身近な動植物 0
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聖書を通読中ですが、今回は『申命記』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ17巻目にすぎません。なお、前回の『民数記』は旧約聖書のモーセ5書に分類されていますが、今回の『申命記』もモーセ5書のうちの1巻になります。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。(8章3節)【上記の感想】『マタイによる福音書』の4章4節に、イエスの言葉として、「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」というのがあります。『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』という部分は、申命記から引用したと言われています。今回、申命記を読んで、このイエスの言葉の意味が少しわかるようになりました。つまり、今までは「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という部分が、よくわかりませんでした。が、神の言葉である「マナよ降れ」があったがために人々を飢えから解放させた、という過去の出来事をふまえた上でのイエスの言葉であることが、わかりました。【この本からの引用】水中の魚類のうち、ひれ、うろこのあるものはすべて食べてよい。しかしひれやうろこのないものは、一切食べてはならない。それは汚れたものである。(14章9-10節)【上記の感想】2年前の私の日記に、次のようなコメントがありました。以前、アメリカにhome stayした時、酒のつまみにイカの加工品を持っていきました。「この国(アメリカ)では、イカとタコは 悪魔の生き物」と言われ、嫌な顔されました。常識なんて、その国を知らないと分からないものですね。^^当時の私は聖書を読んでいなかったので、何がなんだかさっぱりわからない状態でしたが、今はわかるような気がします。この方がhome stayした家庭は、敬虔なユダヤ教徒だったのかもしれませんね。しかし、難しいものです。【この本からの引用】隣人のぶどう畑に入るときは、思う存分満足するまでぶどうを食べてもよいが、籠に入れてはならない。隣人の麦畑に入るときは、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない。(23章25-26節)【上記の感想】上記からは、潮干狩りのルールを連想してしまいます(笑)。ある海の公園のHPには、潮干狩りの時の禁止行為として、次の3点を挙げていました。(1) 幅15センチメートルを超える貝採り器具の使用を禁止する(2) 2センチメートル以下の稚貝の採取を禁止する(3) 一人が一度に採る貝の量は2キログラム以内とするこのうち(1)と(3)は、上記引用部に通じるものがあります。つまり、3000年前も今も人間が強欲であることには変化がないようです(笑)。
2006/10/09
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1989年に発行されたこの本は、当時50歳代の関西学院大学教授によって著わされました。ここで関西学院大学について調べましたが、HPによると、米国の南メソヂスト監督教会のランバスが創立したとのことです。当初は、ランバスと5人の教師、そして19人の生徒という小さな私塾としてスタートしたとのことです。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書きます。【この本からの引用】神を第一にすることなく、自分のための業にのみ励む者は、ざるに水を汲むようなもので空しい努力に過ぎないのである。【上記の感想】なかなか良い言葉です。普段の忙しさにかまけていると神のことを忘れている、そういう日々の生活を反省させられる言葉です。私は聖書を読んでいますが、現時点ではキリスト教徒ではありません。おそらく日本では一番多いと思いますが、「敬虔でない仏教徒」の1人ですが、日々の生活では先祖に感謝する気持ちは全く忘れていますね。何とか年に2回の墓参りを欠かさずにしている程度ですが、少々反省させられます。【この本からの引用】伝道の書とはヘブル語で「コーヘレス」であり、その意味は「集会を司る者の書」、「伝道書」といったことである。しかし著者は伝道者というイメージよりは、むしろ自由思想家であり、誌的で魅力のある文章を書いている。【上記の感想】7月17日の日記に「コヘレトの言葉」の感想文を書きましたが、この「コヘレトの言葉」の別名が「伝道書」のようです。聖書の中では異色の章であると思いますが、なかなか楽しく読めます。今回は、「伝道書」の中のまりにも有名な言葉を挙げておきます。「空の空、空の空、いっさいは空である」【この本からの引用】ヨブ記は諸書(ケスビーム)に属し、「知恵文学」と呼ばれている。【上記の感想】ヨブ記を分類する際、ケスビームに属するとのこと。今回は、「ケスビーム」という初めて聞く言葉について調べておきます。ネットで調べただけですが、旧約聖書の各章の分類の仕方の一つのようです。トーラー、ナービーム、ケスビーム(律法、預言、諸書)と分類されているようです。
2006/10/08
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聖書を通読中ですが、今回は『民数記』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ16巻目にすぎません。なお、前回の『レビ記』は旧約聖書のモーセ5書に分類されていますが、今回の『民数記』もモーセ5書のうちの1巻になります。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】自分たちのために幾つかの町を選んで逃れの町とし、過って人を殺した者が逃げ込むことができるようにしなさい。町は、復讐する者からの逃れのために、あなたたちに用いられるであろう。人を殺した者が共同体の前に立って裁きを受ける前に、殺されることのないためである。(35章11-12節)【上記の感想】北方謙三の小説に『逃れの街』がありますが、私はこの作品を読んだことがあります。残念ながら内容はすっかり忘れてしまいましたが、なぜかタイトルはよく覚えています。それはともかく、逃れの町という言葉が、聖書で使われていたのは、新たな発見でした。過って殺人を犯した者が逃げ込めるように逃れの町を作るのは、裁判を受ける前に復讐により殺されるのを防ぐのが目的のようです。3000年前に裁判制度や刑務所の原点があったわけで、神妙な気持ちになります。ある牧師の説教を読んでみると、「罪人がイエス様を逃れの町として、救いを求めることの暗示ではないでしょうか。この逃れの町のことは、私たちがイエス様の十字架の贖いによって、罪の赦しを与えられることの型と見ることができます」と書かれています。つまり、殺人を犯すことは稀にしても、無意識のうちに人の心を傷つけるなどの罪を犯していることが非常に多い。つまり誰しもが罪人であるわけで、その罪の告白と悔い改めをして、救われようという感じだと思います。【この本からの引用】エジプトでは魚をただで食べていたし、きゅうりやメロン、葱や玉葱やにんにくが忘れられない。今では、わたしたちの唾は干上がり、どこを見回してもマナばかりで、何もない。(11章5-6節)【上記の感想】人間とは不満を持ちやすいものだなと思います。私自身9月に転職したばかりなのに、採用してもらった感謝の気持ちは少なくなり、逆に不満な気持ちが募ってくるという状態です(笑)。まあ、こういった気持ちは3000年前の人々も同様であったようで、自己嫌悪に陥る必要はないと言えそうです(苦笑)。前の会社ではもっとのんびりできたのになあ、残業はほとんどなかったのになあ、なかなか正式な配属先が決まらないなあ、などのくだらない不満。こんなことではいけないと思いつつも、3000年前の人々とつながる自分に安心感を抱いております。
2006/10/01
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この本は1991年に発行されました。著者は新潟県柏崎市生まれの方で、私が住んでいる市川市にある富貴島教会を設立された方です。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】この、路地の奥の迷路のような場所にあって、教会が消滅してしまわないで、私が死なないで、今日ここに立って、最後の説教をしているということは、不思議であり奇跡であります。一人の信徒もいない。土地もない。会堂もない。私には健康もない。金もない。無から今日まで四十年間、豊かに導き給うたのは、天地を造り給うた全能の神であります。【上記の感想】上記は、著者による富貴島教会最後の説教(1990年3月11日)からの引用です。年表によると、著者が日本基督教団菅野伝道所を開設したのは、1949年4月3日です。その時はまだ現在の富貴島教会は設立しておらず、個人の家の2階を借り、菅野伝道所と称していたようです。非常に苦しかったスタートのようで、四十年という歳月の後に、最後の説教ができたことは、非常に悦ばしいことと思います。【この本からの引用】私は会報「野の百合」に記しましたように、戦時中栄養失調になりまして、死にそうになりましたが、そのまま開拓伝道をしてまいりました。微熱が下がりませんので、胸と背中に湿布をして昭和学院に来て、昭和学院の中より、菅野伝道所の届けを教団に出しました。【上記の感想】「野の百合がどうして育つのか、よくわきまえ知りなさい。・・・・ しかし、私はあなたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほ どにも、着飾ってはいません」(マタイ6:28-29)このようにマタイ福音書には書かれているようですが、私の手元にある新共同訳では、「野の百合」ではなくて「野の花」と書かれています。聖書により微妙に記述が異なりますが、更に混乱することには、これはアネモネのことを言っているとの説があります。話が横道にそれますが、アネモネとはギリシャ語で「風」の意味であるそうで、風の当たるところにアネモネは育つようです。話を元に戻しますが、マタイ6:28-29はどういうことを言っているのでしょうか。いつも通りに牧師の説教を引きますが(笑)、次のような意味であるそうです。「栄華を極めたソロモン王でさえ、この花ほど美しく着飾ることはできませんでした。野の花のいのちと輝きは金銀宝石に優ります。野の花はその存在のすべてを創造主である神に安らかに委ねています。神に委ねる心には思い煩いがありません。」ありのままの自分でいることの素晴らしさを、書かれているようです。私は9月1日から新たな会社で働き始め、やはり色々と思い悩むことが多いです。どこかで、頑張らなければという必要以上の気負いがあるようです。自分としてはそれほどではないと思うものの、無意識のうちに余計な力が入っているようです。気持ちが楽になる聖句として、心に留めておきたいと思いました。
2006/09/30
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聖書を通読中ですが、今回は『レビ記』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ15巻目にすぎません。なお、前回の『列王記 下』は旧約聖書の歴史書に分類されていますが、今回の『レビ記』は、モーセ5書のうちの1巻になります。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】それゆえ、わたしはイスラエルの人々に言う。あなたたちも、あなたたちのもとに寄留する者も、だれも血を食べてはならない。(17章12節)【上記の感想】この聖句は、エホバの証人の信者の一部が、輸血を拒否する根拠としている聖句です。要するに、血を食べてはならないと言う部分を拡大解釈したものというのが、一般的な見解であります。しかも、この聖句の血というのは、人間の血ではなく、動物や鳥の血のことを指しています。ウぃキペディアにも輸血拒否という項目がありますが、実際に裁判で争われたようで判例もあります。なかなか難しい問題であります。【この本からの引用】土地から取れる収穫量の十分の一は、穀物であれ、果実であれ、主のものである。それは聖なるもので主に属す。(27章30節)【上記の感想】この聖句は、悪徳宗教に利用されそうです。収入の十分の一は教祖様のものだと書かれています(笑)。【この本からの引用】もし同胞が貧しく、自分で生計を立てることができないときは、寄留者ないし滞在者を助けるようにその人を助け、共に生活できるようにしなさい。あなたはその人を助け、共に生活できるようにしなさい。あなたはその人から利子も利息も取ってはならない。(25章35-36節)【上記の感想】4月15日の日記を読み返すと、同じ箇所を引用していました。そこで、利子と利息の違いについて言及しましたが、この聖句の場合は、そこまで厳密に使い分けてはいないように思います。文章のリズムというか、何も受け取ってはならないと強調するためか、そんな理由で、「利子も利息も取ってはならない」と書かれたように思います。
2006/09/24
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この本は、1988年に発行されました。著者は脳性麻痺として生まれた障害者の方です。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書きます。【この本からの引用】「レアは目弱かりしが、ラケルは美しくてかおよし」(創世記29・17)【上記の感想】上記は聖句なので、孫引きになります。この部分を、私が通読中の新共同訳聖書のよると、次のように書かれています。「レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく容姿も優れていた」さて、この聖句ですが、著者によると、レアは弱視であったと推定されています。以上は、新旧の聖書により、随分と表現が異なるものだと思ったので、書きとめました。【この本からの引用】ユダヤの律法によりますと、らい病人はもっときびしい目で見られていました。その人がらい病と認定されると、その衣服を裂き、口をおおい、人が近づかないように「私は汚れています。私は汚れています」と叫びながら歩かなくてはなりませんでした。【上記の感想】障害者にとって、特に旧約聖書は、かなり酷な内容です。レビ記を読むと、引用部のことが書かれています。また、レビ記で献げ物について書かれた箇所では、いたるところに「無傷の」という形容がついています。一例を挙げると、「牛を焼き尽くす献げ物とする場合には、無傷の雄をささげる」(1章3節)と。なお、上記文章中に不適切な表現がございましたら、御指摘していただきたく存じます。
2006/09/23
