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今日は特別養護老人ホームの栄養士さんが来られて、『リポD』のことについて、ご意見を伺ってみた。お年寄りたちの気持ちはやはり汲んであげた方が。と仰る。何だかホッとしたけど、これからが大変。 事務所の人はただただ「配食サービスを担当してる人だけが物を貰うのは良くない」と仰る。どこが良くないんだろう。感謝の気持ちとして、何かお返ししたいと思うから、また、ご自分も人に「有り難う」と言って喜んでもらいたい。人にお世話になりっ放しは嫌だから。みたいな部分があって、何かを差し上げたい、受け取って欲しいという気持ちは自然と沸いて出てきたものなのに、その気持ちまでも否定してしまうのはどうなんだろう?と思えてしまう。頂くのを拒否したときの利用者さんの顔といったら、本当に情けなさそうな顔だったのに。。。 で、今日は冬の寒いときにはストーブの上に置いた鍋でわざわざ缶コーヒーを温めておいて持たせてくださる方のお宅があるコースを担当することになって、相棒さんと、「どうする?」「絶対断りましょうね」という話になったけど、やはり物凄い剣幕。。。 配食サービス利用料金として、一律に300円を頂いているのだから、もうそれで十分なのに、それでは気が済まない人がいらっしゃる。確かに、直ぐに食べられる状態のお弁当を家まで届けてくれて、一言二言会話を楽しむことが出来る。独居の利用者さんにはどんなに心強いことか。だからこそ、寒い日はストーブで湯を沸かしてまでも缶コーヒーを温めてくださる。。。決して缶コーヒーが欲しくて言ってるんじゃない。「寒いのに本当に気の毒に」「雨が降るのに、気の毒に」。。。みたいな気持ちが一杯詰まった缶コーヒー。受け取りを拒否するのは簡単だけど、利用者さんのお気持ちを無にしてしまうというのは、福祉としてどうなんだろう。。。? 1月から続けていた介護事務の勉強をしたときは、「あくまでも利用者さんのお気持ちを大切にしてあげてください」ということだった。ケアプランを立てるケアマネージャーさんにしても、在宅介護で入るヘルパーさんにしても、全て利用者さんの思いのままに。ときには我がままを仰る方もいる。でも、利用者さんの自立支援のためにはそれはとても大切なことなんだ。と学んだ筈なのに。。。 社会福祉協議会は、土・日が休み。本当の支援には土曜日も日曜日も関係ない筈なのに。と、ときどきそんな疑問も頭をもたげてくる。それでも、私は所詮配食サービスのパート職員でしかないから、日々レシピ通りにお弁当を作って配達するだけ。お一人で暮らしていらっしゃると、本当に人恋しいと思うことがあって、ほんの束の間のお喋りであってもとても楽しみにしていらっしゃる。。。 以前、お届けしたお宅の玄関先に綺麗な花束が飾られていたことがあって、「綺麗な花やねえ」と声をかけると、「おおきに、お誕生日やってん」「うわ~、それはおめでとうございます。どうぞ、これからもお元気で長生きしてくださいね」と私が言うと、心の底から喜んでくださって、「ありがとう、そんなんゆうて貰ったら嬉しいわ♪」ちょっとでも元気づけたり、勇気づけたり。。。そんなことを思いながら配達しているつもりだったから、利用者さんが大喜びしてくださると、本当にこちらまでもが幸せのおすそ分けを頂いた気持ちになる。 つくづく中村雅俊さんの「ふれあい」にあった、♪人はみな~一人では~生きてい~けないも~のだ~か~ら~♪を噛み締めてしまうし、お役所仕事なんか通用しないんじゃないかな?
2005.08.31
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結局子供を一人も産めなかった私。次代を引き継ぐ担い手として姪夫妻に白羽の矢を当てたのは良いけれど、一体私の立場って何なんだろう。。。? 日曜日の夕方、淡路島の北部にあるサンシャインホールで行われた、創作オペラの発表会に一人で出かけた私。開演時間が午後5時30分からということもあって、夕食もそこそこに会場へかけつけた私。ところが、私以外の家族(義母、夫、姪夫妻、姪の娘)は無線でいうところの5エリアつまり、四国へ渡って夕食兼、新車購入の為の試乗会と称して出かけたらしい。それだけならまだしも、月曜日、仕事から帰った私は驚いた。我が家の庭に、何と、見慣れぬ車がいかにも我が安住の地を得たりとばかりに鎮座している。一体、誰の為に購入したのかさえ、私にはわからない。主の嫁としては全く情けない限り。。。 農家の長男に嫁して、子供を一人も産めなかったというのはこんなにも罪なことなのかなぁ?全く情けない。蚊帳の外も良いところ。夫は火曜日の今日になっても全く車のことに付いては触れないし、こちらも情けなくて聞く気にもなれない。車の購入に一体誰がどれだけの負担をしたかについても、主の嫁である私には全く知らされない。確かに、敷地内には免許保有者が4人いるのだから、誰が乗るために購入したか。なんて私の知ったことではないけれど、ここまでないがしろにされていいのかなぁ。悔しくて涙が止まりません。 毎週火曜日は「第九」の練習があるにも関わらず、今日は突然の豪雨に見舞われてびしょ濡れ状態で帰宅。まだまだ微熱も冷め遣らず、結局「第九」の練習は休むことにしたけど、それにしても夫の無口さには悔しくて涙が止まらない。どの家にあっても嫁というのはそんなに邪魔な存在なのかなぁ。それとも、子供の一人さえ産めなかった嫁というのは、こんなにも立場が無いものなのかなぁ。あまりにも悔しくて、お手洗いで大泣きしてしまいました。家族って何なんでしょう。。。
2005.08.30
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献立は、牛肉ピーマン炒め、高野豆腐含め煮、長芋なめこ和え。添えの野菜はサニーレタス、果物はバナナ。◆牛肉ピーマン炒め。。。材料は牛肉(業者に食べ易い大きさにカットしたのを届けてもらう)玉葱、人参、ピーマン(赤いのも)玉葱は皮を剥いて縦半分に切って、根の部分を取り除いて繊維に沿って3~5ミリぐらいの厚さに切る。人参は皮を剥いて、広い目の幅のスライサーで突く。ピーマンは種を取って5ミリぐらいの斜め切りに。熱した鍋に油を引いて牛肉をほぐしながら炒め、人参、玉葱を加えて塩、コショーし、十分火が通ったら、ウスターソース、薄口醤油、ケチャップで味を調える。火を止める寸前にピーマンを加えて軽く炒める。◆高野豆腐含め煮。。。材料は、鶏肉細切れ、高野豆腐、板こんにゃく、小芋、人参、絹さや。高野豆腐を水に戻して水の中ですすいで水気を切ってから長い方を半分に切って、更に斜め2つ切りにする。板こんにゃくは下茹でして16切りに。小芋は冷凍の物を一人1個ずつ用意して味が馴染む様に早目に出し汁、みりん、醤油、砂糖で味を調えた煮汁で煮る。人参は皮を剥いて一人3切れぐらい入る様に切り分ける。絹さやは冷凍のものを軽く塩茹でしておく。出し汁に、酒、砂糖、醤油、みりんなどで味を調えた煮汁を煮立てた中へ鶏肉を加えて一煮立ちさせ、こんにゃく、人参を加えてアクを取りながら煮込む。人参にある程度火が通ったら高野豆腐を加えて味を馴染ませる。◆長芋なめこ和え。。。材料は、長芋、なめこ。長芋は皮を剥いて水にさらしておき、3~4センチぐらいの長さに切って更に拍子切りにしたのを水にさらす。十分にあく抜きをしたら水気を切っておく。なめこは袋から取り出してざっと洗って軽くゆでておく。みりん、醤油などで味を調えたタレに長芋となめこを加えて味を馴染ませる。3つに切ったバナナを置き、サニーレタスを敷いたところへ牛肉ピーマン炒めをたっぷりと。バナナが結構かさばるので、案外ボリューム感がある様に見えるけど、どうかな?2番目には高野豆腐の含め煮を。食数が少ないので、材料ごとに分けて盛りつけたけど、数の多い火曜日は何が何個という様な盛り付けは出来ないかな。最後に絹さやを置いてアクセントに。3番目には長芋なめこ和えを。牛肉ピーマン炒めに使う牛肉は業者に頼んでカットして貰ったのをそのまま使ったので、切り方がちょっと大き目だったような。折角の赤いピーマンも探さないとわからないありさま。野菜がちょっと少なかったのかなぁ?牛肉は一人60グラムだというけれど、人参もピーマンも隠れてしまった感じ。焼肉じゃないんだから、もう少し牛肉を小さく切っても良かったのかなぁ。でも、炒めたら小さくなってしまうし。。。って、本当は細切れで十分なのに、まるですき焼きに使えそうなお肉で、炒めるのに使うには勿体無い様な。高野豆腐の含め煮は品目ごとに分けて盛っていたのでは数の多い火曜日は時間がかかってしょうがないかな?確かに見た目は綺麗なんだけど。絹さやはレシピにはなかったけど、緑が加わると目にも鮮やかに。 配食サービスで作っているお弁当を自分のための記録として保存するのが一つの目的の様なこのサイト。先週の後半は休んでしまい、またもや画像がありませんが、改めて献立だけでも記録しておきたいと思っています。かに寿司がメインなので、細長い形のお弁当箱に。。。と、月曜日の献立の後に先週の後半の献立ってことになるとどうなるんだろう?穴埋め的に書いた日記なんて、ちゃんと日付通りに並んでくれるのかなぁ?まぁ、カテゴリーで区別出来るからいいかな?
