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・・・・・平成15年、西暦2003年が今日で一切終了だ。時間の途切れは無い、意識のケジメハある。今年の一切を呑込んで明日からの新しい白いページに向かうことを。楽天日記にご訪問、書込み、リンク、貴重なご意見を沢山いただき、ヨレヨレ、フラフラ、迷走、遭難しそうになるところを踏みとどまれたのは皆さんの、アタタカイご指導のお陰です。そして、失礼した方々はこの場を借りましてご容赦をば、お願致します。本当に感謝しかないです。皆さんも、それぞれに、その場所で自分を見つけてください。きっと、すくっと立上がっている自分が居るはずです。~~~平成15年、『ありがとう御座いました』~~^^~~。平成15年の365日の過去になった昨日、総てに感謝しかない、そして明日に向かうどんなタネを植えたんだろうか。いつも、夜明けを待つ気持ちを忘れたくないココロできた。普段は、ほとんど考えずに過すのに一応、感傷的なフリをするこの年末、不思議に『雪隠の哲学者』にヘンシンしちゃうことになっている、お酒の波間に漂いながら、イツモ、もうヒトリのジブンと格闘。時間の技を借りて、己で創る一瞬の空白は必要だ。ズバリ人生、新しい天体を発見する事、己の中にある新天体を一生かけてつかまえること、それだけ。捕まえるタメに探検家、冒険者になり前のめりに新しい密航、密猟、密遊を画策し思いがけない脱出と実験をココロミ続けることになる。この新天体の運行責任は、オノレですが最後に誰になんと言われようとも、傷つき倒れつつ、誇りある己がのこればいい、挑戦し続けた誰も知らない己、ヒトリが。どこであろうが『以食為天』、『悠々蒼天』のココロもちで。戦争か平和か、と歴史を弁別の眼で眺めるのではなく、ニンゲンをも含む生命、非生命のカオスを見晴るかすような、極小と極大を同時に観れる宇宙的俯瞰眼をもちたいものです。楕円の焦点は二つあるが、片方に情熱を、もう一方に不屈を据えていく、同時に過去と未来を捉える眼をジブンにもち、複雑怪奇なこの世の中を生きる。楕円の焦点のように、1人でありながらも、もう1人の自分が現出する、すれば、2倍の密度の人生が可能かもしれない。楕円的な眼で、見透す眼、見晴るかす眼を、手にイレタイモンダ。まず、それには-『雪隠の哲学者』-からの脱出をし、静から動へと、平穏な安楽椅子からチョット立上がればすむことのようだ。すべて渦動し続けている、何処かに向けて。留まる事を許さない。ずばり今夜・・『最後の晩餐』が始まる・・ホントの最後。
2003年12月31日
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・・・雪の朝のような、寒くてしずかな、はじまりだ。日本の文化、文明はやはりいろいろな面で独自性があるようだ。歴史観、自然観、宗教観、貯蓄観、生産物の軽薄短小とか、ボトムアップ型の改善活動、などなど。『文明』は容易に伝播できるけれども、 『文化』はナカナカ伝える事・浸透させることができないようだ。単純に比較すると、文明はモノで、車とかテレビ、冷蔵庫とか洗濯機などは、容易に生産して供給する事ができる。しかし、文化は心で、民族性、風習、伝習、宗教観、自然観など、容易に見えるようにできない以心伝心の部分が多く含まれるところのもの。そのなかでも、ハタラクこと労働観の違いが日本と諸外国の最大の違いじゃないか。ハタラクことには、歴史観、宗教観、民族性など複雑に絡み合い単純には比較できないけれど、ニホンジンの働く意識に独自性があるようだ。旧約聖書を共通の経典とする、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でかかれているのは、パラダイス、つまり楽園であり、労働の無い楽園である。アダムとイブがいて、彼らは仕事をしていない、いつも快適な気温に保たれていて、着る物もいらず食べ物は樹から果物を摂ればよい。けれど、禁断の実を食べ(千恵の実)神の怒りに触れ、楽園を追放されてしまった。『罰』として、汗して働く事を命じられた。また、女は男に服従し子供を生むことを命じられた。旧約聖書を読んだ信者が持つイメージは、労働は罰であり、苦痛で、本当の幸福とは楽園で遊ぶことのようである、大まかには。一部、プロテスタントの勤勉さが資本主義を成立させたことはよく知られている事ですが、神の怒りと地獄へ落ちぬように働いたが、しかし長続きせず刷り込まれたパラダイス神話のイメージに流された。この『罰』と『楽園』のイメージの刷り込みの自縛を抜け出せていない。一方、日本では『神様ですら働く』と、考えるニホンジンの労働意識がある。神話の時代から、高天原で神々はハタライテイタのですから、それも神様だけができる知的、特殊なものではなくて、当時のニホンジンがしていたのと同じ仕事だったのですから。聖書の『ゴッド』とちがい、二ホンの神々は『崇敬される祖先の霊』とか、『人間の形をしていると表象されるようなもの』-(アンスロボモーフィック)なもので、先祖の姿を容易に表象・イメージしやすいところにある。『古事記』には、天照大神が機織り小屋をもっていた、と記述があるし、他の男神も田畑を耕していた事が書かれている。大昔に刷り込まれたイメージは『労働は神様もする』というもので、ニホンジンに労働は罰とか卑しいとかいう発想・概念はなく、体質には合わないのです。ニホンジンが到達した境地では、徳川末期の石田梅岩の『心学』のように、徹底した相対化があり、心学では心を第一に重んじ、心を磨く事により人間として立派になることを目標に、心を磨くには儒・仏・神のどれでもかまわないとした。仕事をしつつ己を磨く、宗教もどんなものでも己を磨くためならば構わないのであるから、原理原則からの争いは起きないのである。信じるモノは自他共に尊重する気持ち、ジブンノも他人のも同じように認めること。ニホンジンが宗教観を相対化して見ることのできる重要性。長い宗教戦争を経て、ヨーロッパも宗教の相対化の必要性に気づき、「啓蒙主義」が生まれたが、しかし、日本ではすでにそれよりも、先駆ける形で織田信長が示してみせ、徳川時代の政策も啓蒙主義的だった。けれど、相対化の程度は日本よりもヨーロッパのほうが徹底するまでいかなかったようです、いまだ宗教がらみの戦争が絶えないことから見れば。今の、原理主義の脅威があるのは、ここの所の消化不良が一因でしょうか。自分の信じる宗教を絶対のものと思わずに、ある程度相対化してみることができる事は、地球が狭くなった今日、誰もが認めざる得ないようだ。ワレワレも柔軟性を失い、『絶対』とか、これしか・・・と、思い始めたときが危ないのですから。ハタラクことが当たり前で、疑問を持たずに日々過しているけれど、口へ放り込む事だけを考えている時代はすぎて、もう一度、それを問い直すことも今年の終わりに哲学することも良いのではないかと。堅いものを食べないと歯が弱るように、頭も汚れと、詰まりを『思考のヤスリ』でそぎ落とさなければ、新年への迫りくる荒波は泳ぎきれない。ニホンジンの神様ですらハタラク、という刷り込まれた太古からの労働観を、再確認することで、新たな力を獲得したいものです。時代は、競争から協調へ舵は切られているし、シフトはまさに女性の得意分野へとすすむ。今までより、更に女性の重要性が際立つ年に、2004年は成る、豊穣の年に。近年の男性の女性化、女性の男性化の現象が加速されつつあり、両性の良いとこ取り?の中性化がとまらないようだ。≪胸にゴリラを飼う男≫は絶滅の危機に瀕しているんだ。
2003年12月30日
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・ニューヨークはダイナモが唸りを上げて回っている街だ。世界が凝縮した街、ほぼ全世界の人種が集まる街、善悪も。深夜、タイムズスクウェアで立小便をしていたら、黒人の娘にピストルを突きつけられて、有り金のこらずふんだくられたのがいる、十数年前の話。考えてみると間が抜けている状況が想像できる。オチ○チ○を出して幸せな気分で半哲学をしてる時?ホールドアップ!なんてきたら、何にもできません無条件降伏ですね、これって。(シマワナイト?動けないしネ~)ご愁傷様としかいえないですよね~これってね。ちなみに、この人柔道四段、空手三段の通常?は猛者です。ピストルを突きつけられた瞬間、慌てて手を挙げたのか、悠揚迫らず、シマイ込んだ後おもむろに手を挙げたのか?で、沈着度が判定できますが・・・・・自分ならどうよ?コンナ風に、世界中の至るところに悪いことをする人、組織、国はあり、油断できない状況がタクサン身の周りにハビコリはじめている、この国も例外でなくなったようだ。厄介なのは、昨日までの善人が、今日は悪人にと豹変する、また、意識しないで悪事を働く?で余計に難しくしている。同じ、悪事を働くのでも大物、小物が居るもんで、日本のなかでの悪事なんて小物の部類?かもね。『行徳のマナイタ』なんて言葉があるけれど、これはむかし千葉の行徳ではタニシがよく獲れた。そのタニシのヌタをつくるのに、行徳では一日中マナイタにのせてトントン、トントン叩いていた。それで、行徳のマナイタは表面がスレてバカになっている。そこから、馬鹿でスレた奴のことを『行徳のマナイタ』ということになったようだ。〔まぁ、カワイイ小物の悪人?〕悪と呼ぶにはセコくて底が浅くあまりにも、軽い。この国には悪者呼ばわりできる凄味のある『梟雄』と言われるようなレベルの「ホンモノ」の悪っているのかしらね。デーモンのある奴は。べつに悪者を発掘・推薦しようとは思わないけれども、正しいものばかり見ても眼が曇ることに気づかないことに。ジョセフ・フーシェ、スターリン、ヒットラー、とかが思い浮ぶんですが、まだまだゴロゴロいるようですだ。こうゆう恐ろしいのが悪と呼べる?ヨンデモヨイようだ。ヒットラーなんてのは『わが闘争』のなかで初めから、オレはこれから世界をダマスぞ!と。〔大いなるウソの中には人をして真実と信じせしめる何者かがある〕、とウソブイタ。政党とは宣伝が大事なんだと言っておいて、それで世界中を見事にだまくらかした、実に鮮やかにネ。ヨーロッパだけで三千万超のニンゲンを天国へ送り出した。こうゆうのをホントの悪というので『行徳のマナイタ』レベルとは本質的に違うようだ、ゼ。半世紀以上たった、いまでも、ヒットラーの映画をつくると必ずヒットする。それで、関係者は”入る・ヒットラー”と呼んでいる?そんな『梟雄』が世界中で跋扈?していても、それでも世界中の『人口は爆発』してる。ニンゲンは無意識に「レミング」と同様に、戦争という究極の選択を・・・・・・・・悲しいけれど、ムイシキニ?すべて起こる事は、必然であり、偶然は無い、ヨウダ。・・・・・・・・・ドウナンダロウカ?・・・・・・・・。
2003年12月29日
