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その日のまえに7編からなる短編集で、そのいずれにも、身近な人の死が絡む。そこへ向かっていく、あるいはそこから離れていく家族や友人らの心の機微がテーマとなっている。ひととおり読み終えて、何だか自分の死生観がガラッと変わったような気になった。「死」とはただ単に「怖いもの」、「悲しいもの」、「おっかないもの」であり、家族に死なれた遺族たちには「かわいそう」、「お気の毒」といった通り一遍の感情しか持ち合わせていななかった私にとって、内面に悲痛な叫びを閉じ込めながらも、日々淡々と過ごす登場人物たちの姿は、かえって清々しくすら映る。あらかじめ死期が定められてしまうと、一時は悲しみのどん底に沈んでも、その後は悲しみをも通り過ぎてしまうものなのだろうか。表題の話に登場する末期がんの女性は、迫り来る「その日」のために、身辺を整理したり、行きたい所には行っておいたり、自分の死後のことについての雑多な指示を家族宛に書き留めておいたりしている。変な例えだが、勤めていた会社を退社するときに、デスクの引き出しの中を整理したり、引継ぎ資料を整備したりするのに似ている。私もかつてサラリーマンだったから、当然そういう経験はした。あのときの感じと同じようなものかな、と思えば多少は気がラクになるのかもしれない。そう考えると「死」というものは、人間が「この世」という職場を「退職」するというのに等しいといえる(もっとも「円満退社」でなくてはならないが)。実際、私も勤めていた会社を退職するとき、「この同僚の大半とは、もう死ぬまでに再開することは無いかもしれない」などと思ったくらいだから。また別の話の中には、このようなニュアンスの一節もある。つまり人生というのは1本の電車であり、その電車にいろんな人が乗っている。人の生き死にとは、その電車に乗り降りすることで、たまたま自分よりも前に電車を降りてしまう人がいるということだ、と。このような死生観に、私は大いに納得させられた。先日見た映画『おくりびと』で描かれる死生観とも、どこかしら通じるものがあるようにも思った。また少々ネタバレになってしまうが、この本に所収された7つの短編は、読み進むにつれどこかでリンクしてくる。私はこういう仕掛けには弱いのだ。つい涙腺が緩んでしまいそうになる。ただ涙腺が刺激されるのはそのせいだけでもなさそうだ。この小説を書いた重松清氏は私と同い年であり、そしてこれらの短編に出てくる主人公たちも、概ねそれと同年代という設定になっているからだろうか、何となく身につまされるものがあるのだ。
2008年11月30日
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今日届いた郵便物の束を確認していると、『日本電電広告株式会社』というところからの封筒を見つけた。表には、「広告料金振込案内書」と但し書きされている。あっ、これはもしや...........と思って、早速中を開けてみると、やっぱり、噂に聞く「広告詐欺」だ。裏を返すと、「45,400円」の振込用紙になっていて、「10日までにお近くの郵便局へ!!」と書かれている。以前からNTTのお知らせなどでも、「タウンページ広告の切抜きを添付して料金を請求してくる悪質な業者がありますので、お気をつけ下さい」ということを聞かされていたが、実際に目の当たりにすると、不謹慎な言い方になるが、「おお、とうとうウチにも来たか!」といった感慨すら覚えてしまう(笑)。ただ私が思っていたことと多少内容が違っていたところは、単に「タウンページ広告の料金を請求する」ということではなく、「これと同じものを、当社独自の全国官公庁電話番号広告簿に掲載するので、代金振込を以って契約締結としたい」というもの。何だか詐欺にしてはちょっと迫力に欠ける。だいいちウチの店のことを全国の官公庁に宣伝してもらっても、何のメリットも無いもん。ちなみにこの『日本電電広告株式会社』という会社名で検索をかけてみると................いや~出るわ出るわ!おびただしい数のサイトやブログ!もちろんそのほとんどが、「こんなところからこんな請求書が来ました.......」といった報告モノや、「皆さん気をつけましょう」と注意を喚起するもの。しかしこれだけネットやメディアで大騒ぎになっているにもかかわらず、それでもこうやって送ってくるというのは、まだまだこれで騙される人が大勢いるということなんだね。皆さん、くれぐれも気をつけましょう。
