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◇ 6月27日(土曜日); 旧閏五月五日 癸卯(みずのと う): 先負そのまんま東氏は自民党に交換条件を突きつけた後どうなさったのか?このところ、自民党自体がじたばたドタバタしている感じだし、マイケル・ジャクソンの死にトップニュースを攫われてしまったりで、この件その後余り聞こえてこない。この件、大方の受け取り方は「お笑い芸人のおふざけ」というのが一般で、マスコミの報道姿勢も「政争の幕間のジョーク」の如くである。僕は大真面目で関心を持っている。自民党の大島国対委員長の、「ふざけた事を!総裁といえば日本の総理になる人だよ。その地位に就くためには色々経験や研鑽を積んでの事だ。東国原氏もそこからお始めになったらいかがか。」などという発言は、恐らく「プロの」政治家に共通するものであろうし、この点では民主党の鳩山代表も同列だ。共産党もこの点は同様で、代表が「こんなのは政治の貧困だ」などとおっしゃっている。政治家は自らを「プロ」だとお思いらしい。これはちょっと笑ってしまった。また政治家の世界は「年功序列」の世界だと、端無くも吐露なさったことになる。これは「なるほどねぇ」と、改めて感心した。そうじゃないだろう。政治家とは、国民の心情や暮らし様を掬い出し、それを理念やビジョンという物差しで測定して、政策として具体化し、それを実行していくものだ。「一年生議員は雑巾掛け」、「三年四年は半人前」などという年功序列型発想では、出来上がるのは根回しとごり押しにのみ長けた政治家でしかない。そう云えば、「一年生議員は雑巾掛け」、「三年四年は半人前」に続けて、「十年経ったら竹下さん」と唄って、全国津々浦々に一億円を配った「プロの」政治かも居たっけ。見よ、実際に報道で目にし耳にするのは、こういう「プロの」政治家が圧倒的多数ではないか。こういう点は、共産党のおっしゃる通り確かに政治の貧困である。政治家に必要なのは年功ではなくビジョンだということを忘れてはいけない。ビジョンを以って決断する事。つまりは政策立案力、それが根本だ。実務は官僚などに幾らでも優れた人が居る。日本の官僚は世界に冠たる優秀な人材を揃えている。しかし、優れたリーダー(政治家)が決定的に居ないために、大いに不善を為すものに堕してしまっている。そのまんま東、いやさ東国原知事は、始めはホンの冗談で選挙に出馬されたのかもしれないが、仄聞する限りわが国屈指の貧困県の一つの代表として、宮崎県のセールスを自らが営々となさっている。彼のお陰で少なくとも宮崎県の知名度は飛躍的に向上した。宮崎地鶏も宮崎マンゴーも最早地方のB級グルメどころではなく、全国区での立派な一級品ある。何より彼の偉ぶらない姿勢、「上から目線」でない剽軽さは、所謂「プロの」政治家らしくなくて、僕などは大いに好感を持っている。東国原さんは、「自分を総裁候補にする」、そして「全国知事会の意向をマニフェストに採用する」ならば、自民党から出馬しても良いとおっしゃる。これは蛮勇というものであろう。或いは、深読みすればギャグと本音を両天秤にかけた物言いかもしれない。しかし、蛮勇大いに結構。場合によってはギャグでも許せる。とにかく彼の発言によってプロの政治家どもは大いに慌てているようだ。彼には大いに奮闘して欲しいと思う事しきりである。皆さんはどうお思いであろうか?
2009.06.27
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◇ 6月22日(月曜日); 旧五月三十日 丁酉(つちのえ いぬ): 仏滅【時間つぶし:1】 龍の契りこの土曜日曜はわりと怠惰に過ごしてしまった。怠惰にというのは、つまり小説を読んだりテレビを観たりして過ごしたということだ。小説は香港返還の際の色々をテーマにしたものだ。あの頃、僕は香港に行く用事が何度かあって、返還直前と直後にも訪港した事がある。それまでの知人や友人がどんどん香港から居なくなって、消息を聞いたら「アイツはシドニーに行ったよ」とか、「あの人はカナダに移ったよ」とか、そんな話ばかり聞いた。それで、「これじゃぁ香港は火が消えたように寂しくなってしまうかも」と思っていた。人工的に造成された資本主義のメッカのようなあの小さな地域には、ヨーロッパと、大阪と、昔ながらの(と我々が勝手に思っている)中国が、表通りと裏通り、ビルの外と中、島と半島にそれぞれモザイクのように入り組んでいて、圧倒されるような猥雑さと活気があった。どうしても国際的にはナィーブなとしか言えない、僕のような平均的な日本人からすれば、のべつに東洋人としてのアイデンティティを詰問されているようで、又スマートに欧米化したような気分になっている自分の甘さを突きつけられるようなところがあった。香港には、「嫌いだけど、好き」という微妙に軟弱な気分を抱いていた。「香港はアジアの宝石」には異論がなかったけれど、それはダイアモンドとかサファイア、ルビーなどというものではなく、玉髄、つまり様々な色彩の交錯する瑪瑙であった。その瑪瑙は微かに八角の香りがしていたのだ。そういう香港は「赤尾の豆単」みたいな手帳を振りかざし、カーキ色の詰襟服を着こんでひたすら邁進する、眦を決した青年たちのイメージとは到底相容れぬものだと思っていた。ところが返還直後に行ったら拍子抜けした。空港には詰襟服がいたし、ワンチャイだかネイザンロードだかの地味な建物に五星紅旗が翻っていたがそれだけの事で、それ以外は特段の変化も(少なくとも外見上は)なく、香港は相変わらずの香港に見えた。香港のその後はともかくとして、服部真澄の「龍の契り」は、丁度その頃の香港を巡る各国の思惑の錯綜を題材とした、いわば国際謀略小説だ。アヘン戦争の結果香港は大英帝国に租借されるが、何故その租借期間が99年という半端な長さになったのか。英国は香港を単なる東アジアの荒蕪地から、資本主義経済中心にまで、金を惜しみなくつぎ込んで大事に育て上げてきたが、その背景には一体何者のどういう意図があったのか。サッチャー首相の訪中の際、当時の大方の予想を裏切って、何故そんなにまでして育ててきた香港の返還をすんなり受け入れてしまったのか。こういった背景に様々な国の様々な人間が様々な行動を展開していく。ある勢力による日本バッシングの話も出てくる。海外に端を発した金融不安と不況・株安、そして歩調を合わせて進展する急激な円高。これなど世紀末のころの話だけではなく、今現在も我々が直面する現実である。この小説を読むと、現在でもその「ある勢力」が暗躍しているのではないかという気がして来る。この小説は、国際謀略小説とは言っても、マッチョな連中が入り乱れるようなものではない。登場人物それぞれが、愛国、憂国の情を胸に置いているというウェットな側面も持っている。作者の服部真澄の作品は他には知らないが、僕は普通の読者以上の思い入れを以って読んだ。しかし自分の思い入れを除いても、充分に読み応えのある物語だと思う。
