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一日早いとは思ったけど、10月に。そしたら、今月の画像は何と、つい水曜日に配達を担当した地区で観たばかりの早生みかん。9月のは刈り取り、脱穀作業が終わった稲藁の画像で、1日には少し早いような気がしたけど、この時期、たった30日間で季節が巡って来る様な。朝夕と、日中の気温差が激しくて、あちこちで「クシュン」が聞こえそうですが、どうぞ、皆様十分にご自愛なさってください。。。 今日の地元紙の文化欄に2005年9月11日以後 破れた戦後60年の“鎖国”なるタイトル。精神科医、神戸大名誉教授であられる中井久夫氏による、「清陰星雨」というコラムをそのまま引用させていただきます。 『小泉の大勝は、彼を苦境に陥れる恐れがある。かつて韓国大新聞の偉い人は私に語った。「日本は野党とタフマッチを組んで大国の要求をうまくかわしている。わが国は朴正〇(歴史認識が浅く漢字が読めません)一人ですから大変です」。小泉が朴よりもタフであることを祈る。 「宮澤喜一回顧録」(岩波書店、2005年)によれば、戦後の画期的事件は60年安保とプラザ合意である。1985年のプラザ合意の結果、バブル必至で、ついに「マネー敗戦」となった。 では60年安保は?それは、大日本帝国を再興しようとする岸一派と大本営陸軍部作戦部長・服部卓四郎元大佐グループの企図の決定的挫折であった。 阻止に回ったのは吉田茂で、憲兵隊の拷問体験が大きかった。国民は選挙で、池田自民党に今回に勝る大勝利を与えた。今不評の「軽武装・重経済」路線である。小泉は吉田路線に連なる宮澤、橋本を切り、今はビスマルク型の現実政治化となった中曽根をも切った。冷厳な事実は、森派こそが岸派の後継者だということである。さらに郵政民営化問題は、戦争体験を持つ議員を大量に引退させる効果を持った。 ▽同盟国とは 歴史は正確には繰り返さない。米国の日本常任理事国入り反対は「列強」になるのを許さないということである。国際的には、在日米軍の存在理由は日本軍国主義復活阻止にあると米国はしばしば言明してきた。米日両軍は一体化しつつあるというが、航空、海上の両自衛隊は出発以来一体化しており、陸上自衛隊だけの問題である。 同盟国とは、基本的に一方の戦争に他方も参加する関係を指す。侵略戦争は例外だが、侵略と明言する国があったろうか。 大陸、半島の謝罪を言い立てる諸君にはうんさりだというムードがある。これは鎖国ムードである。小泉が改革を維新に見立てるとおり、戦後60年は一種の鎖国かもしれない。東からの外圧によって破られつつあるのも似ている。維新以後の変化、すなわち鹿鳴館に極まる不平等条約下のグローバリゼーションも同じであろう。ではそれ以後は? ▽外交不在の歴史 そういえば、日本は大陸に向けて時々アモックを起こす。アモックとは東南アジアの病であり、鬱状態の後、突然無差別大量殺人を行い、後に健忘症を残す。健忘症を起こして引きこもるのは、秀吉の後がそうであった。 かつて怨嗟(えんさ)に満ちた自国民に向かって蒋介石はあえて「以恩報怨」と語った。周恩来は事実に反するのを承知で「悪いのは一握りの軍国主義者であり日本国民もその被害者である」と言い切った。あの時、日本の指導者が二人の度量を讃(たた)え、認めるべき過誤は堂々と認めていたら、歴史は変わっていたに違いない。10メートル逃げた者より千メートル逃げた者の方が同じ罪でも重くみられ、誤らなくてもいいものまで誤らなくてはならなくなるのである。 数千万の国民を失ってはらわたは煮えくり返っていたに違いないが、日本留学中の二人は共に日本庶民の親切に感動している。彼らが投げたボールは日本側にまだあると中国は思っている。 軍隊は戦争を始めることはできるが、戦争終結は外交でしかできない。日露戦争以後の日本史は外交不在であった。しかし、外交は妥協である。すべての妥協を軟弱と罵ってきた国民が外交不在の元凶である。 日露戦争も戦争で勝ち外交でうしなった。失ったものは何よりもまず信頼である。日本への軍事協力も惜しまなかった中国にロシアの利権は返還されなかった。講和斡旋者の米国はただ働きであった。米国は1908年、大戦艦隊を東京湾に送って示威を行っている。よほど肝(はら)に据えかねたのであろう。 この事実を最小限の報道にとどめて身のほど知らずの海軍拡張を始めたのが日本である。そして国際イメージは「優雅な文華の国」から「むき出しの軍国主義」に一変して、一時欧米芸術を風靡したジャポニズム(日本主義)は日露戦争と同時に突然終わった。偶然ではなかろう。』 少し前にテロップが流れ、大阪高裁では小泉総理の靖国神社参拝は違憲だと判断したとのこと。。。 「さだまさし」さんの『この国は大切なところで道を間違えたようです』という「風に立つライオン」に出てくるこの言葉。。。しみじみと心に染み入ります。 「グレープ」の解散コンサートライブ版でもある二枚組みアルバム「三年坂」にはタクトを担当された服部克久氏に会場から「ハットリさん、頑張って~☆」と声援が飛んだときの嬉しそうな反応がそのままレコードになっていて、これを聴いて、たまらなく好きになってしまった「さだ」さんです。
2005.09.30
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献立は、すき焼き、シュウマイ、春雨ときゅうりの酢の物。添えの野菜は、シュウマイにレタス、果物はオレンジ。◆すき焼き。。。材料は、牛すき焼き用薄切り肉、白葱、玉葱、生しいたけ、糸こんにゃく、焼き豆腐。牛すき焼き用薄切り肉は、大きさを確認してから、適当な大きさに切り揃える。糸こんにゃくの袋を開けて水気を切りながら袋から取り出した状態でまな板に置き、3センチぐらいの長さに切り揃えざるに取って水にさらしてから下茹でする。白葱は1人に2切れずつ入る厚さの斜め切り。玉葱は皮を剥いて縦半分に切って根の硬いところを取り除き、繊維に直角になる感じに5ミリぐらいの厚さに切る。生しいたけは、大きさによるが、届いたものが余りにも小さかったので、石附を取り、半分に切っただけ。焼き豆腐は1丁を4つ切りにして、水気を切っておく。熱した鍋に油を引いて牛肉から炒め、火が通りかけたら砂糖、酒、醤油を加えて味を馴染ませながら、焼き豆腐を加える。一旦牛肉を上げて、糸こんにゃくを加え、玉葱、葱、生しいたけを加えて味を馴染ませる。玉葱、葱、生しいたけなどは味が染みたら一旦取り出して、焼き豆腐に十分味を馴染ませる。◆シュウマイ。。。冷凍のエビシュウマイを蒸しただけ。◆春雨ときゅうりの酢の物。。。材料は春雨、きゅうり、若布、ちりめんじゃこ。分量の春雨をたっぷりのお湯で茹で、水気を切って3センチぐらいに切り揃える。きゅうりはヘタを取って薄切りスライスにし、塩をまぶしてしんなりしたら塩を洗って水気を切る。若布は水にもどして、水気を切って小口切りに。ちりめんじゃこは熱湯にくぐらせておく。砂糖、酢、醤油を合わせて合わせ酢を作り、材料を混ぜ合わせて味を馴染ませる。メインが煮物なので、添えのレタス、オレンジは2番目に入れることにして、すき焼きは先ずお肉から置いて、焼き豆腐を囲む様に玉葱を置き、生しいたけを載せて、空いている部分に糸こんにゃくを。最後に葱を飾って隙間があれば玉葱を加えてボリューム感を。2番目は温かいもの同士をくっつける感じに、左端へオレンジを置いて、レタスで仕切ってシュウマイを。3番目には春雨ときゅうりの酢の物を。春雨はレシピの量よりも随分減らしたのに、結構なボリューム。メインがコッテリ味なので、口にはサッパリするかな?今のオレンジは時期的なものもあるのか、本当に甘くて美味しい♪どうしても、水曜日は献立の第一日目になるので、分量的に多目とか少な目とかが出てしまう。すき焼きに入れる葱を水曜日の倍の量に。週の前半の豚肉の薄切りに比べると、どうも少な目な気がするのは、どうしてなんだろう?その分を玉葱でカバーする形になったけど。。。 歓喜の舞 目前に 優勝マジック、ついに1などと地元紙の社会面を賑わせている。。。 『阪神タイガースが28日、甲子園球場(西宮市)での巨人戦に快勝、リーグ優勝へのマジックナンバーを「1」とした。王座奪回目前の「伝統の一戦」とあって、甲子園は超満員の約4万7千人で膨れ上がった。阪神は29日も巨人と対戦、2年ぶりの優勝は目前に迫った』 何も知らずにいたら、テレビで中継があったんですねえ。優勝の瞬間を見逃してしまいました。阪神タイガースが見事に優勝を決めたんですね。おめでとうございます♪
2005.09.29
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今日の地元紙の『正平調』というコラムを読んでると、つくづく日本て。。。と考えさせられてしまう。その内容は。。。 『思わず自問自答してみる。彼女と同じ境遇で、同じ行動がとれるか。とてもとても、としか言いようがない◆一人でブッシュ米大統領への面会を求め続けるシンディー・シーハンさんのことである。軍曹だった息子はイラクで戦死した。それから1年余りたった今夏、彼女は大統領が夏休みをとる農場へ出向いた。「私の息子はなぜ死んだの?」。求めたのはその答えである◆断られると農場の前にテントを張った。「面会できるまで動かない」とひざを抱えて待った。その姿が報道されると、支持者が全米から集まりテントが増えていった。いつしかこの場所は、息子の名前をとって「キャンプ・ケーシー」と呼ばれた◆大量破壊兵器はなかった。旧フセイン政権と9・11との関係も確認できない。ではなぜ戦争に踏み切ったのか。なんのために息子は命を落としたのか。48歳の母親の問いは明快である。大統領は同情の念を表したが、それで彼女が納得するとはとうてい思えない◆おととい、ホワイトハウス前での反戦デモで逮捕された。連行の様子を紙面でみれば、微笑んでいるようにさえ思えた。こぶしを振りかざすわけではない。静かに、しかし、忍耐強く。その姿勢は「シーハン現象」と呼ばれる共感の輪を生んだ◆子どもへ寄せる情愛の濃さ、「なぜ」を問い続ける一途さ。彼女の行動には、ただ感じ入るばかりである。大統領は答えないのではなく、答えられないのかもしれない。彼女の微笑みは、ブッシュ政権に突きつけたい鋭い刃とも見える。』 和歌山で震撼とさせる事件が起こった。エアガンを改造して、実際の銃器と何ら遜色のない殺傷能力を持たせることが出来る、そんな部品が簡単に手に入るらしい。一体何が目的で、弾を放ったのか。。。 まさか、イラク戦争の影響がこんな形で出てきたとも思えないし、思いたくもないけど、正しい戦争なんてあり得ない。そのうち日本にも徴兵制がとられて、ある程度の年齢に達したら戦地へと駆り出される。。。なんて時代が来るかもしれない。「戦争反対!」を叫んだら逮捕される時代がくるかもしれない。なんてのは単なる考え過ぎであって欲しいけど、きな臭い分子は音も無く広がりつつありそうな。。。
2005.09.28
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なんていうタイトルを見つけたのは8月5日付け地元紙のくらし欄。からだについて扱ったページがあって、心筋梗塞や不整脈に注意という副題も付いている。そのまま引用させていただきます。 『中高年の登山ブームを反映して、40歳以上の山岳事故が増えている。中でも怖いのは生命にかかわるケース。夏山シーズン真っただ中。突然死の予防対策を中心に注意すべきことを、日本登山医学会員で東京女子医科大学総合研究所の橋本しをり助教授に聞いた。 ▽年1回は心臓検査を 心身のリフレッシュや健康づくりに人気の高い登山だが、中高年の登山社の死亡原因で、突然死は転落死に次いで多い。 「大きな原因は、心筋梗塞や不整脈などです。ほかに、くも膜下出血のケースもあり、登山中の事故の約1割は病気が原因になっています」と橋本助教授。 登山中に発症しても、救急車を呼ぶことができない。最悪の事態を招かないためには、まず予防を心掛けるべきだ。 「それには年1回、心電図と胸部レントゲン検査に加え、動くベルトの上を歩いて心臓の機能を見る運動負荷心電図の検査を受けるのが第一です。そして自分の健康状態に応じた登山計画を立てるといいのです」 登山計画は、地図やガイドブックを参考にして、ルートをイメージできるぐらいしっかりと立てることが大切。 ▽急がず、腹式呼吸で 日常生活では、通勤の往復は1駅前から歩く、主婦なら自転車を利用しないで遠くのスーパーまで歩いて買い物に行くなど、日ごろからよく歩くとともに、ストレッチで筋肉を伸ばして体調を整える。 「登山では、決して急がないように。会話を楽しめる程度の速度で、腹式呼吸をしながら歩くといいのです。腹式呼吸は、日ごろから習慣付けておくと自然にできます」 また、夏山で気を付けたいのが脱水。脱水状態になると血液が濃くなり、心筋梗塞や脳梗塞を起こす危険性が高まる。 「のどが渇いてから水を飲むのではなく、渇く前から少しずつ小まめに飲むことが必要。できれば、水よりもスポーツドリンクの方が有効です」 一歩ずつ頂上へと歩く登山だが、その一歩はすでに日常生活から始まっていることを念頭に置き、生活を楽しみながら予防を心掛けるとよい』 『◆「自分を生きる」 高齢化の進展とともに、10年後には2人に1人はがんで死亡すると予測されている。もしがんで倒れたら、どんな治療を選び、残された日々をどう生きるのか。 