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聖書を通読中ですが、今回は『列王記 下』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ14巻目にすぎません。なお、前回の『列王記 上』は旧約聖書の歴史書に分類されていますが、今回の『列王記 下』も、当然ながら、旧約聖書の歴史書に分類されています。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】ゼデキヤの治世第9年の第10の月の10日に、バビロンの王ネブカドネツァルは全軍を率いてエルサレムに到着し、陣を敷き、周りに堡塁を築いた。(25章1節)【上記の感想】上記は、紀元前588年のことを書かれています。その2年後の紀元前586年にいわゆる「バビロン捕囚」という歴史的事実が起こりました。エルサレムは破壊され、ゼデキヤ王以下ユダヤ人たちはバビロンへ連行されたという事件です。この事件では、日本の歴史上の出来事に似ていることが2点ありました。1点は、連行されたユダヤ人がどういう労働に従事したかです。それは、職人など熟練労働者はバビロン市に移住させられ主として建設事業に従事することになったそうです。もう1点は、バビロン捕囚の50年後のことです。すなわち、紀元前537年に、ペルシア王キュロスの命令によって、ユダヤ人たちは解放され、故国に戻る許可を得ました。つまり、新バビロニアがアケメネス朝ペルシアに打倒されたことにより、バビロン捕囚が終焉を迎えたわけです。しかし、実際には、相当数のユダヤ人はバビロニアに残留する道を選んだと推定されています。ユダヤ人がバビロニアに強制移住させられて以来既に半世紀以上の歳月が経過しており、多くのユダヤ人達は現地に根を下ろしていたと考えられるからです。なかなか考えさせられる事件だと思いました。【この本からの引用】彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった。(22章2節)【上記の感想】南ユダ王国は、紀元前931年に始まり、紀元前586年に滅ぼされるまで、20人の王が歴史をつくり、345年続いたそうです。が、聖書の記述によると、悪しき王が多いですね。悪しき王とは、異教の神を拝んだり、偶像をつくったりしたということです。それでも、ヒゼキア王やヨシヤ王のように、宗教改革を断行し、父祖ダビデの道に帰るように指導した王も、数人はいたようです。上記の引用部は、ヨシヤ王について書かれた部分です。100年に1人の逸材とかの形容を聞くことがありますが、この南ユダ王国の場合は、345年で本当の名君は2人だけだったのかもしれません。今も昔も、本当の名君に巡りあう確率は、非常に低いものなのかも。
2006/09/17
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この本は、1982年に発行されました。月刊誌『婦人之友』に連載されたものをまとめた本で、著者は31名の方々です。ここで、婦人之友社のHPを見てみると、「婦人之友社の歴史は、1903年(明治36年)、当時気鋭のジャーナリスト羽仁吉一、初の女性新聞記者羽仁もと子による雑誌『家庭の友』から」始まったとのこと。すでに、100年の歴史があります。また、ウィキペディアで羽仁もと子(1873年9月8日 - 1957年4月7日)を調べると、「17歳で洗礼を受け、生涯にわたってキリスト教を信仰したが、教会に属さない無教会の立場であった」とのこと。また、「1921年、読者の子への家庭的な教育を目指して、当初は女学校として東京・目白に自由学園を創立した」とのこと。なお、創立時の自由学園は、明日館として国の重要文化財の指定を受けて一般に公開されています。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書きます。【この本からの引用】傷ついた旅人のところに走り寄ることによって、隣人になるのである。隣人とはだれのことだろうか、隣人とは、自らがなるものなのである。それなくして、隣人とは誰かと問うことは空しい。【上記の感想】6月17日の日記で隣人について触れましたが、まだまだ私は隣人を分かっていないようです。この引用部の「隣人とは、自らがなるものなのである」という部分は、納得させられました。【この本からの引用】ルカ伝は、「敗残者の福音書」ともいわれるほど、筆者の思いは、不公平な戦いを強いられてこの世に生きている人々の上に注がれております。【上記の感想】ルカ伝は、「敗残者の福音書」といわれているとのこと。私自身が少なくとも勝者ではないためか、惹かれる言葉です。筆者によると、例えば、マタイ伝では「幸福なるかな、心の貧しき者」(5章3)が、ルカ伝では「幸福なるかな、貧しき者よ」(6章20)と書かれているのも、その一例だとか。また、貧者と富者の差は、墓までで終わりを告げるとの部分には、救われます。
2006/09/16
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聖書を通読中ですが、今回は『列王記 上』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ13巻目にすぎません。なお、前回の『サムエル記 下』は旧約聖書の歴史書に分類されていますが、今回の『列王記 上』も、当然ながら、旧約聖書の歴史書に分類されています。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】王は命じた。「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」生きている子の母親は、その子を哀れに思うあまり、「王様、お願いです。この子を生かしたままこの人にあげてください。この子を絶対に殺さないでください」と言った。しかし、もう一人の女は、「この子をわたしのものにも、この人のものにもしないで、裂いて分けてください」と言った。(3章-25~26節)【上記の感想】ここは、ソロモン王の名裁きの場面で、日本でも「大岡裁き」に取り入れられているとか。裁きの部分を引用すると、「この子を生かしたまま、さきの女に与えよ。この子を殺してはならない。その女がこの子の母である」とのこと。つまり、最初に発言した女が本当の母であると、宣言されたわけです。この話はよく知られているので、新たな感動を呼び起こすことはないかもしれません。科学的なこと、客観的なことでなければ納得しないようになってしまったのが私達です。本当の母親を確定するのに必要ならば、DNA鑑定をすればいいというのが、現在の私達の感覚であろうと思います。ソロモンの知恵の顕現の一つと言われる上記の件ですが、そこには確かに「知恵」が見えます。しかし、DNA鑑定の結果を盲目的に信じる私達は、残念ながら、「知恵」の部分は、3000年前よりも退化していると言わざるを得ないようです。【この本からの引用】王は彼らに厳しい回答を与えた。王は長老たちの勧めを捨て、若者たちの勧めに従って言った。「父がお前たちに重いくびきを負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる。」(12章13~14節)【上記の感想】上記の「王」とは、3代目の王・レハブアムのことです。ダビデ→ソロモン→レハブアムというのが王の系譜ですが、ダビデやソロモンは知っていても、レハブアムは今まで全く知りませんでした。どんな人物かというと、ソロモンの子にあたるのですが、一言で言ってしまうと3代目のボンボンです。昔も今も3代目というのは、先代が作り上げたものをダメにするというパターンが多いようです。こんな酷評をしてしまいますが、私の父が長男、私も長男というのが私の家の系譜ですが、子供を設けることなく私の人生も終わることはほぼ確実で、いよいよ家系断絶ということになりそうです。最も、私の家は名家であるはずもないので、そういった意味では天皇家とは比較の対象になることもなく、かなり気楽です。何時の間にか、永遠とは幻想であるとか、何も残らなくていいではないか、といった言葉に惹かれる自分を発見します。その言葉に勇気付けられ、慰められの人生です。何やら本題からずいぶんと離れた感想になりましたが、ここで筆をおきます。
2006/09/10
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この本は、1986年に発行されました。著者のホセ・ヨンパルト氏は、1930年スペイン生まれの方で、この本を執筆当時は上智大学教授でした。この本のカバーに、「日本図書館協会選定図書」と書かれていますので、少し寄り道をしてみます。まず、日本図書館協会のHPは、こちらです。そして、「日本図書館協会選定図書」ですが、あるサイトに次のように書かれています。「日本図書館協会より任命された各専門分野の選定委員約 50 名が、現物一冊一冊に必ず目を通し、公共図書館に適している本として選択されたものです。年間 6 万点以上の新刊本のなかから平均 16 パーセントの書籍が選定図書に選ばれているそうです。」これから判断するかぎりでは、「日本図書館協会選定図書」というのは、大したものではなさそうです(笑)。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】神は一つですが、一つでありながら、「父」、「子」(キリスト)、そして聖霊の三者があります。そしてこの三つのペルソナは、いずれも完全な神であり、しかもこのことは神が三つあるということではないのです。これは、いわゆる「三位一体」という信仰の奥義(秘儀)であり、どんなに説明しても理解され得るものではないのですが、プロテスタントの人もカトリックの人も、これを理解できないにしろ、皆、「信じる」のです。【上記の感想】いわゆる「三位一体」について書かれています。難しいものです。理解され得るものではないとのことなので、わからなくても悲観することはないのだろう。もちろん、私もわかりません。小泉総理の「三位一体の改革」というのが話題になりましたが、たしか地方分権を進め、国の支出を減らす改革であったと思います。この場合の、三位一体とは、単に「3つの物をあわせて」という程度の意味で使われていたようです。【この本からの引用】この宗派の人々は、新約聖書とキリストを認めないからです。エホバ(これは旧約聖書の「ヤーウェ」のことですが)の証人は、旧約聖書だけを認め、その時代だけユダヤ人だけが守るべきであったものを、今現在、非常に異なった解釈によって守ろうとしているのです。【上記の感想】エホバの証人について書かれた箇所です。エホバの証人について触れた日記は、2004年9月25日の日記で触れた程度で、ほとんど知りません。それゆえに、安易な言及は避けます。ただ一つだけ言えるのは、エホバの証人はキリスト教系ではなくてユダヤ教系であるという方がいますが、上記よりその指摘は明らかであると思います。
2006/09/10
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聖書を通読中ですが、今回は『サムエル記 下』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ12巻目にすぎません。なお、前回の『サムエル記 上』は旧約聖書の歴史書に分類されていますが、今回の『サムエル記 下』も、当然ながら、旧約聖書の歴史書に分類されています。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】翌朝、ダビデはヨアブにあてて書状をしたため、ウリヤに託した。書状には、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」と書かれていた。(11章14-15節)【上記の感想】ウリヤの妻であるバト・シェバとダビデは関係し、バト・シェバが子どもを身ごもったため、ダビデが家臣のウリヤを戦死させようとし、実際そうしたわけですが、ここは、物語として読むと、中々面白いです。まあ、これが現在の出来事であるならば、面白いなどと言ってはいられませんが。しかし、当の本人であるウリヤに、「ウリヤを激しい戦いの最前線に出し、彼を残して退却し、戦死させよ」という書状を託すというのも、すごい根性です。最も、当時の通信手段には、電話や郵便などというものがあるわけでもなく、それほど不思議なことではないのかもしれませんが。ともあれ、まさか殺人までは犯さないでしょうが、現在でも、我が身のために他人を犠牲にするのは、珍しいことではないはずです。今までの人生でそういうことがなかったか、反省を交えながら、今宵はゆっくりと過去に思いを巡らせてみよう。【この本からの引用】ヨナダブはアムノンに言った。「王子よ、朝ごとに君はやつれていく。どうかしたのか。どうして打ち明けないのだ。」アムノンは彼に言った。「兄弟アブサロムの妹タマルを愛しているのだ。」(13章4節)【上記の感想】ここも、物語として読むと、引き寄せられる箇所です。新約のパウロの手紙と比べると、面白さには雲泥の差があります(笑)。アムノンは、異母妹のタマルを愛するあまり、思いを遂げてしまうわけですが、これは当時のイスラエルでは許されないことであったようですし、しかも合意の上ではなくして、思いを遂げてしまったわけです。今も昔も人間は変わらずに罪を犯すことがわかります。そして、思いを遂げた後のアムノンだが、これがまたあまりにもジコチューで呆れます。すなわち、「立て。出て行け。」とタマルを追い出してしまうわけです。しかし、我が身のために他人を犠牲にするという罪を、人間は誰しも犯しうるわけで、中々考えさせられる場面です。「人の振り見てわが振り直せ」というのがありますが、かなり皮肉を含めていますが、アムノンは後生に反面教師としての存在感を示したという点では評価されましょう。最後に画像を載せます。ミケランジェロによるダビデ像(1504年)ですが、有名な像ですから、画像をご覧になった方は多いと思います。何で裸体なのかは、よくわかりませんが(笑)。私は実物を見たことはないのですが、高さが434センチもあるとのこと。思ったよりも大きいですね。
2006/09/03
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1997年に発行されたこの本は、レバノンのベイルートで生まれ、サウジアラビアで育った著者により、著わされました。この本は、いわゆる「読み物」と思いますが、キリスト教の影の部分を知っておくことも無意味なことではあるまい。そのような考えで、読んでみました。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】ユダヤ人はまたしても商工業から追い出され、残された道の金融業へと逃げ込んだ。だから、ユダヤ人を迫害することは、借金を帳消しにする便利な方法でもあった。負債のある王たちは宗教問題をネタに、貸主のユダヤ人の財産を没収し、彼らを領地から追放したのだ。【上記の感想】2005年1月3日の日記を読み返してみると、ユダヤ人は「中世以来、疫病や災害といった天変地異が生じて社会が混乱に陥るたびに、ユダヤ人がその元凶であるとして、彼らを迫害・弾圧するポグロムという行為は、ヨーロッパでは日常茶飯事で行われていた」とのこと。一つの原因が、キリスト教徒は高利貸しの職業に就くことは禁じられていましたので、ユダヤ人が高利貸しに就いていた為、恨まれやすかったそうです。そして宗教の違うユダヤ人は、儲けた利益を「自分たちの内部で蓄積・流通させて、住んでいる社会や国には多くを還元しない、という構造ができ上がっていった」とのこと。このように書いたのですが、これではユダヤ人が悪いという誤解を招きかねない。そこで、今回の引用部分ですが、「ユダヤ人を迫害することは、借金を帳消しにする便利な方法」であったといいます。なるほど、迫害する側の理由の一つとしては、実にわかりやすいです。今まで気がつかなかった視点です。しかし、この辺のことは、あまりにも微妙な問題をはらんでいますので、これ以上は書きません。【この本からの引用】動物は悪魔の手先だという考えは、ネズミの大量発生を導いた。熱狂的なキリスト教徒は、ネコ・オオカミ・ヘビ・キツネ・ヒヨコ・ニワトリを所かまわず殺しまくった。そうした動物の多くは、穀物を食い荒らしペストを媒介するネズミの天敵だった。そんなわけでネズミが大量発生し、ペストが大流行したのだ。さらに始末の悪いことに、教会公認の医者はネコとイヌがペストを媒介すると思い込み、それらの駆除を命じた。そうすれば伝染をくい止められると思ったのだ。もちろん、結果はその正反対だった。【上記の感想】ここは興味を惹きます。要するに、中世では食物連鎖という概念が発達していなかったのでしょう。そして、ペストをネズミが媒介することも、まだわからなかった。現代でも、鳥インフルエンザや狂牛病やエイズなど、私は専門家ではないのであまり詳しくありませんが、環境の変化により、今まで考えられなかった感染症が発生しています。あと数世紀、あるいはもっと早い時期に、原因や治療法がわかるかもしれません。しかし、現在は、ペストに脅威を感じた中世と同じように、新たな感染症の脅威にさらされています。おそらく、これらの感染症の原因は、人間によって何らかのバランスが崩されたことにあるのでしょう。人間とは同じ過ちを繰り返すものだなと、不図思う。
