全30件 (30件中 1-30件目)
1
ー甘いものに潜む“何か”ーその1割の甘いものを食べている時は、以前より舌が少し甘過ぎるような気がしないでもないが、まぁおいしいと思う。私の幸せの源、甘いもの。が、それから30分ほど経つと一変してとてつもない疲労感に襲われ、この疲れ具合がひどければ寝込むほどになり、それがあまりに尋常ではないものだから、もう甘いものは食べたくないという考えに至る。甘いものが決しておいしくない訳ではない。否、今日は食べたいなぁと思う時も正直ある。だが、この後に必ず訪れる疲労感がびっくりするほどひどく、私を狂わせるのであった。ぐったりして動けないし、長ければそれを一日中引きずる。身体もなんだか重たい、胃がもたれる感じもする。読書も捗らない。掃除なんてしたくない。じっと身体を横にしているだけ。甘いものを常日頃に食べていた時は、自分の身体がこんな風になっていたなんて考えたこともなかった。確かに疲れを感じる時もあったが、それは私にとっては普通のことであり、甘いものを疑うことすらしなかった。だって、甘いものは単純においしいから。実は私の不調の原因を大きく占めていたものは甘いものだったのかもしれない。そんな思いが頭を満たす。それでも、もしどうしても甘いものが食べたいのなら、この疲労感を覚悟の上で食べるしかない。私、そこまでして甘いものを食べたいか?言わずとも身体の声はNOであった。
2022/09/30
コメント(0)
「わしの人生こんなもんさ」「医者というのは実に愚劣な商売だとそのとき思ったものだった ー 他人の病気を療(なお)すのは、その人たちが早く殺されるためのような気がしてね。長生きをさせるために病気を療したかったのに」「わしらはみんな、過去に、何かしらの悩みの種をもっておる」「うっとりするほど美しい雨のパリ」「細部は大事だ」「かんたんにてにはいるものよりなかなかてにはいらないもののほうがてにいれたときのうれしさがおおきいとおもいませんか?」「あたしたちには話題にするような過去がないんですもの、」「だって、人間は歳をとるんだから」「私にとって“過去”は偉大なカリスマなの」「“現在”ってそんなものなんだ。それが人生だから」
2022/09/29
コメント(0)
ーThe time has come.ー去年だったが、コーヒーも辞めたことだし次は甘いものを控えようと決意し、いざ挑んでみた。が、もののすぐに挫折し、更に今年に入ってからは更年期が始まったせいか、チョコレートなぞは久しく口にしていなかったのになぜかチョコレートがおいしいと感じてしまい、冬には結構食べてしまった。そこから半年ほどグズグズとしていた。幸せ運ぶ甘いもの。甘いものに縋る。その後ようやくこの更年期の身体にも慣れてきたらしく、今なら甘いものを控えることができそうな気がしていた矢先に都合よくチャンス到来。今だ!じっと待っていたら、チャンスはちゃんと来たのである。だから、これを絶対逃してはならない。チャンスが来たら迷うことなくそれに乗る。私は人生こうやって歩んできた。
2022/09/28
コメント(0)
引きこもりだと言っているが、家ではそれなりに楽しく過ごしている。掃除をして、本を読んで、映画を観て、ヤフオクのアンティークショップ巡りをして、退屈なんて一切しない。むしろ楽しい。私にとって、そこには果てしない世界が広がっている。ただ、とにかく運動不足なのである。もし私に健康な足があったらば、こんなことを考えることはないのかもしれない。ちょっと引きこもったぐらいで足が動かなくなるかもなんて考えないよね、普通。が、現実の私の足はしびれていて、医者にもいずれ車いすになる可能性もあると脅されているのだから仕方ない。歩きに行くか。これから冬へ向かうのだし、全然気が乗らないけど、足の為だと思えば行けるかしら。パートナーにも迷惑はかけたくないしさ。
2022/09/27
コメント(0)
