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ポンボさんから回ってきた「いいことバトン」。以前に「調味料バトン」というのが回ってきたけど、最近はこの類が流行っているのだろうか。せっかく声をかけていただいたので、やってみましょう。1 その日にあったいい事 ひょんなことから、市内の研究機関の研究者とお話したこと。 最近は「ステキな男性!」と思える人になかなか出会えないのだが、 この方はトビッキリにステキな方だと思う。 年齢は60代前半。前職は某国立大教授で、現在も名誉教授とか。 そんなこととは知らぬが仏で出会った人なのだが、 偉ぶらず謙虚で誠実な態度、穏やかな笑顔、丁寧でありながら飾らない話し方。 もうお話しする機会はないと思うが、出会えたことに感謝!! (朝、このバトンのことは頭にインプットされてはいたが、まさかこんなにいいことが起きるとは・・。バトン効果でしょうか) 2 数ヶ月以内にあったいい事 何と言っても、コンサートが成功したこと。3 こんな事があったらいいなという事 もちろん、地球上から紛争がなくなること。ありえないでしょうけど・・。 4 次にまわす5人 バトンリレーは昔から苦手なので、受け取るだけでご勘弁を。 ただし、勝手に繋いでくださることには、陰ながら感謝します。
2005年08月31日
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実家の畑に蒔いた蕎麦が収穫期を迎えていた。これは夫の「手打ち蕎麦」のためのものである。実家の父は、前日「早く刈らなくては、蕎麦が落ちる」と気にしていたので、夫と私の都合上、1日に刈りとり作業をすることにしていた。・・・ところが・・私が出かけようとしていた10時頃、母からの電話。「お父さんが一人で蕎麦を刈っているんだけど・・」父は脳梗塞で何度も倒れている。幸い体の障害は残らず、「軽い失語症」程度の後遺症ではあるが、いつまた倒れても、コロッと逝ってもおかしくはない。だからこそ、今出来ることをやりたいという思いは強く、その上に、気になり始めたら気になってしょうがないという、老人特有の傾向性が強くなっている。だから、私たちが決めた「1日」までは、待ちきれなかったのであろう。しかし、北海道とは思えぬ蒸し暑い日に、一人であの蕎麦刈り作業をさせたら、父の体がとても心配である。しかし、一旦始めた以上「やめて!」といくら叫んでも、「いや、大丈夫だ!」と作業続行に決まっている。私は電話で叫んだ。「わかった。午後から私も一緒に刈るからと、今はやめさせてちょうだい」それからは、大急ぎで今日中に行く事にしているところを駆け回り、行けないところには、「明日伺います」と連絡し、汗だくで実家に着いたのが12時半。(なにせ、私は自転車で走るしかないから・・)この蕎麦は「夫の趣味としての蕎麦」なので、夫に無断で全部刈り取ってしまうのはまずいと思い、母からの電話があってすぐに夫にも電話を入れた。夫は「1日に刈るからって言え!」と言ったが、それで納まるなら苦労はしないのだ。「そんなこと言っても、もう止められないと思うから、私が午後から刈る」と言ったのだが、夫も「じゃあ、ヨロシク」と言う気にもなれなかったのか、午後から一緒に作業に加わることになった。というわけで、一息ついてから夫婦二人で蕎麦刈り・・のつもりだったが、やはり父も母も出てきてしまう。まあ、いいや。私たちの手伝いをしていて倒れたと言うことなら、さほど世間体も悪くないだろう。・・なんて、こんな時にも「世間体」が頭をよぎる自分に苦笑。はっきり言って、父や母の体はいつどうなってもおかしくはないのだ。心配なのは、その時にすばやい対処ができなかった時に、お互いに妙な罪悪感を抱くことや、他人に対しての言い訳がましいことが重なること。お互いに気をつけていた上で何が起きようと、それは「仕方がないこと」と割り切れる気がするのだ。それにしても、蒸し暑かった。私は汗腺があまり活発に働かないようで、すぐにのぼせた状態になってしまう。だから、結果的には汗をダラダラ流す83歳の父よりも、私の方が真っ赤な顔をしてフーフー喘いでしまい、父に「お前は少し休んでおれ」なんていわれる始末。・・・情け無い・・・それでも幸いだったのは、今年は台風などが直撃せず、蕎麦が倒れたり絡まったりしていなかったこと。つまり、とても刈りやすかったのだ。それに、雨風で蕎麦の実が落ちていないので、昨年の倍くらいの収穫が期待できそうだ。のぼせ状態でフラフラしながらも、父よりはずっと若いというプライドにかけて頑張り、何とか作業は終わらせた。実家で一休みしてから、自転車で20分の我家への道のりは、結構長かった。向かい風だったのだ。というわけで、久しぶりに体力を使った一日であった。【31日朝記す】
2005年08月30日
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この数週間、心配しながらチケット販売にいそしんでいたコンサートが、昨日、無事に終了した。「この町では、クラシックコンサートのチケットはなかなか売れない」と脅かされ、散々心配していたのにも関わらず、結果的にはそんな悲観的予想をぶっ飛ばすように、多くの人が足を運んでくださった。補助金を得てチケット代を低額にした効果もあったようで、今までこのようなコンサートに来る機会がなかったような方も大勢。私自身は、裏方として色々心配したりチケット代の集計をしたりしていたので、ゆっくりと音楽を楽しめるというわけにはいかなかったが、別の意味での感動がたくさんあった。このようなコンサートに初めて足を運んだという、私の同級生(男性)。チケットを買ってくれた時には、「俺、眠っちゃうかも・・」と言っていた。その時私は、「寝たっていいよ。それだけ気持ちよくなれたら癒し効果絶大って証明だから」なんて言っていたのだが・・。終了してからの彼の言葉、「いやー、やっぱり本物の演奏ってすごいね。鳥肌立っちゃったよ」小学生の子どもにも聞かせたいからと買ってくれた人は「でも、途中で飽きてしまって嫌がるかも・・」と言っていた。今回は「家族でも楽しめるように」ということで、誰もがどこかで耳にしたことのある曲を選んでいただいたのだが、そのせいもあったのか、来てくれた小学生達はみんな集中して聴いていた。その姿に、大人の方が感動。農家の主婦として、朝から夕暮れまで農作業と家事に追われている40代女性。終了するなり駆け寄ってきて、感動でキラキラした目で私の手を握った。「ありがとう! 誘ってくれてありがとう! 仕事ばっかりで毎日疲れ果てていたんだけど、今日は体中がマッサージされたような感じだよ。何だか体が軽くなったみたい。ホントにありがとう。また誘ってね!」音楽に詳しいわけではないこのような人たちの声は、私にとって何よりの喜びだった。「頭の中がジーンとしてきた」と言う人もいた。「鳥肌が立った」と言う人は、何人もいた。「チケットはなかなか売れないよ」と言っていた人たちは、「よくこれだけの人が来てくれたですね。すごいです」と言ってくださった。どちらも嬉しかったけれど、日頃コンサートに足を運ぶ機会の少ない人の方が、純粋に演奏に感動して楽しんでくださったような気がするのが、少し面白い。さて、これからは支払いや報告書などの後始末の仕事があるが、とにかく無事に終わってヤレヤレである。
2005年08月29日
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sowonさんの日記の高校野球と商業主義と勝利至上主義とを拝見して、まったくだ・・と感じた。時々「同じ部活なのに、野球など目立つスポーツだけが注目されるな・・」とは思っていたが、あまり真剣に考えたことがなかったからだ。特に野球は「甲子園出場」がその高校名を全国に知らしめることになるから、単なる「教育の一環としての部活」ではなくなっているのだろう。・・とまでは考えるきっかけをいただいたが、もともと私は「高校野球」にはあまり関心がなかった。それに、今まで北海道のチームは「参加することに意義あり」のような感じでもあったから、決勝戦ですら、最初から最後まで見たのは今年が初めてじゃないかと思う。(去年は、「エーッ! 優勝しちゃったの?!」という感じだったような・・)確かめるために去年の日記を確認したら、優勝したにも関わらず日記に書いてさえいなかった。体育系部活の体罰的指導についても、正直なところあまり真剣に考えていなかった。長男は中学・高校・大学と「剣道部」に所属していたが、制裁的な話は聞くことがなかった。それに、どちらかというとマイナーな部活だったせいか、「負けて悔しい花いちもんめ、勝って嬉しい・・・」という話ばかり。今度息子に会った時には、「連帯責任や体罰的指導の有無」について聞いてみよう。
2005年08月26日
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日曜日に開催するコンサートのことで、この数日走り回っている。私は、音楽関係のイベントに関わるのは初体験だったので、今まで関わることが少なかった人たちと協力しながら、何とか赤字にならないようにと奮闘中。先週のチケット販売状況は、私の予想外に苦戦していて、それからはかなり焦って色々な人に声をかけまくっている。この計画をした時から、「この町では、コンサート開催は難しい」とは言われていた。しかし私は、今まで福祉関連の講演会や映画会では、何とか目標を達成していたので、今回はそれよりも販売数が少ないせいもあって、多少楽観視していた。しかし、今まで関わったことのない人たちを中心とする実行委員会のため、その人たちが「そんなに甘くない」というのだから・・とは思っていたのだが・・。やはり甘くはなかった。しかし、私はそんなことでは「ムカッ!」とはしない。コンサートなどが頻繁に開催される町ではないから、そんなこともあろうかとは思う。私がムカッとするのは、「チケットが売れない」とぼやく人たちが、「だからこの町は文化度が低い」というようなことを言う時だ。そのような言葉の裏に、「私はクラシックが大好きだけど・・」というような、多少驕った感じがあったら、なおさらである。私は協力していただいているわけだから、「そうですか・・」と曖昧に言葉を濁すしかないし、その上で「ご苦労かけますが、よろしくお願いします」と言うしかないが、それだけに頭を下げながらも複雑な気分。「文化」って、いったい何なんだ??クラシックに関心があるから文化度が高くて、演歌ならだめなのか?クラシックバレーなら高尚で、盆踊りなら程度が低いのか?今まで私が付き合ってきた人たちの多くは、確かにクラシックコンサートには積極的に足を運んではいなかったかもしれない。しかし、今回のことで声をかけた人たちは、みんな快くチケットを買って下さった。だから、私自身は割り当て枚数の倍以上は売っているし、チケット販売に苦労はしていない。(苦労したのは、今まで付き合っていなかった人達とのコミュニケーション)今は、販売に苦戦している人のチケットを引き受けて販売中だ。おかげさまで、赤字にはならない目途がついてほっとしたところ。そして、「売れない・・」と言う人たちに「何とかなりそうです」と連絡すると、これまた「すごいですね。そんなに売れるなんて、今までなかったことです」だって・・。褒められているのだから悪い気はしないが、天邪鬼な私はまたまたムカッ・・。この町の文化度が低いと、文化度の高い人たちだけで嘆いていたから、皆さんのお仲間が広がらなかっただけではないですか?声をかけあったら助け合える風土がこの町にはあると私は思っている。頑張っている人を応援しようという人も沢山いる。残念ながら、それは「分野ごと」になっていて、幅広いネットワークになってはいないようだけれど・・。私は、クラシックに詳しいことが文化度が高いとは思わない。お互いに協力し合ったり、良いものは良いと喜び合ったり、「よくわかんないけど、クラシックも悪くないねえ」と感動できる感性が、とても大切なのではないかと思う。これも、文化度の高い人たちから見たら、「田舎者の負け惜しみ」かな。
