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と、それは昨日のお昼過ぎ。場所はとある銀行の前。一体何事?と、まさか銀行強盗?なんて思いながら、警官の指示通りに直進したかったところを左折。今日の地元紙の地方版ではトラックとバイクに乗った銀行員の事故だったとかで、銀行員は亡くなられたと報じられている。ご冥福をお祈りします。 で、いつも気になるあの50ccのミニバイク。〇西電力の検針のおばちゃんたちだってそうだ。確か制限速度は30キロ/hではなかったっけ?そんなスピードで走っているバイクを私はみたことがない。しかも道路の真ん中を堂々と走っていたりするから危なくてしょうがない。 動いている物に対する側方間隔って、1.5mだっけ?いやはや、これで免許証を持ってるとは良く言ったもの。だから横をすり抜けるような走り方は出来ない。前から車が来ていたら、やはりそのおばちゃんバイクの後ろをついて走るしかない。 これがまた、銀行員だと時間に追われているせいか、制限速度なんて無いみたいな走り方。車の横をつかず離れずといった感じで並走されたりする。危なくて仕方が無い。それと、こんなことは言いたくないけど、あの郵便局のバイクだって結構スピードを出している。(元職員としてこれだけは書きたくなかったけど)と、バイクの側から見れば私の方が危なげなのかな? 交通安全週間に限らず、仕事で車やバイクを利用する人はやはり「安全」には気をつけなければ、と思う。一人だけで道路を占領しているような走り方は、どうかな?バイクなどは得に四輪とは違って安定感が悪いのだから、尚更四方八方の車の動きに気をつけて欲しい。 どのようないきさつで昨日の事故が起こったのか、私が通りかかったときには既にパトカーが何台も。という状態だったのでまるでわからないけど、一方的にどちらかが悪いとも思えない。黄色から赤に変わる直前で無理矢理交差点に入ったのか、はたまたどちらかが赤の信号を無視したのか。でも、交差点だからと、信号ばかりをあてにしていたのではぶつかるということが起こり得る。先日も高校生の列に車が突っ込んだばかり。もっとも運転手は40分前まではしご酒をしていたというからあきれてしまう。ここで改めて犠牲となられた高校生のご冥福をお祈りします。 私自身、危ない!と思うことは何回も。気をつけなきゃ。しかも今日は数の多い火曜日。街中を走るのは至難の業。勿論細い路地は歩かなきゃいけないから、車を停める場所探しも悩みの種。歩くよりも、このことに頭を痛める火曜日。そして、今夜は「第九」練習があるので、職場から直行ということになりそうな。 今から郵便局へ行って少し銀行を回ったらサイトに入ろうと思います。resが遅れがちですが、申し訳ありません。。。
2005.05.31
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5月最後の献立は、南瓜コロッケ、ほうれん草エノキ和え、長芋梅肉和え。南瓜コロッケの添えに三度豆・人参ソテー。ほうれん草エノキ和えに、渦巻き蒲鉾の煮付け。添えの野菜は南瓜コロッケにキャベツの千切り、ほうれん草エノキ和えにレタス。果物はバナナ。◆南瓜コロッケ。。。材料は、玉葱、じゃがいも、南瓜、鶏ミンチ。玉葱は皮を剥いて微塵切りにして、鶏ミンチと炒めておく。じゃがいもは皮を剥いて、大きさを揃えて切って茹で、南瓜は種を取って大きさを揃えて切ったのを、じゃがいもがある程度柔かくなってから加えて一緒に茹でる。水気を切って熱いうちに潰して粗熱が取れたら炒めておいた具を加え、ざっと形を整えて一旦冷蔵庫で落ち着かせ、揚げる直前に形を整えて、小麦粉、溶き卵、パン粉の順につけて、170度ぐらいの温度から揚げていく。添えの三度豆は斜め二つ切りにして、サッと茹でておく。人参も同様に皮を剥いて、二つ切りにした三度豆と同じぐらいの長さ、三度豆二本分ぐらいの太さに切り揃えて下茹でし、バターをひいたフライパンで炒めておく。◆ほうれん草エノキ和え。。。エノキは袋から出して根の部分を外して3分の1ぐらいに切り揃え、茹でて水気を切っておく。ほうれん草は洗って葉の部分は2センチぐらい、茎の部分は1.5センチぐらいに切って水にさらしておいてたっぷりのお湯で塩茹でし、冷水にさらして水気を切っておく。水気を切ったエノキとほうれん草を、しょうゆ、みりんで味を調えた合わせ醤油で馴染ませる。添えの蒲鉾を板から外して10切りにし、出し汁に砂糖、みりん、醤油などで薄目に味を調えた煮汁で煮ておく。◆長芋梅肉和え。。。長芋の皮を剥いて一旦水にさらしておいて、4センチの長さに輪切りにしたのを更に3~4ミリぐらいの拍子切りにして暫く流水にさらして水気を切っておく。市販の梅肉に砂糖、薄口醤油、みりんを加えて味を調えた梅肉を用意しておいて、盛り付けた上からかける。3つ切りにしたバナナを置き、千切りキャベツを。更に人参、三度豆のソテーを置き、南瓜コロッケを二つ。(明日は倍以上の食数になるので、少し大き目にして一つにすることに)左側にはほうれん草エノキ和えを置き、空いたところへ蒲鉾の煮付けを。3番目は大きさを揃えて切った長芋を盛り付けて上から梅肉をかける。何しろ手造りコロッケなもので、手間がかかること。いつもは午後1時半に厨房へ入るところを、30分繰り上げて3人でギリギリセーフに。勿論ゆったりとお茶などする間が無く、立ったまま作業をしながらカップに入れた麦茶を飲んだだけ。ちょっと。。。いやかなり疲れ果てました。オマケに留守宅が3軒。うちの1軒は娘さんのお宅にいらしたとか。残りのお宅へは栄養士さんが帰宅途中で寄ってみるとのこと。淡路島は今や玉葱の収穫の真っ最中。主になって農作業をしているとは思えないけど、日が長くなった分、結構遅くまで田圃にいたりするのかな?連絡がつかなかい場合は民生委員さんに依頼することになるけど、さて、どうなったのかな? 今日から半袖で厨房へ入り、結構品数が多い日だったもので、必死で頑張った感じ。しかも月曜日だから献立第一日目。明日はもう少し段取り良く出来るかな?と、明日もいつもの火曜日に比べたら30分早出することに決めて職場を後に。いやはや、自分自身にもお疲れ様。コロッケは小さい方が食べ易いのはわかるけど、明日は今日より少し大き目のを一個に。でなきゃ、時間が。。。 例のミンダナオ島での元日本兵の話。。。何だか確認出来ないまま現地を後にしたのだとか。一体どうなってるのでしょう。同じ日本人なのに。何か仲介されている人の言うことに辻褄が合わないとかですが。。。でも、まだまだ不明の兵士はいらっしゃるみたいで、この機会に一人でも行方が明らかにされて欲しい。
2005.05.30
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農家の主婦としては目を離せない内容のことが。そのまま引用させて頂きます。 『農作業の時期は地域で異なるが今は田植えがほぼ終わりつつあるころだろう。しかし、東京の中心で早くも穂が出始めている稲があった◆金融関係のビルが林立する大手町。その地下二階に、人口の光を受けて田んぼが広がっていた。人材派遣業のパソナが銀行の金庫だった場所に設けた「パソナオーツー」。温暖な環境をつくり、年3回の収穫が可能という。ほかにトマト、サラダ菜、ハーブなども栽培されている◆神戸出身の南部靖之代表が「オフィスに通うのと同じ感覚で体験できて、農業への理解と興味を深めてもらう場を」との考えで設けた。同社は農業分野への人材派遣を計画し、ここは「ショールーム」という◆日本の農業は高齢化、輸入農作物増加などの課題を抱える。1960年に比べると農家戸数は半減し、就業者数は4分の1になった。一方、今年3月、政府がまとめた農政新基本計画は、ばらまき型補助金を見直し、意欲と能力のある農家を重点的に支援する政策への転換を柱とした。新しい担い手の育成・確保も盛り込まれた◆農業は変わりつつあり、ビル地下の農園もそうした変化に呼応しているのだろう。発光ダイオードなどの光は明るく、とても清潔な印象だ。深夜でも昼間のように明るいコンビニの店内が思い浮かんでくる◆オープンから3ヵ月。地下農園には見学者が相次ぎ、農業のイメージを新たにした人も多いようだ。ただ、土や汗のにおいがほとんどしない空間を見ていると、農業はどこへ向かうのだろうとも思う。』 私自身は農家へ嫁して15年目。嫁した当時は印刷会社へ勤務していたので、そのまま勤務を続けることに。農繁期の日曜日だけお手伝いのような形で田圃へ入る程度だった。現在は午後からの仕事にはなったけど、自身に子供がいないことで、跡継ぎは夫には姪になる夫婦に。ということでいつの間にか田圃の作業も任せることにしたらしい。 大変な玉葱の収穫作業などは、夫婦の友達が手伝ってくださって、和気藹々とやっている。非農家の彼らには汗を流して働くことは全く苦にならないらしい。若いって本当に羨ましいこと。 6年前に卵巣を一つ(4月)、3年前(7月)に子宮全滴術を受けたもので力仕事は殆ど出来なくなってしまったこともあって、玉葱そのものは触っても、玉葱を詰め込んだコンテナなどとても抱えきれない私だから、玉葱の収穫作業のお手伝いも殆ど出来ない。植えるのも機械、抜くのも機械の現在、私の出番は無くなってしまったも同然。稲はというと、育苗センターで作ったのを運んで機械で植える。軽トラックは姪が運転して苗を運んでくれる。で、夫が機械で植えることに。段々と姪の旦那様も機械の使い方や、トラクターの動かし方などを覚えて担い手としては頼もしい限り。若い人は物覚えも早いし機械を扱うのはお手の物といった感じ。 というわけで、農家の主婦ながら、全く田圃とは縁が無い生活を。圃場整備が終わって初めての稲の作付けとなる実家は。。。何もかもを業者に任せてしまうのだとか。兄は洲本市住まいだし、母一人ではどうなるものでもないから、益々私の出番は。。。皆無に近い状態に。 でも、発光ダイオードを使った野菜栽培。電気代とか経費の問題はどうなんだろう。現実に問題点が無いとは思えないけど。。。
2005.05.30
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少年野球を観戦する機会がありまして。。。といっても、地元淡路島での話。サイトを放り出しての観戦にはちょっと抵抗がありましたが、皆さんに本当に元気を貰った感じです。 イチローよろしく盗塁までこなしてしまうのには驚きました。盗塁があるなら、牽制球もあり。小学生がここまで出来るんですねえ。で、声援の中に黄色い声。知り合いに聞いたら、女子も混じっているとのこと。何だか驚かされるばかり。 私はソフトボールの経験しか無いけど、バッターボックスは左。投げるのは右投げ。足が遅いから必然的に。というのもあるけど、これはグランドゴルフでも同じ。右打ちはどうもしっくり来ない。こんなのって変かな?父が左利きだったせいもあるのかなぁ。。。 お天気が良くて実は私には今年初めての蝉の声を聞くことが出来たし、ウグイスの声などはすぐそこで鳴いているような。緑に囲まれたグラウンドで本当に元気を頂きました。有り難う♪ 続く「淡路音楽祭実行委員会」は午後2時から。お昼をどうしようかと迷いつつ、〇アミリーマートで簡単なお握りを買って、一気に会議の場所まで大移動。ここなら車は停め放題だし、お手洗いも利用出来るし。。。早目に着いたらお昼寝だって出来る。お気に入りの「さだまさし」のCDを聴きながら少しうとうと。会議が始まる10分前に部屋へ入ると、もう何人かが席に着いていらっしゃる。 結局、淡路島の出演団体は5グループだということ、私たち5団体の合同演奏は最後に。ということで決まり。5団体の合同練習については、最終的に指揮をしてくださる先生の都合を聞いてからということに。大体7月中に2回。日曜日の午後2時ぐらいから市民会館で。という決定をして解散。 さて、その5団体の合同演奏。。。一体総勢何名がステージに上がることになるんだろう。月遅れのお盆前とあって、主婦は何かと忙しかったりして、現に、私が参加している地元のグループでも結構参加出来ない人が多い。最終的には何人になるんだろう。実際、誰にだって何が起こるかわからない生身の人間。出来るだけ沢山の人にステージに上がってもらいたいし、折角なんだからドイツの男声合唱団の演奏にも耳を傾けたい。さて、いつもの全員合唱は一体どんな曲が選ばれるのかな?日本語の美しい歌詞といったらやはり「ふるさと」かなぁ?いつもながら、サイトを放り出してしまいました。申し訳ありません。。。
2005.05.29
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地元紙の教育欄には、国語教師・大村はまさんの遺産 「自ら学ぶ」指導を実践として、こんな風に紹介されていますので、そのまま引用させて頂きます。 『4月に98歳で亡くなった国語教師の大村はまさんは、1つのテーマを決めて生徒一人ひとりに合わせて指導する「単元学習」教育に生涯を懸けてきた。教科書に頼らない教育方法のため異端視されたこともあったが、「総合的な学習」の登場以来、この単元学習があらためて注目されている。 大村さんは、それぞれが抱える課題を把握した上で、自ら作成した教材や選んだ資料を、生徒ごとに準備。資料を基に自らの考えをまとめたり、話し合いをすることで、学力や語い力を向上させるのが狙いだ。 例えば、誕生日に起こったことをテーマにした場合は、生徒全員の誕生日と、歴史上の出来事の年月日の一覧表を用意する。必要な本や資料がない場合は、自ら購入してまでそろえたという。 授業中は、生徒の席を回って一人ひとりに話し掛けた。こうして生徒自身が読んだ本や調べた資料、書いた文章などは、それぞれの学習記録としてまとめさせた。教え子で、「大村はま先生と学ぶ会」事務局長の苅谷夏子さん(48)は、「学力や語い力が付く教材、熱中して読めるほんがあるかを確認しないと、新しい単元を始めてはいけないと言い切っていました」と振り返る。 教師暦は50年以上。定年延長を重ねて73歳で退職するまで、東京都内の公立中学校などで教壇に立った。「考えなさい」「聞きなさい」などの指示や命令は、「何も教えたことにはならない」と嫌った。迷う生徒には具体的なアイデアを示し、自分の力で進めるようさりげなく後押しした。 こうした大村さんの教育方法を学ぶ研究者や教師は多い。しかし、大村さんは後輩や仲間に自らの手法を「教える」のではなく、「こういうやり方もありますよ」という姿勢で、定年後も毎年授業案を発表し続けた。苅谷さんは「先生のきめ細かいやり方は、教師にとってはあまりに厳しいので、そのままではまねできないと思う人が多かったのでは」と話す。 それでも、大村さんの意思を継ごうと努力する教師たちもいる。東京都台東区立御徒町台東中学校で国語を教える甲斐理恵子さん(49)は、単元学習を授業に取り入れてから20年たつ。生徒に作らせる学習記録も、徐々に充実してきたという。「10年くらい前からやっと、大村先生がおっしゃりたかったことが分かることが多くなった。でも、本物の域にはまだまだ達していない」と、甲斐さんは首を振った。 大村さんが作った教材や約2千冊の学習記録は、国立鳴門教育大(徳島県鳴門市)に寄贈され、多くの教師や研究者に利用されている。同大の橋本暢夫元教授(73)は「全国の先生が、彼女の実践を継承し始めている。簡単ではないが、国語以外の先生にも取り組んでほしい」と話している。』 一つのことから膨らませて考えると言ったら良いのでしょうか。段々と子どもたちの目の輝きが増してくる。そんな情景が目に浮かびます。何でも押しつけでは嫌になってしまう。いかに興味を持たせるか。そこから一体どんな答えが導き出せるのか。。。で、その記事の真下に理科の散歩道の209回目として、動物の学習 大切な経験の繰り返しと題して、こんな風に述べられていました。アッ!(柳学園中学・高等学校 高田健吾)とありますから、地元にある有名私立学園の教師なのかな?そのまま引用させて頂きます。 『4月から意ままでとは違う環境で新たなスタートをされた方も多いことでしょう。新しい仕事場や学校などで、仕事を覚える、勉強やスポーツに頑張るといった学習が続く日々ではないでしょうか。学習ということを生物学の立場から考えてみましょう。 動物の行動は、生まれついて持っている「生得的行動」と、生きていく中で獲得する「後天的行動」に大きく二分されます。 川にすむ魚が、なぜ川下に流されないか不思議に思ったことがありませんか?これは、水流に逆らって泳ぐ性質を生まれついて持っているためです。このように刺激に向かっていったり、逆に遠ざかったりする反応をまとめて走性と呼びます。 蚊などがヒトに近づくのは、温度の高い方へ近づこうとする熱走性や、二酸化炭素の濃度の高い方へと近づこうとする化学走性によるものです。ヒトのひざ下をたたくと足が跳ね上がるといった反射、複数の反射が一定順序でおこる本能行動、これらはすべて生得的行動です。 これに対し後天的行動は、生活し、いろいろなことを経験することで得ることができます。後天的にできるようになる行動を、まとめて学習と呼んでいるのです。 「刷り込み」ってきいたことがありませんか?例えば、生まれたばかりの小鳥が、初めて見たものを親と思い込んでしまう現象のことです。生まれてからの間もない限られた期間だけになされる、生涯忘れることのない記憶をつくる学習のことです。 新聞や雑誌に載っている迷路を解いたことがあると思います。少し複雑な迷路を用意して、学習について試してみましょう。時計を見ながら、ゴールするまでの時間を計ってみるのです。ゴールしたらすぐに、同じことを繰り返します。道を覚えてしまうので、ゴールまでの時間は、どんどん短くなりますよね。このように、失敗を繰り返して正しい行動が可能になるようなものを、試行錯誤学習といいます。つまり学習は「経験」を「何度」も「繰り返す」ことが大切なのです。 条件反射という言葉もよく知られていますね。これも学習の一種です。例えば酸っぱいものを想像しただけでつばが出るなんてことが、これにあてはまります。何度も同じことを繰り返すことで、無意識のうちにできるようになってしまいます。 発達した脳を持つ動物は、新しい状況に対してでも、過去の経験をもとに類推や予測をして、全く新しい行動をすることができます。これを知能行動と呼んでいます。この知能行動こそ、ヒトが他の動物に比べて並外れて優れた部分です。 私たちには、年齢や必要性などに応じて試行錯誤学習をたくさん行って、知能的行動を取ることができることが求められているようです。』 お名前の高田健吾というのが気になって早速高校の卒業アルバムを引っ張り出すと、当時の校長先生が高田健男氏。もしかしたら親子なのかな?先生ご本人とは思わなかったけど、(何しろ高校を卒業して。。。31年もなるのだから)やはり、教師のお子さんは教師への道を歩まれることが多いのかな? さて、日曜日のこの時間は「題名の無い音楽会」日記リンクしてくださっている、きなこのママさんが挑戦されるという珍しい十七弦の筝が登場。ご本人が、コントラバスと仰っておられたのが、決して重量のことではなく、音域のことだったと、初めて実感。知らないとは言え、恥ずかしい限り。。。きなこのママさんごめんなさい。 因みに、今日は「カルメン」にスポットを当てて、何と、歌舞伎を融合させたステージ。歌舞伎の歴史は400年余りにもなること、改めて驚きました。
2005.05.29
