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これは朝一番で雪かきしたあとの状態。積雪は25cmほどあったでしょうか?それから昼にも、夕方(ついさきほど)と1日3回雪かきをしているのですが、全然片付きません。こんなに一日中雪かきに追われるのは猪苗代での経験以来初めてです。それでもってまだ雪が降り続いている・・・ もう車2台はすっぽりと雪に埋まりました。1台だけ動けるようにしましたが、これまた道路がすごい状況で、どこへも行けません。猪苗代も大雪だとか。 2週間分の雪かき・・・どうしようかな。 115号線では立ち往生している車もでているというし。
2014.02.15
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夕方、あまりにも暖かかったので自宅周辺を散歩してみました。すると、あちらこちらの家から魚を焼く匂いが・・・ 多分節分の風習のひとつとしてイワシの頭を焼いているんだろうと思われます。 そのイワシの頭をヒイラギの枝に刺して玄関に飾り、鬼よけ(厄除け)にすることは、我が家でも随分前から途絶えてしまっています。そういえば、庭先の隅にあったヒイラギの木もジジイが抜いて捨てちゃったみたいだしなぁ。昔からの風習が消えて、逆に最近は全国的に「節分には恵方巻き」という風潮ですよね?みごとなほどまでのマーケット戦略に風習が飲み込まれたというか・・・複雑です。
2014.02.03
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今日は午後からW中の授業参観&PTA総会&学級懇談会に行ってきました。入学式に出席できなかったせめてもの罪滅ぼし?のつもりでスーツを着て一人徒歩で出かけたのですが、グラウンド内にまで車を止めていいとは思ってもいませんでした。(常識的に野球部のグラウンドに車を入れるって・・・親も親なら学校側もちょっと?だなぁ)今から30数年前に私が3年1組で使っていた教室が息子の1年4組。1階が2年生、2階が3年生、1年生が3階というフロア構成と1組から4組の並びが逆というのもちょっと違和感。学級懇談会ではオトーサンの参加が私だけだったので、大きな体で小さくしていました^^;家に戻ってから息子に聞いてみたところ、卓球部も十数人入部したとか。試合に出場できる人数を考えると、多すぎるような気も。これから始める息子にとってはハードルが高いかな? とはいえ楽しみにして入った部活なので応援するつもりです。で早速自分用のラケットを買いに行ったのですが、最近の卓球用品ってこんなに高いのね、入門用のラバー貼り済ラケット6千円弱を買いましたが、ラバー1枚5千円???両面に貼ったら1万円! バドミントンのほうが安いかも。 試合のために毎回張り替えていたら私の財布が持ちません。
2013.04.27
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庭先の源平桃が綺麗に咲きました。 白・ピンクそして白に赤い模様の花がひとつの枝から咲いています。 花見山入口の目立つ場所なので、みなさんが記念撮影をしていきます、車には気をつけて。
2013.04.20
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3月最後の日曜日は、冬に逆戻りしたような寒い一日となりました。朝は雪や霰が降るあいにくの天気。 それでも個人の観光客が花見山の花々を目当てにやってくるのは有難いことなのか・・・観光バス向けの駐車場もレンギョウの花が咲きだしています。我が家の庭は昨年の除染の影響なのか?いつもならいい香りを醸し出してくれる白梅の花が全く咲いていません。枝を見るとつぼみも見当たらない・・・ なんとも寂しい春です。
2013.03.31
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我が家の目の前にある「花見山ウォーキングトレイル駐車場」および周辺の広場は3月23日までの予定で除染作業が行われています。除染で出た放射性廃棄物はその敷地内に仮置き(埋め置き?)されます。3月10日現在、トイレがある駐車場(モニタリングポストが設置)は表土除去と覆土作業が進んでいます。そのモニタリングポストの値は1月に0.7μシーベルト程度ありましたが、現在はここまで(0.4μシーベルト程度)下がっています。まだ十分に下がっていないと思いますが、その理由はこれモニタリングポストの西斜面はまだ表土を剥いでいませんし、その先に広がる川岸と畑は手付かず・・・・除染作業の影響だけとは思いませんが、週末2日間庭先に置いた車のフロントガラスはこのとおり家屋の除染と違って、飛散防止なんてみかけないからなぁ^^;
2013.03.10
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今日は自宅のある渡利から購入した車を引き取るために(いわゆる納車ってやつですね)市内の郷野目まで歩いてみました。 普段は車で15分ほど、それを歩いてみたらどうなるのか? 運動不足の解消の意味もあるし、あまり車でも通らない道を歩いてみるという意味はあるかなと。まずは自宅から渡利中学校まで行ってみます。途中で気がついたのは何%かの場所で新しい家にもかかわらず人が住んでいる気配がないこと。息子の友達にも自宅を新築しながら山形に避難しているという人がいることは聞いています。そんな理由なのか?はたまた別の理由なのかはわかりません。そして昔(私が子供の頃)には貸家が並んでいた場所のうち何%かが更地になっていました。建物が古くなったからなのか?それとも借りる人が少なくなったからなのか?その理由もはっきりわかりませんが、あきらかに昔以上に空き地がふえていました。それから気がついたのは、「田んぼが田んぼではなくなっていた」ということ。渡利地区は平成24年度の水稲作付を禁止されていました。そのせいでしょうか?田んぼの証である稲の根っこがどこにもありません。雪が降り、土が凍って隆起を繰り返した跡は、あたかも畑のような雰囲気ですが、そこには何も植えられた跡がありません、耕された跡もありません。 今年、平成25年は水稲の作付が認められて田んぼも田んぼとして役割を果たすことができるのですが、この場所に稲は帰ってくるのでしょうか?渡利中学校までは20分ほど、今年の4月からは息子がここを歩くんだろうなという期待と懐かしさ、昔は自転車通学出来たのですが、今は禁止だと聞いていますが・・・確かに渡利地区は道路が狭いですからね。そこからほどなく国道4号線、そして旧4号線へと足を進めましたが、私のように歩いている人とすれ違うこともなければ、自転車を漕いでいる人ともほとんどすれ違いませんでした。ま、雪が残っている場所もあったりしますので、車の方が便利だし安全だとは思いますが、昔の人はここを歩いていたんですよね? 車という文明の利器が無ければみんな歩くのが当たり前だった・・・ 車だったらあっという間に過ぎてしまう交差点も、徒歩で横断しようとすると見えているのに点滅信号になって渡れない、なんてことに驚かされたりしました。時間にして1時間ほど、久しぶりに体が温まって汗もかきました。たまに歩いてみるのもいいですね。
2013.02.10
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福島市の自宅周辺も20cmちかくの雪が積もりました。湿ったこの雪は周辺からの放射線を遮蔽してくれるのではないかな?と思い、私のパソコンのところで測定した結果はこちらです。先日の状態と比較してみると・・・(http://plaza.rakuten.co.jp/obakanno/diary/201301070000/)0.303μSvが0.234μSv 0.22Svが0.09μSvということで、周辺からの影響は0.1μSv程度、雪の下の屋根や壁に残っている放射性物質の影響が0.2μSvくらいと考えられそうです。それにしてもこの雪、明日の朝が心配だなぁ。
2013.01.14
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私のパソコンの上に2つの線量計を置いてみたのがこの写真。上が5千円で購入した エステーのエアカウンターS で 0.22μSv/h下が10万円以上した 堀場製作所のradi 0.303μSv/h検知方式はどちらも同じシンチレーション方式ですが、これだけの差がでてきます。これが9月に除染作業を実施した我が家の2階の現実です。
