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コロナ400人超え(東京)、父の日記、ブンタン化粧水Covid-19 in Tokyo exceeded 400,my father's dialy,Buntan-Lotion_ story (4455)2020.8.1It rained every day in July as weather just cries in Covid-19.The number of people infected with the new coronavirus in Tokyo has recently exceeded 400. Schoolchildren aren't having fun unless they are 3Cs(Closed Spaces,Crowded Places,.Close-contact) with loud-speaking .Even summer vacation, which should be fun, is taken up, and they have to go to school in the heat. Even one year behind as in Kenya,anyone shoule be able to recognized as "corona generation".7月は毎日雨が降った。連続31日というのは観測史上初めてではないだろうか。コロナ禍でお天気も泣いていたのであろう。新コロナウイルスの東京の感染者数はこのところ400名超えなど記録更新を続けている。3密でなくては楽しくない学童達はいまどれほど寂しい思いで学校に通っているのであろうか。楽しい筈の夏休みさえ取り上げられ暑い中を学校に通わなくてはならない。ケニアにように全員留年させて2020年度をやり直したほうがすっきり行く。「コロナ世代」という新語があれば「1年遅れ」というのを誰もが認識できるはずだ。焦らずここはじっくり通過していくのを待っても良いのでは。■今週の1枚 Switzerland-Wengen(スイス・ヴェルデンの峡谷 スケッチを元にした油絵。)山のシーズン到来である。1週間ほどテントでスイスを彷徨いたいものである。叶わぬ願いにスケッチを開いて油絵を描いてみた。目次徒然の記その1 精密な抗体測定から安全・安心を社会に取り戻す・・記者クラブ会見徒然の記その2 Covid-19 日本・世界状況 徒然の記その3 引越しその5 徒然の記その4 ブンタン化粧水 徒然の記その1 精密な抗体測定から安全・安心を社会に取り戻す・・記者クラブ会見 2020.7.4(土)■日本記者クラブ 新型コロナウイルス・企画(33)児玉龍彦(1953-)・東京大学先端科学技術研究センターがん・代謝プロジェクト プロジェクト リーダー(東京大学名誉教授)、村上世彰(よしあき 1959-)・村上財団代表司会:元村有希子 日本記者クラブ企画委員(毎日新聞)定量分析による抗体検査を活用し、感染状況の実態把握や重症化判定への有用性を明らかにするプロジェクトが東大先端研など6つの大学や研究機関(東大病院、慶大病院、京都府立医大病院、阪大病院、ひらた中央病院(九州)、東大先端研、東大アイソトープセンター、㈱医学生物学研究所、㈱LSIメディエンス、ヤマト科学)を中心に進められている。同プロジェクトを率いる児玉龍彦氏と、資金面で支援をしている一般財団法人村上財団の創設者である村上世彰氏の2人による記者会見。YouTubeは90分。URL=https://www.youtube.com/watch?v=8qW7rkFsvvM&t=927sこの研究の資金は、一般財団法人村上財団、NPO法人ピースウイズジャパン、興和、中外製薬から支援を受けている。また6千万円を目標にファンドで寄付を募っている。概要を下記に記す。■精密・大量検査の現状(磁気ビーズ方を使ったYHLO-医学生物学研究所の機械。欧州ではロッシュ、米国はアボットという機械が該当するが原理は同じ。) 下記6点が成果と課題。1)・cut-off(判定基準)は日々改正。本日7/4 pm6から再度改良。無症候感染者を捉まえるためにcut-offを見直す。2)・感染された方はこれまでの報告数の10倍。7人の陽性/1000人中・・0.7%・・対象4300万人として30万人はいる。3)・医療従事者など職種によって高い感染率が示される。簡易キットの偽陽性には注意が必要4)・日本における一般的な傾向からIgM(免疫グロブリンM)の反応は低く遅い。すでになんらかの免疫記憶がある可能性が高い。5)・早期からIgMが上昇する患者は重症化しやすい。新型コロナウイルスの抗体依存性の憎悪(ADE)に警戒が必要である。6)・無症状の方には、抗体陽性に加えて、抗体陰性の方がおられ抗体に、自然免疫、細胞免疫が関わりワクチン開発、治療の鍵である。■コロナウイルスに欺かれる免疫とはヒトはウイルス感染に、2つの免疫システムで闘う。Tリンパ球は細胞性免疫でウイルスに感染した細胞を殺す、Bリンパ球は液性免疫でIgMやIgGといった抗体でウイルスを中和する。感染した細胞が体内にあると何千、何万とウイルスが増える。ウイルスが変異していると抗体でウイルスが中和されず増え続ける。RNAウイルスであるコロナウイルスは、増殖のたびに遺伝子配列を変異させ、この免疫の仕組みを逃れて進化してきた。その結果、重症化はサイトカインスト-ムと呼ばれる免疫の暴走と、抗体依存性の憎悪(ADE)によって増強される。風邪コロナは、上気道の粘液で対応できるが、新型コロナウイルスは、上気道を超え、肺の組織まで及んでしまう。細胞性免疫は上気道でもしっかりと働く。ゴブレット細胞(goblet cell)やシルエット細胞(silhouette cell)といった細胞がやられると味覚や嗅覚がなくなる。Th1(Tヘルパー1:T細胞の一種)が関わっている。肺胞の2型上皮細胞(Type2 pnemocyte)がなくなると極端な呼吸不全となり致命傷となる。症状の有無と、細胞性免疫、液性免疫の有無とは別に考えなくてはならない。