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「海の沈黙」を夫を誘って苫小牧の映画館で観てきた。Story世紀の贋作事件の鍵は、若き日に消息を絶った天才画家と遠い昔の恋人世界的な画家、田村修三の展覧会で大事件が起きた。展示作品のひとつが贋作だとわかったのだ。連日、報道が加熱する中、北海道で全身に刺青の入った女の死体が発見される。このふたつの事件の間に浮かび上がった男。それは、かつて新進気鋭の天才画家と呼ばれるも、ある事件を機に人々の前から姿を消した津山竜次だった。かつての竜次の恋人で、現在は田村の妻・安奈は北海道へ向かう。もう会うことはないと思っていた竜次と安奈は小樽で再会を果たす。しかし、病は竜次の身体を蝕んでいた。残り少ない時間の中で彼は何を描くのか?何を思うのか?彼が秘めていた想いとは?この映画を観たいと思ったのは、倉本聰さんが長年にわたって構想してきたテーマをどうしても描きたかったと映画化したものだそうだ。それをテレビなどで知り、彼のドラマや映画で感動してきたものとしては、やはり見たいと思ったからだ。映画を観る時に夫を誘うことはあまりないのだが、ロケが夫の育った小樽と言うことで誘うと、「小樽」に惹かれて乗ってきた。さてその感想はといえば、想像以上に良かった。「美とは何か」ということは私にはよくわかっていないと思うのだが、それはとても個人的な主観に基づいていると思っている。主観や美意識は人それぞれだと思うが、多くの人が感動し美しいと思った時に普遍性があると言われ、それに価値が付いていくような気がする。この映画では「贋作」を通して、美術品に価値が付き、権威が付き、ものすごい金銭的な評価に至ることへのアンチテーゼともいえる。この映画のテーマはそれだけではない。やはり人それぞれの生き方や人生、環境に振り回されながらも生きる人間の軸や支えになっている人間同士の愛情というのだろうか。それは、男女の愛、家族への愛、同志への愛、かつての友への愛など、人間が生きる上で欠かすことのできない愛の意味だろう。それを表現する俳優たちも素晴らしかった。本木雅弘や小泉今日子の若い頃から知っている身としては、本当にいい俳優になったなあと感慨深い。中井貴一も「ビルマの竪琴」から注目したような気がするが、この映画でも脇役ながらすごい存在感。このような心を抉るような映画を制作してくれたすべての人に感謝したい。主人公が描く絵にはとても感動したので、誰が描いたのだろうと調べたら、高田啓介さんという画家だった。この人の作品を機会があればもっと見たいなと思った。倉本聰さん映画「海の沈黙」彩る絵画を監修 二戸の高田啓介さん高田啓介 三陸の海この映画では「贋作」が一つのテーマであるが、それでつい連想するのが「お宝鑑定団」という番組だ。この番組は興味本位でよく見るのだが、時折「出さなきゃ良かったのに」と思うことがある。長年、家宝のようにして大切にしていたものとか、大切な人から譲り受けたものとか、どうして出すんだろうなと。それで「偽物」と鑑定されたら、その後それはどのようになっていくのかと心配する。いいじゃないの、自分が生きている間はご先祖様の言い分を信じたって。大切な人が大切なものとして譲ってくれたものなら、大切にしていけばいいのにと。我が家にはそれほどの価値のあるものはないけれど、実家で長年保存していたものは気になってはいた。茶器や食器類、掛け軸類は処分したけれど、福井から曾祖父が持ってきたと言われる昔の文書類は、勝手に紙類として処分するのは気が引けて、地元の郷土資料館に持ち込んだ。私達は昔の文書は読めないので、価値ある書類かどうかもわからないので、分別して処分してほしいと。古文書が読める人なら簡単に仕分けできるだろうが、残念ながら地元の学芸員では無理だったようで、北海道文書館に持ち込んだらしい。結果は知らせると言われたが、まだその報告はない。私達としては、結果はどうあれ子孫である私達のせめてもの責任は果たしたとそれで満足である。
2024年11月27日
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最初はFacebookで知りました。「いのちをいただく みいちゃんがお肉になる日」【本の紹介】坂本さんは、食肉センターで牛を“解く”仕事をしています。息子のしのぶくんは、小学校の授業参観でおとうさんの仕事を聞かれて、「ふつうの肉屋です」とこたえました。その後、担任の先生に「おとうさんが仕事ばせんと、肉ば食べれんとぞ」といわれたしのぶくんは、「おとうさんの仕事はすごかとやね」と坂本さんにつたえます。そんなある日、坂本さんがつとめる食肉センターに、女の子と一頭の牛がやってきて……。5万部突破! 『JIN―仁―』で人気の漫画家・村上もとかさんも絶賛! 朝日新聞「天声人語」欄でも取り上げられ、学校での読み聞かせでも愛読されています。西日本新聞社から刊行されている単行本『いのちをいただく』は、全国で感動を呼び、10万部を突破したロングセラー。『紙しばい いのちをいただく』も、紙しばいとしては異例の売れゆきを続けています。この名作が、新版として、手に取りやすい絵本になりました。坂本さんは、食肉センターで牛を“とく”仕事をしています。