2013.01.07
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年末年始は除染作業も一休み。除染作業の基地もがらーんとしています。こちらは今日からfacebookのカバーに使用している写真。これが今の自宅近くにあるモニタリングポストの現実。この数値を高いと見るか?それとも随分と下がったと捉えるか・・・ もっとも、この場所は除染をしていなくてこの値で、自宅前は除染後で0.3~0.8μSv/hという幅があって自宅内は0.2~0.3程度と私的には許容できる範囲だと思っています。
2013.01.01
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30日に家族で猪苗代から福島市に戻り、ばあちゃんのお見舞いをしてから私一人だけ風邪をひいてしまい、2日間規則正しい生活をしていました。お正月は3日まで福島市で過ごす予定ですが、福島市はそれほど寒くもなく、雪もない穏やかな天気、猪苗代のライブカメラを見てみるとあっちは雪模様・・・戻ってからの雪かきがちょっと心配かな。今年は家族揃って穏やかに過ごせればいいなぁ~と思います。
2013.01.01
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昨日の夜、いつものようにパソコンの脇に線量計を置いて空間線量を測ってみると0.35マイクロシーベルト/h これでも一時期よりだいぶ下がりましたがバックグラウンドからくる1ミリ+公衆の許容限度どされている1ミリ=2ミリを時間当たりに換算した0.23マイクロシーベルトより高いことになります。 そうなるとやっぱり不安なわけではありますが、現実問題として考えると除染してこの数字、これをもっと下げるにはどうしたらいいのか?と悩んでしまいそうです。ところが、線量計の脇に2リットルのペットボトルを置いてみると、0.30マイクロシーベルトほどに下がります。両側をペットボトル(もちろん水が入っているもの)ではさむと0.25を下回ります。室内でこれですから、四方八方から通過して進入してくるのが放射線(ガンマ線)ということがわかりますね。逆に言うと上手に水の壁を作ればもっと劇的に線量をさげることはできるはず??? そういえばどこかの小学校で窓際にペットボトルを積み重ねて遮断している事例がありましたっけ。そんな風に外部被ばく線量を気にしていかなければならないのが、「福島で生きる」ことなわけですが、どこまでの値(線量)を基準として考えるべきか? 私は「年間5ミリ=およそ0.5マイクロシーベルト/h」として考えていこうと思っています。子どもたちのことを考えると、室内ではほとんどの場所がこの値をクリアしているし、学校や校庭なども0.5マイクロシーベルト以下になっています、問題なのは庭先の一部と近くにある広場(放射線量が計測されている『花見山ウォーキングトレイル駐車場』現時点で0.75マイクロシーベルト前後の線量となっています)そして通学路に潜むホットスポット。いかにこれらの場所に近づかないか、そして注意していくかを子どもたちに教えることがポイントだろうと思っています。避難先の猪苗代ではアパートの室内で0.08程度、外でも0.1マイクロシーベルト前後と全く問題にならない値です。それと比べると3~5倍の外部被ばく量となるわけですが、そういう環境に子どもたちを戻すことは「虐待」なのでしょうか?できることならリスクは低いほうが良いに決まっています、しかし避難することによって失ってしまった何かを取り戻すことも大事なような気がするのです。 その取り戻すべき何かとは、友達との関係だったり、家族の絆だったり、地域の和だったりするわけですが、どれなのかは子どもたち自身に見つけさせてあげたいと思います。猪苗代に避難した経験は、子どもたちにとっても私にとっても忘れられない経験です。迷ったり悩んだり、もしかすると傷ついたこともあったでしょう。でも、この経験は彼らが自立するときに絶対に役立つと思っています。 本当だったら引っ越したり転校する経験はしないままで大きくなっていたでしょうが、今回それが経験できたこと、そして生まれ故郷とは別の「戻れる場所」ができたことは人生で一番の収穫のような気がします。
2012.10.23
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昨日は福島市に戻った後、久しぶりに再開した「空と花」(http://blogs.yahoo.co.jp/kan5300915)にお邪魔してきました。そしていつものように「原発事故が云々、福島はどうなっているんだ云々、これからどうなるんだろう云々・・・という話が繰り返されたのですが、話題の中でこんなものがありました。福島大学や福島医科大学を卒業する人達の県外流出が止まらない、もうすぐ高校入試のシーズンだけれど、優秀な子どもたちが県外の高校進学を考えている事例が増えている・・・つまりは「若者の福島離れ」がじわじわと進行しているらしいのです。小さな子供をもつ親は原発事故の影響を恐れて福島から周辺の県外へと避難している事例が多いわけで、これは放射能の直接的な影響を恐れての行動が主だと思いますが、就職・進学についても福島を避ける行動が増えているということは、福島に対するイメージが必ずしも良いものではない、人生で福島に関わっていることがマイナスに作用することを防ぐための行動と捉える事も出来そうです。若い人達がいなくなり、残った人だけでコミュニティーが成立するのか? 過疎地には昔から与えられていた命題ですが、県庁所在地でもあり都市部とも言われている福島市にもこの問題が少なからずじわじわと影響を及ぼしてくることが分かってきました。「福島」という言葉・地域に重くのしかかった原発事故・放射能汚染という悪いイメージは、簡単に払拭することはできないでしょう。しかし、今までのように「何も考えていなくともそこそこの街・地域として成立していた」という危機感が不足していたこの街は、本気で10年・30年・50年後の街づくりを考えていかなければ、一気に衰退が進んでしまうのではないでしょうか。昨日話をした中では、「さしたる魅力も無く、雇用も無く、悪いイメージだけが先行している限り、若者は街(地域)を出て行くでしょう。それは高齢化が進むということで、高齢者が住みやすい街づくりをして、そのケアという仕事で雇用を造り、高齢者が持つ資産を投下しやすい環境にすることによって周辺環境の産業や雇用が作り出せないか」というアイディアを出してみました。現実問題としては、県や市町村の行政主体で雇用の創出の中心としてきたのは、首都圏に近いという地の利を活かした工場の進出受け入れで、工場のラインで働くという雇用が若者の地域定着に一役買っているものでした。これは今後も一定の効果を生むでしょうが、製造ラインの仕事が若い人にとって一生の仕事となりえるのか?それと同時に世界的な影響を受けて大きく変動している製造業が、数十年後も日本に残るのだろうか?という心配があります。福島に工場進出を促進し、一定の雇用を生み出して若者の定着を図っていくことが成功していた要因の一つに、土着的な産業である農業の存在が大きかったのではないかと推測します。農家の長男は農業を継ぎ、それ以外は首都圏へ働きに出るしかなかった。しかし、工業団地の仕事を得ることが出来て地域を離れることなく済んだ。土地があり農業というバックボーンがあったからこそ、食うには困らない生活に現金収入をプラスすることができる製造業は魅力であり、企業側からも比較的安価な人件費で生産できるというメリットがあったはず。ところが原発事故は福島の農業に大打撃を与えました。福島という土地資産を壊滅的にしました。この土地で生きにくい状況となった今、将来に何を希望を持てばいいのかが分からなくなりつつあります。農業も食という「安全安心」が大原則な分野では、そう簡単に昔のような状況に戻るまでは時間がかかるでしょう。ならば、食ではない農業を振興していくのが一つの方策である気がします。(花見山なんかはその代表例になりそうですけどね)今までとは一味違った街づくりが福島には求められているような気がします。
2012.10.22