こんな重いテーマへの医療現場からの助言を、東大病院で緩和ケアチームを率いる中川恵一助教授が、恩師の養老孟司東大名誉教授とともにまとめた。副題は「日本のがん治療と死生観」で、2人の対談も含まれる。 延命率の向上に奔走してきた現代医療と、そこからこぼれ落ちた患者たち。そして普及しない痛みのコントロール。日本の医療が抱える問題を豊富なデータを添えて紹介。医師との上手な付き合い方も指南している。 巻末に緩和ケア施設を備える全国の病院のリストも掲載した。小学館刊。◆軽度脳卒中でも再発に注意 軽い脳卒中でも、その後10年間に再発する率が高いと、オランダ・ユトレヒト大学医療センターのアレ・アルフラ博士らが報告した。 同博士らは、一過性脳虚血発作(TIA)か軽度の脳卒中を起こした2400人余りを対象に、その後の経過を調べた。 約10年間に54%が脳卒中の再発か、心疾患など他の血管疾患を起こし、全体の60%は死亡した。再発や血管疾患を起こした時期は、最初の脳卒中発症直後が最も多く、3年後には一旦減り、その後に再び多くなった。 TIAは、脳梗塞のうち、脳の血管が詰まっても24時間以内に血流が回復するもの。 同博士は「TIAや軽度の脳卒中を起こした場合、継続的に医師の診察を受けるべきだ」と話している。』 『朝ご飯 食べたかな? 「物忘れ」にご用心 話を繰り返す、迷子になる… 年を取ると、誰にも起こる「物忘れ」。それが自然なものか、病的なものか、見極めるポイントを中心に東京医科大学老年病科の櫻井博文講師に聞いた。 テレビを見ていてタレントの名前が出てこない、漢字が思い出せない、料理中にはほかのことをしていて鍋の中の物を焦がすーといったことは、日ごろよく経験する物忘れの典型例だ。 「こうした物忘れは、まず心配ありません。注意を要するのは、(ア)、物事の全体を忘れる(イ)、物忘れを自覚していない (ウ)、物忘れが進行するーというケースです」と櫻井講師。 思い当たる項目があったら注意を ●朝食を食べたか思い出せない ●会話の中で同じことを何度も繰り返す ●同じ物を何度も買ってくる ●簡単な料理しか作れず、メニューが少ない ●家の近くで道に迷い、帰って来られない ●あす病院へ行くようにと何度もいわれたのに、 当日になると聞いていないと言い張る ●数年前に行った旅行のこと自体を忘れている 例えば、朝食で食べた物を1つ2つ思い出せなくても問題はないが、朝食を摂ったこととそのものを忘れてしまうようだと要注意。また、物忘れを自覚していないと、会話の中で同じ話を何度も繰り返す。物忘れの進行に伴い、熟知しているはずの道で迷ったりする。 注意を要する物忘れに気付いたときには、認知症を疑って、最寄りの物忘れ外来、あるいは神経内科や老年病科を受診するべきだが、問題は本人が自覚しにくい点。 「家族や周囲の人の協力が欠かせません。症状を年のせいにして、認知症を見逃さないようにしてあげてください」 中には、うつ病や硬膜下血腫など、治療できる病気が原因のケースもある。また、アルツハイマー病でも早期に発見すると、(1)、治療によって進行を遅らせられる(2)、本人や家族が準備を整えられる(3)、介護の負担が軽減できるーなどメリットは多い。』 何しろ8月5日付けの地元紙に載っていた記事なので、秋彼岸を過ぎた今文中の「夏真っただ中」という言葉には抵抗を感じてしまうけど、澄み切った青空に誘われて気軽にハイキングを楽しむときの注意点でもある様な気がして、敢えて引用させていただきました。 食数が週に2番目に多い火曜日。それでも悠に100は超えていたのに、今日は何と88食。入院された方、また悲しいけど他界された方も。彼岸を過ぎて朝夕は凌ぎ易さを飛び越えて肌寒いほどなのに、日中の暑さといったら。。。こんな時期は元気な人でも夏の疲れが出てしまいそう。どうぞ皆さんもご自愛なさってください。。。
2005.09.27
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献立は、茹で豚の胡麻酢かけ、南瓜と三度豆の煮物、ほうれん草のお浸し。添えの野菜はサニーレタス、果物はリンゴ。◆茹で豚の胡麻酢がけ。。。材料は、豚もも肉スライス、茄子、オオバ、土しょうが、葱、炒り胡麻。豚もも肉スライスは食べ易い大きさに切って熱湯にくぐらせ、冷水に取る。茄子は縦4つに切り茹でる。オオバは筋を取って3つに切り重ねて更に細切りに、葱は小口切り。土しょうがは皮を剥いてすりおろし、酢、醤油、みりんを合わせたところへ加え、炒り胡麻、オオバ、葱を合わせて多目にタレを作る。タレの一部に茹でて冷ました茄子を漬け込んでおく。◆南瓜と三度豆の煮物。。。材料は、南瓜、三度豆、平天。南瓜は種の部分をくり抜いて人数分に切り分ける。三度豆は1本を斜め切りにする。平天は4つ切りにする。熱した鍋に油を引き、南瓜と平天を炒め、出し汁、砂糖、酒、醤油、みりんを加えて煮る。三度豆は軽く塩茹でする。◆ほうれん草のお浸し。。。ほうれん草は葉の部分を2センチぐらい、茎の部分を1.5センチぐらいに切り揃え、流水にさらしてから熱湯に塩を加えて茹でて、冷水に取って水気を切る。みりんと醤油で合わ醤油を作り馴染ませる。盛り付けてから鰹節をかける。8つ切りにして皮を剥いて塩水にくぐらせたリンゴを置き、サニーレタスを敷いたところへ茹でた豚肉を。左の端っこに茹でて漬け込んでおいた茄子を。2番目には南瓜と三度豆の煮物を。献立に三度豆とあるのならもう少し三度豆が入っても良かったのかなぁ?平天を2切れ置いたところへ南瓜を置き、三度豆はいつもの様に飾る形で置いたけど、量的にはどうなんだろう?3番目にはほうれん草のお浸しを。上から鰹節をトッピング。メインが茹で豚とあったので、添える茄子を揚げるべきかどうか、さんざん迷ったけど、先週の後半に茄子の含め煮が入り、素揚げしたばかりなので、今回は茹でたのを胡麻酢に漬け込むことに。何しろ初めての献立なので、これが正解なのかどうか。酢としょうがが入ることで、夏にはぴったりのあっさり味にはなったけど、9月後半の献立としてはどうなんだろう。。。?というとほうれん草も本当は冬に美味しい野菜。実は青菜ということだったのを、急遽ほうれん草に変えただけ。先日の青菜が余りにも酷い状態だったので、ほうれん草の方がまだしもってことに。量が多い火曜日は先ずほうれん草から取り掛からないと、回転鍋がフル回転になりそうな。それにしても100をゆうに超えていた火曜日も、27日は88食にまで減ってしまった。皆さん、夏のお疲れが出たみたいで、入院されたり、風邪気味だったり。また元気に復活されることを願うばかり。
2005.09.26
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とても疑問に思えたのは、事務局からのアンケート。20日には母の妹の通夜に参加していたために「第九」の練習どころではなかった。ただ、9月6日には波浪警報が出ていたにも関わらず練習は行われたと聞いて本当に驚いた。私自身は6日の練習には参加しなくて本当に良かったと思った。練習が終わって帰る頃には横風が凄くて、危険極まりない状態になっていたから。また、別の箇所では陥没があって、別のルートでなければ通行不可能な状態になったとか。こんな危険な日にまで練習することに一体どんな意義があるのだろう?確かに、メンバーの殆どは洲本市内在住だから、波が高かろうが風がきつかろうが関係無いのかも知れない。 本番は12月4日。指揮者の先生が来られての特別練習は前日を含めて5回。この回数が多いのかどうか、本番前日の3日以外は全てが日曜日。毎週火曜日の練習に加えて、日曜日が加わるのは、正直きついものがあるけど、こればかりは仕方が無い。ただ、特別練習のうちの1日が楽しい方のコーラスグループの演奏会と見事にかち合ってしまった。そして、本番直前の11月27日は、亡父の命日に当たる。そして三回忌の法要となる。大事な練習日であることは確かだけど、私には亡父の三回忌の法要の方がもっと大事。すっぽかして練習になど参加する気にはなれない。おまけに、母の妹が他界したことで、母には忌みがあるとかで参加出来ない行事に代理で参加することになって、それが何と10月の2日。これは特別練習には遅刻してでも参加出来る可能性にかけたいけど、後の2回はどうにもならない。これで本番のステージへ立つことが許されないとしたら、練習に参加するのも馬鹿らしくなる。確かに淡路島では5回目の演奏会になるというのに私は淡路島では2回しか歌ったことがない。それでも、大阪に住んでいたときは、外山雄三先生の指揮のもと、大阪フィルハーモニー交響楽団演奏というスタイルで何度かステージには立った。この経験が無かったらとても「第九」を暗譜でなんて歌えなかったと思う。でも、「第九」というのは何度挑戦しても、奥深いものがあってその度に「新たな発見」がある。「初心に返れる」自分がいる。しかも、今回私には全く初めての朝比奈千足先生がタクトを振られるとあっては、初心者と全く同じ気持ちで挑戦せざるを得ない。そう思ったからこそ、経験者には「嘘つき!」と言われながらも初心者マークを付けて練習に参加していた。何しろ、淡路島で最初の「第九」演奏会が1984年なんだから、当然生まれていない人もいらっしゃるわけで、当時のことなど知る由もない人、学生だったから当然という人が何人か指導してくださっている。それぞれに、学生時代に経験されたことを存分に発揮しようと頑張ってくださるのは本当に有り難いけど、音楽大学の学生さんたちが歌う「第九」と、素人のただ、歌うのが好きなコーラスの一環として参加している人が歌う「第九」ではおのずと違うと思う。確かに、チケットを売って聴きに来ていただく以上は、無責任なことは出来ないのも事実だけど、波浪警報が出ていたにも関わらず練習を強行したことに、一体どんな意味があるんだろう。。。? 火曜日の練習も休みがちで、大きなことは言えないけど、ステージに立てないなら、この先練習を続けても意味が無いのかな?と。いずれにせよ、27日の練習でハッキリさせなきゃ。考えたら、最初に「淡路」じゃなく、「洲本」の文字にも驚いた私。南あわじ市民として参加するにはやはり無理があったのかな?「ステージに立たないで!」なんて言われるくらいなら、何だか馬鹿みたいに思えてくる。 本来、「第九」って、平和の歌なんですよね。それを災害復興に協力してくださった人への感謝の気持ちを歌うというなら、何か違うような。こんなこと考えるのなら、はじめっから参加するんじゃなかったかなぁ。。。
2005.09.23
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月曜日が敬老の日でお休み。しかも23日は秋分の日とあって、今週は3日間だけということで、幸い利用者さんもダブらないので3日間共通のお弁当ということに。献立は、魚照り焼き、茄子の含め煮、柚子しめじ。添えの野菜はレタス、パセリ。果物はバナナ。魚照り焼きに、海苔入りの出し巻き卵を。◆魚照り焼き。。。材料は、魚切り身。熱した天板にクッキングシートを置いた上へ魚を盛り付けたときの状態に並べて150度で15分焼いて更に180度にして2~3分。鍋に酒、砂糖、みりん、醤油を煮立たせて、水溶き片栗で少しだけトロミをつけたタレにくぐらせる。照り焼きとはなっているけど、使える機材がグリルしかないので、焼いたのをタレにくぐらせる方法に限られる。別添えの海苔入り出し巻き卵は冷凍のものを湯煎し、八つ切りにする。◆茄子の含め煮。。。材料は、茄子、ひろうす、絹さや。茄子はヘタを取り、縦二つ切りにして斜めに包丁目を入れながら二つ切りにしたのを水にさらしてアク抜きをして、水気を切って素揚げする。みりん、醤油でタレを作り、揚げた茄子を漬け込んで十分に味を馴染ませる。別の鍋にだし汁を煮立たせて、ひろうすを加え、酒、砂糖、みりん、醤油で味を整え煮含める。きぬさやは軽く塩茹でして水気を切る。◆柚子しめじ。。。材料はエノキ、しめじ、カイワレ、柚子。柚子は皮を削いで、更に細切りにする。実の部分を半分に切って汁を絞っておく。エノキは根の部分を外して3つに切り、茹でておく。しめじは小房に分け茹でておく。カイワレは根の部分を外して種の殻を洗い流し、2センチぐらいの長さに切り、熱湯をかけてしんなりさせておく。柚子の絞り汁、皮の細切り、みりん、醤油で味を整えたタレに茹でた材料の水気を絞って加えて混ぜ合わせる。メインにはバナナを置いてレタスを敷き、魚の照り焼きを置き、空いたスペースに海苔入りだし巻き卵を。更にパセリを飾る。2番目にはひろうすを一個。かたわらに茄子を置いて、絹さやを飾る。3番目には柚子しめじを。照り焼きに使う魚が先週同様鯵だったこと、茄子の含め煮と一緒に盛るのがひろうすだったことなど、食材が先週と大差無いのがちょっとどうかなぁ?と思いつつ盛り付けにかかる。確かに食材が同じでも味付けは。。。と、実はいなり揚げも、ひろうすも似た感じになるのはこれはもう仕方がないのかな?魚の場合、鯖アレルギーの人がいて選ぶのは難しいけど、鯵が続いたのはどうかなぁ。魚より肉が好き。なんて人にはたまらなかったかも。一人ひとりの好みに合わせるなんて不可能に近いことだけど、少なくとも、蓋を開ける瞬間は笑顔であって欲しい。柚子がアクセントにはなっているけど、どれもこれもみりんと醤油がベースになってるのはどうなんだろう?これは照り焼きに使う鯵が鶏肉になったところで似た様なものかな?
