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京都大学の数学のセンセイによる中学生のための人生論。お説教クサクナイ好著ではあるけれど、自分にはもう必要ない本なので処分本NO147に認定。
2007.10.31
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旧日本軍人にして『地球0年』の作者の短編集。「もうひとつの世界」を描いた四つの作品は、ジュブナイルでならした作家らしく、語り口巧みで筋の変化にも富んでいる。「雪レイの密使」はヨガとテレパシィ、「さまよえる騎士団の伝説」は魔女裁判とタイムスリップ、「太陽神への讃歌」はアトランティス伝説と時間旅行、表題作は火星人とアトランティスと人造人間がそれぞれモチーフになっている。冒頭のヨガの話を除いてどれもドイツが絡んでくるのは偶然なのか。ハインラインの作品を多く訳した矢野さんにこんな本があるとは知らなかったが、内容が物足りないので絶版だけど処分本NO146。
2007.10.31
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有名なインドのアマラとカマラに関する唯一の本。暗闇で目が光った等生理学的に信じがたい話もあるが、全体として真実味に満ちている。彼女達を自閉症だったという人もいるが、自閉症者は人にさわられるのを嫌うことが多い。また社会性も育ちにくい。二人の野性児の場合はどうも違うようである。今回どうしようか迷ったが、処分は見送ることにした。
2007.10.30
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CEREBRAL PALSY、頭文字をとってCP、日本語にすると脳性まひですが、この言葉は知らない人が聞くとまるで知的障害者であるかのように受けとられるので、頭文字にしているのだと思います。ついでにいえば自分もCPです。さてそのCPサッカーですが、日本代表がめでたく韓国を下し、打倒ブラジルを目指して頑張っているそうです。ただ問題は旅費等の資金が650万円ほど不足していて、皆様の愛のサポートをお願いしますということでした。お問い合わせは電話番号044-555-8038まで。お電話お待ちしております。
2007.10.29
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川柳大会では一席のことを天賞、二席を地賞、三席を人賞といいます。要するに金銀銅であり、それ以外は秀句、すなわち入賞ということです。今まで銅にもかすったことがなかったが、今回はじめて天賞をもらいました(かっこ内はお題)。社会人になってから賞状をいただいたのはこれがはじめてです。賞品の図書券3000円分でどんな本を買いましょうか。・美人ではないがかわいい妻といる(美しい)なおその他選ばれた秀句は以下のとおりです。・間に合うよまだまだ地球美しい(美しい)・本当に気の毒だから黙ってる(気の毒)・お気の毒とは程遠い辞任劇(気の毒)・セクハラはだめよ部長はウーロン茶(雑詠)
2007.10.28
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という文言を小説の中に見つけました。レイ・ブラッドベリの短編です。筋書き的事実とは少し違うのだけれどそれは今は問わないことにします。知的障害者同士の結婚についてはいろいろ考えがあると思いますが、賛成派も子供をつくるとなると意見が割れるようです。生まれてくる子供も知的障害者だった場合、最悪社会の扶養家族が一人増えるだけです。そうでなかった場合…周囲の人達による子供への精神的ケアが必要になるでしょう。最大の難関は、実の親が知的障害者だと知った時に健常の子供がそれをどう乗り越えるかです。処方箋として映画『アイアムサム』が参考になりますが、…生まれてくる子供が健常児にせよそうでないにせよ、育ての親がもう一組必要になるでしょう。いずれにせよ、結婚に当たっては当人同士の意向を尊重しつつ、先々のことまで想定して周囲がサポートできる態勢を整えておく必要があります。…避妊手術も選択肢のひとつですが、強制すべきではありません。むしろ知的障害者が安心して子供を産める環境こそ、日本社会全体の優しさの醸成につながるのではないだろうかと、昨今の親殺し子殺し事件を聞くにつけ思ってしまうのですが、世のお母様方はどうお思いでしょうか。
2007.10.27
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『沈黙』『イエスの生涯』『死海のほとり』など遠藤文学の核となるテーマをつづった短編集。告解集と読んだ方があるいは適切かもしれない。それだけ私小説的ということでもある。「母なるもの」「小さな町にて」はともに隠れキリシタンを題材にしている。弱き者、臆病な者、卑怯な者に目線が行きがちな作者が外人神父から「あなたのキリスト教解釈は浄土教的です」と言われた、というのはおそらく実体験だろうと思う。実体験という意味では「学生」もフランスへの留学体験を下敷きにしたものだし、「ガリラヤの春」「巡礼」も作者のイスラエルへの取材旅行を反映したものであろう。「あの人がわたしの人生を横切らなければ弥次喜多のような世界で呑気に生きることができたのに」という矢代の述懐は、おそらく作者の本音ではないか。「召使たち」「犀鳥」「指」は小説というより随想に近い。前二編は転びバテレンの話、最後の掌編はトマスの指の話である。処分本NO145.
