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先日から、リトリートを受けられた方対象に動画販売をスタートしています。今度から、ベーシッククラスで、動画を調整法の一つとして取り入れたこともあって今回は、第1期のリトリートを受けられた方も希望者の方には、販売することになりました。全員にお知らせのメールを送っていますが何人か、メールが戻ってきていますのでメール変更された方は、こちらまでお知らせくださいね。さて、先日、ベーシッククラスのテキスト作成のためにガイドにいろいろ聞いていたのですが何か、ちょっと引っ掛かりがありん?何か言いたいのかな、とガイドに聞いてみると「ここ最近、深い調整を避けてるね」と、バシッと言われました。確かに、ここしばらくは、軽く浄化程度の調整で終わらせていたので「いや~💦だって、今週末からベーシッククラスだし。それで、万が一、前回の木星遺伝調整の後のようにデトックスで、クラスできなかったりしたら大変だし」と言い訳しながら、例え、そうなったとしても前回もそうだったようにそれは必要なプロセスであり全ては完璧であることも十分わかっているのにそれでも無意識に防御的になっていた自分に気づいて苦笑してしまいました。それで見てみると一つ、前から持っていることがわかっていた遺伝で一度もまともに調整したことがなかったある遺伝が出てきてわ~とうとう、この遺伝調整やるのか~と「今日やるの?』と聞いたら、来週初めに行いなさいとのこと。これは、正直、調整が終わったらどうなるか全く予想がつかない遺伝なのでちょっとドキドキなのですがもし無事に調整が終えたらまたここでご報告するかもしれません。で、その日、調整するように言われたのがカルマでした。なんのカルマか見てゆくとなんと、アイルランドでも出てきたケルトのドルイドとしてのカルマで宗教弾圧によって、使命を果たせなかったもの。あ~やっぱり、まだ残っていたんだ。少し前にブログでシェアした方の過去世と被っていたという話を書きましたがあの日の最初、彼女に上がってきた3つのカルマのうち、あの日は、結局、二つで終わったのでそれは、時間的にもエネルギー的にも二つで十分だったからということもあると思うのですがその時に、もしかすると、まだケルトのカルマは私自身に残っているのかも?という気がしていました。アイルランドから戻って、一度、調整はしたのですが何か、もう一つ、しっかり抜け切っていないような気がしていたからです。は~やっぱりで、今、調整した方がいいんですよね?と、ガイドに聞きました。特に今すぐに調整する必要がないものなのならベーシッククラスのテキスト作成を先に終えたいと思ったからです。でも、その日のうちにやること、と言われたので覚悟を決めて、取り組むことになりました。これまで何度も、こういうワークはやってきたしこれが解放されるとどうなるか、わかってはいるもののそれでも自分で自分の深いカルマと向かい合うのは結構、覚悟もいるし、毎回のようにエネルギーを要することなのです。これは、アセンテッドマスターや宇宙系のサポートがないととても無理なことでした。その過去世の詳細に関しては、長くなってしまうので今回は割愛しますが何人かのマスターたちのサポートを得ながらいくつかカルマを調整するためのプロセスを行った後、最後に調整法として選ばれたのがなんと、リトリート動画でした。その中で選んでみると、宇宙の旅のレムリアの部分が選ばれました。自分で、レムリアにつながるのではなくてレムリアの動画を使ってレムリアにつながることの意味がよく把握できないまま、スタートしました。実際は、目を閉じて行ったので、動画自体は見ておらず私のナレーションと音楽を聴きながらレムリアにつながるということをやりました。それは、不思議な感覚でした。紛れもなく、ナレーッションをしているのは私自身なのですが、自分の声だとは思えないのです。まるで別の人が、私を導いて行ってくれているような感覚でした。自分のナレーションを聞いて、そんな気持ちになったのは初めてのことでした。自分だけでレムリアに繋がった時とこのナレーションと音楽と共に繋がった時の違いがよくわかりました。この時は、このカルマを手放すために別の誰かのサポートが、助けになったのです。別の人からサポートされている感覚がその時、私がそのカルマに深くアクセスし感じることへの抵抗や恐れを軽減させてくれたのでした。今後、動画を購入された方たちが自己ワークを行う時そんな風に感じらることがあるのかどうかまだ分かりませんがもし、そうなら、こんな嬉しいことはないな、と。その人が、自分一人でその辛いカルマや前世と向かい合うのではなくて誰かと共に(私ですが)癒している気持ちになってくれたらどんなにいいだろうと。ああ、だから、クラスの前に私はこれをワークする必要があったのかも。自ら、どのように動画を使ってワークするのかを体験することになりました。それにしても。これは以前も話をしましたが私は、中学校ぐらいの時からずっと自分の声が嫌いでした。美しい声の人に憧れたし自分が声が入ったものを聞くのも嫌でした。このコンプレックスは、私だけでなく私の母も家族みんな持っているものなのです。それが、人前で話すことへの抵抗にもなっていましたがこのユニバーサルリトリートでのナレーションを通じて、少しずつその意識が変化してきました。そして、今回、この声を持って生まれてきてよかったと初めて思うことができたことが感謝でした。ということで、今週末から始まる新ベーシッククラスどうなるかわかりませんがみなさんと一緒に楽しめたらいいなと思います♪
2022年11月30日
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ここ最近も、時々、参加者の方が送ってくださるリトリートの感想を嬉しく読ませて頂いています。インナーチャイルドの気づきディープなカルマのリリースの喜び浄化を行った後の開放感、などの他リトリートの2回目にお伝えした人生の年表を改めて作成して気づきがあったというご報告も何人かに頂きました。今日も、視聴期間が終わる前に、復習で見たら一旦、全部を終えた後で見るのと、全く理解が違っていました、という感想を頂いて、嬉しいなあと。多次元的な理解→宇宙の叡智→潜在能力の活性化なので、多次元的に自分の内面や世界を理解すればするほど人生はより豊かになってゆくと感じています。さて、正月明けに行われるリトリートのオフ会。もともと、12月に日本に帰ることにしたのはロボット遺伝を調整した後久々に日本に戻って母に会いたい母と一緒に笑いたいという想いが強くなったからですがその帰国のタイミングでリトリートのオフ会を開きましょうと参加者の方が言ってくださって実現することになりとても楽しみです。福岡で約20人、東京で約4~50人の方が参加してくださるとのことでそんな、たくさんの人が集まってくれることが本当にありがたくて、幸せで。それと同時に、そんなに多かったらみんなで話すなんてことは不可能だろうし(そういう形もアリかもだけど)一人ひとりとは、ゆっくり話す時間なさそうだなあと。私の話は、このブログでも、リトリートでも散々話しているので、特にいらないしオフ会では、参加してくれた方たちの今、感じていることやプロセスを直接聞いてみたいのです。でも、仮に、一人10分だけ話したとしても50人近くだったら8時間以上かかるわけで5分でも4時間だから、どう考えても無理な話。私がグラスを持ってみんなの席を回れるように堅苦しくない、気軽な店がいいと幹事さんに、リクエストしたのだけどそれでも、みんなのところに回れるかなあと。まあ、私の帰国は、単にみんなで集まるためのきっかけみたいなものなのでみなさん、それぞれに楽しんでもらえたらそれでいいかなと思いますがでも、絶対に、来てくださった方全員一人一人とハグしたい💕と思ってます。とかなんとか、人の話を聞きたいと言いながら実際、蓋を開けてみると、調子乗って酔っ払って自分が喋りまくってたりする可能性もあるから要注意なんだけどね😅(長野のクラスの打ち上げとか、そうだったな~)じっくり話をしたり、相手の方のプロセスに一緒に涙したりするのも好きなんだけど一方で、どーでもいい話でワイワイ盛り上がったり踊ったりするのも好きだし。(長野やハワイリトリートでも踊ったなあ〜)20人とか、4、50人みんなでゲームやったりするのも面白そうだな~と。(思わず、ゲームの景品まで考えてみた)あ~ランチだとそんなノリにはならないのか。(←すっかり、夜の宴会の気分でいる🤣)福岡は、ランチとディナーの2部東京は、ランチのみだそう。って、東京はランチのみで終わるとは、とても思えないのだけど。(てか、きっと私が終わらせない)ということで、参加してくださる方はみんな覚悟してきてね。(これ読んで、みんなキャンセルしたりして)そうそう、ニューヨークもオフ会開きたいなあ。一応、少し前に、たかしくんとちさとちゃんと12月中にオフ会しようと計画立てていたのだけど私は12月始めの3週連続で週末はベーシッククラスなのでちょっと厳しいかなあと。これを読んでいらっしゃるNY在住のみなさまニューヨークオフ会は、2月初めぐらいでいかがでしょうか?(と、このブログで呼びかけてみる)
2022年11月28日
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ワールドカップ、日本はコスタリカに負けましたね。残念でしたが、ほぼ負けるだろうと予想されていたドイツに勝ちほぼ勝つだろうと予想されていたコスタリカに負ける。あ~だからこそ、これがスポーツやゲームの面白さであってしいては、人生の面白さと言えるなあと。人生って、本当、ゲームだな~といつも思います。自分にとって、嬉しくないことが起こったり辛いことがあった時にそこでどう自分が変化してゆくのか?によって自分が予想もしなかった可能性が開けてきたりより豊かに幸せになる方向になったりすることって本当に多いしそういう人たちは、世の中にたくさんいます。先日の「祝、日本」の日記に「スポーツは、誰かが勝ったら誰かが負ける構造なので興味はない」とコメントされた方がいますがそういう方は、スポーツやゲームの面白さはもちろんのこと上手く行かないことのプロセスから得る喜びも体感されてないのだろうなあと。勝った負けたの結果ではなくそこに向かうプロセスこそが、私たちの成長の喜びだと私は思うのです。ゲームを楽しむように、人生を楽しむ。もし、何か上手く行かないことが起こったら「おお、今度は、こう来たか~。これを切り抜けるには、どうしたらいいのだろう?私の何を変えたらいいのだろう?』そんな視点で、現実を捉えてゆくと上手く行かないことも含めて楽しいしいつの間にか自分が変化し、成長している。ゲームや勝負することの楽しさ、例え負けても、また次の手を考えて挑戦する喜びを教えてくれたのは私の父でした。確か、小学校5年生ぐらいの時に父から将棋を教わって、二人でやるようになりました。最初は、父が飛車角抜きでも、私は負けていたのですが毎日のように父とやっていると、だんだんわかってきてある日、私が勝ち、次に、父が角を入れてやるようになってそうすると、また私は負けていたのですがある日、その状態でも勝つことができてその後は、もう父も飛車角ありで対等にやるようになり最初は、私の方が負けるのが多かったのですが次第に勝率が半々になり、ある時点から一気に私の方が強くなって私が7:3、とか、8;2の割合で勝つようになってきました。大人より、子供の方が吸収が早いのですよね。父は負けると、とても悔しがってでも、なぜか嬉しそうで「よし、またやろう。いや、対戦お願いします!」と、私に対戦を挑むので、夜中まで続けることもしばしば。中学に入って、私が明日、期末テストとかいう日でも「学校のテストの勉強とかやらんでいい。将棋しよう!」と言うので、テストの前でも、父と将棋していたのを思い出します。そういう父の姿を見てきたので例え負けたとしても、すぐに結果が出なくても諦めずに続けてゆく、という意識が私の中で、自然にできていたのだなあと。将棋の対戦自体も楽しかったけど対戦が終わると、必ず、父とそのゲームを振り返って「ここの一手がまずかったよね」「ここ、こう打てば、よかったんじゃない?』などと、お互いにあれこれ言い合うのも楽しかったなあと。20代、30代となって、久々に将棋したいな~と当時、付き合っていた彼とやったことがあるのですが初回で、彼が負けると「もうやらない」と二度とやってくれないことがありました。オリオン遺伝の性質に「負けず嫌い」というのがあるのですが負けず嫌いなので、負けないように頑張る人と負けたくないので、負けるとわかっていることは最初からやらない人の二つに分かれるのです。で、後者の人が、すごく多い。これは、以前も書きましたが多次元のクラスを開いた時に、一番、驚いたことでした。自分が学びたくて、取ったクラスなのにたった5日間のクラスの中で上手く取れないというだけで「私には向いてないのだ」とすぐに諦めてしまう。それは、私には全くない性質や思考だったのでそういう人たちが、どうしたら、筋反射の素晴らしさや楽しさを感じて続けていけるのだろう、ということがこれまでクラスを開いてゆく中で最も難しかったところでした。今は、オンラインリトリートという半年間という長期の期間の中で少しずつ、多次元の基本概念を学んだり動画で浄化や癒しを行うという場があるおかげでクラス初日で脱落、みたいな人は減りましたがでも、どんなことをやるにしても上手く行かないことは、必ず起こるのでやはり、その人自身の内面を変えてゆくことが必要だなあと。自分がやりたくないことは、さっさとやめる(最初からやらないのがベスト)自分がやりたいことは、決して諦めない。すごく、シンプルなことだと思うのだけどなぜか、自分のやりたくない仕事は頑張って続けているのに、自分がやりたいと始めたことはすぐに諦めてしまう人が多いのだろうと。「自分がやりたくないことは、さっさとやめる」これは、今、自分がそれをやりたいかどうかを感じたり内なる声を聞くための女性性が必要で、「自分がやりたいことは、決して諦めない」これは、目標に向かって進む男性性が必要なことだと言えます。これが、女性性が弱いと、自分が何をやりたいかよくわからないになりがちで(なので、とりあえず、今の仕事をやっているなど)男性性が弱いと、やりたいことがあっても続かないになりがちなのです。オリオン遺伝の性質として「すぐに結論づける」というのもあります。今は、負けたとしても、何年後かに勝てば、その負けはプラスになるわけだしいえ、例え、勝たなくても、そのための学びや努力はそれぞれにとって、決して無駄にはならない。負けたというのは、その時の結果ではあるけれど人生全体で言えば、プロセスにしか過ぎないのだから。子供の頃、父と将棋したことが、今、直接的に何かの役に立っているわけではないけどそこで感じたり、学んだ、たくさんのことが今の私のあらゆるところに生きているのだから。だから、例え、何かが上手く行かなかったとしてもすぐに結論づけず自分がやりたいことを諦めないで人生というゲームを最大限に楽もう。と、ワールドカップの話題から始まってどこに向かうのかと思えば、こんな結論になったなんか、ムッチャ木星遺伝全開みたいな内容になったけど。(いや、これは、多分、シリウスだな)なぜか、今日は、こんな気分です。(クラス前だからかな〜)→気合い入ってる証拠?