2009.06.22
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◇ 6月21日(火曜日); 旧五月二十九日 丁酉(ひのと とり): 先負、夏至今日は二十四気の夏至。一年の内で日が一番長い。もうちょっと正確に言おう。夏至は北半球の国々では、日の出から日の入りまでの時間が一年の内で一番長い日のことを言う。物事はちゃんと正確に言おうと思うとどうしても長くなるものだ。これを短く言うと「あの人の物言いには含蓄がある」などという。大物政治家や黒幕などのやからは、短い物言いで一種の威厳や権威を身にまとうものだが、どんなものだか。要するに短い物言いしか出来ないほど無知無能なのか、或いは詳しく話すとヤバイから勝手に誤解の余地を与えておくという韜晦の手段なのだろう。それはともあれ、夏至について学校で教わった事をおさらいしてみよう。地球は太陽を中心点として一年を単位とする周回運動をしている。これを公転運動という。更に地球は公転運動をしながら、一日を単位とする回転運動をしている。これが自転だ。自転をする軸は、現在公転面に垂直の方向から約23.44度傾いている。この傾きの方向は宇宙空間に対して固定されている。今は地球の自転軸の北の端はほぼ北極星の方向を指していて、これは公転運動とは係りなく一年を通して維持されている。そうなると公転中に自転軸の北が指す方向が太陽の方向からそっぽを向く期間と、逆に太陽の方向に向かってお辞儀をする期間が交互に生じる事になる。地球を人間の顔に見立てる(頭の天辺を北の方向だとする)と、太陽に向かって目一杯お辞儀をして額を太陽に向ける時が夏至である。逆に一杯に仰向いて顎を太陽に向ける時が冬至になる。そして両者の中間、いわば横顔を向ける時が春分と秋分だ。但しこの喩えでは地球の自転は省いてある。実際には、この顔は一日に一回の割合でぐるぐる回さなければならないが、それでは説明がややこしくなる。従って夏至の日には頭の天辺のつむじまで太陽に曝される事になり、つまり北半球は暑くなり、北極では日が沈まない。無論上の話は北半球を中心にしての話で、南半球では逆になる。こうして自転軸が公転面に対して傾いている所為で、地球上の中緯度から高緯度にかけては四季というものが生じる。春夏秋冬はこの傾きのお陰である。じゃぁ何故自転軸が傾いているのかといえば、ジャイアントインパクト説というのが今は有力な仮説だとされている。約46億年前、地球が形成されてまだ程無い頃、地球の半分ほどの大きさの、つまり火星くらいの大きさの星が地球に衝突した。それによって地球は大衝撃を受けそれで自転軸が傾いたのだそうだ。だからジャイアントインパクト仮説という。因みにこの衝撃で吹き飛ばされた岩滓が集合し固まって月が出来た。最近のコンピュータシミュレーションでは、大衝突後、地球の近傍に散らばった岩滓が球形にまとまるまでに約一ヶ月。月として完成するまでには高々1年から100年程度だという。宇宙の時間からすればあっという間の出来事だ。自転軸の傾きは「現在約23.44度傾いている」と書いた。実はこれも変化している。約4万1千年をかけて、22度~24.5度の範囲で変化する事が分かっている。この角度が小さくなれば季節の変化も弱くなり、逆に大きくなれば変化は大きくなる。極端な想像をすれば、自転軸の傾きが0度、つまり公転面に対して垂直になれば地球上のどこでも一年を通じて一日の長さは一定で季節は無くなる。逆にこれが90度になれば、四季の変化は極端になり3ヶ月は太陽も沈まない暑熱の日々になり、半年後には暗闇の極寒の日々が続く事になろう。思えば今の我々が四季の移ろいを享受できるのも、偶然の賜物なのだ。46億年以来の地球の伴侶である月は、二日後の23日には太陽と地球を結ぶ線上、地球の内側に入り込む。つまり地球からは月の影になった部分しか見えない。新月だ。これを朔といって旧暦(太陰暦)では新たな暦月の始まりの日とされる。今は旧五月だが今年は閏月があって、6月23日からは閏五月の始まりとなる。
2009.06.21
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◇ 6月16日(火曜日); 旧五月二十四日 壬辰(みずのえ たつ): 仏滅、下弦の月電車の天井からぶら下がっている吊り広告に、「西武鉄道、社会人社員募集」というのがあった。募集職種は「駅係員」、「車掌」、「運転士」とある。この三つが順に矢印で結ばれているので、最初は駅係員で採用されても、順に車掌、運転士とキャリパスが用意されているらしい。電車の運転士といえば男の子だったら一度は憧れた職業だ。大抵の男の子は、「宇宙飛行士」、「飛行機のパイロット」、そして「汽車や電車の運転士」になってみたいと思う頃が有る。小さい頃は宇宙飛行士で、大きくなるにつれてパイロットから運転士へと「小ぶりの夢」に進む。子供でも段々現実に目覚めてくるのかもしれない。そして結局大半の男の子はごく普通のサラリーマンとして社会の中に自分の居所を見つける。阿川大樹という小説家がいる。どれほどの人気作家かは良く知らない。しかし、僕は彼の子供時代を知っている。彼が小学校高学年時代、家が隣同士だったのだ。僕が中学から高校時代の頃だ。大樹氏のお母さんによれば僕は彼を科学の分野で薫陶してあげたそうだ。確かに、夏になると蝉取りや虫取りに連れ回したり、天体観測に誘ったり、星座や宇宙の話をしたりした記憶がある。しかし、それは薫陶というようなものではなく、僕にすれば単に年下の遊び相手の感覚だった。彼はその後東京に戻り、最高学府の基礎科学科を出てIT分野の会社に勤めたが、その後転進して小説家としての道を歩んでいる。代表作は「覇権の標的」という経済小説で、これは教えられて僕も出版と同時に買って読んだ。その阿川大樹著の「D列車で行こう」(2007年徳間書店)である。DはドリームのDだ。日本の片田舎に国に見捨てられた鉄道がある。地方自治体が運営しているがご他聞に漏れず赤字経営で三年後には廃止される運命にある。そこで出会った男二人がこの鉄道の再建にチャレンジしようと思い立つのである。