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・・真夜中にのそのそと、這いだして想い出すままに書く。はやいもので、この楽天日記を記録し始めてから、30数日すぎている事に気が付いた。イロイロな人たちの日記を観させてもらっていると、文体に個性がボロボロとこぼれている、内容の中に個性が見事に定着して描かれている。観ていてそんなものと衝突する、その抵抗感が読む側の愉しみな所です、意識が立ち止まるような抵抗感が。告白あり、評論あり、暴露、印象、静止画、動画、スケッチなどなど、人の数以上に愉しみが転がっている、楽天は。イロイロ脚色しては描き付けている毎日ですが、ネタを拾い出すのがなかなか難しい、多分、みんなそうだと思う。それが、自分の発見に繋がることでもあるけれど。文字が立つ?、とか、主人公が一人歩きする?とか、行間、ページの背後、などとの表現はタクサンある。そんななかで『老人と海』『誰がために鐘がなる』『武器よさらば』など、かの有名なへミングウェイが高校を卒業すると新聞記者になり、第一次世界大戦に赤十字要員に応募した後、パリで小説を書きはじめたようですが、小説を書く上でヘミングウェイは三つの要素を自分の文体に求めたそうです。1、AUDIBLE, オーディブル、 聞こえる。2、VISIBLE, ヴィジブル、 見える。3、TANGIBLE, タンジブル、 触知できる。この三つ、聞く、見る、触る、文字を媒介にしてこの感覚が起こることを目指したそうです。文字の羅列の中でこのことを生起させることは並大抵じゃなさそう。ヘミングウェイの短編はこれから先も残るけれども、長編の方ではない、とすら言われているほど短編は秀逸。世界中で最も熱心なファンで鑑賞眼の鋭いキューバのフィデル・カストロが評して、『傑作だと思う、数日間、一艘の船に乗った一人きりの人物をえがき、あれほど迫力のある小説を創造することは、なみ大抵の事じゃない。この人物も自分自身に語りかけている・・・・・。そして、ヘミングウェイの魅力の一つはモノローグであり、これほど見事に使う作家をわたしは他に知らない』と、これほどまで言わしめさせている短編の魅力。そして、『老人と海』がアメリカの「ライフ」に一挙掲載されたことがあるが、その解説をエンターティメントの大家ジェームズ・ミッチェナーが書いた。その時、彼は朝鮮戦争に従軍していてロケット弾とか何かが降り付ける中で震えていた。そこへ、「ライフ」の東京支局からゲラを持参した奴が届けにきて書評を書け、と。で、ケシロン・ランプの影の下で読み、感心・触発されてタイプを叩いた、などという伝説が伝わっている。短編は『瞬間の人生である』と言う定義があるが、・・・ワレワレの人生は『一瞬の人生』でもある、ようだ。へミングウェイ自身は、己の内面に語りかけつつ、社会的には、超パァホーマンス的でオレを見てくれ、書いてくれ、触ってくれの派手さで、闘牛はするアフリカへハンティング、飛行機では落っこちるし、ボクシングをやるし、ハリウッドの女優の誰と寝たなどと、吹聴して周り自己分裂で自分も、『紙の外のオレは支離滅裂だ、まともに二つの自分が合一できるのは紙の中だけなんだ』と、呟いていたそうだ、ニンゲンむつかしい、ネ。そして、遺作の『エデンの園』は、61’に自殺するまで纏められずに有能な編集者が整理して出版した。しかし、自己分裂を中の女主人公が起こしている、最近流行のドッペルゲンガー(人格剥離)を起こしている、会話で。作者が自殺、作中でもドッペルゲンガーが起きてる、相似。ヘミングウェイがデビュー時には”毛むくじゃらのリアリズム”といわれ、形容詞を最小に徹底して言葉を削るそして筋肉質の文章を作り上げた。いま、世界にはヘミングウェイの後裔、亜流、模倣が氾濫してる。文体は先駆的なものを当時創りあげた、実験物理学者。今に引き継がれて見事に、応用物理学の種になっちゃった。ヘミングウェイの作品は『20世紀文学の宝』の一つだ。有名な文豪のようには、程遠いところにあるものでも、混沌を整理し、刈り込み、統合する、言葉を接着することはそれなりにタイヘンですが怠惰な生活のアンカーポイントの一つになっているようです。この、ヘミングウェイの自戒をナガメテ、少し接近をば。1、AUDIBLE, オーディブル、 聞こえる。2、VISIBLE, ヴィジブル、 見える。3、TANGIBLE, タンジブル、 触知できる。文章でこれを表現することは?・・・・・・んッ!!!。やはり、あの魔力を持つ『○さ○』をカリナクチャ、ムリです。 (・・・それでも・・・ムリ、ですだ)
2003年12月28日
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・・・・・お酒を飲み始めて、もう、何年になるだろうか?お酒抜きの自分の人生なんて考えられない、今まで濃密に付合ってきた。今までも、これからも飲む、一握りのコップの中にだって小さいけれど、リッパな一つの人生があるんだよ。考えてみると酒によって心の飢えをミタシタイ、ナイモノネダリの欲望と、~自分以外のものに為りたい~衝動から、飲むヨウダ、ココロの不足をお酒で満杯にしたいのさ。ビール、焼酎、日本酒、ウイスキー、ウオッカ、バーボン、コニャック、ワイン、と、と、と、・・・・・タクサン。テアタリシダイ、ハンド・to・マウスで口にほおり込んできたようだ。酒は一瞬にして自分以外のものにさせてくれる、魔力あり。ガミガミ屋がコップを口に運ぶたびに妙に優しくなってくるし、あべこべに猫ちゃんはトラになり、石田さんは餅田さんになるし、堅吉くんは軟吉くんへと変貌、イヤハヤもうそれはそこいらの三文芝居を観ているよりオモロイことになる。若い時はこれから先のことを思い描きつつ飲んだ。喜びと希望、出逢い、挑戦する事への期待と不安のアンビバレンツな、しかし、酒と時間と未来をタクサン背負いつつ。スタートラインについたマラソン選手のような心境と、競争しつつも結局、走るには自分の足でしか走れない事を、確認するための長い道順が待っている事すら知らずに、走った。長い間走ってきた、自分以外のものになりたくて、しかし、イマそれを手にしてるか?相変わらず無いものネダリノ心境は変わらず、です・・酒と伴走しつつも・・結局、ナゼダ?・・・イワズと知れたこと、自分に満足できない、から。およそ生まれてから死ぬまで、男は自分に満足する瞬間がないんだと、それゆえ、満足できず自分以外のものにナリタガル?『習性』なんだと。まぁ、その『習性』のお陰で今日も、土は耕され、宮殿は立ち、芸術は生まれ、医療技術は発達し、科学も進展し、ワレワレの身の回りは便利になる。~ナイモノネダリ~という『習性』が、昨日も、今日も、明日も、来年も、地球を”ブンマワス”原動力になっているんであり、きっと地球最後の日というのはまちがいなくきっと、男が~ナイモノネダリ~をしなくなった時、ダロウ、ネ?ということで、男は今夜も地球のタメに呑むことになる。人生は短いし、芸術は永い、世の中は知らないことだらけだ、けれど人生にはこの一杯を呑む時間はある。しかし、何より酒すら呑む時間も無い?ような人生ならば、むしろ今生に『サヨナラ』してしまった方が良いくらいだ。『酒を呑まないのは、人生の半分を失っているのと同じ』・なんてのもある。アインシュタインは、『死とは、モーツアルトを聴けなくなることだ』といった。 〔・・?・・なんて高尚なんでしょうか・ネ・?〕それもある、これもある、なおあれもあるんで、ワタシャ、『死とは、酒が呑めなく?なること』でもある。それほどに、ワタシ不可欠な潤滑油ナンデス~~^^~~。でも、酒で愚行、恥かき、過ちをおかし、あれもし、これもし、酩酊の中の己を飼いならせずに重ねてきた事がタクサンある。そのニガイ経験が人生マラソンの『勲章』のひとつなんじゃないか、ヒトと違うそれぞれ同じものはない唯一の勲章。己だけがカクトクの貴重な、オンリーワンがココロに。酒で日常性を超えた思考を愉しみ、且つ、己を磨くことになる。ヒトリでできないことも、お酒との伴走で伴奏し眠っている己を惰眠からたたき起こして、また、スタートラインへ。アホな話、ホント、確かにアホな話です。男なんてこんなもんです、しかし、『無知こそ力なり』そのもので、この・おバカサン達・がお酒の力で成し遂げてきた事も確かですから、まぁ、大目に見て欲しいもんです。お酒で発火させられて、違う自分を見つけ、醒めてマボロシ。今夜は・・・どこのお店の、ドアーを開けちゃおうかな?
2003年12月27日
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・・・・・今年も、残り数日になってしまった・・・・・。イッタイ、何を得、何を失ったのだろうか?この一年・・。人は旅をせねばならない、しかし、旅にでる時間もお金もないのならば、精神だけの旅でもしようと、空想・妄想・妄言をタクサン、言散らしたり、書散らしてきた。今までのことをイマジネーションで飛躍して、カラダはここにいて、ココロは本をなどを媒介にしてその中に潜り込む事になる。安上がりの精神の旅が、他人の経験を味合う事になる。電車でもトイレの中でも誰もがしょっちゅうやってることだ、特別な事でもないそれをもっとリファインし、高めればいいこと。そのためには、人間と事物と自然、世の中の事をいろいろ知らなければ飛躍は起こらないようだが、それをスプリングボードにして己の精神の旅、精神の飛翔を愉しめばよい。飛躍、飛翔の高度と航続距離を担保するものは、コツコツと意識して積上げることを気にかけていることが重要になるようだ。2004もイマジネーションの発酵の種を植え付ける準備を、愉しみつつやれるように進めなくては、続かない。けれど、ニンゲン環境に左右されるので何処でも頭の世界に入ると、マチガエられる事になるので要注意ですが安上がり。宝石、最後の買い物といわれている宝石。世界的な宝石商といえばブラジルのスターンが知る人ぞ知るバイヤーで、ナチスに追われサンパウロへ逃れてきたユダヤ系ドイツ人でありそこでヒットした。スターンが宝石商を始めた時に女心をギュッとつかむ商法を編み出した。それは、スターンの店で買い上げた宝石を一年持っていて、気に入らなければ買ったときの値段をそのまま現金で買い戻すというシステムをつくった。万国共通の女心で、古今東西、一度握ったら離さない女心。この心理をつき見事にヒット、大ヒットした。ブラジルではほとんどの種類の宝石が出るので、スターンはそれを商いたちまち世界的商人となった。今では世界の主要都市スベテ支店があり、南米の首府の一番大きなホテルにはことごとくスターンの出店がある。ナチスに追われて逃れたブラジルの地で一代で、女心の機微をワシズカミにしたシステムを思いついたスターン。その、スターンにエメラルドに関するところでは世界的宝石商スターンをも凌ぐ処まで来たニホンジンがいる。ブラジルのボゴタに青春時代に徒手空拳、南米一帯を食うや食わずで放浪、辛酸をナメ、のたうちまわり最後にボゴタでエメラルドの売買することを覚え、ニホンジンの持ち前の勤勉・敏感さで生涯の後半になり成功を釣り上げた。そして、スターンをもエメラルドに関するものでは凌ぐ領域ににまでのし上げた。すごいニホンジンがいるもんだ。エメラルドは90%までが日本人の言うところの『キズ』が入っているが国際宝石学会においては、それをキズとは認めない。キズはあるとしてもそれは自然の造った彫刻であり、光が当たった時にはその『キズ』の反射が何事かを訴える宝石の価値を一段と高めることとなる。キズが生起する〔光の遊びが無限〕のエメラルド、となる。しかし、ニホンジンは無傷のエメラルドを求める。極めて数が少ないエメラルドの『処女』をほしがる、光の遊びが物足りない・・・・・それを、不思議な民族です。バイヤーは光の反射を観、アメリカ向け、フランス向け、イタリア、イギリス、カナダ、日本向けと仕向け地を分類するのがムツカシイことになるので熟練の域に。エメラルドの、一条の光線を反射して、ギラギラと燃え上がる緑の火の鮮やかさを発する、これも『キズ』無くしては、その反射光の妖艶さは覚束ないようだ。ピュアー、無垢を要求される宝石でさえも、何がしかの『キズ』がないことには、その魅力を十全に発揮できないことになる。ニンゲンにおいても味のある、違いが解かるようになるには修羅場をくぐり、なにがしかの『キズ』と『辛酸』を身に付けることで、言動に重石が効いてくることになる。喜怒哀楽、有為転変など浮世の『たまゆら』を経験することで己も磨かれて本来の光を放つことになるようだ。その美しいが小さい宝石の背後には、無数のヒトの悲哀が人生が〔煌めく光の中〕に蠢いていることも事実だ。『一カラットごとに、ヒトが何人死ぬかというぐらいの石でなければ、ダイヤモンドとはいえない・・・・・と。』どんな『モノ』にも愛憎、欲望が背後に潜んでいる。それでも、美しい、それが、・・・それでこそ『宝石』だ。迫りくる、2004年には『ニンゲンが宝石』になる年、か?光り輝くため背後の『玉響』になにをカクトクできるのか?