2008年11月28日
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ある日私の耳に、不意に飛び込んで来た歌の中に、こんな一節があった。 僕の声が続く限り 隣でずっと愛を唄うよ 歳をとって声が枯れてきたら ずっと手を握るよ何だかこの他愛のないフレーズに「ズドォーン」とやられてしまった。何の技巧もない、しかし限りなくピュアでストレートな詞に、すっかり参ってしまった。歌っているのは『GReeeeN』、『愛唄』という曲だ。私はあまりよく知らないが、確かヒップホップ系のグループだったろうか。よく知らない分際でエラそうなことも言えないが、最近のヒップホップ系の歌はよく聴いてみると、思ったよりもこういった素朴な歌詞が多いような気がする。他にも『SEAMO』の歌う、『MOTHER』なんて曲の歌詞も、結構泣かせる。また、やはりここのところ元気なフォーク系のアーティストたちも、いわば「言葉で勝負」する人たちだ。一時期に比べて歌詞へのこだわりが、歌う者、聴く者それぞれの心の中に、等しく芽生えてきている証拠だろう。切れ切れの言葉の破片をあたかもデジタル処理したようにつなぎ合わせて、規格大量生産のように曲作りをしていた、某詐欺容疑者の描き出す世界とは、全く相反するものだ。
2008年11月25日
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我が長男が現在、交友関係でちょっとしたトラブルを抱えてしまっている。本人も辛いだろうが、毎日わりと気丈に学校生活を送っている。ただ妻の方が、そのことでやたら気に病んでしまっている。受験を控えた大切な時期だけに、変な風に影響しないだろうか、という懸念があるようだ。夜もなかなか眠れなかったり、食が細くなったりと、かれこれ20年近く一緒にいる私が、「オマエってこんなにナイーブだったっけ!?」とびっくりするほどだ。とりあえず努めてハナシを聴いてやったりはしているものの、私も子供の同級生のことなどあまり知らないだけに、どうしても限界がある。しかしそんな彼女にも、心強い味方がいる。母親同士のコミュニティがそれだ。この地ではいわゆる「ヨソ者」の妻ではあるが、彼女は私と違って生来の社交上手で、PTAの役員を務めたり、同級生の親同士のランチの会などに顔を出したりしているうちに、どんどんと友達を増やしていっている。それがこの期に及んで非常に大きな助けになっているのだ。とにかく長男は私に似て、学校での出来事、特に友人とのことなどは全く話したがらないのだが、母親ネットワークを通じてあらかたの情報は入ってくるから、問題の全貌は何となくつかめる。またそれにも増してウレシイのは、皆さんがウチのムスコのことを我がことのように気に掛けて、そして悩める妻を励まして下さっていることだ。またある同級生のお父さんには、子供の中に入って仲裁に乗り出していただいた。妻は本当に良い仲間に恵まれている。本当にありがたいことだと思う。
2008年11月22日
