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プレバト俳句。お題は「コーラ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇篠田麻里子。夏至夜風 余ったコーラで煮る角煮彼女の俳句は好きです。季語の「夏至夜風げしよかぜ」からしてもう素敵。秋元康のクサい歌詞なんぞよりずっとセンスがいい。「煮ない角煮があるんなら持って来い!」って気はするものの、まあ「食べる角煮」「買う角煮」などもあることだし、そこはOK。いっそ「角煮煮る」でもよかったなと個人的には思います。ちなみに中八です。わたしは、いちおう中八容認派だけど、「余りコーラ」なら7音にも出来るかな、と思いました。ちょっと無理がある?(笑)◇筒井真理子。老鶯ろうおうや 墓前の莨たばこと缶コーラこれも中八ですね。 最初に読んだとき、「老鶯」「墓」「莨」「缶コーラ」という4枚の絵の取り合わせに見えたので、やや情報が多すぎて散漫かなあと思った。とくに「缶コーラ」については、墓前ではなく、手に持って飲んでるようにも見える。この問題を解決するには、「墓前{莨+缶コーラ}」を1枚の絵にまとめる必要がある。そのためには、助詞を変えて、「墓前に莨と缶コーラ」としたほうがいいような気がします。違うかなあ…?あまり自信はない。先生は、老鶯の墓前 莨と缶コーラという案も出してましたが、これなら、たしかに中八も解消できるし、莨と缶コーラが問題なく墓前に並びます。◇武田鉄矢。モンローは真夏の夜よの夢 コーク・ハイモンローや 真夏の夜よるのコークハイ(添削後)これも原句は中八です。本人は、マリリンモンローの映像と、ユーミンの音楽と、シェークスピアの文学が、混然とする幻想のなかへ浸りたかったようだけど、言外の意味合いを欲張りすぎると、かえって映像描写の直接性が弱まって失敗しますよね。添削に異論はないけど、中黒「・」は不要と思ったので勝手に消しました。すみません。◇キスマイ北山。 葉桜や 融氷の音のグラスより葉桜や グラスに融氷のかすか(添削後)添削に異論はないけど、原句で1ランク昇格って、ちょっと甘いのでは??たんに「グラスの氷溶ける音」というだけのことを、わざわざ「融氷の音ねのグラスより」なんていう必要ある?あえて難しい言い方をしてみた結果、かえってぎこちなくなっただけなのでは?それとも、あえて「融氷」という大袈裟な言い方で、なにか壮大な連想でも引き出そうとしたのかしら?さらにいうと、最後の「より」ってのが不要です。ただ「融氷の音のグラス」といえば十分なのだから。その2音は字数合わせの意味しかない。それどころか、下手に「より」なんてつけてしまうと、「グラスより音が聞こえる」なのか、「グラスより葉桜が透けて見える」なのか、「グラスよりも葉桜のほうがマシ」なのか、かえって誤解の余地が増えてしまいます。◇ミッツ・マングローブ。短夜みじかよや ロングアイランドアイスティ岩永徹也。驀進ばくしんの棋士は少年 青嵐この2句については、とくに異論ないです。岩永の句のどこにコーラがあったか分からないけど。◇さ~て…問題は、梅沢の句。ナイターの売り子 一段飛ばし来る掲載決定でしたが、わたし的にはボツ!!描いてる場面はいいと思うけど、どうにも文法面が引っかかるし、「一段飛ばし来る」なんて変な日本語を出版物に載せていいの??たとえば「食べ歩く」のように、他動詞+自動詞の組み合わせで、「飛ばし来る」という複合動詞もありえなくはないし、「一段を飛ばして来る」を短くして、「一段飛ばし来る」と言ってるんだとしたら、まあ、文法的にも許容範囲内かもしれません。でも、ここでの「一段飛ばし」は、それ自体がひとつの名詞なのだから、やはり「一段飛ばしで来る」と助詞を入れる必要があるし、それは口語であっても文語であっても変わりません。そこを梅沢が厳密に考えてたかどうかは、かなり疑わしい。わたしは、いちおう、ナイターの売り子 / 一段飛ばし来ると切りましたけど、先生が言ったように、ナイターの売り子一段飛ばし / 来ると切ることもできるし、2箇所で切れば、ナイターの売り子 / 一段飛ばし / 来るという三段切れと見ることもできます。口語でもあまりそんな言い方はしないけど、強いていうなら、「売り子っ! 一段飛ばしっ!! 来るっっ!!」みたいな実況中継風の三段切れです。たぶん先生はこの解釈に近いと思います。いうまでもないけど、ナイターの売り子一段 / 飛ばし来ると切ったら、まったく意味不明です。◇わたしの意見をいうと、梅沢は五七五の定型に収めたつもりだろうけど、句またがりとしては、むしろリズムが悪いと思います。リズム的にいうなら、ナイターの売り子 一段飛ばしで来ると助詞の「で」を入れたほうがいい。ただ、これだと、まるで散文みたいになってしまうので、先生が言ってたように、ナイターの売り子 一段飛ばしで来くとするのが最善策かもしれません。追記:助詞の「で」を避けて「一段飛ばしに来」のほうがいいですね。あるいは、中八になるけど、ナイターや 一段飛ばしの売り子来るナイターや 一段飛ばしの売り子が来くとすれば、文法的には容認できます。
2021.05.30
まめ夫の第7話。神回。すごすぎて、ちょっと受け止めきれない。どのシーンも、画面がとんでもなく美しい。話も面白いし、展開は衝撃的でした。◇先週は強さを見せつけた大豆田とわ子だったけど、かごめが死んだ後、娘も家を出ていって、まるで子供のように寂しがる大豆田とわ子。すごく弱い…。そのうえ、ビジネスの過酷な現実。1年前の負債と、部下の裏切りと、オーナーの裏切りと、敵対的な買収と、四方八方の板挟み。そんななかで、元夫たちの寂しさと、優しさと、カッコよさが身に染みます。シンシンとカタローって肉の名前だったのっ?!そして、八作の北海道旅行がすこし怖い。底知れぬ孤独を感じます。オダジョーとの出会いは、あまりにもセレブっぽくて、ちょっと共感しにくいと思ったものの、物腰の柔らかさと、姿の美しさと、なにやら人生を救ってくれそうな、高尚で、深遠で、難しそうな話に、ふっと、すがってしまいたい気持になる。…と思ったら、最後のどんでん返しに翻弄されて、もう、ちょっと動揺が止まりません。◇日テレの「恋ぷに」の第7話は、だいぶクオリティが落ちたけど、カンテレの「まめ夫」のほうは、第7話にして、むしろ最高のクオリティを見せました。おなじ低視聴率にもかかわらず、数字の圧力に屈してるっぽい日テレと、数字の圧力に動じない脚本家&カンテレのスタッフの覚悟。その違いかなあ。Ils parlent de moi~プロムナード編 feat. マイカ・ルブテMorning feat. グレッチェン・パーラトAttachments feat. LEO今井Ils parlent de moi~ほろ酔い編 feat. マイカ・ルブテAll The Same feat. グレッチェン・パーラト & BIGYUKI"