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という見出しが今日の地元紙の一面トップを飾っている。それに関連して、過酷、兵士の8割戦死 「豹」の異名持つ第30師団として、こんな風に紹介されていますので、そのまま引用させていただきます。 『フィリピン・ミンダナオ島での生存情報がある元日本兵たちは「豹兵団」の題名で呼ばれた旧陸軍第30師団に所属していた。旧陸軍省の編成人員表では、人員は約1万2千人だが復員者は約3千人とされ、8割近くが戦死・行方不明という過酷な運命をたどった師団だ。 防衛庁防衛研究所などによると、第30師団は1943年5月に朝鮮半島の平壌で、現役兵を中心に編成された。20代の若者が多い精鋭師団で、当初は対ソ連戦の訓練を受けていたが、南方の戦局悪化に伴い、対米戦のため44年にミンダナオ島に上陸した。 同師団に所属していたという森義友さん(85)=和歌山県海南市=は同年5月に約470人が乗った船で平壌を出発。途中、台湾沖で敵襲を受け約30人が死亡したという。生存情報がある中内続喜さん(85)を記憶しており「一緒の船に中内さんも乗っていた。話したことははいが、同年兵の親しみがあった」と話す。 師団は同年9月に米軍艦載機による空襲で大打撃を受けた。劣勢の中でジャングルでのゲリラに突入。食糧、弾薬の補給もない一連の厳しい行軍で餓死者も続出したという。森さんや中内さんは同師団のうち捜索第30連帯の所属。偵察部隊だったが、上陸した米軍とは激しい戦闘を繰り広げた。森さんは「食べ物がないのが一番つらかった。飢餓で死んだ人たちもたくさんいた」と当時の厳しい状況を振り返った。』 そして、総合欄では、戦後60年 密林の“戦地”で何をと題して、こんな風に述べられています。 『■届かぬ伝令 「(投降)命令が十分に伝わらず、現地で生活基盤を得たため帰国を申し出るタイミングをつかめなかったのでは」。今回の元日本兵情報について、関係者が漏らした。 フィリピンでの戦争体験を記した季刊新聞「曙光」を発行する近藤敏郎さん(83)=埼玉県春日部市=は、生存情報がある山川吉雄さん(87)、中内続喜さん(85)と同じ旧陸軍第30師団の別の部隊で終戦を迎えた。 近藤さんによると、1945年8月の終戦直後、米軍が日本の敗戦を知らせようと同島に航空機からラジオを投下。投降の医師を返信するための伝書バトもかごに入れて落とされたが、ハトは死んでいたという。 ジャングルで米軍と対峙していた近藤さんの部隊には同年9月初め、同師団本部の伝令兵から終戦が伝えられた。投降するか否か、10人の部隊員の意見は真っ二つに割れ、約1週間後、5人が捕虜になることを拒み、残された小銃や機関銃などの武器とともに現地の山中にとどまったという。 山川さん、中内さんの部隊はさらに山奥に展開しており「伝令兵は届かなかったのではないか」と近藤さん。 ■過激派歓迎? うっそうとした熱帯雨林の所々にそびえるモスク(イスラム教礼拝所)。カトリック信者が多数のフィリピンにあって、イスラム教徒が多いのがミンダナオ島だ。 フィリピン政府がキリスト教徒の殖民を進めたためイスラム教徒のモロ民族を圧迫。同島独立を目指すイスラム過激派、モロ・イスラム開放戦線(MILF)などのゲリラ活動が活発化した。 二人がモロ民族と一緒に生活していたとみられることについて、近藤さんは「イスラム過激派が反政府活動を続ける上で(二人の)武器や軍隊経験は歓迎されたはず」と語る。元日本兵がゲリラなどを指導するケースはアジア各地であり、ベトナム戦争時なども現地に残留した元日本兵が「軍事教官」となった事例があったとされる。 ミンダナオ島には日本の商社も事務所を設けているが、山岳生活を送る二人と接点がないまま年月が流れたのだろうか。 厚生労働省によると、終戦後、外国から帰還せず、死亡が確認できる資料がない未帰還者は今年4月現在、一般人も含めて計437人。このうち、フィリピンの未帰還者は一般人の一人だけ。72年にミンダナオ島で複数の元日本兵の生存情報があり、日本政府が調査したが、発見できなかった。』 まだまだ生存確認もできないままの旧日本兵がいるいことにただただ驚くばかり。そして、中国に残されたままの残留孤児たち。どうしてあのような戦争を引き起こしてしまったのか。本当の意味での終戦はまだまだという気がしてならない。
2005.05.28
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実は現在時刻が27日の午前0時を過ぎてしまいました。職場から一旦帰宅して、夕食の用意をしている途中で隣家からの電話。大騒ぎしたお嬢さんの行方は明らかになって、27日の夕方退院出来たとのこと、で、救急車を呼んだから付き添いで義母に救急車に乗って欲しいとのこと。何と、行き先は洲本市にある県立淡路病院。。。確かに、嫁の私より、義母の方が彼女も長い付き合いだし、気を遣わないのは分かるけど。。。本人は兎に角気分が悪いのだと言う。で、吐き気をもよおしそうな感じ。お向かいのお嫁さんが車で帰宅して、人だかりに驚いて駆けつけてくださる。そして、吐き気のことを訴えると、ティッシュとレジ袋を持ってきてくださる。私はずっと背中をさすりながら、「戻しそうなら、戻した方が気分が楽になるよ」と声をかけたけど、そのまましゃがみこんでしまう。 間も無く救急車が到着。何と降りてきた人の胸には救急救命士なる文字。こんなの初めて見た!近づくにつれて、「動かさないで!」と指示が飛ぶ。「立ってないで座らせてください!」慌てて倉庫にあったコンテナを椅子代わりにして座らせる。即座に血圧測定が始まる。。。息が詰まりそうだという理由で母親が救急車を呼んだらしい。 結果的にはどこにも異常が無いとのことで無事にご自宅へ。やれやれ。私は夫が出てから、いつもの楽しい方のコーラスの練習に。なもので、こんな時間の登場となってしまいました。resのことも気になりながら、27日付けの地元紙の『正平調』ちうコラムにはこんな風に述べられていましたので、そのまま引用させて頂きます。 『「物事が出来ない理由は、。いつも百ある」ということわざが、フランスにあるそうだ◆人間は言い訳をしたがるという意味で、こんなジョークもある。大統領を迎えたある村が恒例の祝砲を打たなかった。その釈明を延々と続けた村の代表は、百番目にやっと肝心の理由を言った。「村に大砲がないものですから」◆鋼鉄橋工事の談合事件で、闇組織の幹事社幹部らが逮捕された。日本社会にはびこる病巣である。官民の癒着や政治家の介入がなかったかなど、事件の全容を徹底的に暴いてほしいが、気になることが一つある。発注側の責任を問う声が、どうして出ないのか◆百とはいわないまでも、談合を正当化する身勝手な理由が挙がるかもしれない。「役所が見て見ぬふりだから」。「談合にかかわった」と語る人物から現にそう聞いたことがある◆談合で落札者を決めてくれる方が入札作業もスムーズに進む。予算内なら役所は困らない。あけすけに言えば、そんな話である。「談合防止」に本腰を入れる官公庁には不愉快な指摘だろうが、事件を見れば、あながち的外れでもない◆2年や3年ではない。今回の談合組織は40年以上も生きてきたという。高い落札率だけでも談合のにおいがプンプンするのに、工事を発注した国土交通省などはなぜ防げなかったのか。「知らなかった」「談合しないよう注意した」など、建前の言い訳は聞きたくもない。百番目の本当の理由が聞きたい。』 さて、私の場合は。。。仕事を終えて帰宅したのが午後6時過ぎ。PCを立ち上げて、そのまま洗濯物を片付けて、布団を敷いて、仏壇にお供えしたお茶やご飯を下げて洗って、夕食の用意。。。の途中の電話。そのまま近所の人が集まって井戸端会議みたいなことに。本当はコーラスの練習に出るまでに、いくつかのresを片付けるつもりだったのに。。。全く何が起こるかわからない。。。それが人間の生活ってことなのかな?本当に、今夜中に全部のresを片付けることが出来るとはとても思えません。本当に、毎回毎回の言い訳ばかりで申し訳ありません。。。
2005.05.27
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いや~、参った!折角中村紘子・ピアノリサイタルが終わって良い気分で帰って来たのに、帰宅した途端隣家からの電話。どうやら、気分が悪いと訴えたお嬢さんを姪が病院まで送って行った後、行方不明状態なのだとか。そんなこと言われても、事情が全くわからない私たち夫婦。たった今戻って部屋の明かりを点けたばかり。ここを出たのが午後8時半過ぎだったとか。病院へは義母も付き添ったらしいけど、注射が済んだらタクシーで帰るように告げて姪と義母は戻って来たらしい。一体どこへ?と顛末がまるでわからない。タクシー会社に電話したけれど連絡を受けた覚えも無いらしい。結局、二階に入院することになってそのまま点滴を続けていたとかで、暫くの入院になるのかどうかはわからないけど、兎に角、病院の中に居たということがわかって、やれやれ。そんな騒ぎがあって、結局PCの前に座ることも出来ず、只今、27日の午前9時30分近くにもなってしまいまいしたが、木曜日定番になっている、週の後半共通のお弁当を。 献立は、おでん、納豆のかき揚げ、もやしと油揚げの酢の物。添えの野菜は納豆のかき揚げにレタス。果物はつきません。◆おでん。。。材料はじゃがいも、大根、板こんにゃく、厚揚げ、さつま揚げ、すじ肉の串刺し(冷凍)、うずら卵。板こんにゃくは袋から出して、下茹でしたのを、12分の1切りに。(長い方を3つに切って半分にそいで更に斜め切り)大根は皮を剥いて細いところは輪切り、太いところは半月(それぞ厚さ1.5センチぐらいに)切りにしたのを米のとぎ汁で下茹でしておく。うずら卵を缶から出して軽く水にさらしておく。すじ肉の串刺しを袋から出して、昆布を敷いた鍋に水を加えて煮て行く。その鍋に酒、砂糖、醤油、みりんなどで味を調えて、こんにゃく、大根を加える。大体火が通ったころに、厚揚げ、さつま揚げを加え、更に、じゃがいもが煮崩れしない様に気をつけながら加える。ここでうずら卵を加えて全体に味が馴染んだら火を止めてしっかり味を含ませる。◆納豆のかき揚げ。。。材料は、納豆、玉葱、人参、葱。納豆はケースから出してざるに取り、ネバネバをある程度流しておく。玉葱は皮を剥いて縦半分に切ったのを更に横半分に切って3ミリぐらいの幅に切っておく。人参は皮を剥いて千切りに。葱は小口切りにしておく。ちょっと緩めの衣に材料を合わせて熱した油で揚げる。◆もやしと油揚げの酢の物。。。材料はもやし、油揚げ、白ごま。もやしを袋から出して、食べ易い長さに切ってざるにとって、さっと洗ってたっぷりのお湯で茹でて水気を切っておく。油揚げは袋から出してフライパンで軽く両面をあぶって、長い方を3つ切りにして、5ミリ幅ぐらいに切り揃えておく。砂糖、酢、みりんを合わせて合わせ酢を作り、炒った白ゴマを刻んで加え、もやし、油揚げを加えて味を馴染ませておく。串に刺したままのすじ肉はスペースが決まっているお弁当箱には入れ難いけど、ここは蓋でカバーして。右から先ず大根、こんにゃく、さつま揚げ、厚揚げの順に並べて空いたところへうずら卵とじゃがいもを。そしてすじ肉を。最後に溶いておいた辛しを。左側はレタスを敷いて納豆のかき揚げを。人参の赤、葱の緑が何とも色鮮やか。3番目にはもやしと油揚げの酢の物を。ごまの香りが香ばしい一品でした。 木曜日は、数が多い地区と少ない地区。全部で29食作って、私は多い地区(21個)を担当。珍しく留守の人や、下水道工事で家まで遠いところに車を置いて、歩かなきゃ行けないところがあって、ちょっとあせりながら。それでも、午後5時半過ぎには職場を出ることが出来てやれやれ。そのまま夫が利用している駐車場まで直行。思ったより時間がかかってしまう。開場は午後6時半だから、1時間はあると思ってたけど、ギリギリの時間に。相棒さんが余り物で詰めてくださったお握りもおでんも口にすることは出来なかったけど、そのまま会場へ。 満場の拍手はかなりの迫力がある。私はステージに向かって一番左端の後から数えた方が早いぐらいの席に。音を聴くならこれくらいの方が。。。確かにホールにもよるけれど。でも、左側に座ると、まるで手に取る様に、ダイナミックな指の動きがわかって凄かった。 普段は使われる機会が少ないピアノ。。。かなり弾き難い感じ。音が硬い様に思えたけど、どうだったんだろう。まるで、この機会に私が。。。といわんばかりの迫力で弾きこなしていらっしゃったけど、やはり高温に限界がありそうな。夫の会社にピアノに凄く詳しい人がいらっしゃって、この機会に、新しくする市民会館のピアノを中村紘子さんにセレクトしていただくのだとか。勿論、〇マハでも〇ワイでもなく。。。因みに我が家にあるのは〇ワイなんですが、淡路島にはなぜか〇マハが多いのはちょっと残念。 中村紘子さんのコメントの中に、世界中どこへ行っても「小犬のワルツ」は誰もが知ってるので、それじゃ猫が可愛そう。というので、「仔猫のワルツ」を。これがアンコールの最後だと思ったら、やはり、猫だけじゃ可愛そうなので、と仰って「小犬のワルツ」も披露してくださいました。最後は「魔女のダンス(?)」だったかな。で締めくくり。家であんな事件がなければもう少し余韻に浸ることは出来たのですが。。。相棒さんが持たせてくださったお握りに手が伸びたのは。。。随分遅くなってからでした。なもので、またresが遅れております。ごめんなさい。
2005.05.26
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と題して、今日の地元紙の「現論」欄で、~戦没者と靖国神社参拝~ A級戦犯の分祀必要として加藤典洋氏がこの様に述べていらっしゃいます。 『中国、韓国との関係が悪化している。 小泉純一郎首相による靖国神社参拝、国会議員80人による靖国参拝などが、背後に伏流する不信の核だろう。ここでは、20年来の問題が蒸し返されている面もあるが、問題の核心が露になってきた側面も見逃しがたい。 4月22日、80人で春季例大祭期間中の靖国神社を集団参拝した「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の藤井孝男副会長が、両国からの批判にふれ、「戦時に亡くなった方の御霊を参拝する」というのは「自然な姿」。「中韓など近隣諸国の皆さんにご理解いただけないのは非常に残念だ」と述べている。 一見何気ない発言だが、50年前の自民党の結党時代だったら、参拝するのは国民の「あるべき姿」となっただろう。参拝者も自民党議員に限られていただろう。 現在、同会は、自民、民主両党など超党派議員約270人を擁する。変化の鍵は、わたしの見るところ、「自然」というコトバいある。4年前、首相として靖国を参拝した小泉首相も、「戦没者」に「敬意と感謝の誠をささげる」のが「人間の自然な感情」と述べた。「愛国心」から「自然な感情」へ。これが小泉時代の合言葉のようだ。■集団転向■ 戦争の死者との関係はどうなるのか。戦後に生きる自分たちが、いまなお彼らをうち捨てたままでよいのか。これがここに底流する一般的な感情である。現在、広く行き渡る思いだと思われる。 しかし、この「自然」はあり方が根を絶たれたというのが、精神史的に言うなら、先の第二次世界大戦に敗北することによって敗戦国に強いられることになった、「新しい経験」の核心である。 従来型の戦争は、二国間の国家利益の衝突だった。そこに道義上の優劣は存在しなかった。残された国民は「自然の感情」で戦争の死者たちを懇ろに弔うことができた。死者と残された者は、同じ価値を共有していたから。 しかし、世界戦争は二つのグループ間の戦争であり、それぞれの陣営が、これをまとめるイデオロギー(大義)を盾に戦う。そのため、敗戦は、国家利益だけではなく、国の理念ともいうべき大義をも打ち砕くものとなる。戦後、敗戦国の大義は悪へ転化され、戦後の敗戦国民は新しい善たる戦勝国の大義(民主主義)に説得され、完全に宗旨替え(集団転向)することとなる。 思想史家の橋川文三は、敗戦の報を聞いてすぐ、「死んだ仲間たちと生きている私との関係はこれからどうなるのだろうか」と思ったと言う。 つまり、戦後の日本国民である私たちが、現在信奉している民主主義とは、戦争の死者たちからみれば、敵のイデオロギーである。私たちは彼らから見れば、裏切り者である。 その裏切り者のわたしたちが、それでも、戦争の死者たちに対し、自分たちは、あなた方のおかげで、いまの平和を享受できていると感謝すれば、それは、「自然」な振る舞いではない。 むしろ「不自然」なことだろう。精神史的に言えば、私たちは好むと好むまいと、もはや「自然な感情」に見を委ねて物事を判断できる世界に、生きているのではないのである。■政治の文法■ では、靖国問題にはどう処するべきか。私たちと、戦争の死者たちの立場の違いに自覚的であれば、問題の所在ははっきりとしている。1978年に靖国神社にA級戦犯合祀が行われたが、その後、昭和天皇は靖国参拝を行わなかった。また85年に中曽根康弘首相が公式参拝を行った際の中国の抗議理由は、これもA級戦犯合祀だった。 もし現在の国際社会の政治の文法の中で、一国の政治家が、戦争の死者への哀悼の気持ちを吐露すべく靖国神社を参拝しようと思ったら、まず、A級戦犯を政治的見地に立ち、靖国神社から分祀摺るべきである。それが叶わなければ、靖国は捨て、別個の追悼施設を造るべきだろう。 私たちはいま、「自然な感情」から切り離された世界を生きている。いま必要な歴史認識とは、これではないのか。』 A級戦犯と、戦没者の方々が合祀されるに至ったいきさつ。。。当時は取り沙汰されたのでしょうが、私にはわからないのが残念。合祀されて、30年近くになるのですね。むしろ無関心でいた自分自身を恥じるべきかな?そして、何が正しくて何が間違いなのか。先月起こった日本に対する暴動事件の根底にあるものが見えてくると思う。「日本人には何を言ってもいっしょ」なんて思われて副総理が帰国されたとしたら、その辺のことももっと考えなければ。一番仲良くしなければならない国のこと、もっとちゃんと知ろうとしなきゃいけないのでは。。。
2005.05.26
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JR事故1ヵ月 なぜ「安全」を忘れたのかと題して、こんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『広い車窓とゆったりした車内。機能的で速い。JRの都市路線は、便利で快適な生活を求める住民意識にぴったりだった。 ところが、そこには危険がいっぱい潜んでいた。宝塚線(福知山線)の脱線事故はそれをあらわにした。 快適な車両は軽く、高速走行では不安定になり、衝撃に弱かった。乗り継ぎに便利なダイヤに全く余裕がなく、無理な運転が常態化していた。安全システムや防御装置も、脆弱きわまりなかった。 生活を支える高速鉄道網の安全は、こんなにももろかった。事故から1ヶ月、あらためて分かったことである。 なぜ、そうなったのか。JR西日本はそこから問い直し、安全第一とする社風につくり変えなければならない。 時間の正確さとスピードは、JR西日本の看板だった。それを強みに民営化2年目から輸送量の伸びが私鉄を上回った。 勝負を決定的にしたのが阪神・淡路大震災だったのは皮肉だ。JRは震災から2ヶ月余りでJR神戸線を、その1週間後に山陽新幹線を全面復旧させた。阪神、阪急が全面復旧する2ヶ月も前のことだ。 一人勝ちしたJRは、1997年に東西線を開通させ、宝塚線はじめ関西都市路線網の過密化と高速化をさらに進めた。 民営化後の歴代経営陣にとって収益向上は最重要課題だった。速く、便利にすれば利用者は増える。利益第一の経営姿勢が、安全を軽視する風潮を車内に植え付け、事故に鈍感な社風を築くことになっていなかったか。 2年前のダイヤ改正の際、労組は列車の運行だけが窮屈になることに反発し、安全対策の見直しを求めた。が、要求ははねつけられた。旧国鉄時代から複数の労組が反目し合ってきたが、労使・労労間の溝が解消されなければ、安全対策に一体となって取り組むことは難しい。 JRは、外部から監視する安全指紋委員会にシンクロの指導者として知られる井村雅代さんの起用を決めた。組織改革を掛け声に終わらせないためにも経営体質や労使の問題に大胆に切り込んでほしい。 私たちは時間の正確さや速さをよしとしてきたが、安全対策として時間に余裕を持たせたダイヤ編成も検討するという。 事故原因の究明、安全な運行体制の構築、被害者のケアなど、事故はさまざまな課題を残したままだ。国の事故調査委員会や兵庫県警に徹底した取り組みを求めたい。ゆったりしたダイヤの中で、生き方を見つめなおしてみることも必要だろう。』 そして、ジャーナリスト江川紹子氏は、余裕時分なき社会 何のための便利さかとして、社会欄で尼崎JR脱線事故について、この様に述べていらっしゃいます。 『「いっぱいいっぱいなんです」-若い人たちが、よくこんな言い方をする。自分の能力や許容量の限界に達して、まったくゆとりのない精神状況や生活状態のことだ。 「いっぱいいっぱい」の人は、周囲を見まわしたり、少し咲きのことを考える余裕もなくなる。今の自分のことで、頭がいっぱいになりがちだ。 事故やその後の対応を見ていると、JR西日本は組織としても個々の社員も、相当「いっぱいいっぱい」になっていた気がする。 それを象徴するのが、ダイヤの組み方。脱線した電車は、「余裕時分」がゼロに設定されていた、という。客の乗降がもたついたり、何らかのトラブルが起きても、遅れを吸収する時間が一切ない。そういう予想外の出来事が起きるのが、機械ならぬ人々の暮らしや社会であるというのに。 運転士たちも「いっぱいいっぱい」の状態のようだ。乗客の命を預かる運転士の仕事には、常に緊張がつきまとうのは当たり前。定時運行にも務めてもらわねばならない。けれど報道によれば、それとは別の緊張感で、精神的に飽和状態になっている運転士が少なくないらしい。 事故の電車の運転士も、特にオーバーランをした後は、乗務を外されたり日勤教育を受ける不安で、「いっぱいいっぱい」だったのではないか。 乗客として乗り合わせた運転士が救助活動を行わずに立ち去ったり、若い車掌たちが「まずいな」と思いながら上司や先輩に進言できずにボウリングや宴会に参加したのも、自分の今の立場を守ることで「いっぱいいっぱい」の日々を過ごしているためかもしれない。