風邪は粘膜免疫で終わっているが、新型コロナウイルスはいろんな組織免疫が働くため全身の臓器不全となったりする。インフルエンザとの大きな違いは、感染しても無症状となる人と、症状が出る人がいるということである。社会的距離を取れと言うが、感染していない人同士を隔てても意味がない。また無症状の人にもいろんなタイプがある。感染性を保持してスーパースプレッダーになってクラスターなどを起こしてしまう人と、感染性がほとんどない人。後で発症する人と、発症前に沢山ウイルスをばら撒く人と。時期的に抗体ができない人や、ずっと抗体ができない人など。とにかく、この無症状の究明を行う必要がある。過去、風邪ウイルス、SARS、MERSなどを経験している世代では交叉免疫が働いている可能性がある。リンパ球が異なった免疫を待つ多数の抗原と反応している。中国沿岸部で感染者が少ないのは過去にSARS,MERSを経験しているからかもしれない。赤ん坊時代に何でも舐めまわしているので自然と抗体ができたのだろう。内陸部ではその経験がなかったので武漢のように蔓延してしまったのではないか。SARS用のワクチンが2003年の発生後から17年たっても出来ていないのは、ワクチンを打つと確かに抗体ができるのであるが、感染すると悪化すると言うことがマウスの実験で確認され、いまだに実用されていない。デング熱ワクチンで実証され、WHOは2018年、デング熱に感染したことのない人にワクチン接種を控えるように勧告するWHOポジションペーパーを出した。このウイルスにはS抗原とN抗原がある。ワクチンは主にS抗原に働くことを目標にして作られている。ところが、ウイルスの核内にあるN抗原は、RNAを丸めてウイルスに押し込む。抗体ができると組織障害が悪化する。精密測定で、発症から3W以上の期間でN抗原とS抗原の個別測定を開始した。■児玉龍彦先生のまとめ・東京では200,300人超えの状況。新宿歌舞伎町、池袋繁華街がエピセンター(震源地)化し、埼玉、栃木、横浜にも溢れだしている。日本全体で900人など。北海道から鹿児島までエピセンターが生まれつつある。・外出自粛で、飲食業、観光業は赤字が累積し、もはや一刻の猶予もない。歌手、演劇など芸術家は、発表の場がなくなり芸術全体が危機になっている。学校は休校で学習が遅れ家庭引き籠もりの弊害、子供の成長も危機。・病院、介護施設は、一般国民の倍の抗体陽性率で、恐怖から離職する介護従事者も増えている。型コロナウイルスに対応した病院は赤字が累積しながらさらなる病床準備を要請され、その他の病院は外来患者が感染していないか怯えながら診療。その一方で、この緊急事態に国会は休会し、専門家会議は廃止。対応すべき大学はいまだに建物をロックし、外部の人の立ち入りが禁止されている。今、日本の状況は一刻の猶予も許さない。上にあげた6点の成果と課題につきプロジェクトでは無症状患者の検討と、集計と、対応策提言を予定している。最先端の科学技術を結集して新型コロナウイルスへの大規模検査、治療、隔離、追跡の仕組みを作り上げ、安心安全の社会を取り戻すために全力を尽くす。皆様からの真摯な、ご意見、ご批判、ご検討をお願いしたい。質疑応答(速記録)■Q:免疫の基本的なお話で日本の場合はIgM抗体が出るのが遅いという話しがあったが、諸外国例えば米国と比較しても同様なのか?A:米国のNature Medicinなどから報告が増えてきて同じような傾向があり、世界共通のようだ。一番初め中国ではっきり観察された。検査の人口構成で少し違うようだ。重症患者が多い病院のケースではIgM,IgGが綺麗に上がっている。軽症者が多い市中病院の例では、無症状の人が多くなっていき、IgMが遅れていくという不思議な現象をみる。世界各国で計り方が違う。世界的に非常に多いのは簡易キットによる測定。定量化して、しかもスタンダード化していく必要がある。PCRが立ち上がっているときのある値以上(rule-in)が陽性だとしても、発症後下がりだしたその値以下(rule-out)は偽陰性となってしまう。IgGとIgMも測定できるような定量検査が必須。もう一つはN抗原とS抗原はパターンが全然違う。いまNとSが一括して抗体として話されているがN抗原に対する反応とS抗原に対する反応を分けてみないと議論はまったく別物となってしまう。更にもうすこし面倒なのはロッシュ(欧米)の計り方はビーズに抗原を貼って抗体がIgGでもIgA、IgMでもくっつくのを見るもので、抗原と抗原のサンドイッチなので抗原の種類が分からない。アボット(米国)と我々のYHLO-医学生物学研究所のは抗体が区別できる。似ていて相関がよい、このように測定装置によって違ったものを観ているということになり、なかなか難しい問題であるが同じ傾向は世界中にある。 もう一つ。ウイルスの暴露量で違っている。沢山入った人は、細胞性免疫が働いて上気道で止まるということは無く肺胞に入っていく。武漢で新型コロナウイルスを告発した34歳の眼科の医師が急死したのも暴露量のせい。量の問題と、遺伝子型(genotype:ジェノタイプ)の問題がある。欧米の641DGA変異というウイルスが北京に入ってきて、これが感染性が高いものができてきた。Q:細胞性免疫を使った万能ワクチンをかって構想されたことがあるのですが、有効ですか?重症化を防ぐ方法はありますか?A:今見ていると抗体の反応が非常に大事で新コロナウイルスはSARSよりも一人の人がうつす量が少ない。比較的早く抗体が上がりだす。抗体が上がりだす前の数日間しか感染性がない。このウイルスの予防には上気道のところにある粘膜の、ここでの免疫が非常に大事。ワクチンの作り方から言うと、ここで効くIgAを生み出すような粘膜は、鼻腔から投与しなくてはいけない。血液中に投与したり、筋肉にDNAワクチンを打ってもかえって副作用が起こるだけではないか。細胞性免疫の惹起、ようするに交叉免疫で一方では抑えるかもわからないが、抗体依存性免疫増強(ADE)が起こると悪くなる場合もある。細胞性免疫を引き出すのに多数の抗原部位を打ったほうがよいのか、あるいは特定の中和抗体のもととなる受容体結合ドメインRDDそこだけのワクチンを打ったほうがよいのか非常に慎重に考えなくてはならない。