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「こっちが自然だったのかも」というのが、今の感想です。「アレッポの石鹸」。昨日は「匂いがきつい」という趣旨の事を書きました。しかし・・数時間して石鹸の匂いが少し残っている状態で手を嗅いでみると、それが自然かも・・と思えてくるのです。多分、オーガニックに拘って生活している人たちにとってはこういうのが普通なのではないかと、思えてきました。この石鹸、作っているところの様子を写したリーフレットがついていたのですが、これなら当地の土や埃、そこに居るはずの微生物も一緒に石鹸となっているはずだと思えてきます。日本で自然・天然由来100%と言うと必ず香料が含まれていたりします。その絶大な威力の香料のない状態では、これこそが本物ではないかと思います。
2016年01月29日
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帰ってみると、配送業者の「不在連絡票」が入っていました。重いものだったら、取りに行くのは辛いので、担当に電話して届けてくれるように頼んだんですが。すると小さい。米10kgではなかった。石鹸だった。シリアから輸入の「アレッポの石鹸」。1000年前から基本的に変わらない製法でできているんだとか。紫式部が中宮彰子と語らっていた時、遠くはなれたシリアの女達はこの石鹸で体を洗っていたのでしょうか。どこかで覚えのあるような香りがする。決していい香りではありません。しかし、何しろオリーブオイル90%とローレル10% 。手には優しいです。今日は夜勤明けだったので、帰宅後シャワーを使い、それからの本品受け取りとなった。それで手しか洗っていないけど、これからは全身に使います。 シリアの人たちに一日も早い平和と復興が訪れるよう、祈っています。
2016年01月28日
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将来に不安で現状には不満。なんとなく、そんな生き方がいいように見えているのだろうか。不安というのは、いろいろだろうが、自分が歩けなくなるということもそのうちの一つに違いない。その割には若いくせにエレベーターとかエスカレーターを使いたがり、電車に乗ったら座りたがる。最近はスマホを操作したいので、車いすスペースとか入口付近で立ちたがる。立つというのは言葉の綾で、スマホ操作時の姿勢というものはおおよそ障害者である。障害者がいいのなら、さっさとそうなればいい。すでに脳は障害を負っている。もし今、スマホ禁止等と言われたら、それこそ人格否定に等しい事を言われたと感じるだろう。それはタバコや酒でも同じこと。そのレベルではとうに中毒なのだ。もし将来に不安があるなら、少しでも対策をしていくことが普通の考え方である。初めから寝たきりになりたい人は居ないはずである。自分は地下鉄でスマホを操作しながら乗り降りしている人を見ると、逃げる。
2016年01月26日
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国会議員は治外法権なのか。先の「安全保障関連法案」採決の際、国会内において鉢巻をして肉体的実力行使に及んだ女性議員たちがいた。国会内で鉢巻をするのは法令違反。現在まで、そのことを咎める他の議員も政党もない。マスコミの諸兄も黙ったまま。そんなことなら、初めからそんな決まりは作らぬがよかろう。
2016年01月25日
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パソコン、スマホ、携帯。それぞれ一台ずつ難波で売り払って来ました。700円、4800円、1000円の値がつきました。値段は携帯、パソコン、スマホの順です。パソコン以外は値がついただけで良しとすべきですが、パソコンは、その店で同じものが19800円(中古)で売られていたんですがまあ仕方ないですね、半値の半値。向こうも商売ですから。他に二品(二組)持って行きましたが、それらについては値がつきませんでした。それから虹の街で使える金券を使って食事して帰りました。今月末で仕事も一段落です。すこしゆっくりしたいですが、そうも言ってられないですね。
2016年01月19日
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梅田に用事があっての帰り、どういうわけか「沖縄振興予算」が気になっていた。少し調べて見たが、1 通常の国庫支出(地方交付金)の他に「振興予算」があるわけではない。2 基地を提供しているのだから沖縄は言わば地主じゃないのか ?3 平成10年から下がり続けた振興予算は平成24年から再び上昇(昨年3460億円)4 全国最下位という県民所得は基地がある事が原因なのか ?5 これまでの振興策は失敗6 振興予算を食った奴らに天誅を7 基地が無くなったら沖縄は発展するのか ?つらつら思うに「沖縄振興予算」はもう限界。数年のうちに廃止して、地方交付金を全国並みに支給した上、振興予算を創設すべき。少なくとも戦後50年にはそうすべきだった。そして何より、基地が沖縄に集中していることと、沖縄が抱えている諸問題は必ずしもリンクしない、という感想を持った。
