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■ 対談 戦後60年 日本・アジア・世界 【復刻日記】以下は、私が 2005年1月24日に書いた「記事」である(このごろは「日記」と言う表現に抵抗感がある)(ブログだから「記事」とした方がいいだろうと思う)どうしてわざわざ日付を注記するのかというと、以下の記事が約3年前の新年に、戦後60年を総括した対談であるから、その3年間の歳月のタイムギャップがどんなものかを見てみたいからである同時に、私の当時のコメントを読んでみて、今も同じ事を考えているのか、それとも今は別な考え方をしているのか?を考えてみたいからである ―――― ◇ ――――【復刻日記】■ 対談 戦後60年 日本・アジア・世界 正月の1月7日付の朝日新聞朝刊の「オピニオン」というページに、「戦後60年 日本・アジア・世界」と題した対談が掲載されたそれを私なりに、ダイジェス & リライトトしてみた対談者○ 梅原猛(うめはら たけし) 哲学者・歴史家 国際日本文化研究センター顧問○ 五百旗頭真(いおきべ まこと) 広島大学助教授 政治外交史専門○ 司会: 朝日新聞論説委員・薬師寺克行国家主義復活が不安=========○梅原 国家主義がまた復活してくるような感じがする○五百旗頭 戦後60年がたち、日本は経済大国になった 当然、世界の安全保障にも参画しなければ行けない 対米関係を機軸にするのは正しい選択だが、米国の意向だけを日本の判断基準にするわけにはいかない○朝日 最近、国内で北朝鮮や中国に対する強硬論が目立つ○五百旗頭 毅然として対決せよと言う威勢のいい発言があるが、実は日本にそんな力は無い 米国の軍事力を当て込んだもの■ (alex 同感 だが、同じように非戦・平和を唱える人たちも、米軍の存在をあてこんでいる)○五百旗頭 脅威のある国とはむしろその国と仲良くするというのが外向的な知恵■ (alex 中国と北朝鮮と仲良くするという方向は総論賛成だが、そうは簡単に仲良くできる現状ではない 理想論だけなら、私でも言える その具体論が欲しい)○梅原 中国との友好と日米同盟が矛盾しないことを政策の基本にすべき■ (alex これまた、理想としてはそうだが、政治家と日本国民は、その各論を求めて行くべきだろう)○五百旗頭 日本は、戦前の極端な戦争好きから、戦後はその反動で、自衛のためでも(戦争は)いけないという度を越した戦争嫌悪へと、極端から極端に振れた■ (alex GHQの思想改造が功を奏したとも言える)○五百旗頭 最近は、感情的・排他的なナショナリズムの気運■(alex 確かにその風潮がある 特に若い人たちの間の、嫌韓・嫌中は歴史的な学習の上と言うより、戦争ゲームの感覚のように思える では、私はどちらかというと、私も、嫌韓・嫌中の気味がある)寛容な多神教にならう = 梅原米政治の復元力に期待 = 五百旗頭================○朝日 米国の力が突出した一極構造が国際社会の不安定要因になっていませんか○梅原 近代欧州を指導した文明の基本思想は二つあるひとつは「人間が自然科学によって自然を認識し支配する、デカルトやベーコンの人間主義」もう一つは「ホッブスに代表される国家主義」米国はこの二つの思想を信じて豊かで強い国を作ったこれに対し欧州では、それらへの反省が出て来ている人間中心主義への反省から環境問題に熱心になりまた国家主義への反省から、「民主主義国が持つ理性によって戦争は避けられる」と主張したカントの思想の流れをくむ国連を重視し、独仏はイラクへの武力行使を認めなかったカント的な考え方は、近代を超えた「超近代」思想につながってゆく■ (alex ちょっと独仏を買いかぶりすぎではないかな? 欧州のイラクへの不参戦には、もっと現実的な利害が背景にあったと思う)○五百旗頭 米国は振幅が激しい ブッシュは9.11で立ち上がり、アフガン・イラク攻撃にまで至り、過剰反応して、不正確な力の行使に傾いた 今後の世界はその負債に苦しむことになる■(alex 同感 特にイスラム社会全体を敵に回した どうしてくれるんだ?)○朝日 どうしてブッシュはカント的になれないのか?○五百旗頭 ナショナリズムの勃興でしょう キリスト教保守派の内向きのナショナリズム それでもって世界を作り替えようと言う使命感がある○梅原 米国の農村にはキリスト教が強い キリスト教には一神教に特有な排他性があり、それはカトリックよりプロテスタントの方が強い その(キリスト教的)原理主義が好戦的思想になり、イスラム教原理主義とぶつかり合っている宗教が平和をもたらすのではなく、宗教が平和をけ飛ばすという皮肉な状況になっている■ (alex 同感)○朝日 日本の仏教が力を失ったのはなぜでしょう?○梅原 明治初期の廃仏毀釈の影響が大きい 神と仏を切り離して、仏を殺したら神も死んでしまった 代わりに国家を神としたが、敗戦で否定され、神が無くなった一神教の排他性が戦争を起こしている今、寛容な多神教の意義をもう一度見いだすべき■ (alex 同感 日本の神道はもとは、アミニズム 一神教に支配される世界は怖いというのが私の考え方)義理・人情 首相は混同 = 梅原他国の尊厳も大事に = 五百旗頭===============○朝日 ナショナリズムにどう対処すべきか?○五百旗頭 開かれたナショナリズムであること 世界の現実は相互依存 他国の尊厳も大事にしないと良好な関係は持続できない靖国神社は国際問題であることを逃れない日本人は隣人の尊厳を損なったことに無神経になってはいけな○梅原 靖国神社というのは日本の神道の伝統ではない出雲大社の要に、征服された敵方を、味方よりも大きな神社でまつると言うのが伝統です■ (alex これはどうかな? 梅原さんの持論では、出雲大社や法隆寺は、それぞれ大和民族や藤原氏が、滅ぼした出雲族や聖徳太子一族の怨霊の仕返し・恨みを恐れて建立したのではなかったかな? 目的がちがうのでは?)○梅原 靖国神社には戦争の反省がない 隣人の気持ちを考えるのが義理です 小泉首相はあれほど歌舞伎を鑑賞していながら、義理と人情の別がわかっていない■(alex 確かに靖国神社は、伝統の神社とは性格を異にする 反省がそこにないというのも一理ある やはり、神道と切り離して、西洋的な無名戦士の墓のようなものを新たに作るのがいいかもしれない)○梅原 ソクラテスは本当のことを行って殺されたが、弟子のプラトンがソクラテスの死を深く考え、哲学を樹立した 何を言われようが、正しいと思ったことを言い続けることが必要です それが種となり、やがて必ず実を結びます最終更新日 2005/01/24 04:18:21 PM ―――― ◇ ――――以上が主文である以下は、この本文につけた自己コメント■ 「自己コメント NO.1」私はときどき、こういう時事的、政治的なテーマで書くが、本当のことを言って、こういうテーマを書いていて、自分でいい気はしていないのだ本当か? と思う人が多いかも知れないが、本当だ時事問題というテーマはそれ自体「問題」であることが多い問題があるから、何とかならないか?人がもっと関心を持ってくれて、その人々の行動が波となって、より良い方向に向いてくれれば・・・と言うのが基本的な発想・動機だそれに、こういうタッチーな問題は、賛成意見もあるが、反対意見も多い必ずしも穏やかな話し合いで済むとは限らない私だって、人との激しい議論や意見の対立は快いはずがないしかし、それでも思わず書いてしまう反対意見というものは、それなりにハッキリしているのだから、それもいいとも言える私が腹立たしく思うのは、いわゆる無関心層だどうしても中立の意見だという人もいるかも知れないが、政治は政治家にまかせながら、すべては政治家が悪いからですませるような人たちだ戦前の日本軍部の独裁暴走は、彼らだけが悪いと言うより、それを許した一般国民の罪の方が深刻ではないだろうか?このごろは満州事変直前の空気(ナショナリズム)と似ているとまで言い、大いに怖がる平和派が多いが、彼らはそれほど今の日本国民を信用していないのだろうか?政治意識が高まるのなら、メディアのあり方へのリテラシーが高まるのなら、番組偏向・番組改変疑惑などの問題がバンバン起こってくれてもいいとさえ、私は思っている■ 「自己コメント NO,.2」>戦前の日本軍部の独裁暴走は、彼らだけが悪いと言うより、それを許した一般国民の罪の方が深刻ではないだろうか?当時はまだ、国民主権の憲法ではなかったし、まだ植民地主義の風潮を引きずっていて、国民の意識が成熟していなかったということは言えると思うただし、それであれば、国民主権の社会の国民は、それなりの責任を持たなければ行けないし、歴史に学ばなければいけないと思うそれも「現実感覚をもって」・・・の事だと思うバルカンがよく「火薬庫」と言われたが、今の東アジアも立派に「火薬庫」だと思う
2008.11.28
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■ 今日は「幽玄」を調べる 【復刻日記】昨日は 「【わび】【さび】とはなにか」だった古典語というものも、面白いものであるついでに、今日は「幽玄」という言葉・概念をしらべるこれは【復刻日記】だが、そのままにリンクするというのも、この日記の中で、私としてはめずらしく、フォントの大きさを変えてみたり、文字の色を変えてみたりと、技巧の限りを尽くしているので、それも見て欲しい当時、コメントをいただいた方には、当時のコメントが再現してしまうのだが、ご容赦願いたい
2008.11.28
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■インド・ムンバイでテロ発生私は今、ケーブルテレビ・CNNを視聴しているのだが、昨夜からインドのムンバイ(旧地名ボンベイ)の最大のホテル「タジ・マハール」にイスラム系と見られるテロリストが侵入、主に英米系の客などを人質に取り、殺害して、インド当局と銃撃戦をしているこれは同時テロで、このホテル以外にも主要ホテルや駅を襲撃したというこのホテルには、私も以前、宿泊したことがあるこのホテルでは現在、恐らくテロリストによるものと思われる火災が発生、消火作業が行われているその映像がリアルタイムで放映されているホテルに出張中で滞在中の米国人の大会計事務所の社員と電話が繋がって、CNNの司会者と会話を交わしているが、彼は部屋に閉じこめられたままの状態である現在確認されただけで、死者87人、負傷者186人日本の地上波のテレビ局を見てみると、この事件には全く無反応で、脳天気な番組を続けている日本人も一人、殺害されたそうであるにもかかわらず、日本は平和である国際的な大事件には無関心である一応、今日アップした私のブログをリンクしておくので、その方も読んで下し (笑) 私もノーテンキである (笑) 「【わび】【さび】とはなにか 【復刻日記】」 今のCNNによるとインド当局は、事態を完全に掌握した、攻撃は終了したと発表したそうである
2008.11.27
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■ 【わび】【さび】とはなにか 【復刻日記】【復刻日記】というのは、楽だからくせになるのである ―――― ◇ ――――懸案の「わび・さび」を調べてみたいと思った今回、小西甚一先生の「古文研究法」を、何十年の時を経て、また買い求めたこの受験参考書で、「わび・さび」が明解に説明されていたのを思い出したからである「わび・さび」といえば、「幽玄」とか「花」とか、「粋」とかいう言葉とならんで、日本文化のキーワードである(と思う)粋については、「粋ということ」という本を持っているが、「侘び・寂び」については白紙状態であるまず、国語辞書で調べるのが順序だろうと思って、現代語の普通の国語辞書でひいてみたしかし定義があいまいで、言葉の輪郭がハッキリしない言葉のエッジが立っていないのである事実上、役に立たない侘び・寂びは、本来は古語だから、古語専門の古語辞書でひいて見るのがいいだろう『角川 新版 古語辞典』 久松潜一・佐藤謙三 編● さび【寂び】 名詞さぶ(上二)の連用形名詞元来は閑寂な趣のあること、古びて味わいのあることの意芭蕉俳諧の根本理念無常を感じ取り、世俗を超越した作者の人間性が、しみじみとにじみ出た句(=作品)の情調中世の幽玄の展開したもの「―は句の色なり閑寂なる句をいふにあらず」〔去来抄〕● わび【侘び】 名詞侘ぶの連用形名詞(1) 思い煩うこと悲しむこと寂しがること「今は吾はー(和備)にぞしにける」〔万四・六四四〕(2) 中世以降、茶道・俳諧などで、渋み・閑寂・閑静などの趣を言う「利休は、―の本意とて、この歌(=見わたせば、花ももみじもなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ)〔新古今・秋上・三六三〕を吟じ」〔醒睡笑}これなら、一応は納得である「古文研究法」がいくらすごい本だと言っても、基本的にこの本は大学受験生への参考書であり、侘び・寂びについての説明も、先生は受験生(高三)を意識して、かんで含めるように説明しているそれをそのまま紹介すると冗長になるので、まず私なりの【わび・さび】および日本文化にかんする独断と偏見をまず書いて見ようと思う □□□□□□□□西洋の美は、ベルサイユ宮殿やバチカンの宮殿を見ても分かるように絢爛豪華の極致である金をふんだんに使い、壁や天井はミケランジェロなどの目もくらまんばかりの絵画が描かれている建物も豪奢で壮大で、大理石などもふんだんに使われている極度の権力・財力と、これでもか!という豪奢な芸術が美の裏打ちとなっているこれは現在の西欧文明の直接的な先祖ではないが、あのギリシャ・ローマの地中海文明から一貫した性格のものだと思ういやそれ以前の、クレタ文明・エジプト文明においてもそうだと思うクレタ島のクノッソスの迷宮に行ったことがあるが、時代が離れすぎていて迷宮も当時の姿ではなかったので、豪奢さを充分うかがい知るというところまでは行かなかったが、その当時の文明レベルでは、とてつもない富貴レベルであったのではなかろうか?詰まるところ、欧州文化は『富貴の文化』と言っていいともう富と権力が集中して、そこは原始・平等な世界ではなくなるのだから、まことになるようになった、自然な流れとも言えるこれに対して日本の美は、京都二条城の豪華さと日光東照宮のキッチュなゴテゴテを例外として、基本的には質素な美である信長は伝説の安土城と、後継者、豊臣秀吉は聚楽第とか桃山城を築城するなど、日本人としては桁外れな豪奢を好んだと言うもちろん、日本でも富と権力はどんどん集中し、信長時代以降は全国的なレベルに至るしかし、この希代の傑物達にしても、どこかにが、豪奢一辺倒なものに対して、すわりの悪い感覚を持っていたのではないだろか?人臣の位を極めた秀吉が「侘び茶」の創始者である千利休に文化的に心酔している部分がある私がよく知らない世界なのだが、茶道でこの上なく珍重される銘器の一部は、名もない朝鮮の百姓が日常使っていた茶碗であるというさらに茶室も、基本的に朝鮮の百姓家を模したものだというのであるこれ以上ない栄華を極めながら、底辺の生活における閑寂な小さな世界を同時に味わうことによって、権力者は自分の富貴を、底辺のレベルから仰ぎ見て、さらに大きいものとして味わったのではないだろうか?