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日経流通新聞MJ 2007年1月17日16面になかなか魅力的なCDが紹介されています。歌声の中から自分の名前がたびたび登場する音楽CDだそうです。(以下引用)望城産業が運営する「大切屋」が売り出したCD「キッズジュークボックス」は簡単な英語の歌詞の曲を8-10曲収録している。各曲には名前を挿入するポイントが数カ所あり、注文すると希望の名前をそこへ挿入してくれる。1枚のCDで40-50回ほども「名前」が歌われる。挿入できる日本人の名前は800以上。子供に英語への興味を持たせたい親向けに作られたCDだが、「サプライズな贈り物にうってつけ」と誕生祝い、退職祝いなどに購入する大人たちも少なくないそうだ。(引用終わり)望城産業のホームページを見てみました。とても楽しそうなCDです。『誕生日やクリスマス、出産祝い、またご結婚祝い、ちょっとした贈り物やプレゼントにも最適です。』と書かれてあります。実物を見るととても楽しい感じです。 ホームページには、どういうことか解説があります。『例えば、あやかというお名前の子がいます。英語の曲の中で、(3種類のCDアルバム8~10曲入りがあります)「あやか♪♪、レッツゴーアンドプレイ~」「ヘイ、あやか♪♪~」などリストにある名前なら、その名前を歌ってくれると言う事なんです。サプライズな笑顔が目に浮かびます!!贈った方もうれしい贈り物です。』ということで、結構面白い商品だと思います。大人はどうか知りませんが、子供だったら確実に嬉しいと思いますね。欲を言えば、曲毎に呼ぶ名前を変えることが出来るともっと良いですね。それに名前が800種類しかないというのも、解せません。長ったらしいと、歌詞が曲に乗らなくなる可能性はありますが、他に制約条件はないはずですので、好きな名前を入れられるようにしてもらいたいですね。また、長い名前の場合も、歌う速度をその部分だけ速めるという方法もあると思います。(メーカーの方、これを読んで商品化しようと思ったら、私までご一報下さい。 (^^;)ただ、残念なのは、試聴出来ますと良いながら、出来ないところです。工事中なのかもしれませんが、いい気持ちになってきたところに、急に気持ちがしぼんでしまいます。早いとこ直して欲しいです。
2007年01月31日
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チャンネル桜の水島社長がメガホンをとって、続々と制作されつつある「南京大虐殺」のプロパガンダ映画に対抗するため、『南京の真実』という映画を作ることになったそうです。(以下引用) 平成19年1月24日昼、東京千代田区のホテルニューオータニにて、映画「南京の真実(仮題)」製作発表記者会見が行われました。会場には、製作・監督を担当する水島総をはじめ、南京問題の研究者である東中野修道亜細亜大教授や保守論壇を代表する渡部昇一氏など三十三名の賛同者が勢ぞろい。国会議員も超党派で松原仁、稲田朋美議員等12名が「南京の真実を考える国会議員の会」として参加し、国会議員とほぼ同数の地方議員も加わる大規模な記者会見となりました。この問題の国際的影響からか、NHKなどの国内メディアだけではなく、AP、AFP、UPI、ニューヨークタイムス等の外国メディアも多数ご参加いただきました。 ■制作趣旨 南京陥落70周年の今年 (平成19年・2007年)、米国サンダンス映画祭にて、南京「大虐殺」映画が公開されました。 さらに、中国、カナダ、米国等で計7本の南京「大虐殺」映画製作が予定され、全世界で公開されると言われています。歴史的事実に反し、誤った歴史認識に基づくこのような反日プロパガンダ映画によって、南京「大虐殺」なる歴史の捏造が「真実」として、世界の共通認識とされる恐れがあります。また、そこから生まれる反日、侮日意識が、同盟国の米国だけでなく、世界中の人々に定着しかねません。 「情報戦争勃発」とも言える危機的事態に、私たちは大同団結し、誤った歴史認識を是正し、プロパガンダ攻勢に反撃すべく、南京攻略戦の正確な検証と真実を全世界に伝える映画製作を決意しました。 映画は英語版や中国語版等も同時に作り、世界同時公開を目指します。また、インターネットの動画配信も実行する予定です。公開は南京70周年の12月を目処としている。(引用終わり) 賛同者の顔ぶれも凄いです。渡辺昇一上智大名誉教授はじめ中西輝政兄弟大学院教授、中村粲獨教大教授、東中野修道教授などの学校関係者、屋山太郎、櫻井よしこ、工藤美代子、クライン孝子、日下公人などの言論界、稲田朋美、西村真吾、石原慎太郎などの性先などそうそうたる名前が連なっています。是非成功してもらいたいものです。■心配なこと 心配なことが一つあります。映画人の名前があまり見えないことです。水島監督の作品として「南の島に雪が降る、「奇跡の山」の2本がありますが、あまり評判はよろしくありません。このため、出来について、少し不安があります。 結局、こういうものは如何に大勢の人にも見てもらえるかが一番重要です。そのためには、優れた脚本、優秀な俳優、スタッフ、優れた営業がなければ成り立ちません。 声高に「真実はこうだ」式に訴えてもだめで、真実を淡々と描く様な方法でないと、観客の心には届かないと思います。いっそ、クリント・イーストウッドに監督をしてもらいたいほどです。 理念だけ立派でもだめなんです。出来れば、大手映画会社に配給できるような体制を整えてほしいものです。否定的な意見になってしまいましたが、この映画を否定しているわけではありません。もちろん応援しています。ただ、如何に大勢の方に見てもらうかを考えるとき、優れたプロの力を利用しないと、良い結果は出ないのではないかと思うのです。そのための戦略を考えて欲しいですね。ともあれ、是非成功してもらいたいものです。 なお、映画支援の呼びかけがされています。趣旨に賛同される方は、一口1万円で牡蠣銀行口座への振り込みをお願いいたします。■資金ご協力について趣旨にご賛同頂ける皆様からの製作資金のご協力を募っております。全国草莽の皆さまの熱いご支援をお待ちしております。振込口座【金融機関】三菱東京UFJ銀行渋谷明治通支店【口座番号】(普通)3999924【口座名】南京の真実製作委員会 (フリガナ)ナンキンノシンジツセイサクイインカイ ※ご支援は1口1万円からお願いいたします。 ※恐れいりますが、振込手数料は各自のご負担でお願いいたします。 ※振込状況は随時ホームページ上で公開いたします。
2007年01月30日
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以前からその存在は知っていましたが、今まで聞く機会がなかった、盛岡バッハ・カンタータ・フェライン30周年記念の『ヨハネ受難曲』を聴きに行きました。宗教曲はあまり聞いていなくて、実演に接したのも、殆ど初めての状態でした。結論からいうと、大変充実した演奏会だったと思います。福音史家の五郎部俊朗氏をはじめとした声楽陣、東京バッハ・カンタータ・アンサンブルの伴奏、そしてカンタータ・フェラインの合唱と、どれも充実していたと思います。 指揮はビンシャーマン。カンタータフェラインとは1991年から共演していて、今回で7回目だそうです。 今回の『ヨハネ受難曲』でバッハの4大宗教曲が完成しました。ビンシャーマンは指揮棒なしの指揮で、時折キューを出すだけで大仰な身振りはありません。音楽は生き生きとしていて、引き締まった表情でした。痩身痩躯で、背筋を伸ばした指揮ぶりは、とても今年87歳になる方とは思えませんでした。1部と2部の間で椅子に座って休憩を取っていましたが、あとはずっと立ちっぱなしで、2時間あまりも立ち続けるのは、普通の大人でも大変なのに、あの歳としては、驚異的な体力だと思いました。 声楽陣の中では、福音史家の五郎部俊朗氏の軽くて、明るく、発音がはっきりしていてとても良かったです。また、多田羅迪夫氏のイエスは堂々としていて、あらすじに沿った設定でしたが、その豊麗な声は素晴らしかったです。でも、個人的にはちょっと立派すぎる感じがしました。 岩手出身の方が4人出演されていました。ピラト、ペテロを歌った小原浄二氏は安定した歌いぶりでした。テノールの鏡貴之氏は芸大大学院在学中で、最初はあまり調子が上がらなかったようですが、後半は調子をあげたようで、軽く柔らかい声が快かったです。バスの佐々木直樹氏は出番が少ないながらも、その深々とした低音が魅力的でした。 総勢113名からなる合唱は、透明感はいまいちでしたが、ピッチも安定して、堅実に歌っていたと思います。この長い曲は練習するだけで大変な曲だと思います。それを、ここまで仕上げたのは、指揮者の佐々木正利岩手大学教授の指導力と会員の皆さんの努力と鍛錬のたまものだと思います。 芸大OBからなるバッハ・カンタータ・アンサンブルの伸びやかで、控えめな演奏も良かったですね。個々の奏者の技量が高く、ソロなどでの腕前も確かでした。気に入ったのは、第19曲バスのアリオーソでのヴィオラ・ダモーレの2重奏で、とても美しかったです。また、オーボエ・ダ・カッチャの音色を聞くことが出来たのも、嬉しい体験でした。 ヨハネ受難曲は馴染みがないので、前もって予習をしておこうと思いました。ところが時間がなくてそのまま行ってしまいました。プログラムを見たら、カンタータ・フェラインのコンサートマスター、佐々木幹雄氏の手になるとても詳しいあらすじの他と、この楽曲の特徴についても書かれてあり、とても参考になりました。それに、佐々木正利氏の思い出話もなかなか興味深かったですね。また、字幕がステージの両側に準備してあり、物語に不案内な私にとって大変有り難かったです。 休憩なしの2時間。大変充実した時を過ごさせていただきました。バッハの偉大さをあらためて認識させられた演奏会だったと思います。 定員約2000人の会場は、1700人から1800人くらいは入っていたと思います。こんなに合唱に関心のある方がいらっしゃるとは知りませんでした。これから、この団体の演奏会に注目していきたいと思います。年末には盛岡市民ホール10周年記念でマーラーの『復活』を演奏するようですので、是非行きたいと思います。五郎部俊朗(福音史家)多田羅迪夫(イエス)小原浄二(ピラト、ペテロ)井上しほみ ヘラー(ソプラノ)佐々木まり子(アルト)鏡貴之(テノール)佐々木直樹(バス)盛岡バッハ・カンタータ・フェライン佐々木正利(合唱指揮)東京バッハ・カンタータ・アンサンブル(蒲生克郷 コンサートマスター)ヘルムート・ビンシャーマン(指揮)1月28日 岩手県民会館大ホール3階にて鑑賞
2007年01月29日
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NPO日本チェルノブイリ連帯基金(JFC)主催のチャリティーコンサート「坂田明のひまわりコンサート」。最初にJFC事務局長神谷さだ子氏が挨拶されました。チェルノブイリの甲状腺癌にかかった子供達を救うために、爆発事故の5年後から15年間で焼く6億円の医療援助と86回にわたる医師団の派遣をベラルーシに行っているそうです。今、2月に超音波診断装置を持って行くそうです。プログラムにCD『ひまわり』が出来るまでのことが書かれてあります。2005年にJFC理事長の鎌田賽医師に、ラルーシ共和国のチェルチェスク近郊のプジシェチェ村の泉に、ミジンコを見に行ないかと誘われました。ついでに演奏もということで、ゴメリ州立病院の350人くらいの聴衆を前にして、「黒い瞳」や「ひまわり」を演奏しました。鎌田医師の再三の勧めによりCDを録音することになりました。頑張らない今回のコンサートは録音時のメンバーによる初めてのコンサートになりました。■特異な編成と静的な演奏 編成は、ピアノ、ベース、パーカッションにホーンという特異な編成。パーカッションはあまり、ビート感がないために、どちらかというと静的な演奏になりました。 最初の『早春賦』は殆どメロディーを吹いただけで、呆気にとられてしまいました。何しろ私は、山下洋輔トリオ時代の彼しか知らないので、現在どのように変貌しているか全く予想も出来なかったのです。 2曲目の『見上げてご覧夜の星を』これも切々と歌い上げています。といっても決して湿っぽくはありません。 ここで、MCが入りました。相変わらず、落語調の噺で、ここだけは変わっていません。 3曲目は、実際に結婚する人の前でないとどうも具合が悪い曲で、以前一関の『ベイシー』でやったときに、一番前に座っていたカップルが結婚したばっかりだとか何とかで、『それじゃあなた方のために演奏する』とか言って演奏したそうです。 4曲目の『遠くへ行きたい』。これもしっとりした感じで靜に終わりました。このままこういう感じで進むのかなと思っていたら、次の『貝殻節』で、見事に裏切られたというか本来の持ち味が発揮されました。 ■エンジン全開の『貝殻節』 貝殻節ではいきなり歌い出したのでビックリ。歌というか、どちらかというと怒鳴っているような感じで笑ってしまいました。この曲では歌だけだったと思います。 ■抱腹絶倒の『役立たず』 休息の後は、『水母』と『A good for nothing』のメドレー。水母は水母の泳いでいる様子が浮かんでくるような、海を思わせるような穏やかな曲です。ところが、『A good for nothing』が始まると、坂田明が叫び出しました。『役立たず、やみくもりもり、やみくもり、後は晴れだ。。。。』というようなかしで、思わず笑ってしまいます。■本来の過激な演奏 DANCEは速いテンポの曲で、クラリネットに持ち替えた坂田明が本来のフリージャズの醍醐味を感じさせる演奏を繰り広げました。今回のコンサートでは最もアグレッシブな演奏。 ■演奏するよりも疲れる詩の朗読 武満徹の「死んだ男の残したものは」では、歌詞の朗読が付きました。朗読と言っても坂田明ですから、声を絞り出して叫ぶように朗読しています。この曲は、最後の歌詞が凄く感動的なのですが、坂田明の朗読でも感動しました。この曲は反戦歌なのですが、現在聞いても古くさくは感じませんでした。 ■今までにない経験『ひまわり』 最後の「ひまわり」。ピアノで例のイントロが弾かれるうちに、目がウルウルし出しました。坂田のアルトが吹き始めたらもうだめです。目の前がよく見えなくなりました。何なんでしょう。こんな経験は初めてです。この曲は大好きなんですが、こんなになるなんて思っても見ませんでした。坂田はメロディーを淡々と吹き、オブリガートを少し付けているだけなんですが、なんとも感動的な演奏になってしまいました。 アンコールはドボルザークの「家路」これも、朗々と歌い上げていました。 ■生音の醍醐味 今回のコンサートは入れ物が小さいということで、PAなしでした。座席が前から2列目とステージに近かったせいか、ピアノの音が少し弱くバランスが悪い感じがしました。ベースの音が意外によく聞こえました。これが普通のドラムスであったらば、ここまでは聞こえないと思います。 ■多彩なパーカッション ヤヒロトモヒロのパーカッションは、通常使わない楽器でない物まで使って多彩な音を出していました。椅子に穴が空いているのを見て、バックロードホーンではないかと思っていたら、やはり打楽器でした。この穴が音量を大きくしていたようです。 音量の一番大きい楽器はシンバルですが、スティックも通常の堅い物ではなく、柔らかい材質の物を束にしたような感じで、あまり大きな音がしないような仕組みになっているようです。 フェビアン・レザ・パネの端正なピアノは出しゃばりもせず、非常に好ましい物でした。ソロは、新しい感覚を感じさせて良かったです。 吉野引志のベースもそれほど強力な感じではありませんが、ドラムスがいない中でしっかりとビートを刻んでいました。時折聞かせるアルコもなかなかでした。 PAなしということもあり、全体的にインティメートな雰囲気のコンサートで、ホールではめったにない経験をすることが出来たと思います。■CDを買って募金に協力しよう会場ではCDやホワイトデーのホワイトチョコレートを販売していました。持ち合せが少なかったためその場では購入しませんでしたが、一関「ベイシー』の菅原昭二氏が『涙が出るくらいい』と絶賛しています(プログラムより)ので、是非買いたいと思います。会場では100枚ほど売れたらしく、入れ物が600名ですから、ほぼ5人に一人は買ったことになります。 なお、日本チェルノブイリ連帯基金の会員申し込みは次の通りです。 賛助会員:年会費5千円 特別賛助会員:年会費3万円 事務局がんばれ会費(事務局運営費):年間1万円 郵便振替口座:00560-5-43020第1部1.早春賦2.見上げてご覧夜の星を3.Wedding March4.遠くへ生きたい5.貝殻節第2部1.水母~A good for nothing2.ハタハタ3.DANCE4.死んだ男の残したものは5.ひまわりアンコール家路坂田明(as,vo)フェビアン・レザ・パネ(p)吉野弘志(b)ヤヒロトモヒロ(perc)1月24日 岩手県民会館中ホール2列24番で鑑賞
2007年01月28日
