仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2012.10.07
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カテゴリ: 宮城
鉄道の教科書を読んでみた。(昭和鉄道高等学校編『図解 鉄道のしくみと走らせ方』かんき出版、2007年)

電気のところでは、電路設備のしくみ(BTやATなど)、交流直流の違い、また交直セクションの所在地一覧などが面白かった。

直流電化の場合、例えば車両のモーターが1500Vとすると、30万Wの電力を送るには200Aの大きな電流を流さなければならない(電力=電圧×電流)。そのためトロリ線だけでは容量が不足するため「き電線」を並架し、また短い距離ごとに変電所をおく必要がある。

これに対して交流電化は電車の側で自由に電圧を下げられるので、2万Vの交流電化区間の場合、30万Wを送るのに15Aの電流で済むことになる。

国鉄が戦後列車本数の比較的少ない地方幹線の電化を交流方式で進めたのは、この経済性を高く評価したからである。しかし、問題もあった。まず、
(1)通信線への誘導障害。だが、トロリ線と帰線を接近させれば影響を小さくできることから、レールを帰線とする直接き電方式の交流電化は日本では採用されなかった。トロリ線に平行して「負き電線」(帰線)を架設して約4kmごとに設ける吸上変圧器(BT)でレールから電気を吸い上げる方式(BTき電方式)やその改良の単巻変圧器(AT)を用いたATき電方式が主流となったからである。
交流電化が進むと、(2)電気車のコスト高が問題視された。変圧器・整流器を搭載する上に、隣接する直流電化区間に乗り入れるために、高価な交直両用車を多数つくらねばならなくなり、変電所が少数で済むなどの経済メリットすら打ち消してしまった。

従って、現在では新規の交流電化はほとんどない。むしろ、北陸本線敦賀以南のように既存の交流電化区間を直流化する例さえある。

教科書の解説を整理すると以上の通りなのだが、ここで思い出すのが、わが宮城県自慢のひとつ、仙山線の交流電化(1955年落合-熊ヶ根で試験開始)だ。なるほどこんなメリットで始まったのだが、全国制覇はできなかった。いや、新幹線は交流方式だから、やっぱり未来を先取りしたと言って良いのか。作並駅(交直地上切り替え設備があった)にある交流電化発祥の地の碑は、仙台・宮城の自慢なのですが...

そんな田舎県民の全国初願望にもとづく論議はともかくとして、実は私鉄で初めて交流電化を実現したのもわが宮城県なのだそうだ。

阿武隈急行線である。旧国鉄丸森線を受け継いだ第三セクター路線として、1988年7月1日に福島駅までの全線を交流電化で開業した経緯からそうなのだが、紛れもない日本初だ。

それに、従来の私鉄がすべて直流のなか、あぶ急のほかに交流電化区間を持つ私鉄は、近年開業した「つくばエクスプレス」と仙台空港鉄道(仙台空港アクセス線)ぐらいなのだそうだ。

(ちなみに仙石線は東北地域では例外的に直流電化です。)

とすると、仙山線、あぶ急、アクセス鉄道を持つわが宮城県は堂々と、 交流電化王国 ではないか。 自慢できるかどうかわからんが。

(ついでに仙石線が日本初の地下鉄道だったことも、自慢しましょう。東七番丁駅のことです。参考: 仙石線のダイヤと石巻仙台間の交通を考える (09年12月20日))

■関連する過去の記事(阿武隈急行、仙山線)
堺すすむと仙山線 (2012年9月23日)
納涼列車 ほろにが号 (10年6月26日)(福島市-丸森町)





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最終更新日  2012.10.07 16:04:11
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