます。それをドイツの白ワインをのどに流し込みながら食べると・・・。越の寒梅は正月のお屠蘇として飲んでしまったし、ドイツのモーゼルワインもそれだけではそれほどでは無いし・・・。 ーーーー ◇ ーーーートップ・ページを毎日コロコロ変えてすみません。こういう性格なもので・・・。
2004.01.12
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「イヴの7人の娘たち」という本の中に述べられている「解明された人類の歴史」。それは人間の細胞内のミトコンドリアのDNAをたどると、今の全人類の共通祖先は約15万年前にアフリカに住んでいた「ミトコンドリア・イヴ」と命名された女性であるということです。もう少しくわしく言うと、世界中の現世人類は、ミトコンドリアDNAを調査分類の結果、35の系統樹に分けられる。つまり人類の共通先祖として35人の母が把握された。さらにこの35人の先をたどって行くと、ついに一人の女性、つまり「ミトコンドリア・イヴ」と命名された女性に到達することになります。欧州に限ればこの系統樹は7つとなり、つまりイヴの子孫である七人の共通の母がいたことになります。(これがこの本の題名のもとにもなっています)。またサイクス教授達によれば日本人の95%は9人の女性から派生したものだそうです。このサイクス教授の学説(1996年発表)については種々大論争が続きましたが、現在はほぼ定説として承認されています。 ―――― ◇ ――――●「イヴ」はもちろん、あの人類の始祖、「アダムとイヴ」のイヴにちなんで命名されました。もっともイヴはアダムの肋骨のひとつから作られたはずですが。「Man’s rib(肋骨)」だった存在(女性)が、「Women’s Lib(女権運動)」を主張し出すなんて皮肉ですね。(冗談、冗談! 冗談ですよ!) ―――― ◇ ――――●「ミトコンドリア・イヴ」のミトコンドリアとは人間の細胞の核の中に寄生している小器官、ミトコンドリアの事です。このミトコンドリアは細胞核のDNAとは別の独自のDNAをもっています。このミトコンドリアDNAは先祖の系統樹を調べるのにとても便利な性質があり(このことについては次回に書きたいと思います)、この研究の成果により、人類の歴史に於ける数々の大きな謎の解明が可能になりましたし、新しい発見も数多くあったのです。 ―――― ◇ ――――● ミトコンドリアDNAの研究成果として、解明された謎としてはいろいろのものがあり、例えば :▼ 人類の発生はアフリカを単独の起源とする(単独発生説)のか?それとも世界中の色々な場所を起源とする(複数起源説)のか?アメリカ大陸の原住民はアジア系なのか?▼ 帝政ロシアのロマノフ王朝の末裔と称した「アナスタシア」は果たして本物か?▼ ネアンデルタール人は私達現在の人類の先祖か? ーーーー ◇ ーーーー● ほかにもいろいろあるのですが、この本とは関係ないあるテレビ番組のことを今日は書いて終わりにします。去年なにげ無しに見た深夜のテレビ番組なのですが・・・。日本のある弥生遺跡の人骨から発見された「タイプー8」と呼ばれるミトコンドリアDNAは、先祖をたどれば約二万年前の中国のある女性に行くつくのだということです。女優の天海祐希さんが、その「タイプー8」と呼ばれるDNAを持った一人だという事が判明して、その番組の企画として天海さんが、アジアに住むその「タイプー8」というDNAを共有する二万年前の女性の子孫、つまり天海さんの遠い遠い姉妹(親戚)にあたるわけですが、そう言う人たちを現地に訪ねて行くというものなのです。中国雲南省の山奥やバイカル湖にまで出かけて共通の母を持つ、遠~~~い親戚であるところの女性達と、感激の出会いをするのです。特に雲南省では何日もジープに乗っての苛酷な旅行の果てに、山崩れがあってそれ以上先へは進めなくなり、天海さんと同じ2万年前の母親を持つチベット族の女性は、自分の方から徒歩で二日もかけて天海さんに会いに来てくれて、天海さんも感激に涙目になっていました。ロシアのバイカル湖の近辺に住む朝鮮族の中にこのDNAを持つ女性が点在しているのですが、天海さんが訪ねあてたある少女はたまたま地元で劇団に属して演劇を勉強しているのですが、バイカル湖のほとりで、演劇界の先輩である天海さんにこの少女が将来は日本にも行ってみたい、立派な女優になりたいと夢を語る場面が印象的でした。
