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鷲羽岳、丹沢ユーシン渓谷_story(4028)2015.11.17鷲羽岳スケッチ 習作友が、新穂高温泉郷から双六小屋までの往復のトレッキングを行ったというので、写真を寄せてくれた。その写真をもとに山岳スケッチを試みた。数日前の、奥穂高岳に続く山のスケッチである。この景色は、2008.8に8泊9日の北アルプス縦走を行っているときも後ろを振り返ってみている筈の鷲羽岳である。今回は岩稜が少なく、近傍にハイマツ、ダケカンバ、ナナカマドなどの灌木地帯があり、なかなか難しい。今後よければ皆さんから送られてくる写真(全世界)をもとに、「絵」として描いてみて、その縮小版をblogに挙げる代わりに原画をプレゼントするなどの「イベント? 事業?」を起こして見てはいかがだろう。小生には絵に勉強ができ居ながらにして旅ができて都合がよい。さて、この絵は原画を横に1.2倍程度引き延ばしてある。写真に合わせるためであるが、実際は目に映る姿は写真と違い縦方向に強調され、時に山の場合はより高く目に飛びこんでくる筈なので原画のままの方がよかったのかもしれない。中央の赤い建物は、「双六小屋(2550m)」である。2008の日記では、弁当の包装紙から次のような事を書いている。「双六小屋は、水が豊富であり、周囲の3軒の山小屋(黒部五郎小舎、鏡平山荘、わさび平小屋)と「双六山楽共和国」を結成し、お弁当の包装などを共有している。 いずれも水が豊富な鞍部か川沿いにある。と。山を徘徊しているとこのようなことが書けてなかなか面白い。(今気付いたが、三俣山荘が入っていない。系列が違うのだろう。)中央の高い山が、鷲羽岳(2924.4m 「わしばだけ」、関西では「わしゅうだけ」とも呼ばれる。)左の黒い山容が水晶岳(2977.7m)で黒岳とも呼ばれる。実はこの山の間に、ワリモ岳(2821m 割物岳とも書く。)があるのであるが、鷲羽岳に隠れて見えない。鷲羽岳へは、2つのコースがある。1.双六小屋の左側の大斜面の上にある双六岳(2860.4m)へ登り、三俣蓮華岳(2841.4m)を経由して、300mの稜線を下り、鞍部である三俣山荘を経由したのち、400mの登りを登るという過酷な旅を行うか(NHK-BSの「にっぽん百名山スペシャル-あなたが好きな山 深田久弥が愛した名峰へ」(2015.11.14に再放送された内容))、2.小屋から等高線沿いに三俣山荘に寄りついてから鷲羽岳へ登るという安易な方法の2種。小生は7年前に、往きは安易な方法で鷲羽岳に登り、薬師岳からの帰りは、野口五郎岳→三俣蓮華岳→双六岳→双六小屋と一周している。山また山という感じで、三俣蓮華岳は長野県、富山県、岐阜県の3つの県の境界にある。要するにここまでは麓のどんな町からでも軽く2日はかかるというくらいの秘境である。この絵の光景もそういう山深い場所に立っている(恐らく弓折岳のコブ2622mから)というなかなか得難い構図の一つである。有難く拝まねばならないだろう。ここまで登ってきてくれた友人に感謝。徒然の記1 ユーシン渓谷今日束の間の晴れ間が覗いた晩秋の丹沢渓谷を友達5人で散策した。紅葉が深い渓谷にこだまし、感動の連続であった。絵は明日から掲載しよう。RunKeeperの記録では紅葉の綺麗な渓谷を往復20km歩いたことになった。ほぼ蛭ヶ岳の麓まで奥深く切れ込んだ谷間を遡上したことになる。無灯火のトンネルなど怖い場面も多く、なかなかのスリル。全員100歳になった時も歩いてみたいと意見が一致。おばあちゃんおじいちゃんの仲良しグループがこの渓谷に集う日はこれから30年後。さて?途中紅葉狩りで渓谷を歩いていた人からもらった巨大椎茸をフライパンで焼いたりココアを淹れたり楽しい昼食を河原で過ごした。コッヘルと水3Lを持参し、ココアや紅茶を貰って湯を注ぎ暖を取ることができた。柿の実を入れたケーキやミニトマトなどの供出もあり楽しいひと時。ユーシン渓谷 1シーン>玄倉川に沿って道が10kmほど続く。光景は帰りの下り坂。turbo717はスケッチに忙しく、とは言え後ろにいる筈の小生が前方で絵を描く姿に全員卒倒。まぁマジックを起こす男でもある。
Nov 17, 2015
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奥穂高岳_story(4024)2015.11.13秋の奥穂高岳 スケッチ習作山の形を習得しようと、昨夜寝る前に色鉛筆でデッサンをし始めた。無数の襞は何万と。これを色を変えながら機械のように手を動かしていくとそれなりに凹凸ができた。ところがである、労多くして功少なし。目を細めてみても山らしくない。30分ほど粘ったが、諦めて就寝。そこで今日となった。色鉛筆でコーティングされた画用紙はなかなか水を含まない。はじけるのである。根気よく絵筆ですこし濃いめの色を縫っていくとようやくその絵具を吸い取ってくれる。塗りすぎた場所はティッシュでふき取るようにしてした。ようやく岩石、岩稜、沢、草紅葉、などの感じが現れた。そこへ油性のペンで輪郭を付けたのが本図である。実際に山ではこれほど時間を掛けることはできない。原画は”音楽の友”の息子さんがこの秋に徳本峠から穂高連峰を撮った写真である。正面が奥穂高岳(3190m)、カーブは吊尾根、右の突起は前穂高岳(3090m)。正面から左へ行くと、ジャンダルムの突起、下って左が天狗の頭(2909m) 天狗岩、間ノ岳(2907m)、西穂高岳(2908.9m)。やや手前の突起が明神岳(2931m)。手前の赤い沢が岳沢、沢の上部先端が岳沢小屋、ここから前穂高岳(3090m)へ登る道が重太郎新道。岳沢を下ると、上高地。足元は徳本峠から霞沢岳への道のり。奥穂高岳、ジャンダルム、天狗の頭など左側の岩稜地帯には一般登山道はない。すべて重太郎新道を登り、稜線を行く。吊尾根の向こうが涸沢(からさわ)。北穂高岳(3108m)など北部に向かう稜線は奥穂高岳から延びる。徒然の記1 桜美林大学オラトリオプロジェクト2015オラトリオ(聖譚曲)を中心とする宗教音楽作品の合唱練習に取り組みコンサートを行う企画として2009年度にスタートしたプロジェクトである。語学の知り合いからチケットを2枚貰ったというので出かけた。パルテノン多摩 大ホール。今年の演目は、ハイドンの「四季 」J.Haydn :Die Jahreszeiten 【日本語字幕付】 指 揮:植木紀夫 (桜美林大学芸術文化学群教授、カントール(教会音楽家A級ドイツ国家資格))ソプラノ:小林玲子(ハンナ) テノール:中嶋克彦(ルーカス) バリトン:駒田敏章(シモン) 合 唱:オベリンナー・カントライ 管弦楽:オベリンナー・カンマーアンサンブルハイドン(1732-1809)にはオラトリオの傑作が他に「天地創造」があるが、オラトリオプロジェクでは既に2011年に演奏している。スコットランドの詩人ジェイムズ・トムソン(1700-1748)による叙事詩「四季」のドイツ語訳を台本にして作曲された。ハイドン62歳以降。自然の四季と、人生の四季が重ねられ、順を追って音楽が展開していく。なかなか情景が細やかに描かれ、一大絵巻のように音楽が流れていく。これが18世紀の物語性であるかと思うほど現在の日常にも通じる内容で面白い。夏の場面では「嵐」の情景も出てくる。スコットランドの情景と、ハイドンの故郷:ハンガリーに近いオーストリアの田園地帯ニーダーエスターライヒを重ねているようにも感じられる。こういう音楽には未知の分野であるので、すこし研究をしてみようとも思った次第である。因みにこのプロジェクトの演奏記録は下記。驚くべき軌跡である。2009年・・ハイドン:大オルガンミサ2010年・・W.A.モーツァルト:レキクイエム KV6262011年・・ハイドン:天地創造2012年・・J.S.バッハ:カンターター「心と口を行いと生活をもて」BWV17、マニフィカート ニ長調)BWV243)2013年・・J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオ 第一部~第三部(BWV248)2014年・・ブラームス:ドイツ・レクエム(Op.45)2016年予定・・J.S.バッハ:ヨハネ受難曲 第4稿(BWV245)秋の奥穂高岳 スケッチ習作 黄昏のイメージ部屋の中で撮影の場合。光源が変わるだけで随分様子がことなる。こちらは黄昏の絵となってしまう。
Nov 13, 2015
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梓川 春景色ー新島々駅_story(2346) 2011.5.10今日は家族全員集まっての会食。いろいろ面白い話を聞かせてもらった。安房トンネルを通って松本へその2早朝中津川を立ち途中高山市一之宮町に寄って臥龍桜を見学した。安房トンネルをくぐり、松本にやってきた。朝の連続TV小説「おひさま」の”松本”である。アルピコ交通株式会社上高地線(2011.4.1に改名:旧松本電鉄)終点の新島々駅 近くの梓川の芽吹いたばかりの新緑に圧倒させられた。北アルプス 早春賦その2 Picture1:Shinshimajima,Azusa-river,Matumoto City,Nagano Pref.Japan梓川と乗鞍方面を望む旧松本電鉄「島々駅」の裏手は梓川が音を立てて流れている。雪解け水をあつめて水面が騒がしい。前から乗鞍岳の方向を望む 徒然の記 地震対策 火曜日午後はだいたいにおいてマラソンをしている。颯爽と走れば恰好がよいのであるがノタノタと地面を這うように、ある時は喘いで立ち止まりと・・なかなかエネルギッシュに走れなくなってしまった。急に暑くなったせいでもある。ガソリン切れのような走りを何とか立て直さねばならない。時間は午後2時46分と迫ってきた。2ケ月前の地震を思い出す。あの時は、5分前に新小倉橋の展望台の手すりの金属の棒がガタガタと音を立て予兆を示した。今日も心なしかそのような音が周囲から聞こえてきたような気がする。しかし今日は途中で雨が降り出したくらいで、何の変化もなかった。確率論的には、大震災はいつ来てもおかしくない時期にある。関東、東海、南海・・・。茨城県取手市にすむ同窓生はL字ヒンジですべての家具を固定しておいたため地震の被害を全く受けなかったという。次回会った時にこのノウハウを聞かねばなるまい。すこし余談となるが、小生の部屋のタンスの上にはいろいろ子供たちの小学校時代の工作などが積まれている。落ちてきたら小生を直撃する代物である。それを久しぶりに手に取って見てみた。次女が6年生だった時の夏休みの宿題である。「神津島」の25000分の1の縮尺模型である。紙粘土で山を盛り上げてある。なかなかの力作である。先生の感想文は、「よくできました。」花丸のマークに「先生も行ったことがあります。」と。しかし、何を隠そう。子供たちの夏休みの宿題はほとんどがカミサンの作品である。なにせ休みの最後の日に「お母さん!」といって相談を持ちかけるものだから時間がないのだ。答えははるかに子供の技量を超えている内容だから、カミサン一人で夜なべをして作るはめに。父親は? 「企業戦士」故 ほとんど家にいないのであてならない。 あるときは、読書感想文を例のごとく、「お母さん!」と言って相談を持ちかけたものだから、読んでもいない「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」(塩野七生著)を子供用にカミサンが書いたものを学校に提出したものだからあとが大変。3人の子供たちの小学校卒業証書の半分は、カミサンのものだ。母の日のプレゼントが豪華なのは、こういった苦労のせいかもしれない。父の日の贈り物はいたって簡素である。徒然の記 演奏会のお知らせ(次の日曜5月15日です)府中市民交響楽団 第63回定期演奏会のお知らせ ぜひ聴きに来てください。turbo717はViolaを弾いています。今回の並びは、指揮者の希望で、19世紀当時の楽団の並びになります。( )は後方。下手から、Vn1,Vc(Kb)、Va,Vn2管はHrn,Fl(Cl)、(Tip)、Tp,Tb日時:2011年5月15日(日)13:30開場 14:00開演場所:府中の森芸術劇場 どりーむホール指揮:今村 能 / テノール独唱:望月 哲也 / 管弦楽:府中市民交響楽団曲目(演奏順)ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲、愛の死リヒャルト.シュトラウス:「歌曲集」より愛の賛歌、愛を抱いて、バラのリボン、明日、ひそやかな誘い、献呈、ブラームス:交響曲第2番入場料金:前売り1,000円/当日売り1,200円 (全席自由)(小学校入学前のお子様のご入場はご遠慮下さい)*前売り券は【チケットぴあ〈Pコード:131-691〉】へ (5/12(木)まで発売)【府中の森芸術劇場チケットセンター】、【府中グリーンプラザ】、【ルミエール府中】の3カ所でも、5/14(土)まで発売しております。主催:府中市民交響楽団後援:府中市ホームページ上のご案内: 府中市民交響楽団Picture1(sketch-direction 220°am10:20 Sketch point:Shinshimajima,Matumoto City,Nagano Pref.JapanGPS 36.190242,137.820928(°)(36°11'24.87" N,137°49'15.34" E)標高693mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
May 10, 2011
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白馬村 大雪の窓から_story(2222) 2011.1.6大型ショッピングセンターへ・・・JR東日本・橋本駅(京王・相模線 橋本駅)から徒歩5分の場所にオープンしたショッピングセンターへ初めて行った。9月にオープンしたというが、大変な騒ぎであったようだ。10月から半年間シャトルバスも運行されている。(下記に続く)白馬村さて、9年ぶりの白馬村への旅(その8)・・完結編picture1:Hakuba-Yokosan-chi_restaurant.Japan ようこさん家(ち)看板に「無国籍料理」とあった。白馬は今外人のほうが多いスキーリゾート地である。民宿に泊まっていても、グルメを求めて市内各地のレストランを渡り歩きをする。そのうちの一軒が「ようこさんち」である。石焼きキムチ丼だったか大変熱い料理を注文して、2階の窓際で待っていた。と、昨夜来の大雪で樹木が雪で覆われている。スケッチブックを取り出した。料理が出てくるのが遅ければ遅いほどこちらは調子がよいのである。もっと時間を欲しいと願っている間に階段を上る音がした。石の大きな器が木の台の上にさらに銀紙の皿に載って出てきた。最後まで熱く、頬がほてった。上から続くとにかく、車だけではなく、よそから電車に乗って買い物にくる客も増え、方向を間違えた人からも道を聞かれたりする。ならば一度探検に行くか・・ということで、今日は見学に行ってみた。閑古鳥がないていなければよいが・・と。な、ななんと。ものすごい人である。郊外型のショッピングモールという感じでフロアは広く、楽しげな空間がいっぱいある。幼児など一日中居ても楽しい場所ではないか。あらゆる種類の店があるので、なにもかも間に合ってしまうのではないかと。スポーツショップは特に大きく天井まで積み上がった商品で圧倒された。楽しみ方としては、隅からすみを隈なく探検する といった楽しみ方がある。数km歩く筈だ。近所であれば、一日中居ても面白い場所かもわからない。おじいさんとおばあいさんとで鬼ごっこなどしたりして楽しく過ごすと健康にもよいかもしれないとふと考えた。徒然の記 深川七福神巡り・・続編・・深川めし江東区白河1-3-28 深川江戸資料館前の道は、さしずめ「深川めし」の町のような趣。ずらっと、深川めしを出す店がならんでいる。アサリのむき身を味噌汁の具にしたものを、茶碗や丼にのせた米飯にかけたものである。炊き込みご飯の素を買ってきた。500円ながらなかなかおいしい。3合も炊けば、茶碗に4杯はある。店では一杯1800円という高級。南京玉すだれの大道芸の道具を売っている店とかなかなか面白い町であった。深川七福神巡りは収穫が大きい。滝澤馬琴の誕生地、日本画家 伊東深水誕生の地、冒険家 間宮林蔵(深川蛤町没)の墓芭蕉の 奥の細道 出立の地 :深川の芭蕉庵の跡、清澄庭園(岩崎弥太郎邸宅跡)など2時間の散策で、次から次へと史跡の連続であった。Picture1(sketch-direction 270°am12:00 Sketch point:Hakuba-Yokosan-chi_restaurant.Japan GPS 36.691397,137.849286(°)(36°41'29.03" N,137°50'57.43" E)標高737mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Jan 6, 2011
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白馬村 大雪直前の景色_story(2220) 2011.1.42011年1月4日「箱根を走ろう!」と、快晴を期待して曇り空の中を出かけた。午前7時20分。箱根駅伝コース(赤文字の部分がコース)を走って来ました。小田原→国道1号線→箱根湯本→宮ノ下→小涌谷→国道1号線最高地点874m→元箱根→芦の湯→元箱根→旧東海道→畑宿→三枚橋→箱根湯本下記、徒然に続く。白馬村街さて、9年ぶりの白馬村への旅(その6)・・白馬村から東の方角を眺望へ白馬村は次の日から大雪となった。(12/24以降)しかしながら前日はその予兆だったのであろうか。ものすごい風と寒さで、スケッチどころではない。picture1:Hakuba_Mt.Takado_Mt.Karayama.Japan 白馬村 東側・高戸山(たかどやま 1069m)を眺望大雪の前は、このように晩秋を思わせる風景。頂上に積雪があったくらいである。手前左の山が高戸山(1069m)、右奥は、柄山(からやま 1338m)・・(柄山峠はイワウチワ自生で有名)右が東山1233m。稜線の東側は、旧鬼無里村、現長野市。徒然の記 箱根駅伝コースを走ってきました(2011.1.4)・・まさに1人駅伝! 駅伝の1日後で、まだ熱気が残っている感じ。応援のため宿泊した人たちの帰りであろうか、国道1号線は大渋滞。大体走っているpointで渋滞の最後列を形成していく。つまり午前中遅く出た車は、下り車線で渋滞にまきこまれ、1時間8kmのペースで渋滞が伸びていくのだ。標高750m以上は、積雪。歩道は2cmくらいの雪が積もっていた。芦ノ湖畔のコンビニは駅伝ムードが一杯。ポスターが一杯貼ってあった。TV中継の録音放送を流していた。元箱根→芦の湯間の1kmは杉並木が保存されており壮観。この中を往復した。帰りは、旧箱根街道=旧東海道をとった。県道732号とほぼ並行する道でもある。石畳の道は近道ながら、石がごろごろしており、足元が悪く、えらく時間がかかってしまった。しかし、このコースを散策している夫婦が3組くらい居たのには驚いた。箱根八里の急こう配(15mで20mほど登る)である。浮世絵の絵はこの道のほうである。畑宿は組木細工の工房がいくつもある。伝統の宿場町であった。所感:箱根駅伝コースで言うと、宮ノ下1lm手前が、最大の難所であろう。傾斜は15mで5m登るというとてつもない急こう配である。車はLowにギヤを入れ替えなければならない。来年の駅伝は、実施検証しているので、また楽しみである。Picture1(sketch-direction 90°pm4:00 Sketch point:Hakuba_Mt.Takado_Mt.Karayamato.Japan.Japan GPS 36.695683,137.843931(°)(36°41'44.46" N,137°50'38.15" E)標高744mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Jan 4, 2011
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白馬へ_story(2219) 2011.1.32011年1月3日駅伝復路を見た。選手のspeedに合わせて、足をバタバタと床を踏みならし、同じように腕を元気に振る。これだけでも5分もやっていたら息が切れ、汗が流れる。実際は選手は秒速6m以上(1kmだと166秒・・2分46秒で走る。歩幅は150cmで3歩/1sec)で走り抜けるわけである。恐ろしいものである。沿道での応援は待つこと2時間、通りすぎるのは2秒というギャップがあるがなかなか気分が高揚するものであろう。昨年は、大手町のゴールにいた。ゴール直前の交差点付近にいたが、人の壁なかでもがいている間に、選手が走り去って行った。「明日は、箱根を走ろう!」と、大変なことを考えてしまった。白馬八方尾根スキー場さて、9年ぶりの白馬村への旅(その5)・・白馬八方尾根スキー場へ白馬村で、学生村同窓会を開きたいという有志の思いもあり、一足先に現地を訪れている(2010.12.23-24)。その時のスケッチを載せながら、Topicsなどを徒然に語っている。picture1:Hakuba_Happo-Sky-resort.Japan 白馬八方尾根スキー場この直後に大雪となった。いまは一面白銀の世界。ローセンハイム白馬のテニスコートからゴンドラリフト「アダム」左側は、白馬ジャンプ競技場全貌は映っていないが、国内最大級のスケールを誇る。ゲレンデ標高は1831m→760m 標高差・・1071mコース数は13、最長滑走距離は8kmリフトは26基1998年の長野オリンピックではアルペンスキー競技の開催場所この峰は、唐松岳(2696m)に続く。徒然の記 箱根駅伝復路 新春恒例の「第87回箱根駅伝」(1月2、3日=10区間、往路108.0km、復路109.9km、計217.9km。)が終わった。早稲田が悲願の優勝。全日本大学駅伝(熱田神宮→伊勢神宮)、出雲駅伝、についで3冠達成! 時間10:59:51(総合での新記録)で1位。東洋大は、11:00:12(同様、総合での新記録)で2位。21秒差。3位 駒澤大11:08:12、4位 東海大11:08:12、5位 明治大11:08:24、6位 中央大11:11:24、7位 拓殖大11:11:28、8位 日本体育大11:13:19、9位 青山学院大11:13:20、10位 國學院大11:13:23 この駅伝は、19大学と関東学連選抜の計20チーム。10校はシード校(昨年の順位の10校以内)で決定され、他9校+1チーム(学連選抜)は予選会で決まる。この予選会は今回は36校が出場した(昭和記念公園で。10月)。この中から上位9校が選ばれ、学連選抜は予選会に出場した選手のうち、選抜されなかった学校の選手から選ばれる。(学連選抜が10位以内となると、シード校は9校に減らされ、予選会からは1校増えて10校となる。その他に学連選抜1チームという構成になる)今年は、拓殖大、國學院大、帝京大、中央学院大、上武大、東海大、日大、神奈川大、専修大の9チームが選ばれた。今回の87回大会の結果では、このうち東海大が4位、拓殖大が7位、國學院大が10位でシード権を獲得。逆に、東京農大、山梨学院大、城西大の3校がシード権を失った。Picture1(sketch-direction 270°pm3:30 Sketch point:Hakuba_Happo-Sky-resort.Japan GPS 36.697511,137.842961(°)(36°41'51.04" N,137°50'34,66" E)標高742mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Jan 3, 2011
