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69歳まで働いた職場は全国に展開する会社だった。北九州を振り出しに長崎、徳山(現在は周南市)と転勤で動くなかで郷里の鹿児島での地元法人で動きがあり自ら手を上げて鹿児島に帰ったのは41歳のとき。 それからも当然のことながら親会社との関係は続き、鹿児島に移ってからも最低でも毎月一回開催される福岡での支社会議や東京本社での諸会議に参加してきた。そういう場面で縁ができた九州支社管内の卒業者の間で同窓会をという声が起こり、一昨年から一泊の懇親の旅行が始まった。 秋は演奏会やその他の行事が集中して多忙な私は熊本であった懇親会を2年とも欠席していた。そこでしびれを切らした? 同窓生たちが鹿児島で開催すればクマタツも出てくるだろうと思ったのか、ついに昨年の段階で今年の鹿児島開催が決定したようだ。 大分在住の幹事からメールがあり、私もこれまでの罪滅ぼしで妻同伴で参加することにしたのだった。当日は三十人くらいの会員の中から東京二人、関西一人、福岡一人、佐賀一人、熊本三人、大分二人、宮崎一人、それに私たち二人の十三人が集まった。 鹿児島中央駅に午後3時集合で車3台に分乗し先ず桜島フェリーで桜島に向かう。宿泊先のレインボー桜島に入る前に「湯の平展望台」に向かう。その荒々しい自然が創り出した風景に皆さん感激した様子で案内したこちらもホッとした。 宿泊先のレインボー桜島から眺めた錦江湾ここでは、「豚しゃぶ」などに舌鼓を打ち、夜は遅くまで歓談とカラオケで賑わった。 翌朝はバイキングの朝食の後、8時30分のフェリーで市内へ島津別邸のある仙巌園へ。桜島と錦江湾を借景とした庭園はいつ見ても見事である。 その後、「薩摩切子」の売店と工場を見学 下は「旧鹿児島紡績所技師館」(異人館)、見学しボランティアの方の説明を聞く 城山の下の西郷隆盛像の前で記念撮影をした 見学コースの最後に「維新ふるさと館」に寄る。駐車場から甲突川にかかる橋を渡って行くが、橋の上からも桜島を見ることができる。 昼食は豚しゃぶなどで有名な「いちにいさん」の本店に予約済みだったので、待つこともなく食事を楽しむことができた。ここも大変好評だった。 直近でも7年前に会ったきりで、それ以上会っていなかったメンバーも多かったが学校の同窓会と同じですぐに昔にかえって話ができたこと、皆が思ったより昔と変わらなかったことなど驚きと嬉しさでいっぱいの会だった。 鹿児島中央駅近くで来年の再会を約束して解散。私も今年鹿児島にきてもらったからには、来年は這ってでも行かねばならない。
2016.10.18
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10月9日(日)は午前中「鹿児島市立少年合唱隊」と合同練習が鹿児島市中央公民館であった。小学4年生から中学2年生までの男女によって編成されている合唱隊で、我がおじさん合唱団とはこの10年来鹿児島作曲協会が児童生徒から曲を募集して優秀曲を発表する表彰式で別々の曲を歌う場で一緒になっている合唱隊である。 今回は10月13日(木)に開催される「世界食料デー鹿児島大会」での初めての合同演奏のための練習である。別々の曲に加えて今回、前記の曲の中から一曲だけ合同演奏をやろうという企画である。その合同練習が正午に終わり、午後3時30分からのおじさん合唱団の練習時間まで時間つぶしをしなくてはならない。 そこで、歩くことの好きな先輩と二人でラーメン・ライスの食事のあと向かったのが、島津斉彬を祀る照国神社である。まず照国神社にお参りをし、右隣にある「三公健像碑」(斉彬、久光、忠義)を巡り神社の左にある石段を城山に向かった。80云才のWさんも私も数百段はあると思われる道を一回も休むことなく頂上にたどり着いた。 頂上にいたボランティアの観光案内人の方々とよもやま話をしばらくした後、西南戦争で西郷さんが最後の5日間を過ごした洞窟のある岩崎谷の方へ降りることにした。その途中にあるのが下の写真の「石仏十三体」である。いつもは車で走り抜ける場所なのでここに寄り道することができなかった気にかかる仏像だった。 案内版には 同行二人 ーいつも弘法大師は自分とともにあるー「遠い鹿児島の地で、大師様の教えにあやかりたい」ー弘法大師の徳を慕う鹿児島市内の観音講の人々が、四国88ヶ所巡礼になぞらえ、大師の尊像88体を伊敷の梅ヶ淵や谷山の慈眼寺、この城山などの史跡や古刹跡に建立しました。