ちょっと複雑になるが、S蛋白には2つの構造があることが分かってきたがどちらのほうが良いのか。どういう組み合わせでいくと中和にいいのかが分かってきた。そうでないと不完全な中和抗体をいっぱい作ると必ずADEを起こす。副作用だけが増えることになるので非常に慎重を要する。しかもウイルスが変異していく。 641GPA なのか、GなのかAなのか。どの患者に打つのか、どの地域で使うのかが大事。 空港検疫が行われているが、毎日違った形のウイルスが検出される。インドにおけるゲノム変異は日本とでも違う。ブラジルからも違ったものが入ってくる。そういうものに絶えず注目していく必要がある。Q:東京では何百人もの感染者がでてきているのであるが、第一波の残党が残っていて、無症状の人が感染を振りまいており、またそれがなかなか見つかりにくく尾を引いている。このような認識でよいのか?A:無症状の人に抗体がどんどん上がってくる人と、抗体陰性の2つがある。抗体陰性であってもむしろ細胞性免疫が働いている人が多い。無症状の人の免疫を徹底的に調べないと、今の感染がなぜ広まって、なぜ急に止まるのかが分からない。無症状、症状の括りではなく、細胞性免疫が働いているけれど液性免疫が働いていないとか。細胞性免疫に行くのはTh1というヘルパー細胞で、液性免疫に行くのはTh2の抗体反応となっている。Th1の反応を引き出している人が多いが、Th2へ行く人もいる。とにかく無症状の人の解明が急務。Q:無症状の人はなかなか見つからないのでは。見つけて隔離し治療しなけれならない。その人を見つけるのは片っ端から検査をしなくてはいけない? しかし先生はPCR検査を無制限にやる必要なないと?A:無制限にやっても当たる確率が低い。中国・武漢のように990万人やって300人陽性ですよと出すほうが一番簡単。それらが全員無症状の人だった。そのような検査は日本では無理である。なぜ東大がいまだに閉まっているのかの問題に帰着する。コロナの禍が起こった時に文科省の指示で東大を始めとして日本の科学技術者が在宅になり、ロックアウトされた。我々がこれを続けようとしたら妨害の渦であり、閉じているのだから人を来させてはいけないと。倫理員会ができないから外部のPCR検体を入れてはいけないと。ようするに日本の科学技術がこれだけ衰退しているのを見たのは空前絶後。こういう危機のとき、分からない事態が起こっている時こそ真っ先に科学者が立ち上がって道筋を考える、勇気を持った存在の筈がまったく逆で最初に閉じこもってしまって、何も事故がなければよしと。無謬(むびゅう)主義が横行したのだ。PCR検査などは必要機材、高度な技術者、生物学的安全施設もあったので、先端研でも1日数千件、いや1万件くらい、東大全体だと10万件くらい簡単にできる。病院以外はいまだに部閉じたままなのだ。これが結局一番問題。今我々がやらなくてはならないのが21世紀の科学技術でもって、この細胞性免疫、液性免疫、自然免疫というものが、口腔の粘膜のところで止まるものと、深部へ行って重症化してしまうのがどう起こっているのかを解明しなければいけない。実はSARSが起こったのは、先行する風邪コロナの免疫が抗体依存性の増悪(ADE)を起こしたのかも知れないのだ。同じ地域で起こっている。こんどの新型コロナウイルスはその地域では死亡率、重症率が低い。そういった免疫がないところ(武漢のような内陸部)で非常に高い。免疫学のレイヤーのような構造があるのでは。風邪コロナでも消化管に入ったりするものもある。比較的若い年齢、1歳くらいの時にべろべろいろんなものを舐めてきた乳幼児が非常にうつりやすくて両親に感染。2003年のSARS、2012-13のMERSなどを経験して歳をとって違うコロナの免疫をもってきている。そういう人たちが無症状の人たちではないだろうか。排出量の多い無症状の人を捉まえる必要。単純に数値にふるまわされることのないように。上がってくるデータのフィードバック(on-line→marge→ off-line)が重要。老健施設では出入りの人、リネンも含め全員検査を。Q:封鎖と経済効果の関係?A:(村上氏)現在死者1,000人規模であるが、失業率が1%上がれば自死は3,000-4,000人と上がりこちら方が数字が大きい。経済を回すことと感染防止の両面を同時に考えていかなくてはならない。(turbo717見解・・・PCRが増えないのは国立感染症研究所(感染研)の情報独占体制の壁か? 1日10-100万件態勢を整え、韓国(直近1wの平均47人)、中国(同190人)、台湾(同25)のように抑え込むことに注視してもらいたいものである。免疫力をupする生活習慣や食材になんらかのhintはないものだろうか。小生の場合は、梅干しパワー+ヨーグルトであるが。)徒然の記その2 Covid-19 日本・世界状況 2020.7.31(金)■新規感染者数でいくと東京では7/23の+366、7/30の367、7/31の463+αとせりあがっていっている。大阪では7/29の+221を契機に新記録を更新していく勢い。岩手では7/29やっと最初の感染者が2人でた。一人は関東地方にキャンプに行き、同じテントでうつされた模様。GoToの影響か? やっかいな無症状感染者による拡散が顕著。しかも感染していない人同士を社会的距離をとってもあまり意味がないときているのでやっかいだ。怪しい場所へ出入りはN95マスク着用など厳重な警戒をしてもらいたいものである。■世界分析グラフ・・(ジョン・ホプキンズ大学データ 2020.7.30午後9:33のデータに基ずく)世界の感染者は7/30に1,700万人を超した。直近1wの1日平均感染者数増は25.5万人。死者は7/29に66万人を超した。直近1wの1日平均死者数増は6,143人感染者数は 米1位、ブラジル2位、インド3位、ロシア4位、南アフリカ5位、メキシコ6位、ペルー7位米の感染者443万、ブラジル255万。インド158万。急伸ぶりがやや低下。