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私:2009年に導入前された裁判員制度。 この制度が始まった頃、俺に一度、選任通知がきたことがあり、宝くじが当たったようだと喜んで、裁判の中身を体験したく裁判所に出頭したが、20名位いて、裁判官・弁護士などと数名ずつ面談し、そこで、健康上や、仕事の都合で、裁判員ができない人などは辞退を申し出ていた。 待っている間、扱う事件の内容が実名で掲示されていて関係者は、辞退することになる。 たしか、殺人事件ではなかった。 面談が終わって、辞退を了承された以外の人たちで、また、抽選で数名選ばれたが、俺はこの抽選で落ちた。 辞退者が多いので多くの余裕をみて、出頭要請をしていたんだね。 ところで、9年たって、この制度に問題が多いことが、本書で指摘されている。 運用面から見ても裁判員制度はすでに破綻しつつあり、16年現在、選任手続きのための出頭に応じない「無断欠席者」は37%、裁判員を辞退する人は65%。 世論調査では約8割が「参加したくない」と答え、その理由は「的確に判断する自信がない」などで、本音をいえば、裁判員なんか誰もやりたくないのだ。 A氏:量刑が変わる、死刑が無期懲役になる、甚だしきは有罪が無罪になるなど、控訴審で判決が覆るケースも少なくない。 裁判に「市民感覚」を反映させるというのが導入の理由だったはずだが、控訴審でひっくり返るなら、何のための「市民参加」かわからない。 評者は、裁判員制度は司法のポピュリズムに関係していると著者は指摘しているという。 民主主義は政治に民意を反映させるしくみだが、民意はときに暴走する危険をはらむ。 司法はそこに自由主義の観点から歯止めをかける役割を果たしてきたはずだ。 〈裁判員制度は国民の司法参加によって、司法を法の支配ではなく、多数の支配のための機関に変えてしまいました。これでは、三権がいずれも多数支配の原理によって運用されることになり、権力の抑制・均衡が働く余地はありません〉〈司法を「民主化」してはならないと述べたのはそのためです〉と著者はいう。 私:評者は本書の読後感として「刑事裁判は人の命にかかわる事案だ。医師の資格を持たない素人に医師の代行が務まるだろうか。 中高生でも理解できるやさしいタッチで書かれた良書。しかし、その批判と問いかけは鋭く、重い」という。 果たして裁判員制度の見直しは、いつ、行われるだろうか。
2018.06.30
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私:ドイツの哲学者マルクス・ガブリエル氏の著書「なぜ世界は存在しないのか」がベストセラーになっている。 そのガブリエル氏が来日し、東京・築地の朝日新聞東京本社読者ホールで12日、哲学者の國分功一郎氏と対談。 政治や経済の「危機」の解決に、「民主主義」は役立つのかなど、「民主主義」の原理を見つめ直す議論が繰り広げられた。 この記事はそれをまとめたもの。 A氏:まず、ガブリエル氏は、「民主主義」の誕生の歴史をひもときながら「人間が人間として存在するために譲れない諸権利(=人権)に対応し、その権利の実現を目指す政治システム」だとして、「民主主義」に内在する価値として「平等」を重視していることを明らかにした。 例えば、古代ギリシャの「民主主義」は「奴隷制」、フランス革命後のナポレオンによる「民主主義」の試みは「帝国主義」という矛盾を抱えていたがゆえに、失敗。 「みんなのための」「民主主義」のはずなのに、その最も重要な価値の普遍性を実現できなかったことが共通の原因だと、ガブリエル氏は語った。 「危機」は現代にも通底し、「途上国の人が先進国の人のためにTシャツを作っていて、大勢の人たちが自分たちのために働いているのが(先進国側から)見えない状況」は不平等で、非常に深刻な問題だと指摘。 私:國分氏はこれを受け、「メンバーシップの平等」の問題を提起。 例えば、昨年のフランス大統領選で、決選投票まで進出した右翼政党の候補マリーヌ・ルペン氏の「フランスのことはフランス人が決めよう」という発言は、「外国人は入れるべきではない」という排他的な主張でもあり、國分氏は「決定権における平等の問題が排除に結びつく場合がある」と述べ、グローバル社会のなかで、政治的な決定権をどこまで、どう与えるかが重要な問題だと指摘。 これに対して、ガブリエル氏は、「『民主主義』の本質は『国民国家』と相いれない」と断言し、「気候変動や経済的格差といったグローバルな性格を持つ問題に、私たちは国境で線引きして『ここからは関係ない』とは言えない」という。 「国民国家」の「枠外」に放出された難民や移民も、本来は「民主主義」の下で自分たちの人権を求めることができ、「彼らはまさに『民主主義』者っで、人権を自分たちのものにしたいと言っている」とガブリエル氏はいう。 そして、「民主主義」の価値を重視する立場から、難民・移民の人権に繰り返し言及した。 A氏:「民主主義」の限界を指摘したうえで、ガブリエル氏が強調したのが「(『国民国家』を超えた)シチズンシップを与える『民主主義』の形式」への転換。 ガブリエル氏は、多様な含意を持つ「民主主義」について、「普遍的な価値システム」としての「民主主義」の重要性を強調し、「『主権』という概念はいりません。主権なしに新しく「民主主義」について考える必要があります」と述べた。 私:最後の論点が、「立憲主義」と「民主主義」の関係。 「立憲主義」とは、簡単に言えば「民主的に決めれば何をやってもよいわけではない」(國分氏)ということで、「民主主義」体制下で権力は、憲法によって制約を受ける。 ガブリエル氏が住むドイツは、こうした発想が特に強く、ナチスドイツスへの反省から、戦後のドイツの憲法(基本法)は、手続きとしてではなく、価値としての「民主主義」を重視しており、「国家は単なる形式的なシステムではなく、倫理的な基礎が必要です」とガブリエル氏はいう。 國分氏は「下からの『民主主義』」と「上からの『立憲主義』」の衝突の問題に言及。 下から民主的に決めた事項に、「立憲主義」が「それはダメだ」と突きつける。 これに対する民衆の反発をどう考えればよいのかと問う。 これに対し、ガブリエル氏は、「だれかを拷問するかどうかを民主的な投票で決めてはいけない」と例示し、「民主主義」の価値の重要性を、「民主主義」によって否定することはできない、とする。 そのうえで、立憲的な価値を前提として共有することの重要性と、その具体的手段として子どもたちへの倫理教育をあげた。 A氏:質疑応答では「多数決は平等なのか」という視点が話題になり、「少数意見の切り捨て」になり、「『民主主義』の理念から隔絶している」との声があった。 國分氏は、日本で「民主主義」=多数決となる傾向は「変なこと」と指摘。 私:ガブリエル氏は、ドイツでは多数決ではなく、合意を形成していくことが重視されていると話し、少数意見を重視する一つの提案として、議会の公聴会の委員の3分の2を野党推薦にし、議論を通じて同意を生み出す仕組みを制度化したらどうか、と語った。 我々は、日常「民主主義」と簡単に言っているが、政治や経済の「危機」の解決に、「民主主義」は役立つのか、現実の限界にぶつかって、大いに疑問に思うことが多いね。 そうかと言って、それを否定はできないしね。
2018.06.29
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私:親イスラエルのキリスト教福音派は、聖書の記述を忠実に信じるとされる米国最大の宗教勢力で、人口の約3割を占めると推計され、中絶禁止や同性婚に反対。 1980年のレーガン大統領の当選のころから政治への影響力を強めた。 トランプ氏の当選には、敬虔な福音派であるペンス氏を副大統領候補に据えるなど、福音派へのアプローチも大きかったとみられていて、その公約の一つが、イスラエル大使館のエルサレム移転だった。 A氏:福音派のイスラエル支援のよりどころは、旧約聖書の記述で、神は、アブラハムと約束を交わし、アブラハムの子孫であるユダヤ人にカナン(パレスチナ)の地を永久に与えるとする。 私:もともと、イエスを救世主と認めないユダヤ人は、キリスト教世界において長く差別されてきて、暴力的な迫害はたびたび起き、ナチス・ドイツのホロコーストにまで至った。 それが、福音派とイスラエル支援はどうして結びつくのか。 「熱狂する『神の国』アメリカ』の著者、松本佐保・名古屋市立大教授(国際政治史)は「聖書に立ち返る16世紀の宗教改革を経て、英国にピューリタンが生まれ、そこで強調された終末論と、その際にどうすれば救われるかという救済神学の影響がある」と言う。 新約聖書のヨハネの黙示録では、イエスが再臨して最後の審判を下すが、ユダヤ人がエレサレムに集まることが再臨の条件となる。 このような理由からキリスト教徒がユダヤ人のエルサレム帰還を支援する考えは、キリスト教シオニズムと呼ばれ、19世紀末ごろに米国に渡って、より純粋な信仰として広まり、聖書を忠実に解釈する教義のため、似たような傾向の福音派に浸透していった。 一方で、そこには「キリスト教徒にとって自己中心的な側面もある」と松本教授は言う。 エルサレムに集まったユダヤ人はイスラム教徒らと戦い、多くの犠牲者を出すが、その後、キリスト教徒が来て、生き残ったユダヤ人もキリスト教に改宗することで救済されるという解釈もあるという。 A氏:藤本龍児・帝京大准教授(宗教社会学)は、米国のイスラエル寄りの姿勢には、豊富な資金力を持つユダヤ人のロビー活動が知られるが、より熱狂的に支持しているのは福音派だ、とみる。 米国で調査機関が数年前に行った調査では「イスラエルは神がユダヤ人に与えたものか」という質問に「はい」と答えたのは、ユダヤ人が40%だったが白人の福音派は82%に上った。 私:大使館移転には、カトリックのローマ法王が懸念を表明し、パレスチナ人の抗議デモで死者が多数出た。 国際的な常識からするとトランプ氏の暴挙に映るが、移転の法律は95年に成立し、歴代の大統領が先送りしてきたのが実態。 藤本教授は「聖書に基づいた世界観を根底に置いた宗教国家が米国だ。中絶など内政だけでなく、外交にも影響している」と話す。 まさに「『神の国』アメリカ」の側面だね。
2018.06.28
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私:最近の大阪北部地震で、水道管が破損し、多くの世帯で断水したが、水道管の法定耐用年数は40年なのにそれを超えた老朽管が3割くらいあったという。 何故、老朽化を放置したのかの原因追求は直接言及はないが、背景は浦上拓也氏が詳しく説明。 浦上氏によると、水道法では水道事業は、「原則として市町村が経営する」とされていて、 現在の上水道の普及率は約98%。 水道が地方にも広がり、爆発的に普及したのは、戦後の高度経済成長期。 人口が増え、経済が成長すれば、需要が高まり収入が増え、安い水を供給でき、経営も順調。 A氏:しかし、人口が減るなか、水道事業は拡大期から「維持、管理」の時代を迎えていて、約50年後の人口は9千万人を下回ると推計されるが、厚労省は水需要が約4割減ると予測。 さらに、水をあまり使わない、節水意識も高い高齢者の割合増や、トイレや洗面所、洗濯機なども節水型となり、水の需要を押し下げており、さらに、最近は災害への備えもあり、病院や工場が敷地内で井戸を掘り、地下水を浄化して使うことも増えている。 水道料金は基本料金と、使用量が増えるほど割高になる従量料金とで構成されていて、基本料金内に収まる世帯が増えれば、事業収入は加速度的に減り、水需要減で水道事業が数億円単位の減収となっている自治体もある。 私:一方で、水道を維持するコストはかさみ、水道管の法定耐用年数は40年なので、1960年代後半から70年代にかけて水道整備が盛んだったころの水道管の減価償却期間は過ぎており、各地で漏水や破裂事故が多発し、地震のたびに事故が拡大する。 厚労省によると、水道管(基幹部分)の耐震適合化率は、2016年度で4割未満。 更新と耐震化は緊急の課題だが資金は十分でない。 大阪の場合も資金難だったのか。 水道管工事をする民間の技術者の高齢化も問題で、若者はこうした仕事を嫌い、後継ぎがおらず、人手不足で工事費も高くつく。 また、多くの自治体では、経費削減のため、職員を減らしていて、首長が水道事業について理解がないと、水道部門の職員を削減したり、配置転換したりするので、現場をよく知り、経験豊かな職員が育たない。 地方自治体の水道事業者は1300余りあるが、とくに困難に直面しているのは、経営基盤の弱い地方の小さな自治体で、安全で安い水が供給されなくなれば、人口流出に拍車がかかり、自治体の存続にかかわる。 A氏:浦上氏は、市町村単位ではなく都道府県や、市町村が共同出資する一部事務組合(企業団)が水道事業の主体となるよう、水道法の改正も必要だと指摘し、このまま何もしなければ、水道事業は立ちゆかなくなり、次世代に負担を押しつけるわけにはいかないと危機を警告する。 私:橋本淳司氏も大阪北部地震で注目されたように、水道インフラは全国で老朽化していると、冒頭で指摘している。 そして、設備更新のための料金値上げも各地で相次いでいて、現在の設備をそのまま維持、更新すれば、利用者負担は際限なく増えるという。 将来の水道料金の最新予測の推計では、全国の水道事業者の90%で2040年までに値上げが必要になり、4割では30%以上と大幅になり、中には3、4倍にはね上がり、20立方メートルあたり3千円台が、1万6千円と予測された地域もある。 昭和時代の人口増に慣れ、さらなる人口増を見込んで建設した浄水場や管路は、結果的に過大投資。 対策として、以前よりも水道水を使わない時代に応じて、インフラの管理を考える必要があり、縮小社会に合わせた水道インフラの縮小、ダウンサイジングだと、橋本氏はいう。 まずは取水源だが、新たに利水目的のダムは必要ないし、老朽化したダムは順次廃止。 浄水場などの設備も、不要なものは更新せずに廃止。 A氏:安全で安い水道を維持するための広域連携などの方策はこれまで、厚労省が検討してきたが、そこへ安倍政権の成長戦略として民営化方針が滑り込んできた。 施設所有権は自治体が持ち、運営権を民間企業に売却するコンセッション方式の導入をめざしていて、今国会には、この方式を促す水道法改正案が提出されている。 これについて、橋本氏はいくつか問題点を指摘している。 まず、真に課題を抱える小さな市町村では、民営化は解決策にならない。 また、災害時に、民間企業の社員を設備の補修や点検にどこまで動員できるかも問題。 私:事業運営が不透明になる心配もあり、民営化の優等生と言われてきた英国でも今年に入って、水道事業会社は巨額の利益をほとんどすべて経営陣への報酬や株主への配当に回し、税金を支払っていないと指摘され、英国では再公営化の議論が起きている。 それでも、日本でいまから民営化を促すのなら、経営を透明化し、水道の私物化を防ぐ方策を併せて考えるべきだと、橋本氏は指摘する。 水需要が減少し、維持費が増加する水道業に民営化は向くのだろうか。