一人は理科系出身ながら、当時の恋人との生活のためと割り切って銀行に勤め、ある程度の地位までは登り詰めたものの、定年予備軍の一人として、個人向け債権回収会社の役員に転出が決まっている。もう一人は建設省が国土交通省に統合される際にリストラされた元高級官僚。彼は役所を出された後天下りを繰返し、数年間に天下り先の会社の退職金で一財産作ったのだが、そんな生活が馬鹿馬鹿しくなって辞めた、いうならば悠々自適の身だ。妻を亡くし今は鉄道写真に凝っている、暇人の小金持ちだ。その二人に30歳代の女性が参加する。この女性は元銀行マンの支店長時代の部下で、夜学でMBAを取得した才媛だが、男社会の銀行の世界に嫌気がさして、二人の中年男の夢に合流してしまう。要するに、「夢」に飢えた団塊の世代の男二人とキャリアウーマンの三人組が、「ただの田舎」にある廃線間近の鉄道にほれ込んでしまい、その事業の再建にチャレンジするという話なのだ。この鉄道会社は既に合理化によってコストを限界にまで切り詰めてしまっているので、再建のためには収入を増やすしかない。しかし何しろ沿線は「ただの田舎」で観光客を呼べるような名所もないし温泉も出ない。定番の「うらぶれテーマパーク」もない。沿線の住民は車の普及で鉄道離れが進み、乗客は年寄りか中高生ばかりだ。おまけに経営母体の町も既に議会で廃線を決めてしまっているので、鉄道の存続には腰が引けている。しかし、オジサンたちはめげない。ウェブを利用したロングテール・マーケティングの手法を駆使して、あの手この手のアイデアで仕掛けをする。沿線の小学校で絵画コンクールを催し、入賞作品を駅舎に展示して、作者の生徒だけではなく親や親類も乗客にしようとする。模型作りの感覚でログハウスを建てられ、お手軽な別荘感覚を味わえる施設を作って「週末田舎人願望」を乗客として招致しようとする。楽器メーカーをスポンサーにして何でもありの音楽祭を開催する。芸大の学生のために沿線に巨大キャンバスを用意して「沿線名所」を創出する。これらのアイデアに共通するのは、「人の褌で相撲をとる」という、徹底した低コストと省力の思想だ。それに鉄道を移動するための「手段」としてではなく、電車に乗る事自体を楽しい「目的」にしてしまうという事だ。三人でアイデアを出し、オジサン二人が営業や渉外を、MBAウーマンが理論武装と計画化を担当する。そして究極の活性化手段は、誰もが子供時代に憧れた「本物の電車を運転する」という夢を叶えるということなのだ。定年退職したオジサン(つまり団塊の世代だ)には随分魅力的な企画で、運転士候補の応募はすぐにあったし、ちゃんとした正規の訓練や研修も始まる。しかしこの企画の実現までには役所の規制や町の動きが鈍いなど色々な障害があって、それらを乗り越えながら物語は大団円に向かうのだ。団塊の世代の資産総額は85兆円と云われる。この世代は言い換えれば「こだわり」の世代である。つまり、キャベツや発泡酒を買うのには10円でも惜しむ代わりに、自分の好きなもの、趣味の分野にはこだわりを持って結構な投資をする。狭山湖周辺のオオタカ観察家のオジサンたちは、百万円近い望遠レンズを搭載した、これも数十万はする高級デジカメで放列を敷いているし、僕の友人にもオーディオシステムに数百万円もの投資をして悦に入っているのが幾人かいる。自分史や小説・随筆集を自費出版すると、やはり2~3百万円はかかるそうだが、これが大流行で出版社の美味しいビジネスになっているそうだ。オジサンがマニアックなスポーツカーを買って走り回るのも同じだ。その85兆円を掬い上げるのは、在来型の巨大ビジネスではない。やはりロングテールビジネス、つまりは「団塊世代のオタク」をターゲットにしたビジネスだ。それを実現できるのはインターネットだ。そう考えるとアイデアと企画次第で僕にも出来るように思える。作家阿川大樹氏の意図とはいささか異なるような気がするけれど、僕はこの物語を読んで触発され随分勇気付けられた。さて、そういう本を読んだ後で西武鉄道の吊り広告を目にしたので、「おぉ西武も中々やるじゃないの!」と思ったのだ。「ひょっとして、西武の人事担当はあの本を読んだのかな?」とすら思った。「これってあの本のパクリじゃないか?」と、そう思いながらもちょっとウキウキした。しかし、良く見てみると募集対象は30歳くらいまでとあって、定年後の団塊世代は対象になっていないのだ。まぁ、世の中は実際にはそんなものだ。
2009.06.16
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◇ 6月13日(土曜日); 旧五月二十一日 己丑(つちのと うし): 先勝五月下旬に足立区の公園に「蚊の羽音」のする装置が設置されたというニュースがあった。年寄りには聞こえない、若者だけに聞こえる厭な音を出すので、若者たちが夜中の公園にたむろして騒ぐのを防ぐためだという。これを知って先ず「なにそれ!?」と思い、続いてひどく厭な気分になった。先ずこれは、生物の機能特性を利用して相手に干渉しようとするものだ。だから個人としては抵抗する事ができない。この装置が追い払うのは、人の迷惑を意に介さない、或いはそれを楽しんだりする若者だけではない。たまたま通りがかった若者や、例えば失恋の痛手を癒そうと散策したり、公園で哲学的な思索にふけろうとする若者にも、区別無く厭な音を聞かせて追い出すことになる。こういうのはバイオバリアーの一種で、柵や檻のない動物園に使用されているものと同根だ。動物園のそれは動物を閉じ込めるが、この装置は「動物」を排除するところが異なる。又、人間を個として捉えず、ある年齢の集団としてしか捉えない。そしてその集団に属するものを無差別に排除しようとする。これは大げさに云えば無差別大量破壊兵器や、生物・化学兵器と同じ思想が背景にあるではないか。もう一つは強者が弱者を駆逐するという自然界の大原則に反する。加齢によって可聴音の範囲が狭くなってくるのは、生きものとしての人間の持つ宿命である。若い時には低い音も高い音も良く聞こえるが、歳をとっていくとどちらも聞こえづらくなる。僕なども亡き母の晩年には普通に話す声(僕の声は中々素敵なバリトンなのです。新宿二丁目のカラオケの店では「二丁目のペリー・コモ」だなんていわれたりして・・・。)だと聞こえにくいというので、母と話す時には一オクターブ上げて話すようにしていたものだ。同様に足腰も弱くなり、腰も膝も痛くなる。頭の働きも鈍くなって、昨日の夕飯に何を食べたか思い出すのにも苦労するし、テレビで観るタレントの名前や、ひどい時は知人の名前までも忘れてしまう。