全4件 (4件中 1-4件目)
1
私:近所のマンションに住む孫2人が小さい時、「きかんしゃトーマス」のおもちゃを買ってやりよく遊んだものだ。 今はもう用済みになった多くの「きかんしゃトーマス」とその仲間の機関車が押入れの奥にしまいこんである。 「きかんしゃトーマス」は、英国の絵本が原作で、主人公は男の子機関車のトーマスで、架空の島「ソドー島」を舞台に、トーマスと仲間たちの友情や、困難を乗り越える様子が描かれ、英国では1984年にアニメ化され、日本でも90年から放映され、映画化もされており、世界的に人気のキャラクター。 その「きかんしゃトーマス」が、国連の持続可能な開発目標(SDGs)を取り入れ、ジェンダー平等の観点から女の子機関車が準主役で新登場し、男の子機関車が多かった主要キャラの男女比も、半々に近づくという。 このニュースを知って、トーマスを含めた主要機関車7台が使う「ティドマス機関庫」のメンバーは、これまで女の子機関車はエミリーだけで、男女比が6対1だったことに気がついた。 孫が2人とも男の子だったので、今まで機関車の男女比が6対1だったことが気にならなかったね。 A氏:日本でのマスターライセンスを持つ「ソニー・クリエイティブプロダクツ」(SCP、東京)によると、来年4月公開予定の映画「Go!Go! 地球まるごとアドベンチャー」や、その後続くテレビアニメの新シリーズで、ケニア出身の女の子機関車「ニア」が準主役で登場し、映画では、トーマスと一緒に世界中を回り、各地の多様な機関車と交流を深める。 トーマスを含めた主要機関車7台が使う「ティドマス機関庫」のメンバーも変わり、男の子機関車のエドワードとヘンリーが「スタメン落ち」し、代わりにニアと新しい女の子機関車代わりにニアと新しい女の子機関車レベッカが入る。 こうした変化は、「きかんしゃトーマス」の商標権などを保有する米マテル社と国連がSDGsを子どもたちに伝えるため、共同で新シリーズを企画したことによる。 SDGs17項目のうち「ジェンダー平等を実現しよう」など5項目を盛り込んだという。 国連は発表資料の中で「差別を助長する固定観念は幼児期に形成される。『きかんしゃトーマス』とニアのような登場人物によって、外見や話す言葉が違っても大切な存在であり、果たすべき役割があるという考え方を子どもに伝えられる」としている。 私:愛知淑徳大の若松孝司教授(ジェンダー論)は、男女比を調整する試みは評価できる、として、「子ども向けアニメは、女の子の登場人物に可愛らしさやサポート役を求めていることが多い。子どもはそれを受け入れ、『手本』にしていってしまう。作り手の大人は、固定的な男女役割を子どもに押しつける描き方になっていないか、と問い直す作業が必要だ」という。 新しい「きかんしゃトーマス」はどういう物語になるか、孫と遊んだ過去を思い出して興味があるね。
2018.11.08
コメント(1)
私:喜田尚氏は、南部ソチで開かれた毎年内外の研究者や文化人、政治家が集まり、最終日にはプーチン大統領も登場する有識者フォーラムの「バルダイ・クラブ」討論会を取材。 最初の討論のテーマは「変わる世界と、国のアイデンティティー」で、パネリストの一人、演出家コンスタンチン・ボゴモロフ氏の発言が刺激的だったという。 同氏はドストエフスキーの「白痴」の主人公を小児性愛者として描くなど、挑発的な舞台で知られ、「私の演出はロシアでは全て認められるが、西側のプロデューサーには『君がその演出をやったら私はクビになる』と止められる」と欧州の自己規制を批判し、続けた。 また、同氏は「ナチスを経験した欧州は人間に憎むことを禁じた。愛することしか許さず、『寛容』は全体主義に姿を変えた。だが、人間には憎む権利があるはずだ」という。 矛先が向けられたのは、進歩的な価値を重んじ、差別表現を排する欧州エリートの「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」で、壇上の他のパネリストからも似た批判が続いた。 A氏:喜田氏は昨年末から15年ぶりにロシアに住んでいるが、人々が「ロシアとは」を論じるとき必ず欧州が引き合いに出されるのは昔と同じだが、その距離感はずいぶん広がったという。 国際政治の場でくり返されるロシア批判に反発し、返す刀で語られる欧州批判には強い攻撃性がにじむという。 喜田氏に、問い合わせがあった記事は人権保護、法の支配を掲げ、47カ国が加盟する「欧州評議会」をめぐるもので、「ロシア」では、ソ連崩壊後何年もかけてやっと加盟を果たしたこの機関をめぐって、脱退論が頭をもたげている。 「ロシア」は、ウクライナへの介入で投票権を奪われ、反体制派や性的少数者への抑圧をめぐっても激しい批判を受けるからだ。 「バルダイ討論会」のコーディネーターで政治学者のフョードル・ルキャノフ氏は「ロシアが加盟したのは欧州の一部であろうとしたから。