2005.09.22
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母の妹の訃報に気が付いたのは、数が多い火曜日の調理作業、盛り付け、包装が終わって配達に出る直前だった。利用者さんとの連絡用にとロッカーに入れておいた携帯電話にメールの着信案内の点滅。何だろう?兄からのものだった。母の妹が他界されたという連絡。数の多い火曜日だから家を出るのは正午前。今日は、ある人と連絡が取りたくて余裕を持って家を出た筈なのに、駐車場にはもう相棒さんと栄養士さんの車。いつもより早く家を出たのにこの有様。慌ててロッカーに荷物を入れて厨房へ入る。 兄からのメールが届いたのは午後1時前だった。既に調理作業を始めて数分経っていたし、携帯はロッカーの中だから、厨房に居た私が着信に気付く筈もなく、そんなわけで配達に出る直前にやっと確認出来た次第。兄はいつもこうだ。こんな大事な連絡なのに、どうして事務所へ電話して呼び出しじゃないんだろう。亡父のときもそうだった。古い携帯だから、メールの着信には全く気が付かずに配達に出たのだった。たまりかねた兄から携帯が。それでやっと父が息を引き取ったことを知った次第。それが午後2時45分だったから、既に3時間は経ってしまったことになる。担当の地区の配達を終えて急いで実家へ駆けつけても、一体今まで何をしてたの?という感じ。 まさか、あの叔母がこんなに早く逝くなんて夢にも思っていなかった。母が3回も股関節を入れ替える手術をしたとき、ずっと母についていてくださったのはこの叔母だった。本当によく働く人で、実家の農作業(玉葱の収穫作業)をよく手伝って貰ったものだった。結局最後にお逢いしたのは、3日の土曜日ということになるのかな?母と二人で、実は父の弟の奥さんを病院へ見舞った後にお宅へお邪魔して暫く話し込んだ、本当に久し振りの訪問だったのに、それが叔母の顔を見る最期の機会になろうとは。。。そして、12時間も経たないうちに、今度は父には弟の奥さんの訃報。母の妹の通夜の帰りにマナーモードにしておいた携帯に着信案内の点滅が。父の弟の娘さんからだった。あまり良い気がしなかったのは、実は朝、偶然にも仕事の関係で立ち寄った病院に入院していた叔母の容態について兄から怪しいと聞いていたから。 子供の頃、「バレンタインって、子供がお菓子をた~くさん貰えて喜ぶ日なんでしょう?」と言ってそれはそれは沢山のお菓子を抱えて我が家へ届けてくださったことがある。私たちは、大正生まれの両親にはお誕生日さえもろくに祝って貰ったことがないし、クリスマスのケーキだって登場することは無かったから、バレンタインにお菓子を届けてくださったこの叔母のことは、子供心に本当に嬉しかった。 バイクの転倒事故で入院生活を余儀なくされ、そのことが結局叔母の体力をも奪ってしまった気がする。5月に脳梗塞で入退院を繰り返し、結局は脳挫傷が元で息を引き取った叔父。その後はかなり痩せ細っているのが心配だったけど、叔父の初盆の法要を終えるのを待ちかねた様な入院だったけど、こんなにもあっけなく逝ってしまうだなんて。。。 一度に素敵だった母方の叔母、父方の叔母の一人ずつを失い、まるで呆然自失状態の私。。。暫くサイトには入れそうにありませんが、落ち着きましたらまたどうぞ宜しくお願いします。
2005.09.21
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眼科医院行きを1週間延ばしたらしい。電話をしてみて延期が不可なら電話して。と言っておいたけど、何の連絡も無いところをみると。。。まさかタクシーを呼んで。なんてことは無いと信じたいところ。 85歳になる母。敬老の日だというのに今年は何もしなかった。年齢的には確かに敬老に相応しい歳には違いないけど、やはり母は母。私には祖母なんて呼べない母だから、この「敬老」という言葉には凄く抵抗を感じてしまう。孫なら素直に「お祖母ちゃん」と呼べるだろうけど、私の場合両親のことも、こちらの義父母のことも勿論「お祖父ちゃん」「お祖母ちゃん」なんて呼んだことがない。自分自身がこうだから、例えば友人と話していて、「お父さん」と言われると、今でも果たして旦那様のことなのか、お父上のことなのか悩んでしまうことがある。 人にはちゃんとした名前が付いているのだから名前を呼ぶのが一番間違いが無くて良いのじゃないかと思うけど、やはり親子の間で親に対して名前では呼べなかったりする。 さて、今朝からお向かいの人が慌しくやって来てしきりに声を掛けて来る。台所で洗い物をしていた私は玄関に立つこともなく別に居留守を使うつもりはなかったけど、近所の人なら勝手口へ回るだろうと思ってたら、お隣の奥さんがこけて肩を脱臼したとのこと。で、私に整形外科医院まで送ってあげてということだった。慌てて用意をして家を出ようとしたら、結局弟さんに当たる方と連絡が付いたということで、私は不要となった。やれやれ。親子3人で暮らしていらっしゃっても、こうして隣家へ頼み込むことを思うと、つくづく一人暮らしの母は立派だなと思う。何でも一人でこなさなきゃならない。という事情も背景にはあるけど、余程のことが無い限り自分で片付けようと努力する。出掛けるのに必要ならばタクシーを利用して。この違いって一体何だろう?と、思うのと同時に、人など頼らずに一人で頑張っている母には改めて感謝の気持ちで一杯になる。 間も無く実家でも米の収穫を迎える。今年は近所の人に田植えから刈り取り、乾燥など一連の作業をお願いするのだとか。亡父が元気だった頃は、乾燥機を使って籾を乾燥させるなんてことを許す筈が無かったのに。バインダーで刈り取るのを兄に任せて、亡父は足場を組み立てて棹にかけて稲を干すのが当たり前で、このときは私も手伝いに行っていた。何日か干した後の脱穀作業なども手伝った。私が手伝えるのはここまでだったけど、やはり自然乾燥されたお米の美味しいこと。もう、あんな美味しいお米には出会えないのかな。と思うとちょっと寂しいような。。。
2005.09.20
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NHKの午後9時15分からの番組に出演されるというので、とても楽しみにしていた。 披露してくれた中で、大好きだというポール・サイモンの「サウンド・オブ・サイレンス」はグッチ裕三さんとのデュエットだったけど、まるでお二人がそのまま。といった感じ。 本来さださんが一人で歌ってるのを聴き慣れているし、何しろ大好きなさださんだから素敵だと思ってた「道化師のソネット」。。。氷川きよしさんと二人では歌って欲しくなかったなぁ。なんていうと氷川さん目当てでご覧になっていらっしゃった人には叱られるかな? それぞれが良い点を披露し合って、一人ずつ歌ってたシーンもあっただけに、さだファンの私としてはちょっと物足りなく終わってしまった。しかも「北の国から」は「あ」しか出て来ないけど、変にちゃかした様に扱われたのは心外だったな。間にフリューゲルホルンが入って、それはそれは綺麗な音だし、かなり熱唱されているのが伝わってくる曲なのに。。。そもそも声だって立派な楽器なんだ。ということを身を以って実践してるかの様な。 4チャンネルに切り替えると、(淡路島だから地区限定ということもあるのかな?)何か高い高い吊橋で幅45センチ、長さは私にはわからないけど、自転車で渡り切るという競技をやっていた。目も眩む高さ。普通の路面で45センチといえばかなり広いと思える幅だけど、あの高さでは無理! 自転車などは歩道が無ければ路側帯を走行することになっていて、例えば左側に大きな溝があったりすると怖い思いをしたことがある。溝があって、コンクリートの幅は一体何センチなんだろう?舗装面との段差があったりすると、これがまたたまらなく恐怖だったりしたことを妙に思い出してしまった。 中学、高校を通して6年間自転車にはお世話に。ある朝、前方からは牛乳のタンクローリー。下り坂でしかも私の直ぐ前を走っていた乗用車が急停車したものだから、行き場を失った私は思わず麦畑へとダイビング。高さは今日のテレビ番組の比ではなかったけど、あれが麦畑でなかったらどうなっていたんだろう?考えたくもないなぁ。。。
2005.09.19
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などというタイトルが目に飛び込んできたのは、実は14日付けの地元紙のニュース&ニュースというコラム欄。拙いサイトにも、少年野球に関係していらっしゃる方が何人か訪れてくださるので、ついつい目が行ってしまう。そのまま引用させて頂きます。 『プロ野球で今期話題になった「飛ばないボール」。一方、全日本軟式野球連盟は来年度から、「飛ぶボール」に公認球の規格を一新する。全面的な変更は55年ぶり。現行のボールではあまりにも得点が入らず、試合の躍動感に欠ける、というのが球界の悩みだった。百万人を超す競技人口がいる軟式野球界の活性化へ、関係者が新ボールに寄せる期待は大きい。 同連盟には少年野球から社会人まで、現在5万9715チーム、約100万人が登録している。非公式のチームや一般愛好者らを含めると、競技人口は2倍とも3倍ともいわれる。 「軟球」は全体がゴム製で中空になっているのが「硬球」との大きな違い。硬球に比べてけがなどの危険が少なく、子どもでも気軽に楽しめるメリットがある反面、打球が飛びにくいという問題に悩まされ続けた。長打はおろかヒットも少なく、レベルの高い大会になるほど得点が入らない。1983年の天皇賜杯全日本軟式野球大会決勝では、延長45回でようやく決着がついた。 ■ ■ 軟球は、対象時代に日本で誕生した。1950年に硬球の縫い目を模したデザインが登場し、同時に「ディンプル」と呼ばれる小さな円形のくぼみが表面をびっしりと埋め尽くす現在の姿になった。その後もくぼみを楕円にするなど改良が重ねられてきた。 しかし、今回の新型球の開発には大きな難題があった。 ゴムの反発力を高めるだけでは打球が高く弾みすぎる。軟式ではボールをたたきつけて走者を進める戦術が一般的で、その傾向を角に助長しかねないからだ。 そこで青木教授らが着目したのは、飛距離を左右する「空気抵抗」。青木教授はゴルフボールの設計も手掛ける流体力学の専門家だ。それらのノウハウを基に、研究や実験を繰り返し、くぼみの形や大きさ、配列、台形で丸みを持たせた縫い目など、飛びやすさと同時に変化球がかかりやすい表面構造を目指した。 ■ ■ 開発段階でモニターを務めた社会人の強豪・大阪市信用金庫の三宅秀和監督は「2年前に新型の飛ぶバットが登場してから、ランナー三塁でヒットエンドランをかけるような軟式特有の細かい戦術が減った。