2021.05.28
恋ぷに第7話。なんだか演出のクオリティがだいぶ低かった。無理やり継ぎはぎして、どうにか埋め合わせたような感じ。カメラの動きが悪いし、キラキラした光をとらえていないし、今までのような美しい画面も見られない。車内の映像は合成っぽかったし、「昔から変わってない」という海辺の博物館は、ぜんぜん古そうには見えなかった。◇脚本の出来が遅くて、撮影が突貫工事になったのかしら。話の流れもやや唐突だったし、回想シーンが多すぎるのも気になりました。例によって、視聴率を気にした上層部が、制作に横槍を入れて内容を歪めてる可能性もある。だとしたら、またしても同じパターンの繰り返しですね。こうなると、終盤はどんどん悪くなっていきます。日テレがいちばん悪いときのパターン。いずれにせよ、第7話は捨て回でした。
2021.05.27
プレバト俳句。お題は「ケーキ」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇まずは名人2人から。梅沢は掲載決定。夏立ちぬ バタークリーム強情で千原ジュニアは1ランク昇格。とぅるとぅるの求肥に透けている苺ジュニアのほうは、求肥のなかの「苺」だけを描写した一物仕立て。梅沢の句は、時候の季語と取り合わせていて一物仕立てではないけれど、やはり「バタークリーム」だけを描写した句。わたしなら、両方ともボツにしていたかもしれません…。◇一物仕立ては、描写の仕方に個性や詩情があるのかどうか、そのセンスが問われるものだと思います。梅沢の場合は、「強情」というバタークリームの擬人化描写に、個性や詩情が見出せるのかどうか。ジュニアの場合は、求肥と苺のコントラストを感じることもできるけど、何より「とぅるとぅる」という擬態語の描写に、個性や詩情が見出せるのかどうか。最初に読んだときはボツかと思ったけど…あらためて鑑賞してみると、たしかに季節感もあるし、視覚的にも鮮やかだし、詩情もあるような気がしてくる(笑)。一物仕立てというのは、作るのも難しいのだろうけど、評価するのも難しいなあ、というのが正直な感想です。◇北乃きい。ケーキ屋で浮かぶあの笑み 夏の宵おみやげのケーキを選ぶ 夏の宵(添削後)中七の「浮かぶあの笑み」は、意味としては十分に伝わると思うのですけど、頭に思い描いた映像は、描写といっても心象の描写なので、そこが俳句としては弱いところですよね。◇ダイアン津田。夏の夕 5色のケーキ持ち帰るケーキ五色 家族五人の夏の夕(添削後)この添削で異論はないのですが、わたしなりに、父の手に五色のケーキ 夏の夕としてみました。◇ABC-Z塚田。ホールケーキを籠に ギア上げ青嵐ホールケーキ籠に ギア上げ青嵐(添削後)後半の「ギア上げ青嵐」だけ読むと、まるでジュニアの750cc(ナナハン)俳句?もしくは石原裕次郎とか近藤真彦っぽいテイスト?まあ、バイクじゃなくて自転車ですけど(笑)。若々しくて清々しい場面ですが、「上五の字余り」と「句またがり」が重なった場合、リズムとしてどうなのかが、やや気になりました。あらためて見直したら、明確な「切れ」がない句なので、句またがりかどうか不明です。◇かたせ梨乃。紫陽花の女子会 今日はバスチーを 紫陽花が綺麗ね 今日はバスチーを(添削後)季語に比重を取りもどすために、「女子会」の語を捨てた添削の意図は、それなりに理解できるのだけど、わたし個人の感覚でいえば、「女子会」と「バスチー」の2語は、絶妙な"軽薄さ"において響き合っているのです。それに対して、添削のほうは、「綺麗ね」と話す女性の優雅さ・上品さと、「バスチー」という流行語・省略語の軽薄さが、いまひとつ噛み合っていない気がします。◇今週は、IKKOの句が絶賛されていました。住み込みの 夜のケーキの苺かな詠嘆の「かな」は、安易に字数あわせのために使うと、非常につまらないものになるけれど、この句の「かな」は、久々に手応えをおぼえました。住み込みでの仕事を終えて、夜の一人の部屋で、ケーキを出して、そのうえの一粒の苺にまで焦点を絞ったところで、作者の心情をしみじみと込めた感じです。仕事の疲れや、孤独やら不安やらを帳消しにするような、楽しみと癒しを一粒の苺に集約したところで、この「かな」の詠嘆が効いていると思います。
2021.05.23
恋ぷに。第6話。今週は、半分ちかくが、まるでリゾートホテルみたいな、倫太郎の自宅のシーンで占められていました。とくにキスに至るまでのツーショットの場面は、回想もふくめてかなりたっぷり時間をかけていた。美しいシーンだったので、いくらでも長く見ていられたけど、物語的には何の意味があったのかよく分からない(笑)。◇全般的に、第6話は、あまり大きな進展がありませんでした。3兄弟がそれぞれ何を目指しているのか、まだ見えない。誰が本当の意味で海音の味方なのかも、まだ見えない。海音と倫太郎は、ほぼ結ばれたけれど、かつての仁子と南原教授がそうだったように、海中展望タワーの建設については喰い違ったままです。いまだに錯綜した複雑な物語になっている。そうこうしているうちに、海音は、ウツボと意思が交わせなくなりました。だんだん人間になりつつある?倫太郎と何度もキスしたから?美しい建物、美しい音楽、美しいツーショット。
2021.05.22
まめ夫。第6話。第4話を見終わったとき、この物語は「友人最強伝説」に行き着くだろうと、わたしは安易な予想をしてしまったけど、そんな安易な希望を容赦なく打ち砕くような、突然のかごめの死。残されてなお生きつづける者たちの孤独。でも、まあ、考えてみれば、『最高の離婚』でも、『Woman』でも、『カルテット』でも、『anone』でも、坂元裕二は、ほとんど希望のない現実とか、救いのない孤独を淡々と描いてきたのだし、今回のドラマも、たしかに見た目は軽いタッチのコメディだけど、描いている世界は基本的に変わらないのだと思う。この物語は、「社長はつらいよ」であり、「金持ちはつらいよ」であり、「セレブはつらいよ」みたいなことなのですが、その辛さの度合いは、わたしの予想を上回っていた。しかし、そんなシビアな現実をしっかり受け止めて、日々を生き続けようとする大豆田とわ子のバイタリティは、とても魅力的で、憧れさえ感じてしまいます。◇前半部分の、3人の女たちのストーカーまがいの身勝手を、坂元裕二がどの立場で書いていたのか分からないけれど、おそらく、あの3人の女性たちは、大豆田とわ子の生きる力強さに比べて、格段に弱く、ほとんど悲劇的なのですね。