2005.08.29
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発表会に出かけていました。今日は2回公演で、私が観たのは午後5時半開演の分。「おのころ伝説」だから、歌い始めは「お」。この「お」がまた見事な響きで引き込んでくれる。子どもたちが夏休みを割いてどんなに練習に励んだかがよくわかる。指導された先生も大変だったと思うけど、ここまで言葉を上手に表現出来るまでに、練習は相当厳しかったんじゃないかなぁ。本当にお疲れ様! 地元のコーラスを指導してくださった先生がお二人出演ということもあって、これは是非。と期待していたのも重なって、本当に見事なステージに圧倒されてしまう。人数はそんなに大勢ではないのに、声が本当によく出ていて、素晴らしい。コーラスとはこうあるべきもの。といった感じで、皆さんの努力が実を結んだステージだったと思う。 淡路島はどうしても京阪神地区に比べて田舎という扱いになってしまう。こうした文化的な催し物にはそう簡単には出会えない。今回こうして淡路島の中から手作りのオペラが上演されたこと、色んな意味で大きな収穫だったのではないかな。次代を担う子どもたちが自分たちのふるさとについて学ぶとても良いきっかけになったと思う。感動をありがとう。そして公演に携わられた皆さん、本当にお疲れ様! お盆から引き続き体調不良で、書き込んでくださった人への返事もままならないまま日々を重ねてしまい、本当に申し訳ありません。会場への往復には約2時間。私には久々の長時間の運転となったこともあり、時間も時間ですので、今夜はこのまま休ませていただきます。
2005.08.28
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毎週火曜日は「第九」の練習があるにも関わらず、先週に引き続き、微熱を理由に今週も休ませていただくことに。。。遅ればせながら、8月24日~26日にかけての献立を。ただ、仕事を休んでしまったために画像はありませんのであしからず。。。 献立は、カニ寿司、鮭レモン蒸し、ジャガイモおかか煮。添えの野菜はレタス、果物はバナナ。◆カニ寿司。。。材料は、カニ缶、錦糸卵、酢れんこん、干ししいたけ、グリンピース、紅しょうが。カニ缶を開けてほぐして甘酢に漬け込んでおく。卵を割りほぐして熱したフライパンに油を引きながら薄焼きにしたのを細切りにしておく。蓮根は皮を剥いて酢水から茹であげたのを薄切りにし、甘酢に漬けておく。干ししいたけを水で戻して水気を切って細切りにしたのを甘辛く煮付ける。グリンピースの水煮を缶から出して水気を切り塩茹でしておく。◆鮭のレモン蒸し。。。材料は、鮭切り身、レモン、オオバ。バットに鮭を並べてレモンの絞り汁をたっぷりと振り蒸し器に入れる。残りのレモンを輪切りにしておく。オオバは軸を取っておく。◆じゃがいもおかか煮。。。材料はじゃがいも、鰹節。じゃがいもは皮を剥いて、一人に2切れずつになるように切り分け水にさらしておく。だし汁に砂糖、醤油、みりんなどで味を調えた煮汁にじゃがいもを加えて煮込む。程好くじゃがいもに火が通ったら火を止める。鰹節は盛り付けてからまぶしかける。 画像はありませんが、細長い形のお弁当箱の左側に昆布を加えて炊き上げ、合わせ酢をからませた酢飯を盛り、半分ぐらいの面積を蓋う様にカニを盛り、しいたけ、酢れんこん、錦糸卵、グリンピース、紅しょうがを飾る。真ん中の上には漬物を、下にじゃがいもの煮たのを盛り、鰹節をまぶしつける。右側にはバナナを置き、レタスを敷いたところへオオバを敷き蒸した鮭を置き輪切りにしたレモンを添える。頼みの綱の栄養士さんの携帯はカメラ付きではなく、仕事を休んでいるのに画像だけを依頼するのもはばかられ、相棒さんに撮影を依頼するわけにもいかず、結局は画像はありませんが。。。
2005.08.25
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献立は、エビカツ、ソーセージ野菜炒め、きゅうりと穴子の辛し和え。添えの野菜はレタス、プチトマト。果物はオレンジ。但し、エビカツの添えに金時豆、シューマイ。◆エビカツ。。。冷凍のものを熱した油で揚げるだけ。添えの金時豆は袋に入ったまま湯煎したのをボールに移してほぐしてからアルミカップに取り分けておく。シューマイは冷凍のものをバットに並べて蒸し器で20分加熱する。◆ソーセージ野菜炒め。。。材料はポークソーセージ、キャベツ、玉葱、ピーマン。ポークソーセージは皮を剥いて5ミリぐらいの斜め切りに。キャベツは茹でたマカロニぐらいの大きさに切り揃える。玉葱は皮を剥いて縦半分に切って根の部分を外して繊維に沿って3~4みりぐらいの厚さに切る。玉葱が大きければ、縦半分に切ったのをもう一度半分に切って大体の長さを揃えておく。ピーマンは種を取って5ミリ幅の斜め切りにする。熱した鍋に油を引いて玉葱から炒める。更にポークソーセージを加え、最後にキャベツを加える。塩、コショー、醤油で味を調える。ピーマンは別の鍋で炒めて塩、コショーしてから別の鍋で炒めておいた具材と混ぜ合わせる。◆きゅうりと穴子の辛子和え。。。材料は焼き穴子、きゅうり、オオバ。焼き穴子は業者から焼いた状態で届けて貰って、オーブンで軽く火を通す程度にし、1センチ幅に切り揃えておく。オオバは軸を取って、縦3つに切り更に細切りにしておく。きゅうりはヘタを取って薄切りスライスにし、塩をまぶしてしんなりしたら塩を洗って水気を切っておく。しょうゆ、みりん、砂糖を合わせてタレを作り、辛子は加減を見ながら加える。材料を合わせて味を馴染ませておく。オレンジを置いてレタスを飾り、二つに切ったエビカツを。アルミカップに入れた金時豆、蒸したシューマイを二つ。レタスの上にプチトマトを飾る。2番目はソーセージ野菜炒め。3番目にはきゅうりと穴子の辛し和えを。エビカツの形を生かした形で(いかにもエビフライの様に)盛り付けると添えの金時豆、シューマイが入らないので、2つ切りにしたエビカツを重ねて盛りつけることに。アルミカップを角に合わせて三角にすると綺麗かな?と思ったら今度はシューマイが入らないので、並行になる感じにした方がすっきりと収まるかな?2個ずつと決まっているものを1つにするわけにも行かず。ソーセージ野菜炒めは、ソーセージをまんべんなく盛り付けるのは難しいけど、ある程度盛り付けてから、不足分を補う様な感じで作った分は全部使い切るとそれなりに満足行くものになるかな?きゅうりと穴子の辛し和えはきゅうりの太さが不揃いだったので、太い部分は半月切りにしたけれど、きゅうりは少々厚目に切った方が存在感があるかな?穴子も結構たっぷりあったので量的には十分なものになったと思う。 月曜日は以前は50食に近い数字だったのに、何と作ったのは40食。実家がある地区で入院されていた人が無事に復活したと思ったら、今度は別のご夫妻が入院されるとか。まだまだ残暑が厳しそうで、体調管理にも気をつけたいところだけど、入院されたに方は一日も早い復活を。また、別の地区で、奥さんが特別養護老人ホームへ入所されていて、旦那様が毎食食事の介助に通っていらっしゃって、それはそれは微笑ましいご夫妻だったのに、奥様の訃報に接し、寂しい限り。改めてご冥福をお祈りします。
2005.08.22
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ラボラトリートレーニングの2日目。前夜はディナータイムの後、三ノ宮の街へ繰り出してカラオケ三昧。ハテ?睡眠不足が祟ったのか、どうか、後になって、ピンボケにもほどがあると、自分でもあきれる始末だったけど、ホテルの朝食は午前7時からというのに、妙に早起きしてしまって、何をするでもなく、玄関をみやると花が一杯。私には珍しいオレンジ一色のランタナ。そして珍しい形の薔薇。ホテルの方が一心に水遣りをしていらっしゃった。毎朝のことだから、本当に大変だと思う。。。画像そのものは全くのピンボケで皆さんにお見せするのも恥ずかしいのですが。目そのものも疲れが溜まっていた証拠なのでしょうか。綺麗に撮れたと思ったのになぁ。 音楽療法に引き続いて、やはりこうした花々も心を癒してくれる気がする。。。そして、花壇に続くのはチャペル。日が良いとあって、真っ白のタキシード姿の新郎さんを見かけたけど、結局花嫁さんをお見かけすることは出来ず。まぁ、私たちだって修了式とかがあったから、それどころじゃなかったというのもあるけれど。 2日間、貴重な時間を割いて付き合ってくださった先輩の皆さん、そして、一緒に素敵な時間を持つことができた仲間には感謝の気持ちで一杯です。問題を投げかけた、「〇ポビタンD」の件では、皆さんが親身になって考えてくださった。施設で働いていらっしゃる人などにとっても、こうしたやり取りにはいつも頭を悩まされるとのこと。実際、買い物に出るにも不自由な土地に住んでいらっしゃって、ちゃんと食べられる状態にしたお弁当を届けてくれることは本当に有り難いし、ついつい、遠いところまで来て貰って、と恐縮交じりに手渡そうとされる「〇ポビタンD」。中には、暑いときにはう~んと冷たくして、また寒いときには、ストーブの上の鍋で温めた缶コーヒーを、さも嬉しそうに渡してくださる。その「嬉しい」という利用者さんのお気持ちをこれからは汲んで差し上げることができなくなるのはとても残念だけど、一つの市として動く以上は何とか皆さんにわかってもらうしかないのかな。コッソリ。なんて許されることではないのだし。「福祉って何だろう?」と散々迷いつつも一つの答えを導きだせたことは良かった。 本当は顔馴染みじゃない同士が参加してこそ意義があるというラボラトリートレーニングの中に、例えば周りから見た私はとっつき易いのかとっつき難いのか。なんてのがあって、ランダムに歩いて向かい合って立ち止まった瞬間にお互いにどう思うかを意思表示するのに、私には一人だけとっつき難いと感じた人がいて、そのことだけが心残り。解散の後は三ノ宮まで方角が同じだという5人でランチタイム。真剣な真剣な討議はここでも続いて。。。やはり仕事の時間をやり繰りしてでも自分磨きにチャレンジしている人は違うんだなぁと実感。前向きさが違うもの。私自身が「お母さんと同じ」なんて若者も居て刺激の多い2日間。本当に有り難う♪
2005.08.21
