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ああ・・・いつものようにドタバタドタバタと忙しくしているうちに、ついに大晦日。なのに、年賀状もまだ残っている。手際が悪かったせいか、今年は例年以上に、なんだかあわただしくなってしまいました。 もっと早くからやっておけば、あわてなくてすんだのに・・・いつだって、なんだって、ギリギリなんだから。ほんとにもう・・・!反省しています! 毎年毎年、 一年の終わりには、その一年を振り返って、お世話になった方々に、こころからの「ありがとう」を言いたくなるものです。 我が水海道第一ホテルにご宿泊くださった大勢の皆さまに、このブログに、足しげく通ってくださった皆さまに、私たちを応援してくださった大勢の皆さまに、そして、毎日の地味な仕事をコツコツとこなしてくれたスタッフみんなに感謝して、はやくご挨拶しなくっちゃ、と思っていたのですが、なかなかゆっくりパソコンの前に座って考える時間もとれずに、すっかり遅くなってしまいました。 今朝、テレビで、99歳の詩人柴田トヨさんと、処女詩集「くじけないで」が、紹介されていました。トヨさんは、栃木県の裕福な米商人の家に生まれましたが、父親が事業に失敗し、奉公に出されたりと、苦労の多い人生を送ってきたそうです。今は、99歳でひとりぐらし。90歳を過ぎてから、息子さんのすすめで、詩を書くようになったとのこと。トヨさんの紡いだ言葉は、今年、家畜の伝染病口蹄疫でたいへんな思いをされた宮崎県の酪農農家で、そして、不況に苦しむ日本のあちらこちらで、若い人からお年寄りまで、老若男女に口コミでひろがり、多くの人々の心に響き、90万部を超える大ヒットになったそうです。多くの人々から、「勇気づけられた」「支えられた」という葉書が寄せられているようです。番組で紹介されていた詩のなかから、先ず、「さびしくなったら」という詩をご紹介します。 さびしくなったら戸の隙間から入る陽射しを手にすくって何度も顔にあててみるの そのぬくもりは母のぬくもり おっかさんがんばるからね 呟きながら私は立ちあがる 次に「がまぐち」という詩 毎年お正月が来ると思い出すの 当時 小学生だった倅(せがれ)が納豆売りをして買ってくれた大きな がまぐち 母ちゃんへ お年玉だよって 私に 贈ってくれたのかじかんだ 小さな手吐く息の白さ弾けるような笑顔私は 忘れない がまぐちは今でも 私の宝物お金は貯まらなかったけれどやさしさは今でも たくさん入っている 最後に、表題にもなっている「くじけないで」 ねえ 不幸だなんて溜息をつかないで 陽射しとそよ風はえこひいきしない 夢は平等に見られるのよ 私 辛いことがあったけど生きていてよかった あなたもくじけずに You Tubeで、見つけました、トヨさんの詩の朗読。あたたかなトヨさんの声が、本のPV ではありますが、こちらで聴けます。 皆さま今年もたいへんお世話になりました。至らなかったことも数々あったことと思います。ほんとうに有り難うございました。心よりお礼を申し上げます。どうか、来年もまたどうぞよろしくお願い致します。 がんばって、良い年にしましょうね 寒さの厳しいお正月になりそうです。くれぐれもお風邪などひかれませぬように。。。 では、トヨさんの声に耳を傾けながら・・・ 良いお年をお迎えください 人生 いつだってこれから朝は かならず やってくる
2010年12月31日
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札幌に住んでいる義姉が、言います。 「大通り公園で、ドイツのクリスマスマーケットみたいなのをやっていて、イルミネーションが、と~っても綺麗なんだよ~ 遊びにおいでよ」 私たち家族が、札幌に住んでいた頃から、大通り公園のイルミネーションは、綺麗でしたが、年々変化して、最近は、クリスマスマーケットをやっているらしいのです。ミュンヘン・クリスマス市 in Sapporo とか言うそうです。 東京や横浜にも、イルミネーションの綺麗な場所は、たくさんあるのですが、一面が雪の、ホワイトクリスマスってわけにはいきませんからねえ・・・ ホテルという特殊性で、クリスマスもお正月も関係なく仕事があるので、この時期は特に、出かけることはなかなか難しく、かなわぬ夢。せめて、写真でも見て、行った気分にひたりましょっと 画像は、ようこそさっぽろのホームページより ただいまホテルにご滞在中のお客様も、年末までお仕事で、ご家族と一緒のクリスマスは、無理のようです。 