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「最近メガネを外して文字を見てると(職場の人が)笑うんだ」出逢った時には視力のかなり良かったダンナが、メガネをかけるようになったのはこの家に移り住んだ後のことだけど、まだ10年は経ってないはず。仕事でPCを頻繁に使ううち、自慢の視力はみるみる下がり、近視用のメガネが定着。それが最近、老眼にもなったようで、これまでのメガネが合わず、職場で作業の時にメガネをずらして見てるらしい。私も婦人病の皮下注射投薬が強すぎて合わなかった頃、副作用で一気に老化が進行し、突然老眼の症状が出てきた。だから活字を大量に読まなきゃならない職場でも、初めのうちはこれまでのメガネが全く使い物にならず、本当に困った。恥ずかしいけど、ミスはできないので、ちょこちょこメガネをずらしては、細かい文字を読んだりしてた。周りは多分、気づいていたかもしれないが、老若男女ほとんどが裸眼ではない職場なので、そんな仕草くらいで奇妙に思われる心配がない。ダンナの職場だって、一部若いけど似たり寄ったりな世代のクセに、よくもまあ人の事を笑えたもんだ。悪い人は基本居ないと信じているけど、そういう体に関するデリケートな問題を、へらへら笑いのネタにする神経は信じられない。人との縁、人とのつながりが一番大事な職種でその態度・・・はっきり言って私ならあまりそういうデリカシーのない人種とは、関わりたくない。自分の事をデキた人種だとは思ってないが、とにかくそういう人の弱い部分を平気で嘲笑うようなこと、私はしたくない。その相手が自分に災いを及ぼす存在なら、憎くて一瞬意地悪な考えが浮かぶかもしれないが。一体うちのダンナが、アンタ等に何をしたって言うんだ? そういう人達からすれば、一見おとなしく思われがちで、イジリがいのあるおっさんなのかもしれないが、アンタ等だっていつまでも強いイジメっコ側でいられると思ったら大間違い!! いつか必ず、同じ目に遭う。「人にバカと言った自分がバカなんだよ」と小学校までに一回位聞いたことないのか? 人の老化を笑うな! 今はどんなに若くてぴちぴちキラキラしているとしても、自分だって必ず通る道だ。現に自分の姿を鏡で見てみろ。今のアナタは、どんだけ素敵でかっこいいんですか? そんなに自分に自信あるんか?私、若い頃でも一度も自分に自信なんかもったこと、ない。他人を笑えるほど自分が優れてるとか、簡単に思える人が羨ましい。いやホントは全く羨ましくない!昨日はそんなモヤモヤした気持ちを抱えてしまったので、不愉快な心の沈殿物を流しに鎌倉の山側から海側まで、2時間位ひたすら歩く。陽射しも気温もちょうどいい感じで、ウォーキングに適した時季がやって来た。上り坂下り坂・・・人生のような、感情のような起伏の多い地形を思い存分楽しみながら、自分の中に降り積もった澱を、汗と息とともに全部吐き出す。仕上げはインテリアにこだわった、初めてのカフェで飲む淹れたてのコーヒー。私にはマイルドすぎたけど、ダンナは気に入ったようで、ならば良かった。この日は私以上にダンナの癒しが目的だったから。次の発散日にコーヒーを飲む店も、見つけた。あんまり発散したくなるほどの不快な気持ちを、度々溜めこみたくはない。でも日々生きてると、いろいろ思うようにいかないし、悶々とすることも多い。子供達のはしゃぐ声、木々のそよぐ音、トンビやウグイスの声、横切る猫、自生する花々、磯の香り、波の音、どこからか漂う夕飯の匂い・・・すべてに五感を研ぎ澄まし、頭も心もからっぽに、ただ歩くに限る。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「薬の副作用のせいか加齢のせいか、何を試しても全然痩せる気配がないぞ!と。」
2017.04.21