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と題して、18日付けの地元紙の地域欄に、音楽療法用CD第2弾として、こんな記事を見つけましたので、紹介させていただきます。 『神戸市北区の精神科医・山口陽雄(ひでお)さんがこのほど、音楽療法用の自作曲を収録した2枚目のCD「春の天使」を発表した。「シンプルなメロディーで、適度な速さにしてなじみやすく仕上げた」と満足そうだ。(佐藤由里) 山口さんは、同区の精神病院「向陽病院」を運営する「向陽会」理事長で、ピアノやクラリネットの演奏を独学で覚えたほどの音楽好き。副作用がなく、精神的機能の回復が期待できる音楽療法に早くから着目し、約35年前に取り入れた。現在、院内に専任の音楽療法士を置き、患者が参加するコーラスや器楽クラブも設けている。 音楽療法の効果を調べるうち、患者が初めて聴く曲には、脳を活性化する効果があると分かり、新曲作りに取り掛かった。作詞の経験が豊富な姫路市の華道家・内山雅咲己さんが作詞を担当。昨年の第1弾に続いて今年、第2集を発表した。 5曲とそれぞれのカラオケを収録。4曲目の「おめでとう」では、「この世で ひとつの いのちの花に おめでとう もう一度」という優しい歌詞を。ワルツの警戒なメロディーに乗せている。歌は姫路市の歌手藤野ひろ子さん。 器楽クラブでギターを担当する男性患者は「入り込みやすい曲なので、演奏していて楽しい」といい、院内では好評という。山口さんは「音楽は精神を活発にしたり、沈静化したり、いい影響を与えてくれる。健康な人でも、癒しの音楽として聴いてもらえたら」と話している。 CDは1600円。向陽病院 電078・981・0151』 さて、ラボラトリートレーニングの1日目。午前中は講義に続いて、午後からはヨガ体験、音楽療法体験などがあって、スポーツがからきし苦手な私には早く音楽療法の時間にならないかなぁ。と、楽しみにしていた。ヨガの体験も私には全く初めてで、足の太ももの裏側が張ってしまいそうな。気持ちよくなれたのは、大に近い字に寝転んだときだけ。今ひとつ呼吸のタイミングとかが自分のものになっていない。。。 さて、私が一番楽しみにしていた音楽療法の時間。先生はありとあらゆる楽器を持っていらっしゃる。ハンドベルの様なのから、兎に角大勢で一緒になって楽しめる様に、一人に一つの音を担当させて。みたいな感じで持たせてくれる。圧巻だったのは、「ドレミの歌」と「シャボン玉」の大合奏。「ドレミの歌」では♪ソ・ド・ラ・ファ・ミ・ド・レ~♪というのと、♪ドミミ・ミソソ・レファファ・ラシシ~♪の部分が重なって見事だった。「シャボン玉」では1の和音(ドミソ)を担当するグループ、4の和音(ドファラ)を担当するグループ、5の和音(レソシ)を担当するグループに分けてメロディーと、和音が見事なハーモニーを奏でることが出来たこと。何か出来る♪と皆さんが自信を持たれたと思う。音楽が持つ可能性は計り知れないと思うし、読んで字の如く、「音楽」は音を楽しむもの。。。と仰った先生のお言葉が耳から離れない。。。叩く、触る、振る。。。それにしても色んな楽器があるもの。みんなでやるから面白い?私には貴重な体験でした。
2005.08.20
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皆さんは既にご存知だったでしょうが、私は今朝のNHKのNEWSに驚かされたことがある。日本脳炎がインドで大量に発生しているということ。また、ロシア西部では鳥インフルエンザが流行の兆しをみせているということ。 コガタアカイエカを発生させてしまうことを考えればむやみに休耕田に水を張っておくなんてことは出来なくなりそうな。日本脳炎ウィルスを持った豚を刺した、その同じ蚊が人を刺すことで感染するという。日本ではワクチンで発症例は少なくなったと聞くけど、貧しくて病院にも運ばれずに命を落としてしまう場合も少なくないのだとか。 子育てを経験していないので、悲しいかな、ワクチン接種が義務づけられていたのかどうかまでは知らないけど、感染者が多い国へ旅行などされる方には尚更注意が必要なのでは。。。 鳥インフルエンザなども渡り鳥から蔓延されるらしいけど、今ここにウィルスがあるよ。なんて目に見えるものではないだけに、不気味。BSEにしても、完全に収まったわけではないと聞くし。と、怖がっていても前には進めない。蔓延が少しでも食い止められる手だてはないものか? 楽天広場のBBS、「まあちゃんの部屋」、「まあちゃんの画像掲示板」へ書き込んでくださった方へのお返事もままならないまま、今日も出勤タイムとなってしまいました。明日から神戸市内のホテルで1泊ですが、ラボラトリートレーニングがあって、準備に時間を割いたりしていて、全くサイトにも顔を出せない状態が続いています。昨夜に引き続き今夜もコーラスの練習があり、いつも言い訳ばかりですが、もう暫くお時間をいただけると嬉しいです。引き続き、足跡を残してくださる方のところへも全くお伺いすることが出来ずに本当に申し訳ありません。。。まだまだ残暑が厳しい日が続いています。どうぞご自愛の程祈りあげます。
2005.08.19
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長かったお盆休み(土・日を含めて連続5日間)も終わってしまえばアッと言う間。久々の厨房は。。。といっても今日は木曜日なので、食数は一番少ない日だから、仕事始めとしてはラッキーだったかな?利用者の皆さんには申し訳ないけど。。。 さて、献立は、鶏肉しょうが焼き、豆腐の中華和え、千切り大根の煮物。添えの野菜はキャベツ、果物はオレンジ。◆鶏肉しょうが焼き。。。材料は、鶏もも肉(皮なし)、土しょうが、かいわれ菜、添えに貝柱フライ。土しょうがの皮を剥いてすりおろしたのを、酒、砂糖、醤油、みりんなどで味付けしたタレに加えて予め鶏もも肉を漬け込んでおく。20分ぐらい漬け込んだのを、熱したグリルの天板にクッキングシートを敷いて並べて焼く。貝柱のフライは1人に2個、冷凍のものを熱した油で揚げる。かいわれ菜は根の部分を切って種を綺麗に洗い流しておく。◆豆腐の中華和え。。。材料は、絹こし豆腐、きゅうり、ロースハム、薄焼き卵。絹こし豆腐はケースから出して水気を切っておく。きゅうりはヘタを取って薄切りスライスにしたのに塩をまぶしてしんなりしたら、水で洗って塩気を抜き、水気を切っておく。卵を溶いたのに少し塩を加え、薄焼きにし、短冊切りにする。ロースハムは茹でたマカロニぐらいの太さ、長さに切り揃える。砂糖、酢、醤油、ごま油を加えて中華ダレを作り、豆腐以外の材料を和えておく。◆千切り大根の煮物。。。材料は千切り大根、人参、油揚げ。予め分量の千切り大根を水に浸けてもどしておく。人参は皮を剥いて千切りに、油揚げは長い方に半分に切って更に細切りにする。水で戻した千切り大根の水気を切ってある程度の長さに切っておく。熱した鍋に油を引いて、千切り大根を炒め、更に人参、油揚げを加える。だし汁を加え、砂糖、醤油、みりんなどで味を調えて煮含める。オレンジを置いてボイルしたキャベツを敷いたところへ食べ易い大きさに切った鶏肉しょうが焼きを。かいわれ菜を仕切る様に載せて貝柱フライを置く。2番目には豆腐の中華和えを。本当は4分の1切りにしたのを更に厚さを半分にしたのを二つ入れた方が味が馴染みそうな。豆腐の上に中華和えにした材料をふんだんに載せる。3番目には千切り大根の煮物を。食数は多くないのに、結構切り込みが多く、煮物と揚げ物があってコンロがふさがってしまうので、段取り良くしないと、千切り大根にも味が馴染まない。中華和えは、冷奴のトッピングが中華風といった感じで、しょうが醤油に葱というのとはまた違った楽しみ方が出来そうな。もう少しトッピング出来れば良かったかも。メインにはやはりプチトマトの赤が入ると一層華やかなものになる気がするけど、赤が入るのと入らないのではちょっと違うかな? 今日から仕事でいきなり夜にはコーラスの練習。ちょっときついものがあったけど、食数が少ない日だから助かったかな?実家があるコースの配達を担当してみて驚いたのは、多いときに比べると10個も減っている。夏場はどうしても体調不良で病院に。なんて方が多いみたいで心配。ただ、お一人だけ元気に復活されたのは本当に良かった♪
2005.08.18
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と、実は18日の午後11時を回ってしまいましたが、コーラスの練習が終わって、今お風呂から上がったところ。蒸し暑くて汗もなかなか引きません。お出かけくださった皆さんのところへもまだまだお伺い出来ないままですが。。。16日に起きた地震のことが心配と言いつつ、TOPにちょっと書いただけで終わっていましたが、改めて被害に遭われました方に心からお見舞い申しあげます。 『気味の悪い揺れを職場でも感じた。「宮城県で強い地震」の一報が遭った直後である。兵庫県でも震度を記録する地震だから、かなりの規模だと身構えた◆足元が鎮まると、まず気になったのは揺れの激しい地域での火災である。昼食準備の時間だったからだが、大きな火災はなかった。揺れがあればガス栓を閉める。そんな基本動作をとった人が多かったからか。ストーブの季節でないのも幸いした◆なにしろ、今後30年以内に宮城県沖で大きな地震が起きる確率は99%だ。南海地震が50%程度とされるから、はるかに危ない。政府の地震調査委員会があらためてそう警告したのが、今年1月である。迫る危機への緊張感は高いことだろう◆宮城県沖地震といえば、ブロック塀の悲劇を思いだす。1978(昭和53)年の地震である。このときの犠牲者は28人で、倒れたブロック塀の下敷きになった人が多い。仙台市内では死者16人のうち11人がブロック塀で命を奪われた◆ありふれた塀が瞬時に命を奪う怖さをこのときに知った。ひび割れはないか。地中の基礎部分は30センチ以上に。2メートル以上の高さは要注意…。悲しい体験を踏まえたこんな呼びかけが生きたのか、今回はブロック塀での深刻な悲劇はなさそうだ◆福岡に始まり関東から東北へ。なんと地震の多い年だろう。今回の被害が余震などでこれ以上広がらないことを祈りつつ、かなたから伝わった揺れに地震列島に住む宿命も再認識する。大震災から10年が過ぎ、緩みがちな気持ちを戒めたい。』 また、17日の社説でも、これほど広く揺れるとはとして扱われていました。一部を抜粋させて頂きます。。。 『不気味な揺れは神戸でも感じた。震度分布図をみると、東北一帯や北関東が強い揺れに見舞われ、震度1~4の地域は北海道から四国に及んでいる。実際に、震源から遠く離れた埼玉県加須市で民家が東海し、一事、高齢女性が閉じ込められた。 ひとたびプレート境界型の巨大地震が起きれば、予想以上に広い範囲が同時に被災することを肝に銘じておきたい。すぐに他地域から救援があるとは考えにくく、最低3日間は自力で生き延びる備えが要る。 夏のヒヤリとした体験を、足元の防災・減災の再点検に生かしていこう。』 気になったのは、7月にオープンしたばかりという、屋内プールでの事故。天井からのパネルが落ちる事故というのは過去にも例えば体育館などであったらしく、国土交通省からの指摘も受けていたというのに、対策が取られていなかったというのは、これはかなり問題がありそうな。こんなこと、利用者には全く知らされていないことで、事故に遭遇した人にはたまらない。安全は何よりも優先されるべきではなかったのかなぁ。。。
2005.08.17