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春日の森のにおう朝、吾妻の山が見つめてる・・・(渡利小学校の校歌より)あまつ光に照り映ゆる、吾妻の高嶺仰ぎつつ(???うろ覚え 渡利中学校の校歌より)懐かしい校歌を口ずさみたくなるような、すがすがしい朝です。朝露に濡れるコスモスも何だか新鮮何のへんてつも無い普通の景色が、こんなにすばらしい場所と気づかせてくれるとは思いませんでした。
2012.10.14
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今日で自宅の除染作業も終わり。雨の影響もあるとは思いますが、面白いことに自宅から50mほど離れた場所にある「花見山ウォーキングトレイル駐車場」のモニタリングポストの値が、我が家の除染に比例して線量が下がっています。膨大な面積を除染するには費用がかかり過ぎて効果がないと言われていますが、除染(表土除去)すれば確実に危険因子が減るのですから、やっぱり生活区域のホットスポットは除染すべきですね。我が家の庭も伐採して、放射性廃棄物を埋めるために庭から畑へと通じる通路を拡張した結果、今までは車を3台止めるのがやっとだったのにスペースが広がって+3台はいけそうです。そして気にかけているのが来年中学生になる一番上の子の部屋。母屋の改築で子ども部屋を確保しようと思っていたのですが、これからしばらくの間子供たちの部屋が欲しくなるのは間違いありませんから、思い切って増築したほうがいいかなと。で、南側の広がった土地に子ども部屋を増築するんだったら、1階をガレージにして2階を子ども部屋にすれば・・・と考えが広がり、イメージと似たような増築例を探してみると、1階に2台分のガレージに2階2部屋という増築で550万円! 母屋の南側に増築すると元の1階に光が差し込まないので1階は鉄骨にしようとすると1階の基礎だけで300万超えそう!!! そこまで費用をかけるんだったら、もう一声追加して1000万円くらいの格安住宅を新築したほうがコストパフォーマンスがいいのでは?(土地はあるわけですから)という飛躍をして、「でも何があるか分からないから、8畳平屋のプレハブでもいいか? 費用を見ると10畳ほどのミニログハウスでもいいかな? いや、8畳+ロフトのミニログハウスにすれば家族の趣味の部屋にもなるかな・・・ 目的と費用と理想と現実で思考回路が堂々巡りしています^^;宝くじ当たらないかな、マジで。
2012.09.24
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除染作業がほぼ終了してこんな感じになりました。(除染前の写真はありませんが)隣家との境界は昔から植えてある南天はそのままに、高く伸びた木は大胆に切りました。庭先は大きなシダレザクラを残してきれいさっぱりと。敷地の入口にあるキンモクセイや椿はそのまま残して下土だけ除去(庭先はこれから砂利が戻されます。山砂では流されてしまうので砂利をもどすようお願いしました)裏の勝手口付近は、大きく伸びていた杉の木を全部伐採したため丸見えに。目隠しの生垣が少し残ったくらいです。空間線量は、室内で0.1μシーベルトほど下がりました(radiで計測)除染作業の業者によると庭先の地表面は0.8~1.2ほどだったものが、0.2~0.4ほどに下がったそうです。庭先から通じる畑に梅の木やら柿の木があるので、そちらを伐採すればもっと下がるのでしょうが、今回の福島市による除染作業は住宅周辺に限られるため、農地までは手が入りません。 もっとも我が家の除染後の放射性物質はこの畑の一角に埋めることにしたので、中間貯蔵に移動するまでは畑も使えませんが・・・
2012.09.23
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先月のお盆休みに行ってきた「子供たちの甲状腺エコー検査」の結果が来ていました。 4人ともA1判定=異常なし(のう胞、結節ともに見られず)ということでまずは一安心。さまざまな情報ソースで、「福島の甲状腺検査で1名に甲状腺癌が見つかる」とか、「30%以上にのう胞が見つかる」といった不安を煽る原因になる情報が流れていますが(それに対する福島医科大学の対応が中途半端だったり、曖昧だったりすることが煽りに拍車をかけているような気もしますけど)事故から1年半経過した時点での検査で異常なしということは、まずは一安心できるのかなと思います。甲状腺の検査をする理由は、放出された放射性物質の中でも甲状腺に集まりやすいといわれている放射性ヨウ素の影響を調べるためですが、セシウムは線量マップなどの汚染状況が公開されているのに対して、ヨウ素の飛散状況は半減期が短いために詳細な調査や結果が公表されていない状況にあるため、私も心配していました。(福島市飯野地区の国道沿いの側溝から極めて高い放射性ヨウ素が検出されたというニュースもありましたからね) セシウム汚染と同じ割合でヨウ素も飛散したのか?ヨウ素は揮発性=空気中に漂う ということから事故発生直後に屋内に留まっていても建物の中へ侵入してきていたのではないか? セシウムのホットスポットは雨や雪によって降り注いだ場所が多いのですが、それと同じ状況がヨウ素にも起きたのか? 疑問は尽きません。 だからこそセシウムの影響よりも対策できなかったヨウ素の影響が無かったかを心配していたのですが、この結果を見る限り大丈夫かな。放射能汚染が酷い相双地区が先行検査、続いて福島市と甲状腺検査が続けられていますが、避難先のアパートの隣に住む郡山市から避難している人には、ようやく「甲状腺検査の案内」が届いたそうで、実際の検査は3月になりそうだとのこと。このペースでいくと猪苗代町に住んでいた子どもたちが甲状腺検査を受けるまでにはあと1年先になりそうな雰囲気もあります。早すぎる検査では影響が出る前で状況がつかめない可能性もあるけれど、あまり時間がかかっていると不満が出る可能性もありますからねぇ。それからホールボディーカウンターによる内部被ばく調査の結果はまだ届いていませんが、これも福島市は先行して検査が進んでいますけれど、郡山市はまだまだのようで・・・除染に対する動きは一番早かった郡山市ですが、具体的な動きが伴っていないようです。 それに対して市長が逃げたとまで噂された福島市、市長の力量よりも堅実に除染と検査を進めているという点では、評価できるような気がします。===追加情報===福島県のページにあるこちらの情報によると(http://www.pref.fukushima.jp/imu/kenkoukanri/240911siryou2.pdf)郡山市が遅いのではなく、甲状腺検査は福島県が順番を決めて実施しているようです。誤解を招いてしまったかもしれません。=====いよいよ今日から我が家の敷地内の表土除去作業が始まります。(今朝は猪苗代から婆さんに除染状況を見守ってもらうために一緒に福島市の自宅に一旦戻りました) 汚染された廃棄物を収納するボックスとブルーシートがすでに準備され、今までは暗い中帰っていたのでわからなかったのですが、ご近所さんで進む除染作業の結果、住宅周辺が「はげ山」のごとくきれいさっぱり片付けられている状況を目にすることができました。
2012.09.20
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いよいよ我が家の除染第二弾、自宅周辺の表土除去が明日から始まるようです。すでに屋根と壁の洗浄は終わり、ご近所さんでも表土除去作業が始まっているようなのですが、洗浄に比べると大規模作業になるようで(1日では終わらない)ブルーシートで覆っているところがあちこちで見られます。今回は戦場のときと違って、避難している猪苗代から婆(私の母)にも渡利に戻ってもらい、作業状況の確認と細かな指示(といっても心情的に訴える手法ですが)をしてもらう予定です。 我が家より少し高台にある家では、周りの竹やぶも一掃しているらしく、「何だか丸裸にされるようだ」ということで、線量を下げるために周囲の樹木の刈り込みも進みそうです。
2012.09.19