2006/09/02
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聖書を通読中ですが、今回は『サムエル記 上』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ11巻目にすぎません。なお、前回の『使徒言行録』は新約聖書の歴史書に分類されていましたが、今回の『サムエル記 上』は旧約聖書の歴史書の1巻として分類されています。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】ダビデは石投げ紐と石一つでこのペリシテ人に勝ち、彼を撃ち殺した。ダビデの手には剣もなかった。(17章50節)【上記の感想】今回の『サムエル記 上』で最も面白いところだと思います。少年ダビデが、巨人ゴリアトを、一騎打ちで倒す場面です。ここで興味を惹いたのは、「石投げ紐」という武器です。最近でも、パレスチナ人が、イスラエル軍に対して、投石で対抗するといった話を聞いたことがあります。現場を見たこともなく、また「石投げ紐」という武器を見たこともないので、詳しくは書けません。ただ、「石投げ紐」という武器が3000年前から存在すること、弱者が強者を倒した伝統ある武器であることに、感動を覚えました。【この本からの引用】自分の兵を従えて出立し、200人のペリシテ人を討ち取り、その陽皮を持ち帰った。王に対し、婿となる条件である陽皮の数が確かめられたので、サウルは娘のミカルを彼に妻として与えなければならなかった。(18章27節)【上記の感想】ここは、ダビデが戦功を立てて、討ち取ったペリシテ人の陽皮を持ち帰った場面です。ここで疑問に思ったのは、「陽皮(ようひ)」とは何かということです。調べたところ、ユダヤ文化というのでしょうか、こういうものだったのかと、驚愕しました。ズバリとは書きたくないので(笑)、興味のある方は、こちらで学習されると良いでしょう。しかし、聖書学習会などで、女性から陽皮について質問された時、平然と返答できるのだろうかと、妙な心配をしてしまいます。
2006/08/27
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この本は平成16年に発行されました。著者は1948年生まれの方なので、執筆時は56歳位でした。なお、著者の作品では、『聖書の謎を解く』の感想文を、3月12日の日記に書きました。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】イエスだけを逮捕するというのも、イスカリオテのユダの画策によるものだろう。そのような画策を、イエスが指示したのかもしれない。そう考えると、ユダは裏切り者などでななく、ただイエスの指示にしたがって、カヤパと取引をしただけのことだ。その結果、一二使徒は逮捕されることなく、初期キリスト教団の布教活動を続けることができた。【上記の感想】4月23日の日記で触れましたが、「ユダの福音書」が解読された結果、ユダは裏切り者ではないという説が、4月頃は話題になっていました。私は、聖書学習の初心者(それでも間もなく半年になります)なので、それなりの知識しかありませんが、上記引用部を読むと、三田氏も、イエスの指示にしたがっただけで裏切り者ではないという説に、賛同する立場であることがわかります。言うまでもなく、三田氏の今回の著作は、「ユダの福音書」が話題になる時期よりも以前に書かれたものです。つまり、前々から、ユダの行動は裏切りによるものか、イエスの指示によるものか、という論争があるようです。【この本からの引用】ユダヤの埋葬は、死体を香草と油で浄め、亜麻布で包み、そしていくらでもある鍾乳洞の奥に安置して石で穴をふさぐ。ラザロの復活でもわかるとおり、土の中に埋めるわけではないので、入口の石を押しのけて簡単に出てくることができるのだ。【上記の感想】ラザロの復活は、「ヨハネによる福音書」11章に書かれています。今までは、何気なく、ラザロの復活の場面を読んでいましたが、言われてみると、土にまみれて出てきたという雰囲気はないです。私の狭い視野では、埋葬というと、火葬や土葬しか思い浮かびません。正確に言うと、鳥葬とか水葬も思い浮かばなくもないが、ほとんど現実感がありません。つまり、このラザロの埋葬方法には、ほうと唸らせられました。【この本からの引用】日本でこの受胎告知の絵画を、一望できる場所がある。徳島県の鳴戸にある大塚美術館だ。ここはヨーロッパの名画をことごとく原寸大の信楽焼にして展示している施設で、すべてがコピーではあるが、原寸大というところに意味がある。【上記の感想】私は初めて聞いたが、大塚美術館という美術館があるらしい。さっそく検索したところ、正確には、「大塚国際美術館」という名前でした。「大塚国際美術館」は、大塚製薬グループが創立75周年記念事業として徳島県鳴門市に設立した日本最大の常設展示スペース(延床面積29,412平米)を有する「陶板名画美術館」だという。興味のある方は、HPをご覧下さい。私も興味をもったが、実際に訪ねる気があるかと問われると、曖昧な返答をするだろう。最も、その理由は、私の行動力・時間とお金に対する考え方が原因で、大塚国際美術館に原因があるわけではありません。
2006/08/26
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聖書を通読中ですが、今回は『使徒言行録』の感想文を書きます。私の聖書通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ10巻目にすぎません。なお、前回の『ガラテヤの信徒への手紙』は新約聖書・パウロの手紙のうちの1巻でしたが、今回の『使徒言行録』は新約聖書の歴史書に分類されています。著者は、福音書を書いたルカと言われています。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アシア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。(19章26~27節)【上記の感想】まず、アルテミスだが、8月12日の日記で触れたように、現在のトルコ共和国 エフェソスに、アルテミス神殿跡がある。このアルテミス神殿跡だが、世界の七不思議の一つに挙げられているそうだ。参考までに、世界の七不思議を書き出してみる。ギザの大ピラミッド バビロンの空中庭園 ロードス島の巨像 オリンピアのゼウス像 エフェソスのアルテミス神殿 ハリカルナッソスのマウソロス霊廟 バビロンの城壁ただ、この七不思議も現代版あり、古代版ありと、百花繚乱というのは大袈裟にしても、結構種類があるようだ。【この本からの引用】このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。(11章26節)【上記の感想】アンティオキアでクリスチャンと呼ばれるようになったとのこと。ところで、このアンティオキアだが、これはラテン語らしい。現在はアンタキヤと呼ぶのが普通のようだが、どうもしっくりこない。「あんた、来なさい」とでも誘われているようである(笑)。アンタキヤをウィキペディアで引いてみると、次のように書かれていた。-----引用開始-----アンタキヤの前身アンティオケイアは、紀元前4世紀にセレウコス朝シリアによって建設されたヘレニズム都市で、セレウコス朝の首都として繁栄をきわめた。紀元64年にローマ帝国によって征服された前後から、初期キリスト教の布教の拠点になり、のちに五大総主教座とされた。-----引用終了-----「紀元64年にローマ帝国によって征服された前後から、初期キリスト教の布教の拠点になり」とある。そして、『使徒言行録』が書かれたのが紀元30年代と言われているので、ローマ帝国による征服以前から、キリスト教布教の拠点になる下地があったことがわかる。
2006/08/20
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この本は、2005年5月に発行されました。著者は、1944年生まれの方なので、執筆時の年齢は61歳位です。以下は、【この本からの引用】と【上記の感想】です。【この本からの引用】時の王ヘロデ・アグリッパはヘロデ大王の孫であったが、幼児期をローマの宮廷で過ごした経緯から、皇帝カリグラとその後継者クラウディウスに引き立てられ、41年には祖父の版図に匹敵する王国領土の支配権を授与された。【上記の感想】聖書には、ヘロデという人物が登場するが、数人いるようで、ややこしい。そこで、少し整理しておく。ます、ウィキペディアより、ヘロデ大王を引いてみる。-----引用開始-----ヘロデ大王は、古代パレスティナの王(在位 紀元前37年-紀元前4年)。息子たちと区別してヘロデ大王、あるいは大ヘロデと言われる。ローマ帝国の権威を背後にユダヤに君臨した。建築マニアとして知られ、エルサレム神殿の大改築を含む多くの建築物を残した。だが、猜疑心が強く身内を含む多くの人間を殺害したことでも有名。-----引用終了-----そして、次に、ヘロデ・アグリッパ1世。新約の「使徒言行録」に登場するヘロデで、ヘロデ大王の孫にあたるそうだ。アグリッパ1世は、ファリサイ派に迎合して当時はまだユダヤ教の一分派であった初期キリスト教のグループを迫害。イエスの兄弟ヤコブを捕らえて殺害し、ペトロを投獄しているとのこと。【この本からの引用】パウロの手紙から知られることは、彼はいくつかの教会から散発的に送られる援助金の他に頼れるスポンサーもなく、旅回りの天幕作りとして自ら生計を立てながら旅をしたのである。【上記の感想】使徒言行録の18章によると、パウロの職業はテント造りであったようです。どの程度テント造りの時間をとっていたかは定かではありませんが、職業があったということには、少々驚きました。
2006/08/19
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聖書を通読中ですが、今回は『ガラテヤの信徒への手紙』の感想文を書きます。聖書の通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ9巻目にすぎません。なお、前回の『出エジプト記』は旧約聖書・モーセ5書のうちの1巻でしたが、今回の『ガラテヤの信徒への手紙』は新約聖書のパウロの手紙のうちの1巻という、相変わらずの気ままな読み方です。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。(5章1節)【上記の感想】マルチン・ルターの著作に『キリスト者の自由』(1520)という本があるそうです。その中の一節に、「キリスト者とは何であるか、また、キリストがこれに獲得して与えてくださった自由とは、どのようなものであるか、これについて聖パウロは多くのことを書いている」云々という部分があるそうです。私は『キリスト者の自由』は読んでいないので、これ以上は書けませんが、ルターはパウロの影響を多分に受けているようです。ルターの肖像画を載せておきます。【この本からの引用】人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。(2章16節)【上記の感想】にわかじこみの知識ですが、ルターの「95カ条」(免罪符の効力に関する95カ条の提題)から、少々書き出してみます。「95カ条」は1517年に発表されましたが、それが契機となってプロテスタント教会が誕生したそうです。「賽銭箱に投げ入れられたお金の音が鳴り響いた途端、死者の魂が煉獄の火の中から抜け出すというのは、人間の教えに過ぎない。免罪符によって自分の救いが確実だなどと信じる者は呪われよ。キリストが十字架の上で我々の罪をすべて背負って下さったことを信じる信仰によってのみ我々は赦され救われている。お金で買った免罪符によって罪が赦され、救われるとするならば、キリストの十字架の死は全く無駄なことになってしまうではないか。」(95カ条より)「95カ条」を発表するにあたって、その発端にあった出来事は、ローマのサン・ピエトロ大聖堂の建築資金のために免罪符が売られていたことにあります。それを、ルターは批判したそうです。今のところは、これ位のことしか書けません(^^ゞ。
2006/08/13
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この本は1997年12月10日に発行されました。著者の山本七平氏(1921~91年)は、1991年12月10日に永眠されました。この本の発行日は著者の命日に該当しますので、著者を偲ぶ意味があるものと思われます。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】を、少々書いてみます。【この本からの引用】この巨大な神殿はアテネのパルテノンの4倍もあり、その壮麗さは当時「世界の七不思議」の一つに数えられていました。【上記の感想】この巨大な神殿とは、アルテミス神殿のことです。紀元前550年ごろにアケメネス朝ペルシア統治下のエフェソス(現在のトルコ)に完成した、アルテミスを奉った神殿とのこと。トルコ共和国 エフェソスにあるアルテミス神殿跡の画像を載せておきます。ただ残念ながら、 残骸を積み上げ柱がいくらか復元されているものの、原形をとどめてはいないようです。【この本からの引用】アルテミス神と思われる像が残っていますが、それは両手を少しひろげた直立の像で、胸いっぱいに18の乳房が下がり、下半身にも腕から肩・頭にかけても細かく一面に小動物が彫りこまれ、果実を表わす環飾をつけています。【上記の感想】画像を載せておきます。【この本からの引用】タルソ!これは今では人口約30万の、半ば忘れられた小アジアの小都市にすぎません。附近にはこれといった産物もなく、地中海に面しているとはいえ海岸から25キロほど離れているので港というわけでもありません。【上記の感想】タルソはパウロ生誕の地です。ただ、確かにあまり見るべきところがないようです。かろうじて、パウロが生まれた地の井戸(と言われるもの)が残っているようです。これも、画像を載せておきます。
2006/08/12
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聖書を通読中ですが、今回は『出エジプト記』の感想文を書きます。聖書の通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ8巻目にすぎません。なお、前回の『ルツ記』は旧約聖書の歴史書のうちの1巻でしたが、今回の『出エジプト記』は旧約聖書・モーセ5書のうちの1巻という、相変わらずの気ままな読み方です。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】あなたたちはアビブの月のこの日に出発する。(13章4節)【上記の感想】「アビブの月」というのがわからなかった。調べたところ、これはユダヤ暦による月の呼び名で、新年の第1月になるとのこと。この「アビブの月」が捕囚後は「ニサンの月」と呼ばれるようになったとのこと。ちなみに、イスラエルの都市であるテルアビブの「アビブ」は、同義であるようです。【この本からの引用】彼らから受け取るべき献納物は以下のとおりである。金、銀、青銅、青、紫、緋色の毛糸、亜麻糸、山羊の毛、赤く染めた雄羊の毛皮、じゅごんの皮、アカシヤ材、ともし火のための油、聖別の油と香草の香とに用いる種々の香料、エフォドや胸当てにはめ込むラビス・ラズリやその他の宝石類である。(25章3~7節)【上記の感想】上記は主がモーセに仰せになった言葉で、こういった物を献納物として持ってこさせなさい、と命じた部分です。当時はこういった物が貴重であったのでしょうか。今でも、金や銀などの貴金属や宝石類は、貴重なものとして取り扱われています。ここで気になったのは、アカシヤ材です。なぜアカシヤ材でなければならないのかという疑問を持ちましたが、ある個人サイトによれば、荒野で手に入る材木はアカシヤ材しかなかったそうです。しかし、もっと突っ込んだ理由を書かれていた個人サイトがありました。アカシヤ材とは、人間のことです。アカシヤの木はまっすぐに成長しないので、材木としては適切ではない木であるとのこと。つまり、アカシヤ材は、どうしようもない使いようのない罪ばかり犯す私たち人間をあらわしているとのこと。わかるようなわからないような感じですが、暑いのでこれ以上考える気にはなりません(笑)。