発病を機にいわゆる断捨離に取りかかった。理由はただ一つ、私は足を引きずって日常生活もままならないのに、この物たちは何の役にも立ってくれないと思ったから。ゆっくりゆっくり何年もかけて自分のペースで物を処分していき、心地いい部屋を作り上げた。それでも少しだけ好きなものを残していて、私の大切な宝物となっていた。更年期という妙な時代が始まった。今までとは明らかに違う自分が顔を出した。老いを感じる毎にますます欲望という欲望が消えてゆく。物への執着もなし、食べ物も今は甘いものを控えている最中、できればあまり出かけたくない、詰まるところ最後に残るものは芸術への崇拝のみである。美術館へ行って小説を読んで映画を観て、行き着く場所はここでなのであった。私の還るべきところとでも言おうか。その断捨離の後に残った大切にしている宝物だって、決して永遠ではないのだな。まるで過去という幻の象徴のようだ。何か、更年期が始まってからはそういう感情も生まれるようになっている。結局は身一つで生まれ身一つで死ぬのだから、極論は物は必要ないのである。日々使う物さえ不足することなく揃っていて、機嫌よく過ごせているのであれば、それだけで十分ありがたいではないか。だから、その分どんどん芸術に触れ、目には見えない知識という宝物を自分の身体の中に貪欲に残したい。老いが始まった私が今考えることだ。もはや昔の考えは露ほども通用しない、ガラリと変わってしまったこの時代にも後押しされ、やっぱり私は人生に残された時間を芸術と共に生きたい、とそんな風に思う。
2022/09/26
コメント(0)
少し不安なことがあったので、今日はその話を。私、発病して歩けなくなった後、左足の方が右足より若干前に出にくいなとは自分でもわかっていた。おそらくどこか左側に繋がる神経が深く傷付いたのだろうと思うけれど、今でもその出にくさは続いている。いや、僅かですよ。右に比べたらね。でね、ついこの間のことである。夜布団に入ったら、急に左の膝小僧だけがチクチクした。針で刺されているような感じが3分ほど続いた。こんなことは今までなかったからびっくりしたけど、3分ほどで落ち着いてくれたのでホッと胸を撫で下ろした。で、その1週間後。今度は左手の甲から手首にかけてチクチクする。左膝ほどの痛さではなかったけど、やっぱり針で刺されているような感じが10分ほど続いた。はて、これは何だろか?なんとなく雲行きが怪しくなる。そう言えば最近、左の二の腕に一瞬ピリッと電気が走ることが何度もあるなぁ。ついに来た。1年以上前から顔の左側の痙攣が結局完全には止まらないまま続いているのだが、なんと左側の後頭部まで痙攣が広がったのである。これまでは、頭という球体の顔の左半分だから4分の1だけが痙攣していただけなのに、球体の2分の1が痙攣してしまったことになる。ややこしいが、こんな表現で理解していただけるだろうか?要するに頭部の左半分です。いや、ちょっとこれにはあたふたと焦った。しかも止まらない。特に左耳の後ろ辺りがピクピクする。手で触れてみても、波打っている様子が伝わる。左膝と左手の甲はすぐに治まってくれたのに、丸一日も続いた。この日、こちら関西では35度近くまで気温が上がった日だったことと、これら一連の出来事は月経前から月経にかけての期間だったことも重なったので、これが原因かと思われる。一時的なものであってほしいと願うが、今まで痙攣していたのは顔面の左側だけだったので、こんなにも広がってしまい一体これは何なのだろうかとさすがに心配になった。それ以来症状は落ち着いているが、一抹の不安は拭えないまま小さなシコリとなって残った。今回限りで終わってくれますように。それだけを心底、切に祈る。
2022/09/25
コメント(0)
「私も親類の人たちが気のつかぬうちに死んでゆく年配に達した」「この何十年間に白くなった彼の髪が、どんなことがあってもさらに白くなる気づかいもなかった。変ったものは表情である」「誰ひとりとして、汚点のない生涯というものはありませんぞ」「さてお馴染みのみなさまがたよ世間には正気なお方が多すぎて、どなたも地球は丸いとおっしゃる ー 」「彼はいつも入浴中に一番よくものを考える」「あなたは逃避をお考えになったことはなくって?」「さあ、誰しもときには考えるんじゃないかね」「一番いけないのは夜中の二時ごろらしいな。その時刻に眼がさめると、物思いで眠れなくなるもんだから、」「絵ハガキというものは寂寥の一つのあらわれである」
2022/09/24
コメント(0)