そのために、予想外の出来事に適切な対応ができなかったのだろう。 それに、会社は運転士としての適正を十分に見極めて人材を選抜し、時間をかけて育成をしているのだろうか。非常事態を想定した訓練を、繰り返し行っているのだろうか。人はミスをする可能性があり、鉄道は事故を起こす危険性を持っているという前提で、二重にも三重にも人や設備への投資を行う必要がある。そういう手間や時間をかける余裕をなくしているとしたら、自体は実に深刻だ。 ただこれは、JR西日本だけに特異な現象なのだろうか。 今回の事故を受けて、JRはダイヤの見直しをする、という。本数が減ったり、減速もありそうだ。これまでのスピードと便利さに慣れた乗客は、それをどう受け止めるのだろう。 私自身、電車が少しでも遅れると間に合わないようなギリギリの予定を組んでしまうことがよくある。そんなときは、数分の遅れでもイライラする。鉄道に限らず、あらゆるものが便利になり、スピードアップされるほど、生活や気持ちはせわしくなり、ゆとりはむしろ減っている。 今回の事故は、そんな私たちの「いっぱいいっぱい」な毎日に、「これでいいのか?」と問いかけているように思う。何のための便利さか、人や企業にとって一番大事なものは何か。あらためて考えたい。』 文章の中に、『電車が少しでも遅れると。。。』なる言葉。ギリギリの綱渡りみたいなスケジュールを組んでいる人は江川さんに限らないと思う。こんなギリギリの数分刻みのスケジュールは心臓にも負担がかかっている気がする。 実際、昨夜は初めての「第九」の練習が午後7時半から洲本市民会館で行われることになっていて、家を6時30分には出たい。。。いや、当初は職場から直行する予定だった。でも、干しておいた洗濯物のことや仏壇のことや。。。(夫のことは前からの約束だったので全く気にならず)が気になって片付けるのが練習から帰ってからだと大変だと思い、職場から一旦家へ戻った。食べないつもりでいたのを、やはり何か少しお腹へ詰め込んで。。。などしていたら、予定を10分オーバーしてしまう。後は私の運転次第。それも渋滞とかに巻き込まれたら、練習開始時間には間に合わなくなる。。。夫が借りている駐車場に着いたときは7時を回っている。歩いて何分かかるんだろう。急ぎ足で兎に角市民会館へ。何とかギリギリセーフ。風は冷たくて、涼しいくらいだったのに、着いた途端、汗が吹き出してくる。走りこそしなかったけど、駆け足に近い状態の早足で歩いたから尚更。練習時間には間に合ったけど、途中で渋滞などに巻き込まれたらアウト。電車だと、事故などは滅多に起こらないし、道路みたいな信号待ちということはないから、ある意味時間の予測は付き易い。だから正確なのは本当に有り難いと思う。何分か後には次のが来るということも、淡路島のように、バスしかないところに住んでいる私には本当に羨ましくて仕方が無い。駅まで辿り着けば全国どこへだって行けるんだもの。だからこそ、安全が確保されていて当然と思っていただけに、色々明らかにされる事実にただただ驚くばかり。本当に、事故1ヵ月の日を迎えてどうか『安全』ということをもう一度考え直して欲しいと思う。
2005.05.25
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昨夜、近くで起こった火事。その火事現場へ向かおうとした消防車と、車が、交差点で出会い頭に衝突事故を起こしていたらしい。けたたましいサイレンの音に交じって救急車のサイレンが聞こえたのはこのためだった。。。 さて、今日の地元紙の『正平調』欄にはこんな風に書かれています。 『豊岡市の田結(たい)地区は円山川の河口近くにある。きのうが発生から丸80年だった北但大震災で壊滅状態になった被災地の一つだが、今も語り継がれる震災直後の消火活動が実に興味深い◆北但大震災はマグニチュード6.8とされる。昨年の新潟県中越地震と同規模で、兵庫県内だけで421人が亡くなった。昼食準備の時間帯に起きたから火災の被害も広がった。では田結の住民はどうやって火から命を守ったか◆この震災を振り返る本紙連載によると、地区は何度か大火災で痛い目にあい、火事の怖さを身にしみて知った。漁や冬場の杜氏などで男手が乏しかったときだったから、防災での死角をなくすため「婦人消防組」をつくって訓練を重ねた。激しい揺れの後、それが威力を発揮する◆あちこちで煙が上がったので、男性も女性も、何より火を消すことに千年した。家屋の倒壊で7人が亡くなったが、火災による犠牲は食い止めた。火事への心の備え、だれもが消火方法を知る組織の備え。これが被害を最小限に抑えた◆こうした話は、ともすれば言い伝えだけで終わりがちだが、そうではない。田結の各家庭はいまも寝る前に火を消した時間を記録、と連載記事にある。婦人消防組がそれをチェックするというから念が入っている。不断の備えを怠らない姿には感心する◆その2年前が関東大震災、2年後が北丹後地震。地震活動期の真っただ中で起きたのが北但大震災だった。いままた、地震の活動期。集落の歩みから学ぶべきものは、少なくない。』 事故を未然に防ぐことは災害を防ぐことにも繋がる気がして、たまたま昨夜の火事騒ぎの後の今日のコラムでしたので、身につまされるものがありました。緊急車両だからと信号無視は許されるものではないし、やはり、交差点内は徐行で。となっている基本が守られなかったのは残念でなりません。ただ、車に乗っていた方は軽症だったことが救いですが、車に乗っていてサイレンの音が聞こえないほどのボリュームで聴く音楽にも、これは制限をかけるべきなのでは?と。 早くも第四週目の火曜日。昨日繋がらなかった実家へ電話をしてみたら、やはり母は今日眼科へ行きたいとのこと。実家での約束の時間は9時半。間も無く実家へ行くことになります。お弁当の数が多い火曜日。出勤時間は1時間早くなるし、仕事を終えて今日は「第九」の練習会場へ直行することになっていて、PCの前に座れる時間は。。。またまた疑問になります。書き込んでくださった皆さんには本当に申し訳ありませんが。。。
2005.05.24
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献立は、豚肉つけ焼き、ロールキャベツ、ピーマン・小魚炒め煮。添えの野菜はキャベツ。更にソテーしたロースハム。果物は付きません。◆豚肉つけ焼き。。。豚ロース肉は筋切りをして、酒、砂糖、醤油、みりんで味を調えたタレに漬け込んでおく。グリルの天板を温めておいて、120度ぐらいで20分間じっくりと焼き上げる。焼け具合を確かめて食べ易い大きさに切る。◆ロールキャベツ。。。材料は冷凍のロールキャベツ、人参、パセリ。冷凍のロールキャベツを鍋に敷き詰めて、ひたひたに水を加え、チキンコンソメ、ケチャップなどで味を整えて、じっくりと煮込む。その間に、人参の皮を剥いて太いところは3ミリぐらいの厚さの半月、細いところは輪切りにして煮立ったところへ加える。好みで砂糖を加えて仕上げる。パセリは細かく微塵切りにする。◆ピーマン、小魚の炒め煮。。。材料はピーマン、ちりめんじゃこ、突きこんにゃく。突きこんにゃくは袋から出して3センチぐらいに切り揃えて、下茹でしておく。ピーマンは種を取って5ミリ幅、3センチぐらいの長さに切り揃える。熱した鍋に油を引いてこんにゃくを炒め、更にチリメンジャコを加えて、砂糖、酒、しょうゆ、みりんで味を調え暫く煮込む。火を止める直前にピーマンを加える。メインは豚肉のつけやき。ボイルしたキャベツを敷いて、豚肉を少しスペースを残して置き、空いたスペースにソテーしたロースハムを置いてパセリを飾る。左側にはロールキャベツを二つ。上に人参を載せる。更に、微塵切りにしたパセリを。(時間の関係でパセリは微塵切りにしていません)3番目にはピーマン、小魚の炒め煮を。今日はかなりカロリー高目なので、ご飯に梅干を一つ載せました。今日の数は50食。にも拘らずキャベツがたった一個だったので、まるで足りないのを必死で分配。だからロースハムで隠れてしまいました。皆さん多分パセリなどは口にしないかも知れませんが、飾りだけでは勿体無い様な。ロールキャベツに載せた人参。ケチャップの色を更に強調する様な感じに。いつもは太めの短冊切りにするので、余ってしまう人参もすっかり残すことなく盛り付けることが出来ました。明日はロールキャベツに載せるパセリは微塵切りに。 夕食が済んで片付けをしていたら、けたたましいサイレンの音。そして、ケーブル電話で、市役所からの緊急放送。どうやら火災が発生したとのこと。そして、慌しいサイレンの音やら鐘の音が鳴り響き、一体どれだけの火災なのかと心配したら、6分後には鎮火の放送。やれやれです。 今朝だったかあれは東大阪の方でプラスチック工場の火災が報じられたばかり。火の始末だけはキチンとしないことには。ガスなども元栓をキチンと締めておかないと、コックが開いた状態になったりしていて慌てることがある。回して火をつけるタイプのもの、押してつけるタイプのものと様々だけど、ガス漏れなどにも要注意。火に天ぷら鍋をかけたままの電話なんてもってのほか!出火原因は何だったかわからないけど、6分後に鎮火なら大したことはなかったと信じたい。
2005.05.23
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今日付けの地元紙の『正平調』というコラム欄では、こんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『新学期が始まって二ヶ月、小学一年生たちも、そろそろ学校生活になじんできたころだろう。真新しい教科書を見ながら、子どもたちの学ぶ姿を想像してみた◆ページを開いた国語の教科書は、大きくてカラフルである。楽しいイラストがふんだんに載っており、絵本と見間違えるほどだ。文章にもリズムがあり、声に出して読みたくなる。飽きっぽいといわれる今の子どもたちに興味を持たせる工夫が随所に込められている◆光村図書の「こくご一上」の指導書では、5月下旬は、促音のある言葉を読んだり書いたりして学ぶ。「ねこが いっぴき、はらっぱ はしる」と音読しながら、イラストの中の猫や草花を見つけて文字にする。ゲームのような感覚で、言葉を学ばせる狙いがあるようだ◆言葉を覚えることは勉強の基本であり、理解力や思考力にも大きくかかわる。ゆとり教育ばかり、矢面に立たされている感がある「学力低下」だが、その要因には子どもの活字離れもあるのではないか。今回の教科書検定も、算数や歴史は話題になったが、国語にも、もっと光が当っていい◆子どもの学習時間は高学年になるほど二極化する、という調査結果もある、という調査結果もある。一年生の国語は、言葉の世界への入り口でもある。ここで“国語嫌い”をつくっては何もならない◆同じ出版社の「国語六上」は、作家重松清さんの「カレーライス」から始まる。ぐんと字が増えた教科書を見ながら、六年生になった子たちが、この心温まる物語に、感動してくれることを説に願う。』 一年生の国語は、言葉の世界への入り口。。。なるほどなぁ。と思いました。確かにそう。私自身は、あの促音の場合、一体どうやって表現するのか、とても興味を覚えたことがある。で、小学校に入学して、文字を小さく書いて表すことを覚えたときの嬉しさ。音は目には見えないものだけど、文字にすると違いが分かると知ったときの喜び。何でも知らなかったことを覚えたときの喜びって大きいと思うし、そこから段々と興味も膨らむ気がする。 さて、淡路版に目をやると、市内の高校では制服上手に着こなしてと題して、繊維商社員が伝授なる文字。 『南あわじ市内の高校で、22日、繊維商社「チクマ」(本社・大阪市中央区)の社員による制服の「着こなし講座」が開かれた。生徒と保護者の計約450人が参加し、制服を着る意味や印象よく着る方法に耳を傾けた。 生徒に制服を正しく着てもらおうと、同校が開催。衣服を通して社会性を身につける「服育」について、全国各地で講演する同社企画課コーディネーターの有吉直美さんが講師を務めた。 有吉さんは「気持ち良く着こなすためにはバランスが重要」として、服のTPO(時、場所、場合)・着こなし方法・色使いーの3点を解説。男子生徒がズボンを腰まで下げてはく「腰パン」や、女子生徒の「ミニスカート」を取り上げ、「ズボンの種類や場所を考えないとマナー違反」「ひざの辺りにスカートのすそがくる方が、足が細く見える」などと話した。 私服についても「全体の服の色を三色以内にすれば、すっきりおしゃれに見える」とアドバイス。アイロンやドライヤーを使った制服の手入れ方法も紹介した。』 私自身は、中学、高校を通してブレザータイプの制服だからセーラー服を着た経験がまるでない。そして、例えば外出するときも殆ど制服での移動。休みの日に着る服に困った経験がある。スカートなどは毎晩布団の下に敷いて寝押ししていたのを思い出す。これは寝相が悪いとくしゃくしゃになっちゃうのかなぁ。雨で濡れてぶよぶよになったスカートも、この一晩の寝押しで結構サマになっていた記憶がある。男子のズボンなどは一体どうしていたのかなぁ?兄にそんなこと一度も聞いたことが無いのが今更ながら不思議。 通学に使う自転車は中学のまま綺麗に磨いて使った。今は雨が3粒落ちると父兄が車で送り迎えをすると聞いて驚く。中学生たちはヘルメットを被って合羽を着て(傘をさしての自転車はいけないことになっているらしい)通学しているのに、高校生はみんな父兄の車。中学時代の締め付けがこんなところに現れているのかな?実際、車を運転する立場になって、傘をさして自転車に乗られるとやはり危険極まりないと思う。合羽を着ていても、耳が塞がってしまうので、危険には違い無いと思うけど、どうなんだろう。淡路島の場合はまだまだ歩道が完備されていない部分があって、通学路といえども車がビュンビュン走ってる。徐行がマナーなんだけどなぁ。 そういえば、昨日の朝から悲しい事故のNEWSが飛び込んで来たのだった。高校生の列に飲酒でしかも居眠り運転の車が突っ込んで3人もの尊い命が奪われてしまった。助手席にも人が乗っていたと聞く。何だか。。。やってはいけないことをやってしまったのが、26歳の人というのも余りにもきついものがある。犠牲となられた方には心からお悔やみ申しあげます。
2005.05.23
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約束していた薔薇園。。。思い切って行って来ました。ただ、残念だったのは、お昼を予定していたお店。何と!5月8日をもって諸般の事情により。。。などと貼り紙が。結局薔薇園へ直行してランチタイムは別の店を探すことに。 目指すは藍住体育館(?)で、左折して暫く走ると薔薇園が。雨が降ってて、ちょっと残念だったけど、駐車場は車が一杯。先週の日曜日が見頃だったかも知れないけど、まだまだ蕾をつけた薔薇も。ただ、咲き誇る薔薇は今日で最後になりそうな。既に足元には沢山の花びらが舞い散ってしまっている。 その中から何点か撮影したのを。で、一番のお気に入りは?と探したら、携帯からまだPCに送っていませんでした。電池切れになってしまって、先に送ったものだけをUPしてみます。 珍しい色のがあって、是非UPしたかったのにな。で、薔薇の後は北島町にあるという、映画館とスーパーが一緒になった場所へ移動して、結局そこでトイレタイムと、自販機でお茶を。京都から舞子さんとかもお見えになって物産展をやっていたけど、結局そこも素通りして、橋の近くまで戻ってやっとランチタイム。すっかりお腹が空いて、鯛の刺し身が載ったご飯と天ぷら、お造りがセットになった潮セットというのをぺロリと平らげた私たち。本当は業務用の食材とかが安く手に入るお店の近くに美味しそうなお店があると走り出したものの、入るところを間違えて、なら、絶対迷わない所にしようと入ったお店。ご飯の上に醤油に漬けた刺し身、その上に載っていた刻み海苔のまた細いこと。葱も絶品だった。市販の刻み海苔とは違うね。なんて、目でも味わい、ホッと一息。食後のホットコーヒーはもう一つだったけど、私には珍しく砂糖、ミルク入りで。疲れを取るにはこれが一番。 高速道路なんて滅多に走ることが無いから、合流のタイミングがとても難しく、後続の車にも迷惑をかけたんじゃないかな?今は見えてないと思っても、直ぐ目の前を走っていたりするから、やはりスピードにも慣れというのが必要だなと。まだまだ四国へ渡るにも、淡路島へ渡るにも車が少ないからましだけど。 と、心配されたお天気でしたが、思い切って行ってみて良かった!相棒さんは今夜は仕事だとか。頑張る人には脱帽。本当は入ったスーパーで何か夕食の食材を。なんて話しながら買ったのはペットボトルのお茶ひとつ。結局、朝待ち合わせたスーパーで買うことになって、無事に帰宅。お疲れ様でした!残りの画像はまた、充電出来ましたら追記という形でUPしたいと思います。ごめんなさい。 携帯の充電が出来ましたので残りの画像を。遅いお昼となった食事の一部も。
2005.05.22
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というわけではないけれど、今日の地元紙の『正平調』にはこんな風に述べられていましたので、そのまま引用させて頂きます。 『カルチェ・ラタン」と聞いてとっさに「自治」を連想するのは団塊の世代、あるいは少し上の世代だろうか。パリ中心部の、この大学街で学生が旧世代に自治、自由、独立を求め“若者の反乱”を起こした◆1960年代後半のことで「学生の反乱」は、一気に全世界に拡大した。日本でも大学紛争とからんで学生運動が激しさを増し、デモの隊列や、大学構内、街の一角にも「カルチェ・ラタンを」といった自治を象徴するスローガンがあふれたものだ◆今は昔の物語なのだが、最近の自治体合併の推移を見ていて、ふと、懐かしのカルチェ・ラタンを思いだした。合併の大義は、分権時代に向け、自治体の力を、特に財政面で強化するためだ。だから、新自治体のエリアはどんどん広がっていく◆このため、従来の地域の中心、つまり旧町村役場所在地の地位が低下するところが続出する。そこで設けられたのが「地域自治区」。合併後も。旧町エリアを一つのまとまった地域として活力低下を防ぐため、そこに新自治組織を置くというものだ◆本紙の特集では、全国で38もの「自治区」が生まれている。昭和の合併で消えた旧町村単位でも、地域の見直しを図るというところが出始めたという。分権社会は、こうした小エリアの活性化なくしては進まない◆自治区といっても、自主財源のない名前だけのものが大半で、実際、何ができるか分からない。だが、地域の意欲と知恵の出しようで局面は変わる。「平成のカルチェ・ラタン」は、夢で終わらせたくない。』無関心ではいられませんよね。出せる声を挙げていきたいと思います。 さて、教育蘭に目をやると、温暖化防止の決め手?なるタイトル。家庭用燃料電池について、『ニュース何故なに』コーナーではこんな風に扱われていました。そのまま引用させて頂きます。 『地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出量を減らすため、さまざまな新技術が開発されています。その中で、世界で初めて日本で実用化され、注目を集めているのが家庭用燃料電池です。 燃料電池といっても電力をためる電池ではありません。水素と酸素を原料に、化学反応で発電する装置です。スペースシャトルの電力源もこれが使われています。 この燃料電池をつかって、家庭の庭先で発電をし、発生する熱をつかって暖房と給湯を同時に行おう。というのが家庭用燃料電池の発想です。発電と熱の利用が同時にできるので、エネルギーの利用効率がよいだけでなく、二酸化炭素の発生量を減らし、電気代も安くなります。新しい首相公邸には2台設置されました。 「給湯や暖房はガスで行い、電力は遠くの発電所から電線で送られてくるものを使う」という、これまでのエネルギーの利用法とは違うため、「軒下からのエネルギー革命」などとも言われます。 家庭用の燃料電池は今年2月、東京ガスが世界で始めて一般向けに実用化しました。エアコンの室外機のような燃料電池本体と、お湯のタンクからなり、都市ガスから水素を取り出し、空気中の酸素と化学反応させて発電し、60度のお湯を200リットルためます。 非常に効率がよいので、二酸化炭素の排出量は焼く40%も削減できます。これは学校の体育館程度の面積の森林が1年間に吸収する二酸化炭素の量に当ります。 最大の問題は値段が高いことです。リース形式ですと、10年間の利用契約で100万円かかります。東京ガスは最初に契約した分のデータを基に装置の改良を進め、「2008年からはたくさんの人に使ってもらうよう、1年で数万台を売りたい」としています。高い価格をどこまで下げることができるかが、普及のかぎです。』でも、地球全体のことを考えると、10年で100万という金額は。。。やっぱ高いかなぁ?一年だと10万。一ヶ月換算だと。。。?団体割引なんてないのかなぁ?