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稀代のテクニシャン、アムランのドキュメンタリーとコンサートのDVDがハイペリオンから出ました。副題は『コンポーザー=ピアニストの系譜』とでもつけられるような内容です。彼の音楽に対する考え方と演奏風景を堪能することが出来ます。私はピアノが弾けないのでテクニク的にどうかという話は出来ません。ただ、ピアノを弾く方にとっては、呆気にとられるほどの技術の持ち主であることは、素人目にも分かります。目に付くのは、ピアノを演奏する時の姿勢として、理想的な姿勢ではないかということです。上体は動かず、鍵盤と指の位置が常に同じであることが分かります。 この姿勢はあれほどの難曲を弾くための必要不可欠ではないかと思います。今回のDVDアムランの音楽に対する考え方を知ることと、彼のテクニックの秘密の片鱗を垣間見たような気がします。全クラシックファンに絶対のお勧め!■面白い話満載のドキュメはンタリー 最初は、アムラン自身の演奏とお話に、作曲家、評論家、レコーディング・エンジニアなどの話が加わります。観客のいないステージに出てくると、いきなりジェフスキーの「「不屈の民」変奏曲が始まります。久しぶりに耳にしましたが、懐かしかったです。最近は弾かれているんでしょうか。この曲は、このドキュメンタリーの最後(このときはライブ)にも出てきて、締めくくられます。昔は全く興味がなかったシューマン、ショパン、シューベルトも最近弾くようになったそうです。このドキュメンタリーでもシューベルトの21番のソナタを弾いています。意外にロマンティックな解釈です。 メトネルについての話で、メトネルを弾くきっかけになったことを話しています。子供の頃の女性の教師は、スクリャービン、メトネルと交友関係があるアレクサンドル・ラルベリテという人物の弟子でした。彼女は「二つのおとぎ話」作品20の第1を他の子供によく教えていたそうです。 彼がメトネルに惹かれる理由は、「指にすばらしい感触を与えてくれる」という理由だそうです。残念ながら、こればっかりは、実際に弾いてみないと分かりませんね。また、メトネルの魅力はすぐには伝わってこないという意見には全く賛成です。私は以前からアムランのメトネルソナタ全集に関心があり、今回のDVDを聞いてますます欲しくなってしまいました。 アムランは1時間20分もかかるというスチーブンソンの「DSCHによるパッサカリア」の僅か500枚しかプレスされなかったレコードを所有していて、それを見せてくれます。また、英国在住のスチーブンソンが登場してインタビューを受けています。その中で、ブゾーニの名前が「フェルッチョ・ダンテ・ミケランジェロ・ベンヴェヌート・ブゾーニ」という冗談のような長い名前であることを初めて知りました。父親が、イタリアの偉人の名前をすべて付けたそうです。何と欲張りな! それから、スチーブンソンはジャズ・ピアニストのファッツ・ウォーラーがゴドフスキーのピアノの弟子であったことも話しています。これは知りませんでしたね。 アムラン自身の作品も演奏されます。「after pergolesi」はロマンティックな曲です。 ジャズについて語った部分で、「自分はジャズの教育を殆ど受けていない。私がしているのはジャズ風の演奏で、それで満足している。」という言葉が印象的でした。即興については、全く違う能力が必要であることを自覚していて、敢えてそこには踏み込まないという考えがにじみ出ていました。 このDVDでは時々手がクローズアップされるときがあります。アルカンの「ピアノのための交響曲」では、左手の跳躍が何度も出てきますが、早すぎて見えません。普通に動かすだけでも凄い早さです。全く凄いテクニックです。 とにかく、ピアノに関する面白い話がごろごろしていて、ピアノ好きにはたまらないDVDです。インタビューを聞いて、アムランは本質的にはロマンティックな曲が好きなんだと言うことが分かりました。ただ、そのロマンティックな曲が他人には演奏困難な曲だったり、あまり知られていない作曲家だったりしただけなのでした。■リサイタル ~圧巻のゴドフスキー 後半は、カナダのケベック州シャルルボワで行われたドメーヌ・フォルジェ国際音楽祭のコンサートのライブです。ドビュッシー、ゴドフスキー、リスト、アンコールのシャリアーニ、アンタイルなど、普通のピアノ・リサイタルでは考えられない、プログラムです。曲の合間に、ラヴァル大学の音楽学助教授Marc-Andre Robergeの解説が入ります。 圧巻はゴドフスキーのショパンの練習曲に基づく練習曲集ですね。特にショパンの作品10の第6を基にした曲がすごかったです。叙情的な旋律が艶やかなアルペジオの衣装をまとっているのですが、それが左手だけで演奏されるところが凄い、凄すぎます。 リストのトランスクリプションはワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「愛の死」とヴェルディの「エルナーニ」でした。曲のおもしろさからいって「愛の死」が面白かったです。特に、頻繁に出るトレモロがすごく大変そうでした。アムランの演奏はこれらのトランスクリプション特有の臭みがなく、すっきりとした仕上がりです。 アンコールは2曲でイタリアの現代作曲家サルヴァトーレ・シアリーノのAnamorfosis」と、ジョージ・アンタイル(1900~1959)の「ジャズ・ソナタ」です。どちらも短い曲ですが、アンコールにもってこいの華やかな曲です。 シアリーノの「Anamorfosi」はラベルの「水の戯れ」にのって、「雨に歌えば」が出てきます。客席からどよめきが聞こえてきます。 「ジャズ・ソナタ」(1923 '40th))はその名の通り急速調のラグタイムで、何種類ものエピソードがパッチワークのように連なっていて、とても楽しい曲です。 今回収録されたのはコンサートの後半のようですが、コンサート全部を見たくなるほどのすばらしさですね。 コンサートの前後にドビュッシーの『水の反映』の一部が演奏されています。これも、コンサートの一部のようです。どうせだったら、コンサート全部を収録してほしかったですね。 付録として、Robert Rimm(The Composer-Pianists:Hamelin and The Eight の著者)、Jay Reise(肉体の中の悪魔の作曲家)、Harvey Wedeen(アムランを教えたピアノ教師)へのインタビューの他に、2001年に収録された、バンスカ=ラハティ交響楽団との共演でブゾーニのピアノ協奏曲の第4楽章「イタリア風に」がフィーチャーされています。タランテラのリズムにのった曲の凄まじさと、アムランのテクニックの凄さ(さすがに大変そうではありましたが)に圧倒されます。惜しむらくは、画質がちょっと悪い(BIS提供の映像で、多分放送用でしょうから、それなりですが)。以前CDをよく聞いていたものですが、あらためてこの曲の途方もないスケールを感じてしまいました。 時折出てくる、シャルルボアの草原と湖の美しい風景がとても心を和ませてくれます。Marc-Andre Hemelin:It's About The Music(Hyperion DVDA 68000)PART I Documentary Frederic Rzewski(bl938) The People United Wfll Never Be Defeated! Franz Schubert(1T97-1828) Piano Sonata in B flat major, D960, first movement= Molto moderato Franz List(1811-1886) Ernani-Paraphrase de Concert, S432 (after Verdi) Nikolai Medtner(1880-1951) Skazka ('Fairy Tale') in B flat minor, Op 20 No l Leopold Gdowsky(1870-1938) Study No 13 in E flat minor, after Chopin's Etude, Op 10 No 6 for the left hand alone Ronald Stevenson(bl928) Passacaglia on DSCH [played by Ronald Stevenson] Frruccho Busoni(1866-1924) Piano Concerto, Op 39, third movement= Pezzo serioso Frruccho Busoni(1866-1924) Piano Concerto, Op 39, fourth moverrtent= All' Italiana (Tarantella) Marc-Andre Hamelin(bl961) 'After Pergolesi', from Con intimissimo sentimento (200O) (arrangement of the song 'Se tu m'ami') Paul Dukas(1865-1935) Piano Sonata in E flat minor, third movement= Vivement, avec 1egerete Isaac Albeniz(1860-1909) 'El puerto' from Iberia Nicolai Kapustin(bl937) Concert ~tude, Op 40 No 7, Intermezzo:Allegretto Charles=Valentina Alkan(1813-1888) Symphony for solo piano, Op 39 Nos 4-7, Finale: Presto Frederic Rsewski(bl938) The People United Will Never Be Defeated! PART II Recital: Marc-Andr6 Hamelin in Charlevoix, Quebec Claude Debussy(1862-1918) Reffets dans i"eau, from Images II Leopold Godowsky(1870-1938) Seven Studies on Chopin's Etudes No 45 in E major= Nouvelle etude No 2, first version No 7 in G flat major= Op 10 No 5, first version No 8 in C major= Op 10 No 5, second version No 13 in E flat minor= Op 10 No 6, for the left hand alone No 18 fn F minor: Op IC No 9, second version (imitation of Op 25 No 2) No 44 in F minor= Nouvelle 6tude No I for the left hand alone No I in C major= Op 10 No 1, first version Leopold Godowsky(1870-1938) The Gardens of Buitenzorg, from java Suite , Franz List(1811-1886) Isoldens Liebestod, S447 (after Wagner)Franz List(1811-1886) Ernani-Paraphrase de Concert, S432 (after Verdi) Salvatore Sciarrino(bl947) Anamorfosi ' f :~; George Antheil(1900-1959) Piano Sonata No 4 'Jazz Sonata' Claude Debussy(1862-1918) Reflets dans I'eau, from lmages II
2007年01月27日
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昨日NHKで放映された『プロフェッショナル』に指揮者の大野和士氏が出演していました。とにかく楽曲の理解の深さで相手を圧倒しないと納得してもらえない、というのが信条のようで、凄い迫力でした。顔も怖かったですね。次々に起こる困難にも逃げずに立ち向かう、その姿をみて、さすがに世界でも一流の方は違うなと思いました。まだ、46歳ですが大したものです。 大野氏はベルギーの『モネ歌劇場』の音楽監督です。一つ目の困難はフランスのシャトレ座でのヘンツェのオペラ『バッサリーズ』のフランス初演。公演日近くになってラジオ・フランスの管理・技術部門の人員のストライキのおかげで、フランス放送フィルが出演出来なくなり、ラムルー響を代演に立てるという案もお流れになった。 大野氏は取りやめることも可能な状態で、今までつき合ってきた歌手や合唱の努力を無駄にしたくないと思い、急遽ピアノ3台と打楽器の編曲を行った。終演後、聴衆から手拍子が起こり公演は成功した。 もう一つの困難は、昨年10月にモネ歌劇場で上演された『トリスタンとイゾルデ』の公演。アメリカのテノールJohn Keyesをトリスタンとしてスターダムに載せようと、大野氏は頑張ります。かなり良くなってきたと思ったら、主役のTheorinが風でダウン。衣装を着けたゲネプロでは、主役のソプラノがいなくなるため、合唱団の中で将来ソロ歌手を目指して勉強している女性を2時間前に引っ張ってきて、練習をつけて何とか歌わせようとしますが無理でした。結局、大野氏がした決断は、自分がイゾルデを歌うことでした。 結局初日は、代役を立てましたが、公演は成功に終わり、トリスタンのJohn Keyesも一躍その名を音楽界にとどろかしたのでした。 いや~凄いです。大野氏の危機管理能力はそこいら辺の企業の社長よりも優れているのではないかと思います。それから、彼の勉強ぶりも凄いですね。何しろイタリア語、ドイツ語、フランス語、英語を自在に操り、歌劇の原書も原語で読むそうですから。 とにかく、その勉強ぶりが半端ではありません。スタジオに来て、ヴェルディの『椿姫』第1幕への前奏曲をピアノを弾きながら解説しましたが、その解釈の深いこと。アクセントは、結核を病んでいるヴィオレッタが吐血したところだとか、下降する旋律は、かつて自分がいた社交界がもう届かぬことを知りながら思い出しているから、ディミヌエンドでなければならないとか、よくここまで作曲家の心情に対して想像力が働くものだと思いました。 わたしも、何人かの指揮者と演奏してきましたが、想像力の豊かな指揮者とそうでない指揮者がいる場合、やはり想像力のある指揮者と演奏する時のほうが、指揮者の考えていることが理解しやすいと思います。ただ単にここはフォルテだとかここはレガートでとか言っても、指揮者の意図が分からなければ無機的な演奏になりやすいと思います。 自分の思いを伝えるためには、如何にコミュニケーション能力が必要かは、音楽の上でも非常に大切なことをあらためて思い知らされました。それでも、物語のない場合どのように説明するのかとても興味がありますね。クライバーがウイーンフィルとのリハーサルで、ベートーベンの第4交響曲をやったときに、2楽章で、『ここはテレーズ、テレーズで弾いてくれ』と言ったことを思い出しました。 大野氏の演奏に対する姿勢もとても興味深いものがあります。指揮者はゴールを示して、あとは演奏者の自由に任せるのが理想だと言います。だから、リハーサルでは徹底的に絞っても、本番では演奏者が最高のコンディションで演奏できるように、大きな身振りや指示をしないで、演奏者を解放するのだと言います。最近の指揮者は、本番には奏者を解放する傾向にあるようですが、身振りなどにも気を配っている方はあまりいないのではないかと思います。ともすれば感興に任せて自分のパーフォーマンスに酔ってしまうこともあると思います。ここまで考えている指揮者も珍しいのではないでしょうか。 それを支えているのは、次はないんだという危機感だそうです。それに比べると、私みたいなサラリーマンは甘いですね。とても教えられました。昔、東フィルの常任指揮者だったころ、オペラ・コンチェルタンテというシリーズを上演していました。その演奏を聴きに行ったことがあります。そのころから氏の明晰な音楽に心引かれていました。相変わらずのご活躍のようでとても嬉しく思いました。これからも大いに頑張ってもらいたいものです。
2007年01月26日
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日経ベンチャーに作家であり、リスク・ヘッジ代表の神足裕司氏がコラムを書いています。(引用開始) 企業危機管理の専門家である田中辰巳氏は、じゃ、不二家はどうすればよかったかと問われて、最初の会見で「ケーキ事業から撤退します」と言うべきだったという。 前例として2003年8月にドラマ『西部警察』のロケ中、暴走車が見物客に突っ込んだとき、石原プロ渡哲也社長が「制作を中止します」と会見したことを挙げる。そういえば昨年7月には、欽ちゃん球団「ゴールデンゴールズ」の山本圭一氏が問題を起こした時、欽ちゃんはすぐさま「大好きな野球だけど、やめることにしました」と宣言した。この二つのケースでは、大いに同情が集まり「そこまでしなくても」という感情のもと、結果として事業は存続した。 私は企業不祥事の原因について疑いを持つものだ。本当に、重大な事態を招くほど、不祥事の内容は重大なものだったのかと。2000年の雪印食中毒事件では、大阪本社で広報担当にこっそり聞いた。「でも、牛乳でおなかを壊すってよくあることなんでしょう?」と。担当者は「そういったクレームはしょっちゅうあります」と、ぼそぼそ答えた。雪印が初動を誤った裏には当事者たちの、こうした「あいまい」さに慣れた意識がある。 確かに消費期限切れの牛乳を使っていたことは責められるべきかもしれない。食品衛生法基準を超える細菌、ネズミの出る工場も問題だ。しかし、閉店した百貨店の食品売り場の担当者は「ネズミの糞はそこいらじゅうにあります」と言っていたし、カップコーヒー自動販売機の裏側にはゴキブリがびっしりいます、なんて話はいくらでもある。 それでも、日本人のあいまいさの裏にある潔癖性は、不二家のミルキーやカントリーマムなど、洋菓子以外の製品も店頭から撤去させる。危険性も安全性も確認されてない。が、不二家は「穢れ」なのだ。 首脳陣はどう考えていたか? 11日、内部通報者によるマスコミリークへの対応で藤井林太郎社長は、ごくふつうの言い訳をした。内部文書には「雪印の二の舞になる」とあったのだが、見事に雪印の轍を踏んでしまったわけだ。雪印の場合と同様に、食中毒や工場の衛生状態は問題の中心ではなかったのである。それを見抜けなかったということだろう。 不二家は、消費期限切れの牛乳を使っていたことを11月に知りながら隠した。隠そうとしたから、暴く側に熱が入る。羽賀研二氏の場合ような、もっと卑小な問題でさえ、「嘘がある」と思われれば大舞台で追求される。 これこそ「美しい日本」だ。 お客様の感情こそ商売のすべてであるとわかっていた渡社長と欽ちゃんは、当然の行動をとった。どの道、この事業は頓挫する。そうであれば、きれいに引く以外ないと。700を超える支店を抱える不二家にはできっこない話だ。 昨年のパロマ瞬間湯沸かし器や温風機、それから三菱自動車のリコール隠しなど、不祥事があばかれるたびに思う。日本企業は、それほど悪党揃いなのか? どうしようもない大きな力に押し流されているだけではないのか? あの、藤井社長の辞任会見「辞任して参りたい」という死人のような声を聞いて、その意を強くした。 ただ、悲しいかな、成功を知っている経営者には、時代が変わったことがわからないのだ。私自身の体験で、そのことを痛感した。不二家のペコちゃん焼きを売っていた神楽坂には、私が住んでいたころの30年前の風景はもうない。銀座も変わり果てた。でも、眼を閉じれば浮かんでくるのは、25才のときの町並みだ。 40年前のペコちゃんが藤井社長のまぶたの裏にはある。だが現実には、GATTで輸入菓子は自由化され、スイーツのお客の主流は、今やティラミス世代だ。 時間がゆったりと流れていた時代、企業が今よりずっと尊大でいられた時代に育った安定期の経営者が、21世紀の激動に対処できるはずはない。不遜な断定ではあるが。(引用終わり) やはり、想像力の欠如と危機の時の対応の仕方のまずさこの二つだったと思います。それに、保身もあったでしょう。今回は、過去に似たようなケースが何件かあったわけですので、それを学習していないとしか思えません。特にトップの責任は重大です。その点、渡社長と欣ちゃんは経営者としても一流だと言うことが明らかになりました。 また、消費者の目が厳しくなっていることも、事態を悪化させることになりました。家の子供も、賞味期限が過ぎたものは食べようとしません。昔、賞味期限がなかった頃は、少々傷んだ物でも、平気で食べていたものです。産経新聞のコラムで、消費者の求めているが『安全』から、『安心』に変わったためだとありました。それを、あまり感じていなかったことが、事件を大きくした原因ではないでしょうか。