ーつまり、やる気があるかないかー早2ヶ月。コーヒーの時と同じように、何ら問題なく日々は過ぎている。本当は、辛い禁断症状が出ると思っていた。甘いものをじとっとした目で見つめ、食べたい食べたいとそれしか考えられなくなるような。不思議なことに、まったくそんな症状は出なかった。3日経ち、4日経っても大丈夫だった。私は一旦始めたら習慣となってしまう性格で、例えばこのブログのように毎日せっせと更新し続けられる。それと同じように甘いものもただの習慣となっていただけのような気がする。もしかしたらコーヒーだってそうだったのかもしれない。だから、何らかのきっかけでフッとその習慣が途切れることになってしまっても、それはそれで何ら支障も未練もないのであった。これを良さと捉えるか捉えないかは事の次第によると思うが、今回の件に関しては有利に働いたということらしい。そもそも、9割減の残りの1割は甘いものを楽しむことを前提にしていたということもあり、おそらくすんなりと目標は達成できる見込みである。
2022/09/23
コメント(0)
ー私には◯◯がすべてだーコーヒーを辞めたのも、すべては神経の為だった。神経の難病を患っている故、神経高ぶらせることなく、いついかなる時も中庸でいることを目指したかったから。甘いものを食べると眠たくなった。血糖値が上下することが原因である。しんどいダルい。コーヒーを辞めてせっかく神経が中庸を保てるようになっていたのに、血糖値が上下していては元も子もない。血糖値が上がったり下がったりを繰り返すことが神経に良いはずがないのである。私の世界は神経中心に回っていた。否、支配されている。甘いものを控えるのも、詰まるところ神経の為だという結論に行き着く。
2022/09/22
コメント(0)
ー栄養学?そんなものさっぱりわからないさーこれだけコーヒーやら甘いものやらと言っている癖に、私は栄養学については知識ゼロである。決して自慢できることではないが、本当に常識的なことですら知らない。しかも学ぼうという気持ちもいささかもない。私はただ自分の身体が発する声を聞いただけだった。そろそろコーヒーは潮時さ。はい、わかりました。次は甘いものを控えたら?はい、努力します。身体がそう言うのだから仕方ない。でも、日々自分の身体と向き合う中で、この身体の声こそが真の声だと確信していた。切実な声でそう発するのだから、私は首を縦に振ってそれに従ってきた、それだけである。
2022/09/21
コメント(0)
半身浴をし始めて6年と2ヶ月。なんとか夏を乗り切った。今年の夏は冷房に頼りきりだった。冷房に頼りきりだったということは、身体が強くなった証拠である。以前は、冷房の部屋にいると体調が悪くなるので、なるべく冷房は付けないようにしていたのだから、自分の身体をしみじみと振り返ってしまった。と同時に汗もがサーッと引いてきた。汗をかかなくなってくるとすぐに治る。その分、右手が突然に悪化してした。手の平の方の指がボッロボロ。要するに、季節が一つ進んだのであった。私は肌でその知らせを受け取るのであった。後は、左耳の中と背中と左膝だな。よくぞここまできれいになったものよ。アトピーの色素沈着もだいぶん薄くなったと思う。実は一つ、不安な症状が出るようになっている。うーん…、ちょっと様子を見ようか…。これは病気の症状なのか、はたまた更年期の症状なのか、ますますわからない。足はなんだか動きにくいのだけど、これから涼しくなるから夏よりは動くようになるだろうと期待している。更年期でこんなに歩きにくくなるなんて思いも寄らなかった。厳しいが、これが現実だ。毎日引きこもって散歩にも行かなくなってしまったからますます悪循環。どこかで断ち切る術を考えなくてはいけないと本当にそう思う。でもそれがどれだけ難しいか。気力をどうやって奮い立たせるか。今の私にとってこんな厄介な問題は他にない。
2022/09/20
コメント(0)
「いまの世の中では、だれだって人生にたいした期待はもてん、くよくよして何になりますか?」「しかし、人間は、生(ライフ)に関心を抱く限り、失望させられることはない」「まだ大丈夫だ。見通しつく限りは大丈夫だ」「だが現在の大統領の政権はひどくガタピシしていて、」「運命がこういう道しるべをしてくれた以上、ぜひとも即座にそれに従うのが当り前じゃないですか。人間、誰しも好運にめぐりあう資格があるはずじゃ」「きみは心ここにあらずだ。大地に足をつけなさい」「出かける前になって面倒だなあ、何でこんな予定を入れたんだろうって、」「一番気に入らない点は、在宅でなければいい老後じゃないと思っているところ」「この人生に私を引き留めるもの、しがらみというものが何もないんです」
