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◇ 11月23日(月曜日) 旧十月七日 壬申(みずのえ さる) 仏滅: 勤労感謝の日【勤労感謝の日】日本の勤労感謝の日は、奇しくもアメリカの祝日で収穫を感謝するThanks Giving Dayと同時期の祭日である。しかし、Thanks Giving Dayは、日本の勤労感謝の日とは何の関係もない。勤労感謝の日は、元々は新嘗祭(にいなめさい。しんじょうさいとも読む。)という、日本の伝統行事で、その歴史は飛鳥時代の皇極天皇の頃にまで遡る。これは歴代天皇の国事行為の一つであったが、他の諸々とご同様にアメリカ占領時のGHQの政策によって新嘗祭としては廃止となり、代わって勤労感謝の日となった。「勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝しあう」と、祝日法にはその趣旨が記載されている。アメリカのThanks Giving Dayは収穫(生産ではない)には感謝するが、勤労に感謝する意味はない。つまり、アメリカはやはり成果主義で、日本は成果をもたらす勤労という過程も評価する。・・・そういう事かなぁ。【使い捨てライターの行く末】ニュースを観ていたら、使い捨てライターの安全性の見直しをするのだという。つまり、使い捨てライターは廉く便利な所為で非常に普及している。簡単に手に入れられるし、同じ理由で方々に置き去りにもされる。それを子供が手にして遊ぶと危険だし、火事にもなりかねない。だから、子供が簡単に火を点けられないように、構造を改良する。と、云うことらしい。担当は消費者庁と経済産業省で、このほど専門家を招いて第一回の会合を開いたのだそうだ。へぇ、使い捨てライターの専門家なんてものが居るんだ。どんな人たちかはちょっと興味があるなぁ。でも、私はそういう人たちとは余りお友達になりたくない。昔の理科の時間では、人間は直立し、火を使い、道具を使い、言葉を獲得したことで、他の動物やサルより優れた存在になった、と教わった。道具は今ではサルどころか、ある種類の鳥も作って使うことが知られているから、この点では人間は彼らより最早優れているわけではない。しかし、火の方はまだまだ人間の専売特許であろう。オランウータンが焚き火をしている姿は目撃されていないし、カラスが焼肉をして宴会をやっているというニュースも未だない。昔は火を熾すのは大変だった。苦労して工夫して熾したり、山火事の残り火を貰ってきたりした種火は随分大事に守っていた。だから人は火に神聖なものを観て、神性の象徴として崇めたのだ。それが百円ライター(最近の百円ショップでは百円でライターが二三個入っているものも買える)で、実に安直に火を使えるようになったから、これは随分便利になったし、一方で火の持つ神性も薄れた。それにしても、先人が苦労した火を簡単に熾せるようになったライターをわざわざ使いにくくするというのは、変ではないか。安全性を高めるといえば、火を点けるには一連の複数のアクションが必要な構造にするとか、何らかのロック機構を設けるとか、いずれそういうことになるのだろうが、最近の子供を侮ってはいけない。そんなバリアーなど易々と突破してしまうのが今の子供たちだ。それは、流行のゲーム機などを見れば歴然としている。むしろ点火機構を複雑にして困るのは大人の方ではないか?年齢が上に行くほど機械操作は苦手になる。新しい機構には中々馴染めなくなる。操作を覚えてもすぐに忘れてしまう。あなたは自分の携帯電話の機能をフルに使っているだろうか?そう考えれば「子供が使いにくい使い捨てライター」とは如何に難しいチャレンジだろうか。あまりそういう追求をしてしまうと、その内今度は「高齢者用の使い捨てライター」を開発する必要が生じると思う。「安全性を高めるために使いにくくする」という考え方が、そもそもおかしいのではないか?私の子供の頃までには(そして私の年齢が多分最後の世代だろうと思うが)小学校の工作の時間では「肥後の守」というナイフを普通に使っていた。板金で拵えた鞘の端の突起を押すと小刀の刃が出てくる。それで、鉛筆を削ったり工作の素材を切ったりしたものだ。無論立派な小刀だから怪我をするチャンスもある。使い方を誤れば立派な武器にすらなる。しかし、あの頃、「こんなものを子供に使わせるのは危ないから止めさせろ」という声は有ったろうか?むしろ、危険なものだからちゃんとした使い方を教える、という事ではなかったろうか?実際には、その後小刀は学校の工作の場からは姿を消した。これはPTAの圧力だったか、文部省の指導方針だったか、あるいはその両者だったか?その結果今の子供たちは小刀を持たせても鉛筆も削れなくなった。子供たちが成長して出て行く社会は危険に溢れている。ナイフもライターも、その他の危険物も山ほどある。そうなった時にそれまで無菌状態に馴らされてきた子供たちは上手く対処が出来るはずもない。実戦経験のある兵士は、殊更に武器の取り扱いには慎重であるそうだ。狩猟家や刃物を使う職人も同様だという。それは刃物や武器の便利さと共にその恐さを知悉しているからだ。子供たちにそういう訓練をしないでどうする。それどころか殊更にそういう「危険物」から遠ざけて、安全だとする考え方は如何にもその場限しのぎのいい加減ではないか。子供が何れ単独で危険に直面した際に、ちゃんと対処できるようにするのが、教師の、親の、そして大人の責任ではないか。その為には子供がひょっとして怪我をするかもしれない危険を大人の側で負担する覚悟が必要だろう。道具とは便利さと危険を兼ね備えたものである。それをしないで、遠ざける、或いは使えないようにする、使いにくくすることで解決しようというのは如何にも姑息だ。大人の責任回避である。ましてやそのために「専門家の委員会を作る」なんて、必殺仕分け人は科学技術予算を絞る前に、そっちの方の「無駄なお節介」のための予算も削るべきだ。違いますかね?