2004.01.11
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最近、「ローマの休日」という映画がデジタルマスター版となって再公開されたようで、ネット上でも大いに話題になっているようです。オードリー・ヘップバーンという人はもちろん世界の大スターですが、日本で特に人気があるように思います。私は「ローマの休日」以降のオードリーにはそれほど魅力を感じないのですが、「麗しのサブリナ」あたりは、まだ「ローマの休日」で世界を震撼させた?清新な魅力がまだ横溢しているように思います。もっとも、この衝撃のデビュー時のオードリーは「美人」とは呼ばれず「ファニー・フェイス」と呼ばれて当時の流行語になったものです。数日前に呼んだ雑誌の記事で、ある人が撮影所で「生」オードリーを見かけたが「映画の彼女とは違って、目と鼻と口が異常に大きくてアンバランスな顔だったのには意外な感じを受けた」と書いていますが、やはり実物はファニー・フェイスなのかな?私も昔ローマを訪れたことがあり、イタリア階段やチボリの泉や大理石でできた大きな円盤状の海神トリトーネの「真実の口」などを廻りました。ところであの「真実の口」はどうしても手を差し入れてみたくなるものです。ローマという街はやはり桁外れの魅力のある街で、さすがの私も?その時は感激で胸がいっぱいでしたが、今考えてみるとモノクロ画面の「ローマの休日」で描かれたローマの方がはるかに美しく魅力的なような気がします。「黒水仙」や「赤い靴」などの特に色彩の美しい映画をのぞけば、一般にカラー映画よりもモノクロ映画の方が街や人物をより美しく描写できるのではないでしょうか?あのオードリーやハンサムなグレゴリー・ペックがカラーだとしたら、あそこまで「永遠の名作」にならなかったかも知れない。暴論かも知れませんが、個人的にはそんなことを感じます。写真でもそうですが情報量が制限されたモノクロ画面の中の方に、人間はより想像力を働かせることができるのかも知れません。それから「ローマの休日」の中で、グレゴリー・ペックの友人のカメラマンが、ヘップバーンを隠し撮りするのですが、そのカメラがジッポーに似たライターにカメラを仕込んだ「ライター型超小型カメラ」。当時大いに話題になったようです。私はあれは日本製のコーナンとうカメラだと思っていたのですが実際は違いました。鈴木光学製で16ミリフィルムをフィルムカッターで8ミリに切断した8ミリフィルムを使用したもの。最初の発売は1951年「エコー8」、その後カメラライトと呼ばれたとのこと。 私も高校時代、このカメラではありませんがライターぐらいの大きさの豆カメラを買って、好きな同級の女生徒を下校の途中で隠し撮りしたという恥ずかしい過去があります。制帽にわざわざ小さな穴を開けて、そこから隠し撮りをしたんですが、あのカメラと写真は今でも手元にあります。
2004.01.10
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「イヴと七人の娘たち」は、人類の歴史やDNA科学の発達など興味深いことを含んでいるので、ぜひシリーズで書いて行きたいと思うのですが、目移りする私の性格が邪魔してなかなか続編が書けません。今日もまた別の話題。月刊文藝春秋 2003年4月号に「識者60人アンケート 日本を見つめ直す最良の歴史書」という特集があります。文字どおり各界の識者がほぼ3冊づつ、推薦する歴史書をあげているのですが。このアンケート結果のベスト10は下記の通りです。1位 7票 「坂の上の雲」 = 司馬遼太郎2位 4票 「ローマ人の物語」 = 塩野七生2位 4票 「ローマ帝国衰亡史」 = E・ギボン4位 3票 「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」 = 戸部良一他4位 3票 「文明が衰亡するとき」 = 香坂正堯6位 2票 「政治家とリーダーシップ ポピュリズムを越えて」 = 山内昌之6位 2票 「西洋の没落」 = O・シュペングラー6位 2票 「大国の興亡 1500年から2000年までの刑事の変遷と軍事闘争」 = P・ケネディ6位 2票 『「日本」とは何か』 = 網野善彦6位 2票 「敗戦真相記 予告されていた平成日本の没落」 = 永野護かなり票が割れていますが、だれもが認める歴史書の古典は「ローマ帝国衰亡史」 = E・ギボン だろうと思います。