2022年11月27日
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先日、友人と会った時にその友人はリトリートも受けてくれているのですが彼女が「リトリートの動画の視聴を見直していて一番心に残ったのが、のりこさんが言った『シンプルに生きることが大切』と言う言葉だったの」と言っていて、私は、いつそんな話をしたのかどう言う話の流れで言ったのかも、全く覚えていないのですがその言葉が彼女の心に響いたことは、意外でしたが嬉しいことでした。私がシンプルに生きることに、意識をむけたのはもう随分前のことなので多分、このブログでも、言葉を変え色々と伝えてきていることだと思うのですがシンプルと言うのは、いわば心(感情や精神)と身体と魂が一致した状態と言えるかなあと。人間と言うのは、シンプルには行かない生き物で例えば、やりたいと思っているのになかなかやれないとか、こんな仕事をやりたくないのにやっている、とか相手に優しくしたいのに、できないとかそう言う複雑さを抱えているわけです。もし、私たちが、シンプルに生きることができれば自分がやりたいことを自由にやって他の人とも愛で繋がってゆくことができるわけなのですが多くの人は、なかなかそうシンプルには生きれない。つまり、ヒーリングは、自分をよりシンプルに生きるために変化させてゆくもの、と言えるなあと。私は、人にセッションを行う時に、最初にその人のシンプルじゃない部分を見つけ出すと言うことを常にやっているわけなんです。人によっては、がんじがらめに絡まった毛糸のように複雑なことになっていてその絡まった糸を紐解いていく必要があるわけです。ちょうど、ここ最近、行った二つのセッションで二人とも多次元のクラスを受けられていて同じような問題を抱えていたのでびっくりしたのですが一人は、病気がなかなか治らない理由を探っていって出てきたのが病気が治らないのが、怖い、と言う思いと同時に病気が治ったら怖い、と言う思いでした。病気ば治らないのが怖い、のは理解できますが病気が治ったら怖い、と言うのはシンプルじゃないわけですね。それで話を聞いたり、調べて見てわかったのが彼女は病気が治ったらヒーリングを人にも行いたいと思っているそうなのですが旦那さんがそれを反対している、とのこと。彼女は、旦那さんが失望するようなことはやりたくないしそのことで揉めたくはない。それで、彼女の無意識が感じていたのは病気が治ったら、旦那と上手くいかなくなってしまうと言う恐れでだから、病気が治ったら怖い、わけなんです。で、この無意識のプログラムを解除するためには旦那さんを失望させるのが怖いと言う恐れを手放し人に振り回されず、やりたいことを自由にやる自分に変化させることが必要と同時に「病気が治る」→「ヒーリングを行いたい」→「旦那と揉める」という複雑になっている思考パターンそのものを変化させるということです。もう一人も、同じような感じで彼女は、謎の体調不良があって、それは忙しい時にはないけどリラックスすると、痛みが出てくると言うもの。筋反射で見てみると「リラックスしたくない」と言う潜在意識の声。なぜ、リラックスしたくないかといえば「自分はまだまだ不十分だから、もっともっとやらなければ」と言う声が上がってきました。だから、リラックスすると痛みが出てくるわけなんです。で、何が不十分なのかを見ていくと彼女もヒーラーとして、人にセッションをやりたいと思っているのですが「ヒーラーとしての才能が不十分」だと感じていることがわかりました。それで、彼女は「もしこの痛みを自分で治せたら私は、自分のヒーリングの才能を認めることができるのに」と感じていたので、無意識に自分の才能を認めたいために、身体にどんどん負荷をかけていたわけなんです。なんと、複雑な仕組み。彼女の場合は、もちろん、今の自分の潜在能力を認めるということが必要だし痛みがすぐに治せる=ヒーリングの才能があるという先入観を手放すことも必要なわけです。この二人に共通していたのは、自分のやりたいことのために自分の身体を苦しめていた、と言うこと。よく、やりたくない仕事をやらないために病気を生み出している人はいるのですがやりたい仕事のために病気を生み出すと言うより複雑なパターンもあるなあと、改めて思いました。人間関係になると、さらにこれは複雑化して複雑な人間が、複雑な人間とコミュニケーションしているわけですから様々な問題を生み出し、複雑化してしまうわけです。例えば、「私は~~に嫌われたのだ」と勝手に思い込みそれなら、もういいわ、とその人の関係を避けていてで、一方のその相手の方も、避けられたことで私は嫌われたのだ、と思い込みより、関係は悪化する。みたいなことは、日常茶飯事に起こっているわけなんです。相手から「あなたのことが嫌いですので、連絡しないでください」と言われたなら、それはシンプルなので仕方ないとなりますがそうではないのに、自分は嫌われたと思う思考がシンプルではないわけですね。さて、私は、比較的シンプルに生きている母とシンプルに生きられなかった父の間に生まれたので両方の部分を持っていたわけでそのシンプルじゃない部分をこれまで変化させてきたわけです。私の母は、シンプルに生きられない人のことを「めんどくさい人」とよく言っていて母にとって、最もめんどくさい人は、夫である私の父だったのは言うまでもなく。どんなことでも、最終的には必ず笑いに持ってゆく母は父や他の人が「いかにめんどくさいか」の「めんどくさいぶり」を母の友人や私に、おもしろおかしく話して笑いを取るのです。私の弟も、父のめんどくさい部分をかなり受け継いでいるので母はよく「もう、めんどくさい人なのよ~」と弟のめんどくさいぶりを愛情を込めて話していました。例えば、以前、私が日本に一時帰国した時のこと当時、弟夫婦は、京都に住んでいたのででは、私と母とで京都旅行に行こうという話になり京都で、弟夫婦が、私たちを案内してくれたことがありました。私の弟は、人を喜ばせたい、と言う思いがとても強い人でそれ自体は悪くはないのですが同時に「京都のこう言う素晴らしさを見せて(私たちを)感動させたい」というこだわりがあって彼なりに、どこに行くのか綿密に計画を立ててくれたわけです。で、本当に私も母も実際に訪れて感動したのですが弟が行きたいと思っていた場所の一つが時間の関係だったか、子供のことだったか理由は忘れましたが、行くことができずそれで、彼は、そこに私たちを連れて行くことができなかったことで不機嫌になってしまったわけです。私や母が「もう私たちはとても楽しんだしこれで十分よ」と言っても、彼の機嫌はなかなか治らず。元々は、私たちを喜ばせたい、感動させたいと言う彼の優しい思いからなのですがなぜか、最後は、私たちに気を遣わせることになると言うまさに「超めんどくさい人」なんですね。私と母としては、京都の雰囲気を味わえばそれで良かったし、弟夫婦と甥っ子と一緒に楽しい時間を過ごせればそれで、シンプルに最高だったわけなんですが彼の様々なことへの「こだわりの強さ」が、そのシンプルさを妨げてしまうわけです。この「こだわり」や「好き嫌い」と言うのは私たちのシンプルさを妨げる要因の一つです。最初のケースでお話しした「特別な才能がなければ、ヒーラーとしてやってはいけない」などと言うのも、こだわりの一つ。こだわりは、例えば「より良い製品を作るためのこだわり」など、自分が本当に求めるもの、魂が求めることを追求するためのこだわりはプラスに働くこともありますがその他のこだわりの多くは不要なものです。好き嫌いは「好き」は問題ないのですが「嫌い」という感情は人間関係での問題を生みます。例えば「人参が嫌いです」など食べ物の好みを伝えるのは多くの場合、問題はないですが「こういう人が嫌いです」とか相手が好きなものに対して嫌いだとかそういう嫌いは、自分自身の問題なのでそれを自覚していればいいのですがなぜか「~~が嫌い」と言うのを自分の個性のように勘違いしている人が多いなあと。好き嫌いは、個性ではありません。単にダークサイドからの遺伝的な思考や子供の頃などからのストレスやトラウマを反映しているにすぎないのです。そう言った自分のこだわりや好き嫌いを主張する「めんどくさい人」に出会ったらとりあえず、スルーするのが一番だなと言う結論に達しました。私の母は、その場はスルーしてあとで笑いにするいわば「ネタとしていじる」ことで彼女の中で、めんどくさい人への対応のストレスをチャラにしているような感があってだからこそ、夫や家族のめんどくささにも屈することなく、自由でいられたんじゃないかなあと。(あ〜そう思うと、私にも、そういうとこあるな〜)私も、めんどくさい人に、いちいち説明したり、対応していること自体が自分の中のめんどくさい部分だと気付いて手放しました。昔、私が、もっと若い頃には、例えばどこか孤独感を抱えている人とか何かの悲しみや問題を持っている人とかそういう人に惹かれたりすることもあったように思うけれど今は、そういう人は、私にとっては単に「めんどくさい人」になりました。結局、そういう人に惹かれるのは、自分の中の孤独感とか満たされない想いがあってそれを見ないで、相手の孤独を癒すことで自分の満たされない想いを満たそうとしていたに過ぎない、ということがよくわかったからです。その人の孤独感や問題は周りがいくら埋めようとしてもその人自身が向かい合うことでしかなくならないことは、間違いなく。たまに、セッションでも、そういう方の恋愛に関するセッションを行ったりしますが自分自身の傷や孤独感を癒しシンプルな思考や感覚に変化してゆくとわざわざ、問題のある人、めんどくさい人に惹かれて苦労をすることもなくなってゆくのです。シンプルであればあるほどより楽に幸せに生きることができるし人からも愛される。そのことを時が立つごとに実感しています。あなたの周りにも、めんどくさい人いるでしょうか?(というより、あなた自身がめんどくさい人?)愛すべきめんどくさい人たちへ。自分のめんどくさい部分と向かい合ってどんどん手放してシンプルに生きよう〜(と、私もまだ自分の中にめんどくさいとこあるんだけどね)
2022年11月26日
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日本、おめでとう🥂いや~勝ちましたね。ワールドカップ、ドイツとの初戦。今は、日本中、お祝いムードなのかしら。私は、野球というスポーツは好きだけれど全くサッカーファンではないし日本を離れて長いこともあって三浦カズと中田ヒデ以降のサッカー選手は私の中で、ほとんどアップデートされてなくて😅今回、初めて知った選手ばかりだったのですがそれでも、このドイツに勝ったというのがいかにすごいことかということは、わかります。素晴らしい試合で、もう涙出るぐらい感動。ニューヨークの私の周りにはこの感動をわかちあえそうな人いないなあとでも誰かと喜びを分かち合いたい、と思いとりあえず、母は間違いなく、試合見てるだろうなと、昨日、日本に電話しました。やはり、試合見ていたそうで母曰く「前半を見ていて、あ~これは負けるなあ、ともう寝ようかと思ったんだけど、やっぱり最後まで応援しようと最後まで見たのよ。そしたら、まさかの勝利。すごく嬉しいわ~」と喜んでいました。おー、そこで諦めて寝ないところが、さすが私の母だわなどと妙な感心をしつつ本当、あの圧倒的に負けていた前半戦からよく気持ち切り替えて、逆転して勝ったなあと。勝因は、監督の采配とか、色々あるでしょうがやっぱり、メンタルの強さなんじゃないかなあと。翔平くんを見ていて、いつも思うのですがメンタルの強さが半端なくて若い世代の日本人の変化を感じるのです。プレッシャーや逆境に強いというのか。その強さが、私たちの世代の強さとは明らかに違うように感じています。私と同年代のメンタルの強さって自信満々、私が一番、みたいな人が多かったイメージなんですが今の若い世代って、もっと自然体というのか翔平くんが、先日、NHKのインタビューで「今年は素晴らしい結果を残されましたが来季については、今、どんな感じでいますか?」と聞かれた時に「今は、不安しかないです」と答えていて、それを見てお~なんと、かっこいいのかしらと。あれだけの結果を残しながら自分の不安を表現することのできるメンタルの強さ。いや、逆に、あれだけの結果を出しているからこそ言えることとも言えるのだけど’自分の不安や弱さをさらけだすことのできる強さがあれば怖いものなんてないですから。あ、いかん、サッカーの話が、翔平くんにすり替わったどちらにしても、ほんと素晴らしい。さて、今日は、アメリカは、サンクスギビングでした。何十年アメリカに住んでいても私にとって、思い入れのない祝日なのですっかり忘れてしまっていたのですが先日、友人に「サンクスギビングのディナー行きましょう」と誘われておお、もうそんな時期か~とイタリアンレストランに食事に行ってきました。ひと昔前は、サンクスギビングはアメリカ人は家族で集まってターキー食べる日みたいなイメージしかなかったのですがニューヨークは、もともと多種多様だし今は、そういう過ごし方をする人も少なくなっているのかレストランも、友人やカップルと過ごす人たちで満杯でした。で、その友人に「ワールドカップ、日本がドイツに勝ったの知ってる?』と聞くと「え~知らなかった~」との答え。やっぱり。日本人でも、ニューヨーク生活が長いニューヨーカーはそうなんですよね~日本にいると、どうやっても耳に入ってくる話題だったり誰もがが知ってる状況になることが多いのですがこちらに住んでると、そこに意識を向けていたり自分に興味があること以外全く知らないということ、結構あります。それは、よくも悪くも、だなあと。それが良い部分としては、喜びを分かち合ったり共感しあえたり、話が盛り上がったりするわけですが悪く出れば、周りと話題を無理して合わせたり周りと違う意見や感覚を持っていることへの分離感になったり。そういうニューヨークのいいところも日本のいいところも両方を感じつつ。私はニューヨークに長く住んでいるからこそいつもどこかに「日本人として」という意識もあってだから、日本が元気でいて欲しいな~と。もちろん、そのために、一人一人が個々の問題としっかり向かい合って変化していくことが何よりも大切であることはいうまでもなく。ということで、今年は、日本で年越しする予定です。最後に日本に戻ったのは2019年の秋、コロナ前のことですが日本で年末年始を迎えるのは20年以上なくて、初めてのことなので、楽しみだしさらには、リトリートのオフ会も開かれるのでみんなに会えるのが、ムッチャ楽しみ。これまで、事あるごとにそう思ってきたけれど本当に、この人生で日本人に生まれてくることができて幸せだな〜と思います。(今、酔っ払っているので、話をどうまとめていいかよくわからず、こんなまとめでいいのか😅)
2022年11月24日
