仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.08.18
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カテゴリ: 仙台
良い響きの名前だ。松原街道とは、塩竃街道の別称で、原町から燕沢までの松並木の美しいあたりを指していう。

■仙台市市民センター資料( 松原街道
■宮城野区役所  地元学の会のページ

原町から比丘尼坂に至る街道の両側に、見事な松並木が続いていた。伊達政宗公が植えたといわれ、樹齢300年以上、幹周が5mのものもあった。戦時中は、松の木の幹は輸送船用材に、松の根からは松根油をとるため、近くの住民から人力を徴用して松の根を掘り出し、鶴ヶ谷方面で採油作業をしたらしい。戦後、搬出されなかった松は放置されたままで、家庭の燃料として切られ、最後には松の根まで燃料にされてしまった。

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 まず見事な並木だったっちゃ。
 そんな見事な松も戦時中(昭和17年頃)ガソリン不足で、松根油(しょうこんゆ)を採る為に、ほとんど伐採されて、昔の面影は全く残っていません。
 根回り2メートルくらいあったので、持って来れなかった。その辺さ、ごろごろ、してたんだよ。
 終戦後、松の木は塩竃の造船所に運んで行ったらしいよ。残った松の根っこは道路の舗装の時、埋められたんだ。
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これは地元の方のことばだ。

■出典  地元学の会『松原街道にそったまち ひがしせんだい 東仙台一丁目~五丁目・松岡町』みやぎの区民協議会(宮城野区役所)、2005年

同書からもう1つ。
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 松原街道踏切の近くに根元亜炭屋(今の根元自動車)さんがあって、その向かいに大沼茶屋がありました。今でいう、ドライブインだね。
 当時は、馬車の往来が盛んで馬車引きの休憩の場所でした。疲れたときは、牛や馬を休ませ、餌をやり、馬方は酒を飲んだり、うどんを食べたて一休み、気分が良くなった馬方は馬車の上で寝てしまい、馬はそのまま家まで帰っていったとか。
 この辺からは、遮るものが無かったから、泉ヶ岳や六丁の目まで見渡せました。まず、松並木はあるし、景色も良いし、まるで絵を見ているようだったネェ。
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そんな風景を目にしたかった。松のある街道、日本人の意識の根底にある美的感覚を呼び覚ます。

そんな松原街道ですが、今は新道や鉄道で分断された。坂下交差点からガス局前交差点に出る県道は新幹線の下をアンダーパスするが、ちょうどその新幹線ガード下からラジオ塔の南側を回って現在の利府街道に合流する細い旧道がある。これが昔の松原街道筋だ。原町からの旧街道とつなげてみると、アンダーパスをはさんできれいにつながっている。

茶屋をながめながら、案内、比丘尼坂、燕沢へとゆっくり松原街道を歩いてみたいものだ。

■関連する過去の記事(おくのほそ道・街道 関連)
  ○ 「おくのほそ道」を楽に読む方法 (07年3月19日)
  ○ 芭蕉最北の地 象潟 (06年12月24日)
  ○ 松山街道 姫松、真坂あたり (06年11月05日)
  ○ 多賀城の基礎知識(後編 )(06年8月8日)
  ○ 多賀城の基礎知識(前編 )(06年8月7日)
  ○ 岩切の寺社をめぐる (06年1月3日)
  ○ 平泉への道 (06年1月11日)
  ◎ 仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切 )(06年03月22日)
  ○ 燕沢の名前 (06年03月17日)
  ○ 芭蕉が感激した「おくのほそ道」岩切・多賀城 (06年1月25日)
  ○ 古代東北の理解 (06年5月31日)





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最終更新日  2007.08.18 07:40:54
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