息子のしのぶくんは、小学校の授業参観で、お父さんの仕事について、うつむきながら「普通の肉屋です」と答えます。担任の先生に、「お父さんが仕事ばせんと、肉ば食べれんとぞ」と言われ、しのぶくんは考えを変えます。「お父さんの仕事はすごかとやね」と言うしのぶくんを見て、坂本さんはもう少しこの仕事を続けようと決心します。そんなある日、坂本さんが勤める食肉センターに、女の子と一頭の牛がやってきて――。Facebookでは、お話の内容全体が紹介されていますので、転載します。【いのちをいただく】坂本さんは、食肉加工センターに勤めています。牛を殺して、お肉にする仕事です。坂本さんはこの仕事がずっといやでした。牛を殺す人がいなければ、牛の肉はだれも食べられません。だから、大切な仕事だということは分かっています。でも、殺される牛と目が合うたびに、仕事がいやになるのです。「いつかやめよう、いつかやめよう」と思いながら仕事をしていました。 坂本さんの子どもは、小学3年生です。しのぶ君という男の子です。ある日、小学校から授業参観のお知らせがありました。これまでは、しのぶ君のお母さんが行っていたのですが、その日は用事があってどうしても行けませんでした。そこで、坂本さんが授業参観に行くことになりました。いよいよ、参観日がやってきました。「しのぶは、ちゃんと手を挙げて発表できるやろうか?」坂本さんは、期待と少しの心配を抱きながら、 小学校の門をくぐりました。授業参観は、社会科の「いろんな仕事」という授業でした。先生が子どもたち一人一人に「お父さん、お母さんの仕事を知っていますか?」「どんな仕事ですか?」と尋ねていました。しのぶ君の番になりました。坂本さんはしのぶ君に、自分の仕事についてあまり話したことがありませんでした。何と答えるのだろうと不安に思っていると、しのぶ君は、小さい声で言いました。「肉屋です。普通の肉屋です」坂本さんは「そうかぁ」とつぶやきました。坂本さんが家で新聞を読んでいると、 しのぶ君が帰ってきました。「お父さんが仕事ばせんと、みんなが肉ば食べれんとやね」何で急にそんなことを言い出すのだろうと坂本さんが不思議に思って聞き返すと、しのぶ君は学校の帰り際に、 担任の先生に呼び止められてこう言われたというのです。「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん…」「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ。」しのぶ君はそこまで一気にしゃべり、最後に、「お父さんの仕事はすごかとやね!」と言いました。その言葉を聞いて、坂本さんはもう少し仕事を続けようかなと思いました。ある日、一日の仕事を終えた坂本さんが事務所で休んでいると、一台のトラックが食肉加工センターの門をくぐってきました。荷台には、明日、殺される予定の牛が積まれていました。坂本さんが 「明日の牛ばいねぇ…」 と思って見ていると、助手席から十歳くらいの女の子が飛び降りてきました。そして、そのままトラックの荷台に上がっていきました。坂本さんは 「危なかねぇ…」 と思って見ていましたが、しばらくたっても降りてこないので、心配になってトラックに近づいてみました。すると、女の子が牛に話しかけている声が聞こえてきました。「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん、みいちゃんば売らんとみんなが暮らせんけん。ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」 そう言いながら、一生懸命に牛のお腹をさすっていました。坂本さんは 「見なきゃよかった」 と思いました。トラックの運転席から 女の子のおじいちゃんが降りてきて、坂本さんに頭を下げました。「坂本さん、みいちゃんは、この子と一緒に育ちました。だけん、ずっとうちに置いとくつもりでした。ばってん、みいちゃんば売らんと、この子にお年玉も、クリスマスプレゼントも買ってやれんとです。明日は、どうぞ、よろしくお願いします」坂本さんは、「この仕事はやめよう。もうできん」 と思いました。そして思いついたのが、 明日の仕事を休むことでした。坂本さんは、家に帰り、みいちゃんと女の子のことをしのぶ君に話しました。「お父さんは、みいちゃんを殺すことはできんけん、明日は仕事を休もうと思っとる…」そう言うと、しのぶ君は「ふ~ん…」と言ってしばらく黙った後、 テレビに目を移しました。その夜、 いつものように坂本さんは、しのぶ君と一緒にお風呂に入りました。しのぶ君は坂本さんの背中を流しながら言いました。「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」坂本さんは黙って聞いていましたが、それでも決心は変わりませんでした。朝、坂本さんは、しのぶ君が小学校に出かけるのを待っていました。「行ってくるけん!」元気な声と扉を開ける音がしました。その直後、玄関がまた開いて「お父さん、今日は行かなんよ!わかった?」としのぶ君が叫んでいます。坂本さんは思わず、「おう、わかった」と答えてしまいました。その声を聞くとしのぶ君は「行ってきまーす!」と走って学校に向かいました。