トランクルーム貝塚のオヤジ奮戦記

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2022.11.05
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1981年(昭和56年)に茨城県日立市久慈浜で開催された全日本ウインドサーフィン選手権に出場しました。

関西予選を勝ち抜き、念願の全日本でした。

GW5月の5日間の長丁場でしたが、未だに私の脳裏に鮮明に焼き付いています。

泉南フリートのウインド仲間とワンボックス2台に分乗して、大阪から10時間以上かけて日立に辿り着きました。

それまで大阪湾や和歌山や琵琶湖のローカルレースに出場したり、関西勢と関東勢が集まる浜名湖の中部選手権とかに出ていましたが、全日本という大きな大会は初めてでした。

まず驚いたのが、久慈浜はサーフポイントだったため波が大きかったので、アウトに出るのも岸に戻ってくるのも大変でした。

レース前のスキッパーズミーティングで、波と波の間のチャンネルを教えられましたが、ビーチスタートで七転八倒でした。

岸に戻ってくる時も一度グチャグチャに波に巻かれてしまい、仲間から「なかなか海から顔出せんから死んだと思った」と冗談を言われるくらいエグかったようです。

なんせ3.6mのボードと4mを超えるマストとセイルが一緒にグチャグチャになり、その中で私はどっちが上か下か分からず1分くらい身体を必死でバタバタさせながら藻掻いていたのですから・・・(汗)。

チャンネルを抜けてレース海面に出ても波が荒く、ボードの上に座って風待ちをしてもボードが揺れるので、船酔いでゲロを吐く人が続出しました。

「なんと、えらいレースに出てもうたなァ・・・」と同じ関西から出場した仲間らと溜息が出ました。

風が吹きあがってきてレーススタートしたのは良かったのですが、一辺が長いのと波が高すぎて目標の上マークが全く見えません。

これまでの和歌山や琵琶湖や二色浜での関西選手権といったローカルレースでは、ヨットレースと同じトライアングルレースの3つのマークは一辺の距離が短く波も少ないのでマークはハッキリと見えました。

「マーク(目標)が見えない」というこれまでに経験した事のない事で、動揺してしまいました・・・(汗)。

ならばどうするか・・・?

風上45度に切り上がっていけば必ずマークがあるのは分かっていましたので、とにかく目一杯風上にボードを進めました。


他の選手のボードのスピードと角度を見ながら、自分のボード角度が間違っていないかどうか確認しました。

しかし強風と大きな波とウネリで、これまでの微風から中風域での足でボードをヒールさせる小手先のテクニックが通用しませんでした。

まず強風と波で乗れるかどうかで、テクニックもクソもありませんでした。

そうなれば体力が必要だったのです。

強風と波に慣れればテクニックで脱力できますので体力はそれほど必須ではありません。

しかし普段それほど吹かない樽井ビーチでやっていましたので、強風レースでのテクニックを補足する意味で体力が必要だと痛感して、帰ってから和泉大宮のボディビルジムに通い始めました。

まだ日本でプロテインが発売されていなかったので、通信販売でアメリカのプロテインを購入して食パンにピーナッツバターをつけるようにしてタンパク質を重点的にとるようにしました。

当時のプロテインは不味く、臭いを消すために後から牛乳を流し込みました。

まァそんな全日本でしたが、夜は一緒の宿だった全国各地から来た選手らと毎晩飲み会やカラオケ大会です。

青春をウインドサーフィンに賭ける・・・という点で全く同じでしたので、気が合うのが当たり前です。

当時はウインドサーフィンの情報に関して圧倒的に関東勢が有利で、デモンストレーションでカスタムボードによるウエイブレースがあったり、生れて初めてボードがジャンプするのを見たり・・・そりゃ刺激的な大会でした。

当時はまだウインドサーフィンの特許問題で業界が揺れていましたので、未公認のセイルで優勝しても取り消されるという一幕もあり、単なる遊びや趣味でウインドをやってきた我々若者にとってビジネスの厳しさを目の前に突き付けられました。

という事で、5日間の全日本大会でしたが、人生を凝縮した大会だった・・・と後になって感じました。

レース結果は、全国予選を勝ち抜いた200人くらい出場した中で、ライトクラス26位、総合で94位でした。

精一杯頑張ってコレですから、仕方ありません。

青春に悔いなし。

多少時期的にズレていましたが、ウインドサーフィンとほぼ同時期に大学の体育会で空手もやっていましたが、出稽古で全空連の全日本ベスト8に入った事にのある同じ流派内の大先輩らと一緒に約束組手やら自由組手の稽古して「こりゃ 無理だなァ」と・・・ウインドと一緒で一生懸命やっても「上には上がいる」と諦めて、切り替えるのが大事だと思います。

これが本当の学習・・・です。

頭を切り替えて「別の道」を探る事によってまた新たな希望が湧いてくるというのは、ウインドにのめり込んでいた時期から20数年後の織物業からトランクルームに転業した49歳の時でした。

まァウインドと空手の苦い経験が、転業を後押しした・・・と言えるかも知れません。

ドラムもこの時期に天王寺の中古楽器店でヤマハの中古のドラムセットを買って、自宅の防音性能のある土蔵でサンドバッグを蹴り疲れたらカセットテープやドラムレッスンのソノシート(レコード)を聴きながら一生懸命叩いていましたが、これは1年半で「こりゃダメだぁ」とケツを割ってしまいましたが、40年後にスタジオ経営と同時に復活です・・・(笑)。





















「トランクルーム貝塚」 「スタジオ0724」 「貝塚卓球センター」 「テレワーク&スタディ貝塚」 「 貝塚不動産.com」 大阪府貝塚市名越661 tel:072-446-0798  mail: info@sasatani.com

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Last updated  2022.11.06 10:19:14
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