2018.06.27
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私:秀吉の朝鮮出兵の目的はよくわかっておらず、従来は「秀吉の誇大妄想の結果」「家臣に恩賞として与える土地が不足していたため」などと考えられてきた。 これに対し、宮城学院女子大学の平川新学長(日本近世史)が、4月に刊行した著書「戦国日本と大航海時代」で、秀吉は当時、世界の覇者となったスペイン・ポルトガルのアジア支配に対抗するために出兵したとする学説が発表された。 A氏:スペイン・ポルトガル両国は1494年、世界を分割支配することで合意した「トルデシリャス条約」を結び、領土拡大に向けて動き始める。 ポルトガルはインドのカリカットやゴアに拠点を建設し、マレー半島のマラッカを攻撃して勢力下におき、一方、スペインは艦隊をフィリピンのセブ島に派遣し、マニラを占領。 私:やがてスペイン・ポルトガルの両勢力は日本に目をつける。 1549年にはポルトガル系の宣教組織であるイエズス会のフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸。 80年代にはスペイン系のフランシスコ会士も来日し、カトリックの布教が盛んに行われた。 しかし、そんな宣教師の多くが「征服のための先兵」だったとみる研究者は多く、イエズス会日本準管区長のガスパル・コエリョはフィリピン布教長にあてた85年の手紙で「早急に兵隊・弾薬・大砲、数隻のフラガータ船(軍船)を派遣してほしい。キリスト徒の大名を支援し、服従しようとしない敵に脅威を与えるためである」と書いた。 平川氏は「コエリョは大名を改宗させ、その武力で中国・明を征服しようとしていた」といい、「宣教師らは、キリシタン大名は彼らの指示に忠実に従うとみていた。だから日本支配についても楽観していたようです」という。 A氏:このイエズス会の野心を、秀吉も警戒していたようで、キリスト教徒の国外退去を命じた87年のバテレン追放令は、宣教師の軍事力や信徒への影響力の排除が目的と平川氏はみる。 この一連の流れの中で始まったのが朝鮮出兵。 92年5月、朝鮮・漢城の陥落を肥前名護屋城で聞いた秀吉は、その後の予定として、明の征服後はおいの秀次を征服地域の関白とし、自らは東シナ海交易の拠点だった寧波に居住して、天竺をも切り取ると、手紙で秀次らに書き送っている。 前後して、琉球と高山国(台湾)にも服属を要求し、中でもスペインのフィリピン総督には複数の書簡を送り、「旗を倒して予に服従すべき時なり」「多数の武将がマニラ占領を予に求めている」と恫喝。 平川氏は「秀吉の目的は、単なる朝鮮侵略ではなく、その先の唐・天竺・南蛮(東南アジア)を服属させることにあった」と推測し、「フィリピン総督への書簡で秀吉は『カトリックの布教は、その国を侵略する策略である』と糾弾した。布教を隠れみのに征服を狙うスペイン・ポルトガル勢力を、逆に服従させようとしていた」という。 私:実際、こうした秀吉の強硬外交や軍事行動は、脅威に映ったようで、マニラが秀吉の攻撃目標になったと恐れ、総督の使者が「大きな城壁を備えておくことが重要」と、マニラの監査官に書き送った手紙が残る。 秀吉以前、スペイン・ポルトガルでは日本征服論が盛んだったが、朝鮮出兵以降、そうした意見は鳴りを潜める。 平川氏は「他国への侵略行為を肯定するつもりは毛頭ないが、出兵が結果的にスペイン外交に方針転換を促した可能性はある」という。 時代劇では晩年、老いさらばえ、判断ミスなどが頻発したように描かれる秀吉だが、それをはっきり裏付ける一次史料は存在せず、平川説は、当時の世界情勢という視点から、秀吉外交に再考を迫った新説と言える。 なお、宣教師が本国とやりとりした史料には、徳川家康は「Rey(国王)」ではなく、「Emperador(皇帝)」、日本は「Imperio(帝国)」と記されていて、当時、欧州で皇帝を称したのは神聖ローマ帝国の統治者のみで、英国もフランスも一格下の王国に過ぎず、一方、家康は神聖ローマ皇帝と同格で、各地の大名が国王格(たとえば伊達政宗は「奥州の王」)だった。 当時の世界の動きの視点から見た新しい日本史だね。
2018.06.26
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私:パルムドールを受賞して以降、SNS上で「文化庁の補助金を受け取っていながら、日本の恥部を描く反日映画を作った」と攻撃されたり、政府の「祝意」を受けることを是枝監督が「公権力とは距離を保つ」と断ったりした。 そんなニュースをマスメディアが拡散することで、映画の知名度が大きく広がった。 是枝監督は、「芸術への助成を“国の施し”と考える風潮は映画に限ったことじゃない。大学の科研費もそうだし、生活保護世帯への攻撃も同じです。本来、国民の権利のはずですよね。今回、政府の補助金がどうあるべきかが可視化されたことが一つの成果だと思っています」という。 A氏:また、監督は、「補助金をもらって政府を批判するのは真っ当な態度なんだ、という欧州的な価値観を日本にも定着させたい。いま、僕みたいなことをしたら、たたかれることは分かっています。でも、振る舞いとして続けていかないと。公金を入れると公権力に従わねばならない、ということになったら、文化は死にますよ」という。 私:そして、さらに監督は「東京・目黒で少女の虐待死がありました。あの両親は断罪されるでしょう。しかし例えば独りで子育てしている母親は『一歩間違えたら自分も……』と思う時があるんじゃないか。新幹線の殺傷事件もそう。セキュリティーチェックを強化せよという話というよりも、人々を極限まで追い込まないためのセーフティネットを充実させることでしか、こうした犯罪は軽減出来ません」という。 A氏:SNSが浸透した現代社会では、意見を同じくする人たちにしか響かない言葉ばかりが勢いよく飛び交っているが、意見を異にする人たちに伝えるにはどうすればよいか、監督は「僕は意図的に長い文章を書いています。これは冗談で言っていたんだけど、ツイッターを140字以内ではなく、140字以上でないと送信出来なくすればいいんじゃないか(笑)。短い言葉で『クソ』とか発信しても、そこからは何も生まれない。文章を長くすれば、もう少し考えて書くんじゃないか。字数って大事なんですよ」という。 是枝監督は以前から、現代のメディアが陥りがちな「分かりやすさ至上主義」に警鐘を鳴らしていて、彼の映画も、説明しすぎないことが特徴になっている。 監督は「だって、世の中って分かりやすくないよね。分かりやすく語ることが重要ではない。むしろ、一見分かりやすいことが実は分かりにくいんだ、ということを伝えていかねばならない。僕はそう思っています」といいう。 私:是枝監督の著書「万引き家族」については、23日の「書評」欄に美術家・横尾忠則氏の書評がある。 小説や映画の中に描かれている家族を本物だと信じようとしているが、最初から家族は崩壊しているということを隠蔽したうえでの約束事。 つぎはぎだらけの家族を修復しながら、さもここに幸福があると小説や映画は語るが、現実を虚構化して現実の家族から逃避しながら、道徳や倫理をふりかざし、真実から目を逸らすのであると横尾氏はいう。 そして、本書はそんなニセ家族を見事に解体してくれ、そして本物の生き方を示そうとしたという。 本書の前半は現実を幻想のように生きる姿が描かれるが、後半になるに従って小さな傷口〈亀裂〉が開き始め、その傷を必死にふさごうと、家族は思いっきり幸福と平和を擬態する。 A氏:そして解体された家族はひとりひとりが強烈な感傷と対峙しながら、傷を負った魂と化して自己救済の旅に立とうとする。 人間の悟性がこれほどまでにニヒリスティックに造形された物語は知らないと横尾氏はいう。 うそ偽りのヒューマニスティックな〈家族〉は、この「万引き家族」によって封印されたという。 私:東京・目黒で少女の虐待死にふれ、独りで子育てしている母親は「一歩間違えたら自分も……」と思う時があるんじゃないかという是枝監督の言葉の意味は深いね。
2018.06.25
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私:横浜国立大が、来年度から法科大学院の学生募集をやめると表明。 これで、県内にできた四つの法科大学院がすべて募集を停止することになった。 横浜国立大が法科大学院を設置したのは2004年4月。 設置当初は人気が高く、04年度入学者の選抜では志願者が970人(定員50人)に達したが、今年度入学者の選抜では志願者は33人(同25人)にとどまり、入学者も9人のみ。 A氏:文科省によると、全国的に法科大学院は07年度の74校をピークに減少が続き、これまでに全国で計38校が廃止または募集停止を表明。 神奈川県内では関東学院大、神奈川大に続き、昨年5月に桐蔭横浜大が募集停止を発表。 最後に残っていたのが横浜国立大だった。 私:撤退が続出した背景には、政府の法曹需要の予測がはずれたことや、司法試験をめぐる制度の改正などがある。 まず、法曹需要だが、裁判所が受理した事件数は、17年は約360万件と、04年比で約4割減少し、訴訟の数からみれば、法曹需要は伸びていない。 制度からみると、11年には、法科大学院を修了しなくても司法試験の受験資格を得られる「予備試験」制度が始まった。 この制度で、直近の司法試験では合格者の約2割を占め、法科大学院に通う時間と費用を節約するルートとなっている。 A氏:また、補助金問題もある。 15年度には、文科省が司法試験の合格率などによって各校への補助金を削減する制度を導入した。 18年度の横浜国立大が法科大学院の補助金は、入学者数の低迷もあり、基準額から4割減額されている。 私:法科大学院支援委員会の高岡俊之副委員長は「試験や補助金の制度変更がマイナスにはたらいた。法曹需要の読み誤りで弁護士の就職先が減ってきていることも、法科大学院の魅力を減少させている現状がある」と指摘。 2004年4月に横浜国立大が法科大学院設置以来、地元弁護士会から講師を受け入れるなどして「地域連携型」の法科大学院をうたい、169人の司法試験合格者を出し、大学によると、うち51人が県内を拠点に弁護士として活動しているというが、横浜国立大の法科大学院撤退で、このような地域の活性化も減退することになるのだろうか。
2018.06.24
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私:日本の「医療の地域格差」というから、大都市とへき地という旧来型の図式の問題かと思ったら全然違うんだね。 人口10万人当たりの医師数で比較すると埼玉県が全国最低の160・1人で、全国平均の240・1人を大きく下回っている。 47都道府県別で見ると、茨城県(下から2位)、千葉県(下から3位)、神奈川県(下から9位)といった東京のベッドタウンを抱える地域も埼玉県と同じような状況。 名古屋圏や関西圏でも一部似た地域がある。 1位は、なんと徳島県。 A氏:この問題で、伊関友伸氏は、なぜ、この格差が生まれたのかを説明し、武藤真祐氏はその解決方法を提案している。 まず、ベッドタウンに共通するのは昭和の高度経済成長を支えた団塊世代が集中して暮らす地域であること。 俺の住む横浜市など、山林や田畑中心の広大な戸塚区に一挙に民族移動のように大手デベロッパーによる住宅地が開発され、行政も人口増で戸塚区は栄区という新しい区を作って対応したくらいだ。 これから「2025年問題」と言われ、この世代の高齢化に伴い、医療や介護の需要が爆発的に増えていく時代に入る。 私:医師の視点から見ると、医療行為をするには医師免許が必要だが、裏を返せば医師免許があれば、どこに勤務しても、どのような診療科を標榜しても個人の自由。 医師偏在の是正策が検討される際、議論になるのが、憲法の職業選択の自由で、勤務地や診療科を医師個人の意思でなく、強制的に決められることへの抵抗感が強いことだ。 2004年に導入された新医師臨床研修制度では、医師免許取得後の2年間、内科、外科、小児科などで研修し、研修する病院は本人の希望で決まるため、大学病院の医局に所属する医師が減り、地域への医師供給機能が大幅に低下。 A氏:医師の偏在は、地域における医療提供力の格差を生み、16年の119番による救急の覚知から、病院などに収容されるまでの平均時間は、東京都が50・6分、千葉県が44・1分、埼玉県が43・6分に対し、福岡県は30・7分。 また、医療機関の病床数も西日本は、東日本に比べて多く、日本は国民皆保険制度だが、暮らす地域によって格差が生じているのが現実。 今、医師の働き方が問題となっていて、長時間労働を是正していくと、地域や医療機関によっては、今までのような医療を提供できなくなる可能性がある。 とはいえ、無理に若手医師に医師不足の地域への勤務を求めても、医師の士気は下がるだけで、伊関氏は、格差是正には、自治体や住民も変わる必要があり、都道府県に策定が義務づけられている地域医療計画を基礎自治体である市区町村でも作るべきだと考えているという。 私:解決策として、在宅の患者さんを往診するクリニックを、都内4カ所と宮城県石巻市で運営し、またシンガポールでは、在宅医療サービスと、それを支えるためのICT(情報通信技術)やAI(人工知能)の企業を経営している武藤真祐氏は、医師や看護師、介護スタッフなど、チームで医療を支えるのが大切だと考えているという。 シンガポールでは政府が国民に医療用IDを割り振り、公立病院の電子カルテは共有されていて、患者が症状に応じて複数の病院を掛け持ちしても、検査や投薬の無駄な重複を防げているから、日本でも、病院間で情報共有した上で、地域の病院同士で受け持つ診療科を分担し、一つの病院に特定の診療科の医師と患者が集まれば、治療レベルは高くなり、患者にとっても安心で、医師も成長できると、武藤氏はいう。 A氏:限られた医師と病院で地域医療を回していくには、ICTやAIの利用が不可欠だね。 日ごろからセンサーなどを使って患者の体の状態をモニタリングできれば、病院との距離にかかわらず早めに医師や看護師が適切な助言や対応をすることができ、重症化を防げ、慢性疾患のほか、脳梗塞や心筋梗塞の予防のために高血圧をコントロールするのにも役立つ。 入院や再入院を減らす取り組みが重要だと武藤氏はいう。 また、武藤氏は、「高齢者の増加や財政を踏まえれば、現在のような低負担で高品質を求める医療はいつまでも続きません。選択と集中の時代です。医療に何を期待して、何を我慢するのかは、国民のコンセンサスが必要です。医療の地域格差はなくならないとしても、無駄をなくし、少ない医師や病院で対応できるようにしていく――。そうすれば格差は思ったほど問題にならなくなるでしょう。そんな発想の転換が必要だと思います」という。 団塊世代の高齢化を迎える2025年問題対策に、これから発想の転換ができるか勝負だね。 大きな宿題だね。