、世界 人口(億)、累計数(K) 、前日+K 、 死者(D)、前日+D、 100万D、 K-2W:1W比率、 D-2W:1W比率全世界 77.13、 17,057,700 、295,095、 667.744、 +6,732、 7,930.5、 1.08、 1.11米 329.1、 4,427,620、+75,316 、150,717、+1,457、 458、 0.97、 1.3ブラジル 211.2、 2,552,265、+69,074 、90,134、+1,595、 427、 1.25、 0.99インド 1366.4、 1,582,028、+50,359 、34,956、+763 、2,730.9、 1.27、 1.03ロシア 145.8、 832,993、+5,538 、13,778、+136、 94.5、 0.93、 0.95南アフリカ 58.6 、471,123、+11,362、 7,497、+240 、 127.9、 0.91、 1.05メキシコ 127.6、 408,449、+5,752、 45,361、+ 485、 355、 1.03、 0.97ペルー 32.5 、400,683、+5,678 、18,816、 +204、 579、 1.19、 3.74 30位 スウェーデン 10.1 、80,100、+ 606、 5,739、+37、 568.2、 0.71、 0.76K-2W:1W比率(感染者1w合計)が1以上なのは、拡大中を意味する。 D-2W:1W比(同死亡者)も同様。グラフ1 世界の感染者数直近の2w,1wの比率で1以上の国・地域(1週間の新規感染者数が前週のそれより増えている国・地域)は107で前週より14ヵ国増。アンドラ9.2 シリア8.2、リヒテンシュタイン7.5 エウワティニ(アフリカ)5.3、ガイアナ(南米)3.1などと極端な増加をみられない。南米では12ヵ国のうち5ヵ国が入っている。 中米では23ヵ国のうち9ヵ国が入って減ってきた。世界top50の人口100万人単位の感染者数累積。感染数Top1,2の米国、ブラジルでも、人口100万でならしてみるとブラジル3位、米国5位となる。新規感染者数のグラフ。上は、インドンネシア-イスラエル-日本-韓国、下は米国-ブラジル-アルゼンチン。どこも6月以降増加。経済活動再開によるところ大。グラフ2 域別感染者数推移と死者数の推移(地域別人口100万人グラフ)欧州は落ち着いてきている。南米(空色)、北米(濃い赤),アジアとアフリカは極小でこのグラフには底の部分。グラフ3:日本:クルーズ船を含む感染者累計と毎日の増加分もはや完全に第2波。どこまで立ち上がっていくのか?グラフ4:特定警戒地域のその後。日本全体のグラフがそのまま東京のグラフである。立ち上がりが急峻すぎる。米国の1日7万人というレベルではないが。東京と大阪の比較東京では1日の感染者が500人に届こうとしている。大阪は200人を超え7/31もその傾向。 徒然の記その3 引越しその5 2020.7.29(水)■11月末の更地引き渡しに向けて、過酷な断捨離。その5この騒動で分かったことがある。「物を捨てたがらないカミさんと、物を捨てすぎる夫。」例:BBQのセットであろうか、四角い折り畳みのテーブルを当然のように捨てようとした。カミさん「これ、マンションのベランダ用に買っておいたものヨ」と。「は~い」「貴方、花器を全部捨てたの? 花瓶とは違うのヨ! 剣山を中において花を生ける器だったのに。!」何と!これは使える、あれは価値がある。と。地球儀を2つとも捨ててた後で。「ソ連という国名が書かれた貴重な地球儀だったのに!」と。一方こちらはさっさと全部捨てている。Violinを5ケースほど捨ててしまった。小中学校から使っていた古い中に30年前まで使っていた上等なのも入っていたのに。・・捨てすぎたかな。もうViolaだけで生きていこう。Pazzleの回答書(自作)が入った箱も捨ててしまったようだ・・・今机にあるPazzleの解き方が分からずこの2ヵ月苦労をしているものである。もうギブアップして回答書を見ようとしたがあるべき場所にない。・・捨ててしまったのだろうか? 残念。まぁこんな調子である。五月人形、その屏風、雛祭り。実家からの家宝のお屠蘇のset。これらはどうするか?世の中、これほど断捨離に迷うのだろうか。すべて捨て、要(い)りようは買い足すという精神で臨みたいものである。■まぁ次から次へと見たこともないような生活物資が出てくるものだ。原因は子供達にある。下宿からUターンして去って行ったときから置いたままとなっているものが山のように。窓の下だったり、隅々に置かれている。乾燥機や台所小物類。終わりなき戦いである。ほとんど真っ新な旅行鞄だったり。増える方向にある我が家!!■それでも「一般ゴミ」250kgくらいとなって清掃工場への日参。ビル3階くらいの高さにある投棄場から奈落の底に落としていく。そのまま燃やしてしまうのである。一般ごみの中には30cm以内の家電製品などもあり、いっしょくたに捨てるようになっているのは厳密な意味で分別処理はされず"これも燃やすのか?"と疑問になるところである。アルバムなどは、「紙・雑誌」には分類されず「一般ごみ」として燃やされる。ここへ持ってくれば写真などが貼られたままであっても問題はない。しかし当方は一枚一枚剥がしているのであるが。■CamScanner写真アプリによるアルバム類のディジタル化はほぼ終了した。台形補正をしてくれるので助かっている。一般の写真と違い、中央に置かれた資料の枠を判定して台形を真四角に修正してくれるのだ。AIが動いている。どういう角度から撮っても中央にある資料を中心として形状を補正してくれ、画質も補正してくれる。一括してPDF処理をすれば自分のスマホ内にも保存できる。さらにそれをパソコン外付けのHDDなどに書き出すこともできるので年月別に名前をつけていけば綺麗にソートされる。何千枚という写真を瞬時に閲覧できるので便利。■親父の日記。26年前に他界した親父のルーズリーフ形式の日記が大事に保管されている。最後の8年間の詳細なハイキング日記である。達筆であるため読みずらい。マメに地図を手書きしたり切符や写真、パンフの切り抜きを貼り付けたりと読み物としては面白く相当のボリュームがある。冊子としては毎年1巻、300ページくらいある。