それがさらに攻撃的になるのでは」とみる。 夏の全国高校軟式野球選手権で日本一に輝いた神港学園高でも、今月に入り、新チームが初めて新ボールを試した。 打撃練習で快音を響かせた黒木雄太選手は「今までなら外野に飛ばない手応えの打球が外野まで伸びてびっくりした」。中西一聡監督は「打球が飛ぶようになれば、面白みが増し、競技人口も増えるのでは」と話す。 同連盟によると小学生の登録チームは、1981年度の約2万1千が2004年度には約1万5千まで減った。 公認球を製造するメーカーの期待も高まる。全国5社のうち明石市に本社がある2社に聞いた。 内外ゴムの黒田啓介スポーツ用品グループ係長は「軟式野球を楽しくしていこうという狙い。利用者にはおおむね好評」。ダイワマルエスの松田剛営業部長は「少子化でチーム数も減ってきた。飛ぶボールで軟式野球の一層の盛り上がりを期待したい」と話している。』 軟式野球に使われるボールには、「飛びにくい」という欠点があったことなど全く知らなかったけど、「飛ぶ」ということになると、益々快音ラッシュに沸くことになるのかな?投げて打って。。。投げる方にも一工夫が要りそうな。。。 また、16日付地元紙の地域欄には、生涯スポーツに格闘技をなるタイトル。更に「気軽にのぞいて」なんて書かれているので、そのまま引用させていただきます。 『昨年までプロボクサーとして活躍した神戸市中央区の三宅一広さんがこのほど、同区北長狭通5に格闘技ジム「フォー・オール・ボクシングコミュニティ~すべての人のために」を開いた。選手の育成ではなく、子どもからお年寄りまでが生涯スポーツとして楽しめるタイプのジムで、同市の支援も受けて実現。「個々の目標に合わせてサポートし、感動と生きがいを味わってもらいたい」と話している。(松本寿美子) 三宅さんは大学時代に京都市内のジムでボクシングを始めた。卒業後は会社勤めの傍ら、神戸市内のスポーツ施設を借りて練習相手を募りながら選手生活を送った、次第に施設には女性も含めて初心者らが集まるように。2000年にはサークルも結成し、アマチュアも初心者も交じって合宿などのイベントを重ねた。 「試合にも100人を超える人たちが応援に来てくれた。リングに立てたのは、みんなのおかげ」と三宅さん。01年には日本プロボクシング西日本新人王ミドル級1位に輝いた。 ジム解説は、その恩返しという。昨年6月に退社し、神戸市などによる「神戸挑戦企業等総合支援事業」の認定を受けて準備を進め、正式オープンにこぎ着けた。 ジムは、格闘技ジム特有の「薄暗い」「汚い」といったイメージを一掃し、白を基調にしたカフェのような雰囲気にした。キックボクシングも楽しめ、練習は出入り自由のマンツーマン制。三宅さんら約5人が指導に当たる。このほか、世代ごとや障害がある人のためのプログラム、地域に出向く体験講座も考えていくという。 三宅さんは「足を踏み入れやすい雰囲気だと思う。気軽にのぞきに来てほしい」と話している。月会費は一般1万円。高校生7千円など。同ジム電078・371・8298』 格闘技というと、ちょっと荒っぽい気がするけど、一歩家を出ると何が起こるかわからない現代。やはり、ここは自分の身を守るためにも必要なのかな?それにしても「日曜洋画劇場」に出て来た、中国女性の捜査官(?)のカッコ良かったこと。相手にひるむことなく挑んで行くなどというのは勿論日頃の鍛錬の賜物だと思うけど、実地でこういうことに生かせたらどんなにか素晴らしいと思う。
2005.09.18
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と題して16日付け地元紙の地域経済欄に子どもらに農業体験 行政、家庭などの連携必要と書かれた記事を発見しましたので、そのまま引用させていただきます。 『健康の基礎となる「食」の教育を推進する食育基本法が7月に施行され、食の原点を知る農漁業体験や、食生活に関する教育などの取り組みが各方面で始まっている、食の情報がはんらんする中、健康を守る食習慣を子どもが身につけるには、関連機関と家庭、生産者の連携が不可欠。食育の環境づくりを勧めるための予算確保も課題となりそうだ。(辻本一好) 「皆さんが食べるトマトはまだ青いときに収穫したものが多い。でも本当は、真っ赤で実が割れているのが一番おいしいんですよ」 夏休みに兵庫県美方郡温泉町で兼などが開いた「自然体験ファーム」。丹土集落営農組合の中井祥三さんの話を聞き、小中学生たちが畑で完熟トマトを探す。形は良くないが、ぎっしり詰まった実にかぶりつき、「これなら食べたい」と声をあげた。 「どこに売っているんですか」などと質問を受ける中井さん。「ここは夜が涼しいからおいしい野菜ができる。食べ物を通じて農業や環境の大事さに気付いてもらえればうれしい」と語る。 本年度から始まった自然体験ファームには漁業での地引き網や捕れたての魚を子どもたちが調理する実習もある。食べ物と、それを生み出す農山漁村をより深く知ってもらう狙いだ。 不規則な食事や栄養の偏りによる肥満や生活習慣病の増加、食料の海外依存や安全確保…。食の課題が山積する中、食育基本法は健康に一生を送るための「食」の重要性を社会全体で教えることを目指す。 その意味で、家庭や地域、生産者などとの連携は不可欠。食育の推進計画は県や市町が担うため、効果的な食育を進める環境づくりは自治体の意欲次第となる。 件は、小学生や二、三十代を対象とした食生活教室(県健康生活部)や、食育のあり方検討委員会の設置、モデル校指定(県教委)などの新事業も始めた。複数の事業が同時進行してはいるが、学校給食など担当する現場が重なることも少なくない。授業と給食などを連動させながら食育に取り組む栄養教諭の免許制度もできたが、県内での導入はまだ。行政の縦割りを越えて総合的な取り組みが求められる。 「本物を味わい、自分で調理することで子どもたちは食の意味に気づき、食べる楽しさを身につける」と話すのは、農漁村での小中学生の食育体験を実子している県子ども会連合会の速水順一郎事務局長。行政や生産者、家庭がひとつになった食育環境が広がることを期待している。』 また、その記事の直ぐ横には「旬な人びと」というコラム。6集落で大規模法人として、こんな風に紹介されていました。 『加古川市八幡町の6集落で5月、農事組合法人「八幡営農組合」を発足させました。642戸のの農家が参加し、100ヘクタールの水田を受託経営します。県内でも最大規模で県外からの視察もよくあります。 転作の拡大に比例して放棄田が増え、いい田んぼも荒れだした。何とかせねば…。と近年、八幡町内でも相次いで集落が営農組織を立ち上げました。 農業が共同作業する集落営農は県内で20年以上前に始まり、私たちは大変遅い方です。ところが国の補助金は年々減っていて「最終電車に飛び乗ったものの余裕もできずつぶれてしまうのでは」との不安がありました。行政やJAにも相談し、国の進める広域化・法人化を検討し、「今度は一番電車に乗ろう」と旧村単位の法人化に踏み切りました。 経営は、麦茶用の大麦が52ヘクタール、稲は35ヘクタール、ソバ2ヘクタール、野菜が7ヘクタールぐらい。このほか稲作の作業受託があります。専従の2職員のほか6集落の農会長が作業。約50人のパートも登録しています。 法人化するとまず社会の見方が違ってきますね。新聞でも取り上げられ、企業からソバや豆の相談が来ています。労災、健康保険などもきちんとしているので、一番の難題だった若い人の関心が高まり始めたのがうれしいですね。 以前は「補助金のために転作しておれば」という感じでした。今は、人を雇うだけの収入を上げなければなりません。それだけに農業に関することは何でもやろうという意識に変わりました。 最も力を入れたいのが学校などの地域内施設の給食への食材供給。農産物加工グループの活動も始まり、加工施設の計画も進んでいます。外から作る様子を見えるようにしたり、子どもたちが遊びに来ることができる場所にしたい。市には食や農業のことにもっと力を入れてほしいですね。(聞き手・辻本一好)』 ここで出てきた国からの補助金という言葉。。。実は農家の嫁としてはちょっと耳が痛い言葉だったりする。 減反政策が始まったのはあれはいつの頃からだろう。米を作っても出荷出来ない有様。米を食べる量が大幅に減って、米余り現象が出てきて、耕地面積の何割までしか米を作付けしてはいけなくなり、実質作付けすれば収穫出来たであろう金額の1割にも満たない補助金。米など作っても小規模農家では何の収入にもならない。しかも年のうち1日しか使わない田植え機。トラクターなら、野菜を植えるときなどにもフル稼動だから、これは必需品だとしても、農機具によってはたった1日しか使わなくても、共同で購入すると兼業農家同士なら使いたい日が休日に集中してしまうので、結局1戸に1台は必要ということに。収穫に使うコンバイン。籾を乾燥する乾燥機。これだって結構高価な機械だったりする。また、乾燥機を設置したり、農機具を保管する農業用の倉庫だって必要になる。 我が家の場合、夫が会社員だからこんな農機具や倉庫を建てることが出来たと思う。かといって、専業にするほどの耕地面積も無いし、実際農業収入というのはお天気任せで、全く安定性が無い。夫の年収に見合うだけのことを農業で得ようとするとなったら一体どれほど大変なことになることか。 近所で専業農家なんて皆無に等しい。大抵ある程度の規模の酪農を行っていたり、それでも息子には会社勤めをさせている場合が多い。農業収入だけではとても食べて行けないのが事実。このことも、何だかなと思えてしまう。一生懸命に、しかも半年ほどもかかって米を作っても売るときの値段たるや、消費者には嘘みたいな安値。勿論品質にもよるけど、30キロ入り1袋が6000円ならまだ良い方。台風で稲が倒されたりしたときは、尚更品質低下は避けられない。実際、収穫するまでわからない。というのは本当に頼り無い話。これが会社員だと月々のお給料にそんなに開きは無いのに。だから、放棄田が増えるのも無理からぬこと。 目先の収入に目がくらんで。と言うわけではないけど、実際食べて行くためには何がしかの収入は必要だし、子どもができれば教育費だってかかる。そのためにもより安定した収入を得たいと願うのは決して浅はかなこととは思えない。 農業に魅力を見出すには、やはり企業化も一つのプランだと思う。圃場整備を進めて、やがては農業に従事できる人が農業を。会社勤めがある人にはそちらで頑張ってもらう。。。食糧自給率が先進国の中でも最下位に等しい現実。国土の7割が山というのでは耕地面積にも限りがある。それでも放棄田が多いというのは。。。?もうちまちまと一戸単位で考えていたのでは、大規模農業が当たり前の国に太刀打ち出来る筈がない。自分の口に入るものはやはり安全な物を選びたい。そう思うと、やはり身近な所で生産された物が一番な気がする。