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今日は、違うことを書こうと思っていたのですが昨日、セッションを受けられた方から感想のメールを頂いたので忘れないうちに、このセッションを記録として残しておきたいなと思ってアップすることにしました。昨日、セッションを受けて下さった方は多次元キネシオロジーののセラピストさんで彼女は素晴らしい感性の方なので最初に、彼女からセッションのお願いメールを頂いた時には「う~ん、私がセッションやらなくても彼女は、自分自身で調整していけそうだけど、どう?」と一応、ガイドに聞いてみました。すると「セッションを引き受ける」とのお答え。そうなのか〜。どちらにしても、特に大きな問題というわけではないだろうけど私が彼女にセッションをやることで彼女のセラピストとしての学びや気づきになるのかなと、というぐらいであまり深くは考えずに、セッションを行う流れとなりました。で、当日、セッションが始まる前に「今日は、どんなテーマでやるのかしら」と事前に情報をあげておくことにして筋反射を取ろうとすると、いきなり彼女のハイヤーセルフからのブロックがありました。は〜今日は、カルマリリースなのか〜。オッケー、手放したくないのは、どんなカルマなの?そう思いながら、情報をあげていくと出てきたのは、3つのカルマでした。1つ目は、アトランティスの過去生。神官的な立場で人々に尽くしてきたが アトランティスの崩壊を目のあたりにして、無念のまま亡くなった。2つ目は、古代エジプト。ここも神官。権力からの抑圧があり 自由さを失った無力感と罪悪感。3つ目は、ケルトの過去世。これも神官的な立場だったが 宗教弾圧によって使命を果たせなかった無念さと罪悪感。ええ~~多くの人が似たような過去世を共有して持っていることはわかっていますがこれ、私が最近、ワークしてきたカルマと丸かぶりじゃんっていうか、これ、彼女の過去世なの?もしや、私の過去世がまた上がってきているの?そう思って、何かブロッキングでも起きているのではないかと確かめるのですが、何度確かめても私の過去世ではなく、彼女の過去世だと出てきます。は~まじか。これ、私が彼女にワークできるのかしら?まあ、できるものしか情報として上がってはこないことはわかっているので何かしらのことはやれるのだろうなとは思いましたがここまで、私がワークしてきた過去世の状況と似たようなものが出てくるというのは、初めてのことでした。で、その他の問題を上げてみるとその前世と、今の彼女の問題との関連や全体像が見えてきました。彼女は、元々のエンパス体質の上にすごい共鳴力と慈愛の人なのでそれが故に、クライアントさんからのエネルギーとリンクして毎回の自己浄化が大変になってしまうことやまた、クライアントさんに早く幸せになってもらいたいという想いが強すぎて、無理して頑張りすぎてしまうことなどそれが、楽にヒーリングの仕事をやれないことに繋がっているのが、だんだんわかってきました。さて、オンラインでのセッションが始まってまずは、今の彼女の具体的な問題を紐解きながらインナーチャイルドや遺伝との関わりやこれから、どう変化してゆく必要があるのかなどを筋反射での情報を伝えたり、彼女の話を聞きながらクリアにして行きました。彼女に、今日、上がってきているカルマのことを伝えるとエジプトもアイルランドもずっと行きたいのに行けなかった土地でありまた、私のエジプトやアイルランドの記事や配信を読んだり見たりする度に心がざわついていたとのこと。なるほど~。それじゃあ、そのあたりの過去世、ありそうだねなどと言いつつある程度、今生での問題の調整が終わった頃「カルマリリースをスタートしなさい」との合図がガイドからありいよいよそのプロセスがスタートしました。それは、壮絶な過去生でした。この続きは彼女からの感想のメールの後でお話ししますね。長時間のセッションをありがとうございました。レプをいっぱいやるのかな~なんて、呑気に構えていましたが。まさか、あんなに激しいカルマを2つも手放す流れになるなんて全く想像していませんでした。エンパスの調整とヒーリングの仕事を楽にするための調整。どちらも、テーマとして上がってきたことがあるのに見えていなかった部分が多くて。セッションの時間をつくってもらえたことが本当にありがたかったです。アトランティスのカルマと告げられた時はぎゃぁぁぁぁと思いましたが(苦笑)数日前から感じていた「祈りが消えていく……。私の終りを知っていて欲しい」というメッセージがアトランティスのカルマに繋がっていたとは思いもしませんでした。のりこさんがアトランティスに誘導してくれた瞬間から呼吸が上手く出来なくなって。胸を抉るような想いが身体からゾワゾワと上がってくる気配がありました。「たくさんの人を助けられなかった無念。助けたくてずっと頑張ってきたのに出来なかった」のりこさんがそう伝えてくれた時色んなものが一気に上がってきました。慟哭、嘆き。祈りが消え、愛が見えなくなり、歪み割れる。全てがのみ込まれ、終わる。身体から突き動かされるように出てくるものを言葉にして伝えたいのに。「なんでこんなことに……どうして!」そう絞り出すのが精一杯で。言葉に出来ないほどの罪悪感と無力感。使命を果たせなかったことの無念さ。私に起こった出来事じゃないのにこんなにもハッキリと感じるものなんだなと衝撃を受けました。「あれはあなたのせいじゃない。あなたは良くやった。だからもう責めるな」というトートからの言葉をのりこさんが伝えてくれた時。やっと終りにできるんだという想いがあふれてきて涙が止まらなくなりました。私には、どうして私のハイヤーセルフがこんなにも世界に愛を注ぎ満たいと願っているのかずっと分からなかったんですが。その想いがこのカルマから来ていたんだと分かってまた号泣。一人だったら、このカルマは絶対に抜けられなかったと思います。のりこさんが今まで長い時間をかけてこのカルマと向き合い手放すことを諦めないでいてくれたから私もこの深いカルマを手放す所まで進んでこれたんだと思います。本当にありがとうございます。古代エジプトの神官だった過去世も本当に重く苦しいカルマでしたけど。その分、今は胸のつかえがとれたような軽さを感じています。権力からの抑圧。助けたいのに助けられないジレンマ。自由にできない苦しさと無力感。真っ暗な場所で、自分を抑圧する者への憎しみと何もできない罪悪感から、すべてを諦めた虚しさ。ホルスがカルマリリースをしてくれているのがジワジワと伝わってきて。ヒーリングって、本当に色んな存在に助けられて成り立っているんだと実感できました。古代エジプトでの私が本当に欲しかった自由と光。このカルマを手放して、今生の私が自由に生きることでそれが叶わなかった人たちの魂を変えることができると伝えてもらって。カルマを手放すということが、どんな意味を持つのかを初めてちゃんと理解できたような気がします。自由に生きるということをずっと望んでいたのに一方では不安に感じていた自分もいて。深く向き合えずにいたテーマの一つでした。だけど、それが叶わなかった古代エジプトの人たちのためにもゆっくり丁寧に叶えて行こうと思います。このタイミングでセッションを受けたことでセッション全体の組み立て方や流れ。1つの問題に、どんなふうに遺伝が絡んでくるのか。全体を見渡しながらも、核心を読み解いていくために必要なこと。そういうことが、掴めた様な気がします。自分が取り組んで上手くできなかったテーマだからこそのりこさんの説明の一つ一つが腑に落ちて理解できたんだろうなと思います。特に、ゼータ遺伝のブロックや母とのリンクに関しては全く気付いていなかったので、丁寧に解説してもらえて良かったです。海王星の調整をしていただいたことでエンパスがどんなふうに変化したのかを見ていくのもこれからの楽しみになりました~!リラ・オリオン・ニビル・木星。どれも根深くて苦労しそうですけど。私自身の変化を楽しみながらやっていこうと思います。セッション、本当に本当にありがとうございました。この感想から、その情景やエネルギーが’伝わる人には伝わるのかなと。まず、ワークしたのは、アトランティスのカルマでした。上がってきたのは、崩壊してゆく文明と海に沈んでゆく人々を前に絶望と無力感を感じている慈愛の深い神官でした。ああ、この深い悲しみと無念さ。それをひしひしと感じながらふと、誰がサポートしてくれてるの?と聞くとそこにトートがいました。彼女が、過去世の神官と繋がって「なんでこんなことに……どうして!」と絞り出すように言った時トートから「これは、あなたのせいではない。あなたは、本当によくやった。自分を責めるのはもうやめなさい」そう伝えられて、その言葉に、私も涙が溢れました。トートは、そう簡単には褒めない人だしトートからそう言われるというのは彼女はその過去世で、余程、愛と平和のために人々に全てを捧げてきた人だったのだろうな、と。トートから「これは、誰のせいでもない。人間が自らの学びと成長のために選んだ運命だったのだ」と伝えられて、ああ、本当にそうだなと。私たちは、何か事が起きると、自分の無力さを嘆くけれどそれは、必然のプロセスだったのだと。なんとトートが頼もしく、そして改めて愛の存在なのだなと感じたことでしょう。こうして、彼女のアトランティスでのカルマリリースが終了して、ほっとしたのも束の間今度は、ホルス神殿に飛んでエジプトでのカルマをリリースしなさいとのメッセージがありました。流石に、このエジプトは、アトランティスほどの壮絶な人生ではないよね、と思いつつスタートして上がってきたのはアトランティスとは違った意味で苦しく暗く辛い過去世でした。その人は、エジプトの神官でありながら権力(王家?)に抑圧され、人々との板挟みになり人々を救うために自分がやりたいことを行うことができず最後はどこかに閉じ込められて無念と自責のまま、亡くなっていました。先ほどのアトランティスより、さらに重く辛く感じたのは権力に自由を奪われて、自分は全く何もできなかったという想いが強烈だったからです。彼女が、過去世の自分と繋がりながら「こんなことならこんなに何もできないのだったら私はここに生まれてこなければよかった」そう泣きながら、言葉を絞り出した時ああ、この深い絶望をどうやって癒せばいいというの?そう思って、マスターに助けを求めた瞬間にホルスからのメッセージが降りてきました。「だからこそ、あなたは、今生で自分の運命を自由に追求していくことが必要なのです。あなたが、自由に生きた時この報われなかった過去の想いやエネルギーが真に昇華されるのです。あなたが自由に生きるのならばその過去世は、消して無駄な人生ではない」ああ、なんという😭それは、悲しみや無力感に寄り添うとか癒すとかではなくとても力強いメッセージでした。彼女も伝えてくれたようにカルマをリリースするということの本当の意味を、私自身このホルスのメッセージを通じて改めて実感しました。過去も未来もなく。ただ、全ては、今、この瞬間に繋がっていてだから、今の問題を見ることで残された過去の想いに気づくことができるし今の自分を変えてゆくことで過去も同時に昇華されてゆく。そのメッセージの後ホルスが、その絶望の中で死んでいったエジプトの神官の魂を光で包んで、宇宙に還してゆくのが伝わってきました。ああ、大好きなホルス。ありがとう。この日のセッションが終わったのは、もう夜中だったのでお風呂に入って、ストレッチして寝たのですが次の日、彼女からのメールを読みながらまたいろんな気づきがありました。このセッションは、彼女の開放であり、癒しであったけれど同時に、私への宇宙からのギフトだったのだと。半年前ぐらいなら、決してこうはならなかったセッションでした。もし私自身が古代エジプトやアトランティスのカルマを抱えたままなら、あの絶望感や悲しみに共鳴しすぎて、飲み込まれていただろうしいや、その前に、情報としてあげることさえもできなかっただろうなと。トートが「よくやった」と言ったのはあの時は、彼女のアトランティスの過去生でのことに対してだと思っていましたがその言葉は、同時に、今の彼女に向けられていることも明らかでした。ここまでの深いカルマリリースを行うためには彼女自身のインナーチャイルドへの癒しはもちろんレプやグレイ、冥王星などダークサイドの遺伝はかなり浄化されている必要があるからです。しかも、彼女は、多次元キネシオロジーが初めて学んだヒーリングとのことでそれで、ここまでやってきているのだから本当に「あなたは、よくやった」という言葉がふさわしいなあと。そして、その言葉は、私自身にも向けられていたことに気付きました。このセッションが終わった時私が最初に思ったのは「さすがに、この壮絶な絶望感や悲しみや無力感に自己ヒーリングで向かい合うのは、かなり厳しい。今回、私がセッションをやりなさいとガイドに言われた意味がわかった」ということでした。そして、私自身のカルマリリースを行ってきて本当に良かったと心から思いました。私自身は、自分で解放したくて向かい合ってきたというよりも向かい合わざるを得なかった、というのが、正直なところでした。リトリートを開く立場として動画制作やナレーションを行う上で向かいあわざるを得なかったこともあるし実際にエジプトやアイルランドに行けば望んでいなくても、それに関わるカルマや前世が上がってきて、向かいあわざるを得なかったし先日の木星遺伝の後のアトランティスのカルマなど遺伝調整のプロセスとともに、上がってくるものもありました。だから、宇宙のお導きというのか私自身は意図せず、そうなってきたのでだから私自身の努力や力とは全く思わなかったけれどそれでも、今回トートが「諦めずに、よく向かいあってきた」そう私にも言ってくれたのが伝わってきました。それは、まるで「自分が何を超えてきたのか、気付きなさい」と言われているかのようでした。ああ、これは、そのことに私に気づかせるためのギフトのセッションだったのだと。癒す人と癒される人の境目がないのが多次元キネシオロジ~のセッションです。彼女へのカルマリリースのセッションを通じて私が受け取った宇宙からの祝福は私に、この道をさらに進んでゆくことへのパワーを与えてくれているのだなと。今回は、最初のリーディングで上がっていた彼女のケルトの過去世までは調整できなかったのですがそれも、いずれ、ベストのタイミングで開放されてゆくことなのでしょう。これから、彼女が、さらに楽に自由になってゆくプロセスが楽しみだしこんな方が多次元のセッションを他の人に行っているなんて私は、ただ安心して、委ねていればいいということも実感しました。そして、これを読まれている方の中にも同じような過去世を持っている方いらっしゃるのだろうなあと感じながら今、このブログをアップしています。きっと、それぞれにとってベストなタイミングで癒しと開放の時はやってくる。そんなことを感じている今日の私です。今日も長い文章を読んでくださって、ありがとう🙏
2022年11月22日
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<業務連絡>昨日の朝、ベーシッククラスにお申し込みされた方にクラスのお知らせメールをお送りしました。もし申し込みされたのに、メールが届いていらっしゃらない方がいたらすぐにお知らせくださいね。さて、今日は、幸せについて。人それぞれ幸せだと感じる瞬間は千差万別ですが、二つの種類の幸せがあるなあと。1つは、何かをやっている時、自分が望んでいる状況や環境になった時何かを達成したり、得たりした時の幸せ感。もう一つは、何もしなくても、何も得ていなくてもただ今、この瞬間に感じる幸せ感。前者の幸せは、例えば、温泉に入っている時が幸せ、とか家族で美味しいものを食べている時が幸せとか好きなYouTubeを見ている時が幸せとか仕事でプロジェクトが上手く行った時が幸せとか人それぞれ、本当にいろんな状況やシチュエーションがあるでしょう。それに対して後者の幸せは、今の条件や行動には全く作用されない幸せ感。これは、人それぞれではなくて、人が普遍的にもつことが可能な幸せ感です。私は、若い頃から、幸せに生きる、ことを意識してきたこともあるし前者の幸せは、いつもいろんな瞬間に感じてきました。今も、例えば、新しいことにチャレンジするのも幸せだしセッションで、クライアントさんと繋がることもクラスでキネシオロジーの素晴らしさを伝えることができるのも自然や聖地を訪れることも幸せでさらに居心地の良い部屋になるように考えている時もみんなで乾杯できることも幸せ。こんなにたくさんの幸せを体感できる人生に感謝しかないけどでも、それは、やっぱりそれは行動や状況に左右される幸せなのだなあと。そして、私が最近、圧倒的に感じているのは後者の幸せの方です。以前は、朝起きると、私は大抵、起きた瞬間に自分がやりたいことに向かっていました。こんな絵を描きたい、と思っていたらご飯も食べずに、トイレさえ行かずに絵の具を持ってキャンバスに向かっていたし自己ヒーリングも、これをやりたいと思ったら朝目覚めた瞬間から、スキャンリストを開いて筋反射を取ることもしばしば。やりたいことがたくさんあって寝る時間がもったいなくて1日中、やりたいことをやっていることが幸せでした。でも、ここ最近、気づいたのは朝、起きた瞬間に、まだ何も行動を起こしていない状態ですでに圧倒的な幸せ感に満たされているということ。だから、しばらく、ベッドの中で、その幸せ感に浸ってしまうという、これまでの私にはなかった感じでいます。今、書いていて思い出したのが以前は、たまに、悪夢を見ていました。