それらも今回読み返しながらディジタル化を図ってみた。手前みそになるが驚くのはその内容である。兵庫県・宝塚に住んでいたため、六甲などを巡る阪急、阪神、京阪など私鉄5社のハイキングツアーや、個人企画、竜峰講の大峯登山を含めて数々のハイキングに参加しては山友を誘っていたようで、ファンも10人ほどいた。六甲を裏庭として、箕面、京都・奈良、ほぼ毎日のように低山を散策していたようである。そこに至るまでは会社時代に北・中央・南のアルプスの峰々を飯田市に住む元社員に連れられて踏破している。よほどの健脚であったのだろうが60歳後半からは低山に徹して幾度も近所のハイキングコースを歩き熟知していたようだ。道に迷ったハイカーを助けたりもしている。それらが克明に記載されているのだ。昭和63(1988)年親父74歳の日記の12/31の頁には実行したハイキング129回、距離2702kmと纏めていた。H4(1992)年の巻8が最後になるが、その年も1月1日からハイクを始め14回目となる4月15日(水)の再度山(ふたたびさん 470m)で日記が止まっている。この日も山友を誘って歩いていた。この3ヵ月後には病院で亡くなっている。数えで79歳。健脚を誇っていた親父としては残念な最期であり、もっと山登りを続けていってもらいたかったものである。実家ではお袋一人になってしまうため家を引き払って我が家に住んでもらったのだ。増築のいびつな形の離れが出来たという次第である。そのお袋も亡くなって3ヵ月もしないうちに1995(H7)阪神大震災が発生した。売った家には子供連れの若い夫婦が住んでくれたが、震災には耐えてくれたようでほっとしたものだ。さて、親父を歩く達人として小生が今学べるのは、これらの日記のなかに出てくるいろんな物語である。白山や八甲田山、釜石・花巻と遠方も訪ねており、小生が遅れてそれらを訪れたりして同じ足跡をなぞっていたなんて偶然を発見したりした。驚くべきことに真鶴・三ツ石岬にも行っていた。東奔西走の間に、当家にも立ち寄ってくれていたので、別のアルバムに写る親父の写真と符合する。S59(1984).5.17(水)に当家に来たときは真っ先に孫(当時2歳半)が迎えに飛び出してきてくれたと喜んでいる。庭が草ぼうぼうで、2時間を要して手入れしたとも。恐れ入った。その帰りに当方の義父の家にも寄って翌日その案内で、真鶴を観光したらしく「しょうとく丸」という磯料理の割烹店で昼食を取っている。普段はひっそりと2人で暮らしていたので家族の歓待を受けることを喜んでいるようであった。■八甲田山雪中行軍遭難について。S59(1974)に両親が連れ立って青森を旅した記録があった。八甲田山雪中行軍遭難(1902年1月)に触れている箇所があった。210名中199名が遭難した大事件であり新田次郎が「八甲田山死の彷徨」や映画でも題材とされた。これには後日譚があるのだと。「この遭難者達が亡霊となって青森第5連隊の衛門に現れだしたという。衛兵は恐怖のどん底に叩き込まれた。之を聞いた連隊長はある夜亡霊が近づいてきたので声を張り上げて怒鳴った。「雪中行軍隊の魂達よ。よく聞け。お前らの死は無駄ではなかった。お前等の死によって厳寒期の軍装は大改革されることになったぞ。お前達は戦死者と同様に扱われ靖国神社で合祀されることになったのだ。迷うな。心安らかに眠れ 二度とこの屯営に現れることはこの連隊長が許さないぞ」そして軍刀を抜いて「青森歩兵第5連隊廻れ右、前へ進めー」と号令を掛けた。足音は次第に遠ざかり二度と屯営に現れることはなかったという。」 こんな話が日記に満載なのである。徒然の記その4 ブンタン化粧水 2020.7.24(金・祝日)■男子も化粧する時代であるらしい。最近老化の一途をたどる吾輩も、顔の艶出しに、ブンタン(ボンタンとも。土佐文旦)の種からできるオーガニックな化粧水を付け出した。自前であるからには多少宣伝じみた文言が並ぶがお許しを。作り方はいたって簡単。温室物なら12月から1月に出回る、露地ものでは2月~4月に手に入る文旦を使用、食べた後種を取っておく。ガラス瓶にそれを入れ、日本酒を注いで3ヵ月待つ。(種と酒の量は1:1~1:3など自由に)化粧水が出来上がっている筈だ。液はかなりどろっとしている。種を途中で取り出してもよいのであるが、小生のはそのまま。毎朝、種一粒を取り出し、その周りにまつわりついている液体で顔をローションする。肌が2,30歳若返った。女性は勇気がいるのではなないだろうか。男性なら顔がぐしゃぐしゃになっても失敗は許される。お試しあれ。費用は極小。(編集後記)・・毎週土曜日午後に発行している絵日記blogです。その他:turbo717のActivityは下記HPで公開しています。ヨーロッパ6700kmの記録、巡礼データベース、絵日記blog、歩き塾blog、課外授業(音楽活動履歴、インド数学、Excelによるパズル)などへリンクを張っています。http://turbo717.ciao.jp
Aug 1, 2020
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本日は、ルツェルン(Luzern)です。チューリヒから直線90km南西方向ですので、日帰りで観光できる位置にあります。ルツェルン湖(Luzernsee)の面し、美しい町並みを誇ります。南にピラトゥス山(Pilatus:2120m)、東には、ルツェルン湖(Luzernsee)の対岸にリギ山(Rigi:1798m))を擁します。また、中央アルプスのティトリス山(Titlis:3242m)までのツアーも便利です。城壁に取り囲まれた街の真ん中をロイス川が流れます。屋根付木造橋の“カペル・ブリュッケ”などの橋が両岸を結びます。絵の左上の城が、ムゼック城壁(Museggmauer) です。左上の旗が風に飛びそうです。(見ずらいですが、特徴のある旗です。)(なに見えない!スミマセン) ここから時報(定時1分前)のチャイムが鳴り響きます。手前の川がロイス川です。オープンアーケードでは今日でも市場が毎週開かれています。見所としては、・カペル橋(Kapelbrucke)(14世紀から残るヨーロッパ最古の木の橋。