2003年12月26日
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『ミンナ月ヘイッテシマッタ・?・?・?・?・?』?。今日、日記を書きはじめ80%くらい終わり、後少しと思いボチボチ、でんな、と!・・・何とスベテ!一瞬にして無。 ・・・・・・・・・・ガックシ!なんてコッタ。で、書き直し、でんな。 まぁ、そうゆうことも有りです。今日で家に居る『クリス』うさぎチャンが2000年に来てからまる三年たちました。子供たちがうさぎを飼いたいと言い出して聴かず。(学校でうさぎの飼育係とかしてたり友達が飼っているので、可愛いので家でも飼いたいと)なかなか家では難しいんだよ~と言っても、三人連帯を組んで連携プレイ、終いには大蔵大臣まで味方につけちゃいましたんですから、もうだめですね1対4です。男ヒトリ対女4人です、結果は火を見るよりも・・決定です。そして、あろうことか来たうさぎチャンまで女の子でした。いよいよ、居場所がなくなってキチャイマシタデス、これ。ミニうさぎを飼うと言う事で、確かに最初は小さかった。しかし、グングン大きくなってきて、オイオイ、こんなに大きくなるミニうさぎっているの?って、家のお嬢さんにお伺いを・・・・・・たてました。(ワタシ、犬用のゲージを買わされた1m×80cmのを!)騙されて普通のうさぎを買わされたのではないでしょうか?と言うと、聞いてくるってお店に行ってきたようです。そうしたらば、間違いなくミニうさぎです!と、餌のあげかたが悪いというハナシで餌を適量あげていれば、そんなに大きくはならないですよ~といわれて、お店から帰ってきた。そこからが問題で、お嬢さんたちは最初に餌をやりすぎると大きくなるので沢山あげないように!と言われてたんですが忘れていたようです、スッカシお忘れのようでした、ハイ!ところが、沢山エサをあげるのはヒトリ、ワタシだと言うハナシになって?お店から、女王さまとお嬢様の四人で無事に帰宅なさいました・・・・・。(うちの、居候がスキナダケ、アゲチャウ?ようで、トカ)そして、うさぎが大きいとか、ゲージを買わせたとか文句言ってるけど、お店で話を聞いたら、結局みんな”アナタ”のセイね?って、・・・(^O^)/・おーい・オーイ。今度からエサをあげるときには欲しがるからあげるんじゃなくて、計画的にあげてくださいねって・・。<?なんで・・・なんでオレだけ・・・なんでだ!?>欲しがるとスグにタクサンあげちゃうんだから~何時も!?チョ、チョッと・・・チョット待ってよ~~~おれ?ナンニモ聞いてないのに・・・全部オレかよ~~?~~~?(女王様達は最初に聞いていたのに、エサもタクサンあげてたんですから・・ネ・・おなかすいたでしょ?ナンテ、ネ)そして、トドメが、これですから・・・とほほ、です。お嬢様たちも、女王様の言うとおりに計画的にあげてくださいね?これ以上大きくなっても困るでしょ?と、ワタシに仰ってくださいました優しく?・・・お嬢様が・・・・・。(了解しましたお嬢さま?・・・・・納得イカネ~ヨ!!)と言うわけで無事一件落着\(~o~)/?・・・しました。☆彡教訓、女は怖い!!(束になると、強大になるゾ!!)(憂鬱ですね~まだまだ先があるし・・・これからだ~?)ということで、この三年間うさぎチャンのお陰で、タクサンの人間の本質を垣間見る事ができ、イロイロな示俊に富んだドラマを展開させていただきました。(女王様の本質もね・・・いつか、ガォ~っと、ムリか?)うさぎは≒8年生きるそうなのであと、5~6年お付き合いをさせていただきます。クリスマスが記念日でヨカつたね、クリスちゃん?(・・・ワタシの家はちなみに?仏教です)ただし、カジルのだけは抑えてほしいですね。サブトンはボロボロ、テーブル・椅子の脚もかじりつく、人の足にも舐めつつサイゴはカジル、コード類もね?、etc。ウサチャンも大人になってください?もうそろそろね。・ツキにまでイッテシマッタ、最初の書きだしは因みに『ピータン』の事を書きだしてたんです、ほとんど終了間際まで、ザンネンデシタ、また、思いだしたら書きます。昨日起きたことは、今日も、明日もまた起きる。『言葉と閃光、湧きあがる~イメージ』-ナンニモ、カンケイなかったね、今日は。
2003年12月25日
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・・・・・何時の間にかナントナク、夜から朝になっているようだ。シューマンの「トロイメライ」を聴きながら書き始めようと思っていたら、ネムクなって来てしまい一回聴いてから、浜田省吾の「青空の扉」というアルバムを聴きはじめた。一転しての静から動、音楽でもコンナにもテンションが変わるものなのかと。おなじ私なのに、音楽一つでこんなにもコロコロ、と。座禅の座という字は、軒下の土上に座ると書くが、字ずらから二人が座っていると書くのは、ヒトの心の中には善人・悪人、高邁・愚昧、高潔・低劣な私が同居している様を表意文字化したもののようですが、ヒトの心はたかだか、音楽一つでも一変する位『ココロが、そよがされる』ものなんだと改めて思う。そんなヒトタチが集まる人間社会は、いよいよ流動的に昨日と今日は違う事が日常であり、変化があたりまえで、捉えどころのない自身のココロに一喜一憂し、また、他のヒトからはいよいよ影響を受けることとなる様だ。三人以上集まると派閥、グループ化が始まる、発生する。業病ミタイナモノでいまさら議論したって始まらないが、ヤッカイナコトニ好き嫌い関係なく、これに巻き込まれてしまう。無人島にヒトリ、彼はひとり。二人流してみる、握手をするか、そっぽを向くか。三人流してみる、一対二になるか、三人一緒になるか、三人バラバラになるか、ダロウ。三人以上集まると派閥が発生するものなのだ、人間の業。派閥にもいいところがないではない、派閥同士が足を引っ張り合うから独裁者がでなくなる。善なき悪はなし、という言葉があるように派閥自体は独裁者を生まないブレーキ役を担っているようだ。しかし、人生、派閥の大河を泳ぎ切るのは、ばかばかしい限りなんですが自分を通すためにはやむを得ないようだ。民主主義も数の論理、派閥も数の論理で普段から無意識にワレワレはそれを行使しているようだし、ただし利害損得が拘ってくるとややこしい事に発展する。弾きだされたヒトタチが理論武装して立上がる(根底にあるものは嫉妬ナンデスが)結果の平等を言い立てるようだ。国の政変なども大同小異で政変後には形の違う特権階級が生まれる事になる。『革命は人間の嫉妬の産物』なのかも知れない、美しい理論でオブラートのように包んだ、中身は悲惨、という劇薬。ベトナムでは皮肉をこめトップが替わることを称して、『ただ、顔が変わるだけ』と痛烈に表している。政治は統治されている事を、気づかせないようにする事が最良の政治と言われる。革命も良い?革命は変化が起きているいることを感知させない事が、良い革命なのか。<ならば、教育が、今、危ないようだ、気づかねば>急激な変化は悲惨を生み易い、施政者に求めるものは緩慢な変化であり、それには施政者の高邁・高潔・利他・大局観などで底流は『自・他、共に同じ』という心模様がしっかりと根付いているか、否か、に懸かっているようです。これは無理な相談ですね~、神様の領域への注文と同義語ですから、せめて、そろりそろり、コワレモノを触るような手つきで政治を組織を人をニンゲンをウゴカシテ欲しいものですね。これほど、政治の影響を受け意識している時代はないようだ。ヒトも派閥を往来する事は人間の業でもあり、利害を考える事も必要ですが、『コウモリ』のイソップ寓話のように鳥からも獣からも嫌われてしまうと言う寓話の意味を捉えなおして見る必要がある。鳥でもなく獣でもなく、たとえ自分がコウモリであったとしてもどちらかに見せるようにしなければいけないのではないか、擬似色・保護色みたいなものをもたなければ。『コウモリ』でも『カメレオン』にならなければ、なかなか生きるのは難しい、青春の律儀な理想も必要だが、それ以上に世間は複雑怪奇なものだ、人生一本道で済ます事は至難。ましてや、己の中にも、既に、もうヒトリの自分が居るそれすら、いまだ、手綱を捌ききれずに居る、ワタシですから。他のヒトも同様ですから人数が増すごとに、尚、交渉ごとで妥協点を見つけることはムツカシイ、ドウシタラ、イイの?ニンゲンの警抜なる才智・力量を信ずるしかないようだ、ネ?世界も、政治も、組織も、あらゆるものに拘っている人間の一人ヒトリのバランス感覚と、それぞれのもののカウンター・バランスの上にノッカッテイルものですから上手く重石を置いてください、ね。そとに幾ら飛びだそうとも、射程距離を長くとろうと、ココロも万有引力の法則からは誰も、今だ抜けだせずに居るようだ。己のココロから、メビウスの輪の如く、己のココロへと。暫く、終着駅へは到着しない・・・有限?無限?・^^・。
2003年12月24日
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・・・・・静まり返っている、この時間、オモテハ漆黒。たった、ヒトリ。パソコンの冷却モーターの音が、大きく聞こえる。お気に入りの音楽を聴きながら、書込みをしよう、と。『ニーナ・シモン』を今日は聞きたい心境ですね~。ピアノの弾き語りでジャズシンガー特にピアノの腕前は秀逸で凄みを感じるほど。もちろん、歌唱力は黒人特有のリズム感とタッチでこれもまた申し分なし、地の底から湧き上るような声量もまた、比類ない。50~60年代にジャズ・ボーカルに革命を起こすほどの働きを見せたにも拘わらず日本では正統な評価を受けていなく、逆に異端視されてきた。黒人特有の差別をうけて、高校総代で卒業し奨学金を貰えるほどで有りながら、フィラデルフィアのカーティス音楽院を目標にしていたがナゼカ?落ちてしまいコンサート・ピアニストの道をあきらめることになった。逆説的に現在彼女のジャズを聞くことができるのは差別のお陰でもあるのですが・・・・・。ジャズ歌手でありながら拘りのある従来の枠を抜け出して、問題意識を持った現代の歌へ挑戦、ロック、ソウル、ゴスペル、自作の創作へと領域をひろげた。ジャズ、クラシック、ロック。ゴスペル、ソウルなどと、ピアノの技量、声、それらの見事なミックスされた独特な世界を創りあげている、必見、必聴、聞き逃せない歌手。曲目は。恋に飽きることはないみんな私のせいよきょうは雨みんな月へ行ってしまった代償(つぐない)私はだれ春がまた来た・・・・・・・まだまだ、その他有り。鋭く、創造的で、個性的でありソウルフルで、ピュアーだ。一度聴いたならば、一種異様な感覚におちいること請け合い、それも良い意味での、ネ。『みんな月へ行ってしまった』の詩訳のさわりを記すと、〔 街は人であふれているけど、みんな孤独、道路の両側には家が立ち並んでいるけど、ホームではない。教会は歌であふれているけれど調子はずれ、それはみんな月に行ってしまったからよ・・・・・・〕現代の孤独を皮肉っぽくもユーモアで包み歌った歌で、説得力が有りドラマチックなものを感じることができる。何かに憑かれているのか、なにに突き動かされているのか、我を忘れて激熱の渦動に巻き込まれている人々の群れ。1頭のライオンに率いられた、羊の群れのように盲目の服従者と化しているかのように追立てられている、ワレワレは。もうそろそろ立上がり、吹いてる風を掬い取る事を始めても良い、頃合いではないのかしら・・・・・・・自分の風を。ニーナ・シモンはツカマエたようだ。人間のふれ合いあんたなんかいなくても ・・・・・なんてのもあるね。微妙で深いフィーリング。『Nina Simone』1933/2/21、ノース・カロライナ州タイロン生まれ。世界は広いし何が出てくるのか、今だに何でも出てくる玉手箱のようです。そして、知らない事がナンテおおいんだろうか?この世界。飛翔、トリップという超克は必要ですが精神の感度過敏にナリスギテモいけないし、難しい。今日、一日をウッチャルタメノ『それ』をミツケニ、カウンター・バランスになる重石をひろいにでかけようか? ツキにまでイッテシマッタ『モノ』をトリカエシニ。
2003年12月23日
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・・・・・このごろ、朝と夜のケジメがナクナッタヨウダ。これからは薄暗い闇の中から、半覚半睡あるいは半酔状態で、ノソノソと布団の中から、芋虫のように這い出すような季節がしばらくつづくことになる。寒くなると布団のアリガタサが身に滲みる。春夏秋冬、煮られたり、焼かれたり、冷まされたり、と、一年中季節に追い立てられている、地球もニンゲンも。ニンゲンは本来ナマケモノで季節から追い立てられて他律可動の恩恵を、産れてから土に還るまでの間受け続けている、でも、それを考えない、気付かないようだ。もともと、その流れに沿って生きていけば良いようにできていながらも、ジッとしてられないニンゲンの衝動でいろいろな企てては、一喜一憂? 大失敗たくさんしている。現状に満足できずに子供のように、ああしてみよう、こうしてみよう、と、弄くりまわすのが好きなようです。結果、自然環境を壊し人造し、技術開発でニンゲンも自然も壊し、煙にし、大火傷を性懲りもなく自ら進んで負っている。(ブラジルは首都までも人造してしまったが・・・失敗。)新技術の比較優位を検証したがることが、優劣というヒト対ヒト、企業対企業、国対国の争い、戦争へと流れていく。昨今の、特に経済の争いも戦争の一形態であり、本格的?戦争の前哨戦でもあるようだ。(ワレワレの経済活動そのものが・・・・・加担してる?)こうしてみると、切磋琢磨、進取の気質、相互啓発などの自己陶冶の相反する一側面性でもあるわけです。比較概念そのものが良いと思いつつ成長のためのそれが、逆の結果を招いてる事にもなるようです。流れを止めない、溜まると腐り始める、モノも知識も何もかも滞留する事で、悪影響を及ぼし始めるようだ。欲のハリスギ、必要以上を望むことで破壊するニンゲン。足るを知る、何かを得れば何かを失う、という鉄則の覚悟を、もう一度思い出す必要が有りそうです。その事で、相反するものの弊害を最小のものにすることができそうだ。ですが、果たして手放す事ができます、欲と添い寝の私に?ニンゲン手に入れた眼の前のものは気にする、しかし、失ったものには気を止めないのが常。目先の利益欲に囚われる大半が。(失ったものの方が大切なんですが、ネ)世界平和を唱えるならば、まず、自ら手放す事からしか真の平和はヤッテコナイヨウダし。うどん屋の釜のようにゆう(湯)だけ?の議論のまえに、まず己ヒトリから有り余った『何か?』を手放す事を実践すれば簡単にスタートをきれますが・・・・・・覚悟と実践。今、我々を取り巻く環境で起こっている大小の問題の大半は、手放す、譲る、など、今までと相反する概念が通常化すれば解消。〔食えないミエと面子とプライドを放擲〕こんな事は、仏教(利他、お布施)、キリスト(懺悔、アガペー)、イスラムなどでの教義には散々書かれていることです。お勉強をする事は、とても良いことですがオベンキョウをする方向を正しく選択する時代に突入していることも一考を。キーワードは『みんなの幸せ』に成るかどうかであり、一部の利益だけを追求することで成り立つ時代ではなくなり、結果として利益を得ても、そのニンゲン性を問われる時代だ。外に向かい最後はココロへ、沢山儲けても結局手放すことになる、ブーメランのように己のココロへ戻って打撃を与える事になる。抱え込み、独占が許されない状況に突入してる・・我々・・感知できるか?何をするにも畢竟、己のココロの成長が、最初で最後。ココロの成長という究極の競争、このゴールテープの無い永遠の競争ならいくらでもどうぞ。『男が熱中できるのは、ふたつだけ、遊びと危機である』とニーチェが言い放っているが、危険を冒す気力を失った現在の〔男〕たち。行動の前に考える、シナビタ精神力ではね~^^~。男の感性では捉えきれない状況ゆえに、萎びたのか?現状打開は〔女性〕の感性に頼るしかないのか?女性進出の勢いはそのまま、〔男〕の退潮を現出してるようだ。・・・・・悔しいけれど・・・モチツモタレツデ?・・・。野性の力、森羅万象に多情多恨+謙譲の心をもう一度。しかし、最後にワレワレが手にするものは・・・イッタイ?勲章は己だけが知る挑戦した情熱だけだ・・・・・・・・・納得できますか、それだけで?今、大昔のダレカ言った、変形の衆愚政治の再来か・・・。
2003年12月22日
