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1981年(昭和56年)に茨城県日立市久慈浜で開催された全日本ウインドサーフィン選手権に出場しました。関西予選を勝ち抜き、念願の全日本でした。GW5月の5日間の長丁場でしたが、未だに私の脳裏に鮮明に焼き付いています。泉南フリートのウインド仲間とワンボックス2台に分乗して、大阪から10時間以上かけて日立に辿り着きました。それまで大阪湾や和歌山や琵琶湖のローカルレースに出場したり、関西勢と関東勢が集まる浜名湖の中部選手権とかに出ていましたが、全日本という大きな大会は初めてでした。まず驚いたのが、久慈浜はサーフポイントだったため波が大きかったので、アウトに出るのも岸に戻ってくるのも大変でした。レース前のスキッパーズミーティングで、波と波の間のチャンネルを教えられましたが、ビーチスタートで七転八倒でした。岸に戻ってくる時も一度グチャグチャに波に巻かれてしまい、仲間から「なかなか海から顔出せんから死んだと思った」と冗談を言われるくらいエグかったようです。なんせ3.6mのボードと4mを超えるマストとセイルが一緒にグチャグチャになり、その中で私はどっちが上か下か分からず1分くらい身体を必死でバタバタさせながら藻掻いていたのですから・・・(汗)。チャンネルを抜けてレース海面に出ても波が荒く、ボードの上に座って風待ちをしてもボードが揺れるので、船酔いでゲロを吐く人が続出しました。「なんと、えらいレースに出てもうたなァ・・・」と同じ関西から出場した仲間らと溜息が出ました。風が吹きあがってきてレーススタートしたのは良かったのですが、一辺が長いのと波が高すぎて目標の上マークが全く見えません。これまでの和歌山や琵琶湖や二色浜での関西選手権といったローカルレースでは、ヨットレースと同じトライアングルレースの3つのマークは一辺の距離が短く波も少ないのでマークはハッキリと見えました。「マーク(目標)が見えない」というこれまでに経験した事のない事で、動揺してしまいました・・・(汗)。ならばどうするか・・・?風上45度に切り上がっていけば必ずマークがあるのは分かっていましたので、とにかく目一杯風上にボードを進めました。他の選手のボードのスピードと角度を見ながら、自分のボード角度が間違っていないかどうか確認しました。しかし強風と大きな波とウネリで、これまでの微風から中風域での足でボードをヒールさせる小手先のテクニックが通用しませんでした。まず強風と波で乗れるかどうかで、テクニックもクソもありませんでした。そうなれば体力が必要だったのです。強風と波に慣れればテクニックで脱力できますので体力はそれほど必須ではありません。しかし普段それほど吹かない樽井ビーチでやっていましたので、強風レースでのテクニックを補足する意味で体力が必要だと痛感して、帰ってから和泉大宮のボディビルジムに通い始めました。まだ日本でプロテインが発売されていなかったので、通信販売でアメリカのプロテインを購入して食パンにピーナッツバターをつけるようにしてタンパク質を重点的にとるようにしました。当時のプロテインは不味く、臭いを消すために後から牛乳を流し込みました。まァそんな全日本でしたが、夜は一緒の宿だった全国各地から来た選手らと毎晩飲み会やカラオケ大会です。青春をウインドサーフィンに賭ける・・・という点で全く同じでしたので、気が合うのが当たり前です。当時はウインドサーフィンの情報に関して圧倒的に関東勢が有利で、デモンストレーションでカスタムボードによるウエイブレースがあったり、生れて初めてボードがジャンプするのを見たり・・・そりゃ刺激的な大会でした。当時はまだウインドサーフィンの特許問題で業界が揺れていましたので、未公認のセイルで優勝しても取り消されるという一幕もあり、単なる遊びや趣味でウインドをやってきた我々若者にとってビジネスの厳しさを目の前に突き付けられました。という事で、5日間の全日本大会でしたが、人生を凝縮した大会だった・・・と後になって感じました。レース結果は、全国予選を勝ち抜いた200人くらい出場した中で、ライトクラス26位、総合で94位でした。精一杯頑張ってコレですから、仕方ありません。青春に悔いなし。多少時期的にズレていましたが、ウインドサーフィンとほぼ同時期に大学の体育会で空手もやっていましたが、出稽古で全空連の全日本ベスト8に入った事にのある同じ流派内の大先輩らと一緒に約束組手やら自由組手の稽古して「こりゃ 無理だなァ」と・・・ウインドと一緒で一生懸命やっても「上には上がいる」と諦めて、切り替えるのが大事だと思います。これが本当の学習・・・です。頭を切り替えて「別の道」を探る事によってまた新たな希望が湧いてくるというのは、ウインドにのめり込んでいた時期から20数年後の織物業からトランクルームに転業した49歳の時でした。まァウインドと空手の苦い経験が、転業を後押しした・・・と言えるかも知れません。ドラムもこの時期に天王寺の中古楽器店でヤマハの中古のドラムセットを買って、自宅の防音性能のある土蔵でサンドバッグを蹴り疲れたらカセットテープやドラムレッスンのソノシート(レコード)を聴きながら一生懸命叩いていましたが、これは1年半で「こりゃダメだぁ」とケツを割ってしまいましたが、40年後にスタジオ経営と同時に復活です・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.11.05
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ありそうでなかったシリーズ第87弾は「関西外大ウインドサーフィン同好会」創部です。関西外大在学中に「ウインドサーフィン同好会」を創部しました。その2,3年前に大阪府泉南市にあった「樽井浜」でウインドサーフィンを始めたのがキッカケです。始めて即ハマり、「こりゃ個人で楽しんでいるだけでは勿体ない・・・大学にも広めなければ」と半ば使命感のようなものも感じ、クラブ創部という未知なる世界に飛び込んだのです。「そんな事をわざわざ、よせばいいのに」・・・という外野の声があったかも知れませんが、そんなの関係ねェ・・・です。思い込んだら命がけ・・・みたいな。若かったんでしょうねェ・・・(笑)。今そんな若さが欲しいです・・・(笑)。後にも先にも「青春は一度だけ・・・今しかない」という想いがあったのだけは確かです。単に学内にクラブを創っただけでなく、他の大学(京大、同志社、関大、甲南)と連携して今の関西ボードセイリング学生連盟を5校で立ち上げました。誰もが振り返った真っ黒な集団の初めての会合がアメ村の「ロバータ」という粋な居酒屋だったのが、何とも当時ナウかったのです・・・(笑)。記念すべき琵琶湖で開催された第1回関西インカレは関西外大の全日本学連への加盟にタイミングが遅く参戦できませんでしたが(4校でのレース)、学連以外からも10校以上大勢参加し同日開催された実質これが関西インカレの第1回関西学生フェスティバルレースでは、その悔しさをバネに5位入賞を果たしました・・・(汗)。ナァナアが許されない・・・法律や規律に基づいた大きなレースを通じ、学生ながら現実の厳しさを実感しました。いずれにしても、当時これからメジャースポーツになるであろうという未だアメリカで発明されて10年くらいしか経っていなかったウインドサーフィンのクラブを大学に創った事によって、本当に数々の素晴らしい経験をさせて頂き、その後の社会人生活に大いに応用できました・・・(涙)。そんなウインド熱があっても、織屋の息子の基本は大学に行く前の朝5時から3時間機織りをする生活に何ら変化はなく、父親にそんな事をやっているとは一言も言えませんでした・・・(汗)。そして、いくら忙しい青春を送っていても、やはり時間的な制約もあり、それまでの空手やドラムやディスコ通いから徐々に遠ざかっていったのも仕方のないことだったのです・・・(涙)。という事で、「現在65歳、今日が人生で一番若い日!」というのを念頭に入れて行動しなければ・・・(汗)。1981年ウインドサーフィン雑誌「ハイウインド」より「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.05.29
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ありそうでなかったシリーズ第71弾は「65歳のウインドサーファー」です。これって私の事です・・・(笑)。65歳のジイサンになっても、未だにウインドサーフィンをやっているのです。今はさすがに冬にヤル気力も技術もなく、夏だけ細々と地元マーブルビーチや沖縄やサイパンに行った時にヤッテいるだけですが・・・自分自身はまったく昔のままの感覚でウインドをやっているだけですが、たまに「ジイサンがやっている!」と見られれてのかとフッと我に返る時があり・・・チョッと恥ずかしくなりますが(笑)。まァ、そんなの関係ねェ・・・です。ウインドサーフィンを始めたのは43年前の1979年の22歳の夏です。今の関空に近い泉南市樽井浜で初めてウインドサーフィンにトライしたのです。その前年の夏にウインドサーフィンを二色浜で初めて見た時は「白い長い板で、一体何をするのだろう・・・?」と不思議に思い、これが翌年にトライするウインドサーフィンとは夢にも思いませんでした。そして、かれこれ43年も続けてきて自分でも驚いています。始めた当時の道具は特許の関係で日本では100%ウインドサーファー艇のみで(ヨーロッパでは特許はなく200艇種以上普及)、ブームもダガーボードもジョイントも木製で、セイルはダクロン製でした(今はカーボンやアルミやマイラー製フィルム)。ヨットでは未だ存在するダガーボードは、ウインドサーフィンのボード自体のショート化とフィンの大型化(ダガーボードの横流れを防ぐという機能も兼ねる)でなくなりましたが。樽井浜では「泉南フリート」というウインドサーフィンの愛好団体に所属して、毎週レースを中心に割とアスリート的に遊びました。1、2年経った頃には積極的に二色浜や脇の浜や甲子園浜や和歌山片男波や琵琶湖や浜名湖にレースで遠征したり、関西予選を勝ち抜き茨城県日立市の全日本選手権に出場したり、ウインドにドンドン嵌ってきました。ハマったついでに、当時通っていた関西外大にも学連加盟のウインドサーフィン同好会を作ったり、他の大学と一緒に関西初の学連連盟を作ったり、従弟が京都産業大ウインドサーフィン同好会を創るのに助言したり・・・「こんな事をしていてイイのだろうか?もっと他にやるべき事があるのでは?」と戸惑い悩みながら、ウインドの泥沼に嵌っていきました・・・(汗)。ウインドに嵌っていくにつれ、時間的にも金銭的にもトレードオフ的に空手やディスコやドラムやだんじりから自然と遠ざかっていきました。今思えば、全くこれまでになかった新しいスポーツ(レジャー)としてのウインドサーフィンに関わり、単なる愛好者にとどまらず大学にクラブまで創部をしてイロンナ経験をさせて頂き、最高の青春を送れたという感謝しかありません。クラブ創部という「一歩踏み入れる」事によって、クラブ運営や顧問の大学教授や他大学や学連や一般企業へのスポンサー依頼といった対外交渉によって、見える世界が変わるというのを大学時代に経験した事が何よりヨカッタのです・・・(汗)。ウインドサーフィンの道具の目まぐるしい進化で素材メーカーの展示会に行ったり、特許紛争やIOCのオリンピック艇種選定問題といったのも目のあたりして、世界の複雑な事情やビジネスの厳しさも学生なりに理解していきました。今から思えば何で「クラブ創部」という苦労を伴うであろう行動に出たか?不思議ですが、おそらく無意識のうちに「織屋の息子(跡継ぎ)」というのを自分なりに自覚していて、「創部が将来の商売に繋がるのでは・・・・」というスケベ根性が働いたのだろうと思います・・・(笑)。そして何より、全く新しいスポーツのクラブ創部した事によって、学校では決して学ばないチャレンジ精神を身につけたのか・・・?この目に見えないチャレンジ精神というのは、新しいコトをする(行動を起こす)のに敷居をドーンと低くしてくれます。という事で、ウインドを始めたのが22歳で泉南フリート仲間の最高齢者が35歳でしたので、「ナンと!一回りも上のオッサンもやっているのか!」と驚いたものですが、その35歳より「30歳も年上」の自分が未だに現役でウインドサーフィンをやっている事に自分自身がオドロキます・・・(笑)。そしてウインドサーフィンをやってきた最大の収獲は、樽井ビーチでナイスバディの将来妻となったビキニの美女をゲットした事か・・・(笑)。1981年ウインドサーフィン雑誌「ハイウインド」より「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2022.05.02
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40年以上前の関西外大時代に、学内に「ウインドサーフィン同好会」を創部しました。創部とは文字通り、部(クラブ、愛好会、同好会)を新しく創ることです。初めて部を創った人の事を、創部者と呼びます。トランクルームや音楽スタジオを初めて起業しましたので、私は起業家という事になりますが、40年以上前にはすでに創部の経験をしていたのです。何でも過去を振り返ってみたら「あ~そうなんや」となりますが、起業家になれたのは創部の経験があったからだと言えるかも知れません。同じ関西外大で空手で有名になった角田氏や佐竹氏がいますが、彼らが所属していた「極真空手同好会」の創部者K氏と学内全部の同好会キャンプでたまたま知り合い、私が以前体育会古武道部(林派糸東流空手)に所属していた為、空手談議で意気投合したのを昨日の事のように覚えています。ちょうど極真会から正道館になった頃です。そのK氏も起業家です。ウインドサーフィン同好会を創部した時は、「大学にウインドサーフィンを広めたい・・・」という軽いノリだったのです・・・(笑)。しかしその後、複雑な学内手続きをしたり、学連加盟でイロンナ経験をするなんて夢にも思っていませんでした。同好会と言えども同好会の顧問になってもらうために面識のない教授にお願いに行きました。「ウインドサーフィン・・・? ナニそれ・・・?」と最初怪訝な顔をされましたが、一生懸命説得工作に全身全霊で訴えました・・・(汗)。たまたまその教授がヨットの経験があったため、「これからの新しいマリンスポーツなんです!」とか何とか言って、やっとこさ同意を得る事に成功しました・・・(汗)。単なるレジャー志向の同好会に終わらず、将来的にはスポーツとしての体育会のウインドサーフィン部にするために学連にも加盟もしました。東京の岸記念会館まで、関大ウインドサーフィン同好会の創部者の石田君と一緒に新幹線に乗って行きました。当時の日本のウインドサーフィンのレース界は、東京の拓殖大学が中心となって関東学連が引っ張っていましたので、レース上位の常連や雑誌で見る有名選手と沢山知り会え舞い上がってしまいました・・・(笑)。この関西外大の学連加盟がキッカケで、関西学連を他大学の京大、関大、同志社、甲南と一緒に立ち上げたのです。それから実質2年の部活で卒業しあとは後輩に同好会を任せましたが、私の人生に於いて非常に濃い2年でした・・・(涙)。パッと閃いてウインドサーフィン同好会を創り、その後想定外の苦労を積み重ねて「人生を学んでいった」ところが、トランクルームや音楽スタジオの起業とソックリです・・・(笑)。という事で、40年以上前の経験がトランクルームや音楽スタジオの起業に役立つとは夢にも思いませんでしたが、不思議と「1から始める・・・」感覚は当時と全く同じだったような気がします・・・ウインドサーフィン同好会の創部の最中に「将来、会社経営に役立つかも?」という思いが一瞬頭をよぎり、そういう将来この経験が役立つかもしれないという思いが、創部をドンドン推し進めていったのかも知れません。有名大学の体育会系の学生は「イイ会社に就職できるかも?」という思いで良い戦績を残そうと努力をしている人が多いかも知れませんが、私の場合は大学に入る時点でエリートコースを外れていましたので、そんな邪心?が芽生えたのかも知れませんねェ・・・(笑)。当時、世界中でウインドサーフィンが大流行していた訳ですが、その裏で日本を含め世界各国でユニバーサルジョイントに関する「特許(パテント)裁判」紛争が吹き荒れていましたので、ウインドサーフィンへの新規参入を噂されていたヤマハ発動機とミズノの就職面接で「ウインドサーフィンの特許問題をどう思われますか? 新規参入される予定はありますか?」と多くの学生の前でイヤな質問すると、面接官のタジタジしていた姿が思い出されます・・・(笑)。その他1984年のロス五輪で初めてウインドサーフィンがオリンピック正式種目(ヨットカテゴリーの1艇種)になりましたが、その裏で艇種選定疑惑もあったりして、「世の中には表と裏があるんやなぁ~」とつくづく思いましたねェ・・・1981年ウインドサーフィン雑誌「ハイウインド」より「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.09.23
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次期パリ五輪のウインドサーフィンは「フォイル」の採用が決定したそうです。2020東京五輪のヨット競技の中のウインドサーフィン部門はRS:Xでしたが、次期2024年パリ五輪の公式艇には『iQFOiL』が採用決定されたようです。フォイル?ウインドサーフィンをヤッテいる私でも経験はありませんし、マーブルビーチでもカイトサーフィンのフォイルは見た事がありますがウインドのそれはありませんし、ハワイのワイキキビーチでもサーフィンのフォイルを見ただけです。フォイルとは水中翼(HydroFoil)あるいは水中翼船のことで、ウインドサーフィンでは水中で機能するようボードのボトムにセットするウイング・システムのことを言い、形状は飛行機に似ており、マスト(支柱)フューサレージ(胴体)フロントウイング(主翼)リアウイング(尾翼)で構成されています。セイルパワーによりボードが走り始めると、ウイングから揚力が発生し、乗り手ごとボードを水上にリフトさせ、これにより大幅に抗力が減少し、効率的にボードの速度を上げたり、あるいは維持することが可能になり、最近ではアメリカズカップの大型ヨットや、カイトサーフィン、サーフィンのボードにもフォイルが用いられるようになり、ウォータースポーツに新たな世界を創出しています。カイトサーフィンやサーフィンのフォイルを見ただけですが、これまで全く違った「可能性」を感じますねェ・・・マーブルビーチでは見た事はありませんが、他のビーチのウインドサーフィン仲間の間にチョイブームになっているのが「ウイングフォイル」です。コレだとウインドサーフィン・フォイルよりリグ部(セイル&マスト)のチューニングが楽そうで、コンパクトになりますのでハワイにも持って行けそうです。という事で、ウインドサーフィンもドンドン進化していってますが、我々ウインドサーフィン愛好者に若者や女性が少なく、ドンドン高齢(平均50代後半?)になっているのがどうも気になります・・・(汗)。それにしても42年前にサーフィンともヨットとも違う「セイル付きの横乗り系ボード」として全く新しいニュースポーツだったウインドサーフィンも、当時は重いダクロン製のセイルにこれまた重い木製ブームと木製ダガーボードと木製ジョイントで、今考えると全く異次元の道具の進化を遂げ異次元のスピードと快感を手に入れました・・・(涙)。残り少ないウインド人生で、もう夏だけスラロームをするだけで十分幸せで、フォイルをやるかどうかは未定ですが、若者にはウインドサーフィン系のマリンスポーツにドンドンとチャレンジして欲しいと思います。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2021.08.30
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今の世の中お金がモノを言う時代ですが、ウインドサーフィンのプレーニング(滑走)の快感だけは、いくらお金を出しても買えません・・・(笑)。ウインドサーフィンでプレーニング快感を味わおうと思えば、いくら運動神経抜群の人でも1日では100%無理ですが、最近のウインドの道具の進化で普通の運動神経を持っていれば1シーズン毎週根気よく海に通えば出来るでしょう。40年前は不安定なボードの上に立つのに1日かかり、スーッとボードを進めるだけでも3日もかかりました。会社の決算でも形として見える有形資産(不動産、現金、建物、機械、備品など)より、目に見えない無形資産(特許権、商標権、意匠権、ソフトウエア、知的財産権、ブランドなど)の方が最近注目されています。個人も振り返って棚卸分析すると、有形資産(不動産、預金、株、借金など)より無形資産(健康、趣味、友人、家族など)の方が大事になるという事でしょうか・・・?そう考えれば気も楽になりますし、生きる勇気が湧いてきます。しかしウインドサーフィンのプレーニングを一度味わえば、もう殆どの人は虜になってしまいます。少なくとも私が知っているウインド仲間の多くは私も含め「死ぬまで(身体が動くうちは)ウインドを止めない(続ける)・・・」というサーファーばかりです。それ程ウインドサーフィンのプレーニング感覚は我々を虜にし、取り憑いて離さないのです。まぁ、言葉を替えれば健康的な媚薬みたいなものです・・・(笑)。私の場合、もう丸41年も取り憑かれています・・・(笑)。だからジイサンになっても、恥を忍んで?未だに軽トラにボード一式積んでビーチに向かうのです・・・(笑)。まぁウインドの楽しみは一直線に走るプレーニングだけでなく、ジャンプやサーフィンのようなウエイブ、フリースタイル、レース(学連、国体、オリンピック)・・・ごく最近ではフォイルという新しいカテゴリーも加わって多彩な遊び方があり全く飽きません。最近流行のSUPにリグ(セイル+マスト+ブーム)を取り付けて、一つのボードでウインドサーフィンとSUPの両方を楽しむという新しい遊び方もでき、可能性が一段と広がりました。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.10.10