2005.09.17
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16日付けの地元紙の地域欄、トーク&トークで『特別支援教育の落とし穴』として、精神科医の石川憲彦氏を紹介する、こんな記事が載っていましたので、そのまま引用させて頂きます。 『障害児教育が「特殊教育」から「特別支援教育」に変わった。対象は、従来の障害から、LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)、高機能自閉症、アスペルガー症候群など発達障害まで広がっている。 LDやADHD、高機能自閉症、アスペルガー症候群は、今春施行の発達障害者支援法で、障害者に位置付けられた。例えばLDは聞く、話す、読む、書くなどの能力のうち特定のものの習得が著しく困難な状態をいう。いずれも知的な遅れはないが、言語によるコミュニケーションが難しいのが特徴といえる。大人の規範を窮屈に感じやすいなどの特性もある。 なぜ、今、発達障害がクローズアップされているのか。かつての農業社会では身体障害者が苦しんだ。工業社会に移り、知的障害者の問題が大きくなった。今、日本は情報産業社会になりつつある。発達障害者は、この社会になじめず、失業したりしやすい。実態を無視し「犯罪予備軍」とみられる傾向がある。一方で天才もいる。社会の防衛手段として、これまでの障害児に加え、発達障害がある子どもも支援する特別支援教育が生まれた。一定の基準からはみ出す子どもを見つけ、専門家らも加わって方向付けをしていく。 人は互いに迷惑をかけながらしか生きられない。今のあり方は、共に生きる方向から離れていっている。 ただ、情報産業社会は、人間のことだけを考えており、農業社会や工業社会より早く崩れていくだろう。そのルールに巻き込まれないようにしなければならない。 日本の特別支援教育のモデルはアメリカ。アメリカでは発達障害の割合が日本より高い。小泉首相が目指す「小さな政府」は、発達障害者をじゃまものとみなす。特別支援教育は小さな政府、競争社会の流れの中で、排除の論理として働いている。それを変え、共にくらし助け合うことを学校に取り戻さなければならない。 (8月21日、神戸市で開かれた「障害児を普通学校へ第12回全国交流集会in兵庫」で)(まとめ・網 麻子) [メモ]…1946年、神戸市生まれ。東京大学医学部卒。東大病院で小児科医、精神科医を務めながら、「医療と教育を考える会」で活動。2004年、東京都に「林試の森クリニック」開業。』 人として生まれたからには誰もがなくてはならない人の筈なのに、発達障害者をじゃまものとみなすという小泉首相の「小さな政府」的考え。何だか、今の日本のありようを物語ってる気がして、寒気を覚えたのは私だけではないと信じたい。共にくらし助け合うことを学校に取り戻さなければならない。将に仰る通りだと思う。
2005.09.16
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週明けが「敬老の日」ということで、今週の後半の献立はいなり寿司がメインということに。いなり寿司に細巻き(エビマヨ、梅しそ、おしんこ)いつものお弁当箱のご飯が入る部分に詰めることにして、おかずは、魚の塩焼き、煮しめ。添えの野菜は魚の塩焼きにキャベツ、すだち、大根おろし、プチトマト。果物は白桃缶2分の1切れ。◆いなり寿司。。。いなり用の揚げを対角線に切って中を開いた状態で熱湯にくぐらせて油切りをし、出しに酒、砂糖を加えて煮立たせ、揚げを加えて、一煮立ちしたら、醤油、みりんを加えて味を調えじっくりと煮込んで十分に味を馴染ませる。こんぶを入れて炊き上げたご飯を半切りに移して合わせ酢を回しかけながら切る様に混ぜる。酢飯が冷めたところで炒った胡麻をまんべんなく混ぜ合わせ、揚げに詰める。◆細巻き。。。材料は、寿司用に加工されたエビ(予め尾を外しておく)、たくあんの細切り、オオバ、梅肉、手巻き寿司用の海苔。合わせ目になる部分を控えて酢飯を乗せ、酢飯の中央にたくあん、またはオオバと梅肉、またはエビとマヨネーズを置き巻き簾を使って角を付けながら巻く。一人にそれぞれ1貫ずつなのでそれぞれの長さが揃う様に、三種類を並べて一気に切り分ける。◆魚の塩焼き。。。材料は魚切り身、大根、すだち。魚は業者から届いた時点で塩加減をみて、足りないようなら塩をまぶし、熱した天板にクッキングシートを敷いて150度ぐらいで10分加熱し、更に温度を上げて焦げ目をつける。大根は皮を剥いてボールの上にザルを置いた中へすりおろし、水気がある程度切れる様にしておく。すだちは絞り易い様に、横から半分に切って4つ切りにする。◆煮しめ。。。材料はえび、高野豆腐、小芋、絹さや。エビは背わたを取って、塩茹でする。絹さやも塩茹で。高野豆腐は水で戻して、流水の中で絞り、4つ切りにする。出し汁に砂糖、みりん、醤油を加えて煮立て、高野豆腐を加えて中火で煮込む。味が馴染んだらバットに取り出し、小芋を加えて煮る。キャベツを置いて魚の塩焼きを盛り、空いたところへ大根おろし、すだちを添え、プチトマトを飾る。2番目には斜めに切った高野豆腐を向かい合わせに置き、塩茹でしたエビ、小芋を。最後に絹さやを飾る。いつもお漬物を入れている部分に金時豆を湯煎したものを置き、果物の白桃はいつも3番目の部分に。普段ご飯を入れている部分の上側にいなり寿司を3貫斜めに置き、ハランで仕切った下の部分に細巻き。空いたところへハランで巻いたガリを添えて出来上がり。水曜日も木曜日も食数が少ないからこれでいけたけど、さて、数が多い金曜日は。。。いなりだけでも300個余り。考えるだけでも気が遠くなりそうな。30人見当でいなり用の揚げを50枚用意したから、出来上がったいなりは100個。これはよほど段取り良くしないと、盛り付けにも結構時間がかかる。ただ、いなりに使う寿司飯の量は大体30グラム。味をつけた揚げの煮汁を絞り過ぎても揚げが固くなってしまうし、味もイマイチだったりするし、酢飯が多過ぎても揚げ本来の味が薄まったりして、この加減が微妙に違う。昨日と今日の味の違いは、もしかしたら揚げの煮汁を絞り過ぎたこと、寿司飯を少しだけ多目に入れたせいもあるのかなぁ。手の感覚だけが頼りの寿司飯の量。。。明日はボランティアさんが3人も来てくださるのは良いけれど、不揃いのいなりが出来上がってしまったら、何としよう。。。 数の多い火曜日、金曜日はボランティアさんが入ってくださるのは良いけれど、明日の場合、寿司飯を冷まさなくてはいけない関係もあって、いつもの時間より1時間遅目にお願い出来ないものかと事務所にかけあったけど、それはまかりならん。とのこと。こちらの都合などまるでおかまいなし。当初からこのことについては私たちの不満は募る一方。社会福祉協議会というのはボランティアを養成するのも一つの仕事だというけど、私たち、厨房職員としては、ボランティアを養成するために雇われたつもりなどさらさらない。養成したいなら、事務所の人がおやりになればいいことなのに、1時間遅い目に来ていただきたい!とこちらからお願いしても、まるで聞く耳を持たない。コレって一体。。。?しかも、「何もすることが無いなら、厨房の中で休憩でも何でもして貰ってください」などと仰る。休憩しかすることないと分かっててこちらは時間を1時間ゆっくり目に。とお願いしているというのに。厨房の中へ3人も入られて、しかも手持ち無沙汰なんてことになったら私たちだって、くつろぐ気分にもなれない。だから、「休憩するなら事務所でお願いしたい」と申し出ても、コレも駄目。一体、何の為のボランティアなんだか。献立によって、忙しかったり暇だったりということがあって、だから予め手持ち無沙汰になるのが分かっているときには、時間をずらせて欲しいとお願いしても駄目。「次、何しましょう?」、「次、何しましょう?3人来られて3人からこんな風に言われても、こちらにはこちらの段取りがある。レシピを見て今どんな作業が必要なのか。なんてまだまだ判断出来ないでいる。ハッキリ言って迷惑以外の何ものでもない。4町が合併して、何もかも足並みを揃えようとしたいのはわからないでもないけど、じゃぁ、今までやって来たことは何だったんだろう?ボランティアさんなんか頼らなくても私たちが少し早目に出勤すれば良いことなのに。 昨日は週の後半の献立の初めての日だったし、いなり寿司ということもあって、寿司飯を冷ますなど時間の見当が全くつかなくて、いつもの時間より早目に厨房へ入ることに。おまけに事務所から一人が手伝ってくださることになったから、随分早い目に出来上がった。こちらからお願いしたつもりはないのに、今日も私たちが厨房へ入って直ぐに来られたので、丁重にお断りして、「忙しかったら言ってね」で終わってたから、それで済んでたと思ったのに、「(人手が)要らんのやったら要らんて言ってもらわないと。こちらも段取りがあるのに!」なんて吐き捨てる様に仰る。事務の人の仕事の内容なんてこちらは知ったことじゃない。確かに、時間がかかりそうなことは厨房からいつ声がかかるかわからないとなれば手が付けられなかったかもしれない。こちらとしては事務の人なんか頼りたくないのが本音。忙しいのにと思われるだけでも嫌だし。値打ちを持たされるのもたまらない。それなら3人でやってやろうじゃない!と私たちが思うのも無理からぬこと。お手伝いを頼みはしたかも知れないけど、3人で仕事が完了したのなら、あんな言い草は無いと思う。本来なら「3人でよく頑張ったわね~」と労いの言葉があってしかるべきではないかと思う。厨房のことが気になって仕事も捗らなかったなんて、言い訳に過ぎないのじゃないかな。お茶を飲みながら携帯は掛け放題。一体どんな仕事をしてんだか。と、思いつつも忙しいのだろうから、手を煩わせてはいけないと、こっちはこっちで気を遣っているというのに。 何でも、自分本位に物事を考えてしまう人って、悲しいね。だから、善意の気持ちで差し出してくださった栄養ドリンクを一も二も無く断ってしまう。なんてことが出来るのかな?ああいう人にはなりたくないなぁ。。。
2005.09.15