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・・・・・真っ暗、漆黒の闇、星もミエナイ・・・・・。今日は、今年最後のソフトボールの練習と忘年会がある。これから、今年の練習の総括に行く。寒そうです、外は。日記を書きつつ『鬼塚ちひろ』のインソムニアの月光・螺旋・眩暈・edge,などを聞きながら、進めているが鬼塚の曲を数十年の中で飽きずにも一番聴き続けている曲にになってしまったようだ。一年チョット前から、聴きつずいている、飽きない。娘に教えられたのが始まりだったが、嵌まった。年齢でいえば親子ほども違いがあるが、すきなのだ。鬼塚の訴求する『ナニカ』を感じる、作品をイロイロな表現する言葉があるけれど、ドレも当てはまらないようにも思う。しいて言えば、人間の根源的なことをメッセージしているように、言葉と音符で表現してるのか?と思っている、勝手に。数え切れずに聴いた、飽きない・・・なぜだろう。音と言葉と人生の融合歌、かと、既に達観してる風な鬼塚。以前、X-JAPANの曲にも暫く嵌まっていた時期があった。X-Jはクラシックと現代の融合とゆう事を感じたが、鬼塚のはもう少し広範、異質なものの結合・融合を感じている。人間の質が違うのじゃないかと思うほどです・・・私だけ?それとも、〔ウーマン・インチュイション〕なのか?現在のこのカオス・激烈な世界を女性特有の直感で掬い上げているのだろうか、詩・言葉の配置が違うようだ。女は謎が多いから、男の感覚では一生不明なのかもしない、ルーマニアではコンナなぞなぞがある。・ぶどう酒と女はどう違うか?・ぶどう酒は栓を抜いてから愉しむが、女は栓をしてから愉 しむ。も一つ、・劇場と女はどう違うか?・劇場ではドラマがおわって幕が下りるが、女は幕をあけて からドラマが始まる。コンナ風に違うのだから、質が違うと思っても男にはしょうがない?のかもね、男と女には本質の理解はムリかも、ね。(それでないと、男女のいる意味がないようだし。)それでも、鬼塚の歌はどれもレベルを超えている、慶賀。カタイハナシがオオクテ、考えていても日記を書いていても自分で飽きてしまう、疲れてしまうので、作家の吉行淳之介が本の中でこんなハナシを書いているのを思い出した。〔ワニを生け捕りにする方法〕聖書と、空のマッチ箱と、望遠鏡、ピンセットを用意し、ワニの出そうな川原に行ってテントを張り、中に寝そべり聖書を読む。すると、退屈なホンだから眠くなってくる。ぐっすりと寝込んだところへワニがやってきて、やっぱりワニも何だろうかと聖書のページを繰ってみて、退屈して眠りこんでしまう。早く寝たほうが早く目覚めるのが当然だから、こちらが早く起きて寝ているワニを望遠鏡を逆にして眺めると、とても小さく見えるから、そいつをピンセットでつまんでマッチ箱に入れる------これでメデタクワニを生け捕りにできた。と、いう含蓄?のある、抱腹絶倒、笑える、お話です。土から産れて、土に帰るヒトはみな、子供から大人になり、また、子供に帰る、そして土に帰る。生きてる意味をホントに知っているヒトはいるんだろうか?意識は稲妻、舌はカタツムリの心境だ、ゼ。クオ・ヴァディス・ドミネ、(主よ、いずこへ行きたもう)
2003年12月21日
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・・・昨夜は飲んだ、新宿で忘年会、戻って、又、飲む。25時帰着、5時10分前起きる、ノミスギか?歌舞伎町は大盛況で、路上にはヒト人ひと+警官、不夜城。街の夜の景観は田舎はモノクロ、都会はカラーの写真を想起する。ネオンの多少なのか?夜景のキレイな所は沢山あり有名じゃなくても以外に近場にある。キレイな地上の『星座』がすぐそこに。いまは、高層ビルからの眺望を売りにしている所もあり、そこかしこにあるようだ。景勝地の夜景の有名どころはイロイロあるけれど、以外に夜間便の飛行機からの眺望は穴場ですね、地方から東京便に搭乗する時には夜便で窓際の席に乗るとタノシメます、絶景。静止画と動画の違いも感じる事が出来る、夜間飛行は。写真は思い出を定着させて記憶のうすれを一気に回復する事ができる、ヨイコトモ、嫌な事も、ムカシに回帰。写真のことでいえば戦場の多数のカメラマンがいるし、いた。ロバート・キャパの戦場の作品、なんとか賞?も取っている。著書もある『ちょっと、ピンボケ』だったかな?。その他に、沢田教一、ラリー・ロバーツ、峰弘道、秋元敬一など、まだまだいることだろう、命知らずが。戦場に武器も持たずに武器にもならないカメラを楯に出かける心境、それも最前線に、裸の『命』むきだしで。突き動かされるもの、何がソウサセルノダロウカ?頭の中を開いてみて見たいものですが、しかし彼らには、凄惨なロマン、をもまた感じるものです。彼らにしても死をかけて、命とひきかえに、ということは承知している事だろうが、命とひきかえに何を得ようと思い立ち出かけるのだろうか、そこに?そういう人たちは無意識の使命感、に突き動かされているのかもしれない、本人が気付かないままに、知らず知らずに。頭じゃなく、人間の本能、本質の探求者かもしれない。戦場で国とニンゲンの生存の為のオゾマシイ、悲惨、凄惨、極限、ありとあらゆるニンゲンの醜さを曝け出している現場、それから眼をそらさずに対峙するって・?・イッタイ。本来それが本質、真実で、イマの現実がカクウなのか。お為ごかしの議論に熱中している巷のワレワレを横目に、そこにある真実を拾いに往く勇気と情熱は、対岸から安全な所から論評しているワレワレには知りようもない事なんだろう。・・・・・・・・・そこに立った、ヒトにしか。我々は命と引換えに拾上げて来たそれ、その一枚の写真をタバコ(^。^)y-.。o○を燻らせて、ヨイ写真ですね~と・・。○○賞を進呈いたします、と、喧しくホザイテイル、だけ。対岸の火事ですもの類焼はないし・・・安心・・・だもの。賞賛も必要でしょうが、命と同等それ以上の価値を含んだ一枚の写真の背後から立ちあがってくる『それ』を掬い取れる網を、私は我々は持ち合わせているのだろうか?それがないと、救われない、一枚の写真。芸術に向かう衝動と、戦争に向かう衝動は同じ所からでてきてる。戦前のヨーロッパの詩人・哲学者ポール・バレァレリーは、「文化とは血を流さない想像力の戦争である」と喝破。で、あればもう血を流す戦争は止めて、国と国、全員参加の『文化戦争』をする、国連決議で・・・ダメ、か?『知恵の戦争』をした方がシアワセは近いように思うが、そこまで到達するにはニンゲンはどれだけかかるのか。~~~遣り残したニンゲンの最大の課題、だ~~^^~~。絶望と希望はコインの裏表一対、人間の推進力だが。記憶の中に吹く風は、どこから、どんな風が吹くか、風を手にするにはどうする、・・・・・風に訊くか。そんな事を考えつつミカンをムイテイル、己がいる・・・?(・・・ここにもヒトがいるって?、私うさぎか・・・)嬉しい事一つ。今日は誕生日だった、娘に言われた。(覚えていてくれたんだね?忘れてた、が、ヨメさんは?)
2003年12月20日
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・・・今日の陽がミエナイ、冷えた、陽の射さない朝。左の手に運命が有り、右の手に自身がある。そして、己が両手を使わないかぎり生きていけないようだ。そうして生きることを始めたときが、己の出発の日となる。眼に触れる全てにココロをソヨガサレ、影響され、決心し、挫折し、また、立ち上がる。浸され、脅かされ、感激させられ、誰に、何に向かえばよいのか解からなくて、苦しむ事をくりかえす。でも、生きる、生きるしかない・・・・・今生。一つの事に専念できる、自身にナリタイト思いつつ、難しい。情熱と情念の壮絶、凄絶な生き方をしている無名な人達も、星の数ほどいるようだ、魂のオチツク場所を求めて、ネ。経験する為に生れて来た我々ですが、ワレワレノ、マネのできない生き方をやってしまった、ヒトタチもいる。アラカンこと、嵐寛寿郎。女から女へ渡り歩き、チョット鼻につくとたちまち家屋敷をあたえ飛び出し、御身は朗々とし生涯一度も浮気をしたことが無いと嘯いていた真面目男?。そんなで巨万の富をすべてアワ.。o○にして、最後は四畳半でのたれ死にした。作家では永井荷風がいる。昔、当時の二千数百万円の郵便貯金通帳を胸に収めたまま、ノタレ死に。死んだあとに診ると無造作に胸に郵便通帳が入っていたそうだが・・・・・郵便貯金というのがいいじゃないか?。この永井荷風が言うには、女房族に対しいれば煩わしく、いなければ不便となげいていたそうな。さびしい、つらい、いやなことが沢山あったかもしれないけれど初志を貫徹、天晴れであった。実に日本のヒッピーの大元締めは永井荷風だったのである。・・私はそんな人になりたい!・・・でも、なれず。人それぞれの過去と未来を展開しているんですが、ヒトと違うから良いのであって、違うことに我慢のできないヒトが多すぎる。それが問題の始まりなのに。過去と未来の狭間の流動する、今、に生きている境界線があるわけも無く、現在は一瞬ごとに過去になりつつあることに気が付かなければ。足元を見ないで時間を考えていることに。足下、靴のしたの砂は休まずに流出している、水も流れ、あらゆるものが一瞬も休まずに過去になっている。過去も未来も、現在から表出するものですし、その現在も槍の先のように在ってないかの如く流動している。その、タイトロープようなの足下を診ないで歩けるかな?けじめのない時間の流れの中で綱渡りをしている己に在るのは一瞬の今しかない。人生とヒトは嫉妬深い女に似てて常に正面でまめに付合わないと、チョット横見をするしてるとしっぺ返しを食らう。〔tit for tut〕過去、未来も現在を蔑ろにすると、即、しっぺ返しが飛んでくる事になる、連続しているんだから。こう観ると、ニンゲンの死にザマも、イキザマも同じものはなくて結局、オンリーワンでしかない、ホッテオイテモね。ムリして目指さなくても最初からそうだったんですから。只、在るのは、『今』を充実させることのできる、己だけ。ノタレジニしても車には轢かれないように・・しよう、と。
2003年12月19日
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・・・ポカポカとして暖かい陽射しが射し込んできている。この世の中、よくも悪くも言葉が氾濫、横溢している、文字と言葉を取除いたならば、いったいどんなことになるのか?普段あまりにも当たり前になりそれからの恩恵は、空気とか水のようであり、あって当たり前。しかし、なければ社会機能不全、それどころか社会は崩壊してしまうほどの威力を発揮している、言語。原初以来、磨き、練り上げ、言語を創り続けてきた人類。国、民族、地方訛り、世代間の隠語、その他もろもろあり。そういえば神話にある『バベルの塔』は世界中からヒトが集まり神の領域を侵すほどの塔を建設しようとして、神の怒りに触れ完成をみることができなかったものですが、その時代は人々の言語が同一であり、その事でニンゲンが勢力をのばして傲慢不遜に為り神をも恐れない言動に走った。そこで神様はこのままだと又いつか、ニンゲンは楯突く事になると、言語が一致しているからだと、現在のようにバラバラの言語形態にされた、という神話。神様をも恐れさせ、ニンゲンの力を矯める事ができる言語。旧約聖書には「道初に言葉ありき」と書かれている、言葉の重要性を要約している。このことの意味をもう一度考える価値は有りそうですね。聖書の如くに質実剛健を兼ね備えた内容のモノはこれから先も含めて、ムリですがそれにしても何時の時代のもの?いまだかって、毎年ベストセラーです・・・怪物?。聖書までいかずともシェークスピアのように絶大な影響を世界中に持続している巨人もたくさんいる。その中に、フランス16世紀の大?小説家フランソワ・ラブレーがいます。「ガルガンチュワ物語」で中世社会の歪を縦横に風刺した。その語彙たるや驚くべきほどで、シェークスピアに匹敵する程と言われているラブレー。そんなラブレーの言葉に『三つの真実にまさる一つのきれいな嘘を』がある。その道のプロに言わせればこれは、芸術の核心をついた言葉で、フィクションと人生の関係を実に見事に要約しているそうだ。(・・・なんとなく解かる気がスルガなんとなく・・・)芸術とかの話になると混乱するが、世の中うそも方便、笑える嘘とか社会の潤滑油?的な役割を果たしている事も事実ですし、実際大法螺を吹きまくっているヒトもそこかしこ。(代表が・・・・・私です?懺悔)嘘も大きくなると夢になることもあるし、嘘も百篇いうとほんとになる、と言うのもあるし、嘘からでた真などもある。普段から我々は言動に一喜一憂し振り回されている事がいかに多く、善悪、好嫌、利害損得の判断を繰り返している日常がある・・・スベテ言語ガ、レバレッジ、ナンデス。言語の違いで苦労をしたり日々呻吟している。ウソでもホントでも、記されたものでも言った事でもその中にどれほどの『情熱』が含まれているのかが問題で、その『情熱』がヒトの心をうつ、うごかす原動力になる。発するヒトの情熱、潜熱、顕熱、発熱、フィーバー度、これが氷山の下に、どれだけ沈み、潜んでいるのか。ナカナカ表面に出てこないものを嗅ぎ分ける己を磨くことがいよいよこの時代には求められているようです、ネ?どんな時代も変わらずに、ミンナ、タイヘンデス。<変ればかわるほど、いよいよ同じだ>、、、、、ココロの嗅覚を鍛える、何事かを。まず、球形の鏡の中に鎮座し、己を発見?することからか。(人間ガマガエルになり、ココロの汗を・・・・・・・この汗、何に使えるのかしら、ね?この汗は・・・・・)
2003年12月18日
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・・・・・ホント、ニンゲンは不思議だ。この楽天日誌も自身の励みにと始めたのですが、それぞれに書きこみやらリンクやら無言のバックアップで続けることができている、声無き声の力から。<貴方がいたから、励まされ癒されている、私うさぎ仙人>・・・・・・・日々、感謝しかないです。ところで世の中とても一人で出来ない事でも仲間とか、敵対関係にある人たちとの対抗力へのパワーで、とても一人で達成できない事も成し遂げる事ができるようである。あるいは逆境とか反対勢力とかが無ければ成しえなかった事の方が多いくらいだ。そうゆう意味で、周りを見渡せば決して自分の仲間、応援者だけが必要なのではなく、目標を達成するにはライバルが居る事のほうが必須条件の一つといってよいくらいだ。スポーツとかギャンブルに例えると対戦相手がいるから切磋琢磨してワザを磨き、知恵を絞り、駆け引きをする。(敵を知り己を知らば百戦危うからず)ソレが発動しないものには発展も成長も無いし、百戦百敗の憂き目に会うこと必至です。成功者にはカナラズ、ライバルがいた。そう言いつつもライバルと認めつつ、しかし、付合いたくない人たちもまた、現実いるのである、困ったもんだ。ソレを口にだすと最悪の状態になる、もともと良い意味でのライバルから、不毛の抗争へと突入する事になる、最悪。そうゆう人達と酒宴で酒を酌み交わす事になることがママあるが、牽制と緊張で無口の酒宴と為りやすく重い雰囲気が漂う事となる。型ドウリノ挨拶、重い雰囲気、様子伺いの光線がビシバシ交わる。どんな酒席でも会合でも知らない相手とでも、チョットした工夫をすれば相手に不快を与えず少し幸せになれる方法がある。グラスでもお茶でもコーヒーでも良いですが、手に持ちつつ相手の顔を観る、その相手が嫌な男で付合いたくないやつだった場合、こいつが死んだらドウユウ弔辞を詠んでやろうかと思いつつ酒を飲む。そうすると楽しくなってきて、ついニッコリ、ニコニコする。そしてその事を考えているので真面目な顔にもなる。すると相手は、私のニコニコ、ニッコリやら沈黙やらを勝手にいろいろ自由な方向へ考えてくれ、うまいぐあいに受けとってくれるようなのだ。しかし、これはヒトがワルイと言えばわるい、が、進展の無い結果を生産性の無い時間を過すよりも、ソレまで以上に好印象を与えられて先を考えると不毛からの脱出?への一歩に成るかもしれないのである。これは、決して漏らしてはいけない、これまで以上に悲惨になること請合います、です。<秘匿あるのみです、ゼ!>でも、これからが問題ですが今後、そのような酒宴、会合、飲み屋などで、自分の前でニコニコ、ニッコリし始めたヒトが現れたならソレはもしかして、オレがクタバッタトキノ葬儀の弔辞を密かに・・・・・と、考えた方がよさそうです。自分も使用しているんですから当然・・・・・ネ?世の中広い、イロイロ考えているヒトがいるもんです、ダ。こんな秘密が漏れてヨイカドウカ?チョット考えますが、まぁ、<ひとりブラックユーモア>なんで、ニコニコでギスギスを取るには、ホドホドなんじゃないかと思ったりして。ところで、そんな場に出くわしても、ケッシテ怒ってはいけません、オオラカニ、やってるな?ワザを、との寛容さで。<ガ、カンガエテイルコトハ、ダレモシラズ・・・>タクサンのヒトとの付合いで仮面の顔、化石のココロをトキハナツにはイットキの笑いでも、ニコニコ、ニッコリが溢れると、逼塞、閉塞した扉をこじ開けることになるかもしれません。まずは、1人ヒトリの己のココロの潤い、それから、始まる。現実離れした空想、妄想の世界でしたが、笑える何かを、ネ?いつも、ナンテシアワセナンダロウカ、笑いと感謝を!!!