2005年08月25日
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またまた、駒大苫小牧事件から思うことを書く。今回のことは指導者の体罰問題であり、生徒の暴力事件ではない。だから高野連でもその処分について困惑しているようだが、私に言わせたら、その体罰教師を処分することで十分ではないかと思う。高校側の対処のまずさもあったと思うので、それにもそれなりの処分があっても良い。しかし、あの優勝旗を手にするまでプレッシャーの中で必死で頑張ってきた子ども達に、その責任を負わせるのは間違っている。そんなことを考えること自体が、私は変だと思う。学校の中では、「連帯責任」が常識化しているのだろうか。もちろん、「みんなで渡れば怖くない」の類の不祥事であれば、連帯責任ということもあるかもしれない。しかし、まったく「個人的なこと」でまで連帯責任なんて、決して教育的な方法とは思えない。反対に、「責任転嫁」を教えているようなものではないか。「連帯責任」で、またまた思い出したことがある。これは私が中学生の時のことだった。当時、私たちの中学校には制服はなかったけれど、学年・クラス・姓を記した「名札」を付けることが決められていた。制服ではないから、着替えるたびに名札も付け替えなくてはならない。だから、名札を忘れる人が多かった。いくら注意しても指導しても名札を忘れる生徒がいることに業を煮やした担任は、ある日「お互いに注意しあわないから、連帯責任だ」と、罰として全員で体育館を走ることを命じた。その担任は、「自分にも責任がある」と言って先頭を走ったから、私達は「一人のルーズさがみんなに迷惑をかけるのだ」ということを学んだ側面もある。しかし、私はどうしても納得できなかった。どうしてクラスメイトが名札を忘れたというだけで、私まで罰としてのランニングをしなくてはならないのだ?面と向っての反論などできるわけもなかっただけに、悔しさと納得できない思いは、心の中に沈殿した。その悔しさは矛先を変え、「いつも忘れ物をするあの人のせいだ」という気持ちにもつながった。(忘れ物はよろしくはないけれど、これは個人的気質の問題もある。 私自身、最近はとみに忘れっぽくなって、それだけで自己嫌悪になりそう。 今の私に「忘れ物」が人の迷惑になると責められたら、生きていかれないよ)。もちろん、ルールを守らないことは良くない。だが、ルールは時々意図せずして破ってしまうこともある。それを「連帯責任」ということで無関係の者まで罰しては、本当の責任の取り方を、本人自身が見失ってしまうこともある。学校文化の中から、「体罰」と一緒に「連帯責任」も無くして欲しい。もう一つ、気になっていることがある。体罰を受けた生徒のことだ。彼は今、このような騒ぎになってどのような気持ちでいるだろう。彼が今後、居場所をなくしてしまわないかと心配である。【追記】上記の日記で、「学校文化の中から、「体罰」と一緒に「連帯責任」も無くして欲しい」と書いたことが、「連帯責任すべてを否定」しているように感じられたようだ。これについては、色々な人の書き込みから、書き方が適切ではなかったと反省した。それで、下記のように訂正します。安易な連帯責任はやめてほしい。連帯責任をとらせる場合は、本人達が納得できる理由を説明してからであるべき。
2005年08月24日
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駒苫の野球部長が、部員をスリッパで叩いたというニュースで、思い出したことがある。次男が小学3~4年生の時の担任が、サンダルで子どもの頭を叩いたということを・・。その女性教師は、かなりヒステリックな人だったようで、気の弱い次男は、その担任になってからオドオドするようになった。参観日の時などは、子供たちがとても緊張している様子がわかり、何となく気になっていたのだが・・。でも、担任教師が体罰をしているとまでは思っていなかった。息子の様子が気になったので、学校で何かあるのかと思い、私は息子に聞いた。すると息子は「先生がキライだ」と言った。その理由が、「怒った時に叩いたりする」というのだ。もう20年も前のことなので、私は多少の体罰は教育にはつきものだろうという認識であった。だから、「きっと、悪いことしたからでしょ」などと言ったと思う。しかし、さらに詳しく聞いているうちに、それは私の想像を超えていることにビックリした。子どものランドセルを床に投げつけて踏んだとか、自分のサンダルを脱いで子どもの頭を叩いたとかいうのである。それを聞いて最初に私が心配したのは、息子がそんな仕打ちをされたのか?ということだった。しかし、それをされたのは息子ではなく、多少乱暴で先生の言うことを聞かない子のようだった。それにしても、ランドセルを足で踏んだり、スリッパで頭を叩くなど、常識で考えても言語道断。ましてや教育者のやることではないし、許せることではない。さすがの私も、そこまで聞いたら怒り心頭、「それは、先生が悪い。お母さんが先生に言う」と言ってしまった。すると息子は、恐怖で引きつるような顔をして、「絶対に先生には言わないで!」と泣きそうになった。その表情には、母親に言ってしまったことへの後悔の色があった。息子は先生の仕返しが怖いのだと、私はすぐにわかった。その息子の怯えた表情に、「わかった。今は先生には言わない」といわざるを得なかった。それから、私は随分悩んだ。絶対にそのようなことを容認してはならないし、そのようなことをされた子どものことも心配だった。迷った末、私はPTAの役員をしている人に相談した。すると、彼女もそのことで悩んでいることを知った。当事者の親からも相談されていたのである。それから間もなく、参観日の後の学級懇談会でそのことが問題提起された。この時には、学級委員の招集により、ほとんどの親が懇談会に参加した。当事者の親が涙ながらに話したり、「子どもがこのように言っているが・・」という発言があったりで、はっきり言って担任の説明と反省を求める懇談会だった。しかし、担任教師は一言も言葉を発しなかった。弁解もしなかったけれど、謝りもしなかったのだ。空しい時間が流れ、やりきれない思いで懇談会は終わった。私は「絶対に先生には言わないで」という息子の顔が浮かび、怒りで心中は煮えくり返っていたが、何も発言ができなかった。その後、多分体罰を受けた子供たちの親が、教育委員会に訴えたと思う。しかし、どのような対処がされたのか、先生への処分はなかった。息子はそれ以来、私に学校での嫌なことを一切言わなくなったしまった。その代わりのように「早く5年生になりたいな・・」と呟くのを何度か聞いたことがある。自分の履いている靴やスリッパで、人を叩くことは絶対に許されることではない。その教師だって、絶対に友達同士ではそんなことはしないだろう。その行為には、相手への「蔑視」が必ずある。カッとなって思わず手が出るというのとは、まったく違う。スリッパをわざわざ脱いで、手に持ってから叩くのだ。そんなことが発覚したら、即座にその教師はクビにしていただきたい。
2005年08月23日
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駒大苫小牧の野球部長が部員殴る、高野連に報告せず今朝のこのニュースには、頭から冷水を浴びせられた気分。二度目の甲子園優勝という快挙の影には、こんな現実もあったのか。いかなる理由があろうと、教育者の生徒に対する暴力行為は、私は絶対に容認できないという立場だ。しかし、スポーツ指導の場面では、指導という名のもとの暴力が、従来、結構一般的なことではなかったのだろうか。いつもこのようなことが明るみに出た時には、必ず学校側は陳謝し、当事者はそれなりの処分、そしてまた、それが生徒である場合は「連帯責任」での処分となる。しかし、本音のところでは、スポーツ関係者は「ある程度のこと(暴力に近い制裁)は必要」と容認しているのではないか。だから、いつまでたっても学校内での暴力は後を断たない。それは、「部活の場面」だけではなく、学校内での教育全般に関わることだ。高校野球は、あくまでも教育活動の一環だ。そこに「暴力」があってはならない。今回のことについて言えば、そのような中で歯を食いしばって頑張ってきた野球部員達が、とても可哀想だ。しかし、彼らの中にももしも暴力を容認するような感覚があったとしたら、それは間違っている。暴力で他人を思い通りにしようとしてはならない。恐怖で人の心を支配してはならない。彼らのすがすがしい笑顔が、このことで曇ってしまうことが本当に残念だ。これからの処分がどのようなことになるかわからないが、これを今後の人生への大きな教訓として欲しい。【追記】上の日記を書いてからニュースやブログを見ていたら、「保護者からの匿名の電話で発覚」とか、「言い分が食い違っている」などと書かれたものもあった。このような場合にはありがちなことだけど、いよいよなんだか気分が悪い。そしてまた、「この程度のことで・・」などと書かれた文章を読むと、暴力を容認する感覚は、随分根を張っているのだと痛感する。
2005年08月23日
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昨夜、坂本九没後20年ドラマスペシャル 『上を向いて歩こう 坂本九物語』を見た。もう、あれから20年も経ってしまったのだなと、年月の過ぎる速さを感じる。彼が生きていた頃には、さほど歌が上手な歌手とは思っていなかったのだけど、今聞くと、とても味があって暖かくて心に染みる歌声だと思った。この手のドラマだと、見ているうちに本人と演じてる俳優の顔が重なってくることが多いのだが、山口君が最後まで「坂本九を演じている山口君」のままだったことが、少しばかり残念だった。それだけ坂本九さんは、余人をもっては代えがたい個性を持っていたということだろう。でも、山口達也さんも柏木由紀子役のともさかりえさんも、熱演していたと思います。彼が北海道のテレビ番組「ふれあい広場・サンデー九」の司会をしていたので、北海道民、とりわけ福祉関係者にはとても懐かしい人である。彼の番組で勇気付けられた人たちがどれほどいたか、その功績は言葉では言い表せないくらいだと思う。私もテレビ番組はいつも見ていたし、何度か九ちゃんの姿に直接接したこともある。ただ残念なことに、直接お話をする機会はなかった。話をしようと思えばできたのだけれど、彼と話をしたい人たちがいつも沢山取り巻いていたし、特別彼と話をしなくてはならないことはなかったので、あえてそのような機会をつくらなかったことが、今となっては残念である。私の町の福祉施設にも何度も来ていたため、何となくいつでも会えるような気がしていたせいもある。彼が障害を持つ人たちと話をしたりしている笑顔を垣間見て、彼の笑顔には差別・偏見・哀れみがないことに好感を持っていた。どんなに障害を持つ人たちを理解しているような話をしていても、そのまなざしに「蔑視」があったなら、特に障害を持つ人たちはすぐに感じるものだと思う。九ちゃんと嬉しそうに楽しそうに笑ったり話したりしている姿で、彼が本当に人間としての純粋な優しさで人と向き合っていることが感じられた。だから、私も坂本九ちゃんを尊敬していたし、福祉の啓蒙者としてとても貴重な人であり、いつまでも彼がこのような仕事をしていて欲しいと願ってもいた。だから、あの事故はとてもショックだったし、彼を失ったことは福祉分野にはとてつもない損失だったと思う。あれから20年、彼のような人はまだ現われてはいない。今更ながら、惜しい人を私達は失ってしまったと思う。北海道栗山町には「坂本九思い出記念館」があります。