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白馬村へ_story(2218) 2011.1.22011年1月2日駅伝を見ていて、「今年もあぁいう走りをしたいなぁ」と、部屋の中で 腕振り、足踏みをしながらのTV観戦。さて、9年ぶりの白馬村への旅(その4)・・白馬五竜スキー場picture1:Hakuba_Goryu-Sky-resort_Iimori.Japan 白馬五竜スキー場大糸線ー飯森駅方向中央は、1973(S48)年 国内初の自動循環式フランス製テレキャビン(ゴンドラリフト)が設置されたゲレンデ。大雪直前の風景。京都でも金閣寺、銀閣寺が雪景色だそうでここ白馬はそれこそ一面銀世界であろう。徒然の記 箱根駅伝 新春恒例の「第87回箱根駅伝」(1月2、3日=10区間、往路108.0km、復路109.9km、計217.9km。)が2日開幕。東洋大の2連覇なるか。5区の柏原選手(3年)が早稲田を抜いて5:29:50(往路新記録)で1位。早稲田も、熱田駅伝、出雲駅伝、についで3冠の達成なるか。5:30:17(往路新記録)で2位・・1位と27秒差。明日の復路は目が離せない一戦となった。この駅伝にむけて「追っかけツアー」というものが「サラリーマン文化芸術振興会」(創立20年になる趣味と芸術の集団)で企画された。ざっと以下のようなものである。実際の区間と応援の旅(青字)を併記する。1区 大手町-鶴見中継点 21.4km 追っかけ・・大手町応援→東京駅へ 東京駅→(JR)→品川→(京浜急行)→蒲田(応援)→横浜→(JR)→2区 鶴見中継点-保土ヶ谷→戸塚中継点23.2km →保土ヶ谷(応援)→3区 戸塚中継点-平塚中継点 21.5km4区 平塚中継点-大磯→小田原中継点 18.5km →大磯(応援)→小田原乗り換え→箱根登山鉄道→5区 小田原中継点ー箱根湯本→芦ノ湖往路ゴール 23.4km 計108km →箱根湯本(応援)このスケジュールを見る限り、追っかけも命がけの駆け足であることがわかる。選手があまりも速いため、3区の区間は途中下車できす車窓からのみの応援で、4区の大磯まで先行していることがわかる。箱根も湯本どまりで、往路のゴールは拝めていない。もっとも国道1号線は車両が通行できない状態であるため行くに行けないという事情がある。自動改札用のスイカかパスモを所有しないとスムースな電車乗換ができない。また全員携帯をもたないとはぐれたときの確認ができない。しかし、このような企画を時刻表とにらめっこしながら立てるという意気込みはすごい。来年このツアーに挑戦してみたい。Picture1(sketch-direction 290°pm1:30 Sketch point:Hakuba_Goryu-Sky-field.Japan GPS 36.655947,137.851169(°)(36°39'21.41" N,137°51'4.21" E)標高737mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Jan 2, 2011
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白馬村へ_story(2216) 2010.12.312010年12月31日。年末ジャンボ宝くじ家族の3枚はみごとに外れ、フランス永住の夢が1年先送りになった瞬間である。カミさんのお尻の下敷きになってまた1年、せんべのような生活がはじまろう。今年は、3分の1が、巡礼に関連して過ごしたことになる。旅が54日、回想録が62日計106日 ざっと1/3。2011年2月6日に日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会主催の報告会に、8分間の時間をもらって報告をすることになった。あまりにも時間が短いため、リュックのことだけをおしゃべりする積りである。リュックへの荷造りは済ませてある。レジメも用意した。なぜ重たかったかを検証するための実験もこれから行う予定である。これから出発しようとする人たちへの参考となるように。おいおいこのblogでも概要を紹介していこうと思う。さて、9年ぶりの白馬村への旅(その3)学生村があった内山では、民宿:時計館の経営はその後35年も続いたと言う。このおばさんは、すでに88歳に近い。娘さんが千葉から戻り、5年前から白馬村の中心街でこの民宿を引き継いだ形で御主人といっしょに白馬の宿を経営されている。(時計館 Goes On)思い出の内山をスケッチした。picture1:Hakuba_village-Uchiyama.Japan白馬村の内山の冬景色この翌日から降り続いている雪で、銀世界と変ったであろう。その一瞬前の初冬の風景中央、タカハシ**の館の後ろ側に時計館がある。棟続きの薄緑色の建物が見える。宿の息子さんから、この裏山のアイスバーンでスキーの特訓を受けた。遠い昔である。徒然の記 Silvester-Concert ジルヴェスターコンサートジルヴェスターコンサートとは、大晦日(ドイツ語でSilvester=聖ジルベスターの日)に行われる主にクラッシク・コンサートを言う。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団がはしりであろうか。今では全世界で行われている。東京では、・サントリホールで、ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の演奏会。・Bunkamuraオーチャードホールで指揮:小林研一郎 ソプラノ:佐藤しのぶ 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会。川崎では、・MUZAシンフォニーフォールでは、後半のプログラムに没後20年のバーンスタイン(1918/8/25 - 1990/10/14)特集が組まれている。横浜では、・横浜みなとみらいホールでシャブリエ、ラヴェル、ヴィヴァルディ、リスト、ドヴォルザーク、パガニーニの曲が演奏される。(pm9:00-0:30)音楽監督:池辺晋一郎、指揮:飯森範親、司会:朝岡聡 Vn:徳永二男、漆原啓子、漆原朝子、Vc:遠藤真理、Sax:須川展也、Pf:三舩優子 管弦楽:横浜みなとみらいホール・ジルヴェスターオーケストラ毎年楽しみです。pm6時から横浜泊の予定でみなとみらいホールへ行ってきます。皆さまよい年をお迎えください。来年も残念ながら日本にいますので、絵日記の日本の風景にお付き合いください。では、失礼します。Picture1(sketch-direction 94°pm12:30 Sketch point:Hakuba_village-Uchiyama.Japan GPS 36.628492,137.858461(°)(36°37'42.57" N,137°51'30.46" E)標高794mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Dec 31, 2010
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白馬村へ_story(2215) 2010.12.30昨夜はこの冬に「さむらい・シネマ」5本のうちの話題作「最後の忠臣蔵」を見た。杉田成道監督。役所広司・・瀬尾孫左衛門の役・・決起の前日に逐電し、身をくらます。実は大石内蔵助(片岡仁左衛門)から特命を受けているが、極秘にせねばならない事情ゆえ誤解を生む原因に。佐藤浩市・・寺坂吉右衛門・・浪士ながら切腹はせず、赤穂浪士の遺族を訪ね歩き生活の工面などの命を受ける。桜庭ななみ・・大石内蔵助の隠し子、可音(かね)役。忠臣蔵の決起から16年を描いた作品。名優揃いで、物語の構成も圧巻であった。必見!この映画に、京都・大覚寺の紅葉のシーンがあった。(blogの2009/12/9の絵と同じ場所であった)京都・大覚寺 大沢池庭園 2009.12.9の日記から転載さて、9年ぶりの白馬村への旅(その2)高瀬川右岸の「北アルプスパノラマ ロード」のから、大町市内を抜け、青木湖へ。湖畔沿いの旧国道へ道をそれてみる。人っ子一人いない湖畔は寒々とした冬の景色。内山という南神城の集落からは2kmほどの距離であるので、学生村に投宿している間はよく通った湖である。湖畔は一周できる。picture1:Aokiko-lake,Omachi.Japan青木湖の冬景色白馬村の「さのさかスキー場」はこの絵の右側。大荒れの日本海気象の影響で、今後吹雪く。正面中央が大町市・青木湖スキー場、背面は、ヤナバスキー場である。徒然の記 大町市と白馬村の間の分水嶺 絵の右手の丘の部分が”分水嶺”である。(または分水界。雨水が異なる方向に流れる境界を言う。山岳地帯では山稜が境界になるので分水嶺という。特別に中央分水嶺と呼ぶ場合は、塩尻峠のように日本海と太平洋に注ぐ川の源流となる分水嶺をいう。)となっている。この絵の向こう側の姫川源流は、北に流れ、最終的に糸魚川となり日本海へ。青木湖を源流とする川は、南に流れ、最終的には信濃川となって同じく日本海へ流れる。青木湖→中綱湖→木崎湖の仁科三湖を経て流れる川は、大天井岳(おてんしょうだけ)西側から流れる高瀬川と合流する。松本からの梓川などと合流し、犀川となり大きく迂回しながら長野市へと流れ千曲川と合流する。新潟県で信濃川と名前を変える。白馬地区の人々はこの「分水嶺」という地理上の”壁”があって大町の人とは一線を画しているようである。しかしながら共に日本海に流れる川の源流部分にあたっているのでもっと和合してもよいのではないかと考えたりする。Picture1(sketch-direction 320°am11:50 Sketch point:Aokiko-lake,Omachi.Japan GPS 36.607553,137.855411(°)(36°36'27.15" N,137°51'19.48" E)標高821mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Dec 30, 2010
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白馬村へ_story(2214) 2010.12.292010.12.29 年の瀬である。大掃除もせず町を走りまわっているのは気が引けるものである。今年最後のrunは自宅から「岸辺のアルバム」の現場まで30kmのrunningとした。狛江市の多摩川にかかるニケ領(にかりょう)宿川原堰(しゅくがわらぜき)と多摩川決壊災害(1974(S49).9.1-3)碑文を見学するためである。出かけようとすると、「年賀状出してきて!」「コーヒーも忘れないで!」・・・わしゃ飛脚か? 「あいヨ」と言いながらも、ポストは途中無かった。狛江で投函。寒風吹きすさぶ寒い1日のrunとなった。これは後日記載しよう。家に帰りつけば、映画を見ようとのこということになっていた。レイトショーでpm9:00からの時間帯である。話題作「最後の忠臣蔵」を見ると言うことだ。blogを急がねばならない。中津川から帰路(12/23)、岡谷JCTから長野道に入り豊科ICで下線し、高瀬川右岸を北上した。9年ぶりに白馬に向かうときめきの旅である。高瀬川右岸の県道306号線は、晴れていれば爺ヶ岳(2670m)、鹿島槍ヶ岳(2889m)、五龍岳(2814m)、唐松岳(2696m)、白馬三山(鑓ケ岳(2903m)、杓子岳(2812m)、白馬岳(2932m))などの眺望ができる。「北アルプスパノラマ ロード」の愛称がある。朝もやがたちこめ真っ白。5m先も見えない。残念。寒気団が迫り気象状況は大変不安定であろうか。道の駅安曇野松川 でしばし休憩。小一時間、朝日がさし始めた。後方は青空。出発!ほどなく、アルプスが靄の上に見え始めた。そこでスケッチ。 picture1:Matsukawa town_Ariakeyama-Nagano,Japan松川村の風景 大町線ー細野駅近く 鶴が一羽手前の高い山が有明山(2268m)道の駅では鈴虫の「りん太くん」がお迎え。霧に霞む先は、すずむし(Bell Ring Insect)生息地として有名徒然の記 カミさん・・なにか2日連続して掲載した熊はカミさんに似ている! 人の評価では「面白い人」と聞く。面と向かってはそういうこともないが、思い出すとおかしくて笑えてくるのである。外ではよほど面白いらしい。現在大学の留学生コーディネータという非常勤スタッフをやっている。留学生の「お母さん」役である。カリカリした人ではだめだというので、日本語ボランティアの事務所に求人がきた。ぽわーんとして、ほっこりとしていて、あまり細かいことは気にせず・・・というようなリクエストがあったらしい。ようするに「抜けている人」であればだれでもよかった。爾来10年。ぶつぶつ言いながらも小さな弁当箱を持って出かけていく。30日にも勤務があると言う。この大学校、事業仕訳の対象になったため、あと4年の命である。カミさん似?picture2:BlackBear Cub in Snow(1799)_Oxford森周峯(1738-1813) BlackBear Cub in Snow(1799)(雪の中の黒小熊:Ashmolean Museum (Oxford)所蔵)をスケッチ後モディファイpicture3:Playing Piano-Bear.JapanPicture1(sketch-direction 160-270°am10:30 Sketch point:Matsukawa town_Ariakeyama-Nagano,Japan GPS 36.398661,137.866975(°)(36°23'55.18" N,137°52'1.11" E)標高576mGoogle Earthを楽しむ方法Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうち、Google EarthにGPS情報を貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。
Dec 29, 2010
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今年も宜しくお願いします・・平湯大滝(その2)_story(1818) 2010.1.1 平湯大滝は雪さて、風景は、奥飛騨温泉にある平湯大滝(新安房トンネルを岐阜県側に出てからすぐの場所)。2月には氷結する。この日(20091224)は積雪1mであったが、今日(2010.1.1)は2mばかり積もっている筈のため、滝は間近では見えなくなっているのではないだろうか。雪の上で描いた絵は、水墨画のようになってしまった。パレットは雪の上に置いた。静寂の中、滝の音だけが響く。平湯大滝幻想的風景の平湯大滝積雪は1m。滝の下部はすでに凍っていて青い。ジルヴェスター・コンサート2009.12.31-2010.1にかけて横浜みなとみらいホールであった「ジルヴェスターコンサート2009-2010」に行ってきた。詳細は後日絵日記とともに掲載するが、オーチャード、サントーリーと数ある除夜コンサートのなかでも、音楽的色彩の豊かさでは群を抜くのではないだろうか。音楽監督:池辺晋一郎、指揮:飯森範親、司会:朝岡聡、エグゼクティブディレクター:徳永二男、ハノーバーVnコンクール1位の三浦文彰・・・もう目が眩むほどの多彩な陣容に圧倒された。満足度150%の演奏会であった。2010.1.1 0秒の仕掛けも大げさなものではなく、字幕にHappy New Year 2010と出、電飾のラインが灯り、会場が暗くなって拍手という地味といえば地味な仕掛けながら、マーラ5番の4楽章と5楽章が、2009.12.31pm11:59で丁度終わるという音楽運びもスリル満点で、これは毎年難易度が高くなって行くようである。天体ショーさて、20101.1は満月が部分月食を起こすということで、カウントダウンが済んだ街では空を見上げた人も多くあったのではないだろうか。am2:00-4:00の部分月食が観られるとあって、満月を注視していたが、実際は、半影月am2:15:02 am3:51:27(月食始まり)-4:22:42(最大)-4:54:0(月食終わり)で左下が僅かに欠ける程度であったため、肉眼ではあまり気付かれなかったのではないだろうか。しかし、まだまだ天体ショーは続く。主なものは1月4日がピークの「しぶんぎ座流星群」は北東の空にam4:00の1時間台で20-40個が観測される。また、この1月は1/1-1/30に2回の満月があるという特別が月間にあたっている。この際、心して1年の計を天に誓ったほうがよいかもわからない。新聞には、遠く古代、卑弥呼の時代には2回、皆既日食があり、政変の原因となったのではないか、また2009の皆既日食は自民→民主の政権交代の年であり、なんらかの関連はないだろうかとの提起もされており、天体運動にいやがうえにも興味が惹かれる年開けとなった。 絵は(0°am11:46 Google Earth 地名=平湯 スケッチpoint 36.268036,137.601383(単位は°)(北緯、東経表示では、36°16'4.93" N,137°36'4.98" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(N,Eの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Jan 1, 2010
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のだめカンタービレと新穂高ロープウエイ_story(1816) 2009.12.30のだめカンタービレ 最終楽章 前編 を観た。TVとは違った内容と音楽で、面白かった。チャイコの「1812年」は圧巻。クラシックを聴く人口増加に寄与しているこの物語、映画館はレイトショーにも拘わらず超満員。 ルー・マルレ・オーケストラという架空のオケの旧団員と、オーディションを経て採用された新しい団員の物語も面白い。コンサートマスター(トマ・シモン(声:津田栄三))は最初は、指揮者にたて突く難物と映ったが、実はオケの質向上を真剣に考え、団を立て直そうとする立役者なのだ。常任指揮者千秋と価値観が同じ。スリーブ(ワイシャツの襟の部分のみを手につけたVn奏者)や、バスーン奏者(仏楽器のバスーンは音程が不安定になり勝ちで困難な楽器。ドイツ楽器のファゴットに切り替えたが、このバスーンをもってオディションに参加。合格)の個性。オーボエのセカンド(タクシー運転手)の幼稚園児は父が猛練習をしていいることを主張。チェロのセカンドも大家族の居間でチェロを猛練習する姿。パーカッション(ボレロでおおトチリ)はパート練習で汚名を挽回。などなどオケの裏側も表現されており、全てが抱腹絶倒ながら示唆に富んだ映画であった。後編は、2010年4月17日(土)で待ち遠しい。さて、クリスマス・イブを白銀の世界で過ごそうと、奥飛騨温泉郷にやってきている(その2)。新穂高ロープウェイ-西穂高口展望台より 新穂高ロープウェイ頂上より西穂高(2897m)左から南岳(3032.7m)、大キレット(大切戸)、蒲田富士(2742m:富士山のような形)、北穂高岳(3106m)絵の最高峰が、奥穂高岳(3190m:日本第3位)、西奥穂高岳(2908.6m)(ロープウェイ頂上からは一直線であるため稜線が一直線で重なる)途中の突起が独標(2701m)。気温ー8度。 絵は(90°am9:58 Google Earth 地名=槍ヶ岳 スケッチpoint 36.268036,137.601383(単位は°)(北緯、東経表示では、36°16'4.93" N,137°36'4.98" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(N,Eの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Dec 30, 2009
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新穂高ロープウエイ_story(1815) 2009.12.29。クリスマス・イブを白銀の世界で過ごそうと、日帰りながら中津川から120km飛ばして奥飛騨温泉郷にやってきた。国道41号は宮峠を越えるあたりで、毎回天候が激変する。南は快晴でも、高山市内の宮峠以北は、濃いガスに覆われ雪景色となる。天候も曇ってきた。ところが、平湯まで来て驚いた。雪山の上は真っ青な空が輝いているではないか!これなら2156mの西穂高口頂上へ登るロープウエイも期待できるかもしれないと、奥飛騨温泉郷に歩を進めたわけである。中津川からは150km。新穂高ロープウェイ-西穂高口展望台より 新穂高ロープウェイ頂上(2156m)より笠ヶ岳(2897m)手前のロープウエイの支柱の向こうは、急降下となり1000mくらい下がる(新穂高温泉:1117m)。景色はその谷底から立ち上がった対岸の風景である。中央左から笠ヶ岳(2897m)から折戸岩、折戸岳。右奥から右に向かって、秩父岩、秩父平、大ノマなど。弓折岳へと向かう。百名山の笠ヶ岳(2897m)は、北方の立山方向から見ると完全な笠形となる。気温ー8度。新穂高ロープウエイは途中の「鍋平」で乗換えがある。鍋平は、蒲川の下流2kmのところから山岳に登る山道があり、この終点が鍋平である。以前、福地温泉に遊んだとき早朝マラソンでやってきた場所である。ひょんな所から、この新穂高ロープウエイとの付き合いが始まったような感じだ。実際にロープウエイを利用するのは今回で2回目であるが、鍋平は3回目という関係である。足湯があり、帰りはここで休憩をした。白銀の世界ゆえ、なかなか気持ちがよいのであるが、観光客はいない。すべて2本のロープウエイの道を往復するだけである。バスツアーの場合はそういう余裕はないのであろうか。2156mmの頂上駅には、常時カメラマンが2人居て(というよりここに住んでいる感じだ。年中いるためもう山のことや気象などめっぽう詳しい。雪だるまが2体並べられここで独標や、西穂高岳をバックに記念撮影をし収入を得ているのだ。笠ヶ岳(2897m)から折戸岩、折戸岳までの稜線。杓子平から穴毛谷への下り、左俣谷へと落ちる谷筋、杓子平から平行して南の稜線に取り付き、岩倉沢へ下り、左俣谷の本流をいくコース。もっと手前にある、右俣谷から槍ヶ岳を目指すルートはこのロープウエイの山の下にある。これらが、いま銀世界のなかに息を潜めている感じだ。中央の稜線下は、一の沢から六の沢まで幾多の沢がある難所で、冬期の雪崩危険地帯であり、毎年のように犠牲者がでる場所である。頂上駅から悠長に眺めている山肌も雪山現場では死闘が繰り返されている。左の稜線の延長には、ロッククライミングの錫杖岳(2168m)がある。 絵は(0°am9:50 Google Earth 地名=槍ヶ岳 スケッチpoint 36.268036,137.601383(単位は°)(北緯、東経表示では、36°16'4.93" N,137°36'4.98" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(N,Eの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Dec 29, 2009