2018.06.23
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私:永守重信氏は、日本電産の創業者で会長兼社長。 永守氏は「新聞をはじめメディアで『働き方改革』のニュースを目にしない日はない。だが、働き方改革は生産性の向上や、そのための投資や税制、女性の活躍などさまざまな面があり、企業経営と政策の組み合わせで論じるべきだが、メディアの報道からは見えてこない」という。 A氏:君も「働き方改革」のマスコミの扱いが、残業時間や過労死問題に集中していて、中心となるべき生産性の向上にあまりふれていないことを指摘していたね。 永守氏は、社員には残業ゼロが目的ではなく、あくまで生産性を2倍にするんだと説明した。 減った残業代の半分はボーナスに上乗せし、残り半分は生産性を上げるために英会話や管理職の研修に振り向けている。 英会話ができないと、外国人との商談に通訳を連れていくので、2人で1人分の仕事をすることになり、生産性が半分になってしまう。 管理職は部下を野放しにせず、仕事の内容や量を見て、残業が必要なのかどうかを見極めないといけない。 私:永守氏は、「英会話が重要なのは、ドイツを見ればよく分かる。当社が工場を持つ国では、ドイツのグループ会社が最も生産性が高い。平均しても『日本の2倍』だ。にもかかわらず、まったく残業しない。しかも、夏休みは1カ月ある。それでも業績がいいのは、一つには英会話ができるからだ。ヨーロッパの非英語圏ではドイツは最も英語ができると思う」という。 永守氏が28年前、ドイツに行ったとき、英語を話せる人は少なかったが、その後、状況が大きく変わり、ドイツ国内産業が国際競争に負け、残った自動車と工作機械を世界中で売るには、ビジネスでの共通語である英語が欠かせないと国を挙げて英会話を身につけさせた。 それが、「働き方改革」だね。 だから、日本も英語を話せるような教育をすべきだと永守氏はいう。 A氏:日本電産では、生産性を上げるため、2016~20年に1千億円を投資。 工場で自動化するための設備投資や、在宅勤務の社員がテレビ会議に出るためのカメラ付きのパソコンへの買い替え、研究所の古い分析装置も新型にした。 それでも16、17年度は増収増益で最高益を更新。 永守氏は、「『働き方改革』は経営そのもので、企業経営を抜きに制度づくりは語れないはずだ。政府やメディアには『働き方改革』と企業経営の双方を見据えた議論をしてもらいたい」という。 私:その通りだね。 22日の朝日新聞で、「医療現場も働き方改革 研修医自殺・新潟の病院、長時間労働是正」という見出しで「働き方改革」を報じているが、やはり、生産性向上でなく、残業時間抑止だ。 医療の専門家は、「医師の労働時間を短くするだけでは、夜間に患者を診る医師が不足して地域医療が破綻する」と訴えるという。 生産性を向上しないで、残業時間を減らそうとするからだね。 順序が逆だね。 A氏:同日の朝日新聞の経済面では「食材加工、ロボットお任せ 技術進化・人手不足で普及」という見出しで、自動車や電機の工場で一般的な産業用ロボットが、食材の加工現場にも広がってきたと報じている。 技術の進化と人手の不足が普及を後押ししているとしているが、ロボットはホタテ殻開け、1分96枚と手慣れた従業員11人分の働きという。 ジャガイモから有毒の芽を取り除くロボットも現れ、イモを回転させながら芽の位置を把握し、正確に削り取り、1個あたりの作業時間はわずか2秒。 単純労働をロボットに任せれば、限られた人手を付加価値の高い仕事に回せる。 日本ロボット工業会によると、産業用ロボットの2017年の国内での出荷先は半導体などの電気機械が4割、自動車が3割を占め、食料品分野は2%にとどまっており、この分野へのロボット投資効果が経営的にみて期待されるね。 私:永守氏の言うように、残業時間問題でなく、こういう本格的な生産性向上による「働き方改革」を中心にマスコミはとりあげるべきだね。
2018.06.22
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私:このコラムのタイトルの「見る 聞く 言う」は、インドのモディ首相が安倍首相に贈った白い大理石製の「『見る 聞く 言う』の三猿」を指す。 しかし、コラムの中身はインドから始まる国際情勢。 「成功するには日本をしゃべらせ、インドを黙らせる」という国際会議にまつわる伝説があり、日本でも雄弁な政治家や官僚は増えたと聞くが、かつては主張の弱さで知られた。 逆に、問われなくても激しく意見を述べ、まとまりかけた議論を揺さぶるのがインド。 誇張が混じるとはいえ、インドは自分は他者とは異なる前提で独立した意見を述べあう社会で、十数億人がひしめくなか、その多様性がインドという国家をつくっていると、吉岡氏はいう。 A氏:しかし、18日のブログ「インドの教科書、消された偉人 モディ政権、強まる排外意識」でふれたように歴史を書き換えまでして、ヒンズー教独裁国家に進んでいるのは多様性国家が変質しつつあるようだね。 私:台頭する中国と向き合うため、日本にとってインドの重要性が高まっていて、米国とともに「自由で開かれたインド太平洋戦略」を掲げ、関係を強化している。 インドも国境紛争を抱えるうえ、スリランカ、モルディブ、パキスタンと周囲の港の整備を続ける中国を警戒する。 習近平政権の対外戦略「一帯一路」にも冷たく、中国政府の情報収集の拠点とみて、中国が世界に展開する中国語などの教育機関「孔子学院」の設置にも消極的。 中国が主導して設立したアジアインフラ投資銀行(AIIB)は来週、3回目の年次総会をインドの商都ムンバイで開くが、中国研究で知られるネール大学のコンダパリ教授は「中国に地域をハイジャックされないために加盟したのだ」という。 自らもメンバーの組織がかかわれば、情報も得られるし、誘導もできる。 日米は入らなかったが、インドの出資比率は中国につぐ2番目で、副総裁のイスにも座る。 中国がAIIBを国際機関として育てるなら地域の大国インド抜きはありえない。 米国との摩擦が強まるなか、インドとの関係は重みを増し、その足元を見ながら、カネを出すなら口も出すで、審査中も含めると全45件のうち、12件がインドでの事業。 A氏:歴史的な南北首脳会談が開かれた4月27日の約1カ月後、インドのモディ氏はシンガポールで開かれた国際会議の演説で、「インドと中国の協力がアジアや世界のより良い将来につながる」と中国を刺激しない言葉を選んだ。 対中牽制を期待していた日本政府の関係者は拍子抜けしたようだったが、地域の重心がインド洋へ移ることを心配する東南アジアの国々への配慮でもあり、中国とXXのどっちをとるかという踏み絵を嫌う彼らとうまく付き合うため。 私:ところで、トランプ米大統領の「暴言」に揺さぶられた6月上旬のG7。 タイの英字紙ネーションの風刺漫画では、メルケル独首相が「トランプ」赤ちゃんを必死にあやすが、おしっこをひっかけられていて、開催国カナダ、英仏の首脳が見守るが、なんと、イタリアと日本の首相の姿がない。 吉岡氏は、「正しい描写かどうかは別にして、今の日本のアジアにおけるイメージの一面だ。誰かの『腹話術』に聞こえたら、耳をそばだてるべきは後ろにいる人の言葉だ。インドほどでなくとも、身も心もどこかの国と、誰かと、一心同体はありえない。かの人の『暴言』の連投は、自らの言葉を取り戻す好機なのかもしれない」という。 かの人の「暴言」の連投とは、トランプ大統領のこと。 トランプ米政権は19日、国連人権理事会からの脱退を表明したね。 これも「暴言」の一つか、日本はどう対応するのか。
2018.06.21
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私:インターネット草創期は、わずかな人々に使われていた頃から、自由で開放的であるべきだという考えが根本にあったが、一方で米政府は、早くからネットから情報を取ろうとした。 しかし、スノーデン事件で米政府が大量の通信記録を集めていたことが暴露された後、批判を受けて「米国自由法」が制定され、政府によるネットの監視活動はある程度制限された。 逆に英国では、秘密裏にIT企業に広範な協力を求めるようになり、他国でも、政府がIT企業を通じて行う情報収集を合法化する動きが出ているという。 A氏:中国では、政府による監視を前面に出し、国民が悪さをしないよう抑える戦略をとっていて、中国でグーグルの検索が利用できた当時、禁止用語を打ち込むと一時的に使えなくなった。 監視されていることを国民に意識させるためで、欧米のようなひそかな情報収集とは違うという。 多くの中国人はプライバシーを政府に渡すことに嫌悪感を抱かない。 「ネット管理」は、技術的な問題よりもプライバシーに対する各国の考え方や文化が反映される。 米国では、インターネットは自由な言論空間であるべきだと考え、政府の干渉を嫌ってきた歴史があるが、一方、欧州連合(EU)は企業が個人情報をどれだけ持っているかを気にして、我々のルールに従わなければ域内で商売させない、という姿勢。 私:オブライエン氏は、「異なる価値観が台頭し、インターネットの世界は過渡期にある。今後、どの形の規制が普及するかは、各国がどの文化をモデルにして、どういう価値観を求めるかによるだろう」という。 フェイスブック(FB)の個人情報流出問題が起きたが、これは、誰の個人情報が流出してどう使われ、どんな結果を招いたかまで見えた非常にまれな例。 さらにこの情報が米大統領選でトランプ陣営に利用された点も怒りを買った。 多くの人は、個人情報を守ろうにも、なすすべがないと感じ、どこか気持ち悪いと思いながらFBを使い続けたのは、どうしたら状況を変えられるのかわからなかったから。 ネットは個人に等しく力を与えるはずだったのに、大企業が巨大な力を持ってしまい、FB問題はこの不均衡を是正する機会だと、オブライエン氏はいう。 他国でも今までは米国のIT企業を通じて価値観が浸透し、米国のやり方に合わせてきたが、それも変わるかもしれないという。 A氏:EUでは5月から「一般データ保護規則(GDPR)」が施行。 これは、企業や団体が欧州域外に個人情報を持ち出すことは原則として禁止で、対象は名前や住所、メールアドレスのほか、ネットを通じた商品購入記録まで幅広く、違反すると高額の制裁金が科される可能性がある。 欧州連合28カ国にノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインを加えた欧州経済領域で5月25日から導入。 これが、EU外でモデルになる可能性はあるが、懸念があるとすれば、かなりあいまいな言葉で書かれているところで、今後、EUの規制当局がプライバシー保護の名のもとに、ネットを管理し始める可能性は否定できなく、プライバシーだけでなく、言論の自由など他の権利も尊重する必要があり、バランスが求められると、オブライエン氏は指摘する。 私:中国型の管理(チャイナスタンダード)が世界に広まる可能性については、オブライエン氏は、「GDPRは他国からもいい規制だという声が多くあるが、中国に対して前向きな反応がほとんどないところを見ると、他地域に広がる可能性はまずないだろう。ただ、それぞれの国がどの方向へ動いていくのか注視していく必要がある」という。 「価値観の過渡期」とはそういう意味だろう。
2018.06.20