2005年08月22日
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新党「日本」、浮動票獲得どこまで 「小沢氏の別動隊」の声も政治家というのは、私のようなフツーのおばさんとは違う考え方をする人たちのようだとはよく感じるが、このニュースにも「??????」しかない。このことについては、リンクしているぼちぼちさんmskさん、呉雅力さんなども日記で触れているけれど、私にはどうしても田中康夫知事の思考回路構造が「わけわからん!」。案外、単純な構造なのかもしれないとは思うが、それにしても信頼できないやつだというのが率直な印象。(もともと、彼は個人的には好きなタイプではないが)長野県の人たちは、複雑な心境だろうと思う。もしも我北海道知事がこんなことになったら・・想像するだけで不快である。【追記】上の日記を書いてから、田中知事に理解を示すうるとびーずさんの日記発見。そのような考え方もありますね。小泉内閣 支持率63・6%にこれにも、ギャーッ!という感じだ。小泉自民党の戦略は見事に当たっている。というより、みんな罠にはまってしまったか?!日本の庶民をあなどるなかれ・・と言いたいけれど、いったい結果はどうなるのか。
2005年08月22日
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『沖縄「戦後」ゼロ年』目取真 俊(めどるま しゅん)著、NHK出版/生活人新書この本はsowonさんの日記で知り、ぜひ読みたいと思って図書館にリクエストした本である。目取真俊氏について知ったのも、sowonさんの日記だったような気もする。最初に読んだのは、「群蝶の木」と「魂込め(まぶいぐみ)」だった。これですっかり魅せられてしまって、その他の本も読みたいと思いながら時が過ぎていた。今回、この本を読んで、さらに日本と沖縄について考えてしまった。本のあとがきには、次のように書かれている。60年――。これほどの長きにわたって、これほど狭い地域に、これほど巨大な規模で外国の軍隊が占拠している地域が、沖縄以外に世界であるだろうか。しかも、1972年の5月15日以降は、米軍だけでなく自衛隊も占拠に加わっている。 アジア・太平洋戦争で日本のアジア侵略の一翼を担い、最後は「国体護持」のために「捨石」にされた沖縄は、その後「太平洋の要石」として、戦争と占領、植民地支配が継続する60年を送ってきた。果たして沖縄に、戦争が終わった後としての「戦後」はあったのだろうか。 日米安保体制の負担を沖縄に押しつけ、軍事演習や米兵による事件・事故に沖縄住民が苦しんでも、日本政府はそれを根本的に変えようとはしない。その政府を選択しているのは日本人である。日本の安全のために沖縄に基地があることは仕方がない。日本人の圧倒的多数はそう考え、沖縄への差別を行い続けている。 そういう日本人はまた、いざとなれば平気で沖縄を切り捨てるだろう。60年前と同じように。あるいは、アメリカ本土への9・11自爆攻撃以降、沖縄旅行のキャンセルが相次いだように。切り捨てられる怯えるトカゲの尻尾であることを、沖縄人自身がやめなければならない。踏みつける足を自力ではねのけなければ、日本政府もアメリカ政府も足をどけはしない。私にとって沖縄は、はるか南の島であった。戦争の時に沖縄がどのように悲惨な戦いに巻き込まれたのかは、ある程度の知識としては持っていた。昨年、父の沖縄への慰霊の旅に伴い、いくつかのガマに入壕し、観光タクシー運転手and平和ガイドのUさんから様々な説明を受け、多少は沖縄への理解を深めたつもりでいたが、まだまだ知らないこと、気付かないことが沢山あったことに、この本は気付かせてくれた。そしてまた、私たちが目に触れることのできる写真や映像の影で、沖縄の人たちが受けていた現実はどのようなものであったのかということも・・。そう、私達は沖縄の人たちの戦争から現在に至る苦しみに対してあまりにも無知で、そして鈍感であった。さらに私は、沖縄の人たちに対してヤマトンチューが抱く差別意識には、あまり実感がなかった。昨今の沖縄ブームを見ていても、沖縄の人たちの人間性や自然に対して、憧れてはいても差別感を抱いているなんて、考えてもみなかった。しかし、沖縄の人たちは、日本人の隠された差別意識を感じていたとは・・。無知であり、無関心であるということは、差別や偏見に加担しているということなのだ。それを再確認したことが、私にとっては一番のショックであった。沖縄が北海道であったとしたら・・。沖縄が四国であったとしたら・・。沖縄が東京であったとしたら・・。それはありえない仮定などとは言わず、日本中の人たちが自分のこととして考えてみなくてはならないと思う。sowonさんも書いていらっしゃるように、この本が多くの人たちに読まれるようにと願う。
2005年08月21日
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信じられない! 夏の甲子園二連覇。昨年優勝した時に、「北海道の高校が甲子園で優勝するなんて!」と信じられない思いだったが、何と今年も優勝とは。高校野球が始まった時には、「せめて一回戦は突破して欲しい」と思ったものだが、そんなささやかな願いは見事にクリアーして、あれよあれよの快進撃。みんなの高校生らしい爽やかな戦いぶりに、普段はあまり野球などを見ない私も、さすがに今日はテレビの前に陣取って応援せずにはいられなかった。みんな、本当によく頑張ってくれました。北海道に感動と喜びを本当にありがとう。記録のために、ニュース記事をコピーしておく。駒苫連覇! 57年ぶり6校目快挙/高校野球<全国高校野球選手権:駒大苫小牧5-3京都外大西>◇最終日◇20日◇甲子園◇決勝 深紅の大優勝旗が再び北の大地へ渡った。京都外大西(京都)と駒大苫小牧(南北海道)の決勝は、駒大苫小牧が5-3で競り勝ち、1947、48年の小倉(福岡)以来57年ぶり、史上6校目の夏連覇を達成した。北海道勢初の全国制覇を果たした昨夏のメンバー林裕也主将(3年)らが連覇への重圧をはねのけ、鳴門工(徳島)大阪桐蔭(大阪)などを次々撃破。全国4137校の頂点に立った。粘りの野球で初めて決勝へ進んだ京都外大西は、56年の平安以来49年ぶりの京都勢優勝はならなかった。 甲子園の青空に、人さし指を突き刺した。昨夏と同じ「NO・1」の証しのポーズ。北海道勢初優勝に続き、歴史に刻み込む夏連覇の瞬間。5万大観衆の歓声と拍手がわき起こった。昨年の「雪のハンディに負けずによく頑張った」の意味はもうない。強さをたたえる響きだけだった。 同点で迎えた7回裏が、駒大苫小牧の強さだった。1死二、三塁。1回に遊ゴロで1点をたたき出した辻が、今度は二塁ゴロで打点を稼ぐ。本間死球の後、3打数無安打だった岡山が当たり損ねの遊撃内野安打でさらに1点。勝利が決定的となった。派手な長打も華麗な安打もない。渋く、泥臭く、得点を重ねた。 V2は、重圧との戦いだった。全国制覇のお祭り騒ぎが終わると、すぐに「夏春連覇」の期待が渦巻いた。香田誉士史(よしふみ)監督(34)は「(期待は)うれしいものでもあるが、重いものでもあったので複雑だった」と話した。昨夏、サイクル安打を放った林は「先輩の名を汚せない」と、新主将として重圧を背負った。「勝てないのでは」という不安から逃れるために深夜までバットを振り続けた。 昨夏のベンチ入りメンバー6人が残り「夏春連覇」がかかるセンバツ切符は手にした。だが、2回戦の神戸国際大付戦で8回まで無安打無得点に抑えられ0-4で完敗した。5月の春季北海道大会では、初戦で白樺学園に敗退。道内連勝記録が27で止まった。白樺学園は「冬は室内での打撃練習や筋力トレ」という雪国の常識を覆した駒大苫小牧の雪上ノックを取り入れていた。ライバルは着実に追い上げていた。「おれたちは弱い」と悟った時、連覇への本当の戦いが始まった。 「全員で大優勝旗を返しに行く」がチームの目標になった。それをクリアできなければ、連覇などあり得ない。昨夏の甲子園で、チーム最高打率(4割4分8厘)を塗り替えた打撃力はない。高校野球で最も基本でありながら、最も難しい守備を再び鍛え上げた。本家の雪上のノックで培った「攻め」につながる守りが、よみがえった。 「1年間の自信」。林の帽子のつばに書かれた言葉は、地区予選から大阪桐蔭との準決勝まで11試合連続無失策につながった。決勝こそ2失策したが、傷は広げなかった。林は「100点、いや150点、いや1万点の試合です。みんな最高だっ! 」と叫んだ。6日の開会式で返還した深紅の大優勝旗を、14日後に取り戻した。香田監督は「なぜ連覇できたか…分かりません」と言った。だが心の中では「やってきたことに間違いはなかった」と確信していたに違いない。【本郷昌幸】(日刊スポーツ) - 8月21日9時57分更新
2005年08月20日
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多分今日から、慶應のスクーリングの三期目が始まるはず。日記リンクしている塾生の方々のスクーリング日記を読みながら、「私も受講したい!!」とジタバタしている私である。もしも今在学中なら、受講したい科目は何だろう。「政治学」「社会心理学」「中東関連」「中韓関連」あたりかな・・。「社会史」なんかも、受講したくてできなかった科目だし。イスラムに関しては受講はしなかったのだけれど講師派遣学習会などで湯川先生のお話をきいたことがある。その前に、「社会科学概論」のレポートを書くため「イスラームの心」黒田壽郎著、を読んでいたので、多少の基礎知識があったのにも関わらず、実際にお話を聞くと目から鱗というか、知らないことばかりであった。「政治学(総合)」はスクーリングで受講したのだが、その講義を受けたお陰で、それからの政治動向を見るときの視点が少し変わったように思う。直接的に現在の問題を講じていただかなくても、上記の講義を受けることで様々な現代の課題が複眼的に見ることができるようになるような気がする。そんな実感を毎回のスクーリングで感じていたものだから、今、スクーリングを受けたらどのようなことに気付くことが出来るのだろうと、こうやって書きながらでも飛んで行きたい気分になる。受講されているみなさんの「スクーリング日記」を読むのが、とても楽しみなこの季節である。