だが当時、同性愛を認めることは条件になかった」と話す。 私:「ロシア」が「欧州評議会」から脱退すれば、国内の人権侵害被害者への打撃は大きい。 「欧州評議会」のもとには「欧州人権裁判所」があり、その決定は加盟国に拘束力を持つ。 昨年の違反決定908件のうち「ロシア」からの訴えは293件で、99件で2番目のトルコを引き離す。 「ロシア」では、裁判所が最後の砦だった人々は行き場を失う。 「ポリティカル・コレクトネス」は今、欧米でも右翼勢力などの批判の的。 「バルダイ討論会」では会場の米国人女性が「批判が少数者の声を締め出すために利用されている」と訴えたが、壇上からの反応はなかったという。 ブログ「伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む」で、とりあげたが、少数派への「寛容」や多様性の尊重は世界的に失われてきているようだね。 民主主義の危機か。
2018.11.05
コメント(0)
私:マイケル・ムーア監督の新作「華氏(かし)119」が、ムーアは米中間選挙に影響を与えるべく、投票の直前にの2日から公開されている。 評者は、マイケル・ムーア監督は世界を「善」「悪」に二分し、そして「悪」を攻撃する材料を並べる。この手の作品をドキュメンタリーというより、私たちはプロパガンダと呼ぶと石飛氏はいう。 ムーアの思想には大いに共鳴する者ではあるが、彼の手法にはこれまで全く共感できなかったが、トランプ大統領を批判した最新作「華氏119」には脱帽させられたと石飛氏はいう。 ムーアは扇情的な映像と音楽を駆使して「いま必要なのは行動だ」とあおり、ここまでプロパガンダを徹底すれば、あっぱれというべきだろうという。 A氏:「華氏119」には過去のムーア作品と異なる点があり、彼はトランプを斬った刀で、民主党や大手メディアなどリベラルエリートにも鋭く斬り込んでいき、これがめっぽう面白い。そして、全体の印象をいつもより複雑にしているという。 タイトルが出るまでの冒頭7分が圧巻で、2016年の大統領選挙の投票日前には、誰もが米国初の女性大統領誕生を信じて疑っていなかった。 リベラル側の浮かれ具合が、痛烈な皮肉とともに容赦なく描かれ、この映画を見て悶絶するのは、トランプよりもヒラリー・クリントンやオバマ前大統領の方だとさえ思えるという。 私:ムーアは、トランプを生んだ土壌とヒトラーのそれが似ていると指摘し、「独裁者が頭角を現すのは民衆があきらめた時だ」という。 今の米国が必要としているのは冷静なドキュメンタリーなどではなく、どこまでも過激なプロパガンダ。 トランプはヒトラーに似ているが、もっと似ているのはムーア自身で、民衆の感情に訴えて行動に駆り立てる手法は2人に共通すると石飛氏はいう。 同じ日の新聞の「日曜に想う」欄でも編集委員・福島申二氏がムーア監督の「華氏(かし)119」をとりあげている。 トランプ氏の異形ぶりを映しつつ、その大統領を生んだ米国のエスタブリッシュメント(支配者層)の根腐れにも迫るドキュメンタリー映画だと福島氏はいう。 既成権威、既得権益、既存秩序、既視感……「既」という指紋でべとべとに汚れた政、財、メディアに向ける監督の目は容赦ない。 A氏:福島氏が、ムーア氏に取材で会ったのは14年前で、イラク戦争に突っ走ったブッシュ政権を痛烈批判した「華氏911」について「映画で描こうとした本当の悪漢はブッシュじゃない。戦争をあおったアメリカの主流メディアだよ。怒りの矛先はむしろそっちだ」と語ったという。 今回もそれはあり、大統領選挙でトランプ氏が勢いづくと、視聴率を取れると見たテレビ各局は競って過激な言動を流し、主要局CBSの当時の会長が語った「米国にとっては悪いことかもしれないが、CBSにとってはすばらしい。どんどん儲かって、いい年になりそうだ」という本音を、ムーア氏は逃さなかった。 私:さて火曜日は中間選挙。 トランプ氏の共和党が勝ったら、ご本人は調子づき、各国で台頭する危ういポピュリズムも勢いを増しかねない。 世界が注視する所以であると、福島氏は指摘する。
2018.11.04
コメント(0)
