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鹿児島は現在、「西郷どん」一色である。新聞もテレビも行政も明治維新150年を迎えた今年、力の入れ方ににはこれまで以上のものを感じる。 今日の写真は8枚全部、地元の南日本新聞に掲載された、「明治維新150年」や「西郷どん」に関するものをである。テレビではNHKはもちろんのこと、民間テレビもBS放送を使って毎日のように明治維新に関する番組流されていて録画しないと見逃してしまうほどである。大きな本屋を覗いても、明治維新本、西郷隆盛本が所狭しと並べられて、どれから見ればいいのか迷ってしまう。 その南日本新聞によると、鹿児島での初回平均視聴率が34,9%(ビデオリサーチ調べ)であったという。関東地区の15,4% 関西地区の関西地区の19,8%を大幅に上回り地元の関心の高さが浮き彫りになったという。それに近年は衛星放送で視聴する人も多く、BSプレミアムは4,9%(関東地区)だったとのこと。私もBSプレミアムで録画をし、後でゆっくり見ることにしている。 地元鹿児島が待ちに待った大河ドラマ「西郷どん」には県出身の俳優も起用されている。薩摩藩の重臣・赤山靱負役の沢村一樹、西郷の妹・琴役の桜庭ななみ、薩摩ことば指導の迫田孝也(もう一人田上晃吉がいる)の3人の座談会を開き、作品への思いや古里へのメッセージを語らせている。 新聞には鹿児島維新マップも掲載されている。(よく見えなくてすみません)観光にお見えになれば、いろいろなマップも用意されていますし、地元ガイドも待機しています。 昨日1月13日には、西郷どん 大河ドラマ館が開館した。鹿児島市が市立病院跡(加治屋町)に総事業費4億7千万円をかけて開館したもので、来年1月14日までの一年間。ドラマ館撤去後は敷地を緑地として整備するとのこと。施設は鉄筋コンクリート平屋延べ1300平方メートルである。このことを見ても力の入れようが並々ならぬものであることがわかる。NHK大河ドラマに登場した西郷隆盛らの生家のセット目玉に、県内ロケの映像、衣装展示などでドラマの世界を体感してもらう狙いだ。昨日西郷どんの父母にとして出演した風間杜夫、松坂慶子さんを迎えて開館式があった。 明治維新に関連する施設の紹介もある。その中には、「西郷どん 大河ドラマ館」と「維新するさとの道」を結ぶ「歴史ロード 維新ドラマの道」の紹介もなされている。私自身も新設されてからのこれらの施設には訪れていないので、近々訪ねるのを楽しみにしている。 新聞掲載記事も多岐に渡り、「戊辰戦争」特集記事や明治維新を成し遂げた「薩長土肥」の偉人の紹介や土地土地の歴史的な博物館などの紹介もある。
2018.01.14
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NHK大河ドラマ「西郷どん」(せごどん)が始まった。「西郷どん」が企画放送されるということを知ったのが平成28年9月。そして10月には「平成28年度 海音寺潮五郎記念文化講演会」(鹿児島県出身の作家のため毎年テーマを変えた企画講演がある)に「西郷どん」の原作者・林 真理子氏(第94回直木賞受賞作家)がみえて「歴史小説を書く」という講演があり、それを友人のKくんに誘われて聞きに行った。 そのことは2016年9月9日の当ブログに書いたが、講演の要旨は「男の作家は談合を書きたがるが、自分は歴史小説においても人間を書きたい」とのこと。そういうことを聞いた私は今回の「西郷どん」で今まで万人に知られた西郷像ではなく、その人間性がどのように描かれるか楽しみにしている。 その講演の中で西郷隆盛に大きな影響を与えたと言われる「島津斉彬」のことについても触れている。江戸で生まれ、江戸弁を使い技術者、科学者、経営者であった。生きていれば明治維新もなかったかも知れない。西郷はこの人の為なら命を落としてもいいと思った。それほどの影響を与えた人物だったと言う。 第一回の放送では、上記のことはもちろんのこと鹿児島の地がどういう風に描かれているか、ロケ地は何処だったのか鹿児島弁はうまく伝わるかなど地元の人間ならではのことにも大きな興味を持って見た。それ等は、今後機会があれば触れることにしたい。 上の写真は番組の冒頭、明治31年(1898)上野で西郷銅像の除幕式が行われた浴衣がけの銅像とは違い、我が国初の陸軍大将の制服姿で鹿児島の城山を背景に建てられた銅像である。没後50年祭記念として鹿児島出身の彫刻家・安藤照(渋谷の「忠犬ハチ公」の製作者)が8年をかけ製作し、昭和12年(1937)5月23日に完成したものである。台座から8mの堂々たるモニュメントである。鹿児島を訪れた観光客はほとんど素通りすることはない有名なスポットでもある。 第一回の放送の中に西郷の子供時代・小吉の居宅があったのが、この場所・鹿児島市加治屋町(当時は下加治屋町)である。この生家は敷地259坪半あったといわれる。現在の住宅事情を考えればあの大家族でも容易に住めたことは頷ける。 私はこの地には事ある毎に訪れているが、この一帯は、明治維新の大久保利通など明治維新はもちろんその後の日本を背負ったたくさんの人材が生まれ育った場所であり、いつも身の引き締まる思いがする。一帯は公園化され「維新ふるさと館」などもあり、年中見学客が絶えない。西郷隆盛については、その偉大な人物同様 話題が多すぎて私などが取り上げるには空を掴むようで難しいことが多い。それでも、気になる「西郷どん」! 折に触れて当ブログ上でも少しでも取り上げるようにしたい。