また、満月の欠けることのない富貴の極みにいながら、いつかは落ちる運命を予感し、なんとはない不安感にかられ、貧しいなりに平和な庶民の生活に身を置いてみて、一瞬の心の安らぎを感じていたのではないだろうか?また、利休の茶の湯の茶室は、ご存じのように二畳ぐらいの非日常的なサイズの小屋であって、おままごとのような虚構の空間であるこのような閉所恐怖症になりかねない極小空間は、入ってみればそれなりに落ち着く母親の子宮の中で胎児であった時代の完全に保護された、なんの不安もない、甘美な世界を想い出させる効果があるまた、茶室には、人間の入る入り口とは思えないほど小さな、【にじり口】があって、富貴の極みの貴人も、刀剣を捨ててこのにじり口から、犬のような格好をしながら入ってくるそうしてそこは、侘びしい百姓家でありながら、貴人の儀式の場でもあるという、【虚構】の空間が茶人達を待っていて、皆が茶人というステイタスにおいて平等になる簡素で何げない、むしろ貧しいものに美を見いだした日本人は、美の世界における「コペルニクス的転回」や「ガレリオ・ガレリーの地動説」とでも言うべき、人類史上における世紀の大発見を成し遂げたのでは無いだろうか? □□□□□□□□私の意見は以上である小西先生の「古文研究法」の、【さび・わび】という項を開いてみたまず、さびし「形容詞」や、さぶ「動詞」と同じ系統の言葉だという先生の説明を読んでみると【さび・わび】は、先ず寂びを理解すればいい、と考えて良さそうであるなぜならばこの二語は意味が近くて、【わび】の意味するところは、【さび】を土台にして、それがさらに簡略・質素になったヴァージョンといえるのだそれではその土台の「寂び」とはどういう観念か?それは○ 陰性を基調とする美であって、○ 派手・花やかさ・にぎやかさ・豪快さ・たくましさ等とは反対の性質をもつ美なのである □□□□□□□□上記に引用した「角川古語辞書」の【さび】に関する定義をもう一度読み直してみよう【さび】【閑寂な趣のあること】、【古びて味わいのある】ことの意【閑寂な趣のあること】これは【にぎやかさ】の反対概念である【古びて味わいのある】これは【花やかさ】の反対概念である小西先生の説明と、見事に符合している □□□□□□□□小西先生が、【さび】に関して具体例を示している【さび】に該当するものには、○をつけることにする年齢においては 「青年」ではなく、○老年色においては 「赤・紫」ではなく、○茶色・灰色声においては 「ソプラノ・アルト」ではなく○男性の低音のバス季節では 「春・夏」ではなく○秋・冬の季節建物では 「一流デパート・大ホテル」ではなく○草庵みな、薄暗い・渋い美である英語における 【IN】 みたいな感じかな?ちょっとちがうかなさびという【陰性の美」 をはじめて認知したのは、藤原俊成であるという驚くべき感性だな~なまこをはじめて食べた人と同じぐらい偉い俊成の後に、連歌師の心敬(しんけい)・宗祇、俳人では芭蕉などが、さびの文芸を代表する □□□□□□□□「わび」は、わびし「形容詞」や、わぶ「動詞」と同系統の言葉ということで 【わびし】を調べてみよう【わびし】は【わぶ】という動詞を形容詞にしたもの【わぶ】という動詞の基本意味は、 be troubled にあたるだから、 悲観する・つらく思う・さびしがる・困窮する等の意味となり、その形容詞【わびし】も、同じ様な意味になるつまり 好感を持てないような筋合いの形容詞なら、たいてい当てはまって、painful という感じで英語に訳す事が多いという(小西先生はスタンフォード大学の客員教授も勤めていたことがある)代表的な訳語は(1) つらい・難儀だ・くるしい(2) 閉口だ・困る・かなわない(3) つまらない・おもしろくない・いやだ(4) 心ぼそい・さびしい(5) みすぼらしい・貧弱だこのうち、【わび】は、(4)と(5)に関係がある □□□□□□□□こういう、「しょぼくれた」、「ネガティヴな」意味合いの【わび】が、ひとつの「美」になったのは、成金趣味へのレジスタンスとして生まれた現象らしい・・・というのが、この小西先生の意見である日本の16世紀の戦国時代が終わると、成金が続出した成金というものは、「見かけが金ピカ」のものを「贅沢品」だと思って茶の湯の道具にもそう言う金ピカ趣味を持ち込んだそれに対して、千利休のわび茶は、あり合わせの道具で、粗末な座敷で、本当に茶の味だけを楽しみのが正しい茶道だとしたこのような「わび茶」に見られるような、【簡素な味】が【わび】である【わび】は本質的に【さび】と同類のものであるちがいと言えば【わび】の方がより【質素・倹約】という意味合いを強く持つ一方【さび】は、かならずしも【質素・倹約】には、限定されないそこで、【わび】を【さび】に比較すると、【さび】が【簡略質素】な性質を含むときの美、ということになる【わび】とは【しみったれ風のさび】と言い換えることが出来るかも知れないただし、行き過ぎは西洋人に【貧乏美】と笑われかねない(と私は思う) □□□□□□□□試しに、研究社の「和英大辞典」をひいてみよう【さび】(1)[古色]patina ; an antique look(2)[老熟]ーのある声 a chestened[practiced] voice.(3)[枯淡・幽雅]elegant [quite] simplicity.「これだけかよ~!」 と言うところだでは、【わび】はどうか?taste for simple and quiet.「単純で静かな趣き」・・・とでも言うのかな?またもや、「これだけかよ~!」であるったく~ □□□□□□□□和英辞典が、国語辞典より役にたつことがある国語辞典では、その細かいニュアンスまで説明しきれないのに、和英辞典で英語に直すと、分析的に多岐に説明が成される場合があるしかし、少なくとも【わび・さび】については、全くダメ、というところだ ★ ★ ★ ★ ★ ★明日は幽玄について
2008.11.27
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【橇(そり)のある風景】【復刻日記】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日は、私の悲惨な半生(笑)をふり返って、「象の墓場」という過去ログをアップしたきょうは、昨日 msk222 さんが寄せられたコメントで触れられた、もう一つの過去ログを続けてアップすることにする恥知らずな私の過去ログもこれで終わりであるこれでスッキリである私の墓を二塔、建てた気持ちである(墓は要らないと言っていたのはだれか?) (笑) ―――― ◇ ――――【復刻日記】【橇(そり)のある風景】昨夜、「老後の楽しみ」というふざけた文を書いたら、作家さんから「英語でエッセイを書いてくれ」とのリクエストをいただいたのだが、私の英語のレベルは、とてもエッセイなど書くレベルではない申し訳ないから、何か思い出すことを、「日本語で」書いてみたい・・・といいながら、いつも私は、スルスルと、いやズルズルと、結末も考えないまま、書き出してしまうのだが・・・とにかく書いてみよう以前「象の墓場」という題で書いた私の恥ずかしい告白日記でも触れたことだが、山っ気の多い私は、長年勤務した商社を退社して、米国で米国人の義弟とヴェンチャー・ビジネスをはじめた当時は、元妻との関係が破綻していて、娘とも別れなければいけない状況になっていたそれまでの生活を思い切って精算して別の大きな人生をつかもうという潜在意識が働いていたのだと思う決断のにぶい、行動に際しては熟慮に熟慮を重ねるタイプの私にしては、断崖で目をつぶってジャンプするような、無謀な、成算の見えないままの暴挙だったもう相当昔の話になる商社を退社して米国に渡り、しばらくの間は、新しい人生に希望を持っていた貯金もたっぷりあったし、今まで出張ベースでしか来なかった米国での生活に新鮮さを感じた米国の東海岸は、それまで駐在していた英国とはまたひと味ちがう、スケールの大きな、清新な空気であるこのビジネスで成功して、ミリオネアになって、自由な生活を楽しもうと思っていたそうなれば、ベンツやBWMだって、何台買ってもいいと思っていた鉄鋼会社が売りに出した巨大な工場を買って、それをかなりの人数の労働者を雇用して改装工事をはじめた改装後は、当時、東海岸で流行の夢のようなウォーターフロント (当時流行の海辺や河川沿岸の洒落た住宅街)を建設する予定だった通勤の時間が惜しいから、フラットも借りず、工場の機械室に寝袋を持ち込んで泊まり込んで、一心に作業をした私に全く理解できない俗語と現場の専門用語?をしゃべる、気のいい米国人労働者達とも、和気あいあいと、うち解けて働いたしかし、世の中はうまく行くとは限らないこのビジネスの開始が、普通のタイミングであれば、案外早めに成功しただろうと思うしかしちょうどこの頃、米国の不動産投資に関する法律が変わり、おまけに住宅ブームがあっというまに去り、一転して不動産不況になってしまった住宅が売れなくなったのであるましてや、モーターボートやヨットの桟橋や倉庫付きの、金持ち向けの豪華施設など買い手もつかないタイミングというものは、人生にいたずらをするものだ退職金やマンションを売却して資金をつぎ込んだのに、そのビジネスがうまく行かないうまく行かないと言うだけでなく、収入が無い状態が長く続いたこのまま私が高い給料をもらっては、そのビジネスも苦しいやむを得ず、そのビジネスは義弟にまかせて、私は恥を忍んで、以前働いた商社の海外店に雇用してもらうことにしたその間に、妻とは離婚し、日本のマンションは売却したのだから、両親が住んでいる実家以外に、フラットを借りる以外に、住むべき家も無いという状態になった商社の海外店では、現地雇用というステイタスで、年下の駐在員の部下という立場にもなった以前自慢したように、私は中東のプラント輸出案件においては、社内はもちろん、業界でも有名なほどの存在だったから、私の上司となる以前から見知っている年下の駐在員も、以前ははるかに格下だったのだが、立場がちがえば頭を下げなければならない彼も、表面的には一応の敬意を表してくれはするが、内心はどういう風に私を思っているか、おおよそ見当はつくまた、その駐在員の働きぶりを見て、「私ならこういう風にするのだが・・」と思っても、立場がちがえば、部下とも成れば、そのようなことを云うべきでもないそれでも駐在員は、ベンツで通勤する私は厳寒のなか、バスを待ち、混んだバスを乗り継いで通勤する私の人生ではじめての「屈辱」というものを、毎日、深く深く感じた二年ほどつとめたその商社の現地雇用員をやめて、ニューヨークで仕入れた米国の女性用ドレスを東欧の市場に売ると言ったような商売までしたただ、重工メーカーとプラント案件の営業をしたようなおおまかな人間に、地を這って店店をまわるような繊維商売はうまくこなせるわけがないそれに、それまでただの貧乏人だと思っていた東欧の商売人にまで、理不尽に威張られる結局そんな商売は、費用がかかっただけで、利益など上げることは出来なかった ―――― ◇ ――――ある時、ある寒い国で暮らしている元妻と娘を訪問したある冬の朝、娘に会う約束で、安ホテルからバスを乗り継ぎ、元妻のフラットを訪れたその週は雪が降り積もっていたフラットの地下の倉庫から、粗末な娘の橇(そり)を持ち出して近くの公園へ向かった失業していても、私の服装だけはロンドンのシティーにつとめていた頃のままであるアクアスキュータムの高価な最高級の黒いカシミア・コートカシミアの白いショール高級スーツそんな私の手を引っ張って、娘はまだ足跡もない雪の中を元気一杯にすすむ朝早い公園はまだ人気も無く、周辺の立木に囲まれて真っ白に広がっていたその公園の真ん中あたりに、ほんのちょっと小高くなった丘のような場所があり、そこから前日あたりに子ども達が橇(そり)で滑り降りた跡が、スロープにクッキリ残っている娘とその小高い場所に上り、橇で滑り降りた緩いスロープだからあまり速度も出ないだからこそ危険性もなく、まだ幼い娘にはちょうどいい歓びの声を上げる娘を抱きしめて、何度も滑った私が橇を離れても、娘は橇遊びをやめないよちよちと、ひとりで橇のロープを背負いながらスロープを上り、頂上に着くと滑り降りるそれを嬉々としてくりかえす「ダディー!」と、娘が私を呼ぶ私に見てもらいたいのだ娘は混血だから、薄い栗色の髪の毛と透き通るような白い肌をしている原色のアノラックを着て、白いスロープを滑り降りる姿は、欧州人であるその姿を見ながら、私の胸は痛んだ私は鬱々として楽しめなかった収入が無くとも、私個人だけの問題なら、本当にどうなってもよかったもともと、「商社のヒッピー」とよばれていた奔放な人間だったのだから例え、無一文になってもよかったただ、私には娘がいるたまたま、久しぶりに娘の国を訪問し、喜ぶ娘と楽しい時間をすごしているようでも、私は我を忘れて楽しめなかった娘を見ていると胸がシクシク痛んだむしろ娘がはしゃぐほど、痛みが強くなったその痛みは鈍い心の深いところの痛みである心の中の宿痾のようなもので、それが去ることはない 秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し 鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや げにわれは うらぶれて こゝかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな ~落葉~ 上田敏訳 ヴェルレーヌ有名なこの歌が、この歌詞が、その時の私の心境に似たようなものだったかも知れないこの無邪気な娘の将来を私は担えるのだろうか?不安も感じないままにこの私を信頼しきっている娘の期待に、果たして私はこたえることが出来るのだろうか?私は商社を辞めるべきではなかったのだ同僚達のように、多少の苦労はあっても、社内的に不遇であっても、先ずは安泰で、高給をとり、世間的にはエリートと言われる、平凡でも安楽な生活を送ろうと思えば送れたのだ私はそれに私の家族はこれから、果たして生活して行けるのだろうか?この寒い白い国にいながら、なすすべもなく無為な時を過ごしている私この冷たい空気が 胸の中にまで吹き込んで、いっそのこと、心臓まで凍りつかせてくれれば、ひょっとするとこの胸の痛みも止まるかもしれない「ダディー!」また、娘の声が冷たい空気の中に響く橇(そり)でスタートするところから、私に見て欲しいのだその方向に手は振るが、もう声は出ない辺りを見回すと、公園をかこむ、まるでビュッフェの絵のような、暗く直線的に屹立する痩せた木立も、かたくななたたずまいの家々も、みなただ白く凍りついていて、娘の声と橇の滑る微か(ひそか)な音以外は、無音の世界である
2008.11.25