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私にも沢山の悩みがありますが、そのうち1つが解決しそうです。それはウインドサーフィン時の、ビーチで履くブーツです。私のウインド歴40有余年、ほぼずっと「裸足派」でした。ほぼというのは、20代の頃は真冬も海に入っていましたので、裸足ではとても無理だったからです。それ以外は、どこの海に行っても裸足でした。どこへとは日本ならマーブルビーチ、二色浜、和歌山、琵琶湖、甲子園、浜名湖、日立、山陰、石垣島、海外ならサイパン、ハワイ、グアム、バリ・・・もちろん試行錯誤で色んなブーツを買いましたが、自分のフィット感を合わないので断念しました。最近では2年前に当時ブームだったファッショナブルな軽めのブーツに(ソックスの延長か?)を買いましたが、所詮ビーチを歩くだけの見栄え重視だったため、ウインドしている時に脱げそうになり諦めました。しかしなんで、そこまで裸足に拘るのか・・・?ビーチにはビールの破片が落ちていたり、尖った石など危険がイッパイです。特に私のメインビーチであるマーブルビーチは遊泳禁止なので、海水浴場として整備されていませんので岸辺はゴミだらけです。なので毎回ウインドをすると、足の裏に傷を作っていますが、それも慣れになってしまいました・・・(笑)。しかし長年のクセかは分かりませんが、ボードの感触を直接足の裏と指で感じないと気が済まないのです。この意地が、怪我をもろともせず裸足派に固執する理由だったのです。しかし最近読んだ本に、足の裏に健康の秘密が隠されているというのを知ったり、ウインド仲間の今年のビーチでウニを踏む事件?が多発しているという2点から、「オレも年くってるし、裸足はヤバいなぁ・・・」と真剣に思い始めたのです。そして履いても違和感のなさそうな(ゴムが薄い)?マリンブーツを遂にネットで発見・・・即注文したのです。入荷して履いてみると、これがピッタリ。これならマーブルビーチでウインドしても安心です。これで長年の悩みが解決しそうです。という事で、買ったら早速ボードのストラップにブーツを履いたままのチューニングをするのは、素足でセッティング済みですので少し広げる必要があるからです。このチューニングって、メチャ重要です。というのは、7,8年前にストラップのチューニングミスで、沖から猛スピードで岸に戻る際にボードのノーズが波に突っ込みボードに急激にブレーキが掛かり身体が5mほど前の海に投げ出され、その直前に右足が1cmほどストラップに深く入りすぎて一瞬外れるのが遅くなって右膝に負荷が急激に掛かってしまい、右膝の十字靱帯を断裂したからです。たかが1cm、されど1cmだったのです・・・(汗)。一歩間違えば、航行不能で溺死しているところだったのです。すぐに整形外科に走り、50代では完治は無理だと医師に言われましたが、右足の大腿四頭筋とハムストリングの両面を筋トレマシンで一生懸命鍛えた結果、1年でほぼ完治して医師を驚かせました。幸い20代前半に空手とウインドの補強運動(筋力アップ)の為に、和泉大宮のプロレスラーが作ったボディビルジムで2年ほどトレーニングを積んだ経験があったので、運動理論は既に頭と身体に入っていましたのでソレを上手く活かせました。当時はまだ国産のプロテインが無かった頃で、ボディビル専門誌に掲載されていた通信販売の訳の分からない?アメリカ製のプロテインをマズくて鼻をつまみ牛乳に混ぜて飲んでいたのも懐かしいです・・・(笑)。今考えるとプロテインの中に何が入っていたのかゾッとしますが、若さがそういったモロモロの邪念を吹っ飛ばしたんでしょうね・・・(汗)。まぁしかし、そんな恐ろしい経験をしましたので、ストラップのチューニングには真剣です。ビジネスでもホンのチョットした「心がけ」や「注意」が、トラブルを未然に防ぐものですから・・・単なるウインドという遊びでも、自分の限界ギリギリの快感と危険が隣合わせで遊ばないとオモシロくありませので、遊ぶのも真剣勝負だったのです・・・(笑)。「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.10.05
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昨日は朝からマーブルビーチへ、今年初のウインドサーフィンをしに行きました。結構吹いていました。南南西8~9mといったところでしょうか。一番嫌なクロスオフのガスティなコンディションです。フリーライドボード(starboard futura)117L + ノーカムセイル(Neil Pryde Hellcat)6.7㎡ で出廷。というか、このところこのセットばかりです。夏しかウインドをしないので、色々セイルを替えるとセッティング(微妙なチューニング)を忘れてしまうのです。2回往復しただけで、思うようにプレーニングできず体力と気力切れで終了。加齢と体重が増え気味なので、反射神経も鈍っているようです。無理して沖へ出て遭難したら・・・という想いが頭をよぎり止めました。過去40年のウインド歴で、遭難やケガで死にかけた経験が何回もあり、年を取るとイイ意味で臆病になるものです・・・(笑)。ウインドサーフィンは変化する自然相手のスポーツなので、一歩間違えば「生と死との隣りあわせ」と言っても過言ではありません。沖に向かってプレーニング(滑走状態)している時は、ドーパミンが出まくっている一方「もうそろそろ岸に引き返そうかな?」と頭では快感と緊張が葛藤しているのです・・・(笑)。快感の方がどうしても上回っているので、だからみんなウインドは止められないのです。海水浴場なら監視人やライフガードがいますが、我々ウインドサーファーは全くの自己責任です。唯一の救いは、同じウインドサーファーの存在です。同じビーチで知らなかっても、「あの人、どこへ行ったんだろう?」とか互いに気にしてくれるからです。同じマリンスポーツでもサーフィンは人が多すぎ誰が誰だかわかりませんが、マーブルでのウインドサーファーは多くても20人くらいで、普段は広い海を5,6人の貸し切り状態ですから。そういう意味で、ビーチではウインドサーファー同士の連帯感が生まれるのです。まぁビビりながら、ウインドをやってちょうどイイのです。決して、海なんかで死にたくありませんから。まぁ「今日はこんなところで堪忍しといちゃるわ・・・」という感じです(笑)。残念ながら不完全燃焼ですが、これでイイのです。今年はまだ始まったばかりで、これから秋まで何回も出来ますから。しかし、年々ウインドをすると体力不足を感じます。特に今年は1月に腰の手術があり、リハビリに3月末まで掛かり、自宅でのストレッチでやっと最近100%回復したところですから、今日の出来なら上等舶来でしょう。実は夏にウインドをするために1月に手術を受けたのです・・・まぁ計画通りに行きました。まぁ、これからボチボチ体力をつけていきます。スタジオでのボランティア空手(会費無料)は私の手術とコロナで今年はまだ再開していませんが、8月くらいから再開したいと思いますが、メンバーが少なくなりましたので募集しています。練習は、毎週火曜日「Aスタジオ」で10:00~12:00の2時間です。練習内容は、ストレッチ → 自重筋トレ(腹筋、背筋、横筋、拳立て、スクワット)→ 伝統空手(糸東流)の基本(突き、蹴り、受け)→ 型(平安、バッサイダイ、ナイハンチ)→ 整理運動あくまでも武道で怪我をすると困るので真面目な練習内容になっていますが、飽きが来ないように時々サンドバックやミット練習を加えています。そして各日のドラム練習で、体力というよりボケ防止に役立っているようです。ウオーキングやランニングは足腰に負担が掛かりますので、これからは足腰に負担の少ないクロスバイクに重点を置きます。今は仕事帰りの道をで少し遠回りしていますので、多少は体力がついているかも。今は森団地経由で、結構きつい上り坂を24段変速のクロスバイクで座って漕いでいます。森から三ツ松へ、そして水間へと徐々に距離を伸ばしていきたいと思います。ただスピードを出したり、車道は危険なので、その辺は気をつけて道を選んでいきたいと思います。自転車はウオーキングより遥かに行動範囲が広く、気持ちがイイのでストレスの解消にもなります。20年ほどコナミやジョイフィットといったスポーツクラブに通っていましたが、もうこれからは普段の生活で運動する習慣を工夫します。もうシャカリキにジムで体力養成なんて・・・遠い過去です。今はコロナ対策で日々の作業量が増え身体を動かすことが多くなり、それが結構イイ運動になっていますし、昨日のウインドで腰痛を感じなかったのが何より一番嬉しかったのです・・・(涙)。ウインドサーフィンそのものより、重い道具を運んだり、セッティングしたりするのに結構体力を使うのです。ウインドサーフィンは正に「自己完結型スポーツ」で、他人の手を必要としません。自宅の保管場所から道具を車に積み → ビーチの駐車場までドライブ → 駐車場から道具をビーチに下ろしてセッティング → 出廷場所(水際)までセット一式を運ぶ → 海上でウインドサーフィンを楽しむ → セッティング場所まで道具を運ぶ → 道具の水洗い&干す&片づける → 車に道具を積む → 家までドライブ → 自宅の保管場所まで運ぶこの一連の作業だけでも、結構体力を使います。夏の炎天下だと余計に体力を奪われるのです。こんな事を80歳まで続けられるか・・・?という事で、久しぶりにマーブルに来てみると、コテッジタイプの粋なビーチホテルが出来たりとかで、だいぶ雰囲気が変わりました。今年の夏は、沢山の人等で賑わうでしょう。ウインドサーフィンがマイナーになって久しいですが、これを機にウインドが人目に触れる回数が増え、大阪でウインドサーフィンブームが30年ぶりに到来・・・となれば嬉しいのですが(笑)。しかし、これまで駐車場は無料でしたが、7月から有料になるのがイタイですねェ・・・まぁ年とっても、インドア(ドラム、空手)、アウトドア(ウインドサーフィン、旅行)、頭(ビジネス、読書、音楽)の3つをバランスよく保ちながら、健康で長生きしたいですねェ・・・【オススメの関連記事】90%のウインドサーファーが腰痛という現実「トランクルーム貝塚」「スタジオ0724」「貝塚卓球センター」「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798 mail: info@sasatani.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.06.27
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今年64歳になりますが、子供達も独立し仕事もそれなりに順調に推移し会社も個人も無借金ですし、長年の身体のウイークポイントだった腰の手術(脊柱管狭窄症)も成功し・・・さて、これからの「残り少ない人生」でヤリタイ事は何か?何をしたいのか?悔いの残らない人生を送るには?イロイロ人生を突き詰めて考えると・・・やっぱり、1番の趣味で42年間続けてきて「死ぬまでウインドサーフィンをしたいなァ」・・・となります。死ぬまでとは無理ですが、現実的には「80歳までウインドサーフィンを楽しみたい」となります。もう手の届く70歳までウインドサーフィンを楽しむのは余裕です・・・(笑)。それから、あと10年・・・デキルか?自宅から車で30分の関空前のマーブルビーチが今の私のホームポイントですが、ここ30数年は仕事が忙しくまた身体の事(高血圧)を考え、夏しかしませんでした。と言うか、日本の冬の冷たい海でウインドをやろうと思わないのは、そこまで執着していない証拠かも・・・(笑)。波のあるビーチで波乗りしたり回転したりする過激で危険すぎるウエイブ派でありませんし、単に暴走族のように海上をガンガンかっ飛んでいくスラローム派ですが・・・(笑)。いずれ、5月~9月はマーブルビーチで、それ以外の秋冬はサイパンや沖縄でロングステイをして年中「ウインド三昧生活」が理想です。ただロングステイ先でウインドサーフィンだけだとオモシロくありません。それは雨が降ったり風が吹かなかったら、する事がないからです。一日ボーっとするのも勿体ないので、日中は街をブラブラしたり本を読んだり、夜はライブハウスで踊ったりドラムを叩かせてもらったりして遊ぶのです。昨年のハワイロングステイ時にライブハウスでドラムを叩かせてもらいましたが、ハワイのワイキキではウインドサーフィンはマイナーなのかオフショアの風が向いていないのか誰もウインドをやっていません。嘗てのウインドサーフィンの聖地と言われたカイルアは殆どがカイトサーフィンでウインドサーファーは殆どいませんし、ちょっと町が寂しすぎます。何とかして、ワイキキのロングステイ時にウインドをしたいのですが・・・(涙)。まァ、夏のマーブルビーチの左手の南系の風が吹くコンディションも、地球環境が劇的に変わらない限り20年後も同じだと思います。日本のマーブルビーチでウインドをする分には金は掛かりませんが、サイパンや沖縄だとお金が掛かります。現実に「サイパン少年隊」と称する?70歳代の沢山のウインドサーファーが何か月ものロングステイでサイパン・マイクロビーチでウインドを楽しんでいるのを知っていますし、マーブルでも私より年上の方が何人もおられますので、「80歳まで・・・」というのも満更実現不可能な事ではないと思います。「80歳までウインドサーフィンを楽しむ!」という目標をロックオンすれば、目標達成のために生活すべての行動に「勢い」がつきます・・・(笑)。この「勢い」というのがポイントで、年を取れば病気がちになり、行動がだんだん消極的になるものですが、ワクワク感ある「楽しい目標」を設定することによって「勢い」をごく普通の感覚にしてしまうのです・・・(笑)。他人から見たらクレイジーなジイサンに見えるでしょうけど、別にそんなのどうでもイイ事です・・・(笑)。・健康・お金・時間この3つを作るために、身体を鍛え食事に気をつけ血圧と体重を下げ、ビジネスの「現役」を続ける。遊ぶために仕事をする・・・至極当たり前の事ですが、動機が不純ですかねェ・・・(笑)。という事で、70歳、80歳までウインドサーフィンを楽しもうと思っているオッサンは私だけでは決してありませんので、現在の平均年齢50オーバーのウインド仲間の多くが思っている事が非常に心強いです。一緒に年取りながら、ウインドを死ぬまで楽しもうよ・・・と。【オススメの関連記事】今話題の「泉南ロングパーク」前でウインドサーフィン【オススメの関連記事】軽トラでウインドはハワイアンスタイル?にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.02.14
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1月末に岸和田の葛城病院で「脊柱管狭窄症」の手術をしましたが、主因は長年の織物業での肉体労働ですが、その他にどうもウインドサーフィンにも原因がありそうです。かれこれ42年もウインドサーフィンをやっていますが、20代前半に少しやり過ぎました。セイル(帆)にはらんだ風をブームというパーツを両手で掴んで受けるのですが(ハーネスという道具を使い)、グッと反対側に身体を反らせるときに腰から背筋にパワー(荷)が掛かるのです。ハーネスは長時間楽にウィンドサーフィンを楽しむための道具で、リグ(セイル+ブーム)の引き込みを補助しています。そのハーネスは主に「ウエストハーネス」と言って、文字通り腰に巻いてセイリングするのです。それが90%のウインドサーファーが腰痛と言ゆわれる所以です。ウインドサーファーの高齢化に拍車が掛かり、私の知る限り大阪のウインドサーファーの平均年齢は50歳をはるかに超えていますから、腰痛が増えるのも仕方のない事です・・・(笑)。40年前の発明されたばかりの初期のハーネスは「チェストハーネス」と言って胸筋のあたりの位置でしたが、その後ヨットのトラピーズハーネスからヒントを得た「パンツハーネス」と言ってヘソの下あたりに引く位置が変わりました。その後は今主流の「ウエストハーネス」になってから20年以上経っています。過去40年で 「胸 → へその下 → 腰」 とハーネスの位置が目まぐるしく変わってきましたが、それ単独で変わったのではく、ウインドサーフィンの道具全体(ボード、セイル、マスト)の進化(軽く、早く、硬く)によるものです。もう長く生きていると、「モノの変化」に驚きます。電話、車、家電&オーディオ、織物機械(織機)・・・ありとあらゆるモノが変化してきましたが、ウインドサーフィンの道具の進化は目を見張るものがあります。60年前の電話は柱に取り付けた「木製のボックス」でハンドルをクルクル回して使ったり、車のウインカーが手動だったなんて、50代以下の人は殆ど知らないでしょう・・・(笑)。なんせ子供の頃は洗濯機が無く、童話「桃太郎」のごとく、名越村の各隣組共同の洗い場が小川(溝)にあり、そこでみんな洗濯していたのですから・・・(笑)。まだ日本も戦争に負けて10年ちょっとでしたから、仕方のない事でしょう・・・(涙)。まぁ50超えたごく普通のウインドサーファーのオッサンでも、道具の進化で普通に海でジャンプしたり猛スピードで海を滑走(プレーニング)しているのですから・・・(笑)。しかし、空手とドラムだけが劇的な変化はありません。基本的には40年前とそれほど変わっていないという事は、それ自体100年以上の歴史を持つからで、100年掛けて刻々と変化し続けているという事でしょう・・・という事で、42年も最も長く付き合っている趣味のウインドサーフィンですが(ここ30数年は夏だけ)、80歳まで海で遊ぶ為に身体の調子を整えるのが第一です。私の長年のウイークポイントだった腰が手術によって治ることを祈るばかりですが、幸い術後も順調に回復しているのは過去30年毎朝欠かさず行ってきた「15分ストレッチ」のお陰だと・・・(涙)。やはり、継続は力なり・・・です。これは個人的な考え方ですが、やはり人間は「バランスが1番大事」かと思うのです。左右、前後ですが・・・特に左右のバランスが大事かと。私は元来右利きですので、織物時代に重たい糸や反物やビームを担ぐのに「右肩」ばかり載せていたので、今回の腰痛(脊柱管狭窄症)や首の頚椎症を患ってしまったのです。空手では左右バランスを整えるという教えがあり「利き腕でない方を2倍使え」とか言われていますので、私は昔から左手で箸を使い、マウスも左で操作していますが、それ以外でも歯磨きや髭剃りといった何でもない日常の動作でも気が付けば左手で行っているのも役に立っているのかと思います。【オススメの関連記事】今話題の「泉南ロングパーク」前でウインドサーフィン【オススメの関連記事】軽トラでウインドはハワイアンスタイル?にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2020.02.11
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1979年夏からウインドサーフィンにハマって、かれこれ40年経ちました。始めてから数年は本当にのめり込みました。ウインドサーフィンの愛好団体(泉南フリート)に所属して樽井浜を拠点としてウインドを楽しんでいましたが、当時通っていた関西外大にもウインドサーフィン同好会を創部しました。当時まだ学生連盟が関東しかなく、他の4つの大学とレースを中心とする関西学生連盟を作ることによって私のウインドの世界が一気に広がりました。後になってよく考えれば、学生時代のクラブ創部は社会人になってからの起業によく似ており、この時の経験が非常に役に立ちました・・・(涙)。その頃、ミナミのディスコに週末によく行っていたり、バンドでドラムをやっていましたがキッパリ足を洗い、大学空手部を止めてから地元の沖縄空手道場に通っていましたが徐々にフェードアウトし、ウインドサーフィンのレースに集中していきました。それでも関西インカレで5位、全日本選手権で92位の結果しか残せず、ドラムや空手と一緒で「上には上がいる・・・」と自分の才能の無さに心底落胆し、それ以上追及するのは止めようと思いました。社会人1年目でウインドサーフィン時代から付き合っていた彼女と結婚してからは、さすがに海に行く回数が減りましたので、乗る機会が少ない強風用のショートボード(ロケット103、クリット270)を売却して、中途半端ですが微風でも強風でも乗れる340㎝のオールラウンドボード(ファナティック バイパー)に乗り換えました。自分の欲を抑えファミリー重視で、夏だけ風が吹きませんがキレイで安全な遠浅の和歌山の海へ毎週出かけました。これが私も家族も大体満足できる最大公約数のささやかなレジャーだったのです・・・(涙)。仕事もサラリーマンから家業に戻ったり、3人の子育てに追われたり・・・こんな事が15年くらい続いたでしょうか。そしてやっと、時間的にも余裕が出てきた40代前半の2000年くらいから、ウインドサーフィンを本格的に再開するためにオールラウンドボードから先ずはショートボード(ミストラルVISION150)に買い替えたのです。それでも体力的にも気力的にも夏だけですねェ・・・(笑)。残念ながら、もう20代の元気で気力に満ちていた青春は戻りません。もうこれから、ボチボチです。しかし割と飽き性の私でも、これほど長くもった趣味は他にありません・・・(笑)。何なんでしょう・・・このウインドサーフィンの魅力は?私の知る限り、大阪のウインドサーファー仲間の平均像は「キャリア30年の50代オッサン」といったところでしょうか。残念ながら、女性と若者はここ2,3年見たことがありません。世の中にはイロンナ趣味がありますが、スポーツ鑑賞とか音楽鑑賞といった受動的な趣味ならば考えられますが、スポーツの実践という「能動的な趣味」で愛好者の平均キャリアが30年なんて、そんな趣味って本当に少ないと思います。空手で言えば、三段以上の指導員から師範クラスばかりで、白帯が誰もいない状況か・・・?これはこれで、後進が育たないという問題なんですけど。1980年代半ばに日本でウインドサーフィンの大ブームが起こり、二色浜でも夏の休日ともなると200~300人のウインドサーファーで溢れかえり、東京出張で湘南の逗子から江の島あたりに1000~2000人以上のウインドサーファーに度肝を抜かれました。その時に20代だったごく一部のウインドサーファーがそのまま続け、オッサンになったという感じです・・・(笑)。30年も趣味を続けるというのは、並大抵のことではありません。当然長い人生のなかで「イロンナ波」もあるでしょうし、仕事や家族との兼ね合いを上手に調整し、続けるための「時間と金」を捻出しなければなりませんし、技術的にも最新の道具についていかなければなりません・・・何より身体的に元気であるというのが前提ですが。そこまでしてもヤリタイというのは、一言で言うと「楽しい」からです。もっと言うと、私も含めて「心の底から本当に楽しい」のです。英語で言うと、fun!もうこれは、一種の麻薬です・・・(笑)。人は我々の事を「ウインドジャンキー」と呼んでいますが・・・(笑)。まァそれら全てを克服して、我らウインドサーファーのオッサンたちは沖で、プレーニングの快感の雄叫びを上げるのです・・・(笑)。にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2019.09.19