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『全長170メートル!「日本の四季」』というタイトルが目に飛び込んだ。14日付け地元紙の地域総合欄で紹介されていた記事をそのまま引用させて頂きます。。。 『日本の四季のうつろいを表現した全長170メートルの巨大画が、愛知万博のささしまサテライト会場(名古屋市)に出展されている、地球温暖化の影響で失われつつある自然美を残そうと、三田市小野の画家三谷祐資さんが、全国の山や名所に数え切れないほど足を運び、17年がかりで完成させた。「日本の自然の素晴らしさを再確認してほしい」と訴える(斉藤絵美) 三田の三谷さん作、愛知万博で展示 作品は、縦2.4メートル、横4.8メートルのパネルを35枚つなげた。春は桜が舞う四万十川、夏は新緑の乗鞍岳、秋は岩手山や磐梯山などの紅葉、冬は冠雪の富士山などをモチーフにした。合成樹脂の質感を生かした独自の絵の具で描いた。 巨大画制作のきっかけは、1988年に見た秋の風景。色のさえない紅葉、色付く前の落葉…。「四季の移り変りがおかしい。温暖化が進んでいるのでは」と気付き、全国各地を見て回るようになった。98年から、最も印象に残った四季の場面を描き始めた。 当初は全長120メートルを予定したが、春夏秋冬だけでなく雪解けや梅雨など季節の変わり目を描くうちに、どんどん長くなった。完成間近の昨夏、知人を通じて万博出展の依頼があり、「自然との共生をうたう万博のテーマにぴったり」と引き受けた。会場の広さの関係で、6月までは冬と春を、現在は夏と秋の作品を展示している。 三谷さんは「多くの人に見ていただき、温暖化を止める一役を担えれば」と話している。25日まで。入場無料。』 昨今、色付く前に枯れて落ちてしまう葉っぱが多いことに気は付いていたけれど、やはり地球温暖化の影響が否定出来ないのかな。秋に咲く桜も多くなった気がする。今、私に出来ること。。。勿論健康のためにも早寝早起きが一番だったりするのかなぁ。オイルショックの頃には節水に始まって、省エネという言葉がもてはやされたのに、いつの間にやら姿を消してしまったし、省エネを謳った電化製品…特に、冷蔵庫なども実際の数字は。なんてことがあるらしいし、手軽に出来る省エネといえば、やはり早寝早起きということになりそうな。。。
2005.09.14
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8月16日はお盆ということもあって、練習が休みだった「第九」。翌23日、30日と体調不良で休んでしまい、9月に入って6日はご存知の通り淡路島には波浪警報が出ていたので、てっきり練習は休みだとばかり思っていた。それでも問い合わせされた方がいらっしゃって、練習は行われたらしい。驚いた。練習なんかに参加していたら、とても帰宅出来る風じゃなかった。市民会館を出て10分で帰宅出来る人は良い。車を走らせること20分余り。。。それも制限速度をかなりオーバー(ここだけのハナシ)してのこと。もっと遠くから練習に参加している人もいらっしゃるというのに。。。 先週練習を休んだからと、印刷出来上がったポスターとチラシが用意されていた。で、また驚いたのは「洲本 第九」の文字。市外から参加している人はどう思っただろう。阪神・淡路大震災で被害を蒙ったのは、何も洲本市だけのことではない。小さく小さく、阪神・淡路大震災10周年記念事業の文字。確かに副題としては「災害からの復興 全国に感謝の響きを」と書かれてはいるけれど。。。恐らく、この「災害」というのは昨年の台風23号による被害のことだと思う。けど、「復興」とは程遠い地区がまだまだ淡路島にはあるのに。洲本市の人には洲本市以外の淡路島の状況が全く見えていないのかなぁ。 確かに、この「第九」合唱団の結団式があったとき「洲本 第九」の文字に憤りを感じたのは私一人ではなかっただろう。現に練習に参加されているのは洲本市外からも大勢いらっしゃるのだから、どうして「洲本」に拘るんだろう。イベントとしては洲本市民会館の閉館が決まり、その最後にということで「第九」の演奏会が予定されたのだとか。 淡路島には悲しいかな自前のオーケストラではとても「第九」演奏会にはならない。ソリストだって然り。指揮者だって然り。そこで一体どういう依頼の仕方をしたのか本当に残念でならないのが、まるでぶっつけ本番に等しい様な演奏会。前日のリハーサルもなし。当日にゲネプロ・本番を迎えるのだとか。これには本当に驚いてしまった。 現在、「第九」を歌うのは全く初めて。という団員は一体何人いらっしゃるのか、私にはわからないけど、オーケストラの演奏があって、ソリストの部分があるのだから、ピアノ伴奏でパート練習だけをしていたのではとても歌えるものではないと思う。 明石海峡に橋が架かっても、移動にはかなりの費用がかかってしまう。オーケストラの様に大人数で前夜からとなると、宿泊費も相当なものになるだろうし。。。でも、そんなことは初めっからわかっていたことなのに。 私自身はもう20年余りも前になるけど、参加していた堺フロイデ合唱団では、7月か8月に行われる夏の演奏会が終わってから年末の「第九」演奏会に向けての練習が始まっていたけど、必ず秋の一日、前夜から翌日の丸一日をかけて合宿があったり、日曜日は指揮者の指導日に充てられていたし、大阪府下にあるフロイデ合唱団による合同練習なども行われていたものだった。タクトを振られる先生やソリストが共通していたからこそのことだったかも知れないけど。確かに電車を乗り継げば大阪府下はもとより、確か神戸フロイデ合唱団からも合同練習には参加されていた記憶がある。しかも、12月20日(火)午後7時開演が予定されている神戸フロイデ合唱団の「第九」演奏会の指揮者は私が大好きな外山雄三なのだとか、実に羨ましい。これは聴きに行かない手はないかな? 現在、淡路島で「第九」の指導を担当してくださっている先生方にも多分私が外山先生に惹かれる様にそれぞれの思い入れがあると思う。楽譜には書かれていても、指揮者によって本当に表現が変わったりする。ドイツ語の発音にしても、外山先生がずうっと大切にしていらっしゃったこととは全くかけ離れてしまっていたりする。コレってどうかな?と思いつつ、そこは今の指導者に頼るしかないのだから、私が「外山先生はこうだった!」なんて言うつもりは微塵も無いけど。ただ、たかだか3回ぐらいステージを踏んだからと、「第九」を歌いました。なんて顔をして歌っていることは本当に怖いことだと思う。私自身は、毎回毎回初心に返ったつもりで練習には臨んでいるつもり。それでもステージに立つ度に新しい発見があった。何回歌っても初心に戻れる曲でもあるから「第九」って凄いと思う。。。それにしても、オーケストラと一緒に練習する時間が少ないのはどうしたものなんだろう。「第九」のCDを聴きながら練習してみて。とは仰るけど、指揮者によって微妙に違う表現をどうやって学習しろと言うのだろう。全く無謀としか言い様が無いし、自主講演実行委員会の面々は一体何を考えているんだか。。。しかもこれでS席に3000円を取ろうというのだから、厚かましいにも程がある。まぁ、殆どをオーケストラの皆さんと、指揮者、ソリストに支払われてしまうのだろうけど。。。エッ?1枚3000円のチケットは、ステージに立つ人が負担して、聴くというより、ステージに立った姿を観て頂く?所詮田舎の演奏会なんですね、これでは。。。
2005.09.13
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献立は、牛肉柳川風煮、イカとブロッコリーの炒め物、三度豆胡麻和え。添えの野菜はレタス。果物はメインが煮物なので付きません。ただ、牛肉柳川風煮には、貝柱フライを二個ずつ。◆牛肉柳川風煮。。。材料は、牛肉、牛蒡、人参、三度豆、卵。牛蒡は皮を剥いて酢水から茹であげたのを薄い斜め切りにし、更に細切りにする。人参は皮を剥いて短冊切りに。三度豆は斜め切りに。牛肉は食べ易い大きさに切る。卵は割りほぐしておく。熱した鍋に油を引いて牛肉を炒め牛肉の色が変わり始めたら人参、牛蒡を加えて炒め、酒、砂糖、醤油、みりんで味を調えながら煮る。十分に火が通ったら、三度豆をまんべんなく散し、溶き卵をかけて中火で加熱する。◆イカとブロッコリーの炒め物。。。材料はロールイカ、土しょうが、葱、しめじ。ブロッコリー。冷凍のロールイカは水の中で解凍してから、斜めに包丁目を入れて食べ易い大きさに切り揃える。土しょうがは皮を剥いて細切りに。葱は2センチぐらいの長さに切り揃える。しめじは石突を除いて小房に分けておく。ブロッコリーは一口大ぐらいの房に分けてさっと塩茹でする。熱した鍋に油を引いて、土しょうがを加え、ロールイカを炒め、シメジ、葱の順に加え、塩、コショー、コンソメ顆粒で味を調え、火を止める直前にブロッコリーを加えてさっくりと混ぜる。◆三度豆胡麻和え。。。冷凍の三度豆は2センチぐらいの長さに切り揃えて塩茹でしておく。胡麻を炒ってすり鉢であたり、みりん、醤油を加えて味を調え、塩茹でした三度豆を軽く絞りながら加えて味を馴染ませる。レタスを敷いて牛肉柳川風煮を盛り、左側にアルミカップに入れた貝柱フライを。あくまでもメインは牛肉柳川風煮なので、貝柱フライは斜めになる感じに正面から見たときに幅を取らない感じに入れる。2番目にはイカとブロッコリーの炒め物を。イカの白と、ブロッコリーの鮮やかな緑をバランス良く盛り付ける。3番目には三度豆の胡麻和えを。今日の柳川風煮は卵を一人半個の割合で使ったけど、もう少しあった方が柳川風っぽくなるのかなぁ。牛肉と卵だから、かなりカロリー多目になってしまうのかな?溶き卵を入れたら静かに、静かに優しく加熱しつつ、全体にまんべんなく卵が行き渡る様に。。。今日の食数は40食。回転鍋を使うと深みがあって、中まで卵を行き渡らせるのはなかなか難しいものが。当初、貝柱フライの仕切りにもレタスを使う予定だったのを、どうしても煮物の汁が入るのでアルミカップに入れることに。三度豆は一口で食べ易い長さに切り揃えて、少々短めでも良いと思う。胡麻をたっぷりと使ったので香り良く仕上がった。 昨日は全く気が付かなかったヒガンバナ。実は今日は申請しておいた、「調理師免許証」が届いたというので受け取りに行く道すがら畦に何やら赤い物を見つけて、それがヒガンバナの蕾だった。続けて車を走らせていると、もう既に咲き始めた感じで並んでいる。それで慌ててTOPを飾る画像を昨年しまちゃんが届けてくださった「ヒガンバナ」の画像に交換。 猫にはもう寒いのかどうか、お気に入りだった筈の石灯籠にはいつとなく現れなくなってしまって、流石に蝉の声も聞くこともなく、間も無くお彼岸だったんだ。と改めて感じずにはいられない。暑い暑いと思っていても、昔の人が仰った様に、「暑さ寒さも彼岸まで」。。。とは本当なんだ、と。ただ、中国で猛威を振るっている15号台風は日本に蒸し暑さを運んでくるとの噂ですが。。。やはり、突然肌寒く感じる日がやってくるのかなぁ?
