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◇ 9月20日(日曜日) 旧八月二日 戊辰(つちのえ たつ) 先負: 彼岸の入り、空の日今日はお彼岸の入り。ニュースでは「初めての秋の連休」と事あるごとに言っている。何が「初めて」なんだと思ったら、祝日改正法によって敬老の日が2003年から9月の第三月曜日に定められた。そのお陰で今年は秋分の日(23日水曜日)との間の22日も国民の祝日となり、週休二日制の普及によってサラリーマンは19日(土曜日)から23日(水曜日)までの五日間の休日になる。休日と曜日の巡り会わせで5連休となるのは、祝日改正法の適用以来初めてなので、「初めての秋の連休」となるのだそうだ。今後この「秋の大連休」が巡ってくるのは6年後の2015年なのだという。なるほど。ついでに24日と25日も休んでしまえば合計で9連休となる。この不況下会社に大した仕事も無いからと、そうしている人も多いそうだ。しかし、休みと云うと働きたくなるのが貧乏性の日本人で、我も我もと家族などを連れて奉仕労働に出かけるものだから、格安の高速道路はどこもかしこも大混雑である。いよいよ秋めいてきた青空の下、爽やかな風に吹かれて広い野面を散策する代わりに、せまい車内に閉じ込められてじりじりと蝸牛の歩みに勤しんでおられるご同輩諸氏には衷心よりご苦労様と申し上げたい。こういう時はそこいらを歩き回るに限る。ご同輩諸氏が大挙してどこかへ行ってしまわれるお陰で、都心は閑散として、普段とは全く異なる顔を見せてくれる。景勝の地や海外で秋を愛でるのなら、何でもない普通の日に固めて休暇をとって、混雑とは無縁の旅をすれば良かろうと思うのだけれど、何しろ皆と一緒に群れていないと不安になってしまうのが我が国民のさがだ。改正祝日法案だって、高速道路の週末・休日割引だって、人を休ませリフレッシュさせることには全く役には立たず、むしろ群れさせて疲労させることに貢献するようなものだ。どうせなら、年間の有給休暇日数を格段に増やし、しかも固めて好きな時に休めるようにすべきなんだろうが、「皆で一緒に」文化の蔓延する社会ではこれは難しかろう。それにわが国の「家族」は今や、子供が主君であって、筆頭家老が細君、足軽は父親と云う構図になっている。従って、主君たる子供が学校を休める日でないと、のっけから「家族の休日」は成立し得ないという事情もある。かくして大型連休は、会社人間から家族の足軽に職業換えした諸君が、上司連中をひとさらえにして大挙繰り出し、道路は渋滞し、観光地は大混雑することになる。今日の暦を見ると、もう一つ。今日は「空の日」だそうだ。「くうの日」でも「カラの日」でもない。「そらの日」だ。虫歯予防デーやハナの日のように何かの語呂合わせなのかと思ったら、そうではない。ちゃんとした歴史があったのだ。1910年(明治43年)に当時の代々木練兵場(今の代々木公園)、わが国で始めて動力飛行に成功したのを記念する日なのだそうだ。主役は徳川好敏、日野熊蔵の両陸軍大尉。両名はそれぞれアンリ・ファルマン式複葉機とグラーデ単葉機を駆って滑走試験をしていたら、日野大尉の飛行機が期せずして飛んでしまったのだそうだ。約60メートルの滑空だったそうだ。その後徳川大尉の方も飛び上がることができ、公式には両名が共に滑空に成功した12月9日がわが国における「動力機初飛行の日」として記録されたのだという。その30周年を記念して、時は皇紀2600年(又出てきた!)、つまり1940年(昭和15年)9月28日に「航空日」として制定された。翌年にはこれが9月20日に変更・決定され、その後遥かに降って1992年(平成4年)に「空の日」と改称された。僕は空の日なんて今まで知らなかったが、各地の飛行場ではこの日にちなんだイベントも行われるらしい。代々木練兵場で竹ひご細工に等しいような飛行機がよたよたと60メートルほどの「空」を飛んで以来99年。今は大荷物を携えた足軽さんたちが、海外への「家族旅行」のために何千キロもの彼方へ飛んでいかれる。道路のみならず各地の国際空港も大混雑なのだそうだ。