2022/09/19
コメント(0)
最近ずっと頭を占めていることと言えば、やっぱり更年期の諸々である。切に感じることは、若々しさって意味。もし、容姿の衰えを取り戻したいならば、今はいくらでも医学の力を借りてなんとでもなる時代だ。私はそれを決して否定することはしない。それより、心を若々しいままで保つことほど難しいことはないと思う。今の時代、老いるという言葉の意味をずいぶん履き違えているような気がする。老いるのは、否、心なのである。あの頃の未来を夢見る輝きは消え、目玉が濁ってくるのであった。そこから見える世界もくすむのであった。そこには諦念という名の沼がただただ広がり、ただの一歩でも沈み込んだらば這い上がることはとてつもなく困難である。そして、あの頃の気楽さは歳月によって運び去られ、よくわからない漠然とした不安だけをずっしり纏うことになる。ということを、私は41歳で身を持って知った。
2022/09/18
コメント(0)
私は、いわゆる美容代という支払いが極端に少ない。美容院には行かず髪の毛は自分で切る。頭も体もお湯で洗うのみ。もちろん髪の毛は染めておらず、化粧もマスク生活が始まってから一度もしていない。スキンケアなども一切していなかったが、老化で乾燥するようになってきたので、オリーブオイルを一つだけ買った。帰宅した時に手を洗う石鹸は、もう何年も使い続けている数百円のオーガニックのものである。以上、終わり。自分でも、こんなに美容代が少ない女性はまぁいないだろうなと思う。世の美容に情熱を注ぐ方たちにこれを言うと、あんぐり開いた口が塞がらないだろう。だって、必要ないのだから仕方ない。私は自然のままでいいのだ。何もしない方がむしろ清潔だし、軽やかでいられると思う。
2022/09/17
コメント(0)
「やがてぼくの欲望の振子はのろのろと動きはじめた。右へ、左へ。忘れない欲望、忘れまいとする欲望。死にたい、もうしばらく生きたい」「君は死後の復活を信じないか?」「肉体の復活という意味だとすれば、信じない」「過ぎたことは所詮過ぎたことでございますから」「ぼくはぼく自身の流派さえ知らない」「憎しみはぼくの脳髄のなかにあるんだ、胃袋や皮膚のなかではない。痣や腹痛のように簡単にとれはしないよ」「お祈りというのは木にさわったり歩道の継ぎ目を踏まないようにするのとおなじことではないかな」「おお、神よ、あなたはすでに十分にやりとげたのです、ぼくから十分に奪ったのです、ぼくは年をとって疲れてしまった、もうこれから愛を身につけることはできない、永久にぼくを放っておいてください」「社会的ニーズのない人生を送っている人なんて、世の中に山のようにいますよ」
2022/09/16
コメント(0)
ーみなさん、普段何飲んでますか?ーところで、みなさんは普段何飲んでますか?私はこの3つです。お茶、白湯、紅茶。お茶は、家で母が毎朝茶葉から煮出して作ってくれているカフェインレス。白湯は水道水を冬はあっつあつで、夏はほんのり常温で。紅茶はティーバッグで淹れて。普段はこの3種類しか飲まない。母がジュースなどは飲ませない子育てをしてくれたおかげで、びっくりするほど飲み物に興味がなく育った。飲み物と言えば、“家のお茶”。これ以上のものもこれ以下のものも私の中になかったし、年に数回オレンジジュースやりんごジュースや炭酸など飲む機会があったとしても、それは特別な日の飲み物という感覚ただそれだけだった。そんな時、高校生でコーヒーを初めて飲んだ。なんておいしいんだ!ブラックで飲むことに味を占め、まぁハマった。その後はみなさんご存知のような経過を辿り、今は更年期が終わればまた飲みたいなと目論んでいる。つまり15年後ぐらいに。因みに、お茶や水でも、ペットボトルや紙パックに入っているような飲み物は一切飲まない。あれは緊急事態の時に飲むものだと思っているので、論外。
2022/09/15
コメント(0)