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海で遊ぶのもアブナイですねェ・・・先日、台風の影響で南系のオフショア気味(クロスオフ)の13,4mの風の安定しないヤバイコンディションで、5.3平米のセイルで沖から帰ってくる途中で、強烈な突風(ブロー)で前に吹っ飛ばされました。運悪く、頭(後頭部)から海に叩きつけられた為、一瞬軽い脳震盪を起こしてしまい、「ヤバイ!シッカリしなければ!」と、思わず「ウリャー!」と気合を入れてボードに泳いで戻りました(冷汗)。これまで36年もウインドサーフィンやっていて、何回も死にかけた事はありますが、こんな脳震盪は初めてです。海で遭難しかけた以外に、アルミニウム製のブームが胸にあたって肋骨にヒビが入った事や、カーボン製のマストが頭にコツンと当たる事はよくありますが、こんな酷くはありません。まさか、硬い道路と違って、柔らかい?海に叩きつけられたくらいで、これほどショックがあるとは夢にも思いませんでした。それほど、スピードが出ていたという事か・・・?何でや???ビーチに戻って、家に帰って、風呂に入って、夕飯を食べて、寝床に入って・・・????????真剣に原因をトコトン考えました。勿論、根本的な原因は自分の技術の未熟さにありますが、下した結論は、セイルが古すぎるという事です。あと、首の筋力が衰えて頭の海面への衝撃に耐えられなかったので、筋トレマシンのラットプルダウンでもうチョッと首を後ろから支える増帽筋を鍛える必要性もあるのか・・・?去年、ニールプライドの6.7平米NEWヘルキャットを購入しましたが、今回の5.3平米は15年前のセイル(今は販売中止のアートセイル)だったのです。古いセイルなので、安定性が悪いのです。専門的に言うと、リーチのツイスト機能が少なく、セイルの風圧中心が微妙に移動してドラフト(セイルカーブ)が安定しないのです。チョットの突風(ブロー)でも、乗り手に悪影響があるのです。強風荒波のギリギリ限界のコンディションでテンパって乗っていると、突然の環境変化(風向きや突風)に対応できないのです。そよ風でスイスイ遊ぶのもイイですが、何と言ってもウインドサーフィンの醍醐味は強風荒波で「ウレッヒー!」と歓喜の雄叫びを上げるのがサイコーなのです・・・(笑)。しかし自分の能力ギリギリで遊んでいると、チョット間違うとドツボにハマるのです。最近のセイルは、リーチのツイスト機能が優れ、ドラフトが安定するような進化したチューブバテンで、ブローが吹いても勝手にセイル上部がチューニングによって自動的に開いて風を逃がしてくれ、乗り手に無用の心配が減っているのです。とにかく、セイルの目覚ましい進化によって乗り易くなっているのです。ギリギリのコンディションでも、少しの余裕を・・・という事です。まァ、チョッと余裕を持ってヤルというのも、一般生活やビジネスと全く同じですねェ・・・本当のギリギリだと、何かの拍子に倒れて、起き上がれなくなりますから・・・しかし、楽しく遊ぶには、道具に頼るしかありません(笑)。ヨシ!新しいセイルを買おう・・・という結論に達しました。そして、1.2010~2015年モデルの中古か新品2.スラロームかフリーライド用(レースとウエイブは外す)のノーカム3.5.1~5.8平米くらい4.持っている430cmのSDMマストが使える以上4つの条件を付けて、本州(北海道と沖縄は送料の関係で除外)のすべてのウインドサーフィンショップにメールを送りました。本州全てと言っても、40~50くらいしかショップがありませんので、1時間半ほどでメールを全て済ませました。金銭的にもっと余裕があれば、ここまで研究する事もなかったのですが、残念ながら今の私の趣味に使える予算は限られます。しかし、便利な時代になりました・・・昔ならビーチ近くの「行きつけの」ショップでしか、心情的にも時間的にも買えませんでした。今はショップも激減しましたし、ビーチも特定していませんので、何処で買ってもフリーです。メールした結果、沢山の情報が寄せられました・・・トランクルームや不動産ビジネスでも、ネットによって沢山の情報が得られ、想定外のオファーがありますが、ウインドのような趣味の分野でも充分活用できます。そして、関東のショップから、2013年シマー(i-ron)5.7平米(中古)のセイルを割と安く買う事が出来ました。これで、吹いた時は多少安心して乗れるでしょう・・・自分の年齢と体力と技術に応じた道具に買い替えるというのは、ある意味「保険」と考えてイイかもしれません(笑)。という事で、いつもはヘルキャット6.7平米で、吹いた時はこのi-ron5.7平米で・・・当分この「1マスト、1ブーム」の効率良いスタイルで遊ぶつもりです。ボードはスラローム用のファナティック ファルコン104ですが、先日ボードに小さい穴が開いてしまった為、自分で修理しました。ショップに頼むと修理代がかかりますので、ホームセンターでエポキシ樹脂を買って見よう見まねで修理しました。見てくれはイマイチですが、自分のボードですから穴をチャンと塞げばいいのです。これからも、仕事だけでなく趣味でも、壁にぶち当たれば決して他人に相談するのではなく、自分自身で悩んで悩んで悩み抜いて、自分でヤッテ行こうと思うのでした・・・しかし、たかが遊びで、毎回半日程度でもジムに行けないくらい小さな怪我が絶えませんしスゴク疲労します。ブーツを履けば多少怪我もマシでしょうが、自然と一体となりたいため、ブーツを履くのがキライなのです。アラカンのジイサンがここまでウインドに真剣になっているのも、他人から見たら「アホちゃうか?」と思われるのでしょうねェ・・・(笑)。家族からは「エエ年こいたジイサンなのに、危ないから海に行くの止めとき!」とブーイングの嵐が・・・(笑)。オモシロい事も何ともない、「そよ風」の時に行けというのか・・・?まァ考えてみれば、もっと昔の30数年前のウインドサーファー艇なんかは、40cmくらいのバテンが3本ある程度で、強風ではドラフトが動くのは当たり前で、突風に備えて足を大股に開いて重心を落とした状態で構えて乗っていたものでした(笑)。しかも、フットストラップなしでしたから、ブローで海に投げ飛ばされること、飛ばされること・・・(笑)。もちろん20代でしたから、体力もあり瞬間的な対応力もありましたので可能だったのでしょう・・・しかし、来年もう還暦を迎えるジイサンです。年齢と落ちていく体力に応じた道具に替えて行かないと、ウインドで楽しく遊べないのです・・・まァ、ウインドだけでなく、仕事においても空手でも、常に客観的に自分自身の「現状を把握」して次の行動を起こす必要性をヒシヒシと感じます。先日クロスバイクに乗るのに、ついにヘルメットを購入しましたが、ウインドのウエイブをする人がたまに被っているように、ヘルメットをかぶる必要があるのかも・・・?しかし、こんな呑気な事を書いていますが、あの時、もっと強く頭を打って本当の脳震盪で気を失っていれば、そのまま100%溺れ死んでいたでしょう・・・ウインドサーファーのみなさん、私を例に本当に気を付けましょう・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2015.07.18
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先月ウエットスーツ(フルスーツ)のオーダーで、今話題の「あべのハルカス」で有名な大阪の阿倍野まで行ってきました。例年ウインドサーフィンは6月からせいぜい10月くらいまでしかしませんが、今年は少しでも長くやろうという意気込みで、15年ぶりにフルスーツをオーダーしたのです。前のオーダー当初数年は春から晩秋まで海に行っていたのですが、ウエットのゴム生地が経年劣化で硬くなり、着るのも脱ぐのも一苦労になり、イヤになって段々海から遠ざかり、スプリング(半袖半パン)のウエットが着れる季節しかしなくなったのです。年を取ると、寒さに弱くなり気力も滅入るというのもありますが・・・今回は直接製造元(D-net21)でオーダーしましたので、採寸も正確で安く買えました。既製スーツと違って、自分の身体にピッタリです。それと今のゴム生地はよく伸びて、動き易そうです。15年でゴム素材は確実に進化しています。しかし、ボードやセイルの過去30年のカーボンやケブラー、フィルムといった新しい素材を取り入れた「革命」と比べてまだまだかも・・・まァ、今年はこれで気合を入れ、ジャイブを少しでもウマくなりウインドを楽しもうという魂胆です(笑)。もちろん、これで地元マーブルビーチにイソイソと通うのですが、来月は石垣島のクラブメッドでウインドを楽しむ予定です・・・3年前に小浜島でウインドをしましたが、海の綺麗さにはホント驚きます。やはり、沖縄の離島でウインドをするのはサイコーです。サイパンのマイクロビーチでやるのと変わらないでしょう。オーストラリア・ケアンズのグリーン島も文字通りエメラルドグリーンの海でメチャクチャ綺麗でしたが、ウインドが出来ず、海水浴や岸から眺めるだけでしたので、何か物足りませんでした。やはり、動力を使わず風だけでウインドサーフィンを繰り、岸から離れて沖まで行くのが海本来の遊びで醍醐味です。サーフィンだと岸あたりの波だけで遊ぶだけですが、ウインドは風に乗って限りなく広い沖まで行き、強風が吹けば海の暴走族と化し海上をカッ飛んでいき、大きいウネリや小さな風波でジャンプしたり、岸に戻ってくる時は波に乗りサーフィン(ウエイブ)するのです。いくらスピードを出しても海上警察に掴まりませんので、スピード狂の人やストレスの溜まっている方は、ぜひ海で暴れてください(笑)。まァ、いつも思いますが、こんなオモシロいスポーツ(遊び)をしない人の心が知れません(笑)。ウインドのプレーニング(滑走)感覚を知らずに死ぬなんて、人生大損しています・・・チト、言い過ぎか(笑)。日本では超マイナースポーツですが、長年オリンピック正式種目(ヨット競技のひとつ)という事は、世界的に(特にヨーロッパでは)見て、安定した人気があるのでしょう。2020年東京オリンピックに、空手が追加種目として最右翼として挙がっているのと同じで、本家本元の日本(日本人)が考えられないほど、世界中で日本のKARATEが普及しているのです。※ちなみにウインドサーフィンも空手も国体種目でもあります。その日は時間がありましたので、阿倍野に住んでいる大学時代の友人と久しぶりに会いました。彼も私と同じように会社(電気工事会社)を経営していて、仕事や老後のモロモロの悩みや相談を、昭和町駅近くの美人ママのいる粋なハワイアンカフェ(LUANA)で長居させていただきました(笑)。ついでに、現在入居者募集中の彼の所有する賃貸物件(一戸建て)も見に行きました。阿倍野の閑静な文教地区(桃山高校の近所)で、月額8万円というのはイイ物件だと思います。まァ、不動産屋として友人の一助になればと・・・年を取ると、昔話だけでなく悩みや考える事や無駄話も多くなり、ついつい話が長くなるものです・・・ジイサン2人でワイワイ何を喋っていたのかと・・・(笑)しかし、初めてウエットスーツを買った30数年前は、既製品しかなく、身体に合わせたオーダーなんていう注文は無かったように思います。確か、堺のダイビングショップの石井スポーツだったかなァ・・・?もちろん、ウインドサーフィン用のゴムのフルスーツなんかなく(あっても、高かったので買えなかった?)、ジャージのロングジョンに上半身の3ミリくらいのゴムのウエットスーツ(上着)だけを買ったように思います・・・当時ウインドサーファー艇を買うのに、19.5万円のローンを組んだくらいですから、ウエットに金をかけれるはずもありませんでした(笑)。という事で、パンツ一丁で張り切ってウエットの採寸をしましたが、胸囲が100センチを超えると割増料金を取られるとはホームページには書いていなかったなァ(笑)。これからウインドと空手をできるだけ長く続けるために、家での毎朝の15分ストレッチだけでなく、ジムでの筋トレマシン(無酸素運動)やキックボクシングやボディコンバットやダンスといったスタジオワーク(有酸素運動)とクロスバイクといった基礎体力(パワー&スタミナ)を養う運動を、今後も週2,3回適度にヤッテいきたいと思います。ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2015.04.28
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昨日は去年同様、イオン泉南前のマーブルビーチにある産直市場「サザンぴあ」内にある海鮮レストラン「漁師ん家」で、メッチャ楽しみのウインドサーフィン仲間の忘年会でした・・・大阪のウインドサーファーが大集結です・・・チト、言い過ぎか・・・・イヤイヤ、愛好者人口が激減していますので、これで大阪の大半のウインドサーファーか・・・(笑)まァ、いつもお世話になっているマーブルビーチでの忘年会は格別です・・・真っ暗ですが・・・(笑)今年も20数人集まり、大いに盛り上がりました・・・私は主に夏にマーブルビーチでしかウインドをしませんでしたが、他のメンバーは年中マーブルだけでなく和歌山浜の宮、南紀白浜、琵琶湖、甲子園、淀川、由良、伊勢、静岡御前崎など風と波を求めて、そこら中でウインドしまくるジャンキー達です・・・私みたいな夏しかしない者は、逆に少数派なのです・・・今回も「冬にやろうよ・・・」というお誘いの多かった事・・・確かに20代の頃は、あのサーファー艇(3.6m、200L、5.7平米)で10m以上吹く真冬の真っ黒の強風荒波の海でもウインドをヤッテいましたが・・・もちろん、まともにプレーニングできる訳はなく、強風荒波に対してカットセイルやカットダガーを利用しても、海で悪戦苦闘もんどりうっていましたねェ・・(笑)今考えると、そんな古くてアブナイ道具(強風用ではなく微風用)で冬の海に出るなんて、よくも、そんな気力があったものだと・・・今は仕事と一緒で、そんな「気力」が残念ながら湧いてきません・・・道具が格段に良くなり、高速道路の充実で白浜臨海浜へも近くなりました・・・条件は揃っているのですが・・・しかし、白浜は黒潮暖流が流れているとはいえ、やはり冬は寒いです・・・ウエットスーツを着ても、手だけが寒い・・・というより痛いです・・・この感覚は経験した者でないと分かりませんが・・・それと、ウオータースタートとジャイブにまだまだ自信がないのも原因です・・・もう、20年以上もこれで悩んでいます・・・遠浅で暖かいサイパン・マイクロビーチでウオーターとジャイブの特訓をして自信をつけ、そう遠くない冬に「白浜デビュー」したいと前々から思っているのですが・・・自信さえつけば、ウインドのオモシロさが寒さに勝つと・・・身体能力(パワーとスタミナ)の老化の速度とウインドのテクニック、それに仕事に於ける経済力と時間的余裕・・・そして一番大事な「気力」・・・イロンナ要素が複雑に絡み合って、趣味の充実が成り立つと思うのです・・・今はみんなより「一歩遅れ」ですが、私は「ウインドライフ」を長い目で見たいと思います・・・しかし、今58歳でウインドを満喫しているなんて、昔は想像もできませんでした・・・22,3歳で始めた頃の仲間の最年長が35歳くらいの人で、「なんて、オジイサンがやっているのか!?」と驚きを持って彼を見ていましたが、そのオジイサンより「2回りも年上」の今の自分に驚きを隠せません・・・(笑)まァ将来は、70歳でもパワーとスタミナを「それなりに」維持し健康で、夏は風が吹けば仕事よりウインドを優先し、冬はサイパンでロングステイして、早朝はロコ達と空手を稽古して昼はウインドやカイトボーディングやダイビング、夜はライブハウスで遊び、たまに飛び入りでドラムを叩く・・・なんて、妄想が広がります・・・(笑)ウインド、空手、海外旅行、英語、ドラム・・・一石五鳥です・・・(笑)という事で、今日のメンバーは私を含め「死ぬまでウインドを楽しもう!」という人間ばかりで、やはりウインドはサイコーという結論に達しました・・・人生、これだけ意気に感じる趣味は少ないと思いますし、ウインドに巡り合えた自分が幸せだとつくづく思います・・・しかし、織物業からトランクルーム業と不動産屋に転業してからの飲み会は、仕事絡みの飲み会が減ってストレスが激減しました・・・得意先と言っても、織物時代のような法人相手のBtoBではなく、一般顧客相手のBtoCですから接待や日頃の付き合いのご機嫌伺い(ゴマすり)といった無駄な時間や出費は不要です・・・品質の値段以外の目に見えない関係を、こちらから意識して金と時間を使って構築する必要が無いというのは、これほど楽か・・・逆に言えば、今のエンドユーザー相手の商売は、「値段と品質(+サービス)」を徹底的に追求していけば、客が勝手についてきますので、その分プライベートなファミリーを大事にしたり趣味の充実を図れるという事だと思います・・・やはり仕事絡みの飲み会は、どうしても気を遣いますし身体に悪いです・・・もう年も年ですし残り少ない人生を考えると、これからは飲み会も含めストレスになるような事はひとつひとつ排除していかないと、いくら時間があっても足りません・・・そういう意味で、去年、長年加盟していた地元の商工会議所や経済クラブも辞めたのです・・・仕事がらみで加入しているのは宅建協会と日本FP協会だけで、これも必要最低限に抑えて、HPでの集客とエンドユーザーと直接「1時間でも多く話そう」というデジタルとアナログ折衷の戦略に切り替えています・・・同窓会や地元自治会も、学年や同級生ではなく仲の良い気の合ったクラス会や少人数で集まるようにしています・・・これまでの長い人生イロンナところで無理をしてきましたので、もうこれからは「好き」や「気の合う」を基準に物事を考え、旧習や学年に縛られる愚かさを自戒したいと思います・・・その点趣味は「好き」という純粋な関係で繋がっていますので、老若男女、人種、ポリシー、宗教、出身地、経歴といった属性と全く関係ありません・・・日頃イロンナしがらみで生きて無意識のうちにストレスが溜まっている現代人にとって、この解き放たれた解放される感覚、「素」の関係がイイのです・・・人生好い事ばかりではありません・・・まァ、先日立てた2015年の「8つの目標」に向かって、ボチボチと努力を積み重ねて行きたいと思います・・・そのうち「音楽スタジオ」経営という最も大きな目標がありますので、来年はこれに多大な時間と労力と資金を必要とすると思いますが、それと同じくらい楽しみでもあるのです・・・実際の工事は業者に任せますが、それ以外は独りで事業計画を考えていますし、「人生最期の大事業」と捉えていますので力が籠ります・・・これだけ大風呂敷を広げて失敗したら、私の無能力さを笑ってやってください・・・(笑)そして、もうひとつ「ウインドのジャイブとウオータースタートのマスター」という目標を達成する為に、来年はいつもより少し早く4月からウインドをスタートしたいと思い、14年ぶりのウエットスーツ新調オーダーで「気合」を入れます・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.12.21