起きている時は、不安や恐れはほとんどないのにどうして、悪夢を見るのだろうと思っていたのですが今から思えば、当時は気づいていなかった恐れや不安があったなあと。これは、やっぱり、インナーチャイルドを癒したり前世やカルマをリリースしたりまたやはり、遺伝的な調整が大きかったです。例えば心の平安やリラックスに関わるレプティリアン遺伝人との深い繋がりに関わるグレイ遺伝幸せ感に関わる冥王星遺伝満たされ感や満足に関わるオリオン遺伝恐れや不安に関わる二ビル遺伝そういったものを少しずつ手放してきたこともあるしそして、ここ最近では、木星遺伝も意外に、私の後者の幸せ感に大きな影響を与えていました。そして、多くの人が得ようとしている幸せは、前者の幸せ。先日、個人セッションをしていたのですがその方が、常に予定が埋まってないと不安になると言われていて、なるほどなあと。つまり、その方は、前者の幸せしかなくて友人と食事したり、今後の発展に繋がる仕事での打ち合わせや旅行など、常に、行動や状況による幸せ感や人から必要とされる幸せを求めていて何もしなくても幸せ、という感覚が全くないので不安になってしまうのですね。こうなったら幸せなのに。と思っている人は、多いけれどでも、実際は、そうなっても幸せじゃない状況は常に出てきます。私も、これまで、予期しないことが起こって不安になったり相手の言動に怒りが湧いてきたりするわけですがその度、自分の内側にむかいあってその状況で、幸せ感を得るように変化させると不思議と、その状況や人間関係そのものが変化してゆくのを実感してきました。これは、達観することとは違って例えば、本当はストレスになっているのに頭で「これは、こんないいこともあったのだから」と理屈をつけてしまうと潜在意識には、幸せではない感覚が残るしまた同じような状況を生み出すのです。だから、まずは、ストレスをしっかり認識することも後者の幸せを得るためには必要なプロセスなのです。そして、この後者の幸せは、誰にでもこの瞬間に与えられている幸せです。たまに、幸せになります、とか幸せになりたいですという言葉を使う人がいますがそれは、永遠に幸せではない状況を生み出してしまうので幸せです、幸せでいます、という言葉の方がいいかなと。そして、自分の中の幸せじゃない感覚があったらそれを見逃したり、スルーしたりしないで「わかったよ。そこにいたのね。ちゃんと聞いてあげるからね」そう言って、どこからそれが来るのか、見てあげること。その上で、浄化したり、癒したり、調整したり。その時に、もちろん、相手や今の状況のせいにしないことは言うまでもなく。ほとんどの人は、幸せではない感覚を抱えて何かを得たら幸せになれるのだろうと、頑張っています。人によっては、不安感や焦燥感を紛らわすために何かに夢中になっていたり。でも、外に何かを求めている限りどこまで行っても、何をやっても、何か常に、次の幸せなことを求めることになってもし、それが叶わなれば、幸せではなくなります。私は、リトリートでも、夢や目標を叶えることや自己実現するために方法をお伝えしていて例えば、自己実現のためには、ビジョンを持つことや行動や継続が大切なのは、間違いないことですが意識の根底に、どれだけ、今、ここに存在しているだけで幸せというこの幸せ感を持っているかによってそのプロセスは、大きく変わってくるなあと思います。魂が幸せでいるための変容の方法それが多次元キネシでお伝えしていることの本質です。今日も、あなたが幸せでいますように🙏
2022年11月20日
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以前、豊かさのワークショップを開いた時に豊かさを妨げている問題リストを参加者の皆さんに配布したのですが120項目ぐらいある中で私自身の問題として、筋反射で調べてその時、上がってきたのがいくつかあってその中で覚えているのは一つは、先日も書いたけど「料金設定を安くしがちである」というのともう一つは、「新しいテクノロジーや技術を取り入れるのが苦手。なかなか始められない」というものでした。「新しいテクノロジーや技術」これは、ヒーリングの技術ではなくていわゆるITやコンピューター関係の技術のことです。それまで、普通にコンピューターは使ってきたので特に自分では、そんな問題があるとは認識していなかったのですが、よくよく考えて見れば確かにそういうとこあるなあとその時に改めて気づきました。例えば、私がズームを使い出したのは確か、コロナが始まる1年ぐらい前でしたが当時、元パートナーがクラスの復習会をズームで開いた方がいいと強く勧めてくれたことがきっかけで私自身は、「なんだか面倒そうだな~でも、復習会を開くためにはやらなきゃだめか~」と気乗りしないまま、スタートしたのです。でもそのおかげで、コロナになってからスムーズにズームでのワークショップを開くことができるようになって、助かったわけです。また、音楽制作ソフトのロジックもくれちゃんが「すぐにできるよ、絶対やった方がいい」と強く勧めてくれて、最初は躊躇していたのですがそこまで言うのだったら、やって見ようかな~でも、面倒そうだな〜と半信半疑で初めてみたら、すぐに問題なく使えるようになって本当やってよかった~と思ったのですが自分からは、けして始めようとは思わなかったものでした。そんな感じで、人から勧められない限りはIT関連で、自分で新しい技術を取り入れようとはしない人だったのですが特にそれを不自由だと感じたこともなかったので調整する気にもならずすっかり、忘れてしまっていました。でも、それが、いつの間にか変化していたのです。自分が変化していることに気づいたのはごく最近のことでした。インスタを始めたのは和美ちゃんの勧めがあったからですがやってみると「お~超簡単にリール動画作れるし、面白い!」となり、その流れで、MIdjounreyも自分から気軽に初めていました。(MIdjounreyは、ついやりすぎてしまいがちなのでここ最近は、クラスの準備のために、封印してますが)そして、最近、来月のベーシッククラスのオープニングでサムネ代わりに、1、2分の動画を流したいなと思いふと、そのぐらいだったらくれちゃんに頼まなくても、自分で編集できるかも?と、初めて、iMovieを立ち上げてやってみたら特に説明を読まなくても、すぐに使えるようになりこんなに簡単にできるんだと。もちろん、凝った映像ではなく、iphoneで撮った短い動画に、インスタ感覚で音楽とタイトルつけただけですがそれさえも、苦手意識があったのでこれまでやろうとしなかったのです。また、今、ベーシッククラスのスキャンリストを修正、編集しているのですがこれまでスキャンリストの編集は、たかしくんにお願いしていたので今回も、たかしくんに頼もうかな~と思ったもののちょうど今、彼にリトリート動画販売のための制作をお願いしていて、彼は、他の仕事もすごく忙しいのでこれは自分でやってみよう、とPagesでやってみたら、超簡単でああ、以前は、私は、こんなことも苦手に感じてやろうとしなかったんだなあと。よくよく思い返せば、私のこの苦手意識は結構あって、2020年の春にスキャンリストを製本する時に、データを持ってコピー屋に一人で行くのも億劫で、たかしくんにブルックリンのコピー屋さんまで一緒について来てもらったぐらいでした。もちろん、これからも、色々と人にお願いすることにはなると思いますが専門知識がなくても、自分で簡単にできるものやスキャンリストなど、クラスの度に変更したいものなど自分で作れると、すごく便利だということに改めて気付きました。そして、最近、MIdjounreyの流れでメタバースについて調べていたらふと、これは多次元のコミュニティに使えるんじゃないかと思いつきました。ちょうど、先日、ユニバーサルリトリートやクラスで学んだ後、何か質問が出てきた時に気軽に誰かに聞くことができる場が欲しいというリクエストがあってそれについて、考えていたところでした。でも、Facebookは今一つ乗り気がせずズームで時々、集まるのはいいけどそれだけでなく、いつでも、私がいなくても参加者同士がつながれるようなスペースがあったらいいなあと思っていたのでこのメタバーズの月極プランだったら24時間スペースをオープンできるので聞きたい時にそのスペースに入ってそこにいる人に、質問や疑問を聞いたりみんなで話し合うこともできるし2、3人で、気軽にお喋りするのもできるしいいかも、と。そう思って、早速、無料のお試しバージョンを作って、ちさとちゃんとたかしくんに「これどう思う?時間ある時に試してみて」とリンクを送ったら、「のりぴー、テッキー」とかいうので「え、何言ってんの。メタバーズと言っても、これ2Dだしこんなの誰でも簡単にできるからテッキーじゃないでしょ」と返したのですがその言葉で、はっと気付いたのです。確か、私、ちょっと前までこういうことに苦手意識あったんだよね?と。例え、多くの人が使っているものであっても人から強く勧められない限りけして、自分から新しい技術やテクノロジーを使おうとは思わなかったのにいつの間にか、自分でどんどん試したり、取り入れるようになってる〜自分では、全く意識していなかったのでいつからそうなったのか、定かではないのですが明らかに、インスタを始めるぐらいから感覚が変わっていたのでここ最近の遺伝調整の影響がありそうだな~と。では、なぜこれまで抵抗感があったのだろう?と意識を向けてみると、やったらできるだろうなとは思っているのですが一つのことをやろうとすると時間がかかると感じていたことに気付きました。私はヒーリングそのものに時間をかけたいのでその他のことや、IT関連のことなどには一切時間をかけたくないと感じていたのでした。でも、やってみると、全く時間はかからずすごく便利で、作っているのも楽しいし一気に世界が広がった感じがします。ああ、これは木星遺伝の影響だったのだと気付きました。木星遺伝、自分がやると決めたことは頑張るのですが基本が、「時間をかけて努力を積み重ねて発展して行く」と言う思考パターンなので、こんな風に手軽に取り入れる感じにならないのです。やるからには頑張る、みたいな感覚。もちろん、一つのことを探求したり、極めてゆくのには木星の性質はプラスに働くのですが楽にいろんな可能性を広げて行くことのブロックになるのだなあと。木星遺伝解除の予想していなかった効果でした。(そう言う意味では、すぐに新しいものに飛びついて継続できないマルデュックと正反対の性質です)年代の若い人は、そういう抵抗感や苦手意識はないでしょうが私ぐらいの年代になると、コンピューターやIT関連のテクノロジーへの苦手意識や抵抗感がある人結構、多いんですよね。人それぞれ苦手な理由は違うと思いますが食わず嫌い、と言うか、やらず苦手な部分ってあるのかも知れません。特に普段の生活で不自由を感じてないとずっとそのまま変わらないことになりがちなんですがでも、これからの時代に対応しながら豊かさや可能性を広げて行くために取り入れることができるものはどんどんやってみた方がいいですよね。「新しいテクノロジーや技術を取り入れるのが苦手」自分で作った豊かさを妨げるスキャンリストの中にあった文章でしたが改めて、これが豊かさのブロックになることを実感しています。それにしても、これまで新しいテクノロジーに抵抗や苦手意識を持っていても周りの人たちが勧めてくれたりヘルプしてくれたことでこうして、いろんなことをやれて人生の豊かさを広げることができたことに改めて感謝だなあと。これからも、いろんな場で人に頼ったり、お願いしたり、甘えたりしつつ同時に、自分の可能性や能力をさらに開いて行きたいなあと思います。
2022年11月17日
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セッションでもクラスでもリトリートでもそうですが短い期間でもどんどん変化する人となかなか変化しない人とがいます。その違いは、いくつかの要因があるのですがその中でも、セッションの中で変化できない要因として、最も出てくるのは「(自分の現実や感覚を)人のせいにしている人」と「自分の内面の問題を見たくない人または見ようとしない人」です。もちろん、自分の内面を見るというのはどこまでも深く見ていけるものなので例え見ようとしていてもなかなか自分では気づけなかったりしますがでも、何かが起こったり、感じた時に、それを自分の問題として捉えることができるかどうか?ということです。(これは、起こったことそのものが自分のせいということではなく)例えば「子供が宿題をしなくて、困ってます」という問題を感じていたとして子供自身が問題である、という認識だとそんなことを心配している自分の問題が見えてこないことになり、自分が変わらないのでその問題はずっと続くことになるのです。私たちは、家族やパートナーや親しい友人など、周りの親しい人たちとの関係を通じて自分の問題を見せられているわけです。私は、どんなことであれ、何か感情が動いたらその日のうちに、そこで気づくべき自分の問題を見ます。例えば、誰かに怒りを感じたとします。もちろん、そこで怒っている理由はあるのですが探すのは、その理由ではなくてなぜ私は怒りを感じているのか?なのです。例え、相手があり得ないような言動をしていたとしてもそこに怒りを感じる自分に、何か要因があるからです。怒りや感情そのものは、悪くはなく単にその要因が潜在意識にあるよ、というお知らせです。その時に、相手が~~だから私は怒っていると思っていたとしたら自分の問題は分からず、自分は変わらないのでそれは形を変え、人との関係において何度でもやってくることになります。実は、この「人のせいにする」という性質は日本人なら、ほぼ99%以上が遺伝的に持っている性質です。それは、何十種類のグレイ遺伝を日本人は、ほぼ全員が持っているからなのですが大切なのは、「あ、ここは、私は人のせいにしているな」と気づくということでそれに気付いた時点でそのグレイ意識と分離することができます。でも、完全にグレイ化している人はその言動が、人のせいにしているという意識から発せられていることに全く気づいていないのです。人のせいにしている人はほとんどの場合、プライドが高く、傷つきやすいため人から見下されたくないという想いが強くなります。だから、傷つかないように人から悪く思われないように人からばかにされないように自分のせいにされないように無意識に様々な防御線を張っています。そして、その意識が強ければ強いほど変化することはできないし宇宙のサポートも受け取れないのです。ライトサイドの宇宙系にしても、アセンテッドマスターにしてもあらゆる宇宙のサポートは、自分の問題を受け取って自分を変化させようという意識がある人に対してのみ作用するからです。今回のユニバーサルリトリートを受けられて何人か劇的に人生を変えた人たちがいたのですがその方たちを見ていると全てを自分の問題と捉え、自分を変えることを決めた人たちだなあと。その姿を通じて、感動を与えてもらいました。さて、一方で「人のせいにする」のとは反対の問題を抱えた人たちがいます。つまり、全てを自分の責任だと認識してしまう人です。実は、私も、長い間、その問題を抱えていて今は、もう自分にその傾向があることには気付いているので何かがあれば「あ、まずい、これは、私がやるべきことじゃなかった」と気づくことができるようになったものの遺伝的には、まだその性質を持っています。以前、普通にセッションの予約を取っていた頃よく女性のクライアントの方から「どうか私の旦那のセッションをやってください」と言われて、旦那さんのセッションを引き受けることがありました。その旦那さんは、奥さんに言われて渋々セッションに来られていたりするので自分が変わろうとか、自分に問題がある、という認識は持っておらず、セッションに来られるわけです。で、当時の私は「全く自分で変わろうとしていない人を変わろうという気持ちにさせるように持っていくのが私の仕事だ」という認識だったのであらゆる方法を使ってそういう方たちにアプローチしたり論理的説明を試みたりしていました。それらのプロセスの全ては、私の学びや気づきになったし中には、自分の問題に気付いて、大きく変化された方もいらっしゃいましたが結論から言えば、誰かに言われて仕方なくセッションに来られている人はやはり、なかなか変化しないということでした。