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「核」未曾有の恐怖 統制下惨状克明にとして、『1945年原爆投下 その時世界はどう伝えたか』として特集記事が組まれていましたので、そのまま引用させて頂きます。 『「1ヵ月たっても1日10人死亡」9月6日長崎 ウェラー記者 “謎の病”生々しく 湾曲したり、つぶれた三菱の兵器工場の骨組みを見ると、鉄や石に対する原爆の威力が分かる。しかし、核分裂が人体に及ぼす影響は、市中心部の病院の中に隠されていた。 被爆後3週間は元気だった女性が、今はうめいて横たわっている。女性のそばには15歳の少し太った少女が横になっている。赤いできもののような斑点があり、鼻に血が固まっている。少し先には夫を失った女性が、1歳から8歳の4人の子供に囲まれ横たわっている。幼い方の2人の子は髪がいくらか抜け落ちていた。誰もやけどや骨折はないが、原爆の犠牲者と考えられている。 日本人医師によると、時間がたって症状が進んできた患者は、爆弾がおちて1ヵ月たった今、1日約10人が死亡している。医師は当惑しており、静養以外のどんな治療も施せないと話した。 原爆特有の“疾病”は、癒されておらず、いまだに人々の命を奪っている。見た目には外傷のない男女、子供たちが病院で毎日のように死んでいる。 彼らは死んだ。原爆が原因で。ただ、誰にも死因が分からない。9月11日、25人の米国人が被爆地の調査で長崎に来る。日本人は“謎の病”の治療法がもたらされるのを期待している。=ジョージ・ウェラー記者(要旨)=(共同) 「人口30万人の都市が消滅」 8月22日 広島 ナカシマ記者 被爆地から初の発信 広島は一発の原爆による一撃で壊滅した。市内に損傷を免れた建物は一つもない。死者は10万人に達するとみられ、原爆の紫外線(ママ)によるやけどで毎日、死者が増え続けている。 私は8月22日午前5時、広島市の郊外に住む母親を捜すため同市に到着した。西日本最大の鉄道駅の一つ、広島駅はもはや存在しなかった。残っていたのはプラットホームだけだった。 目の前の廃墟には言葉を失った。広島駅の南と西に広がる中心街は徹底的に破壊され、街の東と南、北にある山のふもとまで見渡せた。要するに、人口30万人の都市が消滅していた。 目に映るのは、骨組みが残ったコンクリート造りの3棟の建物だけだ。7階建てのデパート、5階建ての新聞社ビル、2階建ての銀行である。 母の住む郊外へ向かいながら、私は目の前の光景がどうしても信じられなかった。というのは、原爆投下の2週間前、私は広島に住んでいた妻と2人の娘を中部地方に疎開させ、そのとき無傷だった都市を目撃しているからだ。 広島はB29の散発的攻撃を受けたことはあるものの、焼夷弾による激しい攻撃の標的となったことはなかった。=レスリー・ナカシマ記者(要旨)=(共同) 「原爆被害 僅少の見込み」 日本 敗戦まで詳報なし 広島、長崎への原爆投下当時、国内の報道は政府や軍の統制下にあった。広島への原爆投下を伝える一報は「広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり。敵は新型爆弾を使用せるもののごときも詳細目下調査中なり」とする大本営発表。被害実態が報じられたのは、8月15日の終戦以後だった。 広島の地元紙「中国新聞百年史」と広島市の「広島原爆戦災誌」によると、第一報は8月6日午後、当時の国策通信社、同盟通信(戦後に共同通信と時事通信に分割)の広島支社が打電した。「6日午前8時16分ごろ敵の大型機1機ないし2機が広島の上空に飛来し、1発ないし2発の特殊爆弾を投下した。これがため広島市は全焼し、死者もおよそ17万の被害を受けた」と事態を正確に伝えようとしたが、報道管制で公表を差し止められたという。 9日の長崎への投下は、10日付長崎新聞(被災のため西日本新聞=福岡市=が代行印刷)の一面中段に「長崎市に新型爆弾 被害は僅少の見込み」の見出しで西部軍管区司令部の発表を掲載。記事は2行のみだった。広島以降続報は「閃光で最寄の壕へ」「退避に布団を被れ」「敵の非人道、断固報復」など、国民の敵意喪失を防ぐための見出しが目立つ。 その後、15日の終戦で報道を巡る環境は激変した。翌16日付西日本新聞の見出しでは初めて、新型爆弾の代わりに「原子爆弾」が使われ、原爆の威力や開発過程に関するデータも一気に報じられた。「死傷者20万を超ゆ」などと被害の詳細も伝えられた。 8月末からは放射線被害の報道も目立ち出すが、連合国軍総司令部(GHQ)が報道を統制するプレスコードを発した9月中旬以降、原爆の報道は再び影を潜めた。 人類自ら絶滅の道歩む」 海外「恐怖の均衡」予見 「原爆に対抗できるのはおそらく原爆しかないだろう」(1945年8月10日付メキシコ紙ウニベルサル)-。原爆投下直後から各国メディアは未曾有の破壊兵器の出現について論考をめぐらせた。当事国である日米以外の新聞には、後の東西冷戦や核兵器による「恐怖の均衡」を予見する評論、核拡散に早くも警告を発した記事が見られる。 連合国の一角、ソ連(当時)のイズスベスチヤ紙の原爆報道は意外なほどあっさりしていた。8月7日付の初報は4面でトルーマン米大統領の発表を紹介したのみ。「戦争を終結に導いたのはセンセーショナルな奇跡(原爆投下)によってではなく、一致協力した連合国の努力だ」(16日付)と、「原爆が戦争を終わらせた」とする米国の論調への対抗意識をにじませた。 「もし、人類が核開発にしのぎを削り、戦争再発のリスクを冒せば、自ら絶滅の道を歩むことになるだろう」と書いたのは8月8日付オーストラリア紙エイジだ。日本を敵国として交戦した同国でも、原爆の出現に対する不安は率直に語られた。同紙は「核兵器は(戦争で)より早い勝利をもたらすかもしれないが、憎悪の種子をより広くまき散らす。米国民は憎悪の遺産を受け継ぐことになるかもしれない」(9日付)とも指摘した。 フランス紙フィガロは10日付で、後にノーベル文学賞を受賞するフランソワ・モーリヤックのコラムを掲載した。「この新兵器(原爆)の出現は、われわれがなじんできた科学技術への賛辞を呼び起こさなかった。私が知る限り、(原爆投下が報じられた)1945年8月6日に、人間精神の進歩について語った者は皆無だ」 10日付メキシコ紙ウニベルサルは「これ(原爆)がヒトラーのような人物の手に落ちることを防がなければならない」と核拡散防止の必要性を予見、人類が「パンドラの箱」を開けてしまったことへのおののきを訴えた。 統制下 惨状克明に 幻の長崎ルポ60年ぶりに 1945年8月9日の長崎への原爆投下から約1ヵ月後に、被爆地の惨状を取材した米シカゴ・デーリー・ニューズ紙(廃刊)のジョージ・ウェラー記者の未公表原稿が約60年ぶりに見つかった。「外傷のない男女、子供たちが毎日のように死んでいる」-。連合国側の記者による初の長崎報告は、放射線被害の実態を克明に描いたが、連合国軍総司令部(GHQ)の検閲で公表を差し止められていた。 2002年12月、ウェーラー氏が95歳で死去した後、戦後に同氏が拠点としたローマ近郊の家で、息子のアンソニー氏が記事のカーボンコピーを発見した。 アンソニー氏は、GHQが原稿の公表を禁じた背景に(1)最高司令官マッカーサーは、投下から1ヵ月経過しても医師などを派遣しない無慈悲さを批判されたくなかった (2)米政府は、放射線が人体に及ぼす影響の実態を公表されたくなかったーなどがあると推測する。 人類への警鐘になるはずだった記事の1つを葬った検閲は、原爆をめぐる情報統制の闇をあらためて浮き彫りにした。 ウェラー氏は、米軍当局の監視をかわして、鹿児島県から満員の列車などに潜り込み、9月6日、長崎に到着。約1万5千語のルポはこの日付で始まる。 日本兵からの聞き取りで原爆の破壊力を追う6日付の原稿に続き、8日付では、「核分裂が人体に及ぼす影響は市中心部の病院に隠れていた」として患者の症状を生々しく描写、放射線が人体に及ぼす影響に比重を置いた。 頭髪が部分的に抜け落ちた子供、被爆後3週間は元気だったのに、今は横たわり、うめいている女性。身体に赤い斑点が出て、鼻に血が固まっている少女。憂うつそうに首を振る医師。 「原爆特有の“疾病”はいまだに命を奪っている」と書き出す9日付原稿。この日福岡から長崎に到着したエックス線の専門家、ナカシマ・ヨシサダ医師は「患者は原爆のガンマ線や中性子線の影響に苦しんでいると確信する」と語った。 白血球の急激な減少、嘔吐、下痢、皮下出血など、ルポが列記する同医師の“疾病”についての所見は、急性放射線症の症状に合致している。 「2週間後に発熱すると(患者の)回復は突如として悪化に転じ、それから5日目までに死亡する」。ルポは手の打ちようがない「謎の疾病」に当惑する医師らを描き、9月中旬に長崎を訪れる米国調査団が「治療策をもたらすと期待されている」と結んだ。 反核へ外国記者ら大きな役割 原爆投下をめぐる国内外の報道の役割と当局の検閲について、原爆報道に詳しい広島女学院大学の宇吹暁教授(日本現代史)に聞いた。 ー被爆後、外国メディアが果たした役割は 「レスリー・ナカシマ、バーチェットや従軍記者団の報道がなければ、その後米国で起きた“ノー・モア・ヒロシマ”という運動もなかったかもしれない。報道でヒロシマを知り、自分たちに何かできることはないかと思う人が世界中に出てきたわけで、役割は大きかった」 -報道は検閲された 「終戦までは、日本の報道管制があったが、その後一気に報道される。日本側も最大限海外に流した。8月下旬に放射線の急性障害で(被爆者が)バタバタと倒れだしたが、ニューヨーク・タイムズなども、非常に関心を持ち東京のラジオを傍受して報道した」 「連合国総司令部(GHQ)が(9月中旬に)プレスコードを定めた後、原爆の記事が減るが、検閲されたのは原爆そのものより米軍への憎しみなど。科学的な記事なら、なくなるわけではない。発行禁止を避けるため報道の方が自主規制したのではないか。検閲が一様に報道を抑えたかというと単純ではない」 -その後の展開は 「サンフランシスコ講和条約締結後から、記事が積極的に出てくる。占領が終結し不満が噴出した格好で(1954年、米国の水爆実験で第五福竜丸が被災した)ビキニ事件で一気に広がった」 -現在の原爆報道は 「被爆20年から原爆は報道しなければならない、というような強迫観念ができたが、50年すぎからは原爆の取り上げ方がイベント化した。原水禁運動や被爆者の運動が力を失い、続いているのが報道と行政の取り組み。これをやめると被爆の記憶がなくなる気がする。報道の役割は、継承、実態の解明、世論調査、(核廃絶)キャンペーンの展開。『原爆報道』という分野があるのは恐らく日本だけ。海外で埋もれた資料の発掘など、課題はまだまだ山のようにある」』 核廃絶への道のりはまだまだ険しいのかなぁ。。。
2005.08.16
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15日付けの地元紙の地方版に、こんなタイトルを見つけたので、そのまま引用させて頂きます。 『戦没学徒を追悼する南あわじ市阿万の「若人の広場」で14日、管理者不在のため十数年前から消えたまま放置されていた「永遠のともしび」の点灯式があった。 ともしびは、高さ25メートルの慰霊碑の基部にある。特定非営利活動法人(NPO法人)「動員学徒記念若人の広場復興委員会」(理事長=谷安司元洲本市長)が戦後60年の節目に修復した。 点灯式には島内の自治体関係者や遺族会代表ら50人が出席。点灯に使った炎は、同委員会のメンバー4人が前日、広島市の平和記念公園で「平和の灯」から採り、きり箱で運んだ。「核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願う『ヒロシマの心』が一層広がると期待する」との広島市長のメッセージも紹介された。 「若人の広場」は1967年、元学徒らが資金を募って建てた。故丹下健三氏が設計した慰霊碑のほかに遺品展示棟と宿泊棟もあるが、管理する財団法人の資金難などで阪神・淡路大震災以降は休館状態が続き、荒廃した。遺品類は昨年、旧南淡町を通じて立命館大学(京都市)へ寄贈された。(内田尚典)』 先日、ただ単に「ヒロシマ」ということだけではピンと来なかったけど、楽しい方のコーラスの練習に来られなかった訳がわかった。ことに、広島市長のメッセージを忘れてはならないと思う。また、当時が偲ばれる大切な資料は荒れるに任せずに立命館大学へ寄贈されたと知って、少し安心出来た。悲惨な戦争を語り継ぐことも大事だし、こうした資料があれば尚更真実味が加わると思う。もう、戦争で家族を失うなんてことが無い様に、やがて子供たちが戦場へ駆り出されるなんてことが無い様に。。。 利益ばかりが最優先されて、こうした建物を維持管理して行くことは困難を極めている。ペンを銃に持ち替えて闘いに挑んだ学徒たち。多くの人たちの犠牲の上に成り立っている現代。忘れてはいけないのではないかな?
