炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2018.07.31
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​​​​​​​​​​​​さて「海の極みまで」の次に書いたのが 歴史小説「薔薇の冠」 なんですが。
残念ながら長編の中でこれだけがどーしても見つからなかったんどす。
掲載されたのが「主婦之友」だったらまだ手がかりが掴み易いんだけど、 「婦人之友」 なんですよね。

婦人之友ってのは、会員制雑誌でして。
主婦之友ほど発行数も多くないし、この時代のものが揃う保証が。 いや石川武美図書館にあるかもですが。国会図書館にあるという保証がない。

で、このあたりの経緯。
伝記によると、 長崎におけるキリスト教徒を描いた歴史小説 、だったらしいんですな。
ちなみにこの時期に、 のちにパートナー兼秘書兼主婦となってくれる門馬千代(後に養子縁組して吉屋千代)と出会うわけですよ。
ところがここで関東大震災! 
男ものの下駄をつっかけて門馬千代の家のあたりまで行って「大丈夫だった!?」という図が繰り広げられたそうな。

その後、「薔薇の冠」の執筆に息詰まって、門馬を長崎へと誘い、しばらく滞在することに
更にその後、翌大正十三年一月十四日、二人は門馬の仕事の関係で下関に住居を移す。吉屋はともかく、門馬千代は仕事をしなくちゃならなかったのですな。家族が居るし。送金しないといけない。吉屋と対等の関係でいたかったので、という理由もあったらしい。

吉屋はそこで執筆も続けるんですが、 関東大震災と下関は、後に「空の彼方に」を執筆する際に大きく役立つんですな。
下関は、「空の彼方へ」の仲子さんが茂と再会して関係を持ってしまった場所。
関東大震災は起承転結の「転」の部分にあたる災害。

……これは大正時代を使った話やらドラマにありがちなんだけど、「関東大震災」を機にして大団円の基にしていく、という流れはこの話あたりが始まりかな、と思わないでもないんだわ。
いや無論、関東大震災を話に出したものは沢山あるだろうけど、 「天災を使って最後に大団円」という流れね。
わかりやすいたとえだと 「はいからさんが通る」 だよ。

いろいろありました~けどヒロイン紅緒は婚約者だった少尉をあきらめて編集長と結婚しようとする~と、地震! ~その中でラリサさん亡くなって少尉は紅緒助けに~愛情の再確認~編集長もあきらめる~もとさや。
(ちなみに編集長は番外編において欧州で紅緒そっくりの少年!を拾ってあれこれありつつ日本に連れてきて養子にするんだな。養子のほうに妻もとらせたけど……はて……編集長はそもそも紅緒においては少年的な部分を好いてたんじゃねえかと思うんですが)

何というか、 閉塞していたものを打開するものとして「震災」が使われるというパタン の(そもそも被災した(そんなに酷くないけど)吉屋が書いたのはまた別の意味合いもあるだろうけど)ものとしては大きいかな。

話をもどして。

……で、この時期、三月の日記からは、「薔薇の冠」に手こずる様子と、創作に対する自戒と目標が立ち始めたわけだ。
この辺りの日記とか手紙が伝記の中で紹介されまくっております。

​「悔い! 悔い! あゝ恥辱の冠はばらの冠の名によつて私の頭上におかれた! 筋だ、筋だ、筋も無くなぜかいた、あの筋はあまりに漠然過ぎるではないか」​
(大正十三年三月十日)

よーすんにこの時期、ようやく吉屋は「筋」が大切だ! と自覚したんだと思う。
また、翌日の日記では、自分の進んで行く道を改めて記している。

​「家庭小説。清純にて人間味あり、女性的にこまやかに美しく詩的なもの」​
(同 三月十一日)

で、歴史小説と並行して家庭小説「空の彼方へ」を書き始めるわけだな。格別に何処かへ出すあてはこの時点ではなかったということだけど。

ところでこの時期、結局吉屋は一人東京に戻るんだな。
どうも 女二人が(しかも片方は目立つ断髪だ)一緒に暮らしているというのが、周囲の好奇心を招いたらしい。 で、さすがに女学校教師の門馬にはまずいよね、ということで一人戻ることにしたと。
で、離れて暮らすんだけど、吉屋はどーしても門馬に会いたい。帰ってきてほしい。
そんな中で、個人パンフレット『黒薔薇』の創刊を思い立つわけだ。
計画段階の十月半ば、門馬あての二通の手紙で、吉屋は自分の仕事の指針を伝えていますが。