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夕方の買い物に出た先でのこと。スマホチェックをしようとしたら、スマホケースの色にも負けない赤がカバーにべっとり。なんだ??と慌てつつ左手をたまたま見ると、手のひらにもそこそこの流血。なんだ?なんだ??と更になり、指先を見るとまだ血が流れ出てるではないか。その二日くらい前、空いた缶詰のフタを触った時に、うっかり切ってしまったのだ。止血をして、傷口もふさがったから、絆創膏も取ってしまってたのに。そこがまた、バッグを触った時の何かしらで、パックリ割れてしまったらしい。痛くも痒くもなく、傷口も大きくないのに、血の流れっぷりはかなり派手。こんな日に限ってバッグに絆創膏が入ってない。長年切れ味のいい紙を仕事柄使ってるので、この手の傷は慣れっこだから、絆創膏は必携。だからいつも欠かさず持ち歩くのに、珍しく入ってない。ちょうど立ち寄った場所に薬局があるから、観念して一箱買い、運よく空いていた休憩所のソファに腰かける。“応急処置”に汗する私のことを、じっと見ている人が居る・・・ひとり分空けて座っている人が、どうやらこちらをずっと向いている。と、思ったら「ここ(スーパー)はお弁当とか置いてます?」と誰かに聞く声が。身を乗り出した格好の先に居るのは私しかいないので、間違いなく彼女は私にそれを“答えてほしい”のだ。でもその答えを聞く前に、彼女は畳み掛けてきた。●●町にひとり暮らしでご飯作るのも面倒、88歳で、その先のカルチャーセンターに絵を習いに行き始めてと、絵を数点見せられ・・・・・・・最初は弁当があることだけを教えて席を立つはずが、彼女に強引に押し切られ完全にロックオン状態となり、もう後には引けない。へーだのほーだの言ってごまかしてはいたが、舌も滑らかに彼女は、“要らない”情報を私の頭に植え付けていく。その頭の回転の速さと新しい物事や人間への好奇心があれば、ボケる暇はないだろう。デキのいい自慢の息子には、あと二年で施設に行けと勧められているとか、同居をしようと言われてるとか、「そんなの嫌なのよね~」と愚痴を嬉しそうに言いながら、私の相槌を満足げに弄び、更に話そうとする。絆創膏もとっくに巻き終わったし、彼女の話も一、二度ループしたので、さーてどの理由をつけてその場を去ろうか・・・と考え始めた矢先、助け舟が!真ん中の席に彼女より10歳は若いおばさんが、「お話し中、いいかしら?」とやって来た。でも気を遣って「こちらに座ります?」と私に横にずれるかと聞いてきた。いやそれだけは是非とも避けたい。せっかくのトークを止められた老婆は、少しご機嫌斜めな顔色になり沈黙してる。どさくさに紛れ、「それじゃお元気で。失礼します」と逃げ去った私。最後に見た彼女の”寂しそうな目”が、忘れられない。私に自慢話を聞かせていた時間の、あのキラキラした瞳の灯が、一気に消えてしまったような虚ろな目。きっと彼女はほんとうは、毎日寂しくて仕方ないのに、息子や他人の前ではああやって強がっているのかもしれない・・・なんて、勝手に彼女について考えると、なんだかとってもかわいそうになった。でもあの気力と立派な体力(腰も曲がらず、杖にも頼らず)があれば、この先も最強な毎日が過ごせるだろう。心の穴は私のような暇人をその都度捉まえ埋めればいい。高齢者が多く暮らすこのエリアは、温暖な気候で気さくな人柄が影響してか、都会に比べオープンマインドな中高年が目につく。こうして買い物に出ただけで、毎日のように誰かしらに話しかけられ、しばらくの時間を共にする。もともとマンウォッチングが好きだし、学生の頃、心理学にも興味を持ったりもして人との関わりや人の行動・想いみたいなものを知るのが楽しみでもある。そんな流れで、編集者やライターという“人と関わる仕事”を選んだわけで。あの時代に毎日凄い時は100枚くらい名刺交換をしたり、取材で様々なアーティストや著名人それに関わる人達に話を聞いてたおかげで、どんな人に対してもそこそこ動じず、相手の目を見て、相手の話を引き出すことが得意になっていった。今は完全に裏方となり、黒子の仕事に徹してるので、無口で真面目な職場に合わせておとなしく黙って仕事してるが、こっちは本当の私じゃないことくらい自分でもわかる。きっともうインタビューをする立場に戻ることはないと思うが、人の話を聞くのは大好き。それがこの日常の中で叶えられるなら、それは私の役目なのかも?と、これまた勝手に。傾聴ボランティアみたいなもんか? 実際にその活動を真面目にしている方達に、失礼かもしれないが、この町に暮らす私が、何かしら町の中で役に立てるのだとしたらこうして誰かに自分の存在に気づいて、自分の話を聞いてほしいと願う人に役立てよう。これだけ知らない人達に声を掛けられるということは、考えようによっては、“私の存在”が彼等に見えてる、ってことだ。暇すぎると時々、自分が何者かわからなくなる。そんな自分が何者かに気づかせてくれる、いい機会でもあるから、これからも周りの声に耳を傾けよう。そして話を聞いてあげよう。★ ★ ★ ★ ★今日のちょっと長めのひとこと。「(期間限定だけど)わが家から富士山が拝めるのに昨日気づき、感動。学大に住んでた時も見えて驚いたが。富士山ってホント、大きいんだなあ。」