「あ~あ、子どもと約束したけん、行かなねぇ」とお母さん。坂本さんは、渋い顔をしながら、仕事へと出かけました。会社に着いても気が重くてしかたがありませんでした。少し早く着いたのでみいちゃんをそっと見に行きました。牛舎に入ると、みいちゃんは、他の牛がするように角を下げて、坂本さんを威嚇するような ポーズをとりました。坂本さんは迷いましたが、 そっと手を出すと、最初は威嚇していたみいちゃんも、しだいに坂本さんの手をくんくんと嗅ぐようになりました。坂本さんが、「みいちゃん、ごめんよう。みいちゃんが肉にならんと、みんなが困るけん。ごめんよう…」と言うと、みいちゃんは、坂本さんに首をこすり付けてきました。それから、坂本さんは、女の子がしていたようにお腹をさすりながら、「みいちゃん、じっとしとけよ。動いたら急所をはずすけん、そしたら余計苦しかけん、じっとしとけよ。じっとしとけよ」と言い聞かせました。牛を殺し解体する、その時が来ました。坂本さんが、「じっとしとけよ、みいちゃんじっとしとけよ」と言うと、みいちゃんは、ちょっとも動きませんでした。その時、みいちゃんの大きな目から 涙がこぼれ落ちてきました。坂本さんは、牛が泣くのを初めて見ました。そして、坂本さんが、 ピストルのような道具を頭に当てると、みいちゃんは崩れるように倒れ、 少しも動くことはありませんでした。普通は、牛が何かを察して頭を振るので、急所から少しずれることがよくあり、 倒れた後に大暴れするそうです。次の日、 おじいちゃんが食肉加工センターにやって来て、坂本さんにしみじみとこう言いました。「坂本さんありがとうございました。昨日、あの肉は少しもらって帰って、 みんなで食べました。孫は泣いて食べませんでしたが、『みいちゃんのおかげでみんなが暮らせるとぞ。食べてやれ。みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそうかろ?食べてやんなっせ。』って言うたら、孫は泣きながら、『みいちゃんいただきます。おいしかぁ、おいしかぁ。』て言うて食べました。ありがとうございました」坂本さんは、もう少しこの仕事を 続けようと思いました。 ある学校で、保護者の一人から、「給食費を払っているのに、『いただきます』と子どもに言わせるのはおかしい」というクレームがあった、との話を聞いたことがあります。「なんという常識のない保護者なんだ!」と片付けるのは簡単です。でも、もしもこの保護者が、この話を知っていたとしたら、どうだったでしょう?現在の食生活は、「命をいただく」というイメージからずいぶん遠くなってきています。そしてその結果、 食べ物が粗末に扱われて、日本での一年間の食べ残し食品は、発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといいます。私たちは 奪われた命の意味も考えずに、毎日肉を食べています。動物は、みんな自分の食べ物を自分で獲って生きているのに、人間だけが、自分で直接手を汚すこともなく、坂本さんのような方々の思いも知らないまま、肉を食べています。動物だろうが植物だろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って生きているんだと私は思います。 命をいただくことに対しての「思い」。お肉を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」お野菜を食べて「あ~、美味しい。ありがとう」そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?お肉を食べて「うぇ~、マズッ!」お野菜を食べて「うぇ~、マズッ!」そこに生まれる思いはどんな思いでしょう?食べ物をいただくとき、そこに尊い命があったことを忘れずに、その命を敬い、感謝の言葉をかけてあげられる人に育ちましょう。今日もまた、 食べられることへの感謝の言葉、「ありがとうございます。感謝します。いただきます」。食べているときの「美味しい!」という言葉。そして食べ終わった後の、「あ~、美味しかった。ありがとうございます。ご馳走さまでした」という「食べられたこと」への感謝の言葉をかけてあげましょう。もちろん、食べ残しをせずに。 食べ物が、あなたの体を作ります。あなたの体に姿を変えて、あなたの中で生き続けます。そして、体の中からあなたを精いっぱい応援してくれています。あなたができる最高の恩返しは、たくさんの生き物たちから命のバトンを託されたあなたの命を、いっぱいに輝かせること。喜びに満ちた人生を過ごすこと。それが、あなたと共に生きているたくさんの命たちが、いちばん喜ぶことなんです。みんなの分まで、命いっぱいに輝きましょう!出典:西日本新聞社「いのちをいただく」
2024年11月23日
