世界 0
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戦争遺骨の回収は必要か? 自分は、あと何年、生きるんだろうか? 2024-9-17 はんぺん 昔は、こう考えていた・・・(戦争を始めた日本政府の責任の下、見つからない戦死者の遺骨を 政府の責任で回収するべきだ・・・)と。日本人の死生観やしきたりなどもあって、いろいろな考えがあるが、僕は、最近は、戦争死亡も含めて、そもそも(墓)が、必要なのか? と、今は考えるようになっている・・・ 昨年、オフクロが、100歳で亡くなったが、生前からオフクロに、死没後の墓地・仏壇・親戚づきあいの3点について、強く、頼まれていた。その後も(はんぺん家の墓)の墓参も続けているが、世間の様相は、相当変化している・・・(墓じまい)(樹木葬)(海洋散骨)など、今では、埋葬方法も含めて、遺族の対応も多様化している。田舎に残してきた墓地の管理者が不在で、荒れ放題の墓も、急速に増えているという。そもそも、(墓)という発想は、宗教起源ではないか? 仏教・キリスト教・イスラム教など宗教界では、魂の存在などが取りざたされ、供養のため?に、弔いなどの宗教行事が慣習化してきた。もちろん縄文・弥生の原始時代では、異なった弔いがあったらしいし、時代が変われば、葬祭方法も、コロコロ変化していった。いい加減なものだ!この宗教という(非科学的)存在は、この文明・科学が発展していく未来においては、遺物と化していくと、僕は思っているが・・・弱点多き、強くない人間は、それでも(宗教)あるいは(宗教もどき)を必要とするのだろうか? 前から気になっていたことだが・・・戦争遺骨のことだ。・・・・沈められた軍艦内で戦死した遺骨は、海底深くで朽ち果てるわけで、回収などは、まず不可能だ。都市空襲で焼き殺された民衆の遺体は、無残な焼け野原の中で、1カ所に集めて焼かれたというが、まとめて埋められたのだろう、個人の特定など不可能だ。特別攻撃作戦で爆弾を抱えて、敵艦艇に突っ込んだ特攻兵たちは、爆弾もろとも吹き飛ばされ、バラバラに飛び散ったわけで、遺骨自体が見つかる事はあり得ない。南方に送られた日本兵は 食料を求めて、飢えと戦いジャングルをさ迷った。兵士の遺骨は、ジャングルの奥深くで(眠っている)だろうし、これも探しようがない・・・・というわけで、多くの戦死者の遺骨は、見つからず、白木の箱に石ころ一個で、遺族の下に戻されたという・・・死者の遺骨を墓に収めたいという遺族の気持ちは、分からないでもないが、戦死・餓死兵士、空襲被災者たちや、ジャングルの奥深くにあると思われる遺骨の回収は、ゼロに近い・・・と考えるのが普通だ。戦争を始めた日本政府の責任は、重大であり、ヒロヒト(裕仁)も含めて、戦争指導者の戦争犯罪は、追及され続けなければならないが、後世の負担に依存するばかりの戦争遺骨の回収などよりも、その後、生き延びることができた空襲被害者たち、戦争被害者たちの戦後補償などに注力するのが合理的ではないか? と、最近は考えている。 死生観(価値観)は、時代とともに、どんどん変化する。多くの友人、知人が鬼籍に入った。遺された我々が、そのことを、どう認識するか? という事だろう。 亡くなった人間にとっては、後の時代の事は(どうでも良い)事だ。それでも亡くなった人間と(関り)を持とうとするのは、遺された後の時代の人間だけ! 平安時代の紫式部は「源氏物語」を書いたという。後世の人間は、それを高く、高く(評価)する・・・そのことは、人間の成し遂げた業績として、人間の可能性の(証明)として、歴史に位置づけられている・・・そのこと自体は、素晴らしい事だと僕は思うが、亡くなった紫式部にとっては、(どうでもよい事)だということだ。彼女は、後世の(評価)を期待して「源氏物語」を書いたわけではない・・・前に、ブログでも書いたが、世界には、個人の業績を讃えて、その名を冠した事物が、ヤマのようにある・・・(レーニン通り)(スターリングラード)(ケネディ国際空港)(ドナルド・レーガン)・・・ しかし、死没した彼らにとっては(どうでもよいこと)なのだ・・・というより、後世の時代の人間が、(死没した人間)を利用して、後の時代の自分たちの(権威付け)に利用しているに過ぎないから・・・ 昔の業績を讃える事で、現在の統治の権威付けを補強しているのではないか。僕は、墓も仏壇も興味はない。自分は、葬儀無しの(直葬)を予定しているし、墓地には入らず散骨を予定している。少ない資産を、そんなところに使う愚は避けて、遺された者たちの生活の安定に寄与したいと思う。(参考)僕の店じまい 2015-10-12 (はんぺん)https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201510130004/はんぺんの リビングウィル 2015-6-15記録https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201510270005/
2024.09.17
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思いつくままに・・・昔の自分 (記録用:日記) 2024-9-8 はんぺんここ数年・・・よく考える事・・・自分は、あと何年、生きるんだろうか?人は、生まれるときは独り、死ぬときも独りだ・・・・ 社会的動物である人間は、群れを必要とし、群れなしには、満足に生き抜くことはできない・・・が、死ぬ時は、必ず独り・・・それが、自然・・・ 多くの(ときめき)が、あった・・・誰でも、普通にある事だが・・・ある時は(寝ても覚めても・・・)という事があった。僕の場合、いつも(片思い)に終わる運命で・・・ いつも、気持ちだけは若いつもりだが、肉体の劣化は、目を覆うばかりで・・・視力の劣化、記憶力の減衰、頻尿、生活習慣病の悪化。身体(筋肉)は、どんどん硬くなっていく・・・ 中学生の頃の受験戦争時代・・・(全集の乱読)は、価値観の転換の前触れだったと思う。本の中だけの世界だが、かなりの(勉強)には、なった。高校生時代(2年)からのベトナム反戦運動への参加が、我が人生の大きな分岐点になった。 我々は、団塊の世代・・・そのような時代に たまたま(偶然に)生を受けた。人生は、(偶然)という(必然の連鎖)の中にある・・・と思う。 あの頃の自分は、どうだったのか? と良く思うが、思い出せない・・・ただ・・・未来は、そんなに悪くはない・・・というか、これからの人生にワクワクしていた気がする。 確かに、受験という大きな壁をクリアーする事の困難さは、実感としてあったと思うが、それは、周りのみんなも同じ事。くよくよするより、ストレートに、前向きに取り組み、乗り越えるしかない・・・という事で・・・割とポジティブな自分だったと思う。 (偶然)の中で、いろんな事にチャレンジできる可能性は、感じていた。中学~高校~大学の成長の過程で、大きな変化を遂げた自分だった。当たり前のことだが、その過程は、得たモノ、失ったモノがある・・・100パーセントの人生などは、あり得ないので、それは、仕方がない・・・ 人間不信、人間嫌いの僕だったが、学生運動の中でも、それは強く感じていた。みんな、団結、連帯、統一、同志・・・・というが、何か、実感としては違和感があった・・・自分としては、(そうありたい)と思うが、現実は(そうでは無かった) 仲間(同志)には、いつも違和感を感じていた・・・街頭のデモで、スクラムを組みながら、いつも違和感があった。インターナショナルや国際学連の歌を歌いながら・・・(団結)(連帯)とは、何か違うぞ・・・と。 同じ組織で活動しながら、仲間とは距離を感じていた。緊張感が張り詰めていた当時の状況の中で、(おもいやりのある仲間づくり)が、無理だったのかも・・・と今では、思う。 自分の居場所を見いだせなくなり・・・距離をおくことにした。少し、別の世界に自分を置いてみたい・・・と。組織を離れる事に、全くと言ってよいほど後悔は無かった・・・のが、悲しい。それまでの自分は、何だったのだろうか・・・ 別の世界に飛び出した・・・1970/6/23に学生同盟を離れて、もう8/12には大阪を飛び出して、北陸の一人旅(8/12~)、若狭の旅(8/29~)、そして秋には、東北旅行(10/8~31) 1971年には、沖縄旅行(3/7~19) 台湾・沖縄旅行(8/22~9/15)1972年には、7/1~8/23欧州旅行(ホームステイ)で、ワイフと遭遇、四国の旅(9/5~14)、 友人と韓国旅行(10/10~11/3)1973年 山陰の旅(3/12~22)、南紀の旅(7/10~16) 旅が好きだというのではないが、別の世界を覗いてみたい・・・という好奇心があった。1年留年したことと、次男・3男も、大学進学のため、親からの援助は期待できず、アルバイトにも励んだ・・・授業は、相当サボった!! 大学卒業までには旅行以外にも多くの出来事があった。その間、僕のかっての仲間たちは、どうしているのだろうか? と考えることもあった。授業や同好会の活動のためにキャンパスにはよく顔を出したが、かっての同志と顔を合わせることが少なかったのは、なぜ? やはり(世界)が違っていたのだろう・・・と今では思う。 門戸を開放しているつもりの学生運動の世界は、意外と(狭い世界)(学友大衆から離れた世界)だったようだ。そう、騒々しいばかりで、中身の伴わない(空文句の時代)・・・これが、僕たちの生きた時代だった。 当時、僕たちは (極左冒険主義)を非難していたが、間違った時代の流れを 誰も止める事は出来なかったのだ・・・(自滅)を待つまで・・・・!!!あの(連合赤軍事件)は、自滅の(終わりの始まり)だった(その後、果てしない内ゲバが続く) ・・・その後、旧ソ連・東欧の社会主義世界体制の崩壊(1991年)で、社会主義の終焉を迎えた・・・・ 学生時代、(未来は、社会主義のモノ)と(宗教的に!)信じこまされていたものが、一挙に崩壊して・・・一種の虚脱状態になっていたかのように・・・??自分の一生に大きな影響を与え続けた、この時代の事を、75歳の今、ゆっくりと思い返している。そして、よく考える事・・・自分は、あと何年、生きるんだろうか?
2024.09.08
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サヨナライツカ 人生は、一度切り! 2024-8-26 はんぺん涙活用に 「サヨナライツカ」(辻仁成 世界文化社)を読んでみた。 サヨナライツカ(ウイキペディア)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A8%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%84%E3%82%AB /////////////////////////////////////////////サヨナライツカ いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい 愛に怯える前に、傘を買っておく必要があるどんなに愛されても幸福を信じてはならないどんなに愛しても決して愛しすぎてはならない 愛なんか季節のようなものただ巡って人生を彩り あきさせないだけのもの愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のカケラ サヨナライツカ 永遠の幸福なんてないように永遠の不幸もないいつかサヨナラがやってきて、いつかコンニチワがやってくる 人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと愛したことを思い出すヒトとにわかれる 私はきっと愛したことを思い出す //////////////////////////////// (人間不信)(人間嫌い)の僕の事だから、きっと同じで・・・臨終の間際には「きっと愛したことを思い出す」ことになる。(愛された)という経験は、全く無い・・・僕は、片思いのベテランだった。いつも、異性に対する関心は、おそらく、他人の倍以上・・・・そして、いつも声かけられず、片思いばかリ・・・の人生だった。 これまで、異性と手をつないで歩く・・・という経験は、思いつく限りは無いと思う。まあ性的には成熟しているにも拘わらず、自意識に捕らわれてばかりの片思いのスーパーマン・・・ぼくのような小心な男は、多かったと思う。 昔も今も・・・男には(女にも?)2種類のタイプがあると思う。一つは、享楽型というか、世間擦れした、遊び人タイプ。もう一つは、僕のような、世間に疎く、流行からは常に外れてきた、我、関せず・・・のタイプだ。 どちらが良いとか言うのではないが、どちらが損か得か・・・という判断は出来るだろう。恋愛などは、僕的には、はるかに遠い存在でしか無かった。 これは、僕の生きた環境が大きかったと思う。受験勉強や その最中の全集の乱読、いきなりの価値観の大転換・・・その中で、性的な爛熟はあったが、(世間擦れ)する余裕は無かった・・・それが、僕の人生。 (愛された)という経験は無かった・・・と言ったが、それは、人間にとっては、悲しい事であるかもしれない・・・が、(片思い)で(愛したこと)は、山ほどある。そして、その不足分、やりたいことを そこそこに やってこれたことで、多少の満足感もある。100%の人生などは、ありえないから・・・このあたりで手を打っても良いかも。
2024.08.26