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私:俺がこないだ図書館から、本を借りたとき、本に「紙切れ」がはさんであった。 「紙切れ」には数箇所、書き込みがあると書いてあった。 図書館の貸出し担当者は、俺が本を返すときには、この「紙切れ」を忘れずに挟んでくれという。 A氏:要するに君が書き込みをしたのではないと立証できるというわけだ。 私:全国の図書館で、本がなくなったり、傷つけられたりするケースが後を絶たないということで、今週の「ニュースQ3」欄ではこの問題をとりあげているね。 九州大学の例から取りあげている。 福岡市西区にある九大の学生寮で3月下旬、清掃担当者がごみ袋に入った書籍計78冊を見つけた。 大半が「演習物理」「量子力学」といった理系の本で、いずれも行方不明になっていた付属図書館の蔵書で、うち36冊は裁断機のようなものですべてのページが切り取られ、背表紙だけになっていて、被害総額は約10万円。 宮本一夫・付属図書館長は「本は悲惨なダメージを受けている。倫理観のなさを危惧する」と嘆く。 A氏:原因は学生らに「自炊」と呼ばれている行為で、書籍を一ページずつ分解してスキャナーで取り込み、電子データ化する行為。 検索しやすく、かさばらないため利用者が増えているが、著作権法上、私的な利用に限られ、図書館の蔵書を勝手に裁断するのは論外。 電子犯罪に詳しい紀藤正樹弁護士は「自炊」について、「本そのものに価値を見いだしておらず、裁断にはちゅうちょしないのだろう」として「図書館のいまのセキュリティーでは、本の持ち出しを完全に防ぐのは難しいのでは」という。 私:多くの図書館には、ブックディテクションシステム(盗難防止装置)が導入されていて、本の裏表紙などに貼られた特殊なテープやICタグが、出入り口のゲートに反応すると、ブザー音が鳴る仕組み。 九大の図書館でもテープを貼っていたが、見つかった本はすべてはぎ取られていた。 私:蔵書の持ち出しには、多くの図書館が頭を悩ませてきており、東京都町田市の市立中央図書館は、1990年の開館から5年間で約6万7千冊が所在不明。 だが、盗難防止装置を導入すると、50分の1ほどに減ったという。 図書館の蔵書の「不明率」を調べたことのある筑波大学の歳森敦教授(図書館情報学)は「装置には一定の抑止効果はある」という。 それでも、その後も館内に置いてある雑誌や新聞の一部が切り取られる被害が全国的に多発。 A氏:東京都内の図書館では2013~14年、300冊以上の「アンネの日記」や関連書籍が破られる被害があり、昨年は郷土誌や記念誌が切り取られたり、破られたりする被害も各地で相次いだ。 モラル頼みの公共財をめぐり、不届き者とのいたちごっこが続く。 私:日本図書館協会理事で、福岡女子短大の永利和則特任教授(図書館学)は、利用者の良心に訴えかけるべきだと説き、有効な手立てとして、「『持ち出し厳禁』の貼り紙より、むしろ、『持ち出さないで』と声をかけることが実は有効。蔵書が被害にあっていることを館側が把握していると分からせることが抑止につながる」という。 しかし、出入りの多い図書館では、声掛けのタイミングがむずかしいね。 俺の利用している市立図書館では、ときどき、切り取った頁のある本など、被害のあった多くの本を展示し、訴えているね。 効果があるのかわからないが、図書館はなくなった図書数や、被害にあった図書数を定期的に大きく公表すべきだね。
2018.06.19
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私:インド西部ラジャスタン州で一昨年、公立校の社会科教科書から「初代首相ネール」の記述が削除され、「建国の父、ガンジーの暗殺」も触れられていないという。 「ガンジー」と「ネール」は、モディ氏率いる与党インド人民党のライバル政党、国民会議派のメンバーだったかららしい。 人民党の支持母体でモディ氏の出身団体でもある「民族義勇団(RSS)」は、「ヒンドゥー教の伝統によるインド社会の統合」を目指す。 モディ氏自身は表立ってガンジーを批判しないものの、RSSは「ガンジーもネールもイスラム教徒に弱腰でヒンドゥー教徒を苦しめた」と非難する。 A氏:一方、教科書に書き加えられたのはRSSの思想に影響を与えたサーバルカル。 「ヒンドゥー教国家」を唱え、ガンジー暗殺への関与が疑われた人物。 14年に国内紙が実施した世論調査では、教科書書き換えへの支持が69%に上った。 私:世界遺産にも歴史書き換えの波は押し寄せる。 ウッタルプラデシュ州は昨年つくった観光ガイドブックに「タージマハル」を載せなかった。 17世紀、イスラム系ムガール帝国の皇帝シャー・ジャハーンが先立った妻のために建てた墓だからだ。 ヒンドゥー僧侶出身で人民党のヨギ州首相の影響が取りざたされる。 ヨギ氏は「(侵略者が建てた)「タージマハル」はインド文化を代表するものではない」と発言したことがある。 ヒンドゥー至上主義の浸透にイスラム教徒は不安を隠せない。 政府系のマイノリティー委員会のザフルル・カーン委員長は「モディ政権はヒンドゥー教徒こそ『本来のインド人』で、イスラム教徒や少数派を『よそ者』と位置づけている」と指摘する。 A氏:国民約13億人のうちヒンドゥー教徒が約80%を占め、これに対し15%ほどのイスラム教徒は有力な全国政党を持たず、国民会議派を支持する傾向が強い。 モディ氏が首相に躍り出た14年の総選挙で人民党は第2党の会議派に大差をつけ圧勝。 デリー大学のサンジャイ・スリバスタバ教授(社会学)は「モディ氏は古代インドの優越性を強調してヒンドゥー教徒の誇りを刺激する。これを世界でのインドの存在感の向上や経済成長などが後押ししている」とみる。 インド憲法はすべての宗教を平等に扱う「世俗国家」を掲げるが、人民党にはこれを削除すべきだと公言する閣僚がいて、教科書の書き換えは、その地ならしとも指摘される。 私:危機感は歴史家にも広がり、歴史教科書の執筆に携わってきたアルジュン・デブ氏は、政府の歴史書編纂事業の責任者だったが、第1巻は出版したが、モディ政権発足後の15年に原稿を仕上げた第2巻は出版を差し止められている。 独立運動でのヒンドゥー至上主義者への言及が少ないのが理由らしい。 デブ氏は、「今の動きは、ゲルマン民族の優秀さを歴史から強調し、ユダヤ人を迫害したナチスと重なってみえる」と警告する。 ヒンドゥー教徒が多数とはいえ、過去の歴史的事実を書き換えるとはね。 インドは独裁色の強い国家になりつつあるね。 発展国の独裁色が強いのは、「独自の統治モデルを意識、『Gゼロ』世界、中国の好機 識者に聞く」のブログでふれた一種のチャイナ・スタンダード化かね。 中国も歴史を書き変えているね。
2018.06.18
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私:台湾からの旅行客をきっかけに麻疹(はしか)が流行し、6月までの患者数は160人を超えたが、これがきっかけで、日本は国際的には「ワクチン後進国」と呼ばれていることがオープンになった。 「おたふく風邪」ワクチンを導入していない国は日本、北朝鮮、東南アジア、インド、アフリカ諸国で、先進国日本の遅れが際立っているね。 A氏:日米のワクチン定期接種導入を比較すると、破傷風で51年遅れ、麻疹で15年遅れ、Hib (インフルエンザ菌b型)感染症で26年遅れ、水痘19年遅れ、ロタウイルス感染症7年遅れ。 私:中山哲夫氏は、日本は接種方法の改善や導入時期が遅れる「ワクチンギャップ」が長らく指摘されてきて、例えば、欧米では80年代後半以降に開発されたワクチンにより、Hib(ヒブ)(インフルエンザ菌b型)や肺炎球菌による子どもの死亡はすっかり見られなくなった。 一方、日本が両ワクチンを定期接種にしたのは13年で、それまでに何人もが亡くなったといい、「『ワクチンギャップ』の実体は、政策ギャップです。日本政府には感染症をワクチンで予防するという確たる方針がなかったのです」という。 日本のワクチン開発は80年代まで、それほど遅れてはいなかったが、70年代以降、天然痘ワクチン後の脳炎など、予防摂取後の死亡や障害が社会問題になり、国がその責任や補償をめぐり争ったため、各地で集団訴訟が相次ぎ裁判は長期化。 国に損害賠償を命じた92年の東京高裁判決などで決着したが、国は予防接種に消極的になり、ワクチン政策は約20年間止まる。 多くのメディアが被害者の悲惨な状況を報道したこともあって、子どもにワクチンを受けさせないという考えも広がった。 A氏:中山氏は、「ワクチンは国に導入の意思がなければ開発が進みません。政府は開発のみならず、海外から導入することもしませんでした。防げる感染症を防ごうとしなかった厚生行政の責任は重いのです」と指摘する。 欧米では感染症の発生動向を監視し対策を講じるという政府の戦略が明確だが、日本はその姿勢が貧弱。 例えば「おたふく風邪」は90年ごろ、ワクチンによる無菌性髄膜炎の副反応が問題となり、自己負担で受ける任意接種になったが、その結果、接種率が下がり、15、16年の2年間で少なくとも348人が「おたふく風邪」による難聴になった。 これは国の調査ではなく、日本耳鼻咽喉科学会による調査で明らかになった。 「おたふく風邪」ワクチンが定期接種となっていないのは、先進国では日本ぐらい。 私:ワクチンは開発、導入されたら終わりでなく、海外でも導入後に想定外の副反応が多発して中止になったワクチンがあり、重い感染症でもワクチンの効果で患者数が減ると、副反応対策の重みが増す。 そうした状況を常に注視し、根拠に基づいた対策を進めることが重要だと中山氏は指摘する。 A氏:矢野晴美氏は、ワクチンには圧倒的なメリットがあるが、残念ながら、一定の割合で副反応は出るという。 日本では救済のハードルが非常に高い印象があるが、手厚く救済すべきで、定期接種と任意接種で救済制度が違うのも問題だという。 米国では幼稚園から大学まで、それぞれ入学時に予防接種のチェックがあり、宗教上の理由やアレルギーなどがない限り、接種するが、メリットや副反応について、専門家が中学生にもわかるような言葉やイラストで伝えることにも熱心。 日本では予防接種のチェックが弱く、接種の意義も十分に浸透していない。 矢野氏は、医学部を卒業後、米国で感染症を学び、2000年に一時帰国して日米の違いに驚いたという。 早速、医療関係者のメーリングリストを作り、先進国の対策について情報を共有し、新型インフルエンザ対策の発生を経て国の意識も変わり、「ワクチンギャップ」は小児を中心にかなり解消されたが、現場をみると課題が残っていると、矢野氏はいう。 例えば、人間ドックや会社の健康診断の血液検査で麻疹、風疹、「おたふく風邪」、水ぼうそうの抗体を調べ、陰性ならば、予防接種費用の補助の提案を矢野氏はしている。 私:矢野氏は、理想を言えば、定期と任意の区別をなくして、小児、思春期、成人、高齢者のそれぞれで国が推奨する標準のワクチンが費用負担なしで打てるようになればという。 また、破傷風・ジフテリア・百日ぜきを含む混合ワクチンは現在、小児で定期接種しているが、67年生まれ以前は定期接種でなかったため、毎年100人前後の破傷風患者が出ている。 元気な人が突然亡くなったり、集中治療室で数カ月過ごしたりする。 こうしたことを分析しワクチン政策に組み込むには、日本は疫学の専門家がまだ足りない。 米国で麻疹は1回接種では不十分と気づいたのも、疫学調査で組織的にデータを集め解析した結果で、日本も人を育ててはいるが、感染の動向を監視するサーベイランスをさらに充実させる必要があり、予防にもっと重心を移し、当たり前のワクチンを当たり前に接種できるようにすべきだという。 A氏:一方で定期接種が増え、小児では小学校に入るまでに10種類近いワクチンを複数回、打たなければならず、予防接種法が、打ち方などを細かく決めすぎているとの批判もあり、法改正なしに対応できる部分もあるが、同時接種や混合ワクチンをより積極的に取り入れて、負担を軽くすることも大事だと矢野氏はいう。 WHOが途上国も含めて全員接種を勧めるB型肝炎ワクチンも、日本は、世界に大きく遅れてようやく小児の定期接種が始まったが、肝炎や肝がんを減らすために成人にも広げるべきだという。 矢野氏は「感染症は海外から入ってくる前提で考えなければいけません。その予防は医療の枠組みだけでは不十分です。東京五輪を控え、海外から多くの人が来日します。市民に自分のからだや健康への関心を高めてもらう工夫が急務です」という。 東京五輪を控え、「ワクチンギャップ」は至急に埋めるべきだね。
2018.06.17
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私:2005年4月25日の福知山線の大事故で、妻と妹を失い、娘も重傷を負った、淺野弥三一氏のJR西日本との闘いを追うノンフィクション。 淺野氏は、新社長に就任した山崎正夫氏が、想定問答を読むだけの旧経営陣とは違い自分の言葉で語る人間とみて「責任追及はこの際、横に置く。(再発防止を)一緒にやらないか」と声をかけ、このひとことが、加害企業と被害者が同じテーブルにつき事故原因について話し合う前例のない試みにつながっていく。 A氏:やがてJR西日本の対応にも変化が表れ、事故原因は現場の力量不足とする旧来の考え方から、さまざまな要因がからんだ組織事故だという認識に変わっていった。 ヒューマンエラーが起こることは避けられないが、それを組織やシステム、ハードによってカバーする仕組みが出来上がっていく。 評者の宮田珠己氏は、「それは大きな成果といえるが、遺族がそこまで踏み込まなければならないのかとの思いは残る。それを責務とするのは、遺族にとってあまりに荷が重いと感じた」という。 私:丁寧な取材で問題点を浮き彫りにする本書の筆致は圧巻だが、なかでも白眉は、JR西日本の「天皇」と呼ばれ、事故当時は相談役だった井手正敬氏へのインタビュー。 あくまで運転士個人の責任と言い張る井手氏。 はたから見ればその考え方にこそ事故の根っこがあると言いたくなる部分だが、本人がこの発言を本書に載せても構わないと言い切るところに、溝の深さがあらわになる。 井手相談役には、自動車産業で常識になっている「ポカヨケ」装置の意味は理解できなかったろうね。 評者の宮田珠己氏は、「自らの振る舞いを根源的に検証することの難しさ。今も日本社会を覆う理不尽な雲の正体を垣間見た気がした」という。 A氏:事実、その後、JR西日本の「安全軽視」の体質は変わらないようだ。 一昨日の14日午後2時5分ごろ、のぞみ176号の運転士は博多―小倉間を走行中の「ドン」という衝突音を聞いたが、東京の指令所に報告しなかった。 マニュアルでは走行中に動物と衝突するなどして異音がした場合、安全上、指令所に報告するよう定めているが、守られなかった。 私:のぞみでは昨年12月、車掌らが異常を感じながら走らせ続けた台車亀裂問題が起きたばかりで、また、繰り返された。 鉄道の運転士の経験がある金沢工業大学の永瀬和彦客員教授(鉄道システム工学)は「運転時に異変を感じれば、指令に判断を仰ぐか、ただちに運行を止めて安全確認をすることが当然だ。昨年(12月)以降、JR西日本では躊躇なく停止することは改めて厳しく指導されているはずだ。なぜできなかったのか」という。 先頭車両があれほど損傷している状態で時速300キロ近い速度で運転すれば、損傷部分が落下し、重大な事故が起こっていた可能性もある。 A氏:昨年12月の台車亀裂問題の有識者会議で座長を務めた関西大学の安部誠治教授(交通政策論)は、「JR西日本が安全意識を転換させたのは間違いないと思うが、隅々の社員まで浸透していなかったのではないか。安全性向上のため、今回の事故の丁寧な検証が必要だ」という。 私:JR西日本では、2005年4月25日の福知山線事故で死者107人、負傷者562人を出した大惨事の教訓は、13年経ってもまだ生かされていないね。 1930年代、アメリカのハインリッヒ氏が労災事故の発生確率を調査し、「1:29:300の法則」を見出した。 これは、1件の重大事故の背景には、29件の軽い事故と、300件の傷害にいたらない事故(ヒヤリ・ハット)があるというもので「ハインリッヒの法則」という有名な経験則があるが、これは、「ヒヤリ・ハット」段階での防止体制がしっかりしていれば、重大事故は防止できるという教訓。 昨年の台車亀裂問題、今回の先頭車両の損傷問題で「ヒヤリ・ハット」を軽視しているJR西日本は、ハインリッヒの法則を学んでおらず、重大事故が予想される。
