全3件 (3件中 1-3件目)
1
午後8時ちょうどに、家の電話が鳴った。またもしや。姑事で施設からか・・・と、内心ひやひや。ワン切り詐欺的なのも最近特に多いから、我がはいつも留守電まで待つ。珍しくメッセージが入るので、あーやっぱりか、と半ば諦めつつ伝言に聞き入る。ん? あら? これって・・・・・・慌てて受話器を持ち、「もしもし」 と呼びかける。留守だと思ってたら、伝言録音中にこっちが出たから、受話器越しに向こうの緊張感が飛び出してくるような勢いで。「あ、あきやまさんのお宅でしょうか? 先日は私どものお試し受験講座にご参加頂き・・・」と、マニュアル通りに一気に最後まで言っちゃおうとゆー必死さが痛々しい。「あの、間違い電話だと思います」と私が言った時の、驚きようったら!「あきやまさんじゃないんですか?? 失礼しましたっ!」今度は受話器から熱を帯びた汗が飛び散りそうな恥ずかしさが、こぼれ出てきた。若いって、いいな・・・(遠い目&細い目)最近の若者は、ラインやメールがコミュニケーションツールだから、電話が恐怖と聞いたことがある。私が新人の頃は、職場の電話を誰よりも先に取らないと「使えない」と思われたような時代だ。最初に勤めた会社は、お堅い出版社だったからN○Tから専門家がやって来て、電話講習会なんかを、大真面目に受けさせられた。「そういうマナーが今も役立ってるよね」と一昨年当時の同僚達と集合した時、口々に言い合ったくらい、あの事が想い出になり、今も個々に身についている。今日の新人と思われる担当さん。言葉遣いの感じが好い人だっただけに、惜しい。正しい相手先はおそらく受験生の親御さん。お試し講座の窓口を任されたであろう電話の主は、この電話のアフターフォローの仕方で、今後の契約がとれるかどうかの大事な仕事のはず。もしあの時私が留守電を無視したら、彼は何の間違いにも気づかず、生徒1人を逃してしまったかもしれない。そこまで考えすぎるのも、大きなお世話だろうが。とりあえず、あきやまさんでもないし、真面目に懸命に伝言を入れる青年に間違いを間違いと正してあげたかった、私、お節介だから。* * * * * * * * * *先日の母からの電話。ちょうどその1時間ぐらい前にダンナと、母が前に我が家に餅をくれた話をしていた。ダンナがお米の国の人だから、子供の頃から正月じゃなくても日常食で餅を食べており好物だと、前に帰省した時に母に話したら、「そんなに餅が好きなんかえ??」とすごく驚き、家にたまたまあった餅を私が貰って帰ったのだ。その事を思い出し、夫婦で話していたその後すぐに。開口一番、「Kさんは餅が好きなんやろ?」と。私と母、ダンナも認める程、【猫電波】で繋がっているので、今回もまたすぐに母に“届いた”らしい。「いろいろ送るついでに、M(=私の弟)に頼んで買うて来てもらうから。こっちにも結構おいしい餅があるんよ。」と。数日後、予告通り荷物を受け取る。中から出るわ出るわ袋売りの餅の山。餅処でもない我が故郷の、一体どこが作ったものだろう?と袋の裏を見てみたら・・・んーー、これは・・・ダンナの故郷の餅じゃないか! どこが地元のおいしい餅だよ?まーでも、去年の夏以降、ワケあって一方的に「ゼツエン」を宣言してきた実弟が、我が家いや我がダンナのために、これを買って来てくれたのかと思うと、感慨深い。早速翌朝食べたみた。見た目は西の丸餅だが、味と粘りは米処らしく本格的。ちょっと柔らかく煮すぎたけど、おいしいよ。あのふてくされてる弟が選んだのかと思うと、なおさら・・・★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「『愛してるけど、好きじゃない』には、ビビった。」
2017.02.23
コメント(4)
風雨が吹き荒れたり、汗ばむほどの陽気になったり・・・このところの天候の不安定さには困りものだが、外を歩けば、風や陽射しに甘い香りを感じる。誰にでも平等に確実に“春は来る”のだという、今はただそれだけを支えにひたすら耐え忍んで過ごす日々。姑事がようやく落ち着き、自分たちの時間が少しだけもてる番になり、仕事と介護関係とで疲れの溜まったダンナが、マイコプラズマにかかる。その看病と心配をしながら、自分の体調も崩れてきているのに気づく。婦人科系ガンのリスクを防ぐために、飲み続けている薬の副作用が服用開始から半年経った今、再び出てきてしまった。この薬の副作用については、去年の春に特殊手術を受ける前にも一度服用時期に経験済み。あの時は、まったく初めての服用だったから、想像以上に副作用が派手に起きて、自分でも何もコントロールできない状態だった。もちろん今の副作用も、自力で抑える術はない。だから始まってしまったら、受け容れるしかない。「ああ、私の体が悪い物を排除しようと闘ってくれているんだな」と。そう自分に言い聞かせ、納得して耐えるしかない。それにしてもなぜ、今の今なんだ? ここ数か月、副作用も忘れて普通に暮らせていたのに・・・やはり心身の安定を保つのに最大の敵は、ストレスということか?姑が施設に入所が叶い、やっと気が楽になると思ったら、全然逆で入所から今まで、担当から何度も何度も夫婦で呼び出しを食らい、心の安定が奪われてしまったから。それが終わるとダンナの心配で、結局気が休まる暇がなかったから。そんなこんなで、昨日今日と頭が奥から疼いている。寝ても温めても治まらない。非常時用に貰った鎮痛剤はあるものの胃が弱いので、すぐに頼りたくもない。子宮周りの予告なしに起きるトラブルも気がかりで、外に出るのも億劫。おかしなもので、好い事と悪い事ってそれぞれ、来る時はいっぺんにやって来るよな。我が家だけかな?今は好くない事がまとめて起きがちだけど、この先に暖かい春が待ってる。この辛さに耐えて、抑えて、踏ん張って新しい力を蓄えて、小さな芽を息吹かせるのだ!★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「最近の癒しは、ぢょゆうIのインスタグラム。」
