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2004年9月20日早朝、いきなり2リットルもの血を吐いて倒れ、始めはそれなりに意識が薄かったものの、だんだん意識が戻ってきました。 そんなときに救急隊員の方が2名(3名だったかな?)、私の部屋に駆け込んできました。 早速バイタルチェック。 まあ、バイタルもなにも、倒れた本人の意識がはっきりしているのですから、一気に悪くなることもないだろう…などと高をくくっていたら、私の身体をチェックしていた隊員から掛け声が聞こえてきます。 「瞳孔確認」 「トウコツ(橈骨?)弱い」 「血圧…35」 な…なんですと? おそるべき低血圧! いやもう驚きました。人間の血圧ってそこまで下がるんですね見方によっては、それでも意識が明瞭な自分に驚いたほうがいいのかもしれませんが。ともあれ血圧30台という未知の世界でした。どうりで身体が寒かったわけだ そんなのんきな私を尻目に、彼女は身支度を整え、救急隊員の方は私を毛布にくるんで、さらにシートに載せて手運びでエレベーターまで。担架はエレベーターに入らなかったようです。多分このとき救急隊員の方にとってよかったのは、私の体重が軽かったことでしょう。もしアヤシク太っていたら、下まで降ろすのにもっと時間がかかったに違いありません。 1階でシートごと担架に乗せられ、そのまま救急車のなかに移動しましたが、最近の救急車、高規格救急車というのでしょうか、隊員の負担を軽減するように作られているみたいです。というのは、担架を人力で車内に押し込むのではなく、機械でリフトアップするのです。ウイイインと作動音を聞きながら、視点が見慣れた玄関前の光景から救急車内へ。意外に広く、どうも医療用具などは足元に整頓されているように見えました(もっとも血が薄くなっているときの記憶なので、あまりあてにはなりませんが)。 さて、救急車内に私が格納されても、救急車は動き出す気配がありません。ご存知かもしれませんが、患者の搬送先が決まらないと救急車は動き出せないのです。 9月20日、月曜とはいえ、敬老の日の振替休日。時間はまだ8時前。搬送先の病院を探すのに手間取っているようです。 10分くらい経過したかどうか、自分の感覚ではそれくらい経ってから、ようやく救急車が動き出しました。閑散とした街を揺れも少なく運ばれたのでした。
2006/10/31
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札幌駅北口で喧嘩をした翌日、2004年9月20日の朝。 ホテルの夜勤の仕事がなく、自宅で寝ていたのがよかったのかどうか…。 ともあれ、すべてのコトの発端は、この朝から始まったのでした。 喧嘩してから腹部に違和感を感じていたので、夕食もあまりすすまず、自分にしてはかなり早い時間に寝床に入ったためか、目が覚めたのは6時台だったと記憶しています。 そして、目が覚めたのは、熟睡したからではなく、胃の不快感によるものだとすぐ思い知らされたのでした。つまり起きぬけにかなり激しい吐き気に襲われたのです。いや、もう吐きそうです。うえっぷ。 当時の私の部屋は、かなり複雑な構造をしておりました。寝ているロフトベッドから、ベッドの脇の狭い空間をくぐりぬけて、作業用の机を回りこんで、トイレまで行かなくてはなりません。さらに日頃の無精で、床には本などが散乱しておりました。 私はロフトベッドをふらつきながら下り、ベッド脇の狭い空間をくぐりぬけた辺りで、不意に記憶をなくしてしまいました。 気がついたら、自分が床に倒れています。あれ?なんかヘンだな?近くにあった机を手探りに立ち上がろうとするのですが、体に力が入りません。異変に気がついた彼女が心配そうに私を見ているのですが、私はノーテンキにも「だいじょうぶ。らいじょうぶ」なぞと答えていたようです。 -あとで彼女に聞いたのですが、すでに私はこのときに吐血しており、着ていたTシャツの胸の辺りを赤く濡らしていたそうです。 ようやっと立ち上がり、本当にフラフラしているのを、自分でも感じていました。しかし吐き気はまったくおさまらず、朦朧としたアタマでトイレの方向に歩いていきました。倒れた地点からトイレまでは、約10歩ほど。しかし何歩歩いたのかはもはや覚えていません。 またしても気を失い、床に転倒したのでした。トイレのドアまであと2歩ほどの位置。 気がついた私は、不思議なものを目にしました。視界に入る限りの平面が赤くぬられていたのです。赤?事態、ここに至って、自分が吐血したのだとわかったのでした。ついでに言うと、頬がすこし痛かったのですが、これは彼女が何度かひっぱたいて起こしてくれていたみたいです。とはいえ、意識が覚めたばかりで、アタマの回ってない私は、この期に及んでトイレに吐きに行こうと動こうとしたようです。当然彼女が制止した上に、体に力なぞ入るわけもなく、意識の中だけがもぞもぞしていたのですが。 彼女はあわてふためきながらも、電話で救急車を呼び、さらに私の意識があるのを確認しました。