2005.08.15
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夏休み高校生大会とあって、地元淡路島は洲本市の高校からの出場が。活きの良い答えっぷりに、これは行ける!と確信しましたが。。。得意な分野、不得意な分野が出揃ってのクイズ番組。そうカンタンにはいかない。 結局、応援空しく優勝は逃してしまったけど、それなりに数多く答えたと思う。こればかりは運試しみたいな部分が大きく、知識があるから優勝とは限らないところが面白い。私にはカンタンな問題が誰にも答えられなかったり、なんのこっちゃわからん。みたいな問題をスラスラ答えたりしている。答えた数がそのまま獲得パネル数に反映されるのではなく、まるでオセロゲームの様に、上下、斜めと挟んだパネルは全部自分の色に変わる。だから、答えるのもそうだし、いかに少ない答えで効率よく自分の色に出来るか。ここが頭の使い様。結構な長寿番組だからご存知の方も多いのでは?「ビット」とか「アバター」とかを知らなきゃハナシにもならないのかな?最近は。
2005.08.14
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ご機嫌良くディナータイムを過ごされ、1曲披露してくださったのだそう。会場はとても盛り上がり、普通に例えばバイキングを楽しみに訪れたお客さんも美しいハーモニィーには圧倒されたご様子だったとか。と、12日の出来事を13日になってから書き綴るというのも変なものですが、しかも今日は既に16日の火曜日。。。(おいおい) 金曜日は楽しい方のコーラスの練習があって、実は職場から直行する予定だった。練習開始は午後8時から。で、実家へ寄ってみると母はお墓だった。母の独特の立ち姿は視力の弱い私にも悲しいかな直ぐわかる。急いでお墓へ行って母を手伝う。地区によって習わしが随分違うものだと思いながらもお墓を常々綺麗にしておくことは悪いことではないので、落ちたシキミを拾い集めてゴミ置き場へ運ぶ。ただ、お墓へ参るにも時間があった筈と思いながら、日中では暑いし、朝早くでは日中に水が枯れてしまう。13日に来客と分かっているなら、やはり当日の早朝か前日の夕方に。ということになるのかな。 練習が午後8時から始まるというコーラスの練習に職場から直行しようと思ったのには一つ理由があった。友人が緊急入院したから。是非ともお見舞いしたかった。夫に話しても訪ねる気はないらしい。勤務先は友人が入院している病院のある洲本市だから、本当は夫の方が行くチャンスはあるのに。 実家を後にして、病院へ向かう。携帯は禁止されているとわかっていても、連絡の手段は携帯メールに頼るしかない。友人から病名を聞いてネットで調べたときには驚いた。検査予約のつもりで病院を訪れた人が、即入院、手術の措置が取られて命拾いをされたこと。他の方の予防の為にもとサイトを開設していらっしゃる。検査の為に入院だったのが一刻も早く手術を。だったのは、確かに私も経験はある。手遅れだったら命にだって響いていたかも知れない。兎も角、「何か変」と思ったら病院へ行くこと。と思い知らされた事件だった。。。 本人にお目にかかることが出来てやれやれ。「歩かなきゃ」と仰って、電波の届く範囲なら。と歩こうとされる。お逢い出来るまでは心配で心配でたまらなかったけど、顔を見てやっと安心することが出来た。実はこの時点で、楽しい方のコーラスの練習が有るとも無いとも自信は無くて代表者に連絡を入れて練習があることを確認。友人が元気だったことに一安心して、練習会場へ。 いつもの時間になっても人数は少な目。確かに私より後に入団された人も何人かいらっしゃるけど、過去にやった曲となると、私にはまるで初見大会も良いところ。なもので、集中レッスンしていただく予定だったのが、やはり遅れながらも人が集まり、いつもに比べると少ない人数だったけど、それなりに実りある練習に。思っていたことが片付いて本当に良かった♪ 練習に参加出来なかった人の理由の一つが広島へ行っているからとのこと。15日付の地元紙の地方版に載っていた記事と全く無縁ではない気がする。。。
2005.08.13
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お盆休みがあるのは聞いていたつもりだったけど、自分が土・日休みなものだから、土曜日から休診に入ると勝手に思い込んでて、日に3回は測る様にと言われていた血圧を、昨夜になって慌てて「明日(今日)は絶対に行かなきゃ。」というわけで、血圧を測ってみる。今朝の値は130と89で、まずまずの成績かな?ずうっと測っていなかったから、この値は決して高いとは思えないけど、朝、急激な動きをするのは良くないらしいから、洗濯物を洗濯機へ放り込んで、トイレへ行ってから測ったのがこの値だったらまずまずかな? お墓などに供えるシキミを買って、いつものクリニックへ診察券を放り込んで実家へ向かうつもりだった。で、駐車場へ車を停めて。。。何と、白衣じゃない私服姿の看護師さん。エッ?「今日から休診日なんですよ。」と仰る。本当なら日数的には月曜日に来れば良いと思ってて、急遽このお盆休みのことを思い出して、私には早目に来たつもりだったのに、今日から休診に入っていたとは。 でも、何故か他にも患者さんがいらっしゃって、おまけに先生まで。で、今なら診察出来るとのこと。いつもの診察なら受付を済ませても結構待たされたりするので、先に実家へ行くつもりだった私はそのことを告げると、「今すぐ診察室へどうぞ」と仰る。バタバタした割には、血圧は上が120台になっていて、先生からすると理想的なんだとか。このままの状態が続けばいいし、脈拍なども多いのは運動不足から来ているとのこと。数値を下げるためには半年はかかるとか。少な過ぎるのも危険らしいけど私の場合は、常に100に近いから、ここはやはり心筋を鍛えるために適度な運動は欠かせない。座りっぱなしで長時間過ごすというのも勿論よくない。出来ることから少しずつ。。。ただ、血圧そのもののデータが無かったため、ノルバスクそのものの量は変わらず。早く半分にならないかな?それにしても、私の勘違いとは言え、いつも通りに診察してくださったのには感謝。これで私も明日から連続5日間のお盆休み♪珍しいお客さんが来られると母に聞いたので、13日は実家で過ごすことにしようかな?常々血圧の下の値にびくびくしていた私。夏休みを前にとても良い成績表を貰った様な気分。
2005.08.12
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献立は、魚の塩焼き、含め煮、きゅうりと若布の酢の物。添えの野菜はサラダ菜、かいわれ菜、プチトマト。果物はバナナ。◆魚の塩焼き。。。魚、大根。業者からは切り身の状態で届けてもらう。今日は、ブリ。塩を振って、予め熱しておいたグリルの天板にクッキングシートを敷いて、魚を並べて焼く。大根は皮を剥いてスライサーで大根おろしにしたのをザルに移して水気を切っておく。添えにする出し巻き卵は、冷凍のものを袋ごと湯煎して火が通ったら袋から出して8つ切りにしておく。◆含め煮。。。材料は、南瓜、三度豆、油揚げ、平天。南瓜は種を取り除き、一口大の一人2切れずつになる様に切り分ける。三度豆は斜め切り。油揚げは4枚届くので、人数分取れる様に切り分ける。平天は十文字に切って、一人2切れずつ。熱した鍋に油を引いて、南瓜から炒め、更に油揚げ、平天を加えて軽く炒める。だし汁を加えて、砂糖、酒、醤油、みりんで味を調え落し蓋をして煮る。三度豆は軽く塩茹でしておく。◆きゅうりと若布の酢の物。。。材料は、きゅうり、若布、オオバ、ちりめんじゃこ。きゅうりはヘタを取って薄切りにしたのに塩をまぶして馴染ませ、しんなりしたら塩を水で洗って水気を切っておく。若布は水に戻して小さく切っておく。オオバは軸を取って縦に3つに切ったのを更に細切りにしておく。ちりめんじゃこは軽く熱湯にくぐらせておく。砂糖、酢、醤油で、合わせ酢を作り、材料を馴染ませる。バナナを置き、サラダ菜を敷いたところへ魚の塩焼きを。左側に出し巻き卵を置き、空いているスペースに大根おろし、かいわれ菜を置き、はじかみ生姜を斜め切りにしたのを飾る。サラダ菜の上にプチトマトを。2番目には含め煮を。南瓜を2切れ、平天2切れ、油揚げを盛って最後に三度豆を新芽の様に飾る。3番目にはきゅうりと若布の酢の物を。魚の塩焼きそのものは調理としては超カンタンだけど、盛り付け、トッピングの品数がやたらと多いので結構手間がかかる。数の多い金曜日は早目に盛り付けに取り掛からないと。含め煮の南瓜は煮崩れせずに案外上手に炊けたけど、さて、問題は明日。南瓜は大き目のを一切れにして、盛り付けに工夫を加えないと。きゅうりと若布の酢の物は、レシピにはちりめんじゃこは無かったけど、若布だけでは余りに。ということで急遽加えることに。オオバの香りが何とも爽やかな一品に。 昨日と今日の分の日記を一度に書き上げて、さて、今から入浴タイム。皆さんも同じ様に仕事に家事にとお疲れのところを遊びに来てくださっているにも関わらず、本当に手が遅い管理人で申し訳ありません。お風呂の後、ゆっくりとお邪魔させてくださいね。
2005.08.11
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お供え物だけ持って叔父宅を訪問して、耳が遠くなった叔母とはこれといった会話もままならないまま、暫く写真の叔父と対話して引き揚げ、結局法要には参列しなかったのに、兄が何か言付かって実家へ預けてあると連絡があったのは、私が厨房にいるときだった。勿論携帯メールで。だから、まさかとは思いつつ、配達に出る前に「生ものは無いよねえ」と返信しておいた、その返事らしい電話がどうやら「第九」の練習の最中にあったらしい。勿論マナーモードにしていて、全く会話にならず。で、実家へ電話して、水曜日の仕事の帰りに実家へ寄ることに。そこで見つけたのが、この百合。実はここのところ、携帯からの画像が全くPCに届かず、待てど暮らせど。という感じに。本当は10日の夜のうちにはUPするつもりだったのに。大した百合ではないけれど、亡父に似てかなり背が高く伸びている。花も一輪だけではなく、一本の茎からいくつもの花が咲いている。本当に見事。父が生きていたらさぞ喜びそうな。たまたま、相棒さんがお墓に供えたいからと、配達の途中で咲いている百合を探しながら半分彷徨うみたいな感じで車を走らせて、気に入ったのをいくつか切り取っていたところだった。今年は何故か咲くのが遅くて、しかも茎は弱々し気だし、花だって小さい。お天気のせいもあるのかなぁ。ところが、実家で見つけたこの百合の見事なこと。。。木曜日には配達を担当することになるから、相棒さんにも是非見せてあげたいな。兄が言付かってくれたという荷物を引き取って、門をくぐるとそれはそれは綺麗な夕日が。何と水を張った田圃に映っている。夕日そのものよりも、田圃に映っているのが何だか不思議で、ちょっと挑戦してみたけど、思った程綺麗じゃないかな?距離のこともあるし、さて、水に映った感じに撮れたかどうか。。。?結局、淡路島最南の海岸線をひた走りに走るコースの配達を担当して、そのまま実家へ立ち寄って帰宅したのとそんなに違わない時間に夫が帰宅。仕方が無いので冷凍庫にあるものを適当にチンして食べることに。で、待つ間夫は冷たく冷えたビール。これは、いつもお世話になっている宝石屋さんからのプレゼント。市田ひろみさんの落款と思しきものまで付いている。このぶどうの絵そのものが市田ひろみさんのものなのか、ビアグラスそのもののデザイン、絵ともに市田ひろみさんのものなのか、今となっては定かではありませんが。実際のぶどうはまだまだ青くて(配達で回った所で見つけた限りでは)タイトルにはちょっと不似合いかも知れませんが。。。 結局、画像をUPすることが出来なくて待ちくたびれたのと、運転疲れもあって、サイトへ入ることも出来ずに水平飛行に移ってしまいました。朝になってPCは開いたものの、待てど暮らせど。。。で、出勤タイムは迫ってくるし、と言い訳ばかりで相変わらずresが滞ったままで、本当に申し訳ありません。厨房の暑さに体力まで失われつつあるみたいで。。。
2005.08.10