2009.11.23
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◇ 11月22日(月曜日) 旧十月六日 辛未(かのと ひつじ) 先負: 小雪【小雪】今日は二十四気の小雪。これは「しょうせつ」と読むより「こゆき」と訓読みするほうがいいな。「こゆき」と口にすれば、秋の向こうに冬の気配が仄見えるような感じがある。それに華街の女性の名前のような色っぽい雰囲気もあるし。二十四気の中には大小のペアが三つある。小雪と大雪、小寒と大寒、そして小暑と大暑である。訓読みすれば「おおゆき、こゆき」、「おおさむ、こさむ」と、わらべ唄の雰囲気になる。しかし、「おおあつ、こあつ」とは云わないな。暑いのは、ただ「あつい」で「こあつい」とは云わない。なぜだろう?二十四気の他の節気で、雨水を訓読みすると「あまみず」、白露は「しらつゆ」、霜降は「しもふり」となる。【百円乾電池】最近乾電池は殆ど百円ショップで買っているが、どうも四本で百円の電池は「中身が少ない」ような気がして仕方がない。私の携帯電話はしばらく前から電池がすぐに無くなるようになってしまった。通話していると、奥の方でピピッピピッと二三度音がして切れてしまう。ピピッピピッというのは電池切れの警告音なのだ。通話相手にはこの警告音が聞こえないから、事情が分からないまま私は消えてしまう。相手は私が無礼にも話の途中で電話を切ってしまったと思うかもしれない。かけ直してくれても、こちらは電池がない訳だから繋がらない。公衆電話を探してかけ直そうと思っても、最近は公衆電話というものは中々見つからない。それに公衆電話が見つかっても、相手の番号は携帯電話に登録してあるのであって、頭では覚えていない。携帯電話が普及して、電話番号を覚えなくなった。以前は十や二十位の電話番号は暗記していたものだ。そういう目に頻繁に会うようになったから、哺乳瓶を着けるようにした。哺乳瓶は、プラスチックのケースに単三の乾電池を二個搭載して、電話機本体のコンセントに差し込めるようになっている。私の携帯電話は電池以外は全く支障がないから、電池切れを理由に買い換える気はしない。第一料金体系が変わってからは、買い替えにも相当のお金がかかる。電池だけ買い換えるのも、何となくばかばかしい。それで、今ではこの哺乳瓶が必携のアイテムになった。携帯哺乳瓶付き携帯電話である。その電池がこれまた直ぐに上がってしまうのだ。哺乳瓶を買った時に付いていた電池はパナソニックのなんとかいう電池で百円の電池ではなかった。ロボットや模型の自動車に搭載して山(?)を登らせたり、コースを周回させたりして、パワーと持続力を宣伝している電池だ。しかしやがてその電池も上がってしまったので、以後は四本セット百円のアルカリ電池を使っている。これが直ぐ上がってしまうのだ。気のせいかと何人かに聞いてみたら、やはり彼らもそう思っているようだ。「そりゃぁ百円だもの。中身が少ないに決まっているよ。」確かに電気屋さんで普通に売っているアルカリ電池と較べれば、値段は概ね三分の一位だろう。最近は百円ショップで売っている電池も色々な種類が有る。「大電力パワー」とか「持続力がある」とかパッケージに書いてあるから、私は「持続力」の方を使っているのだが。ところが、この電池の容量に関しては何の表示もない。これは例のパナソニックの電池も同じである。表示の方法が無いのだろうか?だからロボットに持久実験をさせて実証するほかは無いのだろうか?そんな事はなかろうと思う。ちゃんと表示する方法は幾らでもあるはずだ。そうなると法律で義務付けられていないから表示していないだけなんだろう。だとしたら、コンビニのサラダにまで食材とカロリーの詳細が表示されているこのご時勢にいい加減な話だとはいえないだろうか。電池と云えばサラダとは違い立派な工業製品である。素材から製造工程まですべて管理されているはずだ。製品管理も行われているはずだから、情緒的な表現ではなくちゃんとした容量表示をして欲しいと思う。哺乳瓶の維持管理に責任を持たねばならない最近の私としては、そう願うのだ。
2009.11.22
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◇ 11月15日(日曜日) 旧九月二十九日 甲子(きのえ ね) 先勝: 七五三【インディアンサマー】秋も深まってくると、お天気は周期的に変化するようになる。抜けるように晴れた日があるかと思えば、冷たい雨の日がやってきて、それを繰返しながら気温も下がり、木々の葉も赤や黄に染まっていく。今日はこちらでは良く晴れて、如何にも秋らしい日になった。昨日一昨日と、寒いと思うほどの陽気だったのだ。それに曇天で雨も落ちて来ていた。こういう日は人の心までうそ寒く内向的にしてしまう。だからその後の晴れやかな陽射しと暖かさは、心がのびのびとくつろぎ広がる思いだ。秋寒の日の狭間に訪れる今日のような日の事を日本語では小春日和といい、英語ではIndian summerという。私はIndian summerという言葉をボストンの郊外のレキシントンという街に居る時に教わった。日本では、小春日和というと、風も無くポカポカと暖かい秋の日、おばあちゃんが縁側で猫と一緒にうつらうつらしているイメージだ。「風も無くポカポカ」がポイントである。