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週末、私が猪苗代町に行っている間に福島市の自宅の除染第一弾が終わっていました。市役所が実施する除染の第一弾は家屋の屋根と壁を高圧洗浄機で洗い流す除染。併せて放射性物質が溜まりやすいといわれている雨樋もきれいに流すということで、多少なりとも放射線量が低減されるのではないかと淡い期待をしていました。けれども結果は予想通りと期待はずれなものに。室内における空間線量は全く変化がありませんでした。除染前後の線量については後日市役所なりから報告があると思っていますが、屋根や壁の表面に残っていた放射性物質はどれほど除去されたのか? 室内の放射線量に変化がないということは、屋根や壁にまだ残っているということなのか?それよりも周囲からの影響のほうが大きいということなのか?ちなみに室内では0.3~0.6μシーベルト/h程度の線量が計測されています。自宅周辺の樹木からの放射線と地表面からの放射線が影響しているということなのでしょう。 第二弾の除染は表土除去と埋設ですので、これでもう少し線量が下がってくれることを祈ります。 やはり除染で線量を下げて安全を確保するというのは難しいのかもしれません。面的な影響が大きいとすると、裏山の存在というのは厄介なんだろうなぁ。私のパソコンの前で0.432μシーベルト/hくらいです。
2012.09.10
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待ちに待った我が家の除染が、ようやく明日から始まるようです。まずは屋根と壁の除染らしいのですが、今日の明日の話なので、自宅には爺さん一人しかいません。大丈夫かなぁ? ま、一番大事な庭の除染は別部隊らしいですから、そちらの除染作業のときには、多少は話がわかる婆さんに避難先から戻ってもらわないと。
2012.09.03
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せっかくの機会なので、デジカメの高解像度ズームを使って満月をアップで撮ってみました。三脚もなしで手振れするかと思いましたが、予想以上にきれいなものに。クレーターまでくっきりと写っています。今晩は福島市から、のんびりと月明かりの夜空を眺めるとしますか。
2012.08.31
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私の夏休みも今日で終わり。いつもの日曜日と同じように猪苗代から福島市へ戻ってきました。途中の土湯峠は夏も峠を越したようなさわやかな風が吹いていましたが、福島市内は道路情報の気温表示も34℃まだまだ暑い夏が続くようです。自宅付近を散歩して、真っ青な空を中心に写真を撮ってみました。この感じではまだ残暑真っ盛りでしょ? そんな中、虫取り網を持った親子に遭遇、ちょっとだけ羨ましくなりました。
2012.08.19
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今日は昨年の四月末に猪苗代町へ避難して以来、家族全員が福島市の自宅に集まりました。先ほどまで庭先でささやかな花火大会(まだ除染していませんから子供たちは縁側の廊下で見学。明日は子供たちのホールボディカウンター検査と甲状腺検査に行ってきます。そして金曜日には避難先へと戻ります。 ずっと実家住まいでしたから、「里帰り」は初めての経験。うちの親達は寂しさを感じることでしょうね。
2012.08.15
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私は会社がお盆休み(長いなぁ)になりましたが、渡利地区の除染作業基地はこの暑さの中でも作業中です。(ご苦労様)敷地内のブルーシートは、除染後に表土にかぶせる山砂を保管している場所のようです。基地の近くにあるハス池には、久しぶりに見た気がする「シオカラトンボ」がいました。虫取りや水遊びをする子供たちがいないのが残念です。
2012.08.11
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福島市から委託された業者から来ていた案内では7月中に自宅の線量調査を実施したいということだったのですが、平日は人がいないし土日は福島市を離れているということでずれ込んでいた我が家の線量調査ですが、日曜日に息子二人とともに私の母親も福島市に戻ったため、早速連絡したらその日のうちに調査をしたようです。具体的な数値結果の資料は見ていない(まだ渡されていないのかも)のですが、昨年の7月に調査した値(玄関前が1.75マイクロシーベルト/h)よりは下がっているとのことでした。しかしながら予想通りに泥が溜まった側溝は高いということでしたので、高線量の場所を特定して除染(いつから始まるのかは未定)することになりそうです。自宅のすぐそばにあるモニタリングポストの値は5月からじわじわと上昇傾向にあり、0.7マイクロシーベルト程度から0.8マイクロシーベルトへとなりつつあります。その原因は何なのか?上昇しているとはいっても0.1マイクロシーベルト程度なので、日々の変動幅からすれば目をつぶれる範囲ではあるのですけれど気になりますね。
2012.08.07
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7月28日、29日と郡山駅=福島駅間の東北本線をC61が「ふくしま復興号」として走行しました。一番上の息子はこのSLを郡山駅と福島駅で撮影するために猪苗代から嫁さんと一緒に出てきました。 郡山からふくしまの間は、今期で東北新幹線から姿を消す2階建て車両E4系にも乗ったようです。そんな息子を福島駅で待つ私。駅で待つのもなんですから、駅の近くの撮影スポットで私もSLを撮影することにしました、ただしデジカメを忘れたので携帯で。でもって、結果がこのとおり携帯で撮影すると、シャッターを押してからピントを合わせて画像を取るまでにタイムラグがあることを忘れていました。みごとに先頭のSLが外れて炭水車からしか写っていません。ま、実物を走り去ったところを見れたからよしとしましょう。翌日の29日。猪苗代から福島市渡利に戻ったところ遠くから聞こえるSLの汽笛。この2日間だけはSLがふくしまを走り抜けてタイムスリップした雰囲気となったことでしょう。
2012.07.29
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昨年の震災が発生した日は、とにかく家族の無事を祈り、信号が止まって大きな道路にも陥没があったり、何度も余震が襲ってくる中、大渋滞で右往左往しながらも10kmほど道のりを3時間かけて我が家に戻り、家族は避難所に向かったけれど全員無事を知ってほっと一息ついたことを記憶しています。翌日からは会社は現状確認と復旧への段取りで毎日出社、家族は家に戻って食料や水をどうするかということで精一杯だったと思います。 現実にやってきた災害に対するサバイバル生活。幸いにも我が家の車はガソリンが3台ともほぼ満タンだったので、緊急時の避難や買出しを心配することはありませんでした。 自分の命と家族の命を守るためにはどうすればいいのか? 水と食料、そして生活空間の安全・・・それで精一杯だったときに原発の爆発シーンをテレビで目にしました。あの瞬間、正直言って『終わった』と思いましたね。それまで「原発で大事故は起きない」と信じ込まされていましたから、原発で爆発=原爆と同じ くらいの大きなショックを受けました。やがて自分たちにも目に見えない放射能が降り注ぎ、広島や長崎の原爆で苦しんだ人達と同じ道を自分たちも歩むことになるのか・・・死んでしまうのか・・・それからは抜け殻のような心と、現実は職場の復旧作業に精力を注いで家族を外に出さないでおくのが精一杯、食料や水を求めて自転車で走り回る(降り注ぐ放射能など気にも留めませんでした)生活。 原発爆破直後には、北海道と東京の親戚に子どもたちを避難させようかと考えましたが、テレビやラジオから流れる「心配ない」情報を鵜呑みにして、そのまま留まる事にしました。1ヶ月ほど過ぎてでしょうか、福島市内でも線量の高い場所がある、風の流れと原発からの雲の流れを推測すると、どうやら渡利がそういう場所だとわかり、本格的に子どもたちを避難させることを考えました。でも県外では虐めに遭う可能性が高い、県内で放射線量の低いところは南会津、知り合いも要るでも車で片道3時間以上は覚悟しなければ・・・ さまざまな条件を判断して、4月中頃に隣町である猪苗代にアパートを借りることを決めて、5月の連休には引っ越しました。 避難する期間は一番上の子が小学校を卒業するまでの2年間。身よりも無い地域なので、私以外の家族全員が避難することとしました。