こういうのは生物としては弱者であり、従って高齢者・障害者福祉の対象になり、宿や公共施設にはスロープが作られ、駅にはエレベーターが設置され、バスや電車の料金は廉くなり、・・・要するに保護される立場になる。そういうハンディキャップを逆手にとって、「年寄りには聞こえない音」で健常なる聴覚を持つ若者に対抗しようとするのは、確かに理屈は通っているけれども、どうにも不健全で姑息な感じがする。要するにこの「若者撃退装置」の背景には、ユーモアとかウィットというものが全く感じられないのだ。その代わりに「年寄り臭い底意地の悪さ」を感じてしまう。これを考えた足立区のお役人(だと思うが)は、どなただか知らないが、先ず定年間近の出世には最早縁の無い暗ぁーい性格の人じゃないだろうか?(間違っていたらごめんなさい。)この装置の背景にあるのは、イグ・ノーベル賞(「人を笑わせてくれて、考えさせてくれる研究」というのを受賞条件とする。第一回は1991年。)を受賞した技術で、欧米では学生の携帯電話の着信音として使用され人気があるのだそうだ。授業中や講義中に携帯電話に着信があっても、教壇の先生(無論学生よりは年寄りだ)には聞こえないから、携帯電話は講義中でも使い放題。先生に叱られることは無い。ま、これもちょっとユーモアやウィットとは云えないけれど、でも何となく他愛なくてニヤッとは出来る。足立区の公園の場合、排除したい或いは猛省を促したい対象は「若者」ではなく、本来静かであるべき夜の公園にたむろして騒ぐ若者や、トイレなどを汚したり壊したりする若者であるのだから、例えば要所々にマイクを設置して、騒音がひどくなったり破壊音を検知したら「加齢臭の素」を音源の若者に向かってスプレーしたらどうか?こういう仕掛けなら少しは笑えるかもしれない。年寄りの若者に対する鬱憤を晴らすよすがにもなるだろう。しかし、考えてみれば公園で迷惑行為をするのは若者だけではない。オジサンが酔っ払って騒ぐ場合だってあるし、オバサンが子供をダシにたむろして大声で話をしているのも(オバサンの場合夜ではないが)僕などは極めて不愉快だ。最近は酔っ払って全裸になるという、ちょっと興味をそそられる人だっている。こうなると蚊の羽音でも加齢臭スプレーでも有効な対抗策にはならない。つまりは、本来は「諭す」という事だろう。諭すためには相手に対して自分自身を露出し、相手の非行に対峙しなければならない。それに対して、機械的な対抗策を用いて問答無用に「厭なもの」を排除するシステムは、相手に対して自分自身を露出しなくて済む。自分はあくまで匿名という安全圏にいられる。もっといえば、自分自身は安全圏に身を置いたまま、我関せずでいたい。その代わりに機械や公権力に厭なことはやらせる。「それは役所の責任でしょう!義務でしょう!それをやるのが役人の仕事でしょう!」という姿勢なのだ。この「役所」は、例えば「政治」や「教育」に、「役人」は「政治家」や「教師」に置き換えることも出来る。足立区のニュースが厭な感じを僕にもたらしたのは、実はこういうやり口が今の社会や庶民の風潮の縮図であるように感じたからだと思う。--------------何しろローカルなニュースなので、ご存知ない方のために下記にてこのニュースの要点を掲げておく事にしよう。5月21日、東京都足立区の北鹿浜公園に、不快な音で若者を遠ざける「高周波音発生装置」が試験的に設置された。この公園では若者が騒音を出したり、トイレを壊したりする被害が相次ぎ、昨年度は三百万円以上の補修費がかかったという。この装置は英国製で、加齢とともに高周波数の音が聞こえにくくなる性質を利用する。十代から二十代前半には聞こえる17・6キロヘルツの高周波音を発生し、周辺30~40メートルの範囲で、「キーン」という蚊が飛ぶような音(モスキート音)を流すと、若者を近づけない効果があるという。試験運用は来年三月までで、毎日深夜から未明まで実施するのだそうだ。このモスキート音は「教師に聞こえない」と、携帯電話の着信音として欧米の学生に人気を博し、開発した英国人研究者は2006年、ユーモアがあり意義深い科学研究をたたえる「イグ・ノ-ベル賞」を受賞している。国内では一部コンビニエンスストアの駐車場や入り口などで使われているという。
2009.06.13
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◇ 6月12日(金曜日); 旧五月二十日 戊子(つちのえ ね): 赤口、東京日枝神社山王祭日本時間で今朝早く、国連のWHOは新型インフルエンザに関する警戒レベルをこれまでのフェーズ5からフェーズ6に上げると宣言した。それと共に新型インフルエンザを「2009インフルエンザ」と正式に命名した。当初の「豚インフルエンザ」から「新型インフルエンザ」に、そして「2009インフルエンザ」と、名前の方は出世魚のように変化したわけだ。名前はまぁそんなものかと思う。しかし、警戒レベルがこの分野では最高のフェーズ6、つまり「パンデミック」にまで上がったのは、豪州やチリを始めとする南半球でこのインフルエンザの患者が急増しているのが理由だという。南半球は今は晩秋で、これから冬の季節になる。それもあって感染者が増えているのだそうだ。南半球でのこういう傾向は北半球でのこれからを占うものであり、この地域での推移如何は北半球の冬の時期に2009インフルエンザがどうなるかを推測するよすがになるのだそうだ。それで疑問。どうして風邪は冬にはやるのだろう?風邪は冬にひくというのは何とはなしに常識になっている。だから「夏風邪はバカが引く」などと云われる。季節はずれの病に冒されるなどバカくらいのものだということなのだろう。でも、どうして冬なのか?今日その疑問を友人の一人にぶつけたら、「だって冬は寒いから」と至極当たり前のことのように言われた。何故寒いと風邪をひくのだ?そう食い下がったら、「冬は乾燥していて、喉がやられるでしょう!?」といわれた。「寒いと体がブルブル震えるでしょう」ともいわれた。訳が分からない。しかしこの友人にとってはそんな事を質問する事自体が分からない、そんな事に疑問を持つ僕自体が夏風邪を引いて文句も言えないバカだと云わんばかりの様子であった。乾燥していて風邪が流行るのだったら、アラブやアフリカの砂漠地帯は年中風邪が流行っていていいはずだ。寒いから風邪が流行るというなら、ウィルスは夏季より冬季により順応しているという事になるが、先日読んだ資料によるとウィルスは70℃以下-30℃以上であればその生存・繁殖力には大きな影響を受けないのだそうだ。それならどうして「風邪は冬に流行るのか?」誰かご存知の方、ちゃんとした説明をしてくださる方は居らっしゃらないだろうか?