2009.09.20
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◇ 9月19日(土曜日) その二「身近な連休の過ごし方 - 首都圏編」の第二弾としてもう一つご紹介する。それは、埼玉県日高市高麗にある巾着田である。「高麗」は此処では「こうらい」ではなく「こま」と読み、「巾着田」も「きんちゃくでん」ではなく「きんちゃくだ」と読む。この辺りは高句麗からの渡来人が多く移り住んだ場所である。高句麗(こうくり)とは、昔の満州南部=中国東北部から朝鮮半島の大部分を領土として、紀元前37年から7世紀末までに栄えた国で、日本語では「こま」と発音した。高麗と書いて「こま」と読むのはその所為だ。巾着田は地元では川原田と呼ばれている。この付近で高麗川(これも「こまがわ」と読む)は大きく湾曲して袋状の土地を成している。8世紀にこの付近に移り住んだ高句麗からの渡来人が、この地を開墾して田を作り、稲作を伝えたと言われている。土地の形は高麗川を輪郭として、口を縛った巾着の形に似ているので、巾着田と呼びならわされている。丁度今の時期、巾着田では高麗川の屈曲部に沿って一面にヒガンバナが咲き乱れる。ヒガンバナは球根性植物で、全草有毒である。日本には、中国か朝鮮半島からの稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まった帰化植物といわれている。そうなると、巾着田のヒガンバナも高句麗からの伝来を起源とするのかもしれない。モグラなどによる作物の食害を防ぐために植えられたのが、高麗川の氾濫などによってこの辺一帯に広まったのかもしれない。ヒガンバナは日本中で道端などに群生し、9月中旬、特に秋分の頃に赤い花をつける。夏の終わりから秋の初めにかけて、高さ30~50cmの花茎が葉のない状態で地上に突出し、その先端に5~7個前後の花がつく。開花後暫くすると、長さ30~50cmの線形の細い葉をロゼット状に出す。巾着田ではヒガンバナはニセアカシアの林の中に下草のように群生するが、秋になってニセアカシアが葉を落とすと林床にまで太陽の光が射し込むようになり、この陽光によって光合成を行い栄養を蓄える。翌春になると葉は枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。開花期には葉がなく、葉があるときは花がない。 稀に白い花を咲かせる種類もあり、また鍾馗水仙(ショウキズイセン)という黄色の変種も存在する。白い花は巾着田にもところどころに見られるが、黄色い花は今回近くの家の庭で見つけることが出来た。(高麗小学校近くの民家)「ヒガンバナには毒がある」とはよく知られている。全草有毒な多年生の球根性植物で、特に鱗茎にはアルカロイド(リコリン)が多く含まれている。誤って口に入れると、吐き気や下痢、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死にいたるというから恐ろしい。一方で鱗茎は澱粉に富んでいる。有毒成分であるリコリンは水溶性であるため長時間水に晒せば無害化することが可能であるため、太平洋戦争のさなかには救飢植物として食用とされた事もあるそうだ。又鱗茎には利尿や去痰作用があり、無毒化されて生薬としても利用されるそうだ。ヒガンバナの別名曼珠沙華は、法華経などの仏典に由来する。