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昨年あたりから、『ボージョレ・ヌーヴォー』もそろそろ頭打ちかな、という感はあった。なにせウチの店では、解禁日の当日はまだしも、翌日以降はほとんど買い求める人がいなくなっていたし、勢い込んで店頭に並べたスーパーやコンビニでも、大量の不良在庫が出ていたようだから。だから今年の輸入量が大幅減というニュースを聞いて、さもありなんと思った。そしてここへ来てまた気になるニュースが入ってきた。大手スーパーで解禁日を前に急遽値下げをするところが出ているようで、しかもその価格が1,000円台前半というではないか。円高差益還元、というのがその根拠らしいが、ちょっとありえない価格だ。ひょっとしたら、見込み仕入れした分が早々に捌けそうにないという空気を感じての「投げ売り」ではないか、とも思える。ただこうやって価格競争に突入するとなると、もはやブームとしては終焉を迎えたということに他ならないだろう。実際ウチの店でも、昨年は解禁日だけはそこそこ売れたものの、今年は解禁日当日(つまり、今日)でさえ、販売量はかなり寂しい。まあ負け惜しみで言う訳ではないが、『ボージョレ・ヌーヴォー』自体、そんなに全身全霊をかけて懸命に売り込むというような商材ではなく、そこそこのニーズがあるならせっかくだからウチで買ってもらおう、という程度のものだ。実際今まで見てきても、『ボージョレ・ヌーヴォー』をキッカケにワインの世界にのめり込んで、他のワインをいろいろお買い上げいただけるようになった方というのは、意外と少ないしね。『ボージョレ・ヌーヴォー』の購入者の多くは、1年間でこの時くらいしかワインを飲まない、という方だったりする。本当に「お祭」みたいなものだ。だから飽きが来れば、それで終わりになるかもしれない。そしてそれがちょうど今この時期かもしれない。ただこのブームにはサイクルがある。今のブームは2003年の「当たり年」からだ。その前は1990年代後半の、「ポリフェノール」に端を発する「赤ワインブーム」のとき。そしてさらに遡ってバブル絶頂期の1980年代後半、この時がおそらく最初ではなかったか。『ボージョレ・ヌーヴォー』もこうしてみていくと、もうそろそろここでブームも一段落して、また次なるブームの到来(歴史は繰り返す)までは、多少静かな状況になるだろう。まあ我々のように、毎年コレに携わる宿命の者にとっては、逆にその方が気がラクでもある。本当にコレが好きな者だけが、納得して購入して飲んでもらえばそれでいいのだ。
2008年11月20日
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森見登美彦氏の『有頂天家族』という本を読んだ。現代の京都を舞台に、天狗とタヌキと人間が入り乱れて繰り広げる、バカバカしい中にもタヌキの家族愛についホロリとさせられる作品だ。特に中盤からラストにかけての疾走感あふれる展開は、なかなかスリリングで面白かった。まあ今日は、ストーリーのことはさておいて.........。この物語の主人公(タヌキである)の兄弟全員が薫陶を受けた先生(天狗である)の名前が、『赤玉先生』という。もっともれっきとした名前は別にあるのだが、あることがキッカケで神通力が薄れて隠居して以来、『赤玉ポートワイン』ばかり飲んでいることから、このような呼び方をされるようになった、と説明されている。だが、ここにひとつ、モンダイがある。現代の京都を舞台にしているにもかかわらず、現在『赤玉ポートワイン』なる商品は存在しないのだ。えっ!?.....と思われる方もいらっしゃるかもしれない、しかし本当に無いのだ。もっとも厳密に言うと、かつてそう呼ばれていた商品が、今では『赤玉スイートワイン』という名前でサントリーから販売されているのだ。断っておくが、これをネタに作者を批判するつもりはさらさら無い、というか、ウチの店にも「赤玉ポートワインください」と言って買いに来られる方が、いまだに多いのだ。それだけ『赤玉ポートワイン』という名前は、日本人のアタマの中に深く浸透しているということが言えるだろう。ではどうして、『赤玉ポートワイン』が『赤玉スイートワイン』という名前になったのか?もともと「ポートワイン」というのは、ポルトガルで造られる甘口ワインのことで、おそらくサントリーがそれにあやかって名付けたものだろう(100年も前のことだ)。しかしながらことワインに関しては、様々な国内法や貿易規定に縛られている欧州のこと、当然ながらポルトガルから遥か離れた極東の地で、本場の「ポートワイン」とは似ても似つかぬものを、あえて「ポートワイン」と銘打って売っているのを見過ごすはずはない。そういうわけでポルトガル本国からの抗議を受けて、止む無く商品名を『赤玉スイートワイン』に変更したのが、1973年のこと。以来35年もの間ずっと『赤玉スイートワイン』として売られているにもかかわらず、いまだに『赤玉ポートワイン』と呼ぶ人がこれほどまでに多いというのは、よっぽど最初の『赤玉ポートワイン』のイメージが強かったんだろう。35年もの間、ずっと“旧称”で呼ばれ続ける商品なんていうのも、それが良いのか悪いのかは別にして、他にはまず見当たりそうにないな。