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弥陀ヶ原から称名滝へ(完結編)_story(1695) 2009.8.31 ・・・東奔西走が続いていますが、今回は、気温13度の高地トレーニングに行っておりましたので、blog更新が遅れています。(追いつきVersionの4/6・・2009.9.2掲載その1/3) 剱岳を登頂した翌日は大雨のなかを剱御前小舎から称名滝へと、寂しげな弥陀ヶ原をひた歩いている。弥陀ヶ原は北アルプスの三大高原(弥陀ヶ原、五色ヶ原、雲の平)の一つ。 東西20km、南北3kmで約60km平米と最大の広がりを持つ熔岩凝灰岩台地。 池塘が3000以上もあり、広大な草原であるが、雨でけぶった風景もなかなか絵になるものである。天狗平から県営立山荘や弥陀ヶ原ホテル一帯は木道も2車線で真新しい。ところが、この西側、追分→弘法は、この木道が朽ちており歩きずらいものであった。しかし、高原バス路線とほぼ並行しているため、行きかうバスからも手を振る人がいる。高原では一人ぼっちではなかった。 再び称名滝(八郎坂第一展望台付近から)ものすごい水量に、滝全体から水煙が上がっている。怒涛は最強に達しており恐ろしいくらいだ。落差350mの両側は切り立った崖であるが、木々が一直線に生えている。面白い景色だ。 上の文章から さて、八郎坂は高原から、一気に称名滝まで急降下する山道である。木道から解放されたと思うのもつかの間、旧陸軍が大正13年開墾したとういうこの八郎坂(坂の名前は立山の名ガイド:佐伯八郎からとられている)、標高1580mから登山口1040mまでの540mの急降下でこれまた悪路。ほとんど崩れかけた登山道である。昭和30年頃までは主要山道であったようである。 しかしこの坂道、あらゆる場所で、植物の説明板が掲げられ大変勉強になった。ミヤマメシダ、ヒカリゴケ・・・。第2展望台1270m、第1展望台1190mなど急降下する間、称名滝の全貌を見ることができる絶景スポットが人気。であれば、もっと登山道を整備してもらいたいものである。 称名滝や悪城(あくしろ)の壁は、称名川が500mくらい大陥没して出来上がった滝や壁面である。この500mの落差の壁を降りているのである。 よく生えている木々が谷底に落下してしまわないかというくらいの急斜面。ここに道を作った旧陸軍。あっぱれというほかない。 称名滝の左右の壁には木々が一直線に列をなして生えている様がうかがえる。350mの落差のある称名滝の左右に500mはあろうかと思われる細い滝(右側がハンノキ滝)は、水量が少ない時は枯渇することがあるということで日本一にはなっていない。 まれにこの山道を通る人がある。スケッチを描いている時、夫婦連れが上からやってきた。描き終わってこの夫婦を追いかけたが、なかなか追いつかない。意外と健脚の夫婦と見た。登山口近くで追いついたが、バスの時刻は、毎時10分である。12時05分。急がねば。夫婦曰く・・・「車で称名滝入口にある駐車場に止めている」と涼しい顔である。剱岳 完。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう:2470m)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剣山荘(2470m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)剱御前小舎(2755m)-室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 絵は称名滝(80°am10:45 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.579636,137.566444(単位は°)(北緯、東経表示では、36°34′46.69" N,137°33'59.2" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 31, 2009
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剱御前小舎から弥陀ヶ原へ_story(1694) 2009.8.30 ・・・東奔西走が続いていますが、今回は、気温13度の高地トレーニングに行っておりましたので、blog更新が遅れています。(追いつきVersionの3/6・・2009.9.1掲載その3/3) 別山乗越という2755mの峠に立つ剱御前小舎に着いた時には、もうあたりは真白で、ガスが峠を覆い、しかも強風で相当の悪天候となった。朝方の天気はどこへ行ってしまったのだろうかと思う気象だ。 同じ山小屋に長期間寝泊りしている人がいるのであろうか。記帳をしている時や、外に出たりしてこの猛烈な風を身体に受けているときに、ニコニコと笑う人がいた。「宿の人ですか?」と問うと、「そうではない」と言う。 この人、宿ではもう有名になっている「いびき」の男性であったようだ。大勢いる宿泊者のうち、20人以上は寝れる部屋に小生とこの「いびき」ともうひとりの3人だけが配置させられている。 夜になった。ものすごいいびきで、小屋が震えていた。余っている布団を高く積み上げ盾にしてみたが効果がない。宿にあった「伊藤家の食卓」という本に「いびきを一発で止める方法」というのをたまたま読んでいた。この中に「ペットボトルを背中に貼り付け、常に身体を横に保つ。」という解決方法があったはずである。それも無効だ。げんに既に横になって大いびきをかいている。 弥陀ヶ原ほとんど木道。斜めになった木道は雨ではそのまま滑り台となる。何回も転げ落ちるはめに。なぜに今回は悪戦苦闘がどこまでも続く旅となったか?上の文章から続く やどかりのように布団をかぶって、空いている階下の部屋に移動した。ここは昼間酸素吸入をしていた男性が寝ていた部屋だ。もう直ったらしく、大部屋に移動しているという。談話室であったその部屋には、まだ絶対入室禁止の札があった。 まあ寝不足のまま、大雨と暴風のなかを室堂に向けて下山。当初奥大日岳からの稜線を降りたかったのだが、一昨日指の治療のため降りた雷鳥沢を降りた。 2度目の登山道である。キャンプ場はまだ寝静まっていた。地獄谷から天狗平山荘を通り弥陀ヶ原へ進み出た。 木道は雨ですべりやすい。普通であれば、室堂からは立山道路と立山高原バス路線→立山ケーブルと帰路を急ぐのであるが、今回は余裕のある行程ながら、当初予定の「称名滝→美女平経由→立山駅の全歩行」のうち美女平経由→立山駅をcutし、弘法から八郎坂を下りてスタート地点の称名滝へ戻る行程を選んだ。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう:2470m)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剣山荘(2470m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)剱御前小舎(2755m)-室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 絵は弥陀ヶ原(0°am10:00 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.579636,137.566444(単位は°)(北緯、東経表示では、36°34′46.69" N,137°33'59.2" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 30, 2009
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一服剱(いっぷくつるぎ)から_story(1693) 2009.8.29 ・・・東奔西走が続いていますが、今回は、気温13度の高地トレーニングに行っておりましたので、blog更新が遅れています。(追いつきVersionの2/6・・2009.9.1掲載その2/3) 快晴の剱からの下山は、予想通り渋滞。まずは、「カニのヨコバイ」 ここは、鎖が横に張られており、岩盤に足を固定しながら進む。右足を左足の真横につけながら、左足を天空に伸ばす。とそこに次の岩盤がひかかる。じわりじわりとカニの横這いのように進んでいく。復路の道は、カニのヨコバイ以外は、ほとんど垂直であるため目がくらむ。もっとも怖いのは、横ばいの後、垂直のハシゴに足を掛ける時だ。 鉄製のハシゴの突端は4本の鎖で固定されているため、まずこの鎖をまたがなければ、ハシゴの最上段に足を掛けることができない。 ところが、足が鎖にひかかるため、まずこの鎖から逃れなければならない。体はほぼ垂直に下を向いているのである。ここで何人が100m下の岩盤に落ちたことだろう。 コツがあるのである。まず、右足は、おおきく空を切るようにしてハシゴに跨るのである。こうしてハシゴを確保したあと、左足を抜く。すべて大きな動作が必要である。このハシゴ・・下を見てはいけないという箇所である。 一服剱(いっぷくつるぎ:2618m)から前剱(まえつるぎ orまえけん:2818m)途中に武蔵のコルがある。雪渓の谷は武蔵谷。右の稜線が東尾根。ほぼ垂直の弾丸である。手前の岩石を上ってくる登山者は鹿児島からの人たち。 上の文章から続く前剱から一服剱へup downを繰り返しながら高度を下げていく。一服剱(いっぷくつるぎ:2618m)から天を見上げるようにそそり立つ前剱(まえけん:2818m)を見上げた。「モデル料をください」という団体も背景に入れてスケッチ。登山者は鹿児島からの団体であった。一様に皆ここで一服していく。もはやこの奥の剱岳は見えない。 剣山荘(けんざんそう)に預けてあるリュックを背負い、剱御前小舎に向かう。この小屋の朝食で、鹿児島の団体にあった。ほぼ同じ行程であったようだ。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう:2470m)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剣山荘(2470m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は剱岳山頂から(60°am7:45 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.620703,137.614542(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′14.53" N,137°36'52.35" E))下の絵は剱岳山頂から(100°am7:15 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.620703,137.614542(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′14.53" N,137°36'52.35" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 29, 2009
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剱岳からの絶景(その2)_story(1692) 2009.8.28 ・・・東奔西走が続いていますが、今回は、気温13度の高地トレーニングに行っておりましたので、blog更新が遅れています。(追いつきVersionの1/6・・2009.9.1掲載その1/3) 剱岳山頂から。 登頂の日は、快晴。 8月は快晴の日があまりなかったため、あとで振り返っても貴重な1日となった。「6週間ぶりの晴れだ」という人もいて、どんどん上がってくる登頂者は感嘆の声を上げていた。 山頂も賑やかになってきた。「剱岳2999m」という看板を手に持ち記念撮影をする人が多い。こちらはそういう喧噪を避けて八ッ峰側の庇(ひさし)に身を寄せ、ひたすら山と対面。 剱岳から磁針60°の方向(富山県では、磁北から(地図上の)真北のずれは、+6°55'であるため地図上では67°の方向)奥が白馬岳(2932m)その手前左が旭岳(2867m)、右へ杓子岳(2812m)、白馬鑓ヶ岳(2903)・・白馬三山から西に伸びる峰は黒部峡谷になだれ落ちる。手前は、剱岳から伸びる八ッ峰で、V峰を中心とする恐竜のひれのような急峻な峰。 剱岳から磁針100°の方向(富山県では、磁北から(地図上の)真北のずれは、+6°55'であるため地図上では107°の方向)中央奥が鹿島槍ヶ岳(2889m)でほぼ真東の方向鹿島槍ヶ岳(2889m)の左が五竜岳(2814m)手前のゴツゴツは上図と同じ八ッ峰で、右側が長次郎谷。中央手前の丸い山が黒部別山の北峰(2284.3m)この同じ日に、同じ時間に、鹿島槍ヶ岳から剱岳を見ているいた人がblogに写真を掲載していた。直線距離で12kmであるので、望遠鏡で見えたのかもしれない。さて、富山湾の方向は、50km真西に富山市役所、50km真北に富山県朝日町この三角形の地形のなかに黒部市、滑川市、上市町があり、富山湾の向こうに能登半島が浮かぶ。これらの市町村からは急角度にせり上がる剱岳があり、いつも剱を見ながらの生活。山から見下ろすと同時に、麓からも見られているという緊迫感がこの剱にはある。目を北東、真東、南東、南西といった北アルプス全貌に向けると3000m級の山々が連なる。まさにそういう位置関係にある。ここは、北アルプス・立山連峰の最北に当たる場所だ。感慨にふけるも、下山の渋滞が気になりだした。3時間もねばった剱山頂から下りることを決意した。後ろ髪を引かれる思いで。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう:2470m)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剣山荘(2470m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は剱岳山頂から(60°am7:45 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.620703,137.614542(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′14.53" N,137°36'52.35" E))下の絵は剱岳山頂から(100°am7:15 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.620703,137.614542(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′14.53" N,137°36'52.35" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 28, 2009
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剱岳からの絶景_story(1691) 2009.8.27 剱岳山頂で大休止。剣山荘(けんざんそう:2470m)で隣に寝ていた男性を途中で追い越したが、寝付けなかったという。そこで3時に出発だったと。この男性のおかげで小生も3時半の出発となっていた。小屋からは直線距離1.9kmという近さだが、標高の高低差は弾丸4個分の1000mを下らない。一服剱、前剱、平蔵コル、剱岳とコブがすべて弾丸の形状に見えてきた。さて、剱岳頂上は快晴。360度の展望を記念にスケッチし始めよう。もう少しすれば山頂も賑やかになろう。 剱岳から磁針200°の方向(富山県では、磁北から(地図上の)真北は、+6°55'であるため地図上では207°の方向)手前が剱沢。手前左が別山(2874m)と北峰(2880m)手前右が剱御前(2776.6m)。別山の奥が立山(大汝山(3015m)、雄山(2991.6/3003(雄山神社))中央奥が笠ヶ岳(2897m)その左が水晶岳(2986m)左奥が富士山(3776m) 1時間後 剱岳から磁針140°の方向(富山県では、磁北から(地図上の)真北は、+6°55'であるため地図上では147°の方向)奥の三角形が針ノ木岳(2820.6m)手前から3つ目の尾根が真砂尾根・・稜線の先に内蔵助山荘と真砂岳(2861m)その尾根から手前方向に3つの沢(真砂沢、別山沢、剱沢)があり、立山の主要沢。手前恐竜状のガタガタの尾根が、源次郎尾根手前が平蔵谷中央青い山が黒部別山(2353m)奥に富士山(3776m)快晴。360度の眺望。(明日に続く) 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう:2470m)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剣山荘(2470m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は剱岳山頂から(200°am5:45 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.620703,137.614542(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′14.53" N,137°36'52.35" E))下の絵は剱岳山頂から(140°am6:45 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.620703,137.614542(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′14.53" N,137°36'52.35" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 27, 2009
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前剱(まえけん)からの剱岳_story(1690) 2009.8.26 (追いつきVersion3/3)本日分の掲載に追いつきました。やっと登頂です。 剣山荘(けんざんそう:2470m)ではなかなか寝付けない。am1:00に起きて戸外に出ると、満点の星。月も17夜ながら明るく輝いている。am3:00過ぎ。隣の男性が居ない。4時に起こしてくれと言っておいたのにつれない。それにしてもam3:00とは早すぎではないか?am3:30過ぎ。表にでたり入ったり、うろうろしつつも、意を決してスタート。タイミングが悪かった。表に飛び出したのは、小生1人。ヘッドランプがあり月明かりがあるものの、ほの暗く、道を探すためにはランプを並行にスキャンしながらの登攀となった。 昨日、大体の目安があった斜めの道を上がって行こうとするが、意外と道は曲がりくねっている。真っ暗な中を進むのはなかなか難しい。 まっすぐ進むなんて言う道はほとんどない。180度ひねる場所もおおく、このポイントに気づかなければ、outである。 鎖場やペンキの場所を通るたびに、不安はいったんreset。次なる道の探索が始まる。 前剱(まえけん)から平蔵コルと剱岳山頂スケッチは帰り道で描いたものであるが、行程を説明するためにここに掲載。am4:00近辺はもっと暗く、点々とヘッドランプが揺れるのみ。 上のほうで動かないランプがある。なんとずるいではないか。「早いですネ。」と、どうも道がわからなって小生を待っていた節がある。しばらくすると、「一服剱(2618m)」。剣山荘(2470m)から150m弱しか登っていないのに、暗闇では相当困難を極める。「ペンキ」が以外と少ないのである。昼間であれば遠くに見えるペンキを見据えることもできたが、暗闇では無理である。 この場合は、人の通った後には、細かい粒砂があり、何万人も歩いた道は、足跡が残っているはずである。または、坂道ならばジグザグに道は進み、先人は、歩きやすいように平らな石を積んでいる筈である。こういうパターンを頭に入れつつ、間違ったとおもったら2mでも引き返す勇気が必要で、つねに対話を掛けていく。山に聞くという姿勢で行く。 先ほどまで付いてきていた男性の姿はもはやない。「オーイ」と大声で叫ぶも、返答がない。落ちたか、逡巡し、歩行をあきらめたか。 前剱(2813m)、剱岳は今思うと、弾丸か砲弾に似た垂直の岩場である。 弾丸は250mもそそり立っている。まさにその頂上の上にもランプが大きく揺れている。この揺れが道のスキャンを左右でしているためである。 はるか先のランプにこれから近づくのであるが、なかなか。 岩盤に取りつくも、道がわからいなのである。上記のルールを必死に頭で反芻しながら、気合いで進んでいく。このルールで山道が出来上がっている。 平蔵コルからカニのタテバイ、ヨコバイ地帯正面の弾丸が剱岳(2999m 以前は3003mであった。測量しなおしですこし低くなってしまった。)一番手間は平蔵コルを垂直によじ登ってくる人影(帰りの図であるが、こいう場所で渋滞が始まる。) 前剱から最大の難所。「門」という場所は、一方通行になっているようである。帰りには通ることはなかった、奈落の底を見ながらのハシゴ橋をおっかなびっくりで渡る。この剱・・さらなるルールは「下を見ない」ということが加わる。 平蔵の頭、平蔵のコルなど行きと帰りでルートが違う。垂直の鎖をたどる。剱岳(2999m)の弾丸は300mもそそり立っている。ここが有名なカニのタテバイである。行きと帰りでルートが違う場所である。垂直に張られた鎖以外に、足を掛ける30cmくらいの鋲が打ってあり、これがなければ登攀が不可能な場所であり、一般人が登れるための工夫だ。平蔵コルからカニのタテバイ、ヨコバイ地帯 図示Aが往路のカニのタテバイBが復路のカニのヨコバイ・・・垂直の階段が続く ガラ場を登攀して剱岳頂上。am5:30登頂。少し早すぎたカナ!快晴。360度の眺望。(明日に続く) 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう:2470m)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剣山荘(2470m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は前剱から平蔵コルと剱岳(30°am4:30通過 スケッチtime:am9:30 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.618133,137.614831(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′5.28" N,137°36'53.39" E))中の絵は平蔵コルからカニのタテバイ(20°am4:45通過 スケッチtime:am9:05 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.619139,137.614372(単位は°)(北緯、東経表示では、36°37′8.9" N,137°36'51.74" E))下の絵はA:カニのタテバイ B:カニのヨコバイ)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 26, 2009
