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きょうは 天気小雨、 気温22度C 湿度55%、 朝夕めっきり 冷えてまいりました。二丈 龍国寺の紹介をします、ここには 鉄肝園(鉄肝和尚作)という 有名な庭がありこれを撮影に行きましたが、 本堂の裏にあるそうで(お寺に断り撮影要す)今回は撮影出来ませんでした。この鉄肝園は、二丈 福井の大法寺から鉄肝和尚が龍国寺の後を継いだとの記録があり、又大法寺にも同じような 小さな庭が 本堂の裏にある、又一説によると 神在の庄屋 納富家の利休設計と云われている庭を見て これに負けない庭を作ったと 云われている。何時か 紹介します。 (神在: JR筑肥線 加布駅付近)龍国寺の山門、本堂山門からの眺め龍國寺の由来曹洞宗片法幢会地萬歳山龍國禅寺は建仁三年(1203)小松内大臣 平重盛公の 菩提の為 重盛公を開墓とし高祖城主 原田種直公創建の寺なり。初め小松山極楽寺と号し通る慶智玄大和尚を請じて開山となし天台宗の寺なりしが 至徳元年(1384年) 足利将軍義満公 伽藍仏像造立し充祐大和尚を請じ曹洞宗となる、 その後天正二年(1570年)高祖城主 原田隆種公は四男 親種公菩提の 為 寺を再興。号を萬歳山龍國禅寺と改め本室智源大和尚を請じて中興開山となし現在に至る。龍國寺の白壁
2010.09.27
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きょうは、天気曇り、 気温27度C、 湿度48%、 今週位からめっきり 涼しくなりました。秋野菜の種まきの 用意で畑を 耕運機で鋤いたり、草をとったり、畝を作ったり毎日が忙しい。今回は、鹿家の永見寺の紹介をします、この話は私が 古老から聞いた話をまとめています。永見寺全体JR 鹿家駅(ここから山手に見えている?)から10分程、 交差点から 山手側に登ると 200m~300mで右折し50m程度歩くと永見寺がある。ここは 高杉 晋作と 大いに関係がある 寺とは 知っている 人は少ない。 幕末 勤皇の志士(高杉晋作)をかくまった罪で、福岡藩主から 志摩の姫島に島流しにされた、(1865年) 野村望東尼を 助ける為に 使用された 寺と言われている。寺から見た鹿家海岸(串崎方面)本殿と、参問から見た 串崎方面(串崎の陰に姫島がある) この 寺は 姫島と目と鼻の 先になる、この寺には 仕掛けがあり、1階から2階にハシゴを使用して上がると ハシゴ を 引いて 2階に 隠し、 1階には 誰もいない 雰囲気となる。 勤皇の志士の隠れ家的場所で、野村望東尼を救う為には、 どうすべきか等を密かに、高杉晋作を 中心に話し 会われたものと 思われる。 歴史的には、浜崎の海岸から 姫島に救出に向かってとなっていますが、 一説では、この串崎から救出に向かったとの、話も残っています。(1866年) 残念ながら この仕掛けは 寺の補修などで 今は ないそうです。寺で 住職に お会いして お話を伺えたらと 思いましたが、 留守の様でした。00
2010.09.13
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きょうは、天気 快晴 気温31度C 湿度50%であり とにかく 蒸し暑い 家の中で扇風機に 当たって いるよりも 波止場で釣りを見ながら 暑くても 風に 当たっていた方が よほど 気持がよい。落馬薬師如来について 紹介します。(糸島市 二丈 福井)大法寺は至徳元年(1384年)に建立されたといわれる、古寺である 本尊は養老元年に作られたという 有名な 薬師如来像である。また 門前にも 古ぼけた御堂が街道に向かって立っており古い薬師如来像が安置されていた、 ここの高僧が 朝、夕のお勤めを すると この 薬師如来像から 何か気品の高い霊感を感じていた。その頃 この地域で 色々の災難 病が流行して、治っては又はやり、又寺の前の旧吉井街道を 馬で通過しようとする者がおれば 馬が止まり無理に鞭を当て 動かそうとすれば 馬が暴れ 振り落とされる等の 事故が起こる様になった。この噂は大法寺の 高僧の耳に入り 日頃 霊感を感じている 薬師如来の真前に当たることが 解り 何かのお知らせではないかと、 門徒を集め相談し 門前の薬師如来を境内の清浄の地に移し 旧吉井街道に沿って西向きに御堂を修築して薬師如来像を祭ったのである。ところが、 それ以降は 不祥事は 起こらなくなったと同時に、 如来様の 力は大したものだと ますます 信仰が盛んになったと 言う事である。薬師如来説明等 御堂全体、旧吉井街道方面現在は 御堂の前の庭は綺麗に清掃され 気品のある 雰囲気を かもしだして います。 内容は 糸島の伝説 参照しています。
2010.07.24
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