今は「旦那をセッションしてください」とか「彼をセッションしてください」という要望に応えることはなくなりました。自分で望んで、セッションを受けたい自分が変わりたいという意識がなければなかなか変わらないしまた大抵は、彼や旦那にセッションを望んでいる彼女自身の問題ということもあるからです。それだけでなく、以前は不必要な責任を負っていたなあと今から思うことが、たくさんあります。この責任感が強い人全てを自分の責任だと捉えてしまう人たちに必要なのは自分の感情や気持ちは、自分の問題であっても起こっていることそのものは自分の責任ではなく相手が自分で解決するべき問題であったり相手に任せる必要があることだということを認識することなんですね。例えば、ユニバーサルリトリートでは動画を見てワークするという形なのである意味、動画を見ればいいだけなので誰にでもできるのですが中には、それさえもできない人がいます。例えば、「つい怠け癖が出て、動画見てません」とか「集中力が続かなくて」などという方は自分の問題でやってないのだということを認識されていますが人のせいにしている方は、例えば「子供がいるので動画を見る時間がありません」とか「旦那がこういうのをよく思わないので」とか人や状況のせいにしてしまうのです。で、以前の私は「それじゃあ、そういう人たちが続けれるように~~した方がいいのかな」などと考えて対策を取ったりしていたわけです。例えば、第1回目のリトリートの時に「配信時間が長すぎるので、なかなか動画が見れません」という声があった時もそれじゃあ、1回を短くして、何度かに分けようと変えてみたりしてました。でも、結局、こちらが何をどう変えようともやらない人はやらないのだということがわかってからはそういう声にいちいち応えようとするのはやめました。あの時、何人もの方から「長い動画で満足している人たちがいるのだし、長くても何度か分けて自分のペースで見ればいいのだからそれに合わせる必要はないのでは?」という声を頂いたのですがまさに、その通りでその人の都合で動画が見れないだけなのにそこに私が合わせたりする必要は全くなかったわけだなあと今は、本当にそのことが腑に落ちます。人や状況のせいにする人とそれに振り回される責任感の強い人。(その両方を持っている人もいますが)どちらも問題ですがやはり、人や状況にせいにして自分の問題を見ようとしない限り人生は何も変わらないのは、確かなことですね。グレイ意識を手放したら私たちの現実は大きく変わるのです。
2022年11月15日
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先日、レストランで、友人と話していて「ニューヨーク、今はもう、人が密になってもほとんどみんなマスクもしてないわけで(この急激な変化に)一体、コロナって何だったんだろうね」と友人が言ったので改めて、コロナが私たちにもたらしたものについて思い返していました。2020年の2月頃から騒がれ始めあ~またメディアが偽情報を煽っているのだな~と思っていたら、あれよあれよと言う間に世界中の人々の間で、恐怖が広がりアメリカではマスクなんてそれまで、つけてる人、誰もいなかったのにみんながマスクをつけ始めニューヨーク市も公共の場でのマスク着用を義務化。そして街はロックダウンとなって日用品以外の買い物や運動や散歩以外は外に出ることが禁止となり店はクローズし、街はゴースト化しました。今、スケジュール表をみたら、私は、2020年4月に最初のオンラインお話会を開いていてそれは、コロナで、恐れに陥っている人たちに高次元からのメッセージを届けて安心してもらいたい、と言う想いからでした。このお話会を開いたことが私に取って、変容の始まりだったなあと。これをやったことでユニバーサルリトリートの流れになったわけですから。当初から、スピリチュアルな視点で、よく言われていたのはコロナが私たちにもたらすこととして二極化が進むだろうと言うことでした。恐れの中に生きる人と自分の本質に従って生きる人です。そして、実際にある部分では、そうなりました。コロナを人からうつされる恐怖や自分がうつしてしまう恐れまたは、周りからどう思われるかを気にしたりコロナにかかる恐れの中にいた人たちと。一方で、自分の免疫を上げるための対策を取りながらも自分の身体への信頼を持って安心して暮らしていた人たちと。それで、蓋を開けて見れば、想像していた以上に、前者の方が圧倒的に多かったと言う事実を私たちは知ったわけです。その後、ワクチン接種が始まりこんな危険なワクチン、さすがにみんな受けないよねと思っていたら、あれよあれよと言う間に多くの人が受け始め、ニューヨークでは、確か7割ぐらいの人がワクチンを打ったのだと思います。それを加速させたのがニューヨークで取り入れられたワクチンパスポート。これがないと、レストランの室内や映画館やギャラリーなどには入れないと言うものです。その前には、レストラン室内でも、50%ぐらいしかお客を入れてはいけないとルールが施行されました。そうなると、お客が減って痛手なのは、レストラン側です。ガーデンや室外だったらオッケーと言う法律だったため多くのレストランが、店の前にテーブルと椅子を置き冬のヒーターも完備させるという新しい街の風景が生まれました。それで、一時期、レストランの室外のテーブルには人が密になっていると言う、わけがわからない現象がニューヨークでは起きていたわけです。で、実はこのワクチンパスポート。今は、もう廃止になっているので、話せますが、普通にみんな偽のパスポートを使ってました。私は、レストランは室外のエリアで取ればいいし特に不自由さは感じていなかったのでそんなパスポートが必要だとは思っていなかったのですがある時、友人からもらって、試しに使ってみたら、何の問題もなく使えました。レストランの入り口で、係の人にパスポートと身分証明を見せるのですが大抵、係の人は、さっとみる程度で中には、私がパスポートをバッグから取り出そうとするだけでオッケー、と店内に案内してくれます。レストラン側も、お客に来て欲しいわけですからそんなしっかりとチェックなんてしないのですね。その後、別の友人からも、パスポートを頂いてそれは、本当によくできていたのでたまに、それを使っていたのですがその後も、二人の方から「のりこさん、パスポート 持ってますか?持ってなかったらあげますよ」と言われました。1枚あればいいので、もらいませんでしたがワクチン打ってない人は、みんな使っていたのだなあと。日本にいる人は事情がよくわからないので「ニューヨークは、ワクチンパスポート大変ですね」と言われることもあったのですが実情は、そんな感じだったので特に不自由はありませんでした。でも、それは、私と一緒にレストランに行く友人はほとんどワクチンを打たない派なので楽だったと言うのもあるのかもしれません。私の友人の話では、彼女は打ってないけど彼女の周りは、夫も含め友人も、ほとんどワクチンを打っているので、レストランに入る時にパスポートを持って入るため友人たちにワクチンを打ったと嘘をつかなければならないということでした。その居心地の悪さや、分かち合えない分離感などを彼女は味わっていて「まるで、踏み絵をしている気分だった」と話していました。このコロナによって、私たちは周りにいる人たち、時には家族やパートナーでさえ考え方や認識が違うことをまざまざと見せられたわけです。でも、私の親しい友人の中で、唯一、フィンランド人のマルコスはワクチンを打っている人なのですが彼とその時期、何度かレストランに行った時に私は、彼には「私は打ってないけど、こんなものもあるのよ〜」とパスポートを見せていたので居心地の悪さは、全く感じることはなかったです。その友人は、私がどう言う考えであっても、それはそれと受け入れてくれる人だったので何の分離感も感じなかったのですが結局、ワクチンを打つ打たないに関わらず普段から、人とどう関わっているかがコロナによって、浮き彫りになると言えるのかもしれません。私に取って、万が一、飛行機に乗るのにパスポートが必要などとなったら、困るなあとは思っていましたが2021年の9月にエジプトに行った時はPCRの陰性証明が必要でしたがそこまでの問題ではなくそして、このまま、しばらくは、こんな感じで行くのかな~と思っていました。ところが、それから、こんなに急激に世界が変化するとは。ニューヨークでは、2022年3月にワクチンパスポートが撤廃となり室内や地下鉄などでの、マスク着用義務も廃止され一気に街は、元の活気を取り戻しました。今は、ほとんどの国は、陰性証明なしで入国できるようになりアイルランドの時も全く必要ありませんでした。地下鉄などでは、今でも、まだ1割ぐらいの人はマスクつけていますが大抵は、中国人か、かなり年配の方です。(なぜ中国の人は、マスクつけている人多いのかはよく分かりませんが)1年ぐらい前までは、野外でも人の混むマーケットなどではマスクをつける人の方が多かったのですが今では、ほとんどいません。あっと言う間に、コロナ禍となりあっと言う間に、終わった。本当に、今のニューヨークの街を見ていると友人の言うように「一体、あの騒ぎは何だっただろう?』と嘘みたいな気持ちになります。コロナは、今も存在しているし、きっとこれからもあるでしょうがメディアや政治のあり方によってこんなにも人々の意識は左右されるのだなあと。日本は、ロックダウンやワクチンパスポートは導入されませんでしたがなぜか、結果的に、ワクチンを打つ人はアメリカよりも多かったとのことでいまだにまだマスクをつけている人も多いと聞きます。こちらでは、法律じゃないならやらない人が多いですが、やはり日本人の周りに合わせる気質はすごいなあと改めて思います。さてニューヨークの街は普通に戻りましたがそのまま、レストランやカフェの野外テーブルは営業されているので、その風景が日常になりました。これは、先日、たかしくんとちさとちゃんと一緒に行ったギリシャレストランの野外ダイニングエリア。ここは、もう昔から行っているレストランで私たちに取って、ほぼ食堂と化しているところです。この写真の時は、昼間なので、まだ店は閉まっていますが夜になると、店内も室外のテーブルも、人で一杯になります。ここは、各テーブルの上のライトがヒーターになっていてつけると途中から、暑くなるぐらいになります。そして、この2年ちょっとのコロナ騒ぎを経て私たちの生活は、大きく変化しました。会社に出社せず、自宅勤務が続いている人や田舎に引っ越した人仕事そのものが変わった人など色々でしょう。私も、コロナ前とはかなり生活が変わりました。コロナ前は、クラスの期間以外は、ほぼ毎日のようにNYや日本から来られたクライアントさんに対面セッションを行なっていました。何年か前に、個人セッションの予約は取らなくなり、キャンセル待ちの人に私のスケジュールが開いた時にご連絡すると言う形にしたのですが日本からNYに来られる人には、来週どうですか?というわけには行かないので2、3ヶ月前には、ご予約を取っていました。でもわざわざ日本から飛行機のチケット代払って来られるのですから、みなさん連続して何回か受けられるし私も、絶対にその間はスケジュールの変更はできなかったわけです。そして、コロナが始まって私は2020年の5月からスカイプセッションをスタートしたことでクライアントさんは日本からわざわざニューヨークにお越しになる必要はなくなり私も、続けてセッションを行う必要がなくなって急なスケジュールの変更も可能になったので一気にスケジュール的に楽になりました。買い物は、ロックダウン中からホールフーズのデリバリーを頼むようになったのですがこれが時間の節約になってすごく便利ということがわかり今も、買い物には出ず、月に3、4回ホールフーズのデリバリーを頼んでいます。(もともと、買い物にはあまり出ない人だったけど)コロナになってからスタートした筋トレや有酸素運動も今も続けていることも、私に取って良い変化でした。(1日30分以内の緩やかな感じですが)もちろん、世の中には家族をコロナで亡くした方などいらっしゃるしコロナウィルス自体は、ない方がいいですがでも、この一連のコロナ騒動は私に取っては、結果的にオンラインの可能性が広がったことも含め様々な素晴らしい変化となりました。そして、どちらかといえば、私の周りは「コロナのおかげで、楽になりました~」という方の方が多いのです。でも、この変化によって、仕事やお金、健康など今でも、大変な方もいるのでしょう。そう言う意味で、それぞれの抱えていた問題や恐れを炙り出したのも、ワクチン問題を含めこのコロナだったのだなあと。コロナ、いや、ウィルスそのものではなくコロナ騒動によって、私たちの生活や認識は多かれ少なかれ、変化せざるを得なくなったのはきっとほとんどの人に取ってもそうでした。そして、例え、何かが大変になったとしてもそれを引き起こしている自分の中の恐れや問題をを見て手放していけばどんな状況であっても変えてゆくことができるのです。何がいいことで、何が悪いことだなんてそれが過ぎ去って見ないとわからないものだなあと思います。2020年の4月に最初のお話会を開いた時に私が皆さんにお伝えした内容のメモを先ほど、見直してみたのですが、そこには今、個人レベルと社会レベルの変容が起きていると言うこと。個人レベルでは、それぞれにとっての「現実」が浮き彫りになるので恐れを認識して、それを手放して、安心と喜びに変えてゆくこと社会レベルでは、社会や経済のシステムの変化が起こるのでそれに対応してゆく力が必要となるけれど情報は、参考にしかならないので、それに惑わされず魂レベルで何を求めているかを見てゆくこと。という話をしていました。(詳しい内容は、このメモを見るまで、ほとんど忘れてました)そして、マスターたちから、私が受け取ったメッセージは「危険回避思考にならないこと」「他の人の真実に振り回されないこと」「今、多くの人に連鎖している恐れから自分を解放すること。「信頼できる仲間や友人とのつながりを大事にすること」などが伝えられていました。今、読んでも、本当にその通りだったなあと思います。そして、トートからは「これは、あなたたちに取って、大きな成長のチャンスになる」ハトホルからは、「この時期にリラックスして、平和になることが大切です。これから起きる奇跡を宇宙からの贈り物として受け取ってください」というメッセージがありました。まさに、私たちの多くに取ってこのコロナによる変容は宇宙からの贈り物となったのだなあと今、改めて宇宙の導きに感謝しています。
2022年11月13日
