炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2018.01.13
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カテゴリ: 織屋の村の青春
 この村で自分は生まれ、育った。
 現在勤めている湖南織物の事務所に就職できたのは、ただひたすらに母の尽力だった。
 きょうだいは、兄、姉二人と上に居る。姉達は既に嫁いでしまっていた。
 残ったのは男兄弟二人で、既に兄は家と農業を継いでいた。そして母は残された自分をどうしても手元に置きたがった。
 中学を卒業した後、上の学校に行きたかったが、ここいらでそんなことができる者は滅多になかった。何とか行かせてもらえたのは、昼間の定時制の県立I農業高校K分校だけだった。四年制だった。
 四年目の十月には単位を全て取ってしまい、翌年三月までは登校する必要が無くなってしまった。
 格別することも無いので、十一月から一ヶ月程、家の仕事を手伝っていた。
 十二月の初めに、防衛大学を受験しようと思い立ち、申し込み、受験票を取り寄せた。だが結局受験はしなかった。急に自信が無くなったのに加えて、面倒臭くなってしまったのだ。
 このことは家人、当時の教師、先輩達誰一人として打ち明けなかった。ただ自分の中だけで消化して終わった。
 そんな折、母が仕事の話を持ち込んできた。
「裏隣の光子さんが 糊付 サイジング 工場の事務所をやめたみたいだで」
 そんな風に切り出して、やる気があるか、と問いかけてきた・。
 正直言ってその時の自分には何になりたい、何に向いている、といったはっきりした目標が無かった。将来はただぼんやりと霧の中だった。
 だが何もせずぶらぶらしている訳にもいかなかった。だからとりあえず勤めてみることにした。
 母にしてみれば、糊付工場の理事長が前からの知り合いということで期待できたようだった。そこの娘はかつての同級生だったし、下の姉が働いたこともある。
 ただ、実際に働くことになったのは糊付工場ではなく、湖南織物の事務所だった。
 正直、どっちでもよかった。駄目なら他を探せばいい程度の軽い気持ちだった。
 初出勤の日、母は「私んついて行かんでもいいか?」と言ったが、結局一人で出向いた。
 職場は糊付工場の事務所の二階の隠れ家の様な場所にあった。入ると、自分より二つ三つ年上だろうか、同年輩の男女が何事も無いように黙って机に向かって仕事をしていた。
 理事長が出てきた。ここの社長でもあったのだ。
「今度は言ってもらうことにした藤原くんだ」
 そう紹介してくれたので、こちらも「よろしくお願いします」と言い、彼等に深々とお辞儀をした。


『―――機業会はE織物管内における代表的優秀な模範団体として称賛されているが、この機業会の有力メンバーである湖南織物株式会社は昭和二十八年に八工場が自発的共同出資によって創立した特異な存在である。
 生産品は高級ブロードで、F紡績の連繋工場中、優良工場として麗名高く、月産六十万ヤードのブロードはF紡績のチョップ品として海外市場に輸出され、湧くが如き好評を博している』

 当時の業界紙の「評判記」にもある通り、職場の湖南織物は八軒の織屋で構成されていた。
 西田や克子の働く平和織物は五軒、他、大きな所で十二、三軒とまとまっているところがあった。
 他、グループに属さない個人経営を含めると、―――機業会のうち、このM地区だけでも大小四十数軒の織屋があり、昼といわず夜といわず織機を動かし、村中を震動の中に置いた。
 このM地区は湖に突き出た半島の突端にある、陸の孤島のような村だった。
 こんな何かにつけて不便な環境の村に、何故こんなに多くの織屋が息づいているのか不思議だった。
 郷土史家を自認していた友人はこう言った。

「城主の河内守が、上州館林からこっちに移ってきたとき、向こうの紬の技術を持ってきた。それがこっちで独特の織物を生み出した」
「それが明治になると、手織の方も大分改良される」
「次第にこの地方は織物の産地として名を上げていった」
「この村は明治になって湖岸を埋め立てて宅地作りに励む一方、現金収入の道も探っていった」
「そこで目をつけたのが織物だった」
「手織を五~十台揃えて、近県から若い娘を頼めばあまり元手が無くとも仕事ができそうだと」

 奴の説明はそんな感じだった。
 機械も技術もその当時から格段の進化をとげている今の自分達を思うと、延々と継続されている運命の不思議さを感じずにはいられない。
 織屋が隆盛であるおかげで、四月になると娘達がこの村にやってくる。
 北は青森、岩手、秋田、宮城から、南は鹿児島、種子島、屋久島から、中学を卒業した彼女達が集団でどっと就職してきて、村の人口を押し上げた。
 湖南織物にも、多い年には四十人以上の娘達がやってきた。
 村は活気にあふれ、地元の青年湯達は異なった血への憧れのために、最も男らしい言葉を考える。そして娘達は三年もすると、就職したばかりの土臭い少女から見事に女に変身し、工場主達の頭痛の種になった。







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最終更新日  2018.01.13 20:08:20
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