2005年08月19日
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<新党>綿貫氏ら結成 名称は「国民新党」昨日のテレビでその記者会見の様子を見たが、「国民新党」が「国民祈党」に見えて、??と思ってしまった。(国民に投票を祈る党か? 国民は神様ですという心境かも←言い過ぎかしら)しかし「新党」と言われても、私には「自民旧党」のイメージ。それと、会見で綿貫氏は「刺客と称してこの前まで仲良かった自民党の同志を刺し殺すという意味の対抗馬をどんどん立てることを座視するには忍びないという気持ちで立ち上がった」と言っていたが、自民党が「刺客」という言い方をしているのだろうか。マスコミが「刺客」と煽っているように思っていたのだが・・。鈴木元議員、「新党大地」旗揚げ 松山千春さんが命名こちらも「新党」だそうで・・。新しく作ったのだから「新党」でも良いのだろうが、なんだか新しい感じはしなくて・・。党の名前と鈴木氏の私のイメージとのギャップがありすぎ。そういえば、一昔前に「新党ブーム」があったなと、ネットで調べてみた。◆新党ブーム 2002年版「現代用語の基礎知識」掲載。平成の時代に入って、政党は大きく揺れた。自民党から新党さきがけと新生党が離脱した。1993年の政変は、竹下・金丸経世会という、田中型政治といわれる”数の政治”の終焉でもある。武村正義を中心に、新党さきがけが結成された。このなかに、鳩山由起夫がいる。金丸の直系といわれた小沢一郎も、スキャンダルに見舞われた金丸から離反し、羽田孜と共に、新生党を結成し、大自民党の終わりを予感させた。一方で、日本新党の細川護煕も、93年の総選挙で、衆院に進出し、大善戦した。この夏、日本新党の細川護煕を首班として、非自民非共産の政治改革連立政権が成立した。これには、自民党から離脱した新生党の小沢一郎の役割が大きかった。また、新党さきがけも加わり、公明党、社会党も参加した。文字通り、新党ブームのなかで、自民党は変革を期待する国民=有権者の前に屈した。あの時は、日本の政治の変化のきざしを感じたし、「新党」という名称にも違和感がなかったが、今回の新党には「なんだかねえ・・」という感じである。結果はどうなるのだろうか。
2005年08月18日
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昨夜のNHKテレビの「思い出のメロディー」で、ジローズの「戦争を知らない子どもたち」を聴いた。この二人を見るのも本当に久しぶりで、(と言っても、あまり見ていた記憶もないのだが・・)「子どもたちも高齢者になってしまった・・」と思いながら、それでもとても懐かしく聴いていた。フォークソングは私たちの世代の青春そのものとも言える。とはいっても、当時の私は音楽にさほど関心があったわけでもないから、青春のBGMというところだろうか。せっかくこの曲で思ったことを書くので、歌詞をコピーしておこう。戦争を知らない子どもたち 【作詞】北山 修【作曲】杉田二郎1.戦争が終わって僕らは生まれた 戦争を知らずに僕らは育った 大人になって歩きはじめる 平和の歌を口ずさみながら ※僕らの名前を覚えてほしい 戦争を知らない子どもたちさ2.若すぎるからと許されないなら 髪の毛が長いと許されないなら 今の私に残っているのは 涙をこらえて歌うことだけさ ※(くりかえし)3.青空が好きで花びらが好きで いつでも笑顔のすてきな人なら 誰でも一緒に歩いてゆこうよ きれいな夕陽のかがやく小道を ※(くりかえし)とても覚えやすいメロディーと歌詞なので、私でもすぐに口ずさむことができる。この歌を口ずさんでいた頃、私は何を思っていたのだろう。この歌は、私の印象としては「大人世代へのささやかな抵抗の歌」であった。私も戦争を知らない。父がソ連での抑留から無事帰還し、生きるために農業を営むことを決意し、そのために農家の娘だった母と結婚し、私が生まれた。大多数の大人世代は、多かれ少なかれそのような背景で生きるのに必死だったから、何かというと「おまえたちは幸せだ」と言っていたような気がする。「戦争中は大変だった」とはよく言われた。特に、食事のときに好き嫌いをしたり食べ残したりした時など・・。そんな親だったにも関わらず(いや、だからこそか)私は偏食が多くて、上記の言葉は耳にタコだった。おとなしくて口答えのできない私ではあったが、内心では「戦争なんて知らないよ。その後で生まれたんだもの」「今は幸せで悪くないじゃない」なんて呟いていた。そんな私には、この歌はとてもすんなりと心に響いていたように思う。大人の言葉に反発しながら、口答えもできず多少いじけて、それでも「戦争がない社会を生きる」とことを当然のことのように信じていた「戦争をしらない子ども(若者)」だった。鉄の雨が降る戦争の代わりのように、団塊世代は「受験戦争」があった。それをスタートとして、戦争を知らない子どもたちは競争社会に散っていった。競争を含む争いが嫌いな私は、競争からは自ら撤退するような生き方をしてきたように思う。私は幸か不幸か「女性」だったから、それが可能であった。この歌詞を書いた「北山修」氏は、フォーク・クルセダーズが全盛の時に芸能界から撤退し、もともとの目標であった医者になるため大学に戻った。その姿勢にも、私はとても共感したものだった。年月が経ち、あるとき私は「精神科医・北山修」の講演会に関わったことがある。特に彼に憧れていたわけではなかったが、一世を風靡した「戦争をしらない子ども」がどのような大人になっているのかには興味があった。そして、打ち合わせなどで電話や手紙でのやりとりや、当日の会話や講演などでの印象では彼は私の期待を裏切ることはなかった。その時彼が語った言葉の中で、印象に残っている言葉が二つある。「社会は、三割の人が変われば劇的に変化するだろう」「これからは、ゆるやかなネットワークが大切だと思う」。それは、私の心の中にも芽生え始めていた思いだったので、わが意を得たり、という感じで、とても嬉しかった。もともと「かっちりとした組織」が苦手な体質だったので、組織の中で生きるというよりも、日頃はそれぞれ自立した個として生きている者同士が、必要とあれば「目的」によって繋がってそれぞれの特性を生かして協力してゆく方が良いと思い始めた頃だった。北山修氏の言葉は、そんな私に大きな勇気を与えてくれた。多少いじけているように感じていた歌詞も、その時から違う印象になった。自分の願いを失わなければ、時には優柔不断に見えようとも、時には「長いものに巻かれた」ように見えようとも、しなやかにしたたかに、自分の目標を見据えて起き上がる強さの大切さ。そして、同じ思いを持つもの同士、軽やかに歌を口ずさみながら、目標に向って歩いてゆくことの大切さ。戦争を知らない世代は、戦争を知らずにすむ社会をめざして、武器を持って戦う方法ではない歩き方を模索したい。今の私には、そのような歌に聞こえている。しかし、武器を持たずには平和は守れないと考える人が多いのも事実。それも、戦争を知らない世代に増えているようだ。(そりゃそうだ、既にほとんどが戦争を知らない世代になっている)「持っていないものは持ちたくなる」という心理でない事を祈る。
2005年08月17日
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またまた地震。かなり広範囲で揺れたようで、ここ北海道のわが町も「震度2」だったとか。私は外で自転車に乗っていた時間帯だったのでまったく気がつかず、帰宅してテレビをつけて「ありゃりゃ!?」であった。それにしても、7月にオープンしたばかりのスポーツ施設の天井が落ちたとは本当に驚いた。映像を見ていたときには、天井が落ちるくらいだからそんなに新しい施設ではないだろうと勝手に思い込んでいたのだが・・。少なくても、10年前に阪神淡路大震災が起きた後に建設した建物は、震度6くらいの耐震構造であって欲しい。他人事ではない。築30年の我家は、震度6だとどういうことになるのか。地震で被害に遭われた方には、心からお見舞い申し上げます。
2005年08月16日
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昨日は終戦(敗戦)記念日。この日にちなんだ日記を書きたいと頭の隅で考えながら過ごしたが、結局書く事ができなかった。自分の考えがまとまらないということもあったのだが、どうもやりきれない気分が心を覆っていたのである。今朝、リンクしているスコット五郎さんのむなしい終戦記念日 を読んで、昨日の私の気持ちととても似ているような気がした。首相談話「反省とおわび」、中韓に未来志向訴えの記事を読むと小泉首相談話は、先の大戦について、「我が国は、かつて、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として、改めて「痛切な反省と心からのおわびの気持ち」を表明した。戦後60年も経っているのに、まだ周囲の国々から反省やお詫びが足りないと言われているなんて、情けないことだ。 また、「二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにする」と不戦の誓いを表明した。戦後60年間については、「我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の60年であります」と平和国家としての歩みを強調した。確かに、日本は戦後60年間、国として他国の人を傷つけたことはない。このことについては、胸を張ってよいと思う。だからこそ、そのような事態にならないためにも、イラクの自衛隊派遣には反対だった。自衛隊は、日本国内にあって国土や国民を護ることに徹して欲しい。 また、「一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国」に言及し、「ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だ」と強調した。その上で、歴史認識に関連し、「過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたい」と訴えた。これは、アジアの一員として当然過ぎるほど当然のことだ。私達はアジア人であり、近隣諸国と仲良くできなくては安心して暮らすことができないのは自明のこと。怖い国アメリカとも仲良くしなくてはならないと思うけれど、怖い国に迎合するばかりでご近所への配慮を忘れたら、いつのまにか四面楚歌になっていて慌てることになる。何だか、現在の日本はそのような感じのような気がする。何ともやりきれない気分になる大きな要因は、実は私自身にある。私は、ボランティア活動には関わっているけれど、平和運動やそれに繋がる政治活動からは極力距離を置いてきた。本当に平和を願うのであれば、自らそのように声を上げ、活動したらよいのに、私はそれをしていない。かつては、職業上の必要があって距離を置いた。現在はその必要はないが、夫の仕事の関係上、ちょっとやりにくいということはある。平和への活動は、我家の平和を脅かすことにもなるのだ。だから、今現在はまだある種の言い訳もできる。さて、その縛りがなくなったら、私は平和への活動ができるのか?・・多分、しないだろう。そのことが予想されるだけに、とても空しいのだ。私は、何かと向き合って戦うことそのものがとても苦手なのだ。といって、戦わずに強いものに迎合することもとてもイヤだ。人のことは色々と批判したりするくせに、自分のことになるとまったく情けない限り。でも、情けないけどこれが私であり、こんな私なりに消極的な方法ではあっても少しでも子孫にとって平和な社会を作るために、自分にできることをしてゆくしかない。空しさで心が充満しても、それしかないのだろう。