2016年01月11日
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どうしても、こうしても、どうにも 、こうにも、とにかく戦う人々がいる。福祉をもらっているんだったら、福祉と仲良くしたほうが良さそうなものなのに、とにかく、戦う。戦って、戦って、勝ち取るという形以外に道はないと熱に浮かされ続けている。そこにはそれを煽って生業としている輩が暗躍しているとも知らず、そいつらに操られ寒い中に凍えながらも戦っている人々。彼らに必要なのは、誰が真の味方であるのか気づく勇気と力である。彼らは自身が惨めで哀れである事が生きる手段であり、その場しのぎの興奮を生きる力に変えて日々を過ごしている。福祉の方でも、生活保護について考えなおす時が来ている。すなわち、ある程度働ける人、世の生産に関わろうという意欲のある人を後押しする制度を設けるべきだ。今の生活保護のあり方だけでは、このような意欲を活かす事はできない。
2016年01月05日
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介護事業所で職員募集しているところというのは、「定着率」を売りにしていることが結構ある。しかし、応募する方では初めからその仕組を見抜いている。要するに新人・立場の弱い者が入れ替わり立ち代わりで、常に募集をかけてないと人が足りない、そういうことだ。常に何人かの新人が辞めていく。それというのも他のメンバーがそこにいるためには犠牲になっていく、ということだ。事業所の方でも一年も二年も募集しているのだから、いい加減問題に気づいたらいいようなものだが、そうは行かないのがこの世界。それというのも、事業主体と現場の乖離が決定的で、本気で福祉とか介護とかそのあり方を考えてはいない。事業の存続とか経営とか、人の生活(勿論利用者の)をどうするのかという考えがそもそもない。そんなところに人が行くわけがない。
2016年01月04日
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かつて総理の田中角栄氏は、「隣の国(中国)と仲良くできなくて、世界平和なんか出来るはずがない」と言ったとか。私はここに田中角栄という政治家の、限界を見る。このようなメルヘンをりがたがった日本人のノーテンキさももんだが、一国平和主義を謳歌していた当時としてはそのような言葉に酔ってしまうのも無理からぬ事だったのか。平和とは、「戦争のない状態」である。これを「戦争がないからといって平和とはいえない」などというのはいい、それは文学的表現としてであって現実には決して訪れることのない物語である。平成の道家はここに言う。真の平和主義者は敵と握手できる者である、と。どうして敵と仲良くなど出来るのか。しっかりと握手するが、敵は敵。商売もしよう利益も得よう。しかししっかりと敵と対峙し、油断はできない。
2016年01月03日
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自分の思い込みやわずかばかりの経験から物事を判断し、人のいうことを鼻から信用しない人間はその者自身が信用に欠ける。いざとなったらまず頼りにはならない。であるから、たとえ立場を得ていたとしても、重んじてつきあう必要はない。それどころか、そのような者と交わってうっかり友人同士などと周りからも見られてしまうと、面倒に巻き込まれる恐れもある。そういう者は、自分が困ったときだけこちらを頼ってきたり、馴れ馴れしく近寄ってうまく他人を利用する。そして、すぐに横柄な態度に戻る。くれぐれも用心することだ。
2016年01月02日
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今日は天保山に写真を取りに行く日だが、デジカメの充電をしてからになる。今年は職業的にも今までとは違った方向性で考えている。ここに書けるような大層なものではないが、もう自分には時間がない。この頃の持ち物整理というのはつまるところ遺品の整理ということだ。すべての人の全ての所有は総てがその遺品の凡てである。という間に、一台のデジカメの充電が完了した。去年の撮影は夜間になってしまったが、今年は日のあるうちに行けそうだ。当たり前の事を当たり前にすることに、特別な名前は要らない、要らなかったはずだ。子育て介護歴史認識そんな言葉は最近になってできたものだ。個人情報とか、プライバシーとかもそうである。守るべきは個人であって情報ではない。今、海外の邦人が危険な時に自衛隊は出動できない。今まではなんとか民間機を飛ばしていたが、それができない事があるというのはすでにはっきりした。そのことを取り扱った映画「海難1890」を昨日見た。そこでのテーマは勿論別なものである。「超法規的処置」などは過去にあったのに、この時は日本はそうしなかった。日航ジャンボ機墜落の際も、現場に最初に駆けつけたのは米軍だった。しかし日本は救助を断った。何が大事なものなのかが、問われている。
2016年01月01日
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