2007.10.26
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対位法的に配置される現代と古代のイスラエル。卑怯な修道士コベルスキーは『沈黙』のキチジローに重なる。小説版『イエスの生涯』。
2007.10.25
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名画にみる『聖書のなかの女性たち』。中に一枚だけまざった隠れキリシタン聖母像が印象的だった。
2007.10.24
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イエスは謎の多い人物です。しかし、遠藤さんの『イエスの生涯』を読めば生誕の謎をのぞくほとんどすべての疑問に対して答を得ることができます。イエスと悪魔の対決は何を意味するか。水が酒に変わることの象徴的意味は。ユダヤの民は何故イエスを熱狂的に歓迎しのちに口汚く罵ったか。ユダの真意は。弟子たちは何故共犯者として訴えられなかったか。イエスは何故十字架にかけられたか。もちろんそれらすべての問いに対する本書の答が正しいなどとは言いません。母子家庭で育った遠藤さんのキリスト像は母性的過ぎるという批判もあるかもしれません。しかし少なくとも不具には納得できるものでした。いつものことですが、遠藤さんの代表作品を読むと涙腺が緩くなって困ります。これを読むと斎藤栄さんの本は表層的で薄っぺらいということがよくわかりました。よって『イエス・キリストの謎』を処分本NO.144に認定します。さて『イエスの生涯』が福音書入門だとするならば、姉妹編の『キリストの誕生』と併せて二冊は新約聖書入門と言えるでしょう。イエスはあくまでもユダヤ教の改革者にすぎませんでした。彼をキリストにまで高めたのは弟子たちだったのですが、彼らとて一枚岩ではありませんでした。まるで『カムイ伝』のように面白く読ませていただきました。合掌。
2007.10.23
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アシモフ、ブラッドベリ、ハインラインといえばそれぞれアメリカSFの知、情、意を代表する大御所。ファンとして一通り全作品をおさえておきたいところだけれど、大体の感じがつかめたら一部を除いて手放してしまってもかまわないと思う。ハインラインでいえば『月は無慈悲な夜の女王』だけが最後まで残る本かな。「よろこびの機械」宇宙時代の宗教と科学。キリスト教は地球の土着宗教なりや否や。「待つ男」火星に棲む精神寄生体の話。「ティラノサウルス・レックス」なんとかとはさみは使い様。「休暇」もしも自分たちの家族を除いて世界中の人類がある日消えてしまっていたら…「少年鼓兵」音楽は兵士に高揚感を与えるんだよ、と少年に説いた南北戦争の英雄。「少年よ、大茸をつくれ!」萩尾望都も漫画化した怪奇小説。「この世の終わりか」ある日突然に永久にテレビが映らなくなったら…「おれたちは滅びてゆくのかもしれない」松本零士の『帰らざる時の物語』を連想。「海より帰りて船人は」海で妻を失った男は自分のなきがらをどこに葬ってほしいと遺言したか。「死者の日」闘牛の日、祭りの日、少年はひっそりと死んだ。前衛映画のような佳作。「刺青の女」刺青は女だけに見えているのか、男にも見えているのか、二人とも気が狂っているのか?「ラザロのごとく生きるもの」抑圧的な母親ほど長生きして息子をだめにする。「世にも稀なる趣向の奇蹟」信じる者にだけしか見えない蜃気楼。「かくてリアブチンスカは死せり」(ジキルとハイド+ピグマリオン)÷2。「オコネル橋の乞食」いったい誰が本物の乞食と偽者の乞食を見分けることができようか?「死神と処女」ファウスト伝説のヴァリエーション。「飛び立つカラス」成功した作家は、いまだ日の目を見ない旧友のもとを訪れるべきではなかったかもしれない。「この世の幸福のすべて」対照的な二人の男は友人の幸福な結婚生活について語る。だがそれは自分の身の上話だった。「ホアン・ディアスのライフワーク」死せる父親、ミイラとなり見世物となりて娘の懐を潤す。「シカゴ奈落へ」世界が滅びた後も語り部は滅びない。シェクリィの短編にもあったような。「国家演奏短距離選手」音楽は偉大なりき。処分本NO.143。
2007.10.22