いまにして思えば、この晩一人で寝ていたらどうなっていたのか、恐ろしいものがあります。たった数分の間の彼女の処置は、まさに適切だったと思います。 で、血を吐いていたにもかかわらず命拾いした私ですが、薄い記憶の中で、実は安堵したことがあったのです。それは、血を吐いた位置が本棚の前だったのですが、その本棚には、私の青春を賭けて?収集した貴重な資料群、名づけてモスバーガー文庫が並んでいたのです。ところが幸いなことに、血はそこまで飛び散っていない様子。どうも資料を廃棄することは考えなくてよいようです。 …さらに不幸なことに、このとき棚に並んでいたモスバーガーの資料群が無事だと確認できるほど意識がはっきりしていました。もう意識を失うことはないと思えたのですが、その時に自分の下半身も濡れていることに気がついたのでした。そう失禁かましていたんです。いやあ~ん。 そしてその意識がはっきりした状態で、その後想像を絶する地獄を肌身に感じざる得ないのでした…。 -ちなみに、このときの吐血量については、のちに内科の担当医にこんな風に言われたのでした。「いやあ元気になったねぇ。だいたい2リットルくらい吐血したというのに」 ええ、実話です。マジメに死にかけたんです。ハイ。
2006/10/30
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男は黙って8・コスモバルク明後日GI天皇賞(秋) え?違うんですか?日ハム優勝?確かにおめでとうございます。あ、これも違う。 という前座はどうでもよくて、語り始めることになるのですが、それ以前にプロフィールにも書いていない自己紹介を。 私はいま31歳。ガンが発覚したときは29歳だったということになります。おいおい書きますが、私がかかったガンは表層進展型の胃部腺癌であり、いわゆるステージでいうとIaとなります。担当医によれば、私の年齢でこのタイプの胃ガンはすこぶる珍しいそうです。さて表層進展型とはいえ、かなり広範に癌が拡大していたので胃の全摘となりました。 まあ、これから書くのは30前の若い?男が、ガンが発覚して胃をとって退院するまでの一部始終のメモ、ということになります。とはいえ、多分あんまり暗いハナシにはならないでしょう。「なによ、バカ」と、彼女は私に叫びました。とき:2004年9月19日午後3時ころところ:北海道札幌市北区札幌駅北口ロータリーじょうきょう:誰がどう見ても喧嘩 彼女と私がどうしてそんな喧嘩を、しかも衆人環視もはばからない札幌駅前(北口でよかった。南口ならもっと人目を引いていたであろう)でかましていたのか、理由はまったく覚えてません。どうせたいした理由ではないですが。 彼女は休みの日。私は夜勤明けで、たしか昼頃までサービス残業をしていたんだと記憶してます。当然寝てないので、体調は万全とは言いがたい状況でした。 よくある?言い争いですが、たわいのない喧嘩を続けているうちに私の体が悲鳴らしきものを上げてきたのです。 おながが内側から圧迫されるような、重量感を持ちはじめたのです。胃が重くなるというような形容がよく合うような、痛くはないけど無視できない不快感。 この胃が重くなる感覚は、以前(といってもこの喧嘩のときよりはるか以前、2002年の秋だったか?)にもあり、胃薬を飲んで楽になったことがあります。基本的に胃腸はそんなに弱くはなく、下痢もそんなになかったのです。まあただ、ストレスに弱いことがあり、精神的にやられ続けると食欲が減退することは多々ありました。 私は彼女にこの不快感を訴えました。が、状況が状況、喧嘩の勢いもまだ止まってなかったこともあり、訴えは却下され、彼女はずんずんとあさっての方向に歩き始めました。優先順位は胃の不快感より彼女の低気圧。あさっての方向に歩き続けたらきっと道に迷ってしまうでしょう(あ、言い忘れましたが、彼女はトンデモナイ方向音痴で、だいたい目的の方向の逆に向かってしまうという症状があります。私の知人の中でも3番目にランクされる方向音痴です)。 どうやってなだめたのか不明ですが、その後彼女と一緒に夕食を摂りました。しかし私の胃はなだめても聞いてくれず、不快感はそのまま残っていました。このときはなんともないと思ったので、胃薬を飲んでやり過ごしました。思えば、間違いなくprologueは続いていたのです。 胃薬が効いたのか、いくぶん楽にはなりましたが、まだ完全に不快感を払拭できたわけではありませんでした。しかし気にして何かするとしても、もう夜。10時をまわっていました。仕事も休み、仕事空けてからも寝てないので1日以上起きていました。まずは寝ましょう。 ということで、寝ることに。起きたらトンデモナイことになるとも知らずに。
2006/10/27