更年期症状が始まってつくづく思うことは、自分が快適だと思える環境がどれだけ大事かということ。私にとって、掃除は常日頃しておかなければならないことであり、掃除をして精神を保っていると言っても過言ではない。部屋がきれいであれば心は安定している。だから、心が少し荒れてざわついたと感じたら、まずは掃除をする。得てして人は心をどうにかしようともがきがちだが、それよりも先に掃除をする方が遥かに手っ取り早いと思う。何も考えずに、とにかく掃除をしてみることをお勧めしたい。無臭無音の空間での読書、これは私の要である。今の私を創ってくれたもの、それは紛れもなく本だ。映画はそれに花を添える手軽な趣味という感じ。やっぱり昔のモノクロ映画に勝るものはないと思って日々楽しんでいる。そして美術館は最高に幸せな時間をもたらしてくれる。結局行き着くところは芸術だと思う。音楽はそこに存在しないということも知っている。自分がピアノに打ち込んできたのに不思議だが、音楽ではリラックスできない。耳が敏感で、常にドレミという音階が頭に流れて川のように楽譜が次から次へと仕上がっていくことと、にわかに知識があるものだから、どうしても粗探しのようなことをしてしまう癖があり、耳も頭も忙しくってちっとも安らぎは得られないからであった。後は一日を締めくくる半身浴。掃除と同じく、最後に自分自身の身体の老廃物をしっかり出し切ってようやく一日を終えられる。明日を爽やかに迎える為には欠かせない習慣である。これから長い長い道のりが続くが、この更年期が始まった身体が少しでも機嫌よく過ごせるように、環境を良くしておくことに貪欲に精を出そう、と今は本当にそう思う。
2022/09/14
コメント(0)
ーそれに並行して、カフェインレスを考え始めるーコーヒーを完全に辞めて以来、紅茶を嗜むようになっていた。例えば掃除の合間にホッと一息入れる時間は今の私にとっては必要な時間であり、そんな時に紅茶を一杯淹れる。スーッとリラックスできて気持ちいい。茶葉を何種類か試してみたり、ハーブティーなんかも飲んでみたりしたが、結局若干渋めの味のする濃いめに淹れた紅茶をストレートで飲むことが好みだ、という結論に至った。で、コーヒーのように趣味にはならないということも知った。紅茶はおいしいと思うけれど、コーヒーには到底及ばない。飲まなくてもまったく以て平気。つまりハマることはない。ちょうど甘いものを減らしたいなぁと考え始めた頃だった。紅茶はコーヒーに比べたらカフェイン量なんて半分以下だが、ふとこのカフェインそのものを辞めてみてもいいかもしれないと思った。ほぼ毎日のように家で淹れる紅茶をカフェインレスにしてみたら?神経が少しでも高ぶらないように、そうでなくても暑いというだけで神経が苛立って急にヘルペスができるようになっていたのだから、やってみる価値はある。そこで、家では紅茶を飲むことを辞めて、そうだ、カフェインレスのルイボスティーを試してみよう。外出先ではできないとしても、家でだけでも、カフェインレス生活に変えてみよう。これが甘いもの9割減と共に考え始めたことだった。
2022/09/13
コメント(0)
思うのだけど、高齢出産をする方も多いこの時代、私自身の更年期の症状に重ね合わせると、あまりに負担だろうと同情したくなる。例えば40歳で出産したとしよう。早ければ、生んだすぐ後からもう更年期症状が出始めるのである。まだ歩きもしない我が子を保育所へ預け、何が何でも仕事復帰。更にはそろそろ親の介護や看取りも現実的になってくる頃に差し掛かり、もし仕事の昇進も虎視眈々と狙っていたとしたら、それはもうはっきり言って限界だろう。いやはや、とんでもない時代である。
2022/09/12
コメント(0)
ー良いものを食べるというより、“悪いものを体に入れない"という考えー例えばランチをしようと飲食店を決める時の話。一人前の量が多くてもう食べられないので、昨今、パン屋に入って軽く食べることが多かった。そんな時、いわゆる菓子パンは選ばず惣菜パンにするようにした。或いはサンドイッチ。そもそもパンの生地そのものに砂糖が入っているらしいが、そこまでこだわり出したら何も口にできなくなるので、それはないものとする。私は三日月の端っこがカリカリに香ばしいクロワッサンが大好きなので、クロワッサンはギリギリOKとして。自分なりにちゃんと頭で考えてから食事する。何を食べるか、何を食べたか、を意識するだけで何かが変わり始めると思う。
2022/09/11
コメント(0)