軒先には干し柿が辺りを鮮やかな橙色(柿なのに橙色は変だけれど)の簾模様に染めている。小春日和の情景は静であり、長閑である。しかし、Indian summerは本当に夏のような日になることが多い。アメリカの他の州では同じかどうか知らないけれど、私の居たマサチューセッツ州ではそうだった。前日まで吐く息が白く見えるほどだったのが、一転汗ばむような陽気になる。空気も日本の秋晴のように、軽々と透き通った抜けるような感じではない。夏の日に良くあるように、夕立でも来るような重苦しささえ感じる。周りを見回せば、毛皮やコート姿の人に、ショートパンツやTシャツ姿が入り混じってよく分からない。日本の小春日和がのんびりまったりという風情であるのに対して、Indian summerは何となく硬質で攻撃的な感じがする。やっぱり、春ではなく夏なんだ。なぜ、Indian summer、つまり「インディアンの夏」なんだろう。最近読んだ本によると、これは「Indianのようにコロコロ変わってアテに出来ない天気」、というココロがあるのだそうだ。この場合のIndianは勿論アメリカ・インディアン。所謂PCな言い方に倣えば、「アメリカ先住民族」(英語ではNative American←どちらも大文字から始まる)という事になる。但し、このPCという観点からの呼称には色々異論があって、「インディアン」の中でも「我々はアメリカ・インディアンだ」と主張する人たちも多いらしい。良く知られているように、アメリカ・インディアン(と呼ばれた民族)は、我々日本人とルーツを同じうするモンゴロイドである。氷河期、海が後退した時期に、シベリアから陸続きになったアラスカへ徒歩で渡り、アラスカ、カナダから北アメリカ全般に拡散し定住した人々だ。更には中央~南アメリカにも広がったが、こういう人たちはインディオと呼ばれている。ま、それはともかくとして、アメリカ・インディアンは元々多神教の人々である。多神教を奉じる人たちは、周りの自然や動植物に対して繊細であり、生々流転を信じ、来世を信じる。キリスト教徒も来世を信じるそうだが、アメリカ・インディアンのそれは「灰は灰へ、塵は塵に返し」ではないのだ。この世での暮らしが終われば、あの世での暮らしが待っている。だから死者の埋葬に際しても、あの世での暮らしに不自由が無いように色々な日常生活に係る副葬品を添える。この辺の考え方が一神教の世界とは根本的に違うから、新参者の一神教信徒から見れば、彼らが余りにも多様な要素に左右されているように見え、それが「コロコロ変わる」と思われたのも尤もなことだと思う。だから、新参者一神教徒は、「昨日はあんなに寒かったのに、今日は暑い。しかし明日か明後日にはまたぞろ寒くなるだろう」という天気を、Indian summerと呼ぶようになったのだそうだ。ふむ。そういえば、Indian giftとかIndian giverという言葉もある。これは、我々の子供時代にもよく居た。「これ、欲しければ上げるよ。」そういってモノをくれるのに、翌日になると、「あれさぁ、お前に上げたもの、ちょっと返してくれよ。」と云ってくる奴。これをIndian giverという。後になって返せといってくる、或いは最初からそういう前提で贈られるものの事をIndian giftというのだ。これはアメリカ英語だから、この場合のIndianもやはりアメリカ・インディアンだ。どうもアメリカ・インディアンの方々には甚だ不名誉な言葉のように思える。しかし、我が日本人と同じく八百万の神々を奉じ、森羅万象こもごもと人間個人との間を分け隔てしない人々の考えからすれば、個人の所有などという感覚は無いのかもしれない。誰が持っていようが、とどのつまりは自然の一部じゃないか。誰かのものというのは仮の姿に過ぎないでしょうに。若しIndian・・・という接頭語の意味を、ころころ変わってアテにできないという、白人流に解釈すれば、同じような言葉も幾らでも出来そうだ。Indian政治家、Indian教師、Indian医師、・・・・・・Indian giftなんて、さしずめ赤字国債なんかぴったりだろうと思う。しかし、本来の多神教的な意味でIndian・・・を使うとすれば、これは環境対策の分野での標語に向いている。最近のエコロジーは放っておくと一神教的に偏向していく傾向にあるから、ここでちゃんと矯正をかけておく必要があると思う。さて、我々現代に生きる日本人は、分類するとなるとどうなんだろう?一神教なのか?多神教なのか?私自身はどうも本質に自分は多神教だという気持ちなのだが・・・
2009.11.15