1994年に一部が火災にあっている・水の塔(Wasserturm)・イエズス教会(Jesuitenkirche)・フランシスコ教会(Franziskanerkirche)・ロイス川の堰(Nadelwehr)・シュプロイヤー橋(Spreuerbrucke)・ムゼック城壁(Museggmauer) (1386年に建てられた城砦の一部が当時のままに残っています。シルマー(Schirmer)、ツィト(Zyt)、メンリ(Mennli)と呼ばれる3つの塔が一般公開されています。ハンス・ルターが造ったツィト(Zyt:1535年)塔の時計は、街で最も古い時計。)・旧市街の広場(Altstadtplatze)・ライオン記念碑(Löwendenkmal)・市庁舎(Rathaus)(1602~1606 年。イタリアルネサンス様式の建築。ベルン州の農家の屋根。)・バーゼル通り(Baselstrasse)・シャトー・ギュッチュ(Château Gütsch)(四星ホテル、ルツェルン湖を見下ろす展望台)などです。景観はチューリッヒと似ていますネ。明日は、イタリアです。さてどこに。いままでのskechを地域ごとに、フリーページに整理しました。
Feb 1, 2005
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本日は、スイス、チューリヒ(Zürich)です。美しい町と湖の都。古都。チューリヒは、スイスの東の玄関口で、リマト川の源:チューリヒ湖の北端に位置し、人口36万人のスイス最大の街です。日本との直行便もある国際都市で、商工業、金融業の中心地ですが、町全体は湖畔の古式整然とした歴史と伝統に育まれた町です。美しい建物が並ぶ旧市街など、散策を楽しめる小都市の魅力があふれています。チューリヒ湖を源とするリマト川は、ボーデン湖からの流れと交わりドイツでライン川となりオランダを経て北海にそそぎます。南北50km。チューリヒ湖(Zürichsee)湖畔やリマト(Limmat)川沿いに広がる緑豊かな遊歩道は市民の憩いの空間。ローマ時代に、今のリンデンホフの丘に税関が置かれ、税関という意味の「ツーリクム」が「チューリヒ」の語源となっています。上の絵はバーンホフ通り(Bahnhofstrasse)。tram(市電)が走ります。右側の建物は、サヴォイ・ボー・アン・ヴィル(Savoy Baur en Ville)ホテル (?)下の絵は、リンデンホフ(Lindenhof)の丘から眺めるリマト川と旧市街の街並みで、尖塔は、97mの塔を持つプレディガー教会です(チュリヒで一番高いバロック様式の建築です。1887の火災で建て直され中央図書館(Zentral Bibliothek)として利用されています)。河畔には、シェフリー、アドラー、フランツィスカナーなどのホテル群がひしめきます。Zürich湖から真北の方向に流れるリマト川をZürich湖からみて(右)(右岸)に旧市街が広がります。(左)左岸はバーンホフ通りを擁する新市街となっています。左岸の丘:リンデンホフの丘からの絵(下図)は、右側がZürich湖となります。主要なものは:・中央駅 Hauptbahnhof・バーンホフシュトラッセ(Bahnhofstrasse:駅前大通)・オペラハウス(Opernhaus:7月にチューリヒ音楽祭が開かれます。)・トーンハーレ(Tonhalle)・聖ペーター教会(St.Peterskirche)(1534建立の時計塔はヨーロッパ最大)・フラウミュンスター(Fraumunster:シャガールが1970年に描いたステンドグラスがあり、とてもきれいです。)・グロスミュンスター( Grossmünster:大聖堂)(2つの塔をもつ)(スイス最大のロマネスク寺院)がります。・チューリヒ美術館(Kunsthaus Zurich)・スイス国立博物館(Schweizerisches Landesmuseum)などなどです。ぜひおいでください。
Jan 31, 2005
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本日はルツェルン(luzern)-ピラトゥス山(Pilatus Kulm)です。Pilatus Kulmは2120mの標高をもつ山です。上の絵を描いているとドイツ人の子供達がまつわりついてきました。 おっさん なにしてんの? おっさん?! お兄ちゃんと 言いなさい! あそこにある山なあに? わかんな~い。 そうだろうな。 調べれば分かる・・・リギ山(Rigi:1798m)、グレルニッシュ山(Glarnisch:2914m)、ティトリス(Titlis:3242m)、テーディ山(Todi:3714m)ではないかナ? あれ。誰もいない!・・・4つの森の国の湖(通称ルツェルン湖(LuzernSee))から南西18kmの距離にあります。麓のクリエンスからは、ロープウエイ、ゴンドラを乗り継いで辿り着けます。ロープウエイに乗らず、ハイクでゴンドラの駅まで歩けますが、途中の風景はまさにハイジの世界です。山頂から、もう一つの登山ルートのPilatusBahn(PB)鉄道の駅:ピラトゥスクルム(pilatusKulm:2070mm)までは徒歩で20分ほど。ピラトゥスクルムからアルプナッハシュタットまで角度25度くらいの急斜面を鉄道で下ることができます。ルツェルン周回コースは、人気が高く、所要時間5時間。冬場は鉄道のほうは閉鎖されます。ゴンドラで極寒の地まで這い登る・・という感じです。このPilatusBahn(PB)鉄道は、世界一の傾斜、世界唯一のロッハー式ラックレールを誇ります。開通は、1889年(1937年電化)です。延長=4.8km、軌間=800mm、最大勾配=480パーミル(角度は25度)ロッハー式:2つの歯車で、ラックレール(歯が両側についており、両側から噛み合わて、歯車が外れないような工夫を施しています。)ちょうどロープウエイの角度で、鉄道を乗るというまさに曲芸のような感じになります。絵はそのスタート地点ですが、これから谷底に45度の角度で下り落ちるような錯覚になります。明日はオーストリア、あさってはどこ?