2005年08月16日
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息子夫婦と二人の孫(5歳、3歳)と一緒に、お墓参りをする。市内の墓地には、夫の両親や幼い頃に亡くなった夫の兄弟たちが眠っている。お花や供物をそなえ、風が強いのでろうそくは諦め、お線香だけに火をつけて孫たちと一緒に手を合わせた。夫の両親は、息子達が幼い頃に相次いで亡くなった。死が近い頃、姑は3歳の長男1歳の次男を見ながら、「私なんていつ死んでもいいのだけど、この孫達が大きくなった姿は見たい。そう思うと、生きていたいと思うんだよ」と言った。その長男がもう二人の子の父親になった姿と、可愛い曾孫達が小さな手を合わせている姿を、きっと見ていてくれると信じたいと思った。そんなことを思っていると、3歳の女の子が私に聞く。「ここに、どうしてナムナムするの?」我家には仏壇はないのだが、私の実家には大きな仏壇があり、実家に行くたびに「ナムナムする」(南無阿弥陀仏とおまいりする事を、孫にはそう教えている)ことが、孫達の習慣になっているのだ。3歳の孫は、お墓に「ナムナムすること」を不思議に思ったのだろう。仏壇へのナムナムは、単なるご挨拶のように思っていたのかもしれない。「ここにはね、おじいちゃんのお父さんやお母さんがいるんだよ」「どうして?」「死んだらね、みんなお墓に入って眠るの」「死ぬってなあに?」「Rちゃんの家の金魚さんも、病気で死んだでしょ? そして、お庭に埋めたでしょ?」「うん」「ひいじいちゃんたちも、病気で死んだの」「ふーん、死んだらどうしてお墓に入るの?」(ウッ、何と答えたらいいのだ? 息子達はこんなこと聞いたことあったっけ?? 火で燃やすなんて言ったらショックだろうし)最近のこの孫は、何でも「どうして? どうして?」がほぼエンドレス。適当なところで子どもに納得できそうな答え方をして、「わかった?」と言うと「うん、わかった」で納まるのだが、この問題はちょっと難しい。「死んだらね、ちゃんとお墓に入れるようにして、ここの中に入れるんだよ。そして、いつもはお空の上からみんなを見ることができるようになるの。みんながここに来た時には、ちゃんとここで待っていてくれるんだよ。だから、今はこのお墓のところにいるの。Rちゃん、よく来たね。いい子だねッって、言ってるよ。わかった?」「うん、わかった」フーゥ、どんな風にわかったのかわからないが、とにかくわかったらしい。同じ墓地の中には、夫の叔父のお墓もあるのでそちらにも行った。孫はまた聞く。「ここはだれがいるの?」「お父さんの叔父さんだよ」「ふーん」孫はそれ以上は聞かず、みんなと同じように紅葉のような両手を合わせてナムナムしている。やはり、彼女なりに納得しているらしい。次は、実家の檀家寺の納骨堂である。実家は裏山にお墓があったのだが、現在は納骨堂に収めている。ずらーっと仏壇が並んでいる納骨堂は、孫にとってはお墓よりも納得できるものだったようだ。(いつも実家の仏壇を見ているせいだろう)「いっぱーいあるね」となぜか兄とはしゃいでいる。そこがどんな場所かということよりも、沢山仏壇があるということや、中央に一段と大きな仏壇があるということ、そこにナムナムすることの面白さの方が勝っていたようだ。ちなみに、5歳の男の子は「ここはどんな場所?死んだらどうなる」なんてことには疑問を抱かぬようで、単純に正しい作法でナムナムすることに気持ちが向っている。つまり、このような場でどのようにしたら良いのかという方法の知識に関心があるようだ。妙なところで二人の孫を観察して、面白がっているおばあちゃんでした。
2005年08月13日
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これから出かけることになりました。土日は息子家族が来ますし、日記が書けるのは月曜日になるでしょう。来て下さった方、ごめんなさい。
2005年08月12日
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不登校の小中学生、3年連続で減少 文科省調査とはいっても、前年度比2909人減の12万3317人だったが、小中学生の総数そのものも少子化で過去最低となっており、全体に占める割合としては1.14%でほぼ横ばいだった。と記事にもあるように、児童・生徒の数が減っている上に、フリースクールや適応指導教室、(以前は、フリースクールなどは登校と認められないことも多かった)あるいは保健室登校、放課後登校なども「登校」とされているのだから、私は決して減っているとは思わない。というより、今の教育を取り巻く状況や社会構造を考えると、不登校や引きこもりが減るわけがないと思っている。それなのに大学・短大進学率 初の5割超100人いて50人が勉強好きなんて、考えられないことだろう。「高学歴志向」はさらに強まり、それは「学歴信仰」が根深いことを示す。高学歴の価値は、高学歴者が増えることに反比例する。そのことが顕著になってきているにも関わらず、なぜ高学歴志向なのだろう。勉強が好きな人、本当に学びたいと思う人はどんどん進学すれば良い。だが、大学を出たら何とかなるなんて甘い。もっといえば、不登校や引きこもり経験者で「中卒」であっても、元気に生きている人は何人も知っている。(もちろん苦労はしているが、どんなに良い条件にあっても苦労は人生にはつきものだ)そんな中で、何とか大学まで問題なく成長したと思っていた親に突きつけられるのが、大卒6人に1人「ニート予備軍」 文科省調査このニュースも、私はまったく驚かず「さもありなん」という感じがする。でも、だからといって「当然の帰結だから仕方ない」とは思ってはいない。子ども時代には友達とけんかしたり遊んだりすることがとても大切だし、それがなくては子ども本来の楽しみが奪われているということだ。ある程度成長したら、社会の中で役割を果たすことでの喜びが、人には絶対に必要なのだ。不登校でも引きこもりでもニートでも、その人が日々充実感や喜びの中で暮らしていたらそれでいいのだが、決してそうではあるまい。コンプレックスや不満、恨みや妬み、淋しさや悔しさ、不安や焦燥感に翻弄されたなら、人はそのやりきれない感情から逃げようとするか、あるいは別の強烈な感情や快感で紛らわせようとするだろう。そんなことの延長線上に、反社会的行動もあるのだろうと思う。【追記】ごみかきさんのコメントで、私の書き方では私の意図と正反対に感じられるということに気付いた。書き換えてしまうとごみかきさんのコメントの意味がわかりにくくなるので、追記することにする。私は、コメントへの返事にも書いたとおり、不登校も引きこもりもニートも、全て現在の日本社会の当然の帰結と考えている。それなのに、これらを「個人的な問題、家族の問題」ととらえているから、色々な対策もちっとも功を奏しないのだと思う。時々、青少年の犯罪が起きた時に「不登校だった」「ひきこもっていた」と報道され、あたかもひきこもりや不登校と犯罪との因果関係があるように書かれているとき、強い怒りを覚える。むしろ、ひきこもるタイプの人の犯罪は少ないのではないかと思う。しかし、引きこもりや不登校で周囲から強く責められ、それによるストレスでパンクしそうになった時、誰からも苦しい気持ちや悩みを理解されなかったなら、自分や他人を思わず傷つけてしまうことがあっても自然だと思うのだ。特に不登校は、現在の学校(特に公教育)が子どもにとって強いストレスの場になっていることが、大きな要因だと考えている。そのことに対して、いまだに教育行政は鈍感だと感じている。そして、義務教育期間の不登校の子ども達に対して、別の学びの場を責任を持って準備するのが大人の義務だ。フリースクールなどが追認の形で認められてきたけれど、それには保護者の費用負担が大きい。・・・時間がなくなってしまったので、今日はこれまでにします。
2005年08月11日
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今朝の新聞で、小泉内閣の支持率が47%という記事を見て、ちょっとビックリ。《関連ニュース》 首相の衆院解散、「賛成」48% 本社世論調査(朝日) 内閣支持率上昇47.3% 過半数が民営化に賛成 共同通信調査 <世論調査>小泉内閣の支持率は46%で、9ポイント上昇(毎日新聞)彼の「してやったり」という得意満面の表情を想像し、少し危機感を持ってしまった。私は、今回の衆議院解散総選挙については、前の日記にも書いたように良かったと思っている。(新聞によると解散の支持は54%)しかし、だからといって全面的に彼を支持しているわけではない。はっきりいって、このまま小泉自民党が支持されて、彼がさらなる自信と強引さで国政を担うことはイヤである。そう思いながら楽天日記を見ていたらリンクしている哲さんの日記「丸写し挨拶・効率よく前回を流用」を見て驚いた。広島と長崎の平和祈念式における小泉首相の挨拶は、地名を入れ替えただけの文章を、ただ読み上げていたということである。私が小泉首相に完全に失望したのは、イラクで日本人が人質になった時の彼の言動だ。まだその生死もわからないうちに、勝手な行動をするやつは見殺しにするかのような言動に、強い怒りを覚えた。彼は強い人、強い国が好きなようで、貴乃花が故障にも関わらず勝利した時には「感激した」と絶叫し、強いアメリカに対してはニコニコと言うとおりにするくせに、弱いものに対しては実に冷たい。(北朝鮮拉致被害者への対応もしかりであろう)今回のことも、被爆者の苦しみや辛さへの本当の同情や共感がかけらでもあったなら、恥ずかしくてこのような挨拶文を読み上げることはできなかっただろう。これ一つ取っても、いかに彼が弱者に冷たいかわかる。私は、部分的には小泉氏を支持するけれど、全体的には「もう退陣していただきたい」と思っている。ある方がメールで、「民主党の政権になったほうが怖いような気がする」と書いてくださった。でも私は、たとえ民主党が政権を取ったとしても、なかなかまとまらないだろうと思う。(あの党は、右から左までの幅は自民党どころではないと思うから)小泉首相が変な自信で今までの路線を突っ走ることを、今は止めなくてはならないと思っている。【追記】天木直人氏のホームページの「このまま小泉首相を居直らせてよいのか」を読んで、小泉氏の本質を看破しているように思った。彼の作戦にウマウマと乗らないようにしたい。
2005年08月10日