この花には異名が多く、死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、狐花、捨子花、更には「歯っ欠け婆ぁ」とまで呼ばれて、日本では不吉であると忌み嫌われることもある。おそらく国内で、最もたくさんの名を持つ植物であろう。花言葉も「情熱」「悲しい思い出」「あきらめ」などとあるかと思えば、一方では「独立」「再会」などと云うのもあってどうも統一性がない。さて、巾着田には車で行く方法も勿論あるが、この連休中は先ず間違いなく国道が大いに渋滞するため、できれば電車を使って訪れてみる事を僕としてはお勧めする。最寄り駅はJR八高線の高麗川駅、或いは西武秩父線の高麗駅である。西武鉄道は「曼珠沙華祭り」の期間中は特急もこの駅に臨時停車する。僕自身は西武線を利用して行って見た。駅前広場にはにわか作りのテント村が出来ており、地元で出来る里芋や野菜に漬物、細工物などを売っている他に、お団子や焼きソバ、焼き鳥やおむすびなどを商う店も出ていて、テーブルやベンチも置いてあり、ちょっとした休憩所になっている。ここではガイドマップなども配布しているので、適当なものを見繕って持参すると付近を散策する際などに大いに役に立つ。又、高麗の地区にはコンビニが全く無い(少なくとも僕は途中地場の小さなコンビニの他には、普段よく見るコンビニは全く見かけなかった)ので、散策途中で飲み物や食べ物を必要とするなら、駅前広場で調達しておくほうがよい。案内板に従って国道299号線に出たら、左折して暫く国道沿いに進み、「久保」という札の辻のもう一つ先の信号を右折すると、高句麗からの渡来人にまつわる聖天院や高麗神社を経て、ぐるっと回って巾着田に至る、2時間余りの散策を楽しむ事ができる。国道を歩く間は車の往来が激しいが、一旦わき道に入れば周りは静かな田舎の風景である。ヒガンバナも巾着田だけの専売特許ではなく、農家や民家の庭先や、高麗川の土手などにも普通に咲いている。今の時期は道端にコスモスも観る事が出来る。高麗神社から南下し主要地方道日高線に至るのが、ガイドマップに記載されている推奨散策路だが、それに構わず細い道を適当に見つけて辿ってみるのも良い。どこに行っても高麗川を探し出しさえすれば、ガイドマップ程度の粗い地図を頼りにしても道に迷うことは無い。日高線を西進して、「栗坪」という札の辻を過ぎて更に行くと高麗郵便局に行き着く。この信号をやや左にそれて行けば、高麗小学校の先に巾着田への入口がある。僕が庭先に咲き乱れる珍しい黄色のヒガンバナを見つけたのは、高麗小学校の直ぐ手前の民家であった。ここから巾着田に入ると、あいあい橋という吊橋を渡って「巾着田曼珠沙華公園」の入場ゲートに至る。吊橋の上からは既に眼下にヒガンバナの緋毛氈が見られるが、入園料は200円なので惜しまず払って入園するのが良い。恐らくは公園の整備などに費やされるお金だろう。会場内の「ふれあい広場」には、食べ物や地元の物産を商う店が沢山出て賑わっているが、観光名所にありがちなガツガツしたプロの商魂は感じられない。ご近所総出の「地元興しのバザール」のような雰囲気で、200円の入園料と共にいやな感じはしない。それに一旦入園料を払えばその日の内なら何度でも出入りができるので、そろそろ咲き始めたコスモス畑を眺めて、又入園したりもできる。会場内は一面ヒガンバナの群落である。上にも書いたがニセアカシアの林の林床を埋め尽す一面のヒガンバナだ。林の中は日光を遮るニセアカシアの葉群のせいでほの暗く、一面の緋色も少し沈んだ感じに見える。恐らくひと気けが無ければ大いに幽遠の趣があるだろうが、今は最も人出が多い時期なのでこれは望めない。しかし、若し周りに本当にひと気が無かったら、却って結構不気味で落ち着かない気分になるだろうと思う。巾着のふくらみに沿ってヒガンバナを鑑賞し、写真を撮りながらゆっくり歩けば一時間くらいは直ぐに経ってしまう。会場の別の端から出れば、高麗駅までは10分くらいで行ける。公称百万本と云われるヒガンバナの、一面の緋色はさすがに凄い。それにその名の通り正にこの連休中が最高の見ごろである。ここも、周辺の散策も含めて是非お勧めしておきたい。