2018.06.16
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私:現政権において、「イノベーション」は非常に重視されており、「第三の矢」とされる「成長戦略」においては、中心的な役割が与えられてきた。 「イノベーション」の過程やメカニズムについての学術的研究もなされてきたが、その結果、「イノベーション」を管理するための知識も、ある程度は蓄積されてきたが、社会に強いインパクトを与えるような「イノベーション」の多くは不連続的な現象であって、事前の計画や設計ができる類いのものではないことも分かってきた。 A氏:真に影響力の大きい「イノベーション」は少数のパイオニア、時には狂信的ともいえるような情熱を持った人たちが、世間の冷たい視線にもめげず努力を続け、そしてついに成果を世に示す日が来る。 人々は驚愕し、世界が変わるというストーリーは当然、計画や設計にはなじまない。 私:ところが、そんな「イノベーション」を日本政府が計画や設計をし、促進していることで、神里達博氏は視点を政府の政策を分析している。 政府は、90年代半ばから5年ごとに「科学技術基本計画」を策定し、科学技術政策を長期的視野で進める仕組みを設けている。 その4期目にあたる2011年の「基本計画」では、「自然科学のみならず、人文科学や社会科学の視点も取り入れ、科学技術政策に加えて、関連する『イノベーション』政策も幅広く対象に含めて、その一体的な推進を図っていくことが不可欠」とし、これを「科学技術イノベーション政策」と位置づけた。 本来、科学技術政策と産業政策は別ものだが、最近は産業政策、特に「イノベーション」政策の手段のように科学技術政策が位置づけられる。 実際、政府の科学技術政策の司令塔「総合科学技術会議」(CSTP)」は、14年の内閣府設置法改正により「総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)」に名称変更。 A氏:加えて、閣議決定で設置された「日本経済再生本部」のもとに置かれた「産業競争力会議」の、さらにその中のワーキング・グループが、CSTIに対して「宿題」を出し、CSTIが対応するという、不思議な現象も起きているという。 これを「官邸主導」と呼べば聞こえはいいが、国会の議決に基づく、法的根拠のある行政組織が、閣議決定を根拠とする組織の「手足」のごとく走り回っているとすれば、問題ではないかと神里氏は、指摘する。 私:かつての通産省は、石炭から石油へのエネルギー革命に対処すべく、石炭対策特別会計を設け、石炭産業を安定化させ、離職者の生活を守ることにも気を配った。 神里氏は、このように、行政の本来の仕事は、「イノベーション」を加速することよりも、その結果起こるさまざまな社会経済的なゆがみに対処することではないだろうかといい、結局のところ、政府は「イノベーション」という難題に、どのように、どこまで関わるべきなのか、いま一度、落ち着いて見つめ直すべき時だろうという。 しかし、神里氏は、ブログ「日本の科学、未来は」で述べたように、日本の科学力の現場での低下、理系で修士課程から企業に就職する大学院生が増え博士課程への進学者が激減、物理学の分野では企業の論文数は96年ごろをピークに減少に転じたこと、などの現実に視点をおいていない。 博士号を得た研究者が一人前になるのに通常6~7年かかるが、博士減少というボディーブローが、科学力の衰えとして表面化。 「ほかの研究者からの引用数が世界トップ10%」に入る論文数で、日本は5千本台で4位と横ばいなのに、1位の米国は4万本、中国は06年に日本を追い越し、急成長で15年には2.5万本と第2位。 こういう日本の「イノベーション」の根底が弱体化し「イノベーション」力が低下しているのに、政府が机上論で「イノベーション」促進を唱えている矛盾を、専門家の神里氏には突いてほしかったね。 「イノベーション」は会議で計画的に起きるものでなく、力ある現場の泥臭い活動から突然生まれるものであることを強調してほしかったね。 政府もゴチャゴチャ会議ばかりしていないで、足元の現場の状況をよく見るべきだね。
2018.06.15
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私:ロックバンド「RADWIMPS(ラッドウィンプス)」は、 映画「君の名は。」の主題歌で注目を集めたというが、俺は映画を見てないし、ロックバンドにも興味がなかったが、このロックバンドの新曲「HINOMARU」が「軍歌を思わせる」と歌詞に賛否の声があがり、国会でも言及され、話題になったという。 A氏:「HINOMARU」は、フジテレビのサッカーワールドカップのテーマソング「カタルシスト」のカップリング曲として6日に発売。 「この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊」「たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ」と歌う。 「美しい」と好意的な声が上がる一方、「軍歌のようだ」「戦争を想起させる」などの臆測も広がった。 ボーカルの野田洋次郎氏はインスタグラムで6日、見解を公表。 「日本は自分達の国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます」「純粋に何の思想的な意味も、右も左もなく、この国のことを歌いたいと思いました」と明かした。 それでも批判はやまず、ライブ会場での抗議運動を呼びかける動きもでた。 野田さんは11日、ツイッターで、軍歌のようだとの指摘について「そのような意図は書いていた時も書き終わった今も1ミリもありません」と否定。 そして、一方で「戦時中のことと結びつけて考えられる可能性があるかと腑に落ちる部分もありました。傷ついた人達、すみませんでした」と謝った。 私:国会では、小野田紀美議員(自民)は12日、参院文教科学委員会で「侮辱的な言葉であるとか差別的な言葉であるとか、何かを批判することは一つも入ってない。いとしい誇らしい、その思いを言っただけ」などと述べた。 同様の騒ぎは4月にもあり、人気デュオゆずの「ガイコクジンノトモダチ」で「TVじゃ深刻そうに 右だの左だのって だけど 君と見た靖国の桜はキレイでした」との歌詞が話題に。 2014年には椎名林檎氏が歌うNHKのサッカーテーマ曲「NIPPON」の歌詞で「淡い死の匂い」「混じり気の無い気高い青」などが非難を浴びた。 椎名氏は当時取材に、「『特攻隊』みたいだとおっしゃる方がいましたが、全然考えてもみませんでした」と語った。 A氏:増田聡・大阪市立教授(ポピュラー音楽研究)は、今回の「HINOMARU」騒動が謝罪にまで至った経緯について、「軍国主義的だと批判する人たちは、健全な「愛国歌」を求める人が多数いることを冷静に受け止めるべきで、「排外主義的ではない愛国心」の行き場を作ろうとするアーティストへの非難が、素朴な「愛国心」を過激化させ、彼らやそのファンを排外主義者の陣営に追いやってしまうのを危惧する」と憂慮する。 私:日本には戦前、音楽が軍国主義に利用された歴史があるのも事実。 「愛国とレコード」などの著書がある近現代史研究家、辻田真佐憲氏によると、当時、軍歌はビジネスと結びついて流行。 東京五輪が控える時期だけに「スポーツの祭典を商機ととらえ、『愛国歌』が増える可能性はこれからもあるだろう」と辻田氏はみており、「今回のような『愛国歌』はナショナリズムを刺激しやすい。テロや外交問題と結びついて排外主義的な動きにつながりかねず、注意も必要だ」という。 「軍歌」で、育った世代はすでに老いているが、歴史で学んだ世代も気になるだろうね。
2018.06.14
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私:一般に、マルクス主義の唯物史観では、社会構成体の歴史は、生産力と生産関係という経済的土台の変化に規定され、最終的に、社会主義にいたるというような見方だ。 だが、この考えは、二〇世紀の末にほとんど消滅。 では、柄谷行人氏は、なぜ、今、マルクスを読む必要があるのかというと、資本主義経済という現実を見るのに、マルクスの「資本論」が不可欠だからだという。 その理由は、柄谷行人氏が影響を受けた東大教授・宇野弘蔵氏の影響を受けたことにあり、宇野氏は、唯物史観も社会主義もイデオロギーであるが「資本論」は科学である、という。 簡単にいうと、宇野氏は学生に、君たちは将来何をやっても構わないが、資本主義経済が決して避けることのできない欠陥をもつことだけは承知しておけ、という。 それは、産業資本が「労働力商品」という、必要だからといっても増やすこともできず、不必要だからといって減らすこともできない、特異な商品に依拠しているということ。 A氏:マルクスの経済学というと、労働価値説、すなわち、各商品に「労働時間」が価値として内在するという考えだと説明されているが、それは、アダム・スミスら国民経済学(古典派経済学)の考えにすぎない。 剰余労働の搾取という考えさえ、リカード派社会主義者の見解であり、マルクスがそれらを受け継いでいることは確かであるが、「資本論」は何よりも、その副題にあるように「国民経済学批判」だという。 そのことは、マルクスが生産に対して交換を重視したことに示され、交換は共同体と共同体の間で生じ、それは、見知らぬ不気味な相手に交換を強いる「力」なしにはありえない。 マルクスは商品の価値を、物に付着した物神、つまり、一種の霊的な力だと考えた。 貨幣や資本はそれが発展したものであり、その意味で、資本主義経済は宗教的な世界で、宗教を小バカにしているような人たちが、この物神を心から信じているのだという。 私:柄谷氏は、最初に唯物史観・社会主義はイデオロギーだが「資本論」は科学だ、という宇野弘蔵氏の考えを述べ、基本的にそう考えていたのだが、二〇世紀の末に、考えが変わったという。 「資本論」は商品の交換から出発して、全体系に及ぶ。 柄谷氏は、それと同様に、別のタイプの交換から出発して、共同体、国家、宗教、社会主義などを科学的に把握することができると考えるようになり、柄谷氏はそれを「世界史の構造」などの著書で示した。 柄谷氏は、とはいえ、それは結局、マルクスが開示したことを受け継ぐものであるという。 その意味で、マルクスは健在だね。
2018.06.13
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私:アベノミクス3本目の矢、成長戦略は「強固な規制にドリルで穴を開ける」とのふれ込みで、加計学園問題で、「岩盤規制」という言葉が飛び交った。 この堀篭俊材氏は、「公証人」という「岩盤規制」の問題を取りあげている。 会社の設立には起業家が「公証人」と会い、定款を認証してもらう必要があり、面談を義務づけるのは不正目的の起業を防ぐためだが、「公証人」にアポをとって会うには、それなりに時間がかかる。 やり玉にあがったのは、この「公証人」という職業で、証書に法的な「お墨つき」を与え、遺言状や会社の決まり事を盛り込んだ定款を認証する。 約500人の多くを検察官や裁判官のOBが占める。 この規制改革にあたり、政府は昨秋に弁護士や起業家、経団連役員らが入る検討委員会をつくり、議論を重ねた。 最後は、8人の全委員が「公証人」による面前認証では不正は防げない」で一致。 委員の一人、起業を支援する「創業手帳」の大久保幸世社長は「『公証人』の面前認証は形骸化している」という。 ベンチャー約80社を対象にした同社の調査では、「公証人」との面談は7割が「自分で行わなかった」と答えた。 多忙な起業家は、司法書士を代理人に立てるケースが多い。 A氏:だが結局、検討委の議論は反故にされた。 スマホの画面を通じ「公証人」の認証は受けることで決着。 「所管官庁として定款認証は廃止できない」と法務省が猛反対したためといわれる。 それでも本当にドリルがあれば穴は開いただろうと、堀篭氏はいう。 霞が関からは「安倍政権は公証人を輩出する検察当局を刺激したくなかったのでは」という声が聞こえる。 折柄、学校法人「森友学園」をめぐる公文書改ざん問題で、財務省への検察の捜査が進んでいた。 私:そもそも「公証人」には「高収入の天下り」との批判が根強く、2002年度に公募選考が始まったが、それから16年、公証人の採用は千人以上にのぼったようだが、民間からの登用は4人だけ。 当時、規制改革の旗振り役だったオリックスの宮内義彦シニア・チェアマンは「利権が特定のところに集中している構図は変わらない。国が規制に風穴を開けても、実際の運用で実があがらないのが現状だ」と指摘。 堀篭氏は「小さな岩盤になかなか穴も開けられない。つまりは緩和の沙汰も忖度次第なのか。このままではアベノミクス3本目の矢は、当たらずに終わるだけである」という。 規制改革が叫ばれてから、随分立つが、まだ、いろいろな規制があるし、その規制改革に対する抵抗もあるんだね。
2018.06.12