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ウインドサーフィン雑誌「ハイウインド」10月号に、目から鱗的な記事が載っていました・・・今の日本のウインドサーフィン業界の問題点を鋭く突いた内容です・・・現状の日本のウインドサーフィンの状況は、20数年前の全盛期に比べて愛好者が悲しいほど激減しています・・・実際の数字はよく分かりませんが、大阪で最も盛んだった二色浜海水浴場は夏のシーズンともなると、足場の踏み場もないほどウインドサーフィンが並べられていました・・・ざっと、200~300艇くらいはあったように思います・・・今は、その10分の1以下でしょうねェ・・・激減もいいとこです・・・おそらく全国的にも、そんな感じだと思います・・・今の愛好者の平均像は、「50歳くらいのオッサン」という感じで、若者や女性を滅多に見る事もありません・・・このままでは、10年後のウインドサーフィン業界は更に激減して、平均年齢60歳のオッサンだけの「敬老スポーツ」になってしまいます・・・20年後は年齢的にもうウインドを引退していると思いますが、もう考えたくありません・・・それ程、悲惨な未来しか想像できません・・・何で、そんな事になってしまったのか・・・?それは、今回の記事にあるように、普通の人が無条件に気持ちイイと感じる微風(そよ風=ブリーズ)で乗れるロングボードが市場に出回っていない事で、私もそうですが「強風専用」のショートボードしか出回っていない特殊マーケットになってしまったという事です・・・強風荒波での、ジャイブ(風下方向転換)とウエイブ(波乗り)にフォーカスを当てすぎた結果でしょう・・・今の強風でのプレーニング(滑走)を前提にしたデザイン(240cm・110L・6kg前後のショートボード)ではなく、昔の微風でよく走るウインドサーファー艇(365cm・200L・20kgのロングボード)のようなラウンドボトム(排水型)の方が、風を感じやすく海に馴染みやすく、ウインド本来の楽しさを感じやすいのです・・・ウインドサーフィンに興味がある人が多いのに、入口の障壁が高すぎて、誰も入ってこれないのです・・・また興味があってスクールに入っても、スクール艇が乗り易さを重視しすぎるあまりボード幅が1メートルもあり、乗り手が海の上を走っている感覚を掴めないという現実も、本来の楽しさを妨げる原因になっているのでしょう(スクール艇の幅は80cmくらいが理想)・・・興味がある友人にウインドを教えても、道具が微風で走らない「強風用」のショートボードではウインドや海の面白さが伝わらないという事です・・・これじゃ、ビギナー減少で底辺人口が増えるはずもありません・・・業界自身が、自分で自分の首を絞めているのかもです・・・非常に残念でなりません・・・私は軽トラの荷台にウインドサーフィンのセットをドンと積んでいますので、一般の人の目に晒されますが、他の多くのサーファーはハイエースなどのスモークガラスを張ったワンボックスカーの室内に道具を入れていますので(盗難予防兼艇庫)、一般の人の目に触れる事はありません・・・ウインドが長く大きかった昔は、車の屋根に積んで目立ちましたが、小さくコンパクトになってしまって、益々一般の人から遠ざかってしまいました(車内保管で目立たなくなった)・・・まァ、この解決策として、今回の記事にもあるように、嘗てのウインドサーファー艇に近いボードを復刻版として発売するというのもイイですが、今のマーケットを直視すると現実的ではありません・・・私の個人的な提案として、今世間で流行りつつある海でも川でも湖でも遊べるロングボードである「SUP(スタンドアップボード)」のウインドサーフィン兼用版の充実を期待したいです・・・今右肩上がりのSUP人気に便乗するのです・・・風のない時に、パドルで漕いで遊んだり、波乗りしたり、そして微風でウインドするのです・・・そのウインドの時に、「乗り味」を出来るだけウインドサーファー艇に近い感触を期待するのは欲張りでしょうか・・・海や川や湖で立ってパドルを漕ぎ、磯ノ浦でサーフィンのロングボード並みに波に乗れ、サーファー艇の様に自然を感じてウインドをして、ボードを立てて乗るレイルライドといったかつてのフリースタイルも出来るような3点を高次元で両立できる「スーパーSUPボード」が開発されれば言う事なしです・・・これで、ウインドサーフィン業界も息を吹き返すかもしれません(一部SUPと被っていますが)・・・これが、生の一消費者(愛好者)の声です・・・今のメーカーの技術では、きっとデキるはずです・・・是非、ウインドサーフィンのボードメーカーさん(スターボード、ファナティック、RDD、タブー、JP、バーレーヘッズ、アングロ、ゴヤ、クアトロ)に本気でこの潜在需要のあるマーケットを狙って、頑張って欲しいと思います・・・もしそんな理想のSUPが発売されれば、普段「前傾ジャイブ」でモタモタしているオッサンでも、長らく見た事もなかった見事な?「後傾ジャイブ」でフレアジャイブを決め、レイルを立ててボードを揺らす「レイルライドロックンロール」なるかつての花形フリスタを披露して、みんなを驚かせたいものです・・・(笑)しかし、これだけ日本で超マイナースポーツになってしまったにも拘らず、未だに長年「オリンピック種目(ヨット競技の一種でRS:X級)」だなんて不思議です・・・やはり、オリンピックの発祥の地がヨーロッパという事で、ヨーロッパではまだまだ定着しているのでしょう・・・そして、ウインドが日本の国体種目というのも、オリンピック種目だからという理由で、実際の日本での普及度には関係ないのでしょうか・・・我々平均年齢50歳のオッサンサーファー達は、2,30年前の初めてウインドサーファー艇などのロングボードに乗った時の、海と自然との一体感の「感動」を永遠に忘れることが出来ないからこそ、長年ウインドの虜になっているのかもしれません・・・【オススメの関連記事】人生を学んだ1981年全日本ウインドサーフィン選手権の強烈な思い出【オススメの関連記事】ありそうでなかった「関西外大ウインドサーフィン同好会」創部ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.09.08
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ウインドサーフィンの道具(パーツ)のひとつである「ブーム」を、4,5年ぶりに買い替えました・・・ブーム径が細くて硬いと評判の、モノコック・アルミのアーロン2014年モデル「MCT26」です・・・ブームシェイプは、マストを立て易いと言われる今主流の「ワイドフロントタイプ(160-210)」です・・・欲しかったんですねェ・・・これが・・・先日買ったニールプライドのヘルキャット(セイル)と合わせて、少しでも早く走れば言う事ありません・・・この「少しでも早く」というのは、ウインド・スラローマーにとって永遠の課題です・・・ジムや空手で鍛えていますが、もうこれからは体力(スタミナとパワー)は衰える一方なので、テクニックの向上&維持を道具に頼ろうという戦略です・・・(笑)ただ、金を掛ければキリがありませんから、その辺はホドホドにしないと・・・今回のブームも、素材をアルミではなくカーボンにすれば軽くて硬いのですが、値段は3倍以上しますので諦めました・・・私の場合夏しかしませんので、「費用対効果」を考えれば、アルミで充分と判断しました・・・そして今回は、ついでにハーネスラインも新しいのを買いました・・・これは、10年ぶりでしょうか・・・これまでずっと、ハーネスとハーネスラインは信用のブランド「ダカイン」でしたが、今回のハーネスラインはセイルと同じの「ニールプライド」です・・・と言うのは、前のハーネスラインがちぎれてしまったからです・・・いくらブランドで、10年使っていても、止める部分がちぎれてしまっては信頼が崩れます・・・そして、ブランドチェンジです・・・消費者なんて、そんなもんです・・・という事で、昨日もマーブルで南南西から南西の多少ガスティなコンディションでしたが、6.7アンダー~ジャストで充分楽しめました・・・ハーネスラインの中心が、「ブーム長の4分の1」というのも実感しました・・・不思議ですねェ・・・この3週間、道具の新調でモチベーションも上がり、また台風の関係もあるかもしれませんがよく吹き、仕事の合間を縫ってホントよく海に通っています・・・またウインド仲間からの、非常に有益なアドバイスや情報も役に立ち、感謝感謝です・・・超マイナーなスポーツになってしまったからこそ、オッサン同士の結束が固くなったのか・・・(笑)しかし、このブーム(ウインドサーフィンのパーツ)も恐ろしく進化しました・・・36年前はとても重い木製だったのですから・・・弧状に曲げた2つの木を、ブームジョーとブームエンドをシート(紐)で括ったお粗末なもので、マストを取り付けるのにもクラブヒッチ(ヨットの結び方)などで一苦労してもグラグラだったのです・・・まだハーネスもフットストラップも発明されておらず、強風のセイリングスタイルは足のスタンスを思いっきり広げブームにぶら下がっているという、今とは全く違ったスタイルだったのです・・・まァ、ブームひとつとってもこの進化ですから、ウインドサーフィン全体の「恐ろしい進化(軽量化、スモール化、高速スピード化、硬度化)」は押して知るべしです・・・道具の進化によって、ウインドのセイリング理論も変わり、その変化に合わせたセイリングフォームも必要だったのです・・・その典型的な例が、もう20年以上も悩んでいる私のウインドサーファー艇で創り上げた?何千回も行っていたテール加重によるフレアジャイブの「後傾ジャイブ」です・・・今のレイル加重による「前傾ジャイブ」が恐怖心が先立ってナカナカ出来ないのです・・・「後傾」姿勢に慣れた者にとって、全く正反対の「前傾」姿勢は未知の世界で恐怖心以外何ものでもないのです・・・しかし、今のショートボードのジャイブでは「前傾」姿勢が必須事項ですから、恐怖心を克服してヤルっきゃないのです・・・日本の冬にサイパンの遠浅のマイクロビーチで前傾ジャイブとウオータースタートをマスターして、日本の冬に南紀白浜の臨海浜でウインドデビューするのが夢だったのです(夏しかしない理由は、ジャイブとウオータースタートに自信がなかったからです)・・・若い頃にオールドスタイルのウインドサーファー艇を乗り込み過ぎ、その後に到来したショートボード時代に就職や結婚で完全に乗り遅れてしまった「後遺症」と言えるでしょう(サーファー艇の後は15年ほど340cmクラスの中途半端なオールラウンド艇に乗っていた)・・・シーズン問わず年中される人は、そんな事も数をこなしている内に自然と「矯正」されていったでしょうけど、夏しかしない場数を踏んでいない私にとって、依然として高い障壁として長年の間私の前に立ちはだかっているのでした・・・やはり多くの場合そうですが、「量が質を上げる」という事でしょう・・・首里手系の空手の代表的な平安(ピンアン)の型(形)は、30数年間全く変わっていませんので、昔覚えた型の動きは今でも十分通用しますが、ウインドの昔覚えたジャイブ(風下方向転換)のテクニックは全く通用しないのです・・・まァしかし、この30数年の進化を、我々今の愛好者は享受しているのでした・・・まァ、30数年でこれほど進化したスポーツは、世界中でウインドサーフィンだけかもしれません・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.08.20
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先日11年ぶりに新しいウインドサーフィンのセイルを購入しました・・・基本的に夏しかウインドをしませんから(せいぜい4月から11月まで)、テクニックの精度を上げるべく煩わしいチューニングを簡略化する為に、スラロームで「1ボード1セイル」をポリシーにしたいのです・・・そして今持っている6.3平米と7.4平米のセイルの使用をやめて、2,3年前から6平米台のアンダーにもオーバーにも強いノーカムのセイルを探していたのです・・・そして、これ1枚に絞ろうと・・・そして、ついに希望に近いセイルをネットで格安で見つけたのです・・・ちょうど、2014年をマークダウンした直後らしく、非常にラッキーでした・・・それは、2014年ニールプライド社製のヘルキャット(ノーカム)6.7平米です・・・マストへのキャップの互換性の問題でスッタモンダしましたが、今はクリアしてもう5,6回乗って大変満足しています・・・やはり、最新の道具は乗り易くて、性能も格段に上がっているようです・・・昨日のガスティなマーブルビーチでのコンディションでしたが、一時ブローで完全にオーバーでしたが、今まででしたら恐怖心と操作不能で途中でセイリングを諦めていましたが、昨日は不思議と持ち堪えられ、爆走に酔って思わず沖で「ウレッヒー!」といつものオッサンのキモい歓喜の雄叫びをあげていました・・・(笑)これだから、ウインドはやめられません・・・一種の麻薬みたいなものですねェ・・・まァしかし、最新セイルのオーバー性能が強いという事でしょう・・・昔から若者が愛好するマリンスポーツとして、サーフィン、ヨット(シングルハンダー)、ウインドサーフィンの3つが代表格ですが、1番新しいウインドサーフィンの道具の格段の「進化」が目を見張ります・・・私がウインドを始めた35,6年前は、まだアメリカで発明されて10年、日本に輸入されてまだ数年しか経っていませんでしたので、まだヨチヨチの赤ちゃんみたいな感がありましたが、サーフィンとヨットは既に愛好者人口が相当あり道具もすでに成熟された感がありました・・・ウインドサーフィンはヨットからは「サーフィンかいな?」と、サーフィンからは「ヨットかいな?」と、どちらからも「中途半端で訳のわからんモンやなァ?」みたいな蔑視に近い視線を感じたものです・・・近所のオッサンからは「イカのオバケみたいなん積んで、どこ行くんや?」と、しょっちゅうカラカワレル始末です(昔のウインドサーファー艇は真っ白だったから)・・・(笑)ところがウインドサーフィンは1980年代に入ってから世界中で大ブームになり、愛好者人口が爆発的に増えて、メーカーや素材メーカーの競争に拍車がかかり、道具がそれこそ半年ごとに進化するのが誰の目にも見えるようになりました・・・ウインドの35年間の道具の進化は、想像を遥かに超えたもので、35年前と見た目が殆んど変わらない?サーフィンやヨットとの根本的な違いです・・・残念ながら今は超マイナーになってしまったウインドサーフィンメーカーや素材メーカーの毎年の開発努力の結果の上に、我々愛好者がその恵みを享受していると考えれば、もっともっと業界や愛好者が「ひとつ」となって、ウインドサーフィンというスポーツ(娯楽)を守って行きたいと思うのです・・・しかし先週は、10m超のコンディションでオーバー性能を試してみましたが、全く歯が立ちませんでした・・・次回、強風用にチューニングをやり直し、もう一度チャレンジします・・・何回かやってみて、ダメなら今持っている5.3平米を使うか・・・1ボード2セイルに(ボード104L、セイル5.3+6.7平米)・・・しかし、先週今週とウインド三昧です・・・スターボーの時にマスト荷重を意識し過ぎたのか、右肘をジムにも行けないくらい痛めてしまいました・・・しかし、今日も風が吹いているようで、昼から海へ出陣予定です・・・明日も予報では吹くようで、雨が降らなければ行きたいですねェ(これで3日連続?)・・・大金さえあれば誰でも買える(或いはローンで)高級車を町中を乗り回したとしても、こんな充実感は得られません・・・たった数万円で買えるセイル1枚で、これほど充実感を得られるなんて、誰でも出来るものではありません・・・この充実感を金では決して買えないというのがポイントです・・・長年の工夫と努力の結果、初めて味わえる「充実感」で、何物にも替え難いものだと思います・・・金さえあれば大概のモノを買えたり問題が解決する時代だからこそ、資格試験の合格や空手の黒帯取得もそうですが、こういう金では買えないコトが大事じゃないんでしょうか・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.08.15
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ウインドサーフィンの雑誌「ハイウインド」最新7月号に、「2013 全日本学生選手権(団体戦)京都大学 国立初の頂点へ」という記事が載っていました・・・インカレも37年の歴史があるようで、国立大学の団体優勝は初めてだったのですねェ・・・しかし、関西インカレ(関西学生選手権)の記念すべき第1回優勝(団体)は(32,3年前?)、実はこの京都大学だったのです・・・この事実を知っているのは、ウインドサーフィン関係者でも殆どないと思います・・・知っているのは、私も含め当時の関係者だけ・・・つまり関西学連でウインドサーフィンをしていた学生だけかも・・・記念すべき「第1回大会」と言っても、ヒッソリとしたものでした・・・当時は関東と関西の情報格差、人口格差が酷く、全日本選手権は殆ど関東勢で占められていました・・・第1回関西インカレなんて、関西の一般サーファーもあまり関心もなく、関東で知っているのは関東学連の一部の人間だったでしょう・・・当時は関西のウインドサーファーの殆どが一般愛好者で、関東は湘南で学生中心に発展していきましたが、関西より一歩も二歩も進んで、関心はウインドサーファーのトライアングルレースより、ハワイのジャンプする「ファンボード」に移っていました・・・そういった中で、一番古い同志社、関大、甲南、京大の4校しか全日本学連に加盟していなかったのですが、私が関西外大でクラブを創る事によって5校で関西学連を初めて創ったのです・・・残念ながら関西外大は全日本学連加盟が少し遅れたために、第1回関西インカレに間に合いませんでした・・・この時、世の中の法律の厳しさを味わいました・・・まず全日本学連に加盟しないと、正式に関西学連には登録できないと・・・関西学連の設立やレースの準備に奔走して、記念すべきレースにも出たかったのですが、もしなァなァで出ても「無効」という現実を突き付けられたのです・・・しかし学連加盟校だけでは学生数が少ないので、同じ日に非学連加盟校と一緒に(関西外大も)「第1回関西学生フェスティバル」のレースをして大いに盛り上がりました・・・しかし、第1回関西インカレで京大が団体優勝したのですが、ある時京大の創部者であるK君に直接ヒミツを聞いたり、マル秘クラブ運営方法を探りました・・・・クラブ運営?・どんな練習方法?創部者はみんな悩んでいたのです・・・全く新しいスポーツで、どうクラブ運営していけばイイのかと・・・?そこに、当時一番上手くいっている京大にヒントがあったのです・・・30年数年前の京大スポーツで、アメリカンフットボールが強かったのが非常に有名ですが、空手も強かったのです・・・アメフト、空手、ウインドサーフィンに共通するのは、殆ど「大学から始める」スポーツです・・・中学高校から始める野球やサッカー、バスケットや水泳といったメジャースポーツでは、国立大学ではなかなか勝ち目はありません・・・そこで、殆どスタートラインが同じスポーツなら勝ち目があると狙ったのでしょう・・・京大のアメフトと空手が強い理由は知りませんが、ウインドにはヒミツがあったのです・・・一言で言えば、他の大学の「反対」の事を実践していたのです・・・所謂「逆張り」です・・・ビジネスで逆張りは結構有効ですが、学生スポーツでも有効だったのです・・・他大学では、新しいスポーツという事で(非常に明るいイメージ)、新会員はいくらでも来ましたが、定着に苦労したようです・・・苦労というのは、運営方針の食い違いです・・・レース派かブルーウオーター派かです・・・学連加盟ですから、同好会と言えども、もちろんレース派です・・・ところが、新会員は「オモシロそうやなァ」「楽しそうやなァ」「もてそうやなァ」・・・と思って入ってくる訳です・・・最初から「レースしたい!」なんて、誰もいません・・・最初からボタンの掛け違いで、クラブ全体が上手くいく訳ありません・・・ところが京大の場合は、最初からレースなんてオクビにも出さず、ウインドがオモシロくなりそうになり、高額な道具を買ってから(或いはローンを組んでから)、本格的にレースの練習を開始したようです・・・新入部員がウインドを止められなくなる状況になってから、「今日からレースやでェ」と豹変したかどうかは知りませんが、クラブ運営のスムーズさから言えば、最高のシナリオでした・・・実際、これがナカナカ出来ないのですねェ・・・ついつい上級生ぶって、最初から体育会的なノリで「俺について来い!」みたいなスパルタ式になってしまうのです・・・そして、クラブ内の統制がとれなくなってしまう・・・下級生に「上手に出来ましたねェ、パチパチ・・・」なんて、当時の大学スポーツでは考えられなかったのです・・・それをヤッタというのがスゴイですし、やはり頭の構造からして違うというのを実感したものです・・・更にスゴイのが、練習方法です・・・もちろん、全く新しいスポーツという事で、みんな手探り状態な訳です・・・それを京大は、「スタート練習しかしない!」と言い切っていました・・・ウインドサーフィンもヨットも、トライアングルレースは「スタートで90%決まる」と言われていました・・・それを京大は愚直に守っていたのです・・・「試合に勝つためには、どうしたらイイのか?」という戦略を、冷静に分析していたのです・・・他の大学は、そんな辛気臭くて邪魔臭く、オモシロくない練習より、沖で伸び伸びと楽しいプレーニングする練習ばかりしていたように思います・・・京大は、「練習時間外にそんな個人練習はせよ」といった感じです・・・このクラブ運営方法と練習内容が、京大の勝因だったのです・・・後から聴いて、ナルホドですが、我々にとって「後の祭」です・・・この教訓を、後の人生に活かそうと誓ったのもこの時です・・・という事で、ウインドサーフィンを大学で同好会を創ることなく、単なる個人として楽しんでいれば、ここまで思い出が広がらなかっただろうと思います・・・今は関西外大にウインドのクラブは無いようですが、私のココロの中にはいつまでも残っていたのです・・・しかし、ウインドサーフィンは国体の種目でもあり、オリンピック種目でもあるのです・・・しかし、日本では超マイナー、こんな可愛そうなスポーツありますか・・・もっともっと流行って欲しいですし(20数年前のように)、素晴らしいスポーツというのを知って欲しいのです・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.06.15