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実はこの本、町の図書館にもあるのだが、一種の珍本である。本邦初訳だったり現在では入手困難だったりする短編ばかりが収められている。だが、忘れ去られるには忘れ去られるだけの理由があるのだ。もちろん本書に収められたすべての小説にそれが当てはまるというわけではないけれども。第一、空想科学小説という呼び名がレトロだ。空想的科学小説という意味なのか、空想科学的小説という意味なのか、にわかに判別しがたい。おそらくその両方なのだろう。「エイロスとチャーミオンの会話」エドガー・アラン・ポーウェルズの「星」に先んじた破滅テーマの先駆的SF作品。「痣」ナサニエル・ホーソーン完璧な妻の美しい顔のわずかな痣は、生命の泉に直結していた。それなのにその痣をとろうとした夫は…「いかにして重力を克服したか」F・J・オブライエンいまどき夢オチなんて、漫画でもつかわないね。「体外遊離実験」コナン・ドイルウェルズの「故エルヴシャム氏の物語」の方が気が利いている。こちらは単なるドタバタ喜劇で、オチがまた気に食わない。「来るべき能力」エドワード・ベラミイもしもテレパシストの島に漂着したら…「三番目の霊薬」イーディス・ネズビット『砂の妖精』の作者が贈る不老不死になりそこなった男たちの物語。「ロンドン市の運命の日」ロバート・バー霧のロンドン市の大気はある日、毒ガスと化した。たまたま酸素発生装置を手に入れた男だけが助かったが…「自動チェス人形」アンブローズ・ビアスフランケンシュタイン物語のヴァリエーション。もっとも今では人間がコンピュータに負ける時代になってしまった。「テムズ・ヴァレイの大災害」グラント・アレン火山の噴火と溶岩流で滅びたロンドンの話。バーの話に少し似ている。「電気を買い占める」ジョージ・グリフィスマッド・サイエンティストかレックス・ルーサーか。「トカゲ」C・J・カットクリフ=ハイン洞窟の中で主人公が発見したオオトカゲは退化した人間のなれの果てか、それとも…「無線」ラドヤード・キプリング無線実験のはずが降霊会になってしまった。「椅子で暮らした男」ジャック・ロンドン空想科学小説というより怪奇小説かミステリの範疇に属すると思うけれど。「未来新聞」H・G・ウェルズ未来が自分の理想どおりにいかないことを先刻承知のウェルズは、語り手の名前をヒューバート・G・ウェルズと洒落ることにした。処分本NO.142。
2007.10.22
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89~90年、ひまわりだバブルだ湾岸戦争だと明け暮れていた頃にデイリーヨミウリに連載された随想集。日本人読者のために文庫では日英対訳になっています。遠藤さんらしい良識とユーモアが嬉しい一冊でした。
2007.10.21
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中村留吉とエイ子は姉弟だと思っていた。留吉は姉を捜して上京したと言っていたし、のっけからの運命が交互に描き出されていたから。そうではないことがやがてわかるのだが、個人的には男の出世物語より女の転落人生の方に興がいく。エイ子は『わたしが・棄てた・女』のヒロインと同じ種類の女性である。マグダラのマリアの日本版と言ってもいいと思う。…それでいて愛に躓くのは留吉もまた同じなのだけれど。ついでに言うと、この小説は、のちの『王国への道』の原型にもなっている。往年のクレイジーキャッツ主演の映画によく似合いそうな長編小説。処分本NO.141。
2007.10.20
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最悪の事態だけは避けてきた。けれども気がつくと最悪から二番目の選択をしてきたことも少なくなかった。自戒としての述懐である。
2007.10.19