2007年01月25日
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昨日、家に帰ったら、子供がテレビの「白虎隊」で流れていた歌を調べているけど、見つからないと言って、私に泣きついてきました。どんな歌なのか歌って見ろと行ったら、サビの部分を歌ったので、ぴ~んときました。ロンドンデリー・エアー」なことが分かったので、「ロンドンデリー・エアー」、「ダニー・ボーイ」なんかで、検索させましたがだめみたいです。 しょうがないので、「白虎隊」「主題歌」などのキーワードで検索して、「Yopu Raise Me Up」という曲であることが分かりました。 またそこから、誰が歌っているかを突き止めるため、AMAZONで検索して、繰り返し聞きましたが、どれか分からない模様。一番下の子供も出てきて、「何で分からないの」と幾分見下した態度で、「これに間違いない」とか断定しています。 iTune Storeでも試聴しましたが、通信が込んでいて、細切れになり、何が何だか分かりません。結局、それらしい候補をCD UNIVERSEで探して、やっと見つけました。Certic Womanの歌でした。 早速iTune Storeで購入しました。ところが、当人はMDしか持っていないため、CDに焼かなければなりません。私も面倒くさいので、CD-Rがあったら焼く、といって先送りしてしまいました。 一番下の子供はiPodなので、早速ダウンロードして聞いていました。もう世の中MDの時代ではないんでしょうね。音質よりも利便性のほうが勝ってしまう世の中になってしまいました。子供は、CDに焼いたらちゃんとしたCDのジャケットも印刷して欲しいと言っています。この子は、私と同じような古い感覚の持ち主のようです。私も、ダウンロードした物は全く愛着がわきません。 歌を聞いてみたら、それほど悪くはないです。最近の子供でもこれがいいということは、私の感覚とめちゃくちゃ違うわけでもないようですね。
2007年01月24日
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恒例のスイングジャーナル主催の第40回のジャズ・ディスク大賞の発表がありました。 今回の金賞は、チック・コリアの『スーパー・トリオ』。銀賞は、リッチー・バイラークが、『マンハッタンの幻想』が受賞しました。 そのほかの全受賞作品は以下の通り。【金賞】『スーパー・トリオ/チック・コリア,スティーブ・ガッド,クリスチャン・マクブライド』【銀賞】『マンハッタンの幻想/リッチー・バイラーク』【日本ジャズ賞】『ライブ・アット・ベイシー~ウイズ・ハンク・ジョーンズ/ケイコ・リー』『渡米50周年日本公演/秋吉敏子&ルー・タバキン・スーパー・カルテット・フィーチャリング・ジョージ・ムラーツ/ルイス・ナッシュ』(特別賞)【ボーカル賞】海外部門『アラウンド・ザ・シティ/イリアーヌ』国内部門『ニカズ・ドリーム/チャリート・ウイズ・マンハッタン・ジャズ・オーケストラ』【編集企画賞】TBM復刻シリーズ(全10作)【制作企画賞】『魂/KON/安富祖貴子』【最優秀ジャズ・ビデオ賞】『ザ・ラスト・トリオ・ライブ’80/ビル・エバンス』【最優秀録音賞】ニュー・レコーディング部門『メモリーズ・オブ・ユー/ケン・ペプロウスキー』リマスタリング部門アトランティック・ジャズ 紙ジャケット・コレクション(全20作)【ニュー・スター賞】海外インストゥルメンタル部門『ケリー・ブルー~トリビュート・トゥ・ウイントン・ケリー/ダン・ニマー』海外ボーカル部門『ソフィー・ミルマン』国内インストゥルメンタル部門『サラ・スマイル/市原ひかり』国内ボーカル部門『魂/KON/安富祖貴子』 金賞を受賞したチックのスーパー・トリオ、私は未聴です。いろいろなサイトを見ると、演奏に関しては文句なしだが、最後の「スペイン」が途中でフェイド・アウトする事を問題視していることをすべての論調が指摘しています。 ここで、このジャズ・ディスク大賞の目的が何であったかを考えておくことも必要かもしれません。たしか、「ジャズファンの利益になるように、その年に発売されたジャズ・レコードから優秀な物を選出する」というような内容だったと思います。 そうすると、今回のチックの金賞ははたして、この趣旨に合致しているのかはなはだ疑問です。CDはパッケージを含めで全体が商品です。演奏が良ければ、あとはどうであろうと構わないと思う人もごく一部にはいますが、他の人達はそうは思わないはずです。 演奏がすんごくいいから、そこは目をつむるという選択もあるでしょう。しかし、本当にファンの利益を思うのなら、金賞を受賞したチック盤の「スペイン」は途中でフェイドアウトしていますとか何とか、明らかにして欲しいです。 受賞の記事を見て買って、聞いた後で後悔するようなことは起きて欲しくありません。ひいては、この長い歴史を誇る賞の名前に傷が付きかねません。信用を得るには長い時間がかかりますが、失うのはあっというまです。 特に、昨今のネットの発達により、風評は瞬く間に世界中に広まります。そこいら辺を出版社の方には考えて欲しいと思います。 個人的には、ノーコメントですが、演奏が優れていれば、許せるという場合もあります。キース・ジャレットのアメリカン・カルテットの「生と死の幻想」の3曲目「グレイト・バード」はヘイデンのベース・ソロの途中で終わります。 その当時、この曲が途中でフェイド・アウトするという情報はライナーノートにも批評雑誌にも書いていなかった記憶しています。その時は、今のようにネットも発達していないので、表沙汰にはなりませんでした。この録音はキースの録音の中でも名盤とされるものです。私も愛聴していました。その時、いつもこのソロの続きを聞きたいと思ったものです。 今回のCDも願わくは、2枚組で良いので、完全版をリイシューしてもらいたいものです。その時は、私も買うかもしれません。ついでに、キースの「生と死の幻想」も何とかお願いしたです。こちらはもとがレコードだったので、何とでもなると思います。(閑話休題) チック自身は、RTF、ソロそしてバートンとのデュオで1度ずつ受賞していますので、4度目のそして、トリオで初の受賞となりました。5回受賞しているキース・ジャレットに次ぐ受賞回数です。歴代受賞作一覧 2位のバイラークはちょっと意外でした。それなりに上位に行くとは思っていたのですが、ここまで来るとは思いませんでした。 3位はメセニーとメルドーのデュオで、1位とは30点差と結構差をつけられました。審査員21名中ベスト15に入っていない方が5名もいます。1位に入れた審査員は4名でチックは3名、バイラークは2名です。チックは選外はなく、バイラークは1名です。これを見ると、事実上は僅差であったことが分かります。 個人的にはメセニー=メルドーを押していたので残念です。まあ、このCDは好き嫌いのでそうなところがあることはたしかではあります。。。 ベスト4位以下を説明しますと、 4位:キース・ジャレット:カーネギーコンサート 5位:ブランフォード・マルサリス:ブラックタウン 6位:e.s.t:チューズデイ・ワンダーランド 7位:ザ・グレイト・ジャズ・トリオ:星影のステラ 8位:チャールズ・ロイド:サンガム 9位:トリオ:ビヨンド:サウダージズ ~トニー・ウイリアムスへのオマージュ 個人的な感想としては、ボーカル賞(海外部門)でトニー・ベネットが3位だったのと、ボーカル賞(国内部門)のUA×菊池成孔の2位も意外でした。 最近、信頼できる評論家があまりいなくなり、購入の指針としてたいしてあてにしなくなりました。文章だけで惹きつける方も殆ど皆無です。昔だったら、油井正一、粟村政昭、大和明が好きで、他にも、好き嫌いは別にして早逝した鍵谷幸信氏とか個性的な評論家が多かったですね。クラシックでも、名物評論家は宇野功芳ぐらいしかいなくなりました。没個性的というか、主張が少なくなっているのでしょうか。今後、彼らのような魅力のある評論を展開するかたが現れてほしいものです。 今回の結果を見て、そんなことを感じました。
2007年01月23日
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周坊正行監督11年目の新作。前評判がかなり高く、期待していました。予想通りの充実した内容で大満足です。とても、まじめな内容ですが、監督の人柄でしょうか、何となくコミカルな雰囲気が漂っています。一番最初に、裁判官の心得とでも言う言葉が、クロバックに出ます。その言葉は忘れてしまいました。うろ覚えですが、「10人の罪を犯した人間を無罪にしても、一人の無辜の人を有罪にしてはいけない」というような内容の言葉がでかでかと映し出されます。裁判官の心得そのものだと思います。とても重い言葉です。■あらすじ フリーターの金子徹平(加瀬亮)は会社の面接に行くために、ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ります。駅について、歩いていると、電車の中で隣に立っていた女子中学生に腕を捕まれ、痴漢をしたと糾弾されます。そこへ駅員(石井洋祐)がやってきて、事務室へ連れていかれ事情を聞かれます。電車で隣に居合わせた女性もついて来て、「この人はスーツがドアに挟まっていて、それを引っ張っていただけだ」と主張します。ところが駅員は、金子が制止するにもかかわらず、その女性を追い返してしまいます。 警察に連れていかれた金子に対し、生活安全課の刑事山田(大森南朋)は罪を認めれば、罰金ですぐ釈放してやると、甘言で誘惑します。あくまでも、無罪を主張する金子。結局留置場に拘留されます。そこで、当番弁護士(田中哲司)を呼んでもらいますが、その弁護士も示談を勧める始末。 友達に連絡がついた金子は、友人斉藤達雄(山本耕史)に弁護士の依頼をする。偶然、様子を見に来ていた金子の母(もたいまさこ)と一緒に、つてを辿ってツグミ法律事務所の元裁判官の荒川正義(役所広司)と新人女性弁護士の須藤茉莉(瀬戸朝香)に出会う。 母親が偶然外灯で演説をしている痴漢冤罪者の佐田(三石研)に出会い、助力を要請する。佐田は一審は無罪であったが控訴され、上級審で判決を待っていところだ。 物的証拠が亡く、被害者の話だけで、起訴できるはずがないという、荒川の言葉を信じて、無罪を主張する金子。しかし、意外にも検察は起訴し、舞台は法廷へと移っていく。 ■捜査から裁判までの問題点が浮き彫りにされる 山田刑事の扱いがいかにも、予断を持ってでたらめな取り調べをしているように描かれていました。これはちょっと行き過ぎのような気がします。すくなくとも関係者には(そういう人もいるとしても)不満を持たせる描き方ではないでしょうか。それに、脅す役となだめ役(落とす刑事)がでていて、ここら辺は、いかにもステレオタイプのような気がしました。 副検事の描き方も?です。予断を持って取り調べをし、最期は恫喝してまるでやくざのような描き 方でした。これも少しやりすぎではないでしょうか。検事があんなに簡単にキレルものなら、とても検事の様な仕事を任せられるものではありませんでしょうか。あれでは、警察よりももたちが悪い印象を持ってしまいます。 結局、事件の数が多すぎて、警察も検察も裁判官も片づけるだけで精一杯という状態なんだと思います。そのため、内容まで吟味できていないというのが実情でしょう。勤務評定も、処理した件数で評価されるということなので、益々それを助長するという仕組みになっていそうです。このため、いわゆるロースクールも発足し、法曹界の人材の拡充を目指しています。 本来吟味されなければいけない、警察の取り調べのずさんさなども浮き彫りになります。しかし、公判を通じて捜査の情報を引き出していくという出発点からして大きな疑問を抱きました。裁判の目的は何かを考えれば、自ずと違う方法、全部の捜査記録を開示し、そこから客観的に判断していくという方法を取るべきなの、話になりませんね。人手不足云々を言い立てる前に、裁判の本質は何かを的確に把握し、裁判までのプロセス自体の見直しをしない限り、どうしようもないと思います。 企業などでは品質プロセスを保証するための仕組みがあります。これは、このような法曹界の仕組みにこそ適用されるべきではないかと考えてしまいます。金子や荒川は無罪を立証するべく、シミュレーションをした結果のビデオを証拠として申請します。しかし、判断するのは人間ですから、そこに予断の入る余地が生まれます。予断が入らない様な努力というはされているのでしょうか。案の定、主判決主文では、別なやり方も出来るという裁判官の想像であっさりと覆されています。裁判官の判断でも、客観的な答えが出るような努力はして欲しいですね。 この映画で、いろいろと専門用語、例えば私人逮捕、不見当などが出てきて結構勉強になります。傍聴お宅という人種がいることや、傍聴人が多いと裁判官も本気になることも、初めて知りました。それにしても、公判中居眠りをする裁判官がいるなんてどうしようもないですね。。。■配役がいい 出演者の中では、主任弁護士の役所広司の存在感が凄かったですね。有能ではあるのですが、人間味を強く感じさせる役柄で好感を持てました。裁判で、警察のずさんな取り調べぶりに激怒する場面は迫力がありました。 それは、容疑者の手に付いていた付着物を、ビニール状の粘着物付きのシートに押しつけて、付着物を収集するという方法で、それに被害者の下着と同じ材質の物がある場合、客観的な祥子になるわけです。これをしなかったということに激怒したわけです。映画でもその場面が出ていましたが、こんなことを出してしまうと、悪知恵の働く人間なら、取り調べられる前に、トイレに行かせてくれとか何とか言って、逃れることは可能になります。これを危惧してしまいます。 次ぎに印象深かったのは、本件を裁く最初の裁判官大森光明役の正名僕蔵です。『当初は傍聴オタクとしてオーディションに参加したが、周防監督の要望により"裁判官"に抜擢。刑事裁判の鉄則を守って、無罪判決を書く大森裁判官を見事に演じている。』(公式サイト)とあるように、裁判に対する謙虚な姿勢と、人間味溢れる裁判官を実に見事に演じていました。 主役の加瀬亮、瀬戸朝香、山本耕史も好演でした。その他、周防組ともいえる、竹中直人、清水美沙らがちょい役で出演しています。■公式サイトでの投票の意外な内容 公式サイトでは有罪か無罪か投票が行われています。1月21日17時4分現在、有罪が590票、無罪が1318票で無罪が多いとはいえ、有罪が全体の1/4ほどあるのが驚きます。これが、人が人を裁くことの難しさを如実に表していると思います。裁判を最初に担当した裁判官大森光明(正名僕蔵)が、司法修習生に「情報を判断して無罪か有罪かを決める」と説明していますが、その判断がとてつもなく難しいと思います。■何故裁判官の心証をよくしなければならないのか?警察や検察での取り調べ、公判、などで、如何に心証をよくするかが描かれています。本当はそのようなことに惑わされない客観的な判断が本来必要だと思います。しかしながら、実情はそのような心情に左右されることがあるようですね。例えば、公判での話し方だけで有罪になってしまった、と弁護士が語る場面もあります。■無罪を書くことの難しさ 大森裁判官はこの裁判の前に、無罪を2件続けて出したことに対し、荒川が無罪を書くには見識と覚悟が必要だというような意味の言葉を言っていました。大変に重い言葉です。痴漢での有罪にナル確率は99.9%で、最初から無罪を主張していた場合は、97%と、殆どが有罪になっている状況で、無罪を書くことは大変に勇気のいることだと思います。それは、被告人を救うことになる反面、警察、国家に反旗を翻すことになるわけで、それほど大変なことだと言うことを初めて知りました。とても難しい問題ですね。最期は判決が出て終わります。結末は是非劇場でご覧になることをお勧めいたします。陪審員制度も近々始まりますし、とてもタイムリーな内容だと思います。国民は裁判の内容だけでなく捜査の方法や司法制度の問題点を踏まえた、幅広い見識が必要なことを痛感させられました。■とても重い被疑者の独白『裁判は真実を明らかにするのではなく、情報を整理して、取りあえず有罪か無罪かを判断するだけだ。真実は神のみぞ知るではなく、自分だけが知っている』という、被告の独白は、何とも重いものです。■主題歌がいけてる tomo the tomoの歌う、主題歌『静けさの中で』がなかなかいいです。アカペラに支えられたtomo the tomoの歌はアジアン・テイストをほのかに感じさせ、いい雰囲気です。主題歌は、こちらで試聴できます。■長さをまったく感じさせない小気味良いテンポ 上映時間は143分、普通の映画より少し長いくらいです。途中だれることもなく、すんなりと進んでいきます。特に、劇的な演出はなく、淡々と進んでいくにもかかわらずです。。なぜ短く感じるかを少し考えてみました。おそらくは、観客の心理状態を読んで、ドラマの進行を先へ先へと進めていくテンポの良さから来るものではないでしょうか。また、冤罪という重いテーマであるのに、重苦しさが皆無で、かえって軽妙なタッチで描かれていることによるのかもしれません。日比谷シャンテ・シネでの初日舞台挨拶で周防監督が体感時間90分と仰っていましたが、まさにその通りです。この前は、東宝のポリシーにちょっぴり批判をしましたが、取りあえず今年はこれで満足です。追伸公式サイトにある『それボク的裁判傍聴記』。裁判の知識が全くない映画の宣伝マンが4つの裁判を傍聴した記録です。これが自分の感情を織り交ぜた、熱血溢るる報告で、めっぽう面白い。是非ご覧下さい。ここで、筆者がなかなかの名言を吐いています。『法廷とは、数々のドラマが生み出されるディープでソウルフルな人生劇場。』う~ん、なかなか!
