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『がんばれ社長!今日のポイント』8月30日号に意外な組み合わせの共通点について語られていました。(以下引用)醤油2本、卵6個、米1kg を買い揃えると幾らになるか?だいたいの相場は1,000円程度くらい、高くても1,500円もあれば、それらを買い揃えられるだろう。ところがその3倍の3,600円もするのに、飛ぶように売れる方法がある。それは戦略の勝利であり、高付加価値化であり、真の顧客創造、市場創造、富の創造である。究極のたまごかけご飯セット (中略) 倖田が99年の「モーニング娘。」追加オーディションを受けていて、相当有力視されていたというからビックリだ。だが、別のオーディションに合格した倖田は、そちらでソロデビューを果たす。ちなみにその時の「モーニング娘。」は、後藤真希が受かっている。 2000年にソロデビュー。当時流行していたアメリカ先行デビューというスタイルをとったが、倖田はあまりヒットしなかった。 当時、エイベックスの株主でもあった私は、同社のアーチストのCDはほぼすべて買い集めていた関係で倖田のデビューシングルも買った。感想は、「実力はあるが、すこし華がない。でも数年以内に人気が出るかもしれない」という程度の印象。そして4年後の2004年、映画キューティハニーの主題歌で大ブレイクする。だが、その後もすんなりとスターダムをのし上がったわけではないが、デビュー当時とは別人のような過激な露出とメイクとダンスがウケた。なによりも彼女は、愛する人のために身体をシェイプアップされていた。8キロもやせた。彼女自身、きらいだった自分の身体にチャームポイントを見つけられるようになっていったという。(中略)倖田來未の成功要因はなにか。私は、大胆な客層チェンジだと思っている。デビュー当時から普通の女の子のためのメッセージを歌い続けている倖田。今も曲作りはそれほど変わってはいない。 大幅に変わったのはパッケージング。最初、エイベックスにとって安室奈美恵の後継者路線だったように思う。当然、メイン客層は男。それを大胆に女子高生客層に変えた。変身願望をもつ女子高生が倖田を見ながら自分をそこに投影する。男よりもカッコイイ。それが新カリスマ・倖田來未だ。(引用中止)究極の卵かけご飯と倖田來未の共通点はターゲッティングと高付加価値化の勝利だと思います。個人的には、倖田來未は好きではありません。 その理由は押しつけがましいことにあります。セクシー路線で売ったことも気に入りません。ただし、それが世間で受けた訳で、それを否定するわけではありません。 卵かけご飯も一歩間違えると、「なにそれ」で終わってしまう可能性がありますが、圧倒的な高品質とこだわりがあったためにヒットしたのだと思います。 これがヒットしたので、フォロワーもたくさん出てきています。しかし、初めてこれを始めたときは相当な勇気が必要だったと思います。品質もさることながらその価格設定が大きな鍵を持っていることは確かです。この企画の優れていることに感心すると共に、その潔さに脱帽します。 卵かけご飯は究極のスローフードだという節がありますが、日本の生んだ優れた食べ物の一つであることは間違いのないことです。 これをさらに磨き上げるため、海苔、ふりかけ、いりゴマ、納豆、みそ汁なども極めて「黄金の卵かけフルコース」?に挑戦していただきたいものです。 ところで、これを書いているうちに食べたくなってきました。これを買いたいんですが、ちょっと高すぎます。他のショップから別々に揃えて、より良い卵かけご飯に挑戦してみたいと思います。 なお日本たまごかけごはん楽会という卵かけご飯を楽術上の事項を検討するという本気か冗談か分からないような楽会?もあるようです。
2007年08月31日
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船井総研のメールマガジンビジネス人財道場 黒帯への道vol.309になかなか含蓄のあるお話しを船井総研の小池彰誉が寄稿しています。(以下引用) 先日、ある企業で「堆肥」をつくっているところを見学させてもらいました。堆肥とは簡単に言えば、生ゴミをリサイクルして土に戻したもの。ここはそうでもなかったのですが、堆肥をつくっているところは、通常かなりのにおいがするらしい。 土へ戻る発酵がうまく進んでいるところは匂わないし、うまく進んでないところは臭気がきついとのこと。 「3年くらい前は、ここのにおいも強烈でした」と先方が言われたときに私はこう質問しました。「悪い堆肥(発酵が進まず、においがキツい)から、 良い堆肥(うまく発酵して匂わない)をつくることができるように 変化したのは何がポイントですか?」「水分調整やチップの混在量など色々な要素です。 そして何より一度つくった「良い堆肥」を混在させること」 これが答えでした。良い土壌(堆肥を混在させる)があれば、そのものを良くしていこうという、良い作用が自然と働き、全体が良くなっていく。それに反して、悪い堆肥を混ぜれば、間違いなく悪い堆肥ができるようです。悪い働きかけをしてしまうのでしょう。「そうは言っても、たまに失敗するんでしょ?」との私の問いに、「いえいえ、もうここまでいい堆肥ができていますので、 それを混ぜればほぼありません。良い作用の方が完全に強いからです」。なるほど!やっぱりそうなのか!自然界(循環)は本当に色々なヒントを教えてくれます。堆肥づくりも、人づくりも、顧客づくりも全く同じ・・・自然界には本質的な例外は無いかもしれません。堆肥づくりのポイントは、良い堆肥の中に放り込むこと、そうすれば勝手に良くなっていく力が働いていく・・・。人づくりのポイントも、良い土壌(=働く環境・働いている人)の中に放り込むこと、そうすれば勝手に育っていく。すべては循環している・・・良い循環に自らを持っていきたいなら、「良い土壌」を見つける必要がある。リーダーがメンバーを育てようと思えば、良い土壌をつくる必要がある。(引用終わり)いや~含蓄のあるお話しです。 よく、悪貨は良貨を駆逐するという言葉がありますが、それを地でいっているお話しですね。 自分が成功したいなら、失敗している人間とではなく、成功している人間とつきあえという話がありますがそれを全く同じです。 こういう話を聞くと、人間も結局、生物なんだなということがわかります。人間も自然に生かされていることを感じます。 そうすると、人間の行き方として、自然に逆らわないということが大切だということになるんでしょうね。
2007年08月30日
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私の出身高校が東北大会に初めて進出しました。結果はまあ恥をかかないで済んだ程度でしたが満足してます。元々レベルの低い県なのでしょうがありませんが、やはり先生の力が大きいですね。確か着任してから3年目くらいだと思いますが大したものです。 吹奏楽で、実力を付けるノウハウがあると思うんですが、その様なノウハウはなかなか表に出てきません。よく、有力校の練習を見に行ったりしますが、見たからすぐ上手くなるわけでもありませんし、なかなか大変です。 今の先生はあと4,5年はいると思うので、さらに実力を付けて、不動の地位を築いてほしいものです。 それにしてもいつも感心するのは黒○尻○高ですね。伝統の力か先生の力かよく分かりませんが、今年も指揮者が変わったのにもかかわらず、きちんと結果を出してきてます。 ここはもう40年位トップクラスの実力を保っています。 その理由が何であるか部外者の私にはよく分かりません。 基礎を築いた方の功績は偉大なものがあると思いますが、それを持続するのは並大抵ではないはずです。 昔オケで何回かその高校の生徒がトラとして来ていましたが、どの生徒も粒ぞろいで、基礎がきちんと出来ていることを思い出しました。 おそらく、基本的な練習の方法が確立しているんでしょうね。 吹奏楽界も栄枯衰勢の世界で、今、一世を風靡している学校でも20年もトップの実力を保っている所などはあまりないと思います。 そう考えると、全国レベルから言うと低いかもしれませんが、なかなかできることではないと思います。 振り返って、私の出身校は歴史だけは古いのですが、大した成績を出したことがない高校でした。 何が悪いかを考えると、多分ひたむきさが無いからではなかったかと思います。 どちらかというと、遊び半分で一生懸命やらないという体質だったと思います。 現在どのような状況か分かりませんが、体質改善が進んでいるとしたら誠に喜ばしいことです。 聴きに行った父兄に聞いたところ、やはり上位の学校とは大きな隔たりがあるようですが、、地道に練習に励んでほしいものです。 また、部員の増加で、練習するところが手狭になっているそうです。OBとして何らかのお手伝いをしなければならないかもしれません。
2007年08月29日
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炭坑のブラスバンドを描いたイギリス映画「ブラス」のDVDを入手しました。確か映画館で見た覚えがあります。その時は病院の病棟の窓の前で演奏するシーンが印象的だったと思います。原題の「Brassed Off」は「うんざりして」という意味で、そこにブラス・バンドの意味を引っかけています。「うんざりして」というのはなかなか意味深長ですねあらためて見るとそれほど心躍る映画ではありませんでした。どちらかというと、炭坑のリストラの厳しさの印象が強く、やりきれない切なさののほうがグサッと心を突き刺します。ブラスバンドの演奏は一世を風靡したグライムソープ・コリアリーバンドで上手いのは確かですが、演奏で魅了しようとする演出ではなく、あまり感銘深い演奏ではありませんでした。殺伐とした風景と、救いようのない結末で、見終わった後苦い思いがこみ上げてくるような後味の余りよく無い映画です。主演のタラ・フィッツジェラルドは美しいです。1967年生まれですからその当時25歳で今年で40歳になります。現代の日本の女性と比べると25歳にしてはかなり老けて見える感じですが、演技は上手いです。現在も英国国内で活躍しているようです。ユアン・マクレガーは1999年の「スター・ウォーズ エピソード1」で大ブレイクするわけですが、その前の時代でまだ素朴さを残しています。画質は思っていたほど悪くはないです。音質はあまりよくありません。1996年の映画で、今見ると結構古くさい感じがします。設定が1992年と15年前ですが、思ったより古くさいと感じるのは何故なんでしょうか。グリムリーの寂れた町並みがそう思わせる原因でしょうか。また、全英ブラスバンド・コンテストでの演奏曲目が「ウイリアム・テル」序曲と現実にはあり得ない設定であることも一因かもしれません。こういう古くなった物は思い切った価格(例えば半額)にしたほうが売れると思うんですが、どんなもんでしょうか。3千円だとなかなか買いにくい価格なことは確かです。
2007年08月28日
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別冊ジャンプで連載されていた野球漫画(1972)の実写映画化。この漫画はリアルタイムで読んでいて、つい数年前も「特盛」という雑誌で復刊されていてこれも楽しんでしました。スポ根物ですが、きばあきおの素朴でほのぼのとした絵と相まって、とても楽しい物語でした。それに、青葉学院との対決は手に汗握るシーンの連続で大変ドラマティックだったことを懐かしく思います。1回の連載で半イニングくらいしか進まず、次回が待ち遠しかったことが懐かしく思い出されます。 キャプテンは墨谷二中の谷口、丸井、イガラシの3人のキャプテンを中心とした物語で、映画では谷口が墨谷二中に入学するところから始まります。映画は漫画のイメージとはちょっと違っていましたが、熱血スポ根物として感動的なシーンもあり、満足しました。 この映画は宇都宮市市政施行110年記念事業だそうで、宇都宮市内でのロケが行われ、市内の中学生がエキストラとして多数出演しています。キャストは3000名のオーディションから選ばれた人達で、中学生の初々しい演技が楽しめます。 ■あらすじ 墨谷二中に転校してきた谷口タカオ(布施紀行)は早速、野球部に入部願いを持っていく。ところがキャプテンは成績が落ちたことを理由に退部してしまう。 入部した谷口は早速練習に合流するが、その練習着を見た2年の丸井(小川拓哉)はそれが全国大会4連覇を目指す青葉学院のユニフォームであることに気がつく。 彼の実力を見ようとバッティングをさせるが、まともな球を「打てません」という谷口の言葉に、こんなへなへな玉は打ちたくないと勘違いしたバッテリーだった。それで、ピッチャーは力んでしまい、デッドボール気味の高めの球を投げてしまう。谷口はよけながらバットを出したところ、球はバットに当たって、打球は校舎の窓硝子を割ってしまう。 その当たりを見たナインは勘違いしてしまい、顧問の先生三咲静香(小林麻央)に谷口をキャプテンに推薦するという。谷口は口べたで満足に受け答えできないため、先生の問いに対し、思わずキャプテンを引き受けると言ってしまう。 実は、彼は青葉学院(原作では青葉中)の野球部といっても控え組のそのまた控えで一年と一緒に球拾いをしていたのだ。 練習試合に4番サードで出場した谷口だが、バッティングはだめ、守備もまるでだめで、守備の穴であることを気づかれ、3塁方向に打球を集められてしまう。 その結果コールド負けを喫し、ナインを裏切ってしまう。 家に帰った谷口は父(筧利夫)と母(宮崎美子)にキャプテンを辞めたいという。試合を見ていた父は「あんな無様な姿をさらしてそのまますごすごと引っ込んで良いのか」、「悔しくないのか」と問いかける。