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象の墓場 【復刻日記】---------------------「弱者への視点」という日記を昨日書いたのだが、私自身、脱サラに失敗して惨めな生活を送っていたことがあると書いたらおどろいた人達がいる(らしい)(ざまを見ろ!と喜んだ人も、かなりいるだろう) (笑)おどろいた人達は、私がいままで恵まれたリニアー(直線的)な人生を送ってきたものと思っておどろいたようだが、これには私の方がおどろいた私は人生に於いて結構、辛酸をなめているのであるということで、私が非常に恥ずかしい過去を思い切って告白した3年ほど前の日記を、もう一度思い切って (笑) 【復刻日記】としてアップするもう以前に読んだ人もいるだろうし、こういう日記を復刻することは大変恥ずかしいことだが、一度やってしまったことだから、二回目は大したことはない(と思いたい)それに、みなさんも、私の失敗を、以て他山の石としていただきたい (笑) ―――― ◇ ――――【復刻日記】「象の墓場」私は今、認知症で寝たきりの母の介護をしている。それに老父も、主治医から教えられたのだが、実は深刻な病魔に侵されているらしいのだが、本人はそれを知りつつ、さりながら認めたくないらしいし、それになによりもすでに超老齢だから、今さら各種の治療や手術を施してもかえって寿命を縮めるだけだろうから、私としては、敢えて何も言わないでいる。ただ、その父には、せめて何でも欲しいものを買って欲しいと言う気持ちと、思えば幼少のみぎりより今までご恩になっていたわけでもあり、この正月のお年玉として(最後の正月かも知れない)、かなりのまとまった金を渡した。しかし、私のような放蕩息子とちがって、生真面目で気の小さな父は、結局、少々の書籍やCDを買うぐらいであることは目に見えている。まあ、いずれにしても、この一二年の内に、私の両親は逝くだろうと思う。私は、それほど意志の強い男ではないのだが、なぜか、人前で弱音を吐くことが出来ない。特に、自分の悩みや弱さを、人に相談することなど、出来ないというより、考えつかない人間なのだと思う。よく他人に自分の悩みを打ち明けたり相談している人がいるが、私にとってはそんな恥ずかしい、また面倒なことがよくできるな~と思うばかりである。また、それで解決するなどとは露とも思わないこの点は、父や私だけでは無く、母も、昨年死んだ私の妹の1人も、米国在住のもう1人の気の強い妹も、やはり同じ家族なのか、家族全員、そんな気質というか、性格を大なり小なりシェアしている。下の妹はガンだったのだが、最後まで「大丈夫だ 健康状態はよくなっている」と言い続けて、私が駆けつけたときには、もうすでにミイラのようになってしまっていて、間もなく死んでいった。猫や象は、その死に際して、「死に場所を隠す」と言うが、似たようなものかも知れない。悪いことに私の娘も、なんだかそういう悩みを1人で抱え込む性格のようである。もう相当昔の話になるが、商社に勤めていた私は、プラント・プロジェクト全盛の時代、単身、中東のプロジェクト市場に出かけて、大型案件を連続して受註し続けて、社内では「アラビアのロレンス」などとおだてられた時期もあったのである。自分で言うのもなんだが、私はこういうことにだけは才能があったと思う。大型プロジェクトの一つや二つなら偶然と言うこともあるだろうが、ひとつやふたつでは無いし、受注金額も最低数十億円、上に至っては一千億円を越えたのである。それもほとんど私ひとりで、または私が指揮して作り上げた商売であるもっとも商社のプラント案件の受註と言うことは、メーカーとはちがって、商社が自分で一括受注して、なにからなにまで、つまり設計・製作・工事をするわけではないメーカーをまとめてコンソーシアムを結成したり、コーディネーターになったり、なによりメーカーの黒子になって働く場合が多いから、受注といってもある程度割り引いて考えなければいけないかも知れない。ただし、あの中東地区に単身、出かけていって、支店も出張所の協力も無く(彼等に出来ることでも無いし)熱砂の灼ける最果ての土地で将来のプロジェクトを見つけ出し、現地の協力者・エージェントを見つけ出し、英国などのコンサルタント会社に食い込み、その結果、日本の財閥系重工メーカーに参加してもらい、さらに入札後は受注工作を・・・(この部分は非合法な部分があるので割愛する) (笑) と大変なのである。(これは浮世離れした娘に言い聞かせている個所であるので、関係者以外は(笑)「毎日の自慢話もいいかげんにしろ!」と心中秘かに思っても、表だってはそれを言わないで欲しい)その中東のプラント・プロジェクトがやがて一巡して、下火になり、ほとんど日本経済新聞に掲載されるような大型プロジェクトが無くなる時代が来たそのころには、それまでは地味に見えた「単品商品」全盛の時代になり、契約金額は巨額であるが、千三つのプラント・プロジェクトなど「時代遅れ」と揶揄される時代になった。隆盛を誇ったプラント輸出本部もどんどん縮小して、人材も櫛の歯が抜けるように一人去り二人去り、海外駐在員になったり退社したりであった。私もそんな時期に、商社のプラント事業に見切りをつけて、脱サラして米国でのビジネスを始めたのだが、ちょうどその米国での住宅ブームが去ってしまって、私のビジネスは長い期間の雌伏余儀なくされた。早い話が金がほとんど入ってこないのだ。私は、今までに一度書いたことがあると思うが国際的なバツイチである。結婚が破局しているということは、数年してわかった。それからはいわゆる家庭内離婚状態だったが、さらには、別居になり、私が脱サラしてからは、さらには国際的な別居になった。娘の親権と養育は、妻に任せた。父親が娘を育てるよりは、母親に育てられると言うのが一般的だと思う。私もそうした。間もなく、海外の家裁で離婚した。私の妻は、離婚に際しての慰謝料は要求しなかった。ただし妻は、「私はあなたという人間を知っていて、法律より信頼しているから、法廷での決定はどうでもいい。ただし、家裁では娘への養育費を合意しないと裁判所が離婚を認定してくれないから、裁判では名目的な養育費を合意しよう」と言ってくれた。法廷ではとりあえず、養育費を名目的に月額200ドルという少額にした。それでも、ほとんど収入のない状況で、毎月、養育費を送金するのは辛かった。もちろん、実際には月額200ドルなどと言う少額ではすまない。先ず生命保険を解約し、ガン保険も解約し、家族の保険も解約した。貯金もどんどん使って、残金も少なくなった。本業?が利益を上げてくれないので、欧州で小規模な貿易など、サイドビジネス的なこともやってみたが、それとてうまくは行かなかった。困っているパートナーとビジネスをやると、そのパートナーが使い込んでしまったりするのだ。それを責めても、もうその金は無いのだから、責めないまま話もせずに別れた。その間、海外である女性と出会って、彼女のフラットで、一二年、同棲していた頃がある。彼女はとても知的な女性で、話をしたり旅行をするのが楽しかった。しかし、父親から「もう私達も年だから、日本に帰ってきてくれ」と懇願されて日本に帰国することにした。日本に帰ってくると両親の実家はあるので、少なくとも宿泊の費用だけはかからない。言わば私は、両親にパラサイト(寄生)したニートだったのかもしれない。日本で再就職の努力も多少はしてみたのだが、私のような経歴の人間は使いにくい典型のようで、そういうエージェントに行っても再就職先は見つからなかった。元妻は大学で教えているのだが、職業柄、それほどの収入はない。それもあって、娘への仕送りは相変わらず続け、それは負担となって私を苦しめた。いよいよ貯金も底をつきかけたころから、私はほとんど外食をしたことがないし、衣類を含めほとんど私的な買い物をしなかった。財力が無いし、娘への送金もあるというのが直接原因だが、その他に、いざそのような境遇になってみると、人間は無い無いずくしでも、部分的にはパラサイトながら、生存だけは出来るものだと実感した。確かに、ただ生きているだけではあるのだが、逆に「まだ生きている」というリアルな実感もあった。今でも「パラサイト」とか「ニート」とか言う言葉を見聞きすると恥ずかしいし、私の胸が微かに痛む。それでも、毎年、夏には娘を日本に呼び寄せて夏休みを好きな日本で過ごさせたし、表面的にはなんと言うことはない家族に見えたかも知れない。そんな折、非常に運がいいことに、昨年、長い間塩漬け状態だった米国での事業を売却することができ、ようやくまともな生活が出来ることになった。その金が入ってきたのは、ほぼ年末だったが、昨年の私はそれまでにすでに、夜の巷を徘徊して飲むことが多くなった。なぜか?を考えてみたら、それまでの長年の我慢が限界を超してしまったのと、米国でのビジネスの売却話が「ほぼ」決まったこともあり、さらには親の介護というエンドレスで疲労の溜まる、命の縮まる作業をしていることもあって、要するに一種、精神的に「切れてしまった」のだと思う。商社マン時代は、自費であったり、接待であったりだったが、毎日のように楽しく夜の世界で遊んでいた。勉強もしたことが無く、知的にも生きてこなかった私だから、久しぶりの夜の世界が楽しかった。久しぶりに、華やいだ雰囲気で、人と話をするのも楽しかった。しかし、昨日の日記にも書いたように、ちょっと久しぶりの夜の世界で、瘋癲老人の私がオーバーラン気味である。スピード違反気味でもある。今年はこれから、しっかりブレーキを踏みしめて行きたいと思っている。先日、娘に国際電話をかけて、話のついでに、私の今までの苦難の歴史をちょっと話したら、「お父さんがそんなに苦労していたとは知らなかった」という。電話を換わった元妻(再婚はしていない)もやはり、極限状態にあった私の状況など、そのようには理解していなかったという。「車も古くなっただろうから買い換えてはどうか?金を送ってやろうか?」というと「車はまだまだ使えるから大丈夫 alex あなたは素晴らしい人ですよ」と、気が強いが感激家の彼女はそう言う。私はそこまでの人間ではないが、私の今までのそんな状況を感じない娘と元妻の鈍感さにも驚いたまた、この私自身がおおよそ私的な悩み事に関するグチや悲鳴を、人に打ち明けることが出来ない人間であるとあらためて思った。座して死を待つ傾向がある。「象の墓場」へ行くタイプである。そう言えば、この楽天日記では、結構、グチを書いて来たかも知れない。少しはガス抜きになっていたかも知れない。これが私にとってのブログの効用という所かも知れない。ちょっと私の人生のある部分・側面を、総括してみたが、主に娘が読んでくれればと思って書いたものなので、ほとんどの人には面白くもない話だろうと思う。娘と話す機会は結構あるのだが、それに娘に私の昔の女性の話などは結構オープンに打ち明けたりする私だが、こういう苦労話はなんだか金縛りにあったように出来ないので、ブログに書いておくことにする。
2008.11.24
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■弱者への視線Msk222 さんのブログの最新記事 「敗者への生への想像力」共感したので、コメントした以下は私のコメント ―――― ◇ ――――>ここには、「敗者(反逆者)への想像力」「権力嫌い」「信長嫌い」といった藤沢周平を語るとき避けてとおることのできない重要なテーマこの日記、および藤沢修平氏の視点に共感しています私もどうも信長がダメで、明智光秀が好きなのです光秀は堅物過ぎる、保守的であるというマイナス面(私からすれば)もあるのですが怪物のような、肉食動物のような「勝者」にでは無く、弱者の方に、人間らしさ、滅びの美を感じます日本人的な感性かも知れません弱者の典型、ホームレスの人びとへのスタンスも人それぞれです私が以前、あるBBSでホームレスの人びとへの思いを述べたら、それまで仲のよかった若い真面目な女性達が、「ホームレスは怠け者」と断罪し、さらに返す刀で、彼等を擁護する私もはおかしい人間であると切り捨てられましたこれは本当に意外でしたホームレスにまでになるプロセスには、人それぞれの、いろいろなことがあったでしょうし、自分でそれでよしとするホームレスの人達も少ないでしょうそれに例え彼等が少々怠け者でも、意志が薄弱でも、それを含めて弱者であること、および不運であったことなどに対する同情と寛容の心を持ちたいと、私は思っていますが ―――― ◇ ――――「涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味はわからない」とゲーテが言ったと言うが本当だろうか?(私が疑ってもしかたがないのだが) (笑) 裕福な家のボンボンで、末には宰相の地位にまで駆け上ったゲーテが貧乏したとは、考えられないこの点は、貧乏な苦闘時代を経験した私とは全くちがうただ数多くの「失恋」で涙を流したかも知れないこの点は、この点は残念ながら同じである (笑) 「涙と共にパンを食べた」これは私も経験したことである残念ながら、経済的な理由からである脱サラして、小さいながらも事業を試みて失敗した後の事であるホームレスの人達に向ける私の視線が、同情と慈愛に満ちた温かいものであるのも、このような事情からなのである (笑) ―――― ◇ ――――今年もそろそろ年末であるホームレスの人達は凍えている凍死の危険性もある不要な衣類や寝袋を送ってあげましょう支援の NPO などが受け付けています「ホームレス]「NPO」などのキーワードで検索してみてください私も今年はまだ送っていなかった作業しよう
2008.11.23