2006/08/06
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昭和57年に発行されたこの本は、当時60歳位だった著者によって書かれました。まず、著者の山田野理夫(やまだのりお)氏について知るところがないため、ウィキペディアから引用します。-----引用開始-----山田 野理夫(やまだ のりお、1922年 - )は、日本の小説家。宮城県仙台市出身。東北大学農学部卒。大学で農業史を専攻。卒業後、農林省統計調査員、宮城県史編纂委員、東北大学付属農学研究所員などを経て作家へ。『南部牛追唄』で、第6回日本農民文学賞を受賞。東北地方、みちのく、特に岩手県をテーマにすることが多い。-----引用終了-----今回読んだのはキリスト教関連本ですが、意外にも民俗学的農業の専門家であるようです。それでは、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】このフェレイラは1580年ポルトガルに生まれ、イエズス会宣教師の役職を得て慶長16年(1611)ごろ日本に渡来し、イエズス会の日本管区長の職に就いた人である。イエズス会員となって37年、日本での伝道に従って23年、寛永10年(1633)召し捕られ、前述の転びキリシタンとなった。逆さ吊りの拷問に耐えること5時間であったという。棄教後の彼は禅宗徒となり、日本婦人を娶って沢野忠庵と名乗った。【上記の感想】4月29日の日記に、遠藤周作の『沈黙』の感想文を書きましたが、その時は棄教にいたった宣教師の心の動きについては書きませんでした。今回もそういう重いテーマを扱うことはありません。ただ、遠藤周作の『沈黙』に登場する人物、そして実在した人物として、今後しばらく自分の中の記憶に留めておきたい。【この本からの引用】一方、慶長5年3月、九州の豊後に漂着したオランダ船リーフデ号の航海士ウィリアム・アダムズ、オランダ人船員ヤン・ヨーステンらが、家康に江戸へ招かれた。家康はアダムズの該博な学識に驚き、これを厚遇して、相州三浦郡逸見村の地に所領を与えた。アダムズは日本名を三浦按針と名乗り、魚河岸の江戸小田原町に住んだ。現在の日本橋室町1丁目16番地である。【上記の感想】三浦按針という人物については、学校の歴史の授業で習った程度の知識しか持ち合わせていません。が、今回の読書でやや興味を持ったため、書き留めておく。日本橋にある三浦按針屋敷跡の画像を載せておきます。
2006/08/05
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この本は昭和48年5月に発行されたので、今から33年前の発行です。当時の著者の年齢は、42歳位でした。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書きとめておきます。【この本からの引用】有名なドイツの強制収容所・アウシュヴィッツで戦争中に一つのできごとがあった。事件そのものは小さなことであった。コルベという1人のカトリックの神父が、死刑囚の身代りになって自分が餓死刑を受けることで、その死刑囚を救ったのである。【上記の感想】キリスト教関連の本を読んでいると、コルベ神父がよく出てきます。が、私はコルベ神父についてほとんど知らないため、この機会に調べておきます。以下にウィキペディアから引用します。 -----引用開始----- マキシミリアノ・マリア・コルベ (1894年11月10日 - 1941年8月14日) は、ポーランド人のカトリック司祭。アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で餓死刑に選ばれた男の身代わりとなった事で知られ、「アウシュヴィッツの聖者」といわれる。カトリック教会の聖人で記念日は8月14日。-----引用終了-----また、コルベ神父は1930年(昭和5年)にゼノ修道士らと来日し、長崎で「聖母の騎士」誌の出版を開始し、翌年には聖母の騎士修道院を設立したそうです。その後故国ポーランドに帰るまで、日本に5~6年滞在したようです。「聖母の騎士」誌については4月8日の日記で少々触れましたが、コルベ神父が出版を開始したことは、今回新たに知りました。また、コルベ神父は聖母の騎士修道院を設立したとのことですが、現在もその流れを汲む「聖母の騎士高等学校」が長崎にあります。校名が中々ユニークですね。
2006/08/04
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聖書を通読中ですが、今回は『ルツ記』の感想文を書きます。聖書の通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ7巻目にすぎません。なお、前回の『コリントの信徒への手紙1』はパウロの手紙でしたが、今回の『ルツ記』は旧約聖書の歴史書のうちの1巻という、相変わらずの気ままな読み方です。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】モアブの女ルツがナオミに、「畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます」と言うと、ナオミは、「わたしの娘よ、行っておいで」と言った。(2章2節)【上記の感想】画家ミレーが描いた「落穂拾い」(1867年)という有名な作品があります。豪農の麦畑で働く貧しい階層の人々が1割の落穂を拾う権利があったと言う風習にミレーが感銘し永年にわたって描きつづけたものだそうです。また、ルツ記に影響を受けて描いた作品とも言われています。画像(後掲)ではわかりにくのですが、落穂を拾う3人の女性たちの後方に、収穫した稲穂を荷車に乗せている農夫たちが描かれています。貧富の差を描きこんだものです。【この本からの引用】食事のとき、ボアズはルツに声をかけた。「こちらに来て、パンを少し食べなさい、一切れずつ酢に浸して」(2章14節)【上記の感想】パンを酢に浸して食べるというのは、私達の感覚だとわかりにくい。そこで少々調べてみた。すると、当時の文化の中ではパンを食べる時は鉢の中に、干した果物や香料を酒か酢に混ぜた特製ソースを入れ、それにちぎったパンを浸して食べていたそうです。これならば美味しそうな感じがしますし、酢には殺菌作用があるので、殺菌も兼ねていたのかもしれません。参考までに書くと、「ルツ記」は紀元前1030年ごろに著され、これから比較する「ヨハネによる福音書」はその1000年後に著されたと言われています。だから時代に隔たりがあり、比較対照とするのはどうかと思いますが、「ヨハネによる福音書」に、次のような一節があります。すなわち、イエスが裏切り者を予告する時に、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と言いながら、イスカリオテのユダにパン切れを渡す場面です。やはり、パンを何かに浸して食べる習慣があったようです。
2006/07/30
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この本は1988年6月に、キリスト新聞社より発行されました。なお、キリスト新聞社のHPは、こちらです。さっそくですが、以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で書いてみます。【この本からの引用】八ケ岳に咲く高山植物「ムシトリスミレ」の、あの妖艶さと、しおらしさをご覧なさい。誰が、この花が虫を抱くや否や、その生命を吸うと想像できるでしょうか。【上記の感想】画像を捜してきましたので、ご覧下さい。葉に粘液を出して虫を捕らえる食虫植物ですが、花がスミレに似ています。【この本からの引用】ルターの言葉に「気分で祈れなかったら意志でゆけ」という意味の言葉がありますが、祈りは執拗な意志のわざです。【上記の感想】祈りとは、苦しい時の神頼みや初詣とは違う。そんな都合のいいものではなく、祈りには時間と精力が必要と、著者は言われます。一定の時間をさいて、一日のたゆみもなく精進してこそ、芸術でもスポーツでも音楽でも天才を生じると、著者は畳み掛けてきます。これから思うことは、ブログの更新も似ているということですか。【この本からの引用】ロトの妻のことを思い出しなさい。(ルカ17章32節)【上記の感想】創世記の19章26節に、「ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった」と書かれています。これは何を言いたかったのかよくわかりませんでしたが、何やら未練を戒めているようです。私事になりますが、現在勤務している会社のリストラ策により、この秋までに職場を去らざるを得ない状況です。つまり新しい職場を捜すという前進が必要な時期です。まあ、頑張るしかないですね。なお、死海の南西にある岩塩の山の中で、「ロトの妻」と言われているものがあります。その画像を載せておきます。見方によっては、人が振り返って湖の中に沈んだソドムの町を見ているようです。
2006/07/29
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聖書を通読中ですが、今回は『コリントの信徒への手紙1』の感想文を書きます。聖書の通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ6巻目にすぎません。なお、前回の『コヘレトの言葉』は詩書に分類されていましたが、今回の『コリントの信徒への手紙1』はパウロの手紙という、相変わらずの気ままな読み方です。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは1人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。(9-24~25)【上記の感想】7月17日の日記で触れたことですが、日本陸運理事・瀬古利彦氏は、聖書で陸上に触れた部分を何度も読み返したそうです。上記の箇所も、何度も読み返したということです。マラソンランナーとしての現役時代は、たしか「走る修行僧」と言われていたと記憶しています。この言葉は、禁欲的な姿勢を貫く瀬古選手(当時)を讃える言葉であったのか、皮肉まじりに揶揄する言葉であったのか、定かではありません。しかし、私は現役時代の瀬古選手のストイックな姿勢には、とても感銘を受けていたものです。【この本からの引用】愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。(13-4~8)【上記の感想】ここは有名な聖句で、「愛の賛歌」と言われる部分です。「愛の賛歌」とは、ちょっと照れてしまいますね(笑)。一字一句を読み、色々と思いを巡らせると、愛とはどういうことか、何となくわかるような気がします。ところで、ここに出てくる「異言」とは何でしょうか。ちなみに、手元の辞書には載っていませんでした。ちなみに、ものの本によると、「恍惚たる心境において発する一種の異様な言葉」とのことです。更に別の本によると、「聖霊によって祈るとき、自分の知性をバイパスして、霊から直接に自分にも分からない言葉あるいは音が出てくることがあり、これを異言と言います」と。しつこいが、ネットで調べたところ、次のように書かれていました。「現代の異言は、集会や祈祷中に人々の心が興奮状態になったとき、突然、訳の分からない言葉を口走ることを指しているようです」と。これ以上は書きませんが、やや怪しげな雰囲気がありますね。ただ、「異言を語る者」は、12章に書かれているとおり、賜物の一つだと書かれており、与えられた一つの才能であるようです。
2006/07/23
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この本は、1983年に発行されました。著者の岡田五作は、田園調布教会とゆかりのある人物のようです。さっそく田園調布教会のHPで調べたところ、「岡田五作師は太平洋戦争終戦後、教会員と共に、アジア諸国に仕えるためにキリストの 福音を伝道する伝道者養成校として、 日本聖書神学校の設立に深く関わりました。 岡田五作牧師は、日本聖書神学校の校長を務め、教会も神学校を支えてきました。」と書かれていました。以下は、【この本からの引用】と【上記の感想】です。【この本からの引用】洞爺丸が海底に沈んだときに、乗船客一同が、われさきにと浮き袋を、もがき見つけようとしているとき、「君は若いのだから、これをつけて助けを得よ」と、自分のつけている浮き袋をはずして青年につけさせ、自分は海底に沈んで逝った、親しい宣教師ストーン師のことを思う。【上記の感想】昭和29年9月に、洞爺丸台風(とうやまるたいふう)と命名された台風があったそうです。この事故をきっかけにして、青函トンネル事業が現実化したとのことです。以下に、関連記事を引用します。-----引用開始-----昭和29年9月26日、台風15号(洞爺丸台風)は、100キロ以上の速度のままで日本海を一気に北上し、午後3時には早くも青森県の西海上に到達していました。この時台風の中心気圧は960mbと依然として大きな勢力のままでしたが、100キロ以上もあった速度は一転して50キロと大幅に減速していました。 この思いもよらない減速が大きな悲劇を生むことになりました。 北上するスピードは、青森県沖からさらに遅くなり、巨大のエネルギーを蓄えたまま、かってない暴風の凶器となって函館湾内の青函連絡船にに襲いかかったのです。 「洞爺丸」とともに、「第11青函丸」「北見丸」「日高丸」「十勝丸」の連絡船4隻も沈没しました。実に乗客と乗組員合わせて1、430名の命が失われました。 この事故を繰り返さないという決意が青函トンネル事業を現実のものにしてゆきました。-----引用終了-----【この本からの引用】コリントの教会は、パウロの心を最もなやました教会の一つであった。そこには、ギリシャ的体質、異教的気風、ことに、道徳的堕落と物質的繁栄の招来した、様々な問題が現存した。【上記の感想】コリントは貿易上の立地に恵まれたので、国際都市として繁栄していたようです。パウロの時代からは遡りますが、紀元前6世紀頃のアポロ神殿跡が、コリントにはあります。その画像を載せておきます。
2006/07/22