頷いた谷口に対し、父は特訓を命ずる。 谷口工務店の従業員で甲子園に後一歩まで進んだサブ(永井浩介)の指導で夜の特訓を開始する。。。。 ■ほのぼの感は無いが、感動する 主人公のイメージがちょっと違っていましたが、あとは殆ど原作の雰囲気が残っていて楽しめました。特に青葉学院との決勝戦の息詰まる戦いは良かったと思います。最後のクライマックスも良く描けていたと思います。 一部漫画的な表現がありましたが、青春スポーツ物としてだけではなく、努力することの大切さを訴えていてとても楽しめる物語に仕上がっていたと思います。 また、原作にはない「2週間で家を建てる」というエピソードが野球の大会と同時進行し、このメッセージを強調していたと思います。 原作には登場しない、顧問の三咲静香、谷口を指導するサブ(永井浩介) 、写真部の佐々木舞(岩田さゆり)をキャスティングしたことはプラスに作用していると思います。ただ、小林麻央の、野球を何も知らない顧問役はちょっと先生らしくない軽いノリでしたね。 新聞部員は原作では男2人だったと思いますが、映画では一人は女生徒に変わっています。岩田さゆりはとても清々しく、これからの活躍が大いに期待できると思います。 ■はまり役 丸井とイガラシ 主人公の谷口は顔のカタチが細長く、原作のイメージ(四角)とは違っています。また、ちょっと弱々しすぎる感じがします。最初はそう思っていましたが、映画が進むに連れてそれも気にならなくなり、感情移入していました。 丸井は顔の形は丸くこれも原作(おむすび型)とはちょっと違っていますが、そのキャラクターはほぼ原作通りで、多いに笑わせてくれます。 イガラシ(中西健)は原作と殆ど同じ顔で、原作ほどひねくれてはいませんがほぼイメージ通りでした。 原作では父親は通い大工で、母親は家で家事をするといった設定でしたが、映画では時代の設定が現代で、父親も工務店を営んでいるという設定になっています。 そのせいか、父、母のイメージは原作とは少し違っていますが、これはこれで良かったと思います。ご両人とも好演だったと思います。 それから、青葉学院のエースの佐野(河野朝哉)は、原作では背が低く、ひねくれている感じで、映画のようにクールでかっこうよくはありません。それでもイメージは似ていたたと思います。 また、青葉学院の権藤監督(菅田俊)、これは原作にかなり似ていました。原作では名無しの部長で監督の名前が権藤であることは映画の中だけのことだと思います。 (映画の)監督の室賀厚が公式サイトでキャスティングについて語っています。 (以下引用) 登場する少年たちはすべてオーディションによりキャスティングした。プロ、アマ問わず、広く公募した。だがそのオーディションは難航を極めた。 最大の原因は私だった。どうしても原作の一ファンである自分から脱却出来ないのだ。面接会場に原作本を持ち込んでみても、谷口タカオと同じ顔の少年が現れるわけがない。丸井にしてもイガラシしても同じだ。 だが私だけじゃない、オーディションに参加したスタッフのほとんどが同じ症状に見舞われていた。その男が現れるまでは…。 布施紀行。正直、出演者の中で最も演技がヘタクソだ。だがヤツを見た時、そこに居た誰もが「谷口だ」と思った。丸坊主だという以外は漫画のそれと特に似ているわけじゃない。だが、恥じらいながらも必死に演技しようとする姿や、ユニフォームを着て野球に取り組むそのひた向きさは、まさに谷口タカオそのものだった。私の頭の中で漫画が実写となって動き出した瞬間だった。 この布施との出会いが私にとって本当の意味での“実写版「キャプテン」”の幕開けとなったのだ。 さあ主役が決まればこっちのもンだ、あとは楽勝…とは残念ながら行かなかった。丸井、イガラシ、そして佐野と、思い入れのあるキャラが山ほど居るのだ。これだけは言える。今回のオーディションはハンパじゃなく苦しかった。 (引用終わり) やはり、私と同じように思っていたようです。この漫画への思い入れがあるほど、難しい作業だったという感想にはとても共感出来ます。 ■漫画のファンだけでなく現在の野球球児にも楽しめる映画 ということで、私は十分満足でしたし、原作を知らない現役の中学生や高校生でも楽しめると思います。この映画が彼らが原作を読む機会になることを切に望みたいです。 会話は現代風になっていますが違和感はありません。 上映時間が1時間半と少し短く、もう少し見たかったですね。 唯一気になったのは、ユニフォーム提供のSSKのロゴが右胸の所にあったことです。この会社の姿勢が露骨に表れていて、「そこまでやるか」と思ってしまいました。 この調子で、丸井時代、イガラシ時代も映画化されることを希望したいです。公式サイト
2007年08月27日
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恒例のルツェルン音楽祭の去年のライブ映像が出ました。いつもなら米国盤を入手するところで、今回も7月の前半に注文していたのですが、いつまで経っても来ません。、また、送料がバカ高くて結局日本円で4000円ほどと米国盤を買うメリットが全くありません。このため、日本盤を購入し(HMVで3000円以下!)、米国盤は到着した時点で返品しようと思っています。 ところで、この曲ではアバドはスケルツォを第3楽章に配しています。楽譜は1906年にカーント社から出版されましたが、エッセンでの初演時にマーラーが第2楽章と第3楽章を入れ替えたこともあり、都合3種類出版されています。 すなわち、当初のスケルツォ-アンダンテの順で、楽章入れ替えの紙片を挟み込んで出版(第1版・第1稿。マーラーはこの版で初演の練習をした)。次に、内容は変えず初演に合わせてアンダンテ-スケルツォへと楽章を入れ替え(第2版・第1稿)。さらに、第2版の楽章順に加えてその他の変更を盛り込み、とくに第4楽章ではハンマー打撃の3回のうち最後の1回を削除した(第3版・第2稿)(wikipediaより) この演奏では第3版第2稿で演奏されています。個人的には第1稿での演奏を多く聴いているので、ちょっと違和感があります。また、終楽章の最後のフォルテシモのあとのティンパニの16分音符2個が極端にテンポが遅くはっきりと区切られて演奏されていましたが違和感がありました。 首席クラスでメンバーの変更は殆どないと思います。オーボエがベルリン・フィルのアルブレヒト・マイヤーからバンベルク響のカイ・フレムゲンに変わっています。そうそうたるメンバーですから悪くはないですが、ハットするようなフレーズは聴かれなかったよう思います。 第2楽章のアンダンテでのアレグリーニのホルンソロに期待してたのですが、可もなく不可もない出来で不満が残りました。ここでは通り一遍に吹いてもなかなか味が出てこないんですね。難しいものです。 日本人はマーラー室内管の吉田瑞穂(ob)と吉野直子(harp)の常連のお二人が出ていました。 演奏の特徴は以前にもましてしなやかになった音楽でしょうか。第7番までの3曲だと全体的には満足しても細部であれ?という部分があったものですが、この曲ではそんなところは最後のティンパニを除いて殆どなかったと思います。 相変わらず低弦のうなりをあげて鳴り響く様は圧巻です。また今回は2楽章の高弦の美しさにも目を見張りました。管も満足できる出来ですが、金管はもう少し鳴らしても良かったかと思います。いつも気になる木管の水平吹き、どういう効果があるか知りたいです。個人的には効果があるとは全く思えません。 アバドのマーラーに対するアプローチで特徴的な歌謡性の強調は、第1楽章で本領を発揮していました。「アルマの主題」の雄弁なことは目を見張るようです。それが粘らないところが優れている点だと思います。 早めのテンポのスケルツォはかなり楽天的に聞こえます。第2主題の諧謔的なフレーズはその分楽しそうに聞こえます。しかし、マーラー特有のグロテスクさが陰を潜めているような感じがします。 第4楽章は解釈として「悲劇性」がことさら強調されているわけでもありません。解釈によっては強烈なカタストローフをもたらすことが出来るので、個人的にはいささか不満です。ハンマーは大きな木槌で、板張りの箱を撃っていましたが、箱を固定していないためか、効果が削がれている気がします。 この楽章では、全体にテンポもゆったり目で、推進力が不足しているように感じられる部分があります。 アバドは前に比べて少し肉が付いてきたようで、顔にも精気が漲っていたと思いました。終わった後の疲労しきった顔から精気を戻すまでの30秒ほどの静寂も印象的です。 今年は8月18日に第3番が演奏されたはずで、これも遠からずDVDが出てくると思います。アバドの得意な曲目だけに期待できると思います。ただ気になるのは音楽の表情があっさりとしてきているため、最終楽章がどのように描かれるか期待半分、不安半分の心境です。 映像は相変わらず鮮明で、アングルの切り替えなども申し分ありません。付録にピクチャー・ギャラリーとしてリハーサル風景の写真を見ることが出来ます。しかし枚数が少なく本当におまけという感じで、どうせならリハーサル風景を1楽章分入れてもらったほうがどんなにか楽しめたかと思ってしまいました。 ということで、演奏水準は極めて高いのですが、7番のように全面的に賛同出来るところまではいきませんでした。実演だと文句無しと感じるんでしょうが、CDやDVDだとどうしても分析的に聞いてしまうため、満足できる面よりも不満のほうが表にたってしまうことは否めません。純粋に演奏楽しめればと思うんですが、まだそこまでの境地に至っていないということなんでしょう。まだまだ修行が足りませんね。(^^;Gustav Mahler:Symphony No.6 in A minor(Geneon GNBC-1025)1.1st Movement Allegro energico,ma non troppo2.2nd Movement Andante moderato3.3rd Movement Scherzo4.4th Movement Finale,Allegro moderatoLucerne Festival PrchestraClaudio Abbado,conductorrecorded live st the Concert Hall of the Culture and Convention Centre Lucerne,10 August 2006
2007年08月26日
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最新号の日経エレクトロニクスに耳より?な話が載っています。何と容積が同じでも低音が2倍出るスピーカーだとか。その秘密は多孔性カーボン素材を中に詰めることにありました。(以下引用) 松下電器産業は,低音の音量を最大2倍に引き上げられるスピーカー技術を開発した(発表資料)。この技術を使えば,従来と同じ容積のスピーカーであれば音質を高めることが可能である。従来と同等の音質で構わなければ,スピーカーの容積を減らして小型化できる。AV機器などの据え置き型の機器だけでなく,携帯電話機や携帯型音楽プレーヤーといった小型機器にも適用できるとする。 今回のスピーカー技術は,「多孔性カーボン素材」と呼ぶ材料を,スピーカーのキャビネット内部に配置するというもの。ナノ・スケールの細孔を備えた多孔性カーボン素材が空気中の分子を吸着・脱離する性質を利用し,キャビネット内部の空気圧変化を抑える。低音再生時にスピーカーの振動板は前後に大きく動くことになるが,キャビネット内部の空気圧が一時的に高まる。この空気圧の上昇はキャビネット内部の容積が小さくなるほど顕著になり,それにつれて振動板の動きが妨げられるようになる。結果として,音量を稼げなくなってしまう。多孔性カーボン素材を使うと,空気中の分子を吸着することで空気圧の上昇を抑えられるので,振動板は良好に動作する。この効果によって,家庭用AV機器に使うスピーカーであれば80Hz程度,携帯電話機に使うスピーカーであれば 800Hz程度の低音を再生したときに,音量は最大2倍になったとする。 (引用終わり) 出典:Tech On! 確かに小型化には威力を発揮すると思いますが、私のようなオーディオフリークにとっては、低音が2倍出ることに魅力を感じます。要するに、ノウハウはあるにしても多孔性カーボン素材なるものをスピーカーの中に入れればいいだけですから。。。 この素材が売り出されて欲しいですが松下からは出ないでしょう。どこかのメーカーが出せばヒットすること間違いないでしょう。ただ、特許があるので、出すのが難しい可能性はあります。 たとえば全然違う用途で特許をとって売り出せば、風の噂でマニアに伝わりオーディオに使われるということも可能性としてはあります。何しろかの有名なインシュレーターで大活躍しているブチルゴムのもともとの用途は、「気体透通性が小さいのでタイヤのインナーチューブが最大の用途」(電気史偉人典より http://www.ijinten.com/contents/yougo/butiru.htm)だそうですから、思いも寄らなかったわけです。 ただ、「衝撃吸収性・エネルギー吸収性に優れる」という特徴がありますから、インシュレーターの素材を探していたオーディオ研究者(確かオーディオ評論家の金子英男氏)が、その特徴を手がかりにブチルゴムに出会ったと言うべきでしょうか。 閑話休題 もっとも、空気圧を一定にする技術というのは世の中には一杯あるわけですからその応用でも良いですね。例えば圧力逃がし弁みたいな物ではどうでしょうか。 ナノ加工技術は素人には手に負えませんが、その他の技術なら素人でも発明可能だと思います。どうですか、発明で一山当てては????