この他に「歴史研究入門」の古典としては、E・H・カーの「歴史とは何か」がある。 ーーーー ◇ ーーーー▼このうち、私が読んだことがある本は「坂の上の雲」(たいていのみなさんが読んでいるでしょう)「西洋の没落」(昔読んだのだけれど難しくて覚えていない)「歴史とは何か」(上に同じ)▼持ってはいるのだけれど「積ん読」になっていて、読まねばいけない本は「ローマ帝国衰亡史」(私の持っているのはちくま学芸文庫(全十巻)ではなくて、抄訳となっている「新訳 ローマ帝国衰亡史」(中倉玄喜・編訳)(PHP研究所)の方だけれど。「大国の興亡」▼以前から気にかかっていたので買いたい本は「失敗の本質 日本軍の組織論的研究」▼今どこにあるのか?ほんの居場所が分からないので買い直したい本は「西洋の没落」▼シリーズものなのでその内にそろえて買おうと思っているもの 「ローマ人の物語」 ーーーー ◇ ーーーーアンケートの中で面白いのは▼「機関銃の社会史」 = J・エリス(平凡社)戦争を変えた技術開発というものはいろいろあるが、機関銃もそうだったのだという思いだ。もちろん戦車もそうなのだが。これで思いだしたのは英国の女優、デボラ・カー(地上より永遠に・王様と私)の父親が機関銃開発の権威だったということを彼女の伝記で読んだことがある。 ーーーー ◇ ーーーーもうひとつ「おや!」っと思ったのは元首相の中曽根康弘氏が▼「宇宙誌」(松井孝典)(徳間文庫)をあげていることだ。実は私もこの本を買ったばかりで未読。松井孝典氏の著作は4冊ほど持っているかな。そもそものきっかけは立花隆氏の「マザー・ネイチャーズ・トーク」。この本は少し古い本ではあるが、その当時の最先端の科学者との対談集で、内容は少しも古くない。サル学、惑星科学、免疫学、精神分析学、微生物学などなど・・・。松井氏は「惑星科学」の研究者で、地球の寿命とか、人間が将来居住可能な惑星などについて非常に興味深い会話を展開していた。宇宙というとホーキングとなるが、松井氏の語りはホーキングとは別な面白さに満ちている。彼の著書に「宇宙人としての生き方 アストロバイオロジーへの招待」(岩波新書)というものがあり、これも手元にはあるが未読。しかしなにより「宇宙人としての生き方」というタイトルが魅惑的。これを中曽根氏は推奨しているわけで、日本の政治家としては出色の本選びでは無いか?最近の首相の中では、個人的には中曽根氏は見識的に宰相に近い人だと・・・、思っているのですが。
2004.01.09
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今年は宝塚歌劇創立90周年だそうです。普段は宝塚歌劇を「世界七恥のひとつ」(ファンの方々、失礼!)とまで呼んでいる私ですが、やはり今日は敬意を表したいと思います。私は宝塚の近くで育ちましたし、祖父母と母がファンであったことから、幼い私も何がなにやら訳が分からないままに歌劇大劇場に連れられて行き、かずかすの名作を鑑賞?しました。越路吹雪さんが初主演した「ミモザの花の咲く頃」という作品も赤ん坊状態で観劇?したそうですし、春日野八千代さん、淀かおるさん全盛の頃はその舞台も覚えています。プッチーニのオペラ「トゥーランドット」も昔宝塚で観劇した記憶があるためか?最も好きなオペラの一つとなっています。あのころの宝塚の舞台はスターのオーラが違い、まさに華麗極まる舞台でした。ところが現在ときどきテレビで見る舞台は、少女漫画さながらで、何か肝心なものが抜けているように思えて仕方がありません。私が観劇したのは戦後ですが、戦前の宝塚は欧米の歌やショーをいち早く取り入れて、日本の最先端だったようです。ある音楽家の想い出でも、ある楽曲の譜面が欧米から入手できないので、宝塚歌劇からそれを借りて練習したとか。私の敬愛する田辺聖子先生は大の宝塚ファンで「新源氏物語」だったかな?脚本を書かれたはず。宝塚についての本も出版されていますね。「夢の菓子をたべて *わが愛の宝塚・写真付」私も読みました。しかし昨年は私が幼少のみぎりより慣れ親しんだ「宝塚ファミリーランド」が閉園となり、まさに暗黒の年でした。USJよ!お前も廃園になれ!