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兵庫県知事選挙【結果】斎藤元彦・前知事が当選、終盤SNSで支持広げる…失職知事の返り咲き田中康夫氏以来 2024/11/17 読売斎藤知事がパワハラや公益通報者を保護しなかったことなどで、議会が全会一致で不信任をつきつけられて失職し、その後の知事選に出馬して再選となった。友人が兵庫県に住んでいることもあり、このニュースには関心を持っていたのだが、SNSで支持が広まったことで当選したようだ。私には斎藤氏がどのような仕事ぶりだったのかわからないのだが、それでも職員の多くがパワハラを感じ、公益通報かどうかの吟味もせずに懲戒免職にしたことは、何らかの問題があったと思っていたので、それが全部ひっくり返されるような結果には正直驚いた。ニュース映像で見る終盤の選挙戦は、斎藤氏の支持者がふくれ上がって熱狂気味で、それもとても怖いことのように感じていた。私は、何につけ熱狂して支持する風景は嫌である。まあ、タレントへのファンの熱狂ぶりについては趣味の範囲だからいいとしても、政治家への熱烈支持にはいい印象を持てずにいる。だから、今回の当選も申し訳ないけれど冷ややかに見ているところがある。斎藤さんも、当選したのはいいけれどこれからが大変だろうなとか、兵庫県職員や幹部、兵庫県内の市町村長たちも、保身のために手のひら返しができるんだろうかとか…。まあ、結果は兵庫県民の判断だったのだから頑張ってくださいというしかない。 前段が長くなってしまったが、私が書きたいのはSNSが新聞やテレビなどのメディア以上に信じられたということへの懸念だ。今は様々な媒体で情報が得られて、SNSも単にその一つなのに、どうしてそれを簡単に真実や事実と信じられるのだろうか。SNSでの詐欺事件も毎日のように報道されて、騙される人が後を絶たず被害額も膨大なのにである。 私のブログもSNSの末席にあるのだろうと思うが、これは私個人の考えかただし、私個人の関心のあることを取り上げているに過ぎない。たとえ私がこのブログでどこかの福祉団体やNPO、様々な支援者団体を紹介したとしても、それがとても良い団体だとか信じられるから保障するということとイコールではない。私なりに大丈夫だと判断しているとしても、人の判断は絶対であるわけではない。 新聞やテレビなどの報道も同じようなことなので、自分なりに判断するのには複数の情報を調べて自分の頭で考えて選択するしかないのだ。それなのに、「新聞やテレビよりもSNSの情報の方が真実を伝えている」と思うのが私には不思議だ。どんな情報でも、発信者の意図や価値観がありそれを言葉巧みに表現するものだ。間違っても、自分や所属するグループに不利なことは書かないだろう。だからこそ、複数の情報を見比べて検討することが、何かを判断するためにはとても重要だと思う。私は長年不登校の親の会に関わってきたのだが、最近は老舗の親の会にも参加する人は減っているらしい。スマホなどで簡単に情報を得られるようになり、ラインなどでの交流も多くなっているらしい。ただ、私はやはり顔を見て話して相手の気持ちを推しはかり、気持を共有したり話し合う中で気付いたりすることがとても大切だと思っている。私の感覚は古くなってしまったのだろうか。 最近は新聞を購読する人が少なくなったらしい。私と同世代の人でも、ニュースはスマホやテレビで十分だと話している人がいた。テレビはともかく、スマホなどで得る情報は自分好みのものしか見ないはずだ。だから、まったく正反対の見方もあることに気付かないでしまう。 ということで、今の時代はSNSリテラシーや情報リテラシーの教育がとても大切だと思うのだが、少なくても私たち世代(60代以上)はそのような教育を受けてはいない。そのような人たちが、安易に声の大きい多数派の意見に流されているようで、少し不安になっている。
2024年11月20日
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明け方の三時頃目が覚めたら、窓の外が明るかった。(ああ、雪が降ったんだな…)と思ってそのまままた眠ったのだが、朝起きてカーテンを開くと雪景色だった。まだ数センチほどなので今日には融けるかもしれないが、いよいよ冬になると実感。季節が変化して夏が長くなったとはいえ、北海道ではやはり四か月は冬になる。あまり雪の多い冬にならなければいいけど。
2024年11月19日
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詩人の谷川俊太郎さん死去、92歳…「二十億光年の孤独」や「鉄腕アトム」主題歌など親しみやすい詩11/19(火) 読売オンライン 日本の現代詩を代表する詩人で、「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」など数多くの親しみやすい詩が人々に愛された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが、18日までに死去した。92歳だった。 1931年、哲学者・谷川徹三の一人息子として生まれた。東京都立豊多摩高在学中に書きためた詩のノートを父親が三好達治に見せたのがきっかけで、20歳の時、「二十億光年の孤独」を出版した。大岡信、茨木のり子らと詩誌「櫂(かい)」に参加。「六十二のソネット」「愛について」など次々と詩集を発表した。 アニメ「鉄腕アトム」の主題歌をはじめ、ラジオドラマのシナリオや戯曲も執筆。英国の伝承童謡の訳詩集「マザー・グースのうた」(日本翻訳文化賞)や、「ことばあそびうた」「わらべうた」など、ひらがなを使った子供向けの詩も多く手がけた。 