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昨日は泉南イオン前のマーブルビーチで、今年初のウインドサーフィンでした・・・今年は特に公私含めて多忙で、チョッと出遅れた感じですが、これからトランクルームもシーズンオフに入りますので、9月まで風が吹いてタイミングが合えば、ドンドン海に行きたいと思います・・・しかし、昨日は風が良く吹きましたし、波も結構あって存分に楽しみました・・・8,9メートルの風で、6.3平米のセールでジャスト、ちょいオーバーか・・・2往復して、休憩、そして2往復・・・これの繰り返しで、けっこう頑張りました・・・いつもだと、2往復するともうヘロヘロになり、「もうイッカ・・・」と弱気になって帰りたがるのですが、「こんな良いコンディションは滅多にない!もう1本!」と自分に言い聞かせ、休憩を充分にとって海に出たのでした・・・もうだいぶ暖かいので、岸で寝っころがってする休憩時も心地よかったので、英気を充分養えたのでしょう・・・晴れていれば、暑くて疲労が増していたかもしれませんが、昨日は曇っていてちょうどヨカッタです・・・こんな良いコンディションにも拘わらず、私を含め3人しかサーファーがいませんでしたので、沖でプレーニングしながら、「ウレッヒー!」と思いっきり歓喜の雄叫びをあげていたのでした・・・(笑)他人が聞いたら、ジイサンの雄叫びほど気持ち悪いものはないですが、我々ウインドサーファーではこれがゴク普通なのです・・・(笑)沖では波とうねりが結構ありましたので、3年前のボードのノーズが波に突っ込んで前に飛ばされる時に靭帯を切った悪夢が頭を過ぎり、岸に戻ってくる時は波ばかり見ていました・・・(笑)岸でヘロヘロになって休憩していると、60過ぎのカップルに「もうウインドサーフィン長いんですか?」と声を掛けられました・・・禿げたジイサンが、一生懸命ウインドをヤッテいるのを見て感動したのか・・・(笑)何でも、去年からウインドを始めて、今年もワクワクしながらウインドのシーズンを待っているそうですが、待ちきれずマーブルに見に来られたとの事です・・・「スゴイですね、これから始められるとは!」と驚くと、屈託なく笑っておられました・・・去年、我々の空手道場に、70歳の未経験の方が入会されました・・・60,70になって、「初めてチャレンジ!」なんて、凄すぎます・・・「やろう!」と思うだけで、その気持ちが尊敬に価します・・・「頑張って下さい」「また、マーブルに遊びに来てください」「僕でよければ、お教えしますよ」と言って別れました・・・1年でも長く続けられて、ウインドサーフィンの面白さを知って頂く事を祈ります・・・しかし、私のウインドの道具も古いです・・・ボードがスラローム用のファナティック・ファルコン104Lの2008年製で、6.3平米のノーカムのガストラのセールが2003年製です・・・去年セールを最新のモノに買い替えようと思いましたが、昨日の強風荒波でも充分今の道具でも遊べます・・・自分の技術の未熟さを、道具のせいにする自分を反省しました・・・もっと上手くなれば、まだまだ道具の性能を引き出せるはずです・・・その為には、ジムの無酸素運動と有酸素運動で下半身と背面を中心にバランスよく全身を鍛え直し(或いは現状維持)、もっともっと乗り込まなければ・・・上達して、本当に「限界」が来れば買い替えればイイのです・・・という事で、ヘロヘロクタクタというのは、この事を言うのでしょうか・・・帰りのハンドルを持つ手も、二の腕が疲労しきって握力が入らず、全身に鉛の服を着ているようです・・・ジムでのボディコンバットや空手の稽古の後の疲れ方と、明らかに違います・・・しかし、ココロはルンルンでした・・・ジイサンがルンルンというのも気持ち悪いですが、ルンルンですから仕方がないですねェ・・・(笑)そして、疲れ切っていつも帰りに買う自動販売機のコーヒーも飲みたくないので買わず、駐車料金もタダで、人に感動を与え?、この日は1円も使うことなく存分に楽しんだのでした・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.06.03
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日本で唯一のウインドサーフィン雑誌「ハイウインド」の4月号を購入しました・・・今回は道具のニューモデル特集です・・・毎年殆ど買いませんが、目の保養と何時か買う時のための研究です・・・少なくとも、知識だけは最先端の情報を頭に入れておこうと・・・(笑)以前はもちろん月刊誌でしたが、最近は3ヶ月に1回の発売の発売です・・・まだウインドサーフィンブームだった20年以上前は、2,3誌の月刊誌がありましたが、ブームが去って久しいですが、まだ回数が減っても発売しているというのがウレシイです・・・最盛期だった30年前頃は日本のウインドの月刊誌だけでなく、日本ヨットの月刊誌「KAZI」にもウインドサーフィンが度々登場していましたし、梅田の紀伊国屋の洋書コーナーでアメリカやヨーロッパの沢山あったウインドやヨットの雑誌にも目を通さなくてはいけませんでしたから、情報収集にも忙しかったのです・・・(笑)ウインドサーフィンは当時日本では、特許絡みで情報が極端に統制されていましたので(1社が独占販売)、情報に狼のように飢えていましたので、ウインドサーフィンの特許のない(或いは米国ウインドサーファー社が裁判で負けた)200社以上発売されていたヨーロッパの雑誌を舐めまわすように見ていましたねェ・・・(笑)特に画像でジョイント付近が一番の違いでしたので(特許の本丸)、虫眼鏡で食い入るように見ていました・・・(笑)この時に英語の勉強という意味で、趣味を英語雑誌で読む事によって上達できると感じました・・・興味もない小説を英語で読んでも、あくびが出るだけです・・・やはり「好きこそ、ものの上手なり」です・・・まァ、大袈裟に言えば、出来る出来ないかは別にして、これが生き方の「本来の基本」だと思います・・・そして、ついでに他のスポーツ雑誌コーナーにも寄ったのですが、当時日本ですら空手雑誌はなかったのですが、向こうでは驚くほど沢山の空手(マーシャルアーツ)雑誌が発売されていたのです・・・当時日本で殆ど知られていなかった韓国のテコンドーが、全米で日の出の勢いで普及しているのを雑誌で見て、非常に驚いたものです・・・元々テコンドーは日本の空手(松濤館流)をモデルにして作られたと言われており、その後韓国の国技にして計画的に海外にインストラクターを派遣する事によって、日本が各流派バラバラで空手を世界に普及させるより遥かに速いスピードで世界中に普及させてオリンピック種目になったのです・・・ウインドサーフィンと空手といった2つの事だけでも、日本のマスコミや業界の報道が如何に偏った情報(都合のイイ情報だけを流していたか?無知だったか?)をしているのかというのを身をもって感じました・・・そして英語は、自分の世界を広げる為の大事な「ツール」だと再認識しましたねェ・・・英語が分からなければ、何も始まらないと・・・それから大学での押しつけられた英語の勉強は嫌いでしたが、空手やウインドサーフィン関連の勉強でよく紀伊国屋に通いましたねェ・・・しかし、今思えば、もうチョットちゃんと真面目に大学で英語の勉強をしておけばよかったと、実は後悔しているのです・・・という事で社会人になってからは、判断や感覚を誤まったり鈍らないように、また独善に陥らないように、自分のアンテナを少しでも「高く広げよう」と意識しているのでした・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.03.07
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本日朝刊に、バリ島のダイビング遭難事故の救助されたインストラクターのインタビューが載っていました・・・事故原因は「海の急変」です・・・穏やかそうな海でも、急に波と風が吹き荒れる場合があり、これに潮流が加わると手に負えません・・・そういう意味で、海はホント恐ろしいです・・・この海難事故のニュースを見て、若い頃にウインドサーフィンで海で遭難した事を思い出します・・・それも2回・・・死にかけたのです・・・一歩間違えたら確実に死んでいましたので、自分の「強運」に心から感謝しています・・・2回の遭難ともまだウインドを始めて2,3年経った頃で、ちょっと自信を持ち始めて、ウインドがオモシロくて仕方がない頃でした・・・何でもそうですが、こういう時期が一番危険なのです・・・1回目は4月の樽井の海(今のマーブルビーチ南浜の200m山手に嘗てあった)で、その日は樽井の漁師さんも漁に出れない、地元漁師の間では「マゼ」と呼ぶ荒れた春のオフショアの海でした・・・無謀にもウインド仲間3,4人で沖に出ようとしたのでした・・・ところが100mほど沖に出た途端、マゼ特有の違った方向からの強烈なブロー(突風)に煽られ、海に放り投げ出されました・・・気がつくと、浮力のないセールだけ握っていて、ボード(3.6m&20kg)はたった2,3秒の間に100mも沖に向かって空中を飛んでいくではありませんか・・・一瞬にして血の気が引き、直ぐにセールを捨て、岸に向かって一生懸命泳いでいる自分がいました・・・しかし泳いでいる内に、ウエットスーツの中に海水が入ってきて身体が重くなり、潮の流れに逆らって泳いでいましたので、なかなか岸にたどり着けないどころか、ますます沖に流されるような気がしました・・・平泳ぎではとても追いつかないのでクロールで必死に泳いでいましたが、途中「死ぬ時は、みんなこうして必死になって泳ぐのだろうなァ・・・」と以外にも冷静でしたし、これまでの短かった人生のイロンナ思い出が頭を過りました・・・もう、半分死を覚悟したのだろうと思います・・・そう思って30分くらい力なく泳いでいると、岸でいた仲間が漁師さんに頼んだのでしょうか、漁船で救助に来てくれました・・・この時の思いを、何と表現すればイイのでしょうか・・・正に、その漁師さんは私の命の恩人です・・・神様、仏様、というのはこの事を言うのだと思います・・・漁師さんも危険で漁に出れない、波も沖では3,4mもあり、助けるのも命懸けです・・・岸に生還してから早速、漁師さんに一升瓶の酒を持ってお礼に行きましたが、いくらお礼を言っても言い尽くせません・・・そんな死に直面する危ない目にあったにも拘らず、その2週間後くらいに同じ樽井浜であったレースで、また流されたのです・・・海は同じく「マゼ」の強風荒波のオフショアだったのです・・・参加約50人中、自力で岸に戻ってこれたのはたった2人という、歴史に残る無謀なレースでした(勿論、全員スタートさえ出来ませんでした)・・・私は幸いにも、沖にあった円形のノリ網のロープに掴まることが出来、寒さに震えながら救助を待ちました・・・ただ、ロープに掴まる事が出来なかった人達が遠くへ流されましたので、彼らを優先しての救助でしたので、まだ寒い4月の強風荒波の中で、ボードにまたがりながらロープに掴まっている時間の長い事、長い事・・・樽井漁港の2,30隻の漁船を使って頂いた大救助作戦でした・・・海上保安庁に直ぐに救助を頼むと、今後海でウインドサーフィンが出来なくなる恐れがありますので、レース本部の判断でギリギリまで待ったのでしょう・・・「もう、これでウインドを止めよう・・・」と救助を待ちながら、自分にそう言い聞かせたのは言うまでもありません・・・しかし、次の週にはもうウインドを楽しんでいました・・・懲りない性格というか、ホント、バカですねェ・・・まァ、死にかけたのはこの2回だけですが、自力で帰ってきたチョッとした遭難なんかは、20代の頃は何回もありましたし、怪我なんかしょっちゅうでした・・・ほんの2、3年ほど前の強風荒波の時、岸に戻ってくる際にボードのノーズが波に突っ込んでボードに急ブレーキがかかり、前方の海に3,4m放り投げだされる直前にフットストラップから右足が外れるのが「0コンマ何秒か遅かった」為に、右膝の内側側副靭帯を損傷してしまいました・・・これには、「エエ年こいたオッサンが・・・」と、家族も呆れ果てました・・・まァ、今年で丸35年もウインドサーフィンとつき合っていますが、全く飽きませんし、時間と金と風(暖かい)があるなら、毎日でも海に行きたいくらいです・・・それ程、海(湖)でのウインドサーフィンというのは私を含め「超マイナースポーツ」になったとは言え、まだまだ多くの愛好者を魅了しているのだと思います・・・まァ、現実問題として死ぬまでウインドサーフィンを楽しむために、気力は充分ありますが、体力的に楽しむために、毎年落ちていく体力をカバーするためにもジムに週3回通って、スタミナとパワーの維持に努めているのです・・・そして、近い将来にはサイパンやハワイでのロングステイが出来るように、一生懸命働くのです・・・しかし、自然は偉大です・・・自然の恐ろしさを認めながら、ウマくつき合っていくのが人間の生きる道だと思います・・・今回のバリ島の海難事故もそうですが、事前に準備を万全にしても事故の起こる可能性は否定できません・・・ならば普段のウインドでは、事前に天気図を見る事はもちろん、道具のチェックを徹底する事と、今年から携帯電話を防水パックに入れて持って行こうと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2014.02.19
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昨夜はマーブルビーチ前の「サザンぴあ」内、岡田浦漁協直営海鮮レストラン「漁師ん家」で、ウインドサーファー仲間との忘年会でした・・・昨年は残念ながら行けませんでしたので、今回は昨年の分まで2倍楽しもうと意気込みました・・・さすが漁協直営だけあって、とれとれ新鮮でトテモ美味しかったのは言うまでもありませんでした・・・泉州名物、ガッチョのから揚げやアナゴの天婦羅もてんこ盛りです・・・しかし、もっとオイシカッタのは、ウインド仲間らとの語らいです・・・今となっては、超マイナースポーツになってしまった「ウインドサーフィン」を何処までも愛する気持ちはみんな一緒です・・・こんな書くのも恥ずかしい言葉は、ヨメサンにも言った事もありませんが・・・(笑)それだけ、ウインドに対する気持ちは純粋なのでしょう・・・20数年前のウインドサーフィン大ブームの時は、夏の日曜ともなれば、二色浜には200~300艇のウインドが浮かんでいたのも、今となっては夢物語です・・・今回2,30人集まった大阪のウインドサーファーは、私を含めほぼ全員キャリア20年以上のウインドジャンキーです・・・年齢は40歳~60歳チョイくらいで、キャリア20年~30数年といったオッサン軍団です・・・ちょうど、白浜臨海浜からのウインド帰りのガッツのあるサーファーも何人もいました・・・私はとてもこんな寒い季節は出来ませんが(精々4月~10月まで)、他の殆どメンバーは真冬でもウインドに励んでいるのです・・・しかしこんな素晴らしいスポーツを始める若者は皆無で、残念ながら平均年齢は毎年上がるばかりで、50歳チョイでしょうか・・・知らない人が我々を見たら、やたら色の黒い元気などこかの「だんじり祭りの若頭か世話人」かいな?・・・という感じでしょう・・・(笑)まァしかし、全員、足腰が立たなくなるまで(死ぬまで?)、ウインドをやり続けるでしょう・・・そんな、ウインドにアツイ、アツイ集団です・・・そんなウインドも、もうかれこれ34年も続けています・・・22,3歳の頃からウインドを始めて、当時樽井浜で「泉南フリート」というウインドの愛好団体に所属していましたが(その後、大学に同好会創部)、その当時の最長老が33,4歳の方で、「何という、おジイサンなのか?」と思っていましたが、そのおジイサンより「ふた回り上」の現在の自分が、未だにウインドをヤッテいる事に苦笑いを禁じ得ません・・・当時まだ学生をしながら、朝5時から3時間家業の織物現場に入ってから大学に行き、土曜の夜はミナミのディスコやライブハウスに行き、地元中学の同級生とバンドを組み(ドラム担当)、地元の本部流の空手道場に通いながら、ウインドを始めるという結構多忙な青春を送っていました・・・(笑)しかし、どうしても新しく始めたウインドに比重がかかってしまい(オモシロくなって)、空手を断念せざるを得なくなったのです・・・まァしかし、もうここまで来たら、最終目標「80歳までウインドをやるぜ!」という長期計画で、取りあえず60歳、65歳、70歳、75歳と更に細かい計画の中で、その為には体力養成(健康維持)、金、時間を作っていかねばと思うのです・・・しかし、仕事以外のこういった人間関係が、人生をより豊かにするように思います・・・人生をマクロで考えれば、同じ仕事(会社)は期間限定的ですが、本当に好きな趣味などは一生ですから・・・空手には「ノンコンタクト(寸止め)」「フルコンタクト(直接打撃)」と試合方式の違いで2つに大きく分かれ、その中でも無数に細分化されるほど流派(スタイル)が沢山ありますが、残念ながら互いの交流は殆どありません・・・ウインドサーフィンも実は、スラローム、ウェイブ、フリースタイルと大きく3つにスタイルが分かれていますが(ブルーウオーター派も入れれば4つ)、ウインドの忘年会は空手と違ってごちゃ混ぜです・・・ウインドも全盛期の頃は、浜(ビーチ)単位で「フリート」という大人数の愛好団体を作っていて、レース以外はあまり交流もありませんでしたが、ブームが去って愛好者も減り過ぎてフリートも解体されてしまい、今はビーチをあまり固定せず、風が吹くビーチへ「独り」で行くスタイルが一般的になってしまいました・・・30数年前のブーム前に戻ったといったところでしょうか・・・まァ、超マイナースポーツになってしまったからこそ、流派(スタイル)を超えての、この「結束力」だと言えるかもしれません・・・イイ意味で、成熟・洗練されたスポーツになったという事でしょう・・・その証拠に、世界的に見れば未だにオリンピック種目に採用されていますし、日本の国体種目ですから、超マイナースポーツだからと言って、何も引け目に感じる事はないのです・・・ただこのスポーツの将来を考えれば、ヨーロッパのようにもっともっと子供を含めて若者や女性にもヤッテもらいたいと心底思いますねェ・・・このままだと、ジイサンだけのスポーツになってしまいます・・・イヤ、ホンマ・・・という事で、楽しい、ホント楽しい、楽しい忘年会になりました・・・来年も、楽しい忘年会になる事を祈ります・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.12.22
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地球の表面積の70%が海で、30%が陸だそうです・・・普段我々72億人の人間と沢山の動物は、地球のたった30%の陸でゴチャゴチャと生活している訳です・・・ならば、地球の70%を占める海をもっと活用できないか(経済活動は別にして)・・・・?平たく言えば、もっと遊べないか・・・?陸で遊んだり生活すると、お金がかかります・・・車に乗るとガソリン代や高速代、遊園地に行けば入園料、学校や塾に行けば授業料、ゲームセンターやパチンコに行けば遊び代、ジムに行けば会費・・・ところが海で遊んでも、基本的に金がかかりません・・・何より、開放感があり、リラックスできます・・・サーフィン、ウインドサーフィン、ヨット、ボート、カイトボーディング、ジェットスキー、SUP、魚釣り、スキューバダイビング、スノーケリング、海水浴、BBQ、砂遊び・・・何で?みんなマリンスポーツをやらないのか?不思議です・・・紫外線や遭難の問題もありますが、対策や努力である程度カバーできます・・・それ以上に、海には魅力がイッパイありますが・・・日本は海洋国家で四方を海に囲まれているという、絶好の環境です・・・これを、ビジネスにも趣味にも活かさない手はないと思います・・・何も日本に限らず、海外のビーチリゾートは沢山あります・・・春から秋は日本の海で遊んで、冬は海外や沖縄という手もあるのです・・・親戚の60過ぎの兄ちゃんが、沖縄に移住して40年以上になりますが、自営業の仕事をしていて、波があればサーフィンをするという自由な生活をしています・・・羨ましいですねェ・・・仕事をしてお金を稼ぎ、それ以上に趣味も充実させる・・・私の理想とするライフスタイルです・・・せいぜいあと15年しかない?残り少ない「健康寿命」を、如何に「海とコラボするか?」が私の課題です・・・ウインドサーフィン以外に、カイトボーディングとSUPとスキューバダイビングと魚釣りがずっと頭にあり、冬は沖縄やサイパン、ハワイ、オーストラリアのロングステイがイイですねェ・・・この夢というか、妄想を実現するには、今以上にお金と時間が必要です・・・その為には、毎日仕事的に「ビッグ・トゥモローより、スモール・トゥデイ」を追いかけるしかないですねェ・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.10.09
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先日、ウインドサーフィン道具のメンテナンスをしました・・・シート(紐)を新しいのに取り換えるか、上下を逆さにして、海でのウインドサーフィン滑走中に「切れる」事を防ぐのです・・・シートは使っていると擦り減りますし、かなりのテンションがかかります・・・特に、マスト下のダウンテンションと言われるシートには、切れると「バーン!」という爆音がするほどテンションが非常にかかるのです・・・その証拠に、昔は手(人力)でシートを引っ張っていたのですが、今は「最後のひと引っ張り」は専用の機械を使わないとシートを引っ張れないほどです・・・ウインドをやっている最中にもしシートが切れれば、一大事です・・・走行不可能になりますので、沖の風や波の荒いコンディションなら、遭難して命に係わります・・・沖でシートが切れて、遭難して水死体で発見され、新聞に載るなんてイヤですから・・・(笑)海での事故は予測不可能ですが、少なくとも自分で道具のメンテナンスをキチンとやる事によって、事故率を下げる事は可能です・・・シートのメンテだけでなく、フィンのネジ穴やジョイントやブームのカシメといった金属部には、潤滑スプレーを吹いて、可動部を滑らかにして海の潮によるサビを防ぎます・・・こんな小さな事も、「命に直結」していますので、絶対手を抜けません・・・まァ、仕事と同じで、「事前準備」をシッカリやる事が成功(無事故)に繋がるのです・・・という事で、メンテナンスもチョット邪魔臭いですが、そういう事を考えながら「定期的に」一生懸命ヤッテいるのです・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.09.01