2005.09.12
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何故か今朝になって沢山の花を見つけて大喜びしています。いよいよ今年最後かな?と思わせるアサガオ、それから先日の大雨ですっかり流されたとばかり思っていた、オジギソウ。。。見事に復活です♪アサガオなども種類が色々あるみたいですが、今日は曇り空のせいか、この時間になっても咲いています。恐らく、今年最後になるのじゃないかな? オジギソウ。。。小学校3年生になる姪の娘が昨年種を撒いて一生懸命に育てたのが、今年はいつの間にか芽吹いて大きくなっていたのに、つい先日の雨ですっかり流されたとばかり思っていたのに、いつの間に復活したのか、沢山の花をつけていて、思わず嬉しくなりました♪ さて、今日は衆議院議員選挙の投票日。国民の痛みがわかる人こそ、立派に花を咲かせて欲しい。。。願うのはそれだけ。台風14号により被災された皆さんが、一日も早く花を愛でる気持ちになれます様。。。
2005.09.11
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先々週、結局は体調不良で行けなかったけど、堺フロイデ合唱団の夏の演奏会に出掛ける予定で練習を休んでいて、9月2日はこれもまた体調不良で無断で練習を休んでしまったのに、代表の方からの連絡で伴奏してくださる方との合同練習には無事に参加することが出来たけど、定期練習には今夜が4週間ぶりの参加。随分怠けてしまったものだ。本番は10月23日なんだから、カレンダーの上では1ヵ月余りということになるけど、練習回数はイコールではなくて、まだまだ不安な部分が多い。担当のパートがアルトだからまだまだ音は取り易いと思うけど、今日も歌ってみて、のっけから3度も違うのに今頃気がつく有様。 例えば何かの楽器だと、譜面を見てそのキーとか鍵盤を叩けばその音が出るけど、声の場合は、ある面自分の勘が頼りみたいなところがある。例えば、私が大好きな歌手の一人、加藤登紀子さんが歌った「百万本の薔薇」編曲がとても複雑で、メロディーの部分を殆どが男声パートだったりする。まぁ、歌詞そのものが、女優に惚れ込んだ男性の話なんだから、男声が主旋律を歌うのは当たり前かな? ソプラノが高いEの音で、アルトはC。歌詞がラだけだから勘違いも良いところ。3度しか違わない音なのに、Aの音で知らない顔して歌ってた。そんな発見があるから、やはり練習には欠かせずに参加したいと思っていたのに。金曜日は週で一番お弁当の数が多い日。しかも第一第三週は地元のコーラスの練習だってあるから、第一、第三週は連夜の練習となる。しかも、毎週火曜日は「第九」の練習が。。。本当は「第九」の練習は私にはオマケの参加みたいな感じで、どちらかといえば10月23日の本番の為に楽しいコーラスグループに参加すると決めた筈だったのに。。。 毎年の様に、秋口か夏の終わりには体調不良が続いてしまう。4週間ぶりの練習だというのに、まるで劣等性の私に合わせる様にパート練習の時間を取ってくださった。本当に有り難い。。。コーラスは一人一人の声がとても重要になる。口パクなんてとんでもない。思いっきり声を出せることが楽しいから参加を決めたグループなんだから。 本番に合わせて、チラシとかポスターの原案を見せてくださった。ちょっとぼかした感じに、何かの譜面が全面に配置され、演奏会にはピッタリ。って感じだった♪思えば練習に参加することを決めてからもう8ヵ月になろうとしている。不安な曲は自分でピアノのキーを叩いて完璧に仕上げなきゃ。他の皆さんの足手まといにはなりたくないなぁ。私みたいなのに声を掛けてくださった代表者の方にも申し開きが出来なくなる。頑張らなきゃ。
2005.09.09
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献立は、エビのケチャップ炒め、南瓜サラダ、磯辺和え。添えの野菜はサラダ菜、ブロッコリー。果物は付きません。◆エビのケチャップ炒め。。。材料は、剥きエビ(大き目の冷凍)、玉葱、ジャガイモ、人参、ピーマン。冷凍の剥きエビは袋ごと水にさらしてある程度解凍しておく。ジャガイモは皮を剥いて、縦半分に切ったのを5ミリぐらいの厚さのいちょう切りにして、水にさらしてアクを取ってから素揚げする。人参は皮を剥いて1~2ミリぐらいのいちょう切りにして、素揚げする。ピーマンは種の部分を取って1センチ角ぐらいの色紙切りにして、素揚げする。玉葱は皮を剥いて半分に切り根の部分を外して大きいものだと4つぐらいに切ってから6~7ミリぐらいの幅に切り揃える。小麦粉を水に溶いたのに卵を割り入れて衣を作り、剥きエビを一尾ずつ丁寧に揚げる。熱した鍋に油を引いて玉葱を十分炒めてから、素揚げしておいたジャガイモ、人参を加え、ケチャップ、醤油、砂糖、七味唐辛子で味を調えた合わせ調味料を十分にからませ、最後に揚げたエビを加えてさっくりと混ぜ合わせる。ピーマンは、盛り付けてから載せる。添えのブロッコリーは小房に分けて塩茹でする。◆南瓜サラダ。。。材料は南瓜、きゅうり、ジャガイモ、ロースハム。ジャガイモは皮を剥いてざく切りにしたのを水にさらしておく。南瓜は種を綺麗に取ってからジャガイモとほぼ同じぐらいの大きさに切り、ジャガイモと一緒に塩茹でし、水気を切って熱いうちにマッシャーで潰して、塩、コショーしておく。ロースハムは三つに切ってさらにマカロニぐらいの幅に切っておく。きゅうりはヘタを取って薄切りスライスにし、塩をまぶしてしんなりしたら塩を水で洗って、水気を切っておく。潰した南瓜とジャガイモが冷めたのを確認してからロースハムときゅうりを加えて、味を見ながらマヨネーズで和える。◆磯辺和え。。。材料はしろ菜、刻み海苔。しろ菜を洗って葉の部分は2センチぐらいに、茎の部分は1センチぐらいに切り揃えて塩茹でし、水にさらして水気を切っておく。醤油、みりんを合わせて、合わせ醤油を作り、水気を切ったしろ菜を和えて、更に刻み海苔をたっぷりと混ぜ合わせる。サラダ菜を敷いたところへエビのケチャップ炒めをたっぷりと。上からピーマンを飾り、適当にブロッコリーを添える。2番目には南瓜サラダを。3番目には磯辺和えを。サラダ菜そのものは、芯に向かって段々小さくなるので、同じ1枚というわけにはいかないし、葉の先が変色しているのもあるので、なるべく大きさが揃う様に小さいものであれば2~3枚つけるとかしないと、メインに入るのはエビのケチャップ炒めだけなので、貧弱にならない様に。空いているところへブロッコリーを飾る。素揚げにしたピーマンは熱いところへエビと一緒にからめると変色してしまうので、後で載せることに。2番目の南瓜サラダは、少々南瓜の皮が残る感じでもきゅうりとロースハムが入るので全然舌には違和感が無いので余り気にしなくても良いかな?茹で具合は柔かくなり過ぎない様にしないと、後でマヨネーズを加えたらさっくり感が無くなるので、ここが微妙かな?数が多い金曜日は回転鍋を使うので、尚更気をつけないと。磯辺和えのしろ菜。虫がついてボロボロ状態のが届いてよりわけるのに、随分手間が掛かってしまった。時期的に手に入らないのなら、金曜日はキャベツになる予定。。。 週の後半のお弁当は大抵木曜日にUPしているので、一応木曜日の日記にはしましたが、今現在金曜日の23時半を回ってしまいました。用事が重なったり体調不良で3週連続で参加出来なかった楽しい方のコーラスへ久々に出かけていて、こんな時間。。。昨日は?というと、しっかり横になって過ごしてしまいました。 台風が去って、少しは爽やかな風を期待していたのに相変わらず蒸し暑さが残り、もうそろそろ涼しくなっても。と余りの期待外れからか厨房の暑さと来たら格別。すっかり意気消沈という感じで、実は今日も練習に行くのがとても辛く、散々迷って先ずお風呂で汗を流して、それから気分を変えて出かけることに。練習は午後10時まででも場所が場所なので、帰宅して一呼吸入れたらこんな時間に。 皆様のところは、夜は少しは涼しくなりましたでしょうか。季節の変わり目には夏の疲れが出易いかと思います。どうぞ十分にご自愛なさってください。。。
2005.09.08
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結局、昨夜は風雨が物凄くてPCを立ち上げる気にもなれなかった。一瞬地震を思わせる様な揺れにおののくばかり。轟音の様な、吹き荒れるとは思っていたけど、ここまで凄いことになるとは思いも寄らなかった。 夜何時頃だっただろう。台風接近はわかっていたのに、相変わらず淡路島に出ているのは波浪警報だけ。一体どれぐらいになれば暴風警報になるんだろう。と思いながら、帰宅時間の方が心配なので「第九」の練習は休んでしまった。後になって、それが正解だったと思う。風で車のハンドルが取られるということも起こり得るだろうし。こういう場合は外に出ない方が安全。 一夜明けて、我が家の被害はさしたるものではなかった。やれやれ。雨もさほどではなかったのか、台風だった割には水浸し状態にもなってない。ただ、どこから吹き寄せられたかわからない落ち葉が一杯。あの、昨夜の風の音だもの、これぐらいで済んだら有り難い方かも。 配食サービスで配達を担当した地区は、淡路島の最南の海岸線をひた走りに走るコース。仕事に出る時点では相変わらず波浪警報が出たままだったから気にはなっていたけど、月曜日と同じ様に警備員さんが立っている。どうやら、必死になって巻き上げられた土砂などを片付けてくださったらしい。まだ、所々にゴミとかが散乱していたけど、こういうのを見ると、どうして海にこんなゴミが漂着するんだろう?と不思議で仕方が無い。勿論、風に飛ばされて。というのもあるだろうけど、ゴミの始末をちゃんとしていればこんなことにはならなかっただろうに。その量たるや物凄いから驚く。ひたすら潮風を浴びながら海沿いの道を走る。考えたら、台風が去った翌日にこうして普段通りに道路を走れるのも、清掃作業に当ってくださった皆さんのお陰。一番怖いと思っていた仮の橋を置いただけの場所も、雨が少ないのが幸いしたのか、対して崩れた様子も無い。恐る恐るでも渡ることが出来たからやれやれ。何度通っても目を覆いたくなる様な昨年の台風23号被害をもろに受け、大きな岩盤が崩れて、橋が流されたまま手がつけられないでいる場所。今日走った時間には、「軽四限定」の看板は無かった様な。それと選挙ポスターの、何故か一枚だけが剥がれてしまって影も形も無いのが妙に気になったけど、あれも風のせいなのかなぁ? 皆さんにご心配をいただきましたが、お陰様で我が家には被害も無く済みました。まだまだこれから北海道へ再上陸とのこと。予断は許されないと思いますが、どうぞこれ以上被害が拡大されることがありません様。。。。
2005.09.07