2008年11月17日
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プロ野球のアジアシリーズが始まった。日本からは日本シリーズを制した西武が出場しているが、他の各国の参加チームの名前を見て、思わず笑ってしまった。台湾代表が『統一7-ELEVEnライオンズ』中国代表が『天津ライオンズ』つまり『西武ライオンズ』を含め、4チームのうち3チームが『ライオンズ』ではないか。こういうのも珍しいね。しかしアジアでこれだけありふれた名前だが、メジャーではお目に掛かったことがない。アメリカにはライオンっていなかったっけ?ちなみに残る1チームは、韓国代表の『SKワイバーンズ』だ。ただ、「ワイバーン」というのもよくわからない。
2008年11月14日
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高校受験を来春に控えた長男のことを巡って、現在妻とちょっと意見が対立している。長男の勉強時間のことについてだ。妻から見ると、どうしても長男の勉強時間は少なすぎる、その分テレビやPC、携帯メールなどに費やしている時間が長すぎる、というのだ。それをことあるごとにクドクドと注意するのだが、素直に言うことを聞くどころか、かえって彼の神経を逆なでしてしまっているようでもある。それに対して私は、勉強するもしないも本人次第、勉強が足りなくて志望校に行けなくても、それは本人にはね返って来ることだからそれでいいじゃないか、とわりと鷹揚に構えている。ただそんな私の感覚が妻に理解されないので、時折口論に発展してしまう。子供がまだ小さい頃には、私はいわゆる教育ママみたいにはなりたくない、そう言っていた妻だが、それほど極端ではないにしろ、私から見れば一端の教育ママになりかけている。ただ妻が口うるさく言うのも、分からないでは無い。というのも、妻はかつて自身の高校受験のとき、勉強を怠ったがために直前で志望校をワンランク落とさざるを得なかった、という苦い経験があるのだ。だから自分の轍をムスコには踏ませたくない、という気持ちが強いのだ。その気持も分からないではないが、それとこれとは別だと思う。我が長男は、あまりこういうことを言うと手前味噌に聞こえるかもしれないが、いたって「マジメ」なヤツだと思う。自分でキッチリと志望校も決め、気合いだけは入っている(ように見える)。しかし如何せん、コイツは父親に似て、エンジンの掛かりが遅いのだ。なかなか勉強する気にならないから、ついつい他の娯楽系のものに手が伸びてしまう。それが妻には気に入らないのだ(ちなみに妻は子供の頃から、エンジンの掛かりはすこぶる良かったらしい)。ただ長男もエンジンの掛かりは悪いものの、ノッてくるとそれなりの集中力は発揮していると思う。それは私にはよく分かる(同類だもん)。しかし妻にはどうしても、あまり勉強していないように見えるらしい。妻は何かと口うるさく言って、長男を机の前に座らせようとしているが、私に言わせれば、イライラモヤモヤした精神状態で机に向かっても、能率なんて上がりっこない。あくまでも「自発的に」やるようにならなければ、頭に入らないのではないかと思う。そうするためのサポートが、親として必要なことだろうと思う。そう、ちょうど『北風と太陽』の例えと同じことだ。とは言っても、本人が自発的に勉強するようになるにはどうすればいいか、あいにく私もそれに対する明確な答えは持ち合わせているわけではない。もうちょっと時間が経過して、いよいよ切羽詰った状況になってくれば、否が応でも変わってくるとは思うけれど.........。ただ妻は、そこまで待てないようだ。子供の受験なんてもちろん初めてのことだし、私たちの頃とは全く勝手も違っている。4ヵ月後の受験日まで、何かと試行錯誤の日々が続きそうだ。