2009.06.12
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◇ 6月10日(水曜日); 旧五月十八日 丙戌(ひのえ いぬ): 仏滅近頃必要があって古くからの知り合いと手紙でのやり取り(といっても、手紙自体はパソコンとプリンターを使って「書く」のだけど)をしていて叱られた。相手の名前には「恵」という字が含まれているのだが、自分の名前の字は「惠」であって「恵」ではないと。この人とはお互いが子供時代からの付き合いで、殆ど身内といいくらい身近な間柄なのに、今の今まで正式な名前が惠の字を使うとは知らなかった! 人様の名前に関しては時々こういう経験をする。ごく身近にも「真」の字を「眞」と書く人が居て、この人は「眞」の字を使うことにまことに拘っている。名前には先ずこれを付けた人、つまり普通は親だが、その名付け親の思い入れがあり、本人もこだわりを持っているのが普通だ。だから似てはいるけれど違う字を使ってしまうとご機嫌を損ねる事になる。親は、くろがねのように逞しく有為な男になれと「鐵男」と名づけてくれた。ところが周りの人は「鉄男」と書いてくる。これじゃぁ「カネを失う」という事になってしまうじゃないか!これではやはりご機嫌を損ねでしまうのは仕方のないことだろう。何故こういうことになるのか。漢字には古字、本字、俗字、異体字、そして新字体、旧字体などという区別がある所為だ。我々の普段使用しているのは常用漢字といって、文科省の役人が決めたものだか、大まかに云うと「一番易しい(画数の少ない)」という基準で選ばれている(のだろう)。常用漢字では、旧字はより画数の少ない新字体に改められているし、本来の漢字の意味というものも重視されていないように思う。例えば上に掲げた「鉄」では、「鐵」は金文文字で、「鐡」は俗字だ。これら本来の「鉄」の漢字(常用漢字は対象外)の旁は「テツ」という音を表し、「赤黒い」という意味を持つ。つまり「赤黒い色をした金属」というのがこの漢字の表すものである。それが「鉄」では全く分からない。もう一つ例を挙げると「円」だ。これも常用漢字で素性をいえば俗字の略字である。昔のお札には「百圓」と、円ではなく「圓」の字が使われた。この「圓」の字は「員」という字を国構えで囲んでいる。「員」の字の下の部分「貝」は「鼎」の字から変化したものだ。鼎(かなえ)は青銅や土などで作られた食物を煮る容器だが、生贄をこの鼎で煮て神に奉げたことから神器となり、祭器の中でも特に重要なものとされた。従って「鼎の軽重を問う」という成句にあるように、その重さ、つまり大きさや中身の多寡を競ったり、また鼎の個数を数える事は神様の格という点を表すこともあって大変重要な事だった。この貝(鼎)の上に○を表す口を乗せることで「員」という字は丸い鼎を表す意味になり、鼎を数える事から「丸い」という意味と共に「数える」という意味も持つようになった。それが更に転じてヒトやモノの意味になり、つまりは員数とか職員などという時の「員」の由来になるのだ。さて、「圓」は先ずは「丸い」という意味だ。これに「数える」を併せると「数える対象としての円いもの」になる。・・・ほら、つまりは「お金」になるではないか!「員」を囲む国構えには、この円いもの(お金)が野放図に何処かへ行ってしまったり、悪さをしたりしないように枠をはめる、つまりちゃんと制御する、というニュアンスが見える。そこまで分かると、まさに我が国の通貨名称としてはピッタリ相応しいではないか!だからわが国の通貨名称に「円」の代わりに「圓」を使い続けていれば、慾に駆られて浅ましくもバブルに踊ったり、本来アメリカの国内問題であるはずのリーマンショックにあたふたさせられたり、ひいては若い世代に大迷惑をかける国債をべらぼうに発行してしまうというような事も無かったろうと思える。こういった含蓄は「円」という字を幾ら睨んでいても決して出ては来ない。漢字本来の意味や形に戻るから理解できるのである。そこで僕としては厳かに「常用漢字なんか廃止してしまえ!」と提案したい。言い換えれば、漢字制限を撤廃して旧字を復活せよと提案したいのだ。思えばわが国の文字は全て漢字由来だ。平仮名も片仮名も元は漢字である。日本には元々話し言葉としての「大和言葉」は有ったが、それを形として固定される文字はなかった。我がご先祖様たちはこれを今から千五百年以上前に中国から輸入し、これを大和言葉と合体させ、換骨奪胎して日本流の文字として定着させた。だから日本で使われる漢字は(仮名も含めて)決して単なる輸入品ではなく、日本の国情、日本人の心情にしっかり定着している日本の文字だといえる。漢字には「表情」がある。表情とは文字の由来による。愚かな毛唐どもがこの話題になると必ずと云っていいほどする質問は、「日本にはカンジは幾つあるのか?」である。「普通に使われるのは約3千字。少しばかり知識のある人なら6千字くらいは使いこなす。」と答えると、「Oh! ○△×!?」という表情が返ってくる。「子供たちは学校では何文字くらい覚えなければならないか?」という質問には、「大体12歳くらいまでに約千文字かな。」というと、「そんな沢山の文字を子供に覚えさせるのは理不尽だ。」と来て、「その点英語は26文字で済むから合理的だ。」という事になる。こちらも負けてはいない。「26文字だけ覚えて英語が分かるのか?ちょっと聞くが単語の数はどうなんだ?やはり数千語くらいは知っていないとダメだろう?日本の文字はそれぞれ一字ずつが全部意味を持っているのだ。それも部首の組合せやモノの形で複合した意味を表す。英語の単語は文字数も決まっていない。その点漢字は一字という固定長でちゃんとした意味を表せる。どっちが合理的だといえるか自明ではないか。」と、そう答えると相手は何も云えなくなる。ザマミロである。日本は漢字を使う東アジア文化圏では、オーソドックスな漢字の歴史が良く残された国の一つだ。東アジア文化圏では未だちゃんとした漢字を継承しているのは、他にはベトナムと北朝鮮くらいだそうだ。漢字の母国と思われている中国は、近年略字をどんどん捏造して本来の漢字文化の宗主国としての面影は最早ない。昔は中国人とは言葉が通じなくても文字を書く事によって意思疎通が図れたけれど、こういう略字の使用が進む事でそれも困難になってしまった。歴史有る文字を捨てる事は、己の文化伝統を捨てる事である。今後中国には魅力的な文学作品が生まれることはない。杜甫も白楽天も出ないし、荘子や孟子、ましてや孔子など金輪際出てこないであろう。だからせめて日本くらいは、日本語の「乗り物」として古くから連綿と使われてきた漢字を本来の姿で継承していくほうが良い。良いというより是非そうすべきである。漢字は表意文字である。言い換えれば一つ一つの文字は絵だ。その絵の一部を便宜上の理由で、殊に役人風情が変えてしまっては、漢字に内在する意味を歪め、ひどい時は全くおかしなものにしてしまう。