ー日本人の常識ー日本人っていかに糖質ばかり摂っているかという事実。米に麺類にパンにスイーツ。一日糖質しか摂っていないような日も珍しくない。しかも関西は粉もん文化である故、たこ焼きやお好み焼きなどみんな大好物だし、それをおかずにして米を食べることは常識だ。食文化だと言ってしまえばそれまでだが、これは本当に良いのだろうか?せっせと食べて、糖の吸収をなんとかとかいうものを飲むっておかしいと思うが…。
2022/09/10
コメント(0)
老いを感じ始めたのは38歳の頃。月経血の量が急に少なくなったことと、体が削げて若々しさとはかけ離れた貧相な肉体になっていた自分が出し抜けに鏡に映りギョッとしたこと、だったかと思う。そして41歳で本格的なプレ更年期へ。無気力、這い上がれないほどの疲れ、気分の落ち込み、苛立ち、肩こり、めまい、記憶力の低下、動作の鈍化、など片手では収まり切らない症状が一気に襲ってきた。かすかに老眼も感じるようになっている。白髪も数本見つかった。肌の乾燥も気になり始めたので、たった一滴のオリーブオイルを顔に塗るようになった。この冬は顔の保湿をきちんとやろうと思う。40歳の誕生日が迫ってきた時、のたうち回るほど嫌だった。更年期が始まってからは、意に反する肉体の老いに心が付いていけず戸惑った。ようやく今だいぶんこの身体に慣れてきて、一つ階段をトンと降りたこの場所でなんとか機嫌よく生きられるようになっている。いずれ必ずもう一つ階段を降りる日が訪れる。その日に備えて、思う存分自分自身に手間暇かけて労ってあげよう。自分で自分をかわいがってあげなくてどうする。その日を微笑んで迎え入れられるようにさ。
2022/09/09
コメント(0)
「愛する神よ、あなたはしばらくあなたの十字架からお降りになって、かわりに私を架けてください。あなたのように苦しむことができれば、あなたのように癒すこともできるでしょうから」「自分自身と自分のみじめだけがたえず耳もとで鳴り、眼を覆ってしまう」「このひとのために私を役立たせて下さい」「真理というものは、その運動のどこか一点、振子が決して停止しない一点にあるのだろうか?」「私は目新しいことは好きではない」「私、私、私、といわない祈りをひとつでも知っておけばよかった。私をお助けください。私を幸福にしてください。早く私を死なせてください。私、私、私」「この年になると1日1日がより大切になるんです」「人は日々何かをなくしている」
2022/09/08
コメント(0)
「死ぬまで秘密にするよ。明日かもよ」「彼女の重みがかかってくる左腕の、徐々に増してゆく痛みは、いままでにぼくが知った最大のよろこびだった」「私を生かしておかないでください、と絶えず神に祈っています」「ぼくたちは誰のものでもない。ぼくたちは自身のものですらない」「苦しんでいるかぎり人間は生きているのだ」「なにかお役にたてるといいんだが」「たっているよ、こうして坐ってくれるだけで」「数学者たちは、一歩ごとに歩幅を半分にちぢめながら歩けば、部屋の向う側の壁に行きつくことはけっしてないという」「ついにルビコン川を渡りましたね」
2022/09/07
コメント(0)
ーヨガの先生になれます?ー甘いものを控えて早1ヶ月半。おそらく2、3kgは痩せたと思う。でも、げっそりしたという感じはまったくなく、シャープになったという印象。私にとって体重が減ることはあまり良いことではないように思うが、9割もの砂糖を減らしたのだから痩せるのは当然だろう。体型はヨガの先生のような感じになっちゃった。ヨガなんてな〜んにもしてないのに笑っちゃう。
2022/09/06
コメント(0)
半身浴をし始めて6年と1ヶ月と半月。9月だなんて早いなぁ。そして8月末から何かの花粉が飛び始めたと思う。ブタクサ、イネかな。湿疹はかなり良い。残るは背中、左耳、左膝、手、おっ!項目が少なくなってきたぞ。が、実は手は悪化。季節の変わり目を手の湿疹で感じるという…。汗もは相変わらずかゆいが、汗をかかなくなると自然に治るので、まぁ問題なし。更年期でヨロヨロして、というかもともと足がしびれていて走ったりはできない訳で、なんだか足が動きにくいなぁ。足が重たいなぁ。散歩があんなに楽しかったのに、あの心踊る気持ちはいずこへ行った?歩くのが嫌にならないようにだけはなんとか対策しておかないと、と以前の私にはあり得ないこんなことを心配するようになってしまった。病気の身体にプラスされた老い。あまりに未知だ。実に恐ろしい。不安は募る一方である。映画三昧の日々。これまでおそらく1000本以上観てきたけれど、良い映画というものは、予期せぬ時にふっと現れる。私、以前からどうも納得いかないことがあって、別に言わなくてもいいんだけど、ここは私のブログだから敢えて言う。ズボラって言葉。この言葉を使っていさえすれば万人から親しまれると思ってない?それをわかってて使う。ズボラな私でも〜とか、こういう言い方をする人に限って全然ズボラじゃない。そういう魂胆が好きじゃない。