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山小屋で寛ぐ_story(1689) 2009.8.25 掲載が遅れています。(追いつきVersion2/3)なかなか剱に到着しないもどかしさ・・申し訳ございません。やっと剣山荘(2470m)に到着。 この小屋は、連泊する人も多い。早朝の登攀と、帰路再びここで疲れを取る登山者が多いためである。沢山の利用者があるためヘリも何回となく物資を運ぶ。シャワーさえついている恵まれた山荘である。 5年前に雪崩で全壊してから立て直されたまっさらな小屋で、口々に「きれい!」と感嘆の声もあがるほどだ。 甚平傘の父娘がいた。ほぼ同時の到着であった。写真を撮ったり、生ビール(ジョッキで800円と安い!)を飲んだりとみんなここで寛いでいる。剣山荘(2470m けんざんそう)の小屋前から剱の方向を見る登山客源次郎尾根や遠くに八方尾根-唐松岳が見える(みんな右を向いているように描かれているが、じつは剱は左の奥) ぶ厚いガスが山にかかってきたが、皆ひとつの箇所を眺めている。 つまり剱の方向をである。 源次郎尾根が、剱沢から剱岳頂上まで伸びる尾根であるため、その直線の先端に思いを馳せては、嘆いている。湿った空気のせいで今年はことのほか雲が多いのである。 小屋の宿泊者全員がやることがないのか、小生のスケッチの一挙手一動を見る。筆を運ぶたび、いろんなコメントが飛ぶのでなかなか面白い。 別山夕暮れ剣山荘下の池からほぼ斜め直線状態で剱御前小舎までのびる登山道から別山ー別山北峰の稜線左の小屋が剱沢小屋剱岳は見えないものの、晴れていれば前剱が見えるという。剱を見たければ、15分くらい剱御前小舎にいたる道を登ればよしと。夕方後6時にスケチブックを持ち登攀開始。小屋に向かう学生2人とすれ違った。「こんなに遅く?」と疑問を投げかけると、「トラブルがありまして。遅れました」という。「剱見えましたか?」と尋ねると、「ばっちり!」と言うではないか。(この学生はカップラーメンにはありつけたようである)あたりはガスってきたし、雨も降り出した。予定にはなかったが、反対の別山の方向をみると、壮大な1枚の絵が。これをスケッチ。 しかし、pm9:00を過ぎて天を仰いでみると満天の星。明日は快晴が期待できる。ベッドでは横の男性が、明日は4:00起きで出発だという。小生も便乗すべく、起こしてくださいといって就寝。実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう(2470m))(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剣山荘(2470m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は剣山荘(2470m)から八つ峰(90°pm5:20 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.595658,137.618150(単位は°)(北緯、東経表示では、36°35′44.37" N,137°37'5.34" E))下の絵は別山夕暮れ(150°pm6:10 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.611997,137.619922(単位は°)(北緯、東経表示では、36°36′43.19" N,137°37'11.72" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 25, 2009
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別山_剱沢_story(1688) 2009.8.24 掲載が遅れています。(追いつきVersion1/3)しかもなかなか剱に到着しないもどかしさ・・申し訳ございません。別山(2874m)で甚平傘を被った男性と女性の2人連れと会話する機会を得た。富山県-上市町という剱岳を最東端にいただく町からの男性と、京都にいる娘さんであった。帰郷した娘さんを連れて、登山歴のある父親が剱を案内するという図式である。毎日麓から仰いでいても、なかなか登る機会を得られないというのが実情で、当方の中津川からの恵那山と似ている。さて、行程を急ごう。(立山連邦)別山(2874m)からの剣山荘(けんざんそう)正面の山が剱御前(2776.6m)。左端の山荘は剱御前小舎(2755m)右前方の山荘が剣山荘(けんざんそう:2370m)右下の山荘が剱沢小屋(2520m) 甚平傘一行は、剱御前小舎(2755m)から、斜めに下りる道を剣山荘(2470m)に向かうという。この道は、明日通る予定なので、別山(2874m)からトラバースしながら、斜面を350mほど急降下して剱沢小屋(2520m)に向かう直接ルートを選んだ。 なんとも壮烈なジグザグ道である。どこでも降りられそうな斜面であるが、落石の危険があるため大変細いザレ場の道を注意しながら急降下していく。 登山道は開けているため、剱沢キャンプ場や、剱御前小舎(2755m)から剱沢小屋(2520m)に向かう登山道を行きかう人などが手に取るようにわかりなかなかスリルのはる行程であった。三田平と呼ばれる比較的なだらかな斜面にある剱沢キャンプ場には雷鳥沢同様カラフルなテントで賑わっていた。 剱沢小屋(2520m)で、予定した昼飯にありつこうと思ったが宿泊客のみだと断られた。剱御前小舎(2755m)のような通り道にあたるところではレストランのようにメニューが掲げてあるのだが、 谷底の小屋では、そういう常識が通じないのか、食糧の枯渇の心配があるのか、厳しい運営の山小屋であると悟らざるを得ない。気をとりなおして、今日宿泊の剣山荘(2470m)に向かう。 剱沢の谷間は雪渓が随所に残っており、また水がこんこんとわく水場があった。剱岳に登攀した登山者がここで帰路に水を補給していく場所である。 なかなか心地よい風も吹き、一服としてこの沢もスケッチ。昼飯はお預けとした。 剱沢(剱沢に水場から)右は、別山北峰から谷に落ちる稜線左は源次郎尾根や八ッ峰の稜線。雪渓を横断して、剣山荘に向かう。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎(2755m)-剱沢小(2520m)-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山(2874m)-剱沢小屋(2520m)-剣山荘(けんざんそう(2470m))(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋(2520m)-剱御前小舎(2755m)(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は別山山頂(2874m)から剣山荘(2470m)など(310°am11:50 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.595658,137.618150(単位は°)(北緯、東経表示では、36°35′44.37" N,137°37'5.34" E))下の絵は剱沢(30°pm1:35 Google Earth 地名=剱岳 スケッチpoint 36.611997,137.619922(単位は°)(北緯、東経表示では、36°36′43.19" N,137°37'11.72" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 24, 2009
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雄山から内蔵助カールへ_story(1687) 2009.8.23一ノ越山荘(2705m)から雄山に取りついた。ここは観光のメッカのような場所で、室堂から直接登ってくる人たちで賑わっていた。雄山(2991.6m)まではほんの300mのUpであるが、老若男女がこの急坂に取りついている感じで、何か富士山と似ているガラ場とその雰囲気。500円で、雄山神社に入場が可能で、階段を登れば3003mの神社にお参りができる。神主さんもいて、お祓いをしてもらっていた。この立山・・北から別山(2874m)、雄山(2991.6m)、浄土山(2831m)の3山を言うが、別山には最近神社が建った。浄土山にも跡などがあった復興できれば、3神社が揃うことになる。雄山神社立山山頂にある神社!社務所は2991.6m階段を上がれば3003mこんなところに神主さんと神社が!登山道はこの鳥居の左側の小道を行く。この後は、登山道で人数が1/10くらいに少なくなる。 内蔵助(くらのすけ)カール冨士ノ折立(2999m)の急坂を下りるあたりで内蔵助カールと雪渓がある。東斜面のカール。化石氷体がある。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-冨士ノ折立(2999m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は雄山社務所から雄山神社を望む(40°am9:35 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))下の絵は内蔵助カール(0°am10:30 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 23, 2009
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室堂山荘から立山カルデラ-浄土山_story(1686) 2009.8.22すこし遅延n-追いつきversion2/3室堂山荘では、6時の朝食に長蛇の列。TVでは、静岡沖で震度6の地震と伝えている。津波の危険があるということで繰り返し放送していた。新幹線も、東名も止まっているという。台風被害といい、今朝の地震といい、地上ではなにか恐ろしいことが起こっているようである。山行きを続けていてよいのか迷うところであるが、3000m級の山の方が安全かもわからない。旅を続けることとする。室堂山荘から別山日の出上の文章から続く。現金なもので、平地なら自由に歩けるのであるが、山道の階段やupの道は、まったく足が止まってしまうのである。リュックを背負い、階段状の山道を登るためには、日頃どんな鍛練をすればよいのであろうか。大学でよく見たワンゲルの人たちが砂袋を背負い、階段を何回も上がり降りしていたがそういう訓練が必要である。 立山カルデラ右の山のスロープは薬師岳獅子岳、手前が鬼岳(当初の予定では剱岳登攀後、薬師岳までの往復runをする予定であった稜線で次回の宿題となった)下の平原は有名な「五色ヶ原」遠くに槍ヶ岳、水晶岳が雲の上に見える。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は室堂山荘と別山日の出(20°am6:30 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))下の絵は立山カルデラ(220°am7:25 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 22, 2009
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室堂山荘から_story(1685) 2009.8.21しばしば、話が途切れてしまい、申し訳ございません。東奔西走している今なかなかパソコンの前に座ることが出来ないためです。携帯でup?これもスケッチ画像を毎回upせねばならずサクサクと駒を進められません。と言い訳はこれくらいにして、話はすこし脱線する。関越道を走っているときだ。何か景色が物足りないのだ。見慣れた”山”が無いのである。関東平野のまっただ中であるためだ。blogにずっと山の絵を掲載していてこのサイトでは当たり前の風景であるが、山が無い景色も案外多いのかもわからない。さて、今夜は、山岳警備隊の講話の中から抜粋。室堂を取り巻く山々は、今やどこでも携帯が使える。この携帯を使って、安易に救助を求める登山者が多いということ。稜線を真夜中でも歩いている人が結構多いという。このなかで、道に迷ったり、怪我をしたりと、電話がかかるということである。だいたい、山小屋にはpm2:00-3:00までには到着したいと小生は思っているが、常識的な時間までには到着できるように行程を組むべきではないだろうか。仲間の遭難者を救助隊に預けたまま、「バスの時間ですので・・」と、仲間を置いて帰る登山者がいること。子供を背負い救助隊の居場所まで運ぶこともせず、その場所でただ救援隊を待っている親御さん。低体温の処置では少しの差で生死を分けてしまう。例えば、ゴアテックスのレインコートを持っている人が助かり、持っていなかった人が亡くなったと。あと一歩というところで救助が間に合わなかったことがあり、ぜひ大事な家族や奥さんのことを考えて、1分でも長く生存しておいて欲しいと話を結んでいた。なかなか頼もしい救援隊である。立山センターには沢山の隊員が待機していたが、啓もう活動も行っていることに頭が下がった。大日岳_奥大日岳昨日登攀した山々が眼前。左端が大日岳(2501m)、そのすぐ横の小山が中大日岳(2500m)右側の長いスロープが奥大日岳(2605.9m)真ん中の茶色い山はエンマ山で地獄谷にある山のためはげ茶瓶である。手前がミクリガ池 剱御前小舎の連山、猫又山(2378m)左のスロープの中央が雷鳥沢この台地の上に剱御前小舎-別山乗越がある。稜線は、新室堂乗越から剱御前小舎-別山乗越への登攀路上の文章から続く。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は雷鳥平から雷鳥沢を見上げる(35°pm1:45 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))下の絵はミクリガ池から立山(85°pm2:35 Google Earth 地名室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 21, 2009
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雷鳥平-室堂_story(1684) 2009.8.20 小指の負傷兵は、剱沢の富山県警の夏期限定の診療所(2350m)を後に、医者の居る室堂までの道を、剱御前小舎(2750m)→雷鳥沢(2200m)→室堂(2420m)という過酷なUp-Downを行く。痛い小指を腕組みをしてかばいながら・・・・ 計画の大変更を余儀なくされ、打ちのめされるのも、天罰と諦めつつ、天候不順な折の「1日延期」との神の声かもしれない。 このときまでには、すっかり天候も回復している。山頂はガスが湧き2700m以上は何も見えない。しかし下界の視野は開けている。室堂やテン場が箱庭のように見える。と小さなダンボール箱を何段にも重ねてショイゴで登ってくる精悍な男性にあった。「強力ですか?」「違う」という。会話はそれだけ。 最近はヘリですべてを運ぶため、「強力」は少なくなった。ほとんど居ないといったほうがよいが、しかし、少し採算の悪い山小屋やターミナルから比較的近い山小屋はこういう荷運びの人たちに頼ることも多いはずだ。しかし、質問が悪かった。ここでは「ボッカですか?」と質問すべきであった。雷鳥坂ー雷鳥平から剱御前小舎が稜線に見える(標高2750m)左の稜線が、奥大日岳から新室堂乗越を経て、登りになる部分。右は別山(2874m)への稜線上の文章から続く。 室堂の立山センター(山岳警備隊派遣所)には医者がpm2:00に到着するという。雷鳥沢をスケッチ。 賽の河原などがある場所の下が雷鳥沢キャンプ場である。佐賀から来ていた高校生と再び会ったが、テントに宿泊しているらしい。雷鳥沢ヒュッテなどには大勢の若者が高原の夏を楽しんでいた。 室堂自身はここからまだ200mも上にあるのだが、一帯の起伏のある場所が室堂平である。地獄谷では、硫黄の匂いが激しく、噴煙も上がりまさに火山地帯に入った感じだ。 室堂は、立山-黒部のアルペンルートのトンネル出口に当たるため観光客が極端に多い。ミクリガ池辺りは渋滞するくらいだ。リュックを背負っている人はわずかで、賑わいぶりは銀座並みである。 ミクリガ池の登る階段で力尽きた。だいたいリュックが重すぎる。原因は2Lの水だ。ほとんど飲んでいない。非常用に持ち運んでいるが、今回のルートは水場が多く、これを捨てることにした。ミクリガ池前方は立山。赤い小屋群が、立山室堂山荘(日本最古の山荘)右稜線の小屋が一ノ越山荘(2705m)左のカール状の向こうに内蔵助カールがある。富士ノ折立(2999m)、大汝山(3015m)、雄山(2991.6m-神社は3003m)と続く上の文章から続く。 医者は不整脈の患者の対応に掛かり切りになっていた。一ノ越(2705m)往復の後気分が悪くなったということである。広い待合室には、バスツワーであったのだろう、ガイドさんが付き添っておられた。むさ苦しい負傷兵は、靴下を洗ったりして医者の第一印象を良くしようと努めた。 さて、負傷兵の番になった。「あの、もう一つ悪いところがあるのですが」 看護婦さん「頭以外のどこ?」、小生も考えていたセリフであるが、なかなか面白い看護婦さんであった。足に豆ができたようであるが、これはまだ破けていないため様子見ということでガーゼを巻いてくれた。 負傷した小指には飛び上るほど痛い消毒液を塗られた。血がもう出ていなので、簡単な治療になった。血がボトボト出るのは破傷風などの菌を逃がすためだとも教えてくれた。破傷風であればもう間に合わないという。1w後体の震えなどがあり死に至ると(もう10日もするが何の変化もない。)必ず大きな町の病院に行くこと。すぐ下山すること。そのため薬は1日分だよ という。 そこをなんとか2日分をと懇願。ちゃんと山を降りるんだね? 「はい。」とうつろな返事。・・これから「剱に登りたいのですが!!」とも言えない。 まずい! 医者の窓からは、これから向かおうとする「立山室堂山荘」の道がすぐ前に見えている。しかし、腰を痛めたという中年の登山客が訪れたため、おそらく外は見ていないだろうとしばらく時間をおいて、抜き足差し足で「室堂山荘」に向かう。過大に巻かれた小指の包帯を隠しながら記帳。 この山荘、日本最古の山小屋である。小屋自体は保存され、博物館のように展示されている。予定変更したため泊まることとなったこの山荘。おったまげた。 風呂があること、A,B,Cの3棟からなる巨大な山荘であること、レストランでのホテルのような食事であること。ワインがふんだんにあること。夜は、山岳警備隊派遣所からの山岳登山の注意点などの講習があること。さらに、 室堂平の最上部にあるため絶景であること。これは日本人、一度は利用したい山小屋である。 実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は雷鳥平から雷鳥沢を見上げる(35°pm1:45 Google Earth 地名=室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))下の絵はミクリガ池から立山(85°pm2:35 Google Earth 地名室堂 スケッチpoint 36.580725,137.596039(単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′50.61" N,137°35'45.74" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 20, 2009
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奥大日岳_story(1683) 2009.8.19 台風9号(990hPa)が紀伊半島を目指しているものの、東へそれるという天気予想。暴風雨は収まったものの、激しい雨が大日小屋に降り注ぐ。大日小屋の離れにあるプレハブから、剱岳をスケッチ。雨でも姿はよく見えている。この光景から天気は回復と見た。下山ルートに当たっているため宿の人たちはほとんど全員称名滝まで下山するという。大日小屋(2420m)テラス前から、剱岳左から、剱岳(2999m)、前剱(2813m)、一服剱(2618m)手前の山が、奥大日岳(2605.9m)上の文章から続く。さて、ここでアクシデント。このアクシデントがなければ、当初予定の6泊7日の予定となっていたはず。実は、「こけて」しまったのである。浅はかであった。4人のパーティが奥大日岳の北斜面の少々平地になった部分を南に進軍。小生はやや大股で道を譲るような形で速歩。最後の女性を見たとたんこけたのである。「つまずく」ということは、足が通常のように前に出ないことをいう。足が石などにからんで前に出ない場合は、体はそのままのスピードで前進しているため、、激しく手で地面を突き、スライドさせ体をささえる。30kgの重さのリュックをしょっているためその衝撃はすごい。「大丈夫すか?」と先に行った男性から声をかけられる。「だ、大丈夫です」と言いつつ、山道の途中で手を見ると、右手の小指から激しく血がほとばしっているではないか。 他にも数か所の傷。なんとただこけただけなのに重傷である。指をそっくり口に含み、舌で舐めてながらも、先に進む。(ほんとうの敗因は、絆創膏を食卓の上に忘れたことによるが・・・) 奥大日岳山頂から、室堂ー雷鳥平キャンプ場は雷鳥沢キャンプ場右側の噴煙は地獄谷上の建物は室堂ターミナル(立山トンネルの出口。大町と黒部ダムを結ぶ)立山道路→立山高原バス路線がつながっており、立山ケーブル駅と結ぶ。上の文章から続く。 さきほど奥大日岳でUターンしていった佐賀からの高校生や先生にも救援の声をかけるも、バンドエイドは同様に忘れたという。 剱御前小舎(2700m)までの500mの登りで、ようやくバンドエイドと消毒液を持っていた家族ずれと出会い、処置をする。剣山荘(けんざんそう:2220m)へ行くのを少し迂回して剱沢小屋近くにある夏期期間限定の診療所(2350m)へ行く。 応急手当だけだと念をおされ、室堂にある山岳警備派遣所内(2140m)にある診療所に行けと。なんと来た道を再び500mほど登らねばならず、700mくらいの雷鳥坂を下り室堂へ向かわなければならない。途中かなり、躊躇。 このときはまでには、血小板の作用のおかげで止血は完了していたが、2時には患者が行くからと電話を入れてもらっているので診療所に行かないわけにはいかない。 とほほ。この間予定大変更の作戦を立てた。剱岳に登るのを1日ずらせて明後日とすることを。
Aug 19, 2009