何もできませんが、せめて、音楽でもプレゼントしたいなあ、と思うのですが・・・ご滞在中のお客様でこのブログを見てくださっている方は、いらっしゃらないだろうしなあ・・・? さて、では、このしょーもないブログに来てくださった皆さまに贈ります 今年のクリスマスに、私が選んだ曲 こんな曲など、いかがでしょうか? いずれもKeiさんの訳詩が素敵な3曲です。英語の響きにうっとりします楽天ブログでは、YouTubeを埋め込むことができないので、リンクだけですが・・・こちらをクリックして聴いてください。先ずは、明日が心配で眠れぬ夜、ちょっと楽になりたいな、と思ったら・・・ケ・セラ・セラ 次に、夜空を見上げ、あまたの星の輝きに、宇宙の大きさを想いながら・・・星に願いを そして、最後に、この曲。 こんなに遠くまで来たんだもん、後戻りはできないわ。あなたと一緒なら、だいじょうぶ!きっとあなたも、泣いちゃいますよ~If we hold on together Live believingDreams are for weaving If we hold on togetherI know our dreams will never die では、皆さま Happy Christmas
2010年12月23日
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前回からの続きです。 「また?」「いいかげんにしろ!」と、怒られてしまうかもしれませんね。ブログの話題としてふさわしくないだろうな、ブログは、楽しい話題の方がいいだろうな、と思いつつ書いています。すまんことです。 お葬式の話題が続きますので、「縁起が悪いよ!」「イヤだわ!」と思われるかたは、この先は、どうかお読みになられませぬようお願い申し上げます。 とはいうものの、誰でも一度は通る道、避けては通れない道。私も、そして、今このブログを読んでくださっているあなたも、通りたくなくても、いつかは必ず通らなければならない道ですから・・・そういう意味では、世界中み~んな同胞。かな? いつ何があるかわかりませんから、元気なうちに、考えて、話しておかなくては、と思いますね。 前回も書きましたが、ライフスタイルの変化にともない、お葬式のかたちも、年々変わりつつあるようですが、地方では、まだまだ、しきたり重視の画一的な形式が多いように思います。遺族は、悲しみでパニックになっていて、何が何だかわからなくなっているのに、しきたりや周囲の目を気にして汲々としている、そして、葬儀屋さんにすすめられるがままに身を任せて、意に沿わないお葬式をしている、という例も多いのではないでしょうか? 結婚式だって、多種多様、十人十色になってきているのですから、お葬式だって、もう少し自由になってもいいんじゃないかなあ、と思いますね。 最近は、告別式やお通夜をしない、という選択も、選択肢のひとつになってきているそうですが、 今から40年も前に、すでに、こんな葉書を書いた人がいます。 詩人の茨木のり子のエッセイ集「一本の茎の上に」にはいっている、「花一輪といえども」というエッセイの中で、劇作家の木下順二氏から届いた葉書が、そのまま引用されています。少し長いのですが、原文のままここに掲載させていただきたいと思います。一字一句間違わないように、がんばって写します。 「母 三愛(みえ)子、1972年3月11日、18日間ほどの臥床ののち、満93歳に1ヵ月を余して安らかに昇天いたしましたので、ひとことお知らせ申し上げます。病名は脳栓塞ですが実際には何の苦痛も伴わぬ、老衰による平穏な終焉でありました。 亡母と私とは、お互いそれぞれ、死後の儀式はすべてやめようと、何度も(第三者の前でも)話しあって約束しておりました。それはプロテスタントの母親が無宗教の息子に説得されたなどというには、その都度あまりに自然な合意であり、合意というより、各自それぞれの発想をもとにした一致だったと思います。 その発想の中身をここに長々しくしるすことはさし控えますが(いずれどこかに書くつもりですが)右の事情に従って今回もこのお知らせをお届けするのみにとどめ、通夜、葬儀、告別式など一切おこないません。この手紙御落掌のおり、お受けとり下さった方々おひとりびとりの自然なお気持に添うて、一度だけしばらく故人のことを思って頂ければ、それが故人の最も喜ぶところ、以って霊まったく安まるというのが、私どもの本心であります。