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献立は鶏肉胡麻だれかけ、卯の花炒り、きゅうりと若布の酢の物。添えの野菜はサニーレタス、ミニトマト、パセリ。果物はキウイフルーツ。◆鶏肉胡麻だれかけ。。。実は初めての献立ではないと思うのに、何故か酒と醤油とみりんのタレに漬け込んでグリルで焼いてしまったのを、今になって、もしかしたら蒸したのに、胡麻だれをかけるんじゃなかったかなぁと、慌てています。。。材料は鶏皮付きもも肉。今日の場合は、予め酒、砂糖、醤油、みりんでタレを作った中へ鶏肉を漬け込んで、熱しておいたグリルの天板に並べて焼き、食べ易い大きさに切って盛り付けてからたっぷりの炒り胡麻をすり鉢であたって、砂糖、酒、しょうゆ、みりんで合わせたタレに合わせたのを上からかけたけど。。。大丈夫かしら?◆卯の花炒り。。。材料はおから、鶏ミンチ、青葱、人参、油揚げ。青葱は根の部分を取り除いて小口切りに。人参は皮を剥いて微塵切り。油揚げは長い方に3つ切りにして、更に細切りにする。熱した鍋に油を引いて鶏ミンチをほぐれるまで十分に加熱し、おからを加えサッと炒め、人参、油揚げを加えて炒める。人参に火が通ったら、出し、砂糖、醤油、みりんを加えて味を調えて馴染ませる。◆きゅうりと若布の酢の物。。。材料はきゅうり、若布、オオバ、ちりめんじゃこ。きゅうりはヘタを取って薄切りスライスにし、塩をまぶしてしんなりしたら水で塩を洗って水気を切る。若布は水に戻して水気を切って小口切りにしておく。オオバは軸を外して3つに切り、更に細切りにしておく。酢、砂糖、みりんで合わせ酢を作り、材料を混ぜ合わせる。皮を剥いて4つに切ったキウイフルーツを置き、サニーレタスを敷いたところへ、焼いて食べ易い大きさに削ぎ切りした鶏肉をおき、上から胡麻だれをたっぷりとかけ、空いたところへミニトマト、パセリを飾る。2番目には卯の花炒りを。3番目には酢の物。実はUPする段になって改めて気がついたのは、本当は鶏肉を蒸すんじゃなかったかなぁと。蒸した鶏肉に胡麻だれをたっぷりと。が正解だったんじゃないかなと、今になって慌てても、今日お届けした分は全てグリルで焼いてしまったものばかり。蒸しても焼いても身そのものは縮んでしまって、かさが低くなってしまうけど、焼けばコンガリと、蒸せば少しは歯には優しいお料理だったのでは?と慌てています。明日はどちらが正解なのか、ちゃんと確認した上で調理しなくっちゃ。焼いても炒り胡麻をたっぷりとすり鉢であたったのを入れたタレは本当に美味しかったんだけどなぁ。。。間違っていたら、今日お届けした皆さん、本当にごめんなさい。。。 台風14号が猛威を振るっていますが、皆さんのところはいかがでしょうか。今日は、淡路島最南の海岸線を走るコースの配達を担当して、途中超波の為通行止めなんて電光表示が。恐る恐る接近すると、やはり片側通行状態にして、海側半分にコーンが立てられていて、警備員さんが立ってらっしゃる。車を停めて事情を説明すると、「行けるとはとてもよう言わん。あくまでも波を見ながら気をつけて」と仰る。ここで引き止められては結局どなたにもお届けできないことになると、何とか車を走らせて、なるべく海沿いの道は避けて山側の道を走ることに。流石に、橋を渡れば洲本市という地区には辿り着けなかったけど、何とか配達出来る範囲の地区だけを配達して帰路に。これで一体何メートルなんだろう。と思いつつ、波が砂交じりの石を巻き上げたと思う地点が数メートルに渡って続いている箇所が。これで、通行止めにされた理由も納得。こんなので果たして明日は一体どうなるんだろう?警報が出たり、気象の関係で取り止めになる可能性が大いにありそうな。まぁ、配達するのだって命懸けみたいな部分があるから、こういう場合は仕方が無いのかなぁ。高波、水没で車での移動が困難に。なんてことにもなりかねないのだから。。。 皆さんのところには、どうか台風の被害などありません様。。。 結局、私の勘違いでメインは『鶏肉胡麻ダレ焼き』が正解でした。以前にも蒸した鶏にタレをかけたのがあって、完全に勘違い。確かにそのときにも、本当は蒸すより焼いた方が香ばしいし、見た目も良いのでは?なんて言っていた気がします。
2005.09.05
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楽しい方のコーラスグループの発表会が10月23日。いよいよ本番も迫ってきて、オーケストラ合わせというと大袈裟だけど、どうやら伴奏はピアノだけではないらしい。エレクトーンも加わってくださるということで、嫁ぎ先から、実家へエレクトーンを運び込んでの合同練習。私には全く初めてお訪ねするお宅なので、誰かに先導してもらわずには辿り着けない。 1週目は体調不良、2週目は、実は堺フロイデ合唱団の夏の演奏会に行く予定で練習を休むと伝えておいて、(結局はそれも体調不良と、仕事の関係で出かけることは出来なかったけど)3週目の9月2日にはまた体調不良で無断で休んでしまった。そしたら、ご心配してくださった代表者から連絡が。伴奏者と一緒の練習日は4日の日曜日と予定表には書かれていたけど、時間も場所も私にはまるでわからない。そのお知らせだった。集合場所を聞いておいて、その時間に落ち合うことにして、練習会場へ着いた途端驚いた。 まるでCDを聴いているかのような演奏。曲目は、毎週日曜日の午後8時から私がとても楽しみにしている大河ドラマ「義経」の主題歌。何とまぁ、凄い迫力。ピアノと違ってこうしたエレクトーンの分野は日進月歩とは聞いていたけど、ここまで凄いとは思いもよらなかった。人の声まで出せるというのだから、驚くことしきり。 いつも凄いなぁ。と思うのはエレクトーンを演奏される方は、全く初見の譜面でも、見るやいなや、イメージがわくらしく、曲に合った様な音色で奏でてくださる。ときには三味線の音色に変えて。ここが凄いと思う。譜面を見ただけでそこまでイメージを膨らませることが出来るなんて、私には凄いとしか言い様がない。 3月に行われた「淡路合唱祭」でも扱った、例の「冬ソナ」から、「最初から今まで」。。。あんなに見事な演奏をされると、ついつい聴き惚れて、歌うのを忘れてしまうほど。以前から色んな音色が出せるとは聞いていたけど、あんなに見事に音を操られては。。。感動以外の何ものでもない。お見事というしかない。しかもあれでお二人の子供さんがいらっしゃるとは。 本番のことを何も聞いていなかった私。単にピアノだけの伴奏だけと思っていたのに、ここにエレクトーンが加わるとは。。。以前は確かに、吹奏楽団とジョイントで。なんてことも行われていたけど、ピアノとエレクトーンならそれぞれ1人で済むわけだから全ての楽器が揃うために。。。なんて気を遣わなくても良いわけだし。。。予めどれとどれをピアノと一緒に。という打ち合わせはされていたみたいなのに、ピアノだけだと物足りないかも知れませんねぇ。と仰って色々考えてくださるところも凄い。本当に演奏会が楽しみ。何か歌うのを本当に忘れてしまいそうな。。。
2005.09.04
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9月2日のことについて、こんな風に述べられていますので、そのまま引用させていただきます。 『「8月15日」といえば終戦記念日。では「きょう9月2日は?」と尋ねられて、すぐに答えられる日本人はどのくらいいるだろう◆日本が降伏文書に署名し、太平洋戦争に終止符を打った日である、昭和20年9月3日付の本紙に「永遠に銘記せよ9月2日」の見出しがある。だが、戦艦ミズーリでの調印式の有名な写真は覚えていても、多くの日本人は日付まで覚えていない◆なぜだろうか。降伏文書に調印し、陸海軍に武器を置くよう命じたのが、この日である、だから、戦争がいつおわったかといえば、厳密には9月2日になる。連合国ではこの日を「戦勝記念日」とするのが主流だそうだが、日本での影は薄い◆「日本人は戦争に負けたという事実から目を背けた」「耳をふさいだと言うべきかもしれない」と佐藤卓己・京大助教授はいう。新聞などの報道が終戦記念日をどう定着させたかを詳しく分析しての指摘だ。(8月15日の神話」ちくま新書)◆佐藤助教授はこんな提案をする。9月2日をあらたに「平和祈念の日」にしてはどうかというのだ。慰霊の日としての8月15日とは別に、この戦争を冷静に振り返り、近隣諸国との歴史的な対話を目指す日にできないか、との思いからである◆戦後60年の節目に、戦後を問ういろんな意見があった。その中で説得力のある提案の一つと映った。前述の日付の本紙に「この日この現実から再出発」という記事がある。「9・2」が埋もれたままでいいものか。』 私自身は、9月2日という日がこんな重要な意味を持つ日だったということを全く知らなかった。1日は関東大震災があって、そのこともあって防災の日と制定されたらしいことはわかっていたし、全国で大々的に防災訓練が行われたと聞くのに、2日は何も取り上げられないまま静かに終わってしまった気がする。 また、地域総合欄には兵庫県内の小選挙区の立候補者45人に聞いたアンケートの詳報として、大見出しで9条改正派は56%などと。 『衆参両院の憲法調査会が最終報告書をまとめるなど憲法改正の動きが具体化する中、憲法9条にたいする考えはどうか。 「できるだけ早く改正すべき」としたのは6人で、「十分に議論した上で改正」の19人と合わせると56%が改憲に肯定的だった。「改正すべきでない」は20人。 党派別には、結党50周年の11月に合わせて問うの改憲案を公表する予定の自民は「早く改正」が4人、「議論の上で改正」が6人で、全員が改憲派。マニフェストで、憲法提言を国民に示すとした民主は「議論の上で改正」が9人だが、「改正すべきでない」も3人おり、考え方が分かれた。 公明は2人とも「議論のうえで改正」。共産と社民は全員が「改憲すべきではない」、新党日本の1人は「議論のうえで改正」だった。 9条以外で改正すべき点はあるか。 自民、民主、公明では、環境権やプライバシー権の明記など、「新しい人権」の概念を盛り込む、“加憲”の立場が目立った。 自民の中には「前文を含め、全面的な改正を」「国民の権利と義務規定の見直し、強化」などの意見も。民主には「自治体の立法権強化」など、地方分権にかかわる条項の整備を求める声があった。共産、社民候補は全員が「なし」だった。』 戦争を放棄してきた日本。。。9条改正で、戦争とは無縁になりそうな気配。。。そんなことが絶対にあってはならない。
2005.09.02
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献立は太刀魚塩焼き、肉団子甘酢あん、大豆ひじき煮。添えの野菜はサラダ菜、果物は梨。太刀魚塩焼きに大根おろし、スダチを。水曜、木曜はマカロニケチャップ炒め、金曜日は出し巻き卵を。(太刀魚だけだと余りにも貧相なので、出し巻きを考えついたけど、冷凍庫のでは数が揃わず、急遽マカロニケチャップ炒めをアルミカップに入れて添えることに)◆太刀魚塩焼き。。。太刀魚は一人分に切り分けたのを業者に届けていただく。あらかじめふり塩をしておく。熱したグリルの天板にクッキングシートを敷いて太刀魚を並べて150度で15分加熱し、更に温度を上げて焼き色を付ける。◆肉団子甘酢あん。。。材料は肉団子、玉葱、人参、ピーマン。冷凍の肉団子を1人に3個ずつ用意して、熱した油で揚げる。玉葱は皮を剥いて、根の部分を切り取り、5ミリぐらいの厚さに繊維に沿って切る。人参は皮を剥いて、中の幅のスライサーで千切りに。ピーマンは種を取って玉葱と同じぐらいの幅の斜め切りにする。熱した鍋に油を引いて、人参から加えて柔かくなったら玉葱を加えて炒める。玉葱に火が通ったら、砂糖、酢、醤油で味を調えた合わせ酢を加えて一煮立ちさせ、ピーマンを加えて水溶き片栗粉でトロミをつけたところへ、揚げておいた肉団子を加えてからめる。バットにピーマンを別にして広げておく。◆大豆ひじき煮。。。材料は、ひじき、大豆、油揚げ、グリンピース、人参。分量のひじきを水で戻し、水気を切っておく。大豆水煮は袋から出して少しの間水にさらして水気を切っておく。油揚げは袋から出して、長い方に沿って3つに切り、更に5ミリぐらいの幅に切り揃えておく。グリンピースは水煮のものを缶から出してさっと茹でておく。人参は皮を剥いて、中の幅のスライサーで、あんかけに使うよりは短めに切っておく。熱した鍋に油を引いてひじきを炒め、更に人参を加えて大体火がとおったら油揚げを加え、顆粒だし、砂糖、酒、醤油、みりんで味を調え味を含ませる。火を止める直前にグリンピースを加えて混ぜ合わせる。8つに切った梨を置き、サラダ菜を敷いて、太刀魚を置き、左側にアルミカップに入れたマカロニのケチャップ炒めを。太刀魚に沿う様に大根おろしをおき、スダチを飾る。2番目には肉団子甘酢あんを。先に団子をおいて、あんをたっぷりかける。あんの野菜は余り細く切ってしまうと、ボリューム感が出ないので、人参以外は5ミリぐらいの幅に切り添えた方がいいかな。昨日は余りにも細く切り過ぎたので。3番目には大豆ひじき煮を。くだものの梨の大きさが不揃いなので8つに切ったときに、かなり差が出てしまう。昨日は斜めに入れないと入らない大きさだったのが、今日はメインの部分の縦の幅にピッタリだったから、盛り付けもちょっと楽だった。ただ、太刀魚などはお皿に盛る様な感じでベタッと置いた方が食べ易いのかなぁ?太刀魚そのものも案外長く切ってくださってるので、アルミカップに入れたマカロニケチャップ煮は無くても良かったのなぁ。。。?焼き魚には何といっても出し巻き卵?これならアルミカップに入れなくても空いたスペースに自由に置けるので楽かな? 今日は防災の日。事件が起きたのは昨日のことだけど、また利用者さんがお一人他界されてしまった。。。道路で寝ていたところを車に。。。なんて新聞の地方版にも載っていて驚いた。記事によると大腿骨骨折に脳梗塞の疑いだったのが、昨夜のうちに息を引き取られたのだとか。。。改めてご冥福をお祈りします。 元気に病院から戻られた人。。。息子さんと一緒に海外旅行をされていて無事に帰国された人。。。お弁当の数に一喜一憂しながら、明日は週の最終日。グリルの天板には太刀魚がせいぜい14切れしか載らない。。。ってことは、100食余りだから。。。相当段取り良く焼いていかないと。焼く時間だけは短縮できないからなぁ。頑張らなきゃ!
2005.09.01
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