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長崎から「平和」を発信、60回目の長崎原爆忌広島の原爆忌と違って、長崎の日の「その時間」は、何か別のことをしていることが多い。今日も、8月末の行事のための打ち合わせをしていた。時間のせいだけでもなく、どうもヒロシマよりナガサキの方が全体的に地味な感じがする。私が初めて「原爆」を知ったのは、小学校の5~6年生の頃だったと思う。小学校の図書室で、私は借りる本を探していた。するとその時、2~3年生の時の担任の先生が、一冊の本を私に手渡した。「これ、見てごらん。これは、君と同じくらいの年の子だね。 こんなことが、君が生まれる前にあったんだよ」先生が示したその本には、傷ついた弟を背負った少年の写真があった。私の記憶の中では、弟を背負ったその少年もまた、顔が傷ついていたように思う。そして、何かに怒ったような表情で、私を見ていた。私は驚きと共に、他のページもめくった。それは、信じられない悲惨な写真ばかりであった。見ているうちに怖くなり、思わず目をそむけることがあったかと思う。それが原子爆弾による被害の写真だということは、きっとその時に先生が説明してくれたのだろう。しかし私は、最初に聞いた先生の言葉だけしか覚えていない。小学生にとってはあまりにも衝撃的な写真だったから、最初に見た写真のことと、その時のショックと、その本を見ている時に、窓から夕陽がさしていたことだけが記憶にある。私はその日から、「原子爆弾」や「戦争」について関心を持つようになった。原爆もショックだったが、やがてドイツのホロコーストを知った時も、どうして人間はこのようなことができるのかと信じられない思いがした。私の理屈抜きの「戦争に対する嫌悪感」は、その時から育まれたと思う。子ども達が小6と小4の時、家族で広島の平和記念式典に参列した。北海道に住む私には信じられない暑さで、このような季節に原爆で体を焼かれて苦しんだ人たちのことを想像し、心が焼けるような思いがした。私の左隣に座っていたおばさんの首筋にケロイドの跡を見て、「広島の方ですか?」と声をかけた。すると彼女は、「そうです。私はこうして生き残ったけれど、学校の友達のほとんどが亡くなりました」と言った。「だから私は、毎年必ずこの記念式に出て、友達に会いに来るの」「はだしで歩いて逃げたのよ。本当に熱かった・・」式典が始まる前の数分間、そんなお話を聞いた。あのおばさんは、今も生きていらっしゃるのだろうか・・。いつも、この季節になるとそう思う。そしてまた、あの写真で見た少年は、生きているのだろうか・・と。私の平和を念ずる気持ちは、あの写真集から始まった。近いうちに必ず、長崎の原爆忌の式典にも参加し、その場で平和を祈りたいと思っている。
2005年08月09日
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昨日の小泉首相の決断は、自民党にとっては大きな衝撃だったようだ。以前から「否決されたら解散」と言っていたわけだから、当然それを見越しての議員各自の判断だったはずだが・・。政治家にとって一番の優先課題は「選挙での当選」。それと、小泉首相の投げかけた課題との間で、みなさん随分悩まれたようである。ギリギリ悩み苦しむことはいいことだ。昨日の時点では、私はこのことが国民にとって良いことかどうか、よくわからなかった。(今でもよくわからないけど)でも、少なくても国会周辺の人たちだけで「まあまあ」という形にならず、国民の判断を問うてくれたことは良かったと思う。手法はともあれ、この決断をした小泉氏を今は評価したいと思う。ただし、小泉首相は「郵政法案の可否を問う」と思っているだろうが、少なくても私は違う視点で投票したい。多少は変化するであろう自民党を支持するのか、ここはまだ未知数の民主党を支持するのか・・である。実は私は、民主党に対してもかなり懐疑的である。今は「政権争奪」でみんな一致しているかもしれないが、もしも政権を取ったら、自民党どころではない内部分裂が始まるだろう。それでも、今までの自民党よりは妙なしがらみがないかもしれないから、どさくさに紛れて思い切った改革ができるかもしれない。私は、政治家の「選挙公約」「マニフェスト」なんてほとんど信頼していない。彼らの公約は「嘘も方便」の範疇にしか感じられない。それでもなお、私たちの生活は政治によって大きく左右される。なんだかんだ言っても、私はこの日本でしか生きることができない。私のような「政治音痴」に近い大多数の庶民のバランス感覚は、それほど馬鹿にしたものでもないと思ってもいる。私も、自分のバランス感覚にしたがって投票したい。結果が少しは楽しみになってきた。
2005年08月09日
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私は特定の宗教には所属していないし、格別「霊」や「超能力」を確信しているわけでもない。だが、ある時期から「もしも守護霊というものがあるのなら、私は間違いなく守られている」と思うようになってきている。今までに色々とピンチの時はあったけれど、本当にひどいことにもならず、きわどいところで危険を回避していたとも言える。最近のことで言えば、先日の上京の時、宿泊したホテルに上着を忘れてきた。私の物忘れは今に始まったことではなく、若い頃からである。だから、いつも気をつけているつもりなのだが、年とともにそれに拍車がかかるばかり。その日も、一緒に泊まった妹と共に、「忘れ物はないよね」と確認したつもりだったのに・・。クローゼットに上着を入れていたことを、まったく忘れていたのだ・・(;^_^)そして、周辺のお土産やさんなどをウロウロして、次の目的地に行こうと地下鉄の入口に向った時、突然「あ、上着をホテルに忘れた!」と思い出した。上着のことなど、暑かったせいもありまったく気にしていなかったにも関わらず・・。そして何と、気付いた場所は宿泊したホテルの前であった。実はそのホテル、ちょっと入口がわかりにくく、私達はホテルの目の前だということにも気付かず、自分達がウロウロした道のりから判断して、一丁ほど先に進んでしまった。そして、「あ、ここじゃないね?!」とホテルの場所を確認し、今来た道を戻ってはじめて、気付いたのがホテル前だとわかった。妹曰く、「お姉ちゃんには、守護霊が確かについてるよ」。その前夜、夜中まで色々と妹と話していたときに、今までの「霊的体験らしきこと」を話していて、その話の流れで「もし守護霊というのがあるのなら、私には良い守護霊が憑いている」と言っていたからだ。さらに続けて妹が言った。「せっかくホテルの前で教えてやったのに、どんどん別の方に行ってしまって、きっと守護神さんは呆れていただろうね」・・まったくです。さらに、妹が続ける。「きっとお姉ちゃんの守護霊は一人じゃないよ。集団で見張ってなきゃ、危なくてしょうがない」・・・ううう、そこまで言うか? 身内というのは容赦がない ρ(-ε- ) 前夜のおしゃべりの中で、私のドジ話をしすぎたかも。(でもそれは、多少は妹への思いやりでもあったんだけど・・〔←言い訳〕)でも、私はこのところとても忘れっぽくなっているので、言われてもしょうがない。そんな話をしていたら、私には本当に複数の守護霊が憑いているような気がしてきた。そして思った。ひょっとすると、「ついている」というのは、「守護霊が憑いて守っている」ってことじゃないか?そんなことを数日前に友人に話すと、「いつも『ついている』って言っていると、どんどん運が上向きになるんだって」と言われた。よし、これからはもっと「私はついている」と言おうと思って、ふと考えた。ドジで間抜けで忘れっぽい私を守るために、今でも十分苦労しているであろう守護霊に、「もっと運が良くなるように」なんて甘えもいいところ。そんなことをしたら、今まで辛抱してくれていた守護霊たちも呆れて逃げてゆくかもしれない。ここは、ひたすら感謝だけをして、これ以上の運を求めようとはするまい。よって、「私はついている」と公言するのも、この日記でオシマイにしよう。
2005年08月08日
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どうなるのかと少しは気になり、テレビの国会中継をチラチラ見ていた。私にはまったく予想がつかなかったが、もしも否決されて解散総選挙になったなら、小泉氏が「自民党をぶっつぶす!」と叫んだ公約通りになるのかなと思っていた。このことが日本にとって良い方向になればいいけれど・・。記録のために記事をコピーしておく。<郵政法案>参院本会議で否決、総選挙の可能性強まる 小泉純一郎首相が政権の命運をかけてきた郵政民営化関連6法案は、8日午後の参院本会議で採決が行われた結果、自民党内の造反によって17票差で否決された。「法案の否決は内閣不信任とみなす」と公言してきた小泉首相は、同日中に衆院の解散に踏み切る。公明党の神崎武法代表も採決前、解散に同意する意向を明らかにした。総選挙は今月30日公示、9月11日投票の日程が有力視されている。首相は「小泉構造改革の継続か否か」を最大の争点にしたい考えだが、自民党の分裂選挙は避けられず、政権交代の可能性をはらんだ選挙戦になるとみられる。 本会議は午後1時に開会し、賛成、反対討論に続いて、議員が木札を投じる方式の記名投票で採決が行われた。投票総数233票(欠席・棄権8票)で、賛成は108票、反対は125票だった。自民党執行部は反対派の切り崩しに全力を挙げたが、同党の114人のうち、倉田寛之前参院議長や中曽根弘文元文相、鴻池祥肇元特区担当相ら22人が反対に回り、野党を加えた反対票が自民、公明両党の賛成票を上回った。 採決に先立つ8日午前、公明党の草川昭三参院会長が自民党の片山虎之助参院幹事長らと会談し、反対派に配慮するため、本会議で法案を再修正するよう要請した。片山氏は武部勤幹事長や与謝野馨政調会長らと断続的に協議したが、「時間的に厳しい。与野党で合意できるかどうかも分からない」として断念した。 また自民党では、解散回避策として、参院本会議で法案を継続審議にする案も検討されたが、首相が「継続も否決と同じだ。可決か否決しかない」と採決を強く求めたため、見送られた。 自民党は参院採決の直後、役員会を開き、首相が党総裁として解散断行を表明する見通しだ。続いて首相は神崎代表と与党党首会談を行い、解散・総選挙への理解を求め、ただちに解散詔書を決定するための臨時閣議を招集するとみられる。参院での法案処理に伴う衆院の解散は前例がなく、異例の解散になる。 自民党は、衆院本会議で反対に回った37人を公認せず、代わりの新人候補を擁立する方針だ。造反組は新党を結成して選挙に臨むとみられ、自民党の分裂は必至。選挙後は、自民、民主両党を軸に、公明党や新党を巻き込んた政界再編絡みの展開が予想される。 郵政法案は、日本郵政公社を07年4月から持ち株会社の下で郵便局を保有する窓口会社、郵便事業会社、郵便貯金銀行、郵便保険会社に分社化する内容。小泉首相が「改革の本丸」と位置づけていた。【三岡昭博】(毎日新聞) - 8月8日14時0分更新
2005年08月08日