私は千代子さん いよいよ決心しました 自分の書いてゆく仕事の本路を一つきめてまつしぐらに行きたいのです それは所謂通俗小説と或る人々の呼ぶもの 言ひ代へれば民衆に贈る長編創作です 私はそれによつて出来るだけ美しいもの正しいものをあざやかに描きぬいてゆきたい

私は家庭小説のすぐれた美しいそして立派に芸術であり 残るものを生涯書いていきたいと思ひます

『黒薔薇』の基本構成は、長篇連載「或る愚しき者の話」と短編・小品といった創作、論文・随筆・感想、時には詩も載せました。
また「鸚鵡塔」と名付けられた読者欄も設けられ、課題となる文章を決めた批評も募集し、「巻尾に」は筆者あとがきとでも言えるものが記され、前号の反応等についても感想を書いてたんですな。

で、まあ前に語ったことのだぶりとなるけど最後の純文学的長篇である「或る愚しき者の話」。
最後には「巻尾に」においてこう記されてるんだけど。

​愚しき者の話も、本号で完結しました。作者はほつとしました。あまりに多くの意が満たされぬを知りつゝも思はずほつとしたのです。​
(№8 p77)

終わらせざるを得なかった苦しさと、書かなくてよくなるということでほっとしたんじゃねえかと思いつつ。

ちなみに構成。
「屋根裏の二処女」同様、筋らしい筋はない。時間の経過とその間の主人公の考えと彼女視点の世界を描写しているだけ。
なので「出来事の」流れ。

同性愛事件で相方に裏切られ退学になった滝川章子は、検定で資格を取り、女学校の教師となる。
学校のやり方にうんざりしつつ、年の近い少女に惹かれ焦がれる。
だが過去の失敗や少女の両親の良縁願望等で気持ちを出すことはしない。
全て面倒になり、東京で事務員をしようと思い立った翌日、当の少女が強*され殺されたことを知り、章子は卒倒する。

端的に言えばこれだけ。
その合間合間に、自分が生来持つ 同性愛志向と一般社会との差異に悩んでる心情がつらつら。
そんで「官立の高等女学校」という場での、 男社会に対する批判と痛罵を月経調査や遠足におけるお菓子持参の問題を通して語っているんだな。

​「いつたい、お菓子を、お菓子を食べさせないなんて、食べさせないなんて、そそんな馬鹿な話があるもんですか……遠足は快楽の為に行なはれるんです。野原の中に山の上に嬉々としてたまさかのいちんちを遊ぶ、いはゞ、外国風に言へばピクニツクつてもんでせう、娯楽が目的の行為の中に、何んの必要があつて、その最大の興味を削いで何が有り難いんでせう、私には意義がわからないんです、たゞ頭から馬鹿らしくて恐ろしく馬鹿らしい……」​
(№2 p30-31)

この言葉は「厭だが出ない訳にはいかない」職員会議で意見を求められ、仕方なく発したものであり、後で章子は悔いている。校長からも軽く流されたものである。(そら流すわ……)
この様に、学校行事を中心にした時間の経過におけるエピソードと、その折々の章子の動向と考えが淡々と記されて行く。

そこで一つ疑問が浮かんだんだな。
果たして吉屋はこの物語のプロットを決めていたのだろうか。
それは№7における唐突な変化によっても考えさせられる。ここから文章が急に章子の一人称になり、物語は終局へと向かって行く。
この時、以下の様な但し書きがついている。

おことわり
(此の物語は十五回から滝川章子自らの話に文体を移しました、作者の気持の上からの我儘をお許し下さいませ)
(№7 p29)

そしてそれまでが常体の「だ・である」調だったのが、「です・ます」調になっている。

​その日は午前中で学課を切り上げ一同出かけた。学校の生徒は優待されて前の方に近く陣取る。​
(№6 p37)

​羽織を着出す生徒が増え、八ツ口に手を入れてぼそぼそとしみつたれに歩いたりするのです。​
(№7 p29)