2004.01.08
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今日は「イヴの七人の娘たち」の PART 2 を書くつもりだったけれど、ちょっと方針変更。JALの情報誌「Agora」を読んでいると「我ら地球人 稲垣大助」という見出しで、フランスでミシュランの一つ星レストランのオーナーシェフとして活躍している日本人が特集されていたので、これに関してちょっと書いてみたくなった。というのは、二三年前にテレビで昔のミュージカル映画のスター、レスリー・キャロンのレストランを紹介する番組があって、彼女のレストランのシェフは日本人だということだったので興味深くて覚えているのだが。偶然だけれど、そのレストランの日本人シェフというのがこの稲垣大助さんなのだ。これについて、色々書いてみたいと思うけれど、先ずはレスリー・キャロンについて。日本で公開された洋画のデータ・ベースである「all cinema on-line」というサイトがある。洋画映画ファンなら知っている人は知っているサイトで、ここでレスリー・キャロンのプロフィールについてこんな説明がある。本名はLeslie Claire Margaret Caron。パリの修道院学校を卒業後、第二次大戦を経て47年からコンセルヴァトワールでバレエを習う。その後シャンゼリゼ・バレエ団のプリマとなって巡業中にジーン・ケリーに見出され、51年「巴里のアメリカ人」で映画デビュー。以降はMGMミュージカルのスターとしてバレエで培ったダンスと愛らしい容姿で活躍。53年の「リリー」でアカデミー主演賞候補にもなった。4度の離婚を経験。ウォーレン・ビーティとも一時期交際していた。 28作にも出演していたのか・・・。私の記憶にある彼女の映画は下記の通り。ファニー(1961) 地下街の住人(1960) 恋の手ほどき(1958) 哀愁物語(1956) 足ながおじさん(1955) 三つの恋の物語(1953) リリー(1953) 巴里のアメリカ人(1951) と言っても、全部を見たわけではないけれども、やはり代表作は足ながおじさん(1955) 三つの恋の物語(1953) リリー(1953) 巴里のアメリカ人(1951) あたりかな?
2004.01.07
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今日から楽天日記を始めます。最近読んで面白かった本の一つに「イヴの七人の娘たち THE SEVEN DAUGHTERS OF EVE」という本があります。(ブライアン・サイクス著 大野晶子訳 ソニーマガジンズ発行)この本の内容を一言で言えば、このオックスフォード大学のサイクス教授が遺伝テクノロジーを駆使して打ち立てた、「現代人の共通祖先は約15万年前、アフリカにいた一人の女性である」という仮説(今ではほぼ定説になっているようだが)の経緯とその説明です。とすると、驚いたことに我々人類はみな親戚同士と言うことになる。明日はこの本の内容をもう少し書いてみます。 ーーーー ◇ ーーーー夕方のテレビを見ていると、SF作家の小松左京さんがゲスト。「左京」というペンネームは学生時代京都市の左京区に下宿していたからそれにちなんでのものだと、ご自身がおっしゃっていた。それに「想い出の曲」として宝塚の劇団歌?「スミレの花の咲く頃」の原曲というシャンソンをリクエスト。しかし、さすが博覧強記の小松左京先生もこの件では間違っています。(全面的にまちがいとは言えないのですが)この曲はもちろん日本の曲では無くて、白井鉄造氏が昔、アイディアを求めて欧州に旅行した折り、当時パリで流行っていた「白いリラの花がまた咲く頃」 (Quand refleuriront les lilas blancs)というシャンソン曲を持ち帰って「リラ」を日本人にイメージがわきやすい「スミレ」に変えたものとのことと言われています。しかしこの曲はもともとはシャンソンでは無く、1928年にウィーンでフランツ・デレ作曲、フリッツ・ロッター作詞で作られた曲で、ドイツ語の原題は「Wenn der weise Flieder wieder bluht」だという。原題の意味は、フランス語のそれと同じ。戦後、その題名そのままの「白いリラの花がまた咲くころ」(1953)という映画が作られ、(音楽担当はこの曲を作曲したフランツ・デレ)、主演はマグダ・シュナイダー、そしてその娘の役で実際にも娘であるロミー・シュナイダー(当時14歳)が映画デビューを果たしたそうです。私はもちろんこの映画は観ていません。マグダ・シュナイダーは古典的名画「制服の処女」にも出演したということを何かの映画雑誌で読んだような気がするのですが、どうも確かではありません。「白いリラの花がまた咲くころ」は、1956年にアメリカのビルボードに登場。今度は題名も英語で「When the White Lilacs Bloom Again」。リラは英語では LILAC ライラックです。私が昔、東欧のある国にいた頃、ある時私がふとこの曲を口ずさんだら、まわりの皆が口をそろえて「それは戦前流行った有名な曲で、我が国の歌だ。どうしてその曲を知っているんだ?」というのです。それからしばらくはすっかりそれを信じていましたが、最近ネットで調べたら上記のような次第らしい。しかし、考えてみれば恐らくそれほど当時は欧州各国で、各国語で愛唱された曲で、各国の人間が自分の国の人間が作曲した曲だと信じてきたのでしょう。私自身も白井鉄造氏が作曲した日本の曲だと思っていましたからね。一度宝塚歌劇団にも原曲について電話で問い合わせたことがあるのですが、歌劇団の方でもハッキリしたことはわからないとの解答でしたが、上記の事がわかった今は、この情報を教えてあげようかな?とも思います。
2004.01.06
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