2007年08月25日
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この前、食事をしていて、高校生の息子が先に食事を終わりました。テーブルを見ると、トマトの皮が残っています。何故残すんだと聞くと、「いらないから」という返事が返ってきます。「いらないからとは何だ!」と気色ばんで言うと、同じことを繰り返します。「残すな!」といっても同じです。そのうち「訳分からない」とつぶやいています。こちらも全く理解不能です。嫌いだから残すというのならまだ分かります。嫌いでなく、いらないから残すというのは私には全く理解できません。残して誰か食べるとでも思っているんでしょうか?昔から物は残すなと言い続けてきたのにこの有様です。おまけに最近は「魚はおかずにならない!」とほざいています。全くどうしようもないです。その影響をまともに受けているのは母親です。毎日怒られてばかりでどちらが親か分からなくなります。下の子供に「トマトの皮がいらなかったら残すか」と聞いたらば、「皮好きだから残さない」という答えで参考になりません。どうにも分からないのですが、最近の子供ってみんなこんな感じなんでしょうか。これが理解できる方がいらっしゃいましたなら是非ご一報下さい。
2007年08月24日
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ヒット商品を良く出す小林製薬のヒットの仕組みに関するお話しが、「日経MJにみるマーケティングの戦略・戦術」1165号に載っていました。(以下引用) 今日は、「お客様相談室」に寄せられる苦情を分析して新商品開発に生かしている小林製薬に関する記事です。 「お客様相談室」は相談員25人と、寄せられた苦情や意見を調査する情報分析員9人で構成する。情報分析員のうち4人がマーケティングと研究開発出身の社員。4人は深堀りして調べる価値があると判断した顧客の声はインターネットや旧知の広告代理店を頼りに市場調査し、背景にある需要を予測する。昨年10月に発売した就寝時用の「のどぬ~る ぬれマスク」の場合、きっかけは「乾燥と戦っている。のどの痛みを何とかしてほしい」という1人の顧客の要望だった。ぬれマスクは発売から半年で11億円を売り上げる人気商品となった。商品開発には、決まったやり方はありません。中小零細企業のほとんどは、社長の「これはいけそうだ」という勘で開発を決定します。(中略)顧客の苦情から新商品を生み出す「苦情法」もその1つ。多くの経営者は苦情は宝の山だと認識しています。しかし・・・実際に生かせているところは少ないでしょう。通常は、1つ1つの苦情に対応するだけで精一杯、となってしまうのです。新しいものを生み出すところまでいきません。データベースとして整理しても、「見るだけ」で終わりがち。それを一歩進めて、商品開発までの道筋を仕組みにしたのが小林製薬です。まず、専任担当者である情報分析員を9人、お客様相談室に配置しました。彼らは寄せられた苦情や意見を丹念に読み込みます。苦情が宝の山といっても「年間5万件」もの量があり、どれに着眼するか決めるには、かなり高いレベルの選球眼(野球に例えれば)が必要となるでしょう。人気商品「のどぬ~る ぬれマスク」は、たった1人の顧客の要望から生まれたとのこと。5万分の1にピンと来る力は並ではありません。情報分析員の方々の質の高さがわかります。そして、同社の場合、・年4回開かれる社長出席の新商品アイデア会議で提案・年間2商品のペースで新商品を生み出すというふうに、制度化しています。だからこそ、宝の山から実利を得ることができているのです。(引用終わり)お客様相談室に情報分析員を配置したというのは仰天人事ですね。当然苦情は分析していたと思いますが、離れた場所で情報を分析するのと顧客の生の声が伝わって来る環境では、話の鮮度が違います。また、情報分析員が情報収集の現場の最前線に配属されたということで、いわば退路を断たれたわけで、必至にならざるを得なかったのではないでしょうか。マーケティングの人間はプライドが高いですから、抵抗もかなりあったと思います。しかし、それを乗り越えて実行したところが、大したものだと思います。 また、新商品の提案が定期的に行われるように制度化しているというところも強みです。ただ、時期が来たら必ず出さなければならないので、やらされる方は大変なプレッシャーだと思います。 それにシステム化しても最後は個人の嗅覚がモノをいうというのも、データーだけでヒット商品を生み出せるわけではないということを物語っていて、とても興味がありました。 小林製薬のホームページには「あったらいいなをカタチにする」というキャッチコピーが表示されています。この会社の姿勢を示す良いキャッチコピーだと思います。「ぬれマスク」はその典型的な例と言って良いでしょう。
2007年08月23日
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甲子園の高校野球も佐賀北の劇的な逆転満塁ホームランで幕を閉じました。ところがその佐賀北(佐賀)と引き分け再試合を行った三重の宇治山田商業の野球部応援団が、県大会決勝まで続けてきた学ランと「日の丸」の鉢巻き姿での応援を甲子園で“封印”していたそうです。 産経関西の報道によると、 『「戦争を想起させる学ランは不適切」との投書がきっかけで、県高野連と同校が協議し、急遽トレーナー姿での応援に変更した。同校では「大会中に終戦記念日もあるため配慮した」としているが、OBなどからは「過剰反応なのでは…」と反発の声も上がっている。 関係者によると、同校は7月の三重県大会決勝まで、応援団の男子生徒ら11人が黒い詰め襟学ランに、「必勝」と書かれた日の丸鉢巻き姿で応援。このスタイルは昭和53年の第60回選手権大会で甲子園に初出場したときから続けてきたもので、同校の普段の制服も詰め襟という。 ところが、今年の県大会決勝後、「学ランはもともと海軍の軍服。高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ」などと指摘した投書が県内の別の高校に届き、県教委が同校に連絡。 同校と県高野連が協議し、県高野連が「やめておいた方がいいのでは」と助言し、同校も白地に校名の入ったトレーナー姿に改めるとともに、日の丸の鉢巻きも取りやめることを決めたという。 同校の教諭は「私自身もOBで、学ランで甲子園に来た思い出があるので名残惜しいが、大会期間中に終戦記念日もあり、繊細な問題なので断念した」。鈴木光一校長(57)は「私自身が直接指示したわけではないが、熱中症の心配もあり取りやめた方がいいと以前から思っていた。高野連からは、あくまでアドバイスをいただいたと思っている」。 一方、柴原高雄・三重県高野連理事長は「甲子園出場前に学校と協議の場を設けたのは事実。ただ応援の仕方を説明する中で、『暑いのでやめた方がいい』と話しただけ」。高校野球大会本部は「学校が個別に判断すべき事柄なのでコメントできないが、高野連から指示を出したことはない」としている。 こうしたチグハグな対応について、同校の応援団やチアリーダーらは「学校側からは戦争をイメージするたからダメだと言われただけ。学ランで汗をかくことで、グラウンドの選手と一体になれたのに…」。スタンドに来ていたOBの男性会社員(37)も「学生服として定着しているのに、今さら戦争の話を持ち出すのはおかしい」と学校側の“過剰反応”に首をかしげる。 一方、学ラン姿の応援を続ける今夏の甲子園出場校の一つ、今治西(愛媛)の応援団顧問、青木孝之さん(39)は「わが校は代々引き継いでいる制服なので違和感はなく、今後も変更するつもりはない。宇治山田商は少し気にしすぎなのでは」と話していた。』 全くあきれてものも言えません。この三重県高野連理事長は頭おかしいのではないですか。過剰反応としか言えません。昔から詰め襟での応援は普通で、クレームがあったなんて聞いたこともありません。 だいたい、「高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ」という投書自体狂っています。高校野球だけではなく詰め襟で高校の授業を受けているわけで、この投書の伝で行けば、「神聖な高校の授業を戦争を思い出させる服装で受けさせるなんて何事か!」と言うことになります。 この投書は何かのいやがれせの様に思いますが、それに反応する高野連、それを受け入れる高校、みんなどうかしています。それを産経関西以外のメディアが報じないのも薄ら寒い感じがします。 しかし、気になることがあります。産経関西の記事が削除されていますし、2チャンネルには以前出場したときも応援団はトレーナーだったと言う発言が載っており、もしかしたらこれはガセネタ?かもしれません。
2007年08月22日
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こうの史代の漫画の映画化です。原作を読もうと思って入手できなかったことがあり、結局今まで読んでいませんでした。「わしズム」に何回か寄稿されていますが、個人的にはあまり好きな漫画家ではありません。絵に魅力が無いのが最大の原因だと思います。物語は、広島で原爆にあった平野家5人のその後を描く「夕凪の国」と、疎開で生き残った末っ子石川旭が姉皆実の50年忌に姉の知り合いを尋ねて歩くその姿を追う旭の娘七波を描く「桜の国」の2部に別れています。■あらすじ昭和33年広島。母親フジミ(藤村志保)と二人暮らしの平野皆実(麻生久美子)は建築設計の会社に勤めるOL。皆実は同僚の打越(吉沢悠)とお互いに憎からず思っている。平野家は原爆で父と妹の碧を失っている。末っ子の旭は水戸の親戚のうちに疎開していて難を逃れる。 母親は縫い物をし生計を助けているが、家計は苦しく、皆実は靴が減らないように通勤の途中で裸足で帰るのが常だった。 そのうち、皆実の体にも原爆症の影響が出始め、会社も休みがちになる。心配して家を訪問する打越は結婚を申し込むが、皆実は死んだ妹のことを話し、自分は幸せになってはいけないという。。。。 時は経って平成の時代。石川旭の娘七波は、定年になった父が時々ふらっといなくなることを気にしていた。ある日、晩ご飯を済ませて父がふらっと自転車でいなくなる。それを見た七波は父の後を追ってしまう。 駅に向かった父を追っていた七波は、偶然小学校の時の友達の東子(中越典子)と出会う。話をしているうちに、父は広島行きの高速バスに乗り込む。あわててそれを追う、七波と東子。。。 ■ひたすら暗い夕凪の街 前半は原爆様子を描いた絵画(多分原爆の図)や、当時の被爆者の写真などが撮されています。また、風呂屋の場面では、腕や背中にケロイドを持った女性達が入浴する場面が登場します。このように生々しい場面が出ますが、今まで描かれてきた原爆関連映画とそう違いはないと思います。 皆実と中越の恋もありふれています。ちょっと変わっているのは、皆実が靴がもったいないので、帰り道、途中から裸足で帰ることぐらいです。 主人公が不幸な運命に対して明るくひたむきに生きていくのであれば共感のしようもあります。ところが、麻生久美子は全体的に暗い雰囲気で、本来明るい場面なのに、彼女が出てくると暗くなってしまいます。 皆実が裸足で川沿いを歩くシーンはこの映画でもっとも美しいシーンになるはずでしたが、どうにも暗くてあまり印象に残りませんでした。 ■特異な設定で楽しませる桜の国 父が姉の50回忌で広島に出向いて、縁の人達と会う。これだけでは月並みですが、そこに娘とその友達が後を付けるという意表を突いた設定が面白いです。 お墓参りに行く場面での、七夕みたいな色々な飾りは美しかったです。広島地方の風習でしょうか。 ■田中麗奈がいい 桜の国に登場する田中麗奈がその中性的な魅力を存分に発揮していてとても良いです。その友達の中越典子は訳ありの女性をなかなか上手く演じていたと思います。それから、堺正章の父親も飄々としていい味出していました。父親の青年時代を演じた伊崎克則も、好青年ぶりを発揮してとても清々しい演技でした。勿論、フジミ役の藤村志保の控えめな演技も脇を引き締めていました。 ■あまり胸に迫らなかった映画 終わったあと泣いている人もいましたが、私は残念ながら泣けませんでした。期待が大きすぎたのかもしれません。何しろ「半落ち」の佐々部清監督でしたから。。。 そう言えば、日曜日に佐々部監督の「出口のない海」をやっていました。ちらちら見ていたためか、あまり感動しませんでした。私の感性が衰えたのでしょうか。公式サイト
2007年08月21日
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日本が鎖国をするという奇怪な設定の未来物。「3Dライブアニメ」という最新技法を駆使した映像と仰天のストーリー展開で見るものをあっとさせます。風景は実写と同じ写実的な場合と、いかにもアニメ風といった場面を描きわけ、人物も体は実物そっくりで、何故か顔だけが平板なアニメと描き分けています。意図はよく分かりませんが、実写に限りなく近くすると、実写で撮った方がいいということになり、そのさじ加減が絶妙で、終わったあとで納得してしまいました。 CGはこの前見た「トランスフォーマー」とほぼ互角と言っていいでしょう。特に金属のゴミの固まりが回転する「ジャグ」のディーテイルなどはトランスフォーマーの変身する場面と同じ水準といっていいと思います。■あらすじ 21世紀初頭。バイテクノロジーとロボット産業で圧倒的な技術力で世界を席巻する日本。ところが色々な危険性が指摘され、国連は厳格な規制をする事を決める。これを嫌った日本は国連から脱退し、外部からの情報のみならず、外部からその姿を見ることが出来なくする完全な鎖国を始める。 2077年完全な鎖国から10年たち、アメリカでは不振な動きが発生する。米国特殊部隊SWORDはこの動きをキャッチし、ある屋敷に突入する。そこでは斉藤という男が要人を集めて集団殺戮を行った後だった。SWORDと斉藤は凄まじい銃撃戦を繰り広げる。館に隠されたヘリコプターが斉藤を救出するが、ベクシルは斉藤の足に必至にしがみつく。そうすると斉藤は何を思ったか自分の右足をナイフで切り落としてしまう。右足と共に落下するベクシル。 SWORDは切り落とされた右足を調べるが、人間ではないことが明かとなる。このような高度な技術は日本以外の国にはないことも分かる。 SWORDは鎖国を続ける日本へ潜入し、電磁バリアを破るべく情報を収集する事を目的にベクシル、レオン達3人を日本に潜入させる。 ベクシル達は潜入に失敗し、戦闘の結果一人は亡くなり、レオンとベクシルは別々に捕らえられる。ベクシルが見た光景は驚くべき物であった。■圧倒的な迫力のCG 大和重工とSWORDの戦いで出てくる戦闘用のロボット達は、どこかで見たような昆虫のような形をしています。あれは、「スター・ウォーズ」エピソード1で出てくるロボット達とそっくりです。 ベクシルの見た光景は、何やら終戦直後の露天の並ぶ日本の光景を思わせるもので、どうもハイテクと全然つながりませんでした。この場面は2Dのアニメで、高度に発達したロボット達の描写とのコントラストが感じられました。 それから、ジャグと呼ばれる、完全にミュータント化が終了し生命を断たれたミュータント達が合体したモンスターが不気味です。