シュタイナーから読み解く神秘学入門
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現実生活が忙しくなって、仮想空間どころではないのと、オカルト研究もペンディングしてしまい、既に警告として十分に書き尽くしたので、しばらく放置してましたが、少し気が向いたので、2カ月ぶりに書きます。書くと言ってもネタはほとんどないのだが、媚っとの簡単な総括をちょっとやってみたくなった。媚びっとはいうまでもなく、これまでの物質的な関係、例えば、人間社会特有の上下関係を無くしていくだろう。ネットでの関係に上下関係がないのと同じである。これはしばらく人間社会に混乱をもたらすだろう。俗に「忖度」といわれる、上下関係故のモラルハザードが、人類を唆し、物質的誘惑ㇸと誘ってきた。この悪魔の支配する物質界に生きるには、物質的誘惑と戦う必要があるからである。上下関係は身分制度のようなもので、それが個人を保障してきた。身分制度の大本が国家である。肉体は、どうしても物質的存在であらねばならず、そのことが覚醒意識を促してきた。肉体を所有することで、自分という覚醒意識を促進させるためである。動的な運動のなかで、静的な個的な認識を生み出すためである。物質は共有できないが、物質概念は共有できるからである。しかし、魂に上下関係はなく、各自我は同等に自分らしく自由で平等の存在である。幼稚な知性に高度な知性を与えるには上下関係というものが必要悪だったのだが、それは俗に権威といわれるものだが、それはもはや必要となくなるだろう。人類に、自由という高度な知性を与えてきたのは悪魔である。自由という概念は常に変化していく、権威が移り変わっていく。現に媚っとが古いものを崩壊にもたらしているからである。媚びっとという悪魔の新兵器に対して、国家ができることはただ叫ぶだけで、ほとんど無力であることでわかる。国民に会食するな、といいながら、政治家たちは連日会食している。自分たちは社会の上部にいるから安心だと思い込んでいるのである。かつてはそれでも通用したのだろうが、もはや土の時代は終わり、水の時代、風の時代が到来した、いまでは、滅びの想念に過ぎない。媚びっとに対して国は何もしてくれない。当たり前である。時代は変わったのである。媚びっとに対してできることは、社会に対しての個人の行為いかんにかかっている。それはどういうことかといえば、自業自得により近くなったということである。自分の行動が、自分の生死を明らかにする、ということである。媚びっとが来る前は、なんでも国が保障してくれている、と錯覚していただけなのだ。ろくに調べもせずに、税金を納めているのだから、その恩恵があるはずだと思い込んでいた。特権階級があると錯覚していただけなのだ。そんなものはないのである。水瓶座の時代とは、自分の行為に責任をもつ、ということなのである。これまでは、何をして良いか、何が望ましいか、何が悪いか、何をしてはいけないか、専門家が教えてくれた。しかし、それは幻想にすぎない、人間は皆個人的な自我を持つからである。自分の行為が将来の自分をつくる。媚びっとに感染するのは、自分の行為がそうさせたからである。幻想に生きるのではなく、リアルに生きること、自分の行為に責任をもつことが、自我を自分で成長させていくことが課題となる。専門家や政治家などは当たらない予想家と同じである。媚びっとがそれを知らしめてくれるだろう。鬼滅の刃が流行っているらしいが、鬼とは物質欲の虜になった自我のことで、自分だけは特別と思うエゴのことであろう。鬼になった自我を、再び、愛に目覚めるヒトの自我に成長させるには、自分の行為に責任をもつことなのである。それが鬼滅の刃なのだろう。鬼滅の刃にはほとんど興味はないが、鬼というのはオカルトではよく知られた存在で、地獄の亡者なので、身近に感じただけである。物質欲を断つ剣のことなのだろう。それが精神をして、物質欲から解放する自我のことなのだろう。自我の脱皮である。なんと無責任な鬼たちが世間を渡っている。自分さえ良ければいいと思うのは、自分に悪いことをしている鬼なのだ!悪魔の誘惑に負けてはならない。耳なし芳一になろうとも。渡る世間は鬼ばかり。鬼は魂の耳を奪っていく。
2020年12月26日
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