そこで何故吉屋が唐突に変更したのかは現時点では不明。
ただ、この文体を変えた№7というのは、最も吉屋に対する批判的な読者評が掲載された巻であることが注目される。
吉屋が『黒薔薇』に読者欄を設けたのは、馴染み深い少女雑誌を真似たものだと推測される。ただこれが、次第に辛口のものとなっていくことを、吉屋は当初予想していただろうか。

№4において(中島慶二)は
「成る程此れあ(ママ)吉屋式だと思ひました。デリケエトな筆致でアブノーマルな、だがあくまでも純潔無垢なあなたの個性が遺憾なく表現されてゐるのを何より嬉しく感じました」
彼は№1、2を読み、この様な感想を述べている。“吉屋式”=デリケートな筆致でアブノーマルという図式がある程度の読者には共通の認識だったことが伺える。
また、№6において(東京、佐藤秀夫)は 毎号の短編を誉めつつも、全てのヒロインが“章子”であることにもの淋しさを訴えている。ヒロインのバラエティを求めている 様である。
なお、この“章子”への意見が、№7では多数掲載される。
(足利 関口昌宏)は ​「現代式の女性を思わせるものがある」​ と章子に関する描写を誉めてはいる。だがその後に、
「が作者は何時でも何か書く時には必ず多少の差こそあれ同性愛を引張り出さずには居られないのだらうか。私は何時も又かといふ様な気持になる。如何に作者自身がその方面に御趣味があるとはいへ、たまには異ふ方面のも書いて貰い度いものである。最もそこが作者の特意なのかもしれないが……」
と手厳しい。
(沼津 永田弘)はまず “章子”の空想癖とドグマの強さ を指摘する。そして、
「作者が自分のドグマを捨てゝ、もつと客観的に同性の方を見ていたゞきたく思うことがあります」
と続く。ここには 作者=“章子”と見る視点が感じられる。
(東京 安田清臣)は「 こまかい乍ら多い欠点 」として、
「いつもあまへてゐる少しきつい世間見ずのお嬢さんに仕立てる様な主人公のとり扱ひ従而いつも気分がきまつてしまつてゐるのはどんなものだらうか」
“章子”の性格を批判 している。
一方で、 吉屋の男性拒否・嫌悪についてもこの№7では手厳しい意見 が載せられた。
(千葉、押尾憲治)は筋金入りの「吉屋党」だと告白した上で、この様に強く訴えている。

「常に吉屋さんの、男性を痛罵し、異性を嘲笑し、男子を呪詛する悲しい叫び(敢えて「悲しい」と云ひます)が、「黒薔薇」紙上に厳然と暴君の如く(敢えて「暴君」と云ひます)威張つてゐるからであります。貴女のアブノーマルなお心持(失礼)から「同性愛」を高唱し、普通の恋愛――殊に結婚を呪詛するのは、そのひとの持つて生れた個性だから仕方がありませんけれど、男性とあれば遠慮会釈もなく痛罵なさるのはあんまりだと思ひます」

彼等だけでなく、様々な傾向の意見があったことは、掲載前から、投書の現物を受け取っている吉屋も判っていたと思う。
ただこの№7においては、読者欄を編集する交蘭社編集部が、この様な意見を集めたということに意味があるような気がする。
吉屋の“男性拒否”や“女性同性愛賛美”が強すぎることについて、編集側が読者の口を借りて意見しているんじゃねーかと。
吉屋にとっては、元々『黒薔薇』は自分の好きなことを書くための冊子。
けど実際に「好きなことを自由に」発表すれば批判が来てしまう。
で、「或る愚しき者の話」は、少女の死によって唐突に終わる。これは吉屋が『黒薔薇』を放りだしたかったからかもしれない。

だから一方で、こうも想像できるわけだ。
そもそも“いつ終わっても構わない様な”構成を最初からとっていたのではないか、と。
章子の日常と少女への感情を時間に添ってひたすら書いていく。そして止めようと思ったら、当初から予定していた“唐突な少女の死”で締める。
はじめと終わりだけ決めておけば、内容を引きのばすことも縮めることも可能なやり方をここでは使用していたのかも。

まあ、いずれにせよ『黒薔薇』で受け取った感想や批評は、吉屋に大きな教訓を与えたと思う。
通俗小説を書き続けたいのだったら、そのままの自分をあからさまに出してはいけない、と。

つづくっ。​​​​​​​​​​​​





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最終更新日  2019.02.06 20:41:02
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