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聖書を通読中ですが、今回は『コヘレトの言葉』の感想文を書きます。聖書の通読計画は、1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えるという、私的にはかなり遠大なものになっています。今のところは順調ですが、まだ5巻目にすぎません。なお、前回の『創世記』はモーセ五書のうちの1巻でしたが、今回の『コヘレトの言葉』は詩書に分類されています。6月26日の日経新聞夕刊に載っていたことですが、日本陸運理事・瀬古利彦氏は、聖書で陸上に触れた部分を何度も読み返したそうです。どういう箇所かというと、「足の速い者が競争に、強い者が戦いに必ずしも勝つとは言えない」(コヘレト 9-11)や、「ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ」(コヘレト 4-9~10)など。つまり、今回の『コヘレトの言葉』は、瀬古氏にとって馴染み深いものと思います。『コヘレトの言葉』は何を説いているのでしょうか。冒頭を読むと、無常観が漂っています。ちょっと書き出してみましょう。「コヘレトは言う。なんという空しさなんという空しさ、すべては空しい」という具合で、何ともとっつきにくい。そこで、ものの本をカンニングしてみると、次のような解説がありました。「むなしい人生だからこそ神とともに歩む尊さを説いている。仏教や老荘思想との共通性もうかがえる」と。これもまたわかりにくいですね。まあ深入りは避けて、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。際限もなく労苦し、彼の目は富に飽くことがない。「自分の魂に快いものを欠いてまで誰のために労苦するのか」と思いもしない。これまた空しく、不幸なことだ。(4-8)【上記の感想】わかりやすく言うと、儲けることに熱心になりすぎるなということでしょうか。投資を扱っている拙ブログに、戒めの言葉として掲げてみたい気がしなくもない。【この本からの引用】見よ、わたしの見たことはこうだ。神に与えられた短い人生の日々に、飲み食いし、太陽の下で労苦した結果のすべてに満足することこそ、幸福で良いことだ。それが人の受けるべき分だ。(5-17)【上記の感想】「短い人生の日々に、飲み食い」することを勧めています。中々良い聖句です(笑)。『コヘレトの言葉』で言わんとすることは、人生は空しいものであるが、労苦や飲み食いは必要なことだし、避けられないことだ。その中に愉しみを見出し、満足感を得るようにしなさい。これが一番幸福なことなのですよ。というふうに解釈しました。
2006/07/17
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この本は2003年8月に発行されました。著者は1962年生まれの方ですから、執筆時の著者の年齢は41歳くらいです。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で書いてみます。【この本からの引用】わたしたちの人生はこの「ふつう」の目盛りをどこに定めるのかで決まります。ある大学に入るのが自分にとって「ふつう」だと思っている人がそこに入学できなかったら、その後の人生は挫折感に色づけられたものになるかもしれません。それゆえこの目盛りを調整することで、ずいぶん生きるのが楽になることもあります。【上記の感想】著者と私はほぼ同年代であるので、このへんの感覚はわかるような気がします。私も一応大学入試を突破してきましたが、「ふつう」ではありませんでした。優秀な受験生にはほど遠く、結局は2浪し、ようやく某私立大学に入学しました。さらに大学では1年留年したため、卒業時の年齢は25歳という状態でした。さすがに、自分は「ふつう」ではないという認識はもっていましたので、20代の頃は挫折感を味わっていましたね。こういった時には、どこかで自分が「ふつう」と思っていることを修正すると生きるのが楽になると、著者は言われます。思うに至言ですね。まあ実際は、こういった修正は誰しも自然に行なうものと思いますし、時間が解決してくれるものと思います。ただ、人により引きずる期間には差があるものですが、出来るだけ早く切り替えるのが良いのは間違いないでしょう。【この本からの引用】1、わたしは大学の教師であるから、授業をする。2、わたしは学生を教えたいと思うから、授業をする。1の理由は一般的なものです。これに対して2は、わたし個人の意志である欲求です。軽重の違いはあれ、この2つの理由が重なり合って、わたしは授業をしているわけです。【上記の感想】大人になるにつれて、社会的通念に支配されてしまう。そのうち、自分の意志や欲求が脇に押しやられ、本来自分が何をしたかったのかを忘れてしまう。大人になるというのは、こういった意味ではいやなものです(笑)。幸い(というのも変ですが)、私は間もなく今の職場をリストラされるので、この機会にもっと素直に、自分の意志や欲求に従って次の仕事を捜そうと思います。そうは言っても、自分にできる仕事は現在の仕事の延長にしかありませんので、職種を変えるというのは考えられません。自分の意志や欲求を通せるのは、他愛のないことに限られそうですが(笑)。たとえば、勤務先が自宅から近いこと、満員電車での通勤がないこと、残業がないこと、夜勤がなく日勤であること、きつい仕事ではないこと、ノルマがないこと、など。しかし、こうやって書いてみると、怠惰な自分の意志や欲求に従って次の仕事を捜すのは、夢のまた夢であることがわかります(笑)。
2006/07/15
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聖書を読んでいますが、今回は『創世記』の感想文です。なお、前回の『エレミヤ書』は大預言書でしたが、今回の『創世記』はモーセ五書のうちの1巻という、相変わらずの気ままな読み方です。予定では1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えようという私的には遠大な計画です。今のところは順調ですが、まだ4巻目にすぎません。『創世記』は旧約聖書の最初に収録されています。その内容を大きく分けると「天地創造と原初の人類」、「イスラエルの太祖たち」、「ヨセフ物語」の三つに分けることができます。キリスト教徒が1%といわれる日本でも、『創世記』には良く知られている話があります。例えば、アダムとエバ(イヴ)の失楽園やベベルの塔などです。このたび『創世記』を通読しましたが、他の様々な本を読む上でも有意義なことと思います。他の本を読む際にも、聖書、とくに『創世記』に書かれていることをある程度知っていると、理解が深まると思います。例えば、最近手にした本に、『漱石の疼痛、カントの激痛』(横田敏勝著)があります。この本に19世紀半ばのスコットランドでの、クロロホルム麻酔を用いた全身麻酔による無痛分娩が行なわれたと書かれています。しかし、スコットランドではクロロホルムの使用に激しい抗議の嵐が吹き荒れたそうです。なぜかというと、無痛分娩は聖書の教えに反するからです。即ち、『神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。」(3・16)と聖書に書かれているためです。ここだけを採りあげて書くと妙な具合ですが、簡単に書くと、いわゆる『禁断の実』を食べたことにその原因があるのですね。『創世記』を通読することは、他の様々な本を読む上でも有意義なことと思うと書きましたが、もっと言うならば、少し気障な言い方ですが、人生について思索する際にも、色々と考えさせられるものがあります。例えば、人類最初の殺人といわれるカインとアベルの悲劇は、嫉妬が原因と言ってしまえばそれまでですが、聖書を熟読すると今も昔も変わらずに人間が陥る過ちが書かれています。今回の感想文は、これ位にしておきます。
2006/07/09
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この本は1990年2月に発行されました。著者は1938年生まれの方なので、執筆当時は52歳位でした。まず、フィレンツェのカルミル教会にある名作、マサッチョの『楽園追放』の画像を載せます。善悪の知識の木の実を食べたため、アダムとエバが楽園から追放される場面を描いたものです。その場面を、聖書(新共同訳)には次のように書かれています。「主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた」(創世記3・23)追放されたと明記されているのはアダムだけですが、その後エバが身ごもり、カインとアベルを産んだので、エバも一緒に追放されたとするのが自然でしょう。以下は、【この本からの引用】と【上記の感想】です。【この本からの引用】知恵がつきはじめますと、かえって人の道を踏み外してしまうことはよくあります。それは、大人になってもあります。このように、人祖が陥った過ちのみならず、現在のわたしたちも同じように陥る過ちを原罪というのです。【上記の感想】「原罪」とは何かというと、けっこう難しい。ちなみに、ウィキペディアの説明では、次のように書かれています。「キリスト教の多くの宗派において共有される思想で、アダムとイブがエデンの園で犯した罪が人間の本性を損ね、あるいは変えてしまったため、以来人間は神の助けなしには克服し得ない罪への傾きを持つことになったという思想。キリスト教の中でも教派によって原罪の理解には大きな差があるだけでなく、中には原罪という概念を持たないグループもある。」(ウィキペディアより)やはり難しいですね。そこで、というわけでもないのですが、いま三浦綾子さんの『氷点』を読んでいます。この小説は原罪をテーマにして書かれているそうですが、なかなか考えさせれれる内容です。読後感は改めて書きますが、この小説には、人間が陥る過ちが見事に書かれているように思います。
2006/07/08
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聖書の通読を進めている最中ですが、今回は『エレミヤ書』の読後感を書きます。なお、前回の『ヨブ記』は詩書でしたが、今回の『エレミヤ書』は大預言書でという、相変わらずの気ままな読み方です。予定では1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えようという私的には壮大な計画です。今のところは順調ですが、まだ3巻目にすぎません。『エレミヤ書』には、紀元前600年ごろの預言者エレミヤの預言活動が書かれています。衰退期にあたるユダ王国のエルサレムで活動したエレミヤは、民族の存亡の危機にあって、苦悩し激しい感情を吐露しました。歴史的な事項では、バビロン捕囚の時期にあたり、一時はバビロニアに隷属しても70年後には解放されると預言し、バビロンへの連行を受け入れるように説かれました。以下は【この本からの引用】と【上記の感想】です。【この本からの引用】バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を首に負おうとしない国や王国があれば、わたしは剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす。あなたたちは、預言者、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちに聞き従ってはならない。彼らは、バビロンの王に仕えるべきではないと言っているが、それは偽りの預言である。(27章8~10節)【上記の感想】これは主からエレミヤに臨んだ預言ですが、ここにはバビロニアへの隷属を勧める姿勢がよく出ています。「仕えよ!」と言われても易々と仕える人は中々いないわけで、エレミヤは苦悩するわけです。ところで、このエレミヤ書は紀元前600年頃のことを書かれているようですが、将来を語る職人がいろいろと登場しますね。「預言者、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたち」と書かれています。この中で、魔法使いというものが実在していたというのは、ちょっと驚きました。【この本からの引用】見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。この契約は、かつてわたしが彼らの先祖の手を取ってエジプトの地から導き出したときに結んだものではない。わたしが彼らの主人であったにもかかわらず、彼らはこの契約を破った、と主は言われる。しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(31章31~33節)【上記の感想】ここは大切な箇所であるようです。なぜかというと、最初のキリスト教徒たちが、イエスの十字架における自己犠牲により、このエレミヤの預言が成就したと見たからです。ただ、ここは聖書初心者には難しい箇所でもあります。わかるようなわからないような妙な気分です。ものの本によると、新しい契約においては、その内容である律法が、石の板ではなく、各人の心に記されるという意味だと説明されています。その他にもいろいろと説明はされていますが、わかるまでにはまだ時間が必要なようです。
2006/07/02
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この本は1990年に発行されました。当時の著者の年齢は60歳位でした。次の画像は、ミケランジェロによるシスティナ礼拝堂天井画の「エレミヤ」です。けっこう有名なものらしいです。以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。イスラエルの神、万軍の主が、『この国で家、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」(32・14-15)【上記の感想】アナトトという場所の畑を、エレミヤが買い取った場面を書かれています。銀17シェケルで買い取ったのですが、この場面は興味深い。実は、このアナトトという場所は、当時バビロンによって包囲されていたエルサレムのすぐ近くなのです。つまりいつ滅亡するかわからない場所の畑を買い取ったわけです。この時の対価、銀17シェケルが高いか安いかはよくわかりませんが、常識で考えると、安かったものと思います。新しい支配者になることがほぼ確実なバビロンが、畑の私有を認めるかどうかもわからないわけですから。なぜエレミヤはこの畑を買い取ったのかというと、バビロンの支配する時代は70年であるとの預言をしていたためです。要するに、70年経てばいずれにしても戻るものという考えであったようです。私達の感覚では、70年という歳月は決して短いものではなく、とても待てる時間ではない。時間に対する感覚が、時代や場所により異なることもあると思いますが、何とも気長な感じがします。しかし、考えようによっては、私達があまりにも、時間というものを自分が生きている時間に限定しすぎなのかもしれませんね。
2006/07/01
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聖書そのものを読んでいますが、今回は『ヨブ記』です。なお、前回は『ローマの信徒への手紙』でしたので、まさに気ままに読み進めています。予定では1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えようという私的には遠大な計画です。今のところは順調ですが、まだ2巻目にすぎません。『ヨブ記』のあらすじは、子供や財産に恵まれた無垢で正しい男であるヨブに、サタンの挑発にのった神が試練を与え、それにより展開する物語です。以下は【この本からの引用】と【上記の感想】です。【この本からの引用】ヨブは答えた。「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」(2-10)【上記の感想】ヨブは、子供を失い、財産を失い、挙句の果てには皮膚病に冒されてしまいます。こういった不幸のために、妻に「どこまで無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言われて、上記のように返答しました。なかなか吐ける言葉ではないですね。このように『ヨブ記』では妻には強い面を見せていますが、訪ねてきた友人には別の弱い面を見せています。それを次に書きます。【この本からの引用】なぜ、わたしは母の胎にいるうちに死んでしまわなかったのか。せめて、生まれてすぐに息絶えなかったのか。なぜ、膝があってわたしを抱き乳房があって乳をのませてのか。それさえなければ、今は黙して伏し憩いを得て眠りについていたであろうに。(3-11~13)【上記の感想】こちらは、正直ですね。こんな不幸な目に遭うくらいなら生まれてこなかったほうがましだ、という嘆きです。妻には弱さを見せられないが、友人には見せられるわけで、このへんは辛いところ(?)【この本からの引用】あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し自分を退け、悔い改めます。(42-5~6)【上記の感想】これは、ヨブが最後に神を実際に見て、神と対話をすることにより、神を責めたことの非を悟る場面です。この神を見るという場面は、新約でのトマスの見神を思い出させます。そこでイエスがトマスに言われた言葉、「わたしを見たから信じたのか。見ないのみ信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20-29)ともあれ、聖書を読んで感想を書くというのは難しいです(^。^ゞ