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私:15年、英サセックス大学で開かれたセミナーで示されたのは、日本の50年の人口ピラミッドの予測で、若者に比べて高齢者が異常に多く、国が滅びる――そんな意味を込め「棺おけ型」と表現され、ロナルド・スケルドン名誉教授の「日本の無策は特殊で、回復不可能。政策決定者たちの近視眼的な対応が不思議だ」という言葉に、日本人の参加者は言葉を失った。 A氏:同じ年に安倍首相は「少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も人口1億人を維持する」と言い切った。 当時、1人の女性が生涯に産む子どもの数である合計特殊出生率は1・45で、25年までに出生率を1・8に引き上げるというものだった。 しかし、慶大の津谷典子教授(人口学)は「今後10年で1・8はあり得ない」と冷ややか。 日本の出生率は、終戦直後に4を超え、「第1次ベビーブーム(1947~49年)」が起きたが、その後は低下し、61年には2を下回り、「第1次ブーム」の世代が出産適齢期を迎えた71~74年には「第2次ブーム」が来て、一時は2を上回るまで持ち直したが、再び低下に転じた。 平成が始まった89年は、出生率がそれまでの最低だった66年(1・58)を下回り「1・57ショック」と言われた。 私:当時、厚生省児童家庭局長だった古川貞二郎氏は危機感を抱き、当時の海部首相の演説に「少子化対策」をねじ込み、検討を促した。 育児休業や保育所の充実、児童手当の増額――。数値が発表された翌91年にまとめられた答申には、今も課題とされるほとんどが網羅されていたが、政府は本腰で実行しなかった。 「第2次ブーム」世代が出産適齢期を迎えれば「第3次ベビーブームが来る」との楽観論があった。 しかし、出生率は91年以降もじわじわと下がり続け、「第3次ブーム」が来ると予想されていた00年ごろになっても上向かなかった。 最悪のタイミングで「就職氷河期」が来てしまったからだ。 平成になってからの長期不況に苦しむ企業は、規制が緩和された非正社員に飛びつき、新卒採用を凍結する企業も続出し、正社員になれなかった多くの若者が、家庭を持つ余裕を持てなくなった。 先週の日経では、外国と比較しながら日本の出生率の低下を大きくとりあげていたが、外国でもリーマンショックのような経済悪化は出生率低下に影響を与えているようだ。 A氏:出生率が1・26にまで低下した05年、政府は少子化担当を初めて専任閣僚として置き、対策を加速させようとした。 対策チームのまとめ役を担った増田雅暢・元内閣府参事官は、経済的な負担の軽減を考え、その一つが、3歳未満の医療費の本人負担を2割から1割に下げることだった。 折衝に入ると、財政再建を唱える財務省ばかりか、古巣の厚労省も反対に回った。 小泉政権は財政再建のため、高齢化で膨らむ社会保障費の圧縮を進め、「子育て予算を増やせば、年金や医療費をその分削減する必要があった」(厚労省OB)。 06年にまとまった対策には盛り込めなかった。 私:出生率が1・8を超えている先進国は、スウェーデンや仏など少なくないが、これらの国の多くには、日本よりも税金が高く、児童手当などの子育て支援策も手厚いという共通項がある。 国立社会保障人口問題研究所の阿藤誠名誉所長は「負担をせずに予算だけを求めることに、無理があるのではないか」と問いかける。 01年、保育所の「待機児童ゼロ作戦」を始めた政府。 しかし、予算の制約もあっていまだに実現できていない。 たしかに、スケルドン名誉教授のいう「日本の無策は特殊で、回復不可能。政策決定者たちの近視眼的な対応が不思議だ」は当を得ているね。{
2018.06.11
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私:ブレイディみかこ氏は、保育士・ライターで、96年から英国在住。 現地の生々しい状況を伝えているが、前回は3月の「緊縮病『失われた10年』 待ちわびる、冬の終焉」で英国の緊縮財政をホームレス問題を通じて現場の姿を報じていたね。 今回は、治安悪化するロンドンと題して、背景にやはり緊縮財政があることを報じている。 A氏:ロンドンで2月と3月に起きた殺人件数が、現代史上初めてニューヨークを上回ったことが4月に明らかになり、ロイヤルファミリーとアフタヌーンティーの国の首都が、ニューヨークより治安の悪い都市になったというニュースは、英国のみならず、世界中を驚かせた。 ロンドン警視庁の発表によれば昨年4月から今年3月までのロンドンの殺人件数は前年比44%増で、若者の犯罪件数が約3割増。 凶器も銃の発砲事件は23%、ナイフ犯罪は21%上昇。 週末になるとロンドンで10代の少年や20代の若者が刺殺・射殺されたという報道が流れ、「ユースクライム(若者犯罪)」という言葉がクローズアップされている。 長年ロンドンの貧困区で若者支援に関わるユースワーカーとして働いた人は「政治が若者支援の予算を削減し続けたら、ロンドンはかつてないほど危険な都市になるだろう」という。 11年から17年までの間にロンドンでは88の若者支援の「ユースセンター」が閉鎖されている。 私:「ユースセンター」は、地域の10代の青少年たちが集まって放課後や余暇を過ごせる場所で、そこで働くユースワーカーたちは、ティーンの話し相手となり、問題を抱えた青少年を指導し、学校や福祉課、警察と連絡を取りながら支援していく仕事をする人々だ。 こうした若者支援サービスの縮小が青少年犯罪の増加に結び付いているという声が福祉関係者から上がっている。 昨日、日本でも新幹線車内で22歳の若者が「むしゃくしゃした。誰でもいいから殺したい」という無差別殺人があったが、これもメンタルヘルスが欠けていたんだろうね。 英国では10年以降、公的な若者支援への支出は約3億8千万ポンド削減されており、12年から16年までに閉鎖された全国のユースクラブは603に上る。 また、11年には、低所得家庭の学生を対象とする教育維持補助金が廃止。 10年から14年の間に16歳から19歳の青少年への教育予算は実質で14%削減。 A氏:ロンドンの若者犯罪の増加は複雑な要因が絡み合っているが、その背後には「緊縮」の2文字が浮かび上がってくるとブレイディみかこ氏は指摘する。 保守党政権は緊縮財政を推し進め、財政支出を削減してきたが、青少年が教育を受けることや、メンタルヘルスの治療を受けることや、余暇を過ごせる安全な場所を与えられることや、専門の知識と経験を持つ大人に相談する機会を得ることを困難にすればするほど、都市の暴力犯罪件数は増える。 これは現代の若者たちが理解不能な生き物になっているわけでも、親の養育が急に劣化したわけでもなく、若者たちへの投資が圧倒的に足りていないのであって、経済政策の欠陥と社会現象の明らかなリンクを、精神論や道徳論にすり替えるわけにはいかないとブレイディみかこ氏はいう。 私:一方、首都の治安を守る警察もまた、人員削減の一路をたどっている。 政府は警察の予算削減と暴力犯罪増加には関連性がないと主張してきたが、ロンドン警視庁の警視総監はそのリンクを認める発言をした。 路上を常時パトロールして不審人物に声掛けし、反社会的行動を取り締まる地域治安維持補助官(PCSO)が、ロンドンでは08年から16年までに65%も減少。 市内149カ所にあった警察署や交番も半数以上が閉鎖されて73カ所になった。 10代が凶器を持ち歩くのが日常になれば、取り返しのつかない悲劇が生まれる機会が増え、未来を担う若者たちを守れずに、何のための緊縮財政なのか。我々はこの悲劇にけっして慣れてはいけないと、ブレイディみかこ氏はいう。 緊縮財政の問題は、英国だけでなく、EU諸国でも財政規律にからんで政治問題なっているね。 日本もプライマリーバランスの達成を先送りし続けている。
2018.06.10
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私:今週は、2冊とりあげた。 まず、『革命』はマクロン氏が大統領選に出馬するために書いた本。 評者は、立命館アジア太平洋大学学長・出口治明氏。 「第1部」は「思想」で、勤勉であることを教えてくれた祖母、高校生のとき恋に落ちた教師ブリジットとの出会い。 次に、なぜ「前進!」を立ち上げ大統領選に出馬したのかが説明され、そしてフランスという国家は人々を解放する一つのプロジェクトであり、それを目指す共和制だと定義づける。 A氏:「第2部」は「戦略」で、フランスがなすべきことが明瞭に語られ、人的資本への投資が第一。 「環境問題こそ、フランスがトップに立たねばならない」とマクロン氏は言い切る。 「自分の仕事で生計をたてられること」が基本で「持たざる人々により多くのことをし、最も弱い者を守る」。 政府が地方に約束できる時代が過ぎ去った中での大都市の発展と「地方創生」をどう考えるかと、優先順位が明確で整合性がとれており、日本にもそのまま適用できそうだと評者は言う。 私:第3部は「未来」で、マクロン氏は冒頭に歴史を持ってきて、歴史に学ばない限り「何者にもなれない」とし、EUに対する姿勢は「ユーロ圏をいまだに完成させていないのは間違いだった」と揺るぎがない。 では、いかにして民主的な革命を成し遂げるのか。 それは、既成の政治家ではない普通の人々のアンガージュマン(政治参加)によってであり、「新しい人を国会に投入」して右でも左でもなく前へ進むことによってであるという。 マクロン氏は、ごく当たり前のことを言っているに過ぎないのだが、世襲議員が大多数を占める日本の現状から見れば何と新鮮に響くことだろうと評者はいう。 現に、大統領選挙後に行われた国民議会選挙では、マクロン氏の与党「共和国前進」が大勝したが、女性が当選者のほぼ半数を占めるなど「新しい人」が大量に国会に入った。 A氏:我々は、このような個性的な政治家を生み出した欧州の懐の深さにもっと学ぶべきではないかと評者はいう。 政治家は、理念や思想ではなく結果で評価されるので、この先マクロン大統領がどんな結果を残すのか楽しみだと評者はいう。 私:2冊目の『グローバル化する靖国問題 東南アジアからの問い』の評者は評論家・保阪正康氏。 この書は、1985年の中曽根首相の靖国神社参拝を「靖国問題のはじまり」とみて、その後の首相参拝をアセアン(東南アジア諸国連合)10カ国はどう見てきたか、各国の英字紙を参考に分析を試みた書。 小泉首相の時代には東南アジアの国々にとって日本は最大の「経済援助供与国」だったので、表立った抗議はしていない。 A氏:しかし、中国の経済大国化と共に変化が起き、尖閣問題での日中対立によって、第三者の目から、地域の危機ととらえる当事者の視点へ変わる。 中国と韓国の反発に同調するか、距離を置くか。 2013年の安倍首相の参拝には中韓だけでなく、米英、EU、アセアン各国からの批判があった。 タイ紙は、近隣諸国の気持ちを害さないで戦死者を敬う方法を見つけよと説く。 私:日本では中韓の批判しか語られないが、東南アジアの国々の静かな怒りを理解する必要があるように思うと評者は指摘する。 まだ、日本は真に太平洋戦争を終わらせていないのかね。
2018.06.09
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私:日大のアメフトの悪質タックル問題に関連しての吉田良治氏の寄稿。 吉田氏が、ワシントン大学のアメフト部でアシスタントコーチを務めていたころに知り合った米国人コーチもこの事件に驚き、そして「悪質タックルを受けた選手の体は大丈夫か? (加害者の)選手を正しい道に戻してやれ」と気遣っていたという。 米国の学生スポーツ、とりわけアメフト指導者は、国造りを担っていると言われ、若者の未来を壊さないように、「三つのゴール」を持っている。 「一つ目」は選手を育てて勝利をめざすこと、「二つ目」は選手の人生に責任を持つこと、「三つ目」は、競技引退後に国を背負って立つ未来のリーダーを育てること。 A氏:今度の日大のアメフトの悪質タックル問題に関連して、米国の全米の大学スポーツの大会運営などを担うNCAA(全米大学体育協会)の存在がよく取りあげられたが、ここでは大学運動部の練習制限や、選手が満たすべき学力基準などを設けていて、破れば、個人やチームの練習時間が削られる罰則がある。 練習時間は、週20時間を超えてはならず、シーズンオフの1~7月は基本、春の15回の練習以外は、体づくりが中心。 練習が度を越せば選手の体が壊れ、学業や社会経験を積む活動に悪影響が出るとの認識を指導者は共有している。 私:米国は1980年代、学生選手による犯罪が多発し、引退後の第二の人生での失業や家庭崩壊に陥っていて、そんな苦い経験から、コーチが選手に全人格的教育をするように努めてきた。 日本でも、スポーツ庁が大学スポーツ改革として「日本版NCAA」を進めているが、吉田良治氏は、魂を込めたものにしなければならないという。 練習時間を制限し、学業を優先できる環境をつくり、社会貢献活動を課すしくみは、米国に見習うべきではないかという。 そうなれば、日本のスポーツは弱くなると言われそうだが、そんなことはなく、リオ五輪には、入学前や卒業後を含むNCAAの選手が各国の代表として約1千人出場し、そのうち約6割は海外からの留学生で、競泳男子100メートルバタフライで、シンガポール初の金メダリストになったジョセフ・スクーリングは、超難関のテキサス大学の学生。 アジア人でも、学業とスポーツの高いレベルの両立が可能であることが証明されているという。 吉田氏は、「日本のスポーツ界はスポーツ偏重の古い思考の扉を開いてほしい。新しい時代に合った新たな価値観に、目を向ける時期にきている」という。 しかし、日本でもラグビーで9連覇した帝京大学の岩出雅之監督のように、従来の軍隊式のスパルタ教育や選手の体育会的上下関係を排し、岩出監督は、「学生を教えるのでなく、考えさせる」ことを重視した指導法を通じて、組織形成を推し進めた。 また、箱根駅伝で4連覇した青山学院大学の原晋監督の指導方法も同様で、指導目標は、選手自身で考えられるようにすることで、自分で考えながら楽しくプレーをするような指導をせよ、と言っているという。 そういう日本の強いチームの事例にもふれてほしかったね。
2018.06.08