2007年01月22日
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ベルギー・ギーデ・ロイヤル・バンドによる、クラシック編曲集です。取り上げられているのは、レスピーギ、ベルリオーズ、コダーイの3人。コダーイの「孔雀」以外は、吹奏楽ではあまり演奏されない作品です。特にレスピーギの「変容」は原曲も殆ど演奏されません。どの曲もとても水準が高い演奏で、響きが美しいです。特に、レスピーギは何故これが埋もれているか疑問に思えるほどです。■良さを再認識させてくるれる『変容』 原曲の「変容」はジェフリー・サイモンのCDを聞いていましたが、全く印象にありません。これは、吹奏楽関係者には有名な「シバの女王ベルキス」の入っている録音です。最近は数種類になりましたが、昔はこれしかなく、「ベルキス」を演奏するときには、この演奏を参考にしたものです。 久しく聞いていないので、どんな曲だったか記憶がありません。実に鮮やかにレスピーギの音楽が蘇ります。この曲は主題とその変奏からなる曲で、大変シンフォニックな胸のすくような音楽です。ギーデの演奏は吹奏楽としては、申し分のないものです。しかし、原曲の色彩には(多分?)及びません。4分20秒くらいのところの木管の早い3連符のところなんか、ゾクゾクします。総じて、木管、特にクラリネットの音色が素晴らしいです。ソロの水準も高く、よけいなことを考えないで、レスピーギの音楽を楽しむことができます。 ■ベルリオースがフランス人だったことを思い出させる『夏の夜』 次は、ベルリオースの歌曲集「夏の夜」。これを聞いていて、ベルリオーズもフランス人だったんだと、あらためて思いました。この楽団もベルギーですから、オランダ語圏とフランス語圏ですよね。そういえば、フランス音楽が得意な指揮者クリュイタンスもベルギー出身でしたね。。。 ドイツ生まれのソプラノ、アンティエ・ペルショルカは、2003年にミッシェル・コルボ指揮 ローザンヌ声楽・器楽アンサンブルと共に来日しています。その時は、バッハの「ヨハネ受難曲」やフォーレの「レクイエム」を歌ったようです。彼女は1992年のヨハン・ゼバスティアン・バッハ国際コンクール女声部門で4位に入賞していますので、現在30代後半から40代前半というところでしょうか。ヨーロッパを中心に、声楽とオペラの両方で活躍されているようです。フランス語の発音は(多分)申し分ないと思います。声が幾分重く、時々スラブ風の発声が聞かれることがあり、少し気になりました。勉強したのが、旧東ドイツのライプツィヒ音楽院なので、その影響もあると思います。 吹奏楽でフランスを感じるのはなかなか難しいと思いますが、これはその希有な例の一つだと思います。代表的なのはギャルドの「牧神」でしょうけれど。。。フランス物としては、幾分響きが堅い様に感じられます。それから、弱音でもう少し、繊細さが欲しいところです。■フルートなどの木管ソロが良い『孔雀』 最期は、コダーイの「孔雀による変奏曲」です。かつて日本の吹奏楽業界でもはやったことがあります。私は吹奏楽編曲を通じてこの曲を知ったようなもので、現在でも好きな曲の一つです。演奏は素晴らしいです。響きが透明で、鳴るべき音がそこで鳴っている、当たり前のようですが、アマチュアの場合、これがなかなか出来ないところに、悩みの種があるわけです。 ただし、解釈は常識的で一部ぬるいところもあます。このため、驚きやスリルは皆無です。ソロはフルート、ピッコロを中心として、どれも素晴らしいです。もう少し、テンポに緩急がつけられると、もっと良くなったと思います。■極めて水準が高い、しかし熱気が不足しているのが惜しい演奏 ということで、演奏の水準は極めて高いのですが、あまり熱気を感じません。それが惜しいですね。涼しい顔で、凄いことをやられた場合、それはそれで感動すると思います。しかし、それは、感動というよりは驚きに近い感情ではないでしょうか。その度合いが凄ければ感動に結びつくと思います。今回の演奏では、残念ながらそこまでいっていません。素晴らしい演奏だけに、とても惜しいです。 ライナーノートには演奏家の解説はありますが、楽曲の解説はありません。クラシック系のCDでこれはちょっと問題です。Royal Band of The Belgian Guides:METAMORPHOSEON(beriato music WSR 030)1.Ottprino Respighi(arr.Matty Cillissen):Metamorphoseon2.Hector Berlioz(arr.Frans Scheepers):Les Nuits D'ete l.Villanelle ll.Le Spectre De La Rose lll.Sur Les Lagunes(Lamento) lV.Absence V.Au Cimetiere V1.L'ile Inconnu3.Zoltan Kodaly(arr.Jan Cober):Peacock VariationsRoyal Band of The Belgian GuidesJan Cober,conductorRecorded 23-26,January 2006at Kwartier CDT.E.DE Hemptinne,Heverlee,Belgium
2007年01月21日
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ガンバリーニの第2弾はハンク・ジョーンズとのデュオ。スタジオ録音とイタリアでのライブ。曲目が1曲だけ重複していますが、演奏はとても充実しています。今回もスタンダードにジャズマンのオリジナルを数曲という構成。このジャズマンのオリジナルがとても良い曲で、個人的には新たに発見した名曲となりました。 デビュー作では、その圧倒的な歌のうまさにノックアウトされました。今回の作品でも、それはかわりません。ピアノとのデュオというと、逃げもかくれも出来ない状態ですが、ガンバリーニの実力がより一層顕わになっていると思います。今回は、スローバラードでの「間」の取り方のうまさに感服しました。■超スローテンポなのにもたれないバラード ミディアムテンポの曲もありますが、全体的にはゆったりとしたテンポのバラードが多い印象を受けます。バラードではテンポがかなり遅いです。普通はあまり遅くすると、重くもたれた感じがするものです。ところが、ここではそのような感じはまったくありません。これはディクションの立ちあがりがはっきりしているためだと思います。それに、いつもながらのフレージングの清潔感が際立っていますね。これらの相乗効果で、女性歌手の歌うバラードでいつも感じる色気を全く感じない、清潔感を醸し出す一因だと思います。ただし、まったり感は全く出ないので、そのような曲を手がけた場合に、どのように歌うかとても興味がありますね ■エラフィッツジャラルドに酷似したスキャット また何曲ではスキャットで歌っていて、そのうまさが際立っています。舌の使い方がうまくて、私見では、声質を含めエラフィッツジェラルドのスキャットに酷似していると思います。ここでも、ディクションが明瞭で、言葉がよく分かるのは彼女の大きな武器の一つです。 ■ジジグライスの「レミニシング」を発見! 個人的に気に入ったのは、しっとり系のバラード。ジジ・グライスの曲にジョン・ヘンドリクスが詩を付けた、とても美しい「Reminiscing」。それにエリントン=ストレイホーンの「Something To Live For」。「reminiscing」は今まで知らなかった曲でした。とても美しく、ハートウォームな曲で、すっかり気に入ってしまいました。CD universeで曲の検索をしたら、アート・ファーマーのFarmer's Marketというプレスティッジ盤で演奏していることが分かりました。さわりを聞いていると、クリフォード・ブラウンそっくりのプレーをしているのでビックリ! 閑話休題 エリントンの「Something To Live For」。人生の目的を探す思索的な歌です。これもバースから丁寧に歌い込んでいます。聞いていると、人生の黄昏を感じてしまいます。 「Lush Life」はかなりゆったりとしたテンポで、バースから歌っています。ここまでゆっくりだと、もたれてしまうのですが、緊張がとぎれません。それに、通常どよ~んと沈みがちな曲ですが、そういうこともなく、比較的明るめの表現です。 ■これからの課題? 異色なのはアービング・バーリンの「suppertime」。かなりアーシーなゴスペルです。ガンバリーニは珍しくシャウト気味に歌っています。しかし、あまりゴスペル特有の臭いは感じられません。このような、あくの強い曲を歌うときに、如何に突っ込んだ表現が出来るかが、これからの課題ではないでしょうか。まあ、白人ですし、濃いキャラではないので、難しいかもしれません。 ■熱気を帯びたライブ 本国イタリアで開催されたウンブリア・ジャズ・フェスでのライブは、リラックスした中にスタジオ録音では見られない、熱気も感じられます。これは、サッカーのワールドカップ決勝の前日行われたコンサートですから、テンションが上がるのも無理からぬことではあります。 最初の「skylark」のみハンク・ジョーンズとのデュオで、あとはトリオをバックに歌っています。ダメロン作の「Cool Breeze」の快適なテンポとスキャットのノリの良さも良いですね。ここでの、ハンク・ジョーンズの反応も良好です。 「Lush Life」はスタジオ録音とほぼ同じテンポです。ライブのためか、テンションが上がっていたようです。ハンク・ジョーンズのソロが入っているため、演奏時間は2分ほどのびています。 ■絶妙の反応を示すハンク・ジョーンズ ハンク・ジョーンズの歌判のうまさは定評のあるところで、ここでもボーカルに敏感に反応するバッキングが心地よいです。このCDを聞いてしまうと、これ以上のものはないと思ってしまうほど絶妙な組み合わせです。元々は、ハンク・ジョーンズのほうからラブコールを送っていたようです。しかし、これほどの出来になるとは、本人も思ってはいなかったのではないでしょうか。 スタジオ録音と比べ、ライブは録音レベルが低く、若干細身です。 なお、ジャズ評論家の中川ヨウさんのブログに、ライナーノートの全文が掲載されています。ジャケット写真を見て少し痩せた?と思ったのは、本当のようでした。忙しくて痩せたようで、ファンとしては歓迎すべき?ことです。(^^;■歌詞の意味を知ることの重要性を痛感今回のレビューを書くに当たって、ライナーノートをみて、「Lush Life」のLushは酔っぱらいのことだと初めて知りました。聞く方も、演奏を深く理解するためには、歌詞の内容を予め知ってくことは大切ですね。勿論、これは、インストの場合にも大切なことです。。。。今回は、あらためて、そのことの大切さを知らされました。Lush Life:Roberta Gambarini & Hank Johnes(55RECORDS FNCJ-5519)1.You Are There2.I'll Be Tired Of You3.When Lights Are Low4.Deep Purple5.Reminiscing6.Suppertime7.Just Squeeze Me8.Something To Live For9.Stardust10.Lush Life11.Skylark (Live)12.Body And Soul(Live)13.Cool Breeze(Live)14.Lush Life(Live)Roberta Gambarini(vo)Hank Johnes(p)George Mraz(b)(12-14)Willie Johnes(ds)(12-14)Recerded 27,September,2005 at Nola Studio in NYC (1-10)8-9 July,2006 live at Umbria Jazz Festival in Perugia,Italy (11-14)
2007年01月20日
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経営戦略考 1/18号に映画業界で一人勝ちする東宝の秘密が書かれています。企画を外部に頼るという最悪の状況の中で生まれた映像本部映画調整部が良い企画の選別を行い、パワーを宣伝に使う仕組みが、ヒット作を量産している原因のようです。(以下概要) 体力がなければ、知恵を使う。格闘技であれば、技を磨く。企業でも同様だ。かつて日本が円高不況に見舞われた際は、それを克服することに日本企業は知恵を絞り、結果としてさらに競争力を高めることに成功した。 17日付けの日経産業新聞に、「映画業界で東宝の一人勝ちが続いている」という記事が掲載されている。「2006年の興行収入は過去最高の588億円(2005年比12%増)に達した」という。 具体的には「ゲド戦記」や「LIMIT OF LOVE 海猿」といった作品が、記事では挙げられている。「公開した27作品中、15作品の興行収入が10億円超。6割近い打率は偶然ではない」と解説している。 邦画が好調で、洋画のシェアを上回りそうだということは聞く。その牽引役が東宝なのだ。映画の場合、たまたま大当たりするヒット作が生まれることもある。 しかし、東宝については「偶然ではない」とされている。他社との違いはどこにあるのか。記事を読み進めていくと、東宝なりに知恵を使っている様子がわかる。 記事によれば、東宝には「映像本部映画調整部」という部署がある。「担当社員たった4人のこの部署には、民放テレビ局や出版社、制作プロダクションなどから映画化の企画候補が次々と持ち込まれる」という。 これらを絞り込んで、年間の公開スケジュールを立てる。映画そのものは、「テレビ局や商社、広告代理店などが製作費を出資し、製作委員会を結成」して製作する。 この仕組みは、同業他社でも採用しているのだが、「テレビに押され映画人口が減り続けた1971年、東宝は制作部門を切り離し」ている。一方、他社は「制作部門を抱え続けた」。 制作部門を切り離したため、「企画を外部に頼らざるをえず、そこで生まれたのが映画調整部」だという。ここに東宝の知恵がある。とは言っても、当時としては、万やむを得ずといった感じだったのかも知れない。 社内の経営資源を失ったという状況にもなるのだが、先述のように、「体力」があることが「強い」ということではない。失った代わりに培ったのは、良い企画を「選別する仕組み」だ。 社内に制作部門を抱えていると、どうしてもそこから生まれる企画に拘束される。しかし外部から来る企画を選別するのなら、そのしがらみはない。いわゆる「持たざる者」の強みでもある。東宝の場合、「娯楽作品に全精力を傾ける割り切りがあった」という。 とは言え東宝は、宣伝力には大きく経営資源を割いている。「広告や各媒体担当の宣伝スタッフは約50人と、国内の映画会社では最大規模」の陣容を誇る。 戦略とは、経営資源の配分を決めることであり、その配分の仕方が勝ち負けを決める。どのようにメリハリをつければ、勝つことができるのか。それがポイントだ。(引用終わり) 作品そのもののの善し悪しではなく、ヒットするかどうかに絞って企画を選別しているのが、好結果をもたらしていると思います。ヒットが6割もあるなんて凄い確率です。それを、たった4人で仕切っているのですから。 おそらく、純粋の映画ファンであれば、どうしても脚本の良さとか、作品の完成度を考えてしまうと思います。それを、娯楽作品に絞っているというのは、プロフェッショナルに徹しているとも言えるのではないでしょうか。 企業としてそのポリシーは尊重すべきです。しかし、一般の映画ファンから見ると、夢がないというか、ちょっと寂しい気がしますね。年に一本でも良いですから、本当に後世に残るような良い映画を作ってもらいたいですね。 それにしても、ヒットする基準をどのように設定しているかとても興味があります。映像本部映画調整部の市川部長によると、一つは、その興行規模。全国200館以上で公開できる作品に限られる。「うちは公開規模が100館以下の作品を配給宣伝するような小回りが利かない。うちが持つ"配給マシーン"をうまく稼動させるには200館以上が向いている」。 もう一つは、「はっきり泣けたり笑えたりと、『分かりやすい感動』があるかどうか。テレビドラマでいえばゴールデンタイムが中心で、少しだけ深夜もある。テレビのように広いお客に向けるのが東宝作品」だそうです。 この部分の出典:http://eigakan.blog6.fc2.com/blog-entry-886.html このようにさらっと書いてしまうと簡単に見えるかもしれません。でも、おそらく、その内容に関する基準は定量化していると思います。そうでなければ、6割ものヒット率を記録することは難しいのではないでしょうか。もしこれが感性感?)だとすると、凄いカリスマがいるんでしょうね。
2007年01月19日
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この前一番下の子にiPod nanoを買ったので、傷が付くからと言ってケースを買わせました。今日現物が届きました。見てびっくり。3000円位なので、そんな大した物ではないと思っていました。それにしても、やはり全然大した物ではありません。これでは、原価200~300円程度で出来てしまいそうな感じです。これなら、自作した方がいいと思いますね。(できないですけど。。。) ところで、子供がケースをネットで探していて、これがいいという物を見たら、残念ながらiPod用でした。ところが、これがなかなかクールで私が欲しいくらいです。 ちょっと調べてみたら、今、アメリカそして日本でもではやっている、「tokidoki」というハワイのメーカーの製品です。 デザインはイタリアのアーティスト、シモーヌ・レグノ氏。自らのウエブサイトで発表していたグラフィックアートとレスポートサック社のコラボでtokidokiは生まれました。レグノ氏は日本のアニメに影響を受たそうで、日本的なイラストが特徴です。ブランド名の「tokidoki」も日本語の「時々」から来ているそうです。 iPod nano用のスキンもありますが、ちょっと普通であまり面白くありません。こちらも、iPodのような路線のスキンをデザインしてくれないかと思ってしまいます。 その前に、今ある物が欲しいですね。これは30Gのヴィデオの見られるやつなので、私のiPodには合わないかもしれません。でも、ちょっと検討してみようと思っています。よく、携帯電話にペインティングするサービスがあります。iPodでもあったらすぐにでも申し込むんですけれどね~。 子供はtokidokiブランドのバッグなどを見て、ほしいと思ったみたいです。でも少し高いので、次回の誕生日に考えてみようと思っています。私も、男向けのアイテムが出来たら、是非欲しいですね。。。 そういえば、この前のMacworld San Francisco 2007で発表された「iPhone」。かなり良いですね。これは、クリステンセンのいう「破壊的イノベーション」の一つでしょう。シスコとの商標問題を早いとこ解決して、発売してもらいたいものです。
2007年01月18日