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読んでいただければわかるのですが、決して悪い本ではありません。就中日本の近現代の教育史の論考についてはよくまとまっています。しかしそれにもかかわらず、処分本NO140に認定します。問題のひとつは表題にあります。「入門」などという看板が掲げてあると、たいていの人は公正中立な書物だと思うでしょう。しかし実際はどんな本であっても著者の主観や世界観に貫かれているものです。この本の場合、哲学はふたつあります。ルソーの自然主義とマルクスの共産主義です。要するに(岩波自体が良心的左派出版社なのですが)左翼系の教育観に彩られていまして、日教組なら大喜びする内容でしょう。ルソーの自然主義は結構です。しかし母性を絶対視する彼の哲学は、フェミニストにとっては「敵」です。そこまでいかなくても、男女共同参画社会を目指す日本の将来像にそぐわないことは確かなのですが、先生はそういうことを一切口にしません。またマルクスの思想にもとづく民衆の教育権、学習権という発想自体は評価できますが、では究極の学習権として障害児教育の話がでてくるかというと、これも一言もありません。どうしてでしょうね。まさか「働かざるもの食うべからず」というわけでもないでしょうに。また確かに日本の近現代の教育のあり方にはいろいろ問題があったかもしれません。しかし日本は戦前の弱肉強食の時代のなかで列強の植民地になるよりも植民地をもつ列強になる道を選択しました。列強か植民地か。その中で苦渋の選択を迫られた明治人への思いやりが、もう少し行間にあってもいいと思うのですが。いささか辛辣なものの言い方をしましたが、はじめに申し上げましたように、決して悪い本ではありません。というより、聖書も含めて、すべての本は読みようです。完全な書物などありません。にもかかわらずこういった本が岩波というだけで信用されて、一方では小林よしのりさんの本が「過激」だというイメージが先行して敬遠されます。ああ馬鹿らしい、と自分なぞは思うのですが、しょせんごまめの歯ぎしりなのでしょう。
2007.10.18
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来年は日本人がブラジルに移民して百周年。だからというわけでもありませんが、30年前に書かれたこの本を押し入れから引っ張り出してきました。昔読んだときは、移民の世代間のギャップ問題になるほどそうかと思ったものでした。今回読み直してみるとまた違ったところに目がいきます。アメリカの日系人はあくまでマイノリティーであること。そこから抜け出して白人社会の仲間入りをしたものは映画『マイ・フェア・レディ』のように決して後戻りできないこと。これに比べると南米に移民した日本人はまだよかったが、ペルーでは現地人と利害関係で対立していらぬ苦労をしたこと。ブラジルではうまく立ち回ったが、第一世代は衣食住に苦労したこと。ちなみに人種差別がないと言われる南米でも民族的階級差別は厳然としており、草むしりは女中の仕事だから雇う金がなければ学校のグランドも草茫々だそうです。そんなもったいないことをしなくても生徒にやらせれば教育にもなると思うのですが、そこが身分というものでしょうか。もっともこれは30年前の情報であり、フジモリさんがペルーの大統領となり、「もったいない」が世界語になった現在ではいささか趣が違うかもしれませんので、処分本No.139に認定します。
2007.10.17
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ブックオフで一冊100円で4冊購入。バラ売りだったので売れ残りだが拾いものだった。柳田国男や谷崎潤一郎、武者小路実篤なぞはとうに売切れていたが、そんなもん個人全集で読めばよろしい。通なら長谷川如是閑や辰野隆、三木清に谷川徹三といった名前にこそ狂喜すべきだ。ちなみに谷川徹三は詩人谷川俊太郎の実父である。それなのに家人はこんなもの買うくらいなら服でも買えと言う。お金で買えないものをお金で買うという行為の意味が理解できないのだろう。女子と小人は養いがたしと言った孔子の気持ちが少し、わかるような気がした。
2007.10.16
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特別支援教育が大変だなどと思うのは畢竟健常者側からのものの見方にすぎない。障害者側から見ると、一般校はいじめばかりで大変だな、というのが本音である。
2007.10.16
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あとは採用されるかどうかですが。採用された場合、年末にアップします。採用されなかった場合、近日中にアップします。業務連絡(笑)でした。
2007.10.15