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暑い、ホントに暑い!!この数日暑い日が続き、できるだけ体力消耗しないようにと思っていたが、今日は発想を変えることにした。ハッキリ言って、私は暑さに弱い。どうも汗腺が人より少ないか働かないかで、サウナなどはまったくダメ。汗が出る前にのぼせてしまうのだ。運動神経が人並み以下、というよりその神経が欠落しているような私は、幼い頃からスポーツに強いコンプレックスがあり、そのせいもあって「運動で汗を流す」ということがなかった。私の「汗腺」が発達しなかったのは、そのせいなのかもしれない。ともあれ、暑い時には汗を流すという当たり前のことが、私の体はなかなかできないのだ。加えて、多少「低血圧気味」ということもあり、暑くなるとのぼせも加わってすぐにクラクラする。というわけで、暑い時にはあまり無理しないということが私の「暑さ対策」になっている。しかし、この数日暑い日も続き、それなのに外出しなくてはならなかったりして、多少は汗の出方も上手になったような気がするので、今日は、もっと暑さに強い体になるためのトレーニングをしようと思った。つまり、「日陰で草むしりをして汗をかく」のである。先週雨が降ったこともあり、雑草たちはとても元気良く茂り始めた。太陽の動きに従って、日陰になる場所の草を抜いてゆく。朝のうちはまださほど暑くも感じないのだが、15分も作業をしていると顔がほてってくる。そして、全身が汗ばんできたらもう限界。玄関に入り鏡を見たら、顔は真っ赤になっている。そこで一度家に入り、水で顔を洗い汗を拭き、冷たい麦茶を飲みながら扇風機の前で一休み。顔のほてりが治まるまでは、家でパソコンを覗いたり、チョコッと掃除をしたり。体が普通に戻ったら、再度日焼け止めクリームを塗りまた外に出て日陰の部分の草むしり。この日焼け止めクリームは、私には必需品。もともと肌が白いせいもあり、紫外線にはめっぽう弱い。子どもの頃は日焼け止めクリームなんてなかったから、夏の間の私の肌は無残なものだった。長時間戸外にいたら、必ず『火傷状態』になるのだ。私が外に出るのが嫌だった大きな理由の一つには、それもあった。その意味では、今は本当にありがたい。でも、ズボラな私は「ほんのちょっと」のつもりで外に出て、日焼けで痛い思いをすることがたまにある。若い頃には肌の復元力もあったけれど、今では、特に顔は「シミ」になる原因なので、面倒ではあるが出るたびにクリームを塗らなくてはならない。というわけで、今日は午前中ですでに4回これを繰り返した。汗腺トレーニング効果はあるようで、四回目には顔からも汗がダラダラ流れていた。でも、やっぱり顔はのぼせたように真っ赤である。その顔を見た夫は、「もういい加減にしておけ」と言う。私も、これ以上これを繰り返すのは体に悪いような気がする。気温も上昇し、日陰に置いた温度計は32℃。私に言わせたら、これは人間が外仕事をする温度ではない。というわけで、夫は市内の夏祭り会場に(仕事のために)でかけたし、このように日記を書いている次第。でも、本州の暑さはこれどころではないだろうし、この暑さの中でも仕事をしている人もいるのだ。この日記を読んでくださった皆様も、くれぐれも「熱中症」や「夏バテ」にお気をつけくださいね。
2005年08月07日
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また、この日がやってきた。原爆投下の時間が朝ということもあり、この日のこの時間は、必ずテレビで平和祈念式典を見ている。3日後の8月9日の長崎の原爆の日は、お昼近い時間とあって、その時間を気付かずに過ぎてしまうことが多い。今日も、朝祈念式典を見ていたが、今年も小泉首相の、下を向いて原稿を読み上げる姿に淋しい思いをしていた。ネットニュースで広島、60回目の鎮魂の祈りを読んだ。平和宣言で秋葉市長は、核保有国5か国とインド、パキスタン、北朝鮮の8か国を「核クラブ」と名指しし「世界の大多数の市民や国の声を無視し、人類を滅亡に導く危機に陥れている」と非難。成果なく決裂した5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の反省に立ち、世界中の都市が市民やNGOなどと協働して「新たな決意で核廃絶を目指して行動するための具体的指針を作る」ことを目標に掲げ、節目の年に原爆死没者慰霊碑の碑文を引用して「過ちは繰返さない」と改めて誓った。それに対して、小泉首相は「高齢化の進む被爆者の実情に配慮しながら、在外被爆者への支援も含め、援護施策の推進に努力していく。国際的な核軍縮・核不拡散の取り組みを推し進め、核兵器廃絶に全力で取り組む」とあいさつした。広島市の秋葉市長のもっともな批判と訴えに対して、真っ向から反論もできず、確かな主張もできない小泉首相の姿。本人もこの時ばかりは忸怩たる思いではないか。それが、あの感情のこもらぬうつむき加減の朗読に現われているような気がした。まあ、堂々と上を向いてあの挨拶をされたら、いかに温厚で忍耐強い広島市民や被爆者の方々も、怒りで小泉首相を取り囲むかもしれないから、あれは彼の良心の表れではなく、自己防衛本能のなせるわざかもしれない。・・・暑さのせいか、私も随分意地悪な見方をしているかも・・。でも、少なくとも被爆者やその関係者は、もっともっと国の生ぬるい態度を怒ってもいいと思う。許すことはとても大切なことと思うが、同じ過ちを繰り返さないためには、苦しい思いをした人たちの声が、それに気付かぬ人たちにしっかり届かなくてはならないのだから。
2005年08月06日
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他のブログ紹介第二弾(?)天木直人のメディアを創るこのHPは「お気に入り」に入れてあって、毎日とは言わないけれど、2日に一度はチェックしている。(最近は、リンク先が増えているので題名で読むかどうか判断することが多いのだ)8月5日「 日本はどういう社会になりつつあるのか」の中で、特に「核兵器の廃絶に日本の指導者たちはどこまで本気なのか」に共感した。記録のためにコピーしておく。 8月6日、9日の原爆記念日が近づくにつれて、朝日新聞をはじめ各紙はやたらに核問題の特集記事を載せている。そして多くの有識者が核兵器廃絶の意見を述べている。 反核運動者や平和活動家が核兵器廃絶を訴えるのは頷ける。しかしどうしても納得できないのが、保守政治家や評論家、官僚などが核兵器反対の意見を述べていることだ。 「・・・我々の国は原爆の被害を受けた。今テロリズムに対して小型核兵器を開発しようという米国の動きがある。これに対して(反対と)強く言うことが必要だ。それは日本が言わなくてはならない」(加藤紘一、8月5日付朝日) 「・・・日本のように核を持てるが持たない国が、核拡散は良くないと声だかに言う事が説得力を持つ」(岡田克也、同上) 「・・・今そこにある危機として(核問題に)対応しなければならない。発想を柔軟にして、できることはすべてやるという姿勢が重要だ」(天野外務省元軍縮部長、同上) あの中曽根元首相でさえ、7月20日の朝日新聞でこう述べている。 「・・・(先制攻撃の独断を)米国に許すと、他国が独断で行うようなことが蔓延しかねず、そうなると世界的な大混乱になる・・・(日本は)自ら非核国の立場を堅持し、世界に対しては核保有国に思い切った縮小を実証させ、NPTの推進充実に努めるべきだ」 これほどまでに皆が一致して核兵器に反対しているのに、どうして誰一人として米国に核の廃棄を求めないのか。非核三原則を誠実に実行しないのか。反核運動の国民たちと協力しないのか。 日本政府が本気になって核兵器の撤廃を米国に求めるのであれば、6カ国協議は違ったものになっていたであろう。世界が日本を見る目は根本的に変わるであろう。多くの途上国から信頼を得ることが出来るであろう。アメリカに落とされた原爆がトラウマとなって、本当は一番言いたい「核兵器の撤廃」を言えないのは、DVで暴力亭主の言いなりになり、反抗はおろか逃げ出すこともできない妻の姿に似ているのかもしれない。
2005年08月05日
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朝から、本州並みの暑さ。天気予報では30℃を超えるとか・・。室内の温度計は・・と確認してビツクリ。すでに30℃!!昨日から暑さが続いているため、頭の中はのぼせ状態。というわけで、今日は人の日記で日記を書くことにする。scot五郎さんの生徒の腹を蹴る教師。ライターで火をつける教師。エチゼンクラゲに縛りつけよ。 に、激しく共感。この日記を読んでから自分の言葉で書くことはとても難しいので、五郎さんの日記をコピーしておきたいと思います。今日一番いいたいこと。。御影中学の柔道の先生、広島での合宿で子供の腹を蹴って入院させたとか死なせたとか。。この阿呆の教師、即逮捕すべし。あの教頭も逮捕してもいいかも。態度がよくないとか、練習をまじめにやらないとかで、生徒の腹を蹴る?こんな馬鹿な教育、指導なんてあるものか、単に殺人未遂か殺人かのどれかにすぎない。先日書いたように、明治大学付属高校と中学の応援団のNHKの番組。。先輩がどうどうと後輩の胸に膝蹴りを入れていたのを報道していた。この応援団は解散すべきだね、顧問はクビ。校長もクビにしたほうがええ。こんなばかな行為、暴力行為が平気で学校のなかに実行されていて、誰もとがめないなんておかしいね。もう救いようのない日本の教育現場。文部科学賞も教育委員会もさっさと解散したほうがいいね。だって暴力と教育の区別のつかない人間がなんで日本に必要なの?今度はあなたの子供さんが犠牲になるだけ。蹴られて死んでから誰に文句を言うの?殺された、あなたの子息はもう戻ってこない。蹴ってなぐったり、試験中に眠っていた生徒にライターで火をつけたり。。。もう狂っているよね。学校の校長や教頭はこれらの教師に。。「今後は注意して。。」?????いったいなんじゃそれは。。。。こんな校長や教頭は頭が腐っている。こんな腐った教員も校長も、東京湾や大阪湾、、いや福井の越前海岸沖で巨大なエチゼンクラゲに縛り付けて日本海を浮遊させよ。教育に暴力はいらない。暴力の必要な教育なんてどこにもない。暴力を使って何かを指導するってのは、頭が悪くって本当の効果的な指導の仕方や言葉で指導できない阿呆の教員のこと。教育とはいったい何かという基礎の基礎がわかってない、人物で子供の前に現れてはいけない、人間の心を持ち合わせていないとんでもない動物のこと。。人間ではない。これが僕の意見です。もうひとつ、 ぼちぼち7203さんの日記にも、「そうだそうだ、まったくだ!」。最初の部分だけ、コピーしておくけれど、これは常日頃、ことあるごとに私も思っていることだ。私は、今の日本の少子化は、女の側の反乱だと思ってる。誰のおかげで食べられると思ってる。発言、ないしは思い。子供を育てさせて?やってる、(仕込みさえすれば産んで、勝手に?育てるもんだ。なんせ、母親なんだから)という、虫のよさ?第一、俺は、食い扶持を稼ぐのに忙しい。と表現される経済活動への参加。挙句の果ては、専業主婦は、お荷物。と来たもんだ。けっ。もっと、もっと、少子化になって、事態が固まっていかないと、この問題は解決しないだろう。五郎さんが書いていらっしゃる「教育の問題」は、子供たちの非行や不登校、ひきこもりなどで異議申し立てが続いていると思う。ジェンダーによる社会構造や男女の意識の問題は、ぼちぼちさんもご指摘の通り少子化によって異議申し立てがされている。だからこれは、生き物として自然の揺り戻しではないかとも思う。種としてのバランスを取るためには、多くの社会的弱者の犠牲が必要ということなのだろうか?