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■ビッグ・スリーはもう死んでいるこういう記事がある ―――― ◇ ――――○ ビッグスリー救済案先送り 米議会、採決を来月初めに 産経新聞 2008年11月21日(金) 販売不振と資金難で経営危機に陥ったビッグスリー(米自動車3大メーカー)への支援をめぐり、議会多数派の民主党指導部は20日、記者会見し、250億ドルを緊急融資する救済法案の採決を来月初めに先送りすることを明らかにした採決は同日予定していたまた、救済の是非を判断するため、3社に対して経営改善計画の提出を求めた ビッグスリーは緊急融資の早期実現を議会に求めていたが、その行方が不透明となり、ニューヨーク株式市場の株価は急落した 下院公聴会では、ワシントンに来るため社有ジェット機を使っていたことが判明し、経営陣の感覚のズレも問題視された民主党のリード院内総務は「自動車産業の首脳たちは、米国民と議会にこの救済が最後だと納得させることができなかった」と強調した ペロシ下院議長も「彼らが計画を示すまで、お金を見せることはできない」と述べ、緊急融資の返済を裏付ける収益改善計画を議会に提示するよう求めた 提出期限は12月2日。支援が妥当と判断されれば、議会は同月8日に再招集されるという 一方、民主党のレビン上院議員(ミシガン州)ら、米自動車産業の拠点が集結する中西部各州選出の超党派議員団は同日、低燃費車増産を目的に議会ですでに承認された250億ドルの低利融資制度を転用してビッグスリーに緊急融資する妥協案をまとめた 民主党が今週提出した金融安定化法の7000億ドルの公的資金枠を活用する法案と異なり、ホワイトハウスも「大統領が署名可能な案」(ペリーノ大統領報道官)としている しかし、ペロシ下院議長ら民主党指導者は、環境エネルギー政策の一環である同融資制度を資金繰り支援に転用することに強く反対し、あくまで金融安定化法の適用を主張。現時点で「上下両院で可決でき、大統領が署名できる法案はない」(ペロシ氏)とした ―――― ◇ ――――大変なことになっている要約して言えば、GM・フォード・クライスラーの米自動車大手、いわゆる「ビッグ・スリー」が、最近のリーマンショックで、「ますます」経営危機に陥り、政府に緊急融資という形の救済を求めたしかし、議会(下院)はこれに対して、「納得いく返済計画を提出しろ!」と、ビッグ・スリーに宿題を与えたわけである言いかえれば、素直に、即座の救済はしなかったのであるというのも、この恐慌に近い経済危機の中で全ての国民および経済界が苦しんでいる状況下であるから、如何に米国の基幹産業であるデトロイトに対してであろうとも、自己責任と平等の精神から(今の段階では)特別扱いはしないということである ―――― ◇ ――――しかし、GMなどは、その宿題提出の12月にも資金繰りに詰まるという予測であるまた現在の政府・共和党は救済をよしとしていないそうなれば救済は事実上、時間切れになる恐れもあるその一方、オバマ次期大統領がビッグ・スリーの救済を唱えているから、最終的には民主党主導で、なんらかの救済が実行される可能性も強い果たして、このどちらに転ぶのか?米国と言えばいわずと知れた ・ モータリゼイションの本場・ 自動車社会の先駆者でる世界に冠たる自動車王国であるその米国が、今正に自国の自動車メーカーを全て失うかどうか?という瀬戸際に立たされているもし彼等が全部こけたら、部品メーカーなどの裾野をふくめて、総計、約360万人の労働者が職を失うという大惨事である事態は予断を許さない重大な局面を迎えているのである ―――― ◇ ――――ただ、来年からは保護主義的な民主党政権となるのだから、ビッグ・スリーが一時的にせよ、救済されれば、その救済策以外にも、追加的に、いろいろな優遇策・救済策が施策として浮かび上がっては来るだろうしかしこれは、今回の救済策同様、自由主義経済を唱える大本の米国の精神から見て、正反対の施策であるすでに米国に進出している日本や欧米の自動車メーカーにすれば、「冗談じゃない!」と言うところであろう「フェアな競争をしてくれよ!」と言うところであろうしかし、米国はもう、なりふりを構っていられないのである ―――― ◇ ――――しかし・・・である私が見るところ、如何に手を尽くしても、もうビッグ・スリーは死んだと思う企業として、いったん失った競争力は取り戻すことが出来ないと見るその原因は「R&D」であるR&D とは、Research and Development「研究開発」である自動車産業とは、毎年、魅力的な新型を発表し、環境対策をほどこし、ガソリン以外のエネルギー源に対する対処においても、競争相手と熾烈な競争をくり返して生き残らなければならない過酷な産業であるその新型や、環境対策や、新型エンジンの開発には巨額な研究開発費(R&D)を必要とするのである産業によっては、一度、頭角を現せば、ある一定の期間はそのまま研究開発をそれほどしないでも言い種類の産業もあるしかし、自動車産業とは、他産業に対して、優れてR & D 経費が突出した産業であると思う日本企業の新型開発力、環境対応力、ハイブリッドなど先進的エンジンの開発力の研究開発では、世界でトップであるというのも、先進的に、「R&D」に惜しみなく資金を投入しているからである未来志向であるからであるそれに対して、米国メーカーは、その分野において後れを取っていた燃費の悪い大型車を売って平然としてきたのであるしかも、今の米国メーカーは、資金繰りに困って、明日の生活費にも困るという、まるであの小室哲哉のような状況である一時的につなぎ融資を得られても、たこ足、または自転車操業となることは火を見るより明らかであるとてもこれから、例えば日本メーカーに追いつき打ち勝つほどに、継続的に R & D に巨額の資金をつぎ込めるほどの資金的余裕が生まれるはずがないしかも、それに加えて今は、自動車産業にとっても大変身を要求されている時代である原油代金の高騰や、環境対策という今までに無い過酷な条件に対応し得たものしか生き延びることが出来ない、過去にその例を見ない時期であるますます R & D 次第で競争力が違ってくる時代であるその結果として、研究開発の成果を反映しないその製品は、当然、今まで以上にその競争力を失い、市場から見向きもされないものとなるだろうまあ、どう見ても、敗者復活のシナリオは見えてこない
2008.11.22
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■オバマ政権は旧クリントン政権の継承か?オバマ氏が次期大統領となったそれはそれで結構である私もオバマ氏は、誠実で知的で正義感のある素晴らしい人物であると推測する従来の米国の戦争経済を方向転換させる可能性があると期待する今のところ・・・と言う限定であるがしかし、私は民主党政権というものは、クリントン元大統領以来、どうも嫌いであるクリントンの「ジャパン・パッシング(頭越し)政策」というのが嫌いだった中国を訪問した帰路にも日本に立ち寄らなかった親中で、日本無視政策・嫌日政策とさえ思ったクリントン夫妻は中国ロビーから、数十億円という巨額の献金を受け取っている言わば、中国に買われたといってもいいヒラリー・クリントンも日本には無関心だったという一方、日本に対しては強硬な貿易政策をとった次期副大統領になった民主党上院の古ダヌキ、バイデン議員などは、日本人に対して人種偏見も持っていて「日本人はずるい民族」と言い放ち、反日的な言動であったというまた、オルブライト国務長官(ユダヤ系チェコ人という出自の女性)など、北朝鮮に乗り込んだものの、かの金丸のように北朝鮮にだまされたその様子が『ウィキペディア(Wikipedia)』にこう書かれている-----○ 2000年に訪朝し、金正日と会談、マスゲームを見て心酔して金正日体制を積極的に擁護、後の北朝鮮核開発及び人権抑圧政策を黙認するなど、現在の国際問題の発生源を結果的に見過ごしたという失敗が指摘され-----このオルブライトが、今回訪米した麻生首相側近の応接相手になっている-----○ 松本官房副長官、オバマ次期大統領の外交代理・オルブライト元国務長官らと非公式会談麻生首相に同行してワシントン入りした松本官房副長官が15日、オバマ次期大統領の外交代理であるオルブライト元国務長官らと非公式に会談した。この中で、北朝鮮問題に関して松本副長官は、対話重視路線のオバマ氏側に対し、拉致問題解決の重要性を訴えたとみられる。 -----この拉致問題解決への訴えに対して、親北朝鮮?のオルブライトは、松本氏をいなして、なんら明確な返答をしていない親北朝鮮派としては当然であろうまた、こういう記事もある-----○ オバマ次期政権、金融サミットにオルブライト元国務長官ら派遣-----このオルブライト以外にも、オバマは旧クリントン政権の要人を自分の新政権の重要ポストに起用し始めている-----○ オバマ新政権はクリントン回帰?閣僚候補で目立つ名前 オバマ新政権 【ワシントン=黒瀬悦成】オバマ次期米大統領が進める、来年1月発足の新政権の陣容固めが具体化し始めた。 しかし、オバマ氏が「ワシントン政治の変革」を掲げて大統領選を勝ち抜いたのとは裏腹に、閣僚や政権幹部の候補として名前が浮上しているのは、オバマ氏から国務長官就任の打診を受けたとされるヒラリー・クリントン上院議員を筆頭に、クリントン前民主党政権(1993~2001)の関係者が目立ち、「事実上のクリントン回帰だ」との指摘さえ出始めている。 クリントン上院議員は14日、ニューヨーク市内で行った演説の中で、就任打診をめぐる米メディアの報道について、「オバマ陣営に聞いてほしい」として明言を避けたが、実現すれば、政権の目玉として多大な存在感を発揮するのは確実。また、夫のクリントン前大統領も民間外交などの分野で政権に参画すると見られているほか、ノーベル平和賞受賞者のゴア前副大統領も環境政策の「元締」的な役割を務める可能性が高いと目されている。 さらにオバマ氏は、ブッシュ政権からの業務引き継ぎや閣僚・高官人事を取り仕切る政権移行チームの実質的トップに、クリントン前大統領の首席補佐官だったジョン・ポデスタ氏を起用。選挙から2日後の今月6日にオバマ氏の首席補佐官に指名されたラーム・エマニュエル氏も前大統領の上級顧問を務めていた。 また、バイデン次期副大統領の首席補佐官には、ゴア前副大統領にも首席補佐官として仕えたロン・クライン氏が最有力視され、次期正副大統領は「懐刀」をクリントン・ゴア組から引き継ぐ公算が大きい。 金融危機への対応をめぐっても、クリントン時代の財務長官だったローレンス・サマーズ氏の返り咲きを予想する声が広がっている。こうした人々を登用し過ぎれば、オバマ氏が選挙戦で唱えていた、新鮮な発想や人材を駆使しての「ワシントン刷新」の理想からは遠ざかりかねず、オバマ氏は今後、難しい判断を迫られそうだ。(2008年11月16日03時03分 読売新聞)----- ―――― ◇ ――――もちろん、ブッシュ政権がいいといういことで決してないしかし、オバマ政権だから単純に「チェンジ」で大丈夫と言うことではないのである私はブッシュはバカな悪魔だと思っているバカは衆知の事実だが、人類に対して取り返しのつかない大失敗を数多くおかしている例えば、これにとどまらないが、下記の二事項である○ 京都議定書に対する反対○ イラク侵攻ブッシュは昨年、こういう事も言い放っている-----○ ブッシュ大統領 京都議定書は「悪い政策」2007.10.16 19:07 【ワシントン=渡辺浩生】ブッシュ米大統領は15日、アーカンソー州での講演後の質疑応答で、地球温暖化対策をめぐって参加先進国の温室効果ガス削減計画を定めた京都議定書について「悪い政策だと思う」と述べた。----- ―――― ◇ ――――それにしても、日本の小浜市は、日本の恥であるオバマ氏自身をなんにも知らないのに、ハッピを着て集団で「オバマ オバマ」と踊り狂っているただただ、観光収入を増やしたいらしい拉致被害者の地村夫妻さんは、この小浜市で拉致被害にあったのである現在は確か、市役所勤務である-----○ 辛容疑者は一九七八年七月七日午後九時すぎ、他の数人とともに、小浜市青井の小浜公園展望台に夜景を見に来ていた地村さんと富貴恵さん(旧姓浜本)を近くの海岸から船に乗せ北朝鮮へ連れ去った疑い。-----小浜市は今後、恥ずかしいパーフォーマンスばかり見せるばかりでなく、オバマに拉致事件を訴えるべきである北朝鮮に感銘した、古狸、オルブライトにも拉致現場を見せるべきであるホロコーストを思い出し、少しは反省するかも知れない
2008.11.21
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■ボージョレ・ヌーヴォーなんて、飲むなっ!こういう記事がある ―――― ◇ ――――フルーティーな味わい、輸入量は2割減 ボージョレ解禁 フランス産赤ワインの新酒「ボージョレ・ヌーボー」が20日午前零時、解禁された。(中略) 今年のヌーボーは、ぶどうの収穫期の天候がよかったことから、「味はフルーティーで上々」(サントリー)という。ただ、消費の冷え込みもあり、輸入量は、前年を2割程度下回る見通しだ。 ―――― ◇ ――――「ボージョレ・ヌーヴォー」とは、フランス・ブルゴーニュ地方の南端に位置するボージョレ地区で、9月頃収穫したガメイ品種のぶどうを使いその年に出荷される新酒のことであるまたこういう記事もある ―――― ◇ ――――フランスのワイン法でボージョレ・ヌーヴォーは11月の第3木曜日に解禁と決められており、それ以前にお客様に販売することはできません。解禁日は全世界で同一日ですが、日本では時差の関係でヨーロッパより8時間近く早く飲めます。ワイナリー出荷日は解禁日よりも一週間前になり、毎年決められます。 ―――― ◇ ――――こういう記事もある ―――― ◇ ――――フランスのボージョレ地区で、ガメイ品種というぶどうを原料にしてマセラシオン・カルボニック製法という醸造技術でつくられています。伝統的なマセラシオン・カルボニック製法は、密閉ステンレスタンクに収穫した黒ぶどうを破砕せずに詰め数日間置いてから、発酵途中のブドウを圧搾機に掛けて、液発酵でアルコール発酵の続きを行う方法です。フルーティで若いうちに新酒を楽しむことができます。 ―――― ◇ ――――ここからが私の言いたいことなのだが今年のボージョレ・ヌーヴォーは、11月20日(木)が解禁日となったそれで日本では大騒ぎであるなんでも、フランス以外でボージョレ・ヌーヴォーがこれほど消費されるのは日本だけらしいなんともバカらしい風潮である!!(ここから私の怒りがはじまるのである) (笑) ―――― ◇ ――――だいたい、ボージョレ・ヌーヴォーなんて、毎日、ワインを飲んでいるフランス人だからこそ意味のあることである・その年のワインの作柄を知るため・目先の新しさを求めるため・日本で言えば江戸時代の「初鰹(はつがつお)」みたいなもの つまり、見栄っぱりの「初物買い」なのである縁起物と言ってもいい「目には青葉山ほととぎす初鰹」と江戸中期の俳人山口素堂の句に詠まれているワインなんて、ほんの最近になって飲み出しただけの日本人が、海の向こうの、「フランスの初物」を大金を出して飲んでどうする?こんなの、フランス人の風習なのだ飲むんなら、国産の甲府ワインか、十勝ワインを飲んでやれっ!だいたい、フランス人が、五月にカツオを食べるか!?それにボージョレ・ヌーヴォーなんて、大してうまいものでもないちょっとフルーティーなだけで、言いかえれば酸っぱいワインであるヴィンテージものの、深い、コクのあるうまさとは、まったく趣をことにする街頭でのテレビ局のインタヴィューに答えて、女性達が「おいしい!」なんて言ってるが、ワインだって、ろくにわかっていないくせに、なにが「おいしい」だっ!?江戸っ子の初鰹みたいに、「女房を質に入れても・・・」という、立派な覚悟があればいい(なお、女房を質草にとってくれる質屋さんを知っている人は、ぜひ私に知らせて欲しい!)(あ そういうことではなかった・・・)そんな覚悟も無いのなら、なんにもならないボージョレ・ヌーヴォーなんか高い金を出して飲むな!今年は、ボトル、3000円だそうであるこの円高なのに、昨年より500円高だそうである3000円あれば、越乃寒梅でも買ってやれっ! ―――― ◇ ――――>解禁日は全世界で同一日ですが、日本では時差の関係でヨーロッパより8時間近く早く飲めます。私がロンドン支店にいた頃、食料部がボージョレ・ヌーヴォーを仕入れて日本に送ることになったその発送前に社内で、ボージョレ・ヌーヴォー・パーティーを開いたことがある日本では欧州より一足先(と言っても時差分だけだが)にボージョレ・ヌーヴォーを飲めることになるが、このパーティーは、日本への発送以前だから、さらにそれより早くのめるということになった私も、おかげでボージョレ・ヌーヴォーをガブガブ飲んだしかし不味いワインだから!!(まだ言ってる)、日本のみなさんには飲んで欲しくない(勝手かな?)さて、今夜は、また寒そう越乃寒梅をボトルキープしている行きつけの飲み屋に行くとするか
2008.11.20
