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『沈黙』遠藤周作(新潮文庫) ……いやー、実に久しぶりに本作を再読しました。 初めて読んだのは、多分、高校生くらいの時じゃなかったのかと思います。学校推薦の高校生必読図書か何かで知って。 今回読もうとして、家にあった新潮社の純文学書下ろしのシリーズ、箱入りのあの本で読もうとしたら、思ったより字が小さかったので、……んー、と、ちょっと迷いまして、結局文庫本をアマゾンの古本で買ってしまいました。このほうが携帯に便利だしー。 で、読んだのですが、読む前に思っていたのですが、とにかくめっぽう「重い」お話なんだよな、と。殉教の話ですから、罪もない民百姓が拷問を受けたり殺されたりする話ですから、重いのも当たり前でしょうが、しかし高校生の時の私は何を考えながら読んでいたのかな、と。そもそも内容の理解はできていたのかな、と。 まー、そんなことを言えば、今回の読書でも、わたくしは本書を十分理解できたのかは、やや不安であります。ただ、読む前に重いお話重いお話、と「気合」を入れて取り掛かったわりには、結構面白く読めたように思いました。 それは、話の展開はもちろん重いままでありますが、それを描く文体が、結構軽めのものだと思ったからであります。 いえ、「軽め」と書いてしまえば語弊があります。平易・簡素な文体であります。 前半は書簡形式になっていて、初めて日本に密入国した司祭が本国の教会関係者に向けて送る手紙という形をとっています。だから基本は、未知の状況を見聞き経験したままに報告しています。比喩などの修辞をさけた、この事実提示型の文体が、ドキュメンタリーの文体のような感覚で、興味深くぐいぐい読ませていきます。 中盤以降は三人称文体に代わっていますが、ここでも語り手は事実提示型に近い文体を変えていません。やはり修辞をさけ、描く対象の価値判断をしません。 ただ、展開がいよいよ重い部分に入ってきていますから、描く自然や極貧の人々の生活が、テーマと連動した象徴性の高いものになっています。例えばこんな感じ。 灰色の砂がなだらかに拡がり入江に続き、空は曇っているので海は鈍い褐色を帯びている。浜を噛む単調な音は司祭に、モキチとイチゾウの死を思い起させる。あの日、海には絶え間なく霧雨が降り、その雨の中を海鳥が杭のそばまで飛んでいた。くたびれたように海は黙り、神もまた沈黙を守りつづけていたのだ。 ……というような、手抜き読みのできない密度のある文章になっているのですが、しかし、この引用部にもある、最大のテーマである「神の沈黙」が、神学的な難解さで深まっていくわけではないというところに、筆者の小説製作上の大きな工夫があり、私はいたずらな難解さから救われていると感じました。 それは終盤に入って(ロドリゴとフェレイラの論争あたりから)、宗教論というよりも、異文化交流の困難さの話になっている、筆者はこういう引っ張り方で難解なテーマを平易に語ろうとしている、と思ったことです。 これは、私のような宗教的に無知(まー、それ以外の物事全般にもわたくしは無知なのですがー)な者にとってはとても理解しやすかったです。少しずつ形を変えながら、この異文化交流の困難さの記述は、終盤に向けても点在しています。短い部分をいくつか抜き出してみます。 自分はあの連中への憐憫にひきずられて、どうしようもなかった。しかし憐憫は行為ではなかった。愛でもなかった。憐憫は情欲と同じように一種の本能にすぎなかった。 デウスと大日と混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。言葉の混乱がなくなったあとも、この屈折と変化とはひそかに続けられ、お前がさっき口に出した布教がもっとも華やかなときでさえも日本人たちは基督教の神ではなく、彼等が屈折させたものを信じていたのだ。 日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力をもっていない。(略)日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。 どうにもならぬ己れの弱さに、衆生がすがる仏の慈悲、これを救いと日本では教えておる。だがそのパードレは、はっきりと申した。切支丹の申す救いは、それと違うとな。切支丹の救いとはデウスにすがるだけのものではなく、信徒が力の限り守る心の強さがそれに伴わねばならぬと。 いかがでしょう。 私は、日本における他のクリスチャン作家と、遠藤周作との隔絶した違いの源がここにあると思います。特に、この日本人を主対象とした人間存在の弱さというテーマは、本作ではキチジローに集中的に象徴されて描かれています。 本作品の最終部に「切支丹屋敷役人日記」という、それまでと打って変わってとても読みにくい数ページがあります。何が書かれてあるのか、私の読解力ではよくわからなかったのですが、二度読んでみて、どうやらロドリゴとキチジローが、晩年、近い暮らしをしていたことが描かれているように理解(誤読?)しました。 私はなんだか、ほっとしました。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2026.02.21