幾つか又例を挙げてみる。先ず鳥の「巣」という文字がある。常用漢字のこの文字は木の上に有る鳥の巣を表す会意文字である。「厳」という常用漢字も雁垂れの上には「巣」と同じ「ツ」が書かれる。しかしこの常用漢字の「厳」は略字だ。本来は「嚴」という字で雁垂れの上には「口」が二つ書かれる。これは「言いたてる」という意味で本来の「厳」という文字は「きつく言いたてる」→「きびしい」と言う意味が出てくる。これと仲間の字には「哭」がある。この字の場合は口が二つ書かれるままであって「ツ」には変化していない。「哭」は常用漢字でない所為かもしれない。意味は犬が二頭で鳴きあっていることから「大声で泣き叫ぶ」となる。厳かに且つ厳しく言葉を発するという漢字が、単に画数が少なく使い易いからという理由で鳥の巣と同じにされてしまってはならない。ついでに言うと「栄」や「営」も「ツ」を戴いているが、元々は「榮」や「營」と書くべきもので、やはり鳥の巣とは何の関係もない。いささかしつこくなったきらいがあるので、もう二つだけ例を掲げてみる。恒星とか恒常という時の「恒」もやはり常用漢字である。この字は本来「恆」と書くのが正しい。この字の旁である「亙」は「わたる」、「行き渡る」という意味で、心を表す立心扁と共に「心に満足が行き渡って平常である」→「変化しない」→「恒常普遍」ということになる。ところが常用漢字の旁である「亘」は「水流などが渦巻き巡り変化していく」という意味の字であり、恒常普遍とは全く逆の意味になってしまうのだ。最後に「恋」という字だ。これも常用漢字だが俗字からの略字である。本来は「戀」と書くのが正しい。「心」の上は、言葉を両側から相互に糸で繋いで「お互いに惹かれる」という意味になる。まさに「恋」の本質を突いているではないか。ところが常用漢字では、心の上に「亦」と書いてしまう。この「亦」は「脇の下」という象形文字に由来する。そうすると「恋」は「脇の下の心」となり、ただ「こそばゆい気持ち」だとなってしまう。こういう例はちょっとした漢字字典を見てみれば枚挙に暇がない。つまり画数を減らして「合理化」することで、いとも珍妙な文字になってしまっているのだ。本来の字形を知っていれば、知らない文字に出会ってもその意味を類推できるはずのものが、常用漢字ではそれが出来なくなってしまう。英語の単語でも、語源に遡って学習すれば知らない単語でもその「表情」が分かるから、文脈などからしてその意味を推し量る事ができる。僕は実際この方法で英単語の学習努力を随分節約できた。それに上述のように応用も利くようになる。これは漢字の場合でも同じであるべきだ。何より、漢字の成り立ちを理解できる事で、その文字の「表情」や歴史、つまりは「日本語の心」、「日本人の心」を理解するよすがとなる。それに何よりわが国の古典を読むことが出来る。常用漢字しか知らないと、たかだか百五十年ほど前の文書すら読むことが出来ない。自分の国の歴史すら読めない文字を教えるなど、亡国の所業である。そうではないか?だから経済合理性を優先させた歴史の浅い常用漢字など廃して「旧字」や本字を復活させるべきなのだ。こういう事を云うと、先ず「画数が増えると教育負荷が増える」という反論が来そうだ。しかし、漢字は元々「意味のある絵」だ。絵として覚えればよい。又漢字の部首はある構造をもって組み合わされているのだから、部首それぞれの意味を理解するようにすれば、「知らない字でも読める」、少なくとも凡その意味を前後から類推できるようになるはずである。「画数が増えると書き辛くなる」という批判には、今時文章はパソコンのワープロソフトで「書く」のがどんどん普及しているのだから、パソコンで入力すればいいだろうと反論させていただく。つまり、文字は必ずしも書けなくても良い。正しく読めて意味を理解できればそれで良いのだ。むしろその方が大事だと思う。わざわざ文字を手書きにする人や書家などは、元々漢字に愛着を持っている人が殆どだから、そういう人には常用漢字よりも本来の旧字などの方がむしろ歓迎されるだろう。しこうして、日本人として先達の文書をちゃんと読め、日本の文化伝統に対する理解が深まるほうが、遥かに国のためにも、我々自身のためにも意義があろうと思うのだが、いかがであろうか?
2009.06.10
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◇ 6月8日(月曜日); 旧五月十六日 甲申(きのえ さる): 友引、望今日は望、つまり満月だ。晴れていればまぁるいお月さまを空に望む事ができるだろうけれど、今時の空には滅多に月が観られることは無い。今年は太平洋上とシベリアからの両高気圧が未だに拮抗しあっている所為で、入梅は全体に少し遅れているようだ。さて、先日のブログに地下鉄駅のホームで箸を使ってスパゲティを食べる青年の話を書いた。そうしたら釈迦楽先生という方から、「もはや『人の目』というものがなくなってしまったんでしょうかね」というコメントを戴いた。そう、「人の目」というのはもはや死語になってしまったかもしれない。電車の中で化粧するオンナ、それに件の弁当オトコ。若し僕が「人の目」を代表したつもりで彼らをじっと凝視していたら、どんな反応があるだろうか?恐らくは、仏頂面で「なぁに見てんだよぉー!」という、甚だ好意的ならざる視線を返されるに決まっている。かなりの確信を以って敵意を予測できる。化粧オンナなどはついでに、「エッチ!ヘンタイ!スケベ!」という三連句が飛んでくるだろう。要するに、彼らにとって「人の目」などというものは、ハナっから無かった!僕を含む周囲は単なる情景でしかなかった。それが凝視を受けたり、或いは肩などを叩かれたりでもすると、やおら点景が「情景」を脱して何やら不審なイキモノとして眼前に出現する。しかし、未だ自分の仲間の「ヒト」としての認知まではされていない。単なる不審なイキモノだ。それが突然自分に干渉してくる。それで、モノを見るような無機質な視線を返し、やがてそれに敵意が込められ、そして「何だよ!?」という反応になるのだろう。もし、もしもだけど、こういう時に返って来るのが微笑みだったらどうだろう。そう、微笑だ。同じ笑いでも冷笑、嘲笑、憫笑、失笑、苦笑、艶笑、照れ笑いではない。ましてや哄笑、爆笑などではいけない。「和えかなる微笑み」・・・では少し違う。ちょっと弱すぎる。「嫣然と微笑む」というのを中性化して色気を抜けば注文の微笑みが出来上がるだろう。要するに悠揚迫らぬ笑顔だ。そんな微笑などあるものか!とおっしゃるかもしれないが、ある。それも誰もが何度か(直にではないにしろ)この微笑を目撃した事がある。僕はつい昨日、福井県の一乗谷で行われた全国植樹祭を報告するNHKのニュースで観た。そう、天皇皇后の微笑だ。あの方々は常にどんな状況でもこの微笑をたたえていらっしゃる。