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昨日午後からのマーブルビーチは、台風の影響でイイ風が吹いて気持ちよくウインドに乗れました・・・今年の夏はラッキーな事に、風に恵まれ結構ウインドサーフィンを楽しんでいます・・・まだハードなウインドに乗れる体力に感謝です・・・今乗っているボード(ファナティック ファルコン104)は、もう丸4年になります・・・購入した当初は、スピードが以前のボードに比べて格段に早い「スラローム用」でしたので苦労しました・・・スピードが出過ぎて、「ココロがついていかなかった」のです・・・身体は実際ボードに乗っていますが、ハート(精神・心)は後ろに置いていかれるのです・・・乗っていながら、「恐怖心」が先立つのです・・・ちょうど「心身分離」のアンバランスな状態とでも言うのでしょうか・・・そしてやっと、4年もかかってココロが身体に追いついてきました・・・やっと、スピードが「シックリ」きたのです・・・やっと慣れてきて、心身ともに楽しめるようになったのです・・・1年中ウインドをやっていれば1,2年で追いついたかもしれませんが、夏しかしませんのでここまでかかったのでしょう・・・一般生活でも入学、結婚、就職、転職、転勤、離婚・・・で環境が「激変」する場合に、生活リズムに慣れるまで時間がかかるものです・・・当初は、心身アンバランスの状態なのは当たり前です・・・しかし、どう慣れるようにするか?「リカバリー」するかは、本人次第です・・・私も長かった織物業からの「転職」が大変でした・・・もちろん祖父の代からの家業でしたので、物心ついたときから周りは、糸、織物、織物機械、女工さん、マシン油の匂い、微塵の匂い・・・ドップリで、転職というより「人生を一新」と言ったほうがいいかもしれません・・・転業決断(自分の心)、転業宣言(対:取引商社、銀行、仕入れ先、従業員、家族親戚)、機械売却交渉・・・全てが「人生初」で、ショックショックの連続でした・・・しかし、冷静沈着に事を進めなければなりません・・・そして、とうとう織物機械を工場から全て搬出した時に、何とも言えない「喪失感」に襲われました・・・しかし、落ち込んでいる間もなく、「次」へのアクションを起こしました・・・トランクルームという次の「希望」があったから、行動できたのでしょうねェ・・・ウインドサーフィンも、他に人のように「乗りたい!乗れる!」という希望があったからこそ、4年もジムでの基礎体力養成から始まり、アレコレ頑張ってこれたのかもしれません・・・人間、「希望」が無ければ何もやる気が起きないのは当たり前です・・・希望・・・何でしょう?・・・単純に心の底から湧き出る「ヤリタイ事」だともいます・・・犯罪はダメですが、誰にでもヤリタイ事が何かあるはずです・・・もうオッサンにとって、人生に残された時間があまりありません・・・しかしジムでのダンス系(ズンバ、ヒップホップ)のリズムはなかなか慣れませんが、ディスコ世代にとって、カテゴリーは違ってもダンスは本質的に好きなので、多少はマシになるだろうと1%の希望があるからヤッテいるのか・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.08.30
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ウインドサーフィンに行くと、いつも何処かケガをします・・・今も、1週間前にジャイブ(風下方向転換)で失敗して、ブーム(アルミ製)というパーツで右肘を強打してしまい、1週間湿布し続けてやっと90%ほど治ったところです・・・事故当初は、肘を伸ばす事が出来ず、よっぽど整形外科に行こうかどうか迷ったほどです・・・足の裏も、知らぬ間によくケガをします・・・ブーツを持っているのですが、乗りにくいので、つい履かずに乗ってしまいます・・・というか、「自然と一体化」したいですから、出来るだけ何も身に付けたくないと・・・この間も、波打ち際で何か「チクッ」と踏んだようで、家に帰ってみるとトゲが何本か刺さっていました・・・未だに何か分りません・・・帰ってみると、いつ?できたか全くわからない脛やわき腹にアザを発見するのはしょっちゅうです・・・海で一生懸命やっているので、打った痛みも分らないのでしょうねェ・・・(笑)2週間ほど前の「赤潮」の酷い時に、沖で激しく沈(ボードから海に投げ出される)した時に、セールの下敷きになってしまい、波が荒かったせいで、ハーネスを外すのに手間取ってしまい、そこから逃げ出すのに焦ってしまい、何秒か遅くなり水を飲んでしまって一瞬死にそうになりました・・・赤潮の味は、やはり不味かったです・・・(笑)こういった怪我も、自分の体力と能力「限界ギリギリ」で遊んでいるからなのです・・・自分の能力半分以下の安全な波も風もないコンディション下で遊んでも、オモシロくとも何ともありません・・・ギリギリの状況下で遊ぶのがオモシロく、また自分の技術もそうしないと伸びないのです・・・仕事とよく似ています・・・空手の稽古では、案外ケガをしません・・・ウインドサーフィンは独りでしますが、空手の場合、管理者(師範)の元で稽古しますし、格闘技のケガとなると、急所を狙い危険性が高くなりますので、用心に用心を重ねますので案外ケガをしないものです・・・そういう意味で、ウインドの場合は「自己コントロール」がより必要になってくる訳です・・・海のコンディション(風、波、潮、今後の変化予想)と自分の限界能力と体調を、常に見ながら(調整&推測)遊ぶ必要がある訳です・・・まァ、ある意味自然と、サバイバルゲームの「総合判断力」の訓練をしているのか・・・一歩間違えば、「遭難 → 水死」の可能性もありますから、遊ぶのも真剣です・・・逆に、この「ギリギリ感」がイロンナ意味でオモシロク、多くのオッサンを虜にしていると言えるかもしれません・・・イヤ、多くはないですねェ・・・マイナーなスポーツですから、「変わったオッサン」を虜にしているか・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.08.27
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最近、夏は異常に暑いです・・・子供の頃はもちろんエアコンもなく、蚊帳と扇風機があれば、夏も快適に過ごせたものです・・・30数年前も海に行けば、より日焼けするために「コパトーン」とか塗ったものです・・・ところが今は、エアコンなしでは夏は過ごせませんし、日焼けなんてとんでもない、逆に日焼け止めを塗っているくらいです・・・地球温暖化が加速しているのが、よく分かります・・・夏はウインドに行くのも、日焼け止めとともに「帽子」が必須アイテムです・・・また、昔はウインドに乗るのにも上半身裸で乗ったものですが、今はラッシュガードを着ないでは、とても乗れません・・・その帽子も、20数年前からゴルフや海でよく被った「麦藁帽」で、かなりボロボロでした・・・本当によく被り、充分元を取りました・・・(笑)まァ、何でも長年大事に「使い倒す!」のが私の主義ですが、ここまで安物の帽子を「愛用」したのも珍しいです・・・という事で、新しい帽子を買ったのです・・・ビラボーンのサーフハットです・・・麦藁帽と違って、海用なので機能的です・・・という事で、今シーズンもあと残り少ないですが、このサーフハットを被ってウインドを楽しみたいと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.08.26
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昨日も昼から、イオン泉南前のマーブルビーチでウインドサーフィンをしました・・・今月前半は風が吹きませんでしたが、後半晴れの日が続いてから風がよく吹いています・・・家や仕事場でいると、暑さで参ってしまいますが、海は別世界です・・・昨日は盆明けで、ビーチも空いていました・・・昼過ぎにビーチについて、道具のセッティングを終えてから、風が吹き出すまで時間がありましたので、しばらくビーチパラソルの下でチェアに座り、iphoneでボサノバを聴いてボーッとしていました・・・日陰になり、パラソルの下は風が通って涼しく、前のマーブルビーチは綺麗で、殆んど人のいないビーチは、まるでリゾート地のプライベートビーチに居るかのような錯覚に陥りました・・・これに、ビールがあればサイコーでした・・・何もわざわざ、外国のリゾートビーチに行く必要もないと感じましたねェ・・・これで、ビーチ使用料も駐車場も無料ですから、笑いが止まりません・・・炎天下にうちわだけを持ってビーチに来れば、5分も居てられませんが、モノは考えようです・・・遊びも工夫しだいで、天国にも地獄にもなります・・・事実はひとつ、考え方(やり方)はふたつです・・・そしてその後、前の晩に考えていたチューニング(ブーム高を5ミリ上げ、ハーネスラインを1センチ短く)で、7.4平米セールでジャストで楽しめました・・・この日は珍しく、沖に出ても波やうねりが少なく(小さく)、波がないとこんなにも走りやすいのかと、琵琶湖などの湖でやっている人を羨ましく思いました・・・夏しかウインドをやらない人間にとって、風によってコロコロ道具を変えるより、「ワンボード、ワンセール」で微調整のチューニングを繰り返した方がイイかもです・・・という事で、遊んだ分、仕事に頑張らねば!・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.08.20
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強風の中ウインドサーフィンをやっていると、腕が疲れて長時間もちません・・・これは腕力がないとかという問題ではなく、単にテクニック(技術)が下手だけなのです・・・要は、やり方が間違っているのです・・・上手な人は、何時間乗ってもそれほど疲れません・・・ピンポイントの調整がドンピシャで、体重を上手く利用して、無駄な力を一切使っていないのです・・・かたや私は、そのピンポイントを未だ見つけられず、体重を上手く利用できず、要らないところに無駄な力が入っている為に疲れるのです・・・全く、真逆の事をしてしまっているのです・・・頭ではそれを理解してるのですが、実際なかなかウマくいかないのが、ウインドに限らずモノゴトの難しいところです・・・ウインドの調整はやり始めたら、組み合わせが沢山あり、キリがありません・・・ブームの高さ、ハーネスの位置、ストラップの位置、肘の曲げ方、ジョイントの位置、フィンの長さ、セールのチューニングetc・・・ある程度のところまではいくのですが、そこからの微調整が至難の業なのです・・・微調整と言っても、1センチ単位ですが・・・これにボードの種類(ボリュームの大小)とセールの種類(広い狭い)や、身長、体重、筋力を入れると、それこそ無限の組み合わせができます・・・プロではない多くの愛好者は、ウインドを楽しむために「自分なりに」工夫して道具の調整をイロイロやっている訳です・・・そこで、「もっと速く走りたい」とか「もっとジャイブが上手くなりたい」とか「もっと長時間乗りたい」とかの「欲」が出てきて当然です・・・そうなると、話がややこしくなる訳ですが、趣味も高じると仕方のない事です・・・仕事に支障の出ない程度で、趣味であれこれ悩むのも幸せかと・・・後は、自己コントロールの世界です・・・私の場合、ウインドは夏中心で、せいぜい5月から10月の半年しかしません・・・しかも、仕事に支障をきたさないように、基本的に近場のマーブルビーチしかしません・・・その中で風の吹く日も限られますから、相当効率よくしないと上達を望めない・・・更にドンドン老いぼれてくるし・・・まァ、長年生きているオッサンにとって、何をどこまで突っ込んだらイイか?という「冷静な判断」は得意です・・・まァ、残念ながら、何をヤッテモ、醒めているという事ですが・・・という事で、アレコレやりたい中で、今の私にとってウインドのポジションは、悩みながらもマアマアという感じです・・・この「調子」で、イケルところまでイクつもりです・・・昔のギャグで「二、二、ニーチェかプラトンか、みんな、悩んで大きくなった・・・」というのがありましたが、仕事でもプライベートでも悩むことはイイ事だと思います・・・努力しようという表れですから・・・悩むことがなくなったらオワリです・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.08.19
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ウインドサーフィンでマーブルビーチに行くと、毎回思うのが「もうちょっと、小さい石にならないのか?」です・・・マーブルビーチに敷き詰められた石は、直径5~10センチの大きな石ころで、素足で歩くと痛いのです・・・もちろん痛いので、ビーチを歩くときはビーチサンダル(セッタ)です・・・しかし、ウインドで沖から戻ってきて、道具を浜に引き上げるときは素足ですので、これが痛い・・・道具を浜に引き上げてまず探すのは、沖に出るときに脱いだ自分のビーチサンダルです・・・1メートル素足で歩くのも痛いですから、すぐに自分のビーチサンダルが見つかるように、ビーサンを重ねて「立てて」います(石ころで周りを固めて)・・・これで、1秒でも早くビーサンに辿り着くのです・・・(笑)しかし、足の裏が石ころで痛いというのは、足裏のツボを刺激して身体に良いのかも・・・そして普通のビーチのように砂ではありませんから、道具や身体が砂で汚れません・・・砂で汚れたら、帰りの道具の後片付けの時、水で洗い流すにも時間も量も結構いります・・・マーブルビーチなら、20リットルのポリ缶に水を入れて持っていき、持参のジョウロで4杯分洗い流します・・・セールの表裏、ボード、身体の4杯だけです・・・最後の身体は、ジョウロを手で揚げて、頭からシャワーのように掛けますので、ちょっとワイルドです・・・(笑)真夏のビーチは、これで、身体も心もスッキリです・・・これがマーブルビーチの良さとでも言いましょうか・・・これまでにも、随分言ってきましたが、「波のないフラットな遠浅」のサイパン・マイクロビーチで、自分の弱点であるジャイブとウオータースタートの「集中特訓」もしたいですが、マーブルビーチのような、前に障害物のテトラポットもない、遠浅ではない多少波やウネリのあるビーチもオモシロいと、最近思うのようになりました・・・プレーニングというフルスピードで、海の上を爆走するのが醍醐味ですが、スピードに乗って波に乗ったり、普通のサーフィンでは味わえない、波をジャンプしたり、波越えしたり(波間を飛ぶ)、そういったスリルが何とも言えません・・・そして何しろ、家から近いというのがイイです・・・家から近いというのは、レジャー・趣味が「非日常」ではなく、「日常」という事で、ライフスタイルにグッと組み込めます・・・という事で、あちこちのビーチに行くのもイイですが、腰を落ち着けて地元のビーチに目を向けるのも、イイのではないかと・・・まァ、古女房を再評価するがごとく、マーブルビーチの良さをしみじみ感じる今日この頃です・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.07.19
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昨日も昼からマーブルビーチでウインドを1、2時間ほど、7.4平米アンダー~ジャスト~オーバーで楽しみました・・・最近チョッと、当たっています・・・ラッキー・・・たった1、2時間ほどですが、スゴク疲れます・・・自分のパワーとスタミナの無さを痛感します・・・そして何より、ブームを握る手の平が真っ赤になり、二の腕がパンパンで疲労困憊になります・・・1,2往復すると、これです・・・波打ち際に戻って、ボードにつかまり海に浸かりながら疲労回復を待ち、また沖へ・・・これの繰り返しです・・・一旦陸に引き揚げれば、次出るのが億劫になりますし、海に浸かって自然と一体感を味合うのも中々イイものです・・・年中やっていればコツも掴み、力を無駄なく使えるでしょうが、夏だけだと、どうしても無駄な力を使ってしまうので尚更ですしかし考えてみれば、もう57歳です・・・普段あまり自分の年齢を考えた事はありませんが、たまに振り返ると、自分のジイサンさん加減に苦笑いします・・・(笑)ウインドを始めた22,3歳の頃は、仲間の殆どが20代で、確か最年長の人が「ひと回り上」の35歳で、「ナント!ジイサンがやっているのか?」と驚いたものですが、そのジイサンよりまだ私は「ふた回り上」なのです・・・しかしウインド愛好者の現状は、若者や女性から見向きもされない、おそらく「50歳のオッサン」が平均像です・・・今のウインドサーフィンは、プレーニング(滑走)主体の「過激」な方向になっていますので、みんな結構「マッチョ」のオッサン達です・・・年中コンスタントにやっている人は、ウインドそのもので鍛えられますが、私も含め、多くのウインドサーファーはその陰で筋トレやランニングでパワーとスタミナを養成しているはずです・・・そうしないと、普通の50歳のオッサンの身体ではモチマセン・・・特にウエイブ(波乗り&ジャンプ)をするようなエキスパートは、ボディビルダーのような鍛え抜かれた身体が必要です・・・しかし20歳頃から始めた空手の師範は、当時50歳半ばで「お爺さん」のような印象を持っていましたが、今ちょうどその年齢です・・・空手仲間の平均年齢は60歳を超えていますが、皆さん元気です・・・また、私の周りでも定年退職した60代の人達も元気です・・・やはり、年々人間の健康寿命や平均寿命が延びているのでしょうねェ・・・「シルバーマーケット」・・・まだまだ可能性がありそうです・・・しかし昨日ウインドに行く前に、実は背筋を少し痛めていたのですが、すっかり忘れてしまい、知らぬ間に治っていました・・・(笑)やはり、「病は気から」で、「気で治す」か・・・不思議ですねェ、人間の身体って(心も)・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.07.18
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昨日のウインドサーフィンは、強い風に翻弄されながらも楽しかったです・・・前日の夜に旅行から帰って少し疲れていましたが、風が吹くとそんな疲れも何処かへ飛んでいきました・・・それほど、ウインドはオモシロいのです・・・34年間、全く飽きません・・・最近のウインドサーフィンの愛好者は、「一匹狼」的な単独行動が多いですねェ・・・もっと具体的に言うと、「50前後のオッサンが1年中、1か所のビーチに固定せず、風が吹いているビーチに独りで行く」・・・そういう平均像が浮かび上がります(私はせいぜい5月から10月までしかしないので特殊かも?)・・・ショップやクラブハウスが近くにあるビーチは別にして、他のビーチでは家族やアベックやグループで来たりすることは、あまりありません・・・せいぜい仲の良い仲間と、ビーチで待ち合わせるくらいでしょうか・・・私も含め、だいたい多くは独りでビーチに来ているパターンですねェ・・・しかし、ビーチに行けば誰か「仲間」がいますし、例え知らない人でも気軽に声を掛け合うのがウインドサーファーです・・・「何平米のセール張ってますか?」「アウトはガスってますか?」「クラゲいますか?」「水温は冷たいですか?」とか・・・そこから徐々に親しくなって行き、道具の情報交換や更に親しくなっていくと、テクニックの教えあいに・・・超マイナーなスポーツになってしまい、マニアックな世界だからこそ、かもしれません・・・ちょうど私が始めた1979年の、もっと以前・・・東京から関西に初めて入ってきた1974,5年頃の愛好者数に戻っているかもしれません・・・ウインドの先輩から、「樽井浜、片男波、加太、琵琶湖、甲子園、伝法・・・どこのビーチでも、みんな仲間や!」なんて話をよく聞かされました・・・ビーチ(フリート)主催のレースを開催する場合は互いに呼び合ったり、合同でレースをやったり・・・「マイナーなスポーツを盛り上げよう」と、とにかく交流が盛んでした・・・昔は愛好者も少なく、ビーチ単位で「フリート」というグループ(団体)を作って、ビーチ間を移動せずに1か所のビーチでフリート単位でウインドを楽しむのが普通でした・・・まァ、マイナースポーツだからこそ言えるのですねェ・・・ウインドサーフィンも正に、40年前に戻って「先祖返り」スポーツになったのか・・・普通、知らないオッサン同士がしゃべる事は、日本ではあまりありません・・・変なプライドが邪魔をするのか、仕事以外は極端にコミュニケーション下手ですねェ・・・男性が定年後、地域社会に溶け込めず、鬱になったり、寿命が縮んだりするのも分かります・・・ジムでも、女性は気軽に声を掛け合ってすぐに友達になったり「順応性」があるのに、オッサン達はいつまで経っても「溶け合う」のが遅いですねェ・・・イヤ、いつまで経っても溶け合わない人の方が多いかもですねェ・・・という事で、仕事や既存のグループだけのコミュニケーションは確かに楽ですが、こういったウインドサーフィンに限らず「趣味の効用」も、人生を豊かにする側面があるように思うのです・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.07.06