2008年11月12日
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仕事で使うクルマの中には、いろいろと「お口のお供」が常備されているが、その中でも「のど飴系」は必須アイテムだ。普段はコンビニで買うので、だいたいいつも同じような「レモン系」or「梅系」ののど飴になるのだが、以前ムスメが遠足のおやつを買いに行くのに付き合って、久し振りにスーパーのお菓子売り場に足を運んだ際、非常に懐かしいものを見つけた。黒飴の『那智黒』だ。私の祖母がこれがお気に入りだったので、私が幼少の時には家には欠かさず置かれていて、私も頻繁に舐めていたという記憶がある。しかしいつしか私の記憶からは、完全に遠い存在になってしまっていたのだ。懐かしさから思わずひとつ買い求めて、早速クルマの常備品となった。早速舐めてみると、何とも言えない懐かしい味がした。ちなみに袋の裏面の「原材料表示」を見てみると、<砂糖・水飴・黒砂糖>としか記載されていない。つまり添加物など一切使われていないのだ。参考までに後日他のメーカーの黒飴の「原材料表示」を確認したところ、いずれも何らかの添加物が例外なく使われていたから、そう考えると『那智黒』というのは、いまどき稀有な存在なのかもしれない(その代わり、他の黒飴よりも高いが)。ところで『那智黒』といえば真っ先に思い出されるのが、しわくちゃのおばあちゃんと黒人男性が一緒になって踊る、あのテレビ・コマーシャルだ。このふたりの、意表をついた取り合わせも斬新だったが、たどたどしい口調で「イェース、クロアメッ、ナチグロゥッ!」と叫ぶ黒人男性に向かっておばあちゃんが言う、「エッ、アンタ那智黒知ってんの!? さっすが、国際人だね~」というセリフもなかなか妙味があって面白かったのを覚えている。ひょっとしたら放映エリアが狭くて、「そんなの知らない」とおっしゃる方も居るかもしれないが、たまたま那智黒のHPにアクセスしたら、当時のCMの画像がアップされていた。雰囲気だけでも掴んでいただけるかと思うが............。
2008年11月09日
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またまた先日長野へ行ったときのハナシの続きである。いつもならクルマで出かけるところだが、ガソリン代も上がっていることだし、参考までにクルマと鉄道と両方の交通費を比較してみたら、なんとクルマで行くほうが8千円も高いということに気がついた(ちなみにクルマは高速道路利用、鉄道は特急列車利用)。まあ今回の行き先はたまたま駅から歩いてスグのところでもあるし、お酒を口にすることもあるだろうから、ということで今回は列車で出かけた。列車で長い距離を移動するというのはずいぶん久し振りのことだが、これがなかなか良い。沿線の景色を存分に堪能できるのは、クルマにはない楽しみだ。クルマだと運転に集中しなければいけないから、というのもその理由のひとつだが、そのほかにも、得てして「道路」よりも「線路」の方がより辺鄙なところを走っているから、ということもある。特に長野へ向かう中央本線~篠ノ井線というのは、その行程の大半が“山の中”だ。標高の低いところはまだまだだが、木曽の山々はもうすっかり色づき始めていて、赤・黄・緑・橙などの色がまるで切り絵のように、絶妙のコントラストを描きながら山肌に張り付いている。山あいの村には、たわわに実った柿の木なんかが見られる。まるで日本の「原風景」に触れているような気持ちになって、それだけで心が「ホッコリ」としてくるのだ。またこの沿線には、見所も多い。木曽川の清流に沿って走る中に、有名な『寝覚の床』という名所があるのだが、これが車窓からバッチリと見える。そして長野に着く少し手前には、有名な『姨捨山』がある。