2005.05.22
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2回目の洗濯物を乾燥機へ放り込んで美容院へ。もうこの年だから、育毛パックなどを勧められる。で、ついでに顔のパック。果たして効果があるのかどうか、うまく口車に乗せられているだけかも。などと思いながら、確かに理には叶っているし、車などのメンテナンスと同じように、髪の毛だってメンテナンスは必要なのかな?と。これからの季節、紫外線だってきつくなるわけだし。 美容師さんのうちの一人の人のお父様がたまたま、私が水曜日にお弁当の配達を担当した地区へ工事に通ってると仰るので、ひとしきりその話題で盛り上がる。まだ、10月の台風の被害そのままの箇所があること。普通に考えて、こんなところに人が住めるのかと思うような場所に綺麗な家が建っていること。まぁ、住めば都ということなのかなぁ。確かに、海岸べりには家は建ってないから南海地震による津波が来ても、被害に遭うところは殆ど無いとは思うけど、雨が降ったりして土砂崩れなどがあると、たちまち身動きが取れなくなったりする。そんな話をしながら器用に顔の手入れをしてくれる。私はじっと目を閉じているだけ。海草パックを顔に塗られて暫くそのままでいなきゃならないのはちょっとためらいがあるけど、パックを外せば卵の皮が剥けた様な。。。私の肌は肌理が細かいのだそうで、指でつんつんと遊んだりする。スベスベで気持ちが良いのだとか。 頭の方は、カットだ、育毛パックだ、カラーだ、トリートメントだと済ませ10時を回って家を出て、帰宅したときはもう大河ドラマの再放送のほぼ終わりかけという時間。結構長く座っていた筈だ。お腹も空くはず。 本当は朝一番に美容院へ行って、出来れば神戸へ渡りたかったけど、もう、「ドレスデン国立美術館展」へ行く元気も無くなってしまった。明日までだから、尚更明日は人で一杯だろうし。残念だけど、今回はパス。で、今度は鍼灸院へ予約を。午後3時からの予約が取れたので、そそくさとお昼を済ませて、コーヒータイム。途中で睡魔に襲われたらしい。危うく予約に間に合わないところだった。飛び起きて車を走らせる。 普段の会話に始まって。。。前回お世話になったときに職場のストレスのことを聞いていただいたことを鍼灸師さんは覚えていてくださる。「あれ、どうなった?」と心配してくださる。実際、最初にボランティアを頼んだときの頼み方がどうだったのかも現場の人間には知らされていないこと、時間さえ、いつくるかなんてボランティアさんなんだから決めかねること。そこまで現場が弱い立場に立たされる理由が私には全く納得できないこと。火曜日には一人も来なかったこと。で、事務所の人に「ボランティアさんが居ないときぐらいのびのびさせてよ!」と言ったこと。。。それにしてもどうしてここまで私たち現場の人間の立場が弱くなるのかなぁ。全く納得出来ない。ボランティアさんて何なんだろう。で、鍼灸師さん曰く、「ホワイトボードにボランティアさんにしてもらう作業手順を書いとけば?」でも、実際は掃除を頼めば「私は調理師です!」なんて断られるし、洗浄作業を頼めば「そんなこと聞いてません!」と言われるし。「本当は後片付けまで調理作業の一環なんですけど。」と言ってやりたいところ。でも、そんなこんなを離していたら自然とストレスも少し解消されるのが本当に不思議。聞いてくださるだけでも有り難いと思う。 でも、考えたら患者さん(という言い方はおかしいのかな?)一人一人の話を丁寧に聞いてあげる。。。大変な職業なんだなぁとつくづく感心させられる。さて、英気を養って。。。明日はまたちょっとドライブ。相棒さんと約束したもので、でも、天気が心配。あまり酷い天気だったら予定は変更しなきゃ。 テーマを『出来事』に絞ったのに、半分はつぶやきっぽくなりましたが、PCを開くのは今日は全く今が初めて。昨日のresもまだなのにいつもながら本当にごめんなさい。。。
2005.05.21
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今日は今から「楽しい方の」コーラスの練習があって出かけることになります。カキコしてくださった皆さんのところへお訪ねすることが出来ませんでしたが、そろそろ出かけないと、まともに遅刻してしまいそう。コーラスの練習があるからとだけ朝夫には伝えておいたけど、不定期な仕事が入ることが多いので仕方がない。そこがサラリーマンとは少し違うところ。 さて、「淡路音楽祭」の練習を今夜するかどうかは未定だけど、昨夜の練習で、もしテープがあれば。と仰る方がいらっしゃったので、良い返事が聞けたらと淡い期待をしながら。 この、「楽しい方の」グループが『動物のカーニバル』を演奏したのは一体何年前になるだろう。今回は10曲ある中の4曲だけをセレクトしての演奏に。昨夜の練習では、楽しい雰囲気の曲に思わずわくわく感がただよったりしたけれど、流石にライオンの様にウォ~と叫ぶところはちょっとためらいがち。今から練習に参加するグループは10月の自主公演が決まっているので、そちらの方にも力が入る。例の冬ソナから『最初から今まで』というのも歌うことになるらしい。まだまだ構成などは未定だけど、数をこなして行くしかないみたい。で、まさかこの『動物のカーニバル』を入れるわけには行かないんだろうなぁ。。。 と、いつもながら手の遅い管理人で申し訳ありません。それでは行って来ます♪
2005.05.20
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ハム仲間のお母様の訃報。私はそのお母様の顔は知らないけど、ハム仲間で色々お世話になったりもしていた。でも、ちょっと割り切れないのは、実際、私たち夫婦もハム同士。夫の父親が亡くなったときは、入っていたクラブから花輪が届いた。何人からか香典も届いた。私の父が亡くなったときはハム仲間と呼ばれる人からは誰も香典は届かなかった。女性の場合は他家へ嫁すということがあって、実家よりも嫁した先が主ということになってしまう。さだまさしさんの例の「関白宣言」の中にも、「お前は家を捨てて出てきたのだから。。。」みたいな歌詞がある。決して捨てたわけじゃないけど、嫁すということはそういうこと。自分の父親なんだから誰にも遠慮なんかいらないけど、葬列に加わるにはハム仲間って、男性ばかりだからためらうものがあるのかも。でも、実際こういうときって比べてしまう方がおかしいのかなぁ。他家へと嫁してはいても私の父には違いないんだけど。父と母を比べてしまうわけじゃないけど、家の主はやはり父。父の葬列に加わらなかった人のお母様が亡くなったと聞いても、行く気になれない私がおかしいのかな?付き合いの程度というのがあって、男性陣はことごとく会葬されるみたいだけど。。。と、メールの主には上記の理由と、叔父が亡くなって日も浅いので遠慮させていただきます。と、丁重にお断りしたつもり。 田舎のことで、こうしたお香典のしきたりにはうるさいところがある。頂いていた家へは必ずお返しに伺わなければいけない。でも、当の本人が亡くなってしまったのであれば、全く面識がない人に渡すことになる。行ったり来たりが一体どこまで続くのか。亡くなったのが母親ということになると、会葬者はぐんと減ったりするのかな?確かに、喪主を務める息子の勤務先などの関係もあるけど。 故人を偲ぶ方法は何もお香典だけではないと私は思う。後々遺された人の生活の方が大変だったりする。その人たちの手を煩わすことがない様にすることも大事なんじゃないかなと。決してお香典が惜しくてこんなことを書いているのではありません。亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申しあげます。 さて、本題の地元紙の『正平調』なるコラム。夫婦について、こんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『夫婦ってなんだろう。そう問われて、答えられる地震はない。きっと多くの人が「うーん」とうなってしまうだろう◆長らく夫婦でエッセーを書いてきた神戸の越川正三さんと和子さんが、「夫婦暮らし43年」(神戸新聞総合出版センター)を出した。二人の共著としては4冊目。書きためた中から、「夫婦で書いた夫婦史」として43点を収めた◆劇的な話は一つもない。「上」と「並」のすしを注文すると、夫の前に「上」が置かれるのはどうしてだろう。そんな日々の出来事や心模様を淡々と見つめ、書いている。とりわけ老いの坂にさしかかってからの作には、夫婦の姿がくっきりと浮かぶ◆たとえば携帯電話の話。外出した正三さんから和子さんへメールが入る。「いま三宮」「診察終わった」と短い。和子さんからの名と「はい」だけが並ぶ。他人には不思議なメールだろうが、「かけがえのない交信」と和子さんは書く◆お葬式の話も味わい深い。天寿を全うしたいが、いつか別れがくる。そのときにみんなが戸惑わないよう、質素な告別式の祭壇や式次第から依頼する葬儀社まで二人で決めたという。こうして自分たちの葬儀を話し合う光景がうらやましく思えてくる◆言葉ではなく「あうん」で過ごせる夫婦もいい。しかしエッセーを読むうち、ごく当たり前のことに思いが至る。夫婦とは、生涯でだれよりも言葉を交わす関係。いや、交わさなくてはいけない関係、と。』 夫婦の会話。。。といわれると我が家は私が口数が多いかな。夫から話しかけられることは先ずない。仕事で遅くなるとか、外出するときの連絡ぐらいかな?私はその日の出来事に始まって。。。そのうちに夫のいびきが聞こえて来ておしまい。例のメールの件にしても、香典帳に記した覚えはないとのことで弔問はしないことに。友人同士のお付き合いに家は関係ないかもしれないけど、この家の主は夫。
2005.05.20
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水曜日の昨日は淡路島最南の海岸線をひた走りに走るコースの配達を担当して、運転疲れや、今日の朝も早いことがあって、結局睡魔には勝てず横になってしまい、書き込んでくださった皆さんのところへもお邪魔出来ず、本当に申し訳ありません。さて、今夜も明晩もコーラスの練習があって、束の間の夜のPCタイム。手が遅い管理人でごめんなさい。木曜日定番になった水・木・金共通のお弁当をUPしたら、出かけることになりそうです。 たった今、展覧会情報として、東浦にある猫の美術館のことがNHKで紹介されています。その一言、「猫の方が賢いん違うやろか」将に。。。仰る通りだと思いました。 では、献立を。ホイル焼き、シーチキンサラダ、こんにゃく金平。添えの野菜はホイル焼きにパセリ。果物はシーチキンサラダを彩るチェリー。でも、ホイル焼きが余りにも味気ない色なので、パセリの横へ飾ることにしました。◆ホイル焼き。。。材料は白身魚の切り身(業者から届いたのは鯵でした)しめじ、玉葱、レモン。しめじはほぐしておく。玉葱は皮を剥いて薄切りスライスに。レモンは輪切りしておく。大きさを揃えて切ったアルミホイルに魚を載せて、玉葱、シメジ、更にレモンの輪切りを載せてアルミホイルで包む。ホイル焼きということですが、蒸し器を使って20分蒸しあげました。◆シーチキンサラダ。。。材料は、シーチキン、ロースハム、きゅうり、人参。マカロニ。マカロニはたっぷりのお湯で茹でておく。シーチキンは缶から出して油を切っておく。ロースハムはマカロニぐらいの大きさに切り揃えておく。きゅうりは薄切りスライスにしたものに塩をまぶしてしんなりさせて、水洗いして塩気を抜いて、水気を切っておく。人参は皮を剥いて、太めの千切りにして、軽く塩茹でして水気を切っておく。材料を合わせ、塩コショーし、更にマヨネーズで和える。◆こんにゃく金平。。。材料は糸こんにゃく、白ゴマ。糸こんにゃくは袋から出して、3センチぐらいに切り揃え、ザルにとって軽く流水で洗ってから下茹でしておく。熱した鍋に油を引いて、十分にこんにゃくを炒め、砂糖、酒、醤油、みりんで味を調えておいた合わせ醤油をからませ、こんにゃくに十分味がなじむまで弱火で煮詰める。煮汁が少なくなったら白ゴマを加え、更にごま油で風味を付ける。メインのホイル焼きは、アルミで包んだまま置いて、パセリを飾り横にチェリーを置く。左側にはシーチキンサラダを。画像は水曜日のもので、火曜日に使ったレタスが余ったので、サラダの下に敷きました。3番目にはこんにゃく金平を。お弁当自体が黒なので、こんにゃくがもう一つ映り難いですが。魚にもよると思いますが、レモンの香りがたっぷり欲しいので、やはり半月を1枚よりも、出来れば輪切りが欲しいところ。しめじもたっぷり入ると香りが楽しめる。玉葱から十分に水分が出るので魚は柔かくいただける。シーチキンサラダは、人参のオレンジ色ときゅうりの緑、マカロニのクリーム色。シーチキンの色。。。彩りが綺麗に仕上がって、チェリーをホイル焼きに飾ることに。これで十分見た目も美味しそうだと思うけど。。。どうかな?蓋を開けたときの楽しみ♪ 手の遅い管理人につき、もうこんな時間。コーラスの練習から戻りまして、余力がありましたら、書き込んでくださった皆さんのところへお邪魔したいと思います。椅子の準備とかもありますので。。。ごめんなさい。
2005.05.19
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シリーズの4回目には肉食中心で“悪玉菌”増加ということが述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『忙しい現代人は、手早く食べられるハンバーガーなどのファストフードに頼りがち。でも肉食中心の食生活が続くと、食物繊維が不足して腸の動きが鈍くなり、消化や吸収、排せつに支障が出てきます。便秘の話でも触れた「停滞腸」です。 慢性的な睡眠不足や運動不足、ストレスが重なると、さらに症状が悪化。たとえ便秘の自覚症状はなくても、腸内が汚れ、体内に老廃物や毒素が蓄積されていきます。これが「ヨゴレ腸」と呼ばれる状態です。 肉中心の食事にはタンパク質や脂肪が多く含まれていますが、これらはウェルシュ菌など“腸内悪玉菌”の大好物。悪玉菌が増えると、腸内にアンモニア、硫化水素、アミン、フェノール、インドールなどの腐敗産物が大量に発生します。有害性の高い毒素や発がん物質ができるケースもあり、軽視できません。 こうした物質は腸管の機能を直接的に妨げるほか、一部は体内に吸収されて肝、膵、心、腎、脳、生殖器など広範囲の臓器に長期的なダメージを与えます。結果としてがんや動脈硬化、高血圧、肝疾患など生活習慣病のリスクも増し、老化の進行にも悪影響を及ぼしかねません。 腸の汚れ具合はトイレでも“実感”できます。 腸内で悪玉菌が繁殖すると、PH値がアルカリ性に傾くため、便の色は濃い茶色になります。においの強い便やおならが続くようなら、これも要注意。増加した悪玉菌が盛んに腐敗現象を起こしている証拠で、いわば腸のSOS信号です。 これに対し、便が黄色っぽく悪臭もないなら、ビフィズス菌などの“善玉菌”が多く、元気に活躍している証拠です。肉食を控え、食物繊維たっぷりの食生活を心掛ければ、腸内にビフィズス菌が増えて乳酸や酢酸を生成。悪玉菌の繁殖を抑えてくれるだけでなく、腸の運動も活発にしてくれます。 悪玉菌が増えないうちに排せつが順調に進めば、停滞腸もヨゴレ腸も無縁です。ビフィズス菌には、腸管を刺激して免疫力を増やし、病気に対する抵抗力を高めてくれる作用もあり、将に一石二鳥。食物繊維は現代人の強い味方なのです。(東大名誉教授・光岡知足)』 お味噌汁に少しキャベツを入れるだけでも違うと思うんだけどなぁ。。。 その横には食中毒徹底予防をとしてこんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『気温の上昇とともに、食中毒の危険が高まる季節になった。課程で食中毒発生を防ぐこつについて、東京都食品監視課などに聞いた。。。 ◆付けない◆ 食中毒防止の三原則は、食中毒菌やウイルスを「付けない」「増やさない」「やっつける」。付けないためには、手指をよく洗うことが肝心だ。調理前はもちろん、トイレや外出の後の手洗いを心掛けたい。 気温の上昇に伴って多くなるのが、魚介類に付着する腸炎ビブリオの食中毒。腸炎ビブリオは海水にいて、水温が20度を超えると活発に増殖し魚などを汚染する。真水に弱いので、丸物の魚を買ったときは、水道水で洗うのが効果的だ。 行楽のため、おにぎりや弁当を作る機会も多くなる。切り傷や手荒れの中には黄色ブドウ球菌が潜んでいるので、おにぎりを素手で作るのは避けたい。必ずラップにご飯を取り、その上から握ろう。塩サケなどの具を手でほぐすのも避け、はしを使う。 ◆増やさない◆ 食酢メーカーのミツカンの実験で、酢を加えて炊いたご飯では大腸菌が増えないことがわかった。米2合に大さじ1杯の酢を加えて炊くだけで効果があるという。 菌を増やさないためには、低温での保存が重要。最近は4度から10度程度の低温で増えにくくなるため、常温で材料や料理を放置するのを避け冷蔵庫を活用する。刺し身など冷蔵が必要な品物の購入は買い物の最後にし、寄り道せずに帰宅、すぐに冷蔵庫へ。 来ないにぎっしりと物を詰め込んだり、冷却ファンの全面をふさいでしまったりすると、冷却機能が十分に発揮できなくなる。庫内全体に冷気が循環するよう容量の7割程度に抑えたい。 ◆やっつける◆ やっつける最大の方法は加熱だ。食中毒を起こす微生物のほとんどは熱に弱い。食材の中心部が75度以上で1分間以上加熱されるよう十分調理するのがポイント。調理器具も熱湯をかけたり、漂白剤に漬けたりして、殺菌しよう。 以外な盲点が焼肉。つい自分のはしで肉をつかんで焼いてしまいがちだが、生肉に付いた病原性大腸菌O-157などがはしに付着する可能性がある。「トングや焼くための専用のはしを使ってほしい」と東京都食品監視課は呼びかけている』 これからは仕事の上でも本当に気を使う季節。人が凌ぎ易い季節というのは、菌たちにとっても快適な気温になるらしい。手洗い励行。加熱時間励行で、この夏も中毒などということがないように気をつけなければ。 火曜日の昨日はボランティアさんが来ることになっている。。。と、私たちは思っていた。でも、スケジュール表は空欄になっていたらしい。そんなこと現場の人間は知る由もない。結局何時になってもボランティアさんは現れず。。。原因は事務の人の不注意にあった。予めスケジュール表というのは事務の人は把握していた筈なのだから、代わりの人を手配するのが仕事。「来られないなら来られない」と事前に現場へは知らせて欲しい。結局もう一人の相棒さんと、栄養士の3人で調理作業をこなすことに。月曜日に比べたら1時間も早く調理場へ入っているのだからやってやれないことはない。事務の人が「手伝いましょうか」と言ってくださったのを、私が「ボランティアさんの居ないときぐらいのびのびさせてよ!」と言ってやった。調理作業は何も人数が多ければ出来るというものではない。こちらで指示などしなくても、手際よく動ける人なら有り難いけど、いちいちあれこれと指示しなくてはいけないような人が仮に3人も居たところで手間取るばかり。これが正直な気持ち。で、事務の人には盛り付けだけを手伝って貰うことに。勿論、作業は段取り良く出来ましたよ。居ないなら居ないなりに私たちが頑張れば出来るのさ!