ミュータントの残骸が中空(中が空になっている)の筒を形成していて絶えず回転しています。それが地中や空中に出現し、周りの物を吸い取ってしまうという化け物で、精密に描かれれば描かれるほど不気味さを増す仕掛けになっています。 マリアの仲間がこのジャグを銛で仕留める遊びをするシーンもスケールが大きいです。 とにかく、日本映画でこれほどのスケールの大きさを感じたことはありませんでした。これだけでも称賛に値する出来だと思います。従来の日本映画だとどこかに必ず予算不足を露呈するシーンが必ずといっていいほどあるものですが、この映画ではその気配すら感じさせません。 ■手に汗握るクライマックス マリヤ達がワイヤーを大和重工の島に入れるために、島と陸を結ぶ3本の海底通路が切り離されてゲートの開閉が蓄電池になって、開閉時間が1.5倍になった時を狙って突入するシーンは手に汗握るシーンでした。見ているうちに、「スター・ウォーズ」エピソード4のルーク・スカイウォーカーが敵の攻撃をかいくぐって排気口からデス・スター中心部に爆弾を投下するときの興奮が蘇って来ました。この場面は5つ?あるゲート通って島にたどり着くことが必要で、ここでの興奮度は最高潮に達します。■声優達がいい 主人公SWORDのベクシル・サラ(黒木メイサ)をはじめ、マリヤ役の松雪泰子、レオン・フェイデン役の谷原章介など役にすっかりはまっていました。特に松雪のマリヤは説得力がありましたね。 ■錚々たるメンバーによる映像にベストフィットした音楽 ポール・オークンフィールドのスコアとプロディジー、アンダーワールド、エイジアン・ダブ・ファウンデーションなどダンスミュージック界のスターが参加した音楽は、ヒップホップからブルガリアンコーラス?まで幅広いジャンルの音楽を使い映像とベストフィットしていたと思います。個人的にはタケシの飼っている金魚が死んで埋葬された時のブルガリアンコーラスが良かったと思います。 ちなみに、このサントラは邦画で初めて世界リリースが決まったそうです。この出来なら頷けるところです。 ■邦画アニメとして画期的な作品 ということで、この作品世の中では賛否両論があるようですが、個人的には曽利監督がプロデュースした「アップルシード」を超えていると思います。 しかし、大和重工は実在していますのでちょっとまずい感じがします。もっとも実在している大和重工は鋳物やホーローバス、パターなどを作っているところなので、本業に影響どころかいい宣伝になると思っているかもしれません。 公式サイト
2007年08月20日
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今年の夏休みは、お墓参りに2回、そしてキャンプに行ってきました。ふだんの墓参りは、妻の実家だけなのですが、今年は母の体調が優れず母方の実家にも行ってきました。このところご無沙汰していたので、良い機会だったと思います。細木数子流に言うと罰が当たる所でした。(^^; 前に母に聞いていたのですが、伯父が家を改装して、16畳の寝室件リスニングルームを作っていました。広々として何となく気持ちの良い部屋でした。防音を考慮していて、かかった金額も半端ではなかったようです。音は聞かせてもらえませんでしたが、なかなかに期待できそうでした。しかし、スピーカーを置いているのが金属の板で作ったL字アングル!を組み合わせたもの。これではせっかくの部屋が泣いてしまいます。 2回もお墓参りに行ったので、酒を飲み過ぎて少々体調が悪いです。このため、母親にしっかりと叱られてしまいました。 申し込むのが遅く、取れたのが金曜日になってしまったキャンプ。金曜日に1泊してきました。行ったのは陸前高田のモビリアという以前行って良かったオートキャンプ場。お盆休み後半にもかかわらず、満杯に近い状態。 あいにくの雨で合羽を着てのキャンプ設営で四苦八苦。何回やってもスムーズにいきません。今回も、大きな石が2つもあり、テントとタープの設営に手間取ってしまいました。 近くの黒崎仙峡温泉という、海岸に建っている温泉に行こうと思ったのですが、あいにく臨時休業でお休み。海まで数十メートルと至近距離で、湯船から海が見える温泉なので是非は入りたかったのですが残念です。次回は絶対行くぞ!津波の影響か、近くの海水浴場にも人影は見あたらず、そのまま戻りました。 結局、キャンプ場の風呂を使い、夜は5時ころから夕食に突入。近くのスーパーで買ってきた新鮮なサシミの盛り合わせと焼き肉とビール。仕上げにご飯にスープを入れておじや。妻と二人だったので少し食べ物が残ってしまいました。片付け後、本を読んでいるうちに寝てしまいました。前日の暑さは影を潜め、肌寒いほどでした。 次の朝は鳥の声がうるさかったのですが、起きたのは7時。8時頃寝たので結局12時間近く寝てしまいました。 朝早い時間からカラスが近くで鳴いていました。鳴き止んだかと思ったら、次々に違う鳥が鳴き、自然が豊富なことに気がつきました。そう言えば、昨日テントサイトを見つけるためにキャンプ場内をゆっくりと車を運転していたら、目の前を鳶が通り過ぎたことを思い出しました。 朝は曇りながら雨も上がり、片付けは比較的スムーズに行きました。帰りに、お土産を買って帰宅。練習から帰ってきた子供と昼食を摂って、また2時頃から寝てしまいました。 本当は3時からステラミーゴ岩手花巻のプレシーズンマッチがあるので出かけようと思っていたのですが、疲れたためやめてしまいました。10月から本番が始まりますので、是非行きたいと思います。 休みも残すところ1日。今回も充実した休みとは言えませんでした。猛暑のためだけではなく、もう少し充実した休みにしなければなりませんね。いつも後悔ばかりで、自己嫌悪に陥ります。
2007年08月19日
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デポール大学ウインド・アンサンブルの珍しい作品を集めた最新作。この中で名前を知っている作曲家はデュボア、サリナッハくらいでしたが、なかなか面白い曲が多く、聞くほどに曲の魅力を感じさせるアルバムで存在価値は大変高いと思います。 最初はピエール・マックス・デュボワ(1930-95)の1分足らずのファンファーレを3つ集めた作品。金管にティンパニが加わった編成で新古典主義らしい明晰な音楽。高音中心の音楽で、演奏の難易度は高いですが、平易な曲なので、演奏される機会が多くあっても良いと思います。 2曲目は、ベルギー出身のマルコ・プッツの「クラリネットとウインド・アンサンブルのための協奏曲」。この曲はこのアルバムの演奏者であるデロシェとデポール・ウインド・アンサンブルによる委嘱作品。 シンフォニックでスケールの大きい1楽章はどこかスパークを思わせます。ドビュッシーの「シランクス」に似た主題を持ち、夜の静けさが支配する第2楽章はクラリネットの無伴奏ソロを前後に配されます。中間部はショスタコービッチのイニシャルDSCHの音を含むフガート風のコラールが金管により強奏されます。ソロの後半にフルート(前半)やサックス(後半)が絡みます。 第2楽章の最後のラプソディックな旋律を引き継いで、切れ目なく続く3楽章は幾分速いテンポの楽章で、パレード風なウイットとユーモラスな部分もありなかなか面白い楽章です。 デポール音大助教授のジュリー・デロシェの演奏は上から下までムラのない音と滑らかなレガート、発音のはっきりとした切れの良いスタカートと技術的に申し分ありません。曲の特徴も的確に表現されていたと思います。 スペインの作曲家カルロス・サリナッハ(1915-1997)の「Soleriana」は1967年~1967年にアメリカのカーネギー・メロン大学に招聘された時期の作品です。「Soleriana」はアントニオ・ソレルの代表作「チェンバロのためのファンダンゴ」を基にした序奏と7つの変奏曲からなる曲です。スペイン情緒満点ですが、主題に魅力がなく、変奏も平板で驚きに乏しい音楽。 ジョージ・パール(1915-)は音楽学、特にアルバン・ベルクの研究で有名です。作曲では、「フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットのための管楽五重奏曲第4番」で1986年にピューリッツアー賞を受賞しています。「ヴィオラと室内管弦楽のための協奏曲」は古くからの音楽形式「セレナード」の本来の意味に近い「夜の音楽」としての性格がかなり強い作品です。ヴィオラという珍しい楽器を独奏とし、協奏曲としてソロと伴奏が対峙する形式ではなく、ソロにバックが頻繁に楽器を替えながら絡みつくといった趣です。 全体にクールな雰囲気が漂うなかなか洒落た作品です。バックはマスとして鳴らされるのではなく、個々の楽器として独立して扱われます。打楽器の使い方が上手く、曲に効果的なアクセントが付いています。ベルク研究家のせいか、ベルクの響きがそこかしこから聞こえてきます。管は2管編成で弦の音は聞こえません。イスラエル出身のラミ・ソロモノフの独奏ヴィオラは勿論、バックの個々の奏者の技量も大変高いです。 ブラス・エミリオ・アテオルトゥアは1943年コロンビアで生まれた作曲家で、オーケストラから独奏曲、映画音楽までかなりの多作家です。この「コラールと幻想的なオスティナート」1988年に作曲された作品で、4つの部分に分かれています。 ファゴットとバスクラリネットのリズミックなオスティナート(3+2+2+3)にパーカッションが加わるエキゾチックな第1部。木管のクラスターにチャイムの音が響き、木管の不気味なオスティナートにEsクラとトランペットの対話が続く第2部、ローブラスの勇壮なコラールとメシアン風の旋律が印象的な第3部、そして第1部のモチーフの変形(2+3+4)がホルンを主体としてダイナミックに展開される第4部と約6分に色々な要素が凝縮されています。 聞いたことのない曲ばかりでしたが、さすがにデポール大ウインド・アンサンブルのCDで、殆どの曲に聴きどころがありとても楽しめます。従来の吹奏楽曲を聞き飽きた方、知らない曲を聴きことに興味がある方には是非お薦めしたいと思います。演奏も申し分ありません。Depaul Wind Ensemble:OSTINATO FANTASTICO(Albany TROY889)1.Pierre Max Dubois:Trois Preludes en Fanfare(1965)2.Marco Putz:Concerto for B Flat Clarinet & Wind Ensemble(2004) 3.Carlos Surinach:Soleriana(1972)4.George Perle:Serenade No. 1 for Viola & Chamber Orchestra(1962) 5.Blas Atehortua:Ostinato Fantastico(1988)Julie DeRoche (clarinet) on 2Rami Solomonow (viola) on 4Depaul Wind EnsembleDonald Deroche(cond)Recorded in The Temple Concert Hall Between Jan.2004 and Jun. 2006
2007年08月18日
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本日の「台湾の声」に本日発売の「中国の黒いワナ(別冊宝島)(ムック)」に上記のリストが掲載されているという記事が掲載されています。 これを見ると媚中派の河野洋平初めそうそうたるメンバーが名を連ねています。ところが、小泉元首相、麻生外務大臣など無視できない名前も載っていてショックでした。 自民党から共産党、国民新党まで満遍なく名を連ねています。小澤一郎の名前もあります。 ところで、河野洋平は日本国際貿易促進協会の会長であり、日本メーカーの中国への売り込みを担っているわけですから仕方ありませんが、他の国会議員達の参加理由を聞いてみたいものです。 私の信頼する安倍首相、西村真吾、稲田朋美、山田一太代議士らの名前はなくほっとしています。この名簿を見ていると、二階、野田などの媚中派だけでなく、日頃の言動と行動が違う人物も大勢入っています。今後、この名簿に載っている人物は要注意人物としてマークしなければならないと思います。 最近とみに報道されている、地上げ、違法な食品工場の操業禁止、公害を減らすために、開催中は自家用車の運転禁止など、中国は躍起となっています。オリンピックをさせるために懸命に取り繕っているのを見るとある意味痛ましいほどです。 また、アメリカではダルフールの虐殺に抗議して北京オリンピックをボイコットしようと言う運動が起きてきます。 しかし、すでに莫大なお金をつぎ込んだ西側のスポンサーがたくさんいるので、モスクワ五輪のようなことにはならないと思います。しかし、国会議員たる者がこのことに鈍感であってはいけないと思います。 現在、実際に参加する選手達はぎりぎりまで北京入りを伸ばすという話が聞かれます。選手達の健康、特に野外で競技を行う選手達、就中マラソン選手達の健康には対する影響はとても心配です。 北京オリンピックでは世界新記録は出ないだろうと予測する意見も出ています。日本として、ボイコットしないまでも、要求すべきことは要求し、派遣は選手の健康第一で考えて欲しいものです。 ある意味、今中国は日本の言い分はすべて聞かざるを得ない状況にあります。今のうち、こちらから要求したいこと、例えば中国の遺棄化学兵器の付帯費用など、減らせるところは減らす要求をするべきだと思います。
2007年08月16日
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妻の実家の墓参りに行ったついでに、岩手県立美術館で開催されている「レイモン・サヴィニャック展」を見てきました。今年はサヴィニャック(1907-2002)の生誕100年にあたりそれを記念した展覧会です。私は全くこの方の作品は見たことがなく、子供が珍しく見に行こうと言うのでお供をしました。サントリーミュージアム[天保山]所蔵の百点あまりの作品が展示されていましたが、とても楽しくあっという間に時間が過ぎていきました。オフセットとリトグラフの二つの技法で作られており、デザインはコミック調です。私がもっとも気に入ったのは、「ポスター美術館でのサヴィニャック展」(Savignac au Musee de L'Affiche 1982)。サヴィニャックが鳥になって筆に止まっています。その小難しい顔が笑えます。全体的には、初期は可愛い絵柄で、次第にユーモア溢れる画風に変化します。晩年は広告代理店の台頭により、個人で制作するのではなく、チームで制作することが多くなります。そのため、サヴィニャックに来る仕事は激減します。その雌伏の時期に、同じく左前だったシトロエンと組んだ仕事は両者の起死回生となる決定的な仕事となりました。特に「シトロエン前へ!」(En avant Citroen)という作品はシトロエンのダブルピラミッドを使った力強い作品です。その当時作られたCITROEN CX PRESTIGEも展示されていました。また、晩年はそれまで避けていた政治的なポスターも数多く作っています。しかし個人的には、あまり彼の作風にはあっていると思いませんでした。 日本のメーカーのポスターも2点展示されていました。一つはマツダランプ(東芝の電球の商標)、もう一つはサントリーでした。これらは出来としてはあまり良くない部類にはいるでしょうか。 彼が晩年を過ごしたフランス北部、ノルマンディーのトゥルーヴィルで制作されたポスターはほのぼのとした味わいがあってとても好ましいものでした。特に、トゥルービルの観光ポスターが印象に残りました。「赤いビキニの女性が砂浜で膝を立てて寝そべっていてます。その膝の上にカモメが乗って「トゥルーヴィル」とつぶやいています。遠くにはヨットが青い海に浮かんでいる」という、そこの情景が浮かんで来るような絵です。とても簡単な線で描かれていますが、見るものに強烈な印象を残します。女性の肌が薄汚れて見えますが実物はもっと薄いクリーム色です。 ショップで関連書籍を買おうとしたのですが、売り切れが1点。その他書籍が何冊かありましたが、6千円~1万円位しているため断念してしまいました。品切れと思しき本がamazonで売っていましたので買おうと思います。それでも2千9百円ですからちょっと高めです。 ということで、美術に関心のある方は勿論関心のない方にも是非ご覧になっていただきたい展覧会です。9月24日まで開催されています。 レイモン・サヴィニャック展 8月15日 岩手県立美術館2005年に行われたサントリーミュージアムでのサヴィニャック展が構成などほとんど同じようですので参考になると思います。