なんでもJR姨捨駅から望む、眼下に広がる善光寺平の大パノラマは、旧・国鉄時代から「日本三大車窓」のひとつに数えられている素晴らしいものだ。そしてありがたいことに、特急電車でこれらのスポットを通るとき、車内放送でそのことを教えてくれるのだ。おそらく休日だけのサービスだろうが、なかなか粋な計らいではないか。おかげで姨捨からの風景は、窓ガラス越しにデジカメに収めることができた。かつて私が列車で全国各地を旅して廻っていたとき、常に窓を開け放して車窓から望む風景を何枚もカメラに収めていたことを、ふと思い出した。あ~、またどこかへ行きたくなった。
2008年11月06日
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先日書いた、長野の『川中島 幻舞』の蔵元さんのハナシの続きになるが、ひとつ印象に残ったことがある。それは、蔵の中での作業の中でも、特に昔から重労働であった部分の多くを、機械化しているということだ。日本酒ファンにとって、伝統的なことを良しとする風潮の根強く残る「酒蔵」という場においての、「機械化」という言葉はそれ自体、ともすれば嫌悪感の対象にもなりかねない。特に酒造りの伝統性を「ノスタルジー」とダブらせて考える人にとっては、ガッカリさせられることかもしれない。しかし酒造りの現場に目を転じると、何事もキレイ事では済まされない現実があるのも事実だ。どこの蔵元でも人材不足は深刻だ。杜氏さんはどこでも高齢化していく一方、あとを継いでいく人はなかなか出てこない。蔵人さんたちも同じだ。冬季のみの季節労働という雇用形態も、現代社会の中ではまったく馴染まない。ただ、ここへきて酒造りを志す若い人たちが出始めてきているのは喜ばしいことだが、如何せんまだまだ絶対数は少ない。そんな中で如何に人材を確保するか、如何に少人数でお酒を造っていくか、というのは、これからの日本酒の蔵元の大命題だろう。どれだけノスタルジックな飲み手でも、造る蔵元が無くなってしまっては元も子もないのだ。ただ何でもかんでもやみくもに機械化を図ると、結果的に大手企業と同じになってしまう。機械化することによって大量生産を図るとなると、必然的に杜氏の目の行き届かないところも出てくるだろう。やはり杜氏の経験と勘が判断に活かされるべきところは、従来どおりのやり方を踏襲し、反対に酒質に影響を及ぼさない部分はどんどん機械化していく、という使い分けはなされるべきだと思う。結局最終的に目指すべきは、“良質の日本酒を末永く後世に伝えていく”ことだから、その本質がブレない限りにおいては、機械化云々というのはほんの枝葉の部分でしかない、と思うのだ。
2008年11月05日
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以前このブログでご紹介した、私のお気に入りのひとつ『川中島幻舞』というお酒、このお酒を造っている長野市の『酒千蔵野』という蔵元を訪ねた。まず驚くのがその外観。10年ほど前に新築したというその蔵は、およそ酒蔵とは思えないようなモダンな建物だ。ちなみに道路を挟んだ反対側には、それ以前の蔵がまだ残っている。残念ながら造りはまだ始まっていなかったが、女性杜氏の千野麻里子さんの案内で、蔵の設備などをいろいろと説明していただいた。そしてひととおりの説明をうかがった後、この蔵の様々な商品を試飲させていただいた。ウチの店で扱っているものも多いので、だいたい味は分かっているつもりだったが、いざこのように一度に試飲してみると、なるほど商品ごとの細かなニュアンスの違いに、杜氏の思い入れが微妙に反映されているのがよく分かる。どれをとってもクォリティの高い商品ばかりだ。その後千野杜氏ご夫妻のご好意により、昼食をご馳走になった上に、善光寺参りにまで連れて行っていただいた。のどかな晩秋の信州の1日、大いに堪能させていただいた。どうもありがとうございました。
2008年11月02日
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