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愚痴を つらつら・・・と。 2024-8-15 はんぺん あと何年、生きる事になるのだろうか? よく、そんな事を考える。 今年の12月の誕生日には、後期高齢者の仲間入りをする。後悔の多い人生だった・・・若い頃の不摂生が、たたって、今や、身体はボロボロだ。 今、毎日、12種類(18錠)の薬が、処方されている。これだけ、飲み続ければ、肝臓、腎臓へのダメージは、相当なもの。30代からの糖尿病は、もちろん、50代後半からは、慢性腎臓病に・・・コロナにも一度、罹患したが、幸いにも重症化はしなかった。 が、この歳になっての(健康オタク)は、手遅れというものだが・・・これも、自業自得だ。文句を言う事は出来ない・・・ 先日、朝日新聞の記事で、「ウクライナ軍に武器の購入資金を送ったとして、ロシアとアメリカの二重国籍の女性が、ロシア国内で逮捕され、ロシアの裁判所は(国家反逆罪)で、禁錮12年の実刑判決を下した」という記事を読んだ。(朝日、8/16夕刊) 彼女の送金額は、約50ドル(約7,400円)という。そして、拘束されロシアで、30万ルーブル(約50万円)の罰金も、言い渡されたという。 何と言う恐ろしい国だろう・・・と改めて、思う。そして、この全体主義(独裁国家)の異常さを 非難・糾弾してこなかったリベラルたちの(犯罪)に、思いを致す・・・・ 話は、変わる・・・・週明け5日のニューヨーク株式市場の暴落から、始まった世界同時株安は、収束に向かいつつある。この結果、何が起きたか? 前にも書いたが、経済格差のさらなる拡大だ。 資産家たちは、余裕資金で、しこたま、おいしい優良株を買い占めたことは、間違いない・・・(後は、寝て待つ)だけ・・・下がった株は、必ず、上がる・・・それが資本主義だ。 こういう暴落は、(千載一遇のチャンス)では無い!! チャンスは、実は何度もあったし、これからも間違いなく、ある! 1929年のウォール街の大暴落は、有名だ。世界恐慌の引き金となった。ブラックマンデーは、1987年に 起こった。1990年1月の日本のバブル崩壊も、我々が忘れる事は無いだろう。ITバブル崩壊は、日本では、2000年だった。2007年のリーマンショックでは、僕の周りの投資家も大きな影響を被った。2010年のフラッシュクラッシュ2020年の新型コロナクラッシュは、ごく最近の事だ。 これだけの頻繁な暴落でも、その後、必ず、株価は戻している。そう、それまでの(下げ)を完全に埋めているのだ・・・ (後は、寝て待つ)とは、そういうことだ・・・我々、庶民は、それが出来ない。余裕資金が、限られているから・・・かくて、貧富格差、経済格差は、拡大の一方となる。 今回は、愚痴を、つらつらと・・・・ はんぺん
2024.08.15
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つらつら思う・・・ 2024-6-3 はんぺん 70年代の僕たちは、反戦反安保、反自衛隊・・・が、平和な未来の日本建設に直結するものと疑わなかった・・・・ しかし、それは、大きな間違いであったことが、何十年後に、わかってきた・・・・その間、僕は、滅私奉公的に、反安保、反自衛隊、反沖縄基地・・・で、(闘ってしまった)のだ。 人生での大きな過ちに気づくのが、あまりにも遅すぎた!!人生総括における悔しさは、想像を絶するモノだった。何故って、人生は、やり直しができない、一度しか無いのだから・・・ 日米安保は、(日本が戦争に巻き込まれるから反対・・・)何と言う「自国ファースト」だったのか? そう、その時は、僕たちは、何も疑問を感じなかったのだ・・・ 日本さえ、戦争に巻き込まれなかったら、それで良いのか??(国外で、多くの戦争が、絶え間なく起きている現実に、目をつぶって、(日本だけが平和)なんて虫が良すぎる・・・というか、あり得ない話だった。 どこで、ボタンの掛け違えが起きたのか? これが、総括の第1の視点でなければならない・・・・ 戦争による惨禍に目を奪われるあまり、冷静な判断力を失ってしまった・・・のかも。それが、日本国憲法に対する正確な分析を誤らせ、野放図な(絶対平和主義)に堕ちて行ったのだ。それは、戦後民主主義運動の中核としての(護憲運動=非武装中立など)に道を開くことになる。 それらは、当時、全世界的に勢いのあった社会主義勢力(=全体主義勢力)の強い影響力が、社会党、共産党などの民主勢力にも波及していたことで、運動が、さらに歪曲されていった。 米軍基地に脅威を感じていた、ソ連・中国・北朝鮮による、日本国内の反米、反軍勢力への有形・無形の支援が、継続されていたことが、後日、暴露されていく。共産党は、もちろん、日本社会党にも、ソ連からの多くの活動資金が、裏金として、持ち込まれている。(レフチェンコ事件) 今では、想像すらできない、あり得ない(非武装中立政策)が、公然と打ち出されても、僕たちは、何の疑問も感じずに、それを受け入れてきたのだ。 当時の一般的な、日本の知識階級層では、(社会主義は善)という思想状況が、一般的だったが、それは、社会主義国家が、鉄のカーテン、竹のカーテンで、真実の社会主義社会の矛盾を隠蔽してきたからに他ならない。 そのため、我々は、社会主義=全体主義、 社会主義=軍国主義・侵略主義という真実を知ることは、無かった!! これが、総括の重要な要点なのだと思う。ボタンの掛け違えは、日本国憲法の認識・評価にも、さかのぼる必要がある。社民党の福島瑞穂(党首)は、選挙演説の中で、(戦後の国民が作り上げた憲法を守ろう)という、でたらめな話をして、大恥をかいていた。 このブログでも、何回も書いてきたが、戦後の日本国憲法は、GHQ(占領軍)完全占領下で、連合軍(米軍主体)の主導で、作成された。日本国民の意思などは、全く考慮されていない・・・というか、勝者が、敗者を忖度するなど、ありえるハズが無い!! 戦争で、多くの戦死者を出した米軍は、2度と日本が立ち上がれないように・・・完全武装解除を目指し、第9条を入れたのだ!!! 福島瑞穂や多くの民主派人士による(日本は、平和憲法を勝ち取った)というのは、戯言(たわごと)だったのだ・・・・ こんな、当たり前の事が、(社会主義幻想)(平和憲法幻想)に惑わされて、僕たちは、わからなかった・・・今でも、痛恨の極みだと、思っている。
2024.06.03
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つれずれに・・・ 2024-6-2 はんぺん今年末、75歳になる。よくぞ、これまで、やり切ってこれたな・・・と、振り返って思う。そして、後、何年生きる事になるのかな・・・と。 少なくない友人知人が鬼籍に入ってしまって、寂しい気がするが、これが人生なんだなあ・・・とも。 死んでしまえば・・・無の世界。物質や精神は、地上にも、天界にも、存在しない。 生に執着しても、それだけの事。人間が作り出した世相を 静かに眺め暮らす毎日が、無難かも・・・ 幸福だったか、不幸だったのか・・・は、過ぎ去ってから、分かること。死ぬ間際になって、分かるし・・・ああ、そうなんだ・・・というだけの事。 もちろん100%の幸福や、不幸なんて、あり得ない。人によって、濃淡があるのは、仕方のない事だ。その時の自分の選択が、どうだったのか? その時、考え得る最善手を選択したハズだった。しかし、そのことで、周囲の人間を傷つけてはならない・・・と、強く思う。 日本赤軍の重信房子や連合赤軍の森恒夫、永田洋子の事を思うのだ。彼らの軽はずみな(革命ごっこ)で、多くの人間が、殺された。悲しい・・・では、済まされない!! 彼らの所業は、永遠に記憶されねばならない。過ちを繰り返さないためにも・・・ 若い頃には、今の年齢にいる自分を、想像することも無かったが、この年齢になると、(死)について、考えることも多くなった。 トレーニングジムでは、高齢者ばかりで群れることも多いが、決まって(健康)についての愚痴ばなしが、良く出てくる。(あそこが痛い、ここがつらい)とか(あそこの医者は、ヤブだ、ここの病院は、看護士の対応が悪い)・・・とか。 今は、限られた残りの人生を、如何に、過ごすか? だろう。この歳になっても、(人生は、一生勉強)だけは、頑張りたいと思う。 「知は、力なり」・・・と、言われるが、自分の生きた、この世界を、もっと知りたい・・・という気持ちが、人生を生きるバネになっているから。 皆さんは、どんなことを考えていますか はんぺん
2024.06.02
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年末には(後期高齢者)になる・・・団塊の世代に生まれた。出生の1949年当時から、日本の変わりようは、すごい・・・ 2024-4-18 はんぺん多くの常識が、覆された。戦後の日本の流れは、その積み重ねのように思える。 当たり前に教えられ、信じ込まされてきたもの、常識?正論?が、間違っていた時に、人間は、どうするべきか? 間違いのない人間など、どこにもいない。必ず起きる間違い(過ち)に、我々は、いかに向き合うべきなのか? いつも、そのことを考えてきた。 僕は、今、74歳。もうすぐ(後期高齢者)になる・・・団塊の世代に生まれた。出生の1949年当時から、日本の変わりようは、すごい。 僕が、モノゴコロついた5~6才?ごろの生活実態は、おぼろげながらしか思い出せないが・・・ずいぶん今とは、違っていた。 あの頃は、町といっても、村が、あちこちにあって、それらの間には、広大な田畑が、拡がっていた。今は、その田畑の大半は、家々で埋め尽くされている。 70余年前の大阪で生まれた自分だが、そこは今でこそ衛星都市だが、当時は(村)だった。大阪府南河内郡高鷲村が、当時の住所。 まもなく人生の後半期に突入する自分の思いは、日本、人類、地球・・・そして、出来た事、出来なかった事・・・を振り返りながら、反芻しながら、それでもラストに向かって、しゃにむに走り続けることしかできない自分がいる。 知らなかった事、知らされてこなかった事、洗脳の嵐の中で、利用されたこと、無念な思い・・・ それでも、真実に向き合うべきと、逃げなかった事。 皆さんは、どう思われるか? はんぺん―――――――――――――――――――――QUORAから・・・(参考) 社民党の福島みずほ党首が「日本の首相が武力行使の現場に立つ事は初めてではないでしょうか。一体何を話を・・・」などと日本の武器供与を懸念するツイートをしていますが、この人に言いたいことはありますか? 言いたいことがあるか?山ほどありますよ!まず私は、福島瑞穂が党首をしている社民党の前身、日本社会党の長年の支持者でした。 昔よく言われていました。社会党が保守で自民が革新と。憲法改正を訴える自民と改憲阻止を訴える社会党、など正にその通りでした(今私は中国共産党を見て、改憲どころか核保有するべきだと思っていますが)。 社会党に対する不信感は、随分前からありましたがそれを決定的にしたのは、北朝鮮による日本人拉致事件でした。これは日本のマスメディアも報道せず、そんな事があり得るのか?というのが日本人のほとんどの反応でした。 私は逆に「あり得る」と思っていました。北朝鮮は日本人を殺そうとか、虐げようとかではなく、対韓政策で日本人を利用して有利な地位、有利な構造を作ろうとしていたのはよく分かるからです。 しかしその時の社会党委員長の土井たか子の「北朝鮮による日本人拉致などあり得ない」という断言、そして、拉致された有本恵子さんが必死の思いで出した父母に宛てた手紙が、周り回って社会党に来て、それを何と北朝鮮の日本支部の朝鮮総連に持っていった事実。 その時、この党は日本人のことを考えられず、他国を優先する人々の党なんだ!と分かったのです。 米ソ冷戦とか国際政治がどう動いているかは関係ありません。たった13歳の子供(横田めぐみさん)が他国の政治的理由によって誘拐され、その解決が出来ない!それは自民党の社会党化です。
2024.04.18
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74年の人生をいつも振り返っている自分。一度しか無い自分の人生に(やり直し)は無く、多くの反省があるばかり・・・それで良いのだ 2024-4-8 はんぺん リタイアしてからも、なんやかんやで、バタバタの人生を送ってきたが、なんとか、やり切れている自分に驚くことがある。 同時に、上野 千鶴子氏のいうような、「死ぬ間際に『ああ、面白かった、楽しかった、生きてきてよかった』と言えるような人生」(本文)で、僕は、幕を閉じることができるだろうか・・・とも考える。 いつも思ってきたことは、当たり前のことだが(人生は一度しか無い、2度目の人生は無い)ということ。今できる事を明日に延ばす意味は無い・・・と。不作為の罪は、僕的には、あり得ないと感じてきた。その反面、周りを見渡せば、今、出来るのに踏み出せない多くの友人知人を見てきた。 人生観の違いだから仕方ない・・・人生観は、その人の生い立ち(環境)に大きく規定されているのだから、その人に差し伸べられる手は限定的だ。 よくテレビを観ていて、運命・宿命というものを感じることが多い。以前、このブログで、こう書いた・・・「もし、1995年1月17日に、東灘区(神戸)に住んでいたら・・・もし、2011年3月11日に、三陸(東北)を旅行していたら、今の僕は存在していないかもしれない・・・」と。 ロシアに侵略されたウクライナ市民は、いま戦時下で、生死を脅かされ続けているが・・・これが、運命・宿命なのだろう・・・・人生については、考える事は、あまりにも多い・・・ 皆さんは、どう思われるか? はんぺん―――――――――――――――――――――結婚とは「一瞬が永遠に続く」という妄想だ上野千鶴子さんが語る「結婚と家族」 上野 千鶴子(社会学博士。東京大学名誉教授) 2016-9-9 東洋経済オンライン上野千鶴子さんが語る「結婚」とは? 日本を代表する社会学者であり、フェミニズムの牽引役でもある上野千鶴子氏。朝日新聞の人気連載「悩みのるつぼ」では学生から70代主婦など、年齢、属性の異なるさまざまな人の悩みに答えるなど、人生相談の名手としても知られる。 「相手のとどめを刺さず、もて遊びなさい」「立ちはだかる壁は、迂回せよ」など、過去の名言は数知れず。それらを収録した新著『上野千鶴子のサバイバル語録』刊行記念ブックトーク(朝日カルチャーセンター新宿)で語られた、上野先生の思いとは――。前編記事に続き後編をお届けする。 結婚、出産、仕事…女の長い人生、どう勝負するか「人はなぜ不倫するのか」と、先日、取材で聞かれました。質問の主は、不倫ジャーナリズム界の女王・亀山早苗さん。だから、こう答えました。「人はなぜ不倫せずにいられるのか」と。私は、不倫しないでいられる、ということのほうが理解できない。 以前、ある地方都市にいったら、結婚式場のポスターが貼ってあって、花嫁姿の写真に、こんなコピーがついてました。「最後の恋がはじまる」。それを見て、ウソばっかり、と思ったの。たとえば20代で結婚を決めたとして、これから人生100年になるとしたら、その後、70〜80年、あたらしい恋愛を封印するなんて考えにくいですよね。 上野に言わせてもらえば、結婚の定義とは、以下のとおりです。「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」。 いわば、これから他の人と恋愛をしないということを、結婚した方々は、神さまの前で誓ってきたということなのでしょうか。 私がフェミニズムを、なんのためにやってきたか。男女平等ももちろんだけれども、それ以前に、自分の自由を制約されたくないから。とくに性的な自由は大事だと思っています。その自由をむざむざ、人に手渡すというのが、よく分からない。 結婚願望は、いまの若い世代も高いのよね。