そのような次第ですので、御香料そのほかも勝手ながら花一輪といえども御辞退申しあげます。一輪のお志を受けてしまうことは、大輪の花環を御辞退する理由をなくさせてしまいます事情、どうか御諒察下くださいますよう。 このお知らせに対する御返事、御弔辞などもまた一切必ず御無用とお考え下さりたく、重ねてお願い申しあげます」 著者は、このエッセイの最後で、こう述べています。この葉書を大事に今まで保存してきたのも、いつの日にか私のための良き参考にと思ったからであった。 実際、2006年に79歳で亡くなられた際、たしかに、この文章を参考にしたと思われる手紙を親しい人たちに残しています。 読売新聞で紹介された「生前の死亡通知」です。 これは生前に書き置くものです。 私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。返送の無礼を重ねるだけと存じますので。 「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬思い出して下さればそれで十分でございます。あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかなおつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸にしまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かにしてくださいましたことか。深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて頂きます。 ありがとうございました。 いつの日にか、私も、良き参考にさせていただくかもしれません。
2010年12月20日
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すがすがしく晴れわたった静謐な朝でした。北関東自動車道の壬生(みぶ)パーキング。空気がきりっとして、雪をかぶった日光連山が、凛として、綺麗でした。 私たちは、その朝、葬儀のため、鹿沼に向かっていました。 今は亡き母の実家は、栃木県鹿沼市。日光がすぐ近くの、人口10万ぐらいの町です。幼い頃、私たち家族は、この日光の方向にある母の実家をめざして、嬉しくて、うきうきしながら、よく遊びに行ったものです。 そして、わくわくした気持ちで、はしゃぎながら、日光連山を眺めたものです。 「栃木の方が、茨城より、道路がずっといいよねえ。」「筑波山なんて、小さい山だねえ! 日光とは比べものにならないねえ!」「鹿沼の山車はすごいんだよ。そんじょそこらの山車とは比較にならないよ。」と、母は車の中で、嬉しそうに、ふるさと自慢をしたものです。 そんな他愛のないおしゃべりが、今なお記憶に刻まれています。 たしかに、その当時、茨城は、アスファルトの道路が少なく、がたがた道ばっかりで、 栃木県に入ったとたんに、舗装された道路になったのも事実でしたし、鹿沼の山車は、日光東照宮の宮大工が江戸に帰る途中に寄って、彫っていったとかで、ほんとうにそれはそれは立派な彫刻のある、まるで日光の陽明門のような山車ばかりなのも本当なのです。 壬生パーキングで、どこからか懐かしい母の声が聴こえるような気がしました。 先週、お世話になった叔父が亡くなりました。しばらく療養中ではありましたが、急な別れでした。 幼い頃からどれだけ可愛がってもらったか、どれだけ心配をかけたり、助けてもらったりしたかわかりません。自分が具合の悪い時でさえ、私たちと会うと、必ず、「商売はどうだ?」と、気にかけてくれた叔父でした。お世話になりっぱなしで、何のお返しもできないまま、逝ってしまいました。今、まだ、気持ちを切り替えることができないでいます。 ここしばらくは、現役を退いていたのですが、栃木県の政財界の友人知人も多く、豪放磊落な叔父らしい賑やかなお葬式でした。そして立派な戒名。ご住職は、どんなにいい戒名であるか、どんなに徳のある文字であるか、一文字一文字漢字の持つ意味を、丁寧に説明されました。 「高い戒名なんだろうなあ・・・?」ご住職には、怒られてしまうかもしれませんが、ついつい、そんなことを思ってしまいました。 故人を送る気持ちは同じでも、お葬式となると、実際のところ、すべては、たしかにお金次第、というところがありますからねえ・・・ 帰ってきてから、お葬式について、考えてしまいました。 