2009.09.19
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◇ 9月19日(土曜日) 旧八月朔日 丁卯(ひのと う) 友引: 新月、子規忌今日は朔日。従って旧暦では七月が終わり、八月小の月が始まる。旧暦では八月は既に立派な秋だが、それが実感できるような天気が続いている。今日は又子規忌でもある。正岡子規は慶応三年九月十七日(1867年10月14日)現在の松山市に生まれ、明治35年(1902年)の今日35歳の生涯を閉じた。(付記:わが国で太陽暦が採用されたのは明治5年の11月9日以来の事だ。だから子規の誕生日の日付で九月というのは、旧暦での日付である。このブログでは以前から旧暦の月日は漢数字で、新暦のそれは洋数字で書くようにしている。)閑話休題:「イチョウの木って雄と雌が有るんでしょう?そうなると実をつけるためにはどうやってセ○○○するのかしら?」先日立川にある昭和記念公園に同行した女友達の質問だった。『草木も眠る丑三つ時、イチョウの木だけは眼を覚まして、雄の木は周りが眠っているのを見定めてこっそりこれはと思う雌の木に近寄って行くんだ。そしてやおら・・・・・』「ふぅーん。見たの?」『いや、見たことない。草木も眠る丑三つ時なんだから、僕だって起きてなどいないよ。それに、人に見られている気配を感じるとイチョウの木も動かないのさ。』「・・・・・」昭和記念公園の入り口には見事な銀杏並木が続く。ここのイチョウの木には、秋になると実がなる。その数は実に多く、時分時になると実を拾いに来る人も大勢居る。実が落ちる時期にはあの独特の匂いが立ち込めることになる。黄葉した銀杏並木は実に見事だが、あの匂いにはいささか閉口させられる事になる。イチョウは、大元は中国原産の高木で、針葉樹にも落葉樹にも分類されない原始的な裸子植物だ。雌雄異株であることも学校で教わる。シダやコケなどの、より原始的な陸上植物は精子を放出する。精子を地上の水分の「海」を泳がせて受精させる。それに対してより高等な植物では、虫などに花粉を運ばせてめしべに付着させる。花粉はめしべの水分を利用して花粉管を延ばし、めしべの奥にある卵細胞を直接受精させる。この両者の中間にあるのがイチョウで、イチョウの精子は明治29年(1896)に、東京帝国大学助手の平瀬作五郎によって発見された。精子があるからといって、女友達が想像したようなことをイチョウがするわけは無い。そんなことになると、他に精子を持つ植物、例えばソテツなども同様と云うことになり、丑三つ時の林の中は落花狼藉、淫靡狂乱の世界になってしまう。・・・・ちょっと興味はあるけれど。因みに、ソテツの精子を発見したのも日本人で池野成一郎という人だ。池野さんは東京帝国大学の助教授で平瀬さんの同僚でもあった。実は、イチョウにも花粉があって、精子は花粉にくるまれて風で運ばれる。だから、分類上は風媒花といえる。イチョウの花粉は大量に散布され、風に乗って1km程度離れた雄株からでも飛散してくるという。女友達に、改めてそう説明したら、「まったく!オトコってのはしょうがない生き物よねぇ。」と云われてしまった。イチョウは銀杏と書く他に、公孫樹とも書く。これは銀杏の苗を植えた人の孫の時代になって、やっとその実が食べられるようになるからだそうだ。これからギンナン(ギンナンも漢字で銀杏と書く)の新物が出回ってくる。茶碗蒸しに入れたり、殻炒りにしたり、串に刺して炭火で焼いたりなどして食べると、鮮やかな翡翠色にもっちりした食感、そして微かな独特の香りはいかにも秋の風味だ。