2005.05.18
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地元紙の『正平調』というコラム欄で紹介されていました。意外な一面を発見した気がしますので、そのまま引用させていただきます。 『プロ野球・ヤクルトの古田敦也選手は、将棋がなかなか強い。日本将棋連盟の三段免状を持つ腕前である◆将棋には個性が表れる。よく言われるのは、攻める将棋か受ける将棋かの違いだ。免状贈呈を提案した田中虎彦九段によれば、古田選手は「柔軟な受け将棋」で、「相手の言い分を通しながら最後は自分が勝つように流れを作る」とスポーツ誌で語っている◆その古田選手が先月、史上32人目の2千本安打を達成した。どうしても現役期間が短くなる、大学~社会人経験者では初の大台である。日本プロ野球選手会長として球界再編問題に奔走した姿も印象深い。高感度ではいま、球界随一ではないだろうか◆兵庫県立川西明峰高時代は普通の選手。プロ入団時も「非力」とされた古田選手が、なぜここまで記録を伸ばせたか。理由の一つは将棋同様の「柔軟な受け」かもしれない。力まかせでなく、投手心理から配球を読んで打つ。その打撃フォームも自在に変える。イチロー選手がいいと思えばまねてみる。姿勢が実にしなやかである◆捕手としての打ち明け話もおもしろい。強打者にわざと甘い球を投げさせることがあるという。ホームラン覚悟の一級が、打者の読みを混乱させ、いつか生きる場面があると、自著で書く。「普段からそういうことを仕掛けておく」というから、田中九段の分析とも重なってくる◆この8月で40歳。選手寿命が伸びているとはいえ、将棋でいえば持ち時間が残り少なくなった。これからの一手一手を楽しみにしよう。』 打撃フォームのことなどは私には全く気が付かなかったけど、そんな工夫を重ねていらしたとは驚きました。プロ野球のことは全く知らないという方でも古田選手のことなら存じていらっしゃるのでは。 で、昨日付けの『正平調』で扱われていたのは東大闘争のこと。69年の話だから、もうこのことを存じない方の方が大半になったかもしれない。 その一文から一部引用させていただきます。 『投石、火炎瓶、放水…。その後、内ゲバなどもあって運動は急速に衰退した。安田講堂には修復の跡があるものの、今は静かにたたずむ。となりに国立大構内では初という24時間営業のコンビニが最近オープンした◆立て看板さえ芽につかないキャンパス。それが社会的な問題への無関心、あきらめを示すものでなければよいのだが。あまりに静かな大学を見ていると、熱い時代が懐かしい気持ちにもなる。』 今朝のNHKのNEWSでも若者たちは安定を望む傾向があり、成果で評価されるよりも、年功序列型の給与体系に大半が賛成だとのこと。闘争心が良いとは思わないけど、そのことがそのまま社会的な問題への無関心、あきらめを表している気がしてならない。。。
2005.05.17
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献立は、鶏肉トマト煮、高野豆腐卵とじ、ちりめん、若布おろし和え。添えの野菜はレタス、ブロッコリー。メインが煮物の為、果物はつきません。◆鶏肉トマト煮。。。材料は鶏もも肉一人60グラム、玉葱。玉葱は皮を剥いて、縦半分に切り、更に二つに切って1センチ幅に切り揃える。油を引いた鍋で鶏もも肉に焼き色をつけ、無塩バター、玉葱を加えて、チキンコンソメ、酒、トマトを加えて煮込む。盛り付けるときに、食べ易い大きさに切る。◆高野豆腐卵とじ。。。材料は鶏もも肉細切れ、高野豆腐、干ししいたけ、玉葱、グリンピース。卵。卵は割りほぐしておく。高野豆腐、干ししいたけを戻しておく。高野豆腐は流水ですすぎながら水を切り、たてに4つ、横に6つに切り分ける。戻した干ししいたけの水気を切って、細切りにする。玉葱は皮を剥いて、縦半分に切り、トマト煮に使う玉葱よりも細めに切り揃えておく。缶詰のグリンピースの水煮は缶から出して、軽く塩茹でしておく。干ししいたけの戻し汁に出しを加えて酒、砂糖、みりん、醤油で味を調えた煮汁を一煮立ちさせて、鶏もも肉を加え、火が通ったら、玉葱を加える。更に高野豆腐を加え、高野豆腐に味がなじんだらグリンピースを散して、溶き卵を加え落し蓋をして卵に火が通ったら火を止める。◆ちりめん、若布おろし和え。。。若布を戻しておく。大根は皮を剥いておろしておく。ちりめんはお湯をかけて埃を落としておく。もどした若布の水気を切って細かく刻んでおく。しょうゆとみりんで合わせ醤油を作り、材料を合わせたところへ味を見ながら加える。レタスを敷いたところへトマト煮を。鶏肉自体が小さ目なので、玉葱でかさを増やす感じに盛り付けて、茹でておいたブロッコリーを飾る。どう見ても鶏肉が小さ目なので、明日は玉葱をふんだんに使った方が良いかな?新玉葱は柔かくてそれだけでも十分に美味しいし。左側へは高野豆腐の卵とじを十分に盛る。3番目にはちりめん、若布おろし和えを。トマト煮の味付けにはチキンコンソメとケチャップだけ。唯一無塩バターでコクを出している感じ。何回つくってもこの味付けは酸味が勝った方が美味しいのか、トマトケチャップの甘味が出た方が美味しいのか悩んでしまう。塩、コショーも使わないなら、やはりお酒がポイントなのかな?月曜日はいきなりの献立になるし、数も50食と多目なのでもたもたしていては間に合わない。でも、明日は高野豆腐の卵とじは鍋を二つ使わないと無理かな?今日で40個だから、明日は80個もあれば十分かな?戻すのも絞るのも刻むのも。。。ちょっと大変。
2005.05.16
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かなり高価なものだそうな。例えばベルトを反対側の手で巻いてなんてことをしなくても、腕を突っ込んでボタンを押せば測定できるタイプ。私には値段のことなどわからないけど、夫が試しに測ってみると赤いランプ。これは危険信号らしい。で、私は。。。上が138と下が89。決して低いとは言えない値だけど、何とか合格かな?と安心して、診察に。 受付は午前8時半から始まっていたけど、診察は午前9時から?何だかよくわからないけど、私が8時半過ぎに着いたときには既に診察室へ入っていらっしゃる人が。暫く絵本などを眺めながら待っていざ診察室へ。心配していた血圧測定のことは、「毎日じゃなくても良いですよ」と仰る。やれやれ。血圧計が届いたのが、昨夜では測りようがない。職場でも結局バタバタの連続で、暫く安静にして。なんて不可能に近い話で、最初の3日ぐらいは測ってみたけど、続かない。考えたら、階段を駆け上がって座って3回ぐらい深呼吸したところで、そんなに安静状態とは思えないし。で、先生が測られたときは126と82ぐらいまでに下がっていたので、「朝飲んだ薬が効いたのでしょうか?」と恐る恐る質問すると。。。何と、私が処方されている薬だと、飲んで効き目が出るのは3日後なのだそうで。で、もう少し頑張れば血圧の薬とはお別れ出来そうな。 年齢と共に血圧が上昇するのはこれはどうやら仕方が無いことらしい。って、異常に上がるのは勿論駄目ですが。 いつもの薬局の前まで歩いて。。。シャッターが下りたまま。真横にはスーパーがあって、前には私が大好きな猫。。。シマッタ!写真を撮っておけば良かった。暫く猫と戯れながら薬剤師さんを待つことに。たまりかねて、スーパーの人が電話をしてくださった。いつもは10時じゃないと来ない薬剤師さんは急いで来てくださる。薬を受け取って、今度は郵便局へ。でも駐車場は一杯だし、局の中も人で一杯。これでは振込み先の番号など調べてもらうのは忍びないと自宅へ戻って調べてもう一度郵便局へ。振込みを済ませて、今度は銀行へ。で、戻ったらもうこんな時間。何だか。。。午前中は潰れるだろうと覚悟はしていたけど、やはり月曜日に医院へ行くというのが無理だったのかなぁ。 というわけで、お昼を済ませて余力がありましたら。。。ということで、本当にごめんなさい。。。
2005.05.16
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兎に角、「第九合唱団」結団式が無事に終わりました。練習日は毎週火曜日の午後7時半から洲本市民会館で。これなら、夫の駐車スペースを使うしかないかな?ちょっと歩かないといけないけど、ここはもう私には無料扱いになるので、変な所に停めて駐車違反を取られることを考えたら、ここ以外には無いかな?でも、練習が午後7時半からとなると。。。まるで西の反対側の勤務先から直行してもいい加減の時間。一旦家に戻るとしても自宅に居られる時間は30分あるかないか。しかも火曜日はお弁当の数が多い日だから、職場に6時まで居たなら、それこそ立ち寄る暇も無さそう。これから暑くなるばかりだし、まさか出勤前に作って冷蔵庫へなどということもあまりしたくないし。。。ここは夫に相談するしかないかな?週に一度のことだし。 同じ地元の合唱グループからは一人だけ。もう一つの楽しい方の合唱グループからはお世話をしている方が何人かいらっしゃったけど、兎も角船出したのだから、ここは頑張って12月4日のステージには立ちたい。 正直、「第九」を歌うのは何年ぶりになるのだろう。朝比奈千足氏の指揮は私にはまるで初めて。ただ、淡路吹奏楽団でチューバを担当していた人の顔も。歌った経験がおありなのかどうかまではわからないけど、ブラスバンドをやっていらっしゃる人の方が楽譜を読む力はありそうだし。。。市長もステージに立たれるということなら尚更指導にも力が入るというもの。 「阪神・淡路大震災から10年を迎えて、復興に携わってくださった皆さんのお陰で見事に復興出来ました、本当に有り難うございます!」という意味を込めてこの演奏会が企画されたこと。とても意義があると思います。 5月の練習は24日、31日の2回。初心者に戻ったつもりで一から頑張ります。その分、またまたサイトは放り出し状態になるかも知れませんが。。。
2005.05.15
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なるタイトル。理科の散歩道の今日は207回目。何とラジオのことが解説されていましたので、そのまま引用させていただきます。 『ラジオの深夜放送と青春の思い出が重なる方、昔ゲルマニウム・ラジオを自作したという方、結構多いのではないでしょうか。日本では大正14年にラジオ放送が始まりました。翌15年は昭和元年ですから、昭和史はそのまま日本のラジオ放送の歴史と言ってもいいかもしれません。 声や音の音波、ラジオや携帯電話などの電波、水面を伝わる波。これらには波としての共通の性質があります。 水面の波を見ると、盛り上がったところとへこんだところがありますね。盛り上がったところを山、へこんだところを谷と呼んでいます。山や谷の大きさ、山と山の間の距離、波の形の3つが波の性質を決めていきます。 音であれば、山や谷が大きいほど大きな声に、山と山の間の距離が短いほど高い音や声になります。そして、「あ」と「い」が聞き分けられたり、同じ「あ」でも人によって違いがあるのは、波の能力が違うためなのです。 音や声は、そう遠くまで届きませんね。そこで音や声の音波が持っていた3つの性質を、遠くまで伝わらせる電波(搬送波とよびます)に乗せて遠方へ送っているのが放送局、受信して音声を取り出しているのがラジオなのです。 搬送波に音声をのせることを「変調」と言い、よく知られているようにAMとFMの2種類があります。AMは仕組みが簡単で遠方まで届きますが雑音が入りやすく、一方FMは、仕組みが複雑で近くまでしか飛びませんが、雑音が少なく音楽放送に都合が良いのです。 たとえて考えると、搬送波という貨物列車に、音声というコンテナを乗せて送り出している駅が放送局です。そして、たくさん走っている貨物列車の中から目的の列車だけを運び出してコンテナを降ろしている駅が、ラジオと考えてよいのではないでしょうか。 ラジオのアンテナは、空中を飛んでいる無数の電波をキャッチします。この中から自分の聴きたい番組の電波を選択することを、「同調」と言います。同調は、コイルと電気を蓄えることのできるコンデンサーとの共同作業によって行われます。 選択された電波は、私たちはこのままでは音声として聞くことはできません。貨物列車からコンテナを降ろすように、搬送波から音声を取り出すことが必要で、これを「検波」といいます。 昔はこれを、方鉛鉱、黄鉄鋼などの鉱石をつかってやっていて、鉱石ラジオと呼ばれていました。その後、真空管の時代を経て、ダイオードやICがその役割を担うことになります。そして、最後に電気の力を仮、波を強くしてスピーカーへ流し込み、私たちが聞こえるようにしているのがラジオなのです。 科学技術が発達し、ラジオも高性能になった一方で、仕組みが見えにくくなっているのは少々残念です。(県立尼崎西高校 浅井尚輝)』 さて、キャッチという意味では共通しているかな?と、無理矢理こじつけになりますが、教育コラムには親子で向き合ってと題して、誰にでも思春期はある 体験、母親が冊子にとして紹介されていました。 『心身ともに大人へとかわる「思春期」をもがいている子どもに向き合うには、親の側にも自分の思春期を見つめ治す必要があるー。こんな呼びかけをしているのが、不登校の高校生らを受け入れている通信制サポート校「代々木高等学院」相談室長の島根三枝子さんだ。 島根さんは不登校だったわが子との体験を生かし、不登校の小中高生を対象に横浜市内でフリースペースを8年間主宰。その後、1997年に代々木高等学院の仕事に就いた。 思春期の問題を抱えた子どもへの対処法は「親が変われば子も変わる」と言われ続けてきた。それは子どもの苦しみを親が一方的に受け止める試みだったと島根さんは見る。親と子が同時に自分を見つめ直す取り組みが必要と感じ始めていた時、保護者会の父母たちから「傷のなめ合いのような交流会では満足できない」との声が上がった。 「お母さんはこれからどうやって生きていくの」とわが子から問われ、「子の自立には親がより良く生きることが大事」と考えていた島根さん。「大人への通過儀礼である思春期」を親が見つめることが有効だと考え、一昨年11月、思春期についての講座を開いた。 2時間1回限りの講義に参加した母親約20人は、手応えを感じてグループ「マドレッセ」をつくり、月1回の勉強会を持った。島根さんの提案で母親たちは自らの思春期体験を冊子「第二の思春期」にまとめた。 「思春期をきっちりしてこなかった人が母親になり…」と書き始めながらも、両親の理不尽な言動を記すことで両親とだけではなく、わが子との間に距離が取れ精神的なゆとりを持てたと書いた母親。別の母親は、思春期の不幸な体験を乗り越えるチャンスを与えてくれたのは娘の不登校と記した。 「泣きながら書いている自分の背中を見て子どもが慰めてくれた、という母親もいます。体験をつづることで自分を見つめ、わが子が人生を真剣に模索していると母親たちは気づくようです」と島根さんは言う。母親の中には自立を目指し、福祉系専門学校に入学した人もいるという。 残念なのはグループに父親がいなかったこと。「男性がかかわると、生き方に疑問を持ち仕事ができなくなってしまうかもしれない」とも。 マドレッセは冊子を作った後、活動を休止。島根さんは今後、親たちの「公開相談会」に取り組む考え。「今の親の世代はまだ思春期という言葉になじみがない。それを私が伝え、共通認識にしてもらい、自分の生き方を問い掛け合ってほしいと思う。それによって問題の解決策も出てくるはず」と語った。』 木曜日(12日)の講義は家族臨床心理学ということで、家族カウンセリング研究と題されて行われたものだった。やはり、ここでも父親の参加を条件としていることなどが大きく取り上げられていた。 で、『健全な家族とは…その家族の成員たちの相互的満足及び調和した活動によって、安定性が示され、相互に補い合う目標があり、集団としての家族の機能と構造を維持する場合。家族の成員一人ひとりの要求が相互に合致しないときに、調整する方法を色々もっている場合、上述の調整活動が遂行されたかどうか、その結果を反復的に評価する方向をもつ、また常に新しい調整方法を発見し得る力をもち、急激な変化を要する場合でも、それに対応していける柔軟性をもっている家族である(参考文献「家族関係の臨床心理」岡堂哲雄著)』講義の後半には実際に担当された9年間に渡る男子高校生のカウンセリングの過程が紹介された。ただ、その登校拒否のきっかけとなったのは、高校1年生になった一学期の中間テスト。中学では常にトップクラスで、先生方からは申し分の無い子。と評価を得ていたのに、中間テストの成績は500人中280番だったこと。本人にとってはこれが初めて味わう挫折。結局は、「学歴は捨てた。でも幅広い趣味は開拓できた」と言わしめることが出来たとのこと。生きていく上で本当に大事なことって。。。『学歴』なんかじゃないんですよね。学歴だけでその人を判断することの大きな間違いに気づいて欲しい!
2005.05.15
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昨日の夜は楽しい方のコーラスグループの練習。結局前から参加している方のグループも「淡路音楽祭」には出てもらわなきゃ困る。みたいな雰囲気になって、先生と打ち合わせをして、早速楽譜のコピーをと、公民館へ出かけ、コピーしたのをそのまま二つ折りにして、一人分ずつキチンと揃えて、さて、それをホッチキスで止めるか、そのままクリップで。と悩んで、事務所の人に相談しようとしたけど、何か頼り無げな館長さんが一人。 ホッチキスのありかもわからないと仰る。たまたまお昼休みだったからいつもの女性スタッフは食事で外出していらっしゃるとのこと。さて、10分待つかどうしようかと迷ったけど、私もお腹が空いていたのでその館長さんに全てを託すことに。帰宅して念を押そうと電話したけど、その女性スタッフは今戻ってきたけど、また直ぐにどこかへ行ったと館長の弁。「間違いなくやっておきます」とは仰るけれど、私が、一人分ずつ揃えておいた楽譜を一人分試しに手元にあったホッチキスで止めようとされたけど、分厚いものだから針が通らない。で、そのまま向きも確かめずに置こうとしたのを私は見逃さなかったから、安心出来るわけがない。ちゃんと梯子にしておけば良かったけど、天地を交互にして重ねただけだから、果たして。。。大丈夫かなぁ。 要するに一人分がキチンとしていればそれで良いことなんだけど、頼むべき人が不在だったから、心配でしょうがない。でも、こんなことも出来ない館長って、一体。。。?で、私は何回も会議とかに顔を出しているのに、帰り際に名前を聞かれたし。大丈夫なのかなぁ、この館長は?と心配になるのも無理はない。 木曜日に練習があるので、そのときにしか出来上がりの確認が出来ない。先生に一部送っておいて欲しいこともちゃんと伝わっているのかなぁ?だから心配で電話したのに、ここは再確認の電話をするべきだったかな?「あんたが心配だから電話してるのよ!」って言ってやりたいぐらい。名ばかりの館長では住民たちが迷惑ってもの。先生へのことも心配だし、明日もう一度電話した方が良いかな?月曜日は休館日だし。先生に届かなかったら意味が無いからなぁ。しかし頼りない人がいるものなんですねえ。改めて驚きました。
2005.05.14
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今日の地元紙の随想欄では、大石久和氏がこんな風に述べられています。そのまま引用させていただきます。 『阪神・淡路大震災から10年を経たばかりなのに、中越地震や福岡地震を経験してみると、改めて地震国に暮らし、この災害に向き合わなければならない宿命に思いを深くする。 地表面積が全地球のわずか0.25%のこの国で地震エネルギーの10%が解放されているし、大地震だけに限定すれば20%にもなるといわれる。 これはよく知られた事実であるが、併せて理解しておきたいのは、この国は地震国であるというだけでなく、全国の都市のほとんどが軟弱地盤上に存在しているということである。つまり「ずぶずぶの軟弱な地盤が大きく揺れる。そのうえにビルや橋が乗っている」といういわば二重の厳しさなのである。このことをヨーロッパの主要部分、パリやロンドンベルリンでは、岩盤のうえに都市が存在して大きな地震もないという彼我の差として理解したいのである。 多くの人々がヨーロッパに出かけている。そこでは地震で壊れることを考える必要もなく、強固な岩を多用した多くの建造物が、歴史の重みと「計画なきところに建築なし」といわれる都市的な都市美とを造り上げて、われわれ日本人に彼我の大いなる差として現前としている。 台風による強風を経験することもないこれらの地域では、「歴史は積み重なっている」のに対して、われわれの側では「歴史は流れゆくもの」なのである。 戦争の歴史と災害の歴史。歴史観の相違。ひいてはそれらが都市形成や土地保有観の差異に遷移する様。 ルーブルも結構だが、せっかくの機会にこれらの違いにふれてきたいものである。 おおいし・ひさかず…財団法人国土技術センター理事長。1945年神戸市出身。京都大学大学院終了。旧建設省道路局長、国土交通省技監を経て現職。「新くにづくり論~縄文から平成まで~」「21世紀のくにづくりを考える」(いずれも共著)など。千葉県在住…』 で、淡路版に目をやると、「旧山古志住民仮設に花壇を」ボランティアら出発というタイトルが。 『新潟県中越地震で被災し、仮設住宅暮らしが続く被災者に花壇を贈るため、島内の住民ら26人が13日、ボランティアとして新潟県長岡市に向けて出発した。現地では、被災者に元気を出してもらおうと、阪神・淡路大震災の体験から学んだ生活方法などを話す。 阪神・淡路大震災10周年記念事業(管理者個人としては、『記念』の文字が凄く引っ掛かるけど)淡路地域推進会議が主催する「新潟県旧山古志村震災被災者激励事業」。中越地震の被害が大きかった旧山古志村の住民が生活する長岡市内の3地区に、たたみ1畳分の花壇を贈り、菜の花やキンセンカなどを植える。。。 長岡市に到着した一行は、14日に旧山古志村の被災者らと花を植栽し、震災体験を語り合う。』 花というのは、そこにあるだけで人の心を癒してくれる、本当に不思議な存在。少しでも被災された方々を元気付けるきっかけになればと強く願う。ただ、あの忌まわしい地震に『記念』という言葉を使って欲しくないけど、こればかりは仕方が無いのかなぁ。何やら、例の「みどりの日」だった4月29日が「昭和の日」と改定されるとか。何だか。。。どうして「みどりの日」ではいけないの?