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9日付けの地元紙の『正平調』というコラムには、こんな風に述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。。。 『衆議院が解散した。国会解散のたびにさまざまな呼称がつけられるが、さて、今回はどんな名前になるだろう◆記憶をたどってみよう。首相の暴言からはじまった「バカヤロー解散」や議員の不祥事が相次いでの「黒い霧解散」があった。思わぬ造反で内閣不信任案が通っての解散は、文字通り「ハプニング解散」。命名しようがない「ムード解散」「名前なし解散」というのもあった◆今回は「郵政解散」が率直なところだろうが、この異例の展開だから「迷走解散」ともいえる。郵政民営化関連法案を参議院が否決したからといって可決した衆議院を解散するのは筋違いと、野党からは「八つ当たり解散」の声が聞かれる◆小泉首相は法案に反対の議員を公認しないようだ。となると自民党は分裂選挙で、政権を維持できる議席数が確保できる保証はない。そう押しとどめる意見を振り切って「伝家の宝刀」を抜いた。「自爆解散」。物騒な命名だが、政界の気分は伝わる◆首相とすれば「ぶっ潰し解散」か。小泉改革を阻む「古い自民党」はぶっ壊すというのが持論だからだ。かなり乱暴な政治手法だが、法案への態度でだれが味方かかを見極めたと受け止めれば、これは「踏み絵解散」◆国民の芽にはどう映るか。与野党の激突なら分かりやすい。しかし自民党内の亀裂で「国民に信を」では、「お門違い解散」と言いたくなる。ただし結果次第では政界再編の新たな幕が開くかも。ともすれば、どんな政権を望むかの「分かれ道解散」でもある。冷静に慎重に見つめよう。』 そして、やはり9日付けの社説欄には、「郵政」否決ー総選挙へ「小泉改革」問い直す機会がきたとある。そのまま引用させていただきます。 『小泉首相の執念は、ついに政局の激震を生むことになった。郵政民営化法案は参院本会議で否決。首相は「国民に賛否を問いたい」と衆院を解散した。政権党内部の確執が招いた選挙戦は、自民分裂のまま行われる公算が強く、政権交代や政界再編の可能性を秘める。政治空白も招く。しかし、いまの混乱は政治の機能不全を示す。国民にとって、解散ー総選挙は政治を選択しなおすチャンスととらえたい。問われるのは「小泉政治」そのものだ。 採血で反対・棄権した自民党議員は30人。終盤になって、態度を決めかねていた議員が反対に大きく流れた形である。 小泉政権が「改革の本丸」に掲げた郵政民営化が、もう一歩のところで、身内の大量造反で葬られる。首相は内心、いいようのない挫折感を味わっているだろう。 たしかに、前例のない異常事態だが、十分に予想できたことではなかったか。 衆参両院で計190時間も費やしても、反対派を説得できなかった。それ以上に、首相の強引な手法が反発を高めた面が強い。いくら確信があっても、「解散がいやなら法案に賛成を」の言葉など、「脅し」と受け取られても仕方ないものだった。 とはいえ、反対派議員の対応も理解に苦しむ。党総裁の公約にも同意できないなら、党を離れるのが筋だ。そもそも、総裁に担いだ経緯は忘れてしまったのか。 この間、郵政問題に対する国民の関心は低いままだった。当然だろう。 かつての国鉄などと異なり、郵政は目の前に危機があるわけではない。その分、ていねいな説明が要るのに、首相の答弁は意欲とスローガンが先走った。まして、ポスト小泉の思惑がからむ「政局」の様相を強め、首相も対決をあおる言動をくり返すようでは、国民はしらけるほかなかった。 残る疑問にこたえよ 否決を受け、首相は即座に衆院解散の手続きに入った。改革の確信に対する「ノー」は不信任と同じ、との言い分である。 解散を決める臨時閣議では、署名を拒んだ閣僚の罷免をためらわなかった。周囲の声をよそに、ひたすら突き進む。首相の強気が際立つが、総辞職ではなく解散を選んだ判断への疑問は放置されたままだ。 衆院で可決した法案が参院で否決され、衆院の解散に踏み切る。その理屈のおかしさに加えて、何のための解散ー総選挙なのか、意図も釈然としない。 選挙で勝ったうえで法案を再提出、あらためて郵政民営化の実現を図る。首相はそう考えているようだ。たしかに、可能性はないとはいえない。だが、いくら衆院で多数の支持を得ても、否決した参院の構成は変わらない。よほどの大勝でもしない限り、現実的には至難というほかない。 しかも、造反議員は公認しないと明言している。当選しても、一緒には組めないとも述べた。政党の対応としては当然とはいえ、その結果、政権党の座から転落する恐れもあると考えるのが普通ではないか。 「八つ当たり解散」などと野党側が批判するのも、無理はない。首相はまず、こうした疑問に十分こたえるべきだ。 彼岸の郵政民営化は頓挫したが、「自民党をぶっ壊す」というもう一つの公約の実現には一歩近づいたのかもしれない。 これまで結果の維持を優先してきた派閥は、意思統一を図れなかった。かといって党執行部による締め付けも効かない。たがが緩んできたことは否めない。 いずれにせよ、首相の決断は自民党内に修復しがたい亀裂を残した。任期1年を残して政権への求心力は大きく損なわれ、あってはならないことだが、重要な内政・外交課題の遂行に支障がでる事態も予想される。小泉改革の行方も不透明になる。影響はきわめて深刻といわざるを得ない。 改革の火は消せない 政治が十分に機能しないなら、自分たちで政権を選び直すほかない。今や、そう考える有権者は少なくあるまい。世論調査で多数を占める解散支持の声が、混迷を深める現状への国民の不満を示している。 総選挙の期日は9月11日に決まり、与野党とも一斉に走り始めた。その陰で、長い議論の末に法案が廃案になった郵政民営化そのものの行方が気にかかる。 解散に踏み切った首相の思惑が外れた場合、この先、10年は議論の場にものぼらないのではないか、とされるからだ。 郵貯と簡保が抱え込んだ3百30兆円を超える資金が「官」に流れ、不必要な公共事業を助長し、特殊法人の肥大化を招いている。郵政事業の効率化とともに、いびつな財政の基本構造を変えよう、という民営化の目標は間違っていなかった。 たしかに、法案は反対派の意向を汲んで譲歩をかさね、骨抜きにされた。何のための民営化かという疑問も募った。しかし、問題を抱えていても、改革の糸口になる可能性があったことは否定できない。 当初の狙いに沿った修正を探るのではなく、法案事態を葬り去る。長い目でみれば、その選択が意味するところは重い。 首相は、今回の選挙を「郵政選挙」と位置づけている。反対派や民主党など野党は、対案の明治を含めて、さらに議論を深めるべきだ。郵政改革というテーマをこのまま立ち消えにしてはならない。』 お金が集まるところには、群がる人たちがいる。。。元職員といっても、下っ端の下っ端。窓口業務に明け暮れていた私なんかには遠い遠い世界の話に思えてしまう。確かに、窓口業務そのものは国家公務員でなくても務まる筈。それはわかる。でも、民営化されたら職員への給与分の税負担が軽くなる。みたいな発言ばかりを繰り返して、私にはとても陳腐にしか映らなかったけど、真の目的が赤で囲ったところにあるとするならば、これは是非推進して欲しいところ。ただ、そのためにはやはり地方の郵便局をどうするか。など、誰もが納得出来る説明を!
2005.08.09
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一体、どのキーを押して、台無しになってしまったんだろう。もう、時間が無いというのに。。。さっきからレシピを書き終えて画像を貼り付けて、もう一息のところだったのに。。。また一からやり直し。気を取り直して。。。それにしても、一体、どのキーを押してしまったんだろう。バカな私。 献立は、おろし豚カツ、厚揚げとキャベツの煮物、春雨サラダ。添えの野菜はレタス、プチトマト、オオバ。果物はキウイフルーツ。◆おろし豚カツ。。。材料は豚ヘレ肉、大根。大根は皮を剥いて、スライサーを使って大根おろしにしたのをザルに移して水気を切っておく。豚ヘレ肉は厚さを揃えて切った状態で業者から届けてもらい、ボールに移して、塩、コショーを馴染ませ、小麦粉をまぶして余分なものははたき落として、溶き卵、パン粉の順につけて、熱した油で揚げる。大根おろしにはポン酢を混ぜておく。◆厚揚げとキャベツの煮物。。。材料は、厚揚げ(三角)、キャベツ。厚揚げは二つに切っておく。キャベツは2センチ幅、4~5センチぐらいの長さに切り揃え、熱した鍋に油を引いて軽く炒め、更に厚揚げを加えて軽く油を馴染ませ、だし汁を加えて、酒、砂糖、醤油、みりんで味を調え、厚揚げに味が染みるまで煮込む。◆春雨サラダ。。。材料は、春雨、きゅうり、ロースハム。春雨はたっぷりのお湯で茹でて、水気を切って3センチぐらいの長さに切り揃えておく。きゅうりはヘタを取って薄切りにし、塩を振って混ぜ込みしんなりしたら塩を水で流して水気を切っておく。ロースハムは3つに切り分けたのを重ねて更に細切りにしておく。それぞれ混ぜ合わせて塩、コショー、マヨネーズで和える。レタスを敷いて豚カツをおき、左側にキウイフルーツを置いて、味が混ざらない様にオオバを置き、大根おろしを添える。豚カツとレタスの隙間にプチトマトを一つ。(本当は二つだったのを、余りにも大きいのが届いたため、一つということに)豚カツのボリュームがたっぷりなので、ことさら大きなプチトマトを二つでは置く場所に困ってしまう感じ。明日はレタスをもう少し小さくするなどして工夫したい。キウイフルーツを置いてレタス。というのがいつものパターンだけど、実は先にキウイフルーツを置くのを忘れて先にレタスを置いたのは私。でも、色合いが、この方が良かったかな?と。2番目は厚揚げとキャベツの煮物を。厚揚げを一切れにしたので、キャベツは添える形に盛りつける。3番目には春雨サラダを。いつもならここへ人参が入りそうな感じだけど、ロースハムの色が薄いのできゅうりばかりが目立ってしまって彩りイマイチな感じ。 明日は叔父の初盆の法要があって、朝から出かけなければならず、今日は今日で母を眼科医院へ連れて行く約束をしていたものだから、午前中の時間を取られる感じになってしまって、結局仕事から戻って夕食、入浴を済ませてやっとPCタイム。と思っていつもの様に今日作ったお弁当を画像オプションに保存して。。。と段取り良く進めていたのに、何をどう間違えたのか、全てがパー。時間が無いと思うから余計にあせってしまう。叔父の初盆の法要といっても、住職さんが来られるのは11時とか。これではとても仕事には間に合わない。平日のしかも食数が多い火曜日だからとても仕事を休むわけにはいかないし(といっても、先々週は体調不良で休みましたが)法要の前にちょこっと顔を出す程度になってしまうけど、叔父さんならそれもわかってくださるかな?駐車場のこともあって、やはり皆さんが来られてごった返す前には失礼したいと思っている。 何故か明日は大事な会議があるとかで、配食以外に10食ちょっと早目に仕上げることになり、いつもの火曜日よりも更に30分は早く厨房へ入ることになって、少々ウンザリ。朝の時間は私にとっては本当に貴重なのに、今日は時間の関係で洗濯機も1回しか回せなかったから、明日はドッサリ。まぁ、放り込んでおけば洗ってくれるのだから有り難くはあるけれど。 相変わらずresもままならないままで、本当に申し訳ありません。。。
2005.08.08
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アサガオが咲きました。姪の娘が育てていて、たった一つ見つけた花に、「今年も咲いたんだ!」という喜びが。季節がきたら咲くのは当たり前といえばそれまでだけど。。。と、これは実は昨日見つけた花。何故か携帯からの画像が全く届かず、今朝になってやっと届いたので早速。。。蔓が地を這うタイプのアサガオだとは聞いていたけど、プランターに程好く鎮座している感じ。昨日見つけたのは偶然だったのか、今朝は6時には既にしぼんでいる状態で、エッ?アサガオって毎日花を開かせるものではないのかなぁ?と、今更こんなこと書いてたら笑われそうですが。姪の娘の夏休み中の課題なのかどうか、疑問ですが、これからいくつ花を咲かせるかそれも楽しみ。決して大輪の花ではないけど、アップに撮ってみたつもり。 花より団子とはいうけれど、「淡路音楽祭」が終わったあと、美味しいと評判のケーキ屋さんで、ちょっとした慰労会。車を運転してくださったからこそ会場へ辿り着けたという意味もあって、運転を担当してくださった人を除いた3人での負担額が1000円。だから、本当はケーキは4つなんだけど、無花果のタルトなんて私にはとても珍しかったのと、トッピングが綺麗な、プリンに木の実をあしらって目を楽しませてくれたケーキだけを。運転手には、お店で一番高いケーキを召し上がって頂いて、と、それは私には余り食べたいと思うケーキじゃなかったので。。。というわけで2つだけですが。 いちじくのタルトは、いちじくの美味しそうな部分をそのまま丸ごと使ってる感じで、とても手が込んでいる。いちじくなんて、個体そのものは形だって味だって違うだろうし、冷たく冷やして甘さを引き出す、将に季節限定のお菓子。昔は実家の裏庭にいちじくの木があって、蟻に食べられるのが早いか私が早いかを競っていたことを思い出して、何だか懐かしくなりました。もう一つのケーキは私が食べた方。ブルーベリーや、トッピングに使われていたチョコレート。目で見て楽しみ、舌で味も楽しむというとても欲張りなケーキ。 セットで頼むと小さなアイスがついていて私がパインのシャーベットを頼んだら他にも2人。そうそう、いちじくのアイスなんてのもありましたが、私はクリームよりシャーベットが口当たりが良いかな?と。先ずシャーベットを頂いて、それからケーキに取り掛かる。美味しいコーヒーと共に、ひたすらドイツからの男声アカペラ合唱団の見事なハーモニーに感動したことや、音楽談議に花を咲かせて反省会は終了。 昔、歌った歌の歌詞に、「音楽会のあとはなんにもお喋りしたくない。。。」なんてのがあるけど、感動って、ときにはそういう思いにさせてしまう。不思議。というわけで、ちょっとテーマからは、かけ離れてしまったかもしれませんが。。。今度は10月23日の楽しい方のグループの自主公演に向けて頑張ります。この日が交歓会(未定)と重なりません様。。。
2005.08.07
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『今日見つけた“花”は、なあ~に』というタイトルで書きたかったのに、携帯でPCに送った画像が何故か届かない。いえ、大した花ではないのですが、姪の娘が育ててるアサガオが一輪。今年初めて見つけたのが何だか嬉しくて。やっと咲き始めたんだ♪って。 今日は「淡路音楽祭」があって、午前10時に待ち合わせて、地元のコーラスから出演するメンバーは車一台で会場まで移動することに。さて、そろそろ準備をして出かけることになります。掲示板へ書き込んでくださった方のところへもお伺い出来ないままですが、申し訳ありません。 指導してくださる先生が夕方、障害を抱えた方の授産施設でちょっとした催しをされるとかで、そちらにも興味があって、覗いてこようと思っています。音楽療法士として活躍される先生の一端を垣間見ることが出来れば私自身の今後の参考にもなると思いますので、ドイツから来られる合唱団の方々との交流会は役員さんに任せて、私はそちらへ。。。で、夫は?