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処分しようと思って再読した本だが不覚にも涙してしまったので保留。聖書のなかの~というよりキリストのまわりの~のほうが適切なようにも思えるけれど、イブとマリアの間の女性たちという意味では表題どおりのタイトルのほうがふさわしいのでしょう。しかしながらこの本の白眉は何と言っても最後の「秋の日記」です。まずこれを読んでから頭にかえって読んでくださいという解説者の進言に、完全に同意いたします。
2007.10.14
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「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて兄とたわむる」と詠んでしまう夢をみた。
2007.10.13
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先日、生まれて初めて眼鏡を買いました。本当は買いたくなかったのですが、どうしても「矯正視力」なるものを測らねばならなくなったのです。こまごました検査の話は置いときまして。生まれてはじめてかけた眼鏡の感覚は、衝撃的でした。世界はこんなに鮮やかなものだったのか、と。鮮やかすぎる。そう、思いました。考えてみれば、裸眼0.7くらいで日常生活に不自由したことはあまりないのです。せいぜい、夜道の運転くらい。だから、夜中は知らない道を通らないようにしています。せいぜい、それくらい。今回必要にせまられてやむをえず眼鏡を買いましたが、できるだけ使わないようにしようと思いました。あの感覚は、ドラッグ(やったことないけど)に似ています。あの感覚に慣れてしまうと、もう眼鏡が手放せなくなりそうです。人間が使うための道具なのに、いつのまにか眼鏡の奴隷になってしまいそうで。大げさな話になってしまいました。けれども、やはり、眼鏡を使わなければ本が読めない、なんて事態は当分ごめんです。人間、裸眼に越したことはありません。作家にもいるじゃありませんか。フランソワーズ・ラガンて。あ、サガンか。それに、世の中あんまりはっきり見えないほうがよいものもたくさんあります。たとえば女性の顔のように。
2007.10.12
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文は人なり、といいます。またリンカーンは男は四十過ぎたら自分の顔に責任を持たなければならない、といいました。そういう意味で、この永井さんという方は、文章も写真も立派なものです。人柄がにじみ出ています。歴代の文部大臣の中でも五指に入る方でしょう。前半の「世界の人々と対話する」は、昭和63年の本であり、データが古くなっていささか時代遅れの感はありますが、それでも見識は立派なものです。しかし何といっても現代に通じるのは、後半の「茶の間で世界を考える」でしょう。教育学の専門家として、永井道雄氏の筆は冴えに冴えています。たとえば『日本人の仲間意識』は文化人類学者の書物でした。そこにはヨコ社会としての仲間の長所はいろいろ書いてありましたが、「仲間」内のいじめの問題についてはあまり紙数を割いていなかったように思います。しかし永井氏は仲間内の「内攻的暴力性」こそ問題だと説きます。単身赴任は家庭の責任の放棄ではなく、住宅問題と教育問題を抱える日本社会ゆえの父親の家庭サービスという逆説的な命題を抱えている、とも。もっともそれゆえにアメリカの転校問題とは別に、母子密着問題が生じていることもまた認めておられます。また、もう20年近く前の話ですが、女性の職業教育のメッカとして文化服装学院という存在があったことも、この本を通してはじめて知りました。このたび再読して、日本社会の少子高齢化は、このころから識者の間で問題になっていたのだということを再認識しました。不幸なことに、この本が刊行された直後から、日本の「失われた10年」が始まるのですけれども。処分本NO.138。
2007.10.11
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本書が中根千枝氏の『タテ社会の人間関係』を意識したものであることは著者自ら認めています。それに対して日本における仲間社会というヨコの人間関係のありようを考察したのが特色だとも言えるでしょう。日本社会の階層構造をミウチ-ナカマーセケン-ハラカラと分けたのはなかなか面白いと思いました。仲間の最小単位が夫婦であり、仲間割れというように強固であると同時にうつろい易いものだというのも確かにそうかもしれません。仲間には仲間内のルールがあり、それは世代を越えて引き継がれ、伝統になります。30年前の本なので著者はそこまで言っていないのですが、企業における年功序列と終身雇用制度が崩壊してしまった現在、仲間意識こそが日本人の帰属感を支える最後の砦なのかもしれません。それが強すぎても組織ぐるみの犯罪に、弱すぎても個人の凶行につながるわけで、バランス感覚が取りづらい時代になりました。処分本NO.137。