弱さゆえに、ひがみっぽく他人まかせで、理不尽で我がままなのだろうと思います。3人は、大豆田とわ子とは真逆のキャラクターを与えられている。彼女たちは、無意識のうちに、大豆田とわ子の引力に惹かれ、嫉妬しながら、元夫たちに接近してきたように見えます。彼女たちに翻弄される元夫たちも、それなりに上流のセレブですから、こうした弱々しい女たちの我がままを、内心では「男はつらいよ」と思いながら受け止めるのです。結果的に3人の女たちは、一方的な我がままを押しつけて去って行きますが、そこからあとの彼女たちの運命は、はたして生きていけるかどうかも分からないほど悲劇的です。極端にいえば、第6話で死んだのは、かごめだけではない気がする。結局のところ、きびしい生存競争に勝てるのは、唯一、大豆田とわ子だけなのです。しかし、ドラマは、そのことを深追いすることなく、来週以降の物語では、1年後に飛びます。…先週の第5話のカットを少し。
2021.05.21
たとえ事務所から逃げることが恥だとしても、彼女が生き抜くうえで役に立つ選択であるならば、そこに異論や反論は必要ないのですが、新垣結衣ほどの人気タレントでも、所属事務所からの独立後の安定をはかるために、駆け込み的な「結婚」以外の選択肢がなかったとすれば、これを手放しで祝福していいのか分からないし、社会的な観点からいって考えるべき問題は残っている。◇小泉今日子が所属していたのは、ヤクザとして知られる周防郁夫のバーニングプロでしたが、新垣結衣の所属するレプロはそのバーニングの系列です。それから、国分佐智子が所属していたのは、沖縄ヤクザとして知られる平哲夫のライジングプロです。国分佐智子が、林家一平と結婚したときにも、やはり事務所との不和がささやかれました。もちろん彼女は、いまでも結婚生活を送っているわけだし、かりに事務所問題や独立問題が背景にあるからと言って、それをただちに偽装結婚と考えるべきではない。そもそも、すべての結婚が恋愛にもとづくわけではないのだし、一般の女性でさえ、ほとんど恋愛を経ずして、もっぱら社会的安定のために結婚するというのも、十分にありうる選択だし、その意味でなら、契約結婚みたいなものは実在する。◇しかし、一時はなかば休業状態だったというか、ほとんど無気力のようにも見えた新垣結衣が、とつぜん昨年のSPドラマの出演をきっかけにして、間髪も入れずに「結婚を前提とした交際」を開始し、実際には交際らしい交際もないままに、半年足らずで結婚発表にまで駆け込むというのは、何かしら逼迫した事情というか、それを急がねばならない理由があったかなあ、とは思う。同じレプロから独立した能年玲奈(→のん)や、バーニングから独立した小泉今日子の場合は、けっしてスムーズに事が運んだとは言えないし、これら芸能事務所からの独立問題が、いかに厄介なのかを、またしても考えずにはいられない。政治的にも、社会的にも、 この界隈の内情については注視する必要があるし、場合によってはメスを入れていくべきだろうと思います。
2021.05.20
テレ朝「桜の塔」の第1部が終了。まあ、なんというか、椎名桔平がぜんぶ持ってった感じです…。◇当初、玉木宏は「白い巨塔」的な側面を見せてたけど、これはむしろ「竜の道」的な復讐劇であり、椎名桔平こそが「銭ゲバ」的な悪党にちがいない。…ってのが、わたしの予想でした。その予想は、まあ当たったといえば当たったのだけど、いくらなんでも当たるタイミングが早すぎるし、むしろ、今後は、裏の裏をかくようなどんでん返しが待っている、…という可能性のほうが強まってきた。◇実際、玉木宏が、「白い巨塔」的な悪役ぶりを見せていたのは、せいぜい最初の2話ぐらいまでで、いまや椎名桔平にやられっぱなしのヘタレですから、どこにもダークヒーローの片鱗は見られません。こうなると、かえって悲劇的な結末は予想しにくく、むしろ最後は弱々しい主人公が報われる形で、ハッピーエンドに終わる可能性のほうが高まってくる。同時に、いまのところ極悪人のように見える椎名桔平が、本当の意味で悪の権化なのかどうかは疑わしい。◇一方、恋愛パートのほうはちょっと先が読めません。第1部のラストで、玉木宏は仲里依紗と結婚してしまいました。そして第2部は、その5年後から始まります。この展開はちょっと意外。広末涼子の立ち位置はどうなるの?わたしとしては、玉木宏&広末涼子の、つかずはなれずの思わせぶりな関係が、最後の最後までずっと続くと思っていたし、それがドラマを牽引する力だと思っていたのだけど、まさか、玉木宏と仲里依紗のハッピーエンドなんてある?まして、岡田健史と広末でハッピーエンドなんてある?ここらへんについては、まだまだ関係が動いていくものと予想します。◇ちなみに本作は、テレ朝の刑事ドラマとしては、なかなかの新機軸になってるし、物語の構成もよく出来ていると思うけれど、なぜか…そこはかとなく…どこかしら「仮面ライダー」的な漫画っぽさが漂ってしまうのは、よくもわるくも武藤将吾の個性なんだろうねえ。その部分さえ小慣れてくれば、きっと手応えのある大人向けのドラマになると思うのだけど。
2021.05.19
テレ東の冷ダンが最終回。床下の死臭について考察しますね。ちょっとグロい話なので、苦手な人は控えてください。(画像が多めで重いかも)じつはお肉が大好物だった主人公。すでに2人食べました。※3人目以降も冷凍庫に戻して食べる予定。その事実を知っていたクジャク先生。はたして美味しいのかしら?奏でも亮でもどっちでもいいの。食べてしまえば一緒だから。右から1本、2本、3本、4本…冷凍庫も花瓶も足りないなー。青い葡萄の文鎮がステキね!ヤバい秘密は火にくべて燃やしましょう。もったいないなー。以上です。
2021.05.18