みなさんは、結婚したい? もう、しちゃった? 一瞬が永遠に続くと信じることを、妄想と言います。だから、結婚が一生続くと思うのは、血迷ったのか、それともルール違反を承知でぬけぬけとうそついたのか。私は、どっちもできなかったの。愚直だったのかも知れませんね(苦笑)。 そんなことを話している上野に対して、「実は、結婚することになりまして」と、すまなさそうな顔で言ってくる教え子もいます。でもね、結婚するな、と言っているわけではないのよ。自分の人生に巻き込んでいい、相手の人生に巻き込まれていい。そう思えるほどコミットできる相手は、一生のうちで5人もいないはず。 そういう「血迷える相手」に出会えるのは、やはり幸福なこと。この経験は、しないよりしたほうがいい。相手の人生や人格に深く立ち入ることで、とことん、自分に向き合えるから。 ただし、このような関係を結ぶことは、婚姻届を出さないかたちでも可能です。上野は男嫌い、と言われるけれども、そうでもない。恋愛はしないより、したほうがいい。授業料を払ってでも、なにかを得られる関係は、持ったほうがいいと思っています。 家父長制という構造のドツボにはまっていた母 長年、朝日新聞のお悩み相談の回答者をしていますが、母と娘にまつわる質問がすごく多い。とくに娘からの相談で「母を嫌いになっていいのか。そんな私は、間違ってるのか」という内容のもの。 私の両親は、夫婦仲が悪かった。父は開業医で、母は専業主婦。母からは、「離婚できないのはあんたのせいよ」と、ずっと言われて育ったの。自らの不幸の原因が子どもにあると。子どもに負債感を負わせるという、いわば「弱者の戦略」を採用したんですね。 なので、ちっちゃいときは、「お母さん、かわいそう」と思ってたの。母は、ただでさえ娘を取り込んで味方にするからね。でもね、10代になって両親の関係をじーっと見て、こう思ったの。 「あなたの不幸は、夫を取り替えてもなくならないよ」と。なぜなら母が、家父長制という構造のドツボにはまっているとわかったから。だから、私は、はまらないでおこう、と思った。 家父長制という構造について研究したら、『家父長制と資本制』という一冊のぶ厚い本になりました。書くのに10年かかりましたが、ああ、私は母のリベンジ戦をやったのだ、と気づきました。 ただ、私みたいな娘がいたら、いやだろうね、とも思うの。母を仮借なく批判する、思春期の娘。10代の娘を抱えて育てる母は、身内に刺(トゲ)を抱えるようなつらさだと思う。その後、娘は成長して人生経験を積むと、母の置かれた立場に理解と同情を覚えて、「お母さんも、大変だったのね」と、わかってくれるようになりますが。 でもね、母は被害者のままというわけではないの。女は家父長制の代理人として、ときに抑圧者にもなる。娘に対しては母として、嫁に対しては姑として。 母娘対決のタイミングを逃すな そんな母娘関係の場合、いつか対決する必要がある。母親が、若くて元気だったら、たとえ対決して傷ついても、立ち直れる。一山を越せば、また別のいい母娘関係にもなれるしね。でも、私はそのチャンスから逃げちゃったの。大学進学を機に家から出てしまったから。 私が43歳のときに、母は亡くなりました。対決しようとしたときには、すでに病気にかかって弱者になっていた。だからそれが本当に心残りなのです。ですから、自戒も込めて、母娘対決のタイミングを逃すな、とアドバイスしたいですね。 それから、友だち関係について。必要なときに駆けつけてくれて、自分を支えてくれて、慰めてくれて、経験を分かち合ってくれるからこそ、友だち。放っておくのは友人ではない。友だちには、メンテナンスが必要なんです。メンテナンスというといかにもカタカナコトバだけど、いわば、水やり、ですね。 いまとなっては信じられないかもしれないけど、40年前に、女同士のあいだに、友情は成り立つか、女の敵は女、というテーマがディベートの題目になっていたことがあります。もし女が、自分が女であることを嫌悪し、相手が女であることを侮蔑していたら、女同士の友情は成立しない。でも、折にふれメンテしてきた関係というのは、そもそも相手の生き方にリスペクトがあるから。 友情のひとつに、同世代の友情があります。同じ時代に同じように成熟して、老いてきた。共通の経験がたくさんあります。だんだん私も高齢になるにつれて、ひとり去り、ふたり去り、3人去っていく。その人と共有した経験が、自分のなかからもぎとられて、スカスカになるような気分に襲われます。長生きのつらさってこれなんだな、と最近思うようになりました。 でもね、こう思ったの。ならば、若い友だちをつくればいいじゃないの、と。けれど、若い人は未熟だから、こちらが与えたのと同じものは返ってこない。そう覚悟しないと、つきあえません。見返りが欲しいという欲を持ったら、うまくいかない。これが年下の友人をつくる秘訣です。 そういえば、卒業時に、私にこうあいさつした学生がいました。「先生、長々お世話になりました。このご恩は、自分がこれから自分が教える学生に返します」って。みごとなせりふです。それで、いいんです、私に返ってこなくてぜんぜん、いい(笑)。 『おひとりさまの老後』の書名にもなった、おひとりさま。この言葉が広がったのは、とてもいいことだと思う。それまでは、高齢の独身女性へ対する呼び名は、ひどかったですからね。「嫁かず後家」、「オールドミス」「負け犬」ですから。 その後、「孤独死」と言われたくなくて、『男おひとりさま道』という本を書きました。そこでは、「孤独死」あらため「在宅ひとり死」という言葉を思いつきました。 首都圏のシングル率(30代)は3割台。この人たちがこれから結婚する確率は低い。となると当然、これからは「在宅ひとり死」が増えるでしょう。私は介護関係の講演会では、こういう質問をよくするんです。「みなさんは、死ぬときに、誰かに手を握っていてほしいですか」「死の床では、子や孫に取り囲んでほしいですか」と。 そこで、手をあげるのは、だいたい、おっさん。それとは対照的に、女の人は、覚悟が決まってる人が多い。ひとりで死ぬことを不幸と思わなきゃ、そんなもんだ、と。 人生の勝負は、短期では決まらない 書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプしますがんをはじめ、今の時代は、だいたい死期を予測できるようになっている。なので、もしみなさんも、うちの親もぼちぼちかな、と思ったら、日頃からこう伝えておいたほうがいい。「あなたの子どもでよかった。一緒に過ごせてよかった」って。臨終間際に「お母さんっ!」と、取りすがるよりもね。 だから、「ありがとう」「さようなら」を何度でも言ったらいいと思う。さようならを言って、そのあとでまた会ったら? 「また会えてよかったね」と、そして「さようなら」って心を込めて言えばいいじゃない。 私もこの年齢になると、追悼文を書く機会も増えました。だけど、なんぼいいこといったって、死人には届かない。なんで生きてるときに、言ってあげなかったんだろう、と。 だから、この頃は、人に合うたびに、「あなたのこんなところが好き」「あの時はとても助かった」と伝えて、相手のことを褒めるようにしているの。だから「上野に褒められると、死期が近い」と、思われるかもね(笑)。 人生の勝負は、短期では決まりません。自分だけ抜け駆けして出世したって、仕事を優先し過ぎたツケが子どもに来るかもしれないし、会社だってあなたの貢献に報いてくれるとは限らない。 年を取れば、どんな強者でも弱者になる。どんなに力のあった人もいずれ老いさらばえ、ボケて人の世話になりながら死んでいく。いま68歳の私は、全盛期に比べたら体力も気力も衰えてきているし、完全にくだり坂。ピークは過ぎたと実感しています。ピークへ行くまでが、上り坂。それからの下り坂が長いんです。 ピークっていうのは、過ぎたあとになって気づくもの。過ぎてしまったら「あら、あれが私のピークなの」「なんだ、あの程度だったのね」って。 もし強者のままで死にたかったら、早死にするしかない。そうもいかないから、どうやって自分の人生を終わらせていくかが、関心事になってくる。 私が教えていた東大生は、みんな、親や教師に褒められたくて、がんばってきた子たち。でもね、親や教師と、あんたとだったら、どっちが先に死ぬの? 彼らの死後は、誰があんたを褒めるの、って。 最後の最後に自分の人生を認めるのは、自分しかいない。 死ぬ間際に「ああ、面白かった、楽しかった、生きてきてよかった」と言えるような人生を送りたいですね。 上野 千鶴子 社会学博士。東京大学名誉教授
2024.04.08
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おふくろが亡くなってから「喪」の無い日々が始まった。僕には「喪中」という認識は無い・・・・・ それは(こころ)の問題だから・・・ 2023-12-5 はんぺん 故人に対する各人の思いは、外面でなく、こころの問題であるべき・・・・ 「喪に服する」という言葉がある。 「喪」・・・・喪(も)とは、身近な者や心を寄せる者、尊ぶべき者等の死を受けて、それを悲しむ者が一定期間中を過ごすことになる、日常生活とは異なる儀礼的禁忌状態(ウイキペディア)であり、この期間は慶事への参加、慶事を執り行うことを控えるとされてきた。 ウイキペディアでは・・・正月・・・・年賀状(喪中葉書を送付するなどして喪中欠礼挨拶を行う)正月飾り(連縄・門松・鏡餅など)をしない(飾っている間に身内が亡くなると飾りを外す)御節料理を食べない(特にめでたい意味を持つもの)初詣に行かない(神道では、死は穢れとされているため、その穢れを持ち込まないようにとの意味合い)慶事への出席・・・・結婚式・クリスマスパーティー・忘年会・新年会等への参加などを中止する慶事を執り行うこと・・・手続きとしての入籍は可能だが、結婚式は中止または延期が望ましい殺生を行うことを控える ・・・・ということだった・・・こういう習慣は、今後、消えていくものと思われる。今でも「喪中はがき」を出す人たちがいるが、僕は、こんな時間があれば、他のことに使いたい・・・・・・忙しい現代社会では、何ごとも、簡略化されていく。 そこで思うのは、あの独裁国家の北朝鮮だ。金日成、金正日の死去の時、長期間の服喪が、全国民に強制された。(偉大な将軍)の追悼のための服喪期間は、数年に及んだというから、権威主義国家の恐ろしさは、筆舌に尽くせない・・・ 北朝鮮のマルクスレーニン主義(共産主義)は、(主体思想)だと言われているが、共産主義でも何でもないことが、よくわかる。権威に歯向かうものは、粛清あるのみで、歴史的に繰り返されてきた(全体主義)(独裁国家)と瓜二つだったのだ。 日本のリベラルたちが、この北朝鮮の(社会主義=主体思想)の人権抑圧に見て見ぬ振りをしてきたことは、何度も指摘してきたが、その2枚舌が、彼らの没落の最大要因だった。 それにしても、旧ソ連や北朝鮮などでは、主要な街中には、必ず、バカでかいスターリン像、レーニン像、金日成像、金正日像が、作られ、国民を見下ろしていた。奈良の大仏と同じで、バカでかさで、権威を保持するということだが、独裁者に操られる庶民には、救いが無いように思えるのは、僕だけだろうか? ソ連崩壊後のロシア時代、たまたま海外山行ツアーで、カムチャッカ半島に行ったとき、そこの首都ペトロパブロフスク・カムチャツキーの街中に、レーニン像があって、驚いたし、アバチャ山頂( 2,741 m)にも、レーニンの銘板が、あった・・・・ 権威主義は、国家の隅々まで、沁み込んでいたのだった。 旅の思い出②(記録用)・・・今も昔も山行は、やめられない 2022-2-14 (はんぺん)https://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/202202140000/
2023.12.05
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満中陰(7/29)を 無事、終える(記録用) 2023-7-29 はんぺん無宗教、無神論者の僕には、そもそも仏事などは、関心外の事だったが、実母の事柄に関しては、そうも言ってられない。 よって、いろいろ勉強しながら、首尾よく執り行わなければならず、気の使うことが多い日々だった。 猛暑の中ではあったが、7月29日、満中陰(四十九日)を執り行った。「満中陰」は「中陰が満ちた」、つまり、四十九日の忌明けを迎え、死者が無事に成仏したことをいうそうだ。 葬儀、初七日と同様に、オフクロの意思(できるだけ簡素に)を尊重して、ごく近い身内だけを 招いての仏事となった。1. 施主の挨拶2. 僧侶の読経3. 参加者の焼香4. 法要後の会食 時期が、連日の猛暑のさなかだったので、熱中症で、ダウンしている親族も多く、参列の親族の皆さんには、申し訳なく思った。 実母の死去後、実家の後片付けを始めていて、連日、汗だく。、フラフラの毎日。放っておけば、ボウボウ生える庭の雑草抜きも、近くに住む僕任せになっていて、相当な負担となっている・・・・・ /////////////////////////////////////////// 施主からのあいさつ 2023-7-29 長男のはんぺんです。26日の葬儀に引き続き、今回、満中陰(49日)を執り行う事ができました。連日の酷暑の中、御足労いただきました皆様方には、大変、感謝申し上げます。 今回の満中陰のキーワードは(簡素)(質素)です。実父XXXの葬儀(1984年)から、40年が経過しました。世間は、大きな変化をしてきました。 もちろんコロナ過での対面叶わぬ葬儀もありましたが、葬儀そのものが、一般葬から家族葬へと大きく変化・・・今や葬儀の8割が、家族葬となっています。 満中陰も、その流れが定着しています。実父XXXの時は、葬儀や満中陰の時の香典やお供え物などの対応も大変でしたが、今回は、オフクロの出来るだけ(簡素に)という強い意志を踏まえて、執り行います。 皆さん方には、①平服で ②香典・お供え物は、無しで・・・ 身体一つで、参列いただきました。これが、今後の主流になるものと考えます。 実父XXXが、病のため、64歳で去りましたが、実母XXXは、その分も併せて、100歳まで、長生きすることができました。 生前、長男・3男に対して、しきりに(お墓)のこと、(ご仏壇)のこと、(親戚づきあい)のことを気にして、訴えていました。そのたびに(大丈夫、安心してね)と、僕たちは、答えてきました。それが、唯一の気がかりだったのだろうと、今では思い起こされます。 皆様方に、おかれましても、同様で、これまでの(ご縁)を大切にしながら、これまで以上に、親しくお付き合いのほどを、よろしくお願いします。 2023-7-29 はんぺん(施主)