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都会のど真ん中の地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」近くの中之島の川(土佐堀川と堂島川)で、30年ほど前にウインドサーフィンをした事がありました・・・何で・・・?そんなところで・・・?当時5月のゴールデンウイークに行政企画(大阪21世紀協会主催)の「中之島まつり」というのがあり、その中のイベントで出たのです・・・普段はもちろん勝手に出来るものではなく、後にも先にもそんな場所でウインドをヤッタというのは、私達だけだと思います・・・しかし話が来た当初、そんなところで出来るのか?という疑問もありましたし、汚なそうな川でイヤでしたねェ・・・しかし、悪い予想は当たりました・・・周りはビルだらけで、風が回ってセールに風を取り込むのに難儀しましたし、川の色はヘドロで「濃い黒緑色」でした・・・川に落ちたら最悪でしたので、「落ちるまい!」の一心でした・・・しかし当時「新しい若者のスポーツ」としてのウインドサーフィンのデモンストレーションという事もあり、テレビの放映もありましたので、ジッとしている訳にもいかず、ビルとビルの間からチョッとだけ吹く「ビル風」を拾って、ただセーリングするだけでなく、一生懸命「フリースタイル」にもチャレンジして、派手にアピールしました・・・バック・ツー・セール、テール・シンク、ノーズ・シンク、ダック・タック、フレア・ジャイブ、インサイド・ブーム・・・当時のフリースタイルの「得意技」をすべて披露しました・・・しかし、最も難しい「レイルライド(ボードを立てて乗る)」で失敗してしまい、黒い川に落ちてしまいました・・・悪い癖で、調子に乗ってしまったのです・・・さすがに川の水を飲みませんでしたが、ボードから川に落ちて浸かる瞬間「ヌルッ」とした気持ち悪い感覚は、一生忘れられません・・・(笑)そして白い海パンが、一瞬のうちに「グレーの海パン」に変わってしまいました・・・シャワーもありませんでしたから、帰りの「クサイ車」に乗っている時間の長い事、長い事・・・これも、長いウインドライフの懐かしい「ひとつの思い出」です・・・時間が経てば、どんな思い出も美化されます・・・という事で、最近の中之島はカジュアルアメリカンレストラン&スポーツバーで有名な「フーターズ」もできて華やかになりつつあるようですし、今はもっとキレイな川になっていると思いますので、将来は魚も住めるようになり、、出来る事ならウインドサーフィンのレンタルビジネスも出来るくらいキレイになればイイなァと思います・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.07.01
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これまた30年以上前の古いウインドサーフィン雑誌(ハイウインド)をパラパラめくっていると、私が投稿した上記の題の記事が出てきました・・・ちょうど大学で、ウインドサーフィン同好会を設立して、全日本学生連盟に加盟して、関西の6大学(関大、関学、京大、同志社、関西外大、甲南)で関西学生連盟を結成して一番張り切っていた頃です・・・日頃の練習や対外レースに力を入れるのはもちろんでしたが、「ヨットとのレース」にも興味を持っていたのです・・・この数年前に、アントニオ猪木(プロレス)とモハメッドアリ(ボクシング)との「異種格闘技戦」があり、ヨット VS ウインドサーフィン(正式にはディンギー VS ボードセーリング)もある意味、異種格闘技と仮想していたのです・・・ウインドサーフィンは確かに早そうだが、発端はディンギーと同条件(同じ海)で戦ったらどうなるんだろうという素朴な疑問からで、私からヨット部の知り合いに話を持ちかけたのです・・・話が何の障害もなく、とんとん拍子に進み実現へと動き出したのでした・・・これが伝統ある総合大学だと、メンツやOBやらの問題で出来なかったかもしれません・・・まだ新しい単科大学故に出来たのだろうと思います・・・まァ、当時伝統あるヨット界から見れば、「ウインドサーフィン(=ボードセーリング)?」「ナンじゃ?そりゃ?」「ヨットかいな?サーフィンかいな?どっちや?」と蔑視に近いものがあり、サーファーからは、「デカい板やな?」「帆は何すんの?」といった具合で、近所のオッサンからは「イカのオバケ?」と言われる始末でした・・・レース当日の海面は、ヨット部のホームポイントの「湖特有の風のよく振れる」琵琶湖・真野浜で、日頃大阪湾(旧樽井浜)の「割とストレートな風の海」で練習している我々にとって多少不利でしたし、セールエリアもバラバラで、乗り手も1人用や2人用だったりでしたが、「とにかく、やろう!」と互いに積極的でした・・・レースの結果、優勝が2人乗りの「470」ヨット、2位、3位が「ウインドサーファー」艇で、ボードセーリングの高性能がほぼ証明されました・・・レース後は互いに知らない技術交流で、和気あいあいと仲良くしたのは言うまでもありませんでしたし、非常に充実した1日で、一生の思い出になりました・・・まァ、この頃の日本のウインドサーフィン事情は「ヨット寄り」で、今の過激なスラロームやウェイブ、フリースタイルというカテゴリーは殆どありませんでしたので、ノンビリしていました・・・一方、ハワイではウェイブ(サーフィン&ジャンプ)の爆発的な流行の兆しが見え始めていたのです・・・当日もう11月も後半でしたので、琵琶湖の水がメチャクチャ冷たかった記憶があります(大阪湾の1月並みの冷たさ)・・・次の週に和歌山のレースに行くと、まるで温泉に浸かっているようでした・・・イヤ、ホンマ・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.06.28
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久しぶりに30年前のハイウインド(ウインドサーフィン月刊雑誌)を見ていると、今となっては「化石ボード」でウインド仲間からもほとんど忘れ去られた「ディビジョン2」というカテゴリーの一時話題になったボードの宣伝が載っていました・・・これは「のぼり角度」を重視した、ヨットの船底のように厚みが厚く丸底で(ラウンドボトム)、まるで丸太のようなボード形状をした「中空」ボードなのです・・・なぜ中空かというと、体積が300Lくらいありましたので、中空にしないとボードの重量が重すぎるのです・・・長さが3.9mで体積(容積=ボリューム)が300L、今の一般的なボードは2.4mの110Lなので、如何にデカいかが想像できると思います・・・また丸太のような形状をしていましたので、横揺れでコロコロし、乗りにくい事、乗りにくい事・・・何度か友人からボードを借りて乗りましたが、「ゴーッ」という感じで風上に向かって考えられない角度で上って行きましたが、タックやジャブが難しくてやれるものではありませんでした(ボードというより、まさに船に乗っている感じ?)・・・この「ディビジョン2」というボードも、ヨーロッパ製のレヒナー艇がオリンピックに採用されましたが、高価だという事と乗りにくいという事で、一部のトップサーファー以外ほとんど普及に至りませんでした・・・一度、10メートル以上強風の吹いた和歌山・片男波のローカルレースで、現在トッププロウインドサーファーの浅野氏のお父さんが、当時ロビーナッシュも愛用した「ミストラルM1」というディビジョン2ボードでブチギリ優勝したのを、目のあたりにして驚きました・・・今では考えられない事ですが、フットストラップ(足をボードに固定する装具)もなかったのですから、如何に技術がスゴカッタかという証拠です・・・更にセールは、特許の関係で高性能なセール(フルバテン)が使えず、3本の短いバテンしかないお粗末なサーファーセールだったのです・・・これが全日本クラスの実力(テクニック)かと・・・凄い実力を持った人の前には、ただただ尊敬と憧れのみです・・・そういう機会に恵まれた自分に感謝しなくては・・・という事で、ウインドに興味のない方は何を寝言を言うトンのじゃ?という感じですが・・・確かにジイサンの寝言で、家族の誰からも無視される話です・・・ここが個人ブログのイイとこで、好きな事を誰にも邪魔されずに書けますのでお許しください・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.06.24
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ウインドサーフィンに行くときは、いつも軽トラックの荷台に無造作に道具を積んでいきます・・・これって、ハワイのウインドサーファーがピックアップトラックの荷台に道具を積んで行くのとよく似ています・・・乗用車と違ってトラックは、イロイロと気を遣わなくてイイです・・・乗用車だと、帰ってきたら洗車して潮水を洗い流さねばなりませんし、室内の砂も掃除しなければなりませんが、軽トラはそのままです・・・それだけでも楽です・・・割りと雑な私の性格にピッタリです・・・また道具の積み下ろしが早いです・・・2,3分あれば十分です・・・乗用車だと、屋根への積み下ろしは結構大変ですし、しっかり括らないと走行中に落としたら大変です・・・軽トラの荷台からは先ず落ちませんし、ゴム紐を2本引っ掛けるだけで十分です・・・まァ、今はウインドの行き帰りがホント楽になりました・・・これもボードの長さが、昔の3.6mあった時代から今の2.4mに劇的に小さくなったからというのと、マストが1本もの(4.5m)から2本もの(ツーピース)に全長が半分になったから、軽トラックの荷台に「平置き」出来るようになったのです・・・昔レースで遠征ともなれば、大変です・・・小さい車の屋根に4台も載せれば(1台セットで30キロ)、道中気になって(落とさないか)仕方がありませんでした・・・ウインドに行くというだけでも、「気力」が今の10倍くらい要ったでしょうか・・・まァ、若い頃は、そんな事「屁」とも思わなかったでしょうが・・・道具が大きかった昔は、乗用車の屋根に載せて行っていましたが、たまに軽トラックで行く事もあったのです・・・近所のオッサンに「イカのオバケみたいなん、積んでどこ行くんや?」とよく冷やかされたものです・・・長いボードを軽トラの荷台(当時は排気量360ccで今より一回り以上車体が小さかった)に斜めに乗せて走ると、向かい風の抵抗で落ちそうになる事もありましたし、狭い道のカーブで曲がると、マストが屋根の瓦に引っ掛かる事もありました・・・それより、道具の「出幅」が交通違反でしたが・・・(笑)まァ、軽トラにウインドサーフィンを載せて走るのは、最初少しカッコ悪く恥ずかしかったですが、慣れればどーって事ありません・・・逆に今では、「ロコ風」でカッコいいと開き直っています・・・(笑)まァ家訓?の「名(見栄)を捨て、実(利益)を取る!」を地で行っているだけですが・・・今のウインドサーファーの一般的なスタイルは、ワンボックスカーの中に棚を作って道具を置き、スモークガラスで中が見えないようにしているパターンが多いです(盗難予防のストッカー兼用)・・・という事は、昔のように公道でウインドサーフィンが一般人の目に触れないのです・・・だからサーフィンやウエークボードとごっちゃにされて、増々ウインドサーフィンがマイナーになってしまうのです・・・そういう意味で、軽トラックに積んで走るのはよく見えますので、チョットはウインドサーフィンの認知に貢献しているのでしょうか・・・(笑)【オススメの関連記事】90%のウインドサーファーが腰痛という現実【オススメの関連記事】今話題の「泉南ロングパーク」前でウインドサーフィンここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.06.22
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昨日はイオンモールりんくう泉南前のマーブルビーチで、今年初のウインドサーフィンでした・・・朝から家周辺でも風が吹き、ワクワクしながらもチョットビビりも入り、複雑な心境でした・・・(笑)昼過ぎに仕事を終え、いざマーブルへ・・・水曜という事もあり、道の駅は休みで中の駐車場へは入れず、いつものように門の外へ車を止めました・・・イオン角の臨海線沿いのデカい交差点のど真ん中ですので、着替えも丸見えで、ワイルドです・・・(笑)予報ほど吹いていませんでしたが、既に2人のサーファーが、風と戯れていました・・・しかし、セッティングが終わった頃から、徐々に風が上がってきて絶好のコンディションになってきました・・・6.3平米のセールで、いざ出陣・・・最初は良かったのですが、増々風がきつくなり波も出てきて、チョッと、セールがデカすぎ「オーバー」になってしまいました・・・まともにセールを引き込んだら、ボードが勝手にうねり(波)を飛び越え、着地すると波の飛沫で前が何も見えず爆走・・・恐ろしくなって、ターンして岸に戻る・・・情けないながら、ジャイブもくそもありません、ただ一直線に走るのみ・・・この1往復の繰り返しで休憩・・・2時間ほどで完全に体力を消耗し、気力も萎えてきました・・・せっかく風が吹いて絶好のウインド日和だったのに、もうチョットやればよかったのに、後悔しました・・・弱気な自分に「負けた」のか・・・他の仲間は、殆ど休憩することなく、しっかり遊んでいます・・・この「差」が年中する人間と夏しかしない人間の差ですねェ・・・遊びも仕事と一緒で、真剣勝負です・・・しかし風が強くなるほど、サーファー仲間がどこからともなく湧いてきて、6,7人になっていました・・・この「何処からともなく湧いてくる」というのがオモシロいですねェ・・・仕事を休んでか、早退してか、後回しにしてか、それはわかりませんが、私を含めて我々ウインドサーファーはウインドサーフィンを、もう「ライフスタイルの中に組み込んでいる」のです・・・私は精々5月から10月くらいまでしませんが、彼らの多くは冬を含めて1年中されてる人が殆どなのです・・・私も20代の頃は真冬もしましたが、もう今はそんな気力は残っていません・・・4,50代の仲間(中には6,70代の方も)が未だに冬もやっている姿を見ると、頭が下がる思いです・・・だから、いつまでたってもウォタースタートやジャイブをマスター出来ず、ここ20年くらいは同じ事の繰り返しで、進歩していなのが悩みの種です・・・今回、サーファー仲間から、他のビーチと新しいセールに関し「有力情報」を頂きました・・・その情報を自分なり上手くやれば、来年はチョッと「進歩」できそうな気がしてきました・・・まァ、昨日はあまり疲れたので、写真を撮る気力も余裕も残っていませんでした・・・しかし昨日は、もうクラゲが沢山いましたので、暑いのにウエットスーツを着たのです・・・海にドボンと落ちれば、クラゲと仲良くナタデココ状態・・・二色浜もそうだったようで、一体どうなっているのでしょうねェ・・・ここもポチッと押してください!ご協力お願いします!にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2013.06.13
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今回の沖縄旅行で、初日に2時間だけウインドサーフィンをしました・・・ 今回の旅行は先ず、オプションツアーと食事付のツアーを申し込んで、2日目以降は、すべて予定が先に入っていて、ウインドは当初全く予定がないどころか、デキること自体全く知りませんでした・・・ ところがネットで、「星野リゾート・リゾナーレ小浜島」の事を調べていると、「小浜島でウインドサーフィンが最新の道具で出来る!」とあるではありませんか・・・ これには、舞い上がるほど嬉しかったですねェ・・・ 早速ビーチの専門スタッフの松沢さんに、メールと電話で予約し、ホテルに到着後すぐにウインドができるように手配を万全にしました・・・ とはいえ、当日の天候が心配です・・・雨が降り風が吹かなければ、せっかく準備万端でも一巻の終わりです・・・ 予報は曇りで非常に心配しましたが、本当に運が良いというのか、女神が微笑んでくれまして、当日は暖かく(25℃)晴れで風も申し分なく吹いてくれました・・・ ホントに感謝感謝です・・・ 前日は寒く、翌日は大雨でしたので、如何に運が良かったのかと・・・ そしてこの日の為に、自分の弱点である「ジャイブ(風下方向転換)」のワンポイントレッスンもお願いしました・・・ 考えてみればウインドで、お金を払って「人に教えてもらう」というのは、ウインドを始めて33年来初めてです・・・ 昔は教則本もインストラクターもなかった時代で、ずっと我流で、ウインド仲間とアレヤコレヤと相談、討論、技術を盗みあい・・・そうやってきました・・・ しかし松沢さんの「さすがプロ!」という非常に分かり易い身体を使ったコーティングに、目が覚めました・・・ これまで10何年と夏しか出来ないという練習量の少なさを、DVDや本で頭に「理論」と「シュミレーション」を入れてカバーしようとしていましたが、無理でした・・・ やはり実際に自分の乗り方を見てもらい、「適切なアドバイス」をしてもらわないと、効率よく上達できません・・・ 松沢コーチの一言一言が、千金の重みです・・・来年の練習開始からは、この経験を是非とも活かしたいと思います・・・ 今回はいくら暖かいとは言え、ウエットスーツを借りて、7~8mくらいの風で乗りましたが、ウエットがちょっと窮屈なこともあり、1時間で疲労困憊になり、自分の体力の無さを痛感しました・・・ というか、肥え過ぎです・・・アカン!もっと痩せないと・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.com※地域最安値!月額5250円岸和田市東ヶ丘町「月極駐車場」にほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.11.29
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次期2016年リオデジャネイロ五輪で、ウインドサーフィンが正式種目から外される予定でしたが、ISAF総会(11月4日~10日、アイルランド)で、ウインドサーフィン(RS:X級)が再び五輪のセーリング競技の一種目として採用されることが正式に決まったようです・・・ ホント、よかったですねェ・・・ 五輪種目から外れたら、ますます「超マイナー」スポーツになりかねません・・・ そうでなくても、ウインド愛好者のひとりとして、毎年メーカーが無くなったり、ショップが減ったりしたらと思うと、ヒヤヒヤします・・・ サーフィンみたいに、流行ったり廃れたりとかいう「流行のサイクル」がないのかと、つい恨んでしまいます・・・ 流行のサイクルがあれば、もうボチボチ「20~25年ぶり」に流行りそうなのですが・・・ 数年前にプロウインドサーファーの映画があった時に「若干」ブレイクしそうだと期待していましたが、残念ながら不発に終わりました・・・ 来年も流行の兆しもありません・・・どころか、不況の煽りでオッサンの失業からまた減るかも・・・ 唯一の希望が、関東で10代の「ユース」に力を入れているようです・・・ やはり、若い子や女性がやらないとダメですねェ・・・ 孫が出来たら、是非ウインドの「楽しみ」を教えたいと思います・・・子供3人とも、あれだけ海に連れて行ったのに、誰一人として習おうとしませんでしたが・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.11.14
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今回沖縄旅行の小浜島でウインドサーフィンをする訳ですが、普段乗っている波が荒くてウネリのあるマーブルビーチとは違って、波のない乗りやすいフラット海面だそうです・・・ メインは素晴らしくキレイな海で乗るだけの楽しみですが、「ジャイブ(風下方向転換)」という課題もあるのです・・・ 30年前当時に「ウインドサーファー艇」という今となっては「クラシック艇」になる旧タイプのボードを、しっかり乗り込んでいました・・・というか当時この1種類しかありませんでした・・・ その時の「後傾ジャイブ」が身に沁みついてしまっているのです・・・いわゆる「フレアージャブ」というヤツです・・・ ところが今の新しいボードには、これが通用しないのです・・・ ボードもセールも「過去30年間の目覚ましい進化」でデザイン、素材、長さ、重さ、理論が全く違ったシロモノになり、「前傾ジャイブ」でないとスムーズに方向転換できないのです・・・いわゆる「レイルジャイブ」というヤツです・・・ 後傾と前傾・・・恐ろしく違います・・・実際昔「後傾ジャイブ」を身につけた者にとって、全く違うスタイルの「前傾ジャイブ」をする際に、「恐怖心」が先立ちます・・・前に倒れるというのが、恐ろしくてどうしても出来ないのです・・・ しかしこの新しいテクニック(技術)を、どうしても身につけないと「カッコいい」ジャイブが出来ません・・・ 今学んでいる空手(唐手)は「止揚会」と称し、半数以上が別流派の空手経験者で(私も)、約半分が60歳以上のグループです・・・ 故に「型」に関して、これまで身につけた流派を重んじ、枝葉末端の部分では旧流派のそれを認めるという寛容なスタイルをとっています・・・矯正はしない・・・ というか、長年染み付いたモノは取れません・・・ そういう人間本来のメカニズムを壊さずに、新たに「止揚会」としての空手(唐手)の技術を「上乗せしなさい」というのが師範の考えです・・・ それと同じように、ウインドサーフィンの「後傾ジャイブ」は、クイックジャイブといったトリッキーなフリースタイルに使い(技術を捨てずに)、「前傾ジャイブ」は新たに一から学んで「上乗せする」という姿勢で臨むしかないです・・・ となると、昔サーファー艇でよくやったフリースタイルの「レイルライド(ボードを立てて、その上に乗る)」という花形テクニックも、SUPとかのロングボードで復活させるか・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.11.13