2003年12月17日
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・・・陽が射して、静かな一日の始まりのようです、感謝。今日もまた、始まる新しい真更な一日が。ニンゲンに見つからないように足跡は、上手に住処まで辿り着けないようにしよう、と!。ニンゲンは強欲で奪い取る事は得意だけれども、与える事はなかなかしてくれません、です。もう、うさぎの餌場も、遊び場も、仲間もだんだん居無くなって、とても寂しいです・・・この頃・・・。『万物の霊長』とか、『ニンゲンの容をした神』などと自分たちで形容しているらしいけれど、ホントかしらね、これ。わしは何々神様の生まれ変わり!だとか、何々の神様が降臨されたのだ!とか神に成る為に周囲を混乱に陥れている現実。本当の神様はいることを感じさせないんですよね~これ。私は神だ!なんていう神様なんているかしら、もう既に詐欺常態です。でも、次から次へと神様にノロワレタ?ヒト達が現れる。まぁ、比べるものが無いし、ニンゲン同士で勝手にそう思っていれば良いのでは、ナンテ、ニンゲン以外は思ってますが、どうだろうか謙虚さなんて言葉は失った?ようですね。ニンゲンミンナ、ナポレオンノ、ニダイメダッタ!?のか。アラブの方ではこんな有名な民話があるそうですが以下。死神が砂漠のオアシスの旅館の中庭に入っていくと、その姿を見た旅館の下男がおびえすくみ、そそくさと荷物をたたんでたちまち逃げ出してしまった。そこで、死神がその旅館の主人にあの男はいったいドウシタンダネ、と訊いた。主人が、彼は貴方の顔を見て驚いたので、バクダットまで逃げてしまったんですと答えると、死神は不思議そうに、おかしいな、今日の夕方オレはあの男にバクダットで逢う事になっているんだが・・・。なんであんなに慌てているんだろう?と呟いた。と、いう民話。つまり、ニンゲンは一寸先のこともわからないのに、じたばたしてしまい墓穴を掘る、ことになるとゆう意味の教訓。現在、ちょうどイラクが世界的にホットスポットであり、又、フセイン大統領が拘束されたので、思い出した民話なんですが、一寸先を知ろうと懸命ですが所詮ニンゲンです、神にはなれず、高邁な理想も良いですが足元にはタクサンのダイヤモンドが落ちている事にも眼をやってみては、如何?窮すれば、ジタバタしたくなるもんですが、孔子さんも『怪力乱神』を語らずなんてことを既にン千年前に、申しておられたのにね~残念。<フセインさんも己は神と勘違いした・・・・・かもね?>うさぎ仙人もこれから、いつ、なにが、どんなことが起きるか解らないので、神様にお祈りを欠かさずに・・・違う?これからも地道に足元の石をエッチラ!えっちら!と積み上げようかな・・・・・なんて。あと?日暮れて道遠し・・・でも、路はできる、ジブンの。
2003年12月16日
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今日は、書くのが遅くなってしまった。と、言うか、一日遅れだ。(24半すぎから始めます・・・)学校教育は義務教育、高等学校、大学、高専、各種専門学校など学問をしようと意欲的になれば、あらゆる機会を得られ余程のことが無い限り、それなりに自分の行きたいところへ行くことができるようだ。とりあえず、入学試験を通ることが必要ですが、お金があれば、まあ、それなりに入学できる。しかし、昔の学校と違い昨今の学生たちは、勉強する為に入学する?のか、遊ぶために入学するのか、高いお金を払い学校へ行っても勉強はしないで遊んでばかりいる、と、言う話が当たり前になってきて、話題性すらなくなってきたようだ。女子大生は性風俗産業へせっせとアルバイトし、それで稼いで海外旅行とか、レジャーの為に頑張っているヨウダ。男はまた、同様にアルバイトに精を出しいったい勉強は何時しているんだ、の声をよく聞くことがある。普通、学校へ行けば勉強するのもだ、と、親は一応思っているものだが、学生達はどうもそう思ってない、学校へ行けば思いっきり遊ぶ、試験の反動が来て入学すれば良くて、入学後は遊ぶ為にあるようだ。全ての人じゃないけれども、そうゆう風潮が強いようだ。親との考えが根本的にずれているようだ、特に最近は。一部のそうゆう場所に居る人たちが目立つので一括りに観てしまう所も無いではないが、事実居れば針小棒大に話は膨らんでいく。実際、そのような事件も男女問わずに結構ある。膨大な人数がそのような学校へ通っているのだから、問題もあって当たり前なんだろうが、世間は清廉潔白を求める。しかし、学校は勉強ばかりする(ここで言う勉強は決められたカリキュラムを消化すること)、処なんだろうか。学校とか大学とか言うものを過大評価しすぎては居ないだろうか?ラテン語で学校という言葉は、もともと『暇つぶし』とゆう意味だったくらいなんであり、あんまり切実に考えるようなものではない。人間、学校へでも行かなければ暇つぶしはできないし、多感な時期に暇な時間が無ければ、いろいろなことを覚える事も出来ない。大学、高等教育で高い知識を数多く得ることは結構ですが、暇つぶしにより得る雑学だとか、友人、この友人を得る事が貴重なんであって、一人の友人が出来れば高い知識なんて要らない。生きていくための知識は、生きてる中で実践的に獲得するそれでいい、その為の友人が居れば。佐藤春夫氏が書いた詩に、こんなのがある。若いはたちのころなれや三年がほどはかよひしを酒、歌、煙草、また女外に学びしこともなし晩学に励んでいるときには、考えないが過ぎてから思えば勉強ばかりじゃなくて、それ以外のことのほうが為になっていることは、みんな身に覚えがあることだ。知識を得られ易いのは大学ですが、ジンセイの何たるかはジンセイの大学で学ぶしかない。たった一人の本当に頼りになる、親にいえないことでも言える、悪口も言えるような友人を確保したかどうか、それが、ジンセイ大学の卒業証書のようなもの、だ。したがって、学校へ行って勉強しないとか、遊んでばかりいるとか、性風俗産業でアルバイトしてるとか、女遊びばかりしているとか、フラフラしているとか、・・・とか、・・・とか、・・・とか、もう、ソウユウモノはほって置けばいいのです。そんな中から、何かを拾ってくることができればよい。また、拾ってこれなければそれまでの人なんですから。知識偏重にいつの間にか、流されている。PCの検索が出来ればタイガイの事は出来るし、一番必要なのはこの時代『こころのゆたかさ』なのじゃないですか?胸に手を当ててみれば・・・・・ネ。『玩物喪志』に近いココロ、本質を忘れてる?『フェティシズム』もあるし、まぁ、シンプルに接近せずに離れてみる事も必要なときも、ものもあるようだ。ジンセイの大学、ワタシの大学、大学は心の中にある。本当の『卒業証書』を額縁に・・・・・?手に入れただろうか・・・私?