2023.07.29
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実母の死、一つの時代の終わり・・・(記録用)はんぺん 大正・昭和・平成・令和と 生き抜いた実母が、100歳の誕生日(6/5)を祝ってから、それほど間もおかずに、6/23に、亡くなった。 たまたま長男だった僕だが、実家の近くに住み、実母と最も関りが多かったという関係上、喪主となり、6/25の通夜、6/26の葬儀を執り行った。 喪主としては、初めての事でもあったが、ある程度の覚悟も出きていて、実母の希望であった家族葬を 親族の皆さんの理解も得て、シテイホール平野(玉姫殿)で、ツツガナク執り行った。 ツツガナク・・・・というものの、実態は、バタバタと振り回されて、疲れ切ったモノだった。葬儀場との打ち合わせ、お寺さんとの調整、家族葬の参列者への連絡調整、その他、多くの雑事は、ヤマのように、次から次へと出てきて・・・てんてこ舞いだった。 6/25の一日 13:00~14:00 湯灌(ゆかん)16:00~ 納棺18:00~19:00 通夜 6/26の 告別式、初七日の経過10:00~11:00 告別式、初七日11:00~ 出棺 瓜破斎場へ11:30~13:30 精進あげ13:50~骨上げに 瓜破斎場へ14:15 解散 実母の履歴府立堺高等女学校(今の泉陽高校) 5年間日本生命勤務 18歳から8年間(S16/3/24~S24/1月末)S24年 2月結婚、亡父は、光生命(後の安田生命)勤務、実母は、日本生命勤務。1984(S59)8/19 実父 死去 64歳(胃がん)61歳~70歳 10年間、ボランティア(橘作業所)老人会役員 80歳まで務める2020年8月31日 老人ホーム(ライフビュー)入所(97歳)2023年6月23日 死去(100歳) ////////////////////////////////////// 喪主からの御礼の言葉 2023-6-26 お忙しい中、実母の葬儀に参列いただき、ありがとうございます。喪主で長男のはんぺんです。 先日、6/5に、オフクロは、100歳の誕生日を、老人ホームで迎えました。ケーキでお祝いしたのですが、その時は、以前に比べて、かなり弱っていたようでした。毎月の面会の時に、よく見られた発声もなく、動作も緩慢で、とても気がかりでしたが、その後も、状況は改善せず、6/19の地元市長訪問時の、花束贈呈も、笑顔が見られませんでした・・・そして、6/23、状況は急変し、午後2時25分に、静かに永眠しました。 この日、たまたま予約面会日で、僕とワイフと いとこのYさんの3人が、ホームに駆け付けた、そのちょうど5分前ぐらいに、息を引き取ったとのことで、びっくりしました。介護士さんの話では、痛みを訴えることも無く、静かに眠るように亡くなったという事でした。 オフクロは、2019年7月に、デイサービスでの体調悪化をきっかけに、55日間のT病院入退院がありました。その後、3男と協力して、デイサービス・ショートステイを利用しながら、自宅での介護を続けてきましたが、(老々介護)にも、限界を感じ、選択肢として、老人ホーム入所がありました。 施設探しは、3男の充分な協力が得られず、結局、僕が先導して、ホームを探すことになりましたが、ちょうど、コロナ過の真っ只中の時期で、どこのホームも戦々恐々で、施設見学も、ままならない状況でしたが、辛抱強く時期を待ち、2020年8月31日に、介護付き有料老人ホーム「ライフビュー」に、97歳で、入所を果たしました。 その後、2020年10月、誤嚥性肺炎で、2021年5月、頸部大腿骨折で、2023年3月、誤嚥性肺炎での、入退院がありましたが、それらを乗り越え、先日、100歳の誕生日を迎えました。6/19には、地元の市長さんから、花束が贈られました。 100歳の年月は、僕にとっては、(夢のまた夢)であり、すごいことだなあ・・・と思います。そして、オフクロの人生は、相当な幸せな人生だったと、僕は思いました。父は、胃がんが原因で、64歳で亡くなりましたが、相当つらい病との闘いでした。それをまじかに見ていたオフクロは、尊厳死協会に入ったりして、老後の準備も整えながら、旅行、アルバイト、ボランティア活動、婦人会・老人会などの世話役活動など、多彩な活動を繰り広げてくれました。まさにスーパーウーマンだったと思います。 生前、盛んに(お墓)と(仏壇)(親戚づきあい)のことを気にかけ、誰が後を継ごうとも、しっかり頼むと、何度も繰り返していました。そのたびに僕たちは(安心してね)と言い続けてきました。 老人ホームでの2年と10か月の生活は、コロナ過のため、制約が多かったと思います。しかし、その分、オフクロの生きる気概も、相当なものだったと思うのです。 ホーム入所前から、「寂しいから、面会に来てね!」と何度も言われていたし、僕は、計33回の面会に馳せ参じました。寂しさを紛らわせ、気分転換になってくれたことと今では思います。 きょう参列いただいた皆様に、置かれましては、ぜひ、この100歳を目標に据えて、末永く、健康長寿を推進されますよう祈念して、お礼の言葉に代えさせていただきます。 本日は、ありがとうございました。
2023.06.26
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オフクロ100歳の死を思う。一つの時代が終わり、新しい生命が生まれる輪廻転生 2023-6-25 はんぺん 6/23、オフクロが老人ホームで亡くなった。6/5に 100歳の誕生日を迎えて、まだ日も浅かった。6/19に、地元の市長さんの訪問を受けて、(御祝いの花束)を貰ったばかりだった。 6/5の誕生日は、ケーキでお祝いしたのだが、その時は、以前に比べて、かなり弱っていた。毎月の面会の時に、よく見られた発声もなく、動作も緩慢で、とても気がかりだったが、案の定、その後も、状況は改善せず、6/15の体調悪化での緊急受診では、CT検査などの結果から、胃がん・大腸がんで、肝転移していて、ステージ④の状態だということがわかった。 処置として、外科的処置や化学的処置などは、100歳という高齢からは、勧められないということで、今のところ、(痛み)はないので、しばらくは、このまま様子を見ることになっていた。そして6/23、状況は急変し、午後2時25分に、静かに永眠した。 この日は、たまたま予約面会日で、僕とワイフと親戚の3人が、ホームに駆け付けたのだが、ちょうど5分前ぐらいに、息を引き取ったとのことで・・・・びっくりした。看護士さんの話では、痛みを訴えることも無く、眠るように無くなったという。 オヤジが、64歳で、胃がんで早世したことを考えると、オフクロの100歳は、驚きでもある。100歳の年月は、僕にとっては、(夢のまた夢)であり、すごいことだなあ・・・と思う。そして、オフクロの人生は、相当な幸せな人生だったと・・・・ 父の辛い闘病を間近かに見ていたオフクロは、尊厳死協会に入ったりして、老後の準備も整えながら、アルバイト、ボランティア活動、婦人会・老人会などの世話役活動など、多彩な活動を繰り広げてくれた、まさにスーパーウーマンだったと思う。 オフクロは、2019年7月に、デイサービスでの体調悪化をきっかけに、55日間のXX病院入退院があり、その後、僕は3男と協力して、デイサービス・ショートステイを利用しながら、自宅での介護を続けてきたが、(老々介護)にも、限界を感じる中の、選択肢として、老人ホーム入所があった。 施設探しは、充分な協力が得られず、結局、僕が先導して、ホームを探すことになり、ちょうど、コロナ過の真っ只中の時期で、どこのホームも戦々恐々で、施設見学も、ままならない時期だった。が、辛抱強く時期を待ち、2020年8月31日に、介護付き有料老人ホーム「XXXX」に、97歳で、入所を果たした。 その後、2020年10月、誤嚥性肺炎で、2021年5月、頸部大腿骨折で、2023年3月、誤嚥性肺炎での、入退院があったが、それらを乗り越え、先日、100歳の誕生日を迎え、6/19には、地元市長から、花束が贈られた。 生前、盛んに(お墓)と(仏壇)(親戚づきあい)のことを気にかけ、誰が後を継ごうとも、しっかり頼むと、何度も繰り返していて、そのたびに僕たちは(安心してね)と言い続けてきた。 老人ホームでの2年と10か月の生活は、コロナ過のため、制限が多かったが、その分、オフクロの生きる気概も、相当なものだったと思う。ホーム入所前から、「寂しいから、面会に来てね!」と何度も言われていたので、僕は、計33回の面会に馳せ参じた。寂しさを紛らわせ、気分転換になってくれたことと今では思っている。 人の命は、永遠ではない・・・いつか、その時が来る・・・だから(いま)を手抜きせずに生きなければ・・・
2023.06.25
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100歳の誕生日のオフクロ・・・幸せ?な人生・・・ 2023-6-5 はんぺんきょう、6/5は、オフクロの100歳の誕生日だった。 老人ホームに入所したのは、3年近く前の2020年8月末。オフクロは、97歳だった。 コロナ過の中で、毎月1回、オンライン面会、玄関のガラス越し面会、パーティッション面会等で、足しげく顔を出してきたが、ようやく3ヶ月ほど前から(対面面会)が、可能になった。 きょうは、100歳の誕生日に合わせて、7号ケーキを持参して、娘も加えて、老人ホームで、部屋を用意してもらって、ケーキと(お茶)で、お祝をした。 車いすで、出てきたオフクロは、かなりの難聴だが、視力を維持しているので、コミュニケーションは(筆談)になる。少し認知症が入っていて、反応が弱いのが気にかかる・・・まもなく3男も、孫と2人で、来てくれた。 ひとしきり写真を撮ってみたが・・・元気で、生き生きしていたオフクロを、そばで、よく見ていた僕にとっては、今の景色は、なかなか複雑・・・で、悲しい。 加齢とともに、生き物は衰えるモノと、頭では分かっているつもりだが・・・目の前の現実には、どうしようもない無力さを感じるばかりだった。 大正12年生まれのオフクロの青春は、あのアジア太平洋戦争という、侵略戦争の時代と重なっている。僕が高校生の頃、オフクロが、自身を(自虐的に)「軍国少女だった」と言っていたが、敗戦という現実=価値観の180度の転換をすぐには、受け入れられなかったようだ。 歴史への真摯な向き合いは無く、(上書き保存)で、やり過ごしてきたということだ。天皇制=絶対主義による(洗脳)を「仕方が無かった」で、済ませようとしていたのが・・・残念だった。 糖尿病の僕には、100歳など、(夢のまた夢)だが、100歳まで生きるという事が、幸せな事なんだろうか?と、よく考える。 若かった頃の自分は、古希を過ぎた今の自分を、想像すらできなかった・・・未来への希望があったからこそ、その時その時を、必死になって、充実したものにすべく、頑張り抜いてきたのだが・・・ 100人いれば、100通りの人生がある・・・それで良いのだろう。
2023.06.05
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初春2023 本年もがんばろう・・・・みなさまの健康と多幸を、祈念します!!!どうか良い年でありますように!!! はんぺん―――――――――――――――――――――――――――――――新型コロナの感染拡大は、止まらないようですね・・・・・第8派の真っ最中の様子です。 僕たちの短い人生にあって、この新型コロナの蔓延という事実は、かなり大きな出来事になりましたね・・・・・明日のことは、誰にもわかりません・・・・中国:武漢発のコロナウイルスの爆発的感染・・・・今やブーメランのように、中国大陸に戻ってきて、大混乱になっているようです・・・・・・独裁者(習近平)の統治は、それでも盤石のようです・・・・これが全体主義、共産主義の恐ろしいところですね。 今年、99歳になったオフクロ・・・・ デイサービス、ショートステイを経験後、老人ホームに入所(2020/8/31)して、もう2年以上になります。いつも気が落ち着かない日々ですが、自身の生活のこともあり、なんとかバランスを取って、関わり続けてきました。 昨年は、ロシアによるウクライナ侵略(2/24)をはじめとして、いろんな出来事がありました。国政選挙では、自民党の失政にもかかわらず、相変わらずですが野党に対する期待は、ほとんど無かったのが、印象に残りました。 昨年の東京オリンピックも、今年のワールドサッカーも、僕は、ほとんど興味は有りませんでした。あのような大きなイベントには、必ず、うさん臭い(お金)の闇がついてきます。 2025年予定の大阪万博も、同じですね。クリスマスもハロウィンも、(お金儲け)に踊らされているばかりの人生は、止めましょう・・・・・と言ってきました。(年末宝くじ)には、だまされてはいけません。ムシの良い事が、起きる確立の超低いことは、誰でもわかることです・・・・ 軽薄な、上っ面だけの人生はむなしいと、つくづく思います。 身体はボロボロの僕ですが、皆さんは健康には、十分留意してください。「健康あっての物種」 「命あっての物種」です・・・・・・ボロボロになってから、あわてて、食養生や運動を始めても、手遅れ感が一杯です・・・・ 何事も早い目に手を打つこと・・・・今できることは、すぐに実行する・・・・先に延ばさない事・・・・これを心がけてほしいと思いますね。僕が、50余年前に、学生運動から学んだ教訓は、遅ればせながら、こんな形で生きています。 新しい年を迎えたとしても、今さら、どうということは無い。これまで通りの生活を生き抜いていく・・・・日々、真摯に現実に向き合い、真実を求めての学習を、励みとするまでです・・・・知的関心は、脳の活性化に最適です。それを社会に還元すること・・・・それを(生きがい)にできることを 自分の(幸せ)と感じたいモノです・・・・ 今年100歳になる予定のオフクロのことも含めて、今年は、僕にとっても大変な年に なりそうな予感がします・・・・どんな1年になるだろうか? (追記) 懸念していた運転免許の更新については、誕生月を前にして、クリアできてホッとしています・・・とりあえず、この先3年間の延長に。たかが3年、されど3年、この3年間が 吉と出るか?凶と出るか? それまでに人生を終えることもありうるし、それは、誰にもわからない・・・・ただ、はっきりしていることは、この3年間で視力が相当悪化したことは、実感しており、さらに今後は、悪くなることはあっても、良くなることは無い・・・・という事です。 皆さん、くれぐれも、お体大切に・・・・!!!!!!