2022/09/05
コメント(0)
人生長くなってくると、それなりに大山小山を越えなければならないふいの出来事に遭遇する。大山は言わずもがな不登校引きこもりと父の死と難病発病であった。小山はまぁぼちぼちと。今年に入ってから更年期が始まったが、今ようやく“更年期の始まり”という名前の山は越えられたように感じている。私にとっては思いの外難儀した山であり、否、半分遭難しかけ、ヒーヒー言いながら越えた。まぁ、これで一安心したというか、身体はこの半分引きこもって塞ぎ込む毎日になんとか慣れてくれたのだと思う。この先、またいくつもの小山を越えなければならないだろう。大山もいずれまたやって来るだろう。だが、今回のように、もがきながらも一つ一つ着実に自分の足で越えていけたらそれでいい。それが人生というものだから。
2022/09/04
コメント(0)
私の住んでいる市には図書館が10ほどあるのだが、それぞれの館で特色が出ていて結構おもしろい。例えば、一面に漫画の棚がある館、DVDが視聴できる館、小さな子どもたちが寝っ転がって本を読めるように床にシートが敷き詰めてある“子どもコーナー”がある館、自習室がある館、などいろいろと工夫をこらしてある。さて、私が自分の本棚だと思っている徒歩5分の行きつけの図書館は、なんと昭和に出版された茶色い古い本が書庫に山ほど保管されている館なのである。そう、古い本が多量に所蔵してある館。ここは、私が発病する数年前に、少子化で使われなくなった小学校の校舎を蘇らせてできたものだが、私が病気になって読書が趣味になることを見越して、私のためにできた図書館だと言っても過言ではないと思っている。日々、できるだけ出版年度の古い海外の古典を読み漁っている私にとっては、まるで夢のような場所だ。あのーすみません、この本を書庫から出してきて欲しいんですけど、と館員に頼めば、すぐに私の手の平に本が運ばれて来る。いや〜恵まれてるな、私。まだまだ読みたい古典はたくさんある。本は生きがいだ。これからもお世話になります。
2022/09/03
コメント(0)
ー救急隊員のみなさん、お疲れ様ですーいつだったか、救急車が到着したその現場に偶然居合わせた。ビルの中に患者がいるようだったが、駆け付けた2人の救急隊員の表情が、マスク越しでさえもあまりに疲れ切っているのがわかり、家へ帰ってからも脳裏に焼き付いたまま離れなかった。おそらくひっきりなしに出動なのだろう。このご時世や熱中症など、休む間もなく働いているだろうことが目に浮かぶ。もしかしたら理不尽な思いもされているのかもしれない。その光景を見て、つと考えるところがあった。私は粛々と体調管理に励もう。なるべく人の世話になることなくひっそり生きる為に、自分の身体を強くしよう。こんな時代だから尚更だ。がんばるろう、私。よし、と気持ち新たにする。
2022/09/02
コメント(0)
かねがね感じていることなのだが、将来のビジョンとか目標とか、この国には何かそういうものを持つべきだという風潮がある。もちろんそれは良いことである。何か達成したい目標へ向かって挑むことは、生きる上でこの上ない経験と力になるだろう。だけど、目標がないからと言って、それは決していけないことではないはずだ。これと言って目標のない自分を蔑んだり、そういうことは一切しなくていいと思う。私自身、何もない。将来のことなんぞ、何も考えていない。毎日引きこもってじっとじっと、ひたすらにじっとしている。ただ一つ目指していることと言えば、父が他界した年齢である53歳までは何が何でも歯を食いしばって生きること。それ以外には、本当に何もない。あ、もう一つあった。連綿として続いてきた尚家を終うという最大の務めが。これは私の宿命だ。
2022/09/01
コメント(0)
全30件 (30件中 1-30件目)
1

![]()
![]()