2017.04.17
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多忙な時間を繰り返す中。やっと辿り着いた休みに、昼まで起きられない程疲れ果てているのに、私が止めてもかえってムキになり、せっせせっせと施設へ通うダンナ。そこまでしたって彼女は、家族に感謝するでもなく、今までのワガママを詫びるでもなく自己中な母親(姑)でしかないのに。○○家の息子ふたりときたら、何を必死に入れ代わり立ち代わりこうして、嫁ふたりの気持ちまでも払いのけて、毎週のようにあの場所へ行ってしまう? もう充分好きに生きた自分勝手な人の為に、どうしてそこまで若い方の自分らが、自分の人生や守るべき家族を犠牲にしてまで尽くさなきゃならない?そんな彼らに酷く呆れながら私は、この家の嫁としてのツトメは、前のように必死にしない!と決めた。そこはもう、姑の世話に最初から全く加わろうとしない“要領のいい”義妹を見習って。「この先命に関わる事がない限り、姑には会いに行かない!」とこの前、ダンナに宣言した。(一昨年、2年ぶりに私がやっと帰省できた時)「次に(九州に)あんたが帰るのは、うち(母)の死んだ時でいいんで」と母に言われ、「私達親子はそれ相当の覚悟をもって生きている。」とも付け加え。だから姑の為に、施設の行事も家族会にも参加なんかしない。自分の親にできない事を姑にはせめて・・・と思いを込めて頑張ってきたけど、それでは実母があまりにも可哀想。姑との関わり方を変えてからというもの、この頃私、眉間にシワがよることが減った。心配事は細々あるが、それを悩んでもどうしようもないから、いつもの『なるようになる』に任せ、なるだけフラットな気持ちを保って、それ以外の“心動くこと”を考えたりして、楽しい時間を取り戻そうとしてる。姑事から無理矢理逃げたおかげで、数年ぶりに自分の為だけに使える時間ができた。夢中になってる海外ドラマのシリーズを、シーズン1から連続見して、その世界にハマりにハマって。今ではダンナも巻き込んで、このところふたりで暇さえあれば内容をあーだこーだと語り合い、くだらない時間で埋められた日が平和に過ぎていく。雨が止んだ今日は、なんとか満開をキープしてる桜を見に歩く。ほんとは施設に行くと言っていたダンナが、やっぱり行くの止めたと言い出したから、しめしめと思い北鎌あたりぶらぶら・・・と考えたが、思いのほか冷えるしお祭りの真っ最中で、うちの近所までカートゴロゴロ族がやって来てるくらいだから、わざわざこの時期に行くのはよそう、ということに。だから知る人ぞ知る地元の名所を買い物がてら散歩して、かなり薄めのピンクの群れを愛でる。おばちゃん達は元気だ。どこに行っても集団で騒いでる。カメラ片手にとにかく元気。あのくらい強い年寄になんないと。ただ強いだけじゃなく、花を綺麗と言える感性もあるといい。そこがあれば見習える。あんな風にあの年でも元気で、気の合う仲間と花を見上げて笑っていられれば。早い夕食を外で済ませ、家に帰り着いたら電話が鳴った。姑の2つ上の御兄さんが亡くなった、という報せ。「じゃあ○曜日、俺は休んで行かなきゃいけないか・・・」訃報を聞いたダンナは、困惑気味に呟いた。いや、行く必要はないだろう。あんな遠い場所まで。個人的にものすごいお世話になったならまだしも、お義母さんでさえ年賀状書くのが精いっぱいなくらいの薄いつき合いなのに。そんな関係でわざわざ自分の仕事を休んで行くなんか。職場が何しろ許さない。あーそーですか行ってらっしゃいと送り出すような柔軟さや余裕は、あの職場にない。