地方の町では、お葬式というと、だいたい決まったかたちで、とり行われることが殆んどのように思いますが、ネットで調べてみると、あるわあるわ・・・最近は、音楽葬あり、自由葬あり、家族葬あり、樹木葬あり・・・と、お葬式事情もさまざまなようです。少子高齢化や核家族化が進み、家族や親戚の数も少なくなってきた昨今、お葬式のスタイルも年々変化し、よりシンプルになってきているのだそうです。画一的な形式から、その人らしいかたちへと、そのかたちは、故人の希望にそって、十人十色、自由自在で、簡素化そして多様化しつつあるようです。御通夜や告別式などの儀式を行わない形式も増えていて、東京近郊では、すでに3割近くが、このスタイルなんだとか。 (長くなってしまいそうなので、つづきは、また次回書くことにします。)
2010年12月16日
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毎年、12月になると、あちらこちらから、年賀欠礼のハガキが届きます。 大切な方を亡くされて、たいへんな時を過ごされたんだろうなあ、とその方のお顔を思い浮かべながら想います。悲しみを、こころの奥深くにしまえるようになるまでには、しばらく時間が必要です。 今年も、お父さまを亡くされた方がいらっしゃいます。もうずいぶん前になりますが、私も父を亡くしています。しばらくの間は、父の背広やネクタイを見てはグスン、父の書き損じた文字を見てはグスンの日々でした。 晩年、父から、旅の誘いがあったことがありました。「どこか海外にでも旅行に行かないか?」その当時、父は、会社関係の旅行で、ずいぶん海外には行っていましたから、仕事に追われて忙しくしていた私は、「なかなか行けないよ~。海外にはずいぶん行ったじゃないの。どこに行きたいの?」と、冷たく言ってしまいました。その時、父は、多くを語らず、「もう、そのうち行けなくなるかと思ってさ・・・」と、言ったのでした。 それからまもなく体調を崩して、結局、旅行には行けずじまい。今、思います。 きっと、父は、海外に行きたかったのではなかったんだ、どこでもいい私と旅がしたかったんだと・・・ 生きている時は、照れくさくて、ゆっくりしみじみと会話をすることができなかった父と娘。もう少し話がしたかったよ、お父さん。 茨木のり子さんの詩集「鎮魂歌」より、「花の名」という詩の一節です。 女のひとが花の名前を沢山知っているのなんかとてもいいものだよ父の古い言葉がゆっくりよぎる物心ついてからどれほど怖れてきただろう死別の日を歳月はあなたとの別れの準備のためにおおかた費やされてきたように思われるいい男だったわ お父さん娘が捧げる一輪の花生きている時言いたくて言えなかった言葉です棺のまわりに誰も居なくなったとき私はそっと近づいて 父の顔に頬よせた氷ともちがう陶器ともちがうふしぎなつめたさ
2010年12月04日
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12月になりましたねえ。 街は秋色から初冬の色に変わりつつあります。紅葉したけやきの木も、桜の木も、ハナミズキも・・・葉を落とした木々も多くなってきて、落ち葉の静けさを感じながら、落ち葉の上をサクサクと歩くことも多くなってきました 少しずつ初冬のたたずまいになってきましたね。 若いときは、季節の移ろいや、自然のゆたかさなど、気にもとめなかったのに、最近は、なんだか心を動かされるようになりました。 そういえば、我が家の小さな庭でも見つけましたよ、紅葉。 さて、これは何の木でしょう 正解は、ブルーベリーです。 庭の片隅に植えてある、ブルーベリー、この時期、ピンクがかった濃い赤になります。ブルーベリーの紅葉が、以外に綺麗なのには驚きますねえ。夏には、もちろん、ブルーベリーの実がなりますが、鳥が、時おり、ひゅ~んと飛んで来ては、実をついばみます。その様子を眺めて愉しんでいるのですが、いつのまにか、実はすっかり無くなって、まるで、鳥のためのブルーベリーのようなのです。 この葉っぱも、やがては落ちて・・・ そして、いよいよ冬がはじまりますね。 師走、ますます忙しくなってきます。これからの1ヶ月は、めまぐるしく、あっという間、焦ってしまいますねえ。。。がんばって乗り切らなくっちゃ 忙しい師走、どうか皆さまも、お風邪などお召しになりませぬよう、気をつけてお過ごしくださいね
2010年12月02日
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