2003年12月15日
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・・・・・朝、風が尖って冷たかった・・・・・。しかし、集まったソフト仲間は今日も燃えて熱かった。今年もあと一回、21日のソフトボール練習と夕刻からの忘年会を残すのみ。 それで総括、終了で来年へ。早いものだ、二月から十二月まであっという間だった。1シーズン怪我も無く、施設にもケガをさせなかった事が一番の収穫だった。感謝!無病息災よかったですまた、来年も!この一年また、小泉首相も国民も、経済、産業、あらゆる組織、個人も安穏としていられずに、それぞれ変革、イン/アウトプット(真の実力値)の見直しを余儀なくさせられた。変る為のステップの歳か、それとも未だ前哨戦なのか不明。戦後の日本で憲法云々で派兵などと言うことを言えば、それはもう、蜂の巣を突いたようになり内閣総辞職は必至だった。(しかし、何とか内閣は踏ん張っている、不思議です)ソレが今年は、自衛隊が復興支援でいく事となった、仰天。往くも往かぬもそりゃ~大変な騒動を引起した・・・それぞれの立場と寄って立つ所から・・・喧しい。それぞれ尤もらしい論理の応酬合戦と応援合戦が続いてる。その事の、善悪の判断は、後の歴史が結論をだす事になる(善悪の判断?事実があるだけナンダケレドモ・・・ね?)ソウ言えば、ムカシ、日米安全保障改定時にも革命が起きる如くに大騒ぎした時代もあった。時の岸信介首相が執権を振るっていた、時代だ。そのときも安保改定にみな関心を持ち、デモ、スト、国会をデモ隊が囲み占領一歩手前までいった時も有り、ホント革命前夜?の様相を呈していた。(女子東大生が亡くなった)左右の勢力の決戦バトル頂上戦、どちらも必死!だった。ソレを思い出した、今年のイラク復興支援の様相と、相似。その騒動の最中記者会見が行われ、「日米安保改定(強引な改定)に不安と疑問を持っているが・・・。」という記者団に対し、岸主相は「後楽園球場は今日も満員だ」と言い放った。そのヒトことで一段と過熱する事に拍車をかける事になった。その当時で真意は定かでないけれど、「組織化された限られたデモの参加者で、都内の映画館や野球場は満員だし、銀座通りも街も何時もと変らない」と言った様だ。今よりも、左右勢力が拮抗していて、マスコミの報道合戦も組織の圧力も、今以上に強かった。岸主相は、あたかも安保改定で国民全員が戦争に巻き込まれる不安を持ち、そう思わせる報道を繰り返すマスコミへの激烈な批判だった。しかし、結果は煽られて安保反対の運動、報道とは反対に「声を出さない人たち」は意外に多くてやはり、映画、野球、お買物を愉しむ人達と精神はそう変らずにあった。事実は岸主相の言う通りに成り、冷静と理性はそこにあった。岸主相は現代の繁栄の基盤を孤独に構築仕上げたが賛否両論。扇情的報道に乗り過熱する反面、逆に事実、冷静、理性を再確認する多数の国民もまたここにいる。昔も今も国民の関心事は多様だ、そして、知識と経験を積んでいる、「サイレントボイス」にはソレが含まれている。政治家とマスコミはソレを読む洞察力が特に求められる。偏向にならずに俯瞰、鳥瞰且つ大局観を・・・難しい?か。政策の前に『ニンゲン』の、お勉強をオサキに、と言いたいです・・・・・・ネ?(見誤らないようにしてね、願望?)今、ニホンジンの『サイレントマジョリティー・ボイス』。ミエナイ谺は何処に・・・アルンダロウか?把むイッタイ。しかし、サメテハイケナイ、冷静の中の情熱を。片目で過去、もう片目で未来を、しかし生きるのは、今だ。『賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ』デキル、ワタシ?『パラドックスの国』のニッポンとニホンジンを信頼。
2003年12月14日
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・・・アサから陽射しが射し込み、穏かな日和のようだ・・うさぎのクリスちゃんも機嫌がよくて、出てきて足に噛み付いてくれます。家の中は運動場です、速い、カジル、噛み付く、ブ~ぶー言う、の何拍子?なんだろうか・・・・・・コヤツハ。まぁ、ヒトリデ遊んでいるから、いいか。先日、PCと言うより、この楽天日記の制約条件を知らずに記述内容に禁止記号を使い終了後に送信が弾かれてしまい、原因不明で時間を使ってしまった。(≒7H後に判明した)(もひとつ、今でもいろいろ解らずのままです)楽天の他の人たちもPCの不調、故障で苦闘を強いられているようです。女バンチョkakoのヨガ日記さん。 http://plaza.rakuten.co.jp/altamodakakoみらいXさん。http://plaza.rakuten.co.jp/sg850051/diaryold/20031213/ 相次いで故障、不調でしたね、大変ですよね、これって。いろいろあら~な、の、らく~な気持ちでいこうヨ。~明日はわが身なのです~昨日書こうとしていた論語の限界・・・は、あらぬ方向へと跳び、今日は跳ねて戻って考えることにしよう、と。中国の古典であり、その影響力はわが国に絶大な影響を与えつずけて居るし、知らないヒトはいない?最近は・・・。シラズに影響を多大に受けているのは事実です。人、国策、組織形態の根底を成す論理として揺るぎない地位を築いている、孔子さんの思想ですね。その中で日本の財界を創った、明治時代に近代的な企業の殆ど全てを興したと言ってよいほど大活躍した渋沢栄一がいる渋沢が関係した業種は、銀行、鉄道、海運、メーカー、商事、あらゆる分野生涯に約500もの大企業をつくり上げたそうだ。日本の資本主義の先駆者であったが、ついでに日本独自の『財界』をも組織したことが重要な点です、世界唯一。財界、実業界と言う経営者集団ができ業界談合体制が育ち今に引き継がれている、最近の『ダンゴウ』は英語に成った日本語の一つ、悪習慣の代表のようにいわれ現在も。その渋沢栄一は座右の書とし朱子学の『論語』を経営の根幹に据えて組織を構築していった。朱子学が日本の近代工業化、資本主義にあたえた影響は、1960年代と2000年代の今では、その評価はまるで違うようだ。ヨーロッパがルネッサンス、産業革命で大発展したがアジアは停滞したままなのは『論語』の悪影響と言われた。『論語』の教え、社会には固有の秩序がある、親と子、君と臣、長と幼、男と女といった序列が不変の重みを持つ。新制度や発想で世の序列をひっくり返す下克上は善くない。下克上は民主主義にも通じ、明治初期には「デモクラシー」を「下克上」と訳した辞書もあったくらい。『論語』を中心とし儒教の教えは、新規産業、体制改革より従来の秩序を転換する、進歩発展を嫌うために成長を妨げる、とマイナスの評価が強くなった。しかし、1980年代に頃から韓国、台湾、香港、シンガポールが急成長、そして、東南アジアの国々。1990年代になり中国も急成長しだした。結果、「儒教文化」、「儒教経済圏」などという言葉が生まれ、『論語』中心とする儒教の中の勤勉の精神を見出すように。朱子学の「主知主義」が家族制度と結びつき勤労、勤勉、をバックアップしてるという積極的評価が広まった。秩序と強調を重視しみんなで出資、みんなで利益を分配する、ただし、この場合出資できる上流階級に限定されている。これは、階級秩序の存在を前提にした「上流階級協調主義」を考えた、『論語』から帰着する発想といえるようだ。『論語』の矛盾は、「貧しさを憂えず、等しからざるを憂う」といいつつ同時に、「殿は殿」「家来は家来」「農民は農民」の秩序維持を説くところ。これは、「ヨコの平等」でなくて「タテの平等」なのである。平等には「機会の平等」と「結果の平等」があるが、『論語』は「結果の平等」と説きなかでも「タテの平等」の実現を標榜してる。「タテの平等」は、結果の平等、安定、年功序列、保守が基本。(突出を嫌うため停滞に向かう)「ヨコの平等」は、機会の平等、流動、実力主義、変化など。今まで「タテの平等」をある程度達成してきた、しかし、現在「タテの不平等」が増幅し下克上が当たり前になり民主主義が浸透して「タテの・・・」「ヨコの・・・」バランスが崩れてきてしまい今の、あらゆる場面での混乱を招いている一因?なのかも知れない。吸収できる矛盾のレベルを超えてしまったようだ。東西対立後の残った西側の矛盾の噴出と同様にね。「タテの平等」は世の中を発展させないし、維持するには「嫉妬の政治」、このへんが『論語』の限界なのかも。バックボーンにした渋沢栄一的日本の経済の限界もこの辺に有る為に、転換期の今、移行期のど真ん中で喘ぐのか、と。百数十年、日本の根底に隠然と根を張り広げた『論語』、何をとり、何を捨てるのか、そして変り得る新しい何を創れば良いのでしょう・・・・・か?今の時代に生れた、我々に与えられた『・・』か?もう、書くのが疲れて良く解らん、重い、こんなのは、ネ。見るのも嫌だね~これって・・・・やメ~、や~メだ!!!書き始めは、ヨカッタのに・・・なんで?。
2003年12月13日
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・・・・・起きたらば、朝から夕刻の天気のよう、です。何か最近は、年金、失業、イラク派遣、子供の虐待、青少年の犯罪・非行、などなど毎日が新聞のネタを提供して余りある、現実が在る。事実は小説よりも奇なり、と言う言葉が有りますが、毎日が事件のオンパレード、途切れない日々です。類は類を呼ぶ?引き寄せあう、と言う事も事実なんで、余り悪い事ばかりが一面に踊る事は、どうかな~と思いますが。不謹慎ですが「他人の不幸は蜜の味」の読者心理にもあるんで部数増を考える新聞社、マスコミなども責められないし。法律改定し明日からは、明るい、楽しい、みんなの為になる記事しかダメ!!! ・・・・・にしたらどうだろう?(汚職、事件事故、立派な反面教師、と言うヒトも?それはチョットアチラニ、おいといて、ネ?)閉塞、逼塞、先行きの不安を払拭する、名案か!イイね。八方塞の状況を打破できるのは、ひとり一人のエネルギィと意欲、覇気の増量しかないです。こうゆう時代だからこそ、時限立法で記事制限をする。経済成長率が一定の%を下回ると発動する。『経済回復時限立法』を制定することで、暗・寒・愚の時代を一時忘れる事ができる・・・スバラシイ、のだ!これで、インフレ・デフレを冷却できる事になる。経済が過熱する=暗い話題で水をかける、ヒトの心に。経済が停滞する=明るい話題で暖め鼓舞する、ミンナを。暗のとき→明、明のとき→暗。の記事を連発することで、キッチリとバランスをとる、・・・・・政治もマスコミも株がアガリマスゼ!ホント。難しい理論にはもう飽きたし、効目の無い薬ばかり飲み、まわりは副作用だらけでマッキ症状ですだ・・・コチラハネ。明るい話題とか、笑いの効用は考えているよりも効果は絶大です、病気も治すことが大学などで実証され、寄席などで笑うことで、ガン、などを治療しているそうだ。免疫力を向上するには『大笑い』が必要なのが判明し、精神の明るさが重要なのですから、みんなの耳・眼に触れるものはそのような方向性を持たせる政策を!して欲しいネ?思い出そう笑いの効用を、今こそ。人間本来の力を信じて、本能の政策を打つ事が近道。あっ、でも、ニンゲンを信頼できないから今の世の中になったのか・・・・・ソウカ?ソウダッタンカ、うかつだった!!!・・・自分を愛することで・・・・・精一杯なのか?二十世紀を席捲したイデオロギー、思想は沢山あったが集約すると、だいたい三つにまとめられそう・・・・・です。1、自動車ヘンリー・フォード、電気産業の松下幸之助における『効率勤勉主義』。効率よく勤勉に働き生産を増やす、結果ミンナシアワセ。2、『結果平等追求主義』、マルクス、レーニン、毛沢東などの社会主義の人たちが経済的平等を追求した理想。けれど、現実の実験社会主義国家は理想どうりにはならず。ソ連、東欧も成熟すると「共産党貴族」がご登場し資本主義国より格差がある国家が生まれたようだ。また、それを解消しようとした毛沢東主義は悪平等を拡大。結果、文化大革命の失敗を誘引した。3、最後は、『快楽主義』チャールズ・チャップリン、ディズニー、ビートルなどといった人々が打ち出した面白い世の中を創ればいいといった考え方。これを代表したジョン・レノンは、≪つきつめると、僕は愛と平和にしか興味が無い≫と言い切っている。冷戦後には特に自分の好みを追求する快楽主義が蔓延し、非常に大きな力となっているようだ。「フォ-ド・松下」システムともいうべき効率勤勉主義は、時代に合せて変容をしなければいけないし・・・・・・・・・・・これが問題だ。 効率勤勉主義の代表格の松下幸之助氏は、「供給者として必ず最良の製品を提供する」の信念だった。消費者の選択などはあまり考慮して無かった。昭和から平成、二十世紀から二十一世紀へと時間軸は動いている、時間はとまらない。未来は現在の積み重ねならば、偉大な過去のものをどう引継ぎ、何処に向かって行けば良いのか?何を引継ぎ、乗り越えるべきものは何なんだろうか。現代の我々に残された最大の課題、ワレワレの宿題。・・・何かを得れば何かを失う・・・。~~~のこされた我々は、あまり偉大な先人を持つとね~~~~~タイヘンダゼ~~~~困ったね、こりゃ・・ネ?メビウスの輪のように永久に永遠に働くのが、ニンゲンダ!アトハ、@@@@の降臨をマツノミ!!!・・・結論です。
2003年12月12日
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・・・昨日に続くことになった、以下。その中に、ひとり、詩人≪猪早 圭≫氏がいた。メルマガにも毎日詩を公開しているのですが、何時も楽しみに観させて頂いている人と話が出来た。(・僥倖・)著書。『僕はそのようなひとになりたい』近代文芸社『真夏の邂逅』文芸社 の二冊を刊行している。透明で涼しく、俗世を超越したかのような精神性で離れたあとには、爽やかさで・クレンジング・されたようでした。とても、ラッキーな夜だったのです、感謝!。 【魂の浄化】にとても、キキマス、です。新宿までの往復の雑踏の中でしたが、帰りは気にならず。帰りの中の電車の中で『竹林の七賢人』のことを、ふっと、思い返していた、昨夜だった。しかし、ニンゲンはフシギダネ?日に新たである為には、いつも”なぜ”と問わねば。素直で私心なく熱心で一生懸命ならば”なぜ”は随所に。ソレをやめたときに、進化が止まる。ヒトの変化も経済の繁栄も”なぜ”を問うところから生る。個人も日本も今また大変革のときを迎えている、今日の成功も失敗も『過去』とは無縁ではない。過去の日本は過去を消さない一面で、過去のある面を巧く切り捨てたようだ。源頼朝は鎌倉に幕府を開き平安貴族の文化を脱ぎ捨てた。織田信長は楽市楽座と兵農分離を実現し、貴族化した足利幕府体制文化を過去にしてしまった。大久保利通は試験で官僚の主導力を確立し武士階級を否定。結果としてフランス革命、ロシア革命も成しえなかったことを、明治の日本はたいした混乱もなくなし遂げた。このように、日本の過去には常識を自ら否定する?ような、”なぜ”を発するエネルギィと知恵をもち尚、未来へ断行する行動力と意志を発揮してきたのです。上智大学名誉教授の渡邉昇一氏は日本の過去はパラドックス(逆説)の連続であったことを証明し、歴史の正統性の何たるかと、自信・尊厳を思い出させてくれる。また、逆説なき国には衰退しかない、とまで記している。 『かくて歴史は始まる』クレスト社。個人でも、小さなパラドックス(逆説)またはコンバージョン(転換)を自身で引起す意志を持てば、新世界がそこに。求めるヒトは、・・・・・一読されたし。 魂と本質に辿り着くには、 ・・・・・・時間と空間を越えなければ、ネ。
2003年12月11日
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・・・今日という何十億分の一の、ただ『唯一』の一日・・サクヤはノコノコと新宿での飲み会へデカケテキタ。沢山の人たちが夜遅くに集まり、フルスロットルだった。未来の時間を沢山リュックサックに詰め込んでいるヒトたちが圧倒的でした。(、、、夢の山、、、)いろいろなヒトと接近戦をさせて頂きました。役者のかた、雑誌のライター、何社も経営している経営者、など。成功しているヒト、これから華を咲かせるヒト、これから挑むヒト、ソレは百花繚乱200数十名参加となると壮観。ん、えっ!・・・送れないぞ・・?・・・。!!!ナゼカ?次を送信不調、途中でストップ・・・!!!・送信できなかったのは、使用禁止の入力記号を用いてたようです、12/11修正済み、何度もトライ、判明してヨカッタ!