僕は大好きだ。ギンナンには薬効もあり。認知症の改善 、記憶改善、脳機能障害の改善、末梢循環障害の改善などが効能として報告されている。ギンナンを食べればボケ防止になり、頭も良くなる!?ただし、薬効が有れば当然ネガティブな効果もあり、食べ過ぎると頭痛や胃腸障害を起こす恐れがある。またギンナンには血液の凝固を促す成分も含まれており、糖尿病患者には余り勧めてはいけない。八百屋や料理屋に出回るギンナンは、粒の大きい食用種である。昭和記念公園のイチョウは無論街路樹であって食用に植えてあるわけではない。従って実は料亭などでお目にかかるものより小さめだが、それでも拾っていく人が居るのだからちゃんと食べられるはずである。とにかく、今この連休中は銀杏並木にギンナンが鈴なりになっているのを見る事が出来る。今のうちにめぼしい木にツバをつけておくのも良いかもしれない。さて、昭和記念公園は昔の大日本帝国陸軍立川航空基地であった。戦前には、この地に立川飛行機株式会社というのがあって、この飛行場で航空機の開発、研究を行ってきた。当時「皇国紀元」というわが国独特の暦があって、この紀元2600年は1940年(昭和15年)であるとされた。これを記念して、国威発揚の下心を秘めた様々な国際友好事業が企画されたが、その中に東京、ニューヨーク間1万5千キロをノンストップで飛べる長距離機を立川航空基地で開発し、米国を友好訪問するというのがあった。乗員5人で、当時としては信じられない航続距離を持つ飛行機で、成功すれば無着陸飛行の世界記録になったはずだが、太平洋戦争勃発のため中止になった。立川飛行場は、大正から昭和初期にかけて国際空港としても活躍し、世界中から冒険飛行家が小型機で世界一周の途上または太平洋横断飛行の目的で飛来した。昭和8年(1933年)に国際空港が羽田飛行場に移転するまでは、この立川に北ヨーロッパ、ロシア、イタリア、アメリカなどの当時の珍しい航空機が多数着陸したそうだ。太平洋戦争中を通じて、立川飛行場の工場では合計101機の戦闘機、229機の輸送機が生産され、陸軍の飛行連隊による帝都防衛の要衝でもあった。敗戦後、昭和20年(1945年)9月13日に立川飛行場は進駐してきた米軍によって接収され、接収期間はその後1977年に返還されるまで32年間に及ぶ。そしてその跡地は1983年、昭和天皇在位50年を記念して、国営昭和記念公園としてオープンしたのである。公園の立川口から入って件の銀杏並木を歩ききった先に、数人の親子がいままさに鳩を空に放とうという構図のブロンズ像があるが、これは開園に際して改めて平和を祈念して建てられたものだそうだ。さすがに元飛行場だけあって、広大な園内を歩き尽くすには優に半日全部を費やす事になる。或いはお弁当を持って行けば丸一日ですら遊ぶ事ができる。(園内には食堂や売店もあるが)今の季節、上に述べたようにギンナンの成り具合を見極めるほかに、「みんなの原っぱ」で寝転がってただボォーッと秋めいてきた青空を流れて行く雲を眺めているのも良い。原っぱの真ん中には思わず「♪この日何の木、気になる木♪」と唄いたくなるような木が植わっていて小さな木陰を提供してくれる。又、公園北端にある「コスモスの丘」にコスモスが咲き揃うのは少し未だ先の事になるようだが、原っぱ北東の花畑には早咲きのコスモスが既に咲き始めている。未だ「ハッピーリング」という名の一種類だけだが、これから順に開花が進めば、色とりどりのコスモスの文字通り百花繚乱が楽しめるはずである。とにかく、この連休中格安の高速道路を渋滞に巻き込まれながら地方に出かける人や、重い荷物を携えて海外に行く人も大勢いるらしいが、都心からごく近い所にも楽しめる場所はある。入園料400円はお得だと思う。是非お勧めしたい場所の一つである。