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大日小屋_story(1682) 2009.8.18 称名滝を起点として大日岳まで登ってきた8/9。なんと台風8号(970hPa)が台湾を直撃しており、前夜南海上にあった熱帯低気圧(996hPa)は一気に台風9号に発達し、紀伊半島に向かっているとのことだ。(兵庫県佐用町では甚大な被害) この影響で、午後は雨となり、夜間にかけて暴風雨となった。雨の中を大日岳(2501m)登攀を済ませ、大日小屋(2420m)に戻ると、部屋割りの決定があった。なんとプレハブの1番だ。蒲団が12枚くらい広げられ、余分の毛布が山と積んであった。寒かったら自由に使えという。大日岳(2501m)山頂から、剱岳西大谷山(2086.7m)の裾野の向こうに恐ろしいほどの稜線の形をした剱岳。左から、剱岳(2999m)、前剱(2813m)、一服剱(2618m)、剱御前(2776.6m)この光景は、5分ともたない。あたりは一瞬のうちにガスで真白だ。大日小屋から、剱岳右側の大きな裾野は、奥大日岳(2605.9m)左の稜線が早月尾根。この稜線は、馬場島(ばんばじま)から標高差2000mの過酷な登攀を覚悟せなばならない。しかしながら、今年の悪天候で足場が悪いという。上の文章から続く。 プレハブは、小屋とは独立し、離れとなっている。しかしか窓からは目の前に剱岳だ。晴れていれば絶景のはず。絶え間なく、ガスがわき、曇り、山頂部分にからみつく。その一瞬の晴れ間に、小屋の人もカメラを向ける。雲間からの剱岳は屏風のような凛々しい姿を見せる。奥大日岳からの剱が最高というが、明日は拝めない筈である。 一方、山小屋の宿泊人達は気象情報を聞いて蒼白状態である。もともとこの小屋は、下山ルートにあたっているため、皆帰りの道路や鉄道の心配をし始めている。 なんと、このプレハブでは、台風の影響を受けて次の状況だ。むき出しのトタン屋根のため、弾丸のような大粒の雨の音。暴風雨の渦巻きがプレハブを天高く持ち上げる。浮いたと感ずるその後、地上に落下。と感じるほどの猛れつな風雨。ランプの灯も大きく揺れて、亡霊のような影。寝るどころの騒ぎではない。かろうじてこのプレハブに4人しか泊まらなかったため、全員、固まって震えている。窓際に乾かすつもりで置いたスケッチブックを見にいく勇気はない。もう雨でボトボトであろう。きしむ音、風速50mくらいの暴風雨に全員まんじりともせず、肩を寄せ合う。この雨の中、サンダルで母屋に駆け込み、トイレに行くことも躊躇される。 朝になった。昨日東京から夜行で富山に入り、称名滝にある登山口から来た男性は、これから薬師岳→笠ヶ岳まで大縦走をする予定をすべて取りやめ、同じ道を下山するという。 しかし、待ってほしい。台風9号の進路予定は、紀伊半島沖から東にそれるという。今日1日しのげば、なんとかなるのでは。最悪は室堂からバスで帰ることも考えて、奥大日岳に向かうことに決断。(明日に続く)実際の行程1日目(8/9:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発-200km)-立山駅(am7:20着)-バス(am7:50発)-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2日目(8/10:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3日目(8/11:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4日目(8/12:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5日目(8/13:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H)-帰路 上の絵は大日岳からの眺望(80°pm2:45 Google Earth 地名=奥大日岳 スケッチpoint 36.596767,137.553658(単位は°)(北緯、東経表示では、35°35′48.36" N,137°33'13.17" E))下の絵は大日小屋からの眺望(80°pm6:30 Google Earth 地名=奥大日岳 スケッチpoint 36.599033,137.555742(単位は°)(北緯、東経表示では、35°35′56.52" N,137°33'20.67" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 18, 2009
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中大日岳_story(1681) 2009.8.17落差350mの称名滝から始まった、今回の北アルプス。大日小屋にはpm2:00まえには着いた。宿泊客が多そうで、すぐには部屋割りが決められないという。荷物を置き、ナップザックに絵の道具を移し、大日岳登攀を行う。山頂からは、弥陀ヶ原とこの小屋(大日小屋)がよく見えた。大日岳(2501m)山頂から、立山、弥陀ヶ原。小屋の裏にある中大日岳(2500m)の中腹北斜面には雪が残っている。室堂一帯の山々が遠望できる。屏風のような台形の山が立山(大汝山(3015m)、雄山(3003m))、右端は、昨年登った薬師岳。天狗山(2521m)、国見岳(2620.8m)などぐるりと山々が室堂を取り囲む。この風景の薬師岳手前の右斜面が、立山カルデラ。 大日(だいにち)小屋には、小屋の主人等の子供達が数人居た。5歳の女子以外は、全員、室堂から奥大日岳を経て歩いてきたのだという。一発芸(口をつきだして丸く口を開け、手の平からからの拍手の際にでる空気を送り出してドレミファの音階を作る。これでハトポッポを歌うのである。)などを教えてあげたら、大いになついてくれた。1.(8/10:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発)-立山駅(駐車)-バス-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2.(8/11:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3.(8/12:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4.(8/13:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5.(8/14:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H) 絵は大日岳からの眺望(120°pm2:40 Google Earth 地名=奥大日岳 スケッチpoint 36.596767,137.553658(単位は°)(北緯、東経表示では、35°35′48.36" N,137°33'13.17" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 17, 2009
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大日平_story(1680) 2009.8.16落差350mの称名滝から始まった、今回の北アルプス。「2千1絵物語」の未掲載の夜に遡って、すこしその前の物語を続けています。予定では8/18に追いつくように、毎日3夜分物語って行きますので、宜しくお付き合い下さい。その追いつきVersion第4夜の1/2。さて、富山地方鉄道立山線の終点立山駅は、立山ケーブル駅と直結をしておりほとんどはこのケーブルカーで美女平に登り、バスで室堂に入る。自動的に2450mの標高に到達できるわけで、ここを起点に四方の山々へと向かうのが一般的。しかし、今回の旅は、普通の人が行くコースとは逆に、立山駅発称名滝行きバスの終点称名滝駅(980m)からの大日岳(2501m:だいにちだけ)登攀という過酷な1521m upの道を選んだ。 滝見道路の途中に登山口があり大日平(1400m-1600m)までの400-600mの登攀となる。もともと少ないこのUPルートの人でも、まだ600m先にある称名滝を滝つぼの間近からの見学をする人は稀有である。しかしながら大日平-大日岳への登山ルートからは称名滝を見ることができないと踏んでいたので敢て滝見物を優先させた。 その時の絵は昨日掲載。ものすごい轟音と、滝しぶきで、飛竜橋は震えているようであった。高見の展望台まではこれまた階段を上がらねばならなかったが、必見の滝である。大日岳への登りコースから、大日平、弥陀ヶ原。遠くにある赤い屋根が、天狗小屋(弥陀ヶ原)、手前にあり赤い屋根が大日平山荘(大日平)黒々とした谷が、称名回廊。不動滝がある筈。絵の中のツブツブは、雨滴。さて、大日岳登山道入口からは、ジグザグとなった急坂を400くらい登攀すると「猿ガ馬場」が、さらに100mくらい登攀すると「牛首」があり、称名川とその北のザクロ谷からなる狭い稜線を伝って大日平に達する。木道の始まりである。下りに向かう沢山の登山者と出会う。幅1kmくらいの広々とした草原や池塘は、称名回廊という150mくらい深い谷間を隔てて隣の弥陀ヶ原と続くため幅4kmの草原というイメージで広々地下空間である。500mの辛かった登りもこの平原で癒される。ほどなく、大日平山荘(1770m)の到着し大休止。眼前に屹立する筈の大日岳(2501m)や、早乙女岳(2120m)、前大日岳(1778.7m)といった大日連山は雲で霞んで見えない。木道の切れる辺りから700mの登りが始まるが、同時に霧雨がふってきた。辺りは完全に白い風景となり、足元しか確認できない。晴れた一瞬のスケッチが上図である。悪天候で、下記にように予定短縮(薬師岳(近傍)往復を省略した行程)1.(8/10:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発)-立山駅(駐車)-バス-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2.(8/11:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3.(8/12:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4.(8/13:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5.(8/14:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H) 絵は(180°pm1:10 Google Earth 地名=奥大日岳 スケッチpoint 36.596767,137.553658(単位は°)(北緯、東経表示では、35°35′48.36" N,137°33'13.17" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 16, 2009
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称名滝_story(1679) 2009.8.15落差350mの称名滝から始まった、今回の北アルプス。「2千1絵物語」の未掲載の夜に遡って、すこしその前の物語を続けています。予定では8/18に追いつくように、毎日3夜分物語って行きますので、宜しくお付き合い下さい。その追いつきVersion第3夜の3/3。Syoumyou-Fall富山県立山市-称名滝立山の大噴火による溶結凝灰岩をV字型に150mも侵食した称名回廊の末端より350mの落差で落ちる日本一の滝。第1段・・70m第2段・・58m第3段・・96m第4段・・126m計350m。左右に水量によっては消え去る2条の滝がある。右の滝が、ハンノキ滝・・・落差496mの日本一であるが、いつも存在しないので認められていない。大絶壁の「悪城(あくしろ)の壁」がこの陥没地帯から富山湾に向けて1.6kmも続く。今回の当初予定のコースは下記。1.濁河温泉(am3:30出発)-立山駅(駐車)-バス-称名滝-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳往復(7h)2.奥大日岳-剱御前小舎-剣山荘(けんざんそう)(6.5H)3.一服剱-前剱-剱岳-前剱-一服剱-剱沢小屋(5H)4.別山-真砂岳-大汝山-雄山-龍王岳-獅子岳-五色ヶ原山荘(7.5H)5.薬師岳(近傍)往復-五色ヶ原山荘(登山マラソン-max14H)6.獅子岳-龍王岳-浄土山-室堂-天狗平山荘(7H)7.追分-弘法-滝見台-立山駅(10H)悪天候で、下記にように予定短縮(薬師岳(近傍)往復をcut、上記で赤の部分が省略した行程)1.(8/10:午後風雨激しくなる、台風9号本州へ向かう))濁河温泉(am3:30出発)-立山駅(駐車)-バス-称名滝(1000m)-大日岳登山口-大日岳山荘-大日岳(2501m)往復(7H)2.(8/11:午前-暴風雨;台風9号本州から東洋上に向きを変える))奥大日岳(2605.9)-剱御前小舎-剱沢小屋-剱御前小舎-雷鳥平-室堂山荘(9H)3.(8/12:晴れ:am5-伊豆半島近海で震度6の大地震:東名(8/17未明に復旧)、新幹線stop)浄土山-雄山(3003m)-大汝山(3015m)-真砂岳(2861m)-別山-剱沢小屋-剣山荘(けんざんそう)(5H)4.(8/13:快晴)一服剱-前剱-剱岳(2999m)-前剱-一服剱-剱沢小屋-剱御前小舎(7H)5.(8/14:雨)室堂-天狗平山荘-追分-弘法(1500m)-八郎坂-称名滝(1000m)(8.5H) 絵は(280°am8:25 Google Earth 地名=称名滝 スケッチpoint 36.575808,137.518225 (単位は°)(北緯、東経表示では、35°34′32.91" N,137°31'5.61" E))(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 15, 2009
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笠ヶ岳_story(1330) 2008.8.31 本日1日で2日分(今回ですと、第24弾、第25弾、絵で言いますと合計4枚分)を更新し、昨日日時(20080831)に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第25弾。(前の日記第24弾もご覧下さい)595m up-1890m down第9日目 Last(2008.8.15(金))最終日の標準行程は10時間。鏡平は相変わらず深い霧に閉ざされている。白い靄のなかを、5時15分発。昨日の弓折岳分岐まで300mの登りである。段差の数を数えるとちょうど600。1段50cmという勘定は北アルプスのspecであろうか。なだらかな坂道はカウントせず、「よいしょ」と登る段差の分だけの平均が50cmということである。登ってみて気づいたが、全体的には草原を斜めに登っている感覚でこれなら、槍ヶ岳からは丸見えである。天気がよければ、この槍ヶ岳の対岸の登りは快適であろうと想像する。このコースが人気コースの一つであることが伺えた。降りてきた感覚(いくら降りても鏡平山荘に着かない)とは違い、登りは難なく分岐点に。笠ヶ岳下 稜線から昼から晴れという予報。しかし稜線は雲がかかったまま。抜戸岩が見える。ほぼ平坦な稜線を折戸岳分岐へと帰る。折戸岳(おりど)分岐にリュックを置き、笠ヶ岳までをピストンすることにした。180mの登りはおそらくシルエットとしての「編み笠」の形の急斜面の部分である。「折戸」の名前の由来となった折戸岩が稜線の道を塞いでいた。なんと、岩が真ん中で裂けたようになっており、間を通り抜ける。なかなか自然のいたずらか、面白い演出である。笠ヶ岳到着は10時1分。00分ジャストに到着すべく、岩場を走ったが、なかなか道のりは遠く、1分50secほどオーバー。笠ヶ岳山荘は笠ヶ岳の直下である。天気のせいか、がらんとしており、寂しげ。本日はたたみ3枚くらいに1人という贅沢?な夜であろうか。高山の天気予報は12:00から晴れという。結構当たると小屋の青年が言う。予報より早めで、11時頃から雲間に青空が見え隠れし、向いの山肌が青く見え出した。雲高さは2100m近辺であろうか、これより高い峰々はスッポリ雲に覆われている。笠ヶ岳から折戸岳(おりど)分岐への稜線で双六小屋で昨日会った夫婦と出会う。「あっ。」と驚いた顔をされるが、「昨日ピーナツを戴きました」と言ったら、確実に思い出された。今日は笠ヶ岳小屋泊まりだという。笠新道への分岐となる折戸岳(おりど)分岐(2592m)で驚いた。笠新道の杓子平最上部続々と登山者が最終ステップを踏む。全員直登を果たして拍手。反対の下りルートは、杓子平を越えた向こうの山を直下。地獄が待っていたとは・・この斜面は杓子平上部であるが、続々と、この大パノラマを登山者が登ってくる。東俣谷の林道から4時間のコースである。笠新道は、杓子平まで240mのくだり、林道まで1110mの下りであるが、下るには向いていない山道である。直登で、高さをかせぐことができる短路なので、健脚向きには好都合な登山道である。よって、続々と登ってくるようである。ところが下りはたいへんヤバイ。川などはるか・・はるかに下で雲の上のようなところから標高差1110mを下るということは東京タワー3個分の下りと思って間違いはなく、果てしのない下りが続く。林道に降り立った時間が午後3時47分、鏡平小屋→わさび平などを経て、林道を歩く登山者と合流する。ここからマラソンで新穂高温泉の無料駐車場到着が4時27分。平湯温泉で汗を流し、神奈川県相模原市へとUターンラッシュの時間帯を避け、帰り着く。今回の登山では、荷物を減らすために間食ゼロとしたが、これは少々身体には酷であった。腕と顔が真っ黒になり、都会で「Rich Brown」と呼ばれ続けたが、すこし鼻が高くなった気分。スケッチはその場で「色づけ」したが、これはもっとも贅沢な行為であった。このブックは紙芝居のように「山物語」となった。「これを全てblogに掲載した」ずうずうしさは勘弁してもらうとして、山で会った人たちが見てくれているとうれしい。この当たりで、今回の山行きの章を終えたい。(完)2008年8月28日 pm9:53車椅子の人とお風呂で会う機会があった。予め設けられたスロープを伝って、車椅子のまま風呂場の入られた。何の不自由もなく、お風呂を利用される姿に感銘した。別の人は、脱衣場で車椅子を降り、裸になり、這いながら風呂場に行かれた。アルプスを歩けた自分にも感謝しつつ、すべてに感謝したい気持ちが湧き上がってきた。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)高天原山荘(2150m)→大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→太郎平小屋→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)黒部五郎小舎(2350m)→三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平小屋(2285m)2008/8/15(金)鏡平小屋(2285m)→弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map9緑の部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は鏡平小屋(30° pm1:30 GPS:Google Earth 地名=新穂高温泉 スケッチpoint 36.331625,137.583753 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°19′53.85" N,137°35'1.51" E))下の絵は鏡平小屋大ステージから(35° pm5:30 GPS:Google Earth 地名=新穂高温泉 スケッチpoint 36.331625,137.583753 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°19′53.85" N,137°35'1.51" E))今回の「5分間スケッチ」では、透明水彩絵の具(50色)を使用。パレット2個に予め入れておいたが、途中無くなった場合は、3原色から調合。水、鉛筆、筆、スケッチブックという5点セットをリュックに入れて持ち運んだ。水彩用の水は飲料水としても使用した。常にスケッチか、生命線かの戦いであったが、スケッチを優先した。岩場ではパレットを水平線を保つのに石などを支えにして水平線を保つようにした。また、消しゴムはもたず、一発勝負とした。これは5分間をkeepするためには、必須。水彩が乾かない場合は、乾くまで手で運んだ。乾いた頃を見計らってリュックに仕舞った。Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 31, 2008
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鏡平_story(1329) 2008.8.30 本日1日で2日分(今回ですと、第24弾、第25弾、絵で言いますと合計4枚分)を更新し、昨日日時(20080831)に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第24弾。(次の日記第25弾(完遂編)もご覧下さい631m up-696m down第8日目 (2008.8.14(木))町田の母娘の今日の目的地は三俣山荘または双六小屋であり、5時間のコースである。ゆっくり朝寝をしてから出発みたいだ。このように1日5時間と決めておけば、ゆっくり高山植物を鑑賞できるはずだ。そのせいか草花に大変詳しい。チングルマなどは、カタカナで覚えず、「稚児車」と漢字にすると覚えやすいと言っていた。小屋周りの高山植物では、ハクサンイチゲ「白山一華」という5弁花の白い花がもっと多かった。さて、午前5時、日が明けているのに外は真っ暗である。濃霧で何も見えない。4時前に出かけた人もいるが、ライトを点けても真っ暗闇であった。鏡平小屋前から雨が降り続く。鏡池に渡された橋が登山道。この登山道を300m登れば弓折岳分岐へこちらも鏡平まで6時間のコースであるため朝寝をしてガスが晴れるのを待つことにした。しかしながら、いつまでも暗いままである。しびれれを切らして、三俣蓮華岳の登攀を開始したが、5m先が見えない。黒部乗越(のっこし)から三俣山荘までは巻き道がありお花畑を堪能できる筈だ。この巻き道をとって三俣山荘に行くと鳴ると、ランチメニューで有名な「ビーフシチュー」が食べられるが到着予定が9時えでゃ時間が早すぎる。今回はパスし、三俣蓮華岳→双六岳と稜線を行く。双六小屋に到着したが、この赤い小屋の屋根も5mまで近づかないと分らなかったほど依然として濃霧。この濃霧のなかで、昼ごはんの1/3を食す。午前10時である。この小屋に3日前に乾燥室に忘れた靴下を探しに行く。片割れしか残っていず、残念。玄関先では、これからの行動を躊躇している人など多数。鏡平から登ってきた登山者も到着しており、悪天候にためここで泊まるという。1人の男性。溢れんばかりのピーナツを奥さんの手に入れる。奥さんからピーナツを分けてもらいここでも話が弾む。小一時間ほど談笑。10:45 双六小屋出発。弓折分岐まで下りる。途中平らな湿原がある。雪田花見平である。こ高山植物が咲き乱れていた。弓折分岐に、ほどよい休憩場所があった。下から、30人ほどの中高年パーティーが登ってくる。この弓折岳分岐から鏡平まではきれいなスロープが槍ヶ岳山頂から見えていた。斜面のお花畑を直線状に1回曲がっただけで降りれると映っていただ、実際は潅木のなか、岩の道など多種多様の下り坂であった。明日、再度ここを登ってこなければならない。鏡平という名前に惹かれての宿泊地である。山荘の前の池に映る槍ヶ岳が名物えではあるがこの天気では望むらくも無い。13;00山荘到着。タイミングがよかった。大雨が降り出した。万事休すか?立派な山荘で食堂が談話室にもなっており、ここでもラーメンを注文しつつ、雨の合間にベランダでスケッチ。夕刻、少し晴れた。カメラマン達がダッシュしていた。下り方向にさらに大きな池があり、大きな展望ステージがしつらえてあった。おそらく、この場所が槍ヶ岳を写す、好適地だったのであろうか。こちらも雨の中を急いでスケッチ。鏡平小屋の大ステージから夕食前の一瞬、晴れ間がのぞいた。カメラマンがダッシュするので、追いかけると大展望台。たたみ20畳はあろうかと思われる木の台。晴れていれば池に槍ヶ岳、穂高連峰が映るはず。スケッチしている間にまた大雨が降ってきた。続く(次が 完結編)。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)高天原山荘(2150m)→大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→太郎平小屋→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)黒部五郎小舎(2350m)→三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平小屋(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map8最初の部分は少し途切れていますが前日に続きます。緑の部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は鏡平小屋(30° pm1:30 GPS:Google Earth 地名=新穂高温泉 スケッチpoint 36.331625,137.583753 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°19′53.85" N,137°35'1.51" E))下の絵は鏡平小屋大ステージから(35° pm5:30 GPS:Google Earth 地名=新穂高温泉 スケッチpoint 36.331625,137.583753 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°19′53.85" N,137°35'1.51" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 30, 2008