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今日は蕪村関西大学学長室というページがあるその中に関西大学学長のメッセージがあるそのメッセージが、蕪村について語っていて印象的なので、その一部を、引用させてもらう私は別に関西大学の卒業生でもないが、蕪村を検索していたらここに至ったのであるいい学長さんだな~ ―――― ◇ ――――立夏深緑――エスカレーターと与謝蕪村におもう(前略) これまで、四季それぞれに景観をみせてくれる、この階段と坂道を登っていきますと、きまって与謝蕪村(1716~83)の歌が、心にうかんだものでした。 「愁(うれ)ひつゝ 岡にのぼれば 花いばら」(『蕪村句集』) 「陽炎(かげろう)や 名も知らぬ虫の 白き飛ぶ」(『蕪村句集』) 蕪村の研究者として有名な同僚、藤田真一教授の名著『蕪村』(岩波新書、2000年)によりますと、石川啄木の『一握の砂』に収録されている次のうた、 「愁ひ来て 丘にのぼれば 名も知らぬ鳥 啄(ついば)めり 赤き茨(ばら)の実」 と詠う短歌は、じつは上に引用した蕪村の二首を「本歌取り」したものだそうです。(本書はこんな事実を解き明かしてくれる、読み応えある書物です。)先日、その藤田真一教授から全398頁の分厚い図録『与謝蕪村――翔けめぐる創意』(2008年3月刊)を頂戴して、深緑に囲まれた忍者と陶芸の里、滋賀県甲賀市信楽町にあるMIHO MUSEUM を見学にいってきました。それは、このミュージアムで開催されている「与謝蕪村展」を鑑賞するためでした。 文人、与謝蕪村は摂津の国の毛馬(けま)村、いまの大阪市都島区の生まれ。20代に江戸および関東で修学し、39歳から3年間、丹後の宮津に移り、以後その死まで京都の地に暮らしました。京都に生まれ、大阪の大学、大学院で修学し、40歳以降、ずっと大阪の関西大学に勤めている私は、なぜか蕪村その人と「品がよく、洗練された」蕪村の歌が大好きで、親近感をもちつづけているのです。片想いのように……。 それだけではありません。18世紀の江戸中期に生を受け、「歌(俳諧)と絵と書」を統一的に習得しようとした与謝蕪村の理想は、中国の文人とくに明、清両時代に生きた中国の知識人が理想とした「詩書画」の三位一体論をモデルにしたものに違いない――という考えを確認したい、とおもいつづけているのです。 今回の「与謝蕪村展」では、アメリカと日本各地から集められた147点の作品を、楽しむことができます。そのために、蕪村の68年の人生の軌跡を、芭蕉へのまなざし、放浪の雲水、蕪村をめぐる人びと、唐土(からくに)と日本(ひのもと)など――といった分類によって展示しているのです。パリのルーブル美術館に新設されたガラス製ピラミッド部分やワシントンのナショナルギャラリーの東館を設計した、著名な建築家、I.M.ペイが設計したこの素晴らしいミュージアムに展示されている、軸、巻子、屏風仕立ての蕪村の絵画と俳諧、また書籍や書簡は、見学する人びとに大きな刺激と感動をあたえてくれます。 それらの展示品のなかには、わが関西大学の図書館が収蔵する『其雪影』全2冊(1772年刊)、京都の寺町通五条上ルにあった汲古堂で天明4年(1784年)に上梓された『蕪村句集』全2冊(藤田教授の解説によると「蕪村を代表する名句が、ほぼ網羅されている」発句集)なども展示されていて、私は学長として誇らしい気持ちになりました。 俳諧に添えられた日本の風土に根ざした絵の多くは、大津絵や北斎漫画を連想させるユーモアのある画風で、見る人の心を和ませてくれます。 しかしながら、私がいちばん感激したのは、晩年の蕪村が63歳以降、「謝寅(しゃいん)」という中国風の画号の「落款(らっかん)」を用いて描いた中国的画風の絵画の数々です。たとえば、「武陵桃源図」「王維・阿倍仲麻呂図」、さらに文化庁が保管している重要文化財の「寒山拾得図」(1781年)は、まさに逝去する2年前の作であります。 これらの蕪村の最晩年の作品を見てつよい衝撃をうけたのは、俳諧では松尾芭蕉(1644~94)と、文人画では池大雅(1723~76)と並び称せられた与謝蕪村という天才的な人物が、その死まで努力に努力を重ね「漢文の賛」と絵と字体に創意工夫をこらし向上をはかったその事実を、目の当たりにしたことです。 その衝撃は、また京都国立近代美術館で開かれている「秋野不矩展」でも、つよく感じました。「新しい“日本画”の探求者」と評され、文化勲章を受章した女流画家の秋野不矩(あきのふく、1908~2001)もまた、みずからが死ぬその日まで努力と精進をつづけた人だったのです。 彼女は91歳のとき1999年2月7日から3月19日まで、インドに写生旅行にいきました。なぜなら、「インドは、植物も動物も実にバイタリティがある。……人間にも底力がある」からでした。さらに死の前の年、すなわち92歳のときの2月にも約1ヵ月,サハラ砂漠、マリ、ガーナ、ニジェールなどアフリカの地に旅して、力強い作品を描きつづけたのでした。 与謝蕪村と秋野不矩の展覧会を見学して、あらためて私は教えられました。人間は死ぬまで、前向きに努力しつづけなければならないということを。
2008.11.19
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msk222 さんの講義「俳句・川柳―棲み分け論」昨日、乱入? して「放哉」および「層雲」について解説してくれた msk222 さんこと「いとう岬さん」は、川柳の世界では名の知れた大家である「たいか」であって、「おおや」ではない念のため (笑) 昨日のこのブログで msk222 さんが解説してくださった事に関連して、Rinnさんが msk222 さんのブログで、さらにある質問をされていて、それに対して msk222 さんがご自分のブログで返答されているので、お読みになってください「自由律俳句」人はなぜ破天荒に ―――― ◇ ――――俳句について言えば、私は msk222 さんから以前に、「川柳と俳句」の違いについて、私と msk222 さんのブログで交流しながら、親切にくわしく解説してもらったことがあるところで、msk222 さんが、ご自分の別のHPの中で、その時のやりとりの一部始終を、うまくダイジェストしながら、書いておられることがわかったHPは「いとう岬の文芸工房」というものその記事を下記にリンクするので、興味のある方はどうぞご覧になってくださいタイトルは「俳句・川柳―棲み分け論」「英語俳句、英語川柳について」というテーマも含んでいる○ 私たちが「川柳」と思っていたものが、本当の川柳なのか?○ 俳句と川柳のちがいとは、どういうものか?そんな疑問が、このわかりやすい解説を読めば、見事に氷解するのであるやはり、「大家」だな~と思うのであるP.S. お世辞ではありません
2008.11.18
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今日は山頭火もちろん山頭火も好きである一部抜けているが春陽堂の「山頭火全集」を持っているただ、私は放哉の方が好きである同じ破滅型であるが山頭火は人間らしすぎるちょっと不潔である山頭火は、人を、酒を求めて歩き回るが、放哉は一点で一人でじっとしているあるブログで、放哉と山頭火のよく似た句を数多く並べてあるのを見つけた興趣というか、興味が尽きない引用したいが、ブログオーナーに許可を取ってリンクしてからにしたい折悪しく私のメールソフトが故障しているので修理してからとする急ぐつもりである ーーーー ◇ ーーーー種田山頭火 『山頭火句集』1996 ちくま文庫「松岡正剛の千夜千冊」から、この個所だけ抜き書き・引用する ーーーー ◇ ーーーー・・・では、久々に句集を開いてみて、いまこの時点で響いた山頭火の何句かを書きだしておく。ほぼ『草木塔』から採った。 炎天をいただいて乞ひ歩く しぐるるやしぐるる山へ歩み入る 雨だれの音も年とつた うしろすがたのしぐれてゆくか いつまで旅することの爪をきる ここにおちつき草萌ゆる 水音しんじつおちつきました ぬいてもぬいても草の執着をぬく 何が何やらみんな咲いてゐる 松かぜ松かげ寝ころんで 遠山の雪も別れてしまつた人も 何か足らないものがある落葉する 月のあかるい水汲んでおく 春の海のどこからともなく漕いでくる 鎌倉はよい松の木の月が出た
2008.11.16
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尾崎放哉選句集 その5 須磨寺時代青空文庫の尾崎放哉句集をコピペ青空文庫さんに深謝( )内は、同じ句ながら別表記のものです[須磨寺時代] 大正一三(一九二四)年、放哉は一燈園の先輩の世話を受けて、兵庫県西須磨の須磨寺大師堂の堂守となる。『層雲』に投稿を始めた頃からの自由律俳句に磨きがかかるのは、この時代である。 ―――― ◇ ―――― あすは雨らしい青葉の中の堂を閉める 一日物云はず蝶の影さす 友を送りて雨風に追はれてもどる 雨の日は御灯ともし一人居る なぎさふりかへる我が足跡も無く 軽いたもとが嬉しい池のさざなみ (軽いたもとが嬉しい池のささなみ) 静もれる森の中をののける此の一葉 井戸の暗さにわが顔を見出す 沈黙の池に亀一つ浮き上る 鐘ついて去る鐘の余韻の中 炎天の底の蟻等ばかりの世となり 山の夕陽の墓地の空海へかたぶく 柘榴が口あけたたはけた恋だ たつた一人になりきつて夕空 (たつた一人になり切って夕空) 墓原路とてもなく夕の漁村に下りる 高浪打ちかへす砂浜に一人を投げ出す 雨に降りつめられて暮るる外なし御堂 昼寝起きればつかれた物のかげばかり 何も忘れた気で夏帽をかぶつて ねむの花の昼すぎの釣鐘重たし 氷店がひよいと出来て白波 父子で住んで言葉少なく朝顔が咲いて 砂山赤い旗たてて海へ見せる 声かけて行く人に迎火の顔あげる (声かけて行く人に迎火の顔をあげる) 蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る ほのかなる草花の匂を嗅ぎ出さうとする (ほのかなる草花の香ひを嗅ぎ出さうとする) 潮満ちきつてなくはひぐらし (潮満ち切ってなくはひぐらし) 空に白い陽を置き火葬場の太い煙突 むつつり木槿が咲く夕ベ他人の家にもどる いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘 蛙の子がふえたこと地べたのぬくとさ 何かしら児等は山から木の実見つけてくる 船乗りと山の温泉に来て雨をきいてる あらしの闇を見つめるわが眼が灯もる 海のあけくれのなんにもない部屋 銅銭ばかりかぞへて夕べ事足りて居る 夕べひよいと出た一本足の雀よ たばこが消えて居る淋しさをなげすてる おだやかに流るる水の橋長々と渡る (をだやかに流るる水の橋長々と渡る) 空暗く垂れ大きな蟻が畳をはつてる 蟻を殺す殺すつぎから出てくる 雨の幾日かつづき雀と見てゐる 雑巾しぼるペンだこが白たたけた手だ 友の夏帽が新らしい海に行かうか 写真うつしたきりで夕風にわかれてしまつた 血がにじむ手で泳ぎ出た草原 昼の蚊たたいて古新聞よんで 人をそしる心をすて豆の皮むく はかなさは燈明の油が煮える 刈田で烏の顔をまぢかに見た 落葉木をふりおとして青空をはく からかさ干して落葉ふらして居る 傘さしかけて心寄り添へる 赤とんば夥しさの首塚ありけり 障子しめきつて淋しさをみたす 庭石一つすゑられて夕暮が来る 木槿が咲いて小学を読む自分であつた 藁屋根草はえれば花さく (藁屋根草はへれば花さく) 今朝の夢を忘れて草むしりをして居た 鳩がなくま昼の屋根が重たい マツチの棒で耳かいて暮れてる 栗が落ちる音を児と聞いて居る夜 夕ベ落葉たいて居る赤い舌出す 自らをののしり尽きずあふむけに寝る 何か求むる心海へ放つ 大空のました帽子かぶらず 仏体にほられて石ありけり (佛体にほられて石ありけり) 足音一つ来る小供の足音 何かつかまへた顔で児が藪から出て来た 昼だけある茶屋で客がうたつてる 打ちそこねた釘が首を曲げた 烏がだまつてとんで行つた 昼ふかぶか木魚ふいてやるはげてゐる 妹と夫婦めく秋草 小さい火鉢でこの冬を越さうとする 心をまとめる鉛筆とがらす 仏にひまをもらつて洗濯してゐる (佛にひまをもらつて洗濯してゐる) ただ風ばかり吹く日の雑念 二人よつて狐がばかす話をしてる うそをついたやうな昼の月がある 酔のさめかけの星が出てゐる 考へ事して橋渡りきる おほらかに鶏なきて海空から晴れる 山に家をくつつけて菊咲かせてる しも肥わが肩の骨にかつぐ 板じきに夕餉の両ひざをそろへる わがからだ焚火にうらおもてあぶる 傘干して傘のかげある一日 こんなよい月を一人で見て寝る 便所の落書が秋となり居る 竹の葉さやさや人恋しくて居る めしたべにおりるわが足音 淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る 火ばしがそろはぬ儘の一冬なりけり 朝の白波高し漁師家に居る 草履が片つ方つくられたばこにする 島の女のはだしにはだしでよりそふ 今日も生きて虫なきしみる倉の白壁 黒眼鏡かけた女が石に休んで居るばかり 釘に濡手拭かけて凍てる日である つめたい風の耳二つかたくついてる お堂しめて居る雀がたんともどつてくる (お堂しめて居る雀がたんともどつて来る) 降る雨庭に流をつくり侘び居る のら犬の脊の毛の秋風に立つさへ (のら犬の背の毛の秋風に立つさへ) 人殺しありし夜の水の流るるさま 水たまりが光るひよろりと夕風 片目の人に見つめられて居た 紅葉あかるく手紙よむによし 公園冬の小径いづこへともなくある 大地の苔の人間が帽子をかぶる お盆にのせて椎の実出されふるさと 姉妹椎の実たべて東京の雑誌よんでる かへす傘又かりてかへる夕べの同じ道である 赤ン坊のなきごゑがする小さい庭を掃いてる 雀のあたたかさを握るはなしてやる 酒もうる煙草もうる店となじみになつた 灰の中から針一つ拾ひ出し話す人もなく 曇り日の落葉掃ききれぬ一人である 門をしめる大きな音さしてお寺が寝る うで玉子くるりとむいて児に持たせる (うで卵子くるりとむいて児に持たせる) かまきりばたりと落ちて斧を忘れず 黒い帯しつかりしめて寒い夜居る 師走の夜の釣鐘ならす身となりて 師走の夜のつめたい寝床が一つあるきり 雪を漕いで来た姿で朝の町に入る 女と淋しい顔して温泉の村のお正月 破れた靴がばくばく口あけて今日も晴れる (破れた靴がぱくぱく口あけて今日も晴れる) 寒鮒をこごえた手で数へてくれた 落葉掃けばころころ木の実 犬をかかへたわが肌には毛が無い かたい梨子をかじつて議論してゐる (かたい梨子をかぢつて議論してゐる) 漬物桶に塩ふれと母は産んだか 渓深く入り来てあかるし 池を干す水たまりとなれる寒月 蜜柑を焼いて喰ふ小供と二人で居る 片つ方の耳にないしよ話しに来る 両手をいれものにして木の実をもらふ 女に捨てられたうす雪の夜の街燈 濠端犬つれて行く雪空となる 落葉拾うて棄てて別れたきり こんな大きな石塔の下で死んでゐる 紺の香きつく着て冬空の下働く あけた事がない扉の前で冬陽にあたつてゐる きたない下駄ぬいで法話の灯に遠く坐る 冬川にごみを流してもどる 臼ひく女が自分にうたをきかせて居る 堅い大地となり這ふ虫もなし ゆるい鼻緒の下駄で雪道あるきつづける ふところの焼芋のあたたかさである ひげがのびた顔を火鉢の上にのつける にくい顔思ひ出し石ころをける 底がぬけた柄杓で水を呑まうとした (底がぬけた杓で水を呑もうとした) 雪空にじむ火事の火の遠く恋しく 雀がさわぐお堂で朝の粥腹をへらして居る 犬よちぎれるほど尾をふつてくれる (犬よちぎれる程尾をふつてくれる) 節分の豆をだまつてたべて居る 刈田のなかで仲がよい二人の顔 花が咲いた顔のお湯からあがつてくる 歯をむきだした鯛を威張つて売る (歯をむき出した鯛を威張つて売る) 人を待つ小さな座敷で海が見える 夕の鐘つき切つたぞみのむし (夕の鐘つき切つたぞみの虫) 夕飯たべてなほ陽をめぐまれてゐる (夕飯たべて猶陽をめぐまれてゐる)