Jan 25, 2005
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本日は、スイス_ブリエンツ湖(Brienzer See)です。スイスには1500ほどの湖があるといわれています。このブリエンツ湖(Brienzer See)もその一つです。湖畔のブリエンツ駅は標高566mです。湖面はすこし低く、560mくらいでしょうか。周りの山々が高いので、景色全部が、湖底に沈み込んでいるように見えますが、絵の方向だけは見通しがよいようです。ブリエンツ(Brienz)は、マイリンゲン(Meiringen)を経由して120km東にルツエル(Luzern)が、32km西にインタラーケン(Interlaken)がある地点です。絵の右方角にインタラーケンが、左方向にマイリンゲンがあります。すこし。マイリンゲンのことなど・・ハスリ渓谷の入り口にある町、マイリンゲンは、名探偵「シャロックホームズ」の終焉の場所(:ホームズが命を落としたとされる場所)として知られています。因みに1987年にホームズはマイリンゲンの名誉市民となりました。シャーロックホームズミュージアムがあります。さて、スイスの景色は、湖、教会、山岳、氷河、山ろくの牧歌的な風景などなど。目にする、すれぞれの家では、自家製のチーズを発酵させているかもしれません、また未来のチェリスがチェロを習っているかもしれません。静かな中に、とても高いポテンシャルを感じます。戸を叩いて、入れば、「ようこそ!」といって、抱擁されるかもしれません。スークのセレナーデを聴いていると、ふと、スイスの光景を思い浮かべます。ヨゼフ・スークはチェコの作曲家ですので、恋人を偲んで書いたというこの曲は、プラハや、南ボヘミアの景色が織り込まれている筈ですが、なぜかこの曲が、スイスに合うのです。明日は、ブリエンツから北北東50kmのピラトゥス山(Pilatus)2120mです。
Jan 24, 2005
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本日は、スイス_ブリエンツ(Brientz)-ロットホルン(RothornKulm)です。ブリエンツ湖(BrienzSee)の西側には、インタラーケン(Interlaken)が、東岸にはブリエンツ(Brientz)という町があり、ブリエンツ・ロートホルン登山鉄道の基地となっています。標高566mのブリエンツ(Brienz)から2298mのロートホルン(Rothorn)頂上駅まで、7.6kmあり、標高差は1732mです。平均傾斜は1000分の228。最高傾斜は1000分の250。(250‰:パーミルであらわされます。1km行く間にどれくらい登るかですが、角度にしますと14度です。)レールの間にアプト式のラックレールが敷設されています。日本の大井鉄道の井川線とおなじタイプです。絵はそのRothornKulmからeast、east-westの方角の山々です。east(右の絵)・・ティリス山(3242m)などの山稜。east-west(左の絵)・・お菓子のメレンゲ(meringues)の発祥の地:マイリンゲン(Meiringen)がふもとにあり、ダーマシュトク山(Dammastock:3633m)など3000m-4000m級の山稜。south方向には、グリンデルワルト(Grindelwalt)、ユングフラウ(Jungfrau)(4158m)、アレッチホルン(Aletschhorn:4195m))、アレッチ氷河(Aletschgletscher)(ヨーロッパ最大の氷河)明日は、Brientz湖。
Jan 23, 2005
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本日は、スイス_ユングフラウJungfrau(4158m)です。世界自然遺産--2001年(Jungfrau-Aletsch-Bientschorn)に登録されました。登山鉄道の終着駅ユングフラウヨッホ駅(Jungfraujoch)は3471mの標高にあり、ここから700mほどの高さ、距離にして2.5kmにあるのが、ユングフラウ(Jungfrau(4158m)です。500m手前が、ヴェンケン・ユングフラウ(Wengen Jungfrau:4089m)で双璧をなしています。山塊としては、西側(絵で言いますと右側)に、チュリス・ジルバーホン(Chlys Silberhorn:3553m)、ジルバーホルン(Silberhorn:3695m)、南側に、ロットタールホルン(Rottalhorn:3969m)を擁していますので、全体としてはずんぐりとした山となっています。ユングフラウは、「乙女」という名です。アイガーとの間にあるメンヒは修道士という意味です。アイガー北壁は1800mの断崖です。北壁の初登頂は1938年です。ヴェンゲン(Wengen)はトレッキングのメッカで、インタラーケンから途中の駅にあり、LWMロープウエイでメンリヒェン(Mannlichen)まであがり→2時間30分→ユングフラウ鉄道(JungfranBahn:JB)の始発駅;クライン・シャイデック駅(Kleine Scheidegg)まで歩くコースはまさに感慨深いものがあります。絵は、ヴェンゲン(Wengen)から、Junstrau,Grosshorn(3762m),Breithorn(3782m),Tchngelhorn(3577m)を望んだものです。赤い屋根を描いていただければ。時間がどれだけあってあきることがない景色です。クライン・シャイデック駅(Kleine Scheidegg)からアイガー北壁の直下をトレイルする4時間コースのコースが用意されています。クライン・シャイデック駅(KleinScheidegg)→1時間→アイガーグレッチャー駅(Eigergletscher)→3時間→アルピグレン駅(Alpigren)まで。中級のコースです。トレッキングを満喫ください。明日は、RothornKulmです。
Jan 22, 2005