それならいっそ辞めて行けと、追い出される方が、ありえる。そんな自分の今と、疎遠の伯父さんの葬儀と、どっちが大事?と問う私。私だって、その人以上にもっと世話になってる伯父や伯母や叔母の死にも立ち会っていない。その事をダンナに再度話し、自分にとって今一番大事なモノを冷静に考えさせ、違う方法で伯父さんやその家族には、誠意を尽くす事を提案した。私がかつてそうしてきたように、彼にも。冷たい人間のようだが、私にはそうやって、大学進学で上京してきた頃からある程度の“割り切りと諦め”の癖がついている。どんなに家族を大事に思っても、遠すぎて向こうの思う事すべてに応えてあげられない。どこでもドアがあったら、どんなにいいか・・・本気でそう思って今日まで。何度も歯がゆい思いを繰り返し、諦める癖をつけてきたから、大人になる度、相手との距離を詰めすぎない、という事を覚えた。だから今の私の家族に対しても、同じスタンスでいないと、きっと心身もたなくなる。だからこそ、時に冷たくもなる。姑に対して、今まで距離を詰めすぎた。この前ダンナに“初めて”彼女が、「(私は)どうしているか?」と聞いたそうだ。そのくらいは、してもらわないと。でもそれぐらいでは、会いには行かない。ほいほい余所行きの顔して、いい嫁のふりなんか、もう二度としない。私の一番、ダンナの一番、それぞれの“たいせつ”を、見失わないように。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「ライオンの香箱座りに癒される。」
2017.04.10
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一年以上の時間をかけて日々悩み、焦り・・・今の自分に最適の治療法を探し続けてきた。そしてやっと見つけた特殊手術。私の場合、婦人化系のいくつもが重なり合いかなりの厄介な症状になっている。その特殊手術は重なったうちのひとつにしか効かないかもしれない、術後モルヒネの効かない痛みを味わうことになる・・・と言われても、長年抱え続けてる痛みや不安のうちのひとつでも“解消”できるのなら、このチャンスに賭けるしか、ない。僅かな“可能性”に希望をもって、心で祈りながら受けた手術から一年。一か八かで挑んだ手術が私に有効だったかどうかを知るため、MRI検査を受けた。検査後に主治医に呼ばれ、結果を聞くときの気分はまるで志望校の合格発表を待つ受験生のよう。術前に撮った画像と比較しながら説明をする先生。合併症が酷いので劇的な変化はないものの、それでも素人目にでも判るほど“違い”が見て取れる。術前と術後に合併症の治療とガン予防として新薬を服用しているが、その効果もかなり出ている感じで、副作用はまだ時々突然あるもののこの効き目のおかげもあり、私にとってはやはり特殊手術をした“効果”は願っていた以上である。完全にやっつけられる病気でもないし、これからも今までと変わらず一日に2錠の服用は必須だが、過去あれこれ試し続けてきた投薬治療に比べればたいした副作用でもないし、精神的なダメージも少ない。これで今の状態が保てて、これ以上好くならないとしても悪くなる恐れもないというなら、私は今の試練を潔く受け入れよう。前の病院のまま治療に行き詰まり諦めて、“子宮全摘”を選ばなかったからこそ、の今。長年診てもらった先生には悪いけど、あの時、あの病院を去って転院を決断して本当に良かった。あそこで決断を間違ってしまったら、全く違う自分と生活になってしまっていたと思う。色々迷い悩み調べただけのことはあった。考えられる手段やチャンスは全部使い果たした。あとはもう、気の持ちよう。「病は気から」というのは正しいと思うから、自分の中に在る“信じる”気持ちを持ち続け、「(完治しないと覚悟はしてるが)治る治る」と身体じゅうの細胞に言い聞かせ、不可能を可能に変えてみせよう。そのくらいの強い気持ちで、今日からまた前だけ向いて生きていく。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「そろそろ新しい花、植えたいなぁ。」
2017.04.01
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