炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2005.06.18
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カテゴリ: 調べもの
「哲ちゃん…」
 その声に、彼ははっと我に返る。
「よし野!」
 彼は駆け寄る。
「おいよし野! 大丈夫か? 痛いか?」
「痛いけど…大丈夫」
「大丈夫な訳、ないだろ!」
 彼はそう言うと、自分のシャツの袖をちぎり、彼女の肩を縛った。
 だが所詮、応急処置も何も知らない自分のすることである。一刻も早く、医者に。
 せめて岩室に診せなくては、と彼は思った。
 そして引き裂いたセーターで彼女をぐっと自分の背中に縛り付け、彼はやって来た道を下り始めた。
 やって来た道は、既に木も枝も何もなぎ倒され、非常に判りやすい道になっていた。だが小さな崖などを、無理矢理上って来たこともあり、逆に帰りの足場が辛い所もできていた。
 と、その時携帯が鳴った。
 取ろうか、とも思ったが、木に両手をついている、この足場の悪い状態では無理だ。
 はあ、と彼女の吐息が首筋にあたる。熱い。
「…おい、よし野」
 答えが無い。
 疲れと痛みと、中里に会えた、という安心感から気を失ってしまったのだろう。
 しかしその状態が、彼に不安を呼び起こさせる。
 コール音は鳴り続ける。何とか足場の安定した所に降りると、彼は再び駆け出した。
 やがて、コール音に混じって、クラクションが聞こえた。彼はぱっ、と立ち止まり、左を向く。
「高村さん!」
 その声に車は急ブレーキを踏む。
「中里君! 音が聞こえたから…見つかったんだな! あ!」
 車窓から身体を乗り出した高村は、二人の様子に息を呑む。
「高村さん、よし野がひどいケガを…」
「キミもひどいじゃないか! 早く来い!」
 後ろの扉が開く。言われるまでもない。彼はよし野をそっと下ろすと、車に乗った。
「どうしたんだ、一体…何があった?」
「肩を刺されてるんです。それと、何か他にも、あちこち痛そうで…今、気を失ってます」
 どれ、と高村はよし野の傷の具合を見た。
「…ああ、とりあえず血は止まっているな。気を失っているのが逆に今はいいよ。大丈夫、戻って手当すれば。キミは…?」
「ああ、俺は、大丈夫です。…もともと、痛くも無いんですよ」
「…そうか」
 苦笑する中里に、高村はそっと目を閉じる。
「…それでも何とか、キミ等が無事で、良かった」
「あ! そう言えば、溝口が逃げたんですが…」
「ああ、さっきワゴンに焦りながら乗ってたな。逃がしたよ」
 あっさりとした返事に、中里は訝しげな表情で問い返す。
「逃がした…?」
「ああ。こっちも顔を見られる訳にはいかない、という事情があってね」
「高村さん!」
 非難を含んだ声が車中に大きく響く。
「まあそう、いきり立つなって…その代わり、と言っては何だが」
 うい…ん、と高村は窓ガラスを半分程開ける。
「…そろそろだな」
「そろそろ?」
「まあ、よく耳を澄ませていてくれ」
 高村はそうつぶやくと、ゆっくりと車を出した。
 やがて、山道が次第に太く、二車線道路になってきた頃。

 ず…ん…

 低い音が、遠くで鳴り響いた。
 そしてそれに引き続いて、黒い煙が、ゆっくりと立ち上った。
「な…」
 まさか、とそのまま平気な顔で車を走らせる高村に、中里は身体を乗り出した。
「あのワゴンのブレーキを、ちょっとばかり、壊れる様にしておいたんだよ」
 中里は思わず声を失った。
「きっと今頃、ガソリンと、チョコレートの匂いで大変だろう。ま、でも、キミが向こうに残した遺体同様、身元が判明したら、事件にはできないさ」
 さらり、と高村はそう言ってのける。
「さて、警察だのレスキューだので一杯にならないうちに、俺達もさっさと戻ろう」
 傷の手当もあるし、と高村は付け足した。





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最終更新日  2005.06.18 06:39:06
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