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◇ 11月12日(木曜日) 旧九月二十六日 辛酉(かのと とり) 仏滅: 【酉の市】今日は一の酉。酉の市というのは東京(首都圏)に来るまでは知らなかった。私にとっての最初の酉の市は、浅草の鷲神社であった。知人に誘われて出かけたら、大変な人混みで近くの道端には機動隊の装甲車が待機していた。その中に「4」という番号の車を見つけて、思わず石を投げそうになった。警視庁第4機動隊は、当時は「鬼の第四機」といって、学生デモの鎮圧時の精鋭として悪名を馳せた。グレーに塗られた装甲車の前上部に放水銃の筒先を見たら、反射的に道端に落ちている石を探してしまったのだ。最初の酉の市は人混みと装甲車しか覚えていない。だから一体何の縁日なのかは知らなかった。酉の市は日本武尊が鷲神社で戦勝を祈ったとか、或いは勝ち戦を祝ったことに因み、日本武尊の命日と云われる11月の酉の日に行われる。元々江戸時代から関東地方でのみ盛んな縁日だったそうだから、中部地方出身の私が上京して初めて知ったのも無理は無い。中部地方では浜松辺りまで酉の市をやっているそうだ。関西では酉の市に代わって恵比寿講の方が盛んだそうである。昔の暦では、十干十二支によってそれぞれの日に動物の名前が付けられていた。十干というのは、陰陽道の五行説による。それぞれ、「木」に因む「きのえ(甲)」、「きのと(乙)」。「火」に因む「ひのえ(丙)」、「ひのと(丁)」。「土」に因む「つちのえ(戊)」、「つちのと(己)」。「金」に因む「かのえ(庚)」、「かのと(辛)」。「水」に因む「みずのえ(壬)」、「みずのと(癸)」。以上「木、火、土、金、水」という五行のそれぞれに、「え」(兄、陽という意味)と「と」(弟、陰という意味)がついて十干である。五行のそれぞれを五角形の頂点に置いてそれぞれの頂点を結ぶと星芒形が出来上がるが、それに陰と陽を絡ませると、相性だの運勢だの色々なことが分かる、らしい。そんな事を覚えていたり、知っていてどうなるの?と云われても困る。実際には十干を空で言える(私はこれが出来るのだ)事で何のご利益を被ったこともない。しかし、人間とは時々こうして意味の分からない事を覚えていたりするものである。十二支の方は、例の「ね・うし・とら・・・」というアレであるが、名前の通り十二ある。十干と十二支を組み合わせると、両者の最小公倍数60で同じ組合せが戻ってくる。これを人間の歳と絡めると還暦という。昔は人生50年などといって、60歳になるまで生きられるのは幸運な事であったから、還暦の祝いというのは中々お目出度いものがあった。今は60歳まで生きることは珍しくも何ともなく、むしろ定年退職の歳としての意味の方が強いから、目出度いのかどうかは実感として良く分からない。しかし十二という数字は、時間や方角にも割り当てられている。一年の月数でもある。そして60も1時間の分の数でもある。円周の度数にも関連する。だからこういったものをこねくり回すと、運勢とか相性とか、お日柄とか、行く方角の良し悪しだとか、色々な解釈をひねり出すことが出来る。4種類しかない血液型などというものよりは遥かに複雑で、神秘性も演出し易い。世の中の占い師には良い飯の種になるのである。血液型もABOだけでなくRh+-とかM、Nとか絡ませると16通りくらいになり、もう少し説得力が出てきそうだが、第一自分の血液型をそこまで言える(分かっている)人は居ないだろうし、4種類くらいが巷の大衆には丁度いいのかもしれない。因みに三の酉まである年は火事が多いといわれる。酉の日は12日ごとにやって来るから、11月1日から6日のどれかが酉の日だったら、その年は三の酉まである事になる。そうすると、確率は12分の6で、均せば2年に一回は三の酉まである年になる。つまり、三の酉はそんなに珍しいものではない。しかし、これを口実にして殊更に火の用心を心がけるようにするのは、決して悪いことではないと思うのだ。
2009.11.12
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◇ 11月10日(火曜日) 旧九月二十四日 己未(つちのと ひつじ) 友引: 下弦【音読みと訓読み】私のブログ友達に釈迦楽先生という方がいらっしゃる。この方は中京地区の某国立大学のれっきとした教授でいらっしゃるから、私が「ブログ友達」などというのは僭越の極みかもしれない。でも、僭越は私の身に染み付いてしまっているらしく、よく人にそう指摘される、それも特に女性から指摘されることが多いから、反省は(大いに身に沁みて)するけれど、治しようがない。その釈迦楽先生が、ネット上での無料ゲームを集めたサイトを紹介してくださった。無聊をかこったある日ある時(などと予め言い訳してる)行って見たら、なるほど十数種類のゲームが並んでいる。無料とはいえ、それぞれに良く出来ていて中々面白い(ものもある)。掲載されているゲームを大きく分けると、反射神経を使う、つまり短時間でとっさに何かしなければならないものと、麻雀や陣取りゲームのように戦略や作戦を考えさせるもの、そして知識を試されるゲームの三種類に分けられるようだ。反射神経を試されるゲームは、私は概して苦手だ。自慢じゃないが中学や高校時代は、反射神経は誉められた。剣道をすれば、「打ち逃げ場外が上手い」と誉められ、柔道では「受身が上手い」と誉められた。要するにわが身の危険を察知した時の私の反射神経は抜群らしい。しかし、逆にわが身が攻撃する場面においては中々に同様とは行かない。だから剣道も柔道も強くはなれなかった。テニスは元々身の危険を感じるスポーツではないから自慢の反射神経も役立たず早々に撤退したし、ゴルフも同様だ。スキーは逆に、防衛上の反射神経に不断の緊張を強いられるから疲れる。その点、車の運転はとっさの判断でハンドルを切ってブレーキを踏むのには揺ぎ無い自信があるが、きっと誰かに追われて猛烈なスピードで逃げるような場合にはダメなように思う。