炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2005.07.21
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カテゴリ: 調べもの
「確かに今朝、引っ越し業者が来た、と隣の人は言っています。だけど、トラックを見ただけで、運び出す様子まではいちいち見ていないそうです。…建て売り住宅ですよ? こんな『引っ越し』がありますか?」
 高村は首を横に振った。少なくとも、彼は、知らない。
「『夜逃げ』でも、ちゃんと家財道具の基本は持ち出して行くはずです。だけど」
 彼は慣れた足取りでさくさくと奥へと進んで行く。
「ほら」
 TVの下、ありふれたソフトラックの中に彼は手を入れる。
「これ、何だと思います?」
 山東は二つの巾着袋を取り出した。
「…何?」
「大切な、ものですよ」
 さらり、と彼はベージュ色の絨毯の上に、その中身を空ける。
「え」
 銀行の通帳がざらざらと落ちた。印鑑を入れた袋がぽとり、と落ちた。
「幾らどんな引っ越しや夜逃げでも…これを置いていきますか?」
 まさか、と高村も思う。
「…それじゃ、その親父さん、はそれを、本当にいざという時のために、君に教えて?」
「ええ」
 山東は大きくうなづき、出したものを元の場所に戻した。
「日曜日、どうしてもあいつからの連絡が入らなかったら、月曜日、学校と警察に連絡する、と言っていました。だけど、日名の件があったから」
「何か、あったら」
「ええ、何か、あったら、と」
 二人はその「何か」を具体的には言わなかった。いや、言えなかった。言ってしまうのが、怖い様な気がしたのだ。口にすれば、それがそのまま現実になってしまうような。
「月曜日、そう言えば、確かに遠野のご両親が学校に、来た」
「でしょう?」
 出ましょう、と山東は高村をうながした。長居は無用だ、と。電気を消し、音を立てない様にして、二人は外に出る。
「…本当に、何処もかしこも、同じ家なんだなあ」
「ええ、時々気持ち悪い、とあいつも言ってましたがね」
「気持ち悪い?」
「マンションとか、ああいうものの中に住む所があるのならともかく、『家』一つ一つが、こうも同じ形をしているというのが、気持ち悪い、って」
「でも、住み心地は良さそうな家じゃないか」
「そうですよね。でも、住み心地ってのは、皆一緒という訳ではないでしょう?」
「それは」
「ちょっとしたことかも、しれないんですけど」
 山東は鍵をかけると、それをポケットに入れた。そして行きましょう、と再び駅の方へ向かって歩き出す。
「もし、あの家に人が引っ越してきたら、今そのまま、生活がすぐにできると思いませんか?」
「…どういう意味だ?」
「俺にも、まだうまく、説明ができないんですけど…何か、嫌な感じ、がするんですよ」
「嫌な感じ」
「高村さん、学校の方では何かありませんでしたか?」
 山東は高村の方をじっと見た。
「学校…学校ね」
 ああ、と彼は大きくうなづいた。
「島村さんから、変なことを聞いたんだけど」
「島村…そういえばあの先生も、妙なとこ、ありますね」
「教わったこと、あるのかい?」
 ええ、と山東はうなづいた。
「現代国語なんですがね、あんまり教科書を使わない授業で」
「へえ」
 それは初耳だった。
「とにかく現代国語ができる様になりたかったら、四の五の言わずに本を読め、何だっていい、好きなものでいい、とにかく量を読め、というのがあのひとの主張でしたよ」
「…そんなこと、あのひと言ってたのか…」
 嫌味ばかり言う人か、と当初は高村も思っていたのだが。
「口は決して良く無いですね。でも俺は、結構好きですよ」
「そうなのかい?」
「ええ。趣味や好き嫌いがはっきりしているし、あ、そう言えば、何故か好きな子は苛めるタイプなんですよ」
「何だそりゃ」
「子供っぽいでしょ」
 くく、と山東は笑う。
「嫌いなひとには、いくらでもご丁寧な言葉を吐けるけど、好きな奴の場合は、当初から苛めて様子を見ているんだ、と、日名の奴が良く言ってました。あいつ、そういうところ、鋭かったから…」
「女のカン、って奴かな」
「かも、しれませんね。…で、島村さん、あんたに何言ったんですか?」
「ああ」
 気を取り直し、高村は「黒い箱」の件を簡単に説明した。
「で、よく考えてみたら、それと同じものかどうか判らないんだけど、オレが最初に来た月曜日? 先週だけどさ、オレ、教師用の玄関で、黒い箱につまづいてるんだよ」
「つまづいて」
「遅刻したからね。勢いあまって、突進してしまったんだけど、凄く重い箱らしくて、オレが転んで青あざ作っただけで、箱はびくともしなかったんだ」
「…その『行き先』、高村さん、読みました?」
「いや、そんな暇無かったよ。だってその日、朝礼があると思って、オレはもう焦りまくりだったし。だけど」
 朝礼はあるはずだった。あの日。
「…山東君、朝礼がいきなり中止になるってのは、あまり無いことだよな?」
「そうですね。だいたい『重要なこと』があるから、するんです。だからそれが無いってことは」
「あの朝、もっと重要なことがあった、ということ…だよな。実習生なんか、どうでもいいような」
 黒い箱。黒い封筒。
「…そう、島村先生、こう言ってたんだ。月曜日に。とうに引っ越していなくてはならないご両親が乗り込んで来ている、って。だから余計に大騒ぎになっている、って」
「とうに引っ越していなくてはならない?」
 山東は足を止めた。
「ああ。だって教頭先生までが、ずいぶん焦っていたし」
「…あの鉄面皮が?」
 顔をしかめる山東に、嫌いだったのかな、と高村は思う。
「と言うことは」
「うん」
「…高村さん、ちょっと俺の部屋、寄って行きませんか? 考えをまとめたいんですが」
「仕事の道具も持ち込んでいいなら」
「当然です」
 大きく二人はうなづきあった。





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最終更新日  2005.07.21 06:54:59
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