弘法大師(空海)は、平安時代初期、中国から密教を学び、日本仏教(真言宗)の祖と仰がれ、多くの信仰を集めています。四国遍路もそのひとつで、昔、大師が阿波、土佐、伊予、讃岐の4国を地獄、餓鬼、畜生、修羅の4悪趣に置き換え、ここに88の煩悩に因む88ヶ所の霊場を開いたという言い伝えではじまったものです。この霊場めぐりに欠かせない「同行二人」と言う言葉は、「常に私(大師)はお前(信者)と一緒にいるから心を安じて行いを正せ」という意味です。城山には昭和3年につくられた88体の石仏のうち13体が安置されています。(大きな石仏が13体ある) 赤いよだれかけできれいに飾られて、花も供えられて、また周囲の清掃も行き届いており、信仰の深さが伺われる。大変、心が和む場所である。案内版にある梅ヶ淵と慈眼寺にも行って当ブログに書いたことがあるが、その時には昭和3年につくられた88体の一体も確認していない。いずれまた行って調べてみたいと思う。
2016.10.13
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3週間ぶりの更新になってしまった。日頃、仙人みたいな生活(いやいや煩悩は多い?)をおくるおじいさんもたまには忙しい日も続くのだ。 日々の些事は殊更書く事もないが、10月7日(金)は県文化センター(宝山ホール)で「鹿児島県おかあさんコーラス第39回合唱祭」を聞きに(見に)行く。朝から夕方まで54団体の出場だったが、私は妻の所属する二団体とも午後の出演だったので、午後2時くらいから5時まで一聴衆となった。 翌10月8日(土)はたまたま二つの歴史講演会を聞く日になった。午前10時30分からは照国神社(島津斉彬を祀る)境内にある照国記念館で鹿児島市教育委員会文化財課藤井大祐氏による「薩摩藩主島津家墓所の魅力と意義」という演題での講演会。受付で講演内容の概要が記された5枚の資料をいただいて着席する。 鹿児島市池上町にある福昌寺跡の島津家墓地には私も歴史散歩を始めてから数回訪れてその度に新しい発見もあり、私にとっても行けども汲み尽くせない泉のような場所である。藤井氏によるとその福昌寺跡墓地の研究を平成23年度より始めて、その成果をこの日発表されるということで講演会は始まった。 この日の発表はスライドを駆使して大変わかりやすいものだった。1、薩摩藩主島津家の葬制度ー島津家墓所と福昌寺ー2、大名家墓所としての福昌寺3、墓所に存在する多様な石造物4、藩主墓標の成立5、藩主墓標と石燈籠ー「墓域」は何を表象するかー6、現状と課題 その中で一番驚いたのはここには864基の石造物があるということである。それを種類別に、あるいはサイズごとに分類したりしての説明で私も今後の石造物を見ることに大変参考になった。詳細は折に触れて今後取り上げていきたいと思う。 この日午後は、同級生のKくんと県民交流センターに向かった。先日当ブログにも書いた再来年のNHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)の原作「西郷どん!」の原作者・作家林真理子氏の講演を聞くためである。1時30分開始の講演会の会場は600人収容の満席である。 演題は「歴史小説を書く」執筆の動機は、人気者なのに、島流しにあった奄美大島時代のエピソードなどは、全国的に知られていない。男性作家は、談合や駆け引きを描くことが多いが、自分は人間を書きたいと思った。などと語り、西郷が島津斉彬に命をかけてもいいと思った斉彬その人を「江戸弁を話し、技術者、科学者、経営者、男前」などと言葉を尽くして賛辞をおくり、この人が生きていれば明治維新は起きなかったのではないかと語ったことが大変印象に残った。 その他では、これまで歴史小説を書く中で、手紙を読むことで、これまで分からなかったことも解明できることが多かったことなどの話があった。それらについて、エピソードを交えて面白おかしく語り、会場は笑いに包まれる時もあった。 この日の二つの講演は直接のつながりはないが、鹿児島に住んで、鹿児島の歴史に興味を持つ私には大変興味深く、これからも鹿児島の歴史を知ろうという意欲を掻き立ててくれるものであった。
2016.10.10
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