2007.10.10
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院生の頃新刊で購入したのでもう15歳になる本だが、今読んでも内容は全然古びていない。著者の仮説に対しては人によって異論があるかもしれないが、自閉症者を宇宙人としてとらえるのではなく、健常者と地続きの住民として受けとめる姿勢に好感がもてる本である。
2007.10.10
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懐かしいですね。子供の頃ブームでしたが今も世界大会が開催されているとは知りませんでした。それより感心したのはこの大会の参加部門の多様性です。目かくし部門や足操作部門、片手部門なんてのもあるのだそうです。気がついた人はとっくに気がついていると思いますが、これって一種のバリアフリーですよね。何だか嬉しくなりました。日本人でなくていいから、近い将来誰か障害者の人が入賞してくれると嬉しいな。
2007.10.10
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ダンボールの奥からでてきた本。昭和35年刊だから蔵書の中でもかなり古いほうでしょう。旧漢字旧かなづかいなのでなれないと読みづらいと思います。著者は今上天皇が皇太子だった頃の専属家庭教師で、愛読書は漱石、鴎外、福沢だそうです。書いてあることはそうムツカシイものではなく、要するに古典を読め、大著を読め、洋書を読め、翻訳してみよ、覚書を残せ、自分の頭で考えよ云々というものです。今更そういうことを教えていただく必要はないのですがしかし、この類の書物は著者と静かに対話することにこそ醍醐味があるので、その意味では最終章の「読書の記憶」の内容がもっとも興味深いと言えるかもしれません。残念ながら現在蔵書の整理中であり、この著者と再び対話することはないでしょう。処分本NO.136。
2007.10.09
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田原さんは余程エリートという言葉がお嫌いのようです。たたきあげのプライドと敗戦体験ゆえでしょうか。政治の頭と防衛をアメリカに委ねた戦後日本の方が、国家戦略をもって世界に立ち向かった戦前の日本より平和だった。だからそれでよかったのに、ニクソンが為替レートを変動制にしたり、日本の頭ごしに中国と仲良くしたりするものだから、日本も独自戦略路線を考えざるを得ず、田中内閣が誕生した。それから日本のパワーエリート支配が始まった、というのですから。続く章で官僚や二世議員がパワーエリートとして日本を支配する、と危惧されているのはその後の薬害エイズ問題や年金問題などを洞察されていたようで(笑)、さすが田原さんといったところでしょうか。それでいて最終章では世界を支配している真のパワーエリートはロックフェラーだというのですから首を傾げます。世界のパワーバランスはガチンコ勝負であって、影響力と支配力は違うからです。田原さんは国を守る、ということを何かうさん臭いものとしてとらえられておられるようです。しかしそれは・アメリカが共産主義の防波堤として日本を守ってくれたから・アメリカが徹底的に日本人に平和主義を擦り込んだからそうなったのだしそれですんでいるという声には耳を塞いでおられるのではないでしょうか。また戦前の世界が今とは較べものにならない程有色人種に対して差別的な社会であり、遅れて来た列強としてやり方に多少問題があったにせよ、日本がそれに対して敢然と立ち向かったからこそ戦後の世界があるのだという認識にも欠けておられるようで、大変残念であります。処分本NO.135。
2007.10.08