2008.11.15
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尾崎放哉選句集 その4青空文庫の尾崎放哉句集をコピペ青空文庫さんに深謝( )内は、同じ句ながら別表記のものです[京城・長春時代] 東洋生命保険会社に入社した放哉は会社員の生活になじめず、大正一〇(一九二一)年に退社。翌年、朝鮮火災海上保険会社に職を得て、京城に赴任。しかし、禁酒の誓いを守れずに約1年で退社、旧満州に移る。 ―――― ◇ ―――― 土くれのやうに雀居り青草もなし (土くれのやうに雀居り青草も無し) 風の中走り来て手の中のあつい銭 稲がかけてある野面に人をさがせども 何もかも死に尽したる野面にて我が足音 海苔をあぶりては東京遠く来た顔ばかり 長雨あまる小窓で杏落つるばかり (長雨あきる小窓であんず落つるばかり) 昼火事の煙遠くへ冬木つらなる かぎりなく煙吐き散らし風やまぬ煙突 犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼 小供等たくさん連れて海渡る女よ[一燈園時代] 朝鮮~旧満州での生活の間に肋膜炎を病んだ放哉は、大正一二(一九二三)年秋に帰国。一時長崎に住んでのち、妻馨とも離縁。西田天香の主宰する京都・一燈園に身を寄せ、読経と托鉢、労働奉仕の日々に入った。 落葉掃き居る人の後ろの往来を知らず 牛の眼なつかしく堤の夕の行きずり 流るる風に押され行き海に出る つくづく淋しい我が影よ動かして見る ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる 皆働きに出てしまひ障子あけた儘の家 静かなるかげを動かし客に茶をつぐ 落葉へらへら顔をゆがめて笑ふ事
2008.11.15
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尾崎放哉選句集 その3青空文庫の尾崎放哉句集をコピペ青空文庫さんに深謝( )内は、同じくながら別表記のものです[東京時代] 明治四二(一九〇九)年、放哉は帝大卒業とともに日本通信社に就職したが、わずか一か月で退職。ついで、翌々明治四四(一九一一)年、東洋生命保険会社に入社。同じ頃に鳥取市・坂根寿の次女馨と結婚。 ―――― ◇ ―――― ひねもす曇り浪音の力かな (ひねもす曇り居り浪音の力かな) 護岸荒るる波に乏しくなりし花 (護岸あるる波に乏しくなりし花) 海が明け居り窓一つ開かれたり あかつきの木木をぬらして過ぎし雨 (あかつきの木々をぬらして過ぎし雨) 灯をともし来る女の瞳 海は黒く眠りをり宿につきたり 窓あけて居る朝の女にしじみ売 つめたく咲き出でし花のその影 休め田に星うつる夜の暖かさ 若葉の匂の中焼場につきたり (若葉の香ひの中焼場につきたり) 今日一日の終りの鐘をききつつあるく 青服の人等帰る日が落ちた町 妻が留守の障子ぽっとり暮れたり 雪は晴れたる小供等の声に日が当る 小供等さけび居り夕日に押合へる家 芽ぐめるもの見てありく土の匂 (芽ぐめるもの見てありく土の香ひ) 日まはりこちら向く夕べの机となれり 口笛吹かるる朝の森の青さは
2008.11.15
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尾崎放哉選句集 その2青空文庫の尾崎放哉句集をコピペ青空文庫さんに深謝[一高時代] 明治三五(一九〇二)年、放哉は上京して第一高等学校(一高)に入学。一年先輩にのちに俳句の上での師匠格となる荻原井泉水がいた。放哉は井泉水主宰の俳句のサークルに加入したが、熱心ではなかったという。 しぐるヽや残菊白き傘の下 峠路や時雨晴れたり馬の声 酒のまぬ身は葛水のつめたさよ[大学時代] 明治三八(一九〇五)年六月に第一高等学校を卒業した放哉は、同年九月、東京帝国大学法学部に入学。千駄木で自炊生活をした。この頃には『ホトトギス』や『国民新聞』の俳句欄にしきりに作品を投稿していたという。 一斉に海に吹かるる芒かな 提灯が向ふから来る夜霧哉 提灯が火事にとぶ也河岸の霧 郷を去る一里朝霧はれにけり 鏡屋の鏡に今朝の秋立ちぬ 木犀に人を思ひて徘徊す 白粉のとく澄み行くや秋の水 夕ぐれや短冊を吹く萩の風 夕暮を綿吹きちぎる野分哉 行く秋を人なつかしむ灯哉 寝て聞けば遠き昔を鳴く蚊かな 本堂に上る土足や秋の風 七つ池左右に見てゆく花野かな 風邪に居て障子の内の小春かな いぬころの道忘れたる冬田かな 鶏頭や紺屋の庭に紅久し 別れ来て淋しさに折る野菊かな 山茶花やいぬころ死んで庭淋し 煮凝りの鍋を鳴らして侘びつくす 紫陽花の花青がちや百日紅 大木にかくれて雪の地蔵かな あの僧があの庵へ去ぬ冬田かな 一つ家の窓明いて居る冬田かな すき腹を鳴いて蚊がでるあくび哉
2008.11.14
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尾崎放哉選句集青空文庫の尾崎放哉句集をコピペ放哉は、俳句者で一番好きです私の性格の暗~~い本当の部分がこれなのです (笑) 私のHNも、今日から『alex放哉』しかし、この選句集に収められた句はとても多いとても一日では紹介(コピペ) (笑) できないだから毎日、チビチビと紹介しますみなさんにも、味わいながら読んでもらいたいしみなさん、どの句がおすきですか? ーーーー ◇ ーーーー[中学時代] 尾崎放哉は、明治一八(一八八五)年一月二〇日、鳥取県邑美郡(現鳥取市)吉方町に父尾崎信三、母なかの次男として生まれた。本名秀雄。明治三〇(一八九七)年、県立第一中学校に入学。句作はこの頃始まった。 ーーーー ◇ ーーーー きれ凧の糸かかりけり梅の枝 水打つて静かな家や夏やなぎ 木の間より釣床見ゆる青葉かな よき人の机によりて昼ねかな 露多き萩の小家や町はづれ 寒菊や鶏を呼ぶ畑のすみ 欄干に若葉のせまる二階かな 病いへずうつうつとして春くるる 行春や母が遺愛の筑紫琴
2008.11.14
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読書日記で行こう楽天をやめようか?と書いたら、いろんなコメントをいただいた私自身が迷っている状態だから、それをそのまま正直に書いてみたのだが、いろいろのコメントをいただいてありがたかったコメントを読みながらいろいろ考えたが、少なくとも楽天をやめると言うことだけでは、解決にならないので、楽天を続けながらミクシィを試してみようとまず思ったそれに、多くのコメントをもらって、多くのコメントを返すということがミクシィで出来ても、それはミクシィの独立した各コミュニティーの中でのことであるから、私の広く浅い興味を横断する話題の場合はどうするのだ? (笑) という問題も出てきたこれは野口悠紀雄先生の「超整理法」でも指摘されている分類の問題である (笑) いいかげんにしろ!という声も聞こえるが、私はこのようにいろいろ先走って考える方で、だからこそプラント輸出というような複雑系の商売をしていたのだっ!と、いばってもしょうがないのだが、要は実行であるそれに、(まだあるのか?と言う声も聞こえるが) (笑) コメントをそれほどいただかなくても満足できる妙案を思いついたのだそれは『読書日記』であるそもそも私の楽天ブログへの参加の初期目的は読書日記を書くことだったのだそれが、老眼が進んだりで何となく読書をあまりしなくなった今、なぜか?かなり読書が出来ているのだが、やはり読書は面白いブログの効用についてもずいぶん書いたが、読書の効用に付いてもずいぶん書いた昨日の日記にもリストアップしたが、DNAと日本人の渡来ルートとか、人類の歴史の新しい史観とか・・・ワクワクする世界があるのである私は今までずいぶん多くの書物を購入してきたが、このごろは自分の本当に興味を持つ分野に関する本を、適切なキーワードを考えて、ピンポイントで検索する技術を会得したようであるその結果、従来、購入した書物より、もっと興味深い、最新の書物を購入できているようであるだから、読書ももっと面白くなったそうして、その書物を読みながら読書日記をマイペースで書けば、もうコメントも要らない世界に突入するのであるただ読書の時間がじゅうぶんに確保できるかどうか?多少の問題だろうと思うそれに私は読者に親切すぎて?簡単にはしょった感想というものを書けない自分が満足するような感想を書き上げるのは大変であるとてもブログとして実用にならないだから、思いっきり要約した、または要点の一部だけをピックアップする、いいかげんな?読後評にすることにするこの部分は、自分に言い聞かせているのであるさもないと、せっかくの読書日記も直ぐ挫折すると言うことで、一応の解決がついたので、コメントを寄せてくださったみなさん、ご安心願います?人騒がせな私で申しわけありませんでしたP.S. ミクシィにもいろんな読書コミュニティーがあるだろうから、探してみます
2008.11.13
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2008年に購入した本 (の一部)今日発注した健康・食生活関係の本日本の長寿村・短命村―緑黄野菜・海藻・大豆の食習慣が決める低炭水化物ダイエット1週間完全レシピ―食べてやせる驚異のメソッド (生活シリーズ)肉食ダイエット―肥満外来の名医がすすめる ーーーー ◇ ーーーー今年、その他に購入した本 ~その1~英国に就て 吉田健一著 (ちくま文庫)日本人のルーツ探索マップ (平凡社新書)日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造 (NHKブックス 1078)アダムの旅―Y染色体がたどった大いなる旅路5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった人類進化の700万年―書き換えられる「ヒトの起源」 (講談社現代新書)われら以外の人類 猿人からネアンデルタール人まで (朝日選書 (783))DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?Y染色体からみた日本人 (岩波科学ライブラリー)DNAから見た日本人 (ちくま新書)フォトテクニックデジタル 2008年 08月号 [雑誌]フォトテクニックデジタル 2008年 09月号 [雑誌]自転車トラブル解決ブック (Outdoor)超「超」整理法 知的能力を飛躍的に拡大させるセオリー激安革命 誰でもできるシステム手帳印刷 [CD-ROM]死者の書・身毒丸 折口信夫著 (中公文庫)冥途・旅順入城式 (岩波文庫)中世の非人と遊女 (講談社学術文庫)偏愛文学館 (講談社文庫ぼくらの「侵略」戦争―昔あった、あの戦争をどう考え..あの戦争から遠く離れて―私につながる歴史をたどる旅夢十夜 (新潮CD)夏目漱石 著 「夢十夜」(CD1枚) (ダブってしまった)(涙)草枕 上 新潮CD草枕 下 新潮CD奥の細道(CD1枚)草枕 (ワイド版岩波文庫)奥の細道が面白いほどわかる本―紀行文の史上最高傑作が現代風によみがえった!モンテンルパの夜はふけて ~気骨の女・渡辺はま子の生涯...犬の記憶 終章 (河出文庫) 写真集と文章
2008.11.13
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私はブログというものは、書き手の主文と読み手からのコメントという「双方向コミュニケーション」の楽しさ・面白さ・効用だと思う書いている方は、なんなりのコメントをもらおう、そこから活発な議論を重ねようという意図があって書いている(と思っている)楽天の場合、読者にも3段階ある○ リンク○ 楽天広場会員○ ゲスト私自身は、リンクしていただいているブログは、更新されるたびに毎日巡廻して読むただしテーマ次第では読まずにスルーする場合もあるコメントも出来る限り、即刻書き込む私のブログは、更新している期間は、毎日ほぼ、300の後半か500越えぐらいのアクセスがあるしかしコメントをいただくのはと、リンクの、それもほんの一部の奇特な!常連さんからもうらうものだけ・・・という惨状なのである (笑) このアクセス数はいったいなんなのだろう?通りすがりの人のアクセスが半数以上あるのだろうとは思うがこれは私だけでは無く、楽天でブログを書いている方々の場合も、ほぼ同様だろうと思うブログそのものの趨勢だと思う ーーーー ◇ ーーーー私の場合、この二・三年、数回にわたって数ヶ月の長欠(更新を怠り放置する)をくり返してきたその間に、私のブログに質の高いコメントを毎日のように下さっていた私のリンクさんのほとんどが楽天から消えていったそれぞれの事情があるのだろうが、これが非常に残念であるピーク時は毎日、多くのコメントをいただいて、私もその対応に追われて忙しかったしかし、このごろは私のリンクさんの更新も、一日に10件あるかないか?であるどうも他のブログも似たり寄ったりらしいもうブログブームは去ったのであるしかし、特に楽天ブログは寂れているという感じを受ける特にそれを証明する統計を知っているわけではないが先発だけに、それに日記形式の古いスタイルで、自由度が少ないせいで、新しく参加する人が少ないのだろう昔の、客のほとんど来なかった近鉄バッファローズの日生球場のようなものである(これは余計か) (笑) ―――― ◇ ――――楽天広場には「読書・コミックジャンルのブログ一覧」というページがあるそこには前日のアクセスの上位50のブログが掲載されているだいたい、500以上のアクセスが有れば、このランキングに載るようである不肖、この私も (笑) ときどきこの上位50に入る昨夜私は、この上位50ブログ読んでみたアクセスを数多くもらう良質の楽天ブログとはどういうものかと思ってのことである調べてみてわかったことは(1) 上位50ブログの半分近くはアニメ系の若い人のブログである(2) 意外にも、内容が希薄なブログが多い(3) 不思議なことに、多くのブログがすでに休眠状態のブログであって、長らく更新されていない(4) 不思議なことに、多くのブログが、アクセス数は多いのにもかかわらず、コメントがほとんど寄せられていないまあ、(1) のアニメ系が多いのは仕方がないそういう時代なのだと思う私がジジイなだけである私が楽天が衰退と感じても、本当は世代交代なのかも知れない(2) の内容の質については私の主観であるしかし、内容が素晴らしくて、質が高くて、密度がある・・・というものはほとんどなかったこれなら、私のブログのリンクさん達の方が、レベル的にずっと上のように思うただ問題なのは (3) と (4) である休眠・放置状態なのだかなりの数のブログがもう一二年も放置されて更新されているのに、アクセスは数百あるのであるミステリーである幽霊ブログである例えばランキング 5位の○○さんの日記である昨日、2008/11/10の日のアクセスが 2,120 あるブログをオープンしてみたら 2006年9月22日付の日記のままで、タイトルは 【2006年度版 米長者番付】 というものであるつまり、2年以上も更新されていないのに、いまだにアクセスが 2,120 もあるのであるミステリーである幽霊ブログであるまあ、仕組みはかんたんなものだと思う作者によって予め自動プログラムがセットされていて、だれもアクセスしなくても、ランキングに確実に入るような、2,000超というようなアクセスをかせぐようになっているよく働く無人アクセス機である (笑) 作者がもう自分のブログを放置しても、それがいまだに自動作動しているのであるこれは楽天の管理スタッフが、とっくにチェックして、撤去すべきだったと思うがでは、1位の「読書とジャンプ」はどうか?