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イングマール・ベルイマン監督86歳の最新作。1974年の『ある結婚の風景』の続編で、2003年に作られました。主演は『ある結婚の風景』と同じリヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソン。前作は見ていませんが、何ら不都合はありません。■ユーリア・ダフヴェニウスがいい 出演者は僅か5人。そのうち一人は最後にちょろっと出てくるだけです。その中では、カーリン役のユーリア・ダフヴェニウスの初々しさが良かったですね。1975年生まれですから、30歳を過ぎていますが、この映画での設定(多分18歳)通りの年と言ってもおかしくはありません。 マリアン役のリヴ・ウルマンも70歳近くになるようですが、美しいです。この方は監督、作家、ユニセフ親善大使なども行っていて、大変な才能ですね。 R-15指定だったので、どの部分がそうなのかと思い、注意して見ていました。多分、ヘンリックが自殺を図ったときの写真ではないかと思います。この写真はなくても問題ないので、カットしても良いかもしれません。それとも、最後に出てくるマリアンとヨハンのヌードでしょうか?R-15指定を外したとしても、この映画は難しいので、15歳未満で理解できるかは別問題ですが。。。■あらすじ この映画は章立てになっていて、それぞれの章に名前が付いてます。60歳を過ぎた弁護士のマリアンが、別れた元夫のヨハンの別荘を訪ねるところから始まります。ヨハンは歌手の叔母が残した莫大な遺産を相続し、生活するするのに何不自由することもなく、詩作活動に没頭しています。 親密さを取り戻したためマリアンはヨハンの別荘に滞在しています。約1週間ほどすぎた頃、ヨハンの息子ヘンリック(ボリエ・アールステッド)の娘カーリンが、ヨハンの別荘を訪れます。ヘンリック父娘はヨハンが所有する湖畔の邸宅でカーリンが音楽学校へ入学するためにチェロの特訓をしているのでした。 初対面にもかかわらず、悩みを話すカーリンとそれに優しく応対するマリアン。カーリンが自宅に帰るとヘンリックが待ち受けていて、2年前になくなった、妻アンナについて話す。ヘンリックは妻が亡くなった痛手から未だに回復することが出来ていない。 再び1週間が経ち、ヘンリックは父ヨハンに借金を申し込みに行く。カーリンの音大の入学試験用のチェロが格安に入手できるので、お金を貸して欲しいという話だった。二人は昔から反目しあっていて、このときも決裂しそうになるが、ヨハンがその売り主に連絡を取ることで話はつく。。。 ■会話だけで成り立っている凄い映画 殆どが会話だけで成り立っている映画です。会話の組み合わせは、最後に出てくるマリアンの娘マッタ以外の4人のすべての組み合わせです。この二人の組み合わせだけの会話で1時間50分あまりの映画を作ってしまうなんて、なんて凄い監督なのだろうかと感嘆してしまいます。いくら巨匠とはいえ、80を過ぎた人がこのような映画を作るなんて、凡人には考えられません。 会話から登場人物の人物像、過去と現在の姿が浮かび上がってくるところは、見事としか言いようがないですね。 二人の会話ではアングルが、殆ど代わらず、それも長まわしのため、俳優にとってはかなりの困難を伴う役どころですね。 ■よく分からないところがありました 映画には登場しませんが、カーリンの母親アンナについて、しきりに登場人物の口から出てきます。夫や子供の口から出てくるのは分かりますが、ヨハンからもしばしば出てくるのは何故なんでしょうか。このアンナの存在で監督の訴えたいことがよく分かりません。 もう一つ理解に苦しむところがありました。カーリンがステージ衣装を着てチェロを演奏する場面で、バックが白くて、カーリンの姿が次第に小さくなっていく描写は何を意味しているのでしょうか。 ■アバド登場? 劇中、カーリンがある指導者のワークショップで研鑽を積むことに自分で決めますが、その指導者として、クラウディオ・アバドの名前が出てきてビックリ。これは本人には了解を得ていると思うんですが、何でアバドなんでしょうね。確かに、教育的な面ではアバドほど熱心に仕事をしている著名な指揮者はいないと思いますが。。。。■音楽 ブルックナーのフレージングがへん? 音楽はバッハの無伴奏チェロソナタ第5番のサラバンドが全編に流れています。トルレーフ・テデーンの演奏するサラバンドは重々しく、幾分重苦しいものです。教会でヘンリックが弾くオルガンはバッハのトリオ・ソナタ 第1番、カーリンがヨハンを訪ねたとき、ヨハンが書斎で大音量聞いているのはブルックナーの第9交響曲の第2楽章。ブロムシュテットの指揮ですが、フレージングが変でした。そういえば、ブロムシュテットもスウェーデン人ですね。(^^; 時々映し出されるフィンランドの湖と森の風景がとても美しいです。 公式サイト
2007年01月17日
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昨日の新聞に、マイケル・ブレッカーが白血病のためニューヨークの病院で亡くなったという記事が載っていて驚きました。1月13日のことです。正確な病名は骨髄異形成症候群(myelodysplastic syndromes; MDS)で、骨髄機能の異常によって前白血病状態となり、造血障害を起こす症候群だそうです。 かねてから、病気だという話は、風のうわさで聞いていたのですが、これほど悪いとは知りませんでした。ブレッカーは東ヨーロッパ系ユダヤ人で骨髄移植のドナーが見つからず、2005年には奥さんがネット上で呼びかけていたそうです。昨年、部分適合による娘さんからの実験的な骨髄移植がうまくいって、一時は回復に向かっていたそうです。昨年6月のハンコックのコンサートには飛び入り参加したとか。 最近、新譜が出なくなり、寂しい思いをしていました。昨年秋にコンピュレーションみたいなCD「Jazz Academy」が出ました。それが遺作になったのかと思っていたら、どうやら、昨年レコーディングを終了していたようです。HMVのサイトに3月21日国内版発売のアナウンスがされていましたので、もしかしたらこれがそれなのかもしれません。 ブレッカーといえば、ブレッカー・ブラザースで一世を風靡した後、ステップス(アヘッド)を経て一本立ちしてトップ奏者になった男。活動期間は長かったとはいえ、リーダーアルバムを出してから、活動を停止した2004年まで実質的には10年に満たないとは以外です。初リーダー作は1987年で、2003年の「Wide Angels」がいまのところ最後のリーダー作になっています。 個人的にはインパルス盤『Tales from the Hudson』から聞き始めました。彼の特長は、何と言っても超人的なテクニックだと思います。テクニックばかりが話題になりますが、豊かに歌わせることに関しても一級品だったと思います。 彼の演奏は1回だけ聞いたことがあります。調べてみたら2000年の11月9日、ケニー・バロン・トリオのゲストで出演していました。もう、だいぶ前のことなので、細かいところは忘れてしまいました。でも、アンコールでやった無伴奏の「インヴィテーション」がとても情感豊かな演奏だったことを覚えています。 57歳ですから、これからも良い仕事が期待できただけに、とても残念です。これが宿命だったんでしょうね。心から、ご冥福をお祈りいたします。合掌 追記HMVのサイトのデータを見たら2006年8月ニューヨークでの録音です。パーソネルは、メセニー、ハンコック、メルドー、パティトゥッチ、デジョネットという超豪華メンバー。このメンバーからいって、これは凄いことになりそうな気配がします。
2007年01月16日
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ダラス・ウインド・シンフォニーの昨年のスーザ作品集に引き続いて、昨年11月に新譜が発売になりました。個人的にはアメリカで最も注目しているバンドです。昨年のスーザ集はうっかりして見逃してしまいました。今回は私の苦手なマスランカですが、これが凄い出来です。私が今まで聞いてきたマスランカのなかでは一番といって良いかと思います。まず、テクスチャーの明晰なことと、そのパーワーは他の演奏を寄せ付けません。もともと、金管が優勢なバンドですが、ここまで凄いとは思ってもみませんでした。特に第4シンフォニー最終楽章のこれでもかというパワーには圧倒されっぱなしでした。この演奏を聴いて、マスランカの真実を初めて理解できたような気がします。というか、この様な演奏でなければ、マスランカの真価が発揮できないと言うべきでしょう。。。■マスランカの音楽になじめないわけ 特に、メロディーが美しいわけではありませんし、かなり難解な音楽で、なかなかなじめないところがあります。このように、明晰な響きで、大パワーで演奏されないとなかなか真価が発揮できないところがあります。また、ソロもかなり多く、個人の技量も高くないと聞き映えがしません。ここに収録されている、マスランカの代表作の「子供の夢の庭」も、コーポロンはじめ、何種類かの演奏に接してきましたが、なかなかなじめなかったです。原因は、親しみやすい旋律がないことにもあると思います。これに対し、今回は何故かすんなりと耳に入ってきました。車で聞いていたのですが、そのパワーフルなサウンドにあらためてビックリしたような次第です。やはり、マスランカの作品は、とびっきりの腕を持ったバンドでないと良い演奏にはならないことが、これではっきりしました。前に、いくら聞いてもなじめなかったのは、おそらくマスランカの要求するレベルに届かなかったためだと思います。それにしても、この作曲家、手心を加えないのは見上げたものですが、完璧に演奏するのはかなり困難な曲ばかり作っていて、良いんでしょうか。アメリカでは結構人気があるようですが、日本ではあまり演奏される機会がありません。演奏困難なためであるのも、原因の一つでしょう。もしかしたら彼は、あまりそのようなことには拘泥しない人なのかもしれませんね。■延々と続くフォルテシモにたじたじ 「第4交響曲」 第4交響曲はピアノ、オルガン、種々の打楽器を要する、大規模な作品です。第1楽章は山々にこだまするホルンのモノローグという珍しい始まり方です。そのあとを受けてニグロ・スピリチュアルの様な荘厳な調べが続きます。そのあと、オルガンのトランペット響きを思わせるテュッティでこの旋律が繰り返されます。テンポが速まり、軍隊がずんずん行進しているような、力強いリズムにのって、ピアノによる第2主題画でてきます。コントラファゴットと金管の低音楽器の粘っこい音色も印象的です。次々と楽器を代えながらこの主題が引き継がれていきます。終結部の少し前は、この作曲家にしては珍しく?なかなかコミカルな感じになります。 第2楽章はゆったりとしたテンポで、印象は風の響きの中を、ハープのアルペジオが続きます。その後、明滅する楽器を伴って、フルートソロが展開します。間奏曲風な楽章。 第3楽章はコラール。冒頭金管が旋律を大音量で奏します。その分厚いハーモニーはダラス・ウインドならではです。バスドラムとティンパニの強打も凄いです。金管とティンパニの組み合わせの部分があり、どことなく、ヤナーチェックの「シンフォニエッタ」を思い出します。後半のテナー・サックスソロがかなり艶っぽいです。 第4楽章はメシアン風のテーマがフォルテシモで金管に出ます。何かしら冒険活劇の伴奏風な音楽です。ジャジーな部分もあり、都会の情景が浮かんできそうです。これも間奏曲風な音楽。 第5楽章はコラール風な主題に木管のグリッサンドが絡みつく、奇妙な味わいで始まります。その後、いかにもしつこいという感じで、第2主題が大音量で延々と続きます。圧巻は終結部。凄い大音響が終わりそうでなかなか終わらない。その凄まじさにはほとほと敬服してしまいます。 この交響曲の楽章の名前が大分変わっています。これを書きながら考えてみました。回答が見つかりました。もしかして、その楽章の小節数ではないでしょうか。数字が連番になっていますし、推理としては悪くないと思いますが、皆さんはどう思いますか? ■紫色の色彩を思い浮かべる、「子供の夢の庭」 代表作『子供の夢の庭』も極めて明晰な演奏です。カール・ユングが臨終の際に遺した一般民衆へのメッセージである「人間と象徴」からインスパイアされた作品です。これは幼くして亡くなる少女が、8歳の時に両親に語った12の夢の中から、5つを選んで各々の楽章に当てはめました。この曲の成功により、マスランカは1989年に管弦楽のために同名の作品を書くことになります。 1楽章 「月の砂漠で、夢を見ている人は地面の中に沈んでいく。そして、彼女は地獄に到達する。」マリンバと木管の支えられてトランペットがファンファーレを吹き鳴らし、低音の金管がコラールを奏します。いかにも不気味な感じです。マリンバと木管の、のばしが月明かりを想像させます。トランペットが高音を吹き鳴らします。マスランカ特有の高音フェッチでしょうか。 2楽章 「酔っぱらった女が水の中に落ちる。彼女が水の中から這い出ると、酔いは醒めている。」オーボエを中心とした穏やかな木管アンサンブルは、夜の情景を表しているのでしょうか。全曲中最も心休まる音楽です。 3楽章 「小さい動物の群れは夢を見ている人をビックリさせる。小さな動物は増えて巨大な規模なる。そのうちの一匹が、彼女を飲み込む。」急速調のパーカッションの不思議な音色に、金床の一撃が加わり、なんとも不思議な雰囲気です。木管も16分音符の連続で、いかにもおぞましい小動物の群を表している感じがします。金管のテュッティーは飲み込まれた情景でしょうか。いかにも薄気味の悪い音楽です。 4楽章 「顕微鏡で見ると、水の一滴が見られる。少女は水滴は自由に分流することを知っている。これは、世界の紀元を描いている。」この楽章も木管を中心とした音楽で、マスランカの繊細なオーケストレーションが光ります。打楽器の使い方が絶妙です。後半の金管のテュッティで盛り上がりますが、すぐ静寂に覆われます。 5楽章 「天国へ昇ると、そこでは異教徒のダンスで祝われている。地獄へ堕ちると、天使が良い行いをしている。」ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」の第3部に出てくるホルンの2度で続く8分音符と同じ音型が続く中、第1楽章のファンファーレがオーボエで再現されます。徐々に盛り上がり、トランペットが同じ旋律を繰り返します。後半は狂乱の中に1楽章の旋律が変容して何度も出てきます。なにかR&Bにでも使えそうなメロディーです。全体的に、しっとりした感じが良く出ています。いままでの演奏で感じられた夜の音楽特有の不気味さよりは、むしろ爽やかさを感じましたね。原因が何なのかよく分かりませんが、テクスチャーが明晰なことと関係があるかもしれません。色に例えるなら、紫系の色でしょうか。聞いていて、飯島俊成氏の作品との親近性を感じてしまいました。多分ピッコロの使い方に親近性を感じたのかもしれません。 ■野蛮な「イン・メモリアム」 続く「イン・メモリアム」。この作品は、テキサス大学アーリントン校ウインド・アンサンブルの指揮者Ray C. Lichtenwalterの妻Susan Eck Lichtenwalterの思いでのために、委嘱されたものです。バッハのカンタータ第93番「ただ 主によりたのみ」の旋律が使用され、これが変容していきます。これも鍵盤楽器のトレモロで支えられたトランペトのハイノートが空間をつんざきます。硝子に当たってビリビリしそうな、けたたましさです。その後バッハのコラールの旋律がヴァイブから出ます。またファンファーレが轟き、その後再び木管にバッハの旋律が現れるときのサウンドは、まさにオルガンの響きそのものですね。その後、この旋律はいろいろに変容されます。その変容も穏やかな物ではなく、けたたましく、そこにトランペットのハイノートが加わりますので、耳がおかしくなりそうです。 思いでのための曲というと、普通は追悼の曲になりますが、これでは安らかに眠るのではなく、また現世に戻ってこなければならなくありますね。とにかく、凶暴な荒々しさが特徴の曲で、よくこんな曲が書けますね。委嘱する方も曲ができてビックリしたのではないかと思います。8分45秒付近の永遠に続くかと思うわれるクレッシェンドも凄いですね。音響的には低音の金管群のねっとりとした音が耳に残ります。 ■ダラス・ウインドでなければなしえなかった壮絶な演奏 結局、マスランカの吹奏楽作品に限って言えば、かなり高レベルなバンドでない真価が発揮できないと考えられます。うまいバンドでないと、この作曲家の求める、テクスチュアの明晰さと、パワーを両立できるのは、なかなか難しいというのがその理由です。この録音を何回か聞いたところ、どうもカレル・フサの音楽、特に「レ・クルール・フォーヴェ」に通じる凶暴さを感じました。あれよりはよほど凄いですが。。。 そういう意味で、今回の録音は、これぞプロの仕事といえると思います。気軽に聞ける音楽ではありませんし、何回も聞くと作曲家の高音フェッチが耳につくようになります。それでも、是非多くの方が耳にされることを希望して止みません。その時は、部屋を閉め切って大音量でお聞きになることをお薦めいたします。 私はこれを機会に、他のCDも聞き直そうかと、少しだけ思い始めています。 Dalls WInd Symphony Garden of Dreams(REFERENCE RECORDINGS RR-108)1.Davis Maslank:A Child's Garden of Dreams(1981) 1.l 2.ll 3.lll 4.lV 5.V2.In Memoriam(1989)3.Symphony No.4 1.M.1-332 2.M.333-405 3.M.406-569 4.M.570-711 5.M.712-END Dallas Wind SymphonyJerry Junkin,conductorRecorded June 12-13,2006,St.Andrews Unitedd Methodist Church,Plano,Texas
2007年01月15日
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最後まで名前を覚えられなかったアニメーション、子供にせがまれて行ってきました。ストーリーはどこかで見たことのある様な筋書きです。それなりに面白かったんですが、ゼメキス=スピルバーグにしてはいまいちでしたね。3DCGは見事ですが、もう技術でどうのこうのという段階は過ぎたと思います。やはり、つまるところ脚本が重要なのは、どの映画でも同じです。■あらすじ ハロウィンの前日の出来事。とある町に住む、少年DJ。道路を隔てて、向かの幽霊屋敷みたいなところに、おっかないおじいさん、ネバークラッカーが住んでいます。おじいさんは自分の家の芝生に入ると凄く起こり、入った物を没収してしまいます。 DJの友達は太めで心優しいチャウダー。バスケットボールを買ってもらって、DJの家に遊びに来ます。ところが、DJの家の庭にバスケットボードにボールを入れて遊んでいるうちに、ボールが幽霊屋敷の芝生に入ってしまいます。忍び足でボールを取りに行きますが、ネバークラッカーに見つかり、取られてしまいます。 その時にDJはネバークラッカーともみ合い、気を失ったネバークラッカーは救急車で運んで行かれます。 DJの家にチョコレートを売りに来た、女子小学生ジェニファーはお向かいの幽霊屋敷にもチョコレートを売りに行きます。ところが、家の入り口が開いたかと思うと、絨毯が飛び出してきて、ジェニファーを飲み込もうとします。しかし、DJ達の助けで、引っ張り込まれずにすみます。 幽霊屋敷に人格があることに気がついた3人は、薬を仕込んだ人形を幽霊屋敷に飲み込ませ、眠っている間に忍び込もうとします。ところが、パトロール中の警察官がそれに気がつき、阻止されます。 幽霊屋敷の暖炉を破壊しないとだめなことに気づいた3人は、幽霊屋敷に忍び込みます。そこで見たものは。。。。 ■たわいないお話 あらすじはたわいのないもので、大人にとっては、あまり面白いものではありませんでした。小学生低学年向けのレベルではないでしょうか。公式サイトでは、ゼメキスとスピルバーグが「怖がることを楽しんでください」と語っていました。でも、ちっとも怖くないです。■着実に進歩しているCG これだけ進歩したCGでも人間の顔はまだうまくいっていません。しかし、この映画での子供の顔は着実に進歩していると思います。そばかすの付け具合など、結構良い線行っていると思います。また、黒人の警察官の顔はさまになっています。一瞬本物かと思うこともありました。 モンスターハウスのCGは良くできていました。本当に人間の霊が乗り移ったような動きがリアルでしたね。それに、人間の体内を模した内部の造作も意外な発想で面白かったと思います。特に、いくつかの灯りが集まって吊されているのが、『のどちんこ』になっているところは笑えました。 人間は、モンスターキャプチャーを使用しているそうです。そういえば、ゼメキスはポーラーエクスプレスの監督でしたので、モーションキャプチャーはお手の物ですよね。 最後のモンスターハウスとの対決場面を見ていて、『メン・イン・ブラック』でのエイリアンとMIBの対決場面を思い出したのは、私だけでしょうか。■泉谷しげるのネバークラッカーがいい 今回は吹き返しかなかったのですが、それなりに楽しめました。声優の中では、ネバークラッカーを演じた泉谷しげるが憎々しげな表現がとてもうまかった(もしかして地ですか?)です。何しろ「子供を脅かすのが好き」だそうなので。声優初挑戦の石原さとみ(ジェニファー)も違和感ありませんでした。■今時の子供達に送る怖いお話 昔は、廃屋のような、妖しげな家が近所にあったり、通学路の途中などにあったものです。そこを冒険するのが、遊びの中では上位に入っていたりしたものです。最近の子供達は、そういう機会もあまりないと思うので、映画に出てくるような子供達の気持ちは分からないと思います。今思うと、あの様なところというのも、それなりに存在価値はあったことを、今更ながら思い出させてくれました。 公式サイト 石原里美と泉谷しげるのインタビュー
2007年01月14日