2005.08.06
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明日(「ヒロシマ」に原爆が投下された日)を目前にNHKなどでは様々な番組が報道されていて、昨夜も午後7時半からやっている「クローズアップ現代」で、原爆のことが扱われていて、どういう締めで終わるのかを見届けることが出来ないまま、コーラスの練習に出てしまった。 アメリカの学生たちの教室風景が映し出されて、「原爆を投下したから第二次世界大戦は早く終わった」と語っていたのが印象的だった。確かに、第二次世界大戦を早く終わらせるために。といえばそうかもしれないけど、投下された国、日本の惨状については全く語られていなかった。60年を経た今でも被爆の影響に苦しむ人たちがいること、そんなことは考えられないといった様子に驚いた。 原爆と、ベトナム戦争で使われた枯葉剤とを一緒にすることは出来ないけど、計り知れない破壊力、影響の大きさ。人間はとてつもない兵器を考え出してしまったものだと思う。力ず(づ?)くでも。というのは喧嘩などのときによくあるケースだけど、何が何でも相手を思い通りにさせるため。みたいに思えて、そんな殺人兵器をよくもまぁ、平気で使ったものよ。と思う。戦争なんだから、勿論勝たねばならない。でも、勝つためには手段を選ばない。でも、その前に、何のための戦争なのかを考えると、罪も無い人たちをどんどん殺戮してしまう戦争に一体何の意味があるんだろう? 裏に回れば、軍需産業で大儲けをたくらんでいる人がいて、常にどこかの国で戦争が起きて貰わなければ困る。なんて考えているらしい。とんでもないことだ。いつから人が人を殺して良い。なんてことになってしまったんだろう。同じ生き物でも、動物などは決して同種族を殺したりはしないと聞く。生きて行くために肉食動物や魚たちが餌にするのは確かに自分たちより小さい生き物だったりするけど、それと戦争とはまるで意味が違う。 果たして、『日本は原爆を投下されて当然の国?』だったのだろうか。だとしたら、『日本はそんなずるいことをしていたんだ』ということになってしまう。悲惨な状況ばかりを伝えて、原爆がもたらした被害のことだけを強調するのも片手落ちな気がする。ただ、3つ目の原子爆弾が今のところどこにも投下されていないことを幸いと思うべきなのかな?でも、いつ核兵器を積んだミサイルの発射ボタンが押されても不思議ではない現状にあるのかな?何故、日本が原爆を投下されなければならなかったのか。その辺のことはタブー視され続けたけど、問題の根幹はその辺にありそうな気がする。大人たちが間違ったことをして来た、その結果だったとしたら、子供たちにどうやって説明することが出来るんだろう。正しいことを知ろうとすれば、益々大人たちのことが許せなくなる?道を間違えていたでは済まない気がする。
2005.08.05
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献立は、揚げ鶏と茄子の煮物、じゃがいもそぼろ煮、なめこと春雨の酢の物。添えの野菜はサニーレタス。メインが煮物なので果物はつきません。揚げ鶏と茄子の煮物。。。鶏もも肉、茄子、人参、ピーマン、生姜。鶏もも肉は一口大に切った状態で業者さんに届けてもらい、小麦粉をまぶして軽くはたいて、熱した油で揚げる。バットに、砂糖、酒、醤油、みりんなどを合わせたタレに、生姜の皮を剥いてすりおろしたのを加え、揚げた鶏肉用と、茄子用にバットに分けておき、揚がった鶏肉を漬け込んでおく。茄子はヘタを取って縦半分に切り、更に、筋目をつけながら小さいものなら二つに、大きいものなら三つ切りにしたのを素揚げして、タレに漬けこんでおく。ピーマンは半分に切って種を取り出したのを3つぐらいに切り分ける。人参は皮を剥いて7ミリ幅の斜め切りにしたのを2ミリぐらいの厚さに切る。煮汁に人参から加えて柔かくなったらピーマンを入れて一煮立ちしたら火を止める。じゃがいもそぼろ煮。。。材料は牛ミンチ、じゃがいも、グリンピース。じゃがいもは皮を剥いて、長い方を半分に切り、大きければ更に半分に切ったのを1センチぐらいの斜め切り、小さければそのまま斜め切りにして水にさらしてアクを抜いたら水気を切っておく。グリンピースの水煮は缶から出して、塩茹でしておく。熱した鍋に油を引いて、牛ミンチをほぐしながら炒める。十分に火が通ったところへ、ジャガイモを加え、軽く油が馴染んだところへ軽く浸かる程度に水を加え、顆粒だしを加えて、砂糖だけで軽く煮て、更に、酒、醤油、みりんなどを加えて味を調え、じゃがいもが柔かく煮えたら火を止める。じゃがいもを盛りつけてから、煮汁が多い様なら取り出して、水溶き片栗でトロミをつける。グリンピースは盛り付けてから散らす。なめこと春雨の酢の物。。。材料は、なめこ、春雨、三つ葉。たっぷりのお湯で春雨を茹でて、水気を切って3センチぐらいに切っておく。なめこは袋から取り出して水にさらしておいて茹でて水気を切っておく。三つ葉は根を外して2センチぐらいに切ったのを湯にくぐらせて水気を切っておく。砂糖、酢、醤油、塩で合わせ酢を作り、用意した材料を合わせて味をなじませておく。サニーレタスを敷いて、揚げ鶏を置き、左側へ茄子を。更に左側へ人参とピーマンを。混ぜてしまうより、別々に盛りつけた方が彩りが良いと思って。ただ、煮物になっているのを、煮びたし風に揚げたのをタレに漬け込んだだけ。2番目はじゃがいもそぼろ煮を。じゃがいもを盛りつけてから、煮汁が多い様なら水溶き片栗粉でトロミをつけた状態でそぼろを飾る。更に上からグリンピースを散す。3番目にはなめこと春雨の酢の物を。揚げ鶏と茄子の煮物は全く初めての献立で、一緒に盛り付ける人参とピーマンを一体どうやって切ったらいいのか随分悩んで、煮るのなら大き目が良いかな?と。ただ、ピーマンは直ぐに色が変わるので、人参が柔かくなってから加えてサッと火が通ったら火を止めた方が良いと思う。なめこと春雨の酢の物は、三つ葉の緑がまんべんなく行き渡る様に盛りつける。相変わらず漬物は評判のよくない桜付け。実は母は歯が悪いので、食べ難いと言ってたけど。。。で、今日は実家がある地区の配達を担当して、「配食サービス」の写真を撮りたいと事務所の人が仰るので、母にモデルを頼むことに。母はどうしてもカメラが気になるみたいで、私がお弁当を渡して受け取る場面だから私にニッコリ微笑んで欲しいので、「こっち、こっち」と私が言うと、案外良い写真が撮れたと喜んでくださった。引き続き、2名の方にお願いして、写真撮影にご協力をお願いした。使い物になるかどうかわからないけど、広報に載せるらしい。まさか私の顔などは。。。カットですよねえ。 職場から帰宅して、せめてお弁当のUPぐらいは。と思ってたけど、今夜はコーラスの練習があり、午後10時に終わって帰宅後、入浴を済ませたらこんな時間。。。飲み会だった夫は勿論高いびき。どうやって戻ったのかは。。。?聞かないでおくことにします。あまり早い時間でもありませんので、今夜はこのまま休ませていただきます。本当に済みません。。。
2005.08.04
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7月3日に行われた調理師試験の合格発表が今日あり、受験番号が書き出されているかどうかを確かめるために、いつもの水曜日より早目に家を出て、午後1時15分前に兵庫県三原健康福祉事務所へ。受験番号を目で追って行く。数字からすると初めの方なのに、貼り出されていた数字ははるかに大きな8千番台。アレッ?と、何枚か貼り出された紙の下の方に目指す数字が並んだ紙。私の受験番号を確認して、ホッと一息。で、横には免許申請手続きの書類を受け取ってください。と書かれていたので、恐る恐る事務所へ入る。昼休み中にも関わらず親切に対応してくださって、本当なら8月3日に合格通知を発送することになっていて、それと引換えという形で合格証書が手渡されることになっているらしいのを、車の運転免許証で本人確認の上合格証書を受け取ることが出来た♪兵庫県知事の名前と知事印。これで申請書類を揃えて提出すれば晴れて調理師の仲間入り。大麻・麻薬・あへんの中毒者でないことの証明書は医師に。仕事の帰りに、診察時間は過ぎていたけど強引に証明して貰うにはどうしたら良いのかと尋ねたら、1500円で直ぐ出来ますよ。とのこと。尿検査とかが必要なのか、時間がどれくらいかかるものなのかと心配だったけど、これなら明日の夜は飲み会を予定している夫を職場まで送って、その足で証明書を受け取りに行っても仕事には十分間に合う。代金を添えて、戸籍抄本は受験のときので良いとのことだから、医師の証明書さえ受け取ればその足で、兵庫県三原健康福祉事務所へ行ってもお昼休みにはかからずに行くことが出来そう。やれやれ。試験が終わった後、自分なりの採点では、撃沈はまぬがれたと思ってはいたけど、やはり結果が出てみないことにはわからなかっただけに嬉しい。確かに勉強など何もしなくても、答えは択一問題だから運が良い人は適当に答えても合格することは出来る。真面目に考え過ぎて却って設問に惑わされたりする場合もある。だから、「あんなの簡単に受かるわョ!」と、簡単に言ってのける人がいる一方で、「最近の問題傾向はかなり難しくなってるみたいなので、相当勉強しないと」なんて声も聞いていた。ま、兎に角合格ラインギリギリだったとしても、合格したのだからやれやれ。講習会頼みなのに、2日のうちの後の1日は午前中を神戸市での臨床福祉心理士の講義と見事に重なってしまって、いつもの高速バスに乗り込んで、講習会場へ着いた時点で、午後からの講習が始まっていた。講習を受けられなかった時間を一生懸命になって説明してくださった、Miykaさん本当に有り難うございました♪そして、講習会受講の機会を与えてくださった、職場の皆さん、応援してくださった栄養士さん、本当に有り難うございました!