追っ手から逃れるのにブレーキワークが幾ら上手くても、直ぐに捉ってしまう。それに車で逃れるというのはむしろ攻撃に近い。戦略や作戦を考えるゲームは、ゲームを作った人間の能力がゲーム自体の難度の限界値になるから、数回やってゲームの作られ方が見えてくると、もう飽きてしまう。中々私の好敵手になれるような戦略ゲームを作るのは難しかろうと(今のところ)思っている。知識を試されるゲームはその点面白い。知識はゲームの作者に依るものではない。世の中の歴史や書物の中に蓄えられているものだから、ゲーム作者との内向的な争いではなく、世界を相手にしている気分になれる。で、この無料ゲームサイトには「難読漢字を読む」というゲームが有る。レベル1からレベル5までの5段階に分かれており、レベルが上がるごとに難易度が高くなっていく。それぞれのレベルには5問あり、1問ずつ表示された漢字や熟語の読みをキーボードから入力する。一問は10秒以内に答えなければ時間オーバーになって、そこでゲーム終了である。私は漢字にも中々優れており、その証拠に私の書くブログや他の文章は、「漢字が難しくて読めない!」という批判(非難か?)を頻繁に受け取っている。(「長すぎる!」という批判もある。)だから、自信満々でこのゲームに臨んだのだが、これが中々手強いのだ。最初の何回かはレベル3程度で敗退してしまった。その内気が付いた。私が間違えたり読めなかったりするのは、圧倒的に「訓読み」の場合なのだ。「音読み」の漢字は殆ど問題なくパス出来る。つまり名詞になっている漢字は読める。例えば、牡蠣、洒脱、諧謔などは皆音読みだ。ただ一つ「微塵子」には戸惑ったが、これは元来漢語ではなく、生き物の名前の当て字だった所為だと思う。それなのに、動詞に用いられる漢字は、字そのものは読めるが、全体として読めないものが多いことに気が付いたのだ。「煌く」、「綻びる」、「殺める」などは未だいい。しかし、例えば以下の漢字は、あなたはお読みになれるだろうか?「悖る」、「嵌る」、「顰める」。更には「憾み」、「嫉む」、「身動く」、「翳す」などはどうだろう?正直申し上げて、私は読めなかった。ついでに言うと、「猫糞」というのが、これは名詞だが、読めなくて時間切れになり、答えを見てつい「このやろう!」と怒鳴ってしまった。ここで上のそれぞれの問題の正解を書かないのは、実際このゲームをこれからおやりになる方のためである。それに、もう一つは「そんなに簡単に答えを教えてやるもんか!」という悔しさ半分もある。こうして見ると漢字で書いて読めない、或いは読み難いのは基本的に「話し言葉」つまり、元々は「やまと言葉」を漢字表記したものである。良く知られているように日本語は元々文字の無い言葉であった。そこに大陸から漢字が輸入されて、元々の日本語を書き文字にするために万葉仮名というものが出来た。同時に仏教の経典や中国由来の古典(当時は現代書でもあったろう)なども到来し、長い時代の間にそれらが混合し、漢字の略字としての平仮名や片仮名も発明されて、日本の「文字文化」になったのである。しかし、これだけの時間を経ても、「やまと言葉」には日本人として独特の語感を覚えるらしい。一方で漢語は相変わらず、「堅苦しい」とか「大仰だ」、「よそよそしい」などという感じがある。これを一言で云えば漢語は日本人にとって相対的に無味無臭なのだ。例えば「謝意を表します」というより「ありがとうございます」の方がなんとなくしっくり、しっとりして心がこもっていると思う。これは今上の在位20周年の祝賀の席で、今上ご自身がおっしゃった。(このブログは、日付は10日だが、書いているのは実は12日なのだ。)「謝意」などとおっしゃるより、「皆で祝ってくれてうれしい。ありがとう。」とおっしゃれば良いのにと思ったものだ。二千年も経っても、未だ「やまと言葉」というか「和語」というものがフィーリングとして我々の中に遺されているのは凄いことだと思う。つまりは、「憾み」と書くとすんなり読めないから、「えーと、立心扁に感じるだから、心に感じる???」と理詰めに考えてしまい、結局和語に漢字を当てはめたものは中々読めないのだ。と、こうすればこの「難読漢字を読む」ゲームは、元々の和語に外国渡来の漢字を当てはめるというのを高レベルの問題に配するという作戦で作られている事が分かる。こうしてちゃんと自分が苦戦した弁明をしておいて、更に言えば、漢語由来の日本語は語感としては、中性化した無味無臭の言葉だとなるだろう。これを上手く利用しているのが議員や官僚の答弁だ。「すみません。本当に許してください。」と云う代わりに「・・・についてはまことに遺憾に存じます」と云えば、意味は伝わるが、聞いている方としては「心がこもっていない」、「こいつ、本当に謝っているのか?」という感じを受ける。「実現に向けて鋭意奮励する所存であります」というのは、「一生懸命頑張って何とかやり遂げますから」と云えば良いのに、漢語を使うことで何となく個人としては責任を逃れている雰囲気がある。「内心忸怩たるものがあります。」というのは、「心の底から恥ずかしいです。」というのと較べて、言葉の重さという点では伊藤美咲と小錦ほどの差がある。だから、本音を隠して一応取り繕っておこうという時には漢語を多用すれば良いのである。