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analog純文

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2025.09.21
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​   『行人』夏目漱石(新潮文庫)

 確かこの作品も多分4回目くらいの読書だと思いますが、さすがに 4回目だと何となくストーリーは覚えています。(作品そのものだけじゃなく、漱石関係のテーマの図書もちらほら好きで読んでいましたから。)

 それで、漱石長編小説の中でも結構長めだし、重厚感のある一冊なはずだと、読む前に思っていました。しかし実際に細部として割としっかり覚えていたのは(読んでから細かい所は分かったのですが)、「二郎」の友人の女性についてのエピソードでした。

 それは三沢という二郎の友人がまだ学生時代、家にとある理由で、離婚をして精神が病んでしまった女性が同居することになり、三沢が外出するたびに、玄関まで見送りに出て来て「早く帰って来てくださいね」と懇願したという話でした。
 私は、この話が『行人』全編の下を通奏低音のように流れているエピソードだという認識を何となく持っていました。そして、どこか少しエロティックな印象も。
 今回その部分を読むと、その女性についてこんな感じで書かれていました。

​ その娘さんは蒼い色の美人だった。そうして黒い眉毛と黒い大きな眸を持っていた。その黒い眸は始終遠くの方の夢を眺めているように恍惚と潤って、そこに何だかたよりのなさそうな憐れを漂わせていた。僕が怒ろうと思って振り向くと、その娘さんは玄関に膝を突いたなりあたかも自分の孤独を訴えるように、その黒い眸を僕に向けた。僕はその度に娘さんから、こうして活きていてもたった一人で淋しくって堪らないから、どうぞ助けて下さいと袖に縋られるように感じた。​

 いかがでしょうか。上手な表現であるのは言うまでもなく、加えて色っぽく感じるのは私だけでありましょうか。
 しかし、この女性が作品全体に影を落としているという私の記憶は、やはり間違ってはいなかったことを、今回の読書で私は確認できました。ただ、その「淋しくって堪らない」主体は、主人公の「一郎」ではありましたが。

 本書は四つの章で構成されています。
 今私が挙げたエピソードは最初の章に描かれているのですが、二つ目の章から中心になって出てくるのは、上述の「二郎」、その兄の「一郎」とその妻「お直」であります。
 ストーリーを詳しく説明するつもりはないですが、そして、漱石の『行人』といえばこのエピソードだと多分もっとも人口に膾炙されているのは、一郎が、妻のお直の節操を試してほしいと二郎に頼むという常軌を逸した展開でありましょう。

 この展開が、二つめの章のほぼ全体と、三つめの章の半ばあたりまであります。
 思わぬことで和歌山で一夜を過ごすことになる、二郎とお直の挿話はスリリングでもあります。
 ただ、四回目の読書をしていた私は、筋そのものは覚えていたこともあって、その場の展開の面白さよりも、はっきり書いてしまいますと、漱石はよくこんなストーリーを考え付いたものだという思い、この筋書きはリアリティを伴っているのかという考えを持っていました。

 漱石が、実際に兄嫁に懸想をしていたと強く主張していたのは確か江藤淳だったと思いますが、確かにそんな説を出したくなるような、一種の突拍子のなさを感じました。

 ただ、最終章になると、俄然作品の様相が変わってくるんですね。
 今までの章で中心に描いていた妻の節操という話も、どうでもよくなるわけではないですが、最終章が描く一郎の大きな苦悩の一部に過ぎないことが描かれていきます。
 その大きな苦悩は、例えば、こんな表現で書かれています。

自己と周囲と全く遮断された人の淋しさ

 「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか。僕の前途には此の三つのものしかない」

 少し長い所を抜いてみます。一郎が、妻について、友人に語っている場面です。

 「一度打っても落ち付いている。二度打っても落ち付いている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆らわない。僕が打てば打つほど向こうはレデーらしくなる。そのために僕は益々ごろつき扱いにされなくては済まなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒りを小羊の上に洩らすと同じ事だ。夫の怒りを利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥かに残酷なものだよ。僕は何故女が僕に打たれた時、起って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでもいいから、何故一言でも言い争ってくれなかったし思う」
 こういう兄さんの顔は苦痛に満ちていました。(略)兄さんはただ自分の周囲が偽りで成立しているといいます。

 例えば、漱石はその生涯の作品のすべてに三角関係を描いたといわれます。実際に本作もその形をとっています。しかしこの最終章に入って、そんなロマンスの影は、ほとんどありません。
 その代わりに描かれているのは、モラルを徹底的に誠実に追い詰めることの絶対的苦悩と孤独、そしてそれをこれまた一心に描いていこうとする筆者の姿が、読者の心に突きつけてくるような強烈な迫力であります。

 言われてみれば、作品を成立させる動力部のようなモラルと誠実さは、漱石作品全編に見られる特徴であります。
 そして、それこそが、私にとっては、漱石作品の最大の魅力であります。
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Last updated  2025.09.21 08:54:10
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Comments

シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21) 純文さんへ  あたたかいお返事ありがとう…
analog純文 @ Re[1]:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  シマクマ君さんへ。  おや、思わぬお方…
シマクマ君 @ Re:思っていたよりも「重く」ない(02/21)  いつも読ませていただいてます。あのせ…
analog純文 @ Re[3]:無理筋仮定を考えてみる(12/28)  七詩さんへ、重ねてのコメントありがと…
七詩 @ Re[2]:無理筋仮定を考えてみる(12/28) analog純文さんへ 私もときどき読書日記を…

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