2023.01.01
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つれづれ日記 2022-11-3 はんぺん 昨日(11/2)、5回目の新型コロナ予防接種に行ってきた・・・・・新型コロナの感染拡大は、変異種のオミクロンBA5などを中心にして、第8派の流行期に入りつつあるとか・・・・・ 僕たちの短い人生にあって、この新型コロナの伝染病の蔓延という事実は、かなり大きな事件になってしまった・・・・・・ とりあえず「3密」を避けるとか、マスク、うがい、消毒を徹底するとかの最低限の努力は欠かせないが、それ以上は、気にしても仕方が無い(どうしようもない)ので、淡々と日常生活を送るしかない・・・・ 幸い、これまでのところ(感染)は無かったが、今後のことは誰にもわからない・・・・人生は、(賭け)のようなところがある・・・・・・ 新型コロナウイルスワクチン予防接種記録 (記録用)1回目 2021年6月2日 ファイザー2回目 2021年6月23日 ファイザー3回目 2022年2月9日 ファイザー4回目 2022年7月20日 ファイザー高齢者インフルエンザ予防接種 2022年10月20日5回目 2022年11月2日 ファイザー ここにきて、急激なインフレの波が、日本列島を襲いつつある。日頃から、食料品などの買い物に頻繁に出かける身としては、物価の上昇は、ひしひしと分かってくる。いつも買いなれている食材が、ジワジワと値を上げつつあるし、特に野菜の値上がりは、糖尿病で食事制限中の身にとっては、相当にこたえるのだ・・・・ 現役世代の方は、物価は上がるのに賃金は上がらない・・・・ということで、いつまで耐えることができるのだろうか? 心配である。 我々の時代にあっては、就職後は、物価も上がったが、賃金も上がってくれたから、いくらかの(蓄え)も作ることができたが、今の若い人たちは、自分のことで精一杯で、結婚などの将来設計まで考えられないのではないか・・・?? これが日本の現実なのだ・・・ 僕の次女は、現在、東大阪に住み、高齢者介護施設で働いているが、40歳を過ぎて、独身生活を淡々と送っているが、(老後は一人になるから、その準備は怠るな!)と、会う度に言い聞かせている・・・・だけでなく、計画性のある日常生活、老後資金の作り方・・・など、いつまでも、(親ばか)で関わり続けている・・・・ 前にブログで、日本の教育の中で、なおざりにされてきたのは、性教育と金銭教育だ・・・と書いたが、その結果、人生の後半を 困窮のために苦闘する人々が多いということを聞く。 昔は(革命で世の中は、楽園に・・・・)という妄想が、流行ったが、今は誰もついてこないのは当然だ・・・・とりあえずは、自分の身は自分で守るしかない・・・・ということだろう。 今年、99歳になったオフクロ・・・・ デイサービス、ショートステイを経験後、老人ホームに入所(2020/8/31)して、もう2年以上になる。月一回の面会に顔を出しているが、3人の兄弟のうち、面会に顔を出すのは僕だけだ。 これまで、何度もオフクロの(緊急入院)などがあったが、万が一の場合に備えて、何度も老人ホームの担当者と打ち合わせを繰り返してきた。何十年も前から(尊厳死協会)に入会して、後々のことは頼まれてはいるが、こればかりは、落ち着かない日々だ。 尊厳死とは・・・延命治療を行わず、人間としての尊厳を守りながら最期を迎えることを尊厳死と言います。(HP)「一般財団法人 日本尊厳死協会」では、「不治で末期に至った患者が、本人の意思に基づいて、死期を単に引き延ばすためだけの延命措置を断わり、自然の経過のまま受け入れる死のこと」としています。 親の介護については、どことも大変な様子・・・・・オフクロの場合、(最期まで、自立したい)・・・・・という本人の希望を尊重して、デイサービスやショートステイを利用しながら、ヘルパーさんの助けも借りながら、97歳までは、府内に住む兄弟2人(僕:長男、弟:三男))で、実家での食事や雑務を引き受けてきた。 さすがに(素人)の介護には限界があること、(老々介護)で、共倒れするのは避けたい・・・という僕の意見から、96歳のオフクロの老人ホームを探すことを提案したが・・・・3男は、老人ホームの入所に良い顔をせず、僕たち子どもが見るべきだ・・・と主張。やむなく僕が一人で、実家の近くの老人ホームを見つけてきた。 この歳になると、認知症も進み、難聴も深刻で、面会でも、なかなか通じ合えない場合が多くなる。素人の僕たち兄弟が、下手な介護で関わるよりも、しっかり設備の整った施設で、プロの世話になるほうが、はるかにオフクロには良いだろう・・・と確信していたが、結果は、僕の判断が間違っていなかったことがわかる。 毎月20万の費用が掛かるが、それは、オフクロの(蓄え)からで賄える。僕は、実家の庭仕事(草取り)や居宅の清掃、毎月の(お寺さんのお参り)の接待、年4回の墓参り・・・・毎月の面会などを一人でやることになった。仕方がない・・・・ 因みに、オフクロの入所施設は、高額だけあって、看取り介護を行っている介護施設ということで、そこで最期を迎えることができる。 オフクロの最期や僕自身の最期のことを、よく考えるようになった。死生観・・・・死生観は個人の環境や価値観によって異なるので、正解がありません。また、必ず持たなければいけないものでもありません。死生観の定義・・・・・死生観とは、生きることと死ぬことに対する考え方、または判断や行動の基盤となる生死に関する考えのことです。(HP) 死生観とは、死は誰にでもいつか必ず訪れるという前提で、今をどのように生きるかを考えることです。(HP)・・・・つまりは、死生観とは、人生観だということだ。(人は、如何にして生きるべきか・)ということだろう。あまりにも哲学的で、なかなか答えが見つからないようにも思えるが・・・・人生観・・・・・人生とはこういうものだ、こうあるべきだという考え方で、生き様や生き方全般を指すことも多い。(HP) リタイア後、(人生総括)を進めてきた。道半ばだが、自分なりの納得が得られつつあるように感じている。出来た事、出来なかった事、近い将来に、できる事、できない事・・・・・というわけだ。 趣味とかは・・・・一般に言われるほどのこだわりは無い・・・・山行や旅行などは、僕には(つけたし)だった。僕が、価値観の大転換を果たした、あの60年代後半~70年代前半。 (一人はみんなのために、みんなは一人のために・・・)という、あの理想が、その後の僕の人生を決定づけてきた。 その中で、(護憲)という、恐ろしく重い(過ち)を犯してしまった・・・・・詳細は、このブログの中で、何度も繰り返している。 (社会主義幻想)(平和憲法幻想)は、僕の人生にとっての最悪の(過ち)だった・・・・全ては、ここから始まったのだ・・・・・・ つらつらと・・・・・で、駄文になった・・・・ はんぺん
2022.11.03
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時間は、無情にも、早々と過ぎ去る・・・やりたいことがヤマほどあるが、ほとんどできていない・・・ 2022-6-8 (はんぺん)6/9から、少しの間、家を空ける。残り少ない人生だから、やりたいことの一つでも・・・との思いも。読みたい本が、ヤマのようにあるが、家の中に(つん読)になっている。 見たい映画も、いっぱいあるが・・・果たせそうにない。先日(6/5)オフクロが99歳の誕生日を迎えることができた。ワイフと2人で、ケーキを持って、老人ホームを訪問した。面会は、(オンライン面会)から、一歩前進して、(玄関のガラス戸越しの面会)になっている・・・が、強度の難聴の上、視力もかなり衰えてきて、なかなか不安定な様子に、心が痛む。誰でも、この年になると、仕方がないのだろうと納得するしかないのだ・・・・ 実家の庭の手入れでは、暑くなるにつれて汗だくの作業で、てんてこまい・・・・週6回のジムでの健康づくりは、はっきり言って(手遅れ)だと思っているが、やらないよりもマシか? (つん読)の大量本を横目に、朝日・産経・毎日の古紙をチェックして、切り抜きを40年(以上?)続けているが、これは、ブログの材料にもなる。 ネットで多くの情報を得るために使う時間も膨大になるが、人生最後の学校(勉強)なのだと言い聞かせているが、いい加減、倒れそうな気もする。 (学校での勉強)も、大切なのは言うまでもないが、卒業後の(自由勉強!)が、より力の入る勉強だと思ってきた。「騙されたまま死にたくない」という思いもあり、「何が真実か?・・・」が、人生後半のキーワードになっていく。(洗脳からの解放)ということだが・・・・ 最近、一番腹が立ったこと、それは、極悪犯罪人=重信房子が、刑期を終えて釈放されたことだ。僕の友人知人たちの多くは、70年安保世代だが、多少なりとも学生運動の洗礼を受けた者が多い。 彼らを見ていると、(やり方は間違っているが、主張は理解できる)などという、(昔、活動家)に対しての(甘ちゃん)が多いのではないか?と想像してしまうが・・・・・これは、とんでもないことだ・・・・ 内輪で殺し合いをしたり、無辜の市民を殺傷したりしてきた極悪犯罪人は、相応の厳罰を科せるべきなのは、当たり前のことだ。犯罪は、(情緒)でなく、(結果)で裁かれるべき・・・と言ってきた。きちんと(総括)するべきなのは、極悪犯罪人だけではない! 団塊世代の中の(甘ちゃん)たち、あなたた自身もだ・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2022.06.08
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今「夜のピクニック」(恩田陸 著)を読み終わる (はんぺん)さっき、「夜のピクニック」(恩田陸 著)を読み終わった・・・ 「年に1度に開催される高校の伝統行事「24時間80キロ歩行祭」に高校生活最後の甲田貴子と西脇融が参加した。この時、貴子はある「賭け」を内に秘めながら参加していた。メイン2人の関係性やその周りの友達や親友らとともに歩き、徐々に成長していきながら物語は繋がって濃くなっていく。青春物語。」(レビューから) あの頃の自分は、どうだったんだろう・・・???(青春時代は、受験勉強まみれの灰色生活だった・・・)というのは、定番のフレーズだが、実際には、一人一人の青春があった・・・ということがわかる。 残念なことに、僕の場合は、受験勉強というだけでなく(実際、言うほど勉強はしていなかった!)、乱読にはまり込み・・・(人間嫌い)が、ますます加速していった時期だ。人間嫌いの僕には、青春時代らしきものは・・・無かった・・・・ クラスには必ず(人気者)がいるものだが、僕は、常にその反対の極に居た。テレビで、その時代の青春歌謡曲が頻繁に流され、多感な高校生達は、積極的に自分の(歌)に取り込んでいたが、そんな(作られた青春曲)に、反発するばかりの、偏屈人間が 僕だった。 一種の反抗期・・・と言ってしまえば、それはそれで間違いではないが・・・ この18歳の高校生たちの人間関係は・・・僕には、当時としても相当遠い世界の出来事でもあるようにしか感じられない・・・だから、読んでみる気になった。 今の僕は、もう彼らの④倍の年齢に達している。大阪の衛星都市から、越境通学で、大阪市内の進学校に通学を始めた中学1年生から、5~6年経っても、いまだ(お客さん)的な中学・高校・大学という学生生活だった・・・(人間不信、人間嫌い)が、当時の僕であり、72歳の今もそれは続いている。 高校2年から、ベトナム反戦集会、講演会、デモを(連帯を求めて)無数に参加して、大学に入ってからでも、(連帯を求めて)学業をほったらかしにして、反戦運動に駆けずり回ったが・・・(人間不信・人間嫌い)は、変わらなかった・・・ どこか自分が(醒めていた)のだと思う。(戦争反対)とか(ヒューマニズム=人権)という(大義)には、憧れていたし、信じて疑わなかったが、連帯したいと思う周囲の人間たちに対しては、常に(うさんくささ)を感じていたのは、なぜだろう・・・???? 結局のところ、人間は、飲み会やコンパや集会などで、(連帯)を求める(フリ)はするけれども、自分以外は、すべて(他人)だという事だろう・・・ 飲み会やコンパや集会で(盛り上がっても)、それは(思い込み)にすぎなくて、それが(お開き)になれば・・・バラバラに解散して、孤独の世界に戻る・・・ 夫婦も、結局は他人である・・・と以前書いたが、誰でも新鮮な恋愛感情には憧れるものだ。僕も、中学3年の時に、強烈な片思い(恋愛感情)を抱いた女性がいた。(その時は、声もかけられずに・・・終わる)という僕にとっての初恋は、そういう悲惨なものだった。人間嫌いのツケというわけだ。 高樹のぶ子(作家)が、書いているように、結婚までは、逢いたくても会えないので、相手に対する思い(憧れ)は増幅するが、結婚してしまえば、会いたいと思っていた相手が、始終そばにいるので、会いたいという思い(憧れ)は、増幅することは無い・・・ので、歳を重ねるにつれて、恋愛感情は冷めるのが、自然だ・・・ 新しい恋愛感情、ときめきを求めて不倫や浮気が始まり、夫婦関係の危機に至る・・・家庭崩壊・・・とうことで、煩わしい離婚を避け、夫婦関係を続けるための方策として、(つかず離れず婚)を、前にこのブログで紹介した。 そもそも、こういう結婚システム自体が、非人間的だ・・・と言ってきた。人間という(生き物)にとって、何の益も無いと断言できる。違うだろうか?? この本の高校生たちが、その後、どういう人生を、送るのだろうか・・・一度しか無い人生の重みは、僕たちのように、50年60年経てからでも、ようやく考える、意識するようになるのだろう・・・ 思い返せば、青春とは、振り返ることも出来ずに夢中で駆け抜けるしかできなかったが、一度しか無い人生における、とてつもなく重要な一時期だった・・・それが、結果として前向きであったか、後ろ向きであったかは、何十年もたってから振り返って、少しずつ見えてくるものだと・・・ そして、(人生の重み)を意識できた時には、それが、取り返しのつかない、取り戻すことができないものであることも・・・わかってくる。 数十年の人生経験を経ても、五里霧中の生活で呻吟している人の多い時代の中で・・・こんなブログをかける自分は、幸せなのかもしれない・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.09.28
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2021-7-8 日記 (記録用)コロナ禍の中で、1年半以上が過ぎた。自粛から、緊急事態宣言、ワクチン接種・・・と、まだ、収束には、時間がかかりそうだ。 その間、世界も、大きく変化している。 武漢を発生源とする新型コロナを、一党独裁の中国は、強権を発動して、一気に収束させた。 反面、(民主的議論)(人権)を重視する先進国などは、大きな被害を伴う混乱を経験したし、今なお、収束の兆しを見せていない。 東京オリパラを、前にしての日本政府の対応は、その混乱も最大となっている。 自分的には、古希を過ぎた今、(人生総括)を、加速させている。 一方、今年98歳になったオフクロの介護は、2019/7/9~8/31の便出血による入院(55日間)・・・から、実質的に始まったが、退院・復帰、再骨折、2020年8月末の老人ホーム入所、10/2~10/31の誤嚥性肺炎による緊急入院、退院、2021/5/28~6/18の大腿骨頚部骨折による入院、そして退院・・・という具合に推移した。 今は、面会は全面禁止なので、(オンライン面会)だ。 コロナ禍により、まさに世界中が大混乱に陥る中で、コロナ後の世界は、一変するだろう・・・もはや、すんなりと元には、戻れない・・・・新しい世界、秩序が・・・と言ってきた。その行末には、疑問符ばかりが、付いてまわる・・・・その元凶は、あの超独裁国・共産中国の存在だ。 我々の世代が消え去った後の、地球は、どうなるのだろう・・・??? 70の大台に入って、身体は、ボロボロだ。長年の糖尿病、糖尿性網膜症、糖尿性腎症(慢性腎臓病)、心臓病(要観察)、前立腺疾患・・・腰痛やアレルギー性疾患・・・もらった人間ドックの結果表には、赤字が多い。 いつまで、(寿命が)持つのだろうか・・?? と考えることも。 最近は、健康には良くないが、PCの前での作業が多い。人間一生勉強というわけだが・・・知らないことばかりが多くて、勉強していて愉快だ・・・ 学校を出てからが、本当の勉強だ・・・と、つくづく思う。 学生時代、その後も、僕たちは無知であり続けた・・・から。 思い上がり、独断と偏見で、のぼせ上っていたから。 もっと、勉学を続けるべき、謙虚な姿勢が必要であるべき時に、そうでは無かったから・・・・ 周りを見ても、国外の情報に接するたびに思うことは、(人間の愚かさ)のことだ。(人間嫌い)の僕が言うのだから・・・ 先日、台湾産パイナップルを、ようやく買えた。フィリピン産とは違い、芯まで、甘くて食べられる。最近は、近くのスーパーでも、売りだした。(これまでは、比較的安い、フィリピン産ばかりが店頭に並んでいたが・・・もっとも、糖尿病の僕には、食べられない・・・) 共産中国は、台湾国民が選挙で選んだ蔡英文政府が、意のままにならないのに対して、台湾産のパイナップル輸入を止めて(経済制裁)、嫌がらせを続けている。 共産中国の妨害は、パイナップルだけでなく、コロナワクチンにまで、及んでいる。台湾政府が、コロナワクチンをEUから輸入しようとしたが、中国が妨害した。(共産中国産ワクチンを使え=共産中国に従属せよ)というわけだ。 世の中、国の内外は、今後も不安定な時代に突入していくだろう。