アクセスは 6,364 であるコメントはどうか?あれれ・・・!アクセスは 6,364 なのに、コメントはゼロであるなぜ~?まあ、トラックバックは5件あるのだが、コメントゼロとは奇妙である他のブログも少し読んでみたが、アクセスが多いのにコメントがほとんど無いという、不思議なブログが多いこのランキングは無意味だな~と思う興味のあるブログは無さそうである ―――― ◇ ――――話は変わるが書き手にとって、書く意欲と見合うコメントをもらえないブログは、あまり存在価値が無いと思う『ブログを書く効用』と言うことを何回も書いてきた私だが、その『効用』も、このごろはそれほど感じなくなってきた正直言って、○ 自分の脳内整理とか○ 表現能力の向上・・・などのことには、関心が無くなったというか、そういうことは、もうだいたい、私の能力の限界内で成就してしまったのである実は、私は長々と文章を書いているが、書く前には、最近は・・・だが、もうだいたい頭の中に文章のアウトラインが浮かんできて、私の脳内では、書く前でも書いたと同じ事になってしまっているのであるだから、ブログを書く事による自分自身の能力向上効果は、もうそれほど無いだから、今の私にとっての楽天ブログの効用は(1) 時事問題に関してブログを怒りながら書いて (笑) 欲求不満のはけ口にしている(2) いただくコメントに返事を書きながらの、双方向性のコミュニケーション(おつきあい)これぐらいになってきたところが困ったことに (2) の『リンクの人達と会話を楽しむ』という目的も、コメントをくれるリンクさんが少なくなってきたために困難になってきたつまり、楽天ブログを『ヴァーチャル交際の場』『ネット居酒屋』として捉えている今の私には、閑散としていると居心地が悪いのである淡々とマイペースで毎日ブログを書き続ける方がうらやましいが、私にはとてもまねができないそうなるとブログを書く、ブログを更新する意欲が減退する ―――― ◇ ――――正直言って今の私は、更新の意欲があまり無くて、大げさに言えば、いつやめようか、いつやめようかと、毎日のように悩んでいるのであるしかし、やめてしまうと、当初は良くても、そのうちに欲求不満がたまって、また書きたくなるだろう時事的な話題について、私の意見を書きたくてたまらなくなるにちがいないそんな気がするので、やめるにまで至っていない私の他にも、迷っている人が多いに違いないと思っている ―――― ◇ ――――ではどうするか?そのうちに、長らくお世話になった楽天をやめて、ミクシィとかに入ってみようと思うのである楽天のリンクさんが消えたり更新しなくなったりの原因の多くは、ミクシィや類似のものへの移行らしいのであるそこはよほど楽しく、居心地がいいらしくて、楽天にもどってくる人はいない高野聖みたいだが (笑) なんでも、そのなかでは紹介者が無いと入れない、趣味別に分かれた秘密結社のような秘密のグループを作って、同好の士ごとに楽しく交流するらしいフリーメーソンか? (笑) そこでは趣味嗜好が同じだから、コメントが雨あられと飛び交って、談論風発、おちおちPCの前を離れることも出来ないほど忙しいのではないだろうか?昔の私のブログも、ちょっとそうだったころがあるが、あんな風になるのだろうか?それなら、ぜひ移行してみたいものであるとまでは考えたが、ちょっと困っていることがあるミクシィでは趣味別グループに所属するから話がはずむというしかし、私はどのグループに属したらいいのだろうか?それが問題なのである私の興味は、浅く広い時事・政治問題(これらは大したことはないが)から、読書、カメラ、海外体験、欧州の歴史、映画、スポーツ、それにセックス・・・いや、これはちがうかとにかく、かなり、分散しているのであるしかし、そのいずれも、それほど深い専門性が無いそれに、この内の「ひとつ」に絞ることは不可能であるいろんなグループに同時に入ることも出来るのだろうか?入れたとしても、あちこちに顔をださなければいけないのか?それもややこしそうであるそれに今までの楽天での日記の蓄積はどうするのだ?楽天での親しいリンクさんとの関係はどうするのだ?う~~んせっかくの妙案が暗礁に乗り上げてしまった (笑) また当分、【復刻日記】でもアップしてごまかして行くか?しかし、今日、ミクシィに招待してくれるという人が現れたそのうちに、ちょっと覗いてこようと思う
2008.11.11
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本当にオバマは勝ったのか?その2二日酔いもそろそろさめてきたので(笑)、あらためて書いてみたいオバマは本当に勝ったのか?本当に勝ったのである(笑)な~んだ・・・と思われるだろうが、私としてはその勝利の実態は、一般に言われる『大勝』とか『完勝』とはちがった複雑なものだ、と言いたいのだ昨日も書いたように、オバマは確かに州ごとの選挙人の数では圧倒的な勝利を得た獲得選挙人の数(最終結果)・オバマ 349人 (68%)・マケイン 162人 (32%)まあ、ならして言えば、2対1 であるこれなら完勝といってもいい ―――― ◇ ――――しかし、実際の得票数ではどうだろうか?・オバマ 6253万票・マケイン 5545万票これを得票率(%)で表示してみるとこうなる・オバマ 52%・マケイン 46%その差はわずか6%である僅差と言える ―――― ◇ ――――差はわずか6%これで見えてくるものがある1) 米国大統領選挙制度独特の選挙人システムがオバマの獲得選挙人をマケインのそれの2倍という結果を生んだ2) 言いかえれば、オバマ陣営の州別選挙人システムを利用した戦術が優れていた3) 投票寸前に建前的な黒人候補への投票を取りやめ、白人候補へ投票するというブラッドリー効果がやはりあったと思われる4) 今回の世界的大不況が「大きく」オバマ有利に働いた~~~○ 米大統領選は国民の直接選挙である しかし、本当の直接選挙ではなく、国民は先ず州単位の選挙人を直接選挙し、その選挙人の数で大統領が決まるというシステムである しかも勝利した候補がその州の選挙人を総取りするという独特のシステムである 敗者への投票はムダになるという、死に票がたくさん出るシステムである 私の推測だが、このシステムは西部開拓時代の名残である 開拓時代の米国では裁判も巡廻判事によって執り行われた広大な国であるから手が回りかねるのだ同じように大統領選挙といっても広大なアメリカの全国民がいっせいに投票する、そしてそれを正確に集計するということは極めて困難な作業であるブッシュ対ゴアの選挙戦においてさえフロリダだったか?どこかの州の集計がトラブルになったその「後進性」はすごいもので(笑)例えばニューヨークの選挙投票用紙は、なんと新聞紙の大きさであるどうもそれに穴を開けて投票するらしいのであるそこで、米国は大統領選を選挙人制度という二段階のものにしたのだと思うまた米国の歴史からして、各州の独自性を尊重するという事もあっただろうと思うもし、米大統領選に、ITを利用した押しボタンシステムやメールでの投票などが採用されれば、この州単位の選挙人制度は不要になるもしこういう近代的なシステムであったら、今回は接戦と評価されたはずである○ とにかくオバマ陣営は戦術が優れていたオバマが民主党の候補選をヒラリー・クリントンと争ったときに負けた州を重点的に補強したり、労働者階級に人気のある、カトリックであるバイデン上院議員を副大統領候補として起用したりである○ もう一つ言いたいのはブラッドリー効果である今回はブラッドリー効果はほとんど無いといわれていたしかし、実際の選挙の結果から見れば、マケインが予想以上に善戦している 予想というのはブラッドリー効果はほとんど無いものとしていて、オバマが10ポイント以上離しての圧勝というものだったしかし結果は僅差であるある意味で予想は外れたのである私はこの予想と結果の差をブラッドリー効果と見てもいいと思うやはり白人は最後の最後になって、黒人大統領に拒否反応を見せたのであるそこを指摘しているマスメディアはいないオバマは黒人とされている米国では一滴でも黒人の血が混じっていれば、どんなに容貌が白人的でも黒人とされるしかし私から言わせれば、オバマは米国の黒人では無い私のいう「米国の黒人」とはアフリカから「輸入」され「奴隷」だった人達であるしかし、オバマはちがうアフリカのケニア出身の父親と白人の母親との混血児である白人の黒人蔑視の源となっている「奴隷の子孫」という要件がオバマには無いのであるこの点は、白人の意識の救いになったはずである今まで蔑視の感情がどうしても解消できなかった彼等も、オバマが肌は黒いが奴隷の末裔ではなくアフリカ人と米国人の混血である・・・という一種の欺瞞的な解釈でオバマを認めたのである私は米国経験があるから、白人の黒人へのどうしても消し去ることのできない蔑視意識を知っている建前はどうあろうと、良心のうずきを感じながらも、心底の本音では差別感を消し去れないものである私が米国にいたとき、自宅のある鉄道の駅の周辺は黒人街だった自宅そのものは駅から離れていて、やや高級な白人中産階級の住宅街だが、ニューヨークから列車で帰ってきて徒歩で自宅に帰る途中にはこの黒人街を通らなければならないここにはギャングもいるし、麻薬の密売人もいる麻薬中毒のジャンキーがふらついて歩いているそこを通り抜けるまでは気が抜けない一度、独立記念日にカナダのケベックへ旅行したことがあるそこで私はホッとしたことを覚えているなぜなら、ケベックでは黒人人口が非常に少ないのであるそれで心の中の警戒心を解くことができたのであるそこで気がついたことだが、私はやや黒人恐怖症になっていたのであるもちろん黒人にもインテリや金持ちもいるし、状況は良化しているが、一般の社会ではまだやはり問題な人達が多いだから、いかにオバマが一般の米国の黒人というイメージから遠く、清新で崇高な雄弁術を持っていても、いざ演説の演台にオバマの夫人と二人の娘が登場して、オール黒人という場面になれば、白人の投票者の心に起こる動揺のさざ波を私は理解できることが出来るそれに加えて、あの高齢の見るからに今にも心臓発作を起こしそうな、清新な政策が全く見えないマケインが、清新で雄弁で、高度な知性を見せ、米国の救世主に「見える」オバマに得票数で見る限り、あとわずかと迫ったのであるこれが米国民の意識の実態であろう○ 今回、私の予言していた?大不況が予想以上のインパクトで全世界を襲ったしかし、この不況のひとつのピークが大統領選に重なったのがマケインの不運だったサブプライム問題に端を発した不況を、さらに最悪の状態にしてしまった最大の原因はポールソン財務長官のリーマン・ブラザースの切り捨てであるもとよりアフガン・イラクの戦費が膨大にのぼって、軍需産業は潤うものの、米経済に重荷となっている米国民は今回の不況を共和党の経済政策のせいだと思いこんでいる思いこもうとしているこの点で、マケインは急激に突然に、しかも完全に、不利になった共和党から民主党への政権交代があれば経済政策が大きく変わり、不況克服が可能になると米国民は希望を託したのである私の予想では、この不況回復には恐らく5~10年はかかるだろうそれにV字カーブの回復は無いしかも、国際協調や公的資金の投入などがコメントだけではなく、実体経済への施策として実行され始めるのさえ、数ヶ月は要するものと思われるしかし、米国民は藁をもつかむ心境だったのだろうこのリーマンショックが重ならなければ、恐らくマケインが勝利しただろうというのが私の考えである ―――― ◇ ――――オバマ次期政権の人事はどうなるのだろうか?その辺も注目すべき点であるオバマ政権は上院下院の大多数を占めた民主党の政権である民主党は伝統的に労働者の味方であり、国際的には保護貿易主義を取ってきたオバマ個人はともかく、政権の大部分は伝統的な民主党のメンバーであるこの経済危機の中、オバマ政権は保護貿易主義に走り、日本に戦費の拠出を迫るだろう軍需産業へのおもんばかりで、北朝鮮の息の根を止めるようなことはせず、生かさず殺さずで行くだろう話し合い路線を標榜するオバマは、北朝鮮にだまされるだろう拉致問題には敢えて目をそらすだろうオバマが如何に清新であっても、政権幹部はベテランがそろうだろうから、今までの米国の外交・経済政策から大きく離れるようなことはしない、出来ないというのが私の見方である副大統領はバイデン上院議員になるネットで検索しても出てこないが、バイデンはクリントン政権では日本バッシングの中心的人物であった人種偏見があるらしくことあるごとに「日本人はずるい民族・・・」などの発言をくり返していた・・・とある報道機関の米国経験のある人物が語っているその他の米国政界通も「あまりいい人ではない・・・」と口をにごすブッシュ政権発足以前から、民主党ながらイラク攻撃の必要性を説き、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争ではボスニア・ヘルツェゴビナ側への武器供与やセルビア人側への空爆を示唆するなどタカ派的な側面があるオバマは暗殺される危険性が高い今までの大統領警備とは桁違いのセキュリティーが必要となる自爆覚悟の白人至上主義者の攻撃をどうしてかわすことが出来るのだろう?それにもしオバマが暗殺されたらどうなるか?選挙戦のための便法として起用したバイデンが大統領になるのである統計を見ても、米国民でさえ、バイデンにそれほど期待はしていないましてや、日本人としては、民主党の古狸(ふるだぬき)が大統領になるというのは、最悪のシナリオであるそれでもまあ、悪魔の代理人?ブッシュよりはマシだが
2008.11.08
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オバマは本当に勝ったのか?新聞紙上やテレビの報道番組で見る限り、米国の大統領選挙ではオバマ民主党上院議員が大勝したということになっている米国民はこぞってオバマ候補の大勝を歓喜して迎えているということになっている黒人はもとより、いままで黒人を人間扱いしてこなかった白人達も「アメリカは人種差別を克服した」などと高揚して叫んでいるそういうテレビ画面ばかりであるまるで『すべての米国民がオバマを選んだ』という論調であるもちろん、軽薄な日本のマスコミなど、この「事実」をつゆほども疑うことをせず『オバマ大勝』『チェンジ』『Yes We can』『米国は変わる』の大合唱であるまるでメシアの降臨である果たして『本当に』そうなのだろうか????私はちがった意見を持っている昨日も『いい黒人 悪い黒人』というタイトルで少し書いたが、そんなにシンプルな事では無いはずなのであるそのことを書いてみたいしかし、昨夜は飲み過ぎて、今は二日酔いである今はここまでとして、肝心の部分は、今日中に書き足すことにする