先日の世界ふしぎ発見!テーマは「鬼退治で紐解く日本」でした。出雲、吉備、大和、大宰府などを巡って、製鉄や山伏の歴史を探っていました。はじめて知ることもあったので、わたしなりに整理しておきたいと思います。◇まずは予備知識。もともと製鉄の技術は、ヒッタイト、スキタイ、匈奴など、騎馬民族によって西域から東方へ伝えられ、渡来人によって日本に上陸しました。渡来人たちは、大陸の玄関口である出雲や大宰府はもちろん、瀬戸内海をとおって、吉備や大和などにもやってきて定着しました。実際、吉備や出雲には古代製鉄の痕跡があります。☆出雲 /島根古代の出雲国は、ヤマト王権に対抗する最大勢力だったので、ここにこそ鬼がいたのかもしれません。室町時代にはじまった石見いわみ神楽にも、鬼が登場します。ちなみに中国地方一帯は、砂鉄と木炭の産地だったので、古代から製鉄が盛んに行われていました。「出雲風土記」には、 阿用郷あよのさとの鬼という、"一つ目"の人食い鬼についての記述がありますが、この鬼は、じつは鍛冶・製鉄の神だとする説があって、天目一箇神あめのまひとつや金屋子神かなやごとも同一視されます。なぜなら"一つ目"というのは、高炉の灼熱の炎を片目で見つめて失明した姿を意味するからです。ちなみに、片目を開いてふいごを吹く「火男ひおとこ」が、神楽における「ひょっとこ」の起源だと言われています。ひょっとこの鋼鐵塚さん江戸以降になると、出雲のたたら製鉄は松前藩の主要産業となり、日本刀の原料である玉鋼たまはがねの一大産地になりました。☆吉備 /岡山古代の吉備国も、ヤマト王権を脅かす対抗勢力でした。ここには桃太郎伝説があります。鬼ノ城きのじょうを拠点とした温羅うらも、やはり渡来系の産鉄民だろうといわれていますが、大和の四道将軍のひとり吉備津彦きびつひこに討伐され、その首を吉備津神社の土竈に埋められました。そこでは、現在も、鬼首の泣き声で吉凶を占う鳴釜なるかま神事が行われます。☆大和 /奈良飛鳥時代に、役小角えんのおづのが修験道を開きました。彼は、役行者えんのぎょうじゃとも呼ばれる呪術者で、法力をもって鬼神を従えていました。これに端を発する修験者=山伏こそが、鬼の起源かもしれません。山伏たちは、超人的な身体能力をもち、日に焼けた異形の赤ら顔をし、目は爛々と輝いて野性味にあふれていましたから、天狗や鬼のモデルになった可能性があります。片目のつぶれた産鉄民であれば、なおさら恐ろしい迫力だったでしょう。彼らは、薬草・金属・木炭など、さまざまな山岳資源の知識と技術に優れ、異能集団としてのパワーを持っていたため、とりわけ朝廷の人々は、吉野など紀伊山地一帯の山伏を「鬼」として警戒しました。天狗の鱗滝さん実際、役小角は、前鬼・後鬼ぜんきごきという鬼の夫婦を弟子にしていました。その子孫は現在も奈良県内に住んでいます。役小角は、弟子たちに薬草や茶の知識を教えたとされ、山伏たちは、その後、陀羅尼助だらにすけなどの薬を、笈おいに背負って売り歩きました。後鬼の末裔が開いたという天川村の洞川どろがわ温泉には、いまでも陀羅尼助を売る店がたくさん並んでいます。薬草使いの珠世さん笈を背負う市松模様の羽黒修験/出羽三山◇平安時代になると、大江山の酒呑童子しゅてんどうじのような鬼が京の都に出没しました。大江山の鬼退治物語は、前述の石見いわみ神楽の演目にもなっていますが、それによると、じつは酒呑童子は早熟の天才美少年だったようです。そのことで、かえって世間に忌避されたのかもしれません。源頼光らいこうや渡辺綱つならの奇襲を受けた酒呑童子は、朝廷側の卑劣さに「鬼人に横道なし!」と叫んで死にました。現在、大江山には、「日本の鬼の交流博物館」が建てられ、世界中から集められた鬼の資料が展示されています。また、北野天満宮には、渡辺綱が鬼を切った刀(鬼切丸)も保存されています。なお、この時代には、風鈴が《結界》をつくると信じられており、寺院や公家などでは魔除けとして風鈴を吊るしていました。風鈴&ひょっとこの鋼鐵塚さん☆大宰府 /福岡古代より、大陸の玄関口にあたる北九州には、軍備・外交を担う大宰府政庁が置かれました。その鬼門(北東)にあたる宝満山に建てられたのが、宝満宮 竈門かまど神社です。役小角は、宝満山も歩いたとされており、ここにも修験道が伝わっています。宝満山の山伏たちは、繁栄を象徴する「市松模様」の装束を着ています。宝満修験の市松模様/竈門神社◇◇◇今回の番組では、もっぱら西日本を取材していましたが、東日本にも鬼がたくさんいます。松本清張の「砂の器」のことを考えると、秋田のなまはげのルーツは、出雲の鬼神楽に通じている気がします。なまはげ新潟の佐渡金山には鬼太鼓おんでこもありますね。丹後国から山形へ逃げ落ちて、出羽三山を開いたという蜂子はちこ皇子も、修験の装束を身にまとって鬼の形相をしています。蜂子皇子岩手には、坂上田村麻呂と戦って敗れた、アテルイや悪路王あくろおうなどの豪族がいましたし、のちには奥州藤原氏とともに、源義経と武蔵坊弁慶がこの地で倒されました。北上市には「鬼の館」という博物館もあります。アテルイ青森ねぶたの根底にも、坂上田村麻呂による蝦夷討伐の記憶があります。東京には、平将門の首塚もあります…。
2021.05.17
プレバト俳句。お題は「シューズ売り場」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇小宮璃央。夏の夜 言葉交わさず下駄の音夜店の灯 言葉交わさず下駄の音(添削後)これが最下位だったのですが、「才能ナシ」ではなく「凡人」でしたし、それほど悪い句だとは思いませんでした。作者自身は、夏祭りでのデートの場面を詠んだらしく、その話を聞いてしまうと、たしかに「凡人くさい」と思えるのですが、かりに説明を聞かずに原句だけを詠むと、見知らぬ他人と無言ですれ違った場面のようにも誤読できて、ちょっと不気味な雰囲気を味わえると思います。あくまでも誤読ですけど(笑)。ちなみに作者の意図どおりに書くならば、いっそ「夏デート 言葉交わさぬ下駄の音」としたほうが、誤解の余地がなくていいんじゃないかと思います…。◇梅沢。帰国の日 アガシの白いハイヒール帰国の日 アガシの白靴の悲し(添削後a)帰国の日 アガシの白靴の眩し(添削後b)作者の下世話な実話を聞いたら、すごく興醒めでしたが、これも本人の説明を聞かずに原句だけを詠むと、非常に味わい深く誤読できてしまう余地があると思う。個人的にいえば、「若い韓国人女性が帰国する」という場面だけで、引き裂かれる悲しみを喚起する力が備わってると思うし、ことによったら、国家的な背景や歴史的な背景さえも見えてきます。そう考えたら、添削は不要だと思うのです。これも、あくまで誤読なのですけど…(笑)。ちなみに「アガシの白靴」という添削は、アンドレ・アガシのテニスシューズと誤解される、という問題もあります。◇ぼる塾田辺。泥靴や 頑張る君の夏近し俳句で「君」と言ったら、ふつうは恋人のことを意味するらしいのですけど、この句の場合、個人的には幼い子供のことだと誤読したい気持ちがします。◇本田望結。夏夕焼 波打ち際のペアシューズ「夕焼」は、それ自体が夏の季語なので、「夏夕焼」とするのは季重なりだそうです。逆にいうと、「春夕焼」「秋夕焼」「冬夕焼」ってのは、夏の本物には及ばない"弱めの夕焼"ってことなのですね…。先生の添削では単純に「夕焼や」と直していますが、かりに「夏」という語にこだわるならば、「夏の夕」「夏夕べ」「夏の暮」などとする方法もあるのかな、と思います。