2021.07.08
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古希を通り越して、人生の終わりに、まっしぐら・・・自分の事だ。人生総括が、当面の課題。 98歳の親の介護を続けてきたが、その母親も、昨秋、老人ホームに入所した。 しかし、ホッとするのも、ひと時の事だった。そう、僕は、いまだに、多忙な毎日を過ごしている。 野暮用も含めて、(何もすることが無い)よりも、(野暮用でも、するべきコト)があるほうが、刺激や緊張感があって良いというモノだ。僕には、やり残したこと、やりたいことが、あまりにも多い・・・これは、幸せな部類に入ると思う。 「最後の旅」に向かって、人生総括は、欠かせない。いい加減な人生のまま、終わりたくないからだ。皆さんは、どうだろう・・・ 縁あって、夫婦関係を持っていても、多くの経験者なら、当たり前にわかることだが・・・結局、人間は、生まれてから死ぬまで、いつまでも、独り・・・だということだ。(人間嫌い)の僕が言うのだから、間違いはない。 愛情だの、信頼だの、希望の有る言葉を、いくら羅列しても、真実は覆らない。愛情とか、信頼などの言葉は、人間生活を美化することで、シビアな現実をカモフラージュしているわけだ。 夫婦(夫と妻)も他人、親と子も、所詮、他人であるから、社会的動物である我々は、その他人同士が寄り集まって、助け合う・・・社会をつくる。 他人同士の間なら、生活条件などの生い立ちが異なるからこそ、(好き嫌い)の恋愛感情が発生するのではないか? 恋愛感情が、種の存続と関わり合うのは必然だ。我々は、動物の一員だから・・ まだ、人生に終わりがあるなど、思いもしなかった若い頃のことを、時々、考える・・・。20代のころは、自分の50年先、60年先など、想像もできなかった。(今の自分が、永遠に続く・・・)としか思えなかった。 社会改革の運動の一端に、身を置いていた当時、(今の時間が、これからもずーっと続く)・・・・・(時間は、たっぷりある)そういう心の余裕もあったと思うのだ。 かくて、時の流れが無情に過ぎ去り、中年期に入ってまもなく・・・ようやく(死までの時間が、どんどん短くなっている)ことに、気が付いて・・・驚くのだ。 友人知人が、鬼籍に入り始める・・・そういう情報が、どんどん入ってくる。同時に、死へのカウントダウンが、切実さをもって、迫ってくる・・・ 人生総括を通じて、自分の生きざまを、もう一度、見直したいと努力している。皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――――――つかず離れず婚 定年世代の新しい生き方和田秀樹著 定 価 1,320円 ISBN 978-4-262-16039-9夫の定年後、「この人と、これからの人生をずっと一緒に過ごしていけるかしら……」と悩んでいる妻たちへ贈る一冊。定年後の夫と死ぬまで仲良くやっていくための指南書ではありません。 お互いにガマンすることなく、ほどよい距離感をもって、言いたいことが言えて、自由な時間を楽しみ、生き生きと暮らせるための解決策を紹介するものです。「つかず離れず婚」を成功させるポイントは2つ。 40~60代は性ホルモンの変化がある時期。脳の萎縮、感情の老化も始まります。この時期にみずみずしい感情を持ち続けること。 そして、「かくあるべし」思考から脱却すること。親世代とは違っていい、「妻はこうあるべき」という考えは捨て、自分が本当にしたいことを見つけることが大事です。 目次はじめに ――夫の定年を機に自由を手に入れる 第1章 人生の大転換期「思秋期」がやってくる脳の萎縮と性ホルモンの変化/みずみずしい感情を持ち続ける秘訣/セトロニンを増やそう/後半生を幸せに生きるために 第2章 「つかず離れず」という距離感が心地いいちょっと冷たい「お母さん」になろう/夫だってしんどい定年後/関係を改善できる「ほど良い距離」とは/距離があると、相手の良さが見えてくる/試しに、本当に離れてみよう 第3章 「かくあるべし」を手放そう試してみることを恐れない/母性本能の罠/「つかず離れず婚」の敵は「かくあるべし」思考/「つかず離れず婚」成功の鍵は「まっ、いっか」/勝ち負けで決めない/取り柄に目を向ける/婚外恋愛考察/孤独をどう楽しむか/これまでのルールに固執しない 第4章 パートナーチェンジのすすめ残りの人生を過ごす相手/結婚時とは違うパートナーの選び方/まずは密かに準備開始/ひとりを楽しむという選択肢もある /////////////////////////////////////////////////////////////付かず離れずの関係が生きやすさを保つ秘訣エッセンスライフ (HP)からhttps://essence-life.jp/harmony/holyspirit/302 人は一人では生きていけません。でも、親友や友人といっても、踏み込まれたくないという部分があると思います。一般的な人付き合いにおいて距離感を保ち、ストレスをためないということを入り口にお話しをしたいと思います。 人付き合いの休息が、お互いの思いやりを保つことにもつながる つかず離れずの人間関係というと、ちょっぴり切なく感じるかもしれませんが、私たちは、日頃から社会で、たくさんの人と関わって生きています。 それだけたくさんの人と関わり、それぞれ違った個性が交錯すればストレスも少なからず発生してしまうのは仕方がありません。 特に会社での友人というのはとても難しい側面があります。ひとは、同じ立場でいられなくなると友情が保てないと言われています。傷つけ合ってしまうこともあるかもしれません。ちょっぴり悲しいですね。でも、現実です。人は未熟で成長過程なのですから。それでも、親しい会社の友人とは支えあったり励ましあったり、大切な存在ですね。 ここで、お話したいのは、だらだらと馴れ合いの関係になって、遠慮がなくなってしまうことを気をつけようというお話です。 相手の気持ちを気遣うことなく、自分本位に相手に接してしまうと、お互いに良い関係は築けません。人は、毎日顔を合わせているとどうしても、馴れ合いが生まれ、相手の気持ちを考えることが希薄になってしまうことがあります。 特に会社での友人関係は’メリハリ’をつけることが大切です。プライベートでは、一人の時間を持つことも重要視してください。一人の時間といっても、会社を離れれば、また違った関係の人もいる事でしょう。そういったプライベートの友人と会社の友人はわけるということも大切です。 会社での人間関係をリセットする時間を持つ事で、仕事の中で、思いやりを持つことを忘れずに接することができるようになるでしょう。これはプライベートな人間関係でも一緒です。少し打算的に感じてしまうかもしれませんが、実はこれが人間関係でストレスをためない方法としてはとても大切なのです。 適度に距離をとり、つかず離れずの関係が大多数でなければ、本当に深い関係を築くべき相手を見失ってしまうし、思いやりも尊重も忘れてしまいます。つかず離れず、大いに結構なのです。 自分自身のためにも相手のためにも また、思いやりというのは偽善では相手を傷つけます。すべての人間関係をあなたの人生に落とし込んでいくことはとても苦痛を伴います。悩みや抱えている境遇など、さまざまありますが、すべての人間を助けることはあなた一人ではできないのです。 時に優しさの乱用は相手を傷つけ、自分自身を傷つけることにもなりかねません。人はたった一人の人さえも守る事が難しいように試練をもって生まれてきます。みんなのヒーローになろうとしてはいけません。あなたにとって大切で、深い人間関係を築ける人というのは絶対的に数が決まっています。 他人に興味を持つということはとても大切なことですが、いろんな問題に首を突っ込み、相手の心にむやみに入っていこうとしてはいけません。 ちょっとオーバーですが、「あなたは責任が取れますか?」ということです。そのくらい相手を思い、相手が助けをあなたに求めるのならば、あなたとその相手の関係は言わば、人生において苦楽を共にするパートナー(男女関係なく)としての関係が築けているといえるので、必然的にあなたはその問題を受け止めることになるでしょう。 しかし、会社やプライベートの人間関係においても、自分からやみくもに相手の心に入っていく事はとても危険である事を知っていてください。少し薄情に感じてしまうかもしれませんが、それが相手を思いやり尊重することにもつながります。社会的な人間関係ならなおさらなのです。//////////////////////////////////////////////////////////////////////// 永遠に恋愛感情 つまり恋のときめきが生き続けることはない 「恋愛空間」高樹のぶ子(作家) 秋庭道博(コラムニスト) 1997-8-17 -------------------------------------------------------------------「結婚は恋愛の墓場」というが、結婚生活は、恋愛感情を持続させるシチュエーションとしては、マイナスのことが多い。 そもそも人間は飽きっぽい動物だから、毎日一緒にいれば、それだけ早く飽きが来る。恋愛中は、逢いたいと思っても、逢える機会は、その想い以下だった。だから、逢いたいという想いは持続した。 しかし、結婚生活に入ってしまうと、逢いたいと想わなくても、相手が隣にいる。つまり、逢いたいという想い以上に逢ってしまうのだ。これでは、逢いたいという想いが増幅されることが無い。 また、恋愛中は、自分のイメージの中の相手と付き合うことができたが、結婚生活に入ると、自分が抱いていたイメージと相手の実像とのズレが見えてくる。 だれもが、相手を理想化していることが多いから、現実が「ときめき」を大きくする原因にはならない。 ただし、結婚を恋愛感情を静めるための社会的装置だと考えるなら、納得のいくことは多い。この世は、ときめいている人ばかりでは、成り立たないからだ。
2021.06.21
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2021年が、始まりました。 今年も、年賀状を2種類作りました。 親戚や運動以外の友人・・・意外と多いのです。運動関係の友人知人・・・の2種類です。(記録) ―――――――――――――――――――――――――――― 1,親戚や運動以外の友人・・・ 2021年初春コロナに負けず頑張れ! こちらは昨年は、バタバタと多忙の1年でした。 一昨年の7/8 医療機関からの帰りに自宅の前で、 オフクロが倒れ、高村病院に緊急入院。結局、 8/31まで、55日間入院。退院してからは、 約1年間、長男・3男を中心に食事その他の自宅 介護に明け暮れ、デイサービスやショートステイ も利用。老人ホームの入所の模索が続くが、 コロナ禍の中、面会や見学禁止で身動きが 取れなかったが、ようやく、昨年の8/31に、 オフクロの老人ホーム入所が実現しました。 その後、コロナ禍の中、オンライン面会が 続きましたが、10/2に、再びホームで倒れ、 地元の(はびきの病院)に緊急入院。(誤嚥性 肺炎)10/31無事退院して、老人ホームに戻る ことができた・・・といった経過です。 昨年97歳になったオフクロですが、僕も71歳 になり、結構、(老々介護)は、大変でした。 今のところ、ちょっと(一息)つきましたが、 今後、しばらくは、落ち着かない日々が続くと 思います。 皆様方に置かれましては、健康には十分留意されて、 無理のない安全生活を送られることを願うばかりです。 大阪府・・・・・ (はんぺん) 2 運動関係の友人知人には・・・ 2021年初春コロナに負けず頑張れ! 戦後リベラルの凋落はなぜ・・・??? 昨年の僕の問題意識でしたが、ブログの中で かなり、結論が出たと思っています。 皆さんは、どう考えましたか? 貴重な青春の多くを割いて、内外の幸福追求 に賭けてきた我々の世代ですが・・・今は、 総括の時期ではないだろうか? 死ぬまでに、 少しでも真実に近づきたいと願っています。 予断と偏見で、ウソをばらまいてきた 自称リベラルの皆さんたちの欺瞞に ついては、今も、激しい憤りを覚えます。 見て見ぬふりをして、真実に向き合わず、 真摯な自己批判から逃げ回っていては、 (真の再生)は、あり得ません。 情けないことです。 皆さんは、どう思われますか? 大阪府・・・・・ (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――― 年末の12/26から、持病の(腰痛)が、悪化して・・・ 難儀しています。 寝床から起き上がるのも、横になるのも・・・つらい。 車の運転では、運転席に潜り込むのも、運転席から 立ち上がるのも辛いのです。 皆さん、くれぐれも健康だけは、大切にしましょう。 (はんぺん)
2021.01.03