不安に思ったら最善の策を取るのが私の信条。原発が爆発してからの抜け殻だった心を埋めるためにも、1ヶ月間家族に対して自分が満足できる行動を取れなかった償い?が、この自主避難という行動に現れたと思っています。そして1年が過ぎ、もうすぐ猪苗代で2度目の夏がやってきます。この1年間は放射能の影響を判断するための様子を伺う期間。本当に健康影響があるのか?生活環境に影響はあるのか?避難区域に指定されるのではないか? そんな不安を抱えての1年間ではありましたが、空間線量から推測する外部被ばくについても、食品を摂取することによる内部被ばくについても、福島市で生活することが大きな障害とはならないことが分かってきました。 しかしながら、昨年の米からは基準を大きく超える放射性セシウムが検出されて作付け禁止、住宅の除染についても今年度中に完了の予定ということで、当初の予定通りに今年一杯は子どもたちは猪苗代へ避難させておくことにしました。さて、私の頭の中では来年の春にどういう形で子供たちの避難生活を終了させるか?を考えることができるようになってきました。避難を終了というよりも、福島市でどういう生活を再開させるか?というほうかもしれませんね。まずは震災でガタガタになった自宅の中を徹底的にきれいにしなければ。ゴミ屋敷のような部屋はゴミを全て捨てる!(これは嫁さんの性格が関わるからなぁ)そして春からは中学生になる一番上には独立した勉強スペースが必要でしょうから、子供たちの部屋を大胆にリフォームしたいですね。男4人ですからあまりパーソナルスペースを気にする必要はないと思っているのですが、2階の8畳と6畳+クローゼットスペースの壁を取っ払ってワンフロアにします。(これは新築時にも想定していました)そして平らな天井を取って屋根裏スペースを有効活用、吹き抜けにつつく部分をロフトと収納にして、大きな部屋を各自が2階建て風に使えるような仕切りと机+ベッド=寝台列車風???にしてあげようかと思っています。2階の部屋を追い出された私は、2階にあるもう一つの6畳和室に移動になりますが、ここは寝室にして、書斎兼趣味の部屋を庭先にミニログハウスでも建てたいですねぇ。せっかく子どもたちも猪苗代でスキーを習ったし、クロスカントリースキーに興味を持ったりしているから、そっち方面の趣味と息子たちのバックアップもできるようにしたいなぁ。震災以降止まっていた夢や憧れへの時間が、ちょっとずつ進められそうな気がします。
2012.07.05
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その昔、花見山の近くでホタルが乱舞する場所からすこし上流のこの場所には、とてもきれいな湧き水と清水があって、とても神聖な場所のように思っていました。 残念ながら今は川もコンクリートで整備され、湧き水があった場所らしきところは小さな池に・・・それでも、ここがきれいな清水があった証拠を見つけました。
2012.07.01
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R110さんのブログのコメントにお応えして?巷で噂となっている?阿武隈川から渡利地区にさかのぼってくるという「幻の放射能竜」を探してきました。まずは地区内を見渡そうと殿上山へ上ります。このお宅は絶対に「さとう」さんだろうな~というところを通って山頂へ到着しますが・・・樹木でなーんにも見えません。山ノ神に探検の無事を祈りつつ探検隊らしく?こんな急な坂道を降りてきます。この写真の意味が分かるのは・・・R110さんだけでしょう^^;まずは、胡桃川と阿武隈川の合流域で遡上跡を探して見ますが・・・続いて、堀切川と阿武隈川の合流域を渡利大橋から眺めてみます堀切川は河口付近から50mほどのところで暗渠になってしまいます・・・この先をのぼっていったのかは私には探れません。もしかすると、放射能竜の正体はコイツだったのかもしれません。ということで、散髪しながらのお散歩は、軽く一汗かいていい運動になりました。
2012.07.01
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私は実物を見ていないのですが、土曜日だか日曜日の新聞折込に「福島が好き」というタイトルの情報紙が入ったそうです。 脱原発さんがブログで全編公開しています(http://ameblo.jp/datsugenpatsu1208/entry-11285055531.html) 見なくていいですよ(http://blog.goo.ne.jp/fukushimagasuki)んでもって、この情報紙に対するツイッターのまとめが早々に出てました(http://togetter.com/li/326217)「福島が好き」の編集部は京都市市民活動総合センターにあるようです。 まぁ、内容に対しての福島県民からの反応は冷ややかなものがほとんどのようでし、情報としては地元からすると古いような気がするのは否めません。私の意見。 どうして県外からこんな情報を福島県内で発信するの? 何をしたいのかがさっぱりわからない。 脱原発が形をかえてまたまた募金活動をしている・・・ その程度ですね。福島県の外側からこんな形で精神的な不安を与えられて、黙っているわけにはいきませんね、今の福島が全く伝えられていませんから。 原発の敷地内も、福島県の西の外れもひとまとめにして「福島」だと伝えられることには辟易しています。今の福島(福島市)は、不安から立ち上がろうとしている人がほとんどでしょう。全ての危険情報や危険因子を無視するつもりはありませんが、安全な部分を確認して、少しでも危険なエリアを狭めていく努力こそ大事になってくるのではないでしょうか。大雨の後に阿武隈川に流れ込む渡利地区の側溝汚泥が急激に線量が高くなったという情報がネットにありました。そりゃそうでしょう、渡利地区の側溝なんて普段は水が流れているところのほうが少ないんですから。これほどまでに危険や不安情報を外から流されるのは、福島県民が総じて舐められているのではないかと。 危険なものは危険だといえるし、安全が確認されたものは安全だと言える(どうも、福島県内ではそういった声を上げることさえ統制されていると勘違いしている人もいるようですし) 福島県民も日本国民として生活していることを知らしめなければなりませんね。
2012.06.25
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おはようございます。久しぶりに週末福島市にいます。昨晩のこと、突然裏のほうから小鳥がけたたましく鳴くような声が聞こえました。こんな時間に鳥が飛ぶはずも無く、ネコのけんかにしては声色が異なる、そんな雰囲気でしたが、しばらくして聞こえなくなったのでそのままにしていました。で、今朝洗面所から外を見てみると・・・我が家の雨どいに小鳥が巣を作っていたようです。そこが何者かに襲われたのかな?2階の奥まった場所ですから、ネコが手を出すのは不可能・・・となると犯人は蛇?それもまたちょっと怖い気がするのですが。放射能の影響は小動物に・・・なんていわれていますが、我が家の周りは毎朝のように小鳥が飛び回ってうるさいくらいです。変化なんて全く見られませんね。
2012.06.23