2009.09.19
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◇ 9月1日(火曜日) 旧七月十三日 己酉(つちのと とり) 先勝: 二百十日二百十日より一日早い昨日、関東地方は台風11号の洗礼を受けた。幸い大した被害は無かったようだ。今日は台風一過で、久しぶりに爽やかな陽射しに出会えるかと思って楽しみにしていたら、陽射しは戻ってきたが、蒸し暑さまで戻ってきてしまった。各地は今日久しぶりの真夏日だ。前回、「ほったらけの拍子抜け的解決」の稿で、「分かるということは忘れられるという事でもある」 と書いた。本当にその通りだ。先週末までのあの喧騒はどこへ行ってしまったのだろう。「歴史的審判!」とか、「結党以来初めての大敗北!」とか、明日から日本がどうにかなってしまいそうな大騒ぎだったのに、日曜の午前中くらいで、そんな騒ぎは沈静化してしまった。無論当選した方も、落選した方も、当事者の方々はそれなりに未だ大変な渦中にいらっしゃるのだろうが、僕も含めて有権者の大半は、あのハコの中に紙を入れた段階で、もう選挙も政治も遠くに行ってしまった様な気分になってしまう。行きずりであれほど笑顔を振りまいて、「あなたのお力でどうか!」と擦り寄って握手を求めてきた人達は、又出会ったとしてもきっともう知らん振りだろうな。選挙が終われば、政治も忘れてしまう対象なんだろうか。由紀夫さんは、今頃は組閣に向けてお忙しいのだろう。昨日のニュースで人事の構想を問われて、「組閣人事は私の専権事項」とおっしゃったそうだ。自民党の長老辺りがこういっても何の感慨もないが、由紀夫さんの口から聞くと何だか違和感を覚える。何しろ、ついこの間まで、「皆さんとご一緒に・・・しようじゃありませんか!」とあれほど叫び回っていた方が、自分の同僚を選ぶ段になると「それは私の専権事項」という言葉をお遣いになるのは、如何なものだろう。つい「あぁ、やっぱりか!」と思ってしまう。僕は、政権第一党の党首が総理大臣に実質指名されることには、大いに疑問がある。先の与党が総選挙もしないで小泉さん、安陪さん、福田さん、そして麻生さんと、4人もの総理大臣を出したり引っ込めたりしたのは、考えてみれば人を馬鹿にした話だ。考えても御覧なさい、総選挙において上の方々の名前を自ら用紙に書ける有権者が何人いますか?極々一部の人しか居ないでしょう。ま、前回の小泉さんと、今回の由紀夫さんは良しとしよう。この二人は自らが党の代表として、少なくとも選挙の洗礼を受けていらっしゃる。しかし、自民党の他の三人の首相経験者は、有権者としては誰も首相として選んだわけじゃない。日本の首相たるもの、非常に大きな権限を持っている。一国の顔であり、いざとなれば国民の安全を一身に委ねなければならない存在だ。自分で投票用紙に直接名前も書けないような人に、命を預けられますか?それを考えると、首相の指名も国民による直接選挙で行ったほうが良いと思うのだ。ま、しかし、日本は議院内閣制を採っている訳だから、百歩譲って、選挙で最も国民の信頼を勝ち得た政党の代表が総理大臣の地位を襲うところまでは止むなしとしよう。しかし、その総理大臣が、同僚の国務大臣まで専権を以って指名してよいものか?僕は、それはダメだと思う。話は少し飛ぶが、国務大臣の認証も天皇の国事行為の一つだ。総理大臣の任命も、国会の解散・召集も天皇の国事行為である。つまり今回を例にとると、先ず麻生さんが「首相としての専権事項」である解散権を駆使して衆議院を解散した。それが天皇のところに回って、天皇は解散詔書を発行された。それに基づいて選挙が行われ、民主党が第一党になり、国会の場で(形式だけの)首班指名の議決を経て由紀夫さんが内閣総理大臣に指名される。