炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2005.07.18
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カテゴリ: 調べもの
「…全く大変な時に、君、来ちまったよなあ」
 まるで大変ではなさそうな口調で、島村は頭の後ろで腕を組む。
「まあだけど、こういう時に実習に当たった奴は、絶対に単位もらえるから、君は安心してていいよー」
「…それ、慰めてくれてるんですか?」
 あまりにも職員室が騒々しいので、高村は作業を図書室に移していた。南雲の様子がぴりぴりしていたので、化学準備室には近づく気にはならなかった、ということもある。
 もっとも、今行った所で、誰も居ないことは判っている。南雲は最後に遠野に会ったということ、森岡は遠野の学年ということで、職員室に居るはずだ。
「…だいたい何で、あなたここに居るんですか、島村先生」
「空き時間なの。俺が居ては、邪魔?」
「…少なくとも、気が散ります」
「言う様になったねえ」
 にやにや、と眼鏡を持ち上げながら、島村は笑う。
「まあ直接的に俺は遠野とは関係が無いし。それに俺の担当は現代国語よ。図書室に居たところで何の不都合がありましょう。司書さんとも仲良しだし」
 それはそうだが。奥の机で教師二人がぼそぼそと話をしていようが、相変わらずガラスの向こうの司書は、何の興味も示さない様だった。
 だが高村は何となく、日を追うごとに、島村に遊ばれてきている様な気がする。 
 月曜日。昼になって、遠野が「転校」したことを高村は知らされた。それは、あまりにも高村にとっては唐突なことだった。
 何せ、週末に彼は遠野に会っている。しかもその時、彼女は山東と共に、日名の「転校」にあれほど憤っていたはずだ。
「それにしても、もうあの遠野の綺麗な男装が見られないっていうのも、ちょっとつまらないなあ」
「島村先生、彼女にきゃあきゃあ言う女生徒が嫌だったんじゃないですか?」
 少しだけ、高村も嫌味を言ってみる。
「そりゃあそうだろう。君、何が悲しくて、男を放って女に嬌声を上げる連中を暖かい目で見られるものか」
「だけど」
「それはそれとして、確かに遠野の男装が綺麗、なのは、俺だって認めるからな。綺麗なものは綺麗。それは大切だ」
 うんうん、と思い出すように島村は目をつぶり、うなづく。なるほど、と高村は思った。
「…遠野さん、日名さん…を追っていった、とか」
「あー、それは駄目駄目」
 島村はひらひらと手を振り、あっさりと否定する。高村はややむきになって問い返す。
「…どうしてですか?」
「だって、『転校』先なんて、俺達の誰も、知らないんだから、遠野が追えるはずが無いだろ」
 高村は眉を寄せた。どういう意味だ?
「…一体、島村先生、何をご存じなんですか?」
「別に」
「別に、って」
 大きな机に、島村は突然腕を伸ばして前のめりになる。伏せた顔の下から、ぼそぼそと彼はつぶやく。
「俺達ヒラの教師が知ってるのは、ある日いきなり朝、校長室に黒い箱と黒い封筒がやって来ることだけさ」
「黒い箱?」
 確か、先週の月曜日、自分がつまづいたのは。
「その箱の中身も、封筒の内容も、俺達は知らない。ただその箱には、宛先の書かれた宅配便のラベルが始めから貼られていて、それを校長の名で、すぐに送らなくてはならない、ということ。それだけ」
「…何ですか? それは」
 何かさっぱり判らなかった。
「さあ。俺達も、判らないんだよ」
「判らないって」
「だから、そういうこと」
 くい、と島村は顔を上げ、真面目な表情になる。
「もし予想がついても、それを口にしてはいけない、ということさ」



 どういうことだろう。
 島村があっさりと言った言葉は、翌日まで彼の中に後を引いた。
 しかしそれを授業の時には、顔に出さないのがプロである。彼はそのプロにはなろうとしていた。
「…と言う訳で、グループごとに、作業を開始。今度は誰も爆発させるんじゃないぞっ!」
 よく響く声で、彼は先週実験の失敗を起こしたクラスで、二度目の授業を始めていた。この日の実験には爆発やケガの心配は少ないはずである。彼はゆったりと、化学実験室の机の間を回っていた。
 ああ平和だなあ、と彼は生徒達の様子を見ながら思う。こんな実習授業の時にそう感じてしまうのも変だが、それ以外のところで、何やら色々起こりすぎるのだ。
 できればもうこの先、週末まで、何も起こって欲しくはない、と彼は切実に感じた。
 その時。
「…やだ、何これ…」
「ちょっと待ってよ、ねえ…」
 窓際の席から、ざわざわとした声が聞こえてきた。
 高村はやや急ぎ足でその声のグループの方へ向かった。
 彼女達は椅子を降り、皆で机の下をのぞき込んでいた。
「どうしたんだ?」
「あ、高村先生、ちょっと、ここ、見て下さいよー」
 その中の一人が、机の下を指す。
「さっき消しゴム落としたから、拾おうとしたら」
 どれどれ、と彼も身をかがめた。化学室の机は、グループごとの器具庫も兼ねているので、下に転がった消しゴムは、それこそ床に頬をつける位の姿勢で手を伸ばさないと、取ることができない。
 高村もまた、その様にして、下をのぞき込み―――あぁ? と声を立てた。
「何か、黒いものがべとべとして、気持ち悪いんですよー」
「黒いもの…先週、こんなの、あったか?」
「知りませーん」
 あったとしても、まず何か拾ったりしない限り、見つからないだろう。掃除の時にも何の報告も無かった。
 よいしょ、と立ち上がり、高村はそのグループに問いかける。その間に他のグループも、何ごとか、と周囲に近づいて来ていた。
「…別に何でもないみたいだ。たぶんインクか何かだよ。ワックスと混じってべとべとしてるんだろ。ちゃんと実験は続けて。時間内にグループの結果をレポートにすること!」
 はーい、と低い声が教室中に響いた。野次馬達は、のろのろと自分の席に戻ったが、当の席の生徒達はやはりいまいち落ち着きが無い。
 だが後ろで観察している南雲も、腕を組み、背を壁につけたまま、特にそれに関して注意することも無い。
 高村はそのまま、その時は授業を続けた。





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最終更新日  2005.07.18 06:19:42
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