2018.01.12
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こんぴらさんの参道は賑わっていた。下の写真は365段の階段を登った先にあった大門。 「こんぴらさん」の愛称で知られる金毘羅宮。ここには私がまだ北九州にいた30代の頃に参ったことはあるのだがどこまで登ったのかは記憶にない。 今回は現地のボランテイアのガイドさんが付いてくれて、ツアー客24人中、足の悪い3人を除く21人で御本宮まで登ることになった。ぶっちゃけその3人とは私の連れの3人であった。(笑) 「こんぴらさん」は年間300万人を超える参拝客が訪れる四国でも有数の観光スポットである。広い境内には重要文化財の旭社など由緒ある御社や御堂が点在するほか、宝物館には貴重な美術品などが陳列されている。 ボランテイアガイドさんから、自分より先に登らないでくれと言われていた御本宮までの785段の階段を先に行きたくてもじっと我慢していた私だったが、一人の人が最後の階段を一生懸命登っていたのを見た私は、遂に全力で一番乗りを目指して駆け上がった。見事一番で到着。目出度し 目出度し。ここまで来れなかった同行の3人分のここで鬱憤を晴らしてやった。(つもり)後で最後に渡しが追いついた人と話をする機会があったが、年齢は私より5歳年下だった。(してやったり)いやいや歳をとってもいつまでも闘争心は忘れぬことですぞ!(爆) 御本宮 ここまで登ってきて、この街の広がりを観て30代で来た時もここまで登っていたのだと思い出した。もう夕闇がそこまで来ている感じ。 そこからバスは瀬戸大橋を通って岡山駅へ向かった。 途中 素晴らしい瀬戸内海の夕日に出会う。この旅をしめくくるかのような夕日だった。三日間とも好天に恵まれて、四国のいいところを満喫できた最高の旅だった。
2018.01.11
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かずら橋から再びバスに乗り、約1時間で昼食場所の大歩危のレストランへ。昼食を済ませて外に出ると観光遊覧船が・・・。因みに乗船料は1080円で約30分、船頭さんのガイドで楽しめるそうだ。上から眺めるダイナミックな景観とは一味違う世界が広がるそうだ。いつか行く事があればこちらも体験したいものだ。我がツアー一行は今回周辺の散策のみ。まだ紅葉も残りここも絶景!
2018.01.10
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バスは今回の四国バスツアー最後の県・徳島県の祖谷へ。そのシンボルとも言える祖谷のかずら橋は、これでもか! これでもか! いうような曲がりくねった山道を上り下りした先にあった。長さ45m、幅2mの吊り橋で橋の14m下には祖谷川が流れる。約800年前、平家の落人が追っ手から逃げる際にすぐに切り落とせるように、カズラで橋を架けたと伝わっている。 私は神経が鈍いせいか? 高所恐怖症でもなく、このような揺れる場所でも平気で渡れる方だと思っている。我が連れの3人を含めて多くの人はおっかなびっくりで大騒ぎしながら渡るので、面白がった私は先回りして写真をパチパチ撮りまくった。 橋を渡った先を左へ歩いて行くと見事な滝を見ることができる。 かずら橋への駐車場は広く、大きな物産館があり、天井が高く開放的なフロアには祖谷グルメなどの土産品が豊富に揃っていた。アマゴや鮎、田楽など食べられるフードコーナーもあり、たくさんの人で賑わっていた。
2018.01.09
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南国土佐を後にして都へ来てから幾歳ぞ ♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦思い出します 故郷の友が門出を歌った よさこい節を土佐の高知の 播磨屋橋で坊さんかんざし 買うをみた 三日目ツアー最終日は昨夜の宿舎・ザ クラウンパレス新阪急からバスに乗って次の目的地・桂浜に向かった。すると、ガイドさんの案内で播磨屋橋の前を通過することを知り、これも慌てて3枚くらいシャッターを切った。その中の一番いい出来だったのが上の写真。動くバスから写すのはむつかしい。 帰って改めて「南国土佐を後にして」のことを少しだが調べてみた。wikipediaによると、原曲は、中国大陸中部に出兵した陸軍朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)内で自然発生的に生まれ歌われていた曲とされる。(同部隊には高知県出身者が多かった)後半部には土佐民謡「よさこい節」を歌い込んでいる。戦後復員兵らによって高知県にもたらされ古里ソングとして定着し、それがペギー葉山盤によって全国的な大ヒットとなった。 