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本日はユングフラウ(Jungfrau)です。アイガー北壁(Eigerjoho):3970mの登攀記録は成功するたびに塗り替えられ更新されますが、歴史的に有名な登攀ルートはカラーで色づけされ、記録として残されています。この中には、日本の登山家のルートも記されています。この北壁は西北を向いていますので、夏でも氷の岩嶺であり、アルピニストの登攀を厳しく拒んでおります。なんと、この北壁の真下に、北側(絵でいいますと左側)からユングフラウバーントンネル(Jungfraubahn Tunnel)が穿がかれており、ヨーロッパで最高ユングフラウヨッホ駅(Jungfraujoch)3454mにたどり着けます。径路は、インタラーケン(Interlaken)から、ベルナーオーバ-ラント登山鉄道(Berner Oberland Bahn:BOB)で、グリンデンワルト(Grindelwald)へ。グリンデンワルト(Grindelwald)からヴェンゲルアルプ鉄道(Wengernalp Bahn:WB)で、クライネ・シャイデック駅(Kleine Scheidegg)に。下の絵は、グリンデンワルト(Grindelwald)からアイガー北壁を見た絵です。4000m級の山々の手前に、こんの岩石が立ちはだかっているという、すさまじい光景です。長野県・南アルプスの北岳-バレットも垂直の岩場ですが、アイガーの北壁は世界的にも有名で、アルピニストのロマンともなっています。トンネルを通じてこの上に簡単にあがれる・・ということを一旦、忘れる必要がありそうです。気を取り直して、クライネ・シャイデック駅(Kleine Scheidegg)(上の絵の駅です)からユングフラウ鉄道(Jungfrau Bahn:JB)で、ユングフラウヨホ駅に向かいます。明日は、メンヒ(Monch)(oにウムラル)、ユングフラフヨッホ(Jungfraujoch)、麓のグリンデルワルト(Grindelwald)でのトレッキングです。
Jan 21, 2005
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本日は、スイス_ツエルマット(Zermatt)の麓からです。上の絵は、Unter Gabelhorn(3391m),Zinalrothorn(4221m)を望みます。ツェルマットから南5km、マッターホルンへ上がる高台から北の方向です。山頂の北方のガベルホルン氷河(Gaberngletscher)が広がります。下の絵は、Kunberg→Mattelhorn の方向です。ユースホテル近くの牧歌的な風景です。日本でも景色にこのような小屋を見ますと、いつもスイスを思い出します。シルエットだけでも絵になります。Zermattからは、 ヴィンケルマテン(Winkelmatten)、 フーベル(Hubel)→ツムット(Zmut)などを散策し、 ツムットバッハ川(Zmutbach) ゴルネラ川(Gornera、 フィンデルバッハ川(Findelbach)、 バルムブリュンネン川(Balmbrunnen)など河畔(すべて氷河からの流れ出した川です)からの風景を楽しめます。明日は、ユングフラウに向かいます。
Jan 20, 2005
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本日は、スイス・ツェルマットで、マッターホルンを満喫できるトレッキングコースです。絵は、Breithorn4159mを望む,Boden gletsher(氷河)です。 ツェルマット(Zermatt)には本格的な登山をめざす人から気軽なハイキングを楽しむ人まで大勢の人が訪れます。マッターホルンの勇姿をみようとするハイキングの人たちは、ツェルマットからゴルナグラート(Gornergrat)登山鉄道(GGB)でゴルナグラート(Gornergrat)展望台(3130m)に一気に登ります。ゴルナグラート(Gornergrat)から徒歩で下山。切り立つ断崖に目がくらむトレッキングコースが用意されています。高度恐怖症のひとにはお勧めできません。足元の岩に注意しながらローテンボーデン(Rotenboden)(2815m)まで下ります。その間、ゴルナー氷河(Gornergletscher)を眺められます。このゴルナー氷河(Gornergletscher)には、 ・モンテローザ氷河(Monte Rosagletscher)、 ・ボーデン氷河(Bodengletscher)、 ・シュベルツェ氷河(1Schwarzegletscher)、 ・ブライトホルン氷河(Breithorngletscher)、 ・クライン・マッタフォルン氷河(Kleinmatterhorngletscher)、 ・ウンタラー・テオドール氷河(Untere Theodulgletscher)など4000m級の氷河が合流します。山々からツェルマットの谷間に流れ下る氷河を眺めながら、さらに遠くイタリア国境までつづく山稜まで、思いを馳せながら、3000-2000mのトレッキングを楽しみます。圧巻です。ローテンボーデン(Rotenboden)(2815m)→リッフェル湖(Riffelsee)→リッフェルベルグ(Riffelberg)(2582m)→リッフェルアルプ(Riffelalp)またはフーリ(Furi)→麓のツェルマットまで下ります。リッフェル湖(Riffelsee)では、湖面が静かなときは、さかさマッタホルンが眺められます。
Jan 19, 2005
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マッターホルン(雲り) マッターホルン(快晴)本日は、スイス・ツエルマート町(Zermatt)からみたマッターホルン(Matterhorn:4477.5m)です。ツェルマット(Zermatt)へは、ベルン(Bern)からシュピーツ(Spiez)、ブリーク(Brig)経由で、入るのが便利です。車はシャットアウトですので、途中で降ろされます。昨年からマイカーをシャットアウトした乗鞍スカイウエイのようですが(バスに乗り換え)、こちらはもっと徹底しています。電車か馬車ですから。牛がカウベルをならしながら牧歌的に町をあるく光景と、重装備をしたアルピニストが闊歩する姿が交錯し、じつにエキサイティングな場所です。スイスアルプスの名峰マッターホルン(Matterhorn)(4477.5m)(はフランス語でモン・セルヴァン(Mont Cervin)、イタリア語でモンテ チェルビーノ(Monte Cervino)といいます。氷河によって侵食された尖峰(Horn)を持ちます。山頂の雲は有名で、夏場にはよく見られます。smoking mountainと呼ばれています。向こう側はイタリアです。頂上から風下に向かって吹きますので旗雲といわれています。上の絵は、ただ曇っているだけですが、ほとんどはこのように曇っています。絶景は、しばらく滞在すると見えてくる快晴のマッターホルンではないでしょうか。冬場はスキーを持って、クライン・マッターホルン展望台(Klein Matterhorn)(3883m)までケーブルで上がれます。麓まで、3時間くらいかけて滑降ができる・・途中何回もこけて時間をつぶしての話ですが・・・、下に着く頃はベテランになっている・・というくらいに醍醐味がある滑降コースです。夏場はもちろん、トレッキングと登山のメッカとなり、Zermattはほんとうの登山基地となります。ユースホテルもありますので、世界中から若者が集まります。画面左方向に、ヨーロッパ第2の標高を誇るモンテローザ(Monte Rosa:4634m)及び、流れ下る大氷河(ゴルナー氷河:Gornergleitsher)が眺望できます。(ヨーロッパの最高峰は昨日のモンブラン(Mont Blanc:4807m)です。)明日はトレッキングコースを紹介します。
Jan 18, 2005
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