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今日は天気が 回復したので 志摩に ツクシ摘みに出かけた 殆どが 蕾が 開いていたので 閉じている ツクシを見つけるに 苦労した。1回分摘み 志摩の 旧跡の 船つなぎ石を 思い出し 写真を撮影に出向いた。 場所は 志摩の泊で 民家の 軒下に大切に 保存されている。弥生時代は この辺まで 海岸で あり 大きな船を 大石に繋いで いた 形跡が うかがえられ 伊都国又は 斯馬国の 玄関口であった だろうと 推定される。(泊の 船 つなぎ石 高さ約 2M 幅 約1M程度 これに ロウプを巻き付けていたもの) (石から 雷山 三頂を望む) (家の 軒下に 保存されている) (家の前から 雷山 を望む道の向こうは 雷山川?) 以上
2018.03.07
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きょうは、 天気 曇り、気温30度C 湿度60% 中々梅雨があけない、 蒸し暑だけで何をしても 汗が ダクダク出てくる。庭の松の木の剪定をしているが、汗が出て 直ぐ止めてしまう7月10日までには完了させたい。(松の木は 1本のみ)今日は 糸島市 前原 怡土地区の 城跡を 紹介します。怡土城紹介地図紹介地図の現在地付近で撮影したものです、この山道を約500m程車で登ると 高祖神社があります、又染井口の交差点を山に700m程車で登ると染井神社が左手にあります。染井口からさらに 左の方に行き山に登る 道が1本ありますこれを約200m行くと染井の井戸があります。こちらに 来られる機会ありましたら是非見学お願いします。(追伸)藤原広継がこの吉備真備(きびのまきび)軍と戦って負けて、糸島市二丈鹿家の七郎権現神社に馬引き七郎様が祀られています。(カテゴリー 伝説を参照お願いします)
2010.07.02
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きょうは、曇り 気温 27度C 怡土七ケ寺の最後の 一つ 霊鷲寺を探しに 染井地区に出掛けました。どうしても染井神社の近くと狙いを定めて行きましたが見つかりません、地元の高齢者の方やお宮に入り聞きましたが、知らないとの 返事です。再度染井神社に出向き、前回撮影出来なかった、鎧掛松の古木を撮影する事が出来ました、地元の図書館に入り、 調査した処 昔は 神仏同じ処に祀られていましたので、この染井神社に 霊鷲寺があったと記載されていました。今は 分離されていますので、 この神社の下の方の 畑に 仏像が 数体寂しく 祀られているそうです、 次回再調査予定。染井神社鎧掛松石反橋 私が勝手に片眼鏡橋と付けましたが、正式は 石反橋 下の池は 神池と記載されていました。筑前名所図会参照した
2010.06.17
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きょうは、天気 快晴 気温 25度C 何時も 良い天気が続いています、6月9日は怡土七ケ寺の 不明の2っの寺 霊鷲寺は 糸島市 前原 染井地区に、 金剛寺は福岡市 西区 今宿上の原にある事は判明したので 取あえず染井地区に調査に行ったが探しきれずJA怡土農協に入り、聞いたが 解らず。 染井の信号付近で車を止めて、 散策したが 解らず、染井の井戸や 染井神社がありましたので、掲載します。染井の井戸染井神話・・・男装し将兵達に一つの奇跡を見せて励ましたいと思われ、ある朝皇后は将兵を連れて近くの泉に行かれ、そこで亡くなった天皇の鎧のうち、まだ白生地のままのものを高く差し上げ。皆のもの聞くがよい、我々は天皇の遺志をついて、やがて海を渡り三韓へ向おうとしているが昨夜不思議な神霊のお告げがあった。若しこの泉で鎧が赤く染まることがあったら、この戦は必勝若し染まらなければ望みなし早々に軍を引き揚げた方が良い・・・とのお告げである皆心静めて見られよ・・・・真清水の中から引き揚げられた白生地の鎧が色も鮮やかに真紅に染まっているではないか・・・勝ちいくさだ・・・・鎧は一度ほぐされて、近くの松に干された。 この鎧を掛けた松と云うのが近くの染井神社境内にある、おしいことにこの松は今は枯れて巨大な根株だけが残って、巨大な根株だけが安置されている。鎧を染めた泉はその後 井戸に築かれ徳川時代の宝暦元年(1751年)時の伊都郡の長であった今宿の永田清十郎によって玉垣がめぐらされ石の鳥居が立てられ地もとの人たちから守られている。・・・ 糸島の伝説を参照した・・・・染井神社松の 根株は 発見出来なかった(神社裏にあるのかもしれない)参道石の階段の手前に 小さい石の丸い橋が掛っています、昔はここを渡って参拝してあったものと 思われます。片眼鏡橋(当方が付けた)参道の初めに小さな池があり、この池に 小さな 石の橋が 掛っていた 眼鏡の片方だけの様に見えるため、片眼鏡橋と私が勝手に付けた。
2010.06.11
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