つまりは政治家や官僚には漢語は大変に便利な道具である。自民党は与党だった時は、特に閣僚は漢語を使い放題使っていた。それが先頃の選挙で下野したら、この間まで閣僚だった人が国会の論戦の場ではやたら和語を使うようになったから可笑しい。一方の民主党は逆になった。由紀夫さんも本気で初志貫徹するお積りなら、「私の献金問題には個人として忸怩たるものがあります」などとおっしゃらない方が良いと思う。そういえば、結婚しようと持ちかけて、何人もの相手の男性から多額の金を巻き上げたり、それどころか睡眠導入剤(要するに「睡眠薬」のことだと思うが?)を飲ませて殺害した疑いを持たれている女性の事が話題になっている。被害に合った(と思われる)男性の中には堂々とシルバーパスを持ってバスなどに乗れるお歳の方も居るし、半端どころじゃない金額を貢いでしまった方もいらっしゃる。警察の方も未だ容疑を立件できないのだろう、件の女性の写真などは公開されていないが、これが事実だったとしたら稀代の「男たらし」の名に恥じない、相当の美形だろうとつい推測してしまう。その容姿を是非拝見したいものだ。私もそんなに上手く行くのならやってみるか、と思わなくもないが、仮に件の女性ほど若かったとしても私の容貌や話術では到底無理だろうと、既に始めから諦めている。それが、このニュース報道の初期の段階から、彼女は「オンナ」と呼ばれている。「女性」ではなく、和語の「おんな」である。これは早い頃から耳に引っかかって気になっていた。何しろあの謹厳なNHKのニュースでも、「被害者には以前から交際していた女性が居り」ではなく、「・・・交際していたおんなが居り」なのである。こうなると、「ははぁ、未だ容疑者とするに足る証拠はないけれど、警察でもその女性が九分通り怪しいと思っているな。しかも相当自信があるな。」と感じてしまう。つまりは、無味無臭な漢語ではなく、和語が使われる事がそれ自体一つの情報になっているわけである。夏目漱石は、日本の話し言葉に漢字を当てはめて妙な熟語を発明する達人であった。今度はそういう言葉を集めてきて、件のゲームのレベル6をお作りになったら如何かと愚考する、いやロクでもない事を考えたりしてみるのである。
2009.11.10
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◇ 11月9日(月曜日) 旧九月二十三日 戊午(つちのえ うま) 先勝: 太陽暦採用記念日【太陽暦】今日は太陽暦採用記念日と云う事で、ブログでよく暦の話を書いている私としては、一筆献上しなければならないと勝手に決めた。わが国がそれまでの太陰太陽暦を改めて太陽暦に移行したのは1873年(明治5年)の事である。この年、明治政府は今日、つまり11月9日に新しい暦に移行する旨発布し、明治5年12月3日を改め1873年(明治6年)1月1日とする事とした。旧幕時代が終わり、いよいよ西欧列強に伍して国力を蓄えていこうとするためには、海外とのやり取りを飛躍的に活発にしなければならない。それなのに日本が旧暦のままでは困る。条約を結ぶにも日付をどうするか。条約まで行かなくても、欧州の先進国に使節団を送る打ち合わせをするにも、向こうが西暦で日付を云ってくるのを日本の暦に翻訳しなければならないし、又その逆の場合も同じである。今は電話やネットで海外だろうが何処だろうが直ぐに連絡できるが、それでも時差の計算を間違えたりする事は私も頻繁にある。「えーと、アチラとの時差はこれこれだから、今は一日の勤務時間が終わる直前だから、電話するには丁度良い頃合だろう。」と電話すると、向こうは夏時間で既に帰宅してしまっていた。そういう失敗は何度もしている。当時の通信手段は手紙でしかも船便だから、時差を心配する必要は無かったろうが、暦の体系が異なると、時差の換算よりもっと困ったろうと思う。年号だけの話だったら、西暦を併記するようにすれば済むが、太陽暦と太陰太陽暦では、月も日にちも異なるからどうにもならない。「あの人は背丈が五尺八寸で体重が二十貫もあるんだって。」というのを、「彼は身長が・・フィート・・インチで、体重は・・ポンドだ。」と翻訳するのは誰だって直ぐには出来ないだろう。歴史の勉強をして、いやそこまでいかなくても時代小説を読んで、文久三年閏四月などといってもそれがいつの事だかは日本人でも(私だけか?)ピンと来ない。元禄花見の宴と云っても、それが一体いつ頃の花見の宴会なのかは、一々調べて西暦に変換しないと分からない。今の我々はいってみれば当時の外国人と同じである。つまりは、太陰太陽暦と太陽暦は数え方の単位系が違うようなものだ。そこで明治政府は、エイヤーとばかりに当時西欧列国が広く採用していた太陽暦(正確にはグレゴリオ暦)を採用することにして、その年の12月2日の翌日を翌年の元日にしたのだ。と、いうのがごく真っ当な話なのだが、実は本音は違ったらしい。当時の明治政府は旧幕軍に対する戦勝国(藩)の寄せ集めであったが、これは内戦であったから戦時賠償も取れず、財政に逼迫していた。そこで太陽暦を採用すると、12月は2日しかないからという口実で12月分の給料を払わなくて済ませられる。それに太陰太陽暦では19年に7回の割合で閏月というのが有る。これはちゃんと説明しようとすると、又長々と書かなければならない。そこをなるべく簡単に済ませるとこうなる。