今回四国を旅して感じたのは、ここ高知(土佐)でも私の薩摩同様に「明治維新150年」のに向けて観光など人を呼び込むためにいろいろな取り組みがなされていることだった。一つの例をあげれば、高知で手にしたパンフレット「平成の薩長土肥連合 明治維新150年」である。薩摩(鹿児島)、長州(山口)、土佐(高知)、肥前(佐賀)の四県を一枚のパンフレットに掲載し自然・食・文化を編集してある。これを全国で配布しているのであろう。 その明治維新の立役者の一人として司馬遼太郎に取り上げられてから特に有名になったと言われる坂本龍馬の像は高知市浦戸の桂浜龍頭岬(りゅうづみさき)上に立っている。この像は昭和3年(1928)5月27日に除幕が行われたという。総工費2万5千円、銅像の高さは台座も含めて13,4m 銅像の銘板には「建設者 高知県青年」とある。制作は彫刻家の本山白雲。 桂浜 この日も好天に恵まれて素晴らしい景色を満喫することができた。 次は徳島県の祖谷へ。スリル満点のかずら橋を渡る。
2018.01.08
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ツアー客24人を乗せたバスは一路 高知市内へ向かう。私の次のお目当ては高知城である。と言うのも客の選択で高知城歴史博物館か高知城のどちらかを80分かけて見学するというのだ。私たち公園化されて綺麗に整備された4人は高知城を選択しまだ見ぬ城へ向かった。県庁も隣にある高知の中心部である。 案内版によれば、「高知城はもと大高坂城といい、南北朝時代に大高坂松王丸が南朝に応じ、これによって北朝方と戦ったと伝えられる。戦国時代、長宗我部元親は土佐一国を平定、さらに兵を進めて四国を併呑し、天正16年(1588)ここに築城した。しかし水難が多いため、数年を経ず瀬戸に移った。 山内一豊は、関ヶ原の戦功により、遠州掛川(6万石)から土佐(24万石)に封ぜられ、慶長6年(1601)9月、百々越前守を築城奉行に任じて工を起し、2年後、本丸を完成した。享保12年(1727)越前町より出火し、全城大半類焼、同14年再建に着手。慶長創建の姿にならって施工し、24年を経て宝暦3年(1753)11月に竣工して、現在に至っている。 明治維新後、二の丸、三の丸の建造物を破壊し、本丸と追手門のみ残して、城域を整理し、花木を植え、公園とした。 昭和9年1月、天守閣及び追手門の建物が国宝(現在は重要文化財)に昭和34年に城域一帯が史跡に指定された。また明治6年、県立都市公園となった。 戦後は各建物の修理に着手。追手門は昭和26年に、天守閣は同30年に、その他の諸建造物は34年3月にそれぞれ改修竣工した」とある。 別名、鷹城と言われている。江戸時代には土佐藩の藩庁が置かれた。日本百名城の一つである。 下は追手門 土佐が生んだ自由民権運動のカリスマ・板垣退助の銅像 あの有名な山内一豊の妻・山内千代像 本丸正殿 天守 高知城の入口にある高知県立高知城歴史博物館。今回は高知城見学を選択したので時間不足で見学することはできなかった。 このあと、この日の宿・ザ クラウンパレス新阪急に向かった。その途中で高知駅前を通過。すると三志士・左から 武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎の像が・・・。慌ててシャッターを切ったのがこの写真。
2018.01.07
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旅の二日目 先ずバスは宇和島の真珠会館へ向かう。宇和島名産品センターやレストランなど併設されている。朝も早かったせいか他に観光客の姿も見えない。どうやら買い物をして欲しいらしいが私は店内をブラブラしただけだった。 30分くらいで真珠会館の見物や買い物を終わり、今回の旅で大きな期待をしていた日本最後の清流と呼ばれる四万十川に向かう。バスを降りると期待していた通りの清流が目の前に広がっている。 この日も願ってもない晴天のもとガイド付きの遊覧船に乗って、ゆったりと川面を行く。丁度昼時で出された弁当がこの日本の原風景にふさわしい自然食で素朴! 久しぶりにゆっくりと落ち着いた気持ちで食べることだった。たまにはこういう弁当もいいですよ~。 沈下橋の下をゆったりと回る遊覧船に乗っているともう何もかも浮世のことは忘れる気持ち良さ。ん~ もう言葉はいらない。 60分くらいの四万十川遊覧の後、高知城に向かうのだが、途中でトイレ休憩を兼ねて、水車亭に寄る。 ここの名物は「芋けんぴ」「塩けんぴ」各種。大きな声では言えないが、丁度小腹が空いた時間でもあったので、試食品を各種食べ漁った。(ハシタナイ)もともと芋好きの私には応えられないお土産屋さんだった。ただしここで妻がたくさんの買い物をしてことを書き加えておく。鹿児島に帰って妻の友人たちにお土産として届けたところ、大好評だったらしい。 四国霊場八十八カ所の一つ岩本寺が800mの近くにあるとの案内があったが、芋けんぴの試食に忙しく、800m歩くのを惜しんだ。帰ってきて反省しきりである。
2018.01.03
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