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「台湾の声」に台湾出身戦没者慰霊の会が『台湾は中国ではない』という題で寄稿しています。なんと、在日台湾人の外国人登録証の国籍欄の記載が「台湾」ではなく、「中国」と強制されているのだそうです。それも、外務省の恣意的な扱いなのです。(以下引用)【1】全ての在日台湾人は、外国人登録において、法務省の強制により、国籍欄の記載を、本来あるべき「台湾」から「中国」へ変更させられています。このことはあなたが日本国籍でありながら、あなたが好ましく思わない国の国籍を強制されるというのに等しいのです。台湾はたとえ1秒たりとも、中華人民共和国の支配を受けたことはありません。「台湾」は「台湾」です。【2】日本政府が1972年(昭和47年)、中華人民共和国と締結した日中共同声明において、日本は中華人民共和国の主張する「台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部である」という立場を『十分理解し尊重』すると述べているだけで、決して台湾に対して中華人民共和国の主権が及んでいることを認めていません。サンフランシスコ講和条約で台湾を放棄した日本政府に、台湾の地位を決める権限などありえないからです。日本政府が認めていないにもかかわらず、一省庁である法務省が恣意的に「台湾人の国籍は『中国』」とする横暴が罷り通ることは決して許されるべきことではありません。【3】世界に目を向ければ、米・カナダ・独・仏など欧米諸国は、「TAIWAN」と記載しています。英国は、「TAIWAN-ROC」と明記し、「CHINA-ROC」と明確に区別しています。その他、シンガポール・韓国・ニュージーランドなどアジア・太平洋諸国も同様です。これが世界の常識です。【4】台湾は既に自由・民主・人権・法治の民主主義国家であり、一方中国は共産主義独裁国家です。日本と台湾は共通の価値観を有する民主主義国家であり、歴史的にも、地政学上も、運命共同体であることは疑う余地はありません。日本政府は中国に対し媚中外交を続け、6兆円ものODAを供与しましたが、わが国の善意など通用する国ではないことは、靖国問題、ガス田盗掘、原潜領海侵犯、反日戦争記念館などの例を見ても明らかです。今こそ、日本政府は誤った1つの中国政策を直ちに改め、民主主義国家・台湾を承認すべきです。そのことが、かつて同じ時代を歩み、世界に類を見ない親日国家である台湾の人々にこたえる道なのです。私たちは日本政府に対し、外国の干渉を排除して、在日台湾人の国籍欄を「中国」ではなく、「台湾」に改めることを強く要望します。この趣旨にご賛同頂ける方は、署名にご協力頂きます様、宜しくお願い申し上げます。氏名 住所 連絡先 E-mail: iidalaw@hotmail.com(引用終わり)全く酷いものです。昔に比べれば大分改善されてきているとはいえ、こんなことがまだまかり通っているなんて信じられません。こんなことをしているのは日本だけです。あの韓国でさえも正統な扱いです。私も早速署名しました。皆様にも是非ご協力をお願いしたいと思います。
2007年01月13日
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昨日、キネマ旬報社の昨年の映画のベストテンが発表されました。それによると、1位は日本映画が「フラガール」、外国映画が「父親たちの星条旗」が選出されました。まあ、下馬評通りなのでしょうか。 毎日新聞1月9日の記事によると、2位以下の順位と主な賞は以下の通り。 【日本映画】 2.ゆれる 3.雪に願うこと 4.紙屋悦子の青春 5.武士の一分 6.嫌われ松子の一生 7.博士の愛した数式 8.明日の記憶 9.かもめ食堂 10.カミュなんて知らない 【外国映画】 2.硫黄島からの手紙 3.グエムル-漢江の怪物- 4.ブロークバック・マウンテン 5.麦の穂をゆらす風 6.太陽 7.カポーティ 8.グッドナイト&グッドラック 8.クラッシュ 10.マッチポイント 【監督賞】 根岸吉太郎(雪に願うこと) 【脚本賞】 西川美和(ゆれる) 【主演女優賞】 中谷美紀(嫌われ松子の一生、LOFTなど) 【主演男優賞】 渡辺謙(明日の記憶) 【助演女優賞】 蒼井優(フラガール、ハチミツとクローバーなど) 【助演男優賞】 香川照之(ゆれる) 笹野高史(武士の一分、寝ずの番) 【新人女優賞】 檀れい(武士の一分) 【新人男優賞】 塚地武雅(間宮兄弟) 【外国映画監督賞】 クリント・イーストウッド(父親たちの星条旗、硫黄島からの手紙) 日本映画で見たのは半分ほどしかありません。フラガールが1位とは以外でした。面白かったことは確かですが、1位になるほどのものとは思いませんでした。 前評判の高かった『ゆれる』は見過ごしてしまいました。黒木和雄監督の遺作『紙屋悦子の青春』には注目していましたが、県内では映画祭で一度上映されたきりです。『嫌われ松子の一生』も見逃して、DVDもまだ見ていません。 こうしてみると、安倍首相ではありませんが、昔の日本の良さみたいなものを感じさせる日本映画が多くなってきているように思います。それに引き替え、歌はどんどん無国籍化しているようで何やら寂しい気がします。 外国映画でイーストウッド監督の2作品が1,2位はさすがですね。個人的には、『硫黄島からの手紙』が上位でした。『太陽』は、何かの雑誌で、ぼろくそに書いていたので、見送ってしまいました。残念。 カンヌ映画祭のパムルドールを受賞した『麦の穂をゆらす風』はもうすぐ県内でも上映されるので行こうと思っていたところです。 そのほかでは、笹野高史の助演男優賞が嬉しいですね。このような地味な役者にライトがあたるのは、とても良いことだと思います。『武士の一文』での演技は光っていましたね。 日本アカデミー賞の優秀賞も既に発表されています。これを見ると、結構違いますね。『男たちのヤマト』が入っているのを見て、そういえばこの映画もあったんだとと思い出しました。これは、封切りが1月17日でしたので、投票では不利になりますよね。 選考委員の顔ぶれがキネジュンは評論家・作家・ジャーナリストなど113人で、日本アカデミー賞は現場のスタッフや俳優等が主で、約40000人ですから、当然観点が違います。 日本アカデミー賞で優勝作品に選ばれている、『男たちのヤマト』『THE 有頂天ホテル』はベストテンに入っていません。もしかしたら、選出基準が違っていてノミネートされなかったんでしょうか。 このように、優秀な作品が発表されるのはとても良いことですが、受賞作品を見逃したら、あとはDVDで見るしかないところが残念です。出来れば、上位に入った作品だけでも、アンコール上映をしてくれると、見逃したお客さんなど、結構は入りそうな気がします。そういう特集を組んでくれる映画館はないものでしょうか。やはり、映画は劇場で見ないと本当のところは分からないと思います。映画を見ると言うことは非日常の空間でもあるはずですから。。。
2007年01月12日
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あまり関心がなかったのですが、念のため前田有一氏の批評を見たら、絶賛に近い内容だったので、見てきました。結果はとても良かったです。最後は、何かほろりとさせられました。 監督は『デジモンアドベンチャー』『ONE PIECE』の劇場版などを手がけている細田守氏で、『時をかける少女』のアニメ化は氏のたっての希望ということです。 キャラクターデザインは『新世紀エヴァンゲリオン』などの貞本義行で、美術監督は多くのスタジオジブリ作品に関わる山本二三ということで、『耳を澄ませば』の背景にエヴァンゲリオンのキャラが躍動するという状況です。でも違和感は全くありません。 この小説はかなり昔に出来たもので、私も読みました。ちょっと調べてみたら、原作は1965年の「中学3年生コース」11月号から始まり、単行本化されたのが1972年、文庫本が出たのは1972年です。私が読んだのは多分この文庫です。でも、昔々のことで、筋は全く覚えていません。『時をかける少女』というと、個人的には原田知世の主題歌の歌声を思い出してしまいます。(古!)今回は主人公が原作の芳山和子ではなく姪の紺野真琴という設定が目新しいです。それに飛ぶことにより、タイムリープするという発想も面白いです。 絵は、スタジオジブリの絵にかなり似ています。声も主人公の紺野真琴(仲里依紗)の声はジブリ作品で聞かれるような声と思いましたが、今回200人を超す候補のなかから、選ばれた方だそうです。いつも映画の時に、お目にかかる、海賊撲滅キャンペーンに出ている、谷村美月が功介に好意を寄せる藤谷果穂役で出演していることも興味がありました。 倉野瀬という町にある倉野瀬高校が舞台ですが、学校だけで7カ所、住宅地は中井、谷中、上野、荒川、千葉、幕張、荻窪など多くの場所がロケハンされたそうです。そのかいがあってか、とてもリアルな物に仕上がっていました。■あらすじ 物語は、とある高校に通う、真琴と間宮千昭(声・石田卓也)、津田功介(声・板倉光隆)の仲良し3人組の物語。ふとしたことから、タイム・リープ出来るようになった真琴の活躍を描きます。 ある時、物理教室に入った真琴は何者かが通り過ぎた後に転んで、タイム・リープ(時空間を自由に行き来できる)の能力を持ちます。ある日、自転車のブレーキが効かなくなり、踏切で電車と衝突すると思った瞬間に、時間が元に戻ったことから、その能力を知ります。真琴はどうすればタイム・リープできるかを考え、一生懸命練習します。そのかいがあって、タイム・リープを習得した真琴は、いろいろな失敗を回避するために、何度もタイム・リープを繰り返します。 そのうち、すべてを知る叔母の芳山和代に、自分が失敗をしない代わりに誰かに迷惑をかけているのではないかと問いかけられます。考えてみると、家庭課の料理実習の時、天ぷらを揚げるのに失敗してぼや騒ぎを起こしました。その時は、男子生徒にその役割を代わってもらい、自分は失敗をしなくて住みました。しかし、その男子生徒は、いじめにあってしまいます。 程なく、真琴は腕に数字が浮き出ていることを知ります。それはタイムリープできる回数を示しているのでした。ところが、仲良しの功介が捻挫をした果歩を病院に連れて行くために、真琴の自転車を借りるという連絡がありました。時間は4時一寸前です。事故の再現を確信した真琴は現場に急ぎますが。。。。■走る少女真琴がやたらと走りまくる映画です。2、3分走るシーンだけが延々と続くところがあります。単純に走るのではなく、走るときのあえぎ声を交えているため、飽きることはありません。これはなかなか思い切ったカットだと思います。 原作では主人公であった芳山和子が真琴の叔母として、経験を踏まえて、彼女にアドバイスを送ることになります。なかなか面白い着想だと思いました。手に汗握るスリリングな場面もありますし、最後のどんでん返しもなかなか良かったと思います。 たびたび出てくる、間宮千昭と津田功介、それに真琴の野球をするシーンがほのぼのとして、私もあの当時を思い出してしまいました。。。それからたびたび出てくる川原の夕焼けのシーンがとても美しかったですね。 いろいろな場面で聞かれる、バッハのゴルトベルク変奏曲の旋律が効果的です。公式サイト
2007年01月11日
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数年で80億円稼いで、まもなく引退するという平秀信さんのメールマガジンに良い話が出ていました。(以下引用)美奈さんという学生がいました。彼女は、かなり有名なA社への就職を希望していました。しかし、A社は超人気企業。入社できる確率は1000人に10人です。美奈さんは考えました。どうすれば就職できるのか?美奈さんは、アルバイトに応募することにしました。そこで会社の人の目に留まれば就職へのチャンスは開ける。そう考えたのです。アルバイトに合格し、年末、池袋の催事場でのキャラクターグッズ販売の担当になりました。美奈さんはアルバイトをするときに3つのことを決めて行ったそうです。1.出勤時間の15分前に行き、グッズの販売準備する2.笑顔で挨拶する3.大きな声を出すみんなが来る前に、グッズの整理整頓。みんなが帰ったら、制服の片付け。社員の人にもお客さんにも笑顔で元気よく挨拶。これを繰り返していきました。そして、美奈さんは、グッズ販売でも飛びぬけた成績を収めていきました。その理由は販売するお客のターゲットを決めたのです。得意な英語を生かし、外国人に売る。おじいちゃんおばあちゃんに売る。年齢の高い人に特化して接客していきました。高齢の人は、孫や子供にグッズを買うのですが、何を撰んでいいのかわからない。そこで、撰ぶ基準を教えたり、今はやっているものを教えてあげたのです。決して売り込むことをしませんでした。それで、社員さんがびっくりするような金額を売り上げたのです。美奈さんの噂が社内で広がり、その声は社長に届くようになりました。池袋にすごいアルバイトがいる!どんな方法で売っているんだ!どんなやつだ!社長さんは池袋の催事場に出かけました。しばらく美奈さんの働く姿を見て声をかけました。それは驚く内容でした。「あなたが噂の美奈さんですか?どうか、卒業したらうちの会社に入ってください」美奈さんはもちろん大喜びし、「はい!」と答えました。社長さんは聞きました。「いったい誰に教わったの?」。美奈さんは答えました。「お母さんです」。美奈さんのお母さんが教えてくれたことはこんなことでした。1.笑顔で挨拶2.大きな声で話をする3.人が嫌がることを率先して行う4.他の人が目をつけないお客を探す5.困っていることを解決してあげる6.報酬を先に求めない7.それらを毎日やり続ける素晴らしいの一言です。成功するのは簡単です。夢をかなえるのも簡単。基本を忠実におこない、それ以上のことが出来ないか考えるだけのことなのですね。(引用終わり)良い話と言うよりは、みんなに見えないところで自分に出来ることをする。それは必ず分かってくれる人がいる。という思想をお母さんが持っていて、娘さんがそれに素直に従ったということだと思います。マーケティング的には、4番の「他人が目を付けないお客を捜す」、5番目の「困っていることを解決してあげる」をしっかり実行しているところが大したもんです。お母さんはまさか、マーケティングを知らないと思いますが、しっかり身に付いてるんですね。 普通、アルバイトに会社に入ってくれとは言わないものです。おそらく、そう大きな会社ではないと思いますが、この社長も大したもんだと思います。現在では、殆ど死語に近くなっていますが、「お天とうさんが見ている」という言葉が、現在でもしっかり生きていることを考えさせられました。しかし、ドラマのようなことが本当にあるんですね。
2007年01月10日
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日経BPnetに連載中の「田中秀征の一言啓上 」その10回目「安倍首相への支持の質を問う!」と題して、小泉元首相と安倍首相に対する国民の支持の質の違いを述べています。大変興味深く、その指摘は当たっているのではないかと思わせる内容です。(以下概要)安倍内閣の支持率が、これほど短期間に、しかも急激に下落しているのか。原因とされる個別問題を離れ、安倍晋三首相に対する“支持の質”という観点から、小泉純一郎・前首相と比べてみたい。■支持の「質」は、世論調査では測れない そもそも世論調査には、支持の多少(量)はかなり正確に表れるが、支持の強弱(質)を正確に測ることはできない。だから、同じ60%の支持率でも、支持の程度が強い場合と弱い場合があることを見落としがちだ。端的に言えば、おなじ60%でも小泉前首相と安倍首相では質が違う。新聞などでは、「支持する」「どちらかというと支持する」などと設問を工夫している。しかし、不十分である。たとえば、「支持するに」に力を込めて○を付けるのと、迷ったあげくに○を付けるのでは全く違う。この重要な違いは数字には現れない。安倍内閣に対する支持の質は当初からかなり弱いものであったと考えられる。これに対し、小泉前内閣に対する支持には、かつてないほどの強さと勢いがあった。浮き沈みがあっても、強い支持は発足当初より年がたつほど増加していったように思う。■「総裁・首相へのなり方」が小泉支持の質を高めた強い支持、勢いのある支持は、周辺に支持を広げる力になる。小泉前首相は、小泉個人の支持者と言える人を30%近く持っていたのではないか。これに内閣や党に対する支持が加算されて内閣支持率となった。小泉首相に対する高い支持、強い支持の主原因は、「総裁・首相へのなり方」が、その後の支持の量や質を強く規定している。3度目の自民党総裁選挙は、当初、「勝ち目がない」とみられていた。しかし、小泉前首相は徹底して「世論と結託」して急上昇。ついに世論と共に自民党を乗っ取り、政府を乗っ取った。言わば世論は小泉政権の生みの親であった。■ハンセン氏病訴訟が、支持の質を「銑鉄」から「鋼鉄」に変えたもちろん、世論は初めから小泉前首相を強く支持していたわけではない。ところが、自民党や既得権益とのその後の激しい戦いが、消極的支持を積極的支持に変えていく。特に決定的だったのはハンセン氏病患者訴訟における「控訴断念」の決断。これで「何が何でも小泉支持」という強い支持者がこれで飛躍的に増大したに違いない。■安倍首相の生みの親は自民党しかし安倍首相の生みの親は、自民党であった。この「なり方」の根本的な違いが、その後の安倍首相の政治を強く制約し規定することになる。このため、安倍首相は、生みの親である自民党とその支持団体の意向を優先的に配慮せざるを得ない。こう考えると、安倍首相の反転攻勢は至難の業である。(引用終わり)支持率の質とその成り立ちが違う、まさに卓見だと思います。こういう評論の場合得てして情緒的な論理がまかり通るのが常ですが、結構論理的な思考だと思います。これが当たっているとすれば、やることは、内閣の権限を増減する、つまり自民党との関係を希薄にすることです。そのために、まず脛に傷を持つ閣僚を切り、官僚をコントロールできない補佐官を代えることが必要になります。おそらく、国民は閣僚のうち何人かはうさんくさいと思っているはずです。そこを代えるだけで、支持率は上がるのではないかと思います。でも、支持率を気にせず、やらねばならないことがあると思います。拉致問題はもちろんのこと、他の問題でも毅然たる態度をとって欲しいですね。
2007年01月09日