また、犬のスヌーピーが登場する米国の人気漫画「ピーナッツ」シリーズの翻訳を続け、「朝のリレー」が国語教科書やテレビCMに採用されるなど、幅広い活動で知られた。 83年に「日々の地図」で読売文学賞、85年「よしなしうた」で現代詩花椿賞、93年「世間知ラズ」で第1回萩原朔太郎賞、2010年「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞を受賞。英語や中国語など世界20か国語以上に作品が翻訳された功績がたたえられ、19年に国際交流基金賞が贈られた。 私生活では3度の離婚を経験。元妻に童話作家の岸田衿子さん、前妻は画家の佐野洋子さん。長男の賢作さんは作曲家。意識しているかどうかは別として、谷川さんの詩に育てられてきたような気がする。本当にありがとうございました。
2024年11月19日
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初当選時より25万票上積み 失職後再選の斎藤氏 兵庫知事選11/18(月) 時事通信 17日に投開票が行われた兵庫県知事選では、失職後に再選を果たした斎藤元彦氏(47)が111万票余りを獲得した。 初当選した2021年の知事選から25万票以上を積み上げ、幅広く浸透する結果となった。 今回の知事選は、投票率が前回より10%以上伸びて55.65%となるなど、県民の関心が高い中で行われた。斎藤氏はSNSを重視した選挙戦を展開。こうした戦略が功を奏して、111万3911票を獲得した。 ただ、有効投票数に占める割合は45.2%で、前回の46.9%には届かなかった。次点の稲村和美氏(52)は39.6%で、斎藤氏とは5.6ポイントの差だった。 兵庫県知事選挙、斎藤元彦前知事が「大まくり」で当選した理由は部外者から見ていたらオセロゲームのようだった。結局、真実はどうだったんだろう。いずれにせよ、斎藤さんはこれからも大変なことは確かだろう。そして、兵庫県民のみなさんはこれをどう見ているんだろう。知事も県議も市長も、県民の皆さんの支持で当選しているわけですけれど。
2024年11月18日
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11月5日(火)図書館の読書会で知り合ったNさんJさんと久そぶりにランチ。話題は親の死後の後始末のことや、自分の体調のこと、共通の知り合いの近況などなど。出会ったのはもう40年も前のことで、3人とも若かった。それがいつの間にか親を見送り、その後始末や自分の死後のことなどを話題にしている。月日の流れを感じますねえ。11月9日(土)町内会の花壇撤去作業。本当は前日の予定だったが、雪が降って延期になった。今年もこれで町内会の作業はおしまい。11月12日(日)旧知の知り合いとのランチ。場所は北広島福祉会が運営する「虹のかかるところ」。私達は福祉関係の仕事をしていたので、障害者の就労支援事業でもあるこのカフェは楽しみだった。日ハムのエスコンのすぐ近くで、建物も新しくてきれい。スタッフも一所懸命な様子と笑顔が可愛い。ゆったりとおしゃべりができて、ランチもとても美味しく満足感があった。お近くの人はぜひ利用してみてください。11月14日(木)息子たちの畑の冬支度に向けての作業。私は番線とブドウを結び付けている紐切り。夫は番線上げ。長男と次男は剪定作業。11月15日(金)IさんとTさんと3人で、久しぶりに札幌で映画とランチ。「八犬伝」を観てきたのだが、予想以上に楽しめた。南総里見八犬伝は、以前朝ドラで取り上げられていたので児童書で読んでみたが、あまりピンとこなかった。人形劇の八犬伝は私はほとんど見ていないので、今回の映画でこんなお話だったのかと再認識。物語の「虚と実」がテーマのようだったが、映画もまさに虚と実が交錯していてなかなかユニークな作品。滝沢馬琴と葛飾北斎が実際にこのような交流があったのかはわからないが、なかなか面白い構成。原作は山田風太郎ということだが、この人の作品は読んだことがないような気がする。ランチにはTさんのご主人も合流してご一緒する。11月16日(土)長男の畑の手伝い。この日はとにかく紐切作業。ぶどうの葉っぱもすつかり落ちて、周囲のカラマツ林の黄色が美しかった。
2024年11月17日
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先日BOOKOFFで買ってきた本。あさのあつこさんは、読みやすく心が温まるような感じで好きな作家の一人。この本も、ミステリータッチで時代物なのだけど、とても楽しめた。「おもみいたします」あさのあつこ出版社内容情報「我慢しなくていいんですよ」 天才的揉み師のお梅が、あなたの身体と心の闇までほぐします。申し込めば半年待ち。評判のお梅の揉み治療だが、一刻の猶予もない患者が現れた!揉んだ人々の身体は、全てこの指が覚えている。身体に触れさえすれば、いつどこで揉んだあの人だと言い当てられる。人に揉み治療を施すのが、お梅の生業。■あらすじ■頭風に苦しむお清を訪ねたお梅はギリギリのところまできていると感じ取る。揉みはじめると、お清の身体に潜む「淀み」を感じ――。彼女を悩ませるその原因とは?