つまり、太陰暦は要するに月の暦である。月齢周期は約29.5日だからこれを12倍すると354日にしかならないから、年に11日足りなくなる。これをそのままにしておくと1月が春になりやがて夏になってしまうから、農耕には役に立たなくなる。それで19年に7回の割合で閏月を入れて、太陰暦と太陽の動き(実際の季節)との間に大きなずれが生じないようにした。(いつどういう目安で閏月を入れるかに付いてもちゃんとした規則があるが、この説明は余りにオタクっぽくなるので省略する。)つまり一年に13ヶ月有る年が出てくるので、たまたま旧暦明治6年はこの閏月がある年であった。そうすると、明治政府としては上のタイミングで太陽暦に切り替えてしまえば、上に述べたように明治5年12月分の給料一か月分と、翌年の閏月分の給料と、合計2か月分の給料を削減できるのである。つまりは、明治5年の決断は、グローバルスタンダードに追随するというようなまともな動機からというよりも、実は財政上何とかしなくちゃ、という背に腹は代えられない理由に依るものだったのだ。いつの時代も金の無い政府は苦労する。それにしても、この年は師走になったと思ったら、直ぐに正月が来てしまったのだ。晦日の借金の取り立てはどうなったんだろう?借り手の方が踏み倒しできて得をしたのか?それとも、暦の変更が発布されてから、取立て騒ぎが起こったのだろうか?大いに気になるところである。
2009.11.09
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◇ 11月1日(日曜日) 旧九月十二日 庚戌(かのえ いぬ) 大安: 【立憲君主制と独裁制】 その二わが国も王制を廃して、別の政治体制になるかもしれない時期があった。太平洋戦争に負けてアメリカ軍に占領された時期である。アメリカは伝統的に反王制の立場をとっている。だから、アメリカは太平洋戦争を引き起こした元凶を天皇制に結びついた軍閥の蠢動に求め、天皇の戦争犯罪を追及し、日本に彼らの言うところの「民主制」を持ち込もうとした。日本はまかり間違えば、天皇制を廃して大統領をいただく共和制に変わっていたかも知れないのだ。これがそうはならなかったのは、当時の日本の政治家の気骨もあったろうし(当時は吉田茂や白洲次郎など、気骨とPrincipleのある日本人が未だ少し残って居た)、何より天皇家というものを崇敬する大多数の日本人の気持ちもあっただろう。そして、アメリカ側にも王制の廃止に関与して大失敗した記憶があった。1918年、アメリカはドイツのカイゼル(ドイツ最後の皇帝はヴィルヘルム二世である)追放の先鋒に立った。アメリカは第一次世界大戦の終結によって、それまでの債務国から債権国に転換したため、戦後ヨーロッパの政治的安定が、自国の利害に叶うものだった。ドイツの帝政はそれに反するところであったのだ。しかし、その結果として誕生したのがワイマール共和国であり、ワイマール憲法は世界でも稀な民主的憲法として知られている。しかし、それは理想ではあったが、同時にシンボルの喪失でもあったため、ワイマール共和国の末期には国情騒然として権力の真空状態が生じてしまった。そこに付け込んでまんまと権力奪取に成功したのは、ナチス党のアドルフ・ヒトラーであったのだ。ヒトラーは、自らシンボルとしての権威と同時に権力をも掌握し、その後全世界で5千万人以上(戦闘員、非戦闘員を含む:英国タイムズ誌、日本厚労省資料による)の死者を出した第二次世界大戦へとドイツを導いていったのは周知の歴史である。恐らくはそういう記憶も影響してだろう。1945年、アメリカは日本の天皇制廃止を思い止まった。その結果、わが国はアジアで最も安定した民主主義国、反共産主義国、親米国家としての歴史を歩んできたのだ。わが国は象徴天皇制により、天皇を国民統合の象徴として戴くと共に、議院内閣制を採用した。議院内閣制(Parliamentary System)とは、立法権を持つ議会と行政権を持つ政府(内閣)が分立しており、内閣は議会の信任を受けて存在すると定めた政治制度である。逆に、内閣は議会の解散権を持っている。つまり制度上、議会と内閣との間には、牽制・抑制と均衡を基盤とする相互関係が築かれることになるのだ。議院内閣制には更に一元主義型と二元主義型の二つの型がある。一元主義型では、内閣は国家元首(王様や大統領)では無く、専ら議会にのみ責任を負う。二元主義型議院内閣制では、内閣は国家元首と議会の二者に対して責任を負う。これで分かるとおり、歴史的には二元型の方が古い。何れにしろ議院内閣制においては、大統領や君主などの元首は儀礼的な役割しか持たず、内閣が実際の行政権を持っているのが普通である。一元主義型議院内閣制を採用している国家は、現在わが国の他には英国、フランス第三・第四共和制、ドイツ、スペイン、スウェーデン、オランダなどが挙げられる。日本の国会は英国議会を模倣して作られたものである。一元主義型議院内閣制においては、議会が首相の任命に同意し、首相が内閣の他の大臣を指名する。内閣は議会に対して一致連帯して責任を負い、閣内が分裂した状態で議会に対することはない。重要問題で首相と他の大臣が対立した場合には閣内不統一となり、大臣が閣内にとどまったまま、議会に対して首相に反対することは許されない。