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昨日と今日は、個人セッションでした。昨日は対面、今日は、ズームでのセッションです。やっぱ、セッション最高に好きだな〜。何がこんなに好きなんだろうって思うとセッションを通じて、その人が人生を通じて感じてきた、いろんな想いを受け取り分かち合うことの喜びとともにその人のことが、より好きになるからだなあと。例え、表に出ている性質がダークなものであったり問題をたくさん抱えていたとしてもなぜそうなったかの根源を丁寧に見てゆけばそこには、必ず愛があってああ、だからこうなったよね、とわかるしそうすると、その人の向かう先に光が見えてくるのです。セッションがスタートする時には一体、これがどこに向かうのかわからなくてもセッションが終われば、その人のことがより好きになって光が見えてくる。ここまでの幸せなお仕事って、他にある?って、セッションをする度に思いますだから、個人セッションだけやっていれば幸せだったし私は、他には何もいらないな~と思っていたけど。でも、こうして、クラスやリトリートで教えるようになって思うのは今度は、また別の喜びや幸せがあって私がセッションをやらなくてもクラスを受けた人が自己ヒーリングで変化したりまたは、私のクラスを受けた人からセッションを受けた人の喜びの声を聞いたりするとああ、本当に伝えてよかったなあとその喜びを味わうようになってからと言うもの他のヒーリングやキネシオロジーのクラスを受けるのは、やめました。と言うのも、他で学んだ事は自分のクラスでは教える事はできないからです。例え私が使えることができても、他の人が使えないのだったら意味ないな、と。これは前にも書きましたが以前、リチャード博士のホロセットのモジュールの中ですごく有効なモジュールがあってこれをクラスで使うことができたらいいのにと、リチャード博士に、私の想いや何にどう使いたいかの説明を書いて使用料をお支払いするので、教える許可をくださいとお願いしたことがあったのですが事務局からは、ノーのお返事でした。それはそうだよね、と納得したもののその時は、すごく残念で他にも、アーキュトニックの技法の中でこれ教えることができたらいいのになあと思うものがあったりそのジレンマを何度か体験したことでああ、もう自分で開発しない限りクラスでは教えることはできないのだから他のどんなクラスを受けても仕方ないなと思うようになったわけです。その頃は、まだ、トートやマスターや宇宙系ガイドから直接、様々な技法ややり方を伝えてもらうことになるとは全く想像もしていませんでした。それから何年も、いろんな方法を模索し続けて今は、神聖幾何学のやり方などホロセットのモジュールよりも宇宙系エネルギーの浄化に有効な技法を知ることができてああ、あの時、許可が降りなくて本当によかったなあと。もし許可が降りていたら、もしかすると私は、ここまで強い思いでガイドやマスターに聞いて新しい技法を学ぼうとはしなかったのかもしれません。だから、全て完璧なんですよね。個人セッションの喜びクラスで教えることの喜びどちらも甲乙つけがたく。私は、大学は教育学部卒なんですが当時は「私は先生になるタイプじゃないな。人に教えるようなガラじゃないし」と思って、教員への道はやめたのだけどそんな私が、人に何かを教えることの喜びをこうして経験させてもらえるなんて。多分、世界一の幸せものだな。と、なんだ、人のために書いてなんかなくて単なる自己満足じゃん私の自己満足日記におつき合いくださってありがとうございます
2022年11月12日
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脳や身体は、使わなけば、退化してゆくそんな事は、みんな知っていることなのですが運動はしても、脳を鍛えることをやってない方結構、多いなあと思います。クラスなどを開くと「こんなに勉強したのは、学生時代以来です」なんて言う方もちらほらいるしまた、リトリートなどで、神聖幾何学を使ったワークなど「最初は、長く続けられませんでした」などと言われるのも、やはり脳を鍛えていない方が多いです。私たちは、脳に負荷をかけることが必要でそうしなければ、脳はどんどん退化、老化して行きます。✴︎よく適度なストレスが脳に必要と言われますがストレスと言うと、精神的、感情的、エネルギー的に害になるものと区別がつかないのでここでは、負荷をかけると言う言葉を使います。ストレスは、例えば、将来のお金の不安とか人間関係でのストレスなどそれは、脳にも身体にも負担にしかならないので調整したり、癒す必要がありますが例えば、筋トレで筋肉に負荷をかけて筋肉を育てるように脳も負荷をかけることで成長させ、老化を防ぐのです。私は、歳を取ったら、脳が衰えるとは、思っていなくて脳や身体に悪影響を与えているストレスがあったりまたは、脳に負荷を与えていないから脳が衰えるのだと思っています。ヒーリングにもいろいろなものがありますが例えば、レイキなどは、ストレスは軽減する役割がありますが基本は、身体に手を当てているだけなので脳への負荷は、ほとんどないヒーリング法だと言えるかなと。そして、キネシオロジーは、ストレスは、なくしたり軽減するために行いますが同時に、脳には負荷がかかるヒーリング法なのです。筋反射で上がってきた情報を脳が瞬時に処理して、次の動作に移ってゆくためには集中力や、言葉への理解や概念形成力などが必要だからです。だから、これまで脳を鍛えてこなかった人の中には最初、かなりの負荷がかかる人もいるのかなと思います。でも、それを続けて行くことでだんだん慣れてくるし脳は、さらに活性化してゆくのです。キネシオロジーに限らずこれは仕事にもよりますから例えば、日々、脳に負荷がかかるお仕事をしていれば、活性化されますがそれが、ストレスが大きい仕事だと、ストレスの害の方が大きくなるかもしれません。一方、仕事を全くされてない方は仕事以外で何かをやってゆくことが必要だと思います。人前で話すグループで話す何かを記憶するある程度、長めの文章を書く脳を刺激するような新しいことを始めるなど特に言語を使う事は脳に負荷を与えることになります。私にとって、個人セッションはほぼストレスフリーですがやはり、クライアントさんの話を聞きながら筋反射を取り、全体を掴んでゆくための集中力など負荷はかかります。でも、これは、もう何千回とやってきたことなので脳も慣れてしまって、今はそこまでの負荷にはなっていないのですがクラスやリトリートを開催するのは個人セッションよりは、負荷が大きいです。クラスやリトリートの準備やプログラム作成そう言うのは、もちろん、負荷はかかりますがストレスはないのです。でも、リトリートの最初の頃は、人前で話すことへのストレスはありました。もともと話すことがあまり得意ではない上にみなさんからの質問に答えるための咄嗟の判断に自信がなかったのもありそれを録画しなければならない、と言うのが最初は、ストレスでした。そのストレスは、何度か調整したのでかなりなくなりましたがストレスがかかることってなかなかスタートする気にならないものなんですよね。何年か前、YouTubeを人に勧められた時は「無理、無理、絶対無理」という感じだったのに、リトリートを通じてストレス調整したらあ、やってみようかな、とすんなりスタートできたので。やっぱりストレスはいらないなあと。例えば、自己ヒーリングは、結構やっているのに他の人へのセッションはなかなかスタートできない人がたまにいらっしゃるのですがそう言う方は、やはり人へのヒーリングがストレスだと感じていらっしゃるわけで例えば、先日書いたように「結果を出さなければ」とか「クライアントさんを癒さなければ」などというプレッシャーがあったりするとストレスになってしまいます。そう言うストレスは、手放してゆく。でも、完全に楽にやるのがいいわけではなくて負荷は必要なもの。リトリートのワークにも結構、脳への負荷がかかるものがあります。だから「これいつまでやらないといけないのかな~」ではなくて、浄化や調整しながらさらに脳も活性化している、と言う意識で取り組んでもらえたらいいなあと。何か達成しないと無駄、ではなくてそのプロセスが全て、自分に取ってのプラスになるのです。ということで、みなさまワーク楽しみつつ、頑張ってね。(いや、これはけして、喝を入れているわけではないの)
2022年11月11日
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昨日から、12月に開催のレベル2新ベーシッククラスのテキスト作成をスタートしました。これは、前回の筋反射クラスで配った資料にこれまでのベーシッククラスの自己ヒーリングの部分を加えて、まとめているだけなのですが作り始めて、改めて気づいたのは今回、多次元オリジナルスキャンリストを使うのでそれだけで前回の筋反射クラスとはかなり違ってくるということでした。このスキャンリストを使えばかなり、問題を深く掘り下げてゆくことができるし多次元キネシオロジーの基本的なやり方や自己調整の基本的はほぼ教えることができます。今回、このコンセプトに変更してつくづくよかったなあと。レベル2のベーシッククラスが自己ヒーリングレベル3の中級クラスが、他の人へのヒーリング去年は、自己筋反射クラスとベーシッククラスに分けていて自己筋反射クラスが多次元オリジナルスキャンリストを使わない方法で教えていたので、中途半端になってしまいベーシッククラスでいきなり他の人にセッションを行うことになっていたので手順や方法で戸惑う人も多かったのです。レベル2で自己ヒーリングを実践してさらに、深めたい人だけがレベル3に進めばいいしそうなると、レベル3を受ける人はもうすでに、多次元の基本的なやり方で自己ヒーリングを実践している人なのでレベル3でスムーズに行くのではないかなあと。ああ、そう考えると改めて、ガイドの指示する料金にしてよかったなと。でないと、レベル3以降のクラスとのバランスも取れなくなってしまうわけで調整し終わって見るとなぜ、あんな罪悪感があったのか不思議でした。過去世の影響って、改めてすごいなあと。で、一つ問題となるのは去年の自己筋反射クラスを受けて去年12月と今年1月のベーシッククラスを受けた人は問題ないのですがもし、去年、自己筋反射クラスを受けていてもベーシッククラスを受けてなかった人が来年のレベル3クラスを受けたいとなった場合去年の自己筋反射クラスでは多次元スキャンリストも渡してないし情報のつみあげ方も、詳しくは教えてないので戸惑うのではないかなということ。当然、来年のレベル3は今回のレベル2のクラスで教えたことはやらないので、去年の筋反射クラスと今年のレベル2を受けた人たちとは情報量に差が出てしまいます。う~ん、どうしたものだろう?そういう人はいないのなら、これでいいのだけど、と、またすっきりしない感があったのですが先日、たまたまYouTubeで「影響力の法則」の説明を見ていて、ああ、これか、とわかったのがその中で語られていた「一貫性の法則」多くの人は、一貫性があることに安心感を持つということで、だから、人への影響力を持ちたい場合一貫性を持たせるようにするということ。(必ずしも一貫性がいい、ということではなく)だから、例えば、言うことがすぐにコロコロ変わったり変更する人って、信用されないわけですよね。で、実は、私が持っていた謎の罪悪感というのはまさに、この一貫性がないことへの罪悪感なのでした。例え、今年が適正価格だとしても去年が、破格に安くやっているのでそれを変更することへの抵抗も一貫性のなさへの罪悪感。こういうヒーリングメソッドの場合より良いものを作っていこうとすると何年もかけながら、システムや方法の改良がや見直しが必要となってくるのである程度は、仕方ないことだとは割り切ってはいるのですがやはり、この一貫性を求める声も多いのです。ヒーリングメソッドでも創始者によって色々で例えば、リチャード博士などは一貫性は、全く重視していない人なので毎回、クラスの内容は違うしまた、もうマトリックスエナジェティクスはやらないと何年か前にやめたのに最近、また復活していたりします。私に取っては、その時々で自分が活用していく何かを掴めればいいだけなのでそういうのは、全く気にならなかったのですが例えば、特に資格や達成した感を求める人は一貫性を求める傾向にあるように思います。私は、2016年に多次元キネシオロジーをスタートして最初の大きな変更が、2018年にアルクトゥルスメソッドクラスをスタートした時。それまでのアルクトゥルスを使っていない中級クラスとは内容が一変しました。その後、2020年から、ユニバーサルリトリートをスタートしたことでこれが、多次元キネシオロジーのシステムに組み込まれることになりここ何年かで、また大きくシステムが変化しています。でも、先日、ちさとちゃんとたかしくんとも話していたのですが、今回の改定でやっと、多次元キネシオロジーの全てのカードが出揃った感じがあるね、ということ。もちろん、まだレベル6は開催していないし各レベルも、今後少しずつの変更や見直しはあるでしょうがやっと、納得のゆくシステムが出来上がってきたことが本当に嬉しく、同時にほっとしています。ということで、謎の罪悪感もワークしたので「再受講する必要はないです」と、クラスやリトリートを開催する度に言うことは、やめました。(気付けば、ほぼ毎回のように言ってた😅)だって、私がその罪悪感を持っているために今度は、再受講したい方たちが「これこれこういう理由で再受講しようと思っていますのでのりこさんは、罪悪感を感じる必要はないですよ」などと、また、わざわざ再受講の理由を説明してくれたりして(なんと優しい😭)もう、この私の面倒くさい罪悪感のおかげで人に余計な気遣いをさせることにもなりああ、これマジでいらないなと。一貫性のない私にお付き合いくださった方々ありがとうございます🙏(←とうとう開き直り)
2022年11月09日
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頑張ることこれについて書くのは、多分、1回や2回じゃないかな。同じ題材で書いても、言葉を変えるとちょっとニュアンスも変わるので書いてみようかと。日本語で「頑張る」って言葉はその時々によって、ニュアンスが変わる言葉だなあと思います。例えば、友人が「私、今度、日本舞踊の名取の試験受けるの」と言ったとして「わ~がんばってね」という言葉を、私たちがかける時それは、「応援しているよ」とか「合格することを祈っているよ」という軽い意味であって何も「絶対合格して」とか「努力が足りてないよ」とかそういう意味ではないのは誰でもわかるわけですもはや「頑張って」は挨拶の言葉の一つとして私たちの多くは、認識しています。でも、よく、うつの人には「がんばって」と言ってはいけないと言われますが、なぜか言えばうつの人は、今の状況になったのは「自分の努力が足りてない」とか「自分は頑張れない」のが問題だと思っているので「がんばって」の言葉を「あなたの努力が足りてない」という意味で捉えてしまうからです。よくインナーチャイルドへの声がけとして出てくる「もう頑張らなくていいんだよ」という言葉ですがこの場合の「頑張らなくていい」の意味は「無理しなくていい」「(親のために)我慢しなくてもいい」「悲しい時には、悲しい嫌な時には嫌だと言っていい」などという意味です。その人が、今、何を頑張っているかによって「頑張る」という言葉は意味が変わるんですよね。私たちが頑張ることは大きく分けて3つあると私は思っていて(1)自分がやりたいこと、自分が好きなこと、夢や目標など 自分の喜びや成長のために頑張る(2)人のため、誰かのために頑張る 親や子供、パートナー、家族、友人 クライアント、会社、グループ、社会のためなど(3)人から認められるため、人から評価されるために頑張る 一つずつ見てゆくと(1)は、例えば、英語で会話をしたいから、勉強するとか 自己ヒーリングを日々実践する、とか 展覧会に出展する絵を制作するとか 千差万別、いろんなことがありますが 自分の喜びや成長のために頑張ることです。 (2)は、例えば、ヒーラーなら、クライアントさんのセッションの ために勉強するとか 親が子供のために、手のこんだ料理を作るとか この作品を作って、社会のために貢献したい、とか 自分のためではなく、自分以外の人のために行うことです。 これは、実際は、本当に相手のためになっているかどうか の判断は難しいところですが あくまでも、自分が相手にこうしてあげたい、とか この作品を社会に届けて、多くの人に活用してほしい などというところです。そして(3)なのですが例えば、ヒーラーなら、クライアントさんに「セッション、よかったです」と言われるために頑張るとか、会社で上司に評価されるように頑張るとか素晴らしい作品だね、と人から認められたくて作品を作るなど他の人が自分をどう評価するか?のために、頑張ることで当然、これが最も問題となってしまう、頑張る、です。この頑張りは、結果的には、自分の喜びや成長のためにも人のためにもならないからです。インナーチャイルドの声がけの「頑張らなくていいんだよ」は、2と3のケースに適応される言葉なのです。子供の頃は、やはり1の自分のために頑張る喜びを実感することが大切で親のためにがんばって勉強するとか親に認めれるために、わがままを言わない、などをやればやるほどインナーチャイルドは傷つき安心感も自由さも自分軸も失ってしまいます。そして、子供の頃に親から認められなければ自然と、大人になると人に認められるために、頑張るようになりがちなのです。逆に人によっては、頑張っても認められないという思いで、自分のためにも頑張ることそのものをやめてしまう人もいます。