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雑感 2018-11-19 (はんぺん) 1968~1970年当時、自分が関わった学生運動を よく振り返ることがある。全共闘の無法と機動隊の導入が多くの人の脳裏に記憶として残っているのではないか・・・ 機動隊の導入で、当時は、学内では、多くの議論があった・・・というよりも、全共闘の無法に対しては、「許せない」という大学人が圧倒的に多かったが、にもかかわらず、「機動隊(=権力)の導入は、(大学の自治)を脅かすもので、反対」という意見が、多くのノンポリから民青(=共産党)やトロキスト連中まで、ほとんど共通していたと思う。 僕たちも同じで、機動隊の導入時には、大学周辺道路上で、抗議のジグザグデモをよくやった。(民青―共産党は、実質的に機動隊導入は容認した。建前だけは「反対」だった) 今から思うに・・・これは、どうだったのだろう・・・???? (学問の自由)というのは、学内での暴力は許されない環境の下でのみ、主張しうるものではないだろうか? (相手の言論を暴力で封殺する)という時点で、その大前提は崩れている・・・今から思うに、当時の無法がまかり通ていた大学で、(学問の自由)などは、存在しなかったのだ。 全共闘が、無法に占拠した学内は、どこでも、ボロボロに荒らされたことは有名だ。もとより、秩序を嫌うアナーキーな彼らは、(象牙の塔)は、大学解体(粉砕)の対象にしか過ぎなかったのだから、各科研究室に押し入って、研究資料をゴミ扱いしたり、荒らしまくるなどは、意に介さなかった。 もはや、(学問)自体の存在が問われていたのだ・・・そういう状況下で、権力(機動隊)の手を借りて、事態を収拾する以外に、どんな解決方法があったのだろうか? 実力部隊(暴力)を持たない自分たちで、問題を解決できないのであれば、機動隊(実力)の手を借りるほかなかったと思う。 東大、京大、市大にしても、時計台の攻防戦ばかりが、華々しく報道されたが、大学当局による機動隊の導入方針は、今から思うに、間違ってはいなかった!! もっといえば、(学問の自由を守れ)という(きれいごと)で済まそうとしていた(自分も含めた)リベラルたちの「偽善」を僕は、強調したいと思う。「学問の自由」幻想だ。 この(偽善)の類(たぐい)は、今日(こんにち)に至るまで続く様相だ。「社会主義」幻想も同じだ。現実を見ない(見たくない?)人々による「歴史の偽造」が、進められてきた。 長い間、日本人拉致問題が数々、指摘されてきたにもかかわらず、一部のマスコミ以外は、報じようとはしなかった。リベラルたちは「社会主義の北朝鮮が拉致するはずがない」(土井たか子)と強弁し、土井たか子氏は、有本恵子さんの消息を伝える石岡亨さん(本人)からの手紙のことを、朝鮮総連に報告してしまうという失態を演じた。 2002年の小泉訪朝が無ければ・・・そのまま、リベラルたちの「過ち」は、繰り返され続けたのか!!・・・と想像するだけで恐ろしくなるのは、僕だけだろうか? 「社会主義」幻想は、戦後リベラルの陥った最大の落とし穴っだったと思う。 朝鮮戦争は、南(大韓民国)の北進(北への侵略)だと、長い間、僕たちは聞かされてきた。「社会主義が侵略戦争をするはずは無い」という(信仰)がベースにあったのだ。僕の学生時代、「社会主義」は、輝ける目標であって、知識人レベルでも「社会主義信仰」は、大前提で議論されていたと思う。 自分を(社会主義者だ)と強弁した美濃部革新東京都知事は、リベラルたちの「希望の星」だったし、蜷川(京都)黒田(大阪)と合わせた革新ベルト地帯が、明るい未来を約束しているやに思えた。 日本共産党は、「1970年代の遅くない時期に民主連合政府をつくる」とブチあげていたものだ・・・ しかし、この当時から、社会主義体制内の諸矛盾が、「鉄のカーテン」をすり抜けて伝えられ始めた・・・この「情報」に、真摯に耳を傾けるべきだったと思う。 1975年は、英雄的なベトナム人民が勝利した年だ。1967年ころから、数えきれないぐらいのベトナム反戦デモや集会に参加してきた僕は、職場勤務中(1975年4月30日)に、解放戦線の勝利ニュース(サイゴン陥落)を聞いて、思わず涙が滲んできたのを覚えている。ところが、その感激も長くは続かなかった。 続々と続く「ボートピープル」の出現だ。特権階級(富裕層)の脱出だろうぐらいに軽く考えていたが・・・その流れが止まらない・・・命を懸けた脱出が延々と続き、多くの人々が命を落としていく。なんで、なんで、なんで・・・・・? まったく理解不能の僕だった。 後になって、(南ベトナム解放民族戦線が「表」の顔、ベトナム共産党が「ウラ」の顔だったことがわかる。彼らの独裁政治のもと、多くの民衆が抑圧されていく中で、ボートピープルたちの必死の脱出行であったことを知り・・・ボー然としたのを覚えている。 「社会主義は、(善)で、悪いことをするはずがない」という宗教的信仰は、向坂逸郎(社会主義協会)や志賀義雄(日本のこえ)たちの専売特許ではない(彼らが醜悪であることは間違いないが)。戦後のリベラルは、社会主義信仰のもとに、「シベリア抑留」や、「満蒙開拓団への暴虐」には見て見ぬふりをしてきたし、「北方領土はソ連のモノだ」(日本のこえ)、「ソ連の核実験は正しい」(上田耕一郎・共産党幹部)と誤謬を重ねてきたのだ・・・ 「学問の自由」も含めて「リベラル」幻想とくくると、はっきりしてくる。 「民主主義」「人権」などのキーワードが、多用されたが、現実を正面から見据える作業は、充分ではなかった・・・というか、ネグレクトされた。 様々な方面から知りえる「きざし」を「初めに結論ありき」で、スルーされていく・・・新社会党と同じで、都合の悪い事柄は、「見て見ぬ振り」をする。そのため、最初に叫んでいた「人権」「民主主義」との整合性が取れなくなっていく。自己矛盾だ。それに、彼らは答えられない・・・ここまでくると、それは、もう(政党)としては成り立たない・・・と思う。僕は、この党(新社会党)の友人に、様々な質問をしたが・・・誠実な返答は・・・ついぞ無かったのだ。 「リベラル」幻想といえば、朝日新聞による30年以上もの「ねつ造記事の放置」などは、その典型だろう。韓国の反日政府や反日市民グループ(その中心は北朝鮮のスパイだ)の手により、この慰安婦強制連行は、世界標準に拡散されてしまった。日韓間にくさびを打ち込みたい北朝鮮の戦略は、これまでのところ成功している。「反日韓国」とよく言われるが、相当の韓国人は、反日ではなく、逆に好意や親近感を持っているという統計もある。しかし、金大中・ノムヒョンの10年にわたる太陽政策の下で、多数の北朝鮮のスパイ集団が韓国内に浸透した。官邸や労働界、教育界、マスコミ、民主団体などで、反体制工作、反日工作、反米工作が展開されたのだ。それが、成功しつつあり、韓国の弱体化、赤化(北朝鮮による併呑)は、時間の問題とみる専門家も多い。 朝日新聞は、日本では、リベラル紙で通っているが、北朝鮮や中国の独裁者に利用されまくってきたのが、現実ではないだろうか? 「反自衛隊」「反安保」「反沖縄基地」を叫んで、これらの独裁国家を 涙が出るほど喜ばせているのが、まぎれも無い現実だ。 長年、朝日新聞を購読し続けているが・・・やり切れない思いだ・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.12.02
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「反省する勇気」の欠けた人たちに、未来は語れない・・・ 2018-11-15 (はんぺん) アメリカ中間選挙投票日を目前に控えた時点で、南米からの大量の移民がアメリカを目指して北上している・・・と知って、ぼくは、「何かイヤーな感じがしていた。これは、何か得体のしれない歴史的陰謀が隠されているのではないか・・・? 国境に壁を作ると言ってきたトランプの(排外主義的政策)を支持する保守派の有権者にとっては、とても刺激になるニュースだから・・・ アメリカ国内での(対立と分断)の進行は、理由がある。トランプが、大統領になる前、インタビューにこう答えていたそうだ。 「恐怖(を呼び起こすこと)こそ、真のパワーだ」 彼らは、今のマスコミは、フェイクニュースだ・・・として、見ようとはしないと聞く。彼ら保守派の有権者が見るのは、保守派のFOXテレビか、彼らを支持するSNSだという。自分たちの意見を代弁してくれるこれらのメディアしか観ないというのでは、正しい判断、正しい分析ができるはずが無い・・・(日本のリベラルや新社会党と、全く同じだ・・・) これって、僕が、新社会党の友人に、「いったん党を離れて、党の外から、いろんな意見に目を通してみませんか?」「違ったものの見方も知ることが新しい発見につながる・・」 同じ意見に囲まれていたら、楽で良いですが、自己革新、進歩は、ありませんよ・・・と言ってきたが、彼らは、このアメリカの保守派の人々とまったく同じなんだ・・・都合の悪い情報はスルーする・・・ 自分たちが支持する意見に取り囲まれて、楽な道を選択する・・・この過ちを、我々の世代は繰り返してきたのではないか・・・??? と言ってきた。 アメリカで(分断と対立)が進行しているのは、この(他人の意見を聞かない)という人々が増加しているからだろう。アメリカでは、日本以上にリベラルなCNN・・・とか、保守派のFOKテレビ・・・とか、色分けが極端だが、 他人の意見を観ない(=拒否する)所から、国内での民主主義的土壌が進化するとは思えない・・・ 日本でも、(僕自身の経験からも言えることだが)リベラルたちは、リベラル派の「朝日」「世界」は読むことがあっても、体制派(保守派)の「産経」や「読売」は、ウヨク的だ・・・として、拒否してきた・・・のが、現実だった。 こんなことでは、正しい理解が進むことが、あり得ないだろう。 そもそも、僕がブログなどで、情報発信を始めたのも、最初に皆さんにお知らせしたように、これまでの我々の世代が犯してしまった、取り返しのつかない大きな過ちが原因だ。我々の世代は、東西冷戦の中、限ら得た情報でしか、内外情勢分析をすることを余儀なくさせられてきた・・・その結果、大きな判断ミスをしてしまったのだ。 「社会主義」に対する予断と偏見が、大きな幅を利かせてしまった。「期待」と「願望」で、(社会主義)を理解してしまった。 20世紀の後半の社会主義体制の崩壊過程で、「社会主義の真実の一端」が、暴露されて、我々は、大きな過ちをしっかりと認識することができたのだ。 驚いたことに、この今の時代に、僕の情報発信を「拒否」する人々が・・・まだいた!! 信じられないことだが、北朝鮮を妄信する新社会党員の知人・友人たちもそうだった・・・ 自分たちの都合の良い情報に囲まれている人たちには、「北朝鮮の先軍専制政治」や「中国の軍国主義、覇権主義」にこだわる人々を、「なぜ、こだわるのか?」ぐらいの認識しかできない・・・のだろう。 北朝鮮や中国を非難せず、見て見ぬふりをしてきた彼らが、新社会党内に巣食っていると思われる北朝鮮のスパイ集団に扇動されて・・・信じられないことに、「韓国の戦闘的労働運動を学ぶ」と称して、1996年、1997年と2回も、韓国くんだりまで出かけて、「反朴槿恵デモ」に参加している。機動隊の催涙弾を浴びて、目を真っ赤にしながら・・・(オレは闘った・・・)とはしゃいでいた彼らの姿は、まさに、金ジョンウンの手の上で踊らされている道化そのものであった・・・と、今では断言できる。 僕は、最初、なぜ、「この人たちは、「情報を拒否するのだろう・・・ と不思議で仕方が無かった。喉から手が出るほど(真実に飢えていた)僕には、「彼らの言動に不信感ばかりが残っていく・・・結局、「彼らは、楽な道を選んだ・・・ということだった。宗教家のように、ただただ信じていれば、自身の占める位置は保障されるから・・・・そして、真実を拒否する対場からは永久に、自己革新は不可能だろう・・・ 都合の悪い情報は、はなから拒否し、意見を同じくする集団や出版物に囲まれて、楽な道を選択していく彼らには、民主主義などは、あり得ない。自分たちの意見を絶対化して、それが真理だというのだから、政権を執れば、反対意見を全否定することになる・・・これまでの社会主義政権、共産党政権が、そうであったように。(彼らに政権を執ってほしくない・・・とつくづく思う!) 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2018.11.16
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残暑お見舞い申し上げます 2018-8-14 暑いですが、お元気ですか? 世界的に 混乱の時代ですね。 社会主義は、影も形も無くなりました・・・と言いたいところですが、その残滓が、お隣の中国と北朝鮮ですね。 共産党独裁の恐怖と 正面から向き合って、現実を見つめる努力をしてきたつもりですが、「社会主義」の実態も知らず、それを多くの友人知人に勧めてきた僕ですが、その「罪滅ぼし」は、まだまだ、これからです。 スターリンのソ連では、多くの人民が、無実で牢獄につながれ、銃殺処刑されました・・・ 文化大革命では、造反有理の旗を押し立てて、多数のグループが「造反派」を名乗り、「武闘」を繰り返し、殺しあいました。 毛沢東の「大躍進政策」と「文化大革命」で、数千万の人たちが、餓死したり惨殺されたといいます。 「歴史に学ぶ」・・・とよく言いますが、我々は、十分に学びきれているだろうか? と思う昨今です。 (ビラをまき、集会や講演会・学習会を呼び掛ける「運動家」の皆さんには、相応の責任がある)と、僕は言い続けてきました。 皆さん、その自覚をもって、「活動」しているだろうか? と言うことですね。 日本のリベラルは、元気が無いのは、都合の悪い情報を見て見ぬ振りをしてきた結果である・・・と思います。 「こうあって欲しい」「こうあるべきだ」「こうであるだろう」・・・という、予断と偏見、期待と願望で、情勢を分析してきたのではないか? その結果、間違った方針が、無批判に作られていった・・・これで、「運動」が前進するハズは、ありません。 多くの国民の支持を失うことになりました。 結党時の新社会党の選挙を ぼくも懸命に応援したことがありました。当時、全国区で100万近い得票を得たのを覚えています。 今は、見る影もありませんが・・・その総括は、されていないようです。 結党時、党内で(「社会主義綱領」作成を急ぐべきでない、もっと時間をかけて議論すべきだ)という意見もあったのですが、多数派は、(初めに結論ありき)とばかりに、一気に作ってしまった。 これで、僕は「ああ、この党は反省が無い、総括が無い」と思いましたし、支援を手控えるようになりました。 あるリベラル?サイトに、「反省する勇気」で、投稿したことがありますが、事実を事実として、認める勇気が、今のリベラルには欠けている。 権威主義、つまらない「見栄」や「プライド」を捨てる勇気、現実に素直に向き合う勇気です。 何度も言ってきましたが、向坂逸郎や志賀義雄が、社会主義ソ連の実態に目をつぶり、「社会主義幻想」を振りまいてきたことの犯罪性を強く感じます。 多くの若者たちが、誤った人生を送ることになりました。(社青同の中でも自殺した青年もいました。) 昔の皆さんは、もう70歳前後にもなり、老後の人生は、そう長くはありません。 ぼくは、(毎日が勉強・・・)のつもりで、移り行く時代の新たな情報をむさぼり、学習しています。また、過去の情報も読み返し続けています。 この歳になると、身体的不安は避けられませんが、「老後に何もすることが無い」という世間の高齢者のたわごとは、僕にはまったく理解不能です。 時々ですが、新社会党、社会主義協会、MSD(旧現政研)やアサート、のHPを見たりしていますが、進歩の無い皆さんです、ガッカリすることが多い。 はっきり言って、今の時代から外れています。 今は、北朝鮮問題が、ぼくは、「経済制裁を強化する以外に平和的解決は無い」と確信していますが、どのサヨクも、「経済制裁は、東アジアの緊張を高める・・・」と警戒するばかりで、だからと言って、解決策があるで無し。 「話し合いで・・・」「国連で・・・」というばかり。無責任もいいところです。 現実と真摯に向き合い、後悔の無い人生を送られることを期待しますし、(教えてやる!)という上から目線の傲慢さを捨て、「罪滅ぼし」に邁進してほしいものですが・・・ 連日、猛暑、酷暑が続く毎日ですがね。地球温暖化の影響で、我々、高齢者は特に、住みにくい世の中になってきました。 お身体、くれぐれも、ご自愛ください。 (はんぺん)
2018.08.16
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残された人生を 頑張ろう 2018-3-23 (はんぺん) 日一日と温かくなってきましたが・・・皆さん、お元気ですか? 還暦をとっくの昔に過ぎた方も含めて、知人友人に情報発信を続けていますが、参考になりますか? 皆さんの意見も、どんどん発信しませんか? 目の前に、ゴロゴロある情報を拒否して痛みを感じない!! という無責任な人々もいますが、都合の悪いモノはスルーし、都合の良いモノばかりで、作り上げた(間違った)方針を拡散する・・・戦後のリベラルの凋落は、この一点にあると思います。 僕は、68年間の自分の人生を振り返り、「反省する勇気」を、バネに、少しでも真実に近づきたい・・・そういう思いですが・・・ 昨年は、4回入院しました。今年になって、すでに、もう2回入院しています。6回の入院も、単なる加齢によるものというよりも、若い時のいい加減な、ルーズな生活の結果だと思います。まさに(後悔、先に立たず)ですね。 加齢に伴い、時間の過ぎ去る感覚が、どんどん早くなってきますね。1日、1年が、あっという間に過ぎてしまう・・・・ エンディングノートを書く人は「人は死ぬ前に人生を走馬灯のように振り返る・・・」とか。忘れないうちに、エンデイングノートは、遺族たちのためにも書いておきましょう。 「お迎え」の時の準備万端のあとは、皆さんも、残された人生を、さらなる後悔が無きよう・・・人生の「更新」に邁進(まいしん)してください。 「師」を待っていても、無意味です。自ら「師」となるべく努力するしかないように思います。 健闘を祈ります。 (はんぺん)
2018.03.29