◇キスマイ横尾。披露宴 白靴のスタッズ眩し 婚祝う 白靴のスタッズ眩し(添削後)正直な話、原句には何の面白味も感じませんでした。でも、上五を「婚祝う」に変えただけで、気合を入れてお洒落してきた人物像が見えてくるし、そこに詩情と面白味とが生まれますね。これはさすがの添削でした。◇的場浩司。靴の中ギラリちび蜘蛛 我が家ぞ新品の靴より ちび蜘蛛のギラリ(添削後)原句のままだと、下五は「自宅の玄関」の描写に見えてしまいます。かといって、擬人化した蜘蛛の台詞だとすれば、なおさらクサいです。これも先生の添削に納得です。◇高田万由子。白靴や 並びし吾子の父超えて並べある 父より大きなる白靴(添削後)梅沢と先生が指摘したとおり、原句のままだと「背比べ」をしてるように見える。おそらく「並びし」の語が、「白靴」ではなく「吾子」に掛かっているために、そのような誤解を生じるのです。かりに背比べを詠むなら、白靴や 父に並んだ子の高し靴の大きさを詠むなら、吾子の白靴 父に勝りて並ぶとしたほうが分かりやすい気がします。
2021.05.14
恋ぷに。あいかわらず爆走中。演出は3人目の伊藤彰記でしたが、まったくクオリティが落ちる気配なし。ほとんど欠点が見当たりません。ここまで来て、捨て回がない。いままで色んなドラマを見てきたけれど、こんなことは初めてのような気がする。◇第5話のハイライトは、倫太郎が母の指輪と再会したときの、綾野剛の迫真の演技。ファンタジーがファンタジーではなくなる瞬間でした。このとき、菅野祐悟の音楽がやけに扇情的になり、わたしはふいに、17年前のNHK「ちょっと待って神様」の、小六禮次郎の音楽を思い出しました…。海音は、海からの使者であるのみならず、倫太郎の母の生まれ変わりの女性ではないかと思えてくる。つまり、これは、人魚と人間の禁断の恋の物語であるだけでなく、母を恋うる息子の物語であるようにも見えてくるのです。◇脚本は本当によく出来ている。恋愛パート、蓮田家パート、開発パートが、たくみにシンクロしつつ、絶妙な速度とバランスで進行しています。第5話は、ここまで展開のなかで、いろんなことが明らかになってくる重要な回でした。倫太郎を失脚させた光太郎と、いがみあう兄弟の様子を見つめる父親。その家族の姿を見ると、だれひとり悪人ではないように思えてきます。しかし、そうかと思うと、いちばん無邪気なはずの末っ子の榮太郎の企みが、もっとも怪しく見えてくるのですね。鴨居研究室は、蓮田兄弟の確執に振り回されているけれど、その一員である椎木は、やはり裏で榮太郎と繋がっているようで、彼は、海音の正体にも疑問を抱き、その経歴偽装をマスコミに売ったのかもしれません。錯綜した関係性が徐々に浮かび上がってくる。◇そして、2年前の鴨居教授のデータ改ざん問題。これは、いうまでもなく、16年前の「不機嫌なジーン」の南原教授の再現です。ちょっとエロすぎない??
2021.05.13
NHK「青天を衝け」。第二部の《一橋家臣編》がはじまりました。ディーン・フジオカも登場して、いよいよ大森美香ワールド全開って感じ?◇女性作家による大河というと、橋田壽賀子の「おんな太閤記」とか、田渕久美子の「篤姫」なんかがあって、それらは主人公が女性ということもあり、女性作家らしさが明瞭に打ち出されていたと思う。でも、今回の大森美香による大河は、それらにもまして、もっと女性らしい作品です。主人公は男性だけれど、おそらく世界観そのものが女性的なのです。◇大森美香は、それほど個性の強い作家とは思われてないけれど、実際は、かなり明瞭な作家性があります。端的にいえば、世界観が綺麗なのです。キレイ系の大河!よくもわるくも、本来の大河らしい泥臭さとは無縁なのですよね。もちろん、美男美女が多いということもあるんだけど、それだけでなく、世界観そのものが非常に女性的なのです。たとえば、不気味な暗い夜のシーンの後には、かならず昼間の青空のシーンが戻ってきます。そこには人々の生活があって、つねに平穏な日常が回復する。平穏な日常に対する信頼。どんな大事件があっても、それが根本から揺らぐことはない。それが大森美香の描く世界です。そういう作風は、かりに朝ドラ向きではあっでも、さすがに大河には不向きだと思っていました。(実際、戦国時代劇では難しいだろうと思う)でも、今回の「青天を衝け」は、朝ドラの「あさが来た」と同じように、おそらく近代が舞台だからこそ成立しているのですよね。◇深谷には村川絵梨がいて、江戸には木村佳乃がいます。すでにそれだけで大森ワールドの核は定まってます。さらには、田辺誠一も、玉木宏も、重要な役どころで出てきましたし、山内圭哉も、渡辺いっけいも、すでに登場済み。そして第二部では、ディーン・フジオカが五代役を演じるとあって、さながら大森美香風「近代サーガ」の様相を呈してきました。◇こうなると、波瑠や高橋英樹が出てきそうな気もしてくるし、そのうち沢村一樹とか内野聖陽あたりが、大事な場面で出てきそうな気もします。永井杏や長瀬智也は引退してしまったし、大杉漣や竹内結子ももういないけれど、たとえば、明治になったら、小芝風花や吉岡里帆の顔なんかが見れたり、場合によっては、小雪とか松本潤みたいな、モダンガールやモダンボーイが現れるかもしれません。今回の「青天を衝け」は、NHK大河の長い歴史のなかでも、とりわけ女性的な個性の強い作品になると思ってます。
2021.05.13
まずは、THE FIRST TAKE ver.YouTubeで萌歌の新曲が公開。作詞・作曲は古舘佑太郎(息子ですね)。◇いままでは別れの曲が多かったけど、今回は初々しい恋の歌。ちょっと青くさいけど、いい曲です。キャッチーな要素もあるし、萌歌のパブリックイメージにも近いし、彼女の魅力をうまく引き出せる楽曲だといえる。Yaffleのアレンジは、あいかわらず洗練されているものの、悪くいえば"今までどおり"なので、全部がこのパターンだと、だんだん新鮮味に欠けてくるというか、正直、飽きが来る可能性もある。今回は、あくまで FIRST TAKE バージョンなので、オリジナルの編曲がどうなるかはまだ分からない。シングルカットされる可能性もあるけど、すくなくともアルバム発表までは2ヶ月近くある。いままでに比べて明るい内容の歌だから、安定した力強さのあるパフォーマンスと、サウンド的にも明るい印象の編曲になればいいよね。いい意味での裏切りに期待します。◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 6/5追記!オリジナルver.が公開!格段にアレンジが良くなった!!感動!!