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黒部五郎小舎_story(1328) 2008.8.29 本日1日で3日分(今回ですと、第21弾、第22弾、第23弾、絵で言いますと合計5枚分)を更新し、現在日時に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第23弾。(前の日記第21、22弾もご覧下さい)955m up-1306m down第7日目 その3(2008.8.13(水))黒部五郎小舎の到着は1時40分。相当時間があるため小舎前のベンチでラーメンをすすったり、生ビールを飲んだりした。テン場の女性が美味しそうに丸太に腰掛け、ジョッキを傾けていた。黒部五郎小舎前の絶景黒部五郎岳から五郎カールを抜けると黒部五郎小舎。小屋前は、五郎平よ呼ばれる斜面。正面は黒部五郎岳から東に伸びる峰:雷岩。そこへ、テント生活の予定が、どこかで食料を置き忘れてきたため、「何のためにテントを運んでいるのか意味が分らなくなった」と嘆く青年(勤めは府中であるという)が到着。また、五郎カールの方向から、母娘の2人のパーティーが到着。青年:食料は忘れたが、テント生活で出たゴミの大きな包みは持っている。と、さらに嘆く。これには全員拍手。女性は、デパートで婦人服売り場に勤めるという。職業柄、客サービスの観点から、北アルプスの小屋でのサービスぶりは徹底したものであると評価する。業界用語で「今度のエーダブはパープルだ(最下段に注)」ということも教わる。なにやかやと賑やかに談笑するすること3時間。この母娘は登山の大ベテランであり、小さいときから娘の手をつないで登っていたという。北アルプスにものすごく詳しい。町田に住むという。勤めが府中の男性と、この町田パーティとは意気投合し、夕食後も語りあかすことになった。夜半大雨。濃霧。天気がよかった今回の旅はこの夜を境に一変。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)高天原山荘(2150m)→大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→太郎平小屋→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map7緑の最後の部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:絵は黒部五郎小舎(300° pm2:57 GPS:Google Earth 地名=黒部五郎岳 スケッチpoint 36.392864,137.539511 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°23′34.31" N,137°32'22,24" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)エーダブはパープル:「A・W(autum & winter)は紫」。訳・・こんどの秋・冬物はオートクチュールなどのファッション界の動向から「紫色」が流行よ。
Aug 29, 2008
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黒部五郎岳、五郎カール_story(1327) 2008.8.28 本日1日で3日分(今回ですと、第21弾、第22弾、第23弾、絵で言いますと合計5枚分)を更新し、現在日時に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第22弾。(前の日記第21弾、次の日記23弾もご覧下さい955m up-1306m down第7日目 その2(2008.8.13(水))黒部五郎岳はその容姿の美しさから絶大な人気を博する山である。全国から来た人々が頂上にいた。ほとんどは、頂上まであと51mの「五郎カール分岐点」ににリュックを置いての手ぶら登山である。稜線をいく場合は山頂から東に峰を降りるため、リュック持参が必要である。こちらはいろんな道具が入っているので、リュックを置くわけにはいかずゴツゴツとした岩場を登山。稜線を下ってもよいが、恐ろしい形相となっていたため、五郎カールを行く一般コースを取った。さて、山頂では、三角点に腰掛けている男性もいたが、すぐどいてもらった。この三角点を探す人も多いためだ。総勢50名ほどの山口県人が賑やかに登ってきた。その中に、案の定「三角点崇拝者」のような方がおられ、この石に額を合わせていた。この方はもう死にそうなほど疲れ切っていたが、三角点を見たとたん、「もとに戻った!」と全員安堵の様子。もう信仰心である。黒部五郎岳山頂から五郎カールを見下ろす箱庭のように五郎カールが眼下に広がる。正面は、三俣蓮華岳、右側は、笠ヶ岳。遠くに、今日の目的地、黒部五郎小舎。お花畑が続いているようで、明るい道が黒部五郎小舎まで続いている。実際は見たほど楽な道でもなかったが。五郎カールから黒部五郎岳を見上げる五郎カールまでの急斜面を降りると雪渓があり清水を供給してくれている。水場である。たくさんの花が咲き乱れ、別天地という情景。実際は黒部源流までの600mを、「五郎沢」とし沢の流れが集まている。大きな岩もごろごろする大斜面で、気を付けないと道を迷ってしまう危険地域でもある。濃霧の場合はここを通らず、稜線を行けとある。蛇行する道ながら、カールを行く場合は、1時間40分。直線ルートである稜線の場合は2時間というので、いかに稜線が歩きづらいか想像できる。次回はこの稜線を行ってみたい気持ちもあるが。天気がよかった今回の旅はこの夜を境に一変。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)高天原山荘(2150m)→大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→太郎平小屋→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map7緑の最初が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は黒部五郎岳から三俣蓮華岳を望む(120° am11:14 GPS:Google Earth 地名=黒部五郎岳 スケッチpoint 36.392864,137.539511 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°23′34.31" N,137°32'22,24" E))下の絵は五郎カールから黒部五郎岳(240°pm12:00 GPS:Google Earth 地名=黒部五郎岳 スケッチpoint 36.393578,137.546386 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°23′36.88" N,137°32'46.99" E))pmGoogle Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 28, 2008
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赤木岳、黒部五郎岳_story(1326) 2008.8.27 高山市に行っていました。本日1日で3日分(今回ですと、第21弾、第22弾、第23弾、絵で言いますと合計5枚分)を更新し、現在日時に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第21弾。(次の日記第22,23弾もご覧下さい)955m up-1306m down第7日目 その1(2008.8.13(水))朝4:00から薬師岳登頂を開始。ガレ場をジグザグに上がっていく。ヘッドランプの単光では道が分からないため、scanするように横に振りながら、道を探していく。こういうときは集団行動が便利だ。頂上付近では幾通りも道があり、岩場にとり付いてしまったが、正しくは岩場を下のほうで巻くことが必要であった。なかな難渋するものである。それでも、4:30頂上到着。4:45空に裂け目が出来、少し赤みを帯びだす。雲が下にかかっているようだ。山頂のご来光もいいが、何回も見てきているので、今回はそのまま下山することにした。大勢が上がってきたが、かまわず山荘に急ぐ。昨日スケッチしてあった薬師岳なので、それを反芻するように真夜中の行程と、白み始めた景色から逆に山荘を見下ろす形で往復した行程との両方を楽しんだ。薬師岳山荘下から黒部五郎岳手前が薬師平。ここから下り坂は大きく右に巻く。中段は、薬師峠を上がり、太郎平、太郎山(2372.9m)を経由して最初に取り付く山:北ノ俣岳(上ノ岳:2661.2m)である。尖った山が、赤木岳(2622m)で、ピークは巻くようになっている。左の谷筋が黒部源流ー奥の回廊である。赤木沢、薬師沢、などからの水量を集め薬師岳東で川幅が太くなり、下ノ廊下を経て黒部湖に注ぐ。読売新道は、平の渡場から湖の端を渡り、黒部湖左岸を延々3時間も歩いて黒部ダムに至る。帰ると大阪のおじさんなど食事中であった。一足先に黒部五郎岳目指して出発することにしたが、歩き出して間もない所で、絶景に出会ってしまった。先は急げども、道端でスケッチ。この間に、折立にいくパーティ4人が通過した。「おっ。描いているネ!」という挨拶。すぐ追い越すことになるものの、「お先にどうぞ!」。こういう挨拶を、北アルプスでは何回したことだろう。赤木岳から黒部五郎岳その赤木岳には8:47に到着。上の絵との間に3時間が経過している。チングルマのお花畑など、たくさんの高山植物群を見れる快適な高原の旅である。アルプスでもハイキングのような行程を楽しめる空間であった。いよいよ、黒部五郎岳が迫ってきた。ここまでくれば頂上までのジグザグの道が見えるほどだ。標高差240m。ジグザグの数は150。1回の曲がりで、1.6m登っていく勘定であり、だれしも機関車のようには登れず、全員ハーハゼーゼー、休憩を余儀なくされていた。ハイマツの麓で、兎と亀の物語の逆であるが、多少サボって寝ておいよかった。ジグザグ数を数えながら、快調に飛ばしたが、悪かったかしら。 続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)高天原山荘(2150m)→大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→太郎平小屋→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map7緑の最初が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は薬師岳山荘下から黒部五郎岳を望む(180°am5:53 GPS:Google Earth 地名=薬師岳 スケッチpoint 36.459417,137.532533 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°27′33.9" N,137°31'57.12" E))下の絵は赤木岳から黒部五郎岳(140° am8:47 GPS:Google Earth 地名=薬師岳 スケッチpoint 36.409808,137.516842 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°24′35.31" N,137°31'0.63" E))pmGoogle Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 27, 2008
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薬師岳山荘_story(1325) 2008.8.26 本日1日で4日分(今回ですと、第17弾、第18弾、第19弾、第20弾 絵で言いますと合計8枚分)の過去日記を更新しやっと、現在日時に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第20弾。(前の日記第17、18、19弾もご覧下さい985m up-418m down第6日目 その2(2008.8.12(火))薬師沢出合には立派な吊橋が渡され、薬師沢小屋が水を提供していた。川にせり出した場所で一時の休憩を味わう。しかしながら、ここに来て、430mの登りと5kmほどの道程は厳しかった。もう足が一歩も進まないのである。ここで東京マラソン2008のラストスパートを思い出した。感謝して走りきった思い出である。一人で北アルプスを登るって、1人ではできないことだ。偉ぶるな!思いつくすべての人に、声を出して感謝せねば!山荘からの夕陽家人、子供たち、職場の同僚、恩師 200名ほどを4回くらいのサイクルで段差1つに付き、感謝しながら歩くことにした。1ステップ50cmとして800段分400m登れる勘定だ。10回に1回は家人に感謝することも忘れてはならない。いちにい、さん・・・・・・・何と元気がわくではないか。し、ご、ろく・・・・元気がわいてきたぞ。これを無限に繰り返していく間に、疲れも取れ、もうリュックを背負いながら、太郎平を走っていたくらいだ。12時ジャストに太郎平小屋。ここで大休止。弁当とカップラーメンを食し、さらに400mのupと48mのdownが待っている。薬師岳への登りである。これはさらにきつい。傾斜30度ほどの沢登りが続く。石段にたとえれば、1段1mもろうかと思えるほどの激しい登りである。薬師岳山荘に2時到着。よくがんばったものでる。感謝の気持ちがなければここまでこれなかったであろう。薬師岳登頂は明日にし、今日はこれにて終了。薬師岳山荘から薬師岳右はケルン。このあたり大きなケルンが多い。昭和38年の愛知大学の遭難碑もこのうち一つである。もう時間は4時48分である。お遍路のような格好をした2人が降りてきた。あとで知ったがこの2人、69歳と67歳の行き擦りである。一方は大阪・西成区の出身。将来、北鎌尾根から槍ヶ岳頂上に「ニュッと出現し人を驚かせる」ことを目指す、4人娘の父親。薬師岳山頂で家に電話したら、かみさんが、「お盆で忙しいときに暢気に山登りか?」と一喝されて予定を変更し、明日折立から帰るという。もう一方、花にはめっぽう詳しいが、この大阪人と意気投合し、おなじく折立から下山するという。遅れて到着した青年も天気が悪くなるという情報にこれも明日、折立から下山だ。上の2人と薬師岳の五色ヶ原からいっしょの女性2人、合わせて4人と夕食後、大いに語ることとなった。大阪人は、夕食時、梅干を20個ほど平らげたものの、種という証拠が残ることきらって、もう一方の方が席を立った隙に、その人の皿に種の大半を入れるというちゃめっ気ぶりである。女性2人は高知県 四万十川から来たという。お汁粉とビールをおごってもらって大いにしゃべる。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)高天原山荘(2150m)→大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→太郎平小屋→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080811_map.jpg north-ALPS map5今回の北アルプス縦走map6緑の最上部が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は薬師岳山荘から夕陽(326° pm4:55-6:20 GPS:Google Earth 地名=薬師岳 スケッチpoint 36.460522,137.536317 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°27′37.88" N,137°32'10.74" E))下の絵は薬師岳山荘から薬師岳(100° pm4:48 GPS:Google Earth 地名=薬師岳 スケッチpoint 36.460522,137.536317 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°27′37.88" N,137°32'10.74" E))pmGoogle Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 26, 2008
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黒部川峡谷-大東新道_story(1324) 2008.8.25 本日1日で4日分(今回ですと、第17弾、第18弾、第19弾、第20弾 絵で言いますと合計8枚分)の過去日記を更新しやっと、現在日時に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第19弾。(前の日記第17、18弾、次の日記20弾もご覧下さい985m up-418m down第6日目 その1(2008.8.12(火))高天原山荘から薬師沢へは、2つのルートがある。高天原山荘から、高天原峠までは同じであるが、雲ノ平まで一旦上がり、薬師沢に下りる山コースと、黒部川沿いに遡上し、薬師沢へ向かう沢コース。前の日の夕食のテーブルでもこの見解は人により分かれる。高天原温泉によく来るという女性アルピニストは沢沿いが断然よいと明言。テーピングのテープをくれた、大きなヘッドランプを頭につけた典型的A型男性は、山ルートが一番であるという。今回はスリル満点という「沢コース:大東新道」を行くことにした。これが難行苦行の始まりであった。B沢付近A,B,C,D,E沢を含め黒部川に降りるためには、無数の沢を横断していかなければならない。そのもっとも大きい沢がA,B沢で、大絶壁から滝が流れ落ちる場所が沢の始まりとなっており、パックリと切り裂かれたような幅100mにも及ぶ沢を渡渉しなければならない。A沢付近A沢を渡った場所からこのような黒部川の景観となり、川を遡上していく。川の淵なるものは、絶景としてみるだけで十分である。ところがこの沢コースは違う。この絶壁に、クサリが仕掛けられ、カニのように横ばいしながら進めという。岩の割れ目を探し、歩を進めるも、眼下にあるのは大きなイワナが棲むという深い淵である。岩と清流のみコースに、孤高の1人。万事窮す。どこを行ってよいかがわかない。漸く、丸いペンキを見つける。こういう苦戦を強いられるコースが延々と6kmも続くことを想像せよ。西に蛇行しているはずであるため、人の影が真西に落ちるはずなのに、どこまで行っても、影が自分の前にある。まだまだ回り込まなければならいのである。この沢コースで会った人たちのほとんどは、釣り人であった。薬師沢小屋の宿泊の半分が釣り人であるという。薬師沢小屋で母息子の2人連れに会った。30年もこの大東新道を歩くことを夢に思っていたという母親である。つれてきた青年は、お母さんの護衛であった。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)高天原山荘(2150m)→大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→太郎平小屋→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080811_map.jpg north-ALPS map5今回の北アルプス縦走map6緑の最上部が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は大東新道-B沢(290° am7:50 GPS:Google Earth 地名=takamagahara-hot-spring スケッチpoint 36.431803,137.562847 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°25′54.49" N,137°33'46.25" E))下の絵は大東新道-A沢(100° am8:22 GPS:Google Earth 地名=takamagahara-hot-spring スケッチpoint 36.431244,137.558711 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°25′52.48" N,137°33'31.36" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 25, 2008
