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偉い人というのは実際に居るものだ。そういう人の前に来ると、謙虚に振舞わざるを得ない。あほなやつというのは、何とか偉そうにしなければならないと思っているやつらのことで、彼らは、偉そうに物が言える相手を探して汲々としている。ほんとに寂しいんだろう。お気の毒なことだ。だから、落ちぶれたり、困窮したりする人たちにむやみに同情することはしない。その人がそういう状態にあるというのはそれまでの歩み方によるので、先に言ったような人がついには零落するのはむしろ当然のことである。それを格差がどうのとか、社会の歪みとかを持ち出して論ずるのは間違っている。学校や会社ではいじめをやって発散し、ルールは適当に都合よく解釈し、自分が上手く行かないのは社会のせい。姿勢はゆがみ、食生活は不規則なので、睡眠もいい加減。これじゃ病気にならない方がおかしいだろ。そこで、税の使い道を福祉に回せってか。いったい誰の金だと思ってるんだ。
2008年01月20日
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ネットスケープの開発・とサポートがこの二月一日を以って、終了するということだ。今では占有率一パーセントとか。しかし、そのDNAは、MOGILAへと受け継がれ、その次へ(確かモンキー何とか・・・)と伝えられていくはずである。たとえ姿が変わっても、そこへ行く過程において一度は通らねばならない道であったとしたら、それはやはり、その変えられたものの中に生きていると見るべきであろう。Netscapeよ、永遠なれ!
2008年01月17日
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こどものころに刷り込まれたことを、ずっと引きずっているというのは、何も障害者に限ったことではない。ましてや、発達障害と診断されたようなこどもには、大人になれないのはもちろん、子供のころの大人の対応が、その人の一生を決する。すなわち、私がここで仮説として提出する方法というのは、「こどもに初めから本物を示す」というやり方である。こどもにいきなりクラシックや、芸術を体験させ、こどもっぽい遊びは飛ばして、程度は低くても、あくまで本物のスポーツをさせる。しつけとか、言葉遣いとかにも注意を払い、所謂赤ちゃん言葉は一切無し。年齢が高いにも関わらず、いつまでも幼稚なしぐさ、こだわりのある行動に留まるならば、それが形成された過程の替わりに、大人らしい行動を刷り込んでしまおうというのが、ねらいである。
2008年01月15日
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上手いこと言うなあ。上手いというのは、この際適当ではないのだ。というのも、それは医学的見地から、事実として言っているのだから。ある本の題名が、「人は感情から老いて行く」という意味のものであったので、パラパラと立ち読みしてしまった次第。買わなかったけどね。いずれは買います。いや、それで、もし、全く精神医学とか、そのような学問的素地の無い人が、ですよ、このように自分の経験から、言ったとしたらそれはそれですごいことです。その場合には、うっ、上手いっ、てね。そう思います。この本には、「前頭葉が・・・」という話が載っているんですけど、それは何時かのお楽しみ。今日は「養生訓」(貝原益軒)を買いました。
2008年01月14日
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便利な言葉である。ワーキング・プア。何かを、それを表す言葉で言ってしまうと、何か物事が前進したようにも見える。ああ、これで問題に取り組む素地ができたとでも言うのか。それはさておき、何が問題であるのかというと、低所得には低所得なりの生活をしていけるという環境が無いということである。そこを見ないで、働くか、生活保護か、社会保障か、自己責任か、という議論に入っていくから訳が分からなくなる。いつの時代、いかなる地域にも、低所得は存在する。世がバブルであれば、それを社会福祉の名の下に、政治家の人気取りの道具にもできたが、世間が国や地方の財政に厳しい目を向け始めると、そうは行かなくなる。労働者対雇用者の問題としてみた場合、一見すると雇用者側の過酷な労働条件に問題がありそうだが、私は全く話は逆であると思う。もし、雇う側が、労働者の不適を理由に、早期に解雇できれば、雇用者はどんどんいい条件で雇い入れ、だめならすぐ解雇して次を探せる。雇われる側も次次といい条件の職場を探し、キャリアを積んでいける。そこでは、そういう権利の乱用をいかに防ぐかという、契約上の問題、信頼関係こそが問われるのである。ここで、雇用者、労働者双方の安全を担保するのは、公開の原則である。すなわち、その職場は、これこれの状況なのに、社長の言うことは違っているとか、そこではこんないじめがあるとか、総て明らかになれば、互いにいい加減なことはできない。企業にせよ、個人にせよ、プライバシーというどっから連れてきたか分からん化け物に翻弄され、果ては過労死、過労自殺。命がけで守ったものは自分のプライバシーで、自分の命でも家族の生活でも、自分の信念でもない。というお粗末さ。
2008年01月09日
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まあ、なんといっても昔取った杵柄。ちょっと変わったけど昔の面影残るSleipnirで出直します。Lunaもそれなりに良かったんだけどね。途中からそのよさを捨ててしまうような変更をしてしまい、それならSleipとおんなじじゃん、それとも敵のよさを認めて軍門に下ろうってか・・・それだけじゃないんですけどね。もちろん。今回の変更は。
2008年01月05日
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私の父は、特別養護老人ホームというところに入っている。生きることは、ホームの人たちの「老人を生かす仕事」であるから、すなわち自分の生は他人の仕事である。自分が他人事そのものなのであるから、考えるということはいやそうにするとか、うれしそうにするとか、そういう仕事である。そんな「生」が、発展し、前進し、自分や他人や、世の中に何らかのインパクトを与えるはずも無く、ただぼけていく。自分が弱った時、その解決策を自分以外のものに求めた結果、彼はこうなった。自分が為すべきことを他に求めた結果、本当にそれをしなくても良くなり、その望み通りの結果を得た。それを世に、ボケと言う。
2008年01月03日
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正月である。それが過ぎてくれるのを待っている。
2008年01月02日
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捨てること、止めること、そして、続けることについて考える。捨てることや止めることは、開放ということに直接結びついているように見える。しかし、そこから後悔とかこだわりとかが生まれることもある。「止める」とう行為もすることの一つだと考えると、総て行為は覚悟の無い所にはこだわりや後悔を伴うということである。かつて日本は鎖国という状態にあったが、この一種暗黒の時代にこそ、西洋に負けない学問、芸術の花が開いた。ロバを連れた親子が、周りの人たちの言動に左右され、ついにはロバを失ってしまうという有名な話があるが、周りの雑音に惑わされないことは大事なことである。船頭多くして船、山に登り、情報多くして人、行いて何事も為さず。
2008年01月01日
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