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退院、その後・・・ 2017-5-26 (はんぺん) 5/9に、3週間(23日)の糖尿病の教育入院を終え、退院した。個人的には、(居心地が良かったので)もう少し入院していたかったのだが、病院のほうの都合で、そうもいかない。教育入院は、今回が2度目。いかに自分が、意志の弱い人間であるかの証明になる。 14年前の最初の入院で、教えられた食事療法が、大きく変更になっていて、一番驚いた。簡単に言えば、(カロリー制限食)から(糖質制限食)への転換だ。血糖値の急激な上昇の原因は、炭水化物(糖質)であり、その糖質制限が、(全て)だということ。 カロリー制限派は、糖尿病学会では、劣勢になっている。帰宅して早速、実践している。入院前に比べて、血糖値コントロールが、抜群に改善している。 以前のあれ(カロリー制限)は、いったい何だったんだ!!! 糖質制限食は、(制限)があるだけに、不自由なことは、間違いない。糖質を多く含む食事は避けるように言われている。米、小麦、イモ類などには、糖質が多く含まれている。お米、パン、うどん、そば、ピザ、パスタなどの食材は、基本的にNGだ。結果として、高たんぱく、高脂肪食に行き着くことになる。肉、魚、鶏肉や、チーズ、大豆製品などは、糖質が少ないので、OK。カロリーは、あまり気にしなくて良いというのは、ありがたい。 糖質制限食の欠点の一つは、コスト。米飯や麺類の関係する料理は、食費が安く抑えることができるが、糖質の少ない肉類や魚、チーズなど、食材にかかる経費は以前に比べて高くつくことだろう。 アメリカでは、異常な肥満が、大問題になっている。アメリカだけではない、NZでもスコットランドでも、そうだったが、はち切れそうな体形の現地人を何度も見かけたが、低所得層のファーストフードへの依存度が、半端ではないということだ。糖質の多いポテトチップスやハンバーガーなどの売り上げ増に反比例して、国民の健康度は、減退しているようだ。 アメリカでは、 低収入の人ほど、肥満が多いというデータが出ている。低収入の人ほど、高タンパクのものを食べれない(買えない)ので、 必然的に安価な炭水化物(糖質)の多いものを食べるようになり、結果的に肥満が増えている。 アメリカでは、肥満対策として、(肉や油などを控える)ような施策が、国を挙げて実施されてきたが、肥満の増加をくい止めることができなかった。 その失敗の原因は、(肥満=脂質・たんぱく質の摂りすぎ)という考え方であり、ようやく、この間違いに気が付いて、(肥満=糖質の摂りすぎ)という正しい考え方に立ち始めたところだ。 いかに「常識」が、いい加減なものか! よくわかるというものだ。 意志の弱い人間の(奮闘)が、これからも続く・・・・・
2017.05.26
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さきほど、ベートーベンの「月光」を聞いていて・・・受験時代を、思い出しました。この静かな曲を聴くのは、深夜に限りますね。 ぼくは、君と違って、努力しないと成績が上がらないタイプだったので、家に帰ってからも夜遅くまで、予習復習をやっていた・・・というか、やるつもりでいた・・・あの時の深夜、家族はみんな寝静まって、あたりが、シーンとした超静けさの中で、自分だけが、寝ないで起きている・・・そのことが、受験生としては、当たり前のことなんだけれども、何か不思議な気がしたものでした。 時々、気分転換で、深夜、近所を散歩・・・というか、うろついたこともありました。 15歳の時の自分と、66歳の今の自分とでは、頭の中の「世界」は、全然違っていたと思う。15歳の頭の中は、本当に狭い世界しかなかって、学校と家族が、その大半で、日本や世界のことなどは、何か、現実であって、現実でないような感じだったのかな・・・と思う。 中3といえば、ちょうど東京五輪の真っ最中だってですが、狭い世界に住んでいた自分には、首都東京という地名すら、捕まえようのない場所だったと思う。中3の時に、修学旅行で、東京や箱根に行ったけれど、何か「連れていかれた」ような感じで、実感が薄かったようにも思えた。 中学を卒業してから50年間に、頭の中に、いろいろ、ミソもクソも詰め込んできましたが、そういう風にして、みんな、社会人になっていったんだなあ・・・・と、感慨しきり・・・です。 もう、懐かしい中3時代には、戻れませんが・・・・戻ることが、あってはならないのだろうね。まあ、「灰色の受験時代」が、ただ懐かしく思うだけで、2度と繰り返したくないと思うばかりです。高3から大学1年のころには、「受験生ブルース」がはやりましたね。 僕が、高2で、急速に学生運動に引き込まれたのは・・・そういうフセンがあったからなんだろうな。 取り留めも無く・・・・・・・・・・ (はんぺん)
2015.12.15
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はんぺんの リビングウィル 2015-6-15記録 終末期においては、一切の延命治療を拒否します。僕は、今まで、かなりの程度、自由に生きてきた。自分では、かなり幸せな人生だったと思っている。そして、じぶんらしく、人生を終えたいと思っている。 今の時点では、意識を失っているか、呼びかけに、少しだけ反応するかもしれない。このまま、人生を終えても、何も思い残すことは無い。従って、延命のための人工呼吸器は、つけないでほしい。延命のための治療行為は、一切、行わないでほしい。 もし、僕が今、苦痛を感じているようであれば、モルヒネ等の痛みをやわらげるケアは、ありがたく、お受けしたい。 これまで、お世話になった関係者の皆さんには、大変、感謝を申し上げます。僕の最後の、この願いをどうか、よろしく。 〒XXX-XXXX 大阪府XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX (はんぺん) ㊞
2015.10.27
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僕の店じまい 2015-10-12 (はんぺん)昨年、「リビングウィル」を書いて、身内に周知した。今回は、僕の店じまいについて書く。「終活」の一環だ。ネットから・・・・「終活」とは「人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うこと」です。例えば、自分のお葬式やお墓について考えておいたり、財産や相続についての計画を立て、身辺整理をしておくといった内容で、これらの活動を行うことで残された家族に迷惑をかけることも無くなり、また、安心して余生を過ごすことができます。 終活の一例・・・エンディングノートをまとめる・・・お葬式を決めておく・・・お墓を探しておく・・・財産や相続をまとめておく・・・自分の荷物を片付けておく・・・・・・・・・・・・・・・・以上は、ネットから今の時点での店じまいの開始・・・それが早いか遅いかは、わからない。自然な形で、そういう気になった。友人・知人たちの何人かが、鬼籍に入った。 先日、同窓会幹事をしている小学校5・6年生の時の担任の先生が、昨年亡くなったことを知った。84歳だった。 僕たちには、まだ、先があるのかもしれない。しかし、持病や視力の衰えを痛切に感じ始めると、将来について、不安が広がり、そろそろ潮時かな??と思ったりするときもあった。僕は、昭和24年12月12日に、父・XXXX、母・XXXXの長男として、堺市に生まれた。振り返ってみれば、戦前・戦中の厳しく困難な時代を知ることなく、戦後の復興期の平和な日本で育ったわけで、良い時代に偶然、生を受けたものだと、つくづく思う。ベビーブームの中で、受験や就職における「競争」は、厳しかったが・・・・青年時代に、社会運動に目覚め、新しい世界観を得て、それは、僕の人生を決定づけた。価値観は大きく変わったが、人生後半の2度の大災害を目の当たりにして、人生観の修正を余儀なくされた。「人事を尽くして、天命を待つ」とよく言われるが、そのとうりで、天命(=運命)は、誰にも変えられないわけだ。僕が、1995年1月17日に、東灘区で生活していたら、また、2011年3月11日に東北の沿岸を旅行していたら、今の僕は、この地球上に存在していない。誰にも、どうすることもできない運命(=宿命)のことを、よく考える。過去には、「不死の霊水」を求めた皇帝もいたそうだ。死ぬことは、仕方がないモノと諦めて、せめて、その痕跡を残そうと試みたものは多かった。自身の銅像を建立したり、建築物や地区、道路、空港などにも固有名詞を冠したものは多い。ぼくも、若いころ、そういう思いに囚われて、自身の亡きあとの何らかの痕跡を残したいと思ったことがあった。今では、そういうことには、まったく意味は無いと思っている。自身がこの世から消えた後、自分のことを思い出してくれそうな身内は、自身の子どもたちなどに、限られている。せいぜい孫までか、その孫たちも、彼らの記憶の中に留めておいてくれるかどうか? それらは、ある意味、どうでも良いことなのである。自身の多くのアルバムなどは、子や孫たちによって、いつかは、完全に破棄されてしまう。痕跡は、どんどん消されていき、遠くない将来、完全に無くなる。 「お骨」は、「XX家の墓」に、入って安心という人も少なくなった。「守り」をしてくれるXX家の人がいなくなり、どんどん無縁墓が増えているのに、そんなことに「安らぎ」を感じるのは、時代遅れになりつつある。 ぼくにも、「はんぺん家の墓」が太子町の太子霊園にあって、64歳で胃がんで亡くなった父親も「眠っている」らしい。今も、92歳の母親に頼まれて、年に数回の「お参り」では、車で送迎している。 母に「お墓の守り」を頼まれることがあれば、母の気持ちを考えて、そうすると思うが、自身の遺骨が、入ることは無いというのが、自分の意志である。 国土の狭い日本では、墓地を別な形で有効活用する時代も来るように思う。葬儀の形も時代とともに大きく様変わりすることは、間違いない。店じまい、その1 自分の葬儀には、お金をかけないこと。わずかな資金は、相続により、遺されたものが生活の安定のために使うべきである。葬儀の形態は、「直葬」で完了すること。一切の儀式(通夜、葬式など)は、不要である。臨終後は、火葬場に直行すること。無宗教なので、炉前読経なども不要。最低限の費用で、完了することが、故人の意志である。火葬にかかる、最低費用について、「火葬代」「棺代」「納骨容器代」の他、「火葬場所までの搬送・安置代」も必要となる。臨終後、すぐに火葬場に直行することは、出来ない。(死後24時間は、火葬できない)時節によっては、自宅安置であっても、ドライアイスなどの保存処置費用が、必要となるそうだ。自宅安置でない場合でも、「保存処置費用」のほかに、「安置場所代」「火葬場までの搬送費用」がかかる。結局、葬儀社を利用して、これらの諸費用を負担して完了するのが、遺族に気を揉ませることなく、スムーズに実行できると思われる。 ネットによれば、これらの総費用は、20万円程度とのことである。これは、最低費用として、認めざるを得ないと思う。店じまい、その2 火葬後の遺骨は、すべて自然保護に配慮した形で散骨すること。山でも海でも良し。「はんぺん家の墓」には、納めないこと。(この墓も、遅くない時期に無縁墓に移行して、取り潰されるだけなのは、明らかである。)店じまい、その3 「はんぺん家の墓」の「守り」については、基本的に、3男のXXXXの判断に委ねたい。僕の臨終の時点では、現在92歳の母親は、他界していると思われる。2男は、養子縁組で、遠方(九州)に居り、3男のXXXXが、適切な判断をすることになる。以上、葬儀に関わる店じまいである。臨終に関わる詳細については、すでに、「リビングウィル」で示したとおりである。 2015年10月12日 (はんぺん) ㊞
2015.10.13
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退職を目前に控えて、昨日は、職場に行き、机やロッカーの中を整理する。とにかく、ここの課には、15年勤務したことになり、たまりにたまった雑資料が、(わんさか)あって、結構、時間がかかった。日頃、なんとなく見ていた職場も、そろそろ最後かと思うと、感慨深いものがある。辞めていくときは、みんな、そんな思いを抱くものなのだろう。4/1から、これまでと違った生活パターンが、待っているということ。そのことに、今ひとつピンとこないところもある。戸惑いもあって、慣れるまでに、多少、時間がかかるかも。桜が、開花し、やがて満開を迎えようとしている。あと、何回、桜を見ることができるのだろうか?と、しばし思う。多数の犠牲者を出した阪神や東北の大震災。いつ起きるかわからない災害大国に、我々は住んでいる。 数日前、フランスで、ドイツの民間機が、墜落し、多数が亡くなった。地球上に暮らす何十億の人間の人生では、意に反した運命が左右することが、あまりにも多い。個人の努力を否定するわけではないが、(偶然のさじ加減)だけは、どうしようもないということだ。残された第2の人生を前にして、戸惑いは・・・・・続く。
2015.03.29
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昨年12月で、65歳になった。その年度の3月末で、退職することになる。それが、決まりになっている。 あと10日ほどで・・・・おさらばだ。しかし、仕事の引継ぎは、残っているし・・・年休も、消化したい。まだ、いろいろ、後始末は・・・・大変。本当は、60歳になった時に、退職するはずだった。しかし、雇用の継続を希望して、5年間、職務についた。もう、じゅうぶん働いたと思うが・・・・まだ、身体は、元気だ。第2の人生と言うには・・・・どうかな?とは思うが、残りの人生も、精一杯、貫徹したいと思う。何をするのかは・・・・これから決める・・・というか、おぼろげながら計画は、ある。やりたいこと、やっておかなくてはまらないこと、片づけてしまいたいこと・・・などなど。65年の自身の人生を、もう一度、振り返って整理してみたいとも・・・一番下の弟は、小学校の教員をしていたが、60歳で、雇用延長を希望せず、昨年3月末で辞めた。この一年間で、4回、海外旅行をしたという。語学学校に通い、社交ダンスなど、多くのサークルに参加したり、市民大学にも顔を出しているとか・・・。そういうのも、アリかも・・・価値観の相違だから、10人いれば、10通りの人生が、100人いれば、100の人生があるわけだ。面白いものだ。
2015.03.20
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きょうから、妻に教えられながら、ブログをやってみることになった。2015-3-18-------------------------------------------------------------65歳になってから、自分の過去を振り返ってみて、いろいろと、考えることが多くなった。一度しかない人生だから、余計、こだわりが多い。受験戦争、学園紛争などなど・・・・・あの時、こうしておけば良かったのでは・・・とか。また、別の(素晴らしい)人生が、あったのかも・・・・とか。 しかし、その当時は、その選択が一番だと思って、みんな行動したわけで、そのことにこだわることは、生産的では、無いと思う。その人の人生は、その時代「環境」から、逃れることは出来ない・・・と思う。 「その当時、その選択をした上で、精一杯がんばったこと」が、大切なのではないだろうか、と。それぞれの「教訓」は、きちんと消化しながらも、結局は、前向きにがんばるしかない・・・・ということで、各人のプラス志向が大切なのでは、ないだろうか? 中途半端で、踏ん切りのつかない人生、 思い悩むだけで、行動できない人生であれば、悔いは残る。ただ・・・・歳をとると、プラス志向といっても、先はそんなに長くはないこと・・・・・を どうしても意識してしまう。 たとえば、以前に比べて、疲れやすくなった。ガッツも、若い頃に比べて・・・・確かに落ちている!それと併せて、歳をとることによって、得たものを過小評価するべきでは ないとも思う。若い頃には、出来なかった考え方、行動様式は、ある意味、自分の財産かな・・・・ そう考えると、一概に 加齢を後ろ向きに捉えることは無いとも思う。アンチエイジングとかで、加齢と対決するの出なく、上手に付き合っていくのが、ベターかな・・・と。加齢なんて、「乗り越えられる」ものでもないし・・・・ね。
2015.03.18
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