2005.08.03
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「淡路音楽祭」に向けての合同練習があったと同じ日に、「淡路吹奏楽祭」があったことを地元紙の報道で知って驚いた。当日の合同練習の参加者が少ないことにもちょっと疑問を抱いていたけれど、こういうことだったんだ。「淡路吹奏楽祭」は、吹奏楽コンクールの県大会へ向けた淡路地区予選大会を兼ねているので、選りすぐりの演奏が聴ける滅多に無い機会。淡路合唱連盟にしても、淡路吹奏楽連盟にしても同じ音楽に関連した連盟のはずなのに、どうしていつも日程が重なってしまうのかなぁ。合唱をやってる人だって、吹奏楽の演奏を聴きたい人は大勢いる筈なのに。まぁ、今回は合同演奏をしてくださる先生のご都合もあってのことかも知れないけど、「淡路吹奏楽祭」が1週間ずれたら今度は県大会の日程に合わなくなってしまうし、「淡路音楽祭」(音楽祭というタイトルがついているのに、何故かそれぞれの合唱団の発表会になっているのは、これも私にはとても不思議)と重なってしまう。身体は一つしかないから、結局合唱の方を優先するしかなくて、本当に残念。ただ、母校が部門別で県大会出場を決めたらしいことを、地元紙の地方版で見つけて、これは嬉しかったけど、尚更演奏が聴けなかったのが本当に残念。でもここは県大会出場を決めたそれぞれの学校には、是非とも県大会でも活躍して欲しい。 何と、7月26日付の地元紙の『正平調』というコラムに載っていたことを今更でもないのですが、『スピード』のことについてこんな風に紹介されていましたので、そのまま引用させていただきます。。。(今までずうっと『地元紙』という紹介をしていましたが、はっきり明かさないといけないのかなぁ?=神戸新聞ということを。これからはその様に) 『自動販売機の処理時間がどんどん短くなっている。ボタンを押して商品が出るまで、今ではどのメーカーも4秒が目安だそうだ◆大手メーカー・グローリー工業(姫路)は、それを1・5~2秒に縮めた。10秒が目標の時代もあったらしいから、驚くほどの速さである。ではそれを求めているのはだれか。ほかでもない。速さに慣れると「もっと速く」と望むせっかちな日本人である◆JR宝塚線の脱線事故から3ヵ月がたつ。運転再開後、最高速度が120キロから95キロに落ちた。自販機にみる日本人のせっかち度からすればいらだつ人もいそうだが、紙面で乗客を読む限り不満は聞こえない。命には代えられないということだろう◆考えてみれば、時速が120キロから95キロになって何か不都合がおきているだろうか。尼崎~宝塚間で、たかだか1分半ほど遅くなっただけである。事故原因は調査中だが、この1分半のために多くの命が失われたかもしれない◆折から次世代新幹線のニュースが昨日の紙面に載った。新大阪~東京間で約5分の時間短縮だそうだ。先端技術を駆使したと聞かされても、何の感慨もわかなかった。それがどうしたという気分である。これが事故3ヵ月での率直な思いだ◆しかし、自販機の処理時間を秒単位で縮めさせた日本人のことだ。そのうちJRへ速度アップを求めだしかねないが、これはやめよう。せんじ詰めれば、速さをあがめる私たちの側にも事故の一因はあるのだから。』 実は、昨日のお弁当の2つ目の献立がタコと小芋の煮物だったのに、業者の手違いで小芋が届かなかったから在庫ではとても足りない。電話をしても、「担当と連絡してみます」では拉致があかない。で、八百屋さんに無理を言って、ジャガイモを届けていただくことに。ただ、こういう場合は届けられる速さが最優先されるけど、公共の交通機関などでは勿論安全が最優先でなければ。。。「芋・蛸・南瓜」の芋って、本当はじゃがいもじゃないけど、小芋が一つとジャガイモが一切れ。本当は小芋が3つの予定だったのに。
2005.08.03
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平成17年前期D1コース「臨床福祉心理士(初級)」の講義が4月7日から始まり、カウンセリング原理、福祉環境心理学、家族カウンセリング研究、福祉カウンセリング研究、ストレス・カウンセリング研究、ケースワーク研究、異文化カウンセリング研究、犯罪心理学研究といった講義があり、8月20~21日にかけて、人間関係心理学、カウンセリング演習などを含めた、自己開発、ラボラトリートレーニングで初級コースは終了することになる。それぞれの講義は午前9時に始まって、途中休憩を挟んで3時間。午後から職場へ出る私は神戸・三ノ宮を正午過ぎに出る高速バスに乗り込むために、無理を言って10分前には退室させて頂いた。さて、この10分間に、どんな内容の講義が行われたのか非常に気になるところだけど、課題のプリントを仕上げて次の講義に提出した限りでは何とか合格点? ただ昨晩、犯罪心理学研究の分の課題を仕上げていて、久し振りに受講する前に買った心理学関係の参考書4冊を紐解いたりしていて、参考書もときには目を通さないと何のために購入したんだか、という気持ちが沸いてきた。と同時に、課題を提出してしまえば、もうそれで終わりみたいなものが自分の中にあって、どういうことを一体何の為に勉強してきたのか訳がわからなくなってしまった。 『物質的な繁栄の時代にあって、物の豊かさだけでは真に世界の平和の確立や人々を幸せにすることができず、反対に心は益々飢餓状況に陥っているのが現状である。福祉の更なる充実は、心の豊かさを抜きにして語ることはできず、心の豊かさの欠如とその回復は、国民全体の問題でもある。同時に一般住民一人一人の心理学的問題であるし、心の意識改革の必要性も指摘される。』という風に述べられていたことが、私が福祉カウンセリングを学ぶきっかけにはなったけど、果たして。。。自分自身を高めることになったかどうかも疑問。初級として受講する講義は後二つ残っているけど、結局は人の話に耳を傾けてあげることしか出来ない私。最初は「初級」だけで精一杯と思っていたのを、10月から始まる「中級」に進むべきかどうかで迷っている。「初級」を終えただけでは、ほんの少しかじっただけで結局は何もかもが中途半端に終わってしまいそうな。ネックになるのは交通費。往復に4千円もかかってしまう。住んでいるところが同じ淡路島でも例えば岩屋なら、高速船で千円なのに。。。と、こんな次元の低いことで悩んでる私。月に8千円の交通費をさてどうやって捻出するかな?4枚綴りの回数券を購入しても800円割り引かれるだけだしなぁ。。。つくづく田舎! 先週体調を崩して休んでしまった「第九」の練習は午後7時半から。車で20分余りの距離の場所に夫が借りている駐車場があって、そこへ車を置いて練習会場までは歩くことに。汗かきの私は、少し余裕を持って行きたいので、仕事が終わってから直行状態。なもので、言い訳ばかりですがお伺いできなかった皆さん、本当にごめんなさい。。。
2005.08.02
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早くも今日から8月。1日と月曜日が重なってとてもきりの良いスタート。献立が月をまたぐということも無いし。。。と思ってたら、月末が水曜日なんですね。ってことは、結局は最後に月をまたいでしまうことになるんだ。 さて、献立は、魚焼き付け、たこと小芋の煮物、マカロニサラダ。添えの野菜は、メインにキャベツと三度豆の胡麻和え。果物はつきません。◆魚焼き付け。。。材料は、魚の切り身、オオバ、絹さや、玉葱、人参。魚を普通に熱したグリルの天板にクッキングシートを敷いて、塩焼きにする。オオバは縦三つ切りにしたのを更に細切り、絹さやも細切り。玉葱は皮を剥いて、縦半分に切ったのを芯を取って、切り口を下にして、薄くスライスする。人参は極細い千切りに。ボールに南蛮漬け風のタレを作って、野菜を漬け込んで味をなじませておく。別のバットに魚を漬け込む用のタレを取り分けて、焼き上がった魚に味を馴染ませる。添えのキャベツと三度豆の胡麻和えは、キャベツは三度豆2本分ぐらいの太さ、長さは4~5センチに切り、茹でて水気を切っておく。三度豆は大体3つぐらいに気って塩茹でしたのを水気を切っておく。胡麻を炒ってまな板の上で叩き、みりん、醤油、砂糖を合わせた合わせ醤油に加えて、水気を切っておいた、キャベツ、三度豆に味をなじませる。アルミカップに入れて盛り付ける。◆たこと小芋の煮物。。。材料は、たこ、小芋。たこは業者に頼んで茹でて薄切りにした状態で届けてもらう。小芋は冷凍のものを袋から出して、一人3個ずつになる様に数えておく。たっぷりの出しに、砂糖、醤油、みりんで味を調えた煮汁に小芋を加えて十分に火が通るまで煮込む。小芋に火が通ったところでたこを加えて一煮立ちしたら、火を止める。◆マカロニサラダ。。。材料は、マカロニ、かにかまぼこ、きゅうり。マカロニはたっぷりのお湯で茹でておく。かにかまぼこは袋から取り出して、3つ切りにしたのを熱湯の中へくぐらせて冷ましておく。きゅうりはへたを取って薄切りスライスにしたのを塩でもんで、しんなりしたら塩を洗い流して水気を切っておく。材料を合わせて、塩、コショー、マヨネーズで和える。当初、酢を使わずに甘辛味の予定が、甘辛ベースのタレに漬け込んでおくと、辛くなるということで、酢を加えることに。3番目には本来、きゅうりとかにかまぼこの酢の物を予定していたのを、メインに酢を使うということで、3番目の酢の物を急遽材料はそのままにマカロニを加えてマヨネーズで和えてサラダに変更。メインの添えに作ったキャベツと三度豆の胡麻和えをアルミカップに入れ、コーナーを合わせて三角になる様におき、焼き魚を。上に野菜をたっぷりと載せる。2番目にはたこと小芋の煮物を。先に、小芋を3個置いた余白にたこをたっぷりと盛りつける。3番目にはマカロニサラダを。たこがかなり多目だと思ったら計画では45人分の材料だということ。実際作ったのは39人分なので、多い筈。でも煮てしまったものを再加熱して明日の分に加えるということもできないので、そのまま盛り付け。今日の人と明日の人にちょっと差が出てしまうけど。こればかりは。。。そして、焼き魚に載せる野菜には当初絹さやが入っていなくて、何か緑のものを。ということで加えたけど、色があせてしまうので、明日はピーマンを、ということに。彩りだけの問題ではないけど、ピーマンだと歯ごたえもあるし、香りもそれなりに。。。食数は100足らずだけど、一体いくつになるんだろう。切り込み作業は結構大変。添えの野菜を胡麻和えということになると、一手間違うし、アルミカップに入れるとなると尚更段取り良くしないと。。。
2005.08.01
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