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私:鎌田遵氏は年に2回、研究のため、カリフォルニア大学バークリー校を訪れているが、かって、在学していた1990年代半ばから見てきたが、格差は広がる一方と感じるという。 学生の苦境の主な要因は、学費の大幅な値上げ。 米国では教育予算の削減が学費の値上げを招き、ここ20年間で約3倍になった。 公立大学でも学費は年約150万円(州の住民以外はさらに約300万円)で、大学には裕福な子弟が増えたという。 A氏:一方で、学生の10%にあたる約3千人が友人宅を転々とし、空き家や車で寝る「ホームレス」を経験していて、有名大学の門戸が貧困層の移民にも開かれているのは多民族社会の希望だが、奨学金や学生ローンだけでは生活は難しいという。 大学職員ルーベン・カネド氏は学生の2割が食事を抜く窮状を見て、無料で食事できる食品室を大学内に立ち上げた。 「自立の一歩になり、助けを求めて人とつながることもできる」として、一学期の利用者は3千人前後にのぼる。 私:アルバイトで疲弊し、ネットで洋服などを売って生計を立て、栄養不足で大学の教科書も買えない。 教養を育み友人と議論するよりも生活費の捻出に奔走し、卒業後は学生ローンの返済に追われる。 学費を滞納して去る学生は珍しくなく、日本の大学でも学生の切実な声を聞くことが増えた。 経済格差を背景に、大学で学ぶことは限られた所得層の特権に戻りつつあるのではないかと鎌田氏はいう。 さらに、鎌田氏は、こうした米学生の苦境は、日本の学生の近未来像かもしれないという。 カリフォルニア大学の試みから学ぶことは多く、地域社会が若者を支える食品室に、移民国家の懐の深さを感じ、助け合いの精神を身につける場所こそ、大学であるはず。 A氏:日本政府も、奨学金制度の脆弱さは認めていて、学内の福祉施設や特待生制度、政府系の無償援助や無利子・低利・長期返済の奨学金、民間団体や企業による総合的かつ広範な学生への支援策を充実させる必要がある。 政府が進めるべきは防衛費の拡大ではなく、人間力を強くする教育費の拡充ではないか、社会が若者たちに希望を与え、未来と確かに向き合える学生生活を支えていけるようにしたいと鎌田氏はいう。 私:安倍政権は、国家財政のプライマリーバランスを20年度に黒字化する財政健全化の目標を掲げていたが、首相は昨年秋の衆院選前に、19年10月に予定する消費税率引き上げによる増収分を教育無償化などに回すことを表明し、目標達成も断念しているね。 教育無償化は財政健全化を犠牲にすることになるのかね。 背景に少子高齢化も影響しているね。
2018.06.07
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私:休戦して65年になる朝鮮戦争について、トランプ大統領は12日に迫る米朝首脳会談で、「終結」の可能性に言及し始めた。 朝鮮戦争を歴史的にどうとらえ、ここからどう行動すべきなのかということで、「耕論」欄では3氏にインタビューした。 まず、菅英輝氏は、朝鮮戦争で「米の国防組織、強化進んだ」として、1950年に勃発した朝鮮戦争は、冷戦のグローバル化と軍事化を招いた世界史的事件だという。 朝鮮戦争の発生直前、米国のトルーマン政権が包括的軍事外交戦略「NSC68」をまとめていて、共産圏に対抗し、国防予算の上限を135億ドルから450億ドルに3倍以上に引きあげることを勧告していた。 第2次大戦後まもなくのことで、巨額の国防予算が議会で承認される状況ではなかったが、朝鮮戦争で一変。 1947年に誕生したばかりのCIAやNSCの役割が強化され、こうした組織が定着。 アチソン国務長官は朝鮮戦争を「天祐」と歓迎。 A氏:米国は、第2次世界大戦後初の「限定戦争」だった朝鮮戦争を、ソ連の世界制覇戦略の一環と受け止め、軍事介入。 それが中国義勇軍の参戦で拡大し、「封じ込め」政策が中国にも適用されて冷戦がグローバル化し、分断が固定化された朝鮮半島は冷戦の最前線になった。 94年の核開発疑惑以降、米国は北朝鮮に対し、「圧力」一辺倒の政策を続けてきたが、北朝鮮が核・ミサイル開発で成功したことは、歴史的には、米国の政策の行き詰まりを意味し、だから、北朝鮮は交渉に応じる準備が整い、他方で米国は、米朝首脳会談の可能性を打ち出したとみるべきだと、菅英輝氏は指摘する。 私:日本は日朝国交正常化に向けた努力を続けておくべきだったという。 しかし、米国の圧力路線に同調してきただけで、気がつくと協議の枠外に置かれていて、イニシアチブを発揮している韓国とは対照的。 日本は、トランプ大統領を通じて要望を伝える以外に手がない状況で、米国に協同する政権が陥りがちなジレンマにあるといえるという。 菅英輝氏は日本にもカードはあり、それは1兆~2兆円ともいわれる北朝鮮への経済協力金で、拉致問題解決や日朝国交正常化につなげるべきだという。 A氏:2人目の朱建栄氏は、中国に視点を置き「中国、経済発展遅れた一因」として 朝鮮戦争は、国際社会に「新生」中国の存在感を認識させた一方、経済発展が遅れる原因にもなったという。 中国が「義勇軍」を朝鮮半島に送り、苦境に陥った金日成率いる北朝鮮軍を支援したのは、開戦から4カ月たった1950年10月。 当時、中国は、1年前に本土での国民党との内戦に勝利し、まさに新国家建設に乗り出したときだった。 米軍主体の国連軍は、38度線を越え中朝国境に向かっていたが、国境の背後の中国東北地方は石炭を産出し、重工業の拠点だっただけに、毛沢東は出兵した。 毛は、ソ連(現ロシア)が空軍を出すことを前提に参戦を決めたが、スターリンに裏切られた。 社会主義国共通の利益より、国益が優先され、中国は米国との代理戦争の前面に立たされ、ソ連への不信を強め、後にこれが武力衝突までした中ソ対立の背景的要因となる。 私:中国は、最強の米軍を38度線に押し戻し、「眠れる獅子」のイメージを一掃し、軍事、外交大国の地位を獲得。 一方、中国国内では、朝鮮戦争を全力で戦うため、比較的緩やかな「新民主主義」路線を一変させ、スターリンモデルの政治体制を導入、毛の独裁に拍車がかかる。 しかし、経済発展は大きく遅れ、米国の封じ込め政策は、ニクソン大統領が訪中した1970年代初めまで20年にわたった。 国内では戦時体制が続き、文化大革命など社会主義の原理を重んじた左派色が強まり、改革開放も遅れた。 A氏:中国は、北朝鮮の核、ミサイル開発が、周辺国の核保有や軍事衝突を誘発するとして強く反対しており、隣接する中国にとっても大変懸念される事態となった。 米朝首脳会談を契機に朝鮮半島の非核化が実現し、休戦協定が平和協定に変わることを中国は支持し、そうなればTHAADの配備も、米兵約2万8千人の韓国駐留の根拠もなくなり、中国は平和協定の先にそうした変化を見通していると、朱建栄氏は指摘する。 私:3人目の山本昭宏氏は、「『基地』『平和』、日本に矛盾」として、朝鮮戦争で複雑な立場に追い込まれた日本に視点をおいている。 敗戦後しばらくは、日本の進路は流動的。 東西双方との講和を主張する全面講和論と、西側との講和を優先する片面講和論があり、平和についても、非武装中立論から自主防衛論まで多様な立場が存在していた。 しかし、朝鮮戦争勃発時に、日本は占領下にあったため、西側陣営に組み込まれて米国頼みが鮮明になり、多様な立場はかき消され、「軽武装・日米安保体制」へと収束。 自主防衛論だった右派は、「反共」で主流派と一体化し、非武装中立や全面講和論だった左派は、批判勢力として野党化。 そして、対米自立論は潜在化し、自民党の長期政権を可能にした「55年体制」は、朝鮮戦争が準備したといえると山本昭宏氏は指摘する。 A氏:ただ、国民の受け止め方は両面的で、戦争特需の好景気を国民は歓迎し、「米国のもとで経済的に得をする」という、したたかな生活優先主義が広まり、自民党政権を支える基盤となっていく。 西側陣営最前線の「米軍の基地国家」でありながら、建前は「平和国家」であるという、日本の戦後の二重構造はこうして形成されたという。 冷戦後も、朝鮮半島の分断が続いたことを、日本の政権は利用して、事あるごとに、北朝鮮という格好の「敵」に言及し、ナショナリズムを喚起して、国民の支持を「調達」してきたという。 米朝首脳会談で、朝鮮戦争が「終戦」したら、一番困るのは日本かもしれず、自民党政権は、会談後も北朝鮮の脅威を強調し続けるのではないかと山本昭宏氏はいう。 そして、そうではなく、戦後の「平和」の矛盾を直視する機会にすべきで、「基地国家」でありながら「平和国家」を自任するという、朝鮮戦争が作り出した二重構造を再考する時期に来ているという。 しかし、日本は拉致問題をかかえている以上、そう簡単でなく複雑だね。 それに軍事大国化している独裁国家中国の脅威もある。 「平和国家」であるとともに「基地国家」であるという日本の運命は、朝鮮戦争というより、太平洋戦争での敗戦の遺産としての9条憲法と安保条約の両立よるものだろうね。 朝鮮戦争での興味ある話題は、ブログ「朝鮮戦争のこと」、韓国映画「戦火の中へ」に掲載されている。
2018.06.06
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私:公文書を大量「改ざん」し、国会で虚偽答弁を続けた財務省幹部が不起訴になり、4日に省内の処分が発表され、政権は「幕引き」をはかる考えだいうことで、3氏にこれについて意見を聞いている。 佐藤優氏は、「責任追及、終わらせるな」として、結果的に起訴できず、逆に問題が小さいという印象を社会に与えてしまったがことの善しあしの判断を検察に任せきりにしてしまうのは、我々の責任放棄だという認識に立たなければいけないという。 問題の真相究明のために、真実を語ってこなかった佐川宣寿・前財務省理財局長の証人喚問をするべきで、麻生財務相の1年分の閣僚給与返納程度で終わらせてはいけないという。 A氏:また、佐藤氏は、今、政策能力が低くてやる気のある政治家と、能力が高くて倫理観のない官僚とが結びついてしまっていて、民主党政権への交代、自民党の政権復帰によって、自民党、民主党、どちらかに軸足を置いていた官僚が排除され、いなくなったという。 残ったのは、自民党にも野党にもごまをすれる「超ごますり型」か、やりたいことがないために無理をしてこなかった「省エネ型」の2種類の官僚だけだという。 国家の劣化ぶりが著しく、改めるには、小中学校を含め教育から変えるしかないという。 人間としての価値や人生観を深く考え、なぜ官僚になるのかを問い続けられる優秀な人材を育てることで、この深い病理を変える特効薬はなく、地道な取り組みが必要だと、かなり悲観的な見方をしているね。 私:2人目の川崎英明氏は、今回の不起訴処分は権力者犯罪について、検察が必ずしも厳格な姿勢で臨むわけではないという疑念を生じさせる結果になり、「検察不信」を生む事態がまた繰り返されたという感じがするするとして、対策として「検審の権限、大幅強化を」を提言している。 今回のケースで、告発人が検察審査会(検審)に審査を申し立てたから、議論の舞台は「検審」に移る。 A氏:しかし、「検審」に求められる機能は、市民の目線で検察の事件処理過程をチェックすることだが、そのチェック機能はまだまだ不十分だという。 この中途半端さは戦後の司法制度改革で、GHQと日本政府の間の妥協の産物として、検審が生まれたことに、端を発していて、「検察の民主化」を進めるため、GHQが、市民から選ばれた陪審員が起訴を決める米国の大陪審のような組織の創設を求めたのに対し、日本側は激しく抵抗し、結局、「検審」に落ち着いたという経緯がある。 今回の不透明な事態を踏まえ、「検審」の調査権限を大幅に強化するべきだと川崎英明氏は主張する。 私:3人目の早大教授・中林美恵子氏は、米上院予算委員会補佐官を努めた経験から「国会の調査権、米参考に」として、米国との比較で、日本の問題点を明らかにしている。 今回の不起訴のように司法のチェックが利かないならば、国会が監視機能を果たさねばならないが、日本では国会の調査権がなかなか機能していないと指摘。 日本でなぜ国勢調査家が機能しないのか、米国と比較すると、原因の一つが、国会の予算策定に関わる力が弱いこと。 日本は予算案を政府がつくり、国会は議決を通じ、事実上それを追認するので、「財布を握る」日本の政府は米国に比べ、国会や野党を軽んじた対応になる。 米国では議会が予算の策定権限を握るので、省庁スタッフはお願いする側。 日本でも例えば、政府の予算案に対して国会が修正案を付ける余地を残せば、国会の本来の調査権限を活用できるようになるという。 A氏:また、米国との比較で、日本では国会議員の行動が所属政党の論理に拘束されることも問題。 米国では、連邦議会選挙の候補者は地元で党内の予備選を勝ち抜く必要があり、それを決めるのは有権者。 議員は党中央の指示より、地元の市民の意向を優先して動くので、こうして米国議会では党派に縛られず、大統領や政府への監視機能を果たす。 私:中林美恵子氏は、日本でも予備選を導入すれば、国会議員が党の論理に巻かれずに行動するように変わるかもしれないという。 国会の調査権限を強め、議員個人も党だけに依存しないとなれば、立法府が本来の監視機能を発揮でき、官僚が官邸だけを「忖度」して国民を欺く事態を抑止できるのではないかという。 A氏:3氏とも今のやり方の問題点と対策を具体的にのべているが、政権は「責任をもって再発要望をする」というだけで、具体策がないね。 私:それは、今回の不祥事発生の原因が明らかでないからだね。 原因が明らかなら、対策はその原因を潰すことになるだけだからね。 それから、ある元自民党幹部が指摘していたが、「責任」という言葉の使い方が間違っているね。 確かに、不祥事を起したという事実の「責任」と再発防止を実行する「責任」とをゴッチャにしているね。
2018.06.05
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私:Hapa(ハーパ)とは、いわゆる混血(ハーフ)で、辞書を引くと、元はハワイで用いられた表現とあるが、このごろは日系米国人の口から、しばしばこの単語を耳にすると沢村亙氏はいう。 日米開戦後、米西部を中心に12万人の日系人が大統領令で強制収容所に送られ、終戦前後に解放されたものの帰る家を失った人々の一部が、缶詰などを作っていた当地の食品加工場の職を求めて移り住んだ。 多い時で約2500人で、加工場は1980年代に閉鎖されたが、今も約100人が周辺に暮らす。 A氏:「私もHapaよ」。 サンフランシスコからの電話で力強く語ってくれたのはカレン・コレマツさん。 強制収容所を拒否して逃亡・逮捕され、無罪を訴え続けた人権活動家、故フレッド・コレマツ氏の長女。 父の遺志を継ぎ、学校を回って強制収容の非人道性を説き、2001年の同時多発テロ後に広がったイスラム排斥に異議を唱えた父と同様、トランプ政権が打ち出したイスラム圏などからの入国禁止令に反対する裁判を支援。 私:ロサンゼルスの全米日系人博物館は、今、アジア系を中心に様々な人種・民族が混じり合った市民の肖像写真展「hapa.me」を開催中。 01年から彼らを撮ってきたキップ・フルベック氏は父が英国人とアイルランド人の混血で、母が中国系。 子供の頃から「父母のどちらかを捨てる気がして」人種選択欄への記入が苦痛だった。縦割りのアイデンティティーを問い直す企画は好評。 日本人のハワイ移住が始まって今年で150年。 他人種・民族との婚姻も進み、「日系人」の輪郭はぼやけつつあり、むしろ「混じり合っていること」に立脚した、新たなアイデンティティーの胎動を予感させるという。 「われわれ」と「彼ら」の間に壁を築く空気が充満する昨今の米社会。 だが、沢村氏は、「悲観はしたくない。壁を溶かす動きがいずれ凌駕していくと期待して」という。 Hapa(ハーパ)とは、別の米国での人種問題もあるんだね。