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昨日、猪苗代から戻ってから仲人さんといろいろ話をしました。仲人さんの一人息子はオーストラリア出身の奥さんと国際結婚し、うちの4番目と同じ2歳になる女の子の孫がいます。街のゴミゴミした雰囲気が嫌いなお嫁さんのために、花見山に住居を購入し、将来は孫と3世代仲良くのんびりと生活したい・・・そう思っていたらこの震災と原発事故が起きました。奥さんと孫娘は幸いにも震災発生時にオーストラリアに里帰り中。日本の、東北で起きた大地震と津波にも驚きましたが、その後の原発事故のほうがもっとショッキングな出来事のようでした。「フクシマは危ない」 (オーストラリアから見て)「娘の旦那さん、その両親がフクシマに残っている。一国も早く日本を脱出してほしい」そんな連絡を受けて、仲人さん御夫婦と日本に残っていた息子さんの3人は山形・新潟を経由して大阪に移動し、そこから息子さんはオーストラリアに出国しました。大阪に残った仲人さんは連れていた犬が縁で、堺市の避難者用住宅に一時身を置いたのですが、フクシマの福島市にある自宅や周辺には知人も避難せずに生活している、ということで2週間ほどで福島市に戻りました。それから1年以上過ぎ、オーストラリアに渡った息子さんも無事に就業ビザを取得したらしく、オーストラリアの家族の勧めもあって、現地で生活していく覚悟を決めたそうです。可哀想なのは仲人さん夫婦。息子や孫娘に会うためには9~10時間飛行機に乗り、丸一日かけないといけません。でも孫娘たちがオーストラリアから日本に会いに来てくれそうにはありません。 このまま仲人さん夫婦のどちらかが逝ってしまったら、将来的には日本ではなくオーストラリアで面倒を見てもらうことになるのか・・・と落胆している御夫婦でした。つい先日もオーストラリアへ行き、オーストラリアの家族と話をしたらしいのですが、現地の人の認識はこうだそうです。「フクシマでも場所によってはシドニーより放射線量が低い場所がある。そういった場所なら戻ってこないか?」「フクシマの爆発した原子力発電所が今でもあのままで安全だとは思えない」私たち日本に、福島に住んでいる人間は放出された放射性物質が及ぼす危険性(外部被ばく・内部被ばく)を心配して空間線量が低いところへ避難したり、食品からの内部被ばくを抑えるために食品の検査を要求したり、すでに被ばくした状況を調査するための検査やこれからの健康影響を継続的に把握するような調査を実施したりと、事故発生後から今までの問題を中心に考えていると思うのですが(それが、今のところチェルノブイリ事故と比較すれば大きな健康影響は出ないだろうという専門家の意見に一安心しているところではないでしょうか) ところが、海を越えて離れた場所から見るフクシマは、4つの原子炉が壊れてむき出しになっているまま、安全だといえるようになるのはいつなのか分からない状態であり、汚染地域がどうこうという前に、放射能汚染を引き起こした原因の原子力発電所が今どういう状態にあって、どういう状態になれば安全なのか明示されていないことに問題があるということのようです。確かに、ここ最近福島第一原子力発電所の状況が新聞やテレビでニュースになることは少ないですよね。1号機の建屋にカバーをしたことまでは知っているのですが、3号機や4号機はむき出しになったままなのではないでしょうか? 汚染地域の除染活動と同時並行で廃炉作業が進まなければならないと思うのですが、どうも国は関西の原発再稼動のほうに熱心で、インチキ収束宣言以降時間が止まったように計画も進捗も進んでいない=見えてこないような気がしてなりません。「放射線の影響が無くて、田舎暮らしがいいのなら猪苗代は最高ですよ、いっそのことオーストラリアから猪苗代に引越ししてくればいいのに」という話をしてみたのですが、猪苗代に来る前に日本に来たくない問題があることがわかり、がっかりしました。
2012.06.11
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こちらは我が家ではなく「花見山展望カフェ 空と花」の除染後の写真です。黄色い杭が見えますが、その下に150袋ほどの「放射性廃棄物」を埋めたということです。斜面ですので、表土を剥いで山砂を入れた一部がすでに流れ出しています。砂利も、花壇の土も入れ替えたそうです。
2012.06.10
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福島市で摂取や出荷を差し控えるよう要請されている食品ウメ・ユズ・平成23年産米・こごみ・タケノコ・ふきのとう・たらの目・わらび・こしあぶら・原木シイタケ(露地)・野生きのこお隣の伊達市で摂取や出荷を差し控えるよう要請されている食品(重複を除く)ワサビ・ザクロ・クリうちの親父が栽培していたもの=ウメ・ユズ・米・ザクロ・クリ・花ワサビ・シイタケ ^^;うちの親父が山で取ってきていたもの=タケノコ・ふきのとう・たらの目・わらび・こしあぶら・山菜全般・きのこ全般 ^^;これは農業を主として生活していた高齢者にとっては何もできないのと同じです。補償すればいいという考えの前に、解決しなければならない気持ちの問題があるんじゃないですかねぇ。
2012.06.05
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このブログでも紹介している「花見山展望カフェ 空と花」の敷地と建物の除線が終わりました。自生している草花や丹精込めて育てた花壇が、見事なほどに表土を剥がされ、その後には黄色の山砂がふんわりと(ここ大事)かぶせてありました。除染業者からは、敷地内の除染前除染後の空間線量は、1cm・50cm・1mで測定結果を報告してもらえます。建物の屋根や壁については、空間線量とともにcpm値も測定しているようです。簡単な結果ですが、壁面や屋根については除染後300cpm以下となり、地面の線量は1cmで0.15~0.3μSv程度、除染前は50cm・1mと測定位置が高くなるにつれ低くなっていた値が、除染後は1cm<50cm<1mと逆転します。これは直下の除線をした場所からくる放射線よりも、周囲の除染していない場所からの放射線の影響が大きいということなのでしょう。1cmで0.15前後、50cmで0.3~0.4、1mで0.4~0.6μSvというのが平均的な測定値でした。除染前と比較すると、1cmが1.2μSv程度でしたので、表土除去による効果は確かに大きいといえます。除染後に出た放射性廃棄物は敷地内に埋めたようですが、その場所についても放射線量を測定して報告されていました。いずれにしても、除染後の敷地は山砂で一目瞭然になっています。(そういえば相馬に行く道すがら、大波地区でもやたらと山砂の黄色が目立っていました) この山砂効果ですが、除染したことが分かる点では意味があるのでしょうけれど、これから梅雨の時期や大雨によって土砂が大量に流れ出る可能性が高くなるのではないか? 必要以上に表土を剥いでしまうと土砂災害を誘発するのでは?なんていう心配をしてしまいます。今朝は、花見山臨時駐車場となった多目的スペースにプレハブの事務所が建てられていました。またここを拠点として除染作業が進められるのでしょう。 住宅地の除染も思うように進んでいない現実ではありますが、点ではなく面で除染することの重要性を知らされた感じがします。
2012.06.04
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久しぶりに早起きをして(目は覚めていたのですが、カメラを持って外に出るのは久しぶり)自宅周辺を歩いてみました。今年は作付け制限をされていて、本当なら田植えしていないはずの田んぼの一角に水が張られて、半分だけ田植えがされていました。(試験的なのか?これが本来の姿なのですけどね)こちらも畑の2列だけにジャガイモが植えられ、1列の半分だけに長ネギが植えられ、それ以外は荒れたままになっています。農地の除染計画はどうなっているのでしょう? 除染の前に、この地域は住宅の除染もまだ始まっていません。福島市の計画では24年度中に完了予定ですが、5月にようやく地域住民への説明会があり、各戸へ同意書とアンケートが送付されたところ、これから業者と住民の打ち合わせしてから除染作業が行われるようになります。 いずれにしても、庭に埋めるよりも、中間貯蔵施設への集約が決まらないうちは、何をしても不安は解消されませんね。
2012.06.01
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来年には子供たちを猪苗代町から福島市に戻すと決めたものの、本当に渡利に戻していいのだろうか?という心配が付きまといます。学校は除染しました。住宅の除染も今年中には終わるでしょう。空間線量は原発事故直後から比べれば半分以下になりました。自宅の前の畑では何も栽培していません。米も会津産を分けてもらうことができます。でも、渡利地区は今年(24年)の米の作付けは断念しました。そのために田んぼは何もできずに耕作放棄地のようです。25年はどうなるのでしょうか? 田畑の除染は話題にものっていません。山林の除染も聞こえてきません。放射線のリスクだけを心配すること自体が精神衛生上良くないことが分かってきましたが、「本当に心配ないのか?」という答えを見つけることができません。『せめて福島市内でも渡利ほど騒がれないような場所にしたら』と言ってくれる人がいます。確かに福島市の西部地域や大森・荒井なんかは、渡利とは比べ物にならないほど空間線量は低いですよね。そういうところに引越しを考えてはみるものの、渡利と比較すると通常に生活するには不便な環境なんですよね。病院ならわたり病院があるから救急でも安心だし、学校はほどよい距離にあるし、車で買い物に出かけても4号線が近いので楽だし・・・ 街なかからも近いので自転車で行動できる範囲に図書館も美術館もデパートも?ある。 あえて不満を言うなら道幅が狭いことくらいでしょうか?山もあって、川もあって、田んぼもあって、畑もあって、きれいな花も咲いていて・・・こんなにいいところだったのに。原発事故さえなければなぁ~ 結局腹が立つところに戻ってしまいます。
