対する日本軍は補給路が延び切っていた。早々に決戦へ持ち込む必要があると判断し、日本軍は奉天のロシア軍を包囲し、1905年3月1日に総攻撃を開始した。攻める日本軍は25万人、守るロシア軍は31万人だ。日本軍の猛攻を前にロシアの満洲軍総司令官クロパトキンは3月9日、全軍に撤退命令を出した。 その翌3月10日、日本軍は奉天を占領した。奉天会戦は「日露戦争の関ケ原」と喩えられ、双方合わせて13万人の死傷者を出した。「二人の偉大なる司令官(Les Deux grands Capitaines)」ではフランスの英雄ナポレオンと軍服姿の日本人が描かれる。 大きな先輩が小さな後輩を諭している。台詞の意味は「おめでとう、友よ。でもモスクワまで行っては駄目だぞ」となる。時期は奉天会戦の直後、日本人は満洲軍総司令官大山巌大将、その彼が左足で踏みつける相手はクロパトキンだろう。