2018.06.04
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私:今世紀初頭まで、欧州の人々はさまざまな面で米国人より暮らし向きが良く、皆保険制度があり、それに伴って平均寿命も長く、貧困率はずっと低く、実際、働き盛りの時期に実入りのいい仕事につける可能性も米国人より高かった。 しかしと、クルーグマン氏は言う。 今、欧州は大きな困難に陥っていて、米国も同じだが、とりわけ、大西洋を挟んだ両岸で民主主義が苦しい状況にあり、もし自由の崩壊が起こるとすれば、おそらく米国が先になるだろうという。 それでも、米国が抱えるトランプ大統領の悪夢からいったん離れて、欧州の苦悩に目を向ける価値はあり、すべてではないが、米国の苦悩と重なる部分もあるとして、このコラムでは、焦点を欧州にむけている。 A氏:まず、クルーグマン氏は、欧州が抱える問題の多くは、単一通貨・ユーロの導入という、1世代前のひどい決定に端を発しているという。 ユーロの誕生によって一時的に高揚感が高まり、スペインやギリシャといった国々に巨額のお金が流れ込み、バブルは崩壊。 自国通貨を維持していたアイスランドのような国々が通貨を切り下げて早々に競争力を回復した一方、ユーロ圏の国々は支出を抑えるのに苦労するなか、不況は長引き、失業率は極めて高くなった。 私:この不況を悪化させたのは、欧州の問題の根本的原因が支出調整の誤りでなく財政の浪費にあるとし、厳しい緊縮財政で解決しようとしたエリート層の見解で、この緊縮財政が状況をさらに悪化させた。 スペインのように何とか競争力を取り戻すことができた国もあるが、ギリシャは今も災難の渦中。 EUに残る3大経済国の一つイタリアは、今まさに「失われた20年」のただ中にいて、1人当たりの国内総生産(GDP)は2000年の水準に及ばないのが現状。 A氏:だから、今年3月にイタリアで行われた総選挙で、反EUを掲げるポピュリスト政党「五つ星運動」と極右政党「同盟」が大勝したことは、それほど驚くようなことではなく、むしろ、それがもっと早く起きなかったことの方が不思議なくらいだと、クルーグマン氏は指摘する。 このコラム欄の記事が書かれた後、総選挙後の「政治空白」が続いていたイタリアで、EUに懐疑的な「五つ星運動」と右派「同盟」の2党による連立政権が発足することになったね。 クルーグマン氏は、連立政権がどんな政策を取るかはまだ定かではないが、さまざまな面で他の欧州諸国とは別の道を進む内容が含まれるのは間違いなく、財政の引き締め緩和からユーロ圏離脱に至る可能性は大いにあるし、移民や難民の締め出しも強まるだろうと予測する。 欧州の他国の事情を見ると、いくつかの恐ろしい先例があり、ハンガリーは事実上、一党独裁国家となり、民族主義的イデオロギーに支配されているし、ポーランドは、一度もユーロ圏に加わらず、ほぼ無傷で経済危機を乗り越えたが、同じように民主主義が崩壊しつつある。 私:クルーグマン氏は、失敗の背後には、さらに根深い話が潜んでいるのではないかとして、欧州には常に闇の勢力が存在しているという。 その闇の勢力を抑え込んでいたのは、民主主義の価値観に専心する欧州のエリート層の威信だったが、その威信はずさんな管理運営によって失われてしまったという。 A氏:ここで、クルーグマン氏は、米国に視点を変え、米国の事情との類似点がみられるとして、米国の「中道派」エリートの判断の誤りは欧州のそれに匹敵すると指摘。 2010年から11年にかけて米国が大量失業にあえいでいたころ、ワシントンの「大まじめな人たち」の大半は社会保障制度改革のことで頭がいっぱいだったことを思い出しほしいという。 一方で米国の中道派は、多くの報道機関と一緒になって、共和党の急進化を何年も否定し続け、ほとんど病的なあしきバランス主義にはまり込んでいて、そして今、米国は、ハンガリーの与党に負けず劣らず、民主的な規範や法の支配をほとんど尊重しない政党によって統治されているとクルーグマン氏は、指摘する。 私:そして、クルーグマン氏は最後に「要するに、欧州の失敗は、奥深いところでは米国の失敗と同じだということだ。そして、どちらの状況も、回復への道のりは非常に厳しいだろう」という。 きわめて、悲観的な予測だが、日本も文藝春秋6月号で「『政と官』の劣化が止まらない」の特集を組んでいるように、似たような状況になっているようだ。
2018.06.03
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私:最近の日本の研究現場は元気を失っていて、背景に何があり、どう変えていくべきなのかということで3氏にインタビューしている。 大隅氏については、「大隅氏、基礎研究の危機訴え ノーベル賞金、若手支援に活用」のブログでふれ、さらに、「大学の研究力低下、打開には 資金・時間・ポスト…どう確保 6月までに政府が戦略まとめ」で、日本の科学力の低下についてもふれている。 そのブログの繰り返しになるが、大隅氏は、研究者が真面目に研究に取り組もうにも研究費が足りない現実があり、競争的な資金を獲得しようとすれば、すぐ役に立ちそうな研究や、はやりの研究に向かいがちだという。 理系で修士課程から企業に就職する大学院生が増え、博士課程への進学者が激減。 就職活動に追われながらの2年間の大学院生活では、研究の楽しさを知ることができず、自分で課題を見つけて解決する能力を鍛えられないまま、卒業。 A氏:大学の運営に関わる事務作業が膨大になっていて、研究費の申請や成果報告の書類書きに追われ研究者自身の研究時間が減っていることも深刻。 ほかの国のように、もっと研究者がやるべき仕事を明確にし、それ以外を支援するシステムが必要だと大隅氏はいう。 大隅氏が恐れるのは、科学が多くの人から遠い存在になり、理解されなくなることで、そうなると人類に未来はないという。 大隅氏は、ノーベル賞の長い歴史をもつスウェーデンでは、最先端の科学を市民が楽しみ、理解しようとする文化を感じ、次世代を担う若者たちが一人でも多く真理の探求に立ち向かって欲しいと願っているという。 私:2人目の山口氏は、約20年前、1990年代半ばから、情報通信や製薬などの大手企業が相次いで中央研究所を縮小・廃止し、基礎研究から手を引いたのがきっかけで、日本の科学技術力の衰退が始まったという。 もともと企業の中央研究所縮小は、米国の動きをまねたものだが、米国では情報通信の分野に限られていたのに、日本では製薬などバイオ系企業にも広がり、生化学、分子生物学、材料科学など、産業競争力を下支えする科学分野の収縮を招いてしまった。 以来、日本は、新しいイノベーションモデルをみつけられずに漂流。 A氏:影響はまず、企業の学術論文数の減少となって表れ、たとえば物理学の分野では企業の論文数は96年ごろをピークに減少に転じた。 同時に物理学の博士課程の学生数も減り始める。 2003年ごろ、今度は日本の物理学全体の論文数が減り始めた。 博士号を得た研究者が一人前になるのに通常6~7年かかるが、博士減少というボディーブローが、科学力の衰えとして表面化。 私:山口氏は、対策として参考になるのが米国のSBIR(スモール・ビジネス・イノベーション・リサーチ)制度と、科学行政官の存在だという。 しかし、これについては、山口氏は、著書「イノベーションはなぜ途絶えたか 科学立国日本の危機」で、米国政府は「大企業はもはやイノベーションを起こせない」と見切りをつけ、技術革新の新たな担い手として大学院生らの起業を支援する「SBIR制度」を創設。 これが効果を上げ、卓越した審査・報償方式によって目覚ましい成果を上げたとある。 日本政府も追随しようとしたが、実際には「パフォーマンスの低い中小企業」への補助金制度と化し、国税の浪費に終わったという。 日本で企業家精神が育たないのはリスクを避ける国民性ではなく、制度設計に問題があるという。 A氏:山口氏は、日本が周回遅れの状態から盛り返し、科学とイノベーションの好循環を取り戻すのに、すぐに効果が表れる特効薬はなく、科学者によるベンチャー起業の支援を根気づよく続けていくことだという。 そのためには、無名の若き科学者をイノベーターにする制度と、その運営に携わる目利き役(米国の科学行政官に該当)を育て、制度に組み込んでいくことが必要だという。 3人目の高橋氏はベンチャー企業としての成功例だが、一般的な問題はのべていなかった。 いずれにせよ、「ほかの研究者からの引用数が世界トップ10%」に入る論文数で、日本は5千本台で4位と横ばいなのに、1位の米国は4万本、中国は06年に日本を追い越し、急成長で15年には2.5万本と第2位。 成長戦略の中核としての科学のイノベーションの競争力強化には、抜本的な対策が急務ということだね。
2018.06.02
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私:今月の佐伯教授の「異論のススメ」は今、マスコミを賑わしているアメフトの試合における日大の悪質な反則行為の話題から始めている。 今日の午後のニュースでは、日大は今日の理事会で、内田正人前監督が大学で務めている常務理事の役職の辞任を承認したと報じているね。 「異論のススメ」では、佐伯教授は、改めて「スポーツ」とはなにかの原点にもどって展開している。 「スポーツ」とは、もともと「ディス・ポルト」という語源をもっているようだが、これは船が停泊する港(ポルト)を否定する(ディス)ものであり、停泊地から離れる、つまりはめをはずす、といった意味を含んでいるという説があり、実際、英語の「スポート」には「戯れ」や「気晴らし」や「ふざけ」といった意味がある。 その第一義的な意義は、それが日常の窮屈な秩序や組織の規則から一時的に解放されて気晴らしを行う、という点にあり、日常のなかに無理やりに押し込まれた過剰なエネルギーの発露であること。 A氏:古代ギリシャの「オリンピック」も、もともとは神々へ捧げる祝祭の競技であり、「スポーツ」は、確かに「遊び(ルードゥス)」を起源としているが、「スポーツ」がもっている非日常的な「はめはずし」の行き過ぎを防ぐものは、その背後にある「聖なるもの」であり、そこに一定の「様式」や「規則」が生み出されてきた。 日本では、「道」という観念がその代替的役割を果たしたのであろう。 「柔術」と「柔道」の違いだね。 そして、神々を背後において行われる競技という「遊び」の精神は、ソクラテスやソフィストの言論競技の根底にもあり、そうだとすれば、それは言論を戦わせる民主政治にも通じ、また、もともと、聖なる場所にしつらえられた市場でモノのやりとりをする市場経済にも通じるものであり、それらの根底には「遊び」の要素がある。 私:とすれば、「スポーツ」にも、また政治上の言論戦にも、また経済競争にも、どこか余裕があり、楽しむ精神があり、偶発性があり、ルールがあり、その先には、何らかの「聖なるもの」へ向けた意識があったと佐伯教授は指摘する。 「スポーツ」の競争や競技は、むろん真剣勝負であるが、その真剣さは、生きるための日常の必死な生真面目さとは一線を画した、どこかに余裕をもった真剣勝負であったという。 ところが、オランダの歴史家であるヨハン・ホイジンガは、今日、「スポーツ」から「遊び」が失われている、として、ただただ勝つことや記録だけが自己目的化され、カネをかけた大規模な大会に組織され、機械的で合理的な訓練が優位となり、もっぱら職業的な活動となっているという。 これでは、本来の「高尚な気晴らし」は失われてしまい、勝つために合理的に訓練され組織された闘争本能の発露になっている、という。 A氏:政治も経済も、もともと「遊び」に淵源もつというホイジンガの発想を借用すれば、今日の民主政治も市場競争も、「スポーツ」と同様、あまりに合理化され、組織化され、過度に勝敗にこだわり、数字に動かされ、自由さも余裕も失ってしまったと佐伯教授は指摘する。 確かに、今日の国会論戦も、金融市場の投機も、どこかゲーム的で「過剰なエネルギーの発露」の感がないわけではないが、そこには、「遊び」のもつ余裕もなければ、逆に生きる上での必死の生真面目さもなく、ただ、「勝つこと」だけがすべてになってしまったという。 私:本来の「遊び」が失われてしまい、本当にはめがはずれてしまい、勝つためには反則でもしなければ、という意識があらゆる領域で社会を動かしているという。 「遊び」がもっていた余裕や自由さが社会からなくなりつつあり、まずは「スポーツ」こそ人間存在の根源にある「遊び」の精神を取り戻す時であろうと佐伯教授はいう。 ところで、「働き方改革関連法案」が31日午後、衆院本会議で採決されたが、過労死するような「働き方」でなく、「スポーツ」同様、佐伯教授のいう「遊び」の精神理念をもった「働き方改革」こそが問われているね。 ただ、「スポーツ」でマスコミであまり登場しないのは、帝京大学ラグビー部が9連覇した裏には、軍国主義と正反対の指導をした監督がいることや、箱根駅伝4連覇の青学大の監督の選手の自主性を重んじた指導など、ユニークな指導が逆に「勝利」を呼び寄せていることに注目すべきだね。 そうすれば、現存する別の「スポーツ人生論」が生まれたかもしれない。
2018.06.01
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