2021.05.12
萌歌の2枚目のミニアルバムが出ます。サポートメンバーは前作と変わらないので、基本的な路線は同じだと思います。ある意味では、フルアルバムを半分ずつに分けた形ともいえる。これは、サブスク時代のソニーの音楽制作にとって、ひとつのモデルケースなのかもしれません。◇一方で、わたしが興味を感じてるのは、彼女が大瀧詠一をよく聴いているということ。これは意外でした。現在のadieuの音楽は、どちらかといえば細野=ティンパンアレーに近いような、研ぎ澄まされた《引き算》の音楽です。これに対して、萌歌が愛聴してるらしいのは、まさにソニーのコンパクトディスク時代を象徴する、80年代のナイアガラサウンドなのですね。これは非常にファンタスティックな《足し算》の音楽。そして、それは、現在のadieuの音楽よりも、むしろ「はなかっぱ」や「パプリカ」の方向性に近いと思う。萌歌が、彼女の望みどおりに、「夢で逢えたら」をカバーするとしたら、それがどんなサウンドになるのか楽しみです。◇ちなみに、今夜は4本目のFirstTakeも公開されます。
2021.05.12
NHK100分de名著「金閣寺」。山田裕貴の朗読がすばらしくて驚きです。◇敗戦によって天皇という絶対性を喪失し、いちどは戦後の相対的な価値観のなかに、みずからを適応させようとした三島由紀夫。しかし、結局は、戦前的な絶対性への回帰願望を捨てられず、それどころか、ふたたび日本社会に戦前の価値観を取り戻そうと、奇怪な挑戦に身を捧げることになります。ここにこそ最大の謎があるけれど、おそらくは、敗戦の絶望よりももっと深く、戦後の日本社会に失望したからであり、それが彼の実存的な苛立ちにも直結したからなのでしょう。戦後社会への失望と、戦前への憧憬/回帰願望。これは宮崎駿のアニメ作品にも共通する側面です。◇戦前的な川端康成の「美しい日本」にしろ、戦後的な大江健三郎の「曖昧な日本」にしろ、絶対性の喪失という戦後の現実を受け入れるか否か、そして失望の日々を生き続けるのか否か、ということが一貫したテーマだったはずです。日本人が、頭のうえに靴をのせるように、戦前の認識や価値観そのものを変えるとすれば、それは端的に「大きな物語を捨てる」ということでした。でも、現在では、それとは逆の転換が起こりはじめています。もはや国家の物語は、相対的に「小さな物語」でしかなくなっている。人類は、国家よりもさらに大きな物語の渦中にあると思います。
2021.05.11
クリスマスやバレンタインデーが来るたびに、憂鬱に気持ちになって、疎外感と孤独感を強める人は多い。それと同じように、母の日や父の日が来るたびに、不快な思いにおそわれる人たちも多いはずです。義理チョコが、ある種のセクハラ的な慣習だったとすれば、義理カーネーションもまた、ある種のパワハラ的な慣習だというべきです。◇すべての人間が両親を慕うわけではない。父を恨む人もいれば、母を疎ましく思う人もいる。昔なら、それを無条件に「親不孝」と呼んで非難したでしょうが、親が子を選べないように、子もまた親を選べないのだから、そこに「強いられた不幸」が生じうるのは当然なのです。わが子に対して、精神的・肉体的な暴力をふるう親もいるし、あからさまな暴力をふるわないまでも、愛情に見せかけたエゴをふりかざす親は非常に多い。自分の思いどおりに子どもを従わせ、そのことに満足して依存してしまう親たち。世間の親たちの大半がそうだといっても過言ではない。それは愛情ではなく、ほかならぬ精神的支配なのですが、きれいごとの家族幻想がその真実を覆い隠しています。これは、いわば、子どもたちに対する社会的ぐるみの暴力なのです。◇メディアや企業は、「恋人幻想」への同調心理を巧みに利用して、クリスマスやバレンタインデーを商業化したように、「家族幻想」への同調心理をあおることで、母の日と父の日をもまんまと商業化させました。しかし、これらの欺瞞的なキャンペーンは、人々を幸福にするどころか、きれいごとの幻想に振り回される人々を追い詰め、ますます不幸を増幅させるばかりです。母の日や父の日が来るたびに、妬みと鬱憤と猜疑心と欲求不満が顕在化し、ますます家族関係に亀裂が入ることもあるでしょう。◇日本にバレンタインデーの風習が定着してから、「義理チョコはセクハラである」という真っ当な認識が社会に共有されるまで、じつに30年以上もの期間を要しました。おなじように、「義理カーネーションはパワハラである」という認識が共有されるまでには、またしても長い歳月が必要となるのでしょうか?本来、母の日と父の日は、家族幻想を社会ぐるみで再生産するイベントではなく、「その愛情はエゴではないのか?」ということを、社会全体で厳しく問い直すキャンペーンであるべきなのです。そうでなければ、愛情という名のもとに、無自覚に自分のエゴをふりかざす親たちは、いつまでたっても後を絶たないのだから。
2021.05.10
まめ夫。第4話。ゴールデンウイークってこともあり、今回は職場のエピソードは無く、ほぼプライベートな話でした。そして、ちょっと心に引っかかりを残すような、印象的で謎めいた回でした。◇恋愛が邪魔。結婚が邪魔。家族が邪魔。恋人は面倒くさい。伴侶は鬱陶しい。親類は煩わしい。恋愛は勝ち負けだし、家族や親族は支配関係になってしまう。たぶん、この価値観は、かごめにも、八作にも、とわ子にも共通する。もしかすると、鹿太郎や慎森にも通じる価値観かもしれない。そして、この価値観を突き詰めると、結論として「友人最強伝説」に行き着くのだと思う。実際、「カルテット」をはじめとして、坂元裕二の他作品にも同じ結論は当てはまるだろうし、北川悦史子の「ウチカレ」だって同じ結論だと思う。◇これが本作の中心なテーマなのか。それとも、第4話だけのテーマなのかは分かりません。そもそも、かごめや八作が恋愛を遠ざけるのは何故なんでしょう?もともと恋愛に淡白な性格だからなのか。それとも、何かしら過去の体験を引きずってるからなのか。そこらへんも、まだ謎のままです。・八作のひそかな想い人とは誰なのか?・慎森に近づいた女の正体とは?・鹿太郎は自分と瓜二つの男にどう対峙する?…そんなサスペンスっぽい要素も出てきました。
2021.05.09