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これも1980年代の古い本。著者が医師なので医学の進歩とコンピュータに関する下りは興味深い。最終的に診断をくだすのは人間であり、コンピュータはその道具に過ぎないこと。人間の脳もコンピュータと同じく論理的に考えることをができるが、コンピュータはそれだけしかできないこと。当たり前のことだが見逃しがちなことでもあり、機械言語によるプログラミングを紙上で再現することでコンピュータの能力の高さと限界を示す。ちなみに二進法の発案者は微積分で有名なライプニッツで、当の本人は中国の陰陽思想から着想を得たそうだ。ついに実現できなかった第五世代コンピュータの話などいささか古い記事もあるが、基本的に著者の見識の高さには頭が下がる。ただやはり時代的に役目を終えた書物なので、処分本NO.134に認定。
2007.10.08
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副題を「21世紀の日本が危ない」。有名なので読んだことがない人でも題名はご存知の方が多いと思います。私見を申し上げますと、この手の本は図書館で借りて「情報読み」するのが賢い読書生活でしょう。実際読んでみますといろいろなことが書いてありましたが、論理的に述べてみますと、こういうことでした。・数学は論理的思考力の育成に役に立つ。・アメリカを含め諸外国では大学受験生の数学の水準が高い。・一方、日本では多くの私立文系大学で数学が入試科目から外れているため、数学のできない学生が文系に多く入学してくる。早稲田の政経も例外ではない。・昔は国私併願が多かったのでさほど問題はなかったが今は早くから進路が枝分かれしている。特に中高一貫教育によって進学率を上げるため、早くから国英社に絞って勉強するようになったため事態が深刻になっている。・私立校でも数学の単位は取らなければならないが、日本の制度では修得しなくても履修すれば(出席すれば)単位がもらえるところに問題がある。・また理系でも、数学のさまざまな科目がすべて必修ではなく選択性になったため、幅広い数学的教養をもった学生が減ってきている。・科学技術の発展は数学の発展とともにある。資源小国の日本では人的資源がすべてであるにもかかわらず、これでは数学的応用力の低下により将来が危ぶまれてならない。・科学技術だけではない。金融工学といわれるように、昨今の経済学は高度な数学的能力がなければアメリカをはじめとする金融先進国に太刀打ちできない。だから理工学部の卒業生が銀行の金融部門で活躍したりするのである。・またその他の文系的分野でも、教育学や心理学など、統計的手法を必要とする学問が多い。純粋に文学や哲学や歴史の世界を専攻するのでない限り、数学ができなければ一流大学を出ても、真に組織に必要な人材とはみなされないだろう。数学が赤点で私立の文学部を卒業した身としては「数学ができなければ大学に進学する権利もないのか」と反発を覚える反面、なるほどなあと首肯せざるを得ない複雑な心境です。なお問題なのは私立文系の学生だけではなく、国立文系も、私立理系も、国立理系の学生も年々数学的素養・能力が落ちてきて大学の授業に苦労する、という記事が書かれていました。なお、一番面白かったのは「創造性論議の落とし穴」で、古い理論は新しい理論を理解できないが、新しい理論は古い理論を包括し理解できる、というものでした。たとえば天動説では地球とつきと太陽の動きを説明できますが、惑星の動きは複雑になります。これをもっと合理的に説明できるのは地動説です。似たようなことはユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の関係、ニュートン物理学と量子力学などの間にもいえるそうです。いずれも、後者のほうが進歩的ですが、前者も範囲を限定して考えれば「間違っている」というわけではありませんし、むしろ有用でもあります。そして今「正しい」とされている理論も、将来的には天動説やユークリッド幾何学、ニュートン物理学と同じような位置に「転落」しないとも限らないといいます。そしてそれこそが数学や科学の進歩であると。なるほどなあ、と感心してしまいました。
2007.10.07