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川崎で見損なった「カポーティ」。当地でもやっと上映されましたので早速見てきました。印象としては、なかなか難しいテーマだなということです。アカデミー主演男優賞を受賞したティモシー・シーモア・ホフマンの演技が評判を呼んでいますが、個人的にはその徹底的にカポーティを研究したという甲高い声や仕草は凄い演技だと思いますが、見ている方が感情移入しにくい人物のため、それが感動につながらないと思います。 原作を大分前に読んでいるのですが、文庫本の表紙のデザインくらいしか思い出せませんでした。。。全体的に、おぞましい感じ、それも他では味わったことのない、何か乾いた暴力的な感じがした様な思い出があります。 導入部、惨殺された4人家族に子供の友達が尋ねてきます。そこから粒子がとても粗く輪郭がはっきりしていないことに軽いいらだちを覚えました。メジャーな映画会社なのに何故?という疑問が原因です。プリントが悪かったのかもしれないし、高感度フィルムを使ったのが悪かったかも分かりません。疑問は最後まで残りましたが、後半はあまり気にならなくなりました。ライティングを控えめにして、好感度フィルムを使って、わざとこのようにしたのかなということも考えられます。いずれにせよ、理由を知りたいところです。■あらすじ この作品は1954年11月14日にカンサスシティーのホルム村で起きた2人組の強盗犯による一家4人の惨殺事件を取材する、トルーマン・カポーティ(フィリップ・シーモア・ホフマン)の姿を追った、ドキュメンタリー・タッチの作品。 この惨殺事件に興味を持ったカポーティは、調査員兼ディーガードのネル・ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)と共にニューヨーカー誌の記者としてカンサスシティーに向かう。ネルは、カポーティが幼少の頃アラバマに住んでいたときの隣に住んでいた幼なじみで。ネルの奔走で第一発見者の少女にコンタクトすることに成功する。そこで、殺されたナンシー・クラッターの日記を見せてもらう。 翌日、保安官アルビン・デューイの妻マリー(エミー・ライアン)がカポーティの作品のファンであったことから、デューイの家の夕食に招待される。そこで、例えば、自作の『悪魔をやっつけろ』の脚本を書いて、ヨーロッパに映画を撮りに行ったときに、フォード監督がどうのこうの、マーロンブランドがどうのこうのと、セレブの話で興味を引きます。その結果、現場の写真集を見せてもらうことに成功します。 暫くして、2人組の犯人が捕まり、保安官事務所を尋ねたカポーティは、犯人の一人、ペリー・スミスと接触することに成功する。その後も足げく通って、彼の信頼を勝ち得る。 最初の裁判では陪審委員全員が死刑を認めた。しかし、カポーティが同性愛の相手で作家のジャック・ダンフィー(ブルース・グリーンウッド)に実力弁護士を頼み、上告したために、刑は延期になる。すべては、カポーティがノンフィクション小説の材料を揃えるための時間稼ぎであった。 カポーティはペリーを説得して、ペリーが付けていたノートを借りることに成功。また、上告したことに反感を持つ保安官のデューイから捜査記録を見ることを許してもらう。こうして、カポーティの知りたかったことは、欠けたパズルを埋めるように次第に埋まっていくが。。。 ■カポーティの性格の多面性 最初に事件のあった家の外の景色、大きい畑が延々と続き、林が続く中に、ぽつんと一軒の家がある、が映し出され、寒々とした気分にさせられます。 全体的には、カポーティの歪んでしまった性格の謎解きと、事件の謎解きが複雑に絡み合ったものです。殺しの写真や絞首刑の場面など、凄惨なシーンもあります。それに対して、華やかなセレブの世界を描写したシーンがあり、鮮やかなコントラストを描いています。音楽もそれに合わせていて、通常はピアノと弦の靜かで寂しい音楽、華やかな場面では賑やかな音楽と、対比がはっきりしています。そういえば、ネル原作の映画「アラバマ物語」の試写会のパーティーではコルトレーンの「It's easy to remember」が流れていましたね。 カポーティは本当は陰気な男だったのでしょうか。有名人との交友も多く、人前では、卑猥なジョークを交えて、人々を楽しませます。しかし、本当に心から話せる相手はネルと、同性愛の相手の作家ジャック・ダンフィー(ブルース・グリーンウッド)しかいなかったのかと思ってしまいます。彼の性格の複雑さはいろいろと描写されています。カンサスシティー警察に行ったときに、誰にも聞かれていないのに、身につけているマフラーが高級品だと言ったりして、鼻持ちならない男として描かれています。■殺人犯ペリー・スミスとの交友 ペリーから作品の進行状況を聞かれると、まだ一言も書いていないと答えます。作品の名前も教えません。挙げ句の果ては、出来たところまでの読書会を行って、ペリーにばれてしまうたという間抜けなことをします。これは彼の狡猾な面と間抜けな面の両方を表したエピソードといえます。カポーティがペリー・スミスにシンパシーというか愛情というかを感じたのが何故であったのか? スミスの姉を尋ねていったときに、アルバムを見せられます。そこには、小さい頃の姉とランニングシャツを着てお腹が出ている少年が立っているます。これを見て、彼は、自分と同じ境遇だったことを知ります。これが、親近感を持った理由だったのでしょうか。 最後の方で殺人の動機が明らかにされます。すべてはガセネタから始まったのでした。そこが何とも悲しいです。すべてを知った後、カポーティはペリーの要請にも応えず、絞首刑の日にも応答しないという冷たさにゾクリとしました。冷血とは、彼自身のことを言っているのかも、と思ってしまいます。 二人の絞首刑を見届けたカポーティは作品を完成します。しかし、精神に変調をきたし、亡くなる1985年まで二度と作品を上梓することはありませんでした。もしかすると、ペリーに対する態度を後悔したためだったかもしれませんね。■ペリーのノートとアヴェドンの写真 ペリーのノートには日記と共にいろいろな人物の絵が描いてあります。その中にはカポーティの絵も含まれていました。彼は、ロデオショーの両親から生まれ、芸術的な才能に恵まれていたようです。 2人の犯人、ディックとペリーの写真を撮りにリチャード・アヴェドンが来て、彼ら単独のショットや、ペリーとカポーティが並んで移っているショットがありました。見たいと思い、検索してみましたが見つけられませんでした。見てみたいですね。因みに1959年にアベドンはカポーティの文で写真集『OBSERVATIONS』を出版しています。実物の写真 左がディック、右がペリー■細部にこだわった重厚な作品 第1回監督作品となったベネット・ミラーは、重厚な作りで見るものを惹きつけて、大変素晴らしいです。何気ないカットにも理由がありますが、背景が分かっていないと理解できなところがあります。例えば、保安官事務所へ行ったとき、牢屋に入っているペリーが、カポーティにアスピリンがないかを尋ねます。それは、ペリーがバイクの事故で脚を砕かれ、その後遺症に終生苦しんでいたという背景があります。この映画を十分に味わうには、それらの知識もあったほうが良いみたいです。公式サイト
2007年01月08日
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ビッグコミックスピリッツに掲載されていた松本大洋の代表作の劇場版アニメ。結構評判になっているので、「カポーティ」、「時をかける少女」と共にまとめて?見てきました。結論からいうと、噂に違わぬ、見事な仕上がりです。原作は読んだことがありませんでしたし、予備知識も殆どありません。しかし、独特の風合いの絵といい、突拍子もないストーリーといい、なかなか面白かったと思います。■細密画のような画面に圧倒される まず、感心したのは、風景を初めとして、隅々まで細密に書き込まれている絵の美しさです。美しいと言っても、普通の綺麗な物を美しいというのではなく、汚い物でも緻密に書き込まれているため、その中に美しさと、何とも言えない懐かしさを感じるのです。時代背景が、昭和30年代のようで、あの頃の風景がとても良く描かれていたと思います。いわば、アニメ版「All Ways」の様に感じました。あの様に平和な風景を描いた物ではありませんが。。。 ■あらすじ 物語は、宝町のガード下に棲息する孤児のクロ(二宮和也)とシロ(蒼井優)。宝町を守る警察の藤村刑事(西村知道)と若い沢田刑事(宮藤官九郎)、近所に住むじっちゃ(納谷六朗)と仲がいいです。ここでは、クロが街を仕切っています。宝町を狙っている組長と、ネズミ(田中泯)、手下の木村(伊勢谷友介)もいます。 そこに、蛇(本木雅洋)が「子供の城プロジェクト」という妖しげな再開発事業を持ち込み、組長と結託します。 彼らは、宝町の再開発に邪魔な人間を次々に始末していきます。その中には、街を警護するチョコラ達3人組やクロとシロが含まれます。 クロたちを抹殺しようとする木村は不首尾に終わり、ネズミに休養を言い渡されます。変わりに、蛇は「蝶・虎・龍」という中国人風の巨人達3人を呼び、クロたちの住処を襲います。 クロは殺し屋の一人に殺されそうになりますが、シロに助けられます。危険が極限値まで達したとき、シロは警察に匿われます。一人になったクロは残る殺し屋二人との死闘に向かいます。。。 ■空間的な広がりが凄い 登場人物の絵は原作よりもきつい線で描かれています。かえって、その人物の特をよく出していたと思います。クロとシロが空中を飛んだり、逃げたりするシーンの途方もない空間的な広がりが実に見事でした。 ■監督はアニメの大ファン 監督は「アニマトリックス」ほかハリウッドのVFXの第一人者マイケル・アリアスです。彼は約10年ほど前に原作者にクロとシロの30秒ばかりのアニメを送ってよこしたという、熱烈な愛好家です。監督のインタビュー(日本語)が新潟放送のHPで見られます。 それによると、 『原作の印象は、自分の人生がそのまま本になっている、宝町も自分が住んでいる町とそっくりで、リアリティのある話だと思う』。作るに当たって、美術の人達とは、『舞台は日本ではなく、日本みたいな国、パラレルワールドみたいにできたらなー』と話あっていた。『昭和の日本ではなくそれらを消化した上での一つの世界を作るアプローチを取った』と言います。また、映像としては、平面的な物にならず、なるべくリアルさを感じるような映像を目指したそうです。 脚本が良くできているとはいえ、日本人でないのに、日本人の心情をよく理解しているのには驚きます。 ■スケールの大きな最後の場面 時折出てくる、パステル風に描かれる心像風景がその他のシーンとのコントラストが冴えていました。それに、クレヨンで書かれるシロの絵もいい味が出ていましたね。 終盤に出てくる、クロと自分の心の闇が生み出した「イタチ」との絡みのシーンが、とてもスケールが大きく見応え十分でした。 それから、クロを思うシロの心理描写や、クロに危険が迫ったときの、一卵性双生児のようなシロの乱れぶりの描写もアニメの次元を越えていますね。。 終盤近く、ネズミが蛇側に寝返った木村にやられ、木村も組織の人間にやられてしまうところは、やくざ映画の1シーンを思い起こさせるものでした。 ■木村に同情してしまった 個人的には、木村に感情移入してしまいました。もうじき子供が産まれるため、足を洗って、海の近くに引っ越そうと考えている木村。蛇の命令で何から何まで教わった、ネズミを殺さなければならなかった苦悩。いかにもステレオタイプですが、この心理描写は漫画とは思えないほどリアルでした。 それから、「不感症ですから」が口癖の、沢田刑事の飄々としたキャラも独特でしたね。蛇のいかにも凶悪そうな顔も強烈でした。 ■登場人物の顔と声優の顔がそっくり!? 登場人物と声優の顔が似ているケースが多く、声優を選ぶ基準を顔にしたかと思うほどです。特にネズミの田中泯、木村の伊勢谷友介、沢田刑事の宮藤官九郎はそっくりでビックリしていまいます。 声優が本職でない人達がかなり出ていたと思いますが、人選が良かったのか、不自然さを感じさせるキャラはいませんでした。特に、蒼井優はシロそのものといっていいほど、役と一体になっていたと思います。 ということで、これは子供でもなく大人でもない人達から、普通の大人まで、幅広い層の方々に見てもらいたい映画です。まだまだ続くようなので、是非!公式サイト
2007年01月07日
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ノース・テキサス・ウインド・シンフォニーのGIA WIND WORKSの最初の一枚。このCDでも新旧の吹奏楽作品が並んでいます。「transformation」に比べると幾分地味ですが、中身は濃いです。注目されるのは、ロバート・ステッラの「ファンダンゴ」、ドナルド・グランサムの「バロンズ」です。 第1曲目はロバート・シエラの「ファンダンゴ」をイーストマン・ウインド・アンサンブルの指揮者マーク・デイヴィス・スキャターデイが編曲した吹奏楽版です。 この曲は、アントニオ・ソレルの「ファンダンゴ」から出発し、ボッケリーニの「ファンダンゴ」と自身のバロックに対する想像とが合体した、幻想曲だと言っています。 「ファンダンゴ」と言えば、スペインの熱狂的なリズムを思い起こします。ここではどちらかというと、スペインの鄙びた音楽として出発し、徐々に音量を強めていって、最後で大きな盛り上がりに達するところがが聞き物です。いろいろと細工をしていますが、個人的にはいまいちピンときませんでした。 ■英国の田園風景が目に浮かぶような『揚げひばり』 ヴォーン・ウイリアムズの2つの作品が取り上げられています。一つは、ポーラ・ロビンソンのためにウイリアム・シルヴェスターが編曲したフルートとウインド・バンドのための「揚げひばり」。オケ・バージョンではヴァイオリン・ソロです。なるほどヒバリですから、ここでのフルート・ソロもなかなか曲にマッチしていると思います。色に例えれば、乳白色の感じで、英国の田園風景が眼前に浮かぶようです。ただ、原曲に比べ楽器編成のためか、ソロとのコントラストが若干弱まっています。また、この曲の東洋的な味わいも薄まっていると思います。 ■最上位に属するでき『トッカータ・マルチアーレ』 もう一つは、「トッカータ・マルチアーレ」。おそらく、この曲の演奏で、最上位にランクされるものです。使われている版はニュー・イングランド・音楽院・ウインド・アンサンブルの名誉指揮者フランク・L・バティスティによるもの。マニュスクリプトに当たって、バスクラ、ソプラノサックス、バリトンサックスをオプションとして追加しています。旋律が幾分テヌート気味に演奏されているところが、少し変わっています。響きは透明で、とても美しいです。しかし、この曲はいつ聴いても古さを感じませんね。 ■古き良き時代のアメリカを思い出させる『メリカの賛美歌組曲』 4曲目ドゥウェイン・ミルバーンの「アメリカの賛美歌組曲」は4つの曲からなります。作曲者はこの曲について、『教会音楽家としての家の歴史に根ざしている。この4つの歌を含めていろいろな賛美歌を歌い、演奏して育った。』と述べています。分厚いハーモニーがパーシケッティに似ていて、さながら「リンカーンシャーの花束」の米国版みたいな感じです。しかし、曲そのものはあの様に込み入っていて、ひねくれたものではありません。アメリカの賛美歌の良さをストレートに歌い上げたものです。聞いていると、古き良きアメリカを想像してしまいます。第2曲の「Balm In Gilead」(ギリアデの香油)を基にしたバラードはジャズ風のハーモニーが心地よいです。第3曲の喜びに溢れた生き生きとしたリズムも良いですね。 ■爆発的なエネルギーを感じさせる『ニトロ』 フランク・ティケリの「ニトロ」はノースショア・コンサート・バンドによる委嘱作品で、2006年4月9日に初演された曲です。 演奏時間3分弱と短いですが、爆発的なエネルギーを発散させる爽快な1曲。木管がホルストの木星の出だしのような音型を奏でるなかで、トロンボーンなどの金管群が高らかにファンファーレを吹き鳴らします。途中、コープランドの「ロデオ」的な部分を挟んで、再び金管群のファンファンーレが鳴り響きます。 ■墓場の雰囲気満点の『バロンズ』 グランサムの「バロンズ」はブードゥー教の霊に基づくミステリアスな表情を持つ作品です。「バロン・サムディのサラバンド」、「バロン・シミティエのマンボ」の2曲から成ります。 墓場の神「バロン・サムディ」はヴードゥー教に出てくる、気性の荒いハイチ生まれの神格たちや精霊たち、ペトロの一つです。因みに「バロン・サムディ」はフランス語で「土曜日男爵」の意。別名をメートル・シミティエ・ブンバ。これもフランス語で墓場の主人という意味です。 バロン・サムディは生と死の狭間の監視人です。出で立ちは、イメージのようにトップハットに黒い燕尾服、片っ方のレンズがないサングラスをかけて、います。それにたばこをくわえてステッキを持っています。 「バロン・サムディのサラバンド」はイメージどおりのいかにも不気味な感じの曲です。これは悲しげで厳かではあるが、不安げなムードに溢れています。後半、サックスで奏される、のんきなソフトシューが、この不気味な音楽と同時進行するところは、あたかもテレビのテロップが横に流れていくように感じられます。グランサムの手腕が実に見事に発揮されています。 ※ソフトシュー:底に金具の付いていない靴で踊るタップダンス。これに対し、タップシューはhard shoeという。 「バロン・シミティエのマンボ」はマンボの活気のあるリズムが聞かれます。しかし、「バロン・サムディのセレナード」同様暗いムードなので、そこには苦い味わいが潜んでいます。かなりひねられた作品で、好き嫌いが分かれそうな曲だと思います。演奏は、曲の意図するところをしっかりと把握した、名演だと思います。 出典:ブードゥー教 Wikipedia そのほか、ジェイコブの「ウイリアム・バード組曲」が収録されています。第6曲の「鐘」が壮大で輝かしい演奏です。 North Texas Wind Symphony:Altered States(GIA CD-685)1.Roberto Sierra (arr.Scatterday):Fandangos(2000)2.Vaughn Williams (arr.Silvester):The Lark Ascending(1914)$3.Vaughn Williams (arr,Battisit):Toccata Marziale(1924)4.Dwayne Hymnsong:American Hymnsong Suite(2003) 1.Prelude on "Wondrous Love" 2.Ballad on "Balm in Gilead" 3.Scherzo on "Nettleton" 7.March on "Wilson"5.Ticheli:Nitro6.William Byerd Suite(1923) 1.The Earle of Oxford's March 2.Pavana 3.Jhon Come Kisse Me Now 4.The Mayden's Song 5.Walsey's Wide 6.The Bells7.Donald Grantham:The Barons(2005) 1.Baron Samedi's Sarabande(and soft shoe) 2.Baron Cimetiere's ManboMary Clardy(fl $)North Texas Wi nd SymphonyEugene Migliano Corporon,conductor Recorded March 31-April 3,2006 and July 17-20,2006at University of North Texas Winspear Performance Hall,Murchisonn Performing Arts Center
2007年01月06日
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「平成・進化論」1月4日号に日本初の株式会社組織のオーケストラが誕生し、そのお披露目講演が無料で行われるというお知らせが掲載されていました。その名はフォンタナ・フィルハーモニー交響楽団。「フォンタナ」といえばイタリア語で「泉」のことですね。泉フィル。。。。う~ん、その名前にした理由を聞いてみたいですね。 曲目は、 シベリウス 交響詩フィンランディア Op.26.No.7 ガーシュイン ラプソデイ・イン・ブルー チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調OP.64 の3曲で、指揮は中村祐一氏、音楽監督・ピアノは宮崎剛氏。定員2000人。 お申し込みはハガキに (1)氏名 (2)住所 (3)年齢 (4)枚数をお書きのうえ〒531-0074大阪市北区本庄東1-10-17-1Fフォンタナ・フィルハーモニー交響楽団まで。同社より無料チケットを送ってもらえます。締め切りは1月15日、当日消印有効です。 ということで、どんな団体なのかネットで調べてみました。 (以下概要) 代表取締役兼指揮者が中村祐一氏。音楽監督は宮崎剛氏。昨年8月に大阪市北区に設立されました。なお、この名称は登記上の名前で、公演等での名称は「フォンタナ・フィルハーモニー管弦楽団」を使用するとなっていて、ちょっとややっこしいです。 会社の概況としては、資本金1000万円、従業員が3名、事業内容は交響楽団の経営となっています。 昨年の11月15日に特別内覧演奏会および会社説明会を大阪で行ったとあります。第1回公演は2月28日に行うそうです。 日経流通新聞2006年11月24日号によると、出資者で社長の中村氏の本業は経営コンサルタントです。 中村社長の事業プランは下記のようなものです。 1.今春までにベンチャーキャピタルや個人投資家から計3億円の出資を募る。 2.当面、団員としてフリーランスの演奏家を起用する。公演数が増えれば社員として年間平均450万円を払い、企画・営業なども任せていく。 3.指揮者は公演ごとに団員が選ぶほか協奏曲などのソリストも団員が務め出演料を抑える。 4.2009年3月期に室内楽や合唱、ソロなど小規模なものまで含め年間250公演を行い、売上高25億円、経常利益1億円をめざす。 問題点も指摘されています。 公演回数250回は、1公演あたりの練習日数は一般的に3日とるため、同じプログラムを何回かやるとしても、現実的には無理。 また、250公演で25億円を得るには1-2割のスポンサー収入を除いても1公演千万円弱の売り上げが必要。ところが、1枚5000円の券を2000枚近く売るのは、現実的にはとても高いハードル。 (概要終わり) 設立の目的が、若い演奏家を援助するための組織を作ることでしたら、NPOみたいなものでも良いような気がします。敢えて株式会社にした理由がいまいち理解できません。それに、演奏回数が増えたならば、演奏以外の仕事にも従事させたいって、片手間にやれることじゃないと思うんですが。。 なによりも、演奏家は演奏水準の維持・向上が最も重要な仕事だと思います。それをないがしろにするような考え方を持っているようでは話になりません。演奏家の場合には、実際の演奏会、練習の他に自分で練習する事が大事なわけですから。。 ただ、ファンクラブも立ち上げるみたいですし、やる気は十分感じられます。まあ、起業することは立派なことですし、その意義は大いに感じますが、事業計画がちょっと経営コンサルタントらしくないように思います。 まずは、早いとこスポンサーを見つけるのが先決でしょうね。最近景気は上向きですので、スポンサーが付く可能性はあるかもしれません。それにつけても、演奏内容が良くなければすべては無駄になります。それをフリーランスでやるってんですから、アンサンブルの熟成も何もあったもんではありません。組織として最初から交響楽団なんて大所帯でやななければならない理由も分かりませんし。一番の問題は設立の目的がいまいちよく分からないことですね。来年の今頃「(東北弁で)そういえば、フォンタナ・フィルってどうなったんだ?」「そんたな楽団なくなった」という会話にならないように頑張ってもらいたいですね。 そこで、私の提案。殆どJリーグ新潟の方法のまねです。前提としては、本拠地の名前を入れた楽団名にすることが必要です。1.本拠地は大都市ではなく、プロオケのない県で、プロオケのある県の隣か、2つ隣の県。例えば、四国なんかどうでしょうか。2.最初はチケットをただで配ります。ただであれば、オケなんか聞いたことのない人達が聞きに来ます。ソロと指揮者は著名人を呼びます。こうしないと、集客できません。3.しばらくは2で頑張って、入場者が多くなってきたら、徐々に有料コンサートを増やします。4.ファンクラブを作り年会費を取ります。当然割引などのサービスを拡充します。5.クリニックを無料で行います。無料というところがミソです。6.ジュニア・オーケストラなどを立ち上げ、育成していきます。 ネックは、スポンサーを見つける必要があることですね。もし見つけられない場合には、少人数で細々と始めるしかないと思います。この場合スポンサーの狙い目は法人ではなく、あくまでも個人の資産家ですね。平均化されてるとはいえ、日本にも、大金持ちはいるので、可能性はあると思います。