2006/06/25
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この本は1968年10月に発行されました。なお、この本は『ヨブ記』というタイトルですが、聖書のヨブ記そのものではなくて、ヨブ記の関連本です。著者の執筆時の年齢は60歳位でした。以下は、【この本からの引用】と【上記の感想】です。【この本からの引用】ヨブの病はハンセン病と一般にいわれているが、聖書では「いやな腫物」(シェヒーン・ラー)と呼ばれている。それは象皮病のことを指すものらしく、この病は肉や皮が腐蝕し、はなはだしい痒さのために神経を刺戟し、病者に肉体的苦痛のみならず、精神的苦痛を与えることが大であった。【上記の感想】象皮病という病気を知らなかったため調べたところ、フィラリアという虫を蚊が媒介しておこる病気で、熱帯や亜熱帯に多く、世界中で1億2千万人が感染しているそうです。別名をフィラリア症というそうです。【この本からの引用】神は我々に真実なもの、永遠なものを与えんとして空虚なもの、過ぎ去るものを奪うことがあるのではないか。地位、名誉、財産、学識、健康、そのような人間の地上生活に必要なるもの、従って必ず我々につきまとって来るものが無惨に奪い去られることによって却って永遠の世界、真実の世界に目が開かれるのではないか。【上記の感想】聖書のヨブ記を読むと、上記のことがよくわかります。最も本人にとっては、今まで大切にしてきたものを奪われるのは言語に絶する苦痛があります。人生経験の乏しい私自身の体験などは比較の対象にもならないので、あえて書くことはしない。今後厳しい体験をすることがあれば、「永遠の世界、真実の世界に目が開かれる」ために起きていることと認識したいものです。といっても、その時はそんな余裕があるはずもない。【この本からの引用】著者がヨブ記の研究を開始してからもはや十数年になり、2、3の書物も公にしたが未だ完了にいたっていない。従って本書はその中間報告の如きものである。【上記の感想】著者の研究期間の長さには驚く。ヨブ記に係わってから10年以上ということです。根気の世界を旅した人生であったように思います。なお、著者の享年は81歳位になりますので、この『ヨブ記』を著されてから20年ほど生存されていました。『ヨブ記』を著してからもつっこんだ研究をされていたと推定されるので、著者の完成されたヨブ記の世界をのぞいてみたい気がします。
2006/06/24
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この本の副題は、『現代のヨブ記』です。聖書の『ヨブ記』を読むにあたり、この本を一読しました。発行は1998年です。この本の感想は特に書くことはせずに、タイトルと著者名を書くにとどめます。
2006/06/24
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聖書を購入してから3箇月が経ちましたが、今までは聖書関連本を読みながら聖句を確認するという利用法でした。これからは少し変えて、聖書そのものを読んでいきます。ようやく聖書に慣れてきたためです。予定では1週間かけて1巻を読み、66週間かけて旧約・新約を読み終えたいと思います。読む順番は気の向くままとし、今回は『ローマの信徒への手紙』です。『ローマの信徒への手紙』は、パウロにより紀元55年頃に書かれた手紙です。パウロの布教がなければ現在のキリスト教が存続していたかどうかわからないといわれるほど、苦難をものともせずに広く布教したのがパウロです。ところが、このパウロという人物は、元々はキリスト教徒の迫害者であり、イエスに従っていた時期がない。それがある日突然、「パウロの回心」と言われていますが、迫害者から信者へと180度変わった人物です。以下は、【この本からの引用】と【上記の感想】です。【この本からの引用】わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。(12・6~8)【上記の感想】上記の聖句は、4月8日の日記でも引いていました。再び引いてしまったのは、私にとって伝わる部分が多いからでしょう。パウロが上記のように手紙に書いた理由は、パウロにより信徒になった人々の中に傲慢な者が出てきたためだと、何かで読んだ記憶があります。「自分を過大に評価してはなりません」(12・3)と書かれていることからも想像できます。そういったことはともかく、もっと素直に、神は人それぞれに異なった才能を与えられたのでその才能を活かしなさいと読んでおきましょう。【この本からの引用】わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。(1・17)【上記の感想】パウロは異邦人の回心に命をかけながら、同胞の運命に心を砕き、ユダヤ人も異邦人も共に救われるという展望を描いたそうです。上記には、その考えが如実に出ていますね。
2006/06/18
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この本は1992年に発行されました。著者は1923年生まれですから、70歳近くになってから著された本です。まえがきによると、「1990年4月から翌年3月まで、NHKラジオ第2放送の宗教の時間にローマ人への手紙の重要な部分について、12回にわたり、講解する機会を与えられた」とのこと。その時の記録を加筆修正して、この本は書かれたようです。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】隣人愛とは、たまたま隣人だから愛するというのではなくて、地縁、血縁にこだわらない普遍的な愛のことであります。【上記の感想】辞書で「隣人」を引いてみると、「となり近所の人」、「ともにこの世に生きている人」と書かれています。どうも「隣人」というと、となり近所の人というイメージが強すぎて、ともにこの世に生きている人を差すとは捉えにくい。今まで、この「隣人愛」という言葉を誤解していたようです。隣人というからには、身近な人を愛するというふうに思っていました。【この本からの引用】カトリックの岩下壮一神父という方は、学者としてすぐれた方であり、日本における中世哲学研究の草分けであって、その方面でも消し難い足跡を残した方です。しかし岩下神父は、友人たちの学界復帰の願いにもかかわらず、晩年は神山復生病院というハンセン病の病院長として死にました。【上記の感想】岩下壮一神父については、4月2日の日記、そして4月22日の日記で触れました。【この本からの引用】古代ギリシア人は、世界を始めも終わりもない同じものの永遠の循環としてとらえました。このような循環的な考え方はギリシア民族だけでなく、多くの他の民族にみられるものです。日本人なども本来この系列に属する民族です。しかしユダヤ人はちがっていました。かれらはこの世界を、始めと終りのある直線としてとらえました。ここから終末論的意識が生まれて来ました。【上記の感想】仏教で輪廻という考え方がありますが、これは生まれ変わるということに通じるものだと思います。この考え方とは異なり、ユダヤ教やキリスト教では「始めと終りがある」という。終末論は今まで知らなかった考え方なので、新鮮ですね。ここで、最後の審判をウィキペディアより引いてみます。-----引用開始-----世界の終末においてメシアが出現し、死者をよみがえらせて裁きを行い、永遠の生命を与えられる者と地獄へ墜ちる者とに分ける、という思想をいう。これはユダヤ教からキリスト教・イスラム教に引き継がれ、これら3つの宗教において重要な教義となっている。元々はゾロアスター教の教義から来たものと言われる。 -----引用終了-----ここにも終末的な考え方があるように思います。ただ、終りといっても本当に終わってしまうわけではなく、メシアが出現するという考え方につながっていくようです。まあ、このへんはまだまだ勉強不足ですね。(^。^ゞ
2006/06/17
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今回私が読んだのは文庫本で、これは平成13年12月に発行されました。なお、文庫本化される前に、この本は平成8年6月に単行本として発行されています。著者は3名の方が名を連ねていますが、3名の「肩書き」は、三浦朱門と曽野綾子が「旅する人」、河谷龍彦が「案内する人」になっています。この三方の中から、河谷龍彦氏のプロフィールを紀伊國屋書店のブックウエブから引いておきます。-----引用開始-----河谷龍彦[カワタニタツヒコ]1947年、山口県柳井市生まれ。早稲田大学卒業。1974~85年まで、イスラエルに滞在、ヘブライ大学に学ぶ。ヘブライ文学とイコン研究のかたわら聖地ガイドをつとめる。現在、イスラエルをはじめ、中東・ヨーロッパの巡礼地や遺跡を訪ねる旅のプランナー、およびガイド。-----引用終了-----以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で書きます【この本からの引用】エルサレムの嘆きの壁の前に6本の大きな松明、ガラスケースの中に燃え盛る火が立てられています。それは1本が100万人ずつ、つまりナチによって殺された600万人のユダヤ人の命を象徴する火なのです。【上記の感想】6月6日の日経新聞に、イスラエル訪問中の大相撲・佐渡ケ嶽部屋の力士13人が5日、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」を訪れたと書かれていました。そして、神の前では頭を覆うユダヤの伝統に従い、力士らは紙製のキッパ(帽子)を髷(まげ)の上にのせ、2000年の歴史を持つ壁に手を触れたそうです。「嘆きの壁」については、いくつかのHPを見てみましたが、長い歴史があるものだと思いました。それから、「ナチによって殺された600万人のユダヤ人の命」で、かつて『ホロコースト全史』を読んだのを思い出しました。その感想文を、2004年9月25日の日記に書きました。【この本からの引用】旧約聖書に出てくる重要な7大産物というのは、小麦、大麦、ブドウ、イチジク、ざくろ、オリーブ、ナツメヤシの7つ。【上記の感想】この中のオリーブについて書いてみます。4月8日に日記に、オリーブ油を灯りのために使うと書きましたが、灯りの他に食用にも使われています。日本でもオリーブ油を食用に使用しているので、イメージとしては食用油でしょう。河谷龍彦氏によると、現在の使い道は、灯りに使うのは贅沢らしい。ちょっと抜粋すると、「まず神殿の祭儀に使う。特に一番搾りのオリーブというのは純潔の花嫁と呼ばれ、動物性蛋白の代わりになるぐらい重要な役割を果たしています。実そのものも食べますが、あとは医薬です」とのこと。医薬用としては、消毒に使われるそうです。まあ色々と重宝な木のようで、収穫期は9~10月のようです。なお、日本での栽培は香川県小豆島ではじめて成功したそうです。そして、オリーブは香川県の県の木、県の花に指定されているとのこと。最後に、「オリーブの実」の画像を載せておきます。
2006/06/11
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この本は1993年11月に発行されました。著者は1935年生まれですから、この本が発行された時は、58歳くらいでした。なお、2005年6月4日の日記に、『阿刀田高の楽しい古事記』という著作の感想文を書きました。ちょうど1年前になりますか、早いものです。阿刀田高氏は37歳位から筆一本の生活に入ったそうですが、若い頃は結核で16ヶ月の療養生活を送るなどの苦労をされたようです。以下に、ウィキペディアから、プロフィールの該当部分を引いてみます。-----引用開始-----阿刀田高(あとうだ たかし、男性、1935年1月13日 - )は、日本の作家。「奇妙な味」の作品で知られる。新潟県長岡市生まれ。早くに父を亡くし、貧しい母子家庭で苦労して育つ。長岡市立長岡南中学校から新潟県立長岡高等学校を経て東京都立西高等学校に転校。少年時代から科学が好きで、1954年、東京工業大学を受験したが失敗し、早稲田大学第一文学部フランス文学専修に入学。大学に入学した当時は新聞記者を志望していたが、1955年、結核を病んで休学し、16ヶ月間の療養生活を送る。このため志望変更を余儀なくされ、1960年に大学を卒業した後、文部省図書館職員養成所に入学。1961年から国立国会図書館に司書として勤務。このころ、恩師が出版した日本語関係の小冊子に古今東西の殺し文句に関する随筆を発表したところ、思いがけず朝日新聞の文化欄に取り上げられて喜ぶ。1964年9月、池田書店からの依頼で『ころし文句』(長崎寛との共著)を上梓。引き続き、池田書店から『笑いのころし文句』『ユーモア一日一言』などの随筆集を刊行。1969年、著書『ブラックユーモア入門』(KKベストセラーズ)がベストセラーとなったことに勇気を得て1972年に退職し、筆一本の生活に入る。コント、翻訳、広告文案などを手がける。-----引用終了-----それでは、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】私が新約聖書を通読したのは(ところどころ読み飛ばした部分があったけれど)20代の前半、肺結核にかかり、療養生活を送っているときだった。【上記の感想】著者が聖書を通読したきっかけは、結核で療養生活をしていたからです。さぞやこの時期は死の恐怖と隣り合わせであったのかもしれませんが、実際のことはわかりません。ただこの本では、聖書を手にしたきっかけを、サラッと書かれています。簡単に書くと、見舞いにきたガール・フレンドが置いていったので、「ちょっとは読んでおいたほうがいいかな」という軽い気持ちで読み始めたということです。聖書を手にする動機は人それぞれですね。私はというと、3月4日に新共同訳聖書を買い求めたので、ようやく3箇月になろうという、云わば「聖書初心者」です。ところで、聖書を手にした動機は何であったかというと、早くも忘れている(笑)。そこで、3月4日の日記を読み返すと、『神の発見』(五木寛之・森一弘著)を通じて、聖書はやはり読んでおくものだなと思うようになったということでした。忘れていたことを思い出すことが可能、これもブログの効用ですね。【この本からの引用】16世紀イタリアの芸術家ミケランジェロは、4つの「ピエタ」を彫刻しているが、その中で一番著名なものと言えば、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂に置かれている白い「ピエタ」であろう。【上記の感想】「ピエタ」とは、聖母マリアがイエスの亡骸を抱いて悲しむ構図のことを意味するそうです。画像を載せておきます。
2006/06/03