それが天皇に回されて、天皇は由紀夫さんを総理大臣に任命する。総理大臣になった由紀夫さんは、「人事は私の専権事項」として国務大臣を任命する。その名簿が天皇に回されて、天皇はそれを認証なさる。且つ、由紀夫さんは小沢さんや菅さんなどと相談して、国会の召集日を決める。その結果が天皇に回され、天皇は国会の召集を宣し、召集日にはわざわざ国会に足を御運びになる。上記の過程で、天皇ご自身のご意見どころか、異議異論、疑問の提示、或いは拒否などの行為は一切許されていない。若し天皇ご自身が自らの意思で拒否をされると、現在の解釈では「精神の重大な疾患あり」ということで、摂政を立てることになるとされている。つまりは天皇をクビにしてしまうのだ。(これは以前このブログにも書いた)わが国の現行憲法の下では、天皇は国民統合の象徴として、国政への関与は一切否定されているから、こういう事になる。考えてみれば、つくづくお気の毒である。以前何度も事例が有るように、首相が勝手に辞めてしまったり、国務大臣の不祥事が発覚して辞任にいたったりした場合、任命者や認証者として天皇ご自身も、辛い思いをなさっただろうと拝察申し上げる。幾ら首相の専権事項だといっても、誠実な今上のことだ、「私は関係ない」などとおっしゃるわけには行くまい。国務大臣の更迭の際、野党は首相の「任命責任」を厳しく問うて来た。しかし形式的にしろ最終認証者はあくまでも天皇である。天皇のお立場としては、「あんな、いい加減な大臣を任命しやがって!だから云わんこっちゃ無いじゃないか!もうあの首相はクビだ!」と切歯扼腕されたとしても、ご自身では何もおできにならないのだ。僕はここで天皇の権能拡大や国政への関与を云々するのではない。日本の天皇制に様々な矛盾が解決されないままに残っているのは多くの人も指摘するとおりだと思うし、そのしわ寄せが天皇や皇族の方々に行っていることは事実だと思う。しかし、それは今回の主題ではない。再び、首相職が最多議席数を占める党の代表に、事実として自動的に割り当てられるのは百歩譲る。しかし、国務大臣の任命は首相の専権事項ではなく、「国務大臣候補の議会への推薦」を首相の専権事項とすべきである。この場合の議会とは衆議院ではなく参議院とすべきであろう。衆議院は論戦と議決・立法の府であり、参議院は「衆議院に対する牽制の府」、もっと高次には「良識の府」として、こういう場所でこそ、その存在意義を発揮してくれればよい。つまるところこれは米国方式に近い。米国では各省の長官候補は上院の資格審査を経なければならない。候補者はその資質、経歴、正統性全般にわたって実に細かく厳格な審査を受け、最終的には上院の本会議での議決による承認を受けることを求められる。これには大統領も手を出せない。ししてその過程と結果に付いては、当然の事ながら国民につぶさに報じられる。一国の国務大臣たるもの、公人中の公人であるから、個人情報などと云うものは顧慮されない。その結果が天皇に回され、そこで初めて天皇はこれを認証なさることとする。なにより、こうすることで、投票後も有権者は政治に監視する権利、間接的に影響力を行使する権利を留保できる。不正献金や過去の汚職まがいの行為を糊塗したような人間が国務大臣の椅子に座ってしまうようなお粗末は、完全ではないとしてもかなり防ぐことが出来るであろう。由紀夫さんも、今更「専権事項」などという夜郎自大を軽々に口になさらず、本当に開かれた政府をおつくりになる工夫をされては如何か。参議院の諸賢も、二院制の本義に立ち返って、是非とも奮起願いたいと思うがどうであろうか?最後に、そういえば選挙の際には最高裁判事の国民審査の紙もあったけれど、あれの結果はどうなったのだろうか?
2009.09.01
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