2017.02.21
コメント(0)
このところの紙媒体の売り上げ低迷で、ペン職人な私も年明けから開店休業状態に近く・・・・と思ったら最近になり、やっと自分の都合で依頼を断れるくらいまで状況が回復した。“断る”なんか、上から目線な! こんなこと、ホントはできない。フリーランスや特殊派遣の身で、来た仕事を請けないなんか、自殺行為でしかない。それだけ一度断ったら最後、「次の仕事はないと思え」というのが多分、この生業に就くものの共通の心得と言える。それは、一度仕事でミスしたら・・・と置き換えても同じ。今の職場で働き始めて通算10年程になるが、3年くらい前に初めて大失敗をした。このブログでも悔しさを書き残しているから、その時に受けたショックは、読み返せば今も情けなくて泣けてくるかもしれない。それが姑の介護疲れと私自身の闘病治療の投薬による副作用が招いた不注意のせいだとしても、私生活こんなに大変なんで・・・とか、私に仕事を振った責任者や依頼主の出版社には全然どーでもいいこと。仕事を与えられた、そして請けたからには、どんな事情を抱えてても“プロ”として完璧に、相手の求める以上に仕上げなくては。「責任をもってください!」と日頃穏やかで控えめな私の娘でもいいくらいの若い担当に、本気で叱られたあの時も、言い訳はせず潔く自分の非を認め、彼女と社長に詫びた。その後はもう、いつ首を切られても仕方のない思いだったが、その不安よりもう二度と同じ間違いはしない!絶対に許されない!!と、仕事の依頼を請ける度、口に出しても言い聞かせていた。次はもうない。「ごめんなさい」では許されない。たかが雑誌。されど雑誌。それでも作るからには、手を抜けない。今の時代にわざわざお金を払って買ってくれる、楽しみにしてくれる読者がいる限り。今日の嘆かわしいニュース。大手出版社が、歴史本を発行するという間際になって、内容に誤植があることがわかり、発売中止になったという記事を見た。その数、約30か所!! 信じられない!!!活版印刷が主流だったひと昔前に比べると、PC上でレイアウトもデザインも原稿書きも校正も何でも最短でできてしまう便利な時代になった今、前ほど多くの人の手を介さなくても、簡単にスピーディーに出版物が作られる。だからと言って、内容で手を抜けるわけではない。取材だって、原稿書きだって、校正校閲だって、印刷だって、どれもこれも本気で向き合わなくちゃ、“それだけ”のモノにしかならない。手前味噌になるが(古いな)、私が編集者だった頃は、今の出版物より中身が読み応えもあるし、情報量の豊富さも素晴らしかった。それが自分の手掛ける雑誌じゃなくても、ライバル誌やそれ以外の雑誌でもどこも競うように、取材を惜しまずいい読み物を作っていた。今やメディアの形が進化して、素人でも無責任に情報発信できる時代になり、多様で斬新な読み物はお腹いっぱいになるほど、日々垂れ流されているけど、“プロ”としての責任やプライドが要らないラフな分、内容も信憑性に欠けるし、誤植誤字さえも構わない。もちろんお金を払う書籍雑誌すべてが、お金に見合う価値をもち、正しい事を書いているかと聞かれれば、それは私もわからない。例えば下世話な芸能情報を扱う雑誌の性質上、「真相はいかに?」みたいに結末を適当に濁して逃げる的なスタイルを売りにしているモノもあるから、全部が全部、正しいとは言えないのが、歯痒いところ。でも、それでも、時間をかけ、体力も心も消耗して苦労して作ってるはずの商品に、本気で取り組んでない作り手はいないと思う。そう思いたい。それなのに、こんな恥ずかしいニュース。よりによって有名な、そこそこ伝統もあるはずの、あの出版社が?同業の片隅に居る者として、30か所に及ぶミスがありながらそれを涼しい顔して売ろうだなんて、他人事ながら身震いがしそうなくらい怖い。誰もミスに気づかないなんて、どう考えてもありえない。手抜きにしてもふざけすぎ。無責任にもほどがある。校閲や校正は一冊が完成するまでに、何段階にも渡り、沢山の人の目を通し間違いを正していく地味で奥深~い作業である。その細かすぎる網の目を、安物のザルのように潜り抜け、完成してる段階で30個も間違ってるとか、担当全員が仕事してない、としか思えない酷さ。しかも噂では、ミスに気づき最初は正誤表を付けてそのまま売ろうとした、と。さすがに、同情するのも無理だ、これ。出版社として、編集者として、今後どう信頼を回復させるのか?こんな半端な気持ちで大手が本を作ってたら、ますます紙媒体が売れなくなる。お金を出してでも読みたい雑誌や本を、作り続けるプライドを活字に関わる限り、私は持ち続けてたい。それが読み手に対する誠意でもあり、活字に魅せられてる活字しか弄れない者の使命だと勝手に思い込み、仕事の声がかからなくなるその日まで赤ペンを握り続けてやる。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「♪ちゅーる ちゅーーる ちゃおちゅーーるーーー♪ 一体どんな魅惑の味なんだ???」
2017.02.09
コメント(4)
全3件 (3件中 1-3件目)
1