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この本は、「宝石」という月刊誌に、昭和52年1月号から13回に亘って連載されたそうです。当時の著者の年齢は55歳位でした。三浦綾子さんの本を4冊続けて読んできたので、その4冊を著された順番に書き出してみます。すると、『旧約聖書入門』、『新約聖書入門』、『海嶺』、『聖書に見る人間の罪』という順番に著されたことがわかりました。256頁に「福音」について書かれています。それを抜粋すると、「罪人である私たち人間に代わって、キリストが十字架にかかられた。そしてキリストは復活された。この十字架と復活を信ずることによって、永遠の救いが与えられる」と。何だかよくわからない説明ですが、私にとって、わかるまでにはもう少し時間が必要かもしれません。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】処刑の日、十字架の縦木は先に刑場に立てられており、横木は罪人または役人が運んで行ったという。(221~222頁)【上記の感想】これは十字架の刑を書かれた箇所から引用しました。うろ覚えですが、かつて十字架を背負うイエスの聖画を見たときに、背負っているの物が十字架には見えなかったことがありました。つまり、この時の画は、横木を背負っていたのでしょうね。【この本からの引用】あと一時間でその日が暮れるという時に、「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」と、言われた時の彼らの表情を私は想像する。(90~91頁)【上記の感想】これは、マタイによる福音書(20・1~16)に出てくる「ぶどう園の労働者のたとえ」です。私が聖書関連本を読み始めてから何度となく出合ってきた箇所ですので、けっこう有名な部分であると思います。ごく簡単にあらすじを書くと、ぶどう園の主人がある日、9時、12時、15時、17時のそれぞれの時刻に労働者を雇ったそうです。そして、ずべての労働者の労働時間の終了時刻は18時でした。そして支払った賃金は、すべての労働者が同一賃金でした。しかも、賃金を支払う順番は、最後に来た者が最初に支払われたといいます。私たちの常識で考えれば、最後に来た者は1時間しか働かなかったのに、朝から働いていた者と同じ賃金を受け取る、しかも最初に受け取るという、何とも承服しがたい話です。まあ、それだからこそ、色々と考えさせられるのでしょうけど。これについては、牧師さんの説教を紹介しておきます。こちらが、参考になります。
2006/05/27
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この本が書かれたのは1986年で、当時の著者は63歳でした。三浦綾子氏の著作を読むのは3冊目になるので、ここで著された順番に整理してみます。すると、『旧約聖書入門』、『海嶺』、『聖書に見る人間の罪』という順に著されていました。今回は、旭川市にある三浦綾子記念文学館を紹介しておきます。HPはこちらです。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】タレントの語源は、実は金の重さを計る単位からきているそうだ。聖書には、英語でいうタレントを「タラント」と記してあるが、このタラントが語源と言える。【上記の感想】語源由来辞典で「タレント」を引いてみると、確かに由来は「タラントン」または「タラント」と書かれています。その語源はともかく、このタラントが出てくる『マタイによる福音書』の25章には、考えさせられました。ここの牧師による説教に明らかですが、このマタイ伝25章は「たとえ」なのですね。簡単に書くと、私たちは神から多くのものを与えられて生きている。例えば大半の人がそうであるように、目、耳、口が自由に使え、立つことができ歩くことができる。これらはすべて神から与えれれたタレントなのだ。自分の力で得たものではないのだ。そのタレントを大切にして生きていきなさいよ。とまあ、こんな感じになりそうです。ところが、聖書を一人で読んでいると、この「たとえ」は中々気がつかないと思います。私はここを読んでも、この「たとえ」がわからずに、何という欲張りな主人なのかと憤慨していました(笑)。「主人」といきなり書いてしまいましたが、説明していたら長くなりすぎますので、興味のある方は、マタイ伝を読まれると良いと思います。【この本からの引用】富を得ようと苦労してはならない、かしこく思いとどまるがよい【上記の感想】この言葉は、聖書の「箴言」(23・4)の言葉です。ちなみに、私が読んでいる新共同訳では、次のように書かれています。「富を得ようとして労するな、分別をもって、やめておくがよい」私のブログでは投資を扱っていますが、この言葉から思うのは、投資にせよトレードにせよ、疲労感をともなうやり方は間違っているのではなかろうか、ということです。しかし、ここで言う「富」とは一体何でしょうか?試みに辞書を引いてみると、富とは、「たくわえた財産」のことなので、生活費とは別なものを差していると思われます。つまり、必要以上に貯め込むために労するのは間違いであると。まあ現実は、なかなか貯まりませんが(笑)。
2006/05/21
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この本は、「信徒の友」に1972~74年にかけて連載されたものに、著者が加筆したものです。(1995年10月発行)なお、「信徒の友」は、日本基督教団出版局が発行している雑誌です。著者の三浦綾子については5月6日の日記に書きましたが、1922年生まれの方です。つまり、この『旧約聖書入門』を書かれた頃、著者は50歳位でした。それでは、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】アダムとイブは、空腹に耐えかねて、禁断の実を食べたのではない。また、いかにもおいしそうなだけでとったというわけではない。(神のようになりたい)という不遜な思いで、食べたのだ。自分が神になるということは、神を、その神の座から追放したいということなのだ。神を追放したいという罪のゆえに、人間は楽園を追放されたのだ。【上記の感想】聖書を一人で読んでいても気がつかないが、こういう入門書を読むと、「なるほど、そうなのか」と思う箇所が多い。アダムとイブが禁断の実を食べた場面も、その一つだ。さらにその後の、禁断の実を食べたことについて、神とアダム・イブ・蛇との会話が、また考えさせられた。どういうことかというと、アダムもイブも謝罪していないのですね。アダムは「イブがくれたから食べた」と言い、イブは「蛇にだまされた」と言っているだけ。このあたりを、著者は次のように書かれている。「罪を犯しながら、罪と認めない。これが本当にゆるしがたい」と。要するに、禁断の実を食べたことよりも、謝罪しなかったことの罪の方が大きいと。【この本からの引用】サムソンは、自分の力が神から与えられたものであることを忘れ、傲慢になり、自分勝手になって、不信仰な自堕落な生活に入ってしまった。わたしたちも、ともすれば神の恵みを思わず、自分の力で何かをなし得るように思い、順境にあれば傲慢になりやすいのに似ている。【上記の感想】ここは耳が痛い箇所ですね(笑)。「賜物(たまもの)」という言葉がありますが、これは神様から一方的に与えられる恵みという意味だそうです。つまり、サムソンの怪力は「賜物」です。サムソンも好調な時は傲慢でしたが、最後は自分に与えられた「賜物」である怪力を用い、多くの人々を救いました。聖書によると、誰にも「賜物」が与えられているといいます。たとえば、曽野綾子さんが、「物事を続けるのが苦にならない」のが御自身の「賜物」であると、著書に書かれていたように思います。これには、私も勇気づけられたものです。ブログを書き続けるのが私の唯一の長所ですので(笑)。
2006/05/20
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この本は1988年に発行されました。当時の著者の年齢は59歳でした。ここでウィキペディアから著者のプロフィールを引用します。下記の引用部にも書かれていますが、著者は『キリスト教への道』を著す前年に洗礼を受けています。-----引用開始-----加賀乙彦(かが おとひこ(本名は小木貞孝)、男性、1929年4月22日 - )は日本の小説家で精神科医。1929年、東京都三田に生まれた。東京大学医学部卒。東京拘置所医務部技官を経た後に、フランス留学を果たす。パリ大学サンタンヌ病院、北仏サンヴナン病院に勤務し、1960年帰国。同年医学博士号取得。1979年から文筆に専念。1987年のクリスマス(58歳)に遠藤周作の影響でカトリックで受洗。室生犀星とは7親等の血縁。-----引用終了-----それでは、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】戦争中に私が勉強したのは陸軍幼年学校という、将校養成学校なんですが、たまたまフランス語を勉強しました。【上記の感想】陸軍幼年学校の生徒は「星の生徒」といわれたことを思い出しました。昨年の12月17日の日記に書きました。【この本からの引用】イエス様はちっとも間違ったことをおっしゃいません。しかし、老いについてはひとことも言っておられません。これはどういうわけですか。【上記の感想】著者がある神父に、イエスは老いについて一言も言っていないのはなぜか、と意地悪な質問をしました。この質問に対する神父の返答は、イエスが32歳という若さでお亡くなりになったからであろうとのこと。確かに聖書は老いについては書いていないように思います。私はこのことに気がつきませんでした。【この本からの引用】私は『宣告』という小説を書いたときに、何かちょっと世の中がふっきれたような感じがしました。そして、この宗教的な・・・宗教的な体験か、どうかはわかりませんけれども、自分自身が、この小説に書きこんだことを、いったい、日本の批評家がどう読んでくれるだろうということに、非常に興味を持ったのです。ところが、本当にがっかりしました。つまり、日本の文学界というところは、そういう宗教的な方向での文学の評価、ということをほとんどしないのです。そうではなくて、あれは限界状況における人間の苦悩を描いたとか、あるいは犯罪者の心理を描いたのだ、死刑囚の実態を書いたとか、そういう批評がほとんどだったのです。【上記の感想】『宣告』について新潮社のHPでは次のように書かれています。-----引用開始-----全員が殺人犯のゼロ番囚たちは拘置所の二階に収容されている。死刑宣告をうけた楠本他家雄は、いつ「お迎え」がくるか怯えている。女を崖から突き落とした砂田の暴力、一家四人を殺した大田の発作、そして他家雄の奇妙な墜落感等、拘置所の医官で若い精神医の近木は丹念に見廻る。生と死の極限で苦悩する死刑確定囚たちの拘禁ノイローゼの実態を抉り出した現代の“死の家の記録”。全三巻。-----引用終了-----これを見るかぎりでは、確かに著者が言うように、「宗教的な方向での文学の評価」は感じられないですね。ともあれ、私自身は著者の作品を読んだことがありません。著者の作品を手にして拾い読みをして、興味を惹く内容ではないし難しそうだ、まあそのような感想をもった記憶はあります。私がキリスト教に興味を持ち始めたのが今年に入ってからのことなので、拾い読みをした時は、キリスト教についてはほとんどというか、全く知らなかったので、興味を惹く内容ではなかったのも不思議ではなかったかなと思います。まあしかし、今は『宣告』を読んでみようと思っているので、近々感想文を載せる予定です。
2006/05/07
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1988年に発行された本ですが、「あとがき」を見ると、昭和41年2月20日という日付になっています。即ち、『沈黙』は1966年頃に書かれた作品です。当時の著者の年齢は43歳位でした。なお、著者は1996年に永眠されましたが、遺言により、棺には『沈黙』と『深い河』が入れられたそうです。『沈黙』のあらすじは、17世紀、切支丹弾圧下の長崎に潜入した宣教師が捕らえられ棄教するまでを、宣教師の心の動きを中心に書かれています。三浦朱門の『我が友遠藤周作』によると、『沈黙』は昭和40年代はじめの大学紛争時に出版されたそうです。イデオロギーを捨てるか捨てるにしても、自分の影響で同じ運動の入った仲間への裏切りの負い目をどう考えるべきかについて悩む全共闘世代に広く読まれたと言われています。以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。なお、本来の感想は、棄教にいたった宣教師の心の動きについて書くべきだと思いますが、あまりにも大きなテーマですのでこれには触れず、細部の気になった箇所の感想を書くにとどめます。【この本からの引用】ユダが主、基督を売った値段は銀30枚だった。【上記の感想】私が10~20代の頃に、遠藤周作氏の著書を読んでみようかと手にしたことがあります。しかし難しそうだなと読むのを敬遠してしまったのは、こういう文が出てきたりしたからでしょうか。「ユダが主、基督を売った値段は銀30枚だった」と突然書かれていても、聖書の知識がないと、読み流してしまいます。【この本からの引用】だが聖ザビエル師が教えられたデウスという言葉も日本人たちは勝手に大日とよぶ信仰に変えていたのだ。陽を拝む日本人にはデウスと大日とはほとんど似た発音だった。【上記の感想】ザビエルが日本にキリスト教を伝えた時、デウスと大日が似た発音であったために、日本流のキリスト教になったという。ここを理解するには、私にはもう少し日本のキリスト教の歴史の勉強が必要であろう。なお、デウスとはポルトガル語でキリスト教の神のこと。大日とは大日如来のことで、大日如来とは真言密教の本尊。
2006/04/29
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この本は1996年に発行されました。著者は1927年生まれですので、この本を著わされたときの年齢は69歳位になります。なお、井上洋治神父については、4月2日の日記でも触れました。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】彼はらくだの毛皮を着、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜とを食べていたといわれている。【上記の感想】彼とはヨハネのことです。聖書には、「このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた」(マタイ3・4)と書かれているのですが、この「いなご」が「昆虫のイナゴ」か「イナゴ豆」のどちらを差すのかと疑問に思っています。それについて、この本では「イナゴ豆」を差すと捉えています。理由は、ヨハネは荒野を活躍の舞台にしていたそうなので、荒野に「昆虫のイナゴ」は不自然であり、オアシスに見られる「イナゴ豆」が正解であろうとのこと。【この本からの引用】当時旅行は、ギリシア貨幣でもローマ貨幣でもすることができた。しかしエルサレムの神殿に納める「神殿税」は、シェケルというイスラエル貨幣か、ティルスの貨幣でなければならなかった。【上記の感想】マタイ(21・12)に書かれていますが、イエスが神殿から商人達を追い出す場面があります。この商人達は両替をしたり鳩を売っていたようですが、この両替というのがわかりませんでした。なぜ両替が必要なのかわからなかったのですが、この本を読んでよくわかりました。要するに、神殿に納める貨幣が決められていたわけですね。そして、その両替屋は旅行者の足もとを見て、不当に高い交換率を要求していたそうです。まあ全部が全部ではないでしょうが。そういった商人達に対して、イエスがキレたわけだったのですね。【この本からの引用】夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。(マタイ13・1~2)【上記の感想】イエスを裏切った人物としてユダがいます。しかし最近になり、ユダが裏切者であるとの定説を覆す新説が、世の中を騒がせています。簡単に述べると、1700年前の「ユダの福音書」が解読された結果、ユダがイエスをローマの官憲に引き渡したのは、実はイエス本人からの指示だったと書かれていたそうです。これについては、聖書学習歴50日位の私が立ち入ることはできません。あくまでも、話題になっている話として、書き留めました。