尤も我々が目に出来るところでは、ということになるのは、此方はテレビなどで拝見しているのだから当たり前だ。つまり「人の目」だ。お気の毒でもあるが、あの方々にはプライバシーというものが民草より遥かに少ない。外にお出になったり、昨日のように式典に出席なさったりすると、衆目に曝されカメラの砲列にも狙われる。要するにまさに「人の目」に曝されるわけだ。その中で常に微笑を維持されて崩れない。天皇ご夫妻や皇族ならずとも、僕の周辺の「平民」にも数はそんなに多くは無いがこの微笑を会得されている方が居る。こういう方々と目が会うときは必ず先方は微笑をたたえている。先方が不意突かれた場合ですら先ず微笑が返ってくる。そういう時、相手に対して品の良さ、育ちのよさ、そして品格を感じさせられて、此方の気持ちも自ずと和む。「あぁ自分もかくあらねばならぬ。」などという気持ちになる。毛唐もこういう微笑を身に付けている人が多い。全く知らぬ人でも、ゆきずりに目が合うと、実に暖かい(と思える)微笑を返してくる。しかし毛唐と云っても先進国と云われる国の白人であって、我々の属する黄色人種や黒人種には残念ながらこういう微笑を返してくる人は希少でしかない。心理学的にはこういう微笑はCheap Moralの一種で、「自分が相手の敵ではないと表明する防御姿勢の一つで、愉快な気持ちの表出としての笑いではない。」などと解されるのだろう。別にそうでも構わない。第一両陛下だって、僕の品良き友人だって、いつもご機嫌であるわけはない。不愉快な気分の時も、体調が悪い時もあるはずだ。それでも、あの微笑を返すのは相手が集団であれ個人であれ「人の目」を大切にしようという気持ちが彼らにはあるからだ。思えば最近の日本、特に東京のような大都会ではそうだが、殊更に「人の目」を無視し、神経の突っ張ったような顔つきで歩く人間ばかりになってしまった。こういう中にあの微笑み人口を増やす方策はないものだろうか。ホームの弁当オトコが、この微笑の会得者であったらどうであろうか?「そんなところで、埃っぽくはないですか?」、「おや、美味しそうなお弁当ですね。」とか、何となく此方も微笑みながら声をかけたくなるのではなかろうか。電車の中の化粧オンナも、程度の問題はあるだろうが、少しは美しく見えるようになるのではなかろうか?マナーという面ではどうであれ、少なくともギスギスした雰囲気は無くなるのであろうとおもうのだが。この微笑み、アメリカでは「正しい微笑み方」を教える学校もあるのだそうだ。
2009.06.08
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◇ 6月7日(日曜日); 旧五月十五日 癸未(みずのと ひつじ): 先勝、東京鳥越神社例大祭美和子さん;今日は鳥越神社の夏の例大祭の日ですね。ここしばらく入梅間近のはっきりしない天気が続きましたが、今日は朝から晴れて暑い陽気になりました。この陽気の中、朝からお神輿が路地から路地へと、又練り歩いているのでしょう。あのお神輿は「千貫神輿」というのだそうです。千貫というと4トン近くもの重さになるのですが、実際それほどの重さがあるのかどうか。他の土地にも千貫神輿というのは幾つか有るそうですが、鳥越神社のそれは元祖として、とにかく都内では一番重い神輿のようです。狭い路地を大きな神輿(一辺が4尺3寸もあるそうです)をお渡しするために担ぎ棒が短くなっているので、余り大人数では担げない。だから担ぎ手一人あたりの負担は大きく、その意味でも「都内では一番重い」というのです。担ぎ手も下町ッ子の意地をかけて練り歩くのでしょうね。先週だったと思いますが、たまたま通りがかった池之端で「元黒門町」のお神輿を見ました。黒門町も今では上野一丁目などと呼ぶのかも知れませんが、お神輿はちゃんと伝来の町名で担がれているのは嬉しく思いました。鳥越神社のお神輿もずっと続いていって欲しいと思いますね。そういえば先日ブックオフで、井上ひさしの「浅草鳥越あずま床」(新潮社)という本を見つけて、思わず買ってしまい読みました。浅草橋駅の北側に広がる商店街に、床屋、銭湯、千代紙屋など小さな商いを営む、6人の還暦間近のオジサンたちを主人公にした「オムニバス小説」とでもいうものです。6人は小学校からの友達でご近所同士。全員が鳥越神社の氏子でもあり、誰かに何かあれば我が事のように怒り、喜び、悲しみ、又おせっかいを焼き、という絵に描いたような下町の庶民たちです。中に含まれる8話は順に、「浅草鳥越あずま床」、「上野西郷花ふぶき」、「忍ぶ恋路は柳橋」、「踊る金髪浅草寺」、「はり毛はり紙花川戸」、「迷う心の待乳山」、「すまじき恋を駿河台」、「あぶらかだぶら泪橋」と、タイトルを見れば話の舞台はすべてあなたのお馴染みの場所ばかりでしょう?意外かも知れませんが、最近の僕はこういう本に癒しを求めてしまいます。下町の風情とか、人情とか、昔は当たり前で今は失われつつあるものに懐かしさを感じてしまうようです。どうも人間的には弱くなったようで、ちょっと危険かもしれませんね。それで、読み終わって奥付を見たら発行は昭和50年だと!もう34年も前なのです。本の装丁もページも綺麗だったので、まさかそんなに「時代物」の本だとは思っても見ませんでした。でも物語の中の情景描写などには少し「今とは違うようだな。いつ頃の話なんだろう?」と思わせるところがありましたがね。34年前というのは、僕はアメリカの東海岸の田舎町で独り奮闘していた頃です。前ばかり見て一生懸命だった。それが今になってこの本に描かれている情景や、鳥越神社のお祭りなどを懐かしく思うようになっている。懐かしくなった時には、ちゃんと残っていて欲しい。そこに戻れば、自分のアイデンティティを取り戻す事ができる。文化とか伝統というものはそういうものであるのでしょうね。今頃あなたは浴衣姿で縁台に腰を下ろし、祭囃子を遠くに聞きながら軒先の江戸風鈴でも眺めていらっしゃるのでは、と勝手に想像しています。僕はお祭りに行けませんがどうかお楽しみくださいますよう。
2009.06.07