そして、多くの人は自分が人から認められるために、がんばっているということを認識することもなく無自覚にやっているのです。そして、それを続けている限り本当に自分の魂が求めていることが見えなくなってしまいます。では、1の自分のためだけに頑張ればいいのかという話なのですが大人になって、夢を叶えたり自己実現のために必要なのは自分だけのために頑張ることだけでなく1と2のバランスだということに次第に気づいてきました。もちろん、英語で会話をしたいので勉強するとか身体を鍛えるために、筋トレをやるとか自分の成長や喜びのために頑張ることはいくら持っていてもいいのですが私たちの魂の声、魂が求めていることはこの1と2が、完全に一致しているのです。自分自身の喜びや成長のためにやることが人の喜びや成長のためになっている状態。私たちは、高次のレベルではつながっていますから自分のためと人のためが、一致するポイントがありそれが「魂レベルの声」なのです。(このあたりは、過去の私のユーチューブ動画でもお伝えしました)でも、その魂の声を聞くためには(3)の意識が強いとブロックされてしまい自分のためにやっているようで本当は、人からの評価が欲しくてそれが得られなくて、失望したり人のためにやっているようで誰のためにもなっていなかったり。そして、3を手放して1と2のバランスが取れ始めると宇宙のサポートと祝福が訪れるということをこれまで実感してきました。例えば、今回のリトリートの動画制作もこれは、誰に作ってと言われたわけではなくあくまでも、私が作りたいと思ったものですがでも「自分のため」なら絶対に作ろうと思わなかったし参加者に、こういうエネルギーや想いや存在を届けたいこれを見た人たちが、より高次元の存在と繋がれるようにという想いがあったからこそでした。私が作りたいものである必要があるけど全体のために作るものなのでそれを作るためには全体が何を必要としているのかを知る必要があるわけでそこで、高次元とつながったりメッセージを受け取ったりしていくプロセスが全て、私の喜びと成長のためのことにつながっていったわけです。だから、「自分のため」と「人のため」が一致している状態。これが、もし、参加者のためにはなるけど自分の喜びや成長にはならないとかまた、逆に自分のためだけのものだと単に自己満足に終わってしまいがちでどちらも魂の求めることではないのです。リトリート動画制作だけでなくヒーリングに関しては、私は全てそれでやってきたように思います。でも、人によっては、例えば何か自分が特別なヒーリングを行う力や能力を求めて頑張っている人もいてそういう人たちを見ているともちろん、感性はあるのですがヒーラーとしては、伸びないのです。かと言って「人のため」だけにやっている人はだんだん苦しくなってきて例えば「人のセッションをやるために自己ヒーリングを行う」という意識だと自己ヒーリングが義務になってヒーリングが楽しめなくなります。まずは、3は、完全に手放して認められるため、特別な人になるために頑張ることは、やめること。(これがある限り、何をどうやっても魂の道は開かれない)その上で、まずは「自分のため」だけにスタートしてみる。そして、ある程度のところまでやったら1と2のバランスを取りながらその時々で必要なことに、頑張る。あ、そう言えば、このブログ自体も私が書きたいことを書くいわば趣味みたいなものではあるけどでも、同時に読んでくれる人のためでもあります。自分の記録として書いている部分もありますがもし、ただ、自分のため、だけの日記だったら非公開にするだろうしそれは、どなたかわからないけど、ここに来て読んでくれる人のために自分がどう感じているかをわかりやすく言葉に変換しようとするわけでそれが、結果的に、自分の感覚と言葉をつなげるための時間にもなっているのです。例えば「ブログを始めます」と言って、始めるのは素敵なことだけど「今日は、鍋焼きうどんを食べました」そう書いて、鍋焼きうどんの写真を掲載されても読んでいる人たちは、何も得るものはないし(SNSには、そういう人たまに見ますが)もちろん、生まれて初めてブログやSNSをスタートしたのならスタートできただけでも素晴らしいけどそこは、徐々に「読んでくれる人のため」という意識が必要かなあと思うのです。そこに「これを書いて、人にどう思われるだろうか?』などという意識が働えばもうアップするの大変になってしまって続かなくなり自分のためでも、人のためでもなくなってしまうのです。これはもちろん、鍋焼きうどんや食べ物の話が問題ということではなくてそこで何を相手に伝えたいのか?の想いやエネルギー必要というか。例えば、お菓子作りが趣味で、よく作っている人がみんなにも、この美味しいお菓子を食べて欲しいなと「人のために」そのプロセスを短い動画にして配信するとか、そういうことで自分のためにも、人のためにもつながってくるものが生まれる可能性があるわけです。魂の声に従ったプロセスを進む。そんなことをボーッと考えているこの頃です。(ボーッとだから、いざ言葉に変換すると時間かかった)
2022年11月08日
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昨日、やっと、多次元ベーシッククラスのご案内をリトリートを受けてくだっさった方々にお送りすることができました。もしユニバーサルリトリート(第1期、第2期どちらでも)を受けられたのに、ご案内が届いていない方はこちらまでお知らせくださいね。第1期の方でメールアドレスが変わったのか届かなかった方が何人かいらっしゃいました。さて、リトリート参加者のみなさんにはお知らせしたのですが多次元キネシオロジーのシステムが変わりました。リトリートを受けてないけれどクラスを受けられた方々やもしくは、これから受けてみたいという方のためにご説明するとこれまでのクラスをレベル1からレベル6までのレベル分けすることになりました。これは、去年から、多次元キネシオロジーのクラス参加のためにユニバーサルリトリートの参加が必須になっているのでユニバーサルリトリート(今後のビデオ学習プログラム)をレベル1にした方がわかりやすいというたかしくんの提案でした。最初は、ユニバーサルリトリートは筋反射を使わない、つまりは、キネシオロジーではないのでどうかな、と思ったのですが確かに、ベーシッククラスを受けるのにビデオ学習プログラムが必須ですと説明するより最初から、ビデオ学習プログラムをレベル1にした方がこれから受講する人たちはわかりやすいなと。ということで(これまでのクラス) (レベル)ユニバーサルリトリート →レベル1(多次元ワーク)自己筋反射クラス →レベル2(ベーシッククラス)ベーシッククラス →レベル3(中級クラス)プラクティカルクラス →レベル4(ブレイン&ボディクラス)アルクトゥルスメソッドクラス →レベル5(アルクトゥルスメソッドクラス)上級クラス →レベル6(スペシャルクラス)となります。レベル1と2は、自己ヒーリングの方法なのでレベル3から、多次元キネシオロジーのプロとしての活動が可能です。(もちろん、自分のために受けることも👍)レベル1、2、3までは順番に受ける必要がありますがレベル3から、レベル5に進むことは可能です。(来年春に開くのは、レベル5なので)2016年からスタートした多次元キネシオロジーがやっと今回、その全貌がはっきり見えてきて嬉しいなあと。これは、もう、たかしくんとちさとちゃんの二人のアイデアやサポートのおかげでもし、二人がいなかったらこの発想は私にはなかったです。このメールをみなさんに送る前に、私がちさとちゃんとたかしくんに「名前やシステムを変更するとすでにクラスを受けた人たちがまた、何かクラスの内容が新しい内容になったのではないかと思って再受講してしまうんじゃないかというのが心配」と言ったら、二人から「同じクラスでも再受講してより深く理解することが必要な人もいるのよ」「例えば、リチャード博士のクラスとかもみんな何度も同じクラスを取って顔馴染みになっているよ」とか、言われて、なるほど。そう言われればそうだなあと。木星遺伝が抜けた後毎回、進化しなければ、はなくなったけれど同じクラスを受けてもらうのは申し訳ないという罪悪感は、まだ残っているのだなあと。頭では理解しているけど、まだ感覚的にざわざわしてしまうというか。実際、今朝、何人か再受講を申し込まれている人の中で「あなたには、このクラスは必要ないと思うよ」とメールしたくなったのを我慢しました😅私のこの謎の罪悪感を手放すために今日、ワークしてみようと思います。
2022年11月07日
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先日から、12月に行う予定の多次元キネシオロジーベーシッククラス(旧、筋反射クラス)の概要を決めていたのですが料金設定のところになって行き詰まっていました。以前、ガイドからも「料金設定を安くしがちである」と言われまた、トートからも「自分のやっていることの価値を低く見積もってはいけない」というメッセージを何度も受け取ってきましたがなぜか、これまでそこは調整する気になりませんでした。こういう時、ガイドに聞くと、大体私の考えている金額より高い金額を提示されるのでそれより安くするか最初から、ガイドのアドバイスを聞かないで料金を決めるということをやってきました。木星遺伝は、オーバーエナジー過剰に行う、過剰に与えるという傾向があります。私の両親も、例えば、お客が家に来て食事をおもてなしする時は相手が残すまで、出さなければならないという教えをしていた人だったし私も、それは同じでクラスでも、参加者が、この料金で、この内容はもう十分と満足するまで与えなければ気が済まないのでした。でも、木星遺伝が抜けてからそれは、明らかにやりすぎだったことに気づきさすがに修正しようと思っていたのですがでは、実際に料金をいくらにしたらいいのか昨日、ガイドに聞いてみて、びっくり。私が、これぐらいかなと考えていた金額の2倍でした。今回のベーシッククラス(筋反射クラス)は前回とは違って、多次元のスキャンリストをメールでシェアする予定だし5日間にしたので、もちろん上げるつもりではいましたがこれは、さすがに上げすぎじゃない?とガイドに何度も確かめたり筋反射でメッセージを聞いたのですが出てきたのは「罪悪感を手放すこと」「(たくさんの人を集めることよりも)本当にこれを学びたい人に向けてクラスを行うこと」「自分のやっていることに真の価値を見出すこと」というのが上がってきてガイドからのメッセージを聞いているうちにだんだん涙が出てきました。私は、ここに価値を置いていないの?いいえ。決してそんなことはないのに。私に取って、私が作ったスキャンリストや筋反射の方法や宇宙系遺伝の情報は何年もの時間とエネルギーを費やして宇宙から受け取って、築き上げてきた結晶であってこの人生の中で、宇宙から頂いた最も大きな宝物と思っているのに。いつも、そのことを宇宙に感謝してきたのに。いつだったか、クラスのみんなにスキャンリストや宇宙系遺伝情報を渡す時に「これは、私に取って、命の次に大事なものです。だから、どうか活用してね」と伝えたことがありました。でも、じゃあ、なぜクラスの料金を、何百ドルかあげることにそんなに抵抗感を感じるの?一つは、これはオンラインでのクラスであって対面ではない、というのがありました。対面でのクラスだったら例えば、長野でクラスを開くとして場所代も、移動代も、宿泊費もかかるわけですからそれなりの料金を頂くのに抵抗はないのですがオンラインでは、私は家にいてできるわけですから例えば、20ドルで40人参加のクラスと 40ドルで20人参加のクラスだと同じ800ドルが入るとして対面だったら、40ドルで20人参加になってもオンラインでは、20ドルで40人参加の方がいいなと思うわけです。でも、それがやりすぎるとその価値を下げることにつながってしまう。ああ、これは、きっと私の貧困意識が関わっているんだな、そう感じました。ここ最近、私自身は、豊かに暮らしていても私の周りの人たちの中に、貧困意識が見えると何かいたたまれない気持ちになることがあったのでここは、何かまだあるなと気づいていました。そして、覚悟を決めて、調整をスタートし出てきたのは、貧困と罪悪感に関する3つの前世でした。その1つ、インドの僧侶の前世が上がってきた時涙が止まらなくなりました。その僧侶自身も貧しかったのですが彼の周りにいる人たちは、みな貧しく飢えで亡くなる人もいてそれを見ていた彼は、命を救うことができない悲しみを抱えていました。私が泣いていると、サナートクマラからメッセージがあって「豊かさを妨げている怒りを手放しなさい」と言われました。その僧侶は、インドの富裕層たちが豪華な暮らしをしているのに、貧しい人たちに手を差し伸べなかったことに怒りを感じていました。最初は、それは、過去世の怒りで今生の私は、そんな風にお金持ちに怒りを感じたことは一度もないなと思っていたのですがふと、いや、違う、今生でも私怒りを持っていた、と気づきました。それは、富裕層に対する怒りではなくお金に執着して、本質を見失ってしまった人たちへの怒りでした。私が、これまでヒーリングやスピリチュアルのセミナーやクラスを受けてきた中でほとんどは、妥当な料金だったしIHヒーリングのように、この内容でこの料金は安すぎると感じるものもありましたが中には、内容の割には、料金が高すぎると感じるものもあったし実際に、クラスを受けなくても、見ただけであ~これは、内容はほとんどないのにお金儲けしか考えてないワークショップだなとわかることもありました。私は、こんな人たちにはなりたくない、とどこかで思っていたことに気づきました。だから、調整したくないとどこかで感じていたのだなあと。まずは、キリストが来て私の過去世と今生で出会ったお金に執着するあまりに本質を見失ってしまった人たちに対する赦しをサポートしてくれました。自己ヒーリングでインドの過去世が出てきたのは今回、多分、初めてのことでした。昔は、インド大好きだったのにいつの間にか、一生行かなくてもいい国の一つになっていました。それは、インドで貧困の人たちを見たくないという思いだったことに、改めて気づきました。エジプトも貧困層は多いですが人をだましても、したたかに生きているエジプトの人たちを見るとそんな悲しみは湧いてこないのですがなぜか、インドでは見たくないと感じていた理由がわかりました。その後、ガネーシャとラクシュミが来て豊かさのサポートをしてくれました。ラクシュミから「あなたがより豊かになってゆくことでそれがみんなに共有され豊かさのサイクルができるのですよ」と言われて、ああ、そうだったと改めて気づきました。思えば、自分で料金を設定しなければならないヒーリングの仕事を初めてからというものこの料金設定の問題は私がずっと抱えていた問題でした。やっと、ガイドの提示した料金でベーシッククラスを開くことの決心がつきました。ここに、価値を見出してくれる人たちが参加してくれたらいいなあと願います。
2022年11月05日