2007年08月15日
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■エイベックス移籍第1弾 トルベール・クヮルテットの新作です。最近コンサートで取り上げられた曲で構成されています。最後にアンコールで取り上げられている「日本の歌」がア・カペラで歌われます。 サックス4重奏が2曲、ピアノを加えた5重奏が4曲、それにア・カペラが1曲という構成です。アレンジ物では良く知られた曲を巧みに繋いだ構成のうまさが光ります。また、トルベール・クワルテットの優れた技巧も発揮されていて、とてもスリリングな編曲です。ただ、同一の趣向と構成、ほぼ同一の編曲者による曲のせいか、聞き続けていると飽きてきます。いわばごちそうを食べ続けると飽きてくることと同じ現象ですね。技巧を凝らした編曲だけではなく、原曲の美しさをダイレクトに表した編曲があっても良かったかなと思います。それに、ムードが一定で、そこいら辺の配慮も欲しかったと思います。■ガイーヌの全貌が聞ける「カインド・オブ・ガイーヌ」 「幾分かはガイーヌ」と題されたガイーヌのメドレーでは、有名曲がほとんど網羅されていてこの1曲でガイーヌの全貌がほぼ理解できてしまうのも魅力の一つと思います。長生淳編曲の「愉快もの」の第1弾で、10年以上前に編曲されました。この曲を気に入ったら全曲の入ったCDを聞かれると良いと思います。 曲を良く知っている方にとっても、なかなか一筋縄ではいかない編曲なので、どのように料理されているかを聞く楽しみがあると思います。 ■洒落た味わいのオリジナル「Shall We Sax」 続いては長生淳のオリジナル「Sahll We Sax?」。5分ほどの短い曲で、速いテンポで繰り広げられます。憧れを感じさせる優美な旋律を持ちとても楽しい曲です。サックス4重奏のレパートリーとして定着していく可能性のある曲だと思います。難しい曲ですが、アマチュアでも上級レベルであれば十分にこなすことが出来ると思います。■おもちゃ箱をひっくり返したようなおもしろさ「モーツァルトはなべてこうしたもの」 次は昨年のモーツァルト生誕250周年に作られた、モーツァルトのオペラを中心とした作品のメドレー。この曲で取り上げられた作品はほとんどが楽しいもので、それに編曲者の味付けで全編にユーモアが感じられます。聞いているとにやにやしてくること請け合いです。特にパパゲーノの「鳥さしの歌」の調子の外れたソプラノのフレーズは笑えます。 ほとんどが早いテンポで繰り広げられますが、中間部でのクラリネット協奏曲の緩除楽章の旋律は、田園の風景を思い出させるようでなかなか癒されます。 後半の「トルコ行進曲」「夜の女王のアリア」などではその急速調のテンポで繰り広げられる彼らの優れたテクニックを存分に聞くことが出来ます。最後は「ジュピター」の終楽章に「カタログの歌」が入り交じりなかなか洒落たエンディングを構成しています。■濃厚だが、飽きてくる「ナッチ・ナッカー」 続くチャイコフスキーの胡桃割り人形からのメドレーは「モーツァルト」に輪をかけて凝ったというか凝りまくった編曲です。お菓子に例えれば生クリームをふんだんに使ったデコレーションケーキでしょうか。最初と最後に「花のワルツ」の旋律を用い、その間に「小序曲」、「トレパック」「行進曲」「アラビアの踊り」などを配しています。 イントロはR・シュトラウスの「ツァラ..」の最初の部分に花のワルツの旋律を織り込んだなかなか洒落た味わいがあります。「トレパック」には「弦楽セレナード」の終楽章が紛れ込んでいます。 旋律が分割され再構成されるそのおもしろさは、初めて聞いたときは確かに新鮮です。しかし何回も聞いていると鼻についてくる傾向があります。もともと長生淳はアイディアが豊富な作曲家で、彼の編曲はいつも小さな驚きがあり、聞くのがとても楽しみです。しかし、この編曲ではそれが裏目に出てしまったと思われます。いわば、「上手の手から水がこぼれた」のかもしれません。 ちなみに、ナッチ・ナッカーとはnach(当然)、knocker(文句を言う人)といって、「原曲の良さを損なっている」と感じる人達のことをちょっぴり皮肉っているタイトルです。 ■素直にビゼーの旋律を楽しめる「カルメン・ラプソディ」 次は、ビゼーの「カルメン」メドレー。この編曲も今まで述べてきた曲と同趣向ですが、曲を分解したりせず比較的素直な編曲であざとさは少ないです。ハバネラの途中で何故か「サンタルチア~」という歌声が聞こえてきます。 ■さわやかな風が吹くフォスター・メドレー「DOO-DAH」組曲 楽器演奏の最後はこのカルテットの初期のころに演奏されていたフォスター・メドレー。「草競馬」「金髪のジェニー」「スワニー河」の3曲からなります。ジャズテイストを感じさせる編曲はこれらの曲の魅力を味わえる好編曲だと思います。特に「金髪のジェニー」での暑い夏に吹くそよ風といった米国南部の雰囲気を感じさせる音楽は今の時期にピッタリです。途中からのスインギーなフレーズも悪くないです。特に田中靖人のジャージーなフレーズには引き込まれます。「スワニー河」の賑やかな風景もとても楽しいものです。最後の競馬の情景を描いた喧噪は短いながらもとても楽しい驚きを聴き手にもたらします。 ■絶好のアンコール・ピース「日本の歌」 長井桃子作曲の「日本の歌」は旋律は殆どなく、ひたすら県の名前を連呼する歌?です。こうしてみると言いやすいのは「三重」「奈良」など2つの言葉で成り立っている名前で、これらがたくさん出てきます。3つはなかなか出てきませんし、「東京」「北海道」などは数えるくらいしか出てきません。1分20秒という短い曲ですが、これを実際にやるのはとても大変だと思ってしまいます。でも、とても面白い曲なので、アンコールなどにやると大受けすること間違いなしだと思います。■溶け合う響きが楽しめない録音演奏の水準は極めて高く、曲による凹凸も少ないと思います。ただ、個々の楽器が溶け合うと言うよりははっきりと分離されているため、溶け合ったハーモニーをもう少し聞きたくなります。曲によっては音のエッジがあまりたたないほうがより好ましく感じられる場合もあります。 その中ではテナー、バリトンのメローな音色がとても心地良いものでした。楽しさが弾けているようなジャケットデザインも秀逸です。 ■単調なアルバム構成 ということで、曲の構成にもう少し工夫をして欲しかったですね。やはりごちそうは少量味わってこそだということを痛感したアルバムでした。演奏は、実演で聞いた時のような興奮があまり感じられませんでした。そこがライブとスタジオでの違いだと言ってしまえばそれまでですが、もう少しテンションをあげて欲しかったと思います。トルベール・クヮルテット:Shall We Sax?(abex AVCL-25158)1.ハチャトゥリャン(長生淳編):カインド・オブ・ガイーヌ2.長生淳:シャル・ウィ・サックス?3.モーツァルト(長生淳編):モーツァルトはなべてこうしたもの4.チャイコフスキー(長生淳編):ナッチ・ナッカー~バレエ音楽《くるみ割り人形》より5.ビゼー(長生淳編):カルメン・ラプソディ6.フォスター(ビル・ホルコム編):DOO-DAH組曲7.長井桃子:日本の歌 トルベール・クヮルテット須川展也(ss)彦坂眞一郎(as)新井靖志(ts)田中靖人(bs)小柳美奈子(p)2006年11月27-29日 軽井沢大賀ホールで録音
2007年08月14日
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待望のバーンスタインのブラームスの交響曲全集が出ました。レーザーディスクでは出ていませんでしたし、BSでも見逃していましたので、本当に渇望していたブラームスの映像を初めてみることが出来てとても嬉しかったです。CDだけ聞いているとなんて恣意的なテンポなんだとか思ってしまいがちですが、映像を伴うと全く説得力が違ってきます。第3の第3楽章や第4のパッサカリアを聞いているとバーンスタインの心情に同化してしまいそうです。おそらくCDで聞くと何と感情をあからさまに出した演奏だろうと思うに違いありません。しかし、映像を伴うと説得力がまるで違います。そこはバーンスタインのカリスマ性が大きく左右していると思います。というか、これはバーンスタインの力の何者でもないんですが、自分の感じていることを演奏者に伝えそれが聴き手にまで伝わるということは、よく考えてみるとものすごいことなんですね。最近ITが発達しているにもかかわらず、コミュニケーションの大事さを説く書籍は相変わらず発刊されています。結局コミュニケーションを高めるにはツールではないんですね。その個人が、如何に伝えたい相手に対し誠実に相対するか、それが大事なんですね。バーンスタインの演奏を視ていて、そんなことを考えてしまいました。 個人的には、ホルンのトップが色々替わって嬉しかったです。1番が若き日のトムベック、2番が老獪なへーグナーそして3,4番がフリードリヒ・プファイファーとバラエティに富んでいます。 それから、コンマスのゲルハルト・ヘッツエルも懐かしかったですね。1981年から1983年の収録で、今から考えるとウイーン・フィルの音には古き良き時代の残滓が残っていた様に思います。 個々の曲を見てみると、バーンスタインが自分の思うことを存分にやっているのは第3番だと思います。第4番も結構やっていますが、いかんせん構造が強固な分、不自由さは否めません。 音はさすがに古くなったと言うべきでしょう。現代の録音に比べればダイナミックレンジが狭く、音だけを楽しむのであればCDが良いと思います。 各曲の初めにバーンスタインの解説が入ります。字幕に英語がないため内容がよく理解できないのが残念です。 ということで、長年の飢餓感がやっと満たされたました。今度はシューマンの交響曲全集を是非出して欲しいです。特に第2番は畢生の名演だと思います。個人的にはプファイファーのホルンの3楽章での演奏が忘れられません。BRAHMS THE SYMPHNIES BERNSTEIN(DGG 00440 073 4331)1.Symphony no.1 in C minor,op.682.Symphony no.2 in D major,op.733.Symphony no.1 in F major,op.904.Symphony no.1 in E minor,op.98Wiener Philharmoniker,Leonard Bernstein
2007年08月13日
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ジョン・コルトレーン没後40周年で出たニューポート・ジャズ祭りのライブ集成です。従来「セルフレスネス」「インプレッションズ」「ニューシング・アット・ニューポート」とバラバラに収録されていたものをまとめました。目玉は1963年のインプレッションズの完全収録であります。1963年の録音ではドラムスはエルビン・ジョーンズではなく、ロイ・ヘインズです。エルビン・ジョーンズはこの年の5月~8月まで、麻薬治療のためにレキシントンの国立精神病院治療研究センターに入院していました。 今回の「インプレッションズ」は演奏時間が15分から23分と拡張されています。拡張された10分45秒から22分6秒までのロイ・ヘインズとのデュオは壮絶の一言につきます。ただ、へインズのドラミングに変化が乏しく、コルトレーンに従っている感じがします。これがエルビンだったらと思いますが、ここでのへインズはいわば臨時雇いですので仕方のないことかもしれません。録音は何故か他の2曲より悪く、ベースがメチャメチャ歪んでいますし、コルトレーンのソプラノも歪みっぽくちょっと聞きづらい音です。テナーは何故かいい音で録れています。それから、「マイ・フェイバリット・シングズ」の最高の演奏である1963年の録音と1965年のドラマーの比較、その間の「至上の愛」を経て「アセンション」に至るコルトレーンの演奏の変化などを考えると誠に興味深いものがあります。アセンションの録音は1965年の6月28日の演奏ですので、ここでの演奏は「アセンション」のセッションから僅か4日後の演奏ということになります。マイ・フェイバリット・シングズ」のコルトレーンの演奏に関して言えば、演奏上の変化はほとんど感じられません。 エルビンの活躍がめざましい1965年の「マイ・フェイバリット・シングズ」。ここでの演奏はいまいちで緊張感にも乏しいと思われます。バランス的にも、ピアノ、ベースの音が弱く、ドラムスがちょっと出過ぎの感じがあります。1963年の「マイ・フェイバリット・シングズ」ではイントロをテナーで演奏し途中からソプラノにチェンジしていますね。その途中、コルトレーンがマイクから離れて吹いているのでフレーズがいまいち良く聞こえません。1965年の録音に比べるとソプラノの音がはっきりと捕らえられていて、聞きやすいということも評価の高い原因の一つかと思います。というか、音自体、63年のほうが充実していると思います。個人的には、へインズのパシャパシャいっているドラムスがどうにも気になります。スネアの響き線を強く張りすぎるチューニングのためと思われます。まあ、好みの問題ではありますが。。。 その他「I Want Talk About You」は心持ちテンポが早く、嫋々たるバラード演奏ではありません。テーマからアドリブが始まり「シーツ・オブ・サウンド」のめくるめく様な快感を味わえる硬派のバラード。特に後半のカデンツァは圧巻! 「One Down,One Up」ではマッコイ・タイナーのパーカッシブな長尺のソロが楽しめます。ピアノソロ後半のエルビンのあおりはちょっとうるさいです。高音の限界に挑戦するようなコルトレーンのソロは、当時の演奏技術からみると最先端を行っていると思います。しかし現在の技術から見るとちょっと弱い感じがします。技術というものは年を経る毎に向上していくものなので、ここではある意味痛ましさを感じてしまいます。 これで、インプレッション1曲のために買い換えるかどうかという問題ですが、何とも言えませんね。コアなファンなら勿論お勧めですが、一般の方にはお金に余裕があるならという条件付きで薦めることになるかと思います。 録音はマスタリングをしているため比較的スッキリとした音になっていると思います。しかし、ベースの歪んだ音は気になります。my favorite things :Coltrane at newport(IMPULSE 0602517350540)1.Billy Ecksteine:I Want Talk About You2.Richard Rodgers-Oscar Hammerstein ll:My Favorite Things3.JOhn Coltrane:Impressions4.Introduction by Father Norman O'Conner5.John Coltrane:One Down,One Up6.My Favorite ThingsJohn Coltrane(ss,ts)McCoy Tyner(p)Jimmy Garrison(b)Roy Haynes(ds 1-3)Elvin Jones(ds 4-5)Recorded Sunday,July 7,1963,Newport Jazz Festival,Freevody Park,Newport,Rhode Island(1-3)Friday,July 2,1965,Newport Jazz Festival,Freevody Park,Newport,Rhode Island(4-5)