NHKアニメ「龍の歯医者」前後編を見ました。舞城王太郎の原作。庵野秀明の制作統括、鶴巻和哉の演出。スタジオカラーの作品。日本アニメの想像力を結集したような世界でした。◇竜に遭遇して船が沈むのは、まるで「ゲド戦記」みたいなオープニング。人間と竜の契約とか、生きることと死ぬことの意味を問う内容も、どことなく「ゲド戦記」に似ています。天狗虫になって空を飛ぶ柴名姐さんは、「山賊のむすめローニャ」に出てくる鳥女みたい。丸っこくて巨大な竜のイメージは、ほとんど空飛ぶ猫バス?(笑)あるいは宮崎アニメに出てくる飛行マシンのような、あるいは空飛ぶ要塞というか天空の城みたいな雰囲気もある。住み込みで働く少女は「千と千尋」っぽいし、異形の虫歯菌たちも、なんだか油屋の化け物っぽく見えます。竜の巨大な歯はモノリスみたいですよね。ちなみに、下の歯しか治療してないように見えたけど、上の歯はどうやって治療してるんでしょうか?(笑)◇後編は、完全に庵野秀明の世界。前編に比べて、かなりエヴァっぽくて既視感強めなのが欠点かな。アスカを想うシンジくんの一人語りみたいに物語が進みます。虫歯菌との戦いは、使途との戦いに見えてくるし、竜も、ATフィールドみたいな結界で防御されてる。破滅をもたらす巨大な竜は、完全にシンゴジラそのもの。オザケンの歌に、まったく違う意味合いが付与されていくところも、いかにも庵野らしい手法だなあと思います。一方、方言が飛び交うの戦場の描写はなにやら「この世界の片隅に」っぽくもあるし、失われたものへの執着と悔恨に生きる柴名姐さんの姿は、どこか「ハウルの動く城」を思わせる部分もある。死者の魂が竜の体内に戻るという世界観や、竜の歯と一緒に空から落ちていくシーンは、もしかしたら「天気の子」に引用されたのかなと思えるし、ピストルの意味合いにも「天気の子」との共通性を感じる。竜の親知らずを祭ってる出雲っぽい神殿を見ていたら、「天気の子」に出てくる屋上の祠と鳥居とか、口噛み酒の伝統を受け継ぐ「君の名は」のシーンも思い出しました。◇最後のベルのモノローグによれば、竜の虫歯は、人々の思いの残りカス。運命(=死)を受け入れられない人々の、断ち切れない恨みや未練や後悔が虫歯菌になる。誰かが心を動かすたびに、それはいつしか竜の虫歯菌に姿を変えてしまう。ベルは、最後にこんな回想をします。12才のとき、池の真ん中で馬に振り落とされた。尻尾で虫を払うように自分を殺しかけた馬は、眩しい午後の光粒のなかで美しく体をふるわせていて、死にかけの僕は、その気高い姿に胸打たれていた。僕の心から何かの虫が生まれたとしても、あの歯医者たちに任せておけばいい。君とあの馬の姿が重なるよ。君を想うと、血液とは違う何かが僕の胸を満たしていく。竜の歯医者になれるのは、みずからの運命を受け入れられる者だけ。歯医者たちは、馬のような気高さと真っ直ぐに生きる力強さで、竜の歯に蓄積される負の感情に立ち向かう。ベルは、竜の歯のなかから蘇り、ふたたび竜の歯に戻っていく生命の循環のなかで、馬のように気高く生きる歯医者たちに出会い、その力強さで胸を満たしたのです。◇一方、天狗虫と化した柴名姐さんの負の思念は、人々の殺意を養分としながら巨大化し、ついには殺意ある者たちを全滅させます。これはシンゴジラに通じる世界観かもしれない。運命にしたがう者は気高い。けれど、運命にさからう者は勇敢である。そして、どちらも美しい。これが、この物語の矛盾をはらんだ価値観です。◇引用に次ぐ引用、寄せ集め的といえば寄せ集め的だけれど、日本アニメの伝統が蓄積されてこそ出来上がった想像力の粋であり、スペクタクルとしても素晴らしいし、ちょっとテレビアニメにしておくのはもったいない作品でした。いまのところ続編の気配はありませんが、もし続編があるとすれば、ベルではなく、柴名姐さんの物語だろうと思います。
2021.05.08
プレバト俳句。お題は「昼寝」。今回は、いまひとつ腑に落ちない添削が多かったです。◇おいでやす小田。目を閉じて ほんの少しの夏休み昼寝少し 怒涛の日々に立ち向かう(添削後)仮眠だけが自分の夏休みだという内容。季語が比喩になってしまってるので、添削では「夏休み」を却下して「昼寝」に変えています。ただし、さほど良い句になったとも思えません。原句の意味合いは失われているし、「怒涛の日々に立ち向かう」というのは、視覚描写というより、むしろ意思表明のようです。ためしに、すこしの昼寝 ポケットのスケジュールとしてみました。◇東野絢香。若楓 台本抱きし 揺れる隈台本を抱いて 車窓の若楓若い女優が疲れた顔で新幹線に揺られてる場面。添削では、三段切れを解消するために情報を絞っています。ただ、原句に描かれた疲労感はなくなって、むしろ希望に満ちた句に変わっています。そもそも、「自分の目の隈」を視覚描写するのは無理なので、第三者の視点に立つことが必要ですよね。ためしに、目に隈の娘 車窓の若楓あるいは自分の顔を鏡に映して、鏡の目の隈 車窓の若楓としてみました。◇キスマイ宮田。眠る間にラムネの結露 本濡らすうたた寝の本をラムネに濡らしけり(添削後)夏らしくていい場面ですが、「結露」と「濡らす」は重複情報なので、添削では「結露」のほうを省いています。ただし、添削だと、瓶の結露で濡れたというより、ラムネをこぼしちゃったようにも見える。ためしに、吾子のうたた寝 本にラムネの結露としてみました。◇フルポン村上。若葉風 寝言は母国語の庭師いい場面ですよね。これで「1つ後退」とは、いくらなんでも厳しすぎるのでは?ちなみに「母国語」をオチにするならば、若葉風 庭師の寝言は母国語となるし、わたしならそうすると思う。先生は、季語を押し出すために、母国語の寝言 庭師へ若葉風(添削後)としました。ちなみに、「庭師に若葉風」ならクローズアップですが、「庭師へ若葉風」ならロングショットになります。添削では、前段との対比のために、あえてロングショットを選択したのでしょうね。◇梅沢富美男。縦横に斜めに 子らの昼寝かな子ら三人 昼寝縦横斜め逆(添削後a)園児らの昼寝 縦横斜め逆(添削後b)悪くない場面ではありますが、ほとんど一物仕立てだという気がするし、いつもながら「かな」の詠嘆がつまらないとも思う。とはいえ、添削した後も一物仕立ては変わってないし、人数情報って必要かなあ?という疑問もある。あえて「逆」とする面白さも、いまいち分かりません。ためしに、嗅覚や聴覚の情報を加えて、縦横に斜めに 昼寝の子のにおい縦横に斜めに 昼寝の子のいびきとしてみました。
2021.05.07