その場合当該大臣は、首相に従うか辞任して反対派になるかを選ぶことになる。つまりは、福島みずほさんは、沖縄の基地問題に関して、社民党党首として民主党の政策に異論を掲げるのは全く問題がない。しかし、閣僚の一員として議会に臨むまでには、閣内での意思統一が為されている事が必須になるのである。これは、同じ問題に関する岡田外務大臣と北澤防衛大臣においても同様である。ついでに言ってしまえば、自民党が上記をして「閣内不統一だ」とか「閣内不一致だ」と糾弾するのは当たらないと思う。議会への上程前の段階で、閣僚同士が議論を闘わせ、そしてそれが報道によって我々にも知らされて来るのは、僕はむしろ好ましいと思う。さて、この制度では内閣は、当然議会の多数派に依拠することになる。議会は、内閣不信任決議を行うことによって、いつでも内閣を変えることができる。このとき内閣は不信任決議に従って総辞職するか、或いは議会を解散することで多数派を再構成するかの選択をする。解散の後の選挙で多数派形成に成功すれば不信任された首相が引き続き政権を担当し、失敗すれば再任を諦め別の首相が任命されることになる。これがわが国の現行の政治制度である。因みにソビエト連邦の末期に、共産主義政権が崩壊し、経済が危殆に瀕し、政治的・経済的利権を巡ってマフィアなどが暗躍した頃、西側諸国では危険な人物が台頭し国家元首を僭称して、独裁国家が誕生することを怖れて、ロマノフ王朝を再興することを真剣に考えたことがあるという話もある。さて、一元主義型議院内閣制が理念通りに運用されていれば(そして、わが国では曲がりなりにも現在そのように運用されていると思う)、独裁制に陥る心配はない。ところが、この制度には欠けている大事な要素が一つある。それがシンボルである。政治的な主義主張を超えて、日本を日本としてまとめ、其処に暮らす国民の帰属意識を維持していくには、選挙によって選ばれるタダの人の集団や、紙に書かれた法律だけでは弱く脆い。ここにタダの人でない王様、わが国では天皇が存在する意義がある。万世一系(色々議論はあったとしても)の皇統というものは、万民に敬愛され得るものである。「国民統合の象徴」とはまことにいい得て妙である。健全な立憲君主制の下では、君主と議会の間で権威と権力は分立し、議会がしっかりしている限り君主に権能が集中する事はない。日本では明治期には天皇親政が、大正デモクラシーの時代には二元型議院内閣制が布かれていた。この結果が軍と軍に繋がる所謂軍閥の増長を許してしまったとも言える。現在の一元主義型議院内閣制は、制度上軍閥などの増長は防ぐことが出来る。しかしそれもこれも、議会がしっかり機能する事が前提であって、従って議会の責任と議員の自覚は重い意味を持っているのだ。つまりは、立憲君主制と一元型議院内閣制による政治制度は、現状相対的に最も優れたものであると、僕は考えるのである。すなわち、「立憲君主制は独裁制とは本質的に相容れない」と云い得るのである。ところで、何故長々とこんな事を書いてきたか。先頃鳩山総理大臣が国会で初めての所信表明演説を行った。各党、特に自民党は独特の思いでそれを聴いたのだろうが、マスコミに印象を求められた自民党総裁の谷垣さんの発言に、僕は大いに驚いた。「これは相当問題になるぞ」と思ったけれど、その後問題になっている様子が全くない。その事に余計驚いているのだ。「まるでヒトラー・ユーゲントがヒトラーの演説を聴いて喝采しているようだった。」谷垣さんの発言はそんなものだった。ヒトラーは当然鳩山首相で、ヒトラー・ユーゲントは初当選者が多数を占める民主党議員のことだ。民主党の幹部にも、議場での同党議員の喝采はいささか元気過ぎると響いたようで、長老の誰かは「だって自民党を離れて16年間も雌伏してきたのだ。その思いが皆の気持ちを溢れさせたのだろう。」とおっしゃった。谷垣さんの発言に対する民主党の反論は、このいささか弁解じみた述懐でしかなかったように思う。民主党はこの、充分暴言と言える谷垣発言に、もっと怒るべきだったと思う。民主党新政権は、麻生時代の、或いはそれ以前の自民党の政策を次々とひっくり返している。それに対して自治体の長や利害を被る住民から、「地元の意見を聞いていない」、「拙速で独断的だ」という主旨の批判が相次いでいる。これらの批判を極端に引っ張って行けば、行き着く先は独裁政治批判になる。そういう状況下だから、独断専行だとか独裁だとかいう言葉が谷垣さんから飛び出したのだろう。逆に言えばだからこそ、民主党は彼の発言にもっと敏感であってしかるべきだ。事もあろうに、自らの党首をヒトラーになぞらえるような谷垣さんの暴言に対しては如何にも反応が鈍いではないか。上に書いたように、よしんば日本の政治が独裁制に傾くようなことになった場合、それを防ぐ責任はいつにかかって議会と政治家にある。谷垣さんは議員としても、また最大野党の党首としても、その責任を負託された張本人の一人である。その人の発言としては、余りに稚拙だといわざるを得ない。野党に転落した憤懣が、ついそれを言わせたのだとすれば、余計にお粗末だ。どうして誰もこの事を問題にしないのか。僕としては、この点憤懣やるかたない思いである。
2009.11.01
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