2005.05.14
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という大見出しで、タウン誌「宝塚てくてく」のことが地元紙の地方版で紹介されていました。「ほのぼのイラスト」…山口さん追悼の文字も見えます。記事をそのまま引用させて頂きます。。。 『宝塚市のタウン誌「宝塚てくてく」が11日、尼崎JR脱線事故で亡くなった執筆メンバー、山口勝恵さん(56)=宝塚市=を追悼する5月号を発行した。同市で一番の人気コーナーのイラストを担当していた山口さんの明るい人柄をしのび、19人の編集仲間が言葉を寄せ、誓い合った。「これからも毎月、“てくてく”を天国にいるあなたのもとに届けます」-。(長尾亮太) 誇れる紙面作り続ける 編集仲間読者からも早速反響 山口さんは1999年から同誌の編集メンバーになった。記事だけでなくカットも描くようになり、やがて人気コーナー「てくてくしませんか」のイラストを担当。二ヶ月に一度、取材班で山に登り、歩いた登山ルートや目にした草花などを筆ペンで描いた。素朴でほのぼのとしたタッチが読者の共感を呼んだ。 追悼特集には、「花や色付いた実を見つけては喜々としていた姿が浮かびます」など、花が好きだった彼女の人柄を表す仲間の言葉とともに、スミレなどの写真を掲載。3月に地元の猪ノ蔵峠を一緒に登った河西鈴子さんは「緊張も解け、笑い合いましたね」と吹雪の中を歩き、ようやくバス停に到着したときの気持ちを振り返った。 この日午前、5月号約8万部が新聞の朝刊に折り込んで各戸に無料配布されると、市民や山口さんを知る関係者から「追悼記事を書きたい」「供養になることをしたい」などの声が集まった。 「貴女が毎日眺めていた甲山に登りますので、天国で一緒に歩いて下さいね」。取材班は、今月8日に山口さんと同行する予定だった登山先を急きょ、自宅近くの甲山に変更した。「彼女になじみのある景色を紹介したかった」 「山口さんに誇れる紙面を作りつづけたい」。発行直後のこの日も執筆メンバーらが集まり、次号の紙面制作に向けて話し合った。』 きっと宝塚市民の心を癒し続けた山口さんのイラストはこれからもずうっと皆さんの心に残ることと思います。どうぞ安らかにとお祈りします。 朝、母から電話があって、母には弟の家へ行くことに。NHKの連続テレビ小説を観て慌てて家を出る。母はしきりと私の仕事の時間を気にする。これが私にはたまらない。仕事の時間もそうだけど、午前中の時間を割かれるのは私にはとても辛い。しかも、昨日は朝から神戸へでていたし、仕事から戻っても今度はコーラスの練習。で、今日の朝ぐらいはのんびりしたいと思っていたところだったから、尚更きつい。金曜日はお弁当の数が多い日なので、月・水・木に比べたら1時間も早く家を出なければいけないのに。だから尚更自宅で過ごせる時間を潰されるのは、たまらない。確かに、仕事には悠々間に合う時間だけど、私の時間は。。。?イライラしてつい、大きな声を出してしまった。「行けないのなら行けないって言うから!」と。途端に黙り込んでしまった母。朝9時前から、もう私の出勤時間のことを気にするなら、もっと私の自由時間のことを気にして欲しい。って、自分本位の母には無理な話かな? と、今日もこんな時間になって、先にお昼を済ませてPCを立ち上げては見たけれど、中途半端になってしまいそうで。しかも、今夜は楽しい方のコーラスの練習。本当に、手の遅い管理人で申し訳ありません。。。明日は兵庫県立美術館へ行きたいしなぁ。。。ホント、自分本位なのはむしろ母より私なのかな?ごめんなさい。
2005.05.13
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献立は、ムニエル、ひじきの煮物、磯辺和え。添えの野菜はキャベツと人参をボイルしてフレンチドレッシングで和えたもの、プチトマト。プチトマトが付くので、果物はありません。◆ムニエル。。。材料は魚の切り身、無塩バター、レモン。魚の切り身に塩コショーをして、小麦粉をまぶして余分な小麦粉ははたいて、熱した天板にクッキングシートを敷いて並べ、さいの目切りにした無塩バターを置いて180度ぐらいで20分加熱する。焼き具合を見て更に加熱するかどうか判断する。◆ひじきの煮物。。。材料は、ひじき、人参、グリンピース、油揚げ。ひじきは洗って水に戻して水気を切っておく。人参は皮を剥いて千切りに。油揚げはたて半分に切ったのを更に細切りにしておく。グリンピースは缶を開けて、水気を切って、サッと塩茹でしておく。熱した鍋に油を引いてひじきを炒める。更に、人参、油揚げを加えて、砂糖、酒、醤油、みりんで味をつけ、材料に味が良く馴染んだところへグリンピースを散らす。◆磯辺和え。。。材料は、小松菜、刻み海苔。小松菜を葉の部分は1.5センチ、茎の部分は1センチぐらいに切り揃えて塩茹でして冷水にとって、水気を切っておく。醤油とみりんで味を調えた合わせ醤油で味を整え、更に刻み海苔をたっぷり加えて和える。メインはムニエルなので、ムニエルを置いてから、茹でたキャベツと人参をフレンチドレッシングで和えたものを置いて、空いたところへプチトマトを飾る。左側にはひじきの煮物を。お弁当自体が黒いので、ひじきと一緒に煮たグリンピースも人参も油揚げも分からなくなってしまいましたが、彩りは良かったと思う。3番目には磯辺和えを。材料は小松菜。小松菜の色が案外濃いので、これも何だか黒いお弁当には映えない感じ。ちょっと見栄えが悪い感じの画像になってしまいましたが、実際はもうちょっと美味しそうに見えたと思う。魚の大きさにもよるし、何故か尻尾の部分ばかりが届いたけど、骨が無いから案外食べ易いのかな?焼き加減は香ばしくて良かったと。。。これも画像ではちょっとわかりづらいかな? さて、今夜は今年度初めての地元のコーラスグループの練習。何と、新しく加わった顔ぶれの多いこと。これは本当に嬉しい。ただ、いきなり難しい曲(耳馴染みはあっても二部合唱となると違うものが)の譜読みで、慣れない人には大変だったかも知れないけど、これから1年間、兎に角楽しく続けて行けたらと思う。結局、「淡路音楽祭」への参加決定は来週に持ち越し。もう、練習が始まったグループもあるのに、何だかなぁ。今までのようにグループ独自の発表でないだけに、合同練習も大変だしなぁ。でも、折角ドイツから合唱団が来てくださるのだから、この機会に素晴らしい音楽を聴くことが出来ればと思う。そしていよいよ15日には朝比奈千足氏をお招きして、「淡路第九合唱団」の結団式。さて、どれだけの顔が揃うのかな?「第九」の練習は毎週火曜日。何だか、今年はいつもにも増して大変な年になりそうな。でも、一つ一つこなして行きたい。当面は。。。7月3日に向けての調理師試験の勉強。並行して臨床福祉心理士の受講。まぁ、息が抜けるところで抜いて、楽しめたら。。。 朝が早かったもので、今日のところはそろそろ休もうと思います。何だか、明日は自分の夫の弟の葬儀にも出なかった母がお参りしたいと言うので、またもや午前中がつぶれることになりそうで。勿論叔母のご都合にもよるけれど、朝、電話がかかって来ることになっている。母は今日は外出だったのに、連日。。。大丈夫なのかなぁ? ということで、書き込んでくださった皆さんのところへお伺いするのはまたもや遅くなりそうですが、本当にごめんなさい。。。
2005.05.12
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いつも、本当にこのコラムにはハッとさせられることばかり。今日はこんな書き出しで始まっています。そのまま引用させていただきます。 『交わした名刺には、有名企業の社員とある。いい機会だから、その会社の社風などを聞こうとしたら、「実は」と言う。「契約社員なので全体のことは…」◆同じ制服だから社員と思ったら、違っていた。そんな経験をした人は多いだろう。契約社員や派遣、嘱託、パートなど、いわゆる非正社員があらゆる業種で増えている。厚生労働省の一昨年のデータでは、働く人のうちに占める率は全国平均で30%代にもなってきた◆企業だけの現象かと思ったらそうではない。イラクから悲惨な襲撃事件の報が届いた。被害者には邦人も含まれており気がかりだが、外信を読むうちに驚いたのは、米軍側に組み込まれた民間の人の多さだ。この戦争の断面を見たような気分がする◆米軍側には事実上の「民間兵士」といえる警備会社の要員がいるとは聞いていた。しかし、2万人以上もが危険な業務に就いていたとは、以前からイラク駐留部隊の兵力不足を指摘される米国は、民間委託で不足分を補っていたということか◆企業での非正社員は「人員の調整弁」とされる。人手がいるならパートなどで補充する。人数を減らすなら非正社員から。その立場で働く人にすれば身勝手な企業の論理だが、効率を優先したい経営側のこれが本音だろう◆「戦争の効率化」を唱えるラムズフェルド・米国防長官の発想も、近しい。余力のない陸上部隊の穴埋めは民間への委託でということなら、戦場まで下請けに出す構図である。今回の襲撃事件は、イラク戦争への疑問を更に募らせる』 「イラク問題に関して」というカテゴリーで、もう一つのブログでずうっと綴って来ましたので、どちらに書こうか迷いつつ、今日はこちらで紹介させて頂きました。重症だとも伝えられています。待ち伏せして米軍基地から出てきたところを襲撃されたと伝えています。人の命の重さ。。。どうして考えられないのかなぁ。戦争とはこうしたものなのか。自分たちの主張を貫こうとするならば、敵対する人の命はこうも軽々しく扱われるものなのか。。。残念でなりません。 12日は6時58分発の高速バスで神戸・三ノ宮へ渡り、帰りは12時20分三ノ宮発の高速バスに乗り、そのまま職場へ向かうことになります。昨夜は配達を担当したのが淡路島最南の海岸線をひた走りに走るコースだっただめ、運転疲れから、皆さんのところへもお伺いできずに休んでしまいました。気になっていた、この『正平調』の内容をどうしても紹介したかったので、少し早起きして11日付けの日記として紹介させていただきました。で、夜は夜で、今度は地元のコーラスグループの今年度初めての練習。当面は「淡路音楽祭」に向けての練習となりますが、果たして、代表がすんなり決まりますかどうか。何しろ南あわじ市になって初めての。ということになりますから。「動物のカーニバル」は譜面だけでもB4紙16枚。組曲の中の4曲をセレクトすることが決まったけど、この曲はそれこそ今からだと15年余りも前に洲本市にある新たに参加し始めたグループで演奏した経験があるけど、そのときは完全に混声四部に編曲してくださっていたのが、今回は例えばソプラノでも二部に別れていたりして、私はアルトの上の部分を担当することにしたけど、サッと通っただけではとても音なんか取れない。こんな楽譜をいきなり初心者の人は一体どういう思いで受け取られるのだろう。そのことがとても気懸かり。 と、結局12日の今日は今から出かける準備を始めたらそのままコーラスの練習が終わって戻るまでサイトには顔を出せそうにありませんが。。。(なら、この日記の日付も12日にしておくべきだったかな?)ただ、木曜日はお弁当を紹介するのがメイン(自分ではそのつもり)なので。。。兎に角頑張ります。
2005.05.11
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「調理師読本」。。。以前、外食するのに鳴門へ渡って見つけた「初めての調理師試験」なる本とは随分雰囲気が違う。ちょっと甘く考え過ぎていたかな?7科目に渡っての試験。普段家で調理するだけならここまで神経質にはならないけど。と、実は家庭科の教科書の延長上にある程度だと、タカをくくっていたのが大間違い。試験は7月3日。で、6月に2日に渡って講習会というのがあるらしく、勿論それにも申し込んでおいたので、12年度からの問題集というのも一緒に購入。何の予備知識も無いまま何問か解いてみたけれど、見たことも無い言葉が。単に私が情報に疎いだけかも知れないけれど、「ワイル病」なる言葉。。。私は初めてお目にかかった。7科目あるうちの昨日は5科目目、食品学の途中で止めてしまった。確かに、予備知識がないままに臨んだのだから解くのは無理とは思いつつ。。。 朝から「調理師読本」にインデックスを付けていた。一体、どんな内容の項目を勉強していかなければならないのか、大まかに掴むことは出来たけど、こんなに沢山の項目をたった二日間の講習で全部進んでしまうのだろうか。確かに、小説などを読む感じで文字を読み進めるだけなら簡単だけど。大丈夫かなぁ。 改めて、調理師免許の重さに気付いた感じ。全国の調理師さんには脱帽です。 「あんなの、簡単に取れますよ!」と私に言ってくださった方、その気にさせておいて、落ちたらどうしましょう。 さて、間も無く家を出て、今日は初めて義母を病院までお迎えに。時間にして何分かかるかな?ただ、待ち合わせの場所は病院の前の薬局。家を10時に出れば良いと夫は言うけれど、私は今から給与振込みをしている銀行へ寄って、郵便局へも行きたいし。。。なので、今から家出。今日の午前中はのんびり出来るかな?なんて思ってたけど、途中の外出というのは何だかなぁ。3回目の洗濯物は既に終わったけれど、物干し場が無いので、2回目の乾燥が終わったら乾燥機へ。と、それは帰宅してからになりそう。
2005.05.11
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母を眼科医院へ連れて行くために実家を10時に出発する約束をしていたもので、まさか朝から勤務先まで車を走らせることになるとは夢にも思っていなかった。4町が合併になって、「飲食店営業」で許可を得ていた厨房。何と、変更届けが出ていなかったとかで、結局私の従事証明をする社会福祉協議会が宙に浮いた存在に。そんなことは単なるパートの調理補助員の私が知る由もなく、仕方がないので、母を乗せたまま勤務先へ行って印鑑を貰うことに。古い社会福祉協議会(合併する前の)の理事長印を貰ってそそくさと保健所へ行ったら、「現実に存在しない社会福祉協議会の証明では受け付けることが出来ません。」ですって。これで、朝から保険所へは2回目。で、保健所で変更届を頂いて、今度は社会福祉協議会の本部へ。書類だけ渡して、母を眼科医院へ連れて行く事情を話して、もう一度帰りに立ち寄ることにして、そそくさと母を眼科医院へ。そして、本部へ舞い戻って、無事に変更届けを済ませ、同時に私の従事証明印を貰って、もう一度今度は勤務先へ行って古い社会福祉協議会の理事長印を貰って、その足で保健所へ。で、担当の人はお弁当を買いに出ているとのことで、書類だけを事務所に居た人に預けることに。「書類に不備があったら電話してください」と伝えてもらうことにして、いざ職場へ。届出のことだけで同じ日に保健所へ4回、本部へ2回、職場へ2回も足を運ぶことになろうとは夢にも思わなかった。一体何キロ走ったことになるんだろう。母は、「車の運転が出来るから、そんなに身軽に動けるけど、これがバスでとなったら、なかなかそんなに簡単には行かないよ」と言う。確かにその通り。つくづく、車の免許を取ることを勧めてくれた父のことを思う。 何やかやとあって厨房で調理作業の最中に保健所からの電話。何とか手続きそのものはOKサインが出た。後は私が受験料と、講習料金を支払うのみ。午後5時半ぐらいまでに。ということで、配達の終了後、保健所へ立ち寄ることに。今年の受験はとても無理だと一旦諦めたけど、何とか受験出来ることに。「調理師読本」と、「兵庫県調理師試験問題と解答集」を受け取って、職場へと戻る。いやはや、配達の運転なら、進んでは停まり、進んでは停まり。になるけど、こう行ったり来たりでは、何だかそれだけに疲れ果ててしまった感じ。おまけに、今日はストレスが溜まる一方のボランティアさんが加わってくださる日。。。何だか疲れはピークに達したみたい。 そんなわけで、お風呂で汗を流して、余力がありましたら。。。とさせていただきます。本当にごめんなさい。。。結局、お昼も食べる時間が取れなかった私。何やってたんだぁ?事務所の人間は!
2005.05.10
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『正平調』では自動販売機のことが述べられていましたので、そのまま引用させて頂きます。 『連休中、薫風に誘われて、郊外の野山を散策した。新緑の中、耳にしたせせらぎの音は、記憶の中で今も心地よく響いている。反面、いまだに違和感をぬぐえないのは、行く先々で目にした自動販売機の多さだ◆どうしてこんなところまで、とあきれるほど、山の上にもずらりと並んでいる。清涼飲料水を買っていた家族連れを見ながら、子どもが提げている水筒が、かわいそうになった。小銭があればのどを潤せるのだから、わき水を探そうという気分も失せる◆日ごろ利用している一人として、自販機の便利さを否定はしない。本来の機能以外にも、機械に貼り付けた住所ステッカーは110番通報などで、場所を知らせるのに役立つ。神戸市などでは災害情報を電光表示板付きの自販機に流すシステムを導入している。どこにでもあるからこその強みでもある◆555万台はアメリカに次ぎ、売上高7兆円弱は世界一、成長目覚しいコンビニ業界と肩を並べる。こんな実態からすれば、自販機のない世の中への逆戻りが、いかに非現実的か、よく分かる◆業界も消費電力の削減や未成年者が酒類やたばこを買えない対策など、自販機の改良に熱心である。観光地では、景観との調和を考慮し、形や色に工夫を凝らした新機種が登場している◆それでも、目にしたくない場所はある。とくに、自然の中や歴史を味わう場所では遠慮してほしい。なければ不便に思うときもあるだろう。しかし、たまには昔のように、辛抱するのも、いい経験ではないか』 先日、叔父の葬儀、初七日が終わって、親戚3人をある場所まで車で送ることになった。宴席でビールを少し口にしていたこともあって、出来ればコーヒーを一杯。というところだったけど、飲みそびれてしまって、3人を降ろしての帰り、急いでガソリンスタンドへ。そして、缶コーヒーを買って味わう。喉の乾きを潤すのには190ml缶は丁度の大きさ。この大きさを考え付かれた人も凄いと思う。 さて、7日付の『正平調』というコラムにはこんなことが載っています。 『神戸市のJR須磨駅に立つと、よみがえってくる光景がある。30年近く前のことだから記憶は少しあいまいだが、こんな出来事である◆上りのプラットホームにいたときのことだ。入ってきた上り電車が警笛を激しく鳴らした。見ると、向かいの下りホームから男性が軌道上に降りてきていた、無謀にも線路を渡ろうとしていたのだ。はねられる、と思った。どこからか悲鳴があがった、そのときである◆先頭車両の直前を人影が横切った。非常ブレーキ音が収まった時、目に入ったのは、下りの線路上に倒れた二人の無事な姿だった。駅員か、上りホームにいた普通電車の乗務員か。制服姿の職員が飛び込んで、男性を押し倒したのだ。職員は真っ青な顔で男性を抱えていた◆その少し前、同じ須磨駅で殉職事故があった。ホームから転落した人と助けようとした車掌が電車に巻き込まれて亡くなったのだ。その痛ましさが脳裏からきえないときの救助だったから、余計に心に焼きついた。二人の勇気と使命感にただ頭の下がる思いがした◆JR脱線事故で、情けない話が相次ぐ。当の快速電車に乗り合わせたJR社員が、救助に加わらずに出勤していた。事故当日、ボウリングなどに興じた社員もいた。緊張感を欠く行動に釈明の余地はない。たるんだ体質と非難されるのも当然である◆一方で、30年前のあの出来事に見たような、高い志を持つ社員も少なくないと信じたい。JR批判が募るなかでその志までが摩滅してしまっては…。いま、あえてそんなことを思う』 さて、今日は母を眼科医院へ連れて行くことになった日。朝一番で、勤務先には近い保険所へ例の調理師試験の受験票を提出することに。時間のことは。。。概算でということで証明をしてくださったので、それが通れば、何とか。尽力してくださった栄養士さんには頭が下がるばかり。提出したその足で、特別養護老人ホームへ寄ってお礼を述べて、それから実家へ向かう予定。もう、サイトには入れそうにありませんが。。。いつも、こんな言い訳ばかりで本当にごめんなさい。書き込んでくださった皆さんのところへは必ずお返事に伺います。。。
2005.05.10
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献立は、うなぎ丼、含め煮、なます。添えの野菜はサニーレタス、果物はオレンジ。◆うなぎ丼。。。材料はうなぎ(蒲焼にされたもの)、三つ葉、紅しょうが。業者から届いたうなぎをオーブンで温め直す。一匹を6等分に切り分け、頭はたまり醤油、酒、砂糖、みりんなどで煮立ててタレを作る。三つ葉は葉の部分だけ使うので、茎の部分は微塵切りにしておく。炊き上がったご飯にタレをかけて、うなぎを載せて、紅しょうがをあしらい、三つ葉で飾る。◆含め煮。。。材料は高野豆腐、三度豆、人参、れんこん、かまぼこ、鶏もも肉細切れ。高野豆腐を水で戻して、流水の下で絞り、長い方をで半分に切り、更に、斜め切りにして、一つを4つに切り分ける。れんこんは皮を剥いて酢水から茹でておいたのを、薄い乱切りに切り揃える。人参は皮を剥いて一人3切れぐらいになる様に乱切りにしておく。三度豆は斜め二つ切りにしておく。かまぼこは一つで10人分取れる様に切り分け、出し汁に砂糖、しょうゆ、みりんなどで味を調えた煮汁で煮ておく。その煮汁で三度豆をさっと煮ておく。その煮汁を加えて更にたっぷり目の煮汁を作って煮立ったところへ鶏もも肉細切れを加え、色が変わったらあくを取り、人参、れんこんを加える。人参に火が通ったら高野豆腐を加え、暫く煮含める。◆なます。。。材料は大根、人参。スライサーで、大根、人参を千切りにして、塩を馴染ませ、しんなりしたら水気を切って、砂糖、酢、みりんなどで味を調えた甘酢で味を馴染ませる。三つ葉の茎を微塵切りにしたのを加えて香りをつける。ご飯の上にうなぎを載せるので、今日は長い形の弁当の左側にご飯を詰め、タレをかけてうなぎを載せたところへ、紅しょうがを置き、三つ葉を飾る。真ん中の上にはお漬物、その下になますを。右側にはオレンジを置いてサニーレタスを敷き、含め煮を盛り付ける。今日届いたサニーレタスはかなり古いものだったので、充分には取れなかったけど、明日は一体どんなのが来るんだろう。。。高野豆腐の下へ、右かられんこん、人参、鶏もも肉をおいて、色に変化を付けたつもりですが、何しろ鶏もも肉の色と、高野豆腐の色の違いがはっきりしていなくて、変化が無いかな?空いたところへかまぼこを置き、三度豆を飾る。含め煮に使う人参、なますに使う人参。なますは大根1本あたり人参を1本に。含め煮にはたっぷり使いたいので、大き目の乱切りにして3切れは取りたい。豪華に見える感じに盛り付けたつもりだけど。。。横に長いお弁当なので、うなぎに目が行ってしまって、肝心の含め煮が。