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昨夜は、ちさとちゃんとたかしくんと3人での会合でした。会合というか、単に食事&飲み会なのですがこうして、この3人で、2、3ヶ月置きぐらいに会ってご飯食べるようになってからもう何年になるのかしら。なぜこの3人で会うようになったのか、いつからそうなったのか、もうよく思い出せないです。もともと、二人とも私がレイキを教えていた時のクライアントさんなので、出会ったのは多分15年ぐらい前のこと。今は、誰に対しても、セラピストとクライアントという立場の違いは、全く感じないのですが当時の私は、バーバラアンブレナン博士の本を教科書のようにしていてセラピストとクライアントはプライベートで付き合ってはいけないという教えを守っていたので尚更、こうなったのは、不思議だなあと。で、この3人で会うと、毎回そうなんですが例え、開店と同時にレストランに入っても必ず、最後のお客となって店の人に、もう閉店です、と言われるまで3人で、話続けているのです。時には、そのまま店の前や、帰りの道の途中で話を続け、本当に話が止まらない。なぜ、この3人は、一緒にいて居心地がいいのかしら?と昨日、ふと考えてみたのですがまず、3人という人数がいいということに気づきました。これが5人とかになると、どこかのタイミングで3人と2人に分かれて話していたりするのですが3人だとそうはならないし例えば、一人が何かを話してそれについて、もう一人がどう思うか考えを話すのを聞きながら、なるほど~と新たな気づきにもなるしそれで、またもう一人が自分の思いを話すことでさらに深まってゆくという2人で話している時とは違う広がりを感じるのです。さらに、この3人でいる時は自分が話す量と、聞く量のバランスがいい。セッションでは、クライアントさんの話を聞く必要があるので自分の話や自分の意見は一切話さないのが大切なのですがプライベートの場では一方的に相手の話を聞いているのは疲れるし逆に自分が話すだけなのも、居心地が悪いのです。この3人だと、人の話をしっかり聞きつつ自分のことや、自分の意見を話すというバランスが取れているので長時間話していても、全く疲れず、ただ楽しい。そして、私に取っては、この二人はビジネスや仕事が出来てクールで知的なのですが感性も深いのがいいのだなあと。昨日も、ちさとちゃんの話を聴きながら「なんだかその話泣ける」とたかしくんが言って涙ぐんで、私も同じように感じていたのでその言葉で、一気に涙腺が緩んで涙、という場面があったのですが二人のそういう感性が好きなんだなあと。そして、二人とも、多次元キネシオロジーのことを真剣に考えて意見を言ってくれることが本当にありがたく。昨日も「私、本当にやりすぎていたのがわかった。前回の筋反射クラスで、あの料金で、あそこまでの情報を詰め込んでやったのが、問題だと二人から言われた意味が、やっとわかった。あの筋反射クラスこそ、多次元キネシオロジーの全ての基本で、あれこそがベーシッククラスなのだ、ということに改めて気づいた」という話をしたら「もうやっとわかってくれた~~ずっと二人で言ってきたのに~。話、聞いてないんだから。木星遺伝解除してくれて、わかってくれてありがとう」と二人に言われました😅もっというなら、今は、筋反射クラスを受ける前にユニバーサルリトリートの参加が必要なのだからあれをベーシックにした方がいい、という意見もありユニバーサルリトリートの内容はキネシオロジーではないのでそこはどう取り扱うか、迷うところなのですが。ということで、ここ最近の流れはユニバーサルリトリート ↓筋反射クラス ↓ベーシッククラス ↓アルクトゥルスメソッドクラスとなっているのですが、ユニバーサルリトリートの内容は今回作った動画教材を入れて、今後、ビデオ学習としてそれぞれが学べるようにする予定なのでユニバーサルリトリート →多次元ワークプログラム ↓ ↓筋反射クラス →ベーシッククラス ↓ ↓ベーシッククラス →中級クラス ↓ ↓アルクトゥルスメソッドクラス →上級クラスという流れにしようかと思っています。今のベーシッククラスは、ベーシックと名付けていますがもし、あれをきっちりやれたなら十分にプロとしてやっていける内容なので実は、もう中級レベルだなあというのは以前から思っていたことでした。そして、アルクトゥルスメソッドクラスは自分としっかり向かい合う覚悟とやる気がないと無理なのでもうかなり上級なのだなあと。では、ベーシッククラスよりレベルアップしたいけどアルクトゥルスメソッドクラスを受けるまでには行かないという人たちが結構多いので、その中間に位置するようなアルクトゥルスのガイドがいなくてもできるキネシオロジーのクラスを作った方がいいというアイデアを二人からもらいました。なるほどな〜と。ガイドがいなくていいのだったらアチューメントを行う必要はないのでクラスの希望者は誰でも受けることができます。もし、アルクトゥルスメソッドクラスを上級クラスとして位置付けると「ああ、このクラスを受けるのは、それなりにセッションをやってないと難しいのだな」という認識になりますが中級クラスとして位置付けているがゆえにベーシッククラスの内容でのセッションをほとんど実践していない人も申し込まれることになってしまっているわけでそこの問題が解決できるのかも。となると、このアルクトゥルスメソッドクラスの内容自体も見直すことになるのでしょう。どちらにしても、来年4月に開くのは、アルクトゥルスメソッドクラスになると思いますが来年の課題として、検討して行きたいと思っています。この二人が、率直にいろんな意見やアイデアを伝えてくれたことでこうして、やっと、多次元キネシオロジーの全体のシステムが形作られてきたので、本当に二人には感謝しても仕切れないなあと。(って、二人の話、聞いてなかったらしいけど)人との出会いは、人生の中で何よりの宝物だなあとつくづく感じています。
2022年11月04日
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今日、アルクトゥルスメソッドクラスを希望されている方の中でリーディングを希望されていた方、33名のリーディングがすべて終わりました。まだ2、3名は、これから申し込みたいとのことなのでまた行うことになりますがとりあえず、アイルランドに行く前からずっと気になっていた大切なお仕事が終わってほっとしています。33名をリーディングしていて気づいたことがいろいろありました。人それぞれ今の状況も親との関係や家庭環境も仕事も年齢も違いますがアルクトゥルスのクラスのアチューメントを受けるために、この方に何が必要なのか?という視点から見ていくとなるほど、こういう思考や性質だから今、こういう状況になるのね、ということが見えてくるのです。なぜ、自己ヒーリングを続けることができないのか?なぜ、自分の深い部分を見ようとしないのか?なぜ、自分の感覚を抑圧してしまうのか?その要因を一人一人、見ていくと人それぞれ違っている部分もありますが何人かに共通している問題や要因もあってこれまでの経験も今の状況も全く違うのに人が抱えているものや思考って共通していることが多いなあと改めて感じます。さて、人それぞれ、いろんな問題はありますが夢を叶えたり、自己実現のブロックとして問題なのは、何をやっても最初だけで続かないということ。これは、ヒーリングやキネシオロジーの世界だけではなくあらゆる分野でやりたいことをやろうとする場合に起こり得ることです。世の中、自分が本当にやりたいことがわかりませんという方が結構、いますがやりたいことがわからない人というのは例えば、食べ物で何が好きなのか全くわからないとか、旅行でどこに行きたいかわからないというのと同じことでそういう人って、実際は滅多にいないです。どんな人でも、これ面白そうとかやって見たいと、一度や二度は何かをやったことがあります。でも、結局続かなかったから、やりたいかどうかわからなくなったというだけで。やりたいことがわからない人ではなくてやりたいことが続かない人が世の中には、たくさんいるのです。で、なぜ続かないのか?なのですが、これに関してはいろんなレベルの要因がありますがその人の持っている思考である事は間違いなくその思考がどうしてできるかの要因の主な要因は、子供の頃からの経験と遺伝です。で、その経験も遺伝もいくらでも変化させることができるし私はキネシオロジーを通じてこの調整方法を教えているわけなんですがでは、それらを変化させないと続かないのか?夢をかなえられないのか?というと、そうではないのです。例えば、もし、これが仕事となれば、ほとんどの人はモチベーションとかやる気とか関係なくやるわけで結局、お金をもらってやることは続けることができてもお金をもらっていないことや責任がかからない事は続かない、ということになりがちです。だから、ただ自己ヒーリングをやっている人よりお金をもらって、人にセッションをやりながら自己ヒーリングをやった人の方が確実に早く上達するし、どんどん自分自身が変容するのは間違いなくてもうそれは、例え、スタート地点は同じぐらいの実力や意識でも半年間で、信じられないぐらいの差が出てきます。ヒーリングを学んだ後仲間内の練習会だけやっている人がいつまでも変化しない、上達しないのはそこに理由があります。仕事ではないからです。私は、最初から、そのことを感覚的にわかっていたので最初にキネシオロジーを学んだ時もクラスを受けて、帰ってきたその週にはもうクライアントさんにセッションをやっていました。もちろん、全く経験がないので最初は1回のセッションが40ドルぐらいからのスタートでしたがどんどんやり続けていて日進月歩で気づきや変化がありました。「1000回セッションやったら、とりあえず一人前(プロのスタート地点としての)だな」これは、最初にキネシを学んだ本間先生の言葉ですが全く私もそう思います。今、上級の認定プラクテショナーのテストは最低100回のセッションをやった人にしているのですが以前、私はIHヒーリングをやっていた頃は1回約2時間半~3時間のセッションを1日4回、週6日のペースでやっていました。つまり1ヶ月に80~90回ぐらいのセッションを何年も続けていたので正直なところ、100回ぐらいのセッションはやろうと思えば、1ヶ月あれば十分達成できる回数だと思っていました。1ヶ月は、大変でも少なくとも、3ヶ月あれば、十分なのです。3ヶ月間、一生懸命やったらある程度の経験者にになれるのにほとんどの人はやろうとしない。なのに、いつかプロのヒーラーになれたらいいな~と夢見つつ、時々、自己ヒーリングをやっているそんな人たちが、すごく多いのです。もともと持っている実力とか、才能とかほとんど関係ない。ただやるかやらないかだけの違い。最も、問題なのは、ヒーリングの場合技術や知識より、その人の持っている意識やエネルギーが大切なところがあるので中にはまだ、人にヒーリングを行うレベルにはいない人もいるしまたは、実力はあっても、グラウンディングが弱くて人からあまりにもエネルギーを受けやすい状態の時や身体が弱っている時には自己ヒーリングや他の人のセッションを受けながらじっくりやってゆく必要がありますが多くのケースでは、お金をもらいながらどんどん人にやって、自己ヒーリングしてゆく方が遥かに変化や伸びが大きいのです。仕事となれば、責任があるし自己ヒーリングも、しっかりやるしかないわけですから。あと、いついつまでに~すると決める事も大切です。時間制限を決めない限り私たちは、永遠にやらない生き物なのです。私は、自分のそういったところも、わかっていたので決めたら動いて、もうやらざるを得ないように自分を持っていくようにしていました。例えば、2016年に自分のキネシオロジーのメソッド(多次元キネシオロジー)を立ち上げて教えると決めた時もまだ、クラスのプログラムは、1行も出来ていないのにクラスの参加者を募集してクラスの場所も予約して、場所代のお金も支払うということをやってもう絶対にプログラムを作らざるを得なくなるように自分で状況を持って行きました。このリトリートもそうでした。もし、最初に動画やプログラムを作ってできてから参加者を募集しようと思ったら多分、永遠にやらなかったでしょう。私たちは、自分で自分を追い込まなければ永遠に何もしない怠け者なのです。ま、怠け者でも、夢を叶えなくてもその人がそれでよければ、全く問題はないんですけどね。でも、もしどこかで、そんな願いや夢があるのなら人生の中で、ある期間だけでも真摯に取り組んでみるのは大切かなと。ある程度の基盤ができてしまえば後は、そんなにがんばらなくても楽にやって行けますから。あ~~今日は、朝からアルクトゥルスメソッドクラスの参加者に向けて喝を入れるメールをしてその勢いで、このブログをアップしているので少しコーチングっぽい内容になってしまったかも。でも、今朝メールした後、何人もの方に「目が覚めました」「やれるところまでやってみます」「自分と向かい合う決心をしました」「涙が止まりません。心が震えました」というお返事を頂いて、私も涙。私の方は、木星遺伝が抜けて、かなり、ゆるゆるなのに人には喝を入れているという😅これも、ガイドからのメッセージもあってそうしているんですがたまには、こうして喝を入れてみるのもいいかな~と。みなさまの検討を祈ります!(あ、頑張りすぎている人は、力抜いたり、人に甘えたりしてよ〜)
2022年11月02日
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今日は、ナショナル・ジオグラフィック制作のExhabition 「Beyond KIng Tut」(ツタンカーメンを超えて)に行ってきました。1922年に考古学者ハワードカーターがツタンカーメンの墓を発見して今年は、100周年だそう。ちょうど、この広告を見た時が私がインスタでツタンカーメンの像の写真入りの動画をアップした直後でお~ツタンカーメン!!と即チケットを購入しました。2019年に、王家の墓のツタンカーメンの墓を訪れた時に一緒に行ったえずみんが、過去世の記憶を思い出して号泣するという出来事があって私自身は、特にツタンカーメンに思い入れはなかったのですがその時、受け取った感覚やエネルギーやイクナートンとのことなど切ない人生を思わせるツタンカーメンはやっぱり見逃せないなあと。この展示は実物はなく、全て、レプリカと映像なのでエネルギーを感じたりはないだろうけどエジプトが恋しいこの頃なのでエジプトの映像に囲まれるだけでもいいかも~と昨日から、わくわくしていました。で、感想なのですがすごくよかった~と言いたいところなのですが正直なところ、微妙です😅決して悪くはないのですが実際の映像より、メインはエジプトのアニメーションという感じで広いスペースに映しだされる映像は綺麗で、それはそれでよかったのですがツタンカーメン~~😭みたいな感じにはなりませんでした。で、VIP券(80ドル)を購入すると別室でVRで映像が見れるということで楽しみだったのですがそれが、今ひとつでえ?たったこれだけ?という感じでした。時間指定のチケットなので、来場者は、一度には入ってないので他に人がいない部屋がほとんどだったのはよかったです。これは、家系図やツタンカーメンの身に付けていたものなどの写真が展示された部屋。360度、部屋中に映し出される映像は、綺麗です。ストーリーというよりファラオ がどれだけ、オシリスやラーやホルスを信奉していたかとか古代エジプトの人たちが、死後の世界をどう捉えていたか、と言った説明みたいなものでした。ホルスとラーに囲まれたツタンカーメン❤️トートも密かに登場してる〜🤣この左側の写真が、まさに先日インスタにアップしたルクソール 神殿にあるツタンカーメンと妻のアンケセナーメンの像の写真でした。人によっては、感動するかもしれませんがやっぱり、本物に触れないとだめだなあという結論に達しました。(まあ、そんなことわかってたけど〜😅)20年の建築期間を経て、2020年にオープン予定だったカイロの大エジプト博物館が多分、2023年にはオープンするのでそこでは、本物のツタンカーメンの遺品などが初公開されるようで今度、訪れた時に行ってみたいなあと思っています。さて、エジプト、次はいつ行くのかなあと思っていたのですが実は、リトリートが終わって数日後に今後のスケジュールを検討していたら「来年3月にエジプト行く」という、ガイドからのメッセージがありました。来年の4月に、アルクトゥルスメソッドクラスを開く予定なので、え?その直前に行くの?と思って、聞いてみたらなんと、参加者のアルクトゥルスのアチューメントをエジプトの神殿から行うとのこと。え~~!!😱その発想はなかった~そんなことできるかなあ、と考えてみてでも2020年にエジプトから生配信できたしやろうと思ったらできそうだなあと。まだ実際にどうなるかはわかりませんが今度は、多分、エジプトに一人で行くことになりそうです。実際にやるとなったら、ネット環境なども含めてこれも、また新たなチャレンジだあなあ。木星遺伝を手放しても、チャレンジは変わらずやってくるようです。
2022年11月01日
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