2003年12月10日
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新鮮な一日が、また、ハジマッタ。鳥の声が聞こえる、穏かなんだろう陽も射している。悠久に更新されている日々が在る。まわりは真新しい自身を獲得することが出来ているようだ。自分はどうだ?、、、、、、、ヨクワカラズ。ヒトは必要に迫られなければ動かず危機感なのか原動力は。何もせずに変ることだけはしたい、と、ナマケモノの我侭を考えている、・・・太い自分がココニ一人。様々な事はいわれもし、書かれもしてきたがタダ、「馬を水呑場まで無理やり連れて行っても、水を飲むのは馬の勝手」の様に、自覚が無いとナニも肥しに出来ないものも沢山があるようだ。ただし、日常の忙しさの中で時間的余裕がとれずにいると、解っていてもつい流されてしまい易いことは確か。そこで、素早く、簡単に、その不安を解消しますよ?と、マニュアル化された自己啓発本が登場することになる。ヤラナケレバ!と思いつつもやり過ごしている、チョット後ろめたい心境の私たちを、まんまと霞網に引っ掛けてくれるんです、これが、コロリと「ゴキブリほいほい」の様にかかるんですからヤメラレマセン! 出版社は。でも、やはりプロです〈腐っても鯛です〉、世の中の動向と読者の心理を読切り時流に合せたものを提出してきます。我々も、どんな業界で仕事しようとも、時流と購買者の心理を読めないことには、仕事ができるヒト、とはイワレマセンしたがって、仕事を一生懸命やっていれば必然的に自己啓発を無意識にやっている事になるし、身についている。そんなヒトは進んでオベンキョウをしているだよな~ミナサンは、ホント。初発の原動力の弱いヒトにはそれなりのモノしか身に付かない・・・自身に点火できるかどうか・・・ソレが問題だ。啓発本を見ても消化不良になっちゃうし、なかなか・・だ。それには、仕事を好きになるか、好きな仕事をするか、または、流されたままの人生を送るのか(これって結構気が付いたら辛いものがあるかしらネ・・若いと良いけれども)選ぶのは己。人生も己のもの。切開くのも己。ココロ意気は高村光太郎の『道程』のように。そして、新雪の滑走跡を見上げて己だけの描いたシュプールに満足できる己がいるようにする事ができるのか?ジンセイ航路の舵取りはこれまた、己だ、自己責任。しかし、ニンゲンすぐ『植木等』のセカイにハマっちゃうんです・・・もう、ネ、どうする、これって?(ワカッチャいるけどヤメラレネ~♪・だって・トホホ・)、、、、、ソレグライノ余裕?がなければ、イキテイケマセン、わたし、うさぎ仙人は、マイッタね。マジメニヤリタイヒトハ、マジメニ、ドウゾ!『人に道を譲るも、一生に百歩に未たず』、譲る人生を。よし、マイペースじゃ、こちらは。(なんか変?かな)
2003年12月09日
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・・・光、在り・・・あたらしい一日が始まったようだ。自然は、何もしなくても毎日、真新しい日々、朝を確実に創ってくれるようだ、感謝あるのみだ。人間の意識が目覚めたときから、どれだけの時間と変化があっても、今のところはコレカラモ循環は変りそうにない。チャチな昨今できたようなシステム、学問、概念、哲学などは、都合と状況にあわせてサーカスの皿回しとか?(サーカスにあったっけ?)、時計の振り子の如くに権威と利害で見事に振れているし、ドンドン複雑に為り作成、発見、発明者さえ右往左往のありさま。地球に毎日朝が来る、確固たる単純、なこれ以上無い完璧。ソレがあまりにも当たり前過ぎて、気にも留めない。水も空気も自然も以前はそうだったけれど、最近は水、空気自然の変質には、大騒ぎで各種・各国NPO団体が先頭で旗を振る状況が散見されます。地球というか宇宙の法則・本質は不変のようですが、人間は? どうなのよ人間は? どうなんだろう・・・か。あらゆる所で、書物で、哲学書で、歴史で、文化で、文明で人間の進歩?が沢山取り上げているようです。因みに、歩きから馬になり、馬から車、汽車、飛行機、ロケットになりこの進歩は人間の勝利であり スバラシイ!と。でも、こういう外的要因の変化は、知識と経験の産物でありけして本質の変化ではないし進歩でもないようだ。(学習能力のある無し・・・か。)人間の本質は別のところに在り、その本質は人類が生まれてから変らないようだ。5000年前のエジプトの古文書の記述には『すべての事は書き尽くされている・・・』などと、その当時にのたまってあるのが有るし、『聖書』のキリストさんいた時代も2000年以上も前、中国の古典もなどもそれはもう、大昔です。キリスト、イスラム、仏教の偉人達、聖書、仏典、聖典の数々とか孔子、孟子、荘子、韓非子、易経、三国志・・etc。などなど、もう殆ど、恐ろしいくらいの昔の人達です。応用と変化があるだけで本質は、なんら変らずなのでは?ただ、好奇心と情熱の渦動のままに経験と知恵を積み上げてきた結果が有り着ている服が変っただけ、かもしれず。ニンゲンはヨハン・ホイジンガーの『ホモ・ルーデンス』のように、人類文化と遊戯の本質をついたところの”気分”のようだ。人の遊び心が進歩と言われている所の原点、本質であり、遊びが工夫に、工夫が創造に為り、思想の構築と発明発見になった結果が現在なのかもしれない。宇宙の法則とニンゲンのアソビゴコロは不変の法則のようだ人間が人間であるうちは、そのようだ。最近、脳の右脳の開発が盛んにいわれている。3~5%しか脳は働いてないようなので、もう少し働いてもらいましょう、と、右脳を鍛えることのようです。3~5%の働きで現在の世界がデキルのであれば、1%働増でスバラシイ世界がデキルそうです、が・・・仮説。アレモアル、これもある、なおソレモアル・・どうだろう? ≪真・善・美 = 遊・笑・歓≫は同義語か?・・・・・人間の本質はアソビにあった!!!!!。 !!!アソビの天才は人類の財産だ!!!。、、、、、ヨノナカノ、オトコモ、オンナモ、、、、、、、・・・・アソビを忘れるとエルモノガ無イヨウダ・・・ゼ。もう一つ忘れていた、精密機械の歯車にもアソビがないと精密な物は出来ないそうですよ、精密機械にもアソビがひつようなんです・・・ましてやニンゲンは・・・とくにネ・・・人生は芝居だ、役者になって地球を遊ぼう・・今から・・。
2003年12月08日
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・・☆彡・・・・・・ 満開の太陽が・・・・・・・・。花も、木も、空気も弾んでいるようだ、ヨカッタ、ネ。うちのブ~ぶーマンも気持ちよさそうです(チョット太!)久々の好天に、運気も好転で、眼がテンに。(意味不明)昨夜、ソフトボールの納会へ行ってきた。今年の成績発表で我々のチーム、見事3位になった。みんな”ヨクヤッタネ”、感謝しかない!!!。戦績は六勝二敗一分けでした、よくやったと思う。昨年からの練習の成果、汗の量だけ強くなったようだ。二週間ぶりのソフトボールの練習に行ってきた。AM:六時半開始、七時五十分終了。 十四名集合。いつもは、九時前後まで練習や、練習試合をしてるのですが、今日は中学生のテニスの対外試合?の為に八時過ぎから、周辺校が集まるそうなのでグランドを均して終了。寒くなり、中々汗が出なくなってきた。朝も寒いし、少し暗いので怪我には注意しないと、もう若くないので柔軟体操などで、体を解さないと痛い目にあう。ソフトの玉は、あたらしい(試合は新品おろしたてです)のは硬くて、当たり所によってはケガなどします、簡単に。(校舎もケガさせます・・・ン?・・・破壊力あるゼ!)塁間が短くて守備位置も野球などから比べると、バッターからは非常に近いですし、打球の威力は”絶大”です。三塁手は必死です、ピッチャーも必死ですが、よく打球が当たり、突き指したり、あおあざをツクッタリしているようだ。ソフトボールは見た目よりズ~とハードで真剣にやるほど大変です、けれど ”オモシロイ” 。二十才~≒六十才前後まで参加してハッスルしているんです、我々のチームはガンバッテます、です。昨年まで、われわれのチームは他のチームから毎年、練習は好くするけれど、デモヨワイネ? と言われていた。いったい、ドウユウ事、ソレッテ?・・・皆ぷんぷんでしたミンナ、勝てば官軍なんでしょうね?心境は。でも今回はすこし溜飲を下げることが出来、ヽ(^。^)ノだ。天気の日曜日にはグランドを欠かさず ”独占”し、真夏の灼熱、冬の寒さにも(宮沢賢治の世界?)、欠かさず練習した、結果だと思いたい、と、メンバー全員が\(~o~)/。サクヤ、ノミスギ、25時帰。ケサ、5時起、頭中で鐘が鳴。今日、善い汗をかいた、こころのセンタクが出来ました。本当は今日、『釣魚大全』の事でも書こうと思っていたけれど、また別の日にしましょ。(ワスレナケレバ、ね)チョット、さわりを。イギリスの”アイザック・ウォルトン”著書で、世界中の釣師から絶大な人気で、《釣の聖書》または《釣師のバイブル》と仰がれている歴史的名著。【著者、六十歳のときに出版。1593~1683没】1653年にロンドンで刊行されてから、三百数十年を経た今も人気は衰えない。【1653年日本ではそのころ、江戸幕府四代将軍、家綱の時代、油井正雪の反乱が発覚し日本中が驚いていた頃に出た本です。しかし、この時代に既に釣魚の中に瞑想を求め、哲学へ深めえた、なんて世界は広いし・・・・・・・・・・・・ナンテ不思議ナンダロウカ・・・?・・・】三百数十年前の外国のヒトが書いたホンを、今、読むことができる?・・・・・ソノキニナレバ、ナンデモデキル、さ。釣魚の森羅万象を網羅して余さずに、そして釣りの哲学にまで深めた珠玉の一冊、『釣魚大全』、イキテテヨカッタ!ホンは、タイムマシンだ!・・・ゼ・・・・感謝あるのみ。書き始めたら、トマラズ。 次回はないようです。うさぎ仙人は、ココロノ サンポ二デカケマスル。こころと、アタマノ・・補給・・言葉の在庫もシナケレバ。
2003年12月07日
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・・・寒空にグレーのカーテンが架かっているよう・・・風もなく庭の木も、ひっそりと裸のまま立っている、静謐。さむさはアラユル熱狂を抑えるように見えるが、しかし、ニンゲンの心の情熱はムリダ。興味の対象は、ゴロゴロ、季節関係なし!昔、何故、山にのぼるのか?と聞かれて、やまがそこにあるから。と、名言を吐いた人がいた、おそらくこの人はどう答えたところで、己の心境は通ずるものではないと知っていたのだろう -知ル者ハ言ハズ、言ウ者ハ知ラズ-それでも封殺的な名言が発せられ展開されているにも拘らず、性懲りも啼く ”何故” が連発されつずけている。好奇心と教育効果の関係かしら・・・・・。テレビ、ラジオ、新聞、週刊誌から ”何故” を、取外したならどんなに爽快になる、と言いたくなるほどですが。行動と動機にはきっと”遊び”の要素が含まれ、”ホモ・サピエンス”や”ホモ・ファーベル”という定義についで”ホモ・ルーデンス”を編みだしたがすでに古典となった。”頭”や”手”のヒトと同じくらい遊びはヒトの心の本質であり、”山がそこにあるからだ”の中の答えそのものにすでに”遊び”が入っている。”趣味と実益を兼ねた”という慣用語がある、良い意味での使いまわしだが、結構な、ではなく戒語ではないかと。遊びは遊び、趣味は趣味なんであり、遊びに実利が混じると、それは”アルコールの抜けたワイン””自然のない都会””翼のない鳥”のようなもので、にがく、さびしく、いやしくなる、真の心の遊びが失せる、飛躍がなくなる。・・・・味も素っ気もなくなる・・・・ミンナ失くする?〔欲と遊びは同道しては遊びじゃなくなる〕(けれど、最近は趣味と実益を兼ねた・・・本心から・・・愉しめているのかしら、ネ・・?・・・)一銭にもならないからこそ遊びは貴重なのであって、アソビがないと ”ココロ” がこわれますゼ、カナラズ!!山にのぼるのに、汗をながし、息をきらせ、心身を砕く、からこそニンゲンは再生できる。逆説的にいかに無益であるかの工夫をしてこそ有益になるようである。そうゆうことが、遊ぶことかと。己の趣味の領域を、広く、高く、深く、ジックリと愉しむこと、だれかに、儲けもないのに ”何故?” ときかれたなら、ただ、微笑・・・・・・・・シルモノハイワズ、と百家争鳴、百家斉放・・・・・・・ドンブリの中の嵐。いいんだよ、道端で野垂れ死にするんだ!と、ネ。どこ、いこか・・・今日の・・・風に訊こうっと。
2003年12月06日
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・・・・・霧雨の降りしきる朝となった・・・・・。まいにち、バラエティーのあるお天気ですね。えさ探しが・・・大変ですよ、このごろ寒いしネ・・・。この頃は、様々な通信機器の発達が加速して身の回りはあらゆる物がIT化の波に飲まれてしまっている。ITと言うこの神器が使えるか、使えないのかで情報の総量は、格段に違ってくるようだ。一説によるとアメリカでは、IN/NETを使用している人から税金を取る、と言う話も出ているそうです。IN/NET利用=情報量の多さ=利益誘導しやすい=利用者増税の発想と構造らしい。インターネットの浸透は、生活全般を根底から変化させているけれど、気がつかないままとか、使えない人達とか、重要性を認識してない人達とか沢山いるようです。けれど、これほど深く浸透し展開に加速度が付いている今、活用できなければ死活問題になるところまできている。現在スピードがキーワードでIN/NETは体制だけは造り上げるようにするか、今あるならば現状より効果的にと積極的に考えないと、いつの間にか後塵を拝している事になりそうだ。スキ、キライ、デキル、デキナイ、の選択の余地もないし、活用は焦眉の急のようだ。ツイテイケルカ? 変化は早い。 (うさぎ仙人は化石に・・・すでに、もう半分?ネ・・・)実践しつつ獲得する、イタリア人になる事を要求されている日本農耕民族と狩猟民族の意識を並存させた人になれるか?聖徳太子のおかげで仏教も精神に呑込んだ日本人ですから、多分何事もないかのように、”これも”、”あれも”、”それも”吸収してしまうんだろうな?タイシタモンダぜ。(でも、ソレマデ待てる、か?)いままでの、発明・発見、奇抜なアイデアなどは、一体何処から来るのだろうか?不思議だよね、努力すれば蓄積すれば閃きが起きる様でもないようだ。無心、夢、極限になると閃きが出やすい事は、昔から言われているが、それも何時もでもなさそうです。 難しいです。欧陽修って中国の偉い人が、馬上、厠上、枕上でいい考えがでると言っている、馬の上(今は車か)、厠上(ハバカリ、トイレ)、枕上(寝床の中)で思いつく、閃くそうです。(今はお風呂も、Hもか、ン?)これは無心とか変性意識、あるいは環境の変化の影響などで一生懸命考えていたとことが、状況が変わることで潜在意識に落っこちていき、人間本来の万能薬と混ざり合い浮上してくる事が閃き、発見、アイデアになる?閃いた事なんてないから、言えないですが勝手に思うだけ。うさぎ仙人は今迄も、これからも、本能のままです、だ?頭の良い人が仕組みを解明してくれることを祈ってます。えさとりに急がしいし、寒くなったらエサも少なくて大変だ、昔から蓄えなんて考えてないし、今年は特に不況だ、こちらもネ。人間界ばかりじゃないんだよ!!!不況は。それに、人間は何でも山に海に河にゴミ・汚水・変なものを沢山は投げていくし環境は破壊されてしまって住めないじゃないか!!!ホンマにもう!!!。ホントに迷惑だ!発明・アイデアもいいけど人間のだけじゃなくて、自然の中には人間以上に大切なものが山ほどあることを忘れていないかい????????????。地球でいちばん、ワガママナノはニンゲンだ!(それと、ニンゲンがいちばん、キラワレテイルほんとよ)チョット、脱線!()でも、これホンネじゃん?()でも、人間の都合だけでニンゲンだけが、の言動は慎まないといけないですね、ホント。自然界にあるものはすべて意味のある存在ですから、人間都合の価値観で推し量る事の弊害がドンドン噴出してしまい、収拾が付かない状況が我々の周辺、身近な所へドンドンと。他人のことは考慮する、その中に地球とかその他の項目も取り込まないと、人間だけじゃ生きていけないし。(そんなお前はどうなんだ?面目ないゴメン!・・・・)地球は心の根拠地でも有るし、もっと、眼を拓く極意を!だれか、自然と動植物のネットワーク創らないかな~?待。・・・・・これでも、ソレでも、ナンデモ・・・・・ニンゲンはシンジラレル、ジツゲンできるさ、きっと。寒暗愚、それでも飲まずにいられないゼ、どんな関係それ?