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日本人論の一冊だと思ってその昔の学生時代タイトル買いした本。そのまま積読状態だったのを斜め読み。内容的には簡単です。・大脳基底核…本能…爬虫類の脳・大脳辺縁系…情緒…下等哺乳類の脳・大脳新皮質…知性…霊長類の脳という、脳の進化論をベースにして、日本のCMは本能と情緒に訴える、だから短絡人間が増えてきた、というもの。なんだが赤塚不二夫やら永井豪やらが全盛期だったころのマンガ俗悪論と重ね合わせて拝聴してしまいました。まあ、たしかにそういう面もあるかもしれません。この本が出たのはまだ1983年、今から20年以上も前の話だけれど、そのころからすでに「凶悪犯罪」が社会問題となっていたというのですから。しかしどうみてもミヤザキ以降、サカキバラ以降のほうが犯罪はより猟奇的、より陰湿になっていると思うんですけれど。どうみても昔の「ハエハエカカカ、キンチョール」の時代に比べて、今のCMの方がおとなしいと思うんですけれど。まあ自分もあまりテレビを見ないし、1983年に書かれた本に文句いっても仕方がないんですけれどね。今はインターネットの方が過激ですし、著者がもし今本を書くとしたらそちらの方を攻撃されるかもしれません。ただいわゆる「決めつけ」という点では、今(1983年)の母親の育児下手に言及しつつ、核家族化が進む社会現象については一言もないアンバランスさも気になりました。ただし、知・情・意のバランスがとれてこそ人間なんだ、という論旨にはまったく賛成であります。処分本NO133。
2007.10.06
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名前をふたつ続けたような姓名の方ですが、昭和40年代~平成のはじめ頃までのマンガ史としてコンパクトによくまとまっています。ただ刊行が平成5年なので、その後の海外におけるMANGAブームについての言及はありません。さらにきついことをいえばある程度のマンガ読みにとっては常識的なことがほとんどなので手放すことにしました(処分本NO132)。決して三原順さんの名前も小林よしのりさんの名前も針すなおさんのお名前も見当たらなかったから、ではありません(笑)。一ノ関圭さんという漫画家の名前を知ったのだけが収穫でした。
2007.10.05
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発表されたとき(すべてではないにせよ)すでにその大半が鮮度を失っているのは、それだけインサイダーが多いという証拠であろう。
2007.10.05
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人間の平均寿命を越えて読み継がれる本があれば、それは間違いなく良書である。
2007.10.04
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あらゆる文芸のうちもっとも下位に属するのが警句すなわちアフォリズムであり、川柳はその次に位置する。前者には鋭い風刺乃至機知があればよいが、後者にはユーモアの精神も要求されるからである。
2007.10.03
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下がれば楽天もつれ安♪まあ三空叩き込みだからねえ…
2007.10.02
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夜の診察依頼の電話は基本的に・個人から…救急部研修医・病院から…救急部当直責任医につなぐことになっています。問題は、からかかってきたを当直責任医につないでも、電話中などでつながらないときです。研修医につないでも…「かけなおしてもらってください」そこで「すみません、ただいま救急車が殺到しておりまして(ウソ)ドクターが電話に出られない状態で…恐れ入りますがもうしばらくしてかけ直していただけませんでしょうか」「急ぐんですよ! こちらも一刻を争うんです!」そういうときに限って相手方の先生は○○病院の院長先生だったりします。当直医の先生はまだ話中。思い余ってオンコール(待機)の先生にコールして事情を説明すると、「かけなおしてもらってください!」と一喝。そんなこといわれたって、ねえ。仕方がないからもう一回当直医の先生をコールすると、今度はつながりましたこれでつながらなかったとしたら、あとでまたこっちに苦情がくるんですよねえ。そりゃ、いくらでも説明はしますけれどさ。ホント、派遣職員はつらいです
2007.10.01
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