2007年01月05日
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英国の吹奏楽作品を紹介するポリフォニックのシリーズ「グレイト・ブリティッシュ・ミュージック・フォー・ウインド・バンド」の最新作です。今回はエレビーの「クラブ・ヨーロッパ」と「トロンボーン協奏曲」、キット・ターンブルの「タイム・ラインズ」、マイケル・ボールの「3つの行列聖歌」、ダロル・バリーの「祝典の知らせ」、ギルバート・ビンターの「スペクトラム」、そして、ゴーブの「アドレナリン・シティ」合計7曲と盛りだくさんの内容です。 「クラブ・ヨーロッパ」は、クラブ・ヨーロッパ・コンサート・ツアーの委嘱により2002年のベルギーとイタリアのヤング・バンド・フェスティヴァルのために作曲されました。とても明るく、軽快で、聞いていると、ウキウキしてくるような曲です。■アフリカの土俗的なリズムを使った『タイム・ラインズ』 2曲目はキット・ターンブルの「タイム・ラインズ」。元々ブラスバンド用の作品ですが、今回のレコーディングのために作曲者自身で編曲されました。サハラ砂漠よりも南の国々の音楽で使われている12ビートのリズムが特徴的で、これが6×2,2×6、4×3の様ないろいろなパターンに分割され、ここからアフリカの音楽に共通するポリリズムが生まれます。曲は3部に別れ、最初のゆっくりした部分では、南アフリカの賛美歌「Abasubdu Nabamhlope」を基に作られています。次の合唱部分では、賛美歌「Nkosi Sikelel」を基にしています。最後のアレグロの部分ではアフリカの土俗的なリズムに乗って踊りと歌が繰り広げられ、大きな盛り上がりを見せます。■ブレット・ベイカーの妙技が聞きもの エレビーのトロンボーン協奏曲 エレビーの「トロンボーン協奏曲」はこのCD随一の聞き物です。ブラックダイク・バンドの首席トロンボーン奏者、ブレット・ベイカーのソロは輝かしく力感溢れる音で、実に素晴らしいです。さすがに、英国ブラス・バンド界で最もうまいと言われるのもうなずけます。イメージ的には、クリスチャン・リンドベルイの音とフレージングにかなり似ていると思います。 早いパッセージの歯切れ良さは無論のこと、「エレジー」と題された緩叙楽章での朗々たる歌も、素晴らしいです。第3楽章「モザイク」もラプソディックで歯切れの良いアップテンポの曲です。ここでもベイカーの素晴らしいテクニックが堪能できます。最後に、第2楽章の旋律が戻ってきて曲を締めます。トロンボーン奏者にとっては大切なレパートリーになることは、間違いないところでしょう。 ■カラフルでうきうきしてくる『スペクトラム』 スパークに大きな影響を与えたという、ヴィンター(1909-1969)の「スペクトラム」は1969年のブリティッシュ・オープン・コンペティションのブラスバンドの課題曲のアレンジです。題名の「スペクトラム」は曲の中に様々なエピソードが綴られていて、それが赤、橙、黄色など色のスペクトラムの名前を付けられているからです。全体にスウィンギーで、名前のように非常にカラフルな曲です。とても面白く、一編の冒険映画を見ているような気分になります。全体的に、ユーモアとウイットに富んでいて、サーカスの音楽(ワルツ)を思い起こさせるところもあります。このアレンジも、この録音のためにされたもので、個人的には、病み付きになりそうです。今後ポピュラーになっていって欲しい曲です。でも、日本だとこういったユーモアのある曲はあまりうけないですからね~。■近未来の雰囲気を感じさせるゴーブの『アドレナリン・シティ』 最後はゴーブの「アドレナリン・シティ」。この曲は、21世紀の都市生活でのストレスと柑橘系のアロマオイル「ビブランス」?からインスパイアされた曲だそうです。10/8でソナタ形式を取っています。活気のある第1主題とムーディーな第2主題。いいですね。相変わらずの作風です。聞いていると、彼の「メトロポリス」に描かれていた未来都市を思い浮かべてしまいます。また、静かな部分は、「アウェイデイ」の雰囲気を思い出します。 中間部で出てくる、サスペンスがかった東洋風な旋律もなかなか良いです。これが、第1主題と絡み合うところはなかなかスリリングですね。オープニング用の序曲なので、それほど力瘤が入っているわけではありません。しかし、決め所はきちんとおえてあり、さすがです。この曲ではバスクラ、バリトンサックスの使い方が絶妙です。それに、パーカッションの使い方も、相変わらず見事です。Royal Northern College of Music Wind Orchestra:Time Lines1.Martin Ellerby:Club Europe/2.Kit Turnbull:Time Lines3.Michael Ball:Three Processionals I)Marziale II)Corlege III)Fiesta4.Martin Ellerby:Trombone Concerto I)Panache II)Elegy III)Mosaic5.Darrol Barry:Cause for Celebration6.Gilbert Vinter:Spectrum(arr. Rodney Newton)7.Adam Gorb:Adrenaline CityClark Rundell(cond 3,4,7)Mark Heron(cond 1,2,5,6)Brett Baker(Tb)Royal Northern College of Music Wind Orchestra
2007年01月04日
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2004年から2006年にかけて、ヤマハ吹奏楽団の定期演奏会で初演された委嘱作品5曲の初演時のライブ録音が登場しました。最初の3曲が2006年、4曲目が2005年、5曲目が2004年の定期でのライブです。 全体的に駄作はなく良くできている作品が多いと思います。個人的には、お気に入りの作曲家、長生淳の20分を要す大作「幸いの龍」が良かったですね。 ライブのため、マイクセッティングに制約があり、録音レベルが低かったのが惜しいです。演奏はむらがなく、ヤマハ吹奏楽団の粒ぞろいのソロと、マスとしての迫力が発揮されていると思います。 ■壮大な映画音楽のような『ヘスベリテスの黄金の林檎』 樽屋雅徳の作品は、ギリシャ神話「ヘラクレスの12の難題」の一つ、「「ヘスベリテスの黄金の林檎」作られました。ヘスペリデスの園を知らないヘラクレスは、水神ネレウスと取っ組み合いをし、捕まえて場所を聞き出します。黄金の林檎は、百の頭を持つ竜ラドンが守っています。ヘラクレスはラドンを倒し林檎を手に入れます。 冒頭、トランペットソロによるヘラクレスの優しげな表情を持つテーマで始まります。すぐに水神ネレウスとの取っ組み合いが描かれます。途中、靜かで叙情的な部分が続き、最後に雄大な終結部を迎えます。まるで壮大な映画音楽を聞いているような感じがします。 ■聞き手の心に突き刺さる『神秘の花』 八木澤の作品は、フランスの画家ギュスターブ・モローの「神秘の花」に、インスパイヤーされた作品です。作曲者のノートによると、今までの委嘱作品とは異なり、題材を含めて、いっさいの制約がなかったそうです。『「神秘の花」を通して、モローが語りかけてくる、ある種の感覚を描いた』と語っています。 絵は、夥しい数の殉教者の間に咲く百合の花と、百合の花に立つ十字架を持った聖母マリアが描かれています。雄大なスケールで始まります。激しい部分(殉教者達の虐殺の様子?)と静かな部分(聖母マリアを描いた部分?)が交互に入れ替わり出てきます。かなりシリアスな音楽で、好き嫌いが分かれそうな曲です。個人的には、とても力のこもった、作品だと思います。時折聞こえてくる、日本のお囃子に似たフレーズも印象深い物があります。最後の清透で雄大な部分は、殉教者の昇天を描いているのでしょうか、素晴らしい高揚感です。吹奏楽コンクールには、定期演奏会での聴衆の投票により、清水作品が選ばれたそうですが、個人的には八木澤作品が一押しですね。 ■親しみやすい。けれど、ありきたり?『すべての答え』 続いては、清水大輔の「すべての答え」。1980年生まれで、最近売り出し中の若手作曲家の作品です。題材は人類、宇宙の起源という未だ答えの出ていない「究極の疑問」です。作品名は、この曲が演奏される場に立ち会うすべての人達の心を刺激することを願って付けたそうです。 冒頭は「問いかけ」のテーマである6つの音(4+2)がチャイムで奏されます。壮大な気分に満ちた部分で、なかなか良いです。この後、答えを求める旅を描いた速いテンポの部分が続きます。キャッチーなメロディーですが、少々ありきたりで新鮮味がありません。 個人的には、さほど感銘を受けたとは言い難く、この曲がコンクールの自由曲に選ばれた理由が分かりません。おそらく親しみやすいというのがその理由だろうと思います。 ■終結部の高揚感が素晴らしい『幸いの龍』 4曲目は、長生淳の傑作「幸いの龍」。演奏時間約20分を要する大作です。この龍は、ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」に出てくる龍のことです。龍は「決して望みを捨てない」物として描かれています。この曲は、物語を描写しているわけではなく、「決して望みを捨てない」ことに対し、思うところを曲に託したといいます。 作曲者は何か願ったことが実現するためには、ある種の幸運が必要で、それは、望みを捨てない限り、いつかはやってくると思っています。 作曲者のノートを読むと、この曲は龍に託した作曲者の信条告白であると思われます。描写音楽ではありませんが、冒頭の龍の出現を思わせるフルートを中心とした木管アンサンブルに絡む鈴の音色や、龍に乗ったときのような?浮遊感を感じる部分があります。また、4分頃に出てくる憧れと勇気に満ちた主題が様々に形を変えて出てきます。とても良い旋律で癒されます。また、響きの薄い部分でのヴォイシングに新鮮味を感じました。後半部のエネルギッシュで野蛮な部分は、相変わらずの長生節?が炸裂しています。 全体的には、とてもまとまっていて、中間部の複雑なアンサンブル、終結部の高揚感など素晴らしいところが沢山あります。トロンボーンの短いソロもうまいです。 ただし、中間部のホルン・アンサンブルが、疲労と緊張のせいか、若干揃わなかったのが惜しまれます。また、響きの薄いところでの細かい傷が数ヶ所あり、気になりました。出来れば取り直しをして欲しかったですね。 ■オルガンと金管の対比が絶妙 『魔天』 最後は、菊池幸夫の「魔天」。「魔天」とは「摩天楼」から引いた造語ですが、「天に迫る」というニュアンスを含んでいるそうです。また、音楽が荒々しく展開する場面では、日本の仏教彫刻での四天王像が見せる怒気の表情からインスピレーションを受けました。 終始鳴り響く金管を中心としたテュッティに対し、場面転換で挿入されるオルガンの無機的な旋律が絶妙のコントラストを描いています。あたかも、感情的な金管、木管群を、なだめる様な効果を感じます。 こうして日本人の作品だけを聞いていると、日本人作曲家の特徴が、浮き彫りにされてくると思います。ウエットでそこはかとない悲しみがにじみ出てくるような傾向があると思います。また、声高に訴えるのではなく、心に響くような表現が多いことにも気がつきます。やはり、民族性との関わり合いを強く感じます。今後、これらの作品が、いろいろな団体でどんどん演奏されることを強く希望したいですね。 ヤマハ吹奏楽団:すべての答え 1.樽屋雅徳:ヘスベリテスの黄金の林檎 2.矢木澤教司:「神秘の花」-ギュスターヴ・モローに寄せて 3.清水大輔:すべての答え 4.長生淳:幸いの龍 5.菊池幸夫:魔天 堺武弥(指揮 1-3)河原哲也(指揮 4-5)ヤマハ吹奏楽団Recoreded 30 May 2004(5),28 May 2005(4),4 June 2006(1-3) at ACTCITY Hamamatsu Main Hall
2007年01月03日
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チャンネル桜の水島総社長が執筆している雑誌の連載記事に、テレビ局の社員の生涯賃金について書かれていました。東洋経済10月17日号に掲載されたデータによると、第二位の朝日放送は5億7570万円!その後、フジ、日本テレビ、テレビ朝日が4億7308万円と放送局が4局も入っています。 30歳の平均年収も書いていて、朝日放送は1、100万円、フジは995万円、日テレは901万円だそうです。ランキングに入っていないNHKの財務表から推定した年収は、職員数11、851人に対し人件費1955億年です。これから計算すると、平均1600万円以上です。 筆者が問題視しているのは、NHKです。社員数を考えると、フジは1380人、関連会社を入れて4212人。一方、NHKは天下り関連会社を除いても、11、851人、フジの約3倍であります。つまり、フジはNHKの約1/3の従業員で番組の制作をしていることになります。 もう一つ、下請けの問題があります。下請けを使って新しい番組制作をするとしたとき、1日18時間として、1時間あたりの制作費は平均2500万円になり、これを1年に換算すると、1642億円になります。 これを前述のNHKの人件費と比べると、フジなどの全放送番組を制作して、余ったお金300億円で、番組の送出やメンテナンスなどが出来ることになります。 ちなみに、NHKの18年度の経常収入は6、122億年で、フジテレビのそれは5、934億円です。つまり全番組を下請けに出すと、NHK、フジとも4000億円のお金があることになります。結局、これだけお金が余れば、給料が高いのも当たり前です。 ここで、筆者はある試算を行っています。例えばNTT、KDDIなどの通信系会社が番組制作費と広告代を出します。そして、下請けを使って番組制作をおこない、ネット配信します。すると、年間6000億円の売上と3000億円以上の利益をあげることができます。 ネット配信は、オンデマンド型ですので、いつでも見られます。また、通信インフラは安価で準備できます。これを考えると、既存マスメディア解体の一歩であり、映像マスメディア終焉元年を告げる死の宣告といえる、と結んでいます。 う~ん。凄い年収ですね。また、民放はさておき、NHKの高賃金体質には我慢が出来ません。おまけに反日的な番組を制作しているし。中国に利益供与をしているようなこともありますし。。。個人的には、NHKは一度解体して、全く新しい会社を興すほかないと思います。 しかし、その前にネットでの番組配信が本格化して欲しいですね。現実に、例えば、アメリカはもとよりイギリス、フランス、ドイツなどでネット配信のテレビ局があります。何故日本で出来ないか。それは著作権の問題を除くと、法規制が障害になっているためだと思います。 そこいら辺の規制を撤廃して、いつでも好きなときに番組を見られるように、早くしてもらいたいものです。 それにしても、最近の番組のレベルの低さは相当酷いです。毎日毎日バラエティばっかりでいらいらしてきます。もしかしたら、日本人を総白痴化しようとする某国の陰謀かと思ってしまいます。こんな番組を垂れ流して、年収が1500万円なんて、彼らにとってなんと良い国なんでしょうか。
2007年01月02日
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最近恒例になっている、天皇杯サッカー観戦ツアー?今年も行ってきました。今年も前日移動でしたが、今回は高校サッカー選手権も見ることが目的です。■ドングリの背比べ? 高校サッカー グルノーブルに入った中京高校の伊藤翔選手を見るために、初めて駒場スタジアムに行きました。印象としては、狭苦しい感じで、座席も背もたれがなく、ちょっと不便です。 試合は中京と広島皆実という実力校同士の対戦。お互いにチャンスは結構ありましたが、決定力不足で0-0のまま終了。PKで4-2で広島皆実が勝ちました。中京高校はみんな背が高かったです。前半にレッドカードで一人退場になり、その後もよく頑張ったのですが、残念でした。 注目の伊藤選手は、190cm近い大型フォワードですが、動きには切れがあり、さすがに外国から呼ばれるだけのことはあると思います。ただ、シュートの精度がいまいちでしたね。 この試合では、広島皆実の堅い守備が印象に残りました。レベルの高い試合で、楽しめました。それにしても、PKを外した選手はどんな気持ちになるんでしょうかね。。。 第2試合熊本の大津と新潟の高志との対戦。前の試合に比べて、レベルが低く、面白くないため、前半を終わったところで帰りました。途中で帰った人が結構いたみたいです。 ■藤あや子を見ることが出来てよかったよかった? 元日の今日は、浦和とガンバの天皇杯決勝。日曜日はとても天気が良かったのですが、今日も曇りながらまずまずの天気で、あまり寒くありませんでした。浦和の応援一色かと思ったところ、ガンバの応援もけっこう頑張っていました。 「君が代」は藤あや子が和服姿で歌っていました。相変わらず美しいですね。(^ ^; ■浦和がよく耐えた 試合はガンバの怒濤の攻撃を浦和が何とか防ぐという展開で、一方的になってもおかしくなかったです。結果はワンチャンスをものにした浦和が勝ちました。個人的には、期待していた浦和の小野とポンテにさえが見られなかったのが残念です。鈴木啓太のパスミスも何度か見られましたね。。相馬のパスの精度が悪いのも目に付きました。 浦和は主力数人を欠いているにしては、よく頑張ったと思います。特に岡野は「今年も浦和残留だな」と周りでささやかれているように、少ない出場時間でよくチャンスメイクをしたと思います。浦和はこれで、天皇杯連覇となりました。守りのサッカーがいよいよ強固になりつつあるという印象を受けました。■決定力がなかったガンバ ガンバは宮本の壮行試合でしたが、残念でしたね。目に付いたのは、播戸の突破力と家長のボールコントロールの見事さです。マグノ・アウベスはいまいちの感じがしました。■喫煙車に乗って失敗 帰りの新幹線はがらがらと思いきや、ほぼ満席状態。どうなっとるやねんと思いつつ、3号車に乗りました。これが失敗のもと。いつもだったら禁煙車に乗るのを間違って喫煙車に乗ってしまったためで、結構煙と臭いが気になりました。前は吸っていたので、そういう場所へ行っても気になりませんでした。ところが、会社や公共の施設などで喫煙場所が決まるようになり、そういう場所に行かないようになったら、免疫が薄れてきたというか、たまに、そういうところに行くと、臭いが付いて嫌な目に遭うことが多いです。 ということで、2日間のサッカー観戦が終わりましたが、結構疲れました。寄る年波には勝てないというところでしょうか。
2007年01月01日
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