2005年08月05日
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「熟年離婚」という言葉はよく聞く。夫が定年を迎えて退職金が出るのを待っていたかのように、妻から離婚届を突きつけられて驚愕する夫、というような話を・・。しかし、幸いなことに私は今まで、身内や知人でそのようなことになった夫婦はいなかった。もちろん、離婚した人は身近にはいるが、それは「熟年離婚」ではなく、もっと若い時期の離婚であった。ところが最近、「これこそ熟年離婚予備軍」という妻の話を聞いた。私は日頃から、「信じられないほど忍耐強い妻」の話を聞く機会はよくある。家族の平和維持、あるいは夫や子どものために、どうしてそこまで我慢や努力ができるのだろうと、驚きと共に頭が下がる妻達だ。私は基本的に自分がとても大切なタイプなので、日々家族のために忍耐と努力と気配りの生活は、とても耐えられそうにないから・・。もちろん、それぞれ多少は違う価値観を持っている家族同士だから、お互いに我慢や譲り合いも必要なことは百も承知。何とか折り合いをつけ、時には気まずい時間を共有しながら、それでも「我家に帰ればホッとする」のが家族だと思っている。多分、私が「信じられない我慢と忍耐」と感じる人たちだって、私の耐性では無理なことも、彼女達には耐えられる程度で、「私の我慢と努力で大切な家族を守る」ことに、喜びや充実感もあるのだろうと思っている。ところが・・今回、話の成り行きでたまたま聞いた話は、それとは少し様相が違うような気がした。彼女は、子どもが大学を卒業し自立するまではと、はっきりと目標を定めていた。ご主人は私と同じ団塊世代。妻の彼女は40代後半である。大企業の管理職にあるご主人は、若い頃から仕事一直線。仕事のお付き合いや、もともとお酒好きということで、アルコール抜きで帰宅することは珍しかったようだ。その上に、休日は自分の趣味や付き合いゴルフを優先し、子どもの教育や家庭のことは、妻に任せっぱなし。家族と一緒に楽しむことは、あまりなかったようである。しかし、ここまではよくある話で、彼女もそれを責めることにはならなかったようだ。ところが、下の子どもが小学生の時に学校がらみでかなり心配なことが起き、一時期心身症的な事態になった。その時には、さすがの彼女も夫の支えや協力が欲しかったようだが、夫は相変わらず自分中心の生活で、妻の不安や苦しみには寄り添わなかったようだ。その時にどのようなことがあったのかは、私にはわからない。とにかく、その何年間かの時期に、彼女は夫を心理的に切ってしまったようだ。「私の家族は子ども達だけと思っている。夫は他人だからと割り切った」そう彼女は言い切った。(このような話になったきっかけは、「夫婦といえども他人だから」ということからだった。)今、子ども二人は大学生となり東京に住む。だから、今は夫婦二人の生活。そろそろ定年時期が見えてきたせいか、家庭を(彼女から見たら)顧みなかった夫が、妻との時間を持とうとしている気配があるようだ。休日には夫の誘いに乗って、食事に行ったり温泉に行ったりもするらしい。しかし、妻の彼女の心は冷え切ったままであり、内心では(今更遅い!)という感じらしい。だから、夫の誘いは本音では「迷惑! ほっといて。あんたは今までどおり好きにして!」という感じ。しかし、一応は従いながら、二人の子どもが自立した暁には・・と、ひそかに策を練っている模様。そのあたりまで聞いた私は、旅行の誘いに一応は付き合うくらいだから、本当は言葉ほどではないのではないかと思った。しかし、どれほど夫に嫌悪感を抱いているかという具体的な話を聞き、私は絶句した。彼女は、夫と共にいる時間全てを我慢し続けているらしい。それも、夫にはあまり気付かれないように工夫しながら・・。夫の言動全てがいやなのだと言う。爪を切る音、食事のしぐさ、・・彼の態度や言葉、癖の全てが嫌なのだと。彼の入った後の浴槽には、入る気がしない。それどころか、浴室の空気が冷えてからでなくては入れないのだ・・と。・・絶句である。これほどの嫌悪感を覚える人と、いくら子どものためとはいえ生活できるものなのか。そして、妻のそれほどの嫌悪感に気付かない夫がいるのだろうかと。「そんなに嫌なことなら、これはやめてと言ったらいいのに」「言うことも嫌なの。言わなきゃ分からない彼がイヤなのだから」「でも、人間って言わなきゃわからないものでしょ?」「そりゃそうだけど、もうそんな時期は過ぎてしまった」「・・・・・・」彼女は、その時期が来たら計画を実行するのではないかと思う。その時、夫はどのような気持ちになるのだろうか。そういえば、こんなことも言っていた。「夫が、『色々あったけど、うちの子は良い子に育ったな』って言うの。 育てたのは私で、あんたじゃないって怒鳴りたいのを、やっと我慢したよ」私はその剣幕に、やんわりと「そりゃそうかもしれないけど、ご主人のお給料が良かったから、生活費に苦労することはなかったわけでしょ?」と言ってみた。「当たり前でしょ。それは夫や父親として最低限のことだもの」私に言わせたら、それを「当たり前」と言い切るのなら、夫が育児を妻に任せたことをそれほど責めるのも理不尽だと思うのだが、とてもそれをいう雰囲気ではなかった。とにかく、長年押し込められた夫に対する不満や恨みは、私の想像を超えているようだった。子どもの問題が解決してから、パートではあるが彼女はずっと働いている。それも、彼女なりの深慮遠謀であったようだ。「知らぬは夫ばかりなり」浮気とかギャンブルとか暴力とか、明らかに夫に非があるわけではない。ただ、妻の気持ちに鈍感で、自己中心的で、少しばかり妻に甘えすぎていて、ややこしい家族の問題からは逃げていた。そして妻は、少なくても私以上には我慢強く、夫には頼らずに子どものためにと言い聞かせて結婚生活を維持してきた。傍目には、それほどひどい夫婦関係になっているとは感じさせない。女が必要以上に忍耐強いと、怖さにも通じると感じたことである。忍耐強い妻を持った夫の皆様、奥様が頑張ったり我慢していることを少しばかり思いやって、せめて「いつもありがとう。感謝しているよ」と言葉で表現してあげてください。彼女の夫は、そのような言葉を決して発しない人のようです。もしも今からでも何とかなるのなら、私は彼女の夫にそのように言ってあげたいくらいです。
2005年08月03日
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不登校新聞社が発行している「Fonte」という新聞に載っていたニュースである。ネットでも読めるので、記録のためにコピーしておく。不当な暴力行為、プライバシー侵害、19歳男性「長田塾」を提訴子どもの不登校、ひきこもり、非行の問題を、親になり代わって解決すると宣伝し、名古屋市内で親と子どもの「メンタルケア」の事業をしている「長田塾」(有限会社塾教育学院)とそれを主宰する長田百合子氏に対し、19歳の男性が不当な暴力的扱いとプライバシーの権利を侵害されたとして慰謝料の損害賠償を求める訴えを7月22日名古屋地裁に提起した。【名古屋支局】 訴状によると、東北地方に住んでいた原告男性は、高校入学後すぐに不登校になり、その後自室にこもる状態になっていたが、01年8月(当時15歳)母親から依頼を受けた長田氏が若い屈強の男性補助者とNHKテレビの記者、カメラマンを伴って、原告男性の同意もなしに部屋に侵入し、恐怖に陥っている原告に長田氏の寮へ入所するよう迫り、そのようすを至近距離で撮影、録画させ、さらに補助者が缶コーヒーの缶を面前で握りつぶして腕力を誇示したうえ、「力ずくで連れて行くか、自分で歩いていくか」と脅迫して寮に入所することを同意させ連行した。原告はその後、二度寮から脱出を試みたが、連れ戻され、同年12月から約1カ月半、所持金がいっさいない状態で従業員に監視され、母親にもその所在を知らされず、アパートに一人軟禁された。不信を抱いた母親が弁護士に相談し、弁護士が長田氏側と交渉して原告をアパートから連れ出し、自宅に戻した。その間、NHKテレビが原告の部屋に長田氏らが侵入したときの修羅場の場面の録画をそのまま放映し、原告の実名と顔の映像を公表したため、原告は自宅に戻ってからも周囲の目が気になり、また、子育ての不安から惑わされたとはいえ、自分を寮に連行させた母への怒りや恨みで悩んだという。原告は現在アルバイトをしながら自活しており、他の子どもらの被害がくり返されたくないという思いで訴えることにした。多分、私はこのテレビ番組を見ていると思う。長田百合子氏が(親の依頼により)この家庭に入り、ひきこもり状態になっていた少年に対して暴言や脅しのような言動をしているのを見て、私は怒りと不快感でテレビを見続けることが苦痛になってしまったことを思い出す。いかに親の了解の上とは言え、これではこの少年のこれからが心配だと思った。その映像を見て以来、私は長田百合子氏の方法に対しては、まったく共感を抱けぬばかりか、このような方法を是とする考え方には、強い反発を覚えていた。だから今回の提訴のニュースを見て、「当然だろう」と思っている。おりしも、昨日のスーパーテレビ情報最前線で、「ひきこもりを救え!」というタイトルで、この「長田塾」が放送されたようだ。私はこの番組のことに気付いていなかったので見ていないが、(もし知っていても見なかったかも・・)また同じような内容だったのだろうか。ネットで検索したら、長田百合子HPがあった。彼女への先入観がそうさせるのか、読みながら反発を覚えることも多い。しかし、彼女の主張や実践の全てを批判するものでもない。ただ、私が見たあの放送での彼女の手法は、絶対に納得はできない。今後の成り行きを見守りたい。
2005年08月02日
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朝から蒸し暑くてゲンナリ。午前中は、実家の両親の簡易保険や定期預金の解約などの手続きヘルパー。自動車免許のない私は、実家まで20分自転車をこいで行く。それだけで、もう汗でべったり。自転車は、乗っている時は良いのだけれど、降りてからドッと暑くなるのだ。実家から郵便局や銀行へは、母が運転する。母は若い頃から腰の持病があるため、女性が免許を取るのはとても珍しい時代から車の運転をする。そんな母からみれば、私が免許を持たないのが不思議でならないようだ。確かに、両親が高齢になった今は、自分に免許がないことが不便に感じることもあるが、免許がないお陰で安心だったり楽だったりすることも多い。基本的にグータラな私は、自動車に乗ることができたらとたんに足腰が弱るだろう。雪のない季節は自転車、冬になったら徒歩。これが私の健康の秘訣だと思うと、これで良いのだと思う。話はそれたが、ともあれ午前中は金融関係の手続きを終え、昼食後は約束していた友人のところに8月末のコンサートのポスターやチラシを届ける。その後買い物などをして家に着くと、どっと汗が噴き出してきた。明日から、東京の慶應日吉キャンパスではスクーリングのはず。あの暑い日々を懐かしく思い出す。初スクーリングの頃には冷房の教室は少なくて、学生も教授も汗をダラダラ流しながらの授業だった。体力に自信のある人でなければ、スクーリングの講義は引き受けられないだろうと思ったものだ。ただ座って聞いているだけで、私の体力はどんどん消耗したのだから。それでも、講義を受けている時には楽しくて楽しくて、それこそ「暑さを忘れていた」と思う。いいなあ、私ももう一度講義を受けたいなあ。いつもこの季節には、そんな思いが渦巻く。今日の蒸し暑さは、スクーリングの時の東京並み。つい、あの頃を思い出してしまった。
2005年08月01日
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