2003年12月05日
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日が射し込んできている。 あかるい日。クリス(うさぎの名前=三年前クリスマスに来た)の家にも。気持ちよさそうに寝そべっているコイツハ齧り魔だ。柱も、カーテンも、服も、カーペットも、手も、足も、なんでもかんでも”カジル”んだ。椅子も、机も・・・!齧り木を入れて在るのに出したら齧る、そして、カジルのだめだよ!と言うと、まるで豚のようにブ~ぶー?と怒る。そして、ゲージに走りこみ中でも、ブ~ぶー不満そうに啼いている。《ちなみに、あだ名ブ~ぶーマン》 うさぎって、啼くのを知っているのかな~?(泣きたいのは、こっちだよ!椅子の足とか、柱を・・・!)まあ、うさぎは齧るのが仕事?なんだろうと思いつつ腹立つこと。ところで、今迄ハムスターは何匹も同居してきたが、だいたい二年くらいで自然死?してしまった。その中の一匹は朝ゲージから出し胡坐をかいたその手のひらの中で、頭をなぜているときに自然に死んでしまった事がある・・・・・。(名はマルちゃん)最初は死んだ事がわからず、どうしたんだろう?と思っていたが、直ぐに死んだんだ、と解かり不覚にも涙がとまらなかった。溢れた涙を、子供たちに見られ泣いたりしてドウシタノ?と、恥ずかしさもあったけれど自然に流れる涙は止まらなかった。(かわいそうとかもあるけれど何て言うか、憐れみ・無常感?か)涙を流しながら自分にも、こんなときに、こんなに沢山涙を流す事があるんだ、と別人を観るような不可思議さだった。人間と生死のサイクルの長短の差ですから致し方ないですが命には大きさ等ないですし、一緒に生活を何年かしていると情が移るんですね、なんにでも・・・でも、悲しい・・・。滂沱する自分があり、それはまるで、不浄を取り去る?小さい命から最後の「涙で自分を洗う」というプレゼントだったように思う。(ありがとう!も、ゼンゼン洗い足りない?不浄の・が居る)人も時代も混沌の渦動、錯綜した中で必死にいきている。時代・時流に合わせようと、自身を変える事で己の価値を高めようと、それぞれの方法で。人はみな変化し続けているし、あらゆるものが変わっている中で時代、時流に合流できたと思われるとき、ひとが、まれにいるようだ。時代の寵児と言われる人々。(現在と過去の成功者たち)そんな、時代にサーフィンのように乗れた人達は、一体何を捕まえたのか?いろいろな事は、伝記、成功哲学、・・・etc、に書いてるし言っている。感性(キズキ)が触発され、それを行動に転化し取込む速さが違うことか。小さなキズキの量と、即、自身を変化させるスピードの差なんだろう。〔図式= キズキ→行動→変化を正循環に、レベルアップへ〕か?最近のIT関連の業界などでは一夜にして成功者が続出?出来るような土壌が在るようだし、実際その様に通信速度が飛躍的に速くなって行く状況では、異業種間の交流も進めなくては生き残れない、個人的にも変化のスピードを速めなければ取り残される現状は衰える事を知らない。閉じこもっていては、食べられません、し。いよいよスピードが加速される状況で、時流を読み己を変化させつつ自身を見失わずに”時代の詩”を捉まえられるのか難しいが己が変わるしかない。惰眠のヌクヌクとした布団から抜け出して、そろり~と足をだそう。あす世界が滅ぶとも、”うさ仙”は今日りんごの木を植える。陽射しがマブシイ! 地球は回っているようだネ。自然は変わらない、変えられるのは己だけ。
2003年12月04日
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今日は朝から冷えて薄暗く、冬特有の天候だ。四季はホントに上手く出来ているようだ。日本は特に、春夏秋冬、キレイにそれぞれに分割されていて我々の生活のリズムをコントロールしてくれている。春の向陽と展望。夏の躍動と消費。秋の沈静と回想。冬の黙考と設計。自然の循環でメリハリが付けられている、われわれ。夏のエクストラバガンツァ(ドンちゃん騒ぎ?)の時期には季節の中では一番エネルギィーが乗り切るには必要でだが。冬、黙考と設計、今年の足跡の確認と土台作り。自信を確信へ、実践で成果を得れる方向性を決めたいものだいつも三分間の作家なので、なかなかまとめられないけれど-うさぎ仙人-としては、楽天日誌がヨレヨレでも11月末からスタートした事で、来年からの生活のメリハリができた。また、挑戦するものを見つける、何でもあるさ。その気になれば。
2003年12月03日
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数日来の雨も上がり、日が射して来たようです。昨日は渋谷の街をあるいた、雨の中。雨が降りしきり傘の花が色とりどりに咲き乱れていた。日中でも薄暗い中を下を向いて足早に、歩いている、人、ヒト、ひと。傘を差して足元を見つつ歩いている姿を観ていると、何を考えて歩いているんだろうとか、と思っちゃいますが・・・。インド語でカーラと言えば時間の事だそうですが、過去、現在、未来の事をチリジリに思い描きつつ歩いているんだろうかしら・・・。雨の日は思い出が蘇る?ゲーテが書き記した《若き日に旅をせずば老いての日になにをか語る?》一文を思い出した。かの偉大なゲーテ様がお書きになったものを読んでも、その時にはそんなものか?なんて思っていたけれど、年とともにジワジワと侵食・浸透し始めてきた。たび、旅、タビ、いろいろあるんだろうが自分の育った所以外の文化、人間に触れる事であり、触れる側の感性が求められるようですが教科書では・・・でも私は、ネ・・・。守備範囲も行動範囲も狭いし、後は「つもり貯金」ならぬ、つもり旅行?シカナイデスネ。(本代の方が安上がり!)そんな中に、こんな一文を発見。旅の秘訣は地面に近く暮らす事にある!と・・・ン?。その心は・・・。庶民の中に入り魚のように泳ぐ。市場へ行く、女を買う?メルカード(市場)とボワチ(売春宿)をカラダで知る (ん?へッへッへッ、妙に納得)。これが人生大学?だそうだ、衣を脱いで裸の自身でブチあたること、だそうですがそれならば、すでに実行してるよと思わずうなずいちゃったんですが、皆サンも日々実行?ネ。遠い旅もある、でも、旅はそこにあったんです!ポケットに少々のお金をねじ込み、いざ街へ!!!・・・・・・今夜も・・・夢は夜開く~っと、ね。いざ、旅の達人をめざして、、、、、、。黄昏の一杯をヒッカケに行こう。モンゴルのことわざを一つ。愚者は食べ物について語り、賢者は旅について語る灯台下暗し。
2003年12月02日
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夜中から、雨が降っている・・・・・。追悼の雨だろうか・・・?・・・。昨日、イラクの大使館員二人が”テロ”で命を落としたそうだ。非常に残念です、現地の復興支援に文字どうり体を張り任務を全うしました。異国の地で命を落とすかもしれず国を代表して貢献することを選んだ意志力、尊いです・・・黙祷・・・。われわれ平和の中に埋没してしまった”何か?”をもうそろそろ思い出さなくてはいけない時代になっているのか。自国の平和すら守れず、他国の事はわれ関せず、見てみない振りを続けるのは許されない状況に、お二人の命と引き換えの《日本への命を賭けたメッセージ》なのかもしれない。一国平和主義は国際常識には合致しないようです。歴史は出口の見えないジャングルのようなもので、20世紀は戦争の世紀とも言われ悲惨な状況が各国で発生し21世紀の今も尚、連綿と・・・人間の叡智?お笑いですね。人々は何度も懲りずに過ちを繰り返しては、立ち直りまた繰り返す・・・無限の連鎖・・・。叡智の遺産相続は本当にされているのだろうか?疑問だ。残滓として、形を変えた戦争だけだ、近代戦と言う!ネ。戦争の近代戦とは? 近代戦=人員消費の合理化のこと?今は、安全な所から射程距離の長い武器で相手を殺戮する?昔へ、時代を遡れば戦争は接近戦だった。なんのことナイ、命も物も生産性の論理で括られている現状には、人間の尊厳など強者の論理でしかないし、ネ・・・。この『歴史のジャングルを脱出する論理』を求む今日この頃です。-人間は狂っている-・・・どこか。歴史と時間の鑢で真の評価が下されるであろうお二人に・・《安らかに眠ってください》・・・御冥福を祈ります。・・・最後に小話を一つ。中国の軍隊で、あるとき、いっせいに兵隊が、女房が怖いと言い出した。どいつもこいつも口をそろえて、こわい、こわいという。女房が怖いようでは戦争など出来ないぞと、隊長が説教するが、兵隊は口々に、戦争なんかヘッチャラです、いまからでも行きます、だけど女房は戦争より怖いですと、いいたてる。そこで兵隊の勇気をふるいわけてみようと思って隊長は命令をだす。女房の怖いものは右へでろ!怖くないのは左へ出ろ!するとたちまち100人のうち99の兵隊が右へ出た。左へ出たのは一人きりだった。隊長はその男の所へ駆けつけて、感動して、お前だけがホントの人民英雄だと叫んで肩をたたいた。するとその男は恐縮し、ひくい声ではずかしそうに、いえ、ナニ、私、女房に何時も、みんなのあとについていってはいけないと、いわれつけてるもんですから、はい、と答えた。この様に世界中の男たちは一様に女房・女族が天敵なのに、男同士になると主義主張が、激突!!!で戦争に・・・。そこで結論的、戦争回避の妙案?を1、お子様のお能を持った大人を養成する(私の事?うさ仙)2、男体に女心を(どこかにいる人か?)合体。これで世界平和が!真の平和が!原初以来の念願が!(涙)人類の屍累々の上に、構築してきたものは・・・一体・・。シリアスから御伽噺までカバー(バカー?ん?)今日は雨に向かって走る!うさぎ仙人です・・・GO、GO・・・。1日の日記 (PM 07:09)-----Original Message-----From: [mailto:] Sent: Monday, December 01, 2003 1:44 PMTo: ??????@ybb.ne.jpSubject: 1日の日記
2003年12月01日
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