2005.05.09
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母が眼科へ行く日だと思って実家へ電話したら、「今日は用事があるから明日にしたい」とのこと。。。火曜日なのになぁ。私には月曜日の方が助かるけど、そう言われたら仕方が無い。先ず、母校へ行って卒業証明書を。勿論卒業したときとは名前が変わってるから、戸籍抄本が必要。なもので続いて、役所へ。で、家に戻って、「調理業務従事証明書の記入方法」というのを見ていたら。。。何と、次のような場合は調理の実務経験とは認められません。と書かれていて、そのア 『パートまたはアルバイトの調理業務(ただし、週あたり4日以上かつ1日6時間以上継続して従事している場合は除く)』などという項目が。。。そんなぁ。。。折角今年こそは取れると準備していたのに。こんなことで引っ掛かるとは。だから昨年友達の栄養士さんが、口を酸っぱくして言ってくれたんだ。時間が。。。足りません。午後からの4時間ですからねえ。どう逆立ちしたって、証明なんか書いてくれそうに無いなぁ。しかも、上役の人はボランティアでまかないたい。みたいな動きがあるしなぁ。ここで資格なんて取ってどうする?みたいなことになるのかなぁ。参ったなぁ。受験資格そのものが無いんだ。私には。。。証明書さえ書いてくれれば済むことなんだけど。と、特別養護老人ホームの栄養士さんに電話をしてみる。そしたら、「何とか私からも頼んでみてあげる」と仰ってくださってこれは鬼に金棒かな?と、気をよくしてみたものの、後は上役の裁量まかせ。一体、どういうことになりますやら。。。トホホな私。
2005.05.09
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今日は数字が語る「安全軽視」として、こんな風に述べられています。 『大惨事から一週間後の5月2日。東京・首相官邸で、自民の武部勤、公明の冬柴鉄三両幹事長らとの会談を終えた北側一雄国土交通相の口調は、極めて厳しかった。 「新型の列車自動停止装置(ATS-P)の整備が、宝塚線運転再開の大前提だ」 前日、新型ATSの設置完了よりも、運転再開を優先する方針を明らかにしていたJR西日本。それに対する不快感が、国交相の表情には色濃く浮かんでいた。 3時間後。大阪・JR西日本本社で開かれた会見で、相変わらず「新型の整備は再開条件ではない」としていた村上恒美・鉄道本部安全推進部長。報道陣の指摘で国交相発言をしり、表情が変わった。慌てて会見を中断し、事実確認へ。1時間後、村上部長は「新型整備後に運転を再開する」と方針を180度転換。迷走ぶりが、安全に対する姿勢を明確に表していた。 「設置されていれば今回の事故は防げた」とJR西日本自身が認める新型ATS。列車が制限速度を超えれば、ブレーキをかけて自動的に減速させる。 「安全を第一に考えてきた」「新型ATSの整備は各線区の状況を総合的に勘案し着実に進めてきた」。垣内剛社長は事故後、繰り返した。しかし、数字は社長の言葉とは違う実情を物語る。 首都圏でJR東日本は、新幹線に採用する最新型の列車自動制御装置(ATC)を山手線などに導入。ATCと新型ATSの整備をほぼ100%完了している。同規模のJR西日本の「アーバンネットワーク」は、約43%と半分に満たない。 東日本は年間百キロずつのペースで整備し、これまで850億円を投じてきた。西日本の昨年度までの費用は計150億円。2倍強の売上高の違いよりも大きな差がある。 年度別では、JR西日本全体で2000年度の新型ATS整備費用は19億円だった。だが、01年度=2億円⇒02年度=3億円⇒03年度=1億円⇒04年度=5億円と激減。同社は「車両の設置が終わり、線路に設置するだけになった」と説明する。 宝塚線の尼崎ー新三田間への整備が決定したのは03年9月。今年1月に工事が始まるまでに1年4ヵ月を要した。「約480個の設置箇所の確定に測量などが必要で、設計に時間がかかった」と同社。6月末の完成を前に4月25日を迎え、107人の命が奪われた。 「首都圏では宝塚線より運行本数が少ない線区でも新型ATSを整備した。経営判断とはいえ、宝塚線の未整備は理解できない」とJR東日本の社員は首をひねる。 1秒を削るスピード競争にまい進してきたJR西日本。連結ベースで589億円の過去最高益を出した04年度、同社の設備投資は1千億円に上った。宝塚線に新型ATSを整備する費用の総額は、わずか9億円にすぎない。(田中伸明、小林準平、木村信行、〇見真一郎)』最後の記者の方のお名前の一番上の文字がわからずにごめんなさい。。。 JR東日本との対応の違いには改めて驚かされ、私のような素人には、東も西も同じだと思っていたのに、一体どこからこんな差が生まれてきたのか、ただただ不思議で仕方がありません。『安全対策』。。。当たり前のことだと思って安心して今まで利用していましたが、こんなことでは何だか自分で車を運転した方が安全なのかな?なんて思えてしまう。確かに、家にいても車が飛び込んでくる時代ではあるけれど。『絶対』なんてことはこの世には無いとしても、この『安全』ということに関しては『絶対安全』でなければ利用する気にはなれないし、実際今まで臨床福祉心理士の資格を得るために神戸へ渡って、電車が遅れなかったことが無いくらいに人身事故が多いのも私には不思議でたまらない。踏み切りでの一旦停止。遮断機が下りていても無理矢理のくぐり抜け。危険なことには私たち自らも気をつけなければ。と思う。ホームから人を突き落とすなんてことはもってのほかだし、駆け込み乗車などもこれは危険極まりない行為だと思う。 神戸へ渡る朝利用するのは6時58分発の高速バス。実は間違えて6時38分の舞子行きに乗ってしまったことがあるけど、これは夫にはナイショ。4枚つづりの回数券を利用するもので、途中下車がばれると怖いから。でも、ここまでゆとりを持ってとは言わないけど、その時間の電車に乗らなきゃ間に合わないから慌てるのじゃなく、1本前の電車でも乗れる時間なら利用する方にもゆとりが生まれそうな。。。乗り遅れたら次の電車まで1時間も待たされるというのなら別だけど。
2005.05.08
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受験申し込みの受付が始まり、12日が提出期限。土日は勿論受け付けない。ということは、何としてでも今日のうちに写真を揃えておかないと間に合わない。家を出たついでに母が希望していた鉢植えの花を買おうと決めて、先ずは家を出て、前回頼んでおいた鍼灸師さんで鍼を。その後、亡父が好きだった甘い物を買って、次に寄る予定だった、花屋さん。甘い物を置いている店は進行方向の左側にあるけど、そちらへ寄るには方向転換しないといけない。。。で、違う花屋さんへ寄ることにして、車に乗り込む。。。 ウッカリして花の写真を残すのを忘れてしまったけれど、選んだなでしこの苗は4つで一つになっている。で、綺麗な花を付けた鉢物があったので、それを入れる鉢を添えて買うことに。 母の日には何か花をと考えていたのに、今年は郵便局でも頼めなかったので、母に話すと簡単な鉢に入った小さいので良い。とのこと。私もその言葉にすっかり甘えて、いくつか可愛いのを探すつもりにしていた。ただ、予定を変更して立ち寄った店にはすっかり開いてしまったようなのばかり。いくつか探した中で蕾をつけている花。。。と思って探した組み合わせで母はすっかり上機嫌。 母の日は明日なのに、ひと月遅れの「花祭り」母は甘茶を炊く係りになっているので、何かと忙しいというので、前日の今日届けることにした。お釈迦様のお堂を飾る花を担当する人はまた別にいらっしゃるらしい。 実家でインスタントのコーヒーを入れ、ひとしきり先日の叔父のことなどを話していた中で、連絡がつかなかった叔母の話に。4月25日にお逢いしたときはお元気だったので、入院しているとはとても思えなかったけど、どうやら入院しているらしい。確かに、誰しも「今から入院します」なんて連絡はせずに入院するけど、何しろ一人住まいなもので、全く連絡が取れないことになる。せめて行き先ぐらいは伝えて欲しい。母には実家になるのだから。 実家から出て実家から程近い病院へ行って調べてみても入院はしていないとのこと。で、仕方が無いので洲本市にある病院まで車を走らせることにして、その前に写真を。5センチ×5センチの写真を頼んで、カッターシャツの襟をキチンと止めて、やや緊張の面持ちで椅子に座る。紺色のヴェストを着ていたからか、ホワイトボードを持たせられる。撮影が終わって、ふとサンプルに目をやると、何と!高校時代の恩師の姿。お孫さんのお宮参りの写真に思わず目を細めてしまう。 写真を受け取って、今度は洲本市まで。お天気が良い割りには車が少ないので助かる。駐車場へ停めて、病院の休日用の入り口にさしかかると、荷物をまとめたご婦人が。何と、叔母だった。今から退院するとのこと。足は?と聞くと、いつもお世話になっている人が送ってくださるらしい。ここで会えなかったら行き違いになるところだった。でも、これからは週に3回の人工透析が始まるのだとか。その分については病院の送迎があるので足の心配はないけど、そこまで腎臓を傷めてしまったのは、やはり過労などもあるのかなぁ? というわけで、洲本市にある病院から今戻ったところ。ただ、帰りにかなり際どい目に遭ってしまう。事故が起きてもおかしくない。といった感じの。。。 こんなことをしてはいけないけれど、私は交差点で信号に引っ掛かると、横の信号を観て、赤に変わったらもうブレーキペダルから足は離している。青に変わって、安全を確認して一気に加速。。。交差点内は勿論徐行なんだけど、右折だから、直進の車が交差点内に入る前に右折してしまいたい。ところが前にいた車が全く動こうとしない。私の後ろには四国へ向かうトラックが今か今かと待っている。ここでタイミングを失っては直進の車が全部行き過ぎないことには右折できない。案の定、長々と待たされることになってしまう。そして、あるコンビニの広い広い駐車場が左手にある交差点で赤信号で停まると、そのトラックは駐車場を突っ切ってかなり加速して行ってしまった。で、そのトラックの後ろを走っていた車もかなりいらいらしていたのは右手に病院がある交差点。青になっても一向に前へ進もうとしない車に、クラクションを3回鳴らしたのは私。続く下り坂ではセンターラインを割ろうとしている。私は後ろの車にもわかる様に左側の路側帯ぎりぎりに走っていた。制限速度は50キロ/h。ここを40キロ/hで走られたのでは運送会社のトラックだと、相当イライラしていたと思う。私と前の車を一気に追い越して、ジグザグ走行を始める。前の車は接触されそうになってどうかすると左側の溝へ落ちそうになる。何事も無かったけど、やはり低速走行というのも後続車には迷惑この上ない話だと思う。「そんなに急いでどこへ行く」なんて言葉もあったけど、運転中のイライラは余計に事故を起こしてしまいそうな。 と、一旦は実家へ行って、洲本へ足を延ばして。。。お天気に誘われて今日もドライブを楽しんだ。みたいな一日になってしまいました。来てくださった皆さんのところへは、昨夜楽しい方のコーラスの練習に参加していて遅くなり、まだお返事も出来ていませんが、一休みしてからまたお邪魔させていただきます。いつも、本当に有り難うございます!
2005.05.07
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被害者で作る会の代表の方々が、今回のJR西日本列車脱線事故の現場近くに設けられた献花台へ花を手向けに来られたと伝えられていましたが、昨日付けの地元紙の砂上の安全シリーズの3回目には14年間届かぬ遺族の願いとして、こんな風に述べられていました。 『「安全だけは、しっかりお願いしますよ」 「わかりました」 2003年、滋賀県甲賀郡にある慰霊碑前で催された信楽高原鉄道事故の13回忌法要。死者42人、重軽傷者614人を出した惨事で、妻美代子さんを亡くした吉崎俊三さん=宝塚市=が、JR西日本の垣内剛社長と握手を交わした。 発生から12年後の「和解」。だが、2年もたたないうちに尼崎の脱線事故は起きた。 「あのときの約束は何だったのか…」。吉崎さんは唇を震わせた。 あの日も快晴の朝だった。1991年5月14日。信楽町で開催中の「世界陶芸祭」に向かうJRは定員の倍の約700人を乗せ、信楽鉄道の電車と正面衝突。車両は空に向かって突き上がった。 長女と二女が重症。佐代子さんとは9時間後、遺体安置所で対面する。圧迫された顔は内出血で変色し、ほとんど判別できなかった。 「JRに殺された」。そう直感した。 だが、信楽鉄道が赤信号で発信したことなどを理由に、JR西日本は責任を回避し続ける。 「悲しみを受け入れるには、相手の誠意ある対応が必要。JRは遺族の気持ちを踏みにじった」 吉崎さんら9遺族は93年、損害賠償を求め提訴。一、二審ともJRの責任を認定し、2002年末、ようやく同社は上告を断念した。 尼崎の脱線事故をテレビで見ていた吉崎さんは涙が止まらなかった。 「14年前の私らと全く同じなんよ」。悲惨な現場。安否確認に走り回る家族。遺体と対面し、泣き崩れる人たち。 事故後のJRの対応にも不信感が募る。レール上に置き石があったかのような説明。オーバーランの距離のごまかし。運転士の処罰暦の公表…。「都合のいい情報にすがりたくなる気持ちは分かる。だが、遺族はすぐ見抜くんです。ああ、逃げている、と」 垣内社長ら幹部は107人の遺族宅を順番に弔問している。しかし、原因や責任を問われても、「申し訳ありません」を繰り返すだけの姿勢に、遺族の怒りが噴き出した。 信楽事故の遺族会は今年1月、JR西日本と安全対策の懇談会を開いた。JRは「社員の安全教育に最善を尽くしています」と強調していた。 「それが日勤教育のことだったとしたらとんだ思い違いだ。人間はミスをする。それをバックアップするシステムが必要なんです」。なぜ、列車自動停止装置がなかったのか。脱線防止ガードは必要なかったのか。 「JRは説明責任を果たしていない。私たちのような苦しみを繰り返してほしくない」吉崎さんの願いは、14年たっても届いていない。』 そして、社会面には献花台一週間として、鉄道関係者からの意見などが載せられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『◇鉄道関係者 「自分を含め、鉄道にかかわる人はみんなショックだろう。安全の確保は輸送の生命線。何で守れなかったのか…」(私鉄の車掌、25歳) 「同業者として、いても立ってもいられなかった。鉄道会社は安全が最大のサービスだと思い知らされた」(私鉄の車掌、35歳) 「いかに、安全性を大切に考えなくてはならないか。ここへ来て、気を引き締めたかった」(私鉄の運転士、34歳) 「電車は多くの命を乗せて走っている。きょう見た悲惨な光景を目に焼き付けたい」(私鉄の運転士、27歳) ◇乗客 「いつもなら事故を起こした電車の二両目に乗っていた。あの日は靴ひもがうまく結べなくて乗り遅れた。あの電車に駆け込む女性をみた。あの人は亡くなったのかも…。もうJRには乗れない」(同志社大1年、女性、18歳) 「こんなにたくさんの人が亡くなっていたなんて…。自分は大きなけがもせず、花を供えることぐらいしかできないと思った。どうして私は助かったのだろう。ちょっとでも違う所にいたらどうなっていたのだろう…」(一両目に乗っていた大学生、20歳)』 昨夜だったか、テレビで写されていたのは、左手だったか右手だったかの小指が皮一枚で繋がっているという状態で出血は止まらないのでみんなが気持ち悪がって誰も近づかないでとても不安な気持ちでいたところ、手にタオルを巻いて、着ている服が他人の血で染まるのもいとわずおぶって救急車に乗れる場所まで運んでくれた人がいたこと。命が助かったのだからな、小指の一本が無くなっても構わないと思ったこと。そんな生々しい声を伝えていました。 近くに大きな市場や工場があったこと。大量の氷やペットボトルに入った水、タオルなどを運び込んでくれたのはこの人たちだったこと。。。動くべき人が全く動かずにボーリング。果ては二次会三次会。一体何なんでしょう。この会社は。
2005.05.06
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今日の地元紙の『正平調』というコラム欄にはこんな風に書かれていました。。。と、ここでそのまま引用させていただきたいところですが、叔父の逝去に際しまして、数々のお言葉を本当に有り難うございました。 4月25日。。。例のJR西日本の列車脱線事故があったその日が私と母とが叔父の顔を見る最後になるとは夢にも思いませんでした。叔父は顔色もとても良く、安定した呼吸を保っていました。声かけには応じる反応がありました。 ただ、肺炎を併発していたとかで、最後は血混じりの痰だったり、喀血があったりだと、その急変ぶりには家族も驚いたとか。ずっと高熱続きだった叔父。亡骸は瞬く間に火葬されあっけなく形も無くなってしまいましたが、これでやっと叔父は楽になれる。そうでも思わないことにはたまりません。 転倒による脳挫傷。これが結局は致命傷になったとのこと。転倒防止のためにも、日頃から足を上げて歩くこと。かかとは引きずらないこと。。。このことは大切なのでは。と思った次第。 『大分県日田郡前津江村。去る3月、日田市と合併して自治体の名は消えたが、隣接の旧中津江、下津江村とともに、“三兄弟村”などと呼ばれ、小自治体ならではの地域づくりを展開してきた◆よく知られているのが、中津江村だ。2002年W杯サッカーで、カルメーンのキャンプ地として異色の交流をし、有名になったがその2年前、旧前津江村も、子どもに関する条例で全国に知られるようになった◆「児童生徒の表彰に関する条例」-通称「子ほめ条例」。「児童生徒の優れた個性や能力、社会性を発見、表彰することで地域あげて子どもを育てる」ことをうたった。学芸、体育、努力、創造、勤勉、友情など、12の分野でいい行いをしたこを褒める運動だ◆子育ての基本は、いいところを褒めること。当時の関係者はそう言っていた。学校、職場では間違いばかりをあげつらう。激励なき叱咤、悪意ばかりが目立つ批判。今は、そんな「減点主義」を大切にしたいと前津江村は主張した◆どうも日本人は褒めるのが苦手だ。諺でもマイナスイメージが先行する。「誉人(ほめて)千人悪口万人」「褒める人には油断すな」などという。だが褒めることをやめてはならない。教育の基本は褒めること。古来そう言われてきた◆学力批判はど“子どもバッシング”の声が高い。厳しさは必要だが、こんな時こそ褒めることを見直したい。前津江村「子ほめ条例」の精神は、合併後も残ることに決まったという。「こどもの日」に、何よりのプレゼントだ。』 褒められて怒る人なんていません。ちょっとかけ離れてしまうけれど、親戚といっても、叔父には奥さんの末の妹のご主人。。。私とは面識が無いもので、何と、私が実際よりは10歳も若く見えたのだとか。何だか、嬉しい発言。しかも、此方の義母のご実家での上棟式で初顔合わせとなった、叔父には一人娘の旦那さま。時間の都合で、仕上げの膳と初七日の宴席を兼ねて設けた私の席にご挨拶に。まじまじと私の顔を見つめ。。。「いい、今のヘアスタイルがいい!」などと熱弁を振るわれる。叔父の奥様が喪主を務められ、一人娘の旦那さまの立場としても、かなり神経を使う二日間だったと思うのに、こんな言葉が飛び出すとは思えなかったけど、 言われた私はやはり嬉しくなった。『褒め言葉』とは関連がないかもしれませんが、やはり、こんな日でありながら嬉しくなったひとときだった。 この時間、何だかむせ返るような蒸し暑さ。汗を流してから余力がありましたら皆さんのところへもお邪魔させていただきたいと思います。ごめんなさい。。。
2005.05.05
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従姉妹から電話があったのは11時過ぎ。兼ねてから入院中だった父の弟が亡くなった。 私が7月3日に手術した病院へ、父が8月に入院したときは本当にこの叔父にはお世話になりっぱなしだった。お元気でかくしゃくとしておられたし、父が愛用していた車を本当に小気味良く運転していらっしゃった。父にもしものことがあったら、その車はこの叔父に譲るなんて話していたのに、父が亡くなる半年ほど前に結局は廃車にしないとどうにもならないような事故を起こしてしまって、私はその潰れた車の状態も何も知らなかったけど、双方に怪我が無かったのが不思議なくらい。結局父はその後車が修理出来るのかどうか確かめるためにモータース屋さんに車を引き取りに来て貰って、修理が無理だとわかると軽四を購入することに。 一方元気だった叔父は父の死後に入院したけど元気に復活。脳梗塞で少し左に麻痺は残っていたけれど、杖さえあれば元気に歩くことさえも出来る。ただ、あんなに父が入院したときは元気だったのが信じられないくらいの状態に。そして、転倒して脳挫傷となったのが昨年11月。 肺炎を起こしていて、ここのところずうっと高熱が続いていたのだとか。同じ階に入院された方は、痰を取って貰った後に息を引き取られたそうで、そういうことがあったから気にはなっていたと従姉妹の話。 父にはたった一人の弟で、何もかも頼りにしていたのにこんなことになるなんて。脳梗塞で右脳をやられ、更に左に麻痺が来ていた叔父はまともに良い方の脳を打ち付けてしまったから、回復は危ぶまれてはいたけれど、結局高熱で冒されたみたいな形で息を引き取ってしまった。。。 叔父はこれでやっと楽になれたのかも知れない。そうでも思わないとやり切れない。父のときにはあんなにお世話になったのに、父が亡くなった翌年にはあんなことになるだなんて。順番通りといえばそれまでだけど。長い間、本当にお疲れ様でした。そして、父のことをお願いします。
2005.05.04
