炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2017.10.18
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カテゴリ: 昭和の話題
微妙なんだよな。
いやいつも知識として知ってたし見てたし。たぶん他の子達よりテレビっ子だったから。
ただ10歳くらいまでは静岡県はテレビ静岡(フジ)とSBS(TBS)しかなかったんだよね、民放。
そのあとけんみんテレビ(朝日)と第一テレビ(日本)ができて。テレ東系はちょうどウチでは電波が入らないテレビ愛知になってしまう。これはBS入れた時に見れるようになったけど、光ケープルにしてまた見られなくなった。と言っても最近はテレビ見てないからいいんだけど。

で、物心ついたときにまず居たアイドルといえば。
フィンガー5.
これは好きだった。積極的に好きだった。つかたぶん見た目にインパクトあったんだよね。5人組きょうだいで、トンボめがねってのは。で、歌とか、下が広がったパンツとか、アメフトコスチュームとか。

アメフトコスチュームって何で流行ってたのかな。
ゴワッパー5ゴーダム https://www.youtube.com/watch?v=Jv_EnH6kFUE や(揃いの海賊風帽子が可愛い)
UFOロボダイアポロン https://www.youtube.com/watch?v=KZ0LLFCVCPw&t=3s とか
の戦闘服って基本アメフトだわな。(参照は後半のEDのほう。少年団の格好)

……はっ、思わずようつべのオープニング映像色々に見耽ってしまったぜ。
ダイアポロン→バビル二世→ライディーン→グレートマジンガー→昭和ウルトラマン ←イマココ
そして009……

もとい。
ともかくフィンガー5は覚えて歌いまくっていた幼稚園だか小学生だった記憶が。

で、次に女性アイドルで。
アグネスと浅丘めぐみをよく歌ってた記憶があるな。
ただしアグネスだと「草原の輝き」だったり、浅丘めぐみだと「アルプスの少女」だったあたり、ややずれているというか。
で、その「アルプスの少女」と、「炬燵用の炭をトラックで買出しにいった」が映像記憶で結びついたり、桜田淳子の何かの曲と、左腕骨折したときに通院のためにやっぱり親父のトラックに乗ってった記憶とかと重なったり。
で、通院→水野英子の「ブロードウェイの星」前後編は最初に買ったコミクス、ということも連想で出てくる。
コミクスといえば藤原栄子の「うわさの姫子」の5巻だかの一冊だけ持ってたとか、わたなべまさこの「ばらの中のリザ」の前編だけあったなあとか、引きずられる記憶。

さて桜田淳子が出た時点で、百恵ちゃん淳子ちゃん昌子ちゃんですが。一番曲として好きだったのは桜だ淳子だったという。曲によるけど。
「リップスティック」https://www.youtube.com/watch?v=L14L5lXoTIk が一番好きだったな。
松本隆・筒美京平。
「しあわせ芝居」https://www.youtube.com/watch?v=9poFdzU99es や、「追いかけてヨコハマ」は中島みゆき。
この辺りは明らかに曲の好みだ。松本隆的世界とか、中島みゆきの不幸そうな世界とかに惹かれたんだろな。百恵さんが阿木・宇崎夫妻の曲だったのに比べて、内容が個人的っぽい感じの。あと、ニューミュージックへの架け橋だったんだと思うな。
……すいません。昌子さんは演歌系だったのでそれだけでアウトでした。
百恵さん曲は凄い、と思うけど「好き」とはいまひとつ言えなかったのは、職人的だったからかな。

同じ三人でも新御三家。ヒデキひろみゴロー。
……正直全部歌手としては基本的にアウトでした。ヒデキは声質。なのでこれがあとでBOOWYでひっかかったこと……ヒムロックすまぬ。でもヒムロック→GLAYのテルという流れからすると、まあこの歌い方自体が何かロック的ポップなのかなあと思うしかない。曲は「若き獅子たち」とか好きだったと思うんだけど、ヒデキの声と歌い方でアウトだった。
ひろみは……このひとはどっちかというとワシにとってはカックラキンや「ムー」のひとなんだよな。のちになってヒロミゴー、だったけど、基本歌手ではなかったんだよな。でも「ムー」「ムー一族」の拓郎(……宅浪だからってひどいネーミングだが)はよかった。ただやっぱり声質と歌い方がアウトだった。残念。
ゴローは……その意味では一番このひとが聞きやすかったけど、
「青春の一冊」https://www.youtube.com/watch?v=_XbqKGsKW6w
この曲くらいかなあ……今も記憶にあるのは。
でもこの曲が出てくると、何故か柳ジョージ&レイニーウッドの「微笑の法則」https://www.youtube.com/watch?v=wpN5q-zgQlA
が頭に出てきて、そのあと柳ジョージで個人的ベストな、
「青い瞳のステラ、1962年夏…」https://www.youtube.com/watch?v=v021fFuquac 
が出てくるんだよな。
1962年って言えば昭和37年。柳ジョージ的世界だと横浜だか横須賀だか、そういうとこに居たGIと一緒に来た女性が次第に歳食ってった一人暮らしで、そこに少年時代の彼がよく遊びにいったのかなー、という感じの風景が浮かぶのがいいんだよな。二十年後くらいの「現在」はもうもう亡くなってしまったという。
で、ここかせ柳ジョージ版「テネシー・ワルツ」に移行して。頭の中の音源に近いのはこのバージョンかな。https://www.youtube.com/watch?v=g7jVwOUTvvY

飛びすぎた。
で、キャンディーズとピンクレディーが途中入ってくるんだけど。
ピンク・レディーは音楽というよりは、小学校でのコミュニケージョンツール、って感じだったなあ。皆知ってて振り付け知ってて、という。曲として果たして好きだったかというとわからん。

で、これといって無茶苦茶好き、というのが無いままに小学5年のときにラジカセを買ってもらいましてー。兄貴が中学に入ったときに買ってもらってヤマトのサントラとか
ここからFMのエアチェック、ニューミュージックへと突き進んでいくのだった。

と、同時にインドアなひとになっていくので中学の部活は地獄感極まりなかったけど。
「早くおうちに帰りたい!」
これは基本的に今でも一緒だな……





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最終更新日  2017.10.18 00:14:14
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