2006/04/23
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この本は1986年に発行されました。著者は1927年生まれの作家ですので、この本を著された時は59歳位でした。さて、この本の副題は、「岩下壮一と神山復生病院物語」です。岩下壮一(1887~1940年)については、4月2日の日記で少々触れましたが、その日記とは全く別の顔を、この『闇をてらす足おと』で見ることができます。すなわち、ハンセン病に対する取り組みです。神山復生病院は静岡県御殿場市に現存する病院ですが、岩下壮一はこの病院の院長を務めておられた時期がありました。当時は、私立ハンセン病院として多くの患者の治療と生活の場であったということです。神山復生病院の歴史は、こちらをご覧下さい。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】皇太后陛下が皇后陛下であられた大正年間に、沼津御用邸に行啓して列車が御殿場付近を通過するとき、「この辺にフランス人が病人の世話をしていると聞きましたが」と、御下問なされました。それが皇太后陛下と病院とをつなぐ最初のきっかけだったのです。【上記の感想】皇太后陛下(1884~1951年)とは大正天皇の皇后であった貞明皇后陛下のことですが、この陛下はハンセン病事業に尽くされたことで、よく知られています。1884年にお生まれになったので、岩下壮一よりも3歳年長になります。なお、2005年7月23日の日記に貞明皇后のことを書きましたが、生まれて間もなく農家に預けられ5歳になり実家に戻るというように、たくましく育てられたようです。【この本からの引用】ハンセン病の伝染力は昔からきわめて小さく、プロミンが発見されて以来ほとんど無菌状態であるにもかかわらず、世間の人は決して理解してはいないのです。【上記の感想】「プロミン」とはハンセン病の特効薬ですが、これは1943(昭和18)年、アメリカで開発されたそうです。ここで、「らい予防法」と2001年頃の状況を書き留めておきます。1907(明治40)年にはじまり、1996(平成8)年3月に「らい予防法」が廃止されるまで、実に90年もの長きにおよび「隔離」という人権侵害が続きました。そして、法廃止から5年たった2001年も、全国13の国立療養所に4000人を越える入所者が平均年齢74歳、平均入所期間40年を越えて社会復帰できず、故郷に帰れない2万3000余柱の遺骨が療養所の納骨堂に眠っているとのことです。
2006/04/22
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この本は1989年に発行されました。著者は1928年生まれですので、この本は著者が70歳になってから書かれたものと思います。この本はタイトルどおりの内容で、日本語になったキリスト教のことばを紹介されています。まえがきに書かれていますが、仏教が日本に伝えられてからは1500年たちますが、キリスト教が日本に伝えられてからは500年という歴史です。すなわち1000年の差があります。また、500年のうちの300年は禁教と弾圧の歴史ですので、日本語化したキリスト教のことばは、仏教のことばに比べると少ないというものです。それでは、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】天使のほうはキリスト教用語。肩に翼が生えたりしているエンゼルの絵が、まずは思い浮かぶ。森永キャラメルのマークにこのエンゼルが用いられているのは、創業者森永太一郎が熱心なクリスチャンだった、その記念碑ともいえる。【上記の感想】天使は、日本語になったキリスト教のことばであるとのことです。そして、森永製菓の創業者がクリスチャンであったとのこと、これは初耳ですね。試みに手元の『コンサイス日本人名事典』(三省堂)を引くと、「キャラメルはじめ洋菓子製造の先駆者。終生キリスト教伝道を志していた」と書かれています。【この本からの引用】日本ではあの初期のキリシタン迫害で、長崎で処刑された26人が聖人として認定された。「二十六聖人」とくのはカトリック教会の公認の称号であって、勝手に名乗ったり名づけられたりしたものではない。【上記の感想】俗界に生きる一般人には縁のない言葉ですが、「聖人」も日本語になっています。これもキリスト教の言葉であったとのことです。さてその聖人ですが、これは「カトリック教会の公認の称号」であるとのことです。これもウィキペディアで調べたところ、「キリスト教のいくつかの宗派では、聖人になるには公式なプロセスを踏まねばならない。プロテスタント諸派の中には、キリスト教初期の慣用表現から、『聖人』という語を単にこの世を去った信徒たちを指す言葉として用いるものもある」と書かれています。キリスト教といっても多岐にわたっており、「聖人=正式な称号」と単純にはいかないようです。【この本からの引用】聖書を日本語に訳して一般民衆も自由に読めるようにするために、精力を注ぎ込んだのはプロテスタントの宣教師であった。【上記の感想】私は3月初めに聖書を買い求めて少しずつ読んでいる最中です。聖書は、いまの日本では大型書店に行けば購入できますし、ネットでも購入できます。また、私が利用している市内の図書館にも置かれています。極めて容易に入手できる聖書ですが、本来は一般民衆に与えることには消極的であったとのことです。要は、勝手な解釈をすることにより異端が発生するというのが理由のようです。聖書に対する興味が当分続くならば、いずれは日本語聖書の歴史を調べることがあると思います。「聖書に対する興味が当分続くならば」と頼りない条件をつけましたが、ともあれ、これからも聖書に親しんでいこうと思います。
2006/04/16
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この本は2000年の3月に発行されました。著者は1929年生まれの方なので、この本を書かれた時の年齢は70歳位であったと思います。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】クリスマスにはおよばないが、イースター(復活祭)も日本でだいぶなじまれてきた。俳句の世界では春の季語にもなっている。【上記の感想】この本ではイースターが日本でも馴染まれてきたと書かれていますが、まだまだというのが実感ですね。最も著者は70代という年齢の方なので、数十年前と比較してそのように表現されているのでしょう。今年の日程では4月14日からイースター休暇に入っており、16日がイースターということになると思います。なおイースターに関しては、3月18日の日記にも書きました。俳句の世界では春の季語になっているとのことなので、手元の歳時記を引いてみると、確かに載っていますね。草間時彦の句から一つ書き出します。復活祭赤き卵は子規も喰ひき子規は正岡子規のことであると思います。病床の子規は病に苦しめられながらも、体調の良い日は健啖ぶりを発揮したと言われています。そういう情景が浮かんでくる句ですね。【この本からの引用】「もし同胞が貧しく、自分で生計を立てることができないときは、寄留者または旅人を助けるように助け、ともに生きていけるようにしなければならない。その人から利子も利息も取ってはならない」(レビ記25の35~36)【上記の感想】まず、「利子も利息も」と書かれていますが、利子と利息は異なるものでしょうか?同じだろうと高をくくっていると、同じではないようです。「利子(りし)とは、貸借した金銭などに対して、ある一定利率で支払われる対価。利息と利子は通常同じ意味で使われるが、借りた場合に支払うものを利子、貸した場合に受け取るものを利息と使い分けることがある。また、銀行預金では利息、郵便貯金では利子と呼ぶ。法律用語としては利息を用いるのが通常である(ウィキペディアより)これは驚きましたね。さて上記のレビ記からの引用部ですが、これはユダヤの教えですが、同胞には利子をつけて金を貸してはならないということです。しかし、「外国人には利子をつけて貸してもよい」(レビ記23の21)という例外があるそうです。2005年1月3日に日記に、ユダヤ人が儲けた利益を「自分たちの内部で蓄積・流通させて、住んでいる社会や国には多くを還元しない、という構造ができ上がっていった」と書きました。その遠因を、このレビ記に見ることができました。
2006/04/15
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この本は1984年に発行されました。著者は1929年生まれの方で、食品関係を専門にされているようです。以下に、【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう」(マタイ7・6)【上記の感想】ねうちを知らない者には宝も無意味であることの例えとして、「豚に真珠」と言いますが、この出典は聖書にあるようです。上記は見れば明らかで、こういう箇所を見ると、今までの疑問が解けたようで、少々幸福な気分になります。しかし、犬はともかく、豚がかみつくのかと疑問に感じます(笑)。最も私は豚を飼ったことはありませんが。想像力を働かせると、おそらく2000年前の豚は、今の飼い慣らされた養豚業での豚とは違い、猪のようなものかもしれません。【この本からの引用】「このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた」(マタイ3・4)【上記の感想】この聖句の「いなご」ですが、この本では昆虫のイナゴを意味していると書かれています。しかし、別の本では、いなご豆のことだと書かれていました。最も、ルカ15・16によると、いなご豆は豚が食べる物であったようで、昆虫のイナゴもいなご豆も、どちらも良い食べ物ではないことは明らかです。【この本からの引用】魚には、このリジンが非常に多い。したがって、小麦や、大麦のパンを食べるときは、魚を共に食べることが栄養上大へんよいことだ。【上記の感想】リジンとは、栄養学的に重要なアミノ酸とのことですが、このリジンはパンには非常に少ないようです。逆に、魚には多く含まれているとのことで、パンと魚を一緒に食べることは、理にかなっているとのことです。また大麦のパンというのは、ふっくらとせずに、ゴツゴツするものであるようです。小麦を使わないと駄目なようです。聖書に、「大麦のパン5つと魚2匹とを持っている少年がいます」(ヨハネ6・9)と書かれていますが、ここでのパンは良いパンとは言えないようです。なかなか勉強になります。
2006/04/09
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この本は1990年に発行されましたが、初出は1987~90年にかけて「聖母の騎士」に連載されたとのこと。著者は1931年生まれなので、50代後半という年齢で書かれたものです。以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみます。【この本からの引用】30代半ばに不眠症になった時と、40代の終わりに視力をなくしかけた時との私の心の大きな特徴は、喜びを見出せなくなったことでした。【上記の感想】3月11日の日記に書きましたが、曽野綾子さんには不眠症の時期と視力をなくしかけた時期があったとのこと。華やかさの裏には、人それぞれに苦しみや悩みがあることを知らされました。【この本からの引用】当時祭司階級は、上等の一番絞りのオリーブ油を使いましたが、庶民はそれこそ何番絞りかの粗悪な油で、素焼の火皿に亜麻の芯を置いて灯をつければ黒煙ゆらゆら。【上記の感想】我が家では調理にオリーブ油を使うことはありませんが、裕福で食通な家庭では常備されているようです。まあ、これは私の勝手な想像で、各家庭のことはわかりません。それはともかく、上記で興味をひいたのは、「上等の一番絞り」という言葉です。一番絞りというとビールの銘柄にもありますが、この言葉には何やら高級感があるようですね。ちなみにキリンビールのHPでは、次のように書かれています。『キリン一番搾り生ビールは、その「一番麦汁」しか使わないビールです。「一番麦汁」は麦芽の殻から滲み出すタンニン成分の比率が少ないため、上品でさっぱりとした味わいやストレートなのどごしのビールを生み出します』(キリンビールのHPから引用)【この本からの引用】「私たちは与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、それが預言の賜物であれば信仰に応じて預言をし、奉仕の賜物であれば奉仕をし、また教える人は教え、励ます人は励まし、施しをする人は惜しみなく施し、司る人は心を尽くして司り、慈善を行う人は快く行うべきです」(ローマ人への手紙12.6~8より)【上記の感想】引用部は、著者が聖書より引いている部分です。ここでの賜物とは、「才能」のことだと著者は言われます。そう考えると、この聖句は、神は人それぞれに異なった才能を与えられたので、その才能を活かしなさい。こういうことになるのでしょうか。
2006/04/08
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この本は1999年に発行されました。著者の安岡章太郎氏は1920年生まれの小説家、井上洋治氏は1927年生まれの神父です。井上洋治氏は神父なので言うまでもありませんが、安岡章太郎氏もキリスト教徒です。まあそれは、タイトルを読めば一目瞭然ですが。ただ驚くべきは、カトリックの洗礼を受けた時の年齢です。御家族をはじめ多くの方々の縁があったとはいうものの、何と68歳位の時に洗礼を受けています。それでは、以下に【この本からの引用】と【上記の感想】という形で、少々書いてみましょう。【この本からの引用】ちなみに、その日、私に与えられた洗礼名はトマスであるが、この疑り深さで知られる聖者の名は、本当は私の代父にこそふさわしいような気が何処かでしている。【上記の感想】疑り深い聖者トマスであるが、こういうことが出てくると、聖書を読んでいて良かったなと思う。私が聖書を買い求めたのは3月の初めだが、それ以前であったなら、「疑り深い聖者トマス」と書かれていても、理解できなかったはずである。ヨハネによる福音書に登場する十二使徒のうちの一人がトマスだが、トマスはイエスの復活を信じずに、次のように言ったという。「指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と。【この本からの引用】岩下壮一という神父と当時東大の講師であった哲学者・吉満義彦さんの蔵書はもう山のようにあって、その蔵書室の鍵をどういういきさつなのか、遠藤さんが預かっていたのです。【上記の感想】ここで出てくる岩下壮一神父ですが、他の本を読んだときも出てきたので、ちょっと調べてみました。岩下壮一(1887~1940)はコンサイス日本人名事典によると、次のとおりです。「吉満義彦らとともに日本におけるカトリック神学研究の先駆者として、スコラ研究の基礎をすえ、また思想界にその紹介のため尽力した」と。【この本からの引用】旧約聖書の掟(『レビ記』11章)に従っていまも豚肉やイカやタコを食べないユダヤ教の人たちと、そういうものを食べているキリスト教徒の生活を較べるだけでも明らかなことだと思います。【上記の感想】このへんは、カルチャーショックですね。ユダヤ教徒は、イカやタコを食べないと書かれています。ちょっと驚いてしまいます。
2006/04/02
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