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今日の地元紙の『正平調』というコラムにはこんな素晴らしい人たちの紹介がされていました。。。 『ことしの神戸新聞平和賞などがきまった。兵庫の誇りであるその顔ぶれや功績は、昨日の特集で読んでいただくとして、ここでは、「社会賞」の「都賀川を守ろう会」に触れよう◆神戸のど真ん中を流れるこの川は、30年ほど前までは悪臭が漂い、ごみが散乱していた。流域の住民が行政の協力を得ながら清掃活動を進めて、29年になる。粘り強い取り組みが身を結び、清流の戻った川には今、約20種もの魚がすんでいる◆身近な自然に目を向けた、同会のような「守ろう会」や「守る会」は全国各地にある。向(むこう)一陽さんは「日本 川紀行」(中公新書)の中で、その第一号は、女子学生3人が千葉での干潟埋め立てに反対した38年前の活動だろうと書く◆一市職員が運動を始めた福岡・柳川の掘割再生の例もあるが、千葉以来の活動の多くは、都賀川のように住民主導である。生活が豊かになる陰で、自然が疲れきっていく。その泣き声やうめき声は、住民だからこそ敏感に感じとれるということだろう◆分かりやすいことも、住民運動が成功するかどうかの分かれ道である。都賀川流域の住民が訴えた一つは「子どもたちが遊べる川に」だった。みんながうなずけるこの言葉が、地道な29年間を裏から支えた力ではないかと思えてくる◆柳川の掘割再生に尽力した広松伝(つたえ)さんは、こう言った。「住む人がいい暮らしをすれば、水辺はきれいになる」。川面には住民の暮らしぶりが映るという意味だろう。そんな美しい川が、もっと増えてほしいものだ。』 ♪生きている魚たちが 生きて泳ぎ回る川を あなたにのこしておいてやれるだろうか とうさんは~♪と、こんな歌を随分昔に歌った覚えがある。そして、生きている鳥たちが 生きて飛び回る空へと続いていたと思う。 昨日だったか、三宅島の海へ潜って様子を伝えている番組があったけど、火山灰に覆われたテーブル珊瑚。辺り一面を火山灰に覆われた地区には魚がいない。一方で4年間も漁が出来なかったのだから、火山灰に覆われなかった海は魚の宝庫となって、大きく成長したサザエなども。 珊瑚というのは本当に沢山の酸素を供給してくれると聞いて、それならば珊瑚が死滅して行くのは何としても阻止しなければと。ただ単に美しいというだけではなく、多くの魚たちの棲みかにもなっている。火山灰に覆われてしまったというのは人為的ではないにしても、人がこんな風に自然を破壊してしまうのはとんでもないこと。水辺を綺麗に保つためにも、私たちが為すべきことは。。。おのずと答えが出て来る。何気なく流している水。せめて油汚れの酷いお皿などは先に拭き取って。ということにしなければ。。。
2005.05.04
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今日の地元紙の『正平調』というコラムをそのまま引用させていただきます。 『JRの脱線事故から、2日で一週間がたった。重く、つらい一週間だった。いやこれからも、同じような時間が重なっていくのだろうと、あらためて思う節目でもあった◆息子を亡くした母親が、「洗濯物の量が減って…」と話していた。家族を突然失った実感とは、食事や洗濯、掃除など、普段の生活の中にあるのだろう。事故からどれほどたっても、洗い物の量で不意に悲しみが突き上げる。そんな光景を想像してしまう、やるせない一言に聞こえた◆救助にあたった消防署員や警察官らはいまも、救った手ごたえよりも救えなかった悔しさを感じているかもしれない。「もどかしかった」と語るレスキュー隊員もいる。しかし、あの修羅場にあって全力を注いだ結果である。うなだれることは、何もない◆JR西日本への講義、非難は続く。この大事故がなければ、過密ダイヤやスピードアップの危うさも、ミスをした運転士への厳しい再教育問題も、関係者がひそひそ声で話すだけだったかもしれない。そのなにもかもが、大きな犠牲を伴って一挙に噴出した◆いま、JR西日本に臨むことが、二つある。まず遺族や負傷者の気持ちをなによりも大事にしてほしい。一人一人の思いは違うだろう。しかし、可能な限りきめ細かく、傷ついた人たちに寄り添ってほしい◆そして、これから本格化する原因究明に向け、どんな情報も明らかにしてほしい。それがJRに不利な情報や事実であっても、隠さずに公表していく。その姿勢がなければ、損ねた信頼感は戻らない。』 更に、砂上の安全 JR西日本脱線事故シリーズの2回目として、定時運行、スピード売り物 競争などというタイトルが。この記事もそのままに。。。 『「あのときと同じや」 尼崎JR脱線事故のニュースに見入っていた神戸市東灘区の北村喜由さん、美江子さん夫婦は、息をのんだ。変わり果てた家族と3日ぶりに対面した男性の疲れきった表情が、20年前の自分たちと重なった。 1985年夏。北村さん夫婦は群馬・御巣鷹山の日航機墜落事故で、長女の由美さん=当時(24)=を失った。結婚から半年、初めて帰省するはずだった。夫婦は現地の体育館で待ち続け、3日目に遺体を確認した。 脱線事故の一ヶ月前、北村さんは腹立たしいニュースを目にした。管制の許可を得ずに離陸しようとし、強度の足りない部品で飛ぶなど、日航機のトラブルが相次いでいた。「安全が最優先との考えが浸透していない」と事業改善命令を出した国交省。日航は「安全は定時制よりも優先するべき」と反省を報告した。 「大阪まで19分」-。JR三ノ宮駅にはスピードを売り物にした看板が目立つ。神戸線の最高時速を120キロから130キロに引き上げ、99年から実現した。 経路の違いはあるが、阪急(三宮~梅田)は28分、阪神(同)は30分。「スピードはJRさんに任せた」と私鉄関係者は苦笑する。 関西はかつて私鉄王国と呼ばれた。JR西日本は89年、宝塚腺を含む京阪神の鉄道網を「アーバンネットワーク」と名付け、スピードアップによる乗客層を目指した。阪神・淡路大震災で、私鉄各社より2ヶ月以上早く全面復旧し、私鉄の客を奪った。JRの京阪神の乗客は2003年度、民営化後の87年度に比べ約18%増え、在阪私鉄5社の合計は約19%減少した。 スピードと並ぶ柱の「定時運行」。その重圧が、脱線事故の速度超過の背景にあったとされる。 「定時運行にこだわる気持ちは分かる。私も送れを取り戻すために飛ばしますよ。制限速度の範囲内で」。日航機の操縦士が実情を話す。 新規参入や料金自由化で競争が激化する航空業界。主要空港では、同じ行き先の3社の出発時間が全く同じことも珍しくない。滑走路に入るのは離陸準備が早く整った順。「運行の遅れは他者に客を奪われること」と操縦士。整備時間も短縮されつつある。 日航は02年、し列な競争に勝ち抜くため日本エアシステムとの経営統合に踏み切った。だが旧2社の溝は埋まらず、共通の安全対策さえ確立されていない。 「安全に金を掛けることが最大の合理化」と御巣鷹をはじめ事故処理を担当した元日航社員。「JR独り勝ちの構図は、安全性の軽視と紙一重だった」とJR社員。 安全と定時制、経済性とのバランスに揺れる空と陸。現場の声は一致する。』 新ATS「再開の前提」地元紙の一面トップの大見出し。国民にとって安全が補償されていること。当然の権利ではなかったでしょうか。憲法記念日の今日。もう一度安全について再確認する必要があるのでは。。。
2005.05.03
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土曜、日曜、祝日が休みの配食サービス。今週は月曜、金曜だけの配達となってしまう。最初からの約束だとはいうけれど、果たしてこれで独居老人の支援になっているのかなぁ? 献立は、鶏ささ身と野菜のかき揚げ、ニラ玉、切り干し大根の煮物、たらこスパゲティー。添えの野菜はレタス。果物はつきません。◆鶏ささ身と野菜のかき揚げ。。。材料は鶏ささ身(細切れにしたもの)さつま芋、玉葱、人参、ピーマン、紅しょうが。さつま芋は皮を剥いて5ミリ幅の拍子切りにして水につけておく。玉葱は皮を剥いて半分に切って根の硬い部分を取り除いて更に半分に切って5ミリ幅に切っておく。人参は皮を剥いてさつま芋と同じぐらいの大きさに切り揃えておく。ピーマンも種を取って人参と同じぐらいの大きさに切っておく。紅しょうがは市販の細切りにしたものを袋から出して汁を切っておく。鶏ささ身は業者に頼んで切っておいて貰う。材料を合わせて、小麦粉、卵、水で普通の天ぷらより少し緩いめの衣を作って合わせた材料を加え、熱した油の中へ大きさを揃えながら入れて揚げる。◆ニラ玉。。。材料はニラ、ちりめんじゃこ、卵。ニラは洗って1.5センチぐらいの長さに切り揃え、チリメンジャコは熱湯をかけて埃を流しておく。割りほぐした卵と合わせて、熱しておいた天板にクッキングシートを敷いて流して180度で15分焼いて加減を見る。◆切り干し大根の煮物。。。材料は切り干し大根、人参、油揚げ。切り干し大根を袋から出して水で戻して、水気を切って長さを揃えて切っておく。人参は皮を剥いて千切りに。油揚げは長い方を半分に切って3ミリぐらいの幅に切り揃えておく。熱した鍋に油を敷いて人参を炒め、更に切り干し大根、油揚げを加え、出し汁、酒、砂糖、みりん、醤油で味を調えて煮含める。◆たらこスパゲティー。。。材料はスパゲティー、たらこ。スパゲティーはたっぷりのお湯で茹でながら、生の食材は使えないので、たらこを下茹でして皮を剥き、ほぐしておく。スパゲティーが茹で上がったら、茹でた鍋にバターを加え、スパゲティーを加えて更にほぐしておいたたらこを混ぜ合わせる。レタスを敷いたところへ先ずかき揚げを一つ。その横へ天板1枚当り25等分に切ったニラ玉を。2番目は切り干し大根の煮物を。3番目にたらこスパゲティーを。かき揚げの大きさに随分迷いながら、二つにするとニラ玉が入らないので、かき揚げを少し大きくして一つということに。金曜日は数が倍以上になるので、そのことを考えると、一人二つずつ揚げていたのではとても間に合わない。ニラ玉に入れるニラを少し長い目に切ってしまった感じは否めないけれど、チリメンジャコの分量も今日は多かった様な。玉子焼きにチリメンジャコがたっぷり入った感じの仕上がりに。卵はたっぷりの方がふんわりと柔かく仕上がるかな?たらこスパゲティーに入れるたらこは生のままというわけにはいかないので、下茹でに使った茹で汁も少しだけ加えた方が美味しいのかな?先に茹でて皮を剥いてしまうと、まるでたらこの感じじゃないけれど、こればかりは生というわけには行かないので。。。普通に作るのとはちょっと違うのかな?と思いつつ。月曜・火曜共通の献立だったのを今週は火曜・水曜・木曜が休みになるため、次回は金曜日。数の多い金曜日にいきなり初めての献立では。ということで今日と同じ献立で。ということにはしたけれど、もうちょっと簡単なのにすれば良かったかな?何しろかき揚げに入れる野菜の切り込み作業だけでも大変。まぁ、ここは金曜日のボランティアさんに期待するしかないかな?
2005.05.02
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ドレスデン国立美術館展が行われている、兵庫県立美術館。何だか、素敵な展示が始まりそうなので、今からでも良かったのかな?というわけで、今日の地元紙の『正平調』というコラム欄にはこんなことが紹介されています。 『フランスの作家アンドレ・マルローは、冒険家など多彩な顔を持っていたが、ド・ゴール大統領時代には文化相を務め、歴史的建造物、景観の保存に力を入れた。1962年に成立した通称マルロー法は、世界初の歴史的環境の保全制度といわれる。60年代、市民による保存運動もフランス各地で活発になった◆南西部に位置するキュルモント村も約40年の運動で、中世の街並みが守られてきた。2つの城と3つの境界があり、クルミ林と牧草地が広がる。おとぎ話の舞台のような村に残る11世紀の教会の窓に、神戸市垂水区のステンドグラス作家森本康代(みちよ)さんの作品が取り付けられることになった◆夫がフランス人の森本さんは、15年まえからキュルモントで夏を過ごしている。2百人が暮らす村に電柱はなく、石の舗道が続く。「のんびりと時間が過ぎる豊かな場所」と、森本さんは話す◆教会内で作品展を開くことを依頼されたが、建物そのものを彩ることを希望した。ステンドグラスは、円と水平な線を組み合わせたシンプルなデザイン。石造りの素朴な教会の窓に差し込む光と、外の田園風景を生かすことを心がけた◆作品は東京・銀座のギャラリーに続いて、5月10日から神戸市中央区の兵庫県立美術館アトリエで展示される。その後、ベルギー、フランスを巡回して、教会に納められる◆作品の基調となっているブルーとグリーンは神戸の海と山の色のようにも見える。神戸生まれのステンドグラスは、歴史的な景観にうまく溶け込むことだろう。』 連休の間は人で一杯だからと、北斎と夢二さんは4月中に行って、ドレスデンの方はいつにしようかと迷っていたときだった。10日以降の日曜日は。。。アラッ?15日しかないや。。。でも土曜日なら行けるかな?15日は淡路での「第九を歌う会」の発足会。ということはやはり土曜日に行くしかないのかな?神戸市出身の作家がここでも頑張っていらっしゃると思うと、とっても嬉しい。 JR西日本の例の列車脱線事故のことで頭が一杯だっただけに、こんな爽やかなNEWSに飢えていた私は、一服の清涼剤を飲んだような。。。ただ、事故による犠牲者の死亡原因というのが頭蓋内損傷が38人、窒息が19人、胸腹内損傷が18人、頚髄損傷が14人、骨盤骨折などによる出血が6人、その他が4人となっていて、改めて衝撃の凄まじさを思い知らされた。何とも。。。人が人に埋め尽くされた状態で息を引き取るだなんて。駐車場に車が無かったら救出はもっとスムーズに行ったかもしれないけれど、こればかりは。。。救急隊員の悔しさが何ともやり切れない。。。改めて犠牲となられた方々のご冥福をお祈りします。と、同時にご遺族の方にはどうかお元気でと願わずにはいられません。
2005.05.02
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こんなタイトルが目についたのは、今日付けの地元紙の教育欄。更に小学生半数以上「家族と」は3割だけ。なる文字。そのまま引用させていただきます。 『理想の朝食は友達と食べることー。農林水産省、全農などで作る「朝ごはん実行委員会」(東京都港区)が小学生50人に理想と現実の朝食風景を描いてもらったところ、友達と一緒を理想と表現した絵が半数以上を占めた。一方、理想を「家族」と描いたのは3割にとどまり、6割近かった4年間の前回調査から様変わりした。 調査は、首都圏に住む小学5、6年生を対象に今年2月に実施。現実と理想の朝食を鉛筆とクレヨンで描いてもらった。 その結果、理想の朝食は、「友達と」が28人、「家族と」14人で、「自分1人だけ」は5人。前回は友達が1人、家族は29人、自分1人は6人だった。 絵を分析した室田洋子聖徳大教授(発達・臨床心理学)によると、絵には人間の真相心理が表れるが、理想の朝食には友達が増えたのは、家族と食べている子どもが年々減少し、給食が一番楽しい経験になているのではないのか、と見る。 一方、現実の朝食の絵には、顔や体を線で描いた「人マーク」、「手のない人などが目立ち、電車内で食べ物をかじっている絵もあった。 室田教授は「マークは、『食卓に家族はいても、会話が乏しい、何をしゃべっていたか思い出せない』という印。手なし人間は、『食事に参加する気になれない、楽しくない、強制的に食べさせられている』という気持ちの表れ」と分析した。 同実行委は、描いた子どもとその母親への調査も実施。朝食を食べなかったときの理由(複数回答)は、母子とも「時間がない」が8割を超えた。「眠いから」「食欲がない」という子どもも多かった。 室田教授は「生活スタイルの夜型化、塾通いなどで大人も子どもも就寝時間が遅くなり、朝食を抜く家族は増えている。10年ほど前から問題視されてきた“孤食”は、今や大半の子どもには当たり前、これが進むと、家族はばらばらとなり、本来家庭で培われるべきコミュニケーション能力が不足し、学校や社会で人とかかわることができない子どもが増えるのでは」と警鐘を鳴らしている。』それにしても、人とかかわることができない子が増えるというのは。。。何とも怖い話。確かに、会話って必要だと思う。耳に障害があるとか、目に障害がある場合にはコミュニケートの取り方も違って来るかも知れないけど、なるべくなら笑顔で話し合える。。。そんな雰囲気は食欲増進にも繋がりそうな。 さて、燃料と染料を勘違いして、天然の燃料って何だろう?と思ったら、実は天然染料のことだったのですが、身近な植物や動物が原料にとして、理科の散歩道の205回目をそのまま引用させて頂きます。 『2000年以上昔の中国で活躍した荀子(じゅんし)という人の言葉に、「藍は藍より出でて藍より青く、氷は水これを為して、水より寒し」というのがあります。青い色は藍という材料から作り出すけれども、元の藍よりも鮮やかな青色をしている、氷は水からできるものだけれども、水よりも冷たい、ということから、弟子も努力すれば先生を超えることができるという意味です。ただ、有名なのは前半部分だけで、後半部分をご存知の方は少ないかもしれません。 この藍は、古くから日本でも親しまれた天然の染料です。材料となる植物は、藍植物と呼ばれていて、マメ科のインド藍、アブラナ科のタイセイ(大青)、タデ科のタデアイなど、世界各地でいくつかの種類が存在しています。 藍植物を刈り取ったあと、さらに10日ほどアルカリ性の灰汁(あく)などを入れて醗酵させます。すると水に溶ける「ロイコインジゴ」が含まれている黒い緑の藍液になります。この藍液に布地をつけ、引き上げて絞ると、一瞬に鮮やかな紺色に染まるのです。 これはロイコインジゴが空気で酸化されてインジゴになり、布にひっついたからです。インジゴは水に溶けにくいので、色落ちしにくいのです。ジーンズの青色もインジゴの色ですね。 昔、染色の達人は白袴(しろはかま)で作業したとしても服を汚すことがなく、「紺屋の白袴」という言葉が染師の自負の言葉として生まれました。今とは全く意味が違いますね。 藍植物以外にも、たくさんの植物が染色に使われています。紫色ではしこん(紫根)やムラサキグサ(紫草)、赤色ではベニバナ(紅花)やアカネ、そしてスオウ(蘇芳)。黄色ではクチナシ、ウコンなどがその例です。 植物だけではなく、動物が染料の原料になることもあります。 弥生時代最大の環濠集落跡といわれている佐賀県の吉野ヶ里遺跡から出土した絹織物片には、紫色の染料が残っていて、分析の結果、貝のパープル腺を使ったものということがわかりました。貝から採れる染料の材料はほんのわずかで、染色するには膨大な数の貝が必要です。染料1グラム作るのに2000個の貝がいるとも言われています。 貝紫は「帝王紫」とも呼ばれ、高貴な色として珍重され、クレオパトラや楊貴妃も寵愛したといわれています。しかしながら、日本では奄美大島や三重県鳥羽の海女のサメよけのまじないに使われるぐらいで、あまり広まらなかったようです。そのほかに動物が材料となるものとしては、虫から採るコチニールという赤い染料もあります。 昔から人は鮮やかな色にあこがれ、求めてきました。合成染料に押されがちな今日ですが、身近なところではタマネギなどを使っての草木染も可能ですので、自然の色を楽しんでみませんか。(県立尼崎西高校 浅井尚輝)』 それにしてもまぁ、貝紫の話には驚きました。2月の誕生石がアメジストであることが関係しているのかどうか、実は私もこういう色が大好きです。誕生石を使った宝石を一つ持っているのは良いことなのだとか。って、染料の話がとんでもない方向へ行ってしまいました。。。
2005.05.01
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町内会の女性ばかり6人が集まってささやかな会。お世話してくださった役員さんには本当に有り難うございました。 ここ数年はお食事処での会席というパターンが多かったのを、昨夜は、近くの公民館での集まり。お茶の用意、お茶菓子の用意、そして食べた後の片付けと、何かと大変なこともあり、お食事処での会席の方が簡単ということもあったから。 お弁当を広げる。箸袋には私が毎日の出勤で前を通る(でも、行ったことが無い)お店の名前が入っている。美味しい魚料理が自慢のお店のものだった。と、画像が全くありません、ごめんなさい。やはり自慢のお造りは美味しかった♪ただ、私が大好きな烏賊の上に全く食べられない雲丹が載っていたのにはショック。隣りの人に早速取ってもらう。 さて、ビールは6人座って350ml入りの缶が2本。。。果たしてこの量が多いのか、少ないのか。。。飲めない人ばかりの前で一人だけ飲みたいなんて言える雰囲気ではない。つい、先日は生中を2杯と、大瓶ビールを1本空けて実は車を運転して帰宅(ここだけのヒ・ミ・ツ)なもので、美味しい肴を前にして、物足りないのは言うまでも無い。女性が飲むのはいけないことなのかなぁ?6人の内訳は私より若い人が3人。年上が2人。。。育った時代背景もあるけれど。と、勿論近いのだから私は歩いて行きました。いえ、決して飲みたいなどと思ったわけじゃなく。。。お隣りに座った人も歩き。車に乗り込んでスターターをかけている間に歩ける距離なんだから。 さて、私自身はご近所だというのに滅多にお目にかかることがない。だから、こんな席でもないと顔を合わせることが先ず無い。我が家は東西南北合わせて、7軒の家に取り囲まれている。でも、各家の玄関まで辿り着くのはかなり遠いことになる。で、私の通勤先が洲本市とは反対方面になるので、全く顔を合わせることがない。会話の中で一旦停止の取り締まりをしていることで有名な交差点の話になったけど、私自身は滅多に通らないし、いくら見通しが良くても一旦停止の場所では必ず停まる。(玉葱を保管する小屋によくパトカーが隠れているらしい)でも、結構この、一旦停止の場所を無視して車を走らせてパトカーに追いかけられる人が多いのだとか。停まらない方が悪いのに。。。 私以外の人はみんなそれぞれお母さん。だから勿論子供自慢になったり、他所のお宅の子供さんの進学先の学校の名前の話に花が咲く。私のお隣りに座ったのが、学校の先生だからということもあるけれど。でも、私は母校の高校には家政科があったこと、食べることが一番大切なことなんじゃないかな?と訴えたら、皆さん目が点になっていた気がする。 出身学校って、そんなに大事なことなのかな?ことに、こんなに世間が狭い淡路島では、高校のレベル付けが行われていて、暗黙の了解みたいなことになる。同じ公立高校でも自転車で通えるところと、バスじゃなきゃ無理な場所がある。確かに、小中学生を持つお母さん方なら、自転車で通える高校へと望まれる人が多い。中学から私立へ行かせて。。。となると、学費以外に交通費がバカにならない。学校の先生の前で言えることではなかったかも知れないけれど、実際は、学校を出てからが大切なんじゃないかなぁ。それと、出身校の名前じゃなく、あくまでも、その学校で何を学んだか。。。どうして名前にばかり拘るんだろう。これも、私自身が親になった経験がないからわからないのかなぁ? 美味しいお弁当に続いて、デザートはプリンアラモード、コーヒー。ぽん菓子をまあるい形にしたお菓子(直径12センチはありそうな)他にも適当にお菓子が並べられていたけれど、誰も手を伸ばす余裕がない。ひとしきり話に花を咲かせて、解散となったのは午後10時。使ったコップ、ティーカップを洗って解散。お世話してくださった、今年の役員さんには本当に有り難うございました!
2005.05.01
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