2012.05.21
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今年は作付けを制限された渡利地区のたんぼ。ここは、ニュースでも報道された1550ベクレル/kgのセシウムが検出された場所です。山間に挟まれた場所であることがよくわかるかと思います。今年はこのまま耕作放棄された状態なのでしょうか?「田んぼはCO2削減効果のある緑地帯」というようなCMを見たことがあるのですが、作付けはしないまでも水を張ることで放射線の面的な遮蔽効果を出すわけにはいかないのでしょうか。
2012.04.30
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福島市の有名な桜の名所は葉桜になっているかと思いますが、花見山はまだ見ごろが続いています。花見山展望カフェ空と花のベランダから(安達太良山が遠くに望めます)吾妻山の種まきウサギもくっきりと枝垂れの花モモも今が見ごろシダレザクラも花盛り今日は25度の夏日が予想されています。そんな暑さをイメージしてみました
2012.04.28
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昨日の雨にも負けず、ソメイヨシノは週末まで楽しめそうな花見山です。でも散った桜もまたきれい。モモの花が見頃を迎えています。今朝はキジを見つけました。(本当にキジは鳴いてもなかなか逃げないんですね)
2012.04.27
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昨日の雨も上がり、今日は花見山観光に絶好の陽気だと思います。せっかくなのでこちらのブログ(花見山展望カフェ 空と花 http://blogs.yahoo.co.jp/kan5300915)に掲載した写真をこちらにも載せてみます。本家?花見山です。ソメイヨシノも満開となりました。どこを切り取ってみても絵になる風景ばかりボケの花も朝露に濡れていました。庭先のシダレザクラも一気に開花(真下から狙ってみました)
2012.04.24
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今日は渡利地区の中でも私が住む町内会も含んでの除染説明会が夜に開催されます。(場所は・・・どうやら公開されていないようなので内緒です)そこで今まで実施した除染の効果などの説明と、これから除染を実施する地域への注意事項などが説明されるだろうと推測します。1月でしたか?渡利地区でも比較的放射線量が高い地域を優先的に除染するということで、2月~3月に除染を実施する地域、4月~7月に実施する地域、(11月だったかな?)それ以降の3区分に分けていたと思いますが、我が家はその2区分だということを市役所の支所で聞きました。しかしながら、1区分の対象地区となっていた高倉にあった「珈琲工房 空と花」には直接通知が無く、市役所の支所で直接確認しても『第一回目の除染区域には入ってないですね』と回答を得るも、実は除線対象だったということで市役所から侘びが入った(住民調査が不充分だったというしかありません)という経緯もあり、今回の説明会も何をどう説明するのか?心配ではあります。ただ、福島市が市内全域、特に渡利地区はその優先順位を上げて住宅の除染を実施してくれるわけですから、昨年の4月に小学校や中学校のグラウンド除染に対する説明会のときのようなダラダラと不満をぶちまけるだけの会にはならないようにしてほしいし、やるからには住民も協力して一致団結できるような方向に持っていってほしいですね。説明会で説明する側はお役人で故、住民を納得させるような話術に長けているわけでもなし、あまり期待はできませんから、質問する住民側から、出席している役人も住民も納得させられる流れを作らなければなりませんね。想定される質問は、地元の長老からは「自分の地区はいつ頃だ云々」とか「自分で除染しても線量が下がらない云々」という愚痴が出てくることでしょう。 同じ話を10分以上されても聞く側(役人)も迷惑なら、説明を求める住民としても迷惑(時間の無駄) とにかく愚痴に割く時間を最低限にしたいですね。で、私は褒め殺しパターンがいいのではないかな?なんて考えています。1.とにかく渡利地区の住宅を優先的に除染することを決めた市役所さんありがとう!2.大波地区は仮置き場があって進んだけれど、渡利地区は仮置き場が無くて困っている、これを住民でなんとかしましょう! (誰かが人通りの少ない土地を提供してくれることに手を挙げれば最高なのですが)3.みんなが安全に生活できるように除染作業に協力しましょう!(文句を言わない)4.早く元の渡利が戻ってくるように頑張りましょう!(外野に負けない)でもって、渡利に仮置きする放射性廃棄物は中間貯蔵施設へ、国や県が早く決断して動くことを市役所にも頑張ってもらう(『住民からの強い要望ですよ』って持ち帰ることが県に対してのプレッシャーになりますから)こんなところですかねぇ。
2012.04.23
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ちょうど1年前の今頃だったと思います。「福島市も線量の高いところがある。」「どうやら渡利は高いようだ。」「それでも学校は始まってしまった。」 どうする?どうすんの? 国は年間20ミリシーベルト未満であれば影響ないから通常の生活に支障が無いという。本当? 「学校のグラウンドが3.8マイクロシーベルト未満であれば使用して構わない。」本当に大丈夫なの? 通学路を測定してみると似たような数値が出てくる、場所によっては10マイクロシーベルトを超えるホットスポットが出てくる・・・ さあ大変だ。せめて子供たちを守らなければ。市役所に有志が集まって除染の陳情をし、県庁に陳情をしました。しかしながら実態は、市や県が主体的に動ける状況ではなく、すべてが国の指示通り(指示待ち)でしかありませんでした。(当時の文部科学大臣を思い出すと今でも腹が立ちます)そして1年が過ぎました。 福島市は本当に危険地帯だったのでしょうか? 子供たちがこの場所で生活し続けることは難しいのでしょうか? この地に残り、子供を育てようとすることは間違いなのでしょうか?学校や子供が集まるような場所の線量は定期的に測定されています。福島市だけでもモニタリングポストが新たに391箇所設置されて、リアルタイムで測定されるようになっています。線量が高かった学校のグラウンドや公園などは天地換えによる除染(地中保管?)によって、低い線量になっています。 通学路などはボランティアによって側溝洗浄や雑草の除去などの除染活動によって、事故発生時よりもかなり低い線量になっています。自宅は一部の地域で、市役所による除染が実施されました。(福島市内は原則として5年以内にすべての住宅を除染を計画しています) 残念ながら農地と山林についてはほとんど手がつけられていません。福島市内の学校給食は、毎日事前に放射性物質の検査を実施することになりました。ホールボディーカウンターによる子供たちの内部被爆調査も実施されています。家庭菜園などで作られた食品は、市役所の支所で検査できる体制を整えつつあります。外部被ばく線量は確実に少なくなってきています。内部被ばくに対する対策も整いつつあります。 福島県内で生産される農産物に対しての検査は、完全とはいえませんが実施されています。 スーパーなどで販売される食品は、物流のおかげで九州や西日本産のものが新鮮なまま入荷されています。生活に必要なライフライン(水道・ガス・電気・道路・鉄道等)はすべて復旧しています。経済活動についても、通常とおりに工場が稼動し、商店が営業し、物流が動いています。放射線に対する影響という不安はあります。100%の安全が保障されているわけではありませんが、現在までの検査では放射能による健康影響は確認されていません。自らの家族を、自らの判断で守るのは大人として当然の責任です。福島に住み、福島で子供を育てている大人は、その責任を放棄したわけではありません。 それを一部の人達が、あたかも「虐待」のごとく騒ぎ立てたりしています。 『福島は危険だから避難すべき』と。私も子供たちを福島市から猪苗代町に避難させています。そして1年経ち、現在の福島市の状況を判断しながら、子供たちを福島市に戻そうと考えています。「たった1年では健康に影響がでるかどうか判断できない」「健康影響が判明するのは3年後、5年後といった時間が必要」という意見も聞きます。実際、時間が経過しなければ断言することはできないでしょう。しかし、ここ1年間の改善状況から先を予測することができるようになってきました。福島で今、何が起こっているのか? その答えは「普通の生活を取り戻すべく、頑張ってくれている人がいるおかげで、復興に向けて確実に進んでいる」といえるかと思います。福島壊滅で廃炉を願う人達や、他人の不幸は蜜の味に感じる人には申し訳ありませんが、遠く離れてはわからない現実が福島市にはあります。 人も街も生きています。