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◇ 6月6日(土曜日); 旧五月十四日 壬午(みずのえ うま): 赤口先日地下鉄に乗っていて不思議な光景を目にした。都内のある地下鉄駅のホームだ。ホームには電車を待つ人のために簡単な椅子がベンチ状に置いてある。その一つに青年が腰を下ろして食事をしているのだ。食べているのはコンビニで売っているようなスパゲティ。ポリスチロールの丼に入っているトマトソースらしいスパゲティを、彼は箸を使って食べている。身なりは決して汚くは無く、白いシャツを身に着けた姿はむしろ清潔で、風体にも崩れたところはない。どこかのまともな大学の学生だといってもそのまま通るような青年だ。それが椅子に腰を下ろし、辺りを憚る様子も無しに淡々とスパゲティを口に運んでいるのである。都心の地下鉄のホームだから何人もの人が歩き過ぎて行く。彼は停車しているこちらの電車に乗るそぶりも、周囲を気にするそぶりも無い。ただただスパゲティを食べる事に専念している様子だ。やがて僕の電車が動き出し、彼とスパゲティは車窓を流れ過ぎていった。これをそのまま何処かの食堂に移せば、何でもないごく普通の食事の光景になるのだが、何だか非常に異様に思えた。最近は衆目の中で平気でものを食べる人間が増えている。カップに入ったソフトドリンクや缶コーヒーを飲むのは勿論、おむすびやハンバーガーを食べたりする連中を、ホームや電車の中で見かけることも多くなった。そういう光景を目にするたびに僕は決していい気はしない。以前はこういうことをする連中は例外なく若年層ばかりであったが、最近は中年の領域に入った人まで衆人の中で平気で飲み食いしているのを時々見かけるようになった。しかし、今回のように箸という食器を使っての飲食行為を見かけたのは始めてであった。しかも公園とか広場と云った場所ではなく駅のホームだ。駅のホームは、これはいわば往来だ。往来でメシなんか食うか!とムラムラしてくると同時に、これを現代の社会現象として敷衍し、批評めいた論理を組み立てようとした。僕の悪い癖だ。しかし、彼の食べているのがハンバーガーや握り飯だったら多分違和感は多少小さかったように思う。或いは、二人か三人程度で適当に会話しながらであっても、やはり僕の感じた違和感は相対的に小さかったと思う。勿論十人もの人間が駅のホームに群れて何かを食べていれば、これは違和感を通り越してはた迷惑も甚だしい。要するに、身なりの悪くない青年が独りで箸を使って食事をしていた事が大きな違和感の原因のようだ。食べているものは余り関係ない。スパゲティがカツ丼であっても大差なかったろう。そこでふと気がついた、ひょっとしてこれは昔では普通の光景ではなかったか?人が大勢いる場所で弁当を使ったり、飲食をするのは以前からあった。桜の花の下に茣蓙を敷き、車座になって飲み食いするのは今でも普通にやることだ。傍らを幾多の赤の他人が通行していても平気だ。つまりこれも「往来での飲み食い」だ。相撲見物でも同じだ。升席に入って茶屋がつけば飲み食いはむしろ当たり前だ。芝居見物でも「幕の内弁当」というのがある。周りは見知らぬ人ばかりだし、全員が飲食をしては居ない。昔の街道を行く旅人はどうだったろう?想像でしかないが、路傍で独りで弁当を使う旅人は何人も居たような気がする。そうなると、あの時僕の感じた違和感はなんだったのだろう?一つは場所の不整合というものがあり、もう一つは彼が独りで淡々と食べていた。そういうところにあったことは事実だ。それも非常に強い違和感を覚えた事も又事実だ。何故だろう?それに、違和感を覚えたのは僕だけだったろうか?周りの人は何も感じていなかったのだろうか?結局釈然としないままに、非常に気になっているのだ。
2009.06.06
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◇ 6月5日(金曜日); 旧五月十三日 辛巳(かのと み): 大安、芒種、熱田神宮祭拓男さん;時は春、 日は朝(あした)、朝は七時、 片岡に露みちて、揚げ雲雀なのりいで、 蝸牛枝に這ひ、神、そら知にしろしめす。なべて世は事も無し。----------良く知られたブラウニングの「春の朝(あした)」という詩です。尤も「良く知られた」といっても、「僕らの時代までは」という注釈が必要なのかもしれません。今でもこの詩は学校で教えているのでしょうかね?先日アジサイの写真を撮ろうと思って、文京区の白山神社に行ったのです。白山神社は境内を中心に約三千株のアジサイが植えられており、毎年6月には「文京あじさい祭り」が催されます。今年は6月6日からの一週間があじさい祭りの期間だそうです。お祭りの期間中は、「近隣のプライバシーの保護」のため非公開とされている富士塚も公開され、「歯ブラシ供養」などという珍妙な催しもあり、それなりの人出があります。会期中は人が邪魔になって中々良い写真が撮れないので、ちょっと早めに出かけたのです。人出はお陰で少なかったのですが、未だ少しだけ花期には早く、アジサイ繚乱というほどまではいきませんでした。それでも、色づき始めた花は中々に美しく、何枚か気に入る程度の写真は撮れました。アジサイは一輪だけで撮る写真より、花群れを撮ったり、祠などを背景に置いて撮ったりする方が風情があるのです。でも、僕はご存知のように接写するのが好きだから、幾つか接写写真も撮りました。そうして、「ここに蝸牛が居たらなぁ」と思ったのです。どうもアジサイという花は接写しても花だけだとやはりいささか風情に欠けるところがある。例えば雨の雫が花に留まっているとか、そこに蝸牛が這ってでも居てくれたら「絵作り」としては満足できるのですね。その時、「そう云えばこの頃蝸牛を見なくなったなぁ」と思ったのです。以前は、生垣や野面にごく普通に見かけたものです。これも環境の変動の所為なのかどうか。蝸牛の連想から、冒頭のブラウニングの詩を思い出したわけ。そして、又「そういえば雲雀も見なくなったなぁ」と思った訳です。今君の住む土地には未だ蝸牛や雲雀は未だ健在でしょうか?加えて云えば岐阜県では県の花になっているレンゲもこの辺では見かけません。無論喧騒で畑も田んぼも無い都会にレンゲの咲く場所など無いに決まっていますが、郊外の田畑のあるような場所に行っても見かけません。あれは関東の土質には合わないのでしょうかね。そちらではどんな様子か、ついでの時にでも知らせてください。更についでに、「春の朝」という詩の原文も思い出したので、おまけに掲げておきます。上田敏の訳と対照すると、つくづく「翻訳とは単なる直訳とは全く違うなぁ」と今更ながら感心しますね。The year's at the spring,And day's at the morn;Morning's at seven;The hill-side's dew-pearl'd;The lark's on the wing;The snail's on the thorn;God's in His heaven---;All's right with the world ! ところで今日6月5日は二十四気の「芒種」。稲科の植物の実を包む穎(えい)の事を芒(のぎ)と云うそうですが、この芒を持った植物の種をまく頃という意味だそうです。今は実際の稲の種蒔きはもっと早く行われるようになっていますが、いずれにしてもこれから農家は忙しくなる季節です。入梅ももうそろそろでしょう。梅雨に入れば暫く鬱陶しい日々が続きます。尤も、蝸牛君には会えるチャンスが増えるかもしれません。いずれにせよご自愛のほど。
2009.06.05
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