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高天原温泉_story(1323) 2008.8.24 本日1日で4日分(今回ですと、第17弾、第18弾、第19弾、第20弾 絵で言いますと合計8枚分)の過去日記を更新しやっと、現在日時に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第18弾。(前の日記第17弾、次の日記19,20弾もご覧下さい531m up-1325m down第5日目 その4(2008.8.11(月))ついに秘湯 高天原温泉にやってきた。高天原山荘到着は2時20分。相当飛ばしたことになる。スイス庭園から見えていたとはいえ、登山道から逆にスイス庭園を見上げつつ、地獄に落ちるような下降で、どこまでも谷を下る。落差550mというのは相当の下りを覚悟せねばならず、中間の水晶池で音を上げてしまいそうであった。高天原温泉遠い遠い道のりをなんでこんなにまでして温泉に行くのか? という疑問がわくほどだ。高天原山荘は高天原という湿地帯に木道を渡して、たどり着ける別天地。森に突然、出現するお城のような感じ。しかし、屋根が真ん中で湾曲している不思議な構造体。受付にあった本棚が柱から20度ほど傾いて、10cmばかりの隙間が出来ていた。寝床も、5度ほど傾き、どちらかへ転がり落ちることは必至。気を取り直して、1kmも離れている高天原温泉へと喜々として向かう。温泉! 何日ぶりかのお風呂である。温泉沢という水晶岳の温泉頭から伸びる谷筋にあり、混浴と女子風呂(暖かい)(冷たい)の3つの小屋が川沿いにあった。川でも五右衛門風呂のような釜が2つ。川は木を渡した橋が架けられている。岩がごろごろした、沢の湯といった感じである。ごえもん風呂でくつろぎ、川ですべての服を洗い、ゆっくりしていると、男女4人の若者が、風呂に入ってきた。こっちは、ちびまる子ちゃんのタオル1枚。向こうは、海水パンツを着ている。この5人で、なんと2時間も温泉につかったり、おしゃべりをしたり、写真を撮ってあげたり川にもぐったりと、愉快にはしゃいだことか。彼らは、アウトドア派で、黒部川源流を釣りをしながら下ってきたようで、温泉にはいるため高天原山荘に泊まるのだという。川は冷水とはいえ、26度くらいの水温のため十分楽しめた。素もぐりしては、温泉に飛び込み、裸で絵を描いては、温泉に飛び込み、川で泳ぎ・・・と何時間でもこのままでいたかった。なかのよい2人をスケッチに入れながら、高天原山荘前の夕焼けさて、にぎやかな夕食も終わり就寝までの時間はこの世の天国である。思い思いに、山荘前のテラスでくつろぐのだ。ここで、驚いたことにスケッチブックを包んでいた包装紙は「Tokyo Marathon 2008」という「東京マラソン2008」の文字が刻印されてあったが、これを目ざとく見つけた先ほどの青年たちが、「僕も出ました」「私も出ました」というではないか。この袋を見てこう叫ぶ人たちが北アルプスでは多い。ということは、よほどの健脚の持ち主達がこのアルプスに集まっていることになる。都心では考えられないことだろう。そういう人たちが集まる場所でもあるということか。逆に言うと、何も訓練もせずいきなり3000m級の山に入る「百名山 詣でのご老人たち」は、むしろ遭難の危険をはらんではいないだろうか。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080811_map.jpg north-ALPS map5今回の北アルプス縦走map5緑の最上部が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は高天原温泉(0° pm4:03 GPS:Google Earth 地名=takamagahara-hot-spring スケッチpoint 36.442617,137.585281 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°26′33.42" N,137°35'7.01" E))下の絵は高天原山荘から高天原の夕焼け(100° pm6:56 GPS:Google Earth 地名=雲ノ平 スケッチpoint 36.438839,137.585781 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°26′19.82" N,137°35'8.81" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 24, 2008
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祖父岳の雷鳥_story(1322) 2008.8.23 本日1日で4日分(今回ですと、第17弾、第18弾、第19弾、第20弾 絵で言いますと合計8枚分)の過去日記を更新しやっと、現在日時に到達しました。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第17弾。(次の日記、第18、19,20弾もご覧下さい531m up-1325m down第5日目 その3(2008.8.11(月))溶岩台地である、日本最大級の高原 雲ノ平を散策している。木道がどこまでも伸び気持ちがよい。はい松と溶岩、雪渓のみの台地(平均標高2500m)であるが、起伏は相当なものである。ここに2825mの祖父岳(じいだけ)と、2463.9mの祖母岳(ばばだけ)がポコポコと対峙し、なにか別世界に迷い込んだようだ。雪渓の傾斜を横断すると、祖父岳の登りとなる。300mの登りでもピタリと足が止まる。もう何十時間も歩いてきているので、登りは身体が拒絶反応を示すようだ。頂上では雷鳥一家が出迎えてくれた。祖父岳頂上の雷鳥と水晶岳なだらかな頂上は弁当を広げるのに好適地。イ草科の草の穂をついばむ雷鳥。雄は赤い飾りがある。雛はピヨピヨとかわいい声を出す。親鳥はクークーといいながら、しきりに食事。登山者には一向に気にかけない。この景色(百名山ー水晶岳)を独り占めにしている感じだ。さて、祖父岳を東に下り、最初にあった岩苔分岐にたどり着く。祖父岳一周に5時間もかかった。アラスカ庭園などは将来の宿題となったが、雲ノ平の2/3は散策した感じである。岩苔乗越(2700m)から、高天原山荘(2150m)まで550mも長大な下りは、岩苔小谷という沢筋を5kmも下る。所要時間3時間という時間にあせった。なにせ温泉好きの小生にしては夕食までの時間に、2時間以上は入りたい。山荘までの往復に1時間は要するほど温泉がさらに離れたところにある。急がねば・・・・岩苔小谷のお花畑しかし、美しいお花畑があり、斜面と遠く薬師岳の東南稜が見えた。東南稜は、迷い峰で、昭和38年1月(サンパチ豪雪)に愛知大学パーティ13名全員が薬師岳登頂後の帰り、この峰に迷い込み全員遭難した場所である。時代と季節をいくつも越えた、感無量の光景だ。突然草むらから登ってくる登山者に出会った。急がねば・・・。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原山荘→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080811_map.jpg north-ALPS map5今回の北アルプス縦走map5緑の途中のまるい箇所に続く直線部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は祖父岳山頂の雷鳥と水晶岳(38° am11:11 GPS:Google Earth 地名=雲ノ平 スケッチpoint 36.410833,137.590689 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°24′39.00" N,137°35'26.48" E))下の絵は岩苔乗越から岩苔小谷を下るーお花畑(0° pm12:36 GPS:Google Earth 地名=雲ノ平 スケッチpoint 36.422581,137.594669 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°25′21.29" N,137°35'40.81" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 23, 2008
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日本最後の秘境 雲ノ平へ_story(1321) 2008.8.22 1日で2日分(今回ですと、第15弾、第16弾、絵で言いますと合計4枚分)の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第16弾。(前の日記、第15弾もご覧下さい531m up-1325m down第5日目 その2(2008.8.11(月))黒部川源流標から黒部川源流を渡渉し、雲ノ平にとりつく。280mも壮烈な登りであり。ジグザグ道を振り返ると、三俣山荘がある高台の向こうに槍ヶ岳がせりあがっていくのが見える。世界遺産モンサンミッシェルのように大平原から顔をのぞかせて行く。見事な演出である。登り切ると、祖父岳(じいがだけ)を西に巻く形で岩がゴロゴロとした中に雪渓があり、「日本庭園」を呈する。雲ノ平(日本庭園)南に雄大な、三俣蓮華岳(2841m)。なだらかな山で雪渓を沢山残す。手前の雲の平と、三俣蓮華岳の間に400mの切れ込みで黒部川源流が流れる。左後方に穂高岳連峰が眺望できる。雲ノ平山荘は高原の中の広々とした台地に建つ。スイス庭園、ギリシャ庭園、アラスカ庭園が、雲ノ平山荘の周囲に点在する。庭園の名前を決めるのは、この付近の景観である。スイス庭園は、眼下に広がる景色に針葉樹林があり、水晶岳が聳えるというスイス的景観。あとは似たり寄ったりだが、カメラマンも同じような景色に何度もシャッターを押したようで苦笑していた。スイス庭園はあまりに遠く、向かってくるパーティーに聞いたところ、これから向かうのだと。おかしい、逆ではないかと思ったが、この勘違いがあるほど、沢山の庭園群である。本日目的地の高天原山荘が眼下である。雲ノ平-スイス庭園から高天原山荘、温泉の方向直線で3km先の山荘であるが、この谷筋源流まで戻り、再び戻るという、壮烈な旅が待っていた。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲ノ平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080811_map.jpg north-ALPS map5今回の北アルプス縦走map5緑の途中の部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は雲ノ平(日本庭園)から三俣蓮華岳(186° am8:50 GPS:Google Earth 地名=雲ノ平山荘 スケッチpoint 36.410244,137.580175 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°24′36.88" N,137°34'48.63" E))下の絵は黒部川源流標より上流方向(320° am9:52 GPS:Google Earth 地名=雲ノ平山荘 スケッチpoint 36.423458,137.580964 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°25′24.45" N,137°34'51.47" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 22, 2008
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黒部川源流へ_story(1320) 2008.8.21 1日で2日分(今回ですと、第15弾、第16弾、絵で言いますと合計4枚分)の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第15弾。(次の日記、第16弾もご覧下さい531m up-1325m down第5日目 その1(2008.8.11(月))双六小屋の夜はすごかった。なにせ布団数40程度のところへ90名程度の宿泊客であったため、食堂や乾燥室、土間などあらゆる場所で、ぎゅうぎゅう詰めの状態。屋根裏部屋は酸欠状態で、天窓を開けると満天の空。午前3時には窮屈な小屋を出て外で過ごすことにした。朝焼けまでの2時間の変化を見るためである。標高2900mで真東に向いている小屋なので、目線より低く真砂岳(2862m)、目線と同じ高さに野口五郎岳(2924.3m)などの連山の上の広い空が白んでいく。トイレも2つしかないため、90名がトイレに殺到するとすると、1人3分でも全部済ますのに、2時間15分かかるという計算のため、午前3時起床がbest。昨日時間があったので、スケッチブックには、説明書きを沢山追加した。紙芝居のように旅を物語る厚さとなっていたからだ。一回見ただけで、これを奥さんに説明していく人もおられ、恐縮した。水晶小屋から硫黄尾根と槍ヶ岳大キレットも牙をむいているように切れ込んでいる。槍ヶ岳から西鎌尾根を経由して双六小屋にいく途中に、この硫黄尾根がT字路でぶつかる場所がある。硫黄乗越である。赤い土肌が溶けるように、両方の谷に流れ落ちている様は恐ろしいばかりである。硫黄の匂いもきつかった。この山脈を描く機会を狙っていたが、水晶小屋から北西側の威容が眺められた。絵を描こうとしたが、まだ時間が早いため、朝日がなかなか峰に降り注がないため、黒々としている。出発を遅らせ、広々とした部屋で一眠り。高天原温泉への行程では時間的に余裕があるため、黒部川源流から日本最後の秘境と言われる「雲ノ平」へ登り、いろんな庭園を一周し祖父岳(じいだけ)を登ってから温泉へ行くことにした。「黒部川源流」という、あこがれの名称は、分岐点にある「黒部川源流標」。ほんとうに一滴がポツンと落ちる場所は、黒部川源頭のワリモ岳の雪渓の上部。ここが一番高く、遠いpointである。雪渓下部で水を汲んでみたが、なにか藻のようなものが浮いていた。「黒部川源流標」までは黒部川源流の右岸のなだらかな草原を下るいくという感じですこぶる気持ちがよい。標識のところで、岩場に居る人に声をかけると、岩魚釣りをするという釣り人であった。ここは釣りのメッカとしても秘境である。黒部川源流標から、黒部川上流雪渓が続く谷間に黒部川源流が流れる。ワリモ岳、鷲羽岳、祖父岳や三俣蓮華岳、黒部五郎岳からの沢山の渓谷を集めてどんどん水流が増していく川である。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)水晶小屋(2900m)→黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいだけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080811_map.jpg north-ALPS map5今回の北アルプス縦走map5緑の最初の部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は水晶小屋から硫黄尾根(164° am6:42 GPS:Google Earth 地名=水晶岳 スケッチpoint 36.419356,137.608278 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°25′9.68" N,137°36'29.8" E))下の絵は黒部川源流標より上流方向(10° am7:51 GPS:Google Earth 地名=水晶岳 スケッチpoint 36.400322,137.591019 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°24′1.16" N,137°35'27.67" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 21, 2008
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水晶岳山頂へ_story(1319) 2008.8.20 1日で2日分(今回ですと、第13弾、第14弾、絵で言いますと合計4枚分)の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第14弾。(前の日記、第13弾もご覧下さい736mup-381mdown第4日目 その3(2008.8.10(日))午前中に水晶小屋に到着してしまった。カップラーメンとお汁粉を注文して、小屋の前の空き地で食す。カレーは夕食のメニューであることも知る。昨年4月9日、水晶小屋管理人夫婦や建設会社社員などを乗せたヘリコプターが墜落し、不幸にもお二人が亡くなられている。今は若い後継者だろうか、昨年新装になったピカピカの山小屋できびきびと働いてておられた。アルバイトの女性もすこぶる明るい。この小屋は、読売新道、真砂岳を通る裏銀座、野口五郎→烏帽子岳にいくルートや、水晶岳往復のピストンなどやはり百名山の水晶岳への主要なルートに位置する標高2900mという高い位置にある小屋で宿泊のベースに選ぶと登山客で、超満員である。夕食のカレーは本格的なもので、おいしく何回もお代わりをした。ただし就寝にあたっては、小さな布団に2人寝るという窮屈さを強いるため、エコニミー症候群、寝不足という悪夢を厭わなければ泊まってもよし。水晶小屋の稜線から水晶岳山というのは遠くから見ていても近づくと全く違う様子。水晶岳の頂上付近は大きな山の塊がごつごつ折り重なり、容易に人を寄せ付けない。後方、赤い峰の「赤牛岳」を経由する読売新道は7時間の長い下りの道。手前の2人はrunningマラソン中の夫婦。こんなことろを走るのか?というと平坦なところで足元が良いと走るのだと言う。描いてくれというので、絵に書き入れる。笑顔で走り去られた。鷲羽岳山頂からワリモ岳、水晶岳山頂には「・・ケン」という語尾を話す、山口県の人が多い。広島、山口には高い山がないからなのか、北アルプスで最も多い県民である。面白い一群がいた。ピストンなので、小さなリュックを背負っていたが、これが「聖岳小屋」という黄色いザックであったが、いくらで買った?という質問。絵も5分で描くというと、計るから描けという。結局この一団のリーダを画用紙に入れた。この方々もこれから7時間の読売新道に下ると言う。間に合う?無事だったろうか。どこかで野宿かもしれない。中央の高原は日本最後の秘境と言われる熔岩台地の高原:雲ノ平。続く。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map4緑の最終部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は水晶岳間近から水晶岳(0° pm12:45 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.420708,137.607111 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°25′14.55" N,137°36'25.60" E))下の絵は水晶岳頂上より雲の平(240° pm1:32 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.4231893,137.605761 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°25′23.46" N,137°20.74" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 20, 2008
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鷲羽岳山頂へ_story(1318) 2008.8.19 1日で2日分(今回ですと、第13弾、第14弾、絵で言いますと合計4枚分))の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第13弾。(次の日記、第14弾もご覧下さい736m up-381m down第4日目 その2(2008.8.10(日))三俣蓮華岳の「三俣」は、富山県、岐阜県、長野県の3つの県境に位置する山である。この頂上は帰りのコースで極める予定なので、今回は巻き道を通ることにした。しかしながら、山稜とは違い、お花畑などの非常に景色のよいほぼ水平線(実際は50-100mの起伏がありきついup-downであるが)概ね気持ちがよいコースであった。稜線を行くパーティのお喋りが聞こえてくるほど稜線も近いが。さて、いよいよ三俣山荘が見えてきた。キャンプ場に一気に降りる山道にかかった。ここを行き来するいくつかのパーティ(老人パーティーが多いがたまに大学生パーティーも混じる)が息を荒げながら、岩石の道をあがってくる。急坂でパレットを広げるのも憚れるが鷲羽岳を描きたいと思いスケッチ休憩することにした。三俣山荘が見える坂道から鷲羽岳見る角度により鷲が羽根を広げる形に見える鷲羽岳。どっしりとした百名山である。ジグザグの登山道が見える。374mの相当の登りとなる。5歩登って、10秒休みという連続技が必要となる登りである。右に見える山は真砂岳(2862m)、野口五郎岳(2924.3m)(「五郎」というゴーロという意味の岩場を意味する)左の黒い山が黒岳という別名もある名山「水晶岳」。鷲羽岳山頂からワリモ岳、水晶岳鷲羽岳はさすがに百名山。山頂は鈴なりの登山者。大学生の大パーティが休憩をとっていた。上のスケッチにあるなだらかな山頂風景は、実際は岩だらけの2942.2m峰である。高さで比較すると、甲斐駒ケ岳や、木曽駒ヶ岳の山頂とは変わらない高さである。手前中央が、ワリモ岳。カタカナの山名であるが割物岳とも書く。鷲羽岳の左の翼にあたる山である。左に落ち込む深い谷が、黒部川源流の流れである。中央特徴のある突起が水晶岳。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map4緑の中央部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は三俣蓮華岳下の巻き道より鷲羽岳(600° am9:05 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.390594,137.591061 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°23′26.14" N,137°35'27.82" E))下の絵は鷲羽岳頂上より水晶岳(0° am10:23 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.403058,137.604586 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°24′11.01" N,137°36'16.51" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 19, 2008
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双六小屋から鷲羽岳へ_story(1317) 2008.8.18 1日で2日分(今回ですと、第11弾、第12弾)の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第12弾。(前の日記、第11弾もご覧下さい双六山楽共和国第4日目 その1(2008.8.10(日))双六小屋は、水が豊富であり、周囲の系列の山小屋と「双六山楽共和国」を結成し、お弁当の包装などを共有している。黒部五郎小舎、鏡平山荘は双六小屋を中心として半径5km、わさび平小屋は鏡平山荘から5km南に存在し、いずれも水が豊富な鞍部か川沿いにある。双六小屋からのテン場と笠ヶ岳手前は双六池。遠くにS字にカーブを描いて稜線が続く。編笠の形をした笠ヶ岳が眺望できる。「どこからみても笠のように見える百名山」というのがうたい文句である。最終日にここまで登る予定であるが・・・。何と遠いことか。テント場(テン場)はアルプスの場合は指定地以外は禁止であり、ほとんどが山小屋の近くに張れる。深夜のランタンからもれる色とりどりがすばらしいと言っていたので、深夜に覗いてみたがぼんやりとした色で絵にはならななかった。朝、登山客がほとんで出払ってから、1人、キャンプ場をスケッチした。巻道ルートから槍ヶ岳Makimichi under mitumatarenge_dake Yarigatake 槍ヶ岳はどこからでも晴れていさえすればニョッキと三角帽を尖らせている。巻き道は雪渓とお花畑の楽園。なにも努力することなく、この楽園に辿り着ければよいが、直接でも1泊2日(7時間)の登攀が必要である。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)双六小屋(2545m)→鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map4緑の最初の部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は双六小屋より笠ヶ岳(220° am6:10 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.367972,137.600444 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°22′4.70" N,137°36'1.60" E))下の絵は丸山下巻き道から槍ヶ岳(130° am7:15 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.376636,137.598325 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°22′35.89" N,137°35'53.97" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 18, 2008