2024年11月13日
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昨日は久しぶりに息子たちの畑で、冬を迎える作業の手伝い。息子たちは秋の剪定作業。私は番線に絡みついた蔓の除去と、番線とぶどうの木を結び付けていた紐の切断。夫は私が蔓をはずした列の、番線下ろしである。体力はさほど必要ではないけれど、一日中剪定ばさみを使っていたので、両方の手の親指と人差し指が赤く腫れた。でも、とても暖かく晴れて風もなかったので、上着を脱ぐほどの天気だった。もっと手伝いに行ってやりたいけれど、私達もそれなりに用事があるので、今週はあと一回くらい行けるかな…。
2024年11月12日
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久しぶりにBOOKOFFに行って、絵本を買ってきた。ひょっとしたら以前に書いているかもしれないけど、ままいいや。ざわつく心を落ち着かせたいときに、絵本を手に取ってみませんか。「きみのそばに いるよ」作・絵: いぬいさえこ【内容紹介】『きみのことが だいすき』の著者が贈る、あなたの心にそっと寄り添うメッセージ絵本小さなどうぶつたちが暮らす森では、夜になると、どこからか話し声が聞こえてきます。だれかに会いたくなって、やさしい声が聞きたくなって……月明かりの下でおしゃべりを始めるどうぶつたち。「きみが いてくれたから、今日は いい日だったよ。」「ぼくはね、うまくいっても、きみが すき。うまくいかなくても、きみが すき。」心細いとき、あなたの心にそっと寄り添ってくれる、温かい絵とメッセージがつまった絵本です。新月から三日月、満月になり欠けていくまで、約30日の月の満ち欠けの移ろいも楽しめます。小学校高学年から。「でんでんむしのかなしみ」作: 新美 南吉 絵: かみや しん【内容紹介】話題の作品 渾身の絵本化!美智子皇后がIBBY世界大会でのビデオ講演で「何度となく、思いがけない時に私の記憶によみがえってきた」作品として触れられた新美南吉の「でんでんむしのかなしみ」を初め、心にしみる作品を、絵本にしました。 ■収録作品〈詩〉一年生詩集の序・でんでんむしのかなしみ・里の春、山の春・木の祭り・でんでんむし新美南吉の作品は、全部を読んでいるわけではないがどれもいい。まだ29歳で亡くなっているんですね。彼が年を重ねてからの作品も読みたかった。
2024年11月07日
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昨日はトランプショックで気分が悪かった。アメリカには、強化ガラスの天井があるらしい。【解説】トランプ氏当選確実で何が変わるのか? ~アメリカの“トップ交代”がヨーロッパと中東にもたらすもの11/7(木)そして今朝は、この地にも初雪が!とうとう冬になってしまった
2024年11月07日
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10月28日(月) 北海道文化塾で林家たい平さんの講演を聞く。落語家だから、落語の一席でも披露するかと思ったら、すこぶる真面目な話だった。しかし、咄家だけあってとても面白いし小話もちりばめられていて、あっという間の一時間半。10月31日(木) 実家の古い納屋の片付けに、息子たちが来てくれてほぼ目途がついた。長男は2tトラックを近所の農家から借りてきてくれて、次男は自家用の軽トラック。今回は息子たちが農家で本当に良かったと思った。農家の納屋というものの収蔵量は想像を超えていた。特に、中二階になっている部分には、片付けても片付けてもどんどんゴミが沸き上がってくる感じ。というのは、農家をしていた頃の藁製の筵や俵、農業用ビニールやその他諸々が圧縮されているので、ちょうど圧縮袋に入れてある衣類などが元に戻るような感じで増えてしまう!私は一番背が低いので、埃にまみれながら上から下にそれを下ろすというか落とす役目。さらにビックリしたのが、祖父の代からの書物や書類を片付けたつもりだったのだが、大きな物の影に隠れていたものが沢山あった。2㌧トラックで2回粗大ごみを運び、その後は燃やせるゴミや産廃関係、木製ゴミなどへの分別作業。本当に疲れてしまったのだが、夜には「自由な学校」の上映会に行きました。昼間の仕事で腰が痛くて、上映時間が長かった!上映後の意見交換会は、残念だけど欠席。11月1日 納屋の分別作業の続きをする。
2024年11月05日
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実家の納屋の整理をしていたら、私の若い頃の資料や本などと一緒に、雑文や日記めいたポエムを書いていたノートが紛れていた。私は若い頃のことはあま思い出したくない。心の中は常にグチャグチャで、自分に対して自信もなく、もっと言えば未来が明るいとは思えなかった。だから、そのノートも見ないで捨てようかと思ったのだが、とりあえず自宅でシュレッダーにかけようかと持ってきた。昨日、おそるおそる開いてみたら、日記めいた詩が書かれていた。こんなもの書いていたのだと思わず読んでみたら、これをそのまま捨てるのは惜しくなった。もちろん、取るに足らないものも多いのだけれど、結構さまになっていたり、大切なことを突いたものもある(ような気がする)。何よりも、自分の現在の考え方の原点のようなものもあったので、ここに残しておくことにする。