2008.11.08
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いい黒人 悪い黒人coazycoach さんのブログへのコメント~~~~~~ブッシュの時代は、石油産業と軍需産業のための政権でしたねそんな米国の基本構造が大統領がオバマになることで、どれほど変わるか?下手をするとJFK同様、暗殺でしょうまあ、ブッシュは単なる操り人形で、彼の家庭教師のライス国務長官が政権の中心人物だったと私は思いますイラク侵攻に際して、反対派の「いい人」パウエル前国務長官はCIAにだまされ、ブッシュはライスにしたがって開戦に踏み切った北朝鮮への経済制裁解除も同様一般のイメージに反して、黒い天使、いや悪魔ですね(笑)~~~~~tak-shonai さんのブログへのコメント私は米国の白人の黒人への意識がそれほど変わったとは思えませんオバマが特別なんじゃありませんか?清新で知的で高邁な理想を語る雄弁術白人達もオバマを米国の黒人だとは思えなかった奴隷の子孫ではなくケニア人と白人の混血だから、差別意識とは別腹で納得できた軍需産業・石油産業中心で戦争を必要とするブッシュ政権は、米国の本音ですそれが一人の大統領によって簡単に変わるでしょうか少なくとも変わることを許さない勢力がありますそれに選挙人の数では圧勝でも(297/124)得票率ではむしろ僅差(51%/48%)選挙システムによってこの差が拡大されましたが、得票率の方が米国民の本音でしょう
2008.11.06
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私の真実のプロフィール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この楽天ブログでは自己紹介の『プロフィール』と言う欄がある私はこんな自己紹介をしている ―――― ◇ ――――alex99さんの特徴ほしいもの ・・・・・・・・図書室昼寝と読書とのためのパティオ地下音楽ホール兼超大型液晶テレビ視聴室ハバナ葉巻貯蔵室世界旅行のための従者勤勉な召使い美しい女奴隷中華・フランス・日本料理の各専門コック小型飛行船大型ヨット大型キャンピングトレーラー日本銀行券少々好きな音楽・・・・・・・・主にモダンジャズクラシックヴィエトナム戦争当時の古いヴィエトナム歌謡趣味・・・・・・・・読書新本・古本の積ん読下手なカメラ海外旅行旅行用品買いそろえ長欠しながらのブログケーブルテレビ視聴飲み歩き(値切らない優良客)カラオケでのプレスリーの曲の歌唱特技・・・・・・・・計画を詳細に立てるが実行せず無為に過ごすこと昼寝 ★ ★ ★ ★ ★ ★まあ、書くのは勝手だからいろいろ書いたのだが・・・ちょっと解説してみよう■ 欲しいもの・・・・・・・・・・・・・・・・□ 図書室□ 昼寝と読書とのためのパティオ□ 地下音楽ホール兼超大型液晶テレビ視聴室・・・・・・・・この3つは似たようなものである図書室も本当は、図書室+読書室というべきかもしれないただまあ、図書室でしか読書が出来ないというわけではないその質はともかく、量だけはある私の蔵書(大げさな表現かな?)を、カテゴリー別に、著者別に、出来れば本のサイズ別にも分類して収めることが出来る大型の本棚が欲しいそれに、それをじっくり読みながら、ときどき傍線を引くことが出来るようなマホガニー製の読書デスクが欲しい(傍線を引くなど、読み方がチマチマしているところが難である)その読書デスクには、質のいい読書ランプが欲しいできれば、ビリヤードかスヌーカー(英国の大型ビリヤード)の台の上のつり下げられている方形の照明の小型のものが欲しい読書デスクの脇には、読書中の本の関連本を置いておけるような、長いテーブルが欲しいデスクにつり合うような、スコットランド製の牛革のチェアが欲しい余計な外光が差し込まないような、分厚い段通のカーテンが欲しい床には、ときどきミルクティーを持ってくる、美人奴隷のハイヒールの音が聞こえないような、吸音用の分厚いペルシャ絨毯が欲しい私がロンドンにいた頃に所属していた英国の最大の「Gentlemen’s club」であり、世界最初の自動車クラブである「Royal Automobile Club 通称 RAC」は、英国最大の会員数を誇るクラブであって、名誉会長はエリザベス女王の甥のケント公である(と、私がいばってもしょうがないのだが)そのRACには、数多くのベッドルームがあり(上流階級の紳士が、怖い奥さんから緊急避難する宿として)、プールがあり、サウナがあり、昼寝用ベッドがあり、大広間のようなバーがあり、軽食用のコーナーがあり、レストランがあり、豪華大ダイニングルームもあり、専用の郵便局やクリーニング店まであるのだが、なかでも白眉は「Smoking Room」と称する読書室があるそこには、大きな暖炉で薪が燃えていて、豪華な革製のソファーや、ライティングデスクに便箋と封筒が備え付けられているそのデスクで、秘書兼若い愛人なる女性に宛てて「ミンクコートを買ってやるとの過日の約束は必ず果たすから、もう少し待つように 浮気はしないように」などと、したためるのであるそれから電話室に行って、なじみの花屋に電話して愛人への花を贈る手配をするのである花束につけるカードの宛名も、いつのまにか「Miss, ○○」から「ファーストネーム」に変わっているのである「My Dear Pussy」だとかダイアナ妃の愛人の男みたいに「私の愛する濡れた・・・」だとかにすることもあるそれに、大テーブルの上には英国中の高級新聞が置いてあるのだが、実は新聞紙で顔を隠しながらスポーツ欄のクリケットの試合の記事だけを読むのであるもちろん万巻の書が納めてある書庫が隣接している難しい書物の棚はスルーして、「写真の歴史」というような大型本を開く写真機がまだ珍しかった頃の好事家の撮影した淑女や売春婦達の裸体の写真などをしばし眺めて、辺りを秘かに見回してからそっとその本を本棚に戻すてな風に、英国の上流紳士は、紳士のクラブは女人禁制だから、恐妻に、現代版クサンチッペにどなりこまれる心配も無く、静かに安心してパイプ煙草や葉巻をくゆらせる場所なのであるう~~んこんな豪奢で静謐な smoking room があれば・・・こんな「恐妻」・・・いや「愛妻!」が怒鳴り込んで来る(本当の愛妻なら怒鳴り込みはしないはずだが)(涙)危険性ゼロ!・・・という桃源郷が・・・(以下省略)『昼寝と読書のためのパティオ』というのも書いたが、これはまあ、第二義的なものと考えてもらってもいい財政事情によっては、削除してもいい順序としては読書であるしかし、読書している内に不覚にも常に昼寝状態に秘かに移行してしまうのであるパティオなら昼寝中に鼻提灯をつくってコックリコックリしても恐れるものなど無い□ 地下音楽ホール兼超大型液晶テレビ視聴室・・・・・・・・オーディシステムはやはり、クラシック用とジャズ用に2セット欲しい・クラシック用はスピーカー タンノイ・オートグラフ中心に英国系でまとめたい・ジャズはスピーカーはアルテックかJBLアンプはマッキントッシュターンテーブルやその他にも昔鍛えた?知識があるのだが、わかる人も少ないだろうから(失礼)省略超大型液晶テレビだけではなく、本来は映画試写室的というようなものも考えたが、もう映画にはあまり興味が無いから省略フィクションよりノンフィクションの方が面白い、事実は小説より奇なり・・・となれば、映画スクリーンより超大型テレビ画面であるそれも3セットほど欲しい同時に視聴したいからであるもちろん集中する番組が見つかればそれだけを視る特にスポーツ放送は大型画面で見ると迫力と臨場感が全然違う□ ハバナ葉巻貯蔵室私は紙巻きはやらないが、パイプタバコと葉巻が好きであるもともと紙巻き経歴初期にも、ドイツ製の紙巻きタバコ『ゲルベゾルデ』やフランスの『ジタン』『ゴロワーズ』などのトルコ葉系の濃い味と香りのものを好んでいたそれに山岳部に所属していたのも影響が大きい昔の山岳雑誌には巨大な岸壁を上りきったアルピニストが満足げにパイプを吹かす写真などが必ず掲載されていたそれを見ながら私の単細胞な頭脳は『優秀な登山家=パイプタバコ』と言う刷り込みができあがり、とりあえず、簡単な方のパイプタバコから始めたのである『優秀な登山家』の方は、もう少し時間が欲しいところである(ダメだろ?)葉巻については、私ほど高級ハバナ葉巻を擦った人間も少ないだろうと思うこれは自慢ではなく、本当(に近い)話である中東時代に、やる事もないものだから『ROMEO Y JULIETA』というハバナ葉巻の最上級「チャーチルサイズ」という最も大きなものを毎日、2本も喫っていたのである後で日本に帰ってデパートでこれを見つけて、大喜びをして買おうとしたら、店員がお金が足りないというのである気がついたら値段が私が思った金額と一桁ちがう日本でのハバナ葉巻は高価である中東ではあんなに安かったのに(涙)しかし、この頃はたまにこのブランドの小さなサイズを買うことがあるどうしても喫いたくなる時があるのである□ 世界旅行のための従者□ 勤勉な召使い□ 美しい女奴隷□ 中華・フランス・日本料理の各専門コックこれらはみんな私のための使用人である美しい女奴隷はときどき使用人以上の存在になる危険性があるが、そこはガマンであるしかし、服装はかならず『ピンヒールに裸エプロン』を強制するのであるいやならやめてもらってもいいんであるあっ! やめないで! (涙)□ 小型飛行船□ 大型ヨット□ 大型キャンピングトレーラーこれらは運搬・移動手段である空・海洋・地上と万全である私は飛行船免許を持っていないが(そんなものがあるのか?)、無免許で飛ぶと風船おじさんみたいになっても困るしかるべきパイロットも雇用する必要がある大型ヨットも小型船舶免許でいいのだろうか?これも雇用の必要があるトレーラーも大型免許が必要である私はペーパードライバー状態なのでこれも雇用である□ 日本銀行券少々これは、本当は『少々』では済まない(涙)それにドルも欲しいユーロも欲しい金も欲しいつくづく私も俗物である (涙)
2008.11.02
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風任さんがこういう面白いことを書いているそーいや最近聞かなくなった言葉 私も興に乗って考えてみた禁止用語ならいくらでも思い着くような気がするが、まずは穏当なところを思い着くままに書いてみよう未完部分多し後に書き足し予定括弧内は説明? ―――― ◇ ――――神経衰弱(カードめくりをしすぎてなる病気)ノイローゼ(不定愁訴)二束三文(ブックオフ)アプレゲール(今はアプレ婆)アベック(フランスのカップル)おアシ(日本銀行券)ルンペン(カタカナでも不潔)浮浪者(動き回らなくても浮浪者)ドヤ(こんなところでド~ヤ?)抜き足差し足(+忍び足)ズック靴(ニオイのする靴)マル金(金持ちだが金持ちに見えない人)夫婦生活(隠語)外人(不良と優良に分離)アメチャン(ヤンキーの優しい呼び方)バイヤー(だいたいハワイの二世)小股の切れ上がった(小股がどこなのか? そこから切れ上がってどうするのか?)猿股(サルの股には着用されていないもの)超弩級(巨砲)ms dos(むずかしおす)報国通信簿(原簿隠しや改ざんが常に行われた)五大州()小使いさん(ベルを振る人)女中(お手つきを待っている女性)書生(居候)居候(書生)夜の営み(震度3)(新婚時は震度8)大陸浪人(小島で食い詰めた人たち)愚連隊(集団作業が得意)へっつい(火があるので煙も立つ)猪武者(首が短いだけ)幇間(人をバカにする商売)武者震い(トイレの列に並んでいる状態)防空壕(だれでも腰が低くなる民主的な施設)大艦巨砲主義(テクニックのない男)富国強兵(男の子ばかり出産すること)疾風怒濤(早漏の別の言い方)ドロップ(球種)うわばみ(自分お金ではそこまで飲めない)黒電話(貸してくれなかったら仕方なくピンク電話を使った)助監督(監督の足を引っ張る職業)接吻(古式の呼称では口吸い)ネル(布地)(パジャマに使用=寝る)ドンゴロス(死体が入っていたりする)どぶろく(戦後の混乱と被差別の狭間から生まれた銘酒)大根足(まだあるけれどね)太鼓腹(和太鼓 洋太鼓がある)下履き(下着の意)ズロース(見たい気もするが、見たく無い気もする)シュミーズ(チラッと見える下着)スリップ(原則として見えない下着)靴下止め(止めているところを見たくなる器具)ナイロンのストッキング(ソ連出張で実績)襟巻きサントリーバー(トリスウイスキーも置いてあるが隠しているバー)トリスバー(サントリーウイスキーも置いてあるバー)夜鷹(夜目遠目笠の内)注 傘の内ではない苦学生(学費使い込みの学生)闇市(ヤフオクのこと)蛍雪の功(留年が長い学生)つけ馬(債権回収機構構成員)テンプラ(にせもの)押し売り(テンプラ学生の職業)内職(手に職のない人の職業)夜回り(火付け可能なひとたち)夜這い(雨戸に小便を垂らす技術習得がカギ)パンパン(博愛)オンリー(依存)天職(デモしか)色町(ネオンの色彩の華やかな町)宰相(ホテルバーの常連客)御大尽(背の君(ドッグファッションの愛好家)大君(天ちゃん(天上から降臨した相撲好きな人)天誅(無料の仕掛け人)恥かきっ子(後期出産者)長男の甚六(旧民法の穏健香から外れた気の毒な人)ノミの夫婦(シークレットブーツの顧客)牢獄(牢名主の下、美しいヒエラルキーの世界)獄卒(差し入れ取次業)密偵(秘密の探偵)探偵(秘密でない探偵)くのいち(中国にはまだいるらしい)キャバレー(ライザミネリが働いているらしい)おさわりバー(鮫肌の女はつとまらないバー)酒池肉林(伊藤ハム協賛)立志伝(貧しさに負けた~と思わなかった男)トルコ風呂(改名後は冴えない)白系ロシア人(色の白いロシア人)でべそ(おまえのカーチャンの身体的特徴)耳飾り(鼻輪を耳につけたもの)首飾り(鼻輪を大きくしたもの)ゴム(サック)サック(ゴム)電熱器(ガスを止められた困窮者が使用するものi三助(求人があれば希望)シャボン(シャボン玉も風船玉になった)伝馬船(舶来(為替レートが気にならなかった時代の輸入品)袖の下(役人の子供が知っている)おたふく(名を変えて現存)姦通罪(韓国から輸入検討中)よろめき(よろめくということは、たちなおるということである 武者小路実篤)シスターボーイ’(いずれ妖怪)官憲(火拭き竹(主婦の武器)夜泣き蕎麦(ラーメンに駆逐されて泣くな)かんてき(七輪)ごうつくばり(私?)ヒステリー(テロリストの一種)猫の金玉(前から見えない)猫またぎ(猫も食わない)ひとさらい(アラブ地方では現存) ―――― ◇ ――――一気に書いたので疲れたこれくらいにしといたるわ仕事があるので、残りはあとで書き足し
2008.11.01
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