2007年08月12日
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先日ご紹介したイーハトーブ音楽祭が開幕しました。(といっても、2日間ですが)今日は休みではなかったので、終わった後ダッシュで帰宅しました。ところが、なんだかんだしているうちに到着が遅れ、お目当ての岩大クランボン・ジャズ・オーケストラは1曲しか聞けませんでした。 前に会社の同僚から得た情報では結成2年目ということで、先入観でジャズの決まり事を押さえていれば、と完全に見くびっていました。 ところが、これがなかなか良かったです。最後の曲はフュージョン系の曲でしたが、アンサンブルも良く、トロンボーン・ソロも悪くなかったです。それよりも何よりも良かったのは、若者らしい爆発的な元気の良さですね。久々に若者達の元気の良さを感じました。続いては、花巻リズムヤンガーの登場。ある意味こなれた大人の演奏でした。曲名は分かりませんでしたが、良く聞いたことのあるネスティコの有名曲中心の選曲。途中ボーカルが入って、「All of You」、「素顔のままで」が歌われました。この女性ボーカル(会社の同僚の奥さん)は何回か聞いていますが以外と声量があることを初めて知りました。途中のアルト・ソロはもう少し色気が欲しかったですね。 ピアノはエレクトリックピアノを使っていました。野外ですのでしょうがないないですが、いまいちサウンドが他のメンバーの音にフィットしていなかったと思うのは私だけでしょうか? それにしても、若者のバンドと年寄りのバンドを間近に聞くと音の勢いの違いに愕然とするものがあります。おそらく、年寄りバンドだけを聞いたのでは分からない顕著な違いがあります。 まあ、年寄りにはそれなりの良さもあるんですが、若さのすばらしさもまたかけがえのないものがあることを改めて認識した次第です。このバンドは改めてもう少し音の良いところで聞きたいものです。 バンドがスイッチする間にちょっと他の会場も見てきました。雰囲気としては悪くありません。それに、所々に展示してある絵や工芸品も値段が手頃で触手をそそります。 惜しむらくは収容能力があまりないことです。今回は無料でしたが、有料でも十分に運営していけると思います。それには、もう少し収容出来る所を考えた方がいいような気がします。あとはPAですね。 路上では屋台も出ていて、椅子が並べられていてお祭り気分を盛り上げてくれます。お酒も出ていたようですが、明日も見に行くので、それまでとっておくことにしようと思います。
2007年08月11日
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クライン孝子のメールマガジンに横浜の野村さんから自民党の参議院選の敗因について興味深い考察がなされています。(以下引用)安倍内閣で成立させた主な法案は次のようなものです。教育基本法改正、防衛庁の省昇格、国民投票法、復興支援特別措置法改正、社会保庁改革関連法、年金時効撤廃特例法、公務員制度改革関連法 これだけのものを成立させて、例えば人気があると言われる麻生太郎氏が総理であったならこの選挙に勝てたか、松岡・赤城両氏が閣僚にいなければ勝てたか、久間氏の原爆発言がなければ勝てたか、私はやはり敗れたと思います。 特に公務員・日教組関連は、既存受益者を必死にさせたでしょう。死に物狂いになったと思います。■農村が民主党の「戸別所得補償制度」甘言に 自民党は「改革」しようとしているのです。改革とは、簡単に言えば“受益者の移動”です。移動により、「失った」者は直ちに痛みを感じるが、受益者が実感するには時間がかかります。 ある場合、受益の実感は10年の単位、ほとんど誰の功績かが忘れられた時期になるでしょう。選挙において痛みは現実であり、受益は非現実なのです。ましてその痛みを突っつき塩をすり込む者がいる。 選挙される政治家が、改革に及び腰なのはそこにあります。任期中に成果の出る「改革」は、ほとんど無いのです。票を失うことは確実ですが、票の増加は計算できません。安倍内閣は、これだけ支持者を失うことをやった、ということです。「改革」の証左と言えるでしょう。 これらの法律を私は必要なものと思います。非常な成果であったと思います。特に教育改革、公務員制度改革は進めなければならず、正にそのことがキャリア、ノン・キャリアを一丸とさせ、日教組を加えて必死の反発力を与えました。 それに農村が民主党の「戸別所得補償制度」という甘言に釣られました。作ったものに対して補償するなら、何を作るかに知恵を絞るでしょうか。品質をどう査定するのですか。より良きものへの挑戦が持続するでしょうか。価格が上がったときはそのままなのですか。悪いときは補償され良いときそのままなら、こんな旨い話はない。(中略)■自民党の敗北は、『政策』故であった! 私の今回選挙についての結論は、「必死になった公務員と、甘言に釣られた農民が、自民党の“政策”に反対した。」ということです。 あくまで“政策”であって、安倍さんのキャラクタ、松岡・赤城の金の問題、年金問題、等々は枝葉と思います。年金の不首尾が自民党敗北の主原因なら、民主党の自治労関係者が比例で2名も当選するはずがありません。(中略) マスコミも評論家も、政治家も、安倍さんのキャラクタ、対応のまずさ等々を原因にしたがっていますが、それこそ「目くらまし」であって、核心は『政策』です。政策故に支持者を減らしたのです。あるいは反対者を増やしたのです。そう考えてみると直前の国会を延長して、「国家公務員法」を改正しておいたことに大きな意味のあることが分かります。私は安倍総理が、敗北を念頭におき成立させたと思います。この法律はこれからの肉付課程において、改正教育基本法と相まって、民主党との違い(利益を受ける基盤の違い)を際だたせていくでしょう。あとは国民の判断です。(引用終わり) 私も、今回の自民党の惨敗には納得できないものを感じていました。そうですか。官の反逆でしたか。報道番組で、日教組が必至になっているというのは知っていましたが、これほどまでとは思いませんでした。実質的に当選者は少ないものの、メディアに潜む同調者が呼応して、今回の運動は上手くいったかに見えます。 「公務員制度改革関連法」を可決したことがこの状態を招いた一番の原因のようです。安倍首相がこのことを自覚していて、敢えて国会を延長して可決したのは大したものです。今までの首相なら選挙のことを考えてそんなことはしなかった、というかこんな法律を上程する事さえしなかったでしょう。 安部降ろしは一段落しようとしていますので、クリーンで実力のある人達を入閣させ、今の路線を進めて欲しいと思います。 民主党が「戸別所得補償制度」なるものを準備しているとは全く知りませんでした。この法案は言ってみれば社会主義の農業政策みたいな物です。自助努力をしなくてもお金が転がり込んでくると言う農民にとっては有り難い政策です。こんなばかげた法律が可決するとは思いませんが、これを考えた方々の頭の中を見てみたいですね。はっきり言って時代錯誤の政策としか思えません。 それにしても、密かに期待してた8月15日の靖国参拝を安倍首相は断念したようですね。おまけに全閣僚も倣って行かないとか。がっくりいました。とりあえず、心情に従って参拝しないと言っている塩崎官房長官は首にしてもらいたいです。 ところで、今回、各議員に対してどのようにやれと言う指示は出ているんでしょうか。今回は、「美しい国」を揶揄している議員もいたりして、指示が徹底していないと思いました。例えば、安部首相の狙いをわかりやすく説明するなどのことを、首相ではなく各候補者が説明するべきだったのではないかと思います。この点は民社党のほうがぶれがなかったと思います。 今回は、自民党の敵失とメディア、官の攻勢によって民主党が大勝したわけですが、テロ対策特措法などで自民の足を引っ張っている場合ではないと思います。政権が変わることで外交政策がころころ変わるような国は、外国からは信用されません。民主党が政権政党になるためには左側の人間を切ることを考える段階に来ていると思います。
2007年08月10日
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スー・ミンガス(ミンガス夫人)の発掘した、1964年コーネル大学でのライブ。この年はドルフィーを伴ったヨーロッパツアーに旅立つ前のコンサートです。正確には4月4日のタウンホールでのコンサートの3週間前の3月18日に行われました。個人的には、昔アメリカ30の3枚組LP(The Great Concert of Charles Mingus)で聞いていました。その当時の印象では、あまり音が良くなかった印象があります。タウンホールでのライブでは、曲が「So Long Eric」と「Praying With Eric」の2曲。今回発掘された録音ではコンサートの全貌が聞かれ、ヨーロッパ・ツアーでは演奏していないファッツ・ウォーラーの「ジターバグ・ワルツ」が演奏されているのが特徴です。録音が鮮明で、ヒス・ノイズも少なくこの当時のミンガスグループの充実ぶりが伝わってきます。 演奏としては、個人のショーピースと、最後の2曲を除いて概ね水準が高いと思います。ただ、アンサンブルがいい加減なところがあり、何回も聞いていると気になってしまいます。 「フォーバス知事の寓話」はバスクラの低音がグロテスクで、この曲に不思議とマッチしています。ミンガスとリッチモンドの叫びはあまり大きくなく、プロテスト性はあまり強くありません。 ジャッキー・バイヤードのソロでは、「Yankee Doodle」(アルプス一万尺)やショパンの葬送行進曲のフレーズが聴かれます。続くジョニー・コールズのテナーソロも色々な曲を引用しながら進んでいきます。時折絡む、ドルフィーのバスクラやミンガスのベースがミンガス・ミュージックの色合いをさらに濃い物にしています。 ジャキー・バイヤードのソロ・ピアノによる「AT-FWユー」はでたらめにも聞こえるような、自由自在なソロが楽しめます。 また、このころのミンガスの独奏曲「ソフィスティケイテッド・レディ」はミンガスの個人趣味に走りすぎていて、個人的にはあまり好きではありません。 次の「オレンジは彼女のドレスの色」はミンガスのちょっとおどけた感じのベースソロから始まります。ジャッキー・バイヤードのまったりとしたソロがなかなか曲にマッチしていると思います。テーマが一つで、テーマに乗ってソロが繰り広げられるというミンガスとしては分かりやすい曲です。個人的にはこのけだるいムードが大好きです。ここでも、時折聞こえるホーンのモチーフのバランスが悪く気になります。ミンガスの珍しく癖のないソロに続くクリフォード・ジョーダンのテナー・ソロがファンキーでなかなか良いです。それにしても、この方のテナー私の耳にはアルトとしか聞こえないんですけれど。。。その後、ジョニー・コールスのミュート・ソロが続きます。淡々として特に盛り上がりもなく、このCDではテンションの低い演奏だと思います。 「A列車で行こう」の途中からはスパニッシュモードのミンガス特有の強烈な音楽に変容し、ミンガス自身の激しいソロでこの曲がすっかりミンガス・ミュージックになっていることを感じます。ミュージシャンの笑い声や観客の笑い声が混じり合い、それにのってますます自由なソロを展開するミンガスと、ライブの醍醐味が伝わってくるような演奏です。 ダニー・リッチモンドのソロに続いてドルフィーのバスクラのソロが出ます。バスクラの高温域を使っての珍しいソロが聞かれ、そこにホーンのアンサンブルが加わるところはゾクゾクします。ダニー・リッチモンドのドラムスは全般的におとなしいのですが。この曲に限り結構挑発的です。ジャッキー・バイヤードのソロはまさにやりたい放題という感じです。フロントのサックス二人の音が大きく、ジョニー・コールズとリズムセクションの音が小さくいささかバランスが悪いです。 ソロではジョニー・コールズのトランペットは少々影が薄いですが、他のフロントの2人のソロはどちらも高水準です。特にドルフィーのバスクラでの怪鳥の鳴き声の様な高音はグロテスクでもあり、めったに聞かれないものだと思います。 後半はミンガスのかけ声と共に始まる「Meditations On Integration」(このCDではMeditationsとクレジットされています)からスタート。ベースとフルートによるテーマが出てきますが、実に暗い。それにミンガスの4個の16分音符がいかにもぎこちなく、音楽が破綻しそうになる一歩手前というはらはら状態。個人的にはこのテーマはジメジメしていて嫌いです。それに続く第2テーマのアンサンブルも崩れています。その後のジャッキー・バイヤードのピアノ・ソロ、ミンガスとドルフィーの長々と続くからみへと続きます。この部分は、ライブでは良いとしても、CDで繰り返し聞くのには辛いです。この後、第3のテーマと第2のテーマが繰り返されドルフィーのバス・クラのソロが続きます。ここでのバスクラの咆哮は凄いです。目まぐるしく変わるソロとアンサンブルの錯綜した混沌が魅力的で、各奏者のソロも充実しています。しかし、この30分を超える大曲の構成は何回聞いてもよく分かりませんね。 「So Long Eric」もミンガスのソロで始まります。テーマは荒々しく演奏されることもなく、おとなしめの演奏です。ジョニー・コールズのソロはこのときの演奏のなかでは一番出来がよいようです。ジャッキー・バイヤードのソロは一番まともな?ソロで、ダイナミックな打弦が楽しめます。後半はミンガスお得意のテンポが次第にリテヌートしていき止まりそうになるところから混沌へと進んでいきます。 アンコールはヨーロッパでのツアーの録音では聞かれない2曲が演奏されました。アイルランド民謡「When Irish Eyes are Smiling」は速いテンポで、原曲とは似ても似つかない、喧噪と埃にまみれたゴスペル風のミンガス・ミュージックに変貌しています。 最後にファッツ・ウォーラーの「ジターバグ・ワルツ」。ドルフィーのフルートで演奏されるテーマが転びそうになり気になります。フルートソロはまあまあの出来。ドルフィーを声を出してあおるミンガスのベースがとても楽しげです。この曲では、アルト・ソロのほうが出来がいいです。 演奏は良く、テープヒスは気になるものの、録音もまあまあです。それに、このCDでしか聞けない曲もあり、聞いて損のない演奏だと思います。Cornell 1964(BLUE NOTES 0946 3 92210 2 8)1. Opening2. Atfw You3. Sophisticated Lady4. Fables of Faubus5. Orange Wat the Colour of Her Dress, Then Blue Silk6. Take the "A" Train7. Meditations8. So Long Eric9. When Irish Eyes Are Smiling10. Jitterbug WaltzJohnny Coles(tp)Eric Dolphy(as,fl,bcl)Clifford Jordan(ts)Jaki Byard(p)Charles Mingus(b)Dannie Richmond(ds)Recorded 5 on March,1964 at Cornell University,Ithaca,New York