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『東大で文学を学ぶ』辻原登(朝日新聞出版) 図書館で見つけて、あ、これはマイフェイヴァレット系の本だろうと直感して、借りて読みました。 面白かったです。なかなか納得できる、あるいは考えさせられる部分もたくさんあって、とても面白かったです。 幾つかそんな個所で、短く抜き出せそうなところを挙げてみますと、こんな感じです。 (『ドン・キホーテ』が近代小説の濫觴とされることについて)それはなぜかというと、本を読む人間を主人公にしたからです。本を読む人間、つまり本というのは物語で、その物語を読むことによって世界を変えようとする、そういう人間、それがまさに近代人の始まりと言ってもいいのです。近代人が主人公の小説。まさに近代小説です。 (ジェルジ・ルカーチの書より)「小説は神に見捨てられた世界の叙事詩である」 (横光利一の書より)「純文学とは偶然を廃すること、今一つは、純文学とは通俗小説のように感傷性のないこと」 リアリティというのは、いわゆる「現実」というものに対応しているのではなく、その「現実」をどういうふうに受け取るかという、共有された感受のかたちです。 よく谷崎の関西移住を伝統回帰、日本回帰などと呼びますが、そんな単純なものではありません。これは谷崎たったひとりによって敢行されたルネッサンス、文芸復興の試みだったのです。 ……いかがですか。きりがないからこのあたりで引用はやめますが、いかにも面白そうですね。 実はわたくし、最近ちょっと思うことがあったんですね。 何かというと、そもそも好きなものですから、文学者や文学研究者などの講演会に、結構探して行っていたんですね。 ところが、最近どうもそんな先生方のお話が、さほど面白くないと感じ出したんですね。なんでかなー、と思っていたところ、先日行った小説家の講演会で、入る時にアンケート用紙をもらいました。 幾つか質問項目があったのですが、その中に、あなたはひと月に何冊くらい本を読みますかといった質問がありました。それをぼんやり見ていましたら、後ろの席から女性のおしゃべりの声が聞こえてきました。 「月に何冊本を読むかって、そんなこと聞かれても、わたしら一年に何冊かしか読まないからなー……」 と、そんな会話を聞いているうちにわかったんですね。 そのような聴衆を想定して、講演者は語らねばならないのだと。 ちょっとここからは書きにくいのですが、敢て書いてしまいますと、よーするに、私はそんな文学講演会の内容に物足りなかったというわけであります。 いくら、小説家がここだけの話だと若干の私生活を語ってくれても、それだけではやはりわたくしには「ガツン」と来るものがなかったわけですね。(かなり尊大と思われかねないことを書いていて、何とも恥ずかしいのですが。) と、そんな思いを持っていた時の本書ですから、それはとても面白いものでした。 しかし、しかし、にもかかわらず、私は読んでいて、やはり微妙な違和感を感じ始めました。この違和感は何なんだろうかと、私はまた戸惑い始めました。 本書は、西洋文学から中国古典文学、もちろん日本の古典文学・近代文学なども広範囲に触れつつ、テーマである文学とは何かについて東大で授業をなさった記録(ただし、そのままの講義録ではなさそうです)です。その博覧強記ぶりにはもちろん圧倒されますが、しかし、結局のところ、文学とは何かについては、はっきりと述べられているわけではないと、私は感じました。述べられているのは、文学にはこんな側面がある、このように理解できる、といったあたりでしょうか。 しかし、それは、ある意味で、当たり前のことでもあると思います。 常々私は、文学の実体や真理・真実などは、自然科学におけるそれらと大きく異なっているのはもちろん、社会科学的なそれらとも、かなり異なっているのではないかと思っていました。 それは素人考えではありますが、例えば100人の文学者が、それぞれ自分にとって文学とはこういうものだと口々に言い合う中で、ぼんやり総体としての輪郭が見えてくるといったタイプの真実ではないか、と。 つまり私は、本書で説かれている筆者の文学論について、感心はするが、でもそれはあなたの文学論ですよね、の小さな一言が言いたく思ったわけであります。 しかし同時に、そのような論を数を重ねていくことが、文学とは何かの真の姿の輪郭を浮かび上がらせていくことになるのだ、とも思ったわけであります。 こんな捉え方は本書にとって、素人が何を言っているのだ、なんでしょうかね。そんな気もしますが。 いえ、確かに文学について、私が本書で大いに「学んだ」ことは、きっと間違いないとは思うのですが。 よろしければ、こちらでお休み下さい。↓ 俳句徒然自句自解+目指せ文化的週末 にほんブログ村 本ブログ 読書日記
2026.02.07
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