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お久しぶりでございます。いかがお過ごしでしたでしょうか?多分忘れ去られているようにも思いますが、気にせず話をつづけます。超大型連載を始めます!! なにをはじめるのか?まだ終わってない連載もあるのに!いえいえ。実は以前からこっちの連載のほうをやりたかったのです。タイトルは↓【笑撃】ガン手記 連載のほうにも書きますが、私mosguriは2年前に胃ガンと診断され、胃を全部摘出しております。そのときの様子を書きとめておこうということで、連載企画でぶち上げます。【笑撃】とはちょっと不謹慎なタイトルですが、私自身、笑っちゃうような出来事が立て続けに起こったんですよ。ということで私の身に起こった「真実」を、できるだけ克明に書き記してみたいと思います。どうぞよろしく。…って、続くのか
2006/10/25
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義理が立たないので、いきなり昔の更新をしちまいましょう。 10月1日、ばんえい岩見沢開催の最後を彩る重賞・第42回岩見沢記念です。意地でも見に行くつもりだったので、夜勤明けの残務をさっさと終わらせて、バスを乗り継ぎ、岩見沢競馬場まで。雲があるものの、心地よい秋の一日でした。 まずは出走表を見てみましょう↓ちなみに発走は16:30.馬番馬名性齢斤量kg騎手1トモエパワー牡6830坂本東一2スターエンジェル牝6810藤野俊一3サダエリコ牝6820安部憲二4アンローズ牝7810藤本匠5ヒカルセンプー牡9830高橋洋典6シンエイキンカイ牡9830大河原和雄7ミサイルテンリュウ牡7840鈴木恵介8ミサキスーパー牡9830鈴木勝堤9プリンセスサクラコ牝5810細川弘則 またスーパーペガサスは出走回避です去年のような裂蹄とか、そういう悪いことでなければいいのですが… とはいえ、この岩見沢記念、ある馬が優勝するととんでもない記録になります。その馬とは、4・アンローズ そしてその記録とは、牝馬による史上初の同一重賞3連覇 そう、昨年の岩見沢記念、mosguriも現場で観戦しましたが、第2障害で腰をつけてしまったスーパーペガサスを尻目に、アンローズが見事に先行、そのまま優勝したのでした。一昨年は見てないのですが、ともあれ、牝馬による同一重賞3連覇、並大抵の記録ではないです。 というわけで、当たらぬmosguri予想ですが、当然4・アンローズから考えます。だいたいこの馬は岩見沢を大得意にしていて、すでに3連勝。他の馬がアンローズを負かすのを想像できません。ということで2着を検討することになりますが、これがちょっと難解。 まず春先に成績の良かった7・ミサイルテンリュウですが、岩見沢での成績があまり芳しくないのです。牝馬でアンローズとともに人気のある3・サダエリコは、浮き沈みが激しくどうはんだんするか。旭川で連勝のインパクトがあるものの岩見沢で冴えない1・トモエパワーは、今回乗り替りでベテラン・坂本騎手。岩見沢相性抜群の9・プリンセスサクラコは、乗り替りが相次ぎ細川騎手。…となると、先のばんえいグランプリ2着と復調ぎみの8・ミサキスーパーあたりが対抗格といえそうです。 そんなわけで予想は馬単4→8を本線に、4→3・9・1・7まで。 ゲート開いてスタート。 まず第1障害は9・プリンセスサクラコが堂々先行。私は不覚にもこのとき声を上げてしまいました。なにしろ9・プリンセスサクラコは先行スタイル。大逃げを期待しました。 が。世の中そんなに甘くない。最初に第1障害を下りたはずの9・プリンセスサクラコは、2歩進んでは止まり、また2歩進んでは刻み、立ち止まる回数が多くなってしまいしました。そうこうするうちに馬郡に抜かれ、最後に障害を下ったはずの6・シンエイキンカイにも、中間点付近で抜かれてしまいました。 一方の先頭は、本命4・アンローズ、次いで8・ミサキスーパーが優位に第2障害の手前。溜めるが早いか、藤本騎手の手綱が動いて4・アンローズが一気に第2障害へ。負けじと8・ミサキスーパー、7・ミサイルテンリュウが順に障害の天板を目指す。他の馬はまだ仕掛けられない。4・アンローズが足掻いて、腹が砂地に付きそうになるも、1度2度と小刻みに立て直して、一気に障害をクリア。8・ミサキスーパーが3馬身ほど遅れて障害越え。 ところが障害を下りてからの4・アンローズの動きが違う。もたつき始めた8・ミサキスーパーを尻目に、脚の動きも整ったまま、ずんずん先行。差が広がる一方の横綱競馬。確かについで、6・シンエイキンカイが障害を下って追いかけるも、もはや間に合う距離ではなく、4・アンローズがゴール。見事に牝馬による史上初の同一重賞3連覇達成 2着は、足の止まった8・ミサキスーパーを捕らえた6・シンエイキンカイ。3・サダエリコは第2障害で詰まってしまい見せ場もなく、9・プリンセスサクラコも最後の直線にたどり着くまで時間を要しすぎた。 結果↓ 1着 4・アンローズ 2着 6・シンエイキンカイ 3着 1・トモエパワー 4着 8・ミサキスーパー 馬単 4→6 \4930 外 シンエイキンカイは考えてなかった…。いや1着がアンローズでこの配当ということは、かなり穴目といえそうです。 やっぱりアンロースが強かった。そんな1日でしたが…馬券的にはボロボロでした
2006/10/01
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