2007年08月09日
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この前の日曜日、会社で募集していた近くの川のゴミ拾いに言ってきました。本当は一番下の子供と行く予定でしたが、当日になってから行かないと相変わらずの気まぐれぶりを発揮され、仕方なく一人でした。 当日は前日が雨で何とか止んだばかりだったので、雨具を着ていきました。しかし、それがあとで墓穴を掘る原因に。。。 集合時間少し前に着くと駐車場は満杯で、仕方なく道路脇に車を止めて下っていくと、凄い人で受付の順番待ちが長い行列を作っていました。 最初、実行委員長の挨拶や、来賓?の挨拶などが長々とあり、その後グループ分け、清掃と進んでいきます。 横に並んでゴミを探しながら進んでいきます。少し前にも清掃したということで、あまりゴミはありません。しょうがないので、川の土手の所付近や川の中を部食。ドリンクのビンや缶、それにビニールや紙くずを収集。小一時間くらいでやっと終わりました。ゴミ取りをしているとき、大きな葉っぱの上に色鮮やかな雨蛙が乗っていて心が和みました。 結局、あまりゴミも集まらなかったようです。日頃の活動が功を奏しているようで何よりでした。今回で14回目と長い歴史がありますが、ここまで続けてきたことは文句無しに偉いと思います。関係者の方々(豊沢川活性化・清流化事業推進協議会)に敬意を表したいと思います。 私はと言えば、湿気が多く、おまけに合羽を着ているため汗だくでした。おまけにタオルを持っていかなかったため、顔を拭くにも難儀しました。やれやれ。 帰りには、カレー入りウインナーと菓子パン、ドリンク、Tシャツと盛りだくさんのお土産を頂きました。それに会社からのクオカードもありすっかり得した気分でした。 前日雨が降ったにもかかわらす、水がきれいで、川底まで見えました。関係者のご努力のたまものだと思います。 ということで、来年も是非参加したいと思います。次回は子供も参加させたいですね。
2007年08月08日
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毎年花巻市で行われる恒例のイーハトーブ音楽祭。何故か会社の同僚が朝礼でPRしていました。聞くところによると、予算がなく今年から開催できなくなったため、有志が発起人となって開催にこぎ着けたとか。 従来だと数日間に渡って開催され、プロミュージシャンも出演していました。今回は、市から多少援助は出るとはいえ、おそらく持ち出しになるのでではないかと思っています。会場も従来行われていた「賢治童話村」ではなく、町中の整備された遊歩道「大堰川プロムナード」沿いにある倉庫や空き地を利用するようです。出演者はすべてアマチュアですし、イベントの魅力は薄れたとは思います。しかし、町中で行う利点を生かし屋台も出るようですので、イベントとしての楽しみ方はあると思います。 出演者は総勢50数団体で、邦楽からクラシックまで取りそろえ、3会場で同時進行します。 演奏の水準はそれほど期待できないとは思いますが、それを考えなければ結構楽しめるのではないでしょうか。 また、展示・体験・販売“フリーマーケット型”で楽しむアート・フェスティバルも同時開催されます。 この記事を書くため公式サイトを見ていたら、何とイメージソングのCDまで作ってしまったようです。皆さんのやる気がひしひしと感じられます。 ミュージシャンの身になれば、聴衆との距離が近いところで演奏するというのは鍛えられると思います。私は少なくても二人でしか演奏したことがありませんが、聴衆が近くにいるところで演奏するのはとても良い体験になると思います。 ということで、私も足を運んでみようと思います。お近くの方々は興味半分で結構ですから足をお運びになっていただけたらばと思います。
2007年08月07日
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スケジュールがなかなか合わなかった「ピアノの森」をやっと見ることが出来ました。最初、私のイメージと少し違って違和感を持ちましたが、どんどん引き込まれ、最後は大満足でした。アニメの傑作がまた生まれたと思います。■あらすじ とある、田舎の小学校に東京から雨宮修平が転校してくる。挨拶で将来ピアニストになりたいと言ってしまう。これがもとでクラスのいじめっ子金平に、森の中にあるピアノを弾いてこいと意地悪される。それを見ていた一ノ瀬海が雨宮を助ける。これをきっかけとして、雨宮と海は親しくなる。 海は雨宮にあのピアノは「俺のピアノだ」といって、そこに連れて行く。海の勧めによって、雨宮はピアノを弾くが音が小さくしか出ない。ところが海が弾くと普通のピアノ以上の響きが出る。 雨宮は音楽の先生である阿字野にこのことを話す。実はあのピアノは阿字野が処分を頼んだピアノだったのだ。森に行ってピアノを弾いてみるが音が出ない。 雨宮の言葉を確認するために、再び森を訪れる阿字野。そこでは海が阿字野がかつて弾いていたときの響きを再現したような演奏をしていた。それを聞いた阿字野は海に一緒にピアノをやらないかと誘う。。。。。 ■海が生き生きと描かれている どたばたと海が走るシーンが何回も出てきますが、あの年頃の小学生の様子を良く観察した描写だと思います。また、金平と海のけんかのシーンなども良く観察されていると思います。 それから、コンクールでの丸山誉子を上がり症から直すシーンは結構笑えました。何しろリラックスできるのがトイレで愛犬のウエンディの毛を撫でながらピアノを弾く時だと言うんですから。 また、海がモーツァルトのk310のソナタを練習しているときに、モーツァルトの亡霊?が何人も表れて「楽譜を返せ」というシーンももおかしかったです。顔を見ると、雨宮母子や金平の顔で笑えました。■海の上戸彩がいい 主役の二人と阿字野荘介の声はキャラクターにピッタリと嵌っています。とくに上戸彩はピッタリです。海の奔放さが良く表れていいます。彼女がドラマにでるときの声とはちょっと違うような気がしますが、これほど上手いとは思いませんでした。 ■幻想的な森の中のピアノ 全体的にソフトフォーカスで描かれていて、月夜に照らされたピアノは幻想的でとても素敵でした。キャラクター・デザインはマンガとほぼ同じで満足しました。森の端の情景も良く描かれていたと思います。■主題歌もいいです エンドロールが流れるなか、主題歌が始まりました。今までのムードをぶち壊しにしてくれるなと思いながら聞いていましたが、流れを引き継いだ静かなイントロから、昂揚するサビまで素晴らしい主題歌でした。以前テレビで見ていると子供が言いましたが、私は全然記憶にありません。その時は松下奈緒の音程が悪く下手だと言ったようですが、映画では文句ない歌唱です。 篠原敬介による音楽はハイセンスでデリカシーに富んだ音楽です。それに、チェコ・フィルの演奏と文句の付けようがありません。録音にオクタビアがかかわっているようですし、お金のかけ方も半端ではありません。 勿論、主役のアシュケナージの演奏するピアノも文句のつけようがありません。特に、コンクールで海が自分らしさを発見して演奏するモーツアルトのk331のソナタは自由奔放な解釈で素晴らしかったです。 その他、森の中で海が弾くピアノの調べも映画にマッチして素晴らしかったです。 ■続編を期待したい 映画では日本音楽コンクール中部地区予選後の雨宮の転校で終わっています。これから二人は別々にピアノの道を進み、ショパンコ・ンクールで再び相まみえることになります。これからストーリーがどんどん面白くなりますので、是非続編を期待したいですね。 公式サイトではアシュケナージのピアノとチェコ・フィルによる2種類の「Forest of Piano」、チェコ・フィルによる「Treasure in Forest」を聞くことが出来ます。メインテーマはラフマニノフ+ショパンみたいな感じで、その温もりが堪らなくいいです。これを聞いているとサントラが欲しくなりますね。
2007年08月06日
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CGもほぼ完成の域に近づいてきたなと思っていましたが、この映画を見てまだまだ色々な可能性のあることを知りました。とにかくトランスフォーマーの動きがリアルそのもので現実に存在しているような感覚になってしまうほどでした。また、緊張の続く場面が続き、久しぶりに手に汗握る感覚が蘇ってきたようでした。この映画はなかなかの傑作だと思います。私は玩具については全く無知でしたがWikipediaによると、『トランスフォーマーとは、株式会社タカラ(現タカラトミー)より発売されている変形ロボット玩具シリーズの総称。もともと国内で販売されていた『ダイアクロン』『ミクロマン』シリーズをアメリカのハスブロ社が他の変形ロボット玩具と一緒に『TRANSFORMERS』として販売したものが米国内で大ヒット、それを日本に逆輸入したものが『トランスフォーマー』シリーズである。』ということだそうです。それで、ロボット生命体が正義の「サイバトロン(AUTOBOTS)」と悪の「デストロン(DECEPTICONS)」に分かれて戦っているという背景設定が存在するそうです。この背景を知っているのと知らないのではストーリーの理解度にえらい違いがでてくると思います。■あらすじ 所はカタールの米軍基地。未確認飛行物体が飛来し、通信が麻痺し、基地は全滅してしまう。生き残った兵士は砂漠を逃げるが、トカゲのような金属生命体が突如現れ、兵士を攻撃する。救援を呼び何とか撃退するが、結局地中に逃げ込まれてしまう。 通信が麻痺した原因を探るため、暗号解読の専門家達を集める。マギー・マドセン(レイチェル・テイラー)は、その謎を解くが、国防長官にはなかなか理解してもらえない。 この通信の障害はキューブというエネルギーの源を探している火星から来たディセプティコンズという悪の軍団がデーターをハッキングするための仕業だった。 アーチボルト・ウィットウィッキーという北極の探検家のメガネにキューブの場所をつきとめるための鍵が隠されているのだ。ネットオークションでウィットウィッキーのメガネが売りに出されていることを知ったディセプティコンズは米国軍のネットワークをハッキングして、誰が売ったかを懸命に探ろうとする。 一方、冴えない高校生サム・ウィットウィッキー(シャイア・ラブーフ)は2000$を貯めて、成績でAを3つとる条件で、親から車を買ってもらうことを約束している。高校の授業の研究発表で、歴史上初めて北極を探検した先祖の遺品をオークションする。ところがみんなの顰蹙を買い、一つも売れない。 授業を終え、車でまっていた父に成績はB-だと告げると、車は買えないという。何が何でも車を買ってもらいたいサムは、先生に掛け合って何とかA-を勝ち取る。 ヒスパニック系の中古車ディーラーに行くと、黒いストライプの入った黄色いカマロを進められる。サムはあまり乗り気ではない。商談が成立せず、価格の安い車を進められる。サムは見るからにボロイ車よりも先ほどのカマロの方がいいので何とか値段を下げてもらって商談成立。 車に乗っていみると、カーラジオが勝手にチューニングを変えて、色々な局の放送を流す。気になったが、そのまま自宅に持っていく。 次の日、車で友達とドライブに行く。そこには、ボーイフレンドと一緒にミカエラ・ベインズ(ミーガン・フォックス)が来ていた。ボーイフレンドと口論になったミカエラは一人で帰ると歩き出す。それを見た、サムは、ミカエラと仲良くなるチャンストばかりに、ミカエラを車に乗せて自宅まで届ける。 ある日の夜、カマロが誰も乗っていないのに、一人でどこかに行ってしまう。それを見たサムは自転車で追いかける。街でミカエラがそれを目撃し、バイクで追いかける。そこで見たものは、車が変形して巨大なロボットになる姿だった。。。。 ■カーチェイスや戦闘場面など息詰まる緊張感が味わえる パトカーのバリケードとカマロのバンブルビーの息詰まるカーチェイス、そしてプロトフォーム(金属がむき出しになっている形)での戦いと緊張感が続きます。カーチェイスを見ていたら何故かスピルバーグの「激突」を思い浮かべてしまいました。無人の大型トラックが人間を追いかけるというスピルバーグの出世作です。 これを書いていて、トランスフォーマー(実写版)のwikipediaをチェックしていたら、同じようなことが書いてあり、私と同じ感想を持った方がいて嬉しくなってしました。 このような真綿で首を絞められるような感覚を覚えた映画は久しぶりでした。■変形の場面に唖然 何と言ってもトランスフォーム時の映像のリアルさが凄いです。最大で2万箇所以上の部品が一斉に動く(Wikipediaより)そうですから、何とも凄い物です。ここを見るだけでもこの映画を見る価値はあると思います。 ■主役は金属生命体 この映画の主役は人間ではなく金属性生命体のロボットです。その変身するシーンには唖然とします。しかし、サム・ウィットウィッキー(シャイア・ラブーフ)を守ろうとするバンブルビーや、仲間達の行動をみていると、人間くさい雰囲気を感じてしまいます。とくに、オートボッツ(サイバトロン戦士)のリーダーのオプティマス・プライムの人間を思う心には感動しました。また、サムが自宅に帰ってメガネを探すシーンで、両親に見つからないようおろおろする彼らの姿には笑ってしましました。 それから、データーをハッキングする敵方のフレンジー(CDラジカセに変形する)の意地の悪さもよく現れていたと思います。それから、蘇ったディセプティコンズの支配者メガトロンの邪悪さも凄みがありました。 俳優の演技ではとくに言うことはありません。ミーガン・フォックスのバストに目がいきますが(笑)、ウィリアム・レノックス大尉役のジョシュ・デュアメルがかっこよかったですね。 脇を固める役者は個性的な方が多く楽しめました。グレン・ウィリアム役のアンソニー・アンダーソンですが、ハッカーは太っていて、食べ物に目がないという演出家たちの考え方を表しているようなタイプで笑えました。■アメリカ空軍全面強力 この映画は米国防総省と空軍が全面協力したそうです。そのため、ステルス戦闘機F22を初め、ヘリコプターMH-53ベイブロウ、チルトローター機V-22オスプレイなど実物がぞろぞろでてきます。この方面の趣味の持ち主であればよだれを垂らして喜びそうな映像がたっぷりと詰まっています。また、実写を重視して、戦闘シーンなどででてくる兵士隊も現役の兵士達を使ったようです。 ■筋立てが複雑で、理解するのが難しい この映画は筋立てが複雑で、トランスフォーマーに親しんでいる方々にはよく分かると思いますが、知らない方(私)にはなかなか理解できないところもありました。まず、金属生命体が争奪戦を繰り広げるキューブの中身がよく説明されない(その能力の一端はでてきますが)ので、なんでそんな物を探すんだという疑問がわきます。また、サムがその鍵を握っていることを知らないディセプティコンズ(デストロン軍団)がそれを探すのはわかりますが、それを知らない筈のバンブルビーらオートボッツ(サイバトロン戦士)が最初からサムに接触してくることの背景が省かれていて、不自然に思ってしまいます。 また、メガトロンが氷付けにされていることは以前から分かっているはずなのに、何故今頃になって攻撃してくるのかという問題もあります。また、カタールの空軍基地が攻撃されたり、大統領専用機がハッキングされたりするのもデーターを取得するためだったら不用なことで、理屈に合いません。 と言い出すときりがないのですが、腑に落ちないことが数々ありました。公式サイト
