チンチラオッペの山里探索紀行などその1

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2010.10.26
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カテゴリ: 古代の王墓等
きょうは 天気小雨 気温17度C、湿度46%で 一気に肌 寒くなって まいりました。

午前中、午後と計2時間程 畑に出向き マメ(ピース等)の 竹を立て、ネットを張りましたが

風も強く 寒くなり 早々に止めました。

三雲南小路遺跡の掲載をします、解説写真では 文字が読めませんので、タイプします。

   ・・・・・国内最大級の弥生王墓・・・・・

三雲南小路遺跡は弥生時代中期末(約2000年前)の 伊都国王の墓 で墓の周囲に

3~4m、深さ0.5~0.7mの溝で 東西 32m、南北 31mの方形区域を設けた

国内最大級の弥生王墓です。

江戸時代(1822年)に発見された時には、甕棺(カメカン)の上に1.5m程の盛土が あっ

たとされ、 墳丘があったとされます。

 墳墓の中央には2基の超特大の合わせ口甕棺(カメカン(全長2.5m程)があって、1号甕棺

から 35面、 2号甕棺から 22面 合わせて 57面にのぼる前漢鏡、青銅製武器、

金銅製四葉座飾り金具、ガラス製壁、装身具等豪華な副葬品が出土しました。

 出土した銅鏡の数は、銅鏡副葬が流行していた国内の弥生時代の墓で最も多く、1号甕棺

に 直径27cm以上の大型鏡があることから、井原鑓溝(いわらやりみぞ)、平原王墓

(ひらばるおうぼ)へと続く鏡の大型化、大量副葬の先駆けとして注目されます。

 この内1号甕棺から出土した銅鏡1面と銅剣1振は国の重要文化財に指定されています。

弥生時代の伊都国に強大な権力と富を持つた王が誕生していたこと、又倭人の王を擁立してい

た伊都国びとの繁栄を物語る重要な遺跡です、大切に保存しましょう。

                    平成13年3月31日
                    糸島市教育委員会

解説写真

三雲遺跡1.jpg

王墓の写真

三雲遺跡2.jpg

1号、2号甕棺は 埋め戻されています、江戸時代 ここの 農家の人が 壁に塗る土をこ

こから 取ろうとして 掘った 所 副葬品が発見されたので 奉行所に届けたのが、きっか

け のようです。

最近も 発掘調査が行はれていました、糸島には 多くの遺跡がありますので 何か 発見

されると 期待しています。

糸島の王墓と奴国等の 鏡の出土比較

三雲遺跡3.jpg

その他 私の考え

この伊都国は弥生時代中期(紀元前100年 程度と思われる)の王墓であり、北部九州を

 支配していたものでは ないかと推定します、 しかし 紀元 1世紀 57年に奴国が

中国の後漢の皇帝から 漢倭奴国の金印を 賜っている。(本来ならば伊都国 王が 賜べき

 であったと 鏡の出土数等から推定される)・・・漢の時代に朝見(皇帝に倭国から貢ぎ物

を 献上すること)するのは奴国だけでなく、伊都国もしていたはずと思われるが?・・・、


この為 伊都国と奴国の間が 不仲になり 争いが生じ出し、 これが次第に 倭国内乱へと

 発展していき、結果的に 耶馬台国の女王卑弥呼を 共立して内乱が治まった ものと 思

われる。

 この時 伊都国の王が共立に 卑弥呼を強力に 推したので伊都国が耶馬台国の統治国や

一大率が置かれ 各国を検察したり 又 大陸の玄関口として栄えたものと 推察される。

 本来ならば 大陸に近い 末盧国の 方が 玄関口であるべきで あろうに?












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Last updated  2010.10.26 22:07:21
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