「伝えることが出来たら」 みんながボクを指さして気持ち悪そうにヒソヒソ話すでもいいんだ 生まれた時からそうさ慣れている今日はこんなに良い天気青空に風が歌っているよかあさん 泣かなくていいんだよ自由にならぬこのからだでも春の陽ざしは 感じられるかあさんと一緒に このぬくもりを喜べたならボクは 生まれて良かったと思えるよああ でももう少し この口が自由に動くことができてボクがこう思っていること母さんに伝えることができたらそれができたら…「生命(いのち)」みんな思うだろうな口もきけず 這うこともできず自分で食べることも おしっこもできず床にだらしなく転がるボクを見て(何のために生きているのか…)ってでも考えてごらんボクには生きることしか残されていないのさ自分で死ぬことだってできやしない百パーセント 人の手によってしか生きるしかないボク生きる重さは知っている与えられたこの生命だ無駄と思うにはもったいなさすぎるみんながどんなふうに思ってもいいけど生きるって悪くはないってやっぱり ボク 思うんだよなこの二つの詩は、最初の仕事「心身障害児の療育指導員」の時のものだ。書かれている「ボク」は、重度の脳性まひ児の気持ちを思いながら書いたのだろう。ちゃんと題名がついていたから、ただの書き散らしではなさそうだ。この子たちのことを書きながら、障害を持ち生きることの意味を探したのかもしれない。あの子たち、今頃どうしているだろうか。私達の生きる世界から、違う世界に行ってしまった可能性は高いけれど、あの頃は本当にありがとう。
2024年11月04日
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加藤多一さんの児童書に一時期はまったけれど、しばらく手にしていなかった。亡くなられたのは昨年(2023年)だったのだな。懐かしくなって、読んでいなかった本を三冊借りてみた。「子っこヤギのむこうに」《あらすじ・内容》「わたし、だっこしてもいいの」生まれてはじめて子っこヤギをだかせてもらえる。マユはうれしさで胸がいっぱい。ふぶきのなか、農家へいそいだ。冬休みのある一日、マユは一ぴきの子っこヤギのいのちをとおして、生きもののあり方、いのちの尊さを知る。「エカシの森と子馬のポンコ」《書籍の内容》子っこ馬のポンコが行く。ここで、ポンコはほんとうに自由だ。すきなところへ、すきなように歩いていく。でもある日、川の水の声も、風の声もいつもと違う。それがおとなになるっていうこと?森の長老の木・エカシ、ここにいるのに体はどこにでもあるというカメムシたちが、ポンコにおとなになることを教えてくれる。──加藤多一が北海道の森で暮らす子馬のポンコの成長を、やさしくあたたかなまなざしで描く。「オオカミの声が聞こえる」「助けて!マウコ」 誰か呼んでいる・・・ひとりの女性が自分のなかのアイヌスピリットを呼び覚ます。北の地を離れ都会で暮らしていたアイヌの女性マウコは、あるとき自分のアイヌとしての自分を取り戻し、生きていく道を探すために北海道に戻る。図書館や博物館を巡っているうちに、100年以上も前に絶滅したエゾオオカミの剥製から見つめられ、何かのメッセージを感じて、行動に移すのだが・・・。加藤さんがそれぞれの作品で伝えたかったことはよくわかる。というより、伝えたいことが前面に出すぎている感じもする。それでも、年を重ねても自分の生き方と、現代の問題への危機感を強く持って、それを作品に紡ぎ続けた意欲と意志は凄いなと思う。児童書の形をとってはいるが、現代の大人達へのメッセージが強いのかもしれない。
2024年11月04日
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昨日のブログの続きである。不登校の小中学生 過去最多34万人余に 11年連続で増加 文科省2024年10月31日このニュースについては、さもありなんという感じがするのと同時に、子どもの育ちにとって何が大切なのかをあらためて考えてしまう。私は学校教育を否定するわけではないが、これほど多くの子ども達が学校に拒否反応を示していることをしっかり考えなくてはならないと思う。と同時に、子どもが健康に元気に育つためには何が大切なのかも考えなくてはならない。思えば私は、不登校のことに関わり始めた25年前から、ずっとそんなことを考えてきたし、多くの学校関係者や教育行政、子ども達を支援する人たちもそれぞれの立場で考え、試行錯誤してきたはずだ。それでもなおかつ学校を拒否する子ども達は増え続けている。 先日、「自由な学校」というドキュメンタリー映画を観る機会があった。徳島県阿南市にあるNPO法人自然スクールトエックが運営する無認可の小学校(オルタナティブスクール)「トエック自由な学校」の初期の卒業生・齋藤千夏さんが、自分が通った学校はどんな学校だったのか、その卒業生たちや親はどんなことを考えて来たのかを、インタビューを通して見つめて考えている映画だった。今では「フリースクール」と言われるような学校なのだが、映画の中では「自由」という言葉が頻繁に出てきた。この学校の考えている「自由」はかなり明確だと思うのだが、それが子ども達にもちゃんと伝わっていることに感動した。それだけ、「自由」について子どもたちとスタッフが話し合っているのだろう。 ふりかえって、私自身が成長する時に、どれだけ「自由とは何だろう」と考えて来ただろうか。さらに、学校で「自由」について考える機会があったかどうかというと、ほとんどなかったと思う。きっと今でもそうだろう。私はずっと「自由な生き方」に憧れていた。周囲の価値観に縛られず生きたいと思ったけれど、それはとても困難なことだと考えていたからだ。ずっと息苦しさを感じながら育ち、結婚し、子どもを育てながら仕事をし、仕事から離れたら地域活動などを続けてきた。私にできることは、目の前の選択肢の中から、自分が望む方向を可能な限り選ぶことであった。