2012.04.17
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暖かくなってきた福島市。昨晩は蛙がゲコゲコと鳴き始めていました。(地震があった時間には静まり返ってしまいましたけど) 桜が咲き出して、農作業の耕運機の音が聞こえ、田んぼに水を張り、庭先にこいのぼりがはためいて、そして蛙の唄が聞こえてくる・・・そんな季節を迎えるのですが、残念ながら今年の渡利の田んぼには稲を裂く付けすることができません。作付けしない田んぼは放置されてしまうのでしょうか?いまのところ耕運機で耕す様子は見られません。(土ぼこりを吸ったら内部被爆してしまうからかな?)耕さないのであれば水を引き入れることもないのでしょうね。そうなると蛙たちがにぎやかに鳴ける場所が少なくなってしまうことでしょう。今年、米の作付けを制限されるのは、福島市の渡利を含む旧市内地域(でも旧市内で田んぼとなるとほとんど残っていないんじゃないかな)と旧小国村(大波地区)。伊達市は特定避難勧奨地点のある旧小国村、旧富成村、旧掛田町、旧月舘町、旧柱沢村、旧堰本村。二本松市旧渋沢村、相馬市旧玉野村。(旧○○村って分かる世代は昭和40年以前に生まれた人ですよねぇ?) そして警戒区域および計画的避難区域。国道115号線の福島市から東の沿線はほとんどが作付け禁止となっています。この沿線の田んぼは(字毎に制限されている場所を除いて)どういう対策をとるのかが分かりません。このまま耕作放棄して荒地になってしまうのでしょうか? 相馬市にとってこの国道115号線は国道6号線の仙台方面と同様に生活幹線道路。その沿線の風景が廃れてしまうのは精神的にも良くないことでしょうね。同じく、国道114号線は福島市から浪江町を結ぶ基幹道路ですが、毎日横断する私の印象としては、警戒車両(全国の都道府県から応援で入ってきている警察のバスや特殊車両)と資材を運搬するトラックの通行が多いような気がします。114号線から川俣で分岐して飯舘村に伸びる県道12号。飯舘村の風景は変わってしまったのでしょうね。飯舘牛はみんないなくなってしまった。JAの直売所にあったあの看板だけが「飯舘牛」の存在を後世に伝えるものになるのでしょうかね。学生時代に東京で生活したとき、夏の思い出は電話から聞こえてくる蛙の大合唱でした。福島にいると、あまり気に留めていなかった蛙の唄も、都会では懐かしい唄に聞こえました。今年はどうなるのかな?来年は聞けるのかな?
2012.04.13
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おはようございます。今朝は天気もよく、花見山の花々の開花も進みそうです。 (花見山の状況はこちらでどうぞ「花見山展望カフェ『空と花』紹介&応援ブログ」(http://blogs.yahoo.co.jp/kan5300915)そんな花見山観光の案内本部に設置されている「花見山メッセージボード」そのメッセージの中にこんなものを見つけました。右下のメッセージ「生きて行くぜ渡利」「生きて、また渡利に行くぜ」の意味なのか?それとも「渡利で生きて行くぜ」なのか。どちらにしても、私には勇気をくれました。
2012.04.13
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放射線量が高いといわれている渡利地区ですが、文部科学省のモニタリングポストは22箇所あります(渡利学習センター・渡利小学校・渡利幼稚園・渡利中学校・南高校・総合衛生学院・渡利保育所・さくら保育園・ポプラ保育園・エンゼル保育所・こばと幼児園・きりん教室・託児所くれよん・愛育園わたりの家・渡利児童センター・高等理容美容学院・平が森団地公園・弁天山公園・大豆塚団地公園・水道局管理センター・花見山ウォーキングトレイル駐車場・新山霊園) ちなみに福島市には391箇所。その設置場所は学校や公園など子供たちが集まる場所が主な設置場所となっています。(余談ですけど、文部科学省のこのシステムで、東京都の測定箇所は1箇所だけです)これらの観測場所の中で一番高い値を示しているのは「新山霊園」の1.8μSv/h(これは福島市内でも一番高い)次いで弁天山公園と水道局管理センターが1.3μSv/h。これらの場所に共通するのは、周囲が山に囲まれている、もしくは山際にあるということ。それ以外の場所はグラウンドの除染効果もありますが、おおむね0.5μSv/h前後となっています。いろんな情報で渡利地区が高線量(10μSv/hを超える場所があるとか)と危険を煽るものがあったりしますが、めったに水が流れない側溝だったり、雨樋の水が集まる場所だったりと、常に人が集まったり留まったりするような場所ではないこと(まさか側溝の中を直接歩く人はいませんよね?)を考えると現実的ではないと思います。比較対象をどこにするかですが、以前の空間線量(0.04~0.08μSv/h)と比較すれば10倍で高い、放射線管理区域として定められている0.6μSv/hよりも高い、だから危険という理屈はありますが、それが発ガンの危険性が高まるとして、その危険確率と、チェルノブイリ事故による危険確率を同等にしてしまう論理は今となると怪しいものです。原発事故が起きる前に比べれば被曝した分だけ、発ガンの危険性が高まったのは事実です。それを何万人に何人という確率論で影響は少ないと発言した専門家に対しては、私は不満を持ちました。問題は個人個人の影響なわけですから。子供が心配だとする理由の多くは、「自分の子供を危険に晒すことはできない」ということであり、一人の子供に対して何万人の何人という確率を当てはめてしまうのは、「ガンになるのかならないのか」というYes、Noの答えと合致しない、そのために不安になったのだと推測します。全体的な状況(情報)を速やかに公開し、個人個人への対応(外部被ばく線量の測定だったり、内部被ばくの調査だったり)をきちんと行っていけば(ようやく前に進みましたが)ここまでの不信感を持つことも、不安を感じることもなかったでしょう。 それから原発事故発生当初は渡利地区の小学校・中学校の空間線量が3.8とか3.7という高い値だったにも関わらず、年間20ミリシーベルト未満であれば制限しないという文部科学省の方針への不信感が一番強かったかも知れません。(測定された線量×時間をそのまま被ばく線量とするのではなく、学校生活における被ばく量しか考慮しないとか、屋内の活動は1/4として(実際のところ木造家屋では1/2がいいところです)危険性を考慮するのではなく、「見かけ上の安心」に方向性を振った当時の文部科学省のやり方と、当時の官房長官の「ただちに影響は無い」という責任逃れの発言は不信の決定打だったと思います。今の状況の渡利で生きていくためには、不用意にホットスポットに近づかないことと、山菜やきのこなどの自生する食品は前と同じように摂取しないこと、この2点に注意することで外部被ばく、内部被ばくは十分に抑えられると思います。 そう思って私は生活しています。 もちろん、今後の原発状況には注意が必要だと思いますけどね。
2012.04.11
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