恋ぷに。第4話。ヤバい。とんでもない。もはや見るだけで目の保養!!倫太郎の恋人疑惑はあっさり解消して、ひたすら恋する男女のジタバタとオロオロを楽しめました。ドア開けてバッタリ出くわしただけの、あのオープニングのキラキラとドキドキは何?TBSのラブコメなんかとは比べものにならない、もっともっとハイセンスなトキメキに満ちている。菅野祐悟のロマンティック路線もサイコー。演出は今週から岩本仁志です。石原さとみがすばらしい!なんだか全盛期が戻ってきた感じ!演技が瑞々しくて、とっても生き生きしてます。この作品にアンチがいるなんて、節穴にもほどがあるでしょ(笑)。このドラマをリアルタイムで楽しめる幸せ!それにしても、岩塩!(笑)ソルティドッグ!(笑)素敵すぎるオープニングタイトル。潮騒の音とコーヒーの香り。キスした後の花火の夜…。ウツボ怖すぎ。
2021.05.06
NHK『青天を衝け』第一部が終了。とくに第11~12話、「横濱焼き討ち計画」からの展開が、とてつもなくスリリングで面白かった。渋沢栄一って、こんなに過激でヤバい人だったの?という驚きもあります。もし、彼らが本当に横浜を焼き討ちにしていたら、その後の日本史は一体どうなっていたのでしょう?◇武士の真似事をして、「攘夷」などという理念を口にし、政治にのめりこんでいく農家の若者たち。まるで全共闘時代の大学生さながらです。しかし、攘夷決行を目論んだ主人公が、「俺を勘当して追い出してくれ」と父に頼むと、妻もそれに同調し、父もまた、「お前はお前の道を行け」と言って送り出します。大河ドラマなのですから、「百姓の生活」よりも「天下の大事」が優先されるのは、当然といえば当然の展開かもしれないけれど、攘夷の決行なんてのは、ほとんど死にに行くようなものだし、まして妻や赤子を置き去りにしていくなんて、とんでもないことですよね。すくなくとも、従来の大森美香脚本のドラマだったら、けっしてありえないような場面だったと思う。◇百姓としての「生活」を守ろうとした父や女たち。妻子を捨てて「政治」にのめりこむ血気盛んな若者。いまのところ、大森美香は、そのどちらに肩入れするのでもなく、それぞれの立場を相対化しています。さらには、過激な「攘夷派」の志士たちと、冷静な「開国派」の幕臣の立場も相対化される。◇大森美香が過去に書いた、『不機嫌なジーン』にも『里見八犬伝』にも、『エジソンの母』にも『あさが来た』にも、あくまで物語の後景としてならば、なんらかの「政治」の要素はあったかもしれません。しかし、彼女がこれまで書いてきたのは、(たとえ広岡浅子のような人物が主人公だとしても)基本的には「女性」や「家族」の物語だったので、前面にまで「政治」の要素が出てくることはなかった。どちらかといえば、彼女は「政治」や「男性」の物語を避けてきたともいえる。しかし、今回は大河です。さすがに「政治」や「男性」の問題を避けられない。そもそも、大森美香が大河を書くなんて想像もしなかったけれど…。◇かりに、朝ドラが「庶民の物語」であるとするならば、大河というのは「天下国家の物語」にほかなりません。つまり、前者は「生活者」の話であり、後者は「政治家」の話です。でも、今回の大河ドラマでは、「生活者」の視点と「政治家」の視点がぶつかりあい、そのこと自体が、物語にとっての最大のダイナミズムの源泉になっている。これは、過去の大河にはなかったことです。大森美香が大河を書く、ということの意味は、まさにこの点にあるのだと思う。それはとりもなおさず、渋沢栄一という人物が、「生活者」でありながらも「政治家」であった、「百姓」でありながらも「武士」であった、ということでもある。そのような人物を描くうえで、大森美香ほどふさわしい脚本家はいなかったのだと思います。
2021.05.03
元祖 FIRST TAKE の萌歌による、3度目のパフォーマンスは「よるのあと」でした。印象的だったのは、小島裕規、大月文太、山本連、福岡高次の4人による、そぎ落とされた透明なサウンド。ジャズ的というか、細野=ティンパンアレー的というか、必要最小限の繊細さ。Piano & Drum machine:YaffleGuitar:Bunta OtsukiBass: Ren YamamotoPercussion : Takashi Fukuokaついでに小袋成彬の作った「天気」も聴きなおして、あらためていい曲だなあ、と再認識しました。
2021.05.01
BS11の「アニソンデイズ」を配信で視聴。由貴ちゃんと武部聡志が出演して、めぞん一刻の「悲しみよこんにちは」と、コクリコ坂の「さよならの夏」を披露しました。◇手嶌葵が歌った「さよならの夏」は、谷山浩子×武部聡志の書下ろしではなく、万里村ゆき子×坂田晃一が作った古い曲なのだけど、これが斉藤由貴にぴったり!!こりゃあ、レコーディングの可能性大だなあ。もともとは、1976年の森山良子の曲です。古い!!横浜を舞台とした日テレの同名ドラマの主題歌。岩下志麻と細川俊之の不倫メロドラマで、原作は、原田康子の小説「廃園」だそうです。「森 雪之丞」が「森雪 之丞」になってる(笑)。もりゆき これじょう?萌音も高橋留美子つながり!5月14日まで配信中です。↓わたしのTwitterからリンクで跳べます。Anison Days 第198回斉藤由貴/武部聡志/高橋留美子/宮崎吾朗https://t.co/fgoboLVZNM— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 1, 2021
2021.05.01
プレバト俳句。お題は「分別タイプのゴミ箱」。今回も「異議あり!」ってほどのことじゃないけど、個人的な感想です。◇東国原英夫。ユンボの一撃 花冷えのごみ屋敷すごい俳句ですね…。美しさとはまるで無縁の、むしろ暴力的で醜悪な場面を詠んでいます。東国原の手にかかったら、きっとゴジラが暴れてる場面でも、俳句にしてしまうんだろうなあと思わせます。◇梅沢富美男。春愁をくしゃと丸めて 可燃ごみ一物仕立てのようにも見えるのだけれど、主人公の動きもあるし、「くしゃ」という擬態語は心情も感じさせるし、ゴミ箱(もしくはゴミ置き場)も見えてきます。この場合の「春愁」とは《丸めたもの》の比喩ですが、具体的に何なのかというところに、想像の広がりも生まれます。紙かもしれないし、布かもしれないし、ビニール袋みたいなものかもしれません。花粉症の鼻水?文章を記した紙切れ?煩わしい手紙やダイレクトメール?スナック菓子の袋?汚れものや、断捨離で出てきた衣類?その想像の広がりも、一物仕立てとは感じさせない面白味なのかもしれません。
2021.05.01
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