私:今月の「異論のススメ」の課題は10月の同欄の「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」でとりあげた、議論の結論だけで、敵か味方かに単純化されてしまい、SNSがそれを増長する傾向が著しく、社会から「寛容さ」が急激に失われていることを佐伯氏は指摘していた。 今月も、同じ課題の延長で、米国の例をとりあげている。 佐伯氏は、トランプによって米国が二つに分断されたという見方があるが、そうではなく、すでに分断されていた結果がトランプを大統領に持ち上げたのであり、また、トランプは民主主義の敵であり、民主政治を破壊するという見解があるが、これもそうではなく、まさに今日の民主主義がトランプを大統領の地位に押し上げたと指摘する。 特に、レビツキーとジブラットというハーバード大学の2人の政治学者の著書「民主主義の死に方」という本の引用を中心に論じている。 A氏:彼らは、今日の米国の民主政治がまさにトランプという「独裁型」の指導者を生み出したと述べ、その背景を分析し、その経過を次のように書いている。 1960年代の公民権運動以来、米国は多様な移民を受け入れてきて、非白人の人口比率は50年代には10%だったのが2014年には38%になり、44年までには人口の半分以上が非白人になるとみなされる。 そしてこの移民のほとんどは民主党を支持し、一方、共和党の投票者は、90%ほどが白人であり、つまり巨大な移民の流入という米国社会の大きな変化が、自らを「本来のアメリカ人」だと考える白人プロテスタント層に大きな危機感を生み出し、その結果、共和党と民主党の激しい対立が生み出された。 当然ながら、「アメリカが消えてゆく」という危機感を濃厚にもつ共和党の方が、いっそう過激なアメリカ中心主義(白人中心主義)へと傾いてゆくことになった。 しばしば、トランプ現象の背景には、グローバル競争のなかで、経済的な苦境を強いられる「ラストベルト」の白人労働者層があり、トランプの反移民政策は、彼らの歓心を買うためのポピュリズム(大衆迎合)だといわれるが、それは、間違いではないものの、問題の根ははるかに深い。 共和党からすれば、民主党は「アメリカの解体」をはかっているように映り、今日、両者の対立は、もはやリベラルと保守といったイデオロギー的なものではなく、人種、信仰、そして生活様式という生の根本が分断された結果である。 私:この2人の著者たちによると、リベラルと保守という思想的な対立の時代には、共和党にもリベラルな政治家がおり、民主党にも保守的な考えがあったが、その結果、両者の間にはまだしも共通の了解が成立しえたし、ともに、国の全体的な利益のために、過度な自己主張を自制し、相手をあまりに断罪しないという「自己抑制」の不文律があった。 その上に、両派の「均衡」が成立していて、「礼節」や「寛容」を含む「自己抑制」という目に見えない規範だけが、アメリカン・デモクラシーを支えていた、というのである。 しかし、さらに2人の著者たちは、この目に見えない規範が共有されていたのは、実は米国は白人中心の国だという人種の論理が暗黙裡に共有されていたからだ、という。 だから、60年代以降、人種差別撤廃運動が生じ、明らかに民主主義は進展したが、ところが、その民主主義の進展こそが、共有された暗黙の規範を失墜させ、アメリカ社会の分断を導き、民主政治を破壊してしまっている、という。 たいへんに深刻で逆説的な結論であるが、確かに事実というほかあるまいと佐伯氏はいう。 この2人の著者たちが述べるように、民主主義なら政治はうまくゆく、という理由もなければ、米国の憲法や文化のなかに民主主義の崩壊から国民を守ってくれるものがある、などという理由もない。 これはもちろん、米国だけではなく、日本も含めてどこでも同じこと。 A氏:さらに、今日、何事においても事態を単純化しようとするメディアやSNSの影響力を前にして、民主主義は、すべてを敵か味方かに色分けし、対立者を過剰なまでに非難するという闘争的なものへと急激に変化している。 対立する両派とも、わが方こそが「国民の意思を代表している」として「国民」を人質にすることによって自己正当化をはかり、言い換えれば、対立者は「国民の敵」だという。 日本では、近年になって、人口減少化のなか、事実上の移民労働者数は急激に増加しているが、それが引き起こす社会の「分断」は米国や欧州ほど深刻ではなく、しかも宗教的対立は存在しないが、米国や欧州の事例から学ぶべきことは、民主主義の進展こそが様々な問題を解決してくれるなどと期待してはならない、と佐伯氏は指摘する。 ましてや、二つの陣営の激しい対決や批判の応酬こそが民主主義だなどと考えるわけにはいかず、民主主義を支える価値は、民主主義からでてくるのではなく、むしろ、非民主的なものなのであり、社会の伝統的秩序のなかにある「自己抑制」「寛容」「思慮」「エリートのもつ責任感」といった価値観は、それは伝統的な見えない社会規範とでもいうべきものであり、それが失われたとき、民主主義こそが独裁者を生み出すという古代からの「法則」は、今日でもまた現実のものとなりうるのであるという。 私:ところで、トランプ批判の米国のドキュメンタリー映画の監督マイケール・ムーア氏は日本のテレビインタビューで米国の民主主義の危機を警告していたが、それは、米国の投票率の低さという視点からだね。 日本同様、特に若者の低投票率が問題。 来週に迫った米中間選挙でどうなるかね。
2018.11.03
コメント(1)
全4件 (4件中 1-4件目)
1