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樅沢岳(もみさわ)から双六小屋へ_story(1316) 2008.8.17 1日で2日分(今回ですと、第11弾、第12弾)の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第12弾。(次の日記、第12弾もご覧下さい槍ヶ岳の登攀を終え、3000m級の山から2800-2900m級の山へと移動する。第3日目 その4(2008.8.9(土))「緩急」、「天国と地獄」というような対立する2つの言葉で表現すると、いままでの行程は、、「急」で「激く」、「地獄」のような岩稜地帯であったが、これからは、おそらく「緩やかで」、「優しく」、「天国のような別天地」で「温泉もあり!」といった山旅となるであろう。期待に胸を躍らせつつ、千杖沢乗越(せんじょうざわのっこし)へと446mの壮烈な下りを降りる。浮き石が多く、「5cmたりとも落石(石の移動を含めて)を起こさない!」を鉄則に、慎重に歩を進める。西鎌尾根の最も西にある樅沢岳(もみざわ)から鷲羽岳西鎌尾根は、2683mピーク、左俣岳(2674.1m)、硫黄乗越(2600m)、樅沢岳(2754)などを含めて何十もあるピークの連続で、3時間の行程にも拘わらず、1時間もするともう着いたと思わせる終点のような景色がある。しかし、常に裏切られ、延々とこれが繰り返され、最も高い樅沢岳(2754)を越えた時点で双六小屋が見え、終点であるのを実感する。蒲田川の支流、左俣川の源頭となっている山が樅沢岳である。鷲羽岳(百名山の一つ)は、鷲が羽根を広げた形をした名山で、アルプス奥深く鎮座する。すれ違いの場合はとくに難しく、浮き石に足を置くことになりかねないため、安定した場所まで待ってもらうこともしばしばである。11時半というまだ速い時間、槍ヶ岳に雲がかかり始め、雷鳴が轟き始めた。槍ヶ岳登頂が間一髪であったこいとを感謝しながら下山を急いだ。雨具の用意をしつつ、ここで、宿から貰ってきた昼食を広げる。この昼食の食べ方は、一気に全部を食べるのではなく、午前10時、1/3食、午前11時残り1/2というように何回か分けて食べると、「損失エネルギーだけ補充する」という原則に則り都合がよい。赤青黄といったほぼ原色のリュックの色の一団が、これから進む方向に、進んでいくのが見える。小人5人衆といた感じに見えておもしろい。雷鳴がしているため相談のために立ち止まっては、進んでいるのか、歩むスピードは恐ろしく遅い。これを一気に抜き去る距離などを計算しつつ、おにぎりをほうばる。1人旅でも色々観察しながらの旅であるもありなかなか面白い。樅沢岳(もみざわ)より槍ヶ岳西側(六の沢、五の沢など無数の沢筋)精悍な槍ヶ岳である。雲も晴れ、再び槍ヶ岳の威容が見えた。樅沢岳(もみざわ)は槍ヶ岳best viewの一つで数多くのカメラマンがこの頂上をめざして双六小屋から登ってくる。雷鳥も多く生息し、みごとな山頂である。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じいがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080809_map.jpg north-ALPS map3今回の北アルプス縦走map3緑の最後の部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は樅沢岳(もみざわ)から鷲羽岳(0° pm2:01 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.366453,137.612314 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°21′59.23" N,137°36'44.33" E))下の絵は樅沢岳(もみざわ)から槍ヶ岳(126° pm2:31 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.366453,137.612314 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°21′59.23" N,137°36'44.33" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 17, 2008
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槍ヶ岳山頂_story(1315) 2008.8.16 1日で2日分の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第10弾。ついに槍ヶ岳 山頂。第3日目 その3(2008.8.9(土))好天に恵まれたため、360度すべてが見渡され快適であった。槍ヶ岳山頂から306°ーー西鎌尾根手前下が西鎌尾根(これから向かう峰である)右に小さく鏡平山荘奥が、薬師岳その手前が黒部五郎岳その手前が双六岳槍ヶ岳山頂から240°ーー笠ヶ岳方向の抜戸岳左に小さく鏡平山荘手前は槍ヶ岳山荘抜戸岳、弓折岳などの山岳が笠ヶ岳まで続く槍ヶ岳山頂から180°ーー前穂高岳方向手前は中岳、大喰岳中断は、北穂高岳、西穂高岳、南岳奥は、前穂高岳ほぼこの道のりをやってきたことになる。3日目の行程、up989m、down1514mのうち、槍ヶ岳は、up100m down100m。ところが梯子が5箇所くらいあるほぼ直登の上り下り一方通行のルートである。小槍(こやり)という岩峰も大きな岩の塊が天を突いている。ピストンのため槍ヶ岳山荘にリュックを置き、スケッチの道具と水のみを入れたナップザックを背負い登攀開始。はしごは斜めにかけるほどの生易しいものではなく、ほぼ垂直であるため足を踏み外したら、奈落のそこ。鎖や岩をよじ登るかしょなどミニアルペンルートと言ったところか。頂上は、10人くらいしか乗れないため、入れ替わり立ち代り交代していくようだ。北鎌尾根を登ってくる仲間とトランシーバで交信している人もいた。祠の裏からニューっと出てくる感じだそうだ。しかしながら到着まで、あと2時間はかかるという。待ちきれないため先に行くという交信をしていた。スケッチ人1人。ここに40分も居たが、居すぎだったろうか。岩稜のはじで落っこちそうな場所を確保したため迷惑にはならなかったはずだ。帰りは梯子にしがみつく人などが居て、渋滞していた。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じじがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080809_map.jpg north-ALPS map3今回の北アルプス縦走map3緑の途中部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は槍ヶ岳山頂から西鎌尾根(306° am9:33 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.342219,137.646450 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°20′31.99" N,137°38'47.22" E))中の絵は槍ヶ岳山頂から抜戸岳(240° am9:58 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.342219,137.646450 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°20′31.99" N,137°38'47.22" E))下の絵は槍ヶ岳山頂から前穂高岳(180° am10:18 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.342219,137.646450 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°20′31.99" N,137°38'47.22" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 16, 2008
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中岳、大喰岳(おおばみ)_story(1314) 2008.8.15 1日で2日分の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第9弾。いよいよ槍ヶ岳。第3日目 その2(2008.8.9(土))中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)とup-downを繰り返しながら高度を上げていく。大喰岳(おおばみ)から槍ヶ岳大喰岳山頂からは、飛騨乗越が真下に見え、槍平小屋までは岩礫の大斜面が続く。槍ヶ岳直下の槍ヶ岳山荘への最後の登りは、ジグザグの道である。スケッチでは登山する方向で絵を描くことが多く、「この道を行んだネ」と確認しながらの筆運びとなるため、実際には「さっき描いた部分だネ」と足で確認することとなる。小生にとっては、便利な道具である。中岳、大喰岳(おおばみ)あたりは、雪渓があちこち残っており、登山道はそこを巻くように付けられている。中岳下の雪渓は水場となっており、ここで喉のどを潤すことができる。実は、宿泊した南岳小屋は天水(雨水)であり、手洗い水としてはそれに消毒液を入れてあるため「飲まないでください。」と言われ、「ミネラル水は500cc300円」「天水は1L 100円」「最初の一本は宿泊者に限って無料」などと伝達があった。水彩用の水も入れて、3Lくらい天水を水筒ペットボトルに詰め込んだが、北上する登山者には、そえrが必要なかったようだ。小屋からの行程1時間のところに雪渓からの水場があったからだ。このあたり小屋から情報を発信してあげるとよかったのかもしれない。水場で、マラソンrunningしている人も給水に立ち寄っていた。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→
Aug 15, 2008
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南岳(常念平)-2986ピーク_story(1313) 2008.8.14 1日で2日分の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第8弾。第3日目 その1(2008.8.9(土))南岳小屋の部屋では頭をぶつける登山客が後を絶たないため、目印にタオルを鴨居にかけ注意を促すことにした。到着が早かったため窓際の特等席に1人で布団を確保。「笠ヶ岳の1」という場所の指定。「2」は空きのまま、3,4,5と次々と当てがわれたため、隣が空きというラッキーな形となった。午前3時には目が覚め、外に出て夜空を仰ぐと、満天の星。天の川も見え輝いていた。常念平までは徒歩1分。ここでご来光が拝めた。常念平からの大キレット槍平小屋のほうに下りる登山者は一目「大キレット」を見ようと、小高い丘(中央右)に登ってくる。絶壁の頂である。そこからこわごわと、大キレットの切れ込みを眺める。「あぁ、よかった。こんなところを行かなくて!」四国の宇和島からやってきた登山パーティと話をした。5000m級のトレッキングもこなしている男性2人がリーダ格で、ツエルトで外で寝ているという。男女の4人が小屋泊まりという変則的なパーティであった。このパーティーも槍平に降りるという。車は新穂高温泉の無料駐車場と、小生と同じである。長旅であれば、ツェルト(ストック2本あればテントが張れる)が便利であるというものの、補給食(前日使ったエネルギー分を翌日に補給する)を携帯すればOKという。装備がさらに重くなりそうで、こちらのスケッチ道具一式を足して30kgとなろうか。アルファ米とかレトルト食とかガスなど。楽しそうであるが、今回はスケッチにコンセプトを絞っているため、小屋ですぐ寝るという贅沢を味あわせてもらっている。南岳から中岳までの間の2986ピークから槍ヶ岳なだらかな登山道が続き、いままでの悪戦苦闘を忘れさせてくれる。雪渓もポカンと大きく、なにか間延びした陽気な朝であった。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じじがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:080809_map.jpg north-ALPS map3今回の北アルプス縦走map3緑の始まり部分が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は南岳小屋1分の常念平から大キレット(230° am5:53 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.316181,137.651692 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°18′58.25" N,137°39'6.09" E))下の絵は2986ピークから槍ヶ岳(0° am6:52 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.326222,137.651528 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°19′34.4" N,137°39'5.5" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 14, 2008
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北穂高岳-大キレット(大切戸)_story(1312) 2008.8.13 1日で2日分の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第7弾。第2日目 その4(2008.8.8(金))北の方から南下してきた青年。顔が青ざめている。北穂高岳(3106m)の北壁(落差500m)さながら宮崎駿の映画に出てくる城塞のようないでたちである。何千、何万という岩盤がせりあがっており、圧倒される。頂上に北穂高小屋(コヒーがおいしい)が見える。岩の棚には緑が。何億年もたって土が積もったのであろう。高山植物の宝庫である。下の方にある黒い点が韓国からのツアー。黒い軍団が「落石!」と何回も叫びながら、物騒な感じで登っていった。青年は、『大キレットで恐怖を覚えたという。』正確には、『南岳から大キレットに降りる垂直の222mの大岩壁がこわかった』と言うべきである。最初は、エッジが切り立っており、大キレットそのものが怖かったのか?とおもったがキレット自身は起伏があるももの、さわやかな切り通しで、見晴らしがよい。北穂高岳からの下り500mの垂直の壁と、南岳222mの垂直の壁を比較すると、南下する場合は、南岳の壁がほぼ垂直であるため足元が見えないという恐怖がある。一方北上する場合は、北穂高岳からの垂直の登りがやはり恐怖となろう。「いもり」のように岩に張り付く必要があるが、そうはせずもし2足で岩に立ってしまた場合、よろめきでもしたら谷底である。南岳 南壁の垂直の壁には、長い垂直の梯子が3つ掛けられている。最近付け替えられた。古い梯子の一部が南岳小屋に展示されている大キレット(大切戸)から屏風岩横尾本谷を見下ろす。屏風岩の頂上の突起は、屏風の頭、屏風の耳という峰で、北側(絵で言うと左側)は、落差1000mを越す大岩壁。国内最大級の岩場。南岳小屋手前15分のところに標識があり「危険地帯は終わりました。」とあった。槍ヶ岳から南下してきた登山者の多くは、大キレットは通らず、西側にある槍平小屋への南岳新道を降りる。このため、大キレットを見物するコースとして途中まで登山道を歩いてきて見物していた。階段から下が見えず、200-300mの落差があるため、「足がすくむ」 ということであろうか。行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じじがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map緑の途中が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は長谷川ピークから北穂高岳(146° am9:46 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.310636,137.649275 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°18′38.29" N,137°38'57.36" E))下の絵は大キレットから横尾本谷(120° am10:08 GPS:Google Earth 地名=上高地 スケッチpoint 36.312225,137.649492 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°18′44.01" N,137°38'58.17" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 13, 2008
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北穂高岳北壁(飛騨泣き、長谷川ピーク)_story(1311) 2008.8.12 1日で2日分の過去日記を更新しつつ、現在日時に到達したいと思っています。8泊9日ー79.15時間の登攀ですが、旅日記としてお楽しみください。その第6弾。第2日目 その3(2008.8.8(金))稜線に取り付く黒い影があった。なんと、今最も多い外国人集団ー韓国ツアーの一群。総勢200人くらいが、手に手に「上高地ツアー」のカタログのザックを持ち、黒い服、黒いズボンの男女の集団である。40人づつほどが、束になって南下してくる。軍隊で鍛えた身体の持ち主である。五味五食とも食べ物が違う軍団である。女性は鉄女としか思えない肩幅広く、恐ろしく強そうな方々である。日焼け止めで顔が白く塗りづぶされている。息は乱れていない。続々と峰に取り付き、躍動的にのようにこちらに迫ってくる。すれ違うほどんどの人に「アンニョンハセヨ」と挨拶。かれらもびっくりしたような顔で「アンニョンハセヨ」と返してくる。時々日本人もおり、「こんにちは」に切り替えなければならない。かれらは小屋に泊まるのであろうか。9時ころまで外でおしゃべり。身を寄せ合ってツエードやシェルフで寒さを凌ぐか、真夜中を先へと進んでいくのであろうか。北穂高岳の北稜線-[飛騨泣き]から第2尾根を眺望垂直に切れ込む谷。遠く、新穂高温泉、錫杖岳が見える。A沢コルから槍ヶ岳A沢コルは北穂高岳の北壁を折りきった場所。リュックがおけるわずかの休憩場所である。大キレットが始まる。この絵を覗き込む黒い軍団!大キレットに顔を青ざめた青年が降りてきた。(続く)行程:凡例・・山は青太字。小屋は赤太字。日記部分が茶太字。2008/8/7(木)新穂高温泉(990m)→白出沢出合(しらだしさわーであい)(1320m)→穂高岳山荘(2990m)2008/8/8(金)奥穂高岳(3190m)往復→涸沢岳(3103.1m)→北穂高岳(3106m)→長谷川ピーク(2841m)→大キレット(2748m)→南岳小屋(2970m)2008/8/9(土)南岳(3032.7m)→中岳(3084m)→大喰岳(おおばみ)(3101m)→槍ヶ岳(3180m)往復→西鎌尾根→樅沢岳(もみざわ)(2755m)→双六小屋(2545m)2008/8/10(日)鷲羽岳(わしば)(2942.2m)→ワリモ岳(2821m)→水晶岳(往復)(2977.7m)→水晶小屋(2900m)2008/8/11(月)黒部源流(2380m)→雲の平(日本庭園)(2660m)→スイス庭園往復(2580m)→祖父岳(じじがたけ)(2825m)→高天原温泉往復(2040m)→高天原山荘(2150m)2008/8/12(火)大東新道(E,D,C,B,Aの各沢)(1900m)→薬師沢出合(1940m)→薬師岳山荘(2701m)2008/8/13(水)薬師岳(往復)(2926m)→北ノ俣岳(2661.2m)→赤木岳(2622m)→黒部五郎岳(往復)(2830.6m)→五郎のカール(2600m)→黒部五郎小舎(2350m)2008/8/14(木)三俣蓮華岳(2841m)→双六岳(2840m)→弓折岳分岐(2592m)→鏡平山荘(2285m)2008/8/15(金)弓折岳分岐(2592m)→笠ヶ岳(往復)(2879.8m)→笠新道(杓子平(2460m))→新穂高温泉(990m)map:今回の北アルプス縦走map緑の始点が今回の日記の部分、青は昨日までの部分スケッチ情報:上の絵は飛騨泣きから北穂高岳 第2尾根(250° am9:46 Google Earth 地名=槍ヶ岳 スケッチpoint 36.308469,137.650086 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°18′30.49" N,137°39'0.31" E))下の絵はA沢コルから槍ヶ岳(358° am10:08 Google Earth 地名=槍ヶ岳 スケッチpoint 36.312225,137.649492 (単位は°)(北緯、東経表示では、36°18′44.01" N,137°38'58.17" E))Google Earth(北アルプスが立体で見ることができます):(チルド、パン(回転)させることにより迫力ある3D鳥瞰図が得られます)(Google Earthの検索ウィンドウ(ジャンプ先)に、10進度数、あるいは北緯,東経(E,Nの文字も)を入力(ドラッグしてコピーし貼り付け)し検索ボタンをクリックしますと、その場所に地球儀が周り拡大表示されます。都心部ではくっきり映りますが、山岳部では、ぼやけます。高度が下がっていくとき、クリックすれば止まります。)
Aug 12, 2008
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