その中で、一番大切なことは「自分自身の心の自由」だとはわかってきたが、その確信を得たのは随分年を重ねてからだと思う。「自由な学校」の子ども達は、小学生なのに自分がやりたいことを心のままに考えて動いている。自分の一日を自分でデザインしていて、そのことが大切なことだと自覚している。そう、人が今と明日を自分の考えで生きることと、その毎日を認めて応援してくれる人たちに囲まれることは、とても大切なことなのだ。それが、人間の生きる力の土台であるはずだ。学校教育では「生きる力を育てる」とは言っている。その定義は何かと調べたら、学習指導要領の「生きる力」というページがあった。念のために、文科省のページも確認。残念ながら、いや当然ながら「子どもの自由」という単語は一つもない。あらためてため息が出た。子どもがのびのびと子どもらしい遊びや探求の時間を過ごし、子どもの心の自由が尊重されなければ、子どもは息苦しくなってしまうだろう。言うまでもなく、子どもは学校だけで育つわけではないから、学校が息苦しくて辛かったら、のびのびできる別の場所を見つけたらいい。大切なのは、そのような子どもが選べる居場所が色々あるかどうかだ。「自由な学校」のようなフリースクールや居場所は増えてはいるだろうが、保護者の経済力や、地方か都市部かの壁がある。そして、子どもにとって「自由な心を育てる」ということがどれほど大切なのかを、わかっている大人の数が多いかどうか。「学びの多様化の必要性」については、結構色々な場面で語られるようになってきた。学校教育側も、そのことを否定はできなくなっているけれど、意識がちゃんとついていっているかはわからない。「大人の建て前と本音」はいつの時代もあるけれど、そのギャップが大きければ葛藤に苦しむ子ども達が多いのは当然である。
2024年11月02日
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不登校の小中学生 過去最多34万人余に 11年連続で増加 文科省 2024年10月31日 NHK不登校の状態にある小中学生は昨年度、34万人余りにのぼり、11年連続で増加して過去最多となったことが文部科学省の調査でわかりました。小学生 10年前の“5倍” 中学生は“2.2倍”に増加文部科学省のまとめによりますと、昨年度、全国の小中学校で30日以上欠席した不登校の状態にある子どもは、34万6482人で、前の年度と比べて4万7000人余り、率にして15%多く、11年連続で増加して過去最多となりました。このうち、小学生が13万370人で10年前の5倍に、中学生が21万6112人で10年前の2.2倍に、それぞれ増えています。このほか高校生も3年連続で増えて6万8770人でした。不登校の状況 いじめの件数は不登校の状況としては「学校生活に対してやる気が出ない」が32.2%と最も多く、次いで「不安・抑うつ」が23.1%、「生活リズムの不調」が23%などとなっています。また、認知されたいじめの件数は、小学校が58万8930件、中学校が12万2703件、高校が1万7611件、特別支援学校が3324件のあわせて73万2568件で、前の年度よりも5万件余り増えて過去最多となりました。いじめによる自殺や不登校などの「重大事態」と認定された件数も380件余り増えて過去最多の1306件となり、4割近くは「重大事態」と把握するまで学校側がいじめとして認知していなかったということです。一方、自殺した児童や生徒はあわせて397人で、過去3番目に多くなっています。文科省 “不登校の要因を的確に把握 きめ細かな支援必要”不登校の子どもの増加について文部科学省は、「子どもの状況に応じた教育が必要だという保護者の意識の変化も背景にあると考えられる。不登校の要因を的確に把握し、きめ細かな支援が必要だ」とした上で、いじめについては学校側が組織的な対応ができず、重大事態になった例もあるとして、いじめの早期の発見や対応を促していきたいとしています。専門家「学校に行かないこと “よくない” という意識に変化」不登校やいじめの問題に詳しい上越教育大学いじめ・生徒指導研究センターの高橋知己センター長は、今回の調査結果について「不登校の子どもが5万人近く増加したことは衝撃をもって受け止めている。ただ、学校に行かないことがよくないという従来の意識に変化が出ている」と指摘します。その背景として「フリースクールなどが社会的に認知されて、子どもがストレスを抱えたまま通学するよりも、自分が学びやすい場所で学ぶことが可能だということが広く認識されてきている」としたうえで、「学ぶ場が整った環境であれば、学校教育に限らなくてもいいのではないかと保護者が気づき始めている」と分析しています。さらに、コロナ禍を経て広まったオンライン授業の影響もあげた上で「学校でやるべきことは何かを考え直す時期ではないか」と話しています。その上で、高橋センター長は不登校の状態にある子どもたちの受け皿の確保や経済的支援が必要だと指摘し、「家庭の経済格差によって、子どもの選択肢が狭められないようにしなければならない。柔軟なカリキュラムが特別に認められている『学びの多様化学校』の整備を進めるとともに、民間のフリースクールに通う場合の経済的な支援などを考えていく必要がある」と話しています。このニュースについては、さもありなんという感じがするのと同時に、子どもの育ちにとって何が大切なのかをあらためて考えてしまう。私は学校教育を否定するわけではないが、これほど多くの子ども達が学校に拒否反応を示していることは、何を示しているのだろう。今日はこのニュースを残すことだけにしておく。
2024年11月01日
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