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昨日のマーブルビーチでのウインドサーフィンは、オフ気味のあまり良くない風でしたが、結構吹いていましたので、久々の心地よいプレーニング感を味わいました・・・ ところが、岸に戻りかけた海の中で、突然足の裏に「チクッ」という痛みが走りました・・・ また鋭い石でも踏んだのかと思いましたが、痺れの混ざった痛みが段々、足の裏から「上に」伝わってきました・・・ 「これはヤバい!」と、身体の動けるうちに道具の後片付をしようと思い、半分パニクリながら道具を海から引き揚げました・・・ 頭の中は、「保険証はどうしようか?」「お盆休みとちゃうか?」「救急病院なら空いているやろ?」「外科やな?」・・・いろんな事が駆け巡りました・・・ 片付けているうちに、痛みが膝下20センチまで「のぼって」きて、パニックは最高潮に達しました・・・ 道具を車に積んで、イザ帰ろうとした頃に、不思議と痛みが和らぎ「一安心」・・・帰る頃には完全に痛みが消えていました・・・ 家では何事もなかったように、ビールを飲んで「今日は、よう吹いたでェ」なんて、半分「冷や汗」ものでした・・・ ウインドに行くと、必ず小さな怪我がつきものです・・・それをイチイチ報告すると、家族が心配してウインドに行くことを反対されますので・・・ まァ今回は、クラゲに刺されたのが足の裏でヨカッタです・・・以前、心臓付近の胸を刺され、心臓が締め付けられるような痺れで、死ぬかと思いました・・・ まァ自然相手のスポーツですので、最悪は「遭難して死亡」というのが毎年日本のどこかでありますが、それだけは絶対避けたいですねェ・・・ フィンの取付けで、ネジを「たった1センチ」強く締め忘れたりとか、ブームが頭に当たって脳震盪を起こしたりとか、ジョイントのゴムが切れたとか(古くて)・・・少なくとも、そういうチョットしたミスで遭難することは絶対避けたいですねェ・・・ 空手の稽古にしても、一応「寸止め」形式でやって、細心の注意をしていますが、突きや蹴りは多少身体に当たるものです・・・ 空手はダンスではなく、あくまで格闘技ですので、その辺の覚悟は承知の上ですが、家族に反対されるとかないませんので、怪我を隠すのに苦労します・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.08.16
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33年前の夏に泉南市の樽井浜で、ウインドサーフィンを始めました・・・ 今は関空の埋め立てでもちろんありませんが、マーブルビーチ南浜の200m山側あたりにあったのです・・・ ちょうど7月の第1週の日曜で、梅雨の時期でした・・・ 前日のサンケイ新聞の泉州版に、「ウインドサーフィンスクール」の記事が載っていたのです・・・ 前の晩はミナミのディスコに踊りに行っていたので、けっこう眠かったのを覚えています・・・ 樽井浜に行くと、スクールのYさんが曇り空を見て「今日は雨降ったら、スクールせーへんでェ」と言われ、ショックだったのが昨日のことのようです・・・ ところが運命の女神がほほ笑んだのか、次第に晴れて来て、そよ風も吹いてきて、初心者にとって絶好のウインド日和になりました・・・ これが雨だったら、そのまま帰り、2度とウインドをしなくて、人生も変わっていたかもしれません・・・ 人生とは、「偶然の重なり合い」ですから、分かりません・・・ という事で、次第にウインドにのめり込んで行く訳ですが・・・ それまで空手やバンドでドラム、遊びでディスコ・・・と適当に青春していた訳ですが、どれも中途半端で、完全燃焼とは程遠かったのですが、ウインドは正に私にとって「これや!」と思わせたのでした・・・ 同じくウインドサーフィンのゲレンデとして、貝塚市の「脇の浜(二色浜の北隣)」があったのですが、これも貝塚人工島の埋め立てでなくなってしまいました・・・ ちょうど今の脇浜西の交差点のポリボックスあたりにあり、当時の堤防が残っています・・・ 普段は樽井浜でウインドをやり、時間がないときは、車で10分の脇の浜でよくやりました・・・ とにかく大学、家業の手伝い、仕事以外は、すべての時間と金をウインドに注ぎました・・・ 「大事な青春」をこんな訳のわからない「新しいスポーツ(日本に輸入されて6年足らず)」に賭けていいのか?と毎日自問自答、迷いながらやっていたように思います・・・ しかしそんな迷いも、ウインドの「楽しさ・魔力」に負けてしまうのも、そう時間はかかりませんでした・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.08.15
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車で買い物や遊びなど何処かに行くのに、「駐車料金」がチョット気になります・・・ その点ウインドサーフィンの「メインゲレンデ」である、関空前のマーブルビーチ(南浜)の駐車場がタダなのが助かります・・・ たまに行く二色浜や和歌山浜の宮は、夏場は1000円取られます・・・ 浜の宮は、高速代もかかりますし、よっぽど風の吹く確率が高く、丸1日休日でないと行けません・・・ 本当は毎日でも行きたい、景色のいい素晴らしいゲレンデなのですが・・・ ジムでも今のジョイフィット岸和田は駐車料金は無料ですが、以前のコナミスポーツ東岸和田は、毎回駐車料金を取るのです・・・ それが癪に触って、ジョイフィットに鞍替えしたメンバーは数知れません・・・市民感情というのは、そういうものだと思います・・・ たまに利用するなら有料でも構いませんが、「日常的」に利用する場合は無料にすべきでしょうねェ・・・ 極論するなら、有料駐車場というだけで、もう足は他の方向に向いていると思ってもイイでしょう・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.08.12
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水曜にマーブルビーチ(関空前)に、ウインドサーフィンをしに行ったのですが、予測が外れました・・・ いくつかの天気予報では、5,6メートルは吹く予報で、出かける1時間前から予報以上に吹いていたのです(気象庁のリアルタイムの風速実績)・・・ 急いで準備をしてマーブルに着くと、吹いていました・・・その時は・・・ しかし道具のセッティングをしている頃から、風が落ちてきました・・・ せっかくセッティングしたので、超アンダーで乗りました・・・ まァ、クラゲも少なかったし、やはり海の中は冷たいし、たまに沖で「ドボン」と浸かって頭を冷やしました・・・デカい風呂を一人で独占しているようで、気持ちがイイです・・・ しかしこの夏はあまり風も吹きませんし、仕事とのタイミング合わず、あまり海に行けてなくて残念です・・・ 少ないチャンスをモノにするために、少しでも風の吹くチャンスを掴むために、以前買っておいた「風と波を知る101のコツ」を再読して、ウインド仲間がみんなやっているように「天気図を読む(予測)」ようにしようと思います・・・ ウインドもビジネスと同じで、吹いているとき(流行っているとき)に準備しても、当たる確率が少ないものです・・・将来の「分析・予測」をして、吹く(流行する)前に行動しないと・・・ 吹いてから(流行ってから)では遅いのです・・・ 遊びで失敗してもイイですが、ビジネスで予測が外れたら命取りです・・・ 真剣に遊ぶのも、失敗を教訓にしますから、ビジネスに応用が効くかもです・・・ この日は売店のサンピアも休業日で、表の門は締まっていましたので、門の外に車を止めて、帰りはイオンの近くにセイルを干しました・・・ 乾かす間、ポンプ場前の木陰で、疲れた身体をチェアに座ってコーヒーブレイク・・・何とも幸せの瞬間でした・・・ この日の出費は、水を家から持っていき、駐車場代は無料なので、珈琲120円とガソリン代だけ・・・家から片道30分ですし、道具さえあればランニングコストが安く、非日常ではなく「日常的」な趣味なので、体力と気力さえあれば、長く続けられるのでしょうね・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.08.10
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ウインドサーフィンを始めた頃は、樽井浜(今のマーブルビーチ辺りにかつてあった)にあった「泉南フリート」というサークルに入って、個人的に楽しむだけだったのですが、いろんなところにレースで行くと、学生チームがチラホラ出来かけていたのです・・・ そこで彼らと話すと、「全日本ウインドサーフィン学生連盟」には加盟しているけど、関西学連がないのだという悩みを聞いていたのです・・・ そこで「俺らが関西学連を立ち上げよう!」という事になったのが、今の関西学連の始まりです・・・ ところが、私はまだ個人的にやっていただけなので、まず自分の大学(関西外大)に同好会を創る事から始まり、それから全日本学連にまず加盟することが先決でした・・・ 全くの「ゼロから」、学校側と交渉して部員募集に始まり、顧問の先生を見つけ、試乗会や説明会に奔走しました・・・ その間も、朝5時から織物工場に3時間入り、青年団活動や、地元の空手道場に通っていたのです(勉強はあまりしませんでしたが)・・・ そして何か月か後に、関西学連設立の第1回目の会合が、今でも忘れません・・・当時けっこうナウかった、アメ村の居酒屋「ロバータ」で行われたのです・・・ 会合と言っても、京大のK君、関大のI君、甲南のU君、同志社のM君と私の5校だけだったのです・・・ 当時は流行りかけていた「ニュースポーツ」の最右翼で、時代の先頭に立っている自負もあり、私も含めてみんなスゴク活き込んでいたように思います・・・ みんな20代そこそこの若さで、学業以外にここまで全身全霊を打ち込んでいたという自負があり、そりゃみんなギラギラした凄いパワーをもっていましたねェ・・・ 私も「こんな事をしていて、イイのだろうか?」と悩むくらい、のめり込んでいましたねェ・・・当時は1番好きなだんじりよりも、好きだったですねェ・・・ 当時はまた、地元の空手道場で空手も並行でやっていたのですが、ウインドにどうしても時間が取られて、最終的には中断してしまいました・・・ まァ今から思えば、ウインドサーフィンを個人で初めて、大学にクラブを創り、関西学連を立ち上げ、現役でレースを続け・・・一言で「本当にヨカッタ!」となります・・・ もちろん一言で言えない、たくさんの素晴らしい経験を学業以外でさせていただいて、けっして「回り道」ではなかったと信じています・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.08.08
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朝から久しぶりにマーブルビーチに、ウインドサーフィンに行きました・・・ 東系の風が吹くとの予報を期待して行ったのですが、あまり吹きませんでした・・・ 吹くだろうと予想をしていましたので、6.3平米のセールを張りましたが、すごいアンダーでシンドカッタです・・・ 沖合100mまで行くと、クラゲの何千匹という大群がいるではありませんか・・・ スケグにクラゲが引っ掛かり、ボードが減速して落ちそうになりました・・・ ここで落ちたら、「ナタデココ状態」となりエライ事になりますので、必死に落ちまいと耐えて、何とか落ちずに済みました・・・ 風もあまり吹かず、昼過ぎに帰ろうと後片づけした後に吹いてきましたので、再度セッティングして乗りましたが、すぐに風が止んでしまったので、残念無念でした・・・ 今日のウインドサーファーは広いマーブルビーチに2人しかいなく、殆ど貸切状態でしたので、二重丸か・・・ まァしかし、こんな事もよくありますので、次に期待して、疲れ切った身体をアース・ウインド&ファイヤーの曲で気を持ち直し、家路に急ぎました・・・ 昔は盆過ぎにしかクラゲが出ませんでしたが、今は春から出ます・・・やはり地球温暖化のせいでしょうか・・・ しかし、関空の離着陸の飛行機便の多さに驚きます・・・2,3年前には、考えられなかった事です・・・ やはりLCC効果でしょうか・・・ 離陸飛行機の方向がしょっちゅう変わるナゾが溶けました(今日は3,4回風向きが変わった)・・・風の吹く方向に飛ぶそうです(反対だと、機体がバランスを崩すそうです・・・管制官も大変ですねェ)・・・と、ベテランのウインド仲間が教えてくれました(ひとつ、賢くなった!)・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.08.01
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今回のロンドン五輪・セーリングのRS:X級(ウインドサーフィン)に、男子に富澤慎選手(2大会連続出場)と女子に須長由季選手(初出場)が出ます・・・ 次回リオデジャネイロ大会では残念ながら、ウインドサーフィンはオリンピック種目から外れますので、今回で最後の競技となります・・・ 最後の大会ですので、是非御両人に頑張って欲しいと思います・・・ まァ、20代前半にノメリ込んだウインドサーフィンで、イロイロ学びました・・・ レジャー要素も多いですが、スポーツとして取り組み、ヨットのような競技としてのレースを中心に練習しました・・・ 野球やサッカー、ラグビーのような「集団スポーツ」と違って、「個人スポーツ」ですので、試合結果がすべて自分に帰します・・・全責任が自分にある訳で、責任逃れができないところが、逆にイイですねエ・・・ レース中は、目に見えない風を身体で感じて、周りの競争相手の動きを見たり、波の様子や海の色で、レースに勝つために、自分の動くべき方向を「判断」します・・・ まるで、個人ビジネスのようです・・・ 現状の自分のポジションを客観的に把握し、今後、周りの環境がどのように変化するかを予想して、自分の有利なように、どのように動くかと・・・ 自分の全知全能が試されて、他人に責任転嫁できません・・・ この辺が団体競技にはない、個人競技のイイところですねェ・・・ レースは自分の性格が出たりしますので、自分の悪いところを再確認できたり、レース後の「反省」が非常に為になります・・・先輩に指摘してもらったり、同じフリートの仲間と反省しあったり、自問自答したりと・・・「次に」向けての戦略を練る訳です・・・ という事で、代表のお二人には、オリンピックが終わっても、この経験を活かし、実社会でも頑張って欲しいと思います・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.07.30
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いよいよロンドン五輪が始まりますが、セーリング競技の中の「RS:X級(ウインドサーフィン)」が今回が最後になります・・・ このウインドサーフィンに代わって、次回リオデジャネイロ大会から「カイトボーディング」が採用されます・・・ 8大会も続きましたが、非常に残念です・・・ 1984年のロス五輪からですから、一番ウインドに熱中していた頃の青春時代と被りますから思いで一塩です・・・ 当時ロス五輪のオフィシャル艇が、世界で最も普及していた「ウインドサーファー艇」になると誰もが信じて疑いませんでしたが、IOCの最終選考審査の結果、僅差で日本でほとんど普及していなかった西ドイツ製の「ウインドグライダー艇」に決まり、日本のウインドサーフィン界に激震が走ったのも、今となっては懐かしいですねェ・・・ 20代前半のまだウブだった私にとって、この世の中は一般の人が知りえない「政治力」で動いているのだと理解したニガニガしい経験でした・・・ 次期五輪のカイトボーディングは、前々から一度はやってみたいスポーツでした・・・ ウエイクボードとウインドサーフィンを足して2で割ったようなスポーツで、ウインドの親戚みたいなものと思います・・・ マーブルビーチでもやっていますが、海が深いのでチョット怖いです・・・ 遠浅でレスキューボートのあるところで、絶対チャレンジします・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.07.27
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もうすぐロンドンオリンピックが始まりますが、悲しいかな、ウインドサーフィン種目にとって、最後のオリンピックになります・・・ 1984年ロサンゼルス五輪から、8大会も「セーリング競技」のウインドサーフィン級として続いてきたのに・・・ 2016年リオデジャネイロ五輪では、ウインドに代わって「カイトボーディング」が新種目として加わります・・・ しかし考えて見れば、日本でこれだけ「超マイナー」スポーツなのに、いくらヨーロッパでメジャーでもここまで続くとは不思議です・・・ やはり一般人には分からない、なにか「政治力」が働いているのでしょうか・・・ 一方、国体種目としてのウインドサーフィンは来年の採用はすでに決定しているようですが、競技人口の減少や2016年五輪の不採用で、2014年以降は不透明です・・・ 一愛好者として、オリンピックや国体に採用されるのもイイですが、もっと現状の足元を見つめて、上部団体や実業団、学生連盟、業界、愛好者団体が結束して、女性や若者にも魅力のあるスポーツに育てていく方が先決問題だと思います・・・ ウインドサーフィンと一口に言っても、愛好者が全員オリンピックや国体を目指して、レースばかりやっているのはなく、ほんのごく一部の特殊な人達です・・・ 私を含め、愛好者の多くは、スラロームやウエイブを楽しんでいるだけです・・・ だからオリンピックや国体がなくなっても、当面は何も変わりません・・・ しかし5年、10年先を考えれば、道具メーカーやショップが減り、ビーチが制限されたり・・・と、どうしてもマイナス思考になってしまいます・・・ やはりある程度の「愛好者人口」がないと・・・ しかし数が減れば減るほど、我々オッサンの愛好者が年を取れば取るほど、ウインドサーフィンに対する胸の思いは熱くなるのです・・・ 私の場合は大学に学連加盟の同好会まで創ったくらいノメリ込んでいましたし、そしてきっと我々オッサン達が20代でウインドサーフィンが始めた頃は、誕生(発明)して間もない頃で、青春時代を一緒に過ごし成長してきた「仲間」としての愛情があるのでしょう・・・ ※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村 大阪府 ブログランキングへ
2012.07.24
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約10年ぶりに、ウインドサーフィンで使う「ハーネス」を買い替えました・・・ 風が強くなると、セールを手だけで支える事ができませんので、体重全体で支えるために、腰の周りにこのフック付の「ハーネス」を取り付け(巻き)、セールを操作するブームに取り付けた「ひも」にこのフックを引っ掛けるのです・・・ 風の弱いときはあまり乗りませんので、強風化ではこの「ハーネス頼り」です・・・これがないと、乗れません・・・ あまり性能向上や流行がないハーネスを、今回10年ぶりに買い替えたのは、ホールド感が悪いというか、「上にズレル」のです・・・ 乗る前にシッカリ装着したつもりでも、ウインドを長時間乗っていると、5センチほど「伸びて」極端に言うと、最初と最後でセーリングスタイルが違ってしまうのです・・・ ここでも、「たかが5センチ、されど5センチです」・・・ ウインドをそれなりに追求するなら、こんな小さな事でも「カイゼン」すべきです・・・ この5センチのズレを、例え2センチに抑えられたらという事で買い替えたのです・・・ 今回も「ダカイン」のウエスト式ハーネス(T-5)です・・・20年くらい前にダカインのパンツ式ハーネスを買ってからの「お付き合い」です・・・ダカインは私にとって、信頼のブランドです・・・ 思い起こせば、ウインド開始の1979年当時はまだハーネスというのはありませんでした(まだ発明されていなかった?)・・・たぶんハワイのロビーナッシュや湘南あたりでは、やりかけていたかもしれませんが・・・ 79年は木製のブームからアルミ製に変わる頃で、それでもまだ滑り止めのゴム(オレンジ→黒)が無かった頃で、ゴムが着き始めた頃に、やっとハーネスがジャパン社から発売されたと記憶しています・・・ 最初にハーネスを買ったのは翌80年で、胸のところに装着するタイプでした・・・しかし、これを使いこなすと、驚くほど便利で、10倍楽になった気がしましたねェ・・・ 音楽でいうと、レコードからCDに変わったくらいの衝撃でした・・・ ただ当時のセールはドラフトが不安定で、「風圧中心」がコロコロ変わりましたので、ブームにハーネスの「ひも(シート)」を固定するのに、クラブヒッチやボーラインノット、エイトノットなどのヨットのシートワークを必死に覚えたのも懐かしいですねェ・・・ 当時はマストとブームとセールの固定が課題だったくらい、グラグラで不安定だったのです・・・ しかしハーネスが普及しだした頃になっても、レースで浜名湖でよく行われた「中部選手権」に行くと、当時の常勝軍団だった拓殖大学の1年生が「ノーハネス」だったのには驚きました・・・1年生だけ「体力強化」の意味で、強風化でもハーネスは使わせてもらえないという事でしたねェ・・・ いつの時代でも、若い頃の一時期はこういったスパルタ式で、「根性」と「体力」を鍛えるというのも大事かと思います・・・ まァハーネスを買い替えたことによって、少しは私の「ウインドライフ」がプラスになりました・・・あとは、ジムでの体力強化(スタミナとパワー)を継続し、ドンドン乗る事によって、体力を消耗せずに乗る「コツ」を掴んで、80歳までウインドを楽しむ「スタイル」を確立するだけか・・・※日本最安値!(年平均2回の利用で、近くにある必要はない) トランクルーム貝塚※貝塚市の不動産情報の総合サイト 貝塚不動産.comにほんブログ村 にほんブログ村にほんブログ村
2012.05.28
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