2007年08月05日
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アメリカ空軍バンドワシントンDCの演奏。昨年12月19日のミッドウエスト・クリニックでのライブ録音。古い曲ありオリジナルありとバラエティに富んでいて楽しめます。 世界初演の「Wild Blue Yonder」がカラフルな音の洪水とでも言うべき曲で、とても面白かったです。これを書くために作曲者の名前を見たら何とバーンズではないですか。いつもの作風からは想像も出来ませんでした。所々ユーモアを感じさせるところもありとても気に入りました。デュカの「魔法使いの弟子」のように目の前に映像がでてきそうな感じです。技術的には難しいところはそれほどなく、アマチュア・レベルでも十分に対応できると思います。演奏時間は8分半と手頃ですし、これからどんどん演奏されることを期待したいです。 第2曲のジュリ・A. ジルーの「No Finer Calling」の3楽章「Honor Above All」は世界初演でした。「Excellence In All We Do」という副題がついています。この曲はアメリカ空軍が陸軍から独立して今年で60周年を記念して委嘱されたものです。作曲者の言葉によると、第3楽章は「平時と戦時の彼らの任務と義務を描いたもの」だそうです。ジルー(Giroux)は1961年生まれの女性の作曲家で、テレビや映画で活躍しています。過去にエミー賞を受賞したこともあるそうです。写真を見ると、どこにでもいそうな田舎のおばさんといった雰囲気です。指揮はこのバンドの元隊長でこの曲を献呈されたアーナルド・D・ゲイブリエル大佐です。この曲はゆったりとしたテンポで、宗教的な雰囲気を強く感じさせます。スネアドラムのリズムが聞こえてくる終結部付近のじわじわと続く盛り上がりには興奮しますが、最後の最後決めきれなくて脱力してしまいます。ここいらへんが女流作曲家の限界でしょうか。 このサイトでは勇壮なファンファーレが聞かれる第1楽章「Integrity March」、故郷を夢みる思いを描いた叙情的な第2楽章「Far from Home」を含め全曲を聴くことが出来ます。こうしてみると、第3楽章がもっとも出来がよいと思います。 ※HOMEの左側に並んでいるボタンの「Music By Grade」→「Grade 5 & Up」→「No Finer Calling」と進んでください。 ドビュッシーの「沈める寺」は、編曲がとてもいいです。弱音から次第に音量を増してクライマックスに達するところなどは、海から寺院の大伽藍が水しぶきをまき散らしながら姿を現すようなスケールの大きい情景を思い浮かべてしまい、ゾクゾクしてきます。大変重量感のある演奏だと思います。 ジョン・ブリス軍曹による「Birds of Thunder」もスペイン・フレーバーを感じさせるダイナミックな曲でワクワクします。所々に聞かれる難しいパッセージも難なくこなし、空軍バンドの力量を見せつけてくれます。 この曲はUS AIRFORCE BANDのホームページで全曲聞くことが出来ます。また楽譜もスコア、パート譜ともにダウンロード出来ます。かなり技術的に難しい曲ですが、やりがいはあると思います。 ダウンロードするには、左のメニューの「Education Outreach」→「Download USAF BAND Arrangements」→「Birds of Thunder」をクリックして下さい。 ヒナステラの「ハープ協奏曲」から第1楽章。現代のハープ協奏曲としてはグリエールと共にもっとも有名な曲で、「主観的国民楽派」時代の作品だそうです。初めて聴きましたが、なかなか面白かったです。パーカッションの躍動するリズムに乗った金管群が咆哮するあいまの静けさに、ハープの音が聞こえるといった曲です。協奏曲というよりハープのソロパート付きのラプソディーみたいな感じです。終わった後に、ラテン系の男性のような「ブラーボ」の声が聞かれます。 シェーンベルクの「主題と変奏」は日本では人気がありませんが、アメリカでは演奏される機会は多いようです。やはり、昔住んでいたことから親近感があるのでしょうか。 私の好きな曲であるワルトトイフェルの「スケーターズ・ワルツ」は残念ながら不発に終わりました。まず、後うちのリズムが変です。8分休符のあとの8分音符がテヌート気味に演奏され、それもウインナ・ワルツを意識しているのか少し遅れ気味で、気になります。どう見ても良い趣味とは言えないと思います。中間部の思わせぶりなフレージングや、主題が再現される直前の思わせぶりなGPも悪趣味としか言いようがありません。普通に演奏してもらったほうがどれだけ素晴らしかったかと思うと残念でなりません。 その他、ドヴォルザークの序曲「謝肉祭」フィルモアの「American We」、「The US Air Force」~「星条旗よ永遠なれ」が演奏されています。「The US Air Force」~「星条旗よ永遠なれ」はFloyd Werleの編曲で、トランペットが活躍します。但しどちらかというとカロリーが低く熱気に乏しいルーチンワーク的な演奏でした。 The United States Air Force Band:Midwest Clinic 60th Anniversary Conference(Mark Custom 6770-MCD)1.Antonin Dvorak(arr. Leigh Steiger):Carnival Overture2.Julie A. Giroux:No Finer Calling (III. Honor Above All)3.Claude Debussy (arr. Merlin Patterson):The Engulfed Cathedral4.John Bliss:Birds of Thunder5.Alberto Ginastera (arr. Lawrence Odom):Concierto para Arpa y Orquesta, Op.25 ( I. Allegro giusto)6.James Barnes:Wild Blue Yonder7.Henry Fillmore (arr. Frederick Fenne):Americans We8.Arnold Schoenberg:Theme and Variations for Band9.Emile Waldteufel (arr. John Glenesk Mortimer):Skater's Waltz10.Robert M. Crawford (arr. Floyd Werle):U. S. Air Force SongUnited State Air Force BandColonel Dennis M. Layendecker, Arnald D. Gabriel(cond)Eric Sabatino (harp)
2007年08月04日
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SAPIOの8月8日号の「読者からの手紙」に「号泣」について興味深い投稿がありました。(以下要約) この投稿ではオシムが試合後選手に向かって「お前達はアマチュアだ」と言って激怒したら、それを訳そうとした通訳が途中で号泣してしまったとスポーツ新聞などが報道しました。これについて投稿では「嘘だ」と述べています。 まず大人が号泣するなんてめったにありません。そもそも「号泣」とは「大声を上げて泣き叫ぶこと」で、子供の自分ならまだしも、成人してから「号泣」する人はめったにいません。 スポーツ紙や芸能雑誌によると、この世の中には「号泣」する人達がやたらといるということになります。(概要終わり) 実は私も以前からこの「号泣」についておかしいと思っていました。私の場合には、新聞の映画の宣伝で、映画を見た有名人の感想にやたらと「号泣」した、と書かれていることに違和感を持っていました。 映画館で文字通り「号泣」したら、周りの人の迷惑になり、つまみ出されるのが落ちです。そもそも、そんなことは分かっているので、「号泣」する事はあり得ないと思います。せいぜい「すすり泣く」ことくらいしかできないと思います。 それにしても、この「号泣」は最近やたら目に付きます。これが流行りだした?のはいつのことでしょう。 その他「激怒」する人達も多いです。この投稿でもオシムが「激怒」したとあります。この場合は多分本当に「激怒」したと思うんですが、普通の記事で「激怒」と出ると、日本人はいつからこんなに怒りっぽくなったと思ってしまいます。 このような過激な言葉が頻繁に出てくるのは、書き手の感性の鈍さと表現力のなさが原因だと思いますが、話になりません。本来そのような表現は日本語のもっとも得意とするところで、日本語には色々な表現があると思います。表現力が乏しいのか感性が鈍いのか分かりませんが、書き手だけの問題ではありません。 チェック機能が衰えているというか、指摘できないことも大きな問題です。そのうちニュアンスの乏しい記事だけになってしまわないかとても心配です。新聞だけではなく雑誌、果ては文学にまでそれが波及する可能性がないとはいえず、とても心配なです。私などは世も末だと思ってしまいます。
2007年08月02日
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Klavierのアメリカ空軍ワシントン音楽隊の復刻版が出ました。2002年の録音でロシア音楽特集。すべてアレンジ物なので、オリジナル・フリークの私としてはあまり興味を引くCD出はなかったのですが、他ならぬ?アメリカ空軍バンドの演奏なので、とるものもとらず?ゲットしました。 結果は、シチェドリンの管弦楽のための協奏曲第1番「お茶目なチャストゥシュカ」がとても面白かったです。歯切れの良いジャズのリズムに乗って管楽器が躍動します。原曲を聴いたことがないので、その違いが分からないのですが、曲想からして編曲による違和感は少ない物と予想されます。 結構テクニカルなフレーズが頻発しますが、楽々とこなしていくところにある種のスリルを感じさせます。また、この曲はドライな表現がふさわしいので、このバンドにはあっている曲だと思います。 「火の鳥」の編曲は良く演奏される1919年の組曲を基に、他の版(1945年版?)から組み入れた楽章をまとめた、ローレンス・オドムの編曲です。1919年版と違うところが結構あり、1919年版よりこちらのほうが曲としてのまとまり感はあると思いました。シャイー=コンセルトヘボーの1945年版は持っているのですが、最近は聞く機会がなくはっきりしたことは言えませんが、管の入れ替えなどが結構あるように思います。そこのパッセージになると意外な驚きを覚えます。それは違和感ではなく、これはこれでいいと思います。チェロが入っている分音色は多彩になり、厚みも出ていると思います。 演奏は相変わらず達者な物ですが、「火の鳥」でのしっとりとした表現など、いつものドライな表現に比べるとちょっと違う面が見られたと思います。繊細なルバートも聞かれ、吹奏楽としては芸術性の高い表現だと思います。個々の奏者の優れた腕前も堪能できます。 ショスタコービッチは無難な出来。もっとも曲自体が大した曲ではないのでそれなりと言うべきでしょうか。洗練されている中に漂う鄙びた雰囲気とユーモアが出ていた第2曲の「ワルツ」は良かったです。特にフルートによる旋律には心引かれます。 プロコフィエフの「スキタイ組曲」は通常の耳をつんざくようなこれでもかという大音響ではなく、節度ある音量で結果的に野蛮さも影を潜め、個人的には好ましい演奏だったと思います。これは、音のエッジがきつくなく、全体的に丸みを帯びた表現になっていることも寄与しています。演奏に余裕があるので、ある程度音量が出ていても、そう感じるのかもしれません。「夜」は不気味な音楽にはならず、どちらかというと漫画的な表現になっていたのが面白いです。 ということで、このCDは曲目に弱さがあるものの、大変面白いシチェドリンとデリケートな「火の鳥」は吹奏楽愛好家としては聞いて損のない演奏だと思います。残響が少ないため少し損をしているのが惜しいです。 RUSSIAN EXPRESSIONS(Klavier 11167) 1.Rodion Shchedrin(arr. Frank Pappajohn):Concerto for Orchestra No. 1 "Naughty Limericks"2.Dmitri Shostakovich(arr. Lev Avtomyan trans. Frank Pappajohn):Ballet Suite No. 43.Igor Stravinsky(arr. Lawrence Odom):The Firebird Suite from the Ballet4.Serge Prokofiev(arr. Lawrence Odom)Scythian Suite, Op. 20UNITED STATES AIR FORCE BANDLowell Graham(cond)